デルフィニウム揺れる園 11 

delphinium blue



 僕は、空と別れてからそれこそがっくりと肩を落としてとぼとぼ家路につこうとしていた。
 だけどやっぱり、こんな夜は誰もいないマンションなんかに帰りたくはなくて、結局思い倦ねて僕は 『ムーンドック』の重い扉を開ける。
 そのとたん皆の顔が一斉に僕に集まるので僕は苦笑せざるを得ない。仕方ないか……実際、今夜は休みをとって来ないはずの僕が来たのだから。
 「もう、ご用事はお済みですか?」
 小平が柔らかい笑顔で僕を迎えてくれるけど。
 実際、いい男はどんな時でも様になる。
 どうして空はこんな芸能人みたいに人目を引く華やかな小平を振ったりなんかしたんだろう。
 僕は訝しげに見つめる常連たちに軽く会釈をし、すぐ奥の事務所に入るとロッカーから真っ白なスタンドカラーのシャツブラウスに袖を通しいつものように臙脂色のタイをきつく結んだ。
 「レイ、今夜も結局出勤なのかい?熱心だな。さては狙ったタチでも逃したんだろう?」
 「最近は、そんな遊びはしてませんよ」
 常連のひとりの恐神の揶揄をさらっと躱した。
 実はこの男とも一度だけ関係したことがあった。
 やはり僕が女装しオカマ言葉で話す事で安心していたのか、結果的にウケに回ってしまった時はよほど悔しがっていたが、僕が一度しか関係を結ばない主義だと知ると今度は逆にしきりにモーションをかけてくる。
 とはいえ、その程度は決してしつこくはなく、正直僕らはその駆け引きを逆に楽しんでいた。
 そして彼もこの店の大きな出資者のひとりなってくれて。
 何か問題がおきれば、すわ鎌倉とばかりに、すぐに馳せ参じてなにくれとなく力になってくれる
 常連というより友達に近い存在。
 「じゃあ、空のケツを追い回してるって噂は本当なのか?」
 空と聞いて小平がビクっとした。
 昔の男とはいえ、やはり気になるだろう小平にこの話は聞かれたくなかったので、奥の席に彼を案内する。
 僕は自分でグラスに冷たい水を注ぐと一気に飲み干した。
 「空の事は本気なんです」
 「本気ってマジって事?」
 恐神はその大きめの瞳を酷薄そうに眇めて僕をみる。
 「ちゃかさないでください」
 「何言ってるんだ?いつもの押しの一手でいけばいいじゃないか。お前に落ちない男なんかいないだろう? タチのゲイだろうがバイだろうが、ノンケの俺だってその気にさせるテクニックを持ってるじゃないか」
 他人事だと思ってと僕は大きくため息をついた。
 「空に嫌わちゃったみたいで、もう近付かないでくれって言われました」
 思わず彼は外国人のように両手を左右に開いて上げてみせた。
 「それで諦めるのか?お前らしくないじゃないか」
 再び大きくため息をつくと僕は今までの経緯を詳しく恐神に話をしてきかせた。
 どうして彼に話す気になったのか自分でもよくわからないが、話す事で多少は気持ちが楽になったような気がする。
 「そうだったのか…きっとその澁澤はお前に惚れていたんだろうな」
 「何を言い出すのかと思えば。惚れてる相手に強姦なんて最悪でしょ?身体と心は別物です。相性がよかったことは否定しませんけど」
 「そりゃそうだけど、そんな不器用な人を近くで見てきたからね。10年も自分の惚れた相手を監禁して 無理矢理……本人は自分の全てを彼に残したんだから本望だと思っていただろうが、残された方は トラウマだよな。レイにそんなトラウマになる過去があるなんて思わなかった」
 いつになく恐神の顔は真剣な表情で僕を覗き込み、あまつさえ頭を軽く撫でたりなんかしている。
 これって甘やかされてるのだろうか?
 確かに歳は多少離れているとは思うけれど。
 「どういう意味ですか」
 「なんだかレイって歳の割に人生に達観してるようなそんなイメージだったからさ。半分人をバカにしてるような斜でモノをみるような感覚。それはお前もそんなに傷ついてトラウマになったから今のお前がいるんだな……そう思うと年相応でやけに可愛く見える」
 そんな優しい事をいわれると今の僕は誰かに縋り付いてしまいたくなる。
 「空もお前が好きなんだよ。だけど以前にレイにそんな振られ方をしていれば臆病にもなるし、素直に信じられないのは当たり前だ。傷つきたくないのは、レイだけじゃないんだ。恋愛に対して本気なら本気なだけ臆病になるのは仕方ない事だ」
 僕は小さく頷いた。
 「まだ、完全に振られた訳じゃない、空は逆にチャンスをくれただろう?言葉や身体を使わないで 告白しろってさ。それは空もレイを諦めていないって事だろう」
 こうして常連達に支えられて甘えている自分に比べて身体を張って仕事をしてる空の方がどれほど潔いのか。
 心のどこかで一生一人だっていい……こうして気のあう常連達に囲まれて生きていく生き方だって満更悪くはない。
 そう心に決めて決心したはずなのに、やっぱり空と暮らす事を彼と一緒に感じた今までにない 世界の果てまでいって探し出したもう一人の自分のような感覚を僕はもう手放す事はできない。
 「協力してやろうか?」
 無言で考えていた僕に恐神が声をかける。その顔には何か思わずぶりな笑みが浮かんでる。
 「協力?邪魔するんじゃないだろうね」
 そう苦笑する僕に彼が渡したのは旅行会社発行のホテルの宿泊券だった。
 「本当は野暮用で使うはずだったんだが、無用になったから、お前にやるよ。お前はうまくやりな」
 そういった恐神の顔は少し寂しそうで、訳を聞いた方がいいかとも思ったがやめておいた。
 今の僕に空以外の男に中途半端な気遣いをする余裕なんてないから。
 だって、こうしている今も空の心が泣いている気がして僕はいてもたってもいられなかった。
 だけど空が言っていた意味の宿題が……どうしても解けずにいて僕はこのまま空に会うのを怖れていた。だけどこのまま離れてしまうなんて嫌だ。
 そしてこのまま、もんもんと時間だけが過ぎるのも。
 あぁ本当に僕が空を好きだと言う気持ちをどうやって伝えたらいいんだろう。
 結局、僕は何も考え付かなくて、偽名で空を郊外のホテルに呼び出した。
 本名を言ったら会いに来てくれるとはとても思えなかったし、それで拒絶されると僕はもう、どうしていいのかわからなくなってしまう。不安で不安で心が押しつぶされそうだった。
 小高い丘のホテルの裏手で待ち合わせた。そこに直接来るようにとフロントにメッセージを預けて。
 僕はただ、そこで彼を待って…情けないけど土下座でもなんでもしようと思った。
 
 このホテルの裏庭にある丘には誰が手入れしてるのかびっちりとデルフィニウムが今が盛りと咲き乱れている。
 デルフィニウムの花びらの青くて淡い海がそよ風に揺蕩って麻薬のような花の芳香にそのまま意識を失いそうになりながら僕はその場に座り込み思わず上を見上げた。
 抜けるような青い空。
 僕はこの色に囲まれているとなんて心が安らぐんだろう。
 僕はもう捨ててしまおうと持ってきた前に着ていた青いワンピースを握りしめていた。もう、こんなモノは着ない。
 こんなものに頼らなくてもきっと生きていける。
 時間どうりに現れない空に僕はやはり、僕だとばれてもう来ないのかもしれないと 諦めかけて…。
 高い空と柔らかな風は僕の頬を優しく撫でて眠りを誘う。
 そういえば、ずっとまともに寝ていなかったっけ。
 かさかさという葉が重なりあう微かな物音に僕は自分がうとうと仮眠しかけていた事を知る。
 「レイって花の中にいるのが似合う人だよね」
 がばっと起き上がった僕に空は優しく微笑んですっと掠めるようなキスをした。
 「僕がああ言ったのにレイは待たせ過ぎだよ。もう、やっぱり澁澤さんがよかったのかと思った。 だって、僕はレイさんの趣味とかけはなれているでしょう?ガタイもよくないし。 レイさんの好きなバックバージンでもないし」
 僕はただ呆然と空を見つめていた。だって空の足元には、あのデルフィニウムを思わせる青くて淡い色のスカートが揺れていたから。
 思わずそんな空を抱き締めて。
 「どうして、こんな格好してるの?」
 「本当はレイさん、女装なんか好きじゃないんでしょう?女装にこだわってるのは、澁澤さんのせい?」
 「いや、自分でもわからない」
 「レイさんってちっとも女っぽくないじゃないか。このデルフィニウム揺れる花園を見た時、僕ははじめて レイさんと出会った事を思い出した。あの時、あなたはこの服を着て僕を抱き締めてくれた。 あの頃の僕も、自分が何者なのか凄く不安で不安で仕方なかったから、レイさんと出会えて 心が通じ合えたと初めて思ったんだ。だけどレイさんは、僕をそのままにして…縁があれば……なんて冷たいし」
 「ごめん…」
 「しかも諦めたくて少し会わないうちに、タチ喰いのレイなんて呼ばれてるし、澁澤とはあんな熱いシーンを見せつけられるし」
 僕はそっと空の頬に自分の頬を寄せた。
 僕の頬も空の頬も濡れていたのになぜか暖かくて。
 「初めてであった時、深い闇の海に投げ出された僕がやっとあなたという筏を捕まえたと思ったんだ。 だけど、それが陽炎だったと気がつかされて、もうどんな救いの手も掴まないと思っていた」
 頬を放すと空の瞳が潤んでいた。そのまま鼻を互いに近付けて鼻同士を子犬のようにすり寄せる。
 「空、君しかいない……君にしかこんな想いを寄せた相手はいない。君だけが、僕の気持ちを 安らげてくれる。今さら君が必要だと言ったら、怒る?」
 空はゆっくりと頭を振った。
 「どんなレイさんでもあなたはあなただ。違う?」
 僕らは何度も甘いキスをして、とっていた部屋に戻った。
 「あの仕事はやめて僕と一緒に店をやらない?」
 「店には小平がいるじゃないか……」
 ちょっと拗ねたように空が囁く。
 「そうだっけ?覚えてない……だって僕にはもう空しか目に入らない」
 僕らはくすくすと笑いながら部屋に戻ってベッドに入った。見つめあうだけで笑みがこぼれ、自然に抱き締めあう。一生一人で過ごすはずだった僕にこんな穏やかで幸せな夜が訪れるなんて思わなかった。
 空……君に出会えて、君も僕を思ってくれるなんて。まさかこんな奇跡が僕のものだなんて。
 空、君だけを……愛してる。
 FIN

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