Sound of MUSIK 振動する魂


Johann Sebastian BACH
Johannes BRAHMS
Benjamin BRITTEN
Anton BRUCKNER
Gustav MAHLER
Dmitri Dmitrievich SHOSTAKOVICH
Richard WAGNER

あなたに会いたくて (改題)
さいれんとばいおりん考
劇場という悪所
黙されたことば

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Johann Sebastian BACH 1685-1750

Ehre swi dir Gott, gesungen −クリスマス・オラトリオ BWV248

鈴木雅明指揮(オルガン)バッハ・コレギウム・ジャパン
12/25,1/10 東京オペラシティ コンサートホール:タケミツ・メモリアル
I〜III部
 はじめての東京オペラシティ・コンサートホールです。低いピッチでチューニングがはじまると,だんだん心構えができてきます。いつものように最初ちょっと聴こえにくくてもすぐに感度が合いました。
 ただ,クリスマス・オラトリオってはじめて生で聴いたんですけど,ソロも合唱もずーっとイエスの誕生を祝ってるので(当たり前ですけど),やっぱり受難曲のようなドラマティックな方が好きかなーと思いました(何曲か使われてますけど)。教会学校も(小学校)高学年になると,降誕の部分ばかりではなくて,今年は受難の所を読みましょうってやってたのが思い出されます。でも最初のドンドコした始まりは好き。
Dec. 25, 1997

IV〜VI部
 す,すばらしいっ! 今,身体中にバッハが満ち満ちています。この曲はレチタティーヴォが多いので,やはり合唱に分があるのかもしれませんが,アップテンポのオケ(これがまた絶品)に乗った歌声にホントに胸がドキドキドキドキ。
 ソロは特にソプラノ(モニカ・フリンカー)のIV部のアリアに感動。バンダのソプラノ(合唱の方)が Nein!,Ja! とこだまするのですけど,たぶん上の階で歌っていたのでしょうが,天から柔らかな声が応えているのようで素晴らしい効果でした。こういうのはライヴでなければ味わえない喜びです。カーテンコールでもソプラノの方が一度その彼女を舞台の前にひっぱってきて暖かい拍手を浴びていました。
 うれしくて手を一生懸命上に上げて叩きました。終わったあと,手が赤くなってる演奏会ってすごくすごく幸せ!

 このテのコンサートだと,直後の待ちかまえたような「ブラーヴォ」だの「ブラヴォォォォォ」だのがなくてうれしい。だってそういうときってはじまる前からすごい拍手で,そういうときに限って「そんなによかったあ?」って思っちゃうんだもん。今日なんかはじまる前よりも休憩前,更に休憩後,終演,とだんだん大きくなってすごくいい感じ。退場の時もあちこちに拍手が残っていて(私もその一人),しかもそれが全員で義務的じゃなくて,「今日は素晴らしい演奏をありがとう! これで終わりなのがさみしいです。また会いましょう」という感じでよかったよー。スタンディングでないところがまたよい。

 アンコールが1曲,バスとアカペラ(他のソリストも加わって)で(しまった曲名をチェックしていない),普通はプログラムがよい演奏だとその音を,料理の味を舌の上で転がすように,耳に残して帰りたいんでアンコールはあんまり好きじゃないんですけど,今回はもう聴いていてうるうるしちゃいました。あ,1部(のアンコール,12/25)は賛美歌でしたが,賛美歌は聴くものじゃなくて歌うものです。

 聖金曜日はまたこのホールでヨハネです。まだ取っていないので絶対1階席にしよう。12/25の1部(I〜III部)がしっくりこなかったのは,席のせいかもしれませんね(まあ疲れてたし)。前回は2階センター,今回は1階のほぼ真ん中の列のちょっとはじ(下手)。こういう編成(古楽)はやはり舞台に近い方がいいのかもしれません。

 私は普段編成の大きい曲ばかり聴いていて,もちろんそれも好きなんですけど,実は一番好きなのはバッハです。本当よー。「これからはたった一人の作曲家の曲しか聴けません,誰にしますか?」と聞かれたら,迷わず,なんの躊躇もなく,「バッハです!」と答えられます。(『ローエングリン』? だって本当の彼はわたしの心の中にしか存在しないんですもの) さて,あなたは誰を選びますか?
Jan. 10, 1998
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Johannes BRAHMS 1833-1897


■ブラームスが好きだっ。−交響曲 第3番ヘ長調 Op.90

 3番はヘンな曲である。1,2楽章はともかく,ちょー有名な3楽章は,わかりやすいメロディを楽器を代えてこれでもかこれでもかと繰り返しているにすぎないのに薄っぺらくない。なんでかというと常に全く違う(ってわけでもないけど)メロディが暗躍しているんですね。で,わたしは2nd ばいおりんだったのでずーっとこのたぶん普通に聴いてたら意識されない音をやってたわけなんである。

 一応ご存じない方に説明するとオーケストラの弦楽5部はヴァイオリン2種類(1st,2nd)とヴィオラ,チェロのいわゆる弦楽四重奏にコントラバスが加わります。もちろん1stヴァイオリンは一番高い音で主に主旋律を奏でてます。2nd は1st のオクターブ下で支えることも多いけど,どちらかというとヴィオラのような内声を担当して,1stが歌ってるときに細かい音を刻んでたりして,それだけ聴いてると何やってるかわかんなかったりするわけです。
 わたしはリズム感はないんですけど,性格的に伸びやかに歌うよりか,がしがし刻んでる方が好きっていうか,縁の下の力持ち的にハーモニーを作ってるんだわーと感じる瞬間の方が気持ちがいいんです。1st もやりましたけど,これは高い音さえ取れればすごく簡単。だって(録音などで)聴いた通りの音を出せばいいんだもん。2nd の方が難しいし,やりがいがあります。ちなみに1stを“すとばい”2ndを“せこばい”とかいいます。

 でもってこの3楽章は,主旋律の低いバージョンでも,よくある音階を反転したの(山型旋律なら谷型)でもなく,がしがしリズム担当でも,対旋律(これは主にチェロの担当これはこれでうらやましい)でもなくて,一応独立して聴ける旋律を奏でてます。ちょっと注意して特に生で聴けばわかると思うんですけど,とりあえずスコアを見ながら聴くと面白いです(生でそういうことはやめよう)。
 あ,オケの楽器役割分担は作曲家・時代によって特徴があるのでそーいうとこに着目すると面白いです。あと,弦楽5部は編成し直す曲もあるのでいつも同じではないです。現代音楽はかなり違うし。

 で,最終楽章の4楽章です。4楽章はかっこいい。暗そうに始まったかと思うと怒涛のように切迫した音符と休符が堰を切ったように雪崩込んでくる・襲ってくる。そのくせいつの間にか消えるように終わってしまうんで,困った曲である。普通,交響曲はメインディッシュなんだけどこの曲を終わりに持ってくると聴いてる方もやるせないので前座にされること多し。比較的短いしね。

 この曲はわたしがはじめてオケにのって演奏した曲なので思い出深いんですけど,練習期間が1ヶ月半しかなかったとか,楽器触るの5年ぶりだとか,そういう無茶な事情はともかくこの曲はとてもとても難しい曲で,もう一度やってみたい曲でもあり,もう2度とやりたくない曲でもあるわけです。おわりっ。
June 1997



■交響曲第2番 二長調 Op.73

 2番はとってもよい曲なんだけど,この曲はちょっとおぼえがよくないのです。半年間一生懸命練習して指揮者もよい人で執行部でかけずったあげく,演奏会当日の休憩時間に弦が切れてしまったーっ。もうボロボロです。しばらくこの曲聴けなかった。でもホントは好き好き。
 特に4楽章の冒頭が“sotto voce(小さな声で)”って可愛いなーと思ったの。あと,119小節目の#ね。2楽章のクサイ盛り上がりも好き(89小節目,数小節を聴くために全楽章聴くのがまたなんとも)。素直なわかりやすいやさしい曲です。ちゃんと盛り上がって終わるし。バーンスタインの音楽入門の交響曲編がこれだったよね?
Oct. 1997


Benjamin BRITTEN 1913-1976


■戦争レクイエム Op.66

 この曲(1962初演)は通常のレクイエムのラテン語(ソプラノ・合唱・少年合唱)にオーウェン(1893-1918)の英詩(テノール・バリトン)が挟まれるのですが,この英詩がイサクを屠ってしまうアブラハム(原典は旧約聖書創世記22章。だからアブラムのままなのかな)とかかなり挑戦的です。
 このレクイエムは鎮魂歌として死者への慰めではありながらも,今を生きるわたしたちの「エリ・エリ・ラマ・サバクタニ − わが神,なぜわたしをお見捨てになったのですか?」という嘆きのような気がします(十字架上のイエスの最期の叫び)。これ以上入り込むとヤバイのでおしまい。この曲は前に一度くらい聴いたと思ってたんですが,はじめてみたいです。

 レクイエムはフォーレのが一番好き(あのドラマで結構メジャーになっちゃった?)。モーツァルトはレクイエムだけ好き。ヴェルディのは「怒りの日 Dies Irae」ってタイトルの方があってると思いません? そういえば,フォーレにはDies Iraeがないですね。あ,ちなみにこの「怒りの日」の最後の審判によって裁かれ,キリストを信じる死者たちが神の国に入ることができるので,天国は死後すぐに行ける地獄・極楽とは違います。なーんて,教会は小学校のときしかいってないし,学校の聖書の授業はだんだんキライになってたので適当でーす。知識は信仰ではないです。
Nov. 1997


Anton BRUCKNER 1824-1896

■交響曲第9番 ニ短調

 ディスプレイを見つめ続けて疲れたので,TVを付けたら,ベルリン・フィルが9番をやってて,もう終楽章で,ああ,おそーしきはこの曲がいいなあなんて,お正月早々縁起でもないっていうか。でもおそーしきなんていらない。どうせなら鳥葬がいいなあとか。
Jan. 1998
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Gustav MAHLER 1860-1911


■酷薄の響き− 交響曲第1番 ニ長調

 今日はあんまり聴きたい気分じゃないなーと思ってたのに,弦のフラジオが聴こえると集中している不思議。マーラーはやっぱり緊張させる音作りだと思う。普通,生の音楽は鼓膜を通って全身を満たす,まるで躰中の水分が音楽に変わるような,また音の羊水に浸るような,躰で聴くものだと思う。マーラーの音は直接脳に突き刺さるような,ダイレクトな刺激。冷たい酷薄な響き。圧倒的であっても決して豊潤ではない,かといってもちろん薄いのではなく,細い? 水で薄めた,ではなく,張りつめた一本の糸に集約された緊張感。
 冒頭のフラジオレットは静かに,しかし有無をいわさずわたしたちをチューニングしているのかもしれない。
July 1997
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Dmitri Dmitrievich SHOSTAKOVICH 1906-1975


■交響曲第10番 ホ短調 Op.93

 チューニングから最初の音が出るまでの,指揮者入場を挟んだ段階的な静寂が好きだ。徐々に張りつめる空気,拍手の後の真空のような一瞬。棒を振り下ろした瞬間に強引に自分の世界に引き込む曲もいいが,10番の低音が静かに,まるで地を這う土蜘蛛のようにしのびよる,そんな重苦しさが空気を変えてゆく息苦しい幕開けもいいものだ。徐々に紡ぎ出される旋律は,なぜそんなに哀しいのだろう。あなたを苦しめているものは何? ああ,わたしも息をひそめてあなたの呼吸を聴こう。そして,あなたと一緒に歌い上げられればいいのに。
April 1998
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Richard WAGNER 1813-1883

『タンホイザー』 Vol.-3

『パルジファル』,『ローエングリン』 Vol.3


■あなたに会いたくて
 100%の満足感など保証されないことがわかっているに,なぜホールに向かってしまうのだろう。その何分の1かで何度でも聴ける一流の録音が手に入るというのに。回を重ねる度に感動に出会う度合いは減っていく。それでも,代わりにCDでも買えばよかったなどと思うことは少ないのだ。
 自宅の居間のピアノがネットが伝えるMIDI音源でピアニストの生演奏をタッチまでそのままに奏でる。それは理想だろうか? もちろん一般家庭に音響に考慮したホールの響きまで伝わるわけではない。
 好きなときに好きな映画をビデオで観る。誰にも邪魔されずに大好きな演奏家のCDを聴く。約束された満足感。そうではなくて,そのときその場所でなければ出会えない一瞬のきらめきがいとおしい。周囲との場の共有,一体感など求めてはいない。楽章間の咳払い,とってつけたようなブラボー,暗闇のポップコーン,何もかも鬱陶しい。だがある瞬間から何もかも忘れて音とだけ,映像とだけ向き合うわたしがいる。またあなたと会えたのだ。
March 1998



■さいれんとばいおりん考
 先週各新聞にYAMAHAのサイレント・バイオリンの一面広告が載っていたのに気がついた方が多いと思うのですが,あれってどうなんでしょう? 指板と顎あてに右側だけスケルトンなボディラインがついていて,フォルムとしては美しいといえますけど。さわったこともないのにいろいろいってもしょうがないんですけど,個人的には弦の音ってデジタルでは再現できないと思ってるのですが,どういう仕組みなの? 共鳴させない練習用の弦楽器って『八十歳のアリア−四十五年かけてつくったバイオリン物語』(糸川英夫 ネスコ 発売:文芸春秋)に,四角いチェロが出てたけど(この本はすごく面白い。ヒデオ・イトカワ号はその後どうなったのでしょう?)。

 音はイヤホンで聴こえるらしいけど,耳から鼓膜に届く音と,自分の楽器がナチュラルに出す音が聴こえるのって違うような気がするんです。ヴァイオリンて耳のかなり近くで鳴らすから,人が演奏している音とか録音した音ってなんだか違うような気がする。ちょうど録音した自分の声を聴いたときの違和感みたいなの。客観的な音が聴こえるのなら,真に練習用なのかもしれないけど。
 うーん,なんだか楽器との一体感みたいのに欠けるような気がする。楽器から音が出ているはずなんだけど,なんだか自分の中が振動して,自分自身が楽器になって鳴っているような不思議な感じがするのに。
 はじめて自分で出す音がこういうのだったら…,むむむ。デジタル処理された音をきれいというかはともかく,右手と左手の試行錯誤で音を作っていく過程も演奏だと思うんですけど。あと物理的にボディがついてないとポジション取る目安がなくなっちゃうってのは素人の甘さ? 結局見た目と情報だけで何いってもしょうがないんだけど。
July 1997



劇場という悪所
 そもそも劇場とは「夜」の建物であり,マチネよりもソワレが本質である。だいたい昼間であろうと基本的に中は暗闇なのである(ウィーン・スタイルはこの際無視)。公共の健全さを体現する白い建物に妖しげな匂いはない。その地に育った劇場は欧米であれ,日本であれ,元来「悪所」なのだから。
 というのが,劇場に対するわたしのスタンスであり,また迎える側に立つときはいつでも心地よくその場を楽しんでもらいたいと思っているんですけど,昨日もうすぐ改装のため閉館してしまう東京文化会館をあとにして(といっても来年だけど),ちょっと認識を改めてしまったのだった。東京文化は妖しいというよりあのダサさは静謐である(色違いの椅子や壁面のデコボコはかなり妖しいけど)。改装によって外観は美しくなるであろうが,音は必ずしも良い方へ向かうとは誰にも断言できないが。ただ,あのホールで何度も感動を味わったことを思い出すと(それはオケであったりオペラ,バレエであったりするのだけど),結局,「中味」がよければ器なんかどーでもいいのである。

 外見も中味もよければ最高のはず。だが,聴衆・観衆にとって既に満ち足りた空間というのは本当にいいものなのだろうか? もちろん演奏・演じる側・セッティングにとっての利便性は保証されるべきである。しかし,幕が上がる前に(演奏の始まる前に)満ちてしまった心は音(面倒なので音楽にしぼります)と真正面から対峙することができるのだろうか? 日常では得られない感覚を求めて劇場へ向かう飢(かつ)えた 魂を潤す音楽を全て受け入れるために器を空にしておきたい。そしてそこで与えられるマナは癒しであるよりも更に深きへ突き落とす槌であって欲しい(ああっこれではただのまぞですね)。音楽という神の降誕,そして死を見届ける聴衆は贄であるのだ。

 なんて当たり前のことがわからなかったのでしょう。音楽は癒しでも赦しでもない,「感動を生むもの・心を震わせるもの」ではありませんか。音楽に振るわされた魂は,あるときは共鳴し,あるときはそのずれがうなりをあげ,神経は研ぎすまされ,脳細胞は乾き,更に刺激を求めるのです。…ただのびょーきですね。マーラーのせいね。
July 1997



■『黙されたことば』(長田弘 みすず書房)
 これは作曲家に寄せた詩集なんだけど,朝日新聞の日曜版に連載当初から好きだったの。みすずのコーナーで探すより音楽書・詩集のコーナーの方があるみたい。

 −詩というもっとも古い心の楽器のための,無伴奏ソナタとして書かれた−
 音楽をことばで表現するなんて絶対無理,と思ってたのに,こうやって短いことばに凝縮されるとなんか悔しい。(今さらなんですが,わたしの使う“ことば”はぱろーるじゃなくて,らんぐのことです。っておわかりですよねえ)。凡人はことばを重ねていくしかないのですね。でもって重ねれば重ねるほど実体から離れる気がするけど。いいんだ,わたしは吐き出してるだけだから。
 25人の作曲家について書いてるんだけど,一人一人についてホントにそのとーりって感じですごいと思ってたけど,あとがきによると随分資料を調べたみたい。そう思って読むと,マーラー(世界が終わるまえに)の一節「非常にゆっくりと,けっして急がずに−」って“Nicht zu schnell”だよね。マーラーってば譜面にドイツ語でいっぱい注文を書いとくんだもん。わたしのパート譜はいちいちその訳が振ってあったのさ。だって仏語だったんだもん。わかんないもん。独語と伊語は音楽用語だけわかるってのもどーかと。
 これらの詩はマーラーに限らず,彼らの生へというより死への想いの方が強い。なんとなくレクイエムって感じ。パウル・クレーの天使の線画が描かれた白い表紙,白い本文。カバーをはずした白い布張りの表紙。それぞれ素材にもこだわりがあって,詩集ってそういうものなのですね。菊池信義さんも「詩集は特別」って言ってた。この本はおすすめです。願わくば,「癒し」のキーワードで広く流通しませんように。

 詩は普段読まないけど,原語で読める日本語はもっと積極的に読んでもいいかもしれない。でも日本人の書いたものって小説もそうだけど,ウェットで好きじゃないの。『自分の感受性くらい』みたいのは好き。
 自分で書いたものの解説はしたくないんですけど,「音楽の生と死」っていうのは,音は生まれた瞬間に消えていく,絵画のような「永遠なるもの」とは違うんだよね,ってだけで深い意味はないです。深い意味を考えていただいてもかまいませんが。
July 1997



■「Sound of MUSIK」というのはスペルミスではありません。映画「アマデウス」がヒットしていた頃,「ロック・ミー・アマデウス」っていう曲があったでしょ? その次の曲が確か「サウンド・オヴ・ムジーク」っていったはず。で,歌ってた人はどこ行ったんでしょうねー? 現役だったらごめんなさい。



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