映画なお部屋
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THE RED VIOLIN レッド・バイオリン

 フランソワ・ジラール監督・脚本,ニブ・フィッチマン製作,出演:カルロ・セッチ,イレーネ・グラツィオーリ,クリストフ・コンツェ,ジェイソン・フレミング,サミュエル・L・ジャクソン,シルヴィア・チャン,ドン・マッケラー(&共同脚本)
音楽:ジョン・コリリアーノ,独奏:ジョシュア・ベル,エサ=ペッカ・サロネン指揮フィルハーモニア管弦楽団 サウンドトラック:ソニークラシカル SRCR2374
1998 カナダ

−あなたはとても永い旅をするでしょう。
 一挺のヴァイオリンが17世紀後半のクレモナ〜ウィーン〜オックスフォード〜上海〜20世紀末のモントリオールを旅する。冒頭,現代のモントリオール。誰よりもまず「レッド・ヴァイリン」が大きく映し出され,この時代・場所を遍歴する物語の主人公はこの楽器なのだということが印象づけられる。そして音楽もあえて時代の名曲を使用せずにコリリアーノの音楽(コンサートピース:シャコンヌを中心に)が貫く。この,楽器と音楽の2つ,いや“ヴァイリン”というテーマがオムニバスでなくいくつかの時代の交錯する構成に違和感や無理を感じさせない。

 現代とともにレッド・ヴァイオリン誕生のクレモナ時代(1681)を繰り返すことによって,そもそもこの数奇な運命をたどるのはその誕生に秘密があり,制作者の妻アンナの運命を占ったタロットが全てを予言していたことが明らかになってゆく。しかしこれには謎解きの面白さもあるが,予定調和的でうまく出来た話という感もあり,話の拡がりを抑えてしまったかもしれない。ヴァイオリンという楽器は近くで見たことのない人にもその美しい完璧なそして蠱惑的なフォルムの魅力は伝わっているはずだ。誕生に大がかりな秘密がなくても人々の様々な想いが楽器の中に染み込んでいるのでは?と想像を喚起する器だ。

 現代のオークション・シーンを違う視点から何度もフラッシュバックさせるのは,このヴァイオリンを狙っているのはそれぞれのエピソードで関係した人々,ということなのだが,それまでの展開とやや趣を異にして未消化な感のある上海から参加したのがかつてのミン少年であったことに語られない物語の奥を感じた。
 実際に競り落としたのはもっともレッド・ヴァイオリンにふさわしくない,楽器に魅入られなかった奏者であるが,彼が手に入れたのは鑑定用に購入された複製品。レッド・ヴァイオリンはまたもこの楽器に憑かれたように入れあげる鑑定士モリッツの手に渡る。だが,ヴァイオリンが持ち主を選んだのだとも解釈できる。物語はタロットの通り,安住の地を見つけたということなのらしいが,手に渡った全ての人間ではなく,ヴァイオリンの魅力にはまった,いやヴァイオリンに魅入られた者が不幸な結末を迎えている。いつかまた,再び血を求めて人々を翻弄して欲しい。

 レッド・ヴァイオリン=アンナとして物語を追えば,また違った印象を持つかもしれない。すなわち,時代に翻弄され人々の手から手を渡り歩くヴァイオリン,しかし彼(ヴァイオリンはそのなまめかしいラインを持ちながら,何故か男性のイメージなのだ)は安住の地を求めている。いつかどこかで安らぐ日を待っている。
 しかし,とするには何故モリッツなのか?という説得力に欠ける。破滅した持ち主達は皆様々な形でヴァイオリンを愛していたのだから。それとも“子供に与える”という記憶を呼び覚ました?
 また,ヴァイオリンがアンナ自身であるには,そこまで夫ブソッティが偏執的にアンナを愛していたのか?という疑問を持ってしまう。子への愛の方が強く感じられる(死産には見えなかったので,子よりも母へ向かった程愛していたのかとも思ったのだが)。産まれてくるはずだった子はレッド・ヴァイオリンの最初の犠牲者ではなかったのか? いや,最初の犠牲者はアンナ?

 映像的にはまず修道院で100年間ヴァイオリンが少年達の手を渡っていった映像処理はちょっとわかりやすぎるようだが,その後のジプシー達も同じ手法でオーバーラップしてるのでなるほどと思う。異なる時と場所が幾重にもヴァイオリンの上に重なっているのだ。


 ここから突然,ミーハー・モード。もちろん一番よかったのはオーストリアの修道院育ちのカスパー君篇。カスパー君の愛らしさはもちろん,修道僧達(もっと出してー)やだんだんとカスパー君が可愛くてしょうがなくなっちゃう師のムッシュ・プッサンも好き(カスパー君はレッド・ヴァイオリンと添い寝してたけど,わたしも休日の昼下がり急に思い立って楽器を小一時間鳴らして,一緒にお昼寝したことがある)。修道院と少年といえば『マルセリーノ・パーネ ヴィーノ』ですが,実は影の主人公アンナ役のグラツィオーリは『マルセリーノ…』に出演していた(そうだ)。
 更に現代的な雰囲気のフェティッシュな領主(皇子?)がカスパー君の持ってるレッド・ヴァイオリンに興味を持ち,愛撫するように弦や板を撫で回すのがいやらしくてうれしい(チラシやプログラムの表紙メインがこのフェチ手だったのがステキ。レース袖だしー,やーん)。奏者でなくてもこの楽器は人を誘惑するのだ。
 何よりうれしいのは,科学的な鑑定の様子や製作工房が丹念に描かれ(本物の職人さんたちが〜),更に5カ国で5カ語(ウィーンではフランス語も)が使われてること。全部英語だったら絶対ここまで物語に入り込めなかったっ。でもでも一番うれしいのはヴァイオリンを中心に弦楽器がいっぱいいいっぱい出てくることでしょー。日頃,ホントはヴァイオリンよりチェロがやりたかったとか何とか言ってますが(低い音が好きだから),抱きかかえられる,心臓に一番近いところで音が出せるというのは,やはりのめり込みやすく思い入れも強いものかもしれない。

 あとは前述のミン君の秘められた想い。もちろんレッド・ヴァイオリンに,図らずも自分が密告してしまったシャン・ペイを重ね,贖罪と遠い日の憧れを胸に競りに加わるのだ。
 オックスフォードのポープ篇は,どーしてもクラウス・キンスキーの『パガニーニ』と比べてしまうので,えっちなのは別にかまいませんが(そういうとこはアメリカよりヨーロッパぽいです),そんなに目新しくはない。恋人がお仕事持ってる女性(小説家)なのはよい。女性像も時代と共に良妻(アンナ)からしっかりもの(マダム・プッサン),仕事持ちだが情が濃い(ヴィクトリア),ちょっと手強い(ルルー)になってるかも。

更にミーハー鑑賞記。
 初日,生写真プレゼント(だからいらないってばっ)の11:00の初回はしごとの関係で行けないので,13:40の回になんとか間に合う。階段で並んで待ってて,入れなさそうじゃないけどたくさん観に来てくれて(←何様?)うれしい。初回が終わって出てくる人も一緒に並んでる人も女性ばっかりみたいな偏りがなくてそれもホッ。
 評判を聞きながらも不安なところもあってどきどきしてたけど,とってもとってもよかったです。映画として面白かったのがうれしい。映画がはじまるまですごーくどきどきしてたけど,「そっかJosh君は出てるわけじゃないのね(ちょびっと出てるけど)」と思い出して安心して映画の中にどっぷり浸かって,悲痛なヴァイオリンの響きに「あ,これはJosh君の音なのね」と我に返ったりした。完全入れ替え制かなーと思ってたけど,座ってて何にもいわれなかったので,2回続けて観ちゃったっ。続けて観るって高校生以来かも。初日に勇んで行くのもー。
 でもでもサントラCDがアイスクリームやポップコーンと並んでて悲しかった。雑誌評は貼ってあったけど,リサイタル(6/8)のチラシやお知らせはなかったよん。プログラムがシャンテシネの制作じゃないからシナリオ再録がなかったのも残念。

第11回東京国際映画祭(1998)最優秀芸術貢献賞,1998年カナダ・ジェニー賞 最優秀作品賞他計8部門受賞。日本がアメリカ・ヨーロッパに先駆けての公開らしい。
May. 22, 日比谷シャンテシネ1

■I・N・D・E・X

1999
 『レッド・バイオリン』

1998
 『仮面の男』
 『ゴダールのリア王』
 『タンゴ・レッスン』
 『ハムレット』
 『ルナ』
 『私家版』

1997
 『コーリャ愛のプラハ』
 『ジュラシック・パーク』+『ロスト・ワールド』
 『リディキュール』
 『マルセリーノ・パーネ ヴィーノ』
 『花の影』
 『夜半歌聲』
 『リチャード三世』
 『月下の恋』
 『暗殺の森』<完全版>
 『イノセント』
 『リチャードを探して』
 『世にも憂鬱なハムレットたち』

1996
 『太陽と月に背いて』
 『家族の肖像』
 『南京の基督』
 『コックと泥棒,その妻と愛人』(Vol.-3と同じ内容です)

 ■ある日の映画論


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