そいつをぶち殺せ 2-3



 

  「ね、名前を呼んでほしい……」

 佐野は大切な宝物を抱くように柔らかく駿一を抱きかかえながら腰を動かす。

 「無茶…いうな……早く終わらせろ」

 駿一の方はそんな余裕もなく、なぜいつもは駿一に従順な佐野がこんなに強引なのか訳も解らず荒い息をつぎながら息だけで抗議する。そんな駿一の声が色っぽくて睨む瞳が可愛くてますます佐野の腰の振りは激しくなる。駿一は背中を反らしてくッともうっとも区別のつかぬ声で跳ね上がった。

 尖った顎の先を噛むようにして口に含みながら今度はゆっくりと腰をグラインドさせた。 いつもと様子の違う佐野に抵抗しかけていた駿一もしだいに我を忘れてリズムを合わせ 肩からまわした腕を首に巻き付けてしがみつく。

 「じん……ぺ……もぅ……イク」

 「いいよ……きて駿い、ちさ……俺もいくから」

 

 しがみついてくる指先が佐野の肩に食い込んでそれがさらに佐野を狂わせる。

 「ごめん……余裕…なくって」

 佐野はそういうとそのまま葛西の腰を掴んで激しく腰を振った。淫靡な音が辺りに響きそのままぴくっと一瞬動きが止まったかと思うと すーっと二人の緊張が解けていく。駿一の方は快感の余韻を引きずるように微かに指先が痙攣している。 佐野はその指を愛おしむようにそっと 手のひらで包み込んだ。

 葛西はそのまますーすーと寝息をたて始める。けだるそうに佐野は立ち上がると 堅絞りの蒸しタオルでそっと彼の全身を拭ってゆく。佐野の指先が動きを止めた。後悔だけが彼の身体を強張らせた。

 彼の頬を伝ってぽたりぽたりと何かがシーツに透明なシミを滲ませていった。

 くすんと鼻を鳴らして佐野が鼻を押さえる。

 「ごめ…ん…駿一さん」

 彼の気持ちを疑っているわけではない。一緒に住もうとか、子供がいるのに籍に入れてくれるとか 相当の覚悟がなければできないことだ。それは感謝などという言葉で表せない程だ。

 それなのに、昔の彼氏が現われてちょっとからかわれただけで、これほどまでに自分を見失い 葛西に無理をかけてしまった自分が情けなくて仕方なかった。

 こんなふうに余裕のない自分を葛西はどこまで許容してくれるのか?こんなことを続ければ彼に嫌われ、自分達はだめになってしまう。

 そう思うだけで宇宙の端にまで弾き飛ばされたような言い様のない絶望と不安が 佐野を包みその身をぶるっと震わす。恐かった、でもいったいこの気持ちをどうやって 鎮められるというのか?こんな気持ちを処理する術など誰一人教えてなどくれるわけもなかった。

 翌日、葛西はいつもの顔で起きてきて佐野にそっと耳打ちする。

 「今度あんな事やったら、しばらくお前とやらんからな」

 顔に出してはいけないと思いつつ、思わずむっとしてしまう。じゃあ、誰とやるんですかなんて、軽く突っ込みができる程今朝の佐野には余裕なんかなかった。

 無言でフォカッチャの中に野菜やスパニッシュオムレツを黙々と挟んで テーブルに並べている。かちゃかちゃと食器の重なる音だけがキッチンに響いた。

 さすがに駿策は佐野の様子が少しおかしいのに気がついて、佐野に話しかけたそうにちらちらと 様子を伺っていたが、佐野の怒ったような顔を見ると何も話し掛けられないまま、ただ無言で出されるフォカッチャを口に運んでいた。

 二日酔いでしかも昨夜は佐野に無理をさせられた葛西には、なんとか動かぬ身体をやりくりしながら 仕事にいくことしか考えられず、これ以上佐野に関心を払う余裕などなかった。

 重苦しい雰囲気の中そっちがそのつもりなら、こっちだって知るもんかと年甲斐もなくむきになってしまう。ちらちらと様子を伺う佐野や駿策に気遣う余裕もなく、ドリンクをぐっと飲み干して鞄を取った。

 「今夜も遅いかもな」

 たまりかねたように佐野が声をあげる。

 「駿一さん」

 駿策の前で葛西の名前を呼ぶことなどなかったから、駿策も駿一もぎくっとしたように 佐野を見つめた。佐野は言葉を捜していたが決心したように一言だけいう

 「仕事なら仕方ないけど、無理しないで」

 「あぁ」

 「もし、遅くなるようなら寝ないで待ってますから」

 びっくりしたように葛西は佐野の顔をまじまじと見つめた。

 「あの人と二人きりにならないで下さい」

 掠れたほとんど聞き取れないような小声で佐野は囁き、そっと葛西の肩に手を置いた。

 事情の判らない葛西にしてみればなんのことかさっぱり判らない。

 忙しく仕事に追われているうちに、そんなもやもやは何時の間にか忘れたが、矢萩からかかってきた電話で佐野の様子がおかしかった訳を知ることとなった。

 「今夜も飲まないか?」

 「悪い…今夜は先約がある」

 「じゃあ、昼飯をいっしょに食おう。港の近くのロシア料理の店があったろう。 そこで会おう」

 矢萩は葛西の都合も聞かずに一方的に電話を切る。

 『昔から人の都合なんかお構い無しの勝手な人だったな』

 葛西は苦笑しながら重たい腰を上げた。それでもあの頃はそんな彼の強引さに惹かれていたのではなかったか。

 海の見える丘の上に建つそのレストランはこじんまりとしながら 趣味の良い内装と街から多少離れているため隠れ家的な雰囲気で葛西と矢萩は昔よくそこで 食事をとったものだった。

 思い出のレストランは懐かしかったけれど、なぜ、今さらそんな店に呼び出されるのか 葛西は少しだけ訝しむ。

 昔…もう20年も前に確かに肉体関係のあった相手だ。ドキドキするような気持ちこそ無いけれど、意味深に こんな場所に呼び出されるのは何か心にひっかかるものがある。

 矢萩は男ではあったけれど決して嫌いになってで別れたわけではない相手だ。

 あの頃は、確かに矢萩の事が好きだった。強引なところもたくましく思えたし矢萩も自分にだけはすごく優しかったのも覚えている。

 そうだあの頃、矢萩が嫌いだったのではなく彼に可愛がられていた自分が嫌だった。

 彼の腕の中で女のように喘ぐ自分を直視するのが嫌だったのだ。自分は男だ…男のはずだ。

 彼とつきあうことで自分のアイデンティティが崩壊するような恐怖に葛西の方から逃げ出したのだ。

 なぜ?と矢萩には何度も聞かれた。

 矢萩が嫌いになった訳では無かったが、好きな女ができたと葛西がいうとそれ以上連絡をしなくなった。

 無論、葛西の方からも。

 「悪いな、待ったか?」

 奥の席で海をぼんやり見つめていた葛西に矢萩がそっと声をかける。

 「いや、来たばかりです。でも、1時すぎには戻らなくちゃならないのですが」

 「よせよ、敬語なんか使うな。俺とお前の仲じゃねーか」

 「いつ、こっちに戻ってきたんです?」

 「お前が奥さんを亡くしたと聞いて慌てて転勤願いを出したよ。こんなど田舎に転勤願いなんか出すやついないから、随分引き止められた」

 「どうして、俺の女房が死んだのと先輩が関係あるんですか?」

 「そりゃ、女と幸せに暮らしてると思えばじゃまなんかできるわけないよ。でも奥さんが亡くなって 子供を一人で育てるお前の事を考えると俺はたまらなくなって」

 「はぁ?先輩は年賀状だってくれたことなかったじゃないか、なぜ、俺が結婚したり子供できたり 女房を亡くしたりって事を先輩が知ってるんですか?第一、俺らが別れたのはもう20年も前の事じゃないか」

 葛西が呆れたようにいうと、矢萩は居心地悪そうに肩を竦めた。

 「そうだな。お前にとってはそうだったんだろう。俺はあれから結婚も同棲もしてないよ。何度か恋人はもったけど、ついついお前と比べてだめになるんだ」

 「矢萩さん…」

 「帰省した時は必ずお前の様子をこっそり見に行った。幸せそうに暮らしてるのが解れば俺も嬉しかった。少しは寂しかったけどな」

 「待ってください…そんなことを言われても…第一俺はもう40になるおやじだし、正直言って先輩の事は懐かしいと思うけど、それ以上の気持ちになれない」

 「よくいうよ。若い男を家に入れてる癖に……。俺はお前が男じゃなくても大丈夫だったからバイだったから諦めたんだ。あんなガキにお前を渡すためにあんな思いで俺の気持ちを封印したんじゃない」

 「矢萩さん…」

 いくら小声とは言え、こんなレストランで真昼間から話す内容ではなかった。

 「俺は諦めないぞ。俺はずっとお前を見守ってきた。20年だぞ、20年。どれだけお前を大切に思ってきたかわかるか?それをあんな…あんな若造に…」

 「たのむ矢萩さん、佐野を悪く言わないでほしい。俺にとっても駿一にとっても大切な男です」

 コーヒーしか注文していなかったが、この場にこれ以上いることはできなかった。 葛西が立ち上がると、追うように矢萩も立ち上がる。

 「しゅん!」

 「矢萩さん、もう名前で呼ばないでいただきたい。あなたを勘違いさせるような行動をとったのは俺が悪かったと思います。でも今さらそんな気持ちを押し付けられても俺にはあなたに何もして差し上げられない」

 「だけどしゅん、お前は俺が嫌いじゃないだろう?なぜ…」

 「確かにあの時は嫌いで別れた訳じゃなかった。でもあなたは俺の何をみていまだに好きだといえるのだろう。20年なんて長い間、俺とあなたは恋人としてずっと続いていただろうか?俺はそうは思わない。あの時の思い出が矢萩さんに綺麗な幻想を抱かせてるだけだ。だけどそれは現実の俺じゃない」

 「なぁ、しゅん。もう俺にチャンスはないのか?」

 矢萩の整った顔だちが暗く歪む。あの頃の面影を残すいい男だが、眉間の皺は深く刻まれ、二人の間に長い時が流れた事を思い出させた。


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