|
|
10月になりアイスホッケーはオンシーズンになる。夏場から年中ホッケーができるとはいえ、男3人の暮らす葛西家の 居間のカレンダーに最近は最低週1回は、練習や練習試合の予定が次々と書き込まれていく。 実のところこの冬にも葛西陣平になるはずだった佐野陣平はいまだ家族の反対をクリアできないでいた。 「焦る事無いさ。こんなに陣平を立派に育てられたご両親だもの。簡単に自分の息子を手放せる訳もない」 実際、陣平の実家は旧家で財産もそこそこあったから、陣平の給料を当てにしているわけではなかった。寧ろ自分達の財産が関係ない縁戚に狙われる事などを危惧しているらしい。
そんなこんなの小さな心配事もホッケーシーズンが始まれば全てが汗と共に流されていくようだ。 全身の水分が抜けるほどの汗を掻き、心地よい疲れが安眠を誘う。 そして何が嬉しいといえば、陣平の大好きな葛西と一緒にリンクの上に立てる事だった。 いつもだって会社でも葛西はクールでスマートで仕事のできる誰をも惹き付ける魅力的な男で、家に帰ればおちゃめで明るい性格の可愛い人だけど、リンクの上の彼はさらに極上で本当に惚れ直してしまう。 絶妙なスティック捌き、華麗なスケーティング、そして歳を感じさせないそのスピード感。 どれをとってもイケてて、彼のまわりだけ違う空気が漂い佐野陣平は葛西から目を離せなくなってしまう。 こんな人が自分の恋人だなんて幸せ過ぎて怖くなりそうだ。 『一緒のチームじゃなくてよかった……プレイしてる葛西さんをじっくり見られるから』 そう、実のところ佐野は仕事もまだ、変わってなかったりする。 今佐野のような即戦力に辞められたら困る……という支店長の鶴の一声で新しい人が本社から派遣されるまでこっちで仕事を続ける事になった。 本当はすぐにでも葛西の会社に入りたかったのだが、こんな地方都市で不興を買う辞め方をすれば、かえって葛西に迷惑をかけてしまうことは目に見えていた。そして残念ながら佐野は女性に性的な興味が湧かないタチだったので自分がどれほど、女性達に熱い視線を送られているかも本人は無自覚だったから、自分が仕事をやめる影響力など知る訳もない。 それでも取りあえず、葛西と一緒に暮らせるだけでも佐野は充分満足していた。 なぜなら夜は週に最低一度は可愛い葛西を自分の腕の中でじっくりと堪能できて、リンクに来れば惚れ直すほどかっこいい葛西に出会えるのだから。
実際、プレイしてる時の葛西は40才になるとはとても思えない機敏な動きだ。20代だってなかなかこうカッコ良く滑られない。葛西のアシストはチームの中で1.2を争うだろう。 ホッケーをやってる時の葛西は鳥肌が立つほどCOOLで相手チームにとってはこれほど小憎たらしい選手はいない。 なんといってもアイスホッケーほど興奮するスポーツは少ないだろう。 普通の格闘技と違ってやらせや八百長は一切ないからやってる方も見てる方も、とんでもなく熱くなってしまう。しかも葛西も佐野も 熱くなりやすいタイプだ。 怪我こそ少なかったが、小さくて目の付けられやすい葛西は反則すれすれのチャージングを受けてつい自分からも手を出してしまい、かなりの頻度でペナルティボックスに入っていた。 「切れ!切れ!切れって言ってんだろうが〜」 ペナルティボックスの中で葛西の怒号が飛ぶ。 『切れ』とはホッケーの専門用語ではないが、普通は攻められてる時にパックをブルーのラインより外に出せという意味になる。 つまりパックがない状態で相手陣地(ブルーライン内)に入っているとレフェリーにオフサイドという反則を取られてしまうのだ。 こんな監督もいないクラブチームにとって、性格もよくて剛毅でプレイもうまい葛西は選手の他に監督も 兼ねているのだった。 まばらな応援席からその姿を見つめる佐野にとってホッケーをしている時の葛西は手が届かないと思えるほどに眩しい存在だった。 無論、佐野だってスポーツ神経は抜群でスケートもそこそこ乗れたから決して下手な方ではないはずなのだ。 だが、いかんせん、幼い頃からアイスホッケーにかけてきた連中とはレベルが違った。 殆どのクラブチームで活躍する選手達は幼い頃からホッケーに馴染み、スケートが乗れるなどいう段階ではない。それこそ中級と思われる選手でさえフィギュアスケートでもやらないようなアクロバットも難無くこなしてしまうのを見た時は度胆を抜かれた。 こんな不安定なものに乗りながら長いスティックで小さなパックを操るだけでなく相手を威嚇したりフェイントしたり時にはすごいスピードのまま身体でぶつかりあったりするのだから、当然と言えば当然だったのだけれど。
そして嵐はいつも唐突にやってくる。 ライバルクラブチームの「ブルーノーザ−」に凄い新人が入ってきたと聞かされたのはそれから間もなくの事だった。 クラブチームのホッケーはレベルによって別れ、本当に楽しむ為のまったりとしたレベルから それこそ、つい最近までコクドやらクレインズに在籍していたOBがごろごろいるような とんでもないレベルまで様々だ。 葛西達の所属する『まったりーず』は最初はまったりやろうという主旨だったはずが、ついつい上手な メンバーが揃ってしまい、本気になったというAクラスを目指すBクラスで、佐野の所属する『コールドカレント』のようにAクラスから落ちてきたばかりのチームとは少しだけ雰囲気が違った。 どちらかというと泥臭い『やん衆』の集まりのようなチーム『まったりーず』とは違い、 ホッケーも仕事もエリートという感じの若々しいチームだった。 その『コールドカレント』に何かと対抗していたのが『ブルーノーザ−』で元々この街出身だった 本州の大学を出たエリート中心の精鋭のメンバーが集められていた。 どちらもこのレベルでの優勝候補ということで、練習試合ですら接触プレイも多く互いに強く意識しあっていたのだが、実力は拮抗していたため、膠着状態だった。 最初に彼が、リンクに上がった時、そのスピードとテクニックのうまさに舌を巻いた。 身体が45度以上に倒れても全くスピードが落ちない。 「あれで42歳だとよ。年の功だけあってプレイもいやらしいんだよ」 鈴木が聞きもしないのに佐野に解説をする。一筋縄ではいかないと言うところか。 「佐野……知ってるか?矢萩って新人な、葛西部長の先輩に当たるらしいぜ」 ざっと背筋に冷たいものが走る。まさかそっちの知り合いじゃないよな。昔先輩がどうのって言ってなかったか? 佐野は胃から胃液が這い上がるような気分になった。 とんでもないことにこういう嫌な予感ほどなぜか当たるものなのだ。 噂の新人、矢萩伊織(やはぎいおり)は42才その年齢にしては相当珍しい180cm近くある身長と 色黒の精悍な顔、そして葛西以上に驚くほどの運動神経とスピードとテクニックで 葛西の『まったりーず』における存在以上に強力な助っ人であることは間違いない事実のようであった。 矢萩は試合後メットを取ると親しげに葛西の肩を寄せ、顔を引き寄せた。 「ば……っ」 佐野は「バカやろう」とか「何をしやがる」とか言いそうになった、「俺の葛西さんに……」と言う気持ちと人前で嫉妬するなんてという気持ちが鬩ぎあい、自分の怒りをやっとの思いでなんとか 押さえ込み必死に二人のすぐ傍に近寄った。 だが、葛西は久しぶりに会った矢萩に会えた興奮で気を取られ、佐野がしきりに合図を送っているのに全く気がつかない。 まるで、おいてきぼりにされた子犬のような情けない顔で佐野は小首を傾げて二人を見つめていた。 『気がついてよ!葛西さん、僕がこんなに見つめているのに』 必死の形相で矢萩を睨むが、二人はそんな佐野に全く気がつかず、さも楽しそうに肩など叩きあったり、脇を小突きあったりして盛り上がっている。それはまるで学生のようなノリだ。 佐野は二人だけの世界を見ている間、ただの昔の仲間なのだからとなんとか思おうとするのだが、感情は時として理性を いとも簡単に駆逐してしまう。 握った佐野の拳が微かに震え、血の気の無くなるほど強く拳を握っていた事に佐野自身も気付きもしなかった。 |