オレは強請る様に少し口を突き出した。会ってすぐの飲み会で酔った振りして、利貞にマンションまで
送ってもらった時、口にキスした。驚いた顔の利貞にイギリスだったら、このぐらいのキス誰とでも
するよって、嘘ついた。イギリスだって、口へのキスなんて恋人同士のものだ。挨拶なんかじゃない。
オレの言う事を信じた利貞に二人っきりの時、キスを強請ると苦笑しながらしてくれる。オレの口に
利貞の少しビールの味のする唇が少し触れた。
「そんなガキのキスやだ。本当のキスして。ねえ。」
酔った振りをして、利貞の首に腕を回して、オレは少し口を開けたまま、利貞にキスした。
舌を絡ませようとしたら、利貞に体を離された。
「これでおしまい。これ以上は怜華にやってもらえよな。オレ、溜まってんだから、
お前相手にたっちまったら、しゃれなんねえだろ。あとさ、お前、こんな事、他の男相手に
するんじゃねえぞ。勘違いされて、襲われるぞ。お前ぐらい可愛かったら、男でもいい、
なんて言ってるやついるんだからな。何考えてるんやら、、、、、。」
オレは黙って、コタツから出て立ち上がった。
「帰る。」
「じゃあ、これやるから、好きなだけ持って帰って、家で食えよ。オレ、甘いもん食わねえし、
お前、すげえ甘い物好きだろ。」
利貞が会社から持って帰ってきたバレンタインのチョコで一杯の紙袋をオレに手渡した。
やっぱ利貞って会社ででも、もてるんだろうなあ。凄い量のチョコ。それにしたってさ、
利貞、オレが帰るのがそんなに嬉しいのかよ。突然いそいそしやがって。くそっ。
悔しさを隠して、甘えるように言った。
「持って帰んないよ。だって一人で食べても美味しくないもん。叉、食べに来る。ダメ?」
別に利貞がぶりっこが好きなわけでもないし、オレだって、ちゃんと二十歳過ぎの男が
ぶってるって、よく知ってる。でもさ、こんな風に天然をよそおって甘えて、ちょっとべたべたしたり、
どうせ、利貞相手に気持ちを告白する気ないんだけど、子供みたいに甘やかされたりするのは、結構
気持ちがいい。利貞はなぜか凄くオレに甘い、と言うか甘やかすの喜んでいるような所すらある。
「ダメなんて言ってないだろ。ただちょっとぐらいは気を使えよなって、言うだけ。なあ、オレだって
バレンタインデーぐらい、機嫌とっておかないと、叉振られちまうだろ。なっ、給料入ったら、
奢ってやるから。」
まるで子供にするみたいに、頭を少しなでた。どうせ、オレ、チビでガキみたいだもんな。オレ、
167,8センチぐらいしかないのに、利貞は限りなく、190センチに近い。大学に入るまでは
バスケやってたと言うのも納得と言う感じのいかにもスポーツマンといった風な体格。それに引き換え、
オレの方は冗談じゃないけどさ、スポーツはベッドの上だけの典型みたいなやつ。まあ、オレがチビ
なのは、そのせいだけじゃないとは思うけど、、、、、
利貞って、本当正統派ハンサムっていうの。背が高くて、筋肉のつき方が凄くしなやかで、日に焼けた
浅黒い肌、くっきりした二重まぶたで、目は綺麗に澄んだダークブラウンで、ほんの少しだけたれ目気味
なのもちょっとした愛嬌。鼻筋はとおって適度に高い、口元は引き締まって、唇は厚すぎず、薄すぎず、
笑ったら白い歯が爽やか。真っ黒な短い髪、多分ほとんどの女の子が描く男らしくて、完璧な恋人、
そして結婚相手。
それに引き換えオレなんて、ライトブラウンの妙にふわふわした髪、グリーングレーのガキじみた
いたずらっ子みたいな目、鼻は少し低くて細い、小さい女の子めいた口、左耳にしたダイヤのピアス、
体型は細くて、小さい。少年じみてるって言われるけど、少年と違うのは、彼等のもつ柔らかい脂肪が
なく、全て骨ばっている。指も手首も本当にいやになるぐらい骨ばっている。
オレの前歯の何本かは高価な差し歯だ。オレが十五の時、オレの男達がというか、正確に言えば
オレを玩具にしてた男達がけんかして、一人が重傷を負って、病院送りになって、そのせいで
母親亡き後、愛人の所に入り浸って、金だけ渡して、オレの身の回りの事は、お手伝いさんに
任せきりだった父親に、オレが何をやってるかばれて、殴られて、歯が折れて、オレまで病院送りに
なって、酷い目にあった。
オレも利貞みたいな外見だったら、人生違ってたんだろうなって思う。オレは、オレみたいな外見
だった為に両親から嫌われた、愛されなかった。学校に行っても、苛められて、友達の一人も
出来なかった。何時の間にか、親父が軽蔑する腐れホモになって、お前みたいなやつ死んでしまえって、
言われた。親父は再婚して、オレは居場所を失って、日本に来た。それから四年半。
別に今さら利貞みたいになりたいわけじゃない。利貞が優しいから、利貞の傍が居心地いいから、
ここにいたい。利貞は苦笑しても、困った顔をしても、他の人間がしたように、邪魔になるからといって
オレの襟首を掴んで、もう必要のなくなったゴミみたいに扱ったりしない。
昔、学校でたった一人いた友人が、ホモの片割れみたいにからかわれるのが嫌で、オレを簡単に
切り捨てたような事はしない。オレには怜華がいるし、利貞はほとんど切れ目なく彼女がいるけど、
それでもオレ達が仲がよすぎるって、意味ありげに言う人間はいる。オレは利貞が好きだし、ゲイだし、
そう言う仲になりたいけど、利貞は女にしか興味がない。オレは利貞と一緒にいられない、もう優しく
してもらえなくなるぐらいだったら、どんな事でも我慢する事が出来る。だからこのままでいいんだ。
オレはクリーム色のダウンジャケットを水色のセーターの上に着た。その上から利貞がクリスマスに
くれたグレーのマフラーをした。
「じゃあな、利。叉連絡するよ。」
「ああ、それから引越しの日取り決まったら、教えろよ。手伝ってやるから。」
「うん、有難う。それからHappy Valentine's Day!」
「ああ。」
利貞が笑った。オレは利貞のボロアパートの階段をトントントンと降りた。どんな自虐的な気持ちが
させたのかは分からないが、オレはボンヤリと物陰に隠れるようにして、利貞の部屋を見つめた。
大して待つ必要はなかった。三、四分で利貞はトントントンと軽い足取りで階段を下りてきた。
オレはそのままボンヤリと利貞の後姿を見送った。
オレは少しして、携帯を取り出して、小田の自宅の番号を押した。
少し待って、次に小田の携帯の番号にかけたが、どちらも反応はなかった。
小田とは連絡取れないみたいだ。
小田修二は所謂オレのセフレで年下の癖に、オレの保護者を気取っている男だ。
「そっか、やつもお楽しみの最中かな。」
結局携帯は仕舞って、大通りまで行って、タクシーを拾った。
坂上利貞サイド
大学時代の後輩で、妙にオレに懐いている秋(近藤秋岑と言う古風な名を持っているものの、日・英
ハーフで、その上、全くの外国人にしか見えない男だ)は、オレが一月の正月明けちょっとして、
出張、出張が続いた後、やっと落ち着いた二月のはじめから、ゆうに十日はオレのボロアパートに
泊まり続けている。大学四年のやつは卒論も書き終わり、暇で仕方ないのだろうが、こっちは会社から
帰ると狭いアパートにやつがいる。
初めはホラー映画を見て一人でいるのが怖いとか、二十二の男の台詞とは思えないような事を言って、
居着いていたが、そのうち一人のマンションに帰るのが寂しいって言われると、なんかさ、無理に追い出す
のも可哀想で出来なかったんだけどさ。まさか、やつがアパートにいるのに、オレ一人外にも行けないし、
残業とでも言って、そのまま女と食事でもして、ホテルにでも行けばいいんだろうけど、なんか一人で
やつがあそこで待っていると思うとそんな風に騙すのが悪い気がして、真面目にアパートに帰って、一緒に
テレビやビデオ見たり、ゲームしたり、最後にはただ一緒にいるだけで各自思い思いの事をしていた。
でも今日はバレンタインデーだ。その上はっきり言って、秋が泊まりに来る前から、出張続きで、今年に
なってからほとんど彼女とは会っていない。彼女を愛しているから一緒にいたいとか、会いたいとか、
言うよりも、はっきり言って、溜まってる、やりたい、である。勿論それなりに彼女の事は好きだし、
一緒にいるのだって割合楽しい。でもその楽しさは特別な類のものではないで、そう言う意味では
彼女と居ようと、秋と居ようと、大して違いはない。ただ彼女といればセックスできるだろ。
あとさ、あまりにも長い間放っておくと、叉振られる。なんせ極鈍で、気配りもないオレは何ヶ月に
一回の割合で女に振られている。そうは言っても、その後、叉、すぐ他の女と付き合い始めるのだから、
どうって事ないといえば、そこまでだがやはり振られるというのは精神衛生上良くない。
今夜はいつの間にやら、秋とエロビデオを見ていた。(秋はクラスの誰かが貸してくれたとか言って
いた)オレがトイレに立とうとしたら(そりゃ、溜まってるところにエロビデオなんてさ)、秋は
平気な顔で
「どうせ、オレしかいないんだからさ、ここですればいいのに。トイレ寒いよ。」
なんて言う。いや、、、、、そう言う問題じゃねえって、思うんだけどさ。
秋は初めから終わりまでしらけきったような、冷静な顔をして見ていた。なんかさ、オレ一人、
秋が全くこれっぽっちも興奮しないビデオで、寒いトイレに行って、抜いて惨めだよな。
「この女すげー、下手でしらじらしい、あんあん、喘いでるんだって、振りだけでも、オレの方が
上手くて、イケるよ。すげー、つまんねえ。」
秋は冷たく言うと、借りてきた漫画雑誌を開いて読み始めた。
なんかちょっと気になる問題発言はこの際、横においておいて、はっきり言ってかなりむかついてきた。
本来ならさ、女といちゃいちゃして、やれるはずの日に、何でオレ、大したこともないエロビデオで
一人抜いて、その上詰まんなさそうに漫画雑誌見てるやつの隣にいなきゃなんないわけ?
オレ、それでも秋のこと凄く可愛がってるからさ。はっきり邪魔とか、出て行けとは言えないわけ。
秋はオレに取っちゃ、すげえ特別なの。いや、恋愛とかとは、全く別の次元でね。秋を初めて見た時、
オレが決して償う事の出来ない、過去の出来事が思い起こされた。オレは秋の我儘も、望みも聞いてやるし
出来る事は何でもしてやりたい。多分オレは償えない、罪悪感を払拭する為に、秋を甘やかしてるんだ。
それから、それだけじゃない。
秋はオレが子どもの頃飼っていたネコに似てるんだ。もともとノラネコだったせいか、警戒心が強くて、
オレにしか懐かなかった。ふわふわ茶色の毛、みどりの目、甘えん坊で、手が掛かって、気まぐれ。
オレのことが大好きですぐに甘えてきて、なのにちょっとしたことで拗ねて、どこかにいっちまったり、
数日経つと戻ってきて、当然のようにオレの布団に入ってまるまって寝ていた。ある日どこかに行った
っ切り帰ってこなかった。あの後ずいぶん長い間、オレはオレのネコが帰ってくるのを待っていた。
時々、馬鹿馬鹿しいけど、思ったりするんだ、秋はオレのネコが人間に化けて、オレの所に帰ってきた
んじゃないかって。
あとさ、オレ知ってるんだ。秋がオレに惚れてるって。
変な話だけど、オレ、人に惚れるってどんなのかわかんねえ。だから惚れた事一回もないし、
付き合うのだって向こうから寄って来た人ばかり。秋は凄く好きだし、可愛いけど、だからって、
惚れてるわけでも、欲情するわけでもない。いつか秋はオレに何か言うのかな?オレは絶対に自分から
動かない。だってオレは現状に不満ないもん。秋が甘えてくるのも、可愛いし、キスするのだって、
オレの中じゃ、オレのネコにキスするのと全く変わらない、愛しさだ。
そうは言っても、秋の可愛さも、今のオレの現状に何の役にも立たない。オレは今溜まってて、
やりたいの。オレのことよく知らないやつは、オレの外見から、いい加減な事して遊んでるんだろ、
もてるやつはいいよな、美味しいとこ、とり放題とか思われているらしいけど。オレそう言うところ、
凄く真面目なんだ。彼女がいる時にはどんなに美味しいシチュエーションがあっても、つまみ食いなんて
しない。昔は凄いいい加減だったし、自分がどんなにいい加減かすら、気がついてなかった。
高校の時たった一度、多分オレにしては、誰かに惚れていたに近い状態だったことがある。なのに、
オレは友人達と軽い気持ちで、金で女を買って抱いた。その事を知ったとき、あいつは綺麗な茶色の瞳を
真っ直ぐオレに向けて、瞳の中で、オレの姿がぼやけてきて、綺麗な涙が頬を伝わって落ちるのを見た。
その時、初めて知ったんだ、人を裏切ると言う事の悲しさを。それ以来、どんなに美味しい状態の時でも
オレは精神的なことから、所謂不能状態になるんだ。
オレと秋に親しい人間の中にも、うんざりするような事を言って来るやつは何人もいる。秋は平気で
人前でも甘えてくるから、他人の目からみると、オレ達は出来上がっているようにしか見えなかった
のかもしれないけど、こそこそ、オレが秋とやったんだろ、よかったか、とか、俺にも試させてくれよ、
なんて言って来るやつだって何人もいた。笑止千万だ。オレと秋は友人以上じゃないから、言いがかりも
いい所だ。それにもしオレが秋とそんな関係にあるなら、他人に易々と貸してやるほど、お人よしでも
ないつもりだ。
それにしてもすっかり溜まって、煮詰まっていた所に、エロビデオ見せられて、スタート掛かっちまった
なあ。こりゃ、絶対今夜は彼女に会ってやんないと納まりつきそうにないぜ。まいったな。
秋が突然拗ねたように「帰る」って、言ったので悪いなとか思いつつも、心の中で思わず「やった!」
とか、叫んじゃったりしてさ。罪悪感から、すぐに秋になにかおもねるような言葉かけたりしてさ。でも
お前だって男だろ、男の生理、分かってくれるよな。
秋はクリーム色のダウンの上から、オレがクリスマスにやったグレーのマフラーをした。秋に強請られた
マフラーを売ってる店は、ちょっと若者向けっぽいフレンチファッションで、なんとなく、オレみたいな
いかにもサラリーマンのオッサンと言う感じの男が一人で入るには気が引けたから、彼女に付き合って
もらった。彼女、、、、、千鶴は大学の同級生で同じサークルだったので、当然秋のこともよく知って
いる。
「利貞は近藤ちゃんの事になると、本当に熱心なんだから。」
千鶴にはなんか訳のわからない嫌味を言われた挙句、千鶴へのプレゼントには、秋のマフラーのゆうに
五倍以上のお金を払わさせられた。彼女って言うのは、金が掛かるもんなんだ。
まあ苦労した甲斐あって、秋の方は、気に入ってくれたようだった。クリスマスは会えないって言ったら
(そりゃ、クリスマスに彼女に会わないと叉振られちゃうでしょ)、当日ランチにあわせて、会社の
近くのサテンまで、プレゼントを受け取りにきて、すぐに首にはめて、「似合う?」って、可愛く首を
傾げるので、四月の入社を待たずして、秋のファンがもはや会社にひしめいている。オレの営業部だって
女の子達は秋がうちに来るのを願っているらしい。
「目の保養になるしねー!」
一体何しに会社に来てるんだよ。その代わり男達にはかなり反感をもたれてしまったらしい。
なので部全体で秋に来て欲しいと思っているのは、女性が大半を占める秘書室と、女性が皆無に近いので
もうこれ以上暑苦しい男が増えるよりも、目の保養になるなら、男でもなんでもなんて、訳のわからない
噂が流れる企画ぐらいのものである。仕事の実力よりも容姿のことが先行してしまうなんて、やはり男と
しては不幸だと思うが、それを上手く使うのもそこで潰れてしまうのも秋次第だ。オレが思うに、秋は
あんな風に虫も殺さぬように見えて、なかなかしたたか者だ。可愛い子チャンであることは自覚して
いるし、それを武器として使う事に、なんの抵抗もないように見える。まあそれが分かっているオレから
して、かなり振り回されてるんだから、仕方ねえけど。
本当にそのグレーのマフラーは秋の明るい茶色の髪にも、グリーングレーの目にもよく似合っていた。
電気の光が眩しいようにあたる中、秋はやはりグレーのマフラーと戯れるネコに見えた。折角居心地の
いい所でゴロゴロしている所を、突然追い立てられるネコとでも言えばいいのか。可哀想だけど、
仕方がない。オレだってかなり煮詰まってるんだ。また今度今日の埋め合わせはするから、とオレは
罪悪感に駆られつつ、秋が身支度するのをじっと見送った。
秋が出てすぐに千鶴に連絡を取ってさ。やっぱちょっと恨み言は言われたものの、オレの事待ってて
くれたらしかった。まあ、まずはどこかのバーで飲んでさ。その後やっと、、、、、へへっ、あんまり
おんなじことばっかり言うのも野暮だよな。でもそう言うことになりそうだ。彼女がカクテルーテキーラ
サンライズかなんか知らないけどさ、妙に甘ったるそうなやつー飲んで、オレ、あんまりアルコール
強くないから、飲みすぎて、たたないとか、前後不覚とか、みっともない目に合わない様に、スコッチを
ちびりちびり飲みながら、彼女のムードが適当に盛り上がるのを待った。カクテル二杯で彼女の顔が
ほんのり赤くなって、リラックスしてくるのが見えた。なんというかさ、やっぱ千鶴の方だって、今日は
日が日だし、そう言うのを期待してたんだよな。これならイケると思って、自分のスコッチを一気に飲んで
勘定を払って、外にでると、彼女の肩に手をまわした。次は適当なラブホを見つけて、さりげなく
入るだけだ。ゴールは近いぜ、と心の中でガッツポーズをした。
なんせ1月の初めからバレンタインデー当日まで放っておいて、バレンタインデーだって、夜の九時に
突然連絡するんだもんな。すんなり行かないのは覚悟の上だったから、本当首尾は上々だ。ふと横の
千鶴を見たら目が合った。なんとなくキスを誘われているような気がして口づけた。オレ的には、ネコとの
キスのほうが好きかもしれない。でも女の子にとっちゃ、キスってとっても大切な要素みたいじゃない。
身体は許しても、口へのキスは許さないって、なんだっけ、あの恋愛映画。にやけたオッサンが出てた
、、、、、「プリティ・ウーマン」だったよな。オレなんて思ったもんな。オレなら全然構わねえよって、
口にキスなんて、やっぱりさ、突然女の服脱がして、入れられないじゃん。だからさ、まあ、今から、
そういうことしますけど、いいですか?いいですねって、女の機嫌損ねないように、それらしきムード
作りの時間稼ぎしてるだけだよな。別にそんなの省けって言われたって、オレ痛くも痒くもない。だって
女とのキスなんて、そこが終着点じゃなくて、まっ、セックスに至るまでの始めの通過駅みたいな
もんだろ。それに比べてネコや秋とのキスはそれ以上あるわけじゃなくて、それ自体が唯一つの目的な
わけだろ。ネコの時も可愛かったけど、秋にキスするたびに、やっぱり秋はあのネコじゃないだろうかって
思う。茶色のふわふわした毛をして、いたずらっ子みたいなと思ったら、時に凄くイノセントな澄んだ
みどりの目、小さな顔、小さな少し濡れた感じのする舌。秋はどんな顔をするだろう。もしオレが
「お前、昔、オレの家で飼われてたネコじゃなかったか。」
って聞いたら。
「あれ?あれ近藤ちゃんじゃない?」
千鶴がオレの肩越しに言った。オレも千鶴の指す方を見たら、確かに秋だ。オレのアパートを出た時の
ままのチノパンに、クリーム色のダウンジャケット、グレーのマフラー。
「ねえ、あの子酔ってるんじゃない。なんか危なっかしい足取り。」
オレ達が見ていると、秋は少しふらつく足で、ふらっと一軒のバーに入って行った。千鶴が言った。
「私達も付いていってみない?」
「えっ?」
オレはやっと目前まで来たラブホが突然遠のくのを感じて動揺した。
「だって近藤ちゃん、ふらふらしてるじゃない。あの子凄く可愛いから、このまま放っておいたら、
誰かに襲われちゃうかもよ。」
オレとしてはこのまま、千鶴とラブホに行っちまいたかったけど、頭の中で秋が知らないやつに
組み敷かれて「利、助けて。」って泣いてる姿を思い浮かべたら、やっぱりそのままにしておけない
気がした。
千鶴と二人でそのバーに入ると、思ったより広いそこは光を落として、なんと言うか微妙に普通の
バーと雰囲気が違った。その原因は全く女性の姿がない事のようだった。
(やっぱここ所謂ゲイバーかな?)
オレは小さく思った。秋にしつこく付きまとう噂の一つは秋が男も女もいけるバイセクシャルだと言う事、
オレは実はそれが単に噂に留まらず、真実だと言う事を知っているのだけど、それを人にも、秋自身にも
もらした事はない。前、オレが付き合っていた女に、頼りになる口も堅い姉御肌のやつがいた。彼女は
一度ゲイの友人にゲイバーに連れて行ってもらったことがあって、そこで秋を見かけて、何気なく、秋の
事を聞いてみると、秋はその目立つ容姿からも首都圏のゲイ社会ではかなり知られた存在らしい。オレは
彼女からそれを聞いて、驚くよりもどちらかと言うと、「やっぱりな。」という気がした。オレ、そういう
事に対して、リベラルというか、嫌悪感抱いた事ないんだ。よくこういう所変わってるって、言われるけど
拘らないと言うか、本当に気にならない。なんと言うか、秋が怜華を抱こうが、秋が誰か知らない男に
抱かれようが、秋は秋で別に変わらない。秋が他の男に抱かれてるから、じゃあ、オレがやっても
いいんだと思うのは、女だと言うだけで自分の性の対象にするのと同じぐらい馬鹿馬鹿しくも失礼だ。
でもオレの知っている多くのやつ等は全然わかってなかったから、あいつ等は秋がゲイだのバイだの
知ったら、それだけで男になら誰でも抱かれたがっていると思い込むに決まっているぐらい単細胞だった。
そんなの考えてみれば、女が男なら相手構わず抱かれたがっていると思うぐらい、失礼なことだと分かる
はずなのに。これで秋がまあ、一般的な容姿の男なら、ばれても、げっとか、笑われたり、
からかわれたり、きしょいと思われるぐらいで済むんだろうけど、悪い事に秋はヘテロ相手にでも、充分
劣情を起こさせて、試してみたいと思わせる容姿をしていた。オレは他人がどんな性癖を持とうが、何を
しようとお互いの同意の上なら、気にならないし偏見も持っていない。だけど相手の意志を踏みにじる
ような行為は許せない。秋がゲイ社会での顔であろうと、大学ではそんなところを微塵も見せていなかった
ので、夜の顔と大学での顔とはっきり分けるーそれが秋のスタンスだと思ったので、オレも気がつかない
顔をして、それを守ってやりたかった。
薄暗いバーの真ん中に近いテーブルで、秋は甘い物好きのやつのお気に入りのベイリーズを片手に、
半分ダウンしていた。勿論入ってきたオレ達になんて全く気がつかなかった。秋は見かけによらず、
アルコールに強い。よっぽどのことではダウンしたりしない、ザルだ。その上、自分でも用心してるらしく
過ぎないように、自分のリミットをよく知った飲み方をする。その秋があんな風になるんて珍しい。
オレと千鶴は静かに一番目立たない隅のカウンター席に着いた。千鶴は落ち着いた感じの四十がらみの
マスターとおぼしき男性に低い声で話し掛けた。
「すみません。ここって、その手のバーなんですよね。私たち一杯頂いても構わないかしら。
騒ぎませんから。」
二十代後半に見える少しおネエがかった、同じくカウンターに入っていた男性は不機嫌そうにオレ達を
見ていたが、マスターは落ち着いた声で言った。
「結構ですよ。何を差し上げましょうか。」
「私はジンフィズ。」
「オレは、、、、、パナシェ。」
もうこれ以上は強いアルコールは飲めない。飲んでしまったら、まだ望みを捨てていない、オレの
根性のラブホがますます遠のいてしまう。ミネラルウォーターだの、ジュースだの頼まなかったのは、
オレのなけなしの意地だった。マスターが千鶴の前にジンフィズを置いた時、千鶴はバーのほぼ中央に
一人テーブルに座っている秋を目で示して、さりげない調子で言った。
「凄く可愛い人だけど、酔ってるのかしら、あんなに無防備で危なくないかしら。」
マスターは優しく笑った。
「彼ですね。多分もうしばらくは、皆お互いに牽制して、誰も寄って行かないでしょうね。それに
そのうちに来ますよ。彼の王子様、、、、、というより正確には、彼の騎士かな。」
そのうちに二人の男が秋にちょっかいをかけ始めた。オレはおちおちせずにあいつ等を追っ払った方が
いいか考えて、イライラしていると、マスターが小さな声でオレ達に囁いた。
「ほら来ましたよ。」
オレ達二人が見ると、一人の男が秋の方に寄って行って、結局その男はあっさり二人の男を追っ払った。
その男は背は182,3センチという所だろうか、高そうなスーツを着て、素晴らしく姿勢がよくて、
背筋がピンと伸びていた。ハンサムと呼んでいいのだろうが、怖いぐらい厳しい顔をしているので、少し
躊躇われる。
「ハンサムでしょ。修ちゃんは秋ちゃんにベタ惚れだからね。秋ちゃんって、あの外人みたいな男の子ね。
修ちゃんって、外見も素敵だけど、物凄いお金持ちの家の子で、あと頭も超いいんだって、東大生
らしいの。凄いよね。」
カウンターの中の若い方の男は噂好きらしく、始めはオレ達を睨んでいたのに、何時の間にか寄って来て
べらべら喋っている。マスターは少し呆れたようなかおをしながら、何か取りに奥に入って行った。
「秋ちゃんって、確かに可愛くて、綺麗だけど、言っちゃ悪いけど、本当に全く節操なし。平気で誰とでも
寝るの。修ちゃんが可哀想。なのに修ちゃん、秋ちゃんの為なら何でもしてあげるし、秋ちゃんの
行きそうな店全てに話し付けてあってね、秋ちゃんがやばいのに引っかかりそうになったり、秋ちゃん自身
なんか危うい感じの時には、修ちゃんに連絡つくようになってて、修ちゃんか、少なくとも修ちゃんの
御付きの人みたいなのが、秋ちゃんを救いにくるのよ。勿論今夜もマスターが修ちゃんに連絡取ったのよ。
秋ちゃんも悪い子じゃないとは分かってるんだけど、やっぱり修ちゃん見てたら、本当可哀想。まっ、でも
今夜はとりあえず幸せみたいね。」
見ると秋は修ちゃんとやらの胸に顔をうずめるように体を任せきって、二人仲良く並んで座っていた。
修ちゃんとかいう男は携帯を出して、よく通る声で言った。
「オレだ。、、、、ああ。、、、、、ドアの前まで車回してくれ。、、、、、いや、一人で大丈夫だ。
ただここの会計の方頼む。」
やつは携帯をスーツのジャケットにしまって、秋を抱きしめたままゆっくり立ち上がった。
「さあ、帰ろう、秋ちゃん。」
秋の返事は聞こえなかった。
オレと千鶴はこそこそと秋達に背を向けて二人で寄り添って、顔を隠すようにしながら、秋達の会話に
耳を澄ませていた。
「オレのところだよ。、、、、、うん、分かってるって、一人は寂しくて嫌なんだろ。」
「うん?、、、本当に電話してくれたの?ご免な、オレ出なくて。、、、違うよ、そんなんじゃないよ。
お仕事、ほらスーツ着てんだろ。親父のところでアルバイト。、、、、、試験?大丈夫だよ。、、、
歩けるか?抱っこしてやろうか。」
ふと見るとマスターが二人の方に手を上げて合図している。二人が出て行ったあと、バタンと
戸が閉まった。オレと千鶴はほっとしたように肩の力を抜いた。それと入れ替わりに三十代始めぐらいの
厳つい男が入ってきて、マスターの方に近づいていって、財布を出して、ボソボソ言った。
「今晩は。坊(ぼん)と秋さんの、、、、、」
「今晩は、永野さん。お久しぶりです。こんな日の夜までお仕事とは大変ですね。はいはい、
お勘定ですね。はい。」
マスターは領収書らしきものを出した。男は札を出して、釣りはいらないというジェスチャーをして、
領収書を持って、頭を軽く下げて、急いで出て行った。マスターは苦笑に似たものをしながら言った。
「取りあえず、一件落着ですね。」
そしてオレ達のカラッポになったグラスを見た。
「もう一杯、何か召し上がりますか。」
オレと千鶴は顔を少し見合わせた。千鶴は少しいたずらっ子じみた笑いを見せて、マスターに言った。
「いいえ、結構です。折角の恋人達の日だもの。私達も当てられただけじゃなくて、少しは
楽しまなくっちゃね。」
「その方がいいですね。」
マスターも優しく微笑んだ。オレが勘定を払おうとしたら、千鶴が先に払った。そしてカウンターの
中の二人に言った。
「Happy Valentine's Day!」
「You, too!」
若い方の男が返してきて、マスターは小さく片手を上げた。
まっ、その後、オレ達は当初の予定に戻って、お約束な事をした。千鶴はその道々思い出したように
笑いながら言った。
「近藤ちゃんがバイだって、噂本当だったんだ。私、悪いけど、近藤ちゃん、卯月さんと一緒にいるより、
修ちゃんといる方がらしくて、好きかも。」
オレは何だか少しだけ胸の中で痛む物があった。ある日、オレのネコはいなくなった。
オレのネコには、オレよりも愛してくれて、大切にしてくれて、
姿を消したら、熱心にどこに行ったか探してくれる人、
もっと居心地のいい場所が出来たから、
オレの所には戻ってこなかったのかもしれない。
オレだって、ネコが戻ってくるのを待っていたのに。
それがネコには分からなかったのかもしれない。
戻ってきたネコも、
もっと愛してくれる人のいる、
もっと居心地のいい所に行って、
いつか二度と戻って来ないのかもしれない。
なあ、おまえ、ほんとうに戻ってきたオレのネコなのか?
なあ、秋。