英雄とは誰か

ルネ・コロはヘルデン(英雄)テノールといわれていますが,ワーグナーにおける「英雄」は決して征服者のような頂点に立つものではありません。ローエングリンのようなはじめから与えられた力を無意識的に操って周囲も自分も困惑するタイプの超人的(決してポジティブな側面だけでない)な英雄声なのです。もしくは,成長しない,というか永遠に成長し続ける。それは頂点がないというか,目的を持って前に進む者,というよりは「何か」を永遠に探し求める,より高きに憧れる者,真に無垢で純潔な若者なのではないでしょーか?ってそれは「聖杯の騎士」だよ。
というわけで「アーサー王と円卓の騎士」です。この物語群は一見アーサーの物語のようにみえますよね。確かにアーサーの誕生から彼が王座につくまでは「剣と魔法の物語」なのですが,以後アーサーは領地制圧に精を出すだけで,王妃誘拐事件でも自分から動こうとしない受動的な人物となってしまい,物語の背景に廻ってしまいます。
物語の中でアーサーの存在を希薄にしている元凶の一つが,モードレッドの扱いだと思います。というのは,モードレッドはアーサーの母を同じくする姉モルゴースとの近親相姦の子です。父への愛憎,義母への横恋慕など屈折した魅力的なキャラクターの素質を持ちながらも全く報われない可哀想な役回りとなってしまい,残念ながら素質はあったのですが,悲劇の主人公になりそこねてしまいました。
もう一人魅力に欠ける人物がいるのですが,誰あろうそれは聖杯の騎士ガラハットです。ガラハットの役回りは本来パーシヴァルが受け持っていたので,彼をそれ以上の騎士にするには更に純化するしかなかったのですが。
この二人には非常によく似た点が多いのです。まず生まれですが,父母の不実な愛(ウーサー−イグレーヌ,ランスロット−エレイン)によって,しかもどちらも魔法による欺きによって成就された誕生です。アーサーが父側の,ガラハッドが母側の欲望の結果であるという違いはありますが。そして二人とも生まれる前から選ばれた者であり(というより二人の誕生こそが目的でさえある,「預言は成就された」的),成功を約束された者なのです。
しかもガラハッドは聖杯の騎士としての存在理由以外の持ち合わせていませんから,アーサーの試練,晩年の苦悩もなかったのです。聖なる者は悩み,傷つき,人を愛する世俗的な感情を持ってはいけないのでしょうか。そのあたりはローエングリンも同じなのですが,一応彼にはロマンスがあったから…。
至上の恋,永遠の三角

そんなアーサーを差し置いて騎士物語の中心人物となるのが湖のランスロットです。彼の愛するグウィネヴィア妃は嫉妬深くてこれが秘めた恋なのか?というくらいなのですが,ランスロットの方も両エレイン姫の事件では同じ失敗を繰り返して,なかなか学習能力のない男なのです。が,そんなこといってたら物語世界に耽溺できません。
もっともグウィネヴィアの描かれ方は,本来は女神信仰(ここではケルト)のもと多くの男に愛されて当然の存在のはずの彼女が男性中心のキリスト教化の影響で,わがままな女,果ては災いを招いた女,しかし悪女としての魅力も与えられない損な役どころに堕ちてしまったがためのようです。つまりケルト的な「女王」から「王の妻」への変遷により割を食ったようです。
さて,円卓の騎士物語のロマンスといえば『トリスタンとイゾルデ』ですが,私は「白い手のイゾルデ」が可哀想なのでトリスタンは好きじゃないのです。なんか調子いい奴なんだもんトリスタン。ランスロットなんかちょっとグウィネヴィアの不況を買ったからって気が触れちゃうくらいなのに。
このトリスタンとランスロットを比べてみるとどちらも女性をめぐる三角関係を基にしているのですが,トリスタンの方には,ランスロットのアーサーに対する忠誠以上の崇拝,畏敬,ある意味での愛情(奇妙な三角関係,アーサーもあくまでランスロットを信じていた)といった複雑な感情が,マルク王に対してみえません。そのため,三角関係という意味では勧善懲悪的な浅い物語で,どちらかとういうとイゾルデとの関係の方にウェイトが置かれているようです(叔父・婚約者の仇など)。それもわりとすぐ克服してあとはひたすら愛の世界です(私はトリスタン,もはやイゾルデではないってくらい)。トリスタンとイゾルデの結びつきがあまりにも強固であるがゆえに,物語は拡がりを失ってしまったのでしょう。しかしそれは愛として純なるがゆえに音楽として奏でるにふさわしい物語へと昇華していったのではないでしょうか。(何故か弁護する私)

ランスロットら三人の関係は上図のような均衡した正三角形ですが,トリスタン側はトリスタン−イゾルデでほぼ完結しています。
「円卓の騎士物語」は時代性,成立国の性格によりひとつの物語としてまとめるには長大というより,散漫で矛盾の多いものです。したがって,時代順でいうと,誕生と死を魔術が支配するアーサー,フランスの宮廷風恋愛の多大な影響を受けながらも魔術的・民話的様相を常にはらんでいる,または前時代的性格を保ちながら後世にまで物語が肥大していったであろうランスロット,トリスタンとなると魔術的要素は後退していき,「媚薬」の扱いも矮小化してゆきます。こういった成立事情により,アーサーは器としての役目をのみ負うようになり,トリスタンはひとつの恋愛物語として独立していったのではないでしょうか。
再びタンホイザー

ランスロットの,グウィネヴィア妃との許されぬ恋−エレインの懐妊と聖杯の探求−聖杯の赦しを得られずグウィネヴィアの元へ,という変遷は誰かに似ていませんか?そうタンホイザーです!ヴェーヌスとの快楽−エリーザベトの愛と巡礼−教皇の拒否−ヴェーヌスベルクへの帰還。強引すぎる?かなー。
でもランスロット側にアーサーという抑止力があるかぎり,ランスロットの物語の方がずっとずっと魅力的なのです。
August 1996

バーン=ジョーンズ『ラーンスロットの夢』1896
サザンプトン・アート・ギャラリー
聖杯の守られる礼拝堂の外で横になるランスロット。その夢で,天使がグウィネヴィアとの不義ゆえにランスロットが聖杯を目にすることはないであろうと告げている。
聖杯物語の連作タピストリーのためのタブロー。
そして,英雄とは誰か

騎士とはそもそも貴族の次男三男で,資産の流出四散防止のために長子相続からはずれた男たちであった。英語のknightは他言語(chevalieir 仏,ritter 独,cavaliere 伊)のような「騎手」ではなく「従者」の意味を持っていたという(『図説 騎士道物語』)。実際,騎士たちは叙任されるまでは従者として他家に奉公していた。
さて,ランスロット,トリスタン達は「騎士」といっても,それぞれ自国に領地を持つ,いわば領主でありながらも,円卓の騎士としてアーサーに仕えていた。これはもちろん歴史上の人物としてではなく,説話の登場人物として,より高きに仕えるというアーサーの神格化を手伝っているともいえるが,そこに一人歩きし始めた騎士道
があったことは否めない。
トリスタンは前述のように伝説から文学の登場人物へと昇華していったが,ランスロット,アーサー,その他の円卓の騎士たちはほとんどのものが,説話的な英雄譚のモチーフに包まれている。
すなわち,「異常な誕生」「父母との別れと謎に包まれた生い立ち」,そして人々の目の前に現れるときは常に「未知の美男子」である。その後彼らは謎に包まれたまま,また正体を明かしながらも困難に打ち勝ちより高きを目指していく。そんな中で女性との関わりは,常に類型的で女性は人格を持った個人ではなく,「最高の美女」でしかなかった。
アーサーの場合は,「歴史上の王」としての役割(role)が予め定められており,その窮屈な殻を打ち破ることは「勝利者」を目指すべき彼にはできない。従って,彼の人生が本当に始まるのは頂点に立ってから後であり,頂点に立ってしまった以上,あとは堕ちていくしかなかったのである。
もちろん,彼の没落は「勝利者」としての性格以外与えられていない以上,彼自身が原因とは成り得ない。アーサーはあくまでも叙事詩の主人公であり,叙情詩においては狂言廻しとなってしまうのだ。
アーサーの没落を招くのは,彼の最高の騎士ランスロットと后グウィネヴィアの恋である。ランスロットもまた,「英雄譚」のモチーフを伴って登場するのであるが,あくまで「騎士」すなわち「従者」である以上,最後まで「アーサーの騎士」であり,「騎士道」の呪縛から逃れられない。もちろん,ランスロットの物語が,女性(マリ・ド・シャンパーニュ)の要請により生成されたものである以上,常にロマンティックな香りを伴っているのではあるが。
しかし数々の女性達(エレイン他)の誘惑は,「女性=誘惑者」という古い図式を抜け出せないでいるのに対し(アストラットのエレインは受けがよいようだが),王妃と騎士の恋は王国を揺るがす要因となる。ランスロットは単なる英雄エピソードを持った脇役ではなく,また単なる主人公との二項対立する敵役でもない。騎士物語の大枠を作る欠けてはならない一人である。
ランスロットの息子聖杯の騎士ガラハッドもまた,アーサーのようにまず役割を持たされ,その生と死を規定されるており,逸脱は許されない。ガラハッドは,確かに欠けた円卓の円環を完成し,王国の滅亡を誘発する者ではあったが,それはあくまでも彼の役割にすぎないのだ。そして予定調和の役割を終えると物語からはまるでその存在がなかったかのように消えてしまう。
ガラハッドにより第一の聖杯の騎士の座を奪われたパーシヴァル(パルジファル)もまた,本来の素朴な説話的英雄から騎士へと落ち着いてしまう。
いささか乱暴な結論ではあるが,英雄譚の完成を阻むものは騎士道なのかもしれない。英雄の頂点は「勝利を宣言するもの」であり,征服者であり,地位(端的にいえば王位)としてのより高きをめざす者であったのだ。イメージ的には金管の輝かしいファンファーレを伴って現れるハインリヒ王である(『ローエングリン』)。
しかしながら,出目は英雄であったにも関わらず,決して頂点に立てないながらも傷つきながら高きを目指す騎士たちがいとおしい。
July 1997
更に追記
heroの語源はギリシャ語で「半神」だそうです(「歴史読本ワールド」英雄特集 新人物往来社)。なるほど,どっちつかずの不安定さという魅力ですね。そしてそれは彼自身の倖せを阻んでしまうという。
どこかに「弱点のない英雄なんて…」というのがあったのですが,これも大切です。ジークフリートの背中のように,“完全でない”ことは,親しみではないのだけど,いつ崩れるかわからない危うさは,英雄に惹かれる大きな要素ですね。たぶん特に女性にとって。あと,“弱点”や“禁問”のような当事者にはわからない,観客だけが知っていて,いつそれが破滅につながるのか見守っている構図,それがドラマの魅力にもつながるというのはなんなのでしょう。歴史上の英雄,特に悲劇的な最期を迎える者への愛着も同じだと思う。最期を知っているからこそドラマチックなのかな。
「歴史読本」は“史実の英雄”特集だったんで買わなかったけど,実在してる場合,伝説は多くてもやはり事実を無視するわけにいかないのだけれど,伝説・神話の場合は自由な分,伝えられていく“伝説”は人々の口伝により,まるで宝石の原石を磨くようにリファインされた,残るべくして残った我々が真に希求する“英雄”の姿であるのではないでしょうか。
Sep. 1997
Vol.-3 August 1996 に追加
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