【今週のインプット6月21日号】

美貌

美貌。
「所謂耽美である。」
これは、昔初めて作品が、ぱふの同人誌コーナーで紹介された時の紹介の言葉である。端的だが当たっていなくもない。私は、作品を描くとき登場人物の姿の美しさに多少の拘りを持っているらしく、それ故に耽美と喩えられてもことさら反論する気持ちにはならないのだ。
加えて私は「如何にも美貌」である顔の持ち主であるアーティストの長い間のオーディエンスでもあることだし。(そのアーティストが如何に美貌であるかについては、また別の機会に)

だが、本当の美貌はきっと絵になど描けるものではないと思っている。
それは変容を繰り返しながら、時間を裳裾の様に曳いて、顕現し、また行き過ぎてゆくものであって、絵筆に捉えて紙の上にとどめたり出来る類のものではないのだ。

それはそのものの内側からやってきてその外形を作り上げる、生まれながらにしてであれ、鍛錬のたまものであれ、職業的熱心さで作られたものであれ、内面から燃え上がる美貌を持つものを、私は花と呼び薔薇と呼ぶ。花を描こうとし、薔薇を描こうとする時、耽美作家と呼ばれるとしたら、確かにそうかも知れない。けれど私は、多分耽美作家ではない。私の美しい薔薇達は、泥濘の中でうねる何か黒々しいものを携えているはずだから。それらは、(多分私自身も)美に耽溺する前に、別の何かしらに溺れているのに違いないから。

その得体の知れない何かしらの、「証をたてる為」に、私は多分描いているのだと思う。

PS.もしも、「それこそ耽美というものなのだ!」と言う人がいたならば、その人は、私と同じ旧世代の絶滅危惧種である。お互いがんばりましょう・・。