デルフィニウム揺れる園 10 

delphinium blue



  なんたる不覚。
 僕は数人の常連達によって近くのホテルに連れ込まれていた。
 ベッドに寝かされてルいる耳許で数人の声がする。
 「誰にやられたんだよ」
 「医者を呼んだ方がいいんじゃねーのか?」
 「警察が先だろ?」
 「ばかだな、男同士で強姦は成立しないんだよ。せいぜい傷害だな」
 僕が目覚めたのを知って冷たいタオルを額に乗せてくれた。
 「知ってるやつか?」
 3人の常連が一斉に僕の顔を覗き込んでくる。僕はそれには答えずに
 「空は?空がどこにいるか知らないか?」
 と近くにいる佐伯と言う常連に掴み掛かるように尋ねた。
 「お前、それどころじゃないだろう?誰にやられたんだ?」
 「そんなのどうでもいいよ。最近は受けてないだけで、こんなのどうってことない」
 僕はちょっと強気に言い放ったが、立上がったとたんふらふらして逆にみんなに「おいおい」 とか「すわってろ」「大丈夫か?」などといわれながらシーツの中に逆に押し込まれる形になった。
 「だけど、空ってあの空か?さっき、澁澤ってやつの居場所やら職場をみんなに聞いて回っていたみたいだけど」
 「え?」
 「なんでも、復讐してやるだの。探し出して相打ちするだの物騒な事を言っていたぜ。小平とつきあっていた時も空はよく救急車を呼んでいたな。あんな可愛い顔してずいぶん激情家なんだ」
 大変だ!空を止めなきゃ。だけど別のやつがまた横から口を挟む。
 「そんなのいつものはったりだよ。あいつは本気で好きになった男なんかいないのさ。 また、今度もきっとそう。ちょっとかっこ可愛いからって誰でもあいつに靡くと思ってるんだぜ。 レイがちっとも相手にしてくれないから悔しがっていたよな。空みたいな典型的なネコなんかお呼びじゃないっての」
 それを聞いたとたんいきなりす〜っと血の気が引いて体温が下がる感覚があった。 気を確かに持っていなければその場に倒れてしまいそうな……。
 空が僕に本気になるなんて都合のいい誤解をそのまま信じたがってる僕を諌めるように。
 「顔が真っ青だぜ、レイ……まさか今回のお前をレイプした奴がその澁澤って野郎か?」
 慌てて首を振る。
 これ以上面倒な事になるのは真っ平だった。
 「たしかに同意じゃないけど、レイプってわけでもない、相手は昔の男だったんだ」
 そう、その全てが事実では無いにせよ……実際、澁澤は半年も僕の男だった。互いに身体の隅々まで知りつくし、どこが感じるのかといった微妙な性感帯まで共有していたじゃないか。
 「何を庇ってるんだよ。お前が男を抱いた話はよく聞くが、お前を犯り返したなんていうつわもののタチは残念ながらただひとりだって聞いた事がなかったぜ?今まで百戦錬磨のタチをばったばったと薙ぎ倒してきたお前が犯られるなんてよっぽどだろ?」
 僕が無言になるとこれ以上聞いても仕方ないと思ったのか 常連達はそれぞれ仲間達に携帯で連絡を取っている。
 「どうやら、空は澁澤とはまだ会っていないみたいだ。居所を突き止めたから、必要なら連れて来るか?」
 たとえ今無理矢理空を誰かに連れてきてもらったとしても空の心が頑に閉ざされるだけのような気がする。
 まして僕らの濡れ場をみたなら尚更の事。
 心配する常連達に明日は必ず店に出るからとあやまって僕はベッドに横たわった。
 すごく疲れていた。
 澁澤の事も決してすっきりした気持ちになんかなれない。
 だけど一番心配なのは空……君の事だ……君は僕を許してくれるんだろうか?
 
 
 それから、幾日の日々が通り過ぎていったのか。どれほど待っても空が「ムーンドック」に現れる事はなかった。
 携帯は着信拒否にされていたし、空の新しいマンションにもあれから帰っていないようだった。
 もう、僕の事などどうでもいいのだろうか?穢れた男だと軽蔑しているのだろう。
 やっぱりあの時、無理矢理でも連れてきてもらえばよかったのか?
 いや、そんな事はできない。
 小平が「ムーンドック」店番をしてくれると言うので一週間ほどたったその晩に僕は空をよくみかけるという 店の前にやってきた。
 『psychomachy』という名のその会員制のゲイバーは、「可愛い男の子とお茶を飲みながら恋人気分」をコンセプトに掲げてはいるが何でも交渉しだいでは売りもやっているといういわくありげな店だった。
 ドアを開けるなり、「御予約のお客さまですか?」 そういって背の高い芸能人かと思うような美少年がお絞りを差し出す。
 「栗栖で予約してますが」
 そういいながら僕は奥の方にまで視線をやってじっと眼を凝らした。
 間違い無い……遠くで足を組んで座っているのが空だった。
 僕は薄暗くても、遠くても、空の居場所が分かってしまうそんな自分の動物的な勘を心の中で冷笑した。
 「彼は?」
 「あぁ、彼もクリスっていうんですよ。ここの源氏名ですけどね」
 僕の名字を源氏名に使う訳無いよねと期待しそうになる自分を押さえ込んだ。
 「彼と話せますか?」
 「クリス!御指名だ」
 空はすっと立上がる下に向けていた視線をゆっくりと上げて僕の姿をとらえた。それなのに何の感情も見えない瞳でこちらをみつめゆっくりとお辞儀をする。
 「いらっしゃいませ、初めまして。クリスです」
 そういって空はまさに初めて接するお客に対するような張り付いたような笑みのままで僕を席を案内する。
 「初めまして……?」
 僕は、思わずその言葉を復唱してしまう。ここまで他人行儀にされるとは。
 こんな調子ならこれ以上何か話しても無駄かもしれない……そんな気持ちが僕を臆病にする。
 「少しだけでいい……外に出て話せない?」
 「では、まず当店のシステムと料金表をごらんください」
 永遠につづくかと思われる彼の淡々としたマニュアルを読む姿を僕はまるでどこかよその世界にいるような感覚で聞いていた。
 ……ふいに我に返ると空が無言で僕を見つめていた。
 「栗栖さま、それでどのコースになさいますか?」
 「外に出られるコースにしてほしいんですが」
 「では1時間1万円になります。外出の際の出費はいかなる場合もすべてお客さまのお支払いになります。 これには個人的なサービスは一切含まれません。よろしいですか」
 僕は黙って頷いてカウンターで会費と今日の料金6万円を支払った。
 そのまま、二人とも無言のまま店の外に出る。
 不自然なまでの空の張り付いた笑みが僕らの距離を感じさせて 切なかった。
 空は無言で僕についてくる。僕らはホテルの小さな喫茶室の奥の席に腰をかけた。
 「空……」
 「僕はクリスです。申し訳ありませんがプライベートな事はお答えできません」
 「空、怒ってるんだね。いまもこんな商売してるの?」
 そこまでいうと無表情のままいきなり言葉使いを変えてきた。
 「放っとけよ。嫌みなんかを言いに仕事場までやってくるな」
 やっぱり相当に怒っているのだろう。
 「違うよ、聞いてほしい、僕と澁澤はあの日本当に偶然会って……」
 すっと凍った笑みのまま横を向く。言葉遣いはまた、慇懃無礼な最初の感じに戻っていた。
 「なぜ、わざわざ僕を探し出し、呼び出してまで、そんな話をするんですか? そんな事をなさらなくても、僕はあなたが澁澤さんと何をしていたかなんて口外するつもりもない。 僕にとってはそんなの関心が無い事です。せっかく御指名くださってなんですけど、僕はそこまであなたに 見くびられていたのかと思うと残念です」
 「みくびる?」
 見くびるだなんて心外だ……
 「そうでしょう?ここまで来て口止めなんかしなくたって僕は誰にもあの晩の事を話したりしない」
 「そんなつもりじゃない。ただ、あれは事故みたいなものだから」
 実際、事故みたいなものだ。空があの行為によって僕が穢れた存在に思えるならそれは、もう弁解の余地すらないことだろうけれど。
 「事故?そうかな、澁澤さんはあなたに執着していたみたいですけど。 まぁ、そんなことはどうでもいい。じゃあ、あなたはなぜ僕を指名したんです?あなたの好みは ガタイいい、男っぽいタチ達でしょう?はっきりいって僕じゃ全くその範疇にはない」
 「空……誤解だよ」
 「誤解?誤解じゃないでしょう。あなたが喰い散らかしてきた男達が何よりの証拠だ。あなたは澁澤さんが諦めきれずに彼を連想させるような男達と身体を合わせてきたんじゃないか。しかも澁澤さんに操を立てて、あくまでもタチとして振るまい一度寝た男とニ度と寝る事はなかったんでしたっけ?」
 話の方向がとんでもない方に向っていて僕はパニックになりかけていた、酷い誤解だ。
 「操なんか立ててない」
 「そうですか?それでも僕をわざわざ呼び出す意味がわからない。それともこの御指名は大学生になってまでこんなことをしてる僕への同情でしょうか?そういえば、一度だけ僕らも一緒にベッドを共にしたことがありましたっけ?もう、あなたは覚えていないと思っていたけれど、やっぱり一度寝た男とは二度と寝ないっていうのは本当だったんですね。そして一度寝た男に情が篤いっていうのも本当だ」
 そうしている間に薄ら笑いが消え、見る間に空の瞳が潤んでいく。
 「レイ……あなたは残酷な人だ。僕はもうあなたとの事は忘れるつもりだったのに。いつも、僕の心が弱くなった時にレイはタイミングよく僕の前に現れて僕に優しくするんだね。でも、あなたと接点を持つような場所にも当分出入りしない。だからあなたも僕を……僕という存在を忘れて欲しい」
 そう言って立上がったので、僕は慌てて空の肩を掴んで座らせた。
 「空!」
 僕には何の弁解もさせてくれないつもり?
 僕の言葉をせめて聞いて欲しい。
 「僕にも話をさせてくれ。頼むからこんなふうに僕を拒絶しないでほしい。今まで空を傷つけるような 行動をとってきた事に弁解の余地はないけれど、君が臆病だったみたいに、僕も臆病だったんだ」
 「今さら僕に言い訳して何が面白いの?これが仕事だと思うから今日は時間の最後まで聞かなければいけないのだろうけれど…」
 「僕はいつでも、いつまでも空の傍にいたいと思ってるんだ。今まで生きてきて空がそう思ったただ一人の人なんだ」
 僕が必死に紡いだ言葉に空はアイロニーたっぷりの笑みでせせら笑った。
 「……口だけなら、誰だってなんとでも言える……好きじゃなくても、タイプじゃなくても身体を重ねる事はできる」
 「……空……」
 「できれば、もうレイの話は聞きたくない。もしもレイが少しでも僕に心の底からいいたい事があるなら、 身体で誤魔化したり、言葉で説明せずに僕に伝えてよ。僕はもう、これ以上傷つくのはごめんなんだ」
 そういうとすっと伝票を持って立上がる。
 「僕ももうレイさんに会いにいかない。だから鈴さんも会いに来ないでほしいんだ。こんなにお金を使わせちゃってからこんな事をいうのは悪いと思うけれど」
 余計なことには雄弁な僕が肝心な時にはなぜこんなに口が回らないのかと思う。
 惚けているのではないかと自分でも思うくらい、口をぱくぱくさせてでも、何一つ声が口から出てこなかった。

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