美術批評2014/4/20 更新) トップページへ戻る
創作(2009/5/20 更新)
 小説「死の舞踏についての短い報告」(32枚 2009年5月7日脱稿)
 小説「地しばりの花」(150枚 2009年6月20日脱稿)
 
短歌「良寛断章」(『名古屋民主文学』96号 2010年11月25日)
芸術論・美学ノート(2009/6/20 更新 *クリックすると当該項目へジャンプします
油彩技法覚書(2008/3/10 更新

芸術批評/創作
[ランス美術館展](2017年、名古屋市美術館)

 名古屋市がフランスのランス市(藤田嗣治が最晩年を過ごした町)と姉妹都市契約をむすび、それを記念してランス美術館が所蔵するフランス絵画と藤田作品を展示しています。私がもっとも注目したのは、ダヴィッド≪マラーの死≫(1793年)でしたが、図版のものと較べてくすんでおり、拍子抜けしました。藤田の作品はキリスト教の聖書伝説による主題がズラリと並んでおり、戦時期に天皇崇拝して戦争画を描いた彼が、いとも簡単にカトリックに宗旨替えして、宗教画を描いたのには、あらためてため息の出るような時代に翻弄される美意識の無残さを覚えました。(2017/10/17)

[ジャン・フォートリエ展(2014年、豊田市美術館)
 フランス戦後絵画を切りひらいた画家と称せられますが、その背景には、第1次大戦で毒ガス線を体験し、第2次大戦ではゲシュタポに逮捕されて逃亡し、匿われた先で、レジスタンスの処刑される銃声を聞いた人間観の変容があります。戦前期の黒と茶主体の重厚な人物画から、戦後期の形が崩れが「人質」シリーズなど、じっくりと味わいたい絵が多いのですが、なにせ、当日は中学生の絵画教室があり、100名を超える大集団が団体鑑賞してお入り、とても騒音で鑑賞できる雰囲気ではありませんでした。とても残念な体験とはなりました。(2014/8/21)

[挑戦する日本画 1950〜70年代の画家たち(2014年、名古屋市美術館)]
 現代日本画を代表する画家たちの作品が網羅されており、とくに前衛系からも汲みあげているのでいるので参考になります。しかし、日本画を革新する潮流は、洋画と見まがうばかりの描写であり、ただ画材が顔料という違いがあるだけです。日本画の絶対的な限界は、画板を離れた表現がほぼ不可能であるところです。洋画風の技術を駆使しても、洋画に近づくだけで、日本画の独自性とは何か、打ちだし得ません。もはや、日本画と洋画というジャンル分けは、絵の具の差異にしかなく、境界はありません。日本画が生き残るとすれば、日本文化の精神性にどこまで迫れるかではないでしょうか。その点では、杉山寧≪季≫(1974)が、リアリズムを昇華したような精神風景を浮かびあがらせて、強く印象に残りました。(2014/7/20)

[第67回日本アンデパンダン展(2014年、新国立美術館)]
 本年も多彩な出品であり、現代日本の現存在と向き合う作品が多様なジャンルで出品されていました。本格的なプロとアマチュアリズムが混在するなかで、現在の民主主義を願う日本の美術潮流の実態がそこに晒されています。私も、国家機密法を主題とする作品を出品したのですが、ある新聞ではおどろおどろしい作品とともに、未来への希望を示す作品群があると批評していましたが、「おどろおどろしさ」を消極的に評価する批評は、かってのリアリズム批評の悪しき伝統を引きずっており、とても残念な気がします。ひときわ目立つのは、コラージュを駆使した作品であり、またインスタレーションの作品にリアリテイがありました。この団体を主導する作家たちの作品が、意外と古典主義的で静的な作品が多かったのも印象的でした。現代の時代状況と真正面から向き合って、芸術的に昇華された作品に到るという課題では物足りなさを感じました。
 ついでに覗いた国立近代美術館の所蔵品点では、日本の近代美術を代表する作品が、潮流を越えて陳列され、とくにプロレタリア系の美術作品が多くあるのには驚きました。さらに藤田や小磯などの戦争画が、松本竣介や麻生三郎の作品と並んで無造作に並んで展示されているのにも驚きました。会場の若い女性警備員が、そうした問題意識を聞いて、初めて聞く話のように受けとめているのも、新鮮というか時代の流れを改めて感じさせられました。帰するところ、現代のリアリズム、リアリテイとはなにか、が改めて問い直されていることをひしひしと感じた次第です。(2014/4/1)

[チェスワフ・ミウオシュ『囚われの魂』(共同通信社、1996年)]
 スターリン独裁の全盛期にフランスに亡命したポーランド作家の赤裸々な東欧圏社会主義リアリズムの告発物語であり、誇り高い東欧圏の知識人が祖国への想いと独裁の恐怖のなかで、どのように振る舞ったかがリアルに内面に迫る表現となって描きだされています。近年まれにみる迫真性を覚えた著作となりましたが、あらためてスターリン主義がマルクス主義に及ぼした致命的な負の遺産を考えさせられます。とくにソ連を輝かしい理想としてみずからの生に位置づけた世界の変革運動の取り返しのつかない犠牲の意味について考えさせられます。しかし訳者の工藤氏は、日本の変革運動に引きつけて清算主義的にニヒルな冷笑を以て臨んでいる姿勢は、日本の知識人のエアコンの効いた研究室での甘ったれた本質が露呈しており、みずからを犠牲者として美化するナルシズムに陥って、日本の苦しみを打開する方途についての責任意識が欠落して、更に哀れな無残となっています。社会主義リアリズムの悲惨な失敗を現在の時点で再審する方法は、こうした清算主義にはなく、失敗の根元に迫り、その構造と原因を明らかにして、訣別を選ぶかそれとも奇跡的な再生への道を考察するか、考え抜くところにあります(2013/11/6)

[「戦争と美術」(神奈川県立近代美術館・葉山)]
 戦時期までの戦争を描いた日本の画家たちの戦争画を中心に、詳細な展示が試みられており、圧巻です。戦後は左派となる内田巌は、もともとからのリアリズムの直球勝負で複雑なものがあります。シュール系の池田龍雄も同じように戦争協力から戦後は左派に転じましたが、その独自のシュルレアリズムは圧巻です。問題は藤田嗣治の戦争画であり、テーマを離れて芸術性が論じられるとすれば、確かに凄い描写力であり、反戦画のテーマとしても充分に成立する表現となっているのが、困惑させられます。何を描こうと、芸術は時代を超えて存在するというテーゼが実証されそうで、戸惑わされるのです。もう一度よく考えねばと思いました。海外赴任から一時帰国した息子夫婦と熱海に泊まり、翌日妻とこの美術館に行きましたが、いつものように素晴らしいロケーションで堪能しましたが、少々下痢気味となったのには困りました。(2013/8/10)

[フランシス・ベーコン展](豊田市美術館)
 なんでしょうね、この絵は。晩期資本主義の追いつめられた感性の叫びなのでしょうか、ヴァチカンの頽廃に対する告発なのでしょうか。図版でよく見る絵の本物が、意外と衝撃力がないことは何を意味するのでしょうか。ようするにアメリカの市場原理は、なんでもありということなのでしょうか。こうした絵が美術館に収納された瞬間に、ほんらいの作家の訴えを失うような気がします。ただたしかな事は、この作家は全世界のカソリックを敵に回したということであり、ローマ教皇がこの絵を微苦笑してみれば、彼はほんtごうに地上における神の代理人であるでしょう。いつもながら、この美術館は大独占企業のお膝元で、、莫大な資金援助を仰ぎながら、前衛芸術を展示するパラドクスにあります。そういえば、今日は6月15日でした。(2013/6/15)

[アジアをつなぐー境界を生きる女たち 1984−2012](三重県立美術館)
 名古屋から車を飛ばして、伊勢湾岸自動車道を行ったらかえって遠回りで2時間以上もかかりました。日本の美術館が、現代アジアの女性の表現を主題として展覧会を開催する問題意識に、まず敬意を表したいと思います。主題は、アジア女性が生きる現代アジアの問題状況を、ジェンダーの視点から政治と家父長制の二重の抑圧を描いていますが、多くの女性作家がドイツ在住であり、そこには脱亜入欧のとまでは云わなくても、欧米的な視点からアジアを見る傾向がうかがわれ、とても複雑です。圧巻は、たしかフィリピンの反体制運動をコラージュをこらした表現で描く作品でした。この作品だけは、単に現状を超える課題意識があります。しかし多くの作品は、女性独自の視点から現代を切り取っていますが、未来を切り開く視点がなく、現状への告発か耽溺に終わる混迷を示しています。特に中国の現代アートは、ある種のグロテスクとなり、ほとんど方向性を提示していません。日本の女性作家は、沖縄を主題とする鋭角的な表現がありますが、なにか脆弱性が感じられます。アジア芸術の伝統的な様式の影響を受けながら、なお脱出しようとして、オリエンタリズムに絡めとられる危うさを覚えました。率直に言って、これほどにテクノロジーを駆使する表現がアジアにあるとは思いませんでした。(2013/6/14)

『松本峻介展(世田谷美術館)』
 松本峻介の全貌が分かる大規模な展覧会です。印象派から構成主義、シュ−ルレアリズムなど西欧様式のさまざまの刺激を受けながら、、独自の表現の世界を切りひらいてい行った流れが時代順に配置され、挿し絵や家族や友人への手紙など膨大な資料が展示されています。驚くべきことに、あのファナテックな戦時期にあって、戦争宣揚画が1点もなく、屹立する作家像や風景など、決して反戦ではありませんが、時代精神から独立した矜持を感じさせる作品群は、牢固たる日本の市民的センスの潮流の深さを実感させます。それにしても、この区立美術館は壮大だ。

『福沢一郎展(福沢一郎記念館)』
 間違って展覧会終幕の翌日に行ったら、閉館でしたが、なんと息子さんが開館してくれ、まだそのままの作品群を見せていただきました。私は福沢一郎のことはよく知らないのですが、あの馬の絵だけはなぜか強く印象に残っています。瀧沢修造などど日本のシュールレアリズムの世界を開き、戦時期は弾圧を受けて転向したのでしょうか。息子さんが珈琲を出して歓談して下さり、感激しました。驚いたことに、愛知県のかっての桑原幹根知事が、福沢のコレクターであり、愛知県美術館に相当数の作品が収集されていることを聞き、また驚きました。(2012/6/2)

『近代日本絵画と戦争(板橋区立美術館)』
 新人会中心の戦争と戦後の戦争を主題とした絵画の特集で、こうした展覧会はこの美術館独特の理念がある。山下菊二の異彩を放つ強烈な情熱は打ちかちがたい迫力とするどさがある。残念ながら、現代の若い感性はこうした感性を理解できないのではないだろうか? しかし大震災と原発事故を経て、同じような問題状況にある。(2011/5/27)

『麻生三郎展(愛知県美術館)』
 この美術館にしてはめずらしい反体制派の展覧会だ。新人会で活躍した戦前期の厚塗りのレジスタンス的な情念に対して、戦後は同じようなテーマなのですが、抽象度が深まり神秘主義に傾斜している。(2011/5/22)

『カンデインスキーと青騎士(愛知県美術館)』
 ロシアの革命期の先端に参加して激動期を生きた画家とロシア革命の現実がなぜ共存できなかったか? この夢のような絵を見ていると分かってくるような感じがするのですが、彼のようなピュアーで清冽な精神が離れていったのはとても残念です。(2011/4)

『2010自由美術名古屋巡回展』
 第74回自由美術展に入選した全国巡回対象作品と、中部地区の入選作を集めた展覧会です。それぞれ全力投球し技術的にも探求の跡がうかがえる作品群がならんでいます。しかしこの画一的な抽象風景はいったい何なのでしょう。対象に対するニヒルな把握が蔓延しているような感じです。本日は批評会があって小川なんとかという人がきたのですが、その人自身の絵がルネサンス天井画の盗作のような現代画で、これでは自由美術の過去の栄光も駄目になるという危惧を抱きました。この作家は文化庁のプロジェクトに参加しているとかその他各種の権威付けをやるのですが、ひょっとしたら自由美術協会も批判的美学精神を喪失しつつあるのではないでしょうか。愛知県美術館にて。(2011/1/8)

『シャガール ロシア・アヴァンギャルドとの出会いー交錯する夢と前衛』(東京芸術大学美術館)
 ひさしぶりに小降りの雨の中を上野の森にいきました。うっそうとそそりたつ大木の樹々はさすがに恩賜公園であり、そのなかに立地する煉瓦造りの大学は、日本の芸術アカデミーの面影をただよわせています。開館の10時すこし前にいくと、すでに若い男女が大勢ならんで待っています。おそらくシャガールに惹かれてのことでしょう。この展覧会はフランスのポンビドーセンターのコレクションであり、シャガール、カンデインスキー、ゴンチャローワなどの代表作がならんでいます。
 この展覧会の最大の問題点は、ロシア革命という現代史の激動の渦中にあった芸術家の表現を革命と前衛という視点から捉えるという、当然の現代美術史の課題を無視し、ただアヴァンギャルドという感性の変容の問題としてとらえていることです。革命過程で抑圧されていったロシア前衛芸術の悲劇が浮かびあがってきません。(2010/1011)

『2010 第74回自由美術展』(東京国立新美術館)
 私は初めてこの公募展に初出品し、初入選しましたので、いったいどのような作品群になっているのか興味を持ってみました。この団体らしい抽象主義的な描写方法による作品群がほとんどで、社会派的なテーマや曖光的な作品は多くなく、抽象のなかから何が浮かびあがってくるのか判然としないものもあります。この団体のめざす芸術の指標が、ある種の強烈なメッセージ性をもって伝わってきません。たしかに表現技術の手法は熟練されたものがありますが、どこかに模索と彷徨の姿があります。私の作品に対するコメントは、「個性的な存在感があるが、少し表現対象を整理してもよい」という的を射たものと、「政治ではなくあくまでも絵を。民族表現にリズムを感じる」というすこしピントはずれのものがあります。(2010/10/11)

『森村泰昌 なにものかへのレクイエム』(豊田市美術館)
  有名な赤の広場でのレーニンの演説シーンを自ら扮して撮影している作品には、強烈な印象を受けた記憶があるのですが、この展覧会は彼の人物に扮する写真の代表作が集まっています。DVDやTVなどの動画作品もあり、独自の表現世界を切りひらいたことはよく分かります。彼の思想をもっともよく示しているのが、三島由紀夫の自決シーンの演技での演説ですが、その台詞は三島のものではなく森村の現代アートへの批判的メッセージです。商業主義やコマーシャリズムに取りこまれて、主体性を喪っているアーテイストを批判するのですが、では自分の作品はどうかというと、なんでもかんでも有名人をアナーキーにとりあげて、独自の視点からの体系的なメッセージがありません。たとえば、赤の広場のレーニン演説の場面では、旧ソ連政府が編集した写真では途中から側にいるトロッキーが削除されていくのですが、こうした検閲表現を追求すると面白かったかも知れません。とにかく有名人であれば誰でもいいというスタンスこそ、かれの市場主義芸術の本質をはしなくも示しています。いっけん反権力的なイメージもじつは資本によって取りこまれて、カタストロフィの手段となってしまうのです。或いは藤田嗣治など最大の戦争協力画家で体制派でありながら、なんの批判もなく媚びているような扮し方です。ここに森村の限界があらわれています。しかしどうもこの美術館の展示思想は、歪んだエリート主義が感じられます。豊田市美術館。ほとんど観覧者なし。(2010/8/17)

[『コレクションをきわめる』(名古屋市美術館)]

 観客が私一人というのが最高だった、こういう雰囲気で誰にも邪魔されず絵と1対1で対するのがいい。名古屋市美術館が収納する著名作家或いは問題作を、なんとかあるテーマの下で無理矢理に整理して展示してあるという感じですが、キャプションがていねいすぎるほどにていねいでゆうどうされているようでした。しかし後からふり返ると印象に残っている絵がないので又驚きました。常設展でユダヤ人画家か写真家らしい収容所の作品がありこちらは深く印象にのこりました。名古屋市美術館にて。観客数名。(2010/2/10)

[第41回日展 東海展]
 驚きました、この観衆の多さには! しかし中高年の素朴な顔つきの人ばかりでまた驚きました・・・。洋画を中心に見ましたが、具象をいかに幻想的に書くかで勝負が決まりそうで、なにか時代をほんとうに生き抜こうとしているのか、疑問に思われます。このように唯美の世界に没入しているのも表現の自由の範囲であり、ようするに私には無関係な世界で敷かないと実感しました。彫刻部門は横目で通り過ぎました。なにかロダンの模倣作品が気味悪げにならんでいるようで、異様な感じがしました。愛知県美術館にて。(2010/2/10)

[『ロシアの夢 1917−1937 革命にかけたアヴァンギャルド』(岡崎市美術博物館)]
 ロシア・アヴァンギャルドの全貌に迫ろうとする意欲的な展覧会で、絵画を除くデザイン、パンフ、建築、衣装、書籍、映画など当時の原物かレプリカが展示されて圧巻です。ロシア革命や前衛芸術に興味を持つ人にとっては、垂涎の展覧会でしょう。展示は、革命前(1913−17)・革命宣伝期(1917−21)・ナップ期(1921−289・社会主義リアリズム(1928−37)という4期を通して、ロシア・アヴァンギャルドが、社会主義の理想に参入しスターリン主義によって敗北するまでの過程をえがいています。この展示から印象を受けたのは、@社会主義革命とは独自にアヴァンギャルド芸術が展開されていることA近代主義的なモダニズムと通底していることBスターリン主義がロシア芸術の発展を抑圧しついには死に至らしめたこと、もしスターリン主義の呪縛がなく表現の自由があればロシア芸術はどう展開したか想像したくなりました。それにしてもなぜ絵画はないのでしょう。岡崎市美術館が保守風土の強い土地でよくこのような展示会を企画し得たと思います。(2010/1/30)

[『日本の自画像 写真が描く戦後 1945−1964』(愛知県美術館)]
 日本を代表する11名の写真家が、戦後日本社会のありようにどのようなまなざしをもち、どう表現してきたかを、フランスの日本写真研究家フューステルが編集した作品展です。従って欧米的な視点による日本戦後写真家へのアプローチの特徴がうかがえます。最初に巨匠といわれる人たちの戦争協力の活動に対する自己分析はカットされ、そのまま戦後活動に入っていますので、そこにこのキュレターの限界があります。
 写真とはリアリズムであることを痛感しますが、それを象徴化する動きが強くなるまでの編集となっています。戦争と戦争犯罪、すべてを水に流す日本、集団主義文化、苛烈な成長欲望といった日本社会の感性が溢れでて、やはり奇跡的な高度成長を遂げていく必然性が分かるような気がします。(2009年12月4日)

[『絵画と写真の交差ー印象派美術の奇跡』(名古屋市美術館)]

 かって写真が登場する前の絵画は、身分証明のポートレートや見合いの意味を持っていましたが、写真の登場によって一瞬を切りとる表現が絵画に大きな影響を与え、また写真も絵画表現技術から大きな影響を受けていく過程を実証的に展示しています。写真機や写真技術の展開過程を示す実物展示も面白く、ただ印象派以降の展開をもみたかったように思います。(2009/12/4)

[美術集団8月展(愛知県美術館12F)]
 今回は相当な力作がそろっているように感じました。指導者の水準はやはり高く、成熟しています。若い人の表現主義的な絵画は、アメリカ的なモダニズムの影響を受けているのでしょうか、フィリピンの作家の工場ラインを描いた作品はシュールで鋭い問題意識を表現しています。(2009/12/4)

[あいち平和美術展(愛知県芸術センター)]
 今回はかなり広い部屋を使っての展示会であったため、幅広き出品者が見られ、シュールな抽象画や平山風のシルクロード風景、200号近い裸婦など高度の技を駆使する力作がありました。私が所属する画会以外の日頃接しない画家達の作品に触れることは画期的でした。小生自身の作品は最近の筆力の衰えを反映し、かんばしい批評はありませんでした。(2009/8/8)

[ゴーギャン展(名古屋ボストン美術館)]
 彼の有名な代表作「人間はどこからきてどこへいくのか」をふくむ作品がずらり並んで圧倒されます。くすんだ色が基調ですが、どうも私はピンときません。代表作は横長の大作でしたが、今日ではそれほど大きくは感じません。やはりゴッホの生き生きとした精彩とくらべると、沈んだメランコリックなものが多く、時代精神の違いを感じました。こんなに観衆が多いと、それだけで疲れますので、私はおおぜいのなかではみたくないのです。(2009/5/12)

[だまし絵(名古屋市美術館)]
 みる者の視覚の錯誤や擬人化作用、非実在を描いて対象の本質に迫ろうとする手法を中心とする絵画を古今東西から集めて結構楽しめるものがありますが、王室権力への媚びへつらいから幽霊や純粋なだましの技術など広範囲です。多くは技術主義で美学の奔流から外れていますが、河鍋暁斎の幽霊は、江戸期の不安がただよっているようで、考察の対象に値すると思いました。こうしたテーマは観衆を集めやすく、中高年女性で満員盛況でした。(2009/4/23)

[アヴァンギャルド・チャイナ 中国当代美術20年(愛知県美術館)]
 私は率直に言って、文革以降の現代中国美術の一端に触れていささかの衝撃を受けました。これらの作品が現代中国美術の全貌を示しているとは思いませんが、いわゆる前衛と称せられる潮流が、このような暗中模索ともいえる不安とニヒルにおちいっているとは思いませんでした。しかも日本では公然猥褻で問題視されるような露骨な表現もあり、現代中国の表現の自由の「氾濫」にも注目しました。しかし表現の自由の肝心な点である政府と党批判は巧妙に回避されており、だからこそアンチ・ヒューマンなデカダンスに近いような表現に落ち込んでいるのでしょうか。しかもこれらがクリステーズ香港のオークションで1億ー10億の天文学的な価格で落札されている実態は、あたかも村上隆の芸術起業と酷似しており、なんとも社会主義至上経済を歩む現代中国の芸術世界の変容に考え込まざるを得ないのです。とにかく私は現代中国美術に本格的に接したのははじめてなので、どのように分析したらよいのか戸惑うばかりです。とうぜんに社会主義リアリズムは姿を消していますが、影のようにそれが背後に沈潜しているような感じもあり、いったい中国の芸術家たちの生活と思想のあり方に興味をもつこととなりました。しかし考えれば、1960年代の日本の前衛的な手法をこらしたシュールな表現が、一時代を回って中国に起こっているのだろうかなどと思うのです。ポイントは、社会主義中国における集団と個人問題の凝集的表現として美術があるということではないかと思います。これはほんとうに凄い問題です。以下はパンフにある中国美術評論家による現代中国美術史の段階区分です(参考までに)。

 中国美術は伝統絵画・リアリズム美術・モダニズム美術の3潮流の矛盾と浸透にある
 1960年代は留学生を中心とする西欧リア入りズムの学院派アカデミズムが主導権を握ったが、しだいにソ連派社会主義リアリズムが主導権を握り、1966年の文革を契機にプロパガンダ芸術が制覇したが、1976年毛沢東死去を経て開放に向かう

(1980年代)学院派アカデミズムのリアリズムの再建とモダニズム芸術のせめぎ合い
 星星画会 前衛芸術運動の先駆「コルヴィッツは我々の旗印であり、ピカソは我々の先駆者である」とする社会変革と言語革新をめざす「頽廃芸術」的傾向
  1982年反精神汚染運動に終息
 85ニューウエーブ運動 1984年反汚染運動終結による官製芸術批判、革命的リアリズム否定運動 ユートピア幻想に向かう 1989年文革による終焉 大量出国
  社会変革への参与か反政治独立芸術か、コンセプチュアル・アートか道具主義かという2つの論争点(エリート主義で共通)
  コンセプチュアル・アートの方向として@芸術存在論の革新(芸術の抹殺)A政治的プロパガンダの脱構築(ダダイズム)
  B純粋理性形式主義C隠喩による批判D手工芸を駆使した無意味化(ダダと禅思想の結合)E自我熱狂((ニーチェと禅思想の結合)

(1990年代)生活と現実に回帰する国内派とエリート主義的海外派の2潮流
 1990−95年 海外派のグループ形成と異文化接触の作品化、一部は抵抗派・地下芸術として市場価値を発揮
  国内派 シニカル・リアリズム、ポリテイカル・ポップ(大衆運動の集団的熱狂の消滅)
   85新潮流のエリート的理想主義・普遍主義否定による大衆文化への回帰とポピュリズム(新保守主義と功利主義への転換)
   1992年改革開放による商業化・市場化
   実験芸術 集団創作によるプログラム・アート、商品化に対抗するインスタレーション・パフォーマンス

 1995年以降 海外派のグループ展から個展への移行(成熟)
  国内派 生活水準と創作条件の上昇と国際的活動への参入 大衆からの離脱と関心の個人化 商品経済の熱狂への包摂


                                               (2009/4/25 10:01)

[第62回日本アンデパンダン展(国立新美術館)]
 今回は「戦場の少女」(F120号)と「非正規のバラード」(F12)の2作品を出品し、29日の合評会に出席するために上京しました。以下はその行動概要です。
(3月28日)
 ジパングで新幹線に乗りましたが、「ひかり」しか乗れませんので少々時間がかかりました。「のぞみ」がほとんどで「ひかり」は1時間に1本程度なのです。このダイア編成には大いなる疑問を抱きつつ東京に向かい、地下鉄・丸ノ内線から神田に向かい、古本屋街を散策しました。ちょうど春の古本祭りが開かれており、路上にひろげられた古本を物色し、宅配便で郵送しました。息子と六本木で待ち合わせし、俳優座劇場で人形劇団ひとみ座「マクベス」を鑑賞しました(当日券5000円は少し高いですが、すぐ手に入りました)。人形劇はひもで操るのではなく、人間大の人形を黒子が操るので相当に迫力があります。夜7時開演で9時半終了です。会場は満席。終了後に劇場隣の居酒屋風の店に入り、酒と夕食をとって息子のアパートへ行きました。六本木の飲食費は相当に高く設定されています。
(3月29日)
 朝はひとりで六本木の新国立美術館に向かい、会場と同時に入場しました。観客はすくなくじっくりと鑑賞することができ、シュールな絵に教えられるところがありました。これだけ多くの作品が玉石混淆で陳列されていると、ひとつひとつの作品と対話するよりも、ザーとみるような感じがでてしまいます。昼の待ち合わせていた妹と弟夫婦と合流し、部屋別の合評会に参加しました。わたしの作品にはあまり批評がなく、「目がひきつけられる」といった程度でした。司会者が最初に「あまりけなさず、励まし合うような合評にしましょう」といったので、突っ込んだ批評がなくもの足りませんでした。2時過ぎから増山麗奈さんのパフォーマンスがはじまって、30分ほど鑑賞しました。タンゴのチームの踊りと、金銭社会を批判するパフォーマンスですが、意味をくみ取るのに苦労しました。下手な大道芸のようでもあり、意味ありげでもあり、若い世代のアッケラカンとした表現はなにか浅薄な感じがしました。しかしメッセージ性のただよう展覧会に、このような若い感性が育っていることに、あらたなエネルギーを感じたのは事実です。
 美術館を出て駅の近くの喫茶店に行き、珈琲を飲んで近親の四方山話に花を咲かせ、名古屋風の飲食店で鍋を囲み、またアレコレと話をして分かれました。甥の結婚が近いという知らせで、世代の継承と交代を実感しました。東京発の「ひかり」自由席はガラガラで、採算が少し心配になりましたが、ゆっくりと帰名することができました。(2009/3/30 8:21)

[日本のうたごえ全国協議会「2009年全国創作合宿in福井」(09年1月30日ー2月1日)]
 ピアノを習い始めた私は、生まれて初めて創作意欲というものを味わい、処女作「非正規のバラード」を作曲しましたが、作品の評価を求める気持ちも強く、あえて勇気をふるって今回の創作合宿に参加したのです。勇気をふるったのは、こうした歌声の世界は学生時代以来何十年ぶりであり、新宿の歌声喫茶「ともしび」も10数年前に行ったきりで、この世界とは縁がなかったからです。さてどんな旅になったでしょう。
(1月30日)9;57(?)発の特急「しらさぎ」に乗って芦原温泉に向かう。集合は18時ですが、福井市美術館の高田博厚展をみてみようと思ったのです。福井駅からタクシーで10分でしたが、代金が1700円とこれは予想外の出費でした。広大な公園の中にあるモダンな美術館は、観覧者はゼロで私一人でみることになりました。高田氏の膨大な作品群がありますが、ロダンのヒューマンな傾向以上のものではありません。対象が昭和期の著名人のものがほとんどで、彼のの交流がうかがえます。それ以上ではありません。もっと内面的な時代との格闘を期待したのですが。図録を3600円で購入し、北陸本線で芦原温泉に向かいました。車中は高校生が多く、地方高校生の風情がうかがえました。芦原温泉駅に着くと、地元の合唱団の送迎係風の人がいましたので、運良く民宿前田まで行くことができました。荒れた天候で海は騒いでいましたが、雪がまったくないのに驚きました。6時の夕食が凄いメニューで北陸料理を堪能し、7時頃から創作発表が始まりました。初参加者の自己紹介から入りましたが、全体に温かい雰囲気で私は門外漢風の少々気恥ずかしい自己紹介でした。次に創作発表に移り、途中で帰る人から優先して発表しました。私は2番目に唱ったのですが、なにしろこういう場で唱うのははじめてなので戸惑いました。全員が唱和してくれるのは、創作者としては嬉しい限りでしたが、私の歌はどうもうたごえ運動の主流とは外れているようでした。いわゆるうたごえ運動は、独特の統一的な世界を形成しているようで、一言で言えばともに手を取って苦しい中を生きていこうという内容、明るく共感を求めるようなメロデイという感じです。感傷に陥るのを寸前で食いとめ、未来へのゆるがぬ信頼という絶対の枠があります。若いメンバーも底抜けの正義の善人という感じで、現代では「異様」とも云える協和的人格の感じがありますが、こうした若い感性が連綿と継承されていることに深い感慨をいだきました。その根底には、職場で排除されている変革者ならではの連帯感が身体化されているのでしょう。ここに表面的には似ている雰囲気の宗教教団とは本質的に異なる人格集団があります。
 高校を卒業し半生をライン労働に捧げたトヨタの人と深夜2時頃まで時の過ぎるのも忘れて話し込みました。少数派労働運動をくじけることなく続けてきた完成された人格の核のようなものを感じました。左翼学者に対する鋭い批判はさすが現場の感覚を感じました。
(2月1日)
 わずか5時間ぐらいしか眠れませんでしたが、7時過ぎに目が覚めて温泉に入りました。すこししょっぱい温泉で充分に暖まって、朝食を食べました。笠木透氏の隣に坐ったのですが、いろいろと面白い話が聞けました。会場を知的障害施設のはすのみの家に移して、最初は地元の合唱団と芦原中学ブラスバンドの演奏をきき、ついで知的障害者の合唱を聴きました。全身を躍動させて歌い上げる障害者の合唱はとても感動的で、一切の虚飾を排した生の身体から発する原初的ともいえる合唱を聴きました。この知的障害者の合唱団は、うたごえのオリジナル曲を全身で歌い上げるので、私は強烈な残酷さが綯い交ぜになった感動を味わったのです。次いで笠木透と雑花塾の演奏があり、笠木氏の講演を織り交ぜながら、瀬戸内の島の人の歌と沖縄の民謡を堪能しました。笠木氏はホンネから迫る歌声運動への問題提起と激励を含む講演でしたが、いまいち胸に落ちるものはありませんでした。それは言い古されてきた精神主義的なメッセージであり、現在の痛ましい情況を切りひらく具体的な展望にはなり得ませんでした。次いで首都圏青年ユニオンの若者の歌についての報告がありました。現代の若者が誠実そうでやさしく、癒しを求めているようなスタイルはおそらく現代青年の全体的なありようなのでしょう。1960年代の熱に浮かされたような大言壮語は、すぐに転向してしまうのです。
 次いで創作曲の発表に移るのですが、私はここで切り上げて帰途につきました。現代の歌声運動は、60年から70年代の激動をくぐり抜けた鍛えられ済みの中年労働者と、癒しを求める若者層に分化された世界があるように感じました。帰途の特急しらさぎは、強風で1時間遅れとなって名古屋駅に着きました。居酒屋ですこし飲んで帰宅となり、疲れたのですぐ寝てしまいました。日比谷公園・年越し派遣村に激励に行ったうたごえメンバーが、何を唱ったらいいか分からなく戸惑ったあげくに、「ふるさと」「翼をください」を唱ったそうですが、ここに現代の情緒的な感傷に回収されては行けない複雑な状況が象徴されているように思います。今回の経験は、現代の労働者を取りまく意識の特質と未来性をもう少しじっくりと考えてみる契機となったように思います。(2009/2/1 16:34)

 *創作曲

 非正規のバラード (作詩・作曲 荒木國臣)

 さがしもとめて  あてもなしに
 今日のしごとは  はるかかなた
 おれののぞみは ゆけばとおく
 あめにうたれて 星のしずく
 おれはあゆむぞ ひとみかかげ
 やみのむこうに きぼうもとめ


 歩き疲れて たどる道は
 明日のしごとも 消える夕陽
 おれののぞみは 山のむこう
 風に吹かれて 落つる木の葉
 おれはあゆむぞ ひとみかかげ
 やみのむこうに きぼうもとめ

 みちはとだえて 夜のしじま
 灯るしごとは 雪に埋もれ
 おれののぞみは はてなき夢
 春にめばえて あわくひかる
 おれはあゆむぞ ひとみかかげ
 やみのむこうに きぼうもとめ



 以下はデザイン科専攻の学生の感想(2009/2/10)

○3連行でできていて、簡単で覚えやすく教科書に載りやすい曲調だ
○おれというフレーズが男性限定でいやだ
○全体的になだらかで仰げば尊しを思い出す、戦争の中で卒業式に参加するひめゆり学徒隊の映画を思い浮かべた
○今の派遣切りにあった人たちが唱うとすごく合うと思った
○分かりやすいのか、抽象的なのか、前向きなのか、暗いのか判断しづらい ウーン
○先生の歌の上手下手は云わんけど、内容がないようやから、もっと明るい歌にしたほうがよかったんじゃないかと思った
○なんというか、さみしいとおもいました。希望を得ることはできるのでしょうか、せつなくなりました
○歌もよく分からないけど、この歌詞を読んで暗いと思った。おれは歩むぞー以外は前向きな歌詞がないからあまり好きじゃあない
○とてもシンプルで分かりやすい歌だと思った、云いたいことがしっかり表現できていると思った、がんばろうという強い気持ちがやさしげな曲調で充分表現されていてとてもいいと思いました、人生は辛いことや苦しいことばかりではないよと私たちに語りかけているようだった
○非正規の人のために贈るのなら、音を高くして明るくした方がいい、なぜなら気持ちが暗い時に暗いような低音の曲を歌うとテンションが下がるからです
○この歌はなぜかどことなく寂しそうな雰囲気を出している、歌詞にはのぞみやきぼうなど前向きの言葉があるが、曲は夕暮れを想い起こさせる、すこしもの悲しい感じです、歌詞と曲がうまく重なり、ひたむきさがひしひしと伝わってくる、この歌を聴いて明日もがんばろうという気持ちになる人もいるだろう、短いが明日への希望がうまく描かれている
○暗い感じの歌、初めのほうは今のきついという実感がよく伝わってきた、終わりのほうは応援したい気持ちになる
○自分のやりたいことを求めているような歌、かなうのはほど遠いけどなにがあっても希望を求めてがんばる姿が見えてくるような気がします
○この歌の雰囲気は童謡などで流れているような歌だと思いました、初めて聞く歌だけど夕焼け小焼けに曲調が似ていると思いました 
○先生が作詞・作曲した歌は、凄くよい歌詞だと思った、希望を持って生きることの大事さが私に伝わってきた、前向きにこれからも生きていきたい
○歌詞がいまの不景気な感じに合っていて悲しくなります、いまは闇のなかだけどはやく景気が戻ってよくなるといいなと思いました
○男性が唱うと低く聞こえた、楽譜は高い音と低い音が交互のような階段になっていて難しそうと思ったがそうではなかった、なにか夕方のような暗い感じとどん底に落とされたような人がそこから這い上がっていくような気持ちだと感じました
○さみしい歌だと思いました、でも仕事がないときにこの歌を聴いたらよけいに悲しくなってしまいそうだと思いました
○いま派遣切りなどで不況が続く中、みんあ暗い気持ちになっている、くよくよしていても仕方がない、この歌のように希望を持つことが大事だと思いました
○先生が唱っているのを聞いて歌が上手だなと思いました、歌詞は今の世の中にピッタリでこの歌詞のようにのぞみを捨てないでがんばってほしいと思いました
○先生の音程と安定した歌詞でゆったりと聞けました、とてもいい歌なので路上ライブなどでやってみてはどうでしょうか、私も行ってみたらいいと思います
○なんのためにこの曲を作ったのでしょうか、この歌で何か伝えたいことでもあるのでしょうか、先生以外で誰か歌う人がいるのでしょうか、、題名はしっかり考えてつけたのでしょうか、それとも適当につけたのでしょうか、この題名はまことにつまらないと思います、先生は何を考えてこの曲を作ったのか知りたくなりました
○歌の意味がよくわからない、歌おうとも思わないし、歌う意味もない、
○この歌はなぜか昭和を感じる、母が夕飯をつくり子どもたちは泥だらけになって帰ってくる、父は仕事を終え子どもへのお土産を片手に夕方の商店街を歩く・・・そんなほのぼのとした情景が目に浮かぶ・・・しかし歌詞は今の不況を感じさせ哀愁漂う歌詞ととてもシンメトリーで心地よい、最後の希望の三文字が光る、
○教師が突然に自分でつくった歌を歌いだした、なぜいきなり歌いだしたのかクラスのみんなは口をあんぐり開けて教師をみている、教師はなにも気にせずただただ歌っているだけだ、彼には恥じらいという言葉がないのか、彼の歌には敢えて触れない、なぜなら興味がないからだ、こんな変わり者の教師にも妻がいる、妻は彼のどんなところが好きになったのだろうか謎である、彼と彼の妻は一本の赤い糸で結ばれていたのだ
○先生が突然歌いだしたので驚きました、先生の声のせいかとても暗く聞こえました、歌詞に合っていないと思いました
○低い歌だと思いました、サビがどこかよく分かりませんでした、フォルテとかメゾフォルテを使っているのがよく分かりました、日頃からよく歌を聴きますがこの歌は聴いたことがない感じで暗い感じに聞こえました
○この歌は自ら希望を求めて暗い闇にとびこんでいく落ち込んでいる人の応援ソングだと思う、曲は終始低めで暗い感じだけど強調するところはフォルテやメゾフォルテで訴えている、ほんとうに落ち込んでいる人には心に響くだろうと思った

[『ノルトライン=ヴェストファーレン州立美術館所蔵 20世紀の始まり○ピカソとクレーの生きた時代展』(渋谷BUNNKAMURA)]
 ピカソとクレーと銘打っていますが、実はナチスによって頽廃芸術として迫害された独表現派やシュール派に興味を惹かれました。なるほど前期ピカソの対象に迫る描写力は群を抜いており、クレーの象徴表現もその時にあっては衝撃的であったと思います。その他のドイツ表現派こそ、またはカンデインスキーなどの象徴派も、20世紀初頭の緊迫した時代精神を切迫した表現で刻印していると思いました。このドイツの州立美術館の収集思想のコンセプトにも敬服すべきものがあります。(2009/1/28 19:27)

[『名画と出会うー印象派から抽象絵画まで』(ブリジストン美術館)]
 ほんとうにため息が出るような「巨匠」の作品群が、これでもかとばかり陳列されていますが、しかしなにか財力に任せて買い集めたという感じであり、その収集のコンセプトが貧しいことを露呈しています。それはおいて、とにもかくにもこれらの作品群を直接目にする僥倖には感謝しなければなりません。ルオーの深さに満ちた作品は重厚ですが、なぜかそれ以上の思想性がうかがわれません。青木繁とはいったいどういう作家でしょうか。19世紀の日本にこのようなシュール?な肉筆的な表現が可能であった感性はどこにあったのでしょう。晩期の青木は日本的伝統に帰ったようで失望です。1世紀のエジプト蝋画「婦人のミイラ肖像」も驚きです。なぜこのような近代的表情がエジプトで可能であったのでしょう。(2009/1/28 19:53)

[新人画会展ー戦時下の画家達』(板橋区立美術館)]
 ひさしぶりに板橋区に行きました。学生時代の下宿が練馬区にあったので懐かしさが込み上げてきたのですが、都市化による変貌は著しく、かっての面影はなく、住宅がひしめく下町の風景が広がっていました。駅は巨大化し大きなスーパーが占拠していました。有楽町線・地下鉄成増駅からタクシーで行くと、かっての林が残る一隅に小振りの美術館がありました。戦時期に活動し、戦争でバラバラになった若い画家集団である新人画会の主要メンバーの作品が集められています。あい光・麻生三郎・糸園和三郎・井上長三郎・大野五郎・鶴岡政男・寺田政明・松本峻介といういまでは日本洋画界を代表するメンバーです。
 驚いたことに戦時期にもかかわらず、、戦争を描いたのは井上の「漂流」のみであり、その他は人物や風景画ですが、当時の戦意高揚とは完全に独立した静かに訴えるような作品群であり、こうした感性が当時に日本にあったというのが驚きです。解説書で有名なのは、「漂流」「立てる像」「重い手」などですが、実際に目の前にある作品は画録とは相当にイメージが違います。技術的なすばらしさは、さすがに松本峻介ですが、抒情のなかで悲哀を込める糸園和三郎の感性表現に感服しました。「絵があるから生きている」とサブタイトルにありましたが、狂気の時代にあってヒューマニテイーを失わなかった彼らの業績を現代に継承しなければと思いました。板橋区立美術館の展示はこうした新人画会系のものが多く、独自の美術館運営理念を感じました。
 東武東上線で池袋を経て高田馬場から早稲田古本街を散策しましたが、40数年前の風景はなく、古本屋も少なくなっていました。少々寂しい気もしましたが、文系は厚い在庫でさすがでした。東西線・早稲田駅のそばの居酒屋で一杯飲んでから新幹線で帰名した次第です。(2009/1/9 8:44)

[『青春のロシア・アヴァンギャルド』(岐阜県美術館)]
 モスクワ近代美術館の所蔵するロシア革命前後のアヴァンギャルドと総括されるキュビズム、未来派など西欧の先端的芸術創造がうかがえます。重要なことは1917年のロシア革命以前から既成の表現を打破する前衛的な表現がロシアで旺盛に展開され、一時は革命芸術の中心に位置しながら、スターリン独裁の過程で表現の自由は閉塞し、いわゆる社会主義リアリズムの不毛へと政治的に操作された悲劇が分かります。特に革命芸術を領導したマレービッチが最後に、具象的な肖像画を描いているのには暗澹たる感慨をいだきます。その肖像画が傑出していればいるほど・・・・。私はロシア・アヴァンギャルドの革命性を疑問に思います。それは表現技術の奇形的なあり方を極限にまで進め、あたかも表現技術の先鋭化の競争に陥っているように思えます。これらの画家達の人間観の深化とパラレルに進行していないと思います。もし人間観の深化と革命への共感が統合されていれば、政治芸術に転落していく頽廃はなかったのではないでしょうか。社会主義リアリズムがプロパガンダに頽廃することもなかったように思います。人間の気高さと苦悩の時代精神がほとんどうかがえないのです。ナチスの全体主義芸術や日本の戦争画と本質的に通底した手段芸術に堕してしまう悲劇はなかったように思います。開館と同時に入場したので、広い室内は数人です。このような鑑賞空間こそ理想です。(2008/11/27 18:13)

[『沖縄・プリズム 1872−2008』(東京国立近代美術館)]
 いままでの琉球王朝の優雅な工芸品を主とする沖縄展のオリエンタリズムを越えた、沖縄の政治・経済・社会・文化総体を問い直そうとする意欲的な展覧会です。沖縄出身の芸術家に限らない沖縄をテーマにしたものであり、いったい日本にとって沖縄はどのようなまなざしを持って観られてきたかを明治以前からふり返る壮大なものです。たっぷりと時間をかけて鑑賞すべきでしょう。
 同時開催の常設展では、あい光のかの有名な『眼のある風景』と小磯良平などの戦争画が相対して展示してあり、ある感慨をいだかされました。両者が対峙しているのは意図的ではないと思いますが、戦場で餓死した若い画家と戦争に協力した大家の作品が同じ部屋で並んでいるのは、なんとも緊迫感に満ちた、或いは間の抜けた両極の感じが漂います。少なくとも米国から返還された戦争画は、部分展示ではなく一堂に全面公開すべきだとつくづくと感じました。(2008/11/23 14:25)

[『レオナール・フジタ展』(上野の森美術館)]
 藤田嗣治の画家生涯の全貌が戦争画を除いてほぼ展示されています。どうして戦争画をカットしたのでしょうか。職人的技術のの凄さに驚きますが、感動がありません。それは人間認識の違いの故でしょう。しかし戦後フランス国籍取得後の藤田が、ほとんどカソリックになりきったかのように教会を建てたり、宗教画にのめり込んでいく過程はとても興味はありますが、人間と世界認識の方法論的差異の根本的な差異を感じます。藤田は私とは無縁の人だとつくづくと感じました。(2008/11/23 14:41)

[『ピカソ展』(国立新美術館・サントリー美術館)]
 ピカソ美術館全面改装に伴うピカソ作品が時代毎に区分されて展示されている様はまさに圧巻ですが、観覧者が多いので疲れてしまいます。キュービズム以降の抽象描写よりも、前期の無名時代の不安な描写に共感します。ピカソがフランス共産党員である意味を深く考える批評家はいません。同時開催の日展は、成熟した職人技術の集大成という感じですが、現代という問題意識の深さが感じられません。唯美主義の美しさではもはや絵ではないでしょう。日展の限界がうかがえます。(2008/11/23 14:48)

[『ブラジル現代美術展』(東京都現代美術館)]
 深川の江戸情緒漂う界隈を散歩していくと、江戸東京美術館がありましたが、今日は時間がないので入りませんでした。観客はほとんどいなく、閑散としたなかで、私と作品が相対することとなりましたが、正直に言ってほとんど理解できませんでした。いったいこれは今、金融恐慌に喘ぐ貧富の差が極大化しているブラジルの美術なのだろうか。現代美術そのものが私の問題意識をゆさぶらない、はるか乖離したところで表現されているのだろうか? 現代美術そのものを再審する必要を感じました。(2008/11/23 14:54)

[『ライオネル・ファイニンガー展』(愛知県美術館)]
 ファイニンガーは鋭い風刺精神で第2次大戦前のドイツで一世を風靡し、ナチスの頽廃美術展で批判され、1937年に米国に亡命しています。30年代には光と色彩が織りなす独特の透徹した絵画世界を追求しますが、ヒトラーに嫌われたのです。正直に言って米国の現代美術の冷たい、無機質の、人間的な豊かさを削った美しさがあります。それ以上でもそれ以下でもありません。同時展示の西欧20世紀美術展と日本近代洋画の展開に引きこまれました。どこか画集で紹介されている代表的な絵画が集中的に展示されています。愛知県美術館の企画思想がよく分かりません。先鋭な画家と通俗的なものが同居していますが、いずれも目を留めるべき作品です。じっくりと鑑賞すべきでしょう。(2008/10/23 19:22)

[『ピカソとクレーの生きた時代』(名古屋市美術館)]
 ドイツのノルトライン=ウエストファーレンというなんともロマンテックな名前の州立美術館の改装に伴う収蔵展であり、ピカソとクレーよりもじつはドイツ表現派とシュールレアリズムの作品を初めて見た次第です。マルク、マッケ、シャガール、グロス、スーチン、ベックマン、エルンスト、ミロ、マグリット、マン・レイ、タンギー、カンデインスキーなどなど凄い作家の絵が並んでいます。これらの画家達の多くがナチスの迫害を逃れて亡命していることも初めて知りました。こうした作品群をみると、表現における「形式」の意味をつくづくと考えさせられます。大画面はそれほど多くはなく、日本の公募展の大画面主義の虚栄を感じました。さすがに西欧は時代精神との緊張感に満ちた拮抗がうかがえ、それが洗練された芸術性へ昇華させられているところに思想と技量の違いを思い知らされました。帰りに古本屋によって、アントナン・アルトー『神経の秤・冥府の臍』を買って帰りました。(2008/10/23 15:44)

[『熊谷守一展』(岐阜県美術館)]
 熊谷守一は単純化した色と線でアニメのような効果を持つ絵ですが、どうもピンときません。むしろ、正統派の油を暗いタッチで厚塗りした「蝋燭」の方に注目しました。常設展は抽象画のごた混ぜといった感じで企画の意味がいまいちよく分かりませんでした。私は他人と一緒に絵を観るということが苦手で、疲れます。わざわざ岐阜まできたのですが、岐阜市内で標識間違いで罰金を取られて一気に気分が沈んでしまいました。帰りに古本屋で油絵のテキストと『レーニンの生活』というかなり古びた写真集を買って帰途につきました。地方の古本屋では意外と掘り出し物があるので面白い。それにしても岐阜県は美術館が少なく、こんなはずではなかったと少々失望しました。(2008/10/1115:31

[『桜井浜江展』(三岸節子記念美術館)]
 名古屋高速から一宮に入って右往左往しながらやっと美術館にたどりついた。土蔵を併設した煉瓦造りの新しい建物が、いなかまちのなかにあった。桜井浜江は初めて聞く名前なのですが、大正・昭和期の女流の一線で活躍したらしい。骨太の厚塗りした迫力ある作品群で、内部にある沈潜した情熱の塊のようなものが噴出している。そのテーマは「いのち」であろうか。赤や黒の抑制された表現だ。なにしろ90歳を過ぎてあのようなエネルギッシュな絵を描いているところに、感嘆し刺激を受けた。三岸節子の常設展も似たような画風ですが、迫力ははるかに桜井にある。問題は戦争期を生きた女流画家の、戦争や社会に対する認識が伝わってこないところにある。そうした次元を越えた原始的生命の噴出といえようが、それはある超越主義であって、現実に対する美意識に日本特有の問題を感じた。(2008/10/8)

[『クロード・モネの世界』・『駒井哲郎銅版画展』(名古屋ボストン美術館)]
 モネを中心にした印象派60点が並んでいます。色の繊細な美しさですが、それほど感動するほどではありません。現代では誰でも描かれような描画ですが、あの時代にこうした色光の織りなす彩を描いたところに時代的な意味があります。しかし「ルーアン大聖堂」などは時代を超えた至高の美の世界を訴えているようです。中高年女性のかますばしい私語が囁くなかでの鑑賞はいっそう疲れます。この名古屋ボストン美術館の理念はいったい何なのでしょうか。大企業の名前が賛助会員として展示されているのを見ると、ゾッとします。
 同時開催の駒井哲郎の版画展のほうにむしろ惹かれました。幻想的な版画の世界がひろがるのですが、ある精神世界を感じさせますが、それ以上何を訴えているのでしょうか、よく分かりません。版画は美術館よりも画廊で静かに対面すべきものです。(2008/7/18 16:47)

[『「版」の誘惑展』(名古屋市美術館)]
 赤瀬川原平、桑山忠明、河原温、荒川修作、星野真吾など現代作家の作品と外国作家の作品が並んでいます。河原温の作品は無意味としか思えません。本人自身もよく分かっていないのではないか。膨大な労力を費やしていったいなにを訴えようとしているのか? もっとも強く印象に残ったのは、ラインハルト・サビエ「ユダヤ人としての自画像」「収容所で」の2作品です。ホロコースト体験を現代作家はこのように描いているのか、ウーン・・・・。日本の作家は訴える原体験と思想の格闘がないので、技術主義に埋没して新奇性を競っているようで、ゴミために捨てられていてもふり向かれないだろう。浮世絵があったり、この展覧会の企画意図がよく分からない。観客がほとんどいないので助かった。(2008/7/18 16:59)

[Eduard Fuchs『Die Karikatur der europaischen Volker』(エドワード・フックス『風刺図像のヨーロッパ史』 柏書房 1994年))]
 原著は1921年に出版されています。著者フックスは、日本では『風俗の歴史』『エロチック美術の歴史』が翻訳されていますが、カリカチュアに関する本書は彼の最初のものです。ジャーナリストで社会主義者であった彼の著書は、当時の芸術学からは低劣な大衆美学としてアカデミズムからは全く評価されず、性や風俗を文化としてみる視点も批判されたようです。彼は1930年代にナチスの迫害によってスイスに亡命しますが、その過程で収集資料は紛失してしまいます。しかし今や彼のテーマは、フランス社会史学派の先駆として、民衆の日常的心性を探った貴重な業績であったことを示しています。
 権力や世相を揶揄するカリカチュアの伝統は日本では非常に弱いものでした。応仁の乱時の京の二条河原の落首が有名ですが、権力や世相を風刺したり嘲笑う落書きや漫画という表現行為は、その基礎に自立した批判精神の成熟がなければなりません。日本ではひそひそ話や陰口はそれ相当にあるのですが、公然と公衆の面前で誰かを揶揄・批判・風刺する精神は成熟した個の精神を示しています。アカデミックな歴史著述では把握できない、民衆の深部にある深層意識と、時代と社会の本質に迫る表現があるように思います。特に印刷術や複製技術、インターネットがない時代には、手書きの落書きや漫画は自己表現の手段としては主要な存在であったでしょう。私たちは、過去の風刺図像から当時の時代の本質に迫り得るのです。
 さてこの書は、古代エジプト、ギリシャ、ローマから始まって、第1次大戦期の社会主義に到る膨大な風刺図像が網羅されています。索引含めて643頁という大著であり、こうした浩瀚の書を出版した柏書房の出版理念にも敬意を表したいと思います。何よりも驚くことは、そこに表現された容赦しない徹底した風刺と諧謔にみるいわば否定の弁証法の精神であり、時には悪魔的な迫力を持って迫ってきます。いわゆる造形芸術の凄さの裏には、こうした民衆の心性があることをつくづくと感じさせます。ホガースやゴヤ、ドーミエなどのメジャーな画家たちの風刺画も登場しますが、そこには風刺画と造形美術の間の差異よりも連続性を感じさせます。
 ひるがえって日本の風刺精神の乏しさにはため息をつくほどの貧しさをも味わいます。最近欧州旅行で世界遺産に落書きした日本人の行為を、日本の恥としてバッシングが加えられ、逆にイタリア人がそのファナテックな攻撃をたしなめるほどですが、ここには本質的な民衆意識の落差があるような気がします。公共建築に平気で落書きがある欧米、特にニュヨークなどではそれがアートとして評価されるのに対して、日本では自由奔放な表現を規制するのに血まなこになっているようで哀れになります。どうも公共の感覚が相当に違うようです。街頭や地下鉄で普通に演奏したり、演説や公演することが日常の風景となっている欧米に対し、日本は縮こまった閉鎖空間で密かにやっています。オープンな精神と閉塞した精神の違いでしょうか。私は決して落書きを奨励しているわけではなく、表現の本質的なあり方の差異を述べたいのです。少し横へずれてしまいましたが、欧米の精神における自由の問題を考えさせられました。(2008/7/9 8:55)

[東京国立近代美術館『東京国立近代美術館名品選 20世紀の絵画』(2005年)]
 国立美術館が所蔵する日本の明治から戦後期に到る近代絵画が日本画と洋画で編成されています。これが果たして名品といえるのかどうか分かりませんが、日本でメジャーといわれる著名画家たちの作品が網羅されています。私は、後ろから時代を逆順に見ていったのですが、画風と作画技術がどう変化していったか、面白くみました。決して官展系の作家のみでなく、在野派の作品も収蔵されています。しかしどのような視点から収集し、日本近現代美術史にどう位置づけるかの芸術思想としての分析は残念ながらごまかされています。いわば教科書に掲載される作品群を並べて終わったという印象です。(2008/7/6 21:59)
 
[民衆の鼓動 韓国美術のリアリズム 1945−2005]
 美術集団8月のグループで西宮市大谷記念美術館にいきました。民族分断と軍事独裁という民族の悲劇的状況の中でアーテイストがいかに生き、表現したのかーその視点は祖国と同胞の生活と歴史を民衆の視点からみるというものであり、民衆美術運動と呼称されるリアリズム抵抗の画家たちの作品が陳列されています。戦前から敗戦期の日本のプロレタリア・リアリズム美術の烈しい表現をはるかに超える切迫した表現があります。それは表現すること自体がそのまま同時に生命の剥奪につながる決死の行為であったからでしょう。ここにある作家は多くが大学教師などの職に就いていますが、おそらくその背後には累々たる無念のうちに逝った無名の作家群がいたことでしょう。さてプロパガンダを越えた、烈しい主張を持って迫ってるリアリズム芸術は、その時代の苛烈な状況へのアンガジュマンであるのですが、時代を超えた普遍的意味を持つ表現に到るかどうかは別問題としてありうるのでしょうか。それとも極限的状況での限定的表現であっても、命がけの表現である限り、普遍性を求めることは不遜であるのでしょうか。
 すくなくとも日本と韓国との芸術表現を触発する条件が、基本的に違うということは分かります。時代や歴史、社会と切り結ぶ表現など見向きもされない画壇状況が日本にはあります。まるでミイラのような化石化したリアリズムが強力に存在する韓国との差異はどこで触れあうことになるのでしょうか。しかしよく見れば、新自由主義市場原理が経済・社会の全線に浸透し、人間の尊厳が毀損されつつある情況は本質的に同質です。問題は分厚い抵抗の歴史を蓄えている韓国と、加害の歴史で彩られ戦争責任処理に失敗した日本の歴史的体験の恐るべき差異は、現代の苛烈な問題情況に立ち向かう表現が大きく違ってくるだろうということです。そうした当然に予測される差異を覚悟しながら、日本の表現者は挑まなければならないでしょう。(2008/6/9 9:13)

[高階秀爾氏の感性を憐れむ]
 高階秀爾死の「美の現在 富士を描く」と題する絵画批評が掲載されています(朝日新聞 08年6月5日朝刊)。氏は東大教養学部を卒業後にルーブルに留学して美術史を研究し、おそらく日本では有数の美術史学者として業績を挙げ、現在は大原美術館館長を務めています。氏の専攻はルネサンス以降の欧州近代美術史ですが、日本画についても相当の研究を蓄積しています。美術思想としては、おそらく近代精神史的なユマニズムないし教養主義の視点に立って分析してきたような印象があり、社会史的な視点は弱かったような気がします。それは氏の著書でも、抵抗派や表現派、リアリズム派については関心が薄かったように思われますが、私はいままで氏を美術評論の権威的存在として大いに参考にしてきました。
 しかしこの6月5日の評論は私にとって驚きであり、また率直にいって大きな失望を覚えたのです。氏はバッキンガム宮殿クイーンズ・ギャラリーに匹敵するコレクションとして、皇居東御苑内の宮内庁三の丸尚蔵館を紹介し、いま展示中の「富士 山を写し山を想う」という展覧会を紹介しています。そのスタンスは以下の通りです(筆者による概要)。

 「富士は聖なる山として進行を集め、参詣登山など庶民に親しまれ、海外においても聖徳太子絵伝や遊行上人絵巻に登場し、富士参詣曼荼羅も描かれ、富獄三十六景や名所江戸百景で広くフジヤマは世界に知れた。明治期には西欧と並ぶ近代国家建設を至上命令とする時代で富士を日本のシンボルとする意識が強まり」、「横山大観は生涯で千点を超す富士図を残し、この霊峰に理想の祖国の姿を見ていた。今回出品の8点のうち7点は日の出の太陽とともに富士が描かれ、肇国創業絵巻の日輪のように朝陽も日本の象徴であり、日出処日本は会場を圧する大作で圧巻である。これは昭和15年(1940年)の紀元2600年奉祝展の出品作で終了後に昭和天皇に献上された」、「初期洋画界の奇才五姓田義松の田子の浦図は見過ごすことができない熟達した油彩画の技法とすぐれた自然感覚を充分に物語り、和田英作の朝陽富士も鮮やかな色彩感覚で忘れがたい印象を残す」

 高階氏は富士を日本の象徴として描いた画家たちを無条件に礼讃しています。問題は横山大観の作画の状況と描画に触れながら、その時代背景と画家の問題意識を完全に無視していることです。美術評論において不可欠の条件である画家の作画精神と時代的存在意味を欠落させた評論は、評論の意味をなさずほとんど個人的な私感に過ぎません。これでは、大観芸術の本質的評価を欠落させた評価であり、大観自身を侮辱することになります。1940年前後に集中的に描かれた作品の本質は、明らかに自然対象としての山ではなく、天皇制支配と世界帝国に躍進する大日本帝国の躍進の象徴としてのミメーシスであったのです。戦争と極限状況における作品における戦争画という本質から目を背けて、一般的な山岳画としての芸術性評価に限定する高階氏の評論は致命的な限界を持っていると云えるでしょう。

 では戦争期の大観の画家としての歴史的行為を客観的に事実としてみてみましょう。彼は1938年に文部省の依頼で、独帝国総統ヒトラーに富士図「旭日霊峰」を献上し、1940年には陸軍に奉納した絵画の売上金で、愛国第445「大観号」と銘名された三菱97式重爆撃機、96式攻撃機、96式艦上戦闘機を献納し、1943年に日本美術報国会会長に就任し、日本美術界の戦争推進システムの最高責任をになったのです。GHQは戦犯容疑者として取り調べました。思想的な本質において彼は国粋主義の天皇制ファッシストであったことが分かります。

 さて戦争画をめぐる戦後論争は以下のような論点に整理されます。
 @「戦争画家は、うまい汁を吸った茶坊主画家であり、その娼婦的行動は美術界を頽廃させた」とする機会主義的戦犯論
 A「1億総国民の国家的義務を遂行したに過ぎない(藤田嗣治)、戦争画家も体制の犠牲者である」とする総懺悔全体責任論(個人責任免罪論)
 B「先の大戦は欧米帝国主義からのアジア解放の聖戦であり、戦争画家はその悲劇的敗北者である」とする戦争画家全面肯定論
 C「戦争画家は天皇制ファッシズムに協力した平和と人道に反する罪を犯した戦争犯罪者である」とする戦犯論
 D「過去のことは水に流して、芸術作品としてのみ評価すべきだ」とする芸術至上主義的戦争責任無意味論

 横山大観のスタンスは確信犯としてのBですが、高階氏の現在のスタンスはおそらくDに近いのでしょうが、氏の過去の論説は@ないしAにあったような気がいたします。高階氏は21世紀を迎えてなんらかの思想的転向を成し遂げたのでしょうか。それとも氏の本質的思想のただ単なるズレでしかないのでしょうか。いずれにしろ氏の大観全面評価は、現在の日本美術界に大きな影響を与え、雪崩を打った戦争画の芸術的再評価が進むことになるでしょう。つまり高階氏は客観的にBの聖戦論画家たちを肯定していることになるのです。

 いったいこうした戦争画再評価の趨勢をどのように分析したらよいでしょうか。私は大観が「日出処日本」を天皇に献上した翌年の1941年に、在野の青年画家松本俊介が「生きている画家」を『みずゑ』4月号に書いて軍部の美術表現圧迫に抗議し、1942年に屹立する自画像「立てる像」を描き、大観が日本美術報国会初代会長に就任した1943年に、松本俊介・曖光・麻生三郎・鶴岡政男などが新人画会を結成したことに注目します。戦争体制の孤立のなかで芸術の自律性を志向するささやかな思惟は存在したのです。芸術の本質的条件の一つが権力からの自律にあるとすれば、芸術作品もそれを創造する芸術家も自律を存立条件とします。もはや大観と俊介を較べて、いずれが芸術家であったかは明らかでしょう。付言すると右翼であれ、左翼であれ、私は権力者の肖像画を描く画家の精神に躊躇します。

 残念ながら美術界の戦争責任は判然とは遂行されず、なし崩しにDの立場へとズルズルと経過し、60数年を経て遂にかっての戦争画が脚光を浴びて再評価される時代となりました。1932年生まれの高階氏は、戦争の真っ只中に少年期をおくり戦後の激動の渦中に身を置いて、私が述べてきたようなことはほとんどご承知のはずです。この高階氏にしての評論は、まさに本格的な戦後転向が雪崩を打って進んでいることを示しています。私たちはいま新たな戦前期、プレ・ファッシズム期を迎えていると云えるでしょう。(2008/6/6 12:10)

[第47回春季 美術集団8月展](5月27日〜6月1日)
 入会以来2回目の出品となった。筆者の作品は『いのちの慟哭 ユージン・スミス「MINAMATA」による』・『大地』・『想う』の3作品です。初出品の時はドキドキしたのですが、今回はそれほどでもありません。小品が多く50号以上はそれほどありません。時代の焦点となっているテーマと向き合う作品と、自然と人間の日常を描く作品に分岐しています。圧倒されるような作品もあれば、静謐な日常を歌い上げる作品もあり、それぞれが楽しく作画に励んでいる様子がうかがえます。
 隣の会場で春陽会展をやっていましたが、こちらは100号を超える大作が多く、迫力がありましたが、似たようなイメージが多く、現代の課題と向き合うテーマ性においては伝わりにくい作品群です。テーマをいかに繊細美で昇華して描くかという志向があるような気がします。技法的には大いに参考になりました。日本美術界は混迷期にあるとか云う評価がありますが、晩期の成熟した資本主義文化の爛熟であってそれはそれで過渡期の必然だと想います。では本当に先駆的な表現はなんなのだろうか? とつくづく考えて帰途につきました。愛知県芸術センター8FギャラリーJ室にて。それにしても中高年中心に美術フアンは結構いるんだなと思いました。(2008/5/28 16:52)

[K先生に送る献歌]
 部屋の後片づけをしていたら、懐かしいK先生の退職記念会に詠んだ歌が出てきました。私が作歌し始めてまもない頃の稚拙なものですが、私には精一杯の全力投球した想い出があります。このまま打ち捨てるのも口惜しく、ここに掲載することによって記憶に留めたいと思います。

 紅顔(くれない)の頬を染めにし瞳輝きて 若い日の写真に見入る(津山中学の記念写真を見て)

 戦人(いくさびと)たらんと励みし君もまた「時代の子」よ 陸軍幼年学校卒

 兄君は遥か沖縄にて散華せし 君が無念よ憲法を説く(靖国神社にて)

 「法は人民を守り、王を縛るためにあらずや」 戦(いくさ)の跡の学舎に鱗落ちし君よ栄えあれ

 遥かけき故郷遠く母君を 背負いて行きし君の後ろ姿よ(夏休み 帰郷する先生)

 静けくしばし黙せぬ君の弁 職員会の場を圧しぬ

 ざわめきて暮れなむ飲み屋の片隅で 獅子吼せし君すでに去りゆくか(半田の飲み屋にて)

 片隅の椅子の一つを占めていて 権力に突きかかりし思いのたけを(半田の飲み屋にて)

 一喝せし君の獅子吼校長に ともに歩めしデモクラシーの道

 若人のうたごえ高らかにこだまして 星空のもと君も歌いぬ(ワンダーフォーゲル部合宿にて)

 よろめきし君と並びぬ岩場にて はるか見はるかす槍はそびゆぬ(ワンダーフォーゲル部 アルプス紀行にて)

 歩みきし娘よ永久に飛翔せよ この朝焼けに嫁ぐひと筋の涙 親なれば君も(K先生のご長女 結婚媒酌の席にて)

 暗闇のひかる画まなざしこめて見つめおり 「老人と海」を見ぬ(名古屋・シネマスコーレにて)

 この地にて骨を埋めると決意せし 君の瞳よそのかんばせよ

 残されし日を渾身の力を込めて生き抜きし 見守れ後に続く我らを

 「我はわが道をいく 人をしてその言うにまかせ」 この語こそ君のものなり地平線の彼方へ

 「これが人生だったのか よしさらばいま一度」 微笑み讃えいく君の後ろ姿

 「人の去りゆくや その言うやよし」 高らかに歌わん さんざめく別れの宴は過ぎて

                                                    −1991年2月23日 荒木國臣詠(2008/5/6 15:57)

[花冷えの春に・・・・・]

 さくら咲く小さき庭に ひえびえと 春雨の降る わがこころにも

 炎なる群像いつしか集いきて はるか去りゆく 想いをむねに

 梅散りて 続けるさくらほのかにも つぎは桃もかも めぐる季節に

 亡き母の日記沈める本棚に われの記憶をめぐらすゆうべ

 満ちてくる想いをたたえ いずこにか われの希みよ いつか散りゆく

 おーい君 生きていたるか いずこにぞ かすけき記憶 蘇りくる

 頽廃とこれを名づけしこえあれば ゆくえも知れず 流されゆくか

 これが人生だったのか よしさらばいま一度 悔い多きすがた隠しも

 よしさらば 今のひとたび立ちあがれ 両の足にぞ ちから残るか

 このあゆみなにを刻みて 過ぎゆくに 我はわが人生の主にてありしか
 (荒木國臣詠 2008/3/30 17:39)

[第61回日本アンデパンダン展(東京国立新美術館 3月31日まで)]
 既成画壇を批判して自由出品システムで運営するこの展覧会に、私は初めて出品した。「いのちの慟哭ーユージン・スミスによる」(F50号)と「難民キャンプの少女」(F8号)です。21日に上京して、神田古本屋街で幾冊かを渉猟し、新宿・末広亭で落語を楽しんでから、学生時代の知友6人が集まって呑んだ。実に40数年を経ての再会であり、この印象は「21世紀へのメッセージ」に記したので御覧あれ。翌日は10時から初出品者の合評会があるので、息子とともに六本木に行った。合評では、8号作品が評価され、50号作品は構成の難を指摘された。日本全国から来ているので、忌憚なき意見が飛び交い、また蕩々と自説を垂れ流す人もいて面白かった。
 そうこうするうちに妹夫婦と弟が観にきてくれた。久しぶりにあったので近くのレストランで会食し別れた後、会場をじっくりと回った。印象派からゴミみたいなものまで実に多様な作品群が、所狭しと陳列してあり、一つの作品をじっくり見るのは難しい。名前は失念したが、戦争犠牲者へのレクイエムのような大作とコラージュが印象深く残った。昼からのシンポに出ると、皆さん言いたい放題で自己主張が飛び交い、すれ違いが甚だしく、芸術家の勝手放題の一面がうかがえたけれど、これがアンパンのいい点なのだろう。権威への従属がないのだ。作品自身への質的な評価と、テーマである「時代へのまなざしー生きる証」をめぐる議論もすれちがった。どうも芸術家はデイスカッションに慣れていないようだ。
 これが日本のいわゆる反体制派芸術運動のレベルなのかーその限りで大いに勉強になった。(3/26 1032)

 「難民キャンプの少女」(F8号)に関する考察
 (デザイン学科専攻の学生対象に、最初は「少女」の題名で感想を求め(A)、次いで「難民キャンプの少女」の題名で感想を求めた(B)、その差異を考察 2009/2/10)

○この絵の少女の瞳はどこかさみしいような悲しそうな孤独の目をしているようにみえる。その一方で誰かを憎んでいるかのような冷たい目にも見える。彼女の人生はきっととても辛くて苦しいものなのであろう。この少女が愛や温かさを何も知らないでいることを考えると、今自分が幸せな人生を送っていることが嬉しいと同時に、申し訳ない気持ちになる(A)
○あの絵はいったいなにを意味しているのだろう。作者はどんな気持ちで書いたのだろう。背景は暗く少女は笑っていない。それどころか哀しみを漂わせているように見える(A)
少女が悲しそうなのは難民キャンプが背景にあったのだ。涙を流してはいないが、少女の着ている服の色からも哀しみが伝わり、難民キャンプのつらさがうまく表現されている(B)
○はじめにこの絵を見た時に先生になんとなく似ているように思った。なぜ悲しそうな表情をしているのだろうか。描き手が悲しい過去を想い起こして描いているのだろうか。そこが私にとってとても不思議だった(A)。次いでタイトルが「難民キャンプの少女」ということを知って、やっと絵の少女の哀しみの表情のわけを知った(B)
○この絵の第1印象は、この絵を部屋に飾ったら少女に自分がずっと見られている感じがしてすごく存在感を感じるだろうなと思った。この少女の性格は暗そうなイメージで、作者はどんなことを思いながら絵を描いたのか不思議に思った(A)。
○私はこの絵を見てとても圧倒されました。少女の目から伝わる強い眼力、なにかを訴えようとしているような気がして目をそらしてはいけない気がしました(A)。
絵の題名が変わるだけでこんなにも「救命」という気持ちが強く伝わるとは知りませんでした(B)。
○この絵を見た瞬間に鳥肌が立った。先生の絵は悲しそうというより、さみしそうな女の子の絵が描かれていた。先生は何を思って、どうしてこの絵を描いたのか、油絵をよく知らない私には全然理解できない。ただなにか特別な思いがあって描いたと思う(A)。
○急に見えられた少女の絵は、暗いような重たいような空気を感じる。しかし少女の背後に白くして明るい色がさしているのは、なにか希望のようなものがあるのではないかと思います(A)。私が感じる少女の白い背後には、難民という生活から抜け出したいという希望が込められているのかなと思います(B)B)
○授業に自分が描いた絵を持ってくる意図が分からない。自慢か、それとも何かを私たちに求めているのか・・・。「少女」はたしかに私たちに共通する部分があり、女で、小さく、伸長や未熟さ、そしていのちがある。はかなく小さい命は私とこの絵を結びつけている一本の赤い糸だ(A)。「おしゃれだ」私は最初にそう感じた。難民キャンプ、私は見たことはないが、着るものも食べるものもないイメージがある。しかし子の少女は派手ではないがカラフルな(B)
○教師が突然持ってきた絵を観た時に私は驚いた。なぜなら「少女」という」題名とは似ても似つかぬ暗そうな絵だからだ。教師はなにも絵について語らないが、この絵から感じることはある。「少女」なのに大人らしい雰囲気があり、暗く重たいイメージでしかない。なぜ「少女」がこんなに悲痛なイメージをかもしだすのか私は謎でしかない(A)。
○私は先生が描いた「少女」という絵がとても悲しい絵に見える。なぜなら背景に暗い、笑っていない、なにも希望がないようにみえる目がそう物語っている(A)。
 題名が「難民キャンプの少女」だったなんて考えもしなかった。しかし絵から哀しみのようなものがでているので最初に考えたことはあたっているだろう(B)
○初めにこの絵を見た時に目が印象的だと感じた。何を見ているのか分からないがなぜか悲しい表情をしているように思えた。なにかを伝えたいようだが・・・。油絵なのか明るいイメージはない衣(A)。この絵のほんとうの題名が「難民キャンプの少女」と聞いて、悲しそうな顔をしていると感じたことに納得した。難民キャンプは明るいところではないが、それでも花飾りや首元の飾りをみると思春期の女のことだと思った(B)
○この絵を最初に見た印象はとにかく暗く寂しい雰囲気がした。普通の少女は未来に希望を持つ明るい表情を思い浮かべるが、少女は笑ってもいなければ怒ってもいなく、無表情に近い暗い顔をしていて、なんど見ても少女という言葉がしっくりしてこない。この絵を描いた人はどんな気持ちで描いたのだろうか(A)。
○顔に凄いインパクトがある絵だなと思った。全体に色が暗いし、顔に白がいく絵だと思う。見てて明るいイメージがねいけど、なんだか訴えかけられている絵だと感じた(A)。
 暗い絵だなと思う。えの雰囲気が悲しさであふれているように感じた。ほんとうにこの絵は「目」に目がいく。ただ一人の少女が描かれているだけなのに、表情や背景の色で悲しみや暗さが表されている(B)
○人物画を額いっぱいに描くのは、もっとも簡単な技法だと思う。背景を暗色にするのも絵を深く見せる効果があるし、安易な絵だと思う(A)
 戦火の最中にいる少女は花なんかつけないと思う。私だったらポイントに赤は入れない、戦火のなかの少女の表情を表に出したいのなら、他に目がいくものは描かない(B)
○目が悲しそうで、これは誰かモデルとなる子を目の前にして描いたんですか? それとも先生の想像で描いたんですか? この絵を見ているとすごく見つめられている感じがあり、うまいのか下手なのか分からないです(A)
○顔は少女らしいが服装はそうではなく、なんだかおばさんのようだ。もっと若々しく爽やかな服装にしてほしい。家族の愛がなくすでに世の中を悟りきっているようである。少女の輝きはもう消えてしまいそうである。現代の闇に飲みこまれてしまいそうな少女を思わせる(A)
 「難民キャンプの少女」は強い希望が見える。母親の形見を身につけて気丈にふるまうようにみえ、戦場でも頭に花を飾っているのは、少女のこころがまだ生きていることを思わせる(B)
○題名が変わると見方も変わると感じました。戦場の少女は花をつけて、オシャレをしているところが辛さを感じさせてよいとおもいました(B)  
○少女には見えないんです。おばさんに見え、少女ならもっと笑った顔とか明るい色を使って欲しいです。じっと見ているとちょっと恐いです。もっと可愛い絵を描いてください(A)。
 戦場の少女なら絵にあっていると思う。恐い暗い感じが伝わってくる。けど頭についている花はないほうがいいと思う(B)
○少女というほど幼くは見えない。無表情でいったい何を見つめているのだろうと思う。無表情の中に、すこし攻める雰囲気と悲しげな雰囲気が目元からでているように感じる。バック全体の敗色が暗くて強いから明るい印象はまったくない。正対している人物画は好きじゃあない。顔の周りの白い部分が静かな強いエネルギーととなって発せられている(A)。
 戦争によってすべてを奪われた彼女の怒りや悲しみ、怨みや憎しみが静かだけど強いエネルギーとなってにじみでている。花を頭に飾っていても笑うことができないほど、つよく一途に戦争に心が向いている。「私は絶対に許さないぞ!」そんなセリフが目からでている(B)
○私はこういう絵よりクリスチャン・ラッセルみたいな絵のほうが好きです。だからあんまり興味がわかないです(A)。名前に「難民キャンプ」が付くだけでなんだか暗く悲しい感じがしました。目の白目の部分の描き方がそうさせるのか、「難民」というイメージからくるのか分からないけれど、目がうるんで見えました(B)
○なにも感じないーというのが印象である。悲しみや寂しさが私にはないように思う。ただこちらをジッと見つめている少女である。おそらく人間は芸術作品を見る時に、自分の感情で見ているのであろう。悲しみをいだいておれば悲しく、幸せであれば幸せに、恐れなら恐れを、そう考えると「少女」はなにも感じることができないのだ(A)。
 タイトルが変わればその先入感で感じ方も変わるということなのだろう。なにか訴えかけられているような気がするが、タイトルが変わるだけで感じ方が変わるのは脳みそも単純だなと思った。
○眼力がなんかすごい強くてちょっと恐いオーラがある個性的な絵であり、なにか不安をぶっつけてくるような絵だ(A)。
○少女の後ろではなにか爆発しているようにみえる。髪や首に付いている飾りが戦場とのギャップがあって悲しい。泣いていないけれど笑っていないなと思った(B)
○先生がどういう感情を込めてこの絵を描いたのか分かりません。私の感性でこの絵を見ると、味そのものはあるものの、なにか呪われそうな感じがします(A)。
 そう言われてみますと、戦場で生き残った少女の悲哀だろうか、それとも自分の故郷を戦場にした者への憎悪なのか、たった三文字変えるだけで内容がガラリと変わる(B)
○少女なのに周りや服の色が暗いのにはなにか理由があるのか、なぜ明るい女の子ではないのか。なにか訴えられている気もするけど目の奧がとても暗い(A)。
 題が違っても目の奧が暗いと思ったことは変わらない(B)
○なんだか冷たい顔をしている。色づかいが奇異だと感じた。この少女は何を考えているのだろう? 無表情で何を考えているのかわからない。先生はこの絵を描いた時にすごく絶望的で悲しい気持ちだったんじゃないかなと感じた(A)。
○女の子、まだ小さいはずなのにその瞳の奥はなにを考えているの? とても悲しそう。首元のオレンジ色がすごききれいで暗い絵に映えていると思った。悲しい、暗い、さびしい、恐い(A)。
 おだやかじゃあない、にらみつけられているような、そんな瞳。なにも奪いやしないよ。なにもしていないのに、奪っていかないでよ。そんな気持ち。虚しい感情(B)
○タイトルがピッタリだと思いました。複雑な気持ちになりました(A)
 こっちのほうがピッタリだと思います。裏がありそう。雰囲気があります。憎しみの気持ちを持っていそう(B)
○まずなぜ先生は少女を描こうと思ったのだろうと思いました。「少女」はなにを表しているのか、先生の絵にはどんなメッセージがかくれているのか、「少女」とは誰なのか?
考えれば疑問に思うことがいくつも出てきて難しい作品です(A)
 「戦場の少女」として絵を観ると、疑問がすこし分かりそうだなと思いました。言葉では簡単なのに絵で伝えるというのは大変だなと思いました(B)
○色合いがどっしりとしていて綺麗だと思います。少女の目の力の強さに濃く深い色使いが合っていてよいと思います。緊張している雰囲気を感じます(A)
 怯えて見える。愕いて見える。少女の目の前にある光景は酷いものなんだろうなと感じた(B)
○雰囲気が暗く病んでいる少女に見えた。眉毛がない。ぼかして見るとちゃんと花に見えるけど、眼鏡で見ると花に見えない。鼻が印象的(A)。
○私は絵を描くのが好きなので、先生の絵をみた瞬間、塗り方は上手。しかしこの絵が家にあるとすごく不気味で自分の心のモチベーションも下がる。先生の絵はピカソみたいでいいけど、恐い。何を思いながら描いたのか謎。またそこが不気味。でもこうしていろいろ考えることが絵の面白さなのか(A)。
 ほんとうの題名をみたら、「ああ!」って分かる。だから暗い感じの絵になったのだ。家も家族も失って絶望した少女といったイメージである(B)

[「没後50年 横山大観展 新たなる伝説へ」(国立新美術館 3月3日まで)]
 「大観芸術は古画の世界同様作品のみによって新たに語られるべき時を迎えた。かっては大観の人間や作品の矛盾について、さまざまに論じられもしたが、もはや没後半世紀という充分な年月を経たからだ」(内山前京都国立近代美術館長 カタログ)。はたして大観自身はこのような評価を後世から期待したであろうか。大観自身は作品と人格(思想)との関連を極限まで強調しています。「東洋画と人格は極めて緊密なる関係を有し、従ってこの相関を考慮することなく東洋画を語ることはできない」(「東洋画の使命と日本画」1935年)。かれは自らの人格(思想)を次のように宣言しています。「我が日本は東洋平和の聖戦のために陛下の臣民の多数が生死を超越して赤化のシナと戦っている。日本における忠臣の表範たる大楠公の七生報告の念を以て戦っているのである。これこそは強く正しきわが大和魂の発露でなくて何であろう。この魂こそは古来日本の天地に澎湃として漲っている正気なのである。美術においてもまた同じくこの正気の顕現せられたる作品のみがわが国において1人尊ばれるのである」(「日本美術の精神」1939年)。彼はこの言葉を1938年に来日したヒトラー・ユーゲント歓迎講話において発表しています。今回の出品作である「海にちなむ十題」や「山にちなむ十題」(1940年)などの作品群は「余興亜の聖戦下に皇紀2600年の盛典に会し彩管報国の念やみがたきものあり」との意図のもとに制作されたと自ら解説しています。ここで描かれた富士は「天皇」を象徴しています。
 大観は1941年1月1日に「日本美術新体制の提案」を発表し、「在来の放漫なる自由思想」を批判して「日本精神の顕楊」を説いた後、1943年に日本美術報国会の初代会長に就任し、ファッシズム画壇の最高指導者となります。「海、山10題」は陸軍省と海軍省に献金され軍用機4機となり、「南瞑の夜」は戦艦権能帝国芸術院美術展に出品されました。

 おそらく戦争協力画を純粋芸術として作者の意図と無関係に評価した展覧会は、今回が初めてではないでしょうか。これでは大観自身が泣くのではないでしょうか。彼はみずからこの絵は神である天皇への尊崇の念で描いたのだと言っているのです。それが後世から見てどうであろうと、後世の人がかってに作者の意図と無関係に評価することなど画家に対する侮辱以外のなにものではありません。後生の者は、ある時代精神の強烈な影響をくけた芸術家が、どのように時代に屈服しまたは迎合し、あるいはお先棒を担いだかの無残な冷として、リアルにその作品をみなければなりません。戦争協力画であるがゆえに芸術性がないという他方の偏向も拒否し、リアルに評価することが求められます。人間と自然の美の忠実な僕である芸術家が、誤って特定の人物を神としてあがめて表現した致命的な誤謬は、せめて高村光太郎のような隠棲生活による自己批判は自ら選択すべきでしょうが、いったい横山大観はみずからの戦争責任をどう果たしたのか。戦争という事実と戦争責任は時間とともに解消すると考えているのでしょうか。いったい国立美術館の意図はどこにあるのでしょうか。国立新美術館は二重の意味で横山大観を「侮辱」したのです。公的機関である国立新美術館は、戦争協力画家の免罪を決定し復権させるという決定をしたのでしょうか。(2008/2/22 8:34)

[異端の画家とはなんだろうかー『REAR』(17号 2007年)から]
 名古屋の千種正文館という本屋の芸術コーナーにあった雑誌に興味を持って買いました。どうもこの雑誌は名古屋地方の美術界を批評する雑誌のようです。特集は「中部発 異端画家の命脈」として、中部地方出身の8人の画家が並んでいます。何をもって「異端」とするのかは必ずしも判然としていませんが、美術史の流れや美術アカデミー、メジャーな場とは離れたところで自らの独自の表現を追求したという意味で、そうした画家が中部地方に多かったのはなぜかーということも併せて考えようとしています。8人の画家の概要をみてみましょう。

 中村宏 体制派(戦時下の戦争画)と反体制派(反戦平和)、現代美術、伝統美術のいずれもの理念の政治性への異議申し立て
 中村正義 日展主流派から転向して抑圧的な画壇に挑戦する異分子
 星野真吾 反権力・反体制の前衛美術から実験的身体表現
 片岡球子 日本画の世界を革新する土着的な表現
 坂野耳秋一 社会的テーマをプロパガンダに堕せぬリアリズムを追求
 竹田大助 ミメオグラフの前衛手法で独自の表現を追求
 筧忠治 生活と宗教、思想から紡ぎ出される求道的表現
 鷲見麿 福祉活動を展開しながら芸術の商品化に真正面から対峙する表現

 これらの作家の実際の作品をみたのは少ないので、私は評価する資格はありませんが、どうも日本的な「異端」という意味が矮小化されているような気がします。西欧的な異端は、正当の権威と権力に立ち向かい、あらゆる迫害を受けて新たな時代を切り開く=つまり次代の正統という意味に近いと思うのですが、日本的な異端とはたんにシステム化された中心からずれているといった意味でしょうか。
 この8人の画家で私は坂野と鷲見に注目したいと思います。ギリギリの自己表現を追求する画家にあって、この2人は他者へのまなざしがあるような気がするからです。さらに芸術の市場原理ともっとも遠いところにあるような気がするからです。(2008/2/19 10:18)

[『丸木位里画文集 流々遍歴』(岩波書店 1988年)]
 名古屋丸善の古本市に顔を出して物色していたら、この書があったので購入しました。丸木画伯は日本画のアウトサイダー(?)ないし前衛派として社会的事象で有名です。氏はは「原爆の図」、「水俣の図」、「沖縄戦の図」、「足尾鉱毒の図」、「三里塚の図」など日本近現代史において鋭い緊張関係に満ちた事象を取り上げて名をはせましたが、画文集をみると、動物や山岳などの自然画も多いのですが、日本画のいわゆる伝統とは無縁である感じです。この書は、「原爆の図」を契機にほとんど全世界で展覧会を開いた旅行記が圧倒的な部分を占めています。確かに画家になる生い立ちや、戦後の日本共産党の訣別など淡々と触れていますが、深いものではありません。私は丸木氏の作品を直にみたことがないので何も言えませんが、旅行記や政治談義はおいて、自分自身の芸術認識の過程をもっと深く掘り下げた自己分析を期待していたのですが、あどけないピュアーさばかりが目につきました。(2008/1/18 16:15)

[20世紀の洋画展(メナード美術館)]
 メナードが所蔵する20世紀欧州絵画と彫刻の展覧であり、作家はマネ、セザンヌ、ルドン、モネ、ゴッホ、マテイス、ルオー、くれー、ドラン、ピカソ、シャガールなどなどおそるべく多彩なコレクションではある。なるほどメナードという化粧品会社の経営者の財力の凄さを示している。私はこういった巨匠の作品がすぐ30cmの目の前で見られるのに昂奮し、しばし足を留めた。地方美術館の閑散とした孤独の雰囲気がまたいいのです。印象派を中心としたコレクションは、しかし現代の危機にはなにも答えることはなく、癒されるだけです。詳細はメナード美術館公式ホームページへどうぞ。

[図録『東ドイツ美術の現在』(読売新聞社 1989年)]
 偶然に古本屋で見つけました。何とも哀しくなる展覧会です。1989年から1990年にかけて日本を巡回した東ドイツの現代美術展は、ベルリンの壁崩壊から東ドイツ消滅に到る21世紀最大の激動とほぼ時を同じくして開催されているのです。主催者も観覧者もどのような気持ちでこの展覧会を観たのでしょうか。カタログは西ドイツを凌駕する東ドイツリアリズム美術の勝利を掲げているのが、余計になにか哀れな心情を生むのです。しかし私が最も驚愕したのは、そのカタログに登場する油彩とリトグラフのほとんどが、シュールで暗い絶望的なデカダンス(?)にあふれていることです。これが社会主義リアリズムの精髄なのか? ほとんど戦前のナチスが批判した表現主義・頽廃芸術と変わらないような作品が並んでいます。ソ連にあるような輝かしい社会主義の未来を美しく賛美するような作品は皆無です。しかも芸術家のほとんどが大学芸術学部関係者であり、いわば官製芸術なのだとわかるのです。なにか生きる目当てを求めてさまよい歩いているような絵はいったい何なのでしょうか。しかもそれを国家公認の人民芸術家として遇していること! グロテスクにまで混迷している当時の東ドイツ芸術は、ほとんどアメリカのシュールレアリズムやダダイズムと変わりがないのです。痛ましいカタログです。ドイツ統一後、これらの芸術家はどうなったのでしょうか。(2007/11/23 18:46)

[ロートレック展(愛知県美術館)]
 ベル・エポック(よき時代)といわれる19世紀末から第1次大戦期のフランス都市消費文化の華やかな時代のファッションを生き抜いたロートレック回顧展。伯爵家というフランス上流階級出身の彼は、胴体は大人で脚は成長をしない骨粗鬆症で激しいイジメを受けて成長している。有り余る財産とこころの傷は、ムーラン・ルージュという夜の歓楽街の女たちに向かい、そこに潜む悲しみと頽廃を描き出している。筆致は簡素で荒々しいが、にじみ出る歓楽のため息はまさに世紀末である。私がもう少し若ければ大いに惹きつけられたであろう世界は、いまは興味と関心をさほど抱かない。従ってロートレックの世界は私にとっては無関係の世界に見える。しかしここにも人間の真実はあるだろう。日本で言えば永井荷風の世界と同じだ。歴史にタッチしないことによって、逆説的に歴史の共犯者とはならないという世界は確かにある。ロートレックの惹きつけるところは、こうした場末の華やかさを描きながら、悲哀の漂うことだ。女性中心に意外と観覧者が多い。女性は頽廃した同性の姿を見てどう思うのだろうか。(2007/11/17 8:10)

[第27回M展(10月30日〜11月4日 名古屋市博物館)]
 これは私が初めて本格的な対外展覧会に作品を出品し、しかも作品条件が50号以上の大作であるという点で、この4月以来スタートさせた私の画業生活でのエポックとなるものでした。最初に飾り付けの段階で驚いたのは、ほとんどが100号以上の大作であり、50号がいかにちっぽけに見えたかということです。生まれて初めて挑戦した50号は、部屋の中の作画の過程ではとんでもない大作に見えたのですが。さらに他の作品と並んだ時に、自分の作品の貧弱さを痛感したことでした。それははじめたばかりの私の作品の覆いがたい説明性にあります。やはりそこには技術とともに絵画的に「表現」することの稚拙さがあります。
 しかしわたしは同時に違和感をも覚えました。私の作品の題は「いのちの慟哭」というように、水俣病の母の死を見送る胎児を描いています。私はユージン・スミスの写真集で、衝撃を受けどうしてもこれは描かなければならないと思ったのです。それは美しいからというよりも、真実であるからことが私を打ったのです。他の作品はほとんど花鳥風月が祭りの「美」を描いています。Mさんの作品のみは平和を希求する群像を描いているようで、これはテーマも描写力もはるかに私の及ばないところです。他の作者の技術もほとんど私の及ぶところではありませんが、なぜ今この世で起こっている非人間的な悲惨に対してかくも無関心なのか、人間世界と自然を素直に見つめるまなざしがあれば、これほど傷ついた世界はかってなかったでしょう。あるひとが「あなたの絵は我々と画風が違うね」と言い、私は苦笑して認めざるを得ませんでした。テーマを表現するにふさわしい技術力の必要を痛感した次第です。
 友人・知人に出した案内状で、予想をしなかった人が来場し、私は人間を見る目が狭かったことを痛感しました。いずれにせよ、私の記念すべき展覧会はかくして終わりを告げたのです。(2007/11/8 10:10)

[銅版画3人展(かみや美術館]
 知多半島は半田市の丘陵地帯の寺の境内にこじんまりとした美術館があった。所蔵品は北川民次、梅原龍三郎その他高名な画家のものが数点そろっている。私がのぞいたのは、浜田知明の作品がみたかったからだ。画集の写真のイメージとは異なるが、そこにはまぎれもなく本物の浜田の銅板画があったが、中国戦線の悲惨を描いた画は思いのほか迫るものがない。私のイマジネーションの衰弱であろうか、いやそうではなく、浜田の作品は他の画家の作品と並べるべきでなく、切り離して陳列すべきなのだ。浜田氏はまだ九州でご存命のようであり、いまはどのような生活をしているのか思いは膨らんだ。洋画ではメキシコの影響を受けた北川の作品が圧巻であった。この美術館は車が必需品であり、駐車場までの目印がよく分からないので迷う。(2007/11/3 8:46)

[岸田劉生展(刈谷市美術館)]
 娘の自画像を描いて彼は何を訴えたかったのだろうか? 娘の成長とパラレルに描かれた作品群は、娘の成熟期において挫折したかに見える。幼少期の麗子像はなにか訴えるものがあるが、日本髪を結った娘はもはやありきたりの日本女性に過ぎない。父の愛情を一身に受けて成長した娘は、日本的女性の成長コースを歩んだに過ぎなかった。劉生の弟子群の作品は師の描画の模倣に過ぎなく、ただ技術が師に近づいているに過ぎない。全体を通して明治期の洋画家が置かれた、日本的家父長制システムの枠に封じ込められた表現の限界を見事に表明している。それは歴史的な時代的制約の問題であって、彼ら画家の問題ではない。要するに欧州の印象派の技法を日本化すれば、精一杯のところこうなるよといっているようだ。描画技術として大いに学ぶべき点があるが、それ以上の感性の解放と掘り下げはない。むしろ青年期の劉生の絵にこそ、実は開かれた可能性があったにもかかわらず、それは開花することはなかったと思う。
 この美術館の貧弱さは豊田市美術館と比較してあまりある。豊田市と刈谷市の財政力指数の問題であろうか、それとも行政の問題であろうか。しかし現代化に狂奔する豊田市美術館に比して、貧しいけれどもはるかに地域性を感じる。鑑賞中に茶室の宣伝放送が入るという、展示運営にあってはならない騒音が部屋にこだましたのだ。(2007/9/24 13:40)

[シュールレアリズム展(豊田市美術館)]
 既成道徳と無関係に自由に自らの発想を展開するーという触れ込みの企画展で、シュールレアリズム系の代表的作品が並んでいます。ある感性を表現し他者に問うという行為の基礎には、なんらかの相互承認欲求という関係性が前提とされています。シュール(超)リアル(現実)ということは、与えられた所与の現実を「越えて」、新たな「現実」或いは真実を先駆的に創造するという行為であるならば、孤立自閉的な閉じこもりは他者の介在を無視してエゴイステックな創作に錯誤していく危険性があります。現実をいったんは否定して新たな創造に向かう時には、時代の予感を先取りした未来からの呼びかけとなるはずです。ここにある諸作品はその危うい壁を渡ろうとして、ニヒリズムに頽廃しているような気がします。特に米国系の画家の作品に現実への救いがたい絶望の歪みがあるような気がします。それはアメリカ社会の市場原理主義の浸透を反映しているように思います。
 別の展示室では現代アートと称する展示会があり、もはや美術の範疇を越えた(逸脱した?)作品群のオンパレードです。数通の原稿用紙に書かれた文章を展示したり、文庫本をただ並べた作品とか、瞑想音楽を流しながら五線譜に刻んだ月の音符を並べていたり、いったいこの作家たちは現代日本のどのような現実と対決しようとしているのか、不可解極まるものです。そこには人間的な感性の歪みと頽廃が感じられます。別室には明治以降の近代洋画の展示があり、この美術館の思想の原点がどこにあるのか分かりません。美術館の建築も刑務所のような無味乾燥な無機的雰囲気をまき散らし、容易に人を寄せ付けないファッショ的なイメージがただよっています。公共美術館の無残な失敗の例ではないかと一瞬思いました。世界最大の自動車会社の工場都市であるこの街全体が、廃虚のイメージがただよっており、その支援を受けた美術館も混沌として混迷しているように感じました。(2007/9/15)

[異邦人たちの夢(松坂屋美術館)]
 多くの画家がフランス(パリ)をめざして青春を過ごした。この展覧会は、パリに描画の拠点を求めた画家たちのパリ時代の代表的な作品を集めている。ピカソ、シャガール、モリデイアニ、ドランなど日本画かでは藤田嗣治、高田博厚その他の作品が一堂に会しているのは、それなりに見事です。大勢の婦人に混じって鑑賞したのですが、観覧者に遠慮しながら枝に集中するのはなかなか大変です。このなかではじめて私は、高田博厚のブロンズ像をはじめて集中してみたのが収穫でした。パリをめざした画家たちの動機のめくるめく差異に私は深く心を動かされました。迫害や攻撃の果てに亡命状態で巴里を訪れた画家と、パトロンに恵まれて訪れた人にはおのずから大きな違いがあるように思われます。時代の激動に翻弄されながら美の表現を追求した人は、どこかに突き抜けたような画風がありますし、そうではない人は頽廃的な部分を表現しているような気がします。
 なぜ巴里なのか? どうして巴里なのか? そこに生命と美の真実があるのか? こうした企画展をおこなった学芸員の思想を問いたいと思います。現代日本の苛烈な実態に迫ろうとする問題意識を背後に抱えた企画ではありません。だから日本人画家の描いた巴里作品はそれほどに迫るものがないのです。時代の危機と無関係に美を描いても、そこには自己閉塞した高次元の頽廃が残るような気がします。ご婦人方の、ただ名前だけで鑑賞する態度は軽蔑に値します。松坂屋美術館の思想はこの程度なのです。(2007/9/4 16:34)

[はじめて投稿する]
 生まれて初めて創作短歌を投稿しました。名古屋市文化振興事業団が主催する文芸展です。葉書に2首という規定でしたので旧作からなんとか選びました。誰しも投稿するのはある程度の自信作なのでしょうが、私もある種の期待を込めて丁寧に記しました。選者の数が数人いて女性が多く、いずれも地元の作家の人たちなのでしょう。対外的に応募するのは、今回が初めてですが、はたしてどんな結果が出るでしょうか、楽しみです。私の創作は万葉的なロマンというもはや歌壇では相手にされない旧態然としたものですが、それなりの思い入れがあるのです。

 しんしんと子らの教室静まりて うち伏す君はなにを思える

 たわむれにふる里遠くきてみれば 川のせせらぎ廃屋はるか    (2007/9/2 10:47)
         
 残念ながらこの2首は落選とあいなりました。選者の感性を疑うにたるものとうそぶいても如何せん、今後の精進を期すしかありません。(2007/11/20)


[中村宏展をみる]
 名古屋市美術館で「中村宏1図画事件1953−2007」と称する展覧会を見ました。中村宏という画家についてはよく知りませんでしたが、戦後直後の反体制的な前衛美術運動から出発して、シュールな技術主義に到る現在までの変容過程がある程度分かるように展示されています。思潮で云えば吉本隆明や埴谷雄高などと行動をともにした戦後は、急進主義的な反体制を宣揚するようなリアルな労働(機関車)を描き、次第にシュールで3次元的な絵画世界に移行していきます。画風が画家の生活の変貌の中で変化していくのはごく自然なことですが、「革命」のメッセージを扇動的に描いて若者の人気を博し、時代が変わるとポスト・モダンなどと称する体制派に組み込まれていく過程は、吉本隆明とよく似ています。
 初期の労働と抵抗を描いた作品はいったいどういう意味があったのか? 画風は変わっても、そこにあったはずの権力への抵抗と怒りの思想は普遍ではなかったのでしょうか? 作品が評価を受けて売れ始めると、いつの間にか思想への誠実さは薄らいで資本の商業主義的な世界の枠に絡め取られていく無残さは、一部の戦後左翼思想家とよく似ています。原始的貧困の時代に宮沢賢治は、飢えて死ぬ子どもにとっての料理の本としての芸術を批判しましたが、現代の変貌する貧困からは身を遠ざけてしまい、最後には関心をすら示さなくなる頽廃現象から、果たして中村宏は免れているのでしょうか。年に3万人を超える自殺者、100人を超える餓死者の存在は現象は異なっても戦前にまさる貧困が存在していることを示しています。ネットカフェ難民などという若者の地獄は、江戸期の人足寄せ場と本質的に変わりません。もしこうした現象よりも、六本木ヒルズやパルコ劇場に眼を奪われているならば、それは芸術家の恐るべき感性の頽廃と想像力の貧困を余すところなく示しています。フリーターの若者を含め、芸術家もとっても生きにくい時代です。
 しかし許せないのは、若者に向かって「革命に参加せよ!」とアジった画家が、いつの間にかそのメッセージの責任をとらず、クルッと画風を変えるのは「転向」以外の何ものでもないでしょう。女子高校生のスカートをまくり、尻を露出させて喜ぶという頽廃の極地が示されています。そして資本も権力もそのような転向を遂げた画家を歓迎し、市民の税金で運営される公設美術館が最大限の賛辞を捧げて、こうした展覧会を開いて持て囃している世紀末的現象は救いがたい日本の現状を示しています。日本の美術界の頽廃と堕落を示して、いわばナチス頽廃芸術展と逆説的に通底する展覧会でした。(2007/8/21 16:34)

[G・シェーンベルグ『Der gelbe Stern 黄色い星』(自由都市社 1980年)]
 画集を探して古本屋をのぞいたら、この写真集が1冊千円で売られていた。一切の形容を拒否するようなすさまじいホロコーストの写真集である。惨殺されるいのちが誰かに視られる希望もなく撮影して奇跡的に後世に生き残った写真もある。それでもこの写真集から、屍体からつくった石鹸、医師が切り刻んだ肢体、皮膚でつくったランプシェード、首狩族の手法で採取した頭皮などは意識的に掲載を忌避している。この写真集をも見ていると、ほんとうに「アウシュビッツ以降すべての芸術は沈黙しなければならない」といえる。わたしはこの写真を絵に移そうとしている。可能だろうか。トーマス・マンの巻頭言は胸を射るものがある。「あのドイツ人が人類に対して犯した事柄は、贖罪不可能なことである・・・・・ドイツ人よ、驚愕と羞恥と悔恨ぬ加えて憎悪が必要である」。このドイツ人をすべて日本人に置き換えると、これは私たちに対するメッセージもある。ドイツ人たちは悔恨と補償の道を歩んだ。日本人はまだ悔い改めないばかりか、事実をすらなかったことに偽ろうとしている。これほどの恥じらいなき厚顔は歴史上ない。しかも多くの国会議員が広告もまで載せるとは! 米下院の南京虐殺決議に関して外務省は猛烈なロビー活動を展開して、日本の参院選後に日程をずらすことに成功した。この輪をかけた恥ずべき汚辱の行為を見よ!この写真集をみるものは何らかの行為を迫られる。(2007/7/30 12:50)
 
[洋画を始めてからはや4ヶ月が過ぎた・・・・・]
 おそるおそる洋画教室の門を叩いてからはや4ヶ月が過ぎようとしている。絵の具やその他の画材にも相当の出費をした。最初の自由画である「難民キャンプの少女」は、写真誌『DAYS』の広河隆一のアフガン難民の写真を油彩に写したのですが、意外と反響を呼んですぐにグループ画展に2点出品した。講師からは私からみても一定の評価を得たように思う。それからの私は、『DAYS』を中心に油彩に移し、静物も風景もどこかに社会派的なテーマを入れた。初歩の技法も知らない私は、必死に洋画入門書を読みあさったが、読んでいる時はナルホドと感心しつつも実際に描く時になるとほとんど忘れた。
 どうも世の洋画界には、綺麗で美しい描写をめざす芸術至上主義潮流と、自己の内面を赤裸々に描くような内面派と、「芸術は飢えて死ぬ人にとっての料理本であってはならない」(宮沢賢治)という社会的表現派に別れているようだ。私が文句なしに注目したのは、松本俊介、愛光、それからシベリアを描く香月泰男、呉へい学の諸家であり、外国画家としてはなんといってもシャガールだった。こうした自己の辛酸を舐めた生活や時代と正面から格闘した画家には文句なく惹かれた。
 教室の講師は日展系画家でありながら、デッサンや技法を罵倒して心で描けーという指導はさすがに文字通り独自の絵画観をもっていると思った。ただし「絵画は文学であってはならない」という絵画の自律性論はもう少し詳しく聞きたいと思った。教室の多くの画学生はどちらかというと芸術至上派のようであり、その技術ははるかに私を上回っていることはいうまでもない。しかし私は静物をどのように美しく描こうと、どうしてもそれだけでは満足できないのだ。
 次に私が描いたのは、ナチス強制収容所と魚の干物が共存する絵であり、絵画は挿絵であってはならないよ(説明ではなく表現であれ)という指摘を受け、うつむいて歩く老人とそれを鋭く見つめる眼差しを描いた絵は、これは宗教画であって絵ではないと全否定に近い批評を受けた。これには私は、正直に言って参ったのだ。技術や技法の習得は全面的に謙虚に受け入れるが、私の感性そのものを偽ることができないのだ、ここが苦しい。(2007/7/26 16:51)

[
内田わこ『ガス室に消えた画家』(草の根出版会 2004年)、『1930年代−青春の画家たち』(創風社 1994年)]
 時代と絵画の相剋突き詰めれば時代を超えた超越的な「美」について考えることを突きつけられる。一度も美術館に足を運ばないで大著『美学』を著したヘーゲルや、機械のように正確な時間のなかで生活したカント『判断力批判』はいったいわれわれにとってなんだろうか−問わざるを得ない。この2冊の書は、時代の最も生々しい権力と対峙して散っていった犠牲者たちの生涯を描いている。
 ドイツのシュール・レアリズム(?)画家であるユダヤ人フェリックス・ヌスバウムは、名声を得た最中にあってナチスの迫害を逃れるユダヤ人退廃芸術家として、追放と亡命を繰り返してアウシュヴィッツ収容所解放1ヶ月前に虐殺された。黄色いダビデの星の胸に縫いつけた彼が身分証明書を掲げて鋭く見つめる眼差しは人類の犯罪を告発しているようだ。アウシュヴィッツの神話を逃れてどうして芸術を語れようか。絵を描けようか。
 後書は同じ時代を生きた日本の若い青年画家の当時の論文集のアンソロジーだ。太平洋美術学校とプロレタリア美術家同盟に集う若い画家たちが、時代と正面から向き合って格闘した足跡は、国策に協力して戦争画を描いた日本の画家の汚点を救ってあまりある。私は彼らの美術理論を分析し評価する資格も力量もない。しかしこれだけは云える。暴力的形態ではないにしても、現在の日本は戦前と同じように権力と芸術の関係を問われる情況にあるということです。洗練された「美」を描いて一生を終わることを許されない時代が来ているような気がします。(2007/7/16 16:25)

[呉炳学展(京都都メッセ美術工芸ギャラリー)]
 彼は朝鮮・平壌出身で中学卒業と同時に東京美術学校へ進学し、48年に中退後60数年を在日として孤高のうちに画業を極めた。日本の画会に所属したのかどうか知らないが、日本の公募展には1回も応募せず、民団や朝鮮総連系の公募展にも応募していない。ただ個展によって作品を世に問うてきた。在日としての生活思想は知らないが、どうも南にも北にも与しない独自の、最も苦難の道を歩んだかのように見える。企業家や商売の世界ではあり得るだろうが、画家としてこのような道を選択することは想像を超えたものがある。しかし彼の作品をこうした観点から評価することはありえない。彼の作品の芸術的評価しかあり得ない。
 彼の作品は厚塗りの印象派的な作風だ。題材は静物から裸体、民俗芸能の多種に渡るが、本格的なタッチには圧倒するものがあり、白と青を基調とする色が気品に満ちて鮮やかだ。特に朝鮮民族舞踏と静物は素晴らしい。しかしどうしても彼の苦難の半生涯を読み込みたくなる誘惑に駆られる。画集は2万円もするので手が出なかったが、パンフを入手した。1時からオープニング・パーテイが始まり、韓国大使館員の他の挨拶があったが、どうも日本人の私は次第に場違いの感じがしてきてソッと会場から出た。最後までいた方がよかったと後から悔いた。画家は齢84歳に達して頭髪は白く薄く、鶴のように痩せて背が高い。自分の作品が世の評価を受けるのは、おそらく40〜50歳代以降だろう。芸術家への道の峻厳さを実感した1日だ。(2007/6/25 15:00)

[ユッタ・ヘルト『ヴアトー≪シテール島への船出≫ 情熱と知性の和解』(三元社 2004年)]
 ヴアトーは1684年に生まれた画家で、ヴェネツイア派やフランドル派の影響を受け、1717年に仏王立美術院会員の入会申請作品として提出した≪シテール島への船出≫(ルーブル美術館蔵)が有名だそうです。しかし私がこの画家に関心を持ったのは、実は映画監督であるテオ・アンゲロプロスの同名の映画に非に強う印象を受けたからです。この映画は、ギリシャの革命運動によって解放された土地が、小作人たちの醜い土地争奪を引きおこしているのに絶望した老夫婦が獄中から解放されて静かに海に向かってボートをこぎ出すシーンで終わっています。私はこの書ではじめて、アンゲロプロス映画の題名の意図が分かりました。
 シテール島とは、ギリシャのペロポネソス半島の南方に、ヴィーナスが海の泡から生まれた海上の近くに位置する伝説の島であり、キプロス島やクルゴ島と見なされた時もあったが、ユートピア思想の影響のなかで至福の愛の島という理想郷とみなされ、キリスト教の巡礼思想と結びついて、愛の成就のためにその島に旅するという思想が形成されるに到った。アンゲロプロスは、挫折の苦渋を越える希望の意味を込めて映画の題名にしたと思われる。絵そのものは淡い幻想的な物語性に満ちている。(20076/12 16:46)

[徐京植『青春の死神』(毎日新聞社 2001年)]
 有名な徐兄弟の3男である(といっても若い人はご存じないであろう。兄2人は在日朝鮮留学生として、韓国軍事独裁政権に逮捕され死刑囚として10数年を牢獄で過ごし、革命後に解放された。長兄は私の大学時代の知人であり、私は特別の関心を持ってきたが、いまは立命館の教員である。末弟の京植氏は兄たちが逮捕された時には、日本の高校生であり獄中犯の家族として殷々たる生活を送っていたとある。そのような彼が海外にひかれて欧州を旅し、各地の美術館を遍歴して印象に残った画家たちの記憶を記したエッセイとなっている。32数名の画家の絵が登場するが、絵そのものの印象というよりも、その背後にある画家の20世紀の生きてきた刻印を追跡している。
 根底には支配と陵辱に対する憎しみと、被虐に対する無限の共感がベースにある。絵画が逃れることができない社会的な意味と被規定性を正面からとらえようとしている。唯美や耽美すら「その歴史と時代の思潮から説明される。絵それ自体の技巧や技法はすべて捨象される。美の社会的基礎という美学論の現代的な印象記である。ときどきドキッとするような指摘があるのは、彼がいかなる権威からも自由であり得るー自由であらねば生きていけない在日朝鮮人民族の先鋭な知識人であるからだ。
 ただし敢えていえば、彼はみずから絵を描いてみるべきだ。ただ眺めるのではなく、自らが創作者である体験を媒介にして論ずれば、さらに分析は深化するだろう。そして日本人のすべてを批判的に見る、敢えていえば「狭隘さ」の限界を知るだろう。(2007/6/5 16:45)

[『MARC CHAGHLL and Jewwish Mysticism(シャガール展)』(三重県立美術館)]
 名古屋から津まで1時間少々をかけて高速を走る。津市内の中心部に森で覆われた美術館がある。この展覧会の原題は「マルク・シャガールとユダヤ神秘主義」であり、なぜ日本では妥協的なネーミングにするのか、大衆迎合がうかがえる。この展覧会のシャガール作品は油絵からエッチングまですごい収集である。シャガールの幻想的ロマンは、彼の出自の民族の悲惨があってこそのものだ。ホロコーストの惨めな悲劇とあまりの対極にあるこの作品群は、ユダヤ文化の精髄を示しているように思われる。この奔放なイマジネーションは、迫害の恐怖の果てに生まれた祈りとも云えよう。じっくりと味わった2時間少々であった。この美術館の常設展にある収集品は素晴らしい。なぜか。松本峻介や柳原義達といういわば反体制芸術を無視せずに収集していることだ。
 帰路は名古屋港を縦断する3車線の伊勢湾高速道路を走った。いかにもトヨタのためにつくったということがミエミエだ。名古屋経済圏に芸術は生まれないだろうということを確信した半日であった。(2007/5/18 19:49)

[京都国立近代美術館所蔵『洋画の名画』展]

 4月から油絵を習い始めた私にとってのはじめての日本の洋画展です。浅井忠、梅原龍三郎、安井曽太郎といった錚々たる55作家の70点の作品を明治から昭和に到る黎明期・冬の時代・大正昭和期・戦後期の4期に分けて展示してあります。名前だけからしてスゴイコレクションです。私ははじめて、どのような技法で描いているのかなという作画と絵の具、筆の使い方という視点から鑑賞致しました。しかしやっぱり印象に残るのは思想性のある作品で、それは津田清楓「研究室における河上肇像」であり、おそらくマルクス『資本論』のドイツ語版を必死に読解しようとする学問的探求の激しさが伝わってきました。しかもそれは権力との衝突を避けることができない時代では、学問=実践になっている峻厳さが画面に表れているようです。
 もう一つは松本俊介「子供」でありそこにある無垢な表情と手の造作が暗いバックに凝縮しています。私ははじめて、村山知義と石垣栄太郎の作品を目にすることになりすこし昂奮しています。村山の戦後は東京芸術座を拠点とする演劇運動で知っていましたが、かれの絵画は初めてでした。この抽象の世界の解読はできませんでした。石垣栄太郎は石垣綾子の夫であり、米国労働運動の体験がそのまま表現されていますが、決してプロパガンダ的な作品ではありません。階級意識の芸術的表現の難しさを感じます。特に津田清楓の芸術人生には非情に興味を持ちました。さらに最も興味を持ったのは、香月泰男というシベリア抑留体験のある作家で、深く暗い色調に精神性を感じさせられました。他の大家の作品は技法、技術的に到底及ばない水準にありますが、かなり参考になりました。松坂屋(名古屋本店)美術館にて。中高年男女多し。(2007/5/2 14:44)

[「朝露」を聴きながら・・・・]
 尹健次氏のサイトをみていたらこの歌が流れていました。可憐で透き通った声にうたれてレコード店に行ったら、日本へは輸入していないということで、韓国から輸入することになりました。この女性歌手は韓国の学生運動期のフォーク全盛期に学生でデビューしたそうで、韓国では相当に有名な人だそうです。CD2枚組でかなり凝ったセンスのあるジャケットですが1920円でした。聞き始めると、ちょうど60年代にジョーン・バエズを聞いていた時の気持ちになったかのようです。韓国のポップスやフォーク、抵抗歌など幾つか聞きましたが、こうした静かなうたごえははじめてです。癒しか慰めのメロデイでしょうか、それとも静かな怒りの歌でしょうか。ハングル語の発音が中国語と違ってまた雰囲気を醸しだすようです。彼女の歌の背後には、なにか民族の苛烈なたたかいの残影があるような気がして、自然に涙が溢れてきます。ハングル語は全く読めませんので、歌詞が分からないのが残念です。或いは歌詞が分からないがゆえに、メロデイとハングル語韻の流れだけで独特の雰囲気が流れるのでしょうか、静かに聞き入るのです。数曲はアメリカのフォークもありますが、しみ入るような歌声が流れます。ひょっとしたらこれも”恨”なのでしょうか。なぜ日本ではこうしたリリシズムあふれる歌がつくられないのでしょうか。((2007/4/13 16:57)

[ゲーリー・カーを聴きながら・・・・・(2)]
 この震えるような重低音の弦の調べに私は打ちひしがれて頭を垂れるのです。幾多の音楽に魅入られながら、このコントラバスの調べはすべてを包み込んで赦しながら、えも知らぬ天井へいざなうような魅惑の調べを奏でて、究極における魂の調べを奏でているかのようです。彼はユダヤ系の出自のようです。そうであればこの魂にしみ通るような音の世界が少しは理解できるような気がするのです。まあアレコレの解釈をおいて、この沈積する音の世界に耳を澄ませばなりません。彼は宗教的信仰の世界に沈潜しているようですが、私は無神論者です。にもかかわらず彼の調べは、人間存在の深奥に語りかける調べなのです。
 彼も米国音楽市場で生き抜くとすれば、日本の叙情歌をも奏でていますが、それは私にはすべきでなかった痛みのように聞こえて参ります。窓を観れば天空に明るく光る月が輝いています。私はゲーリー・カーに打たれてすぐにレコード店に2種のCDを発注して聴いたのですが、KICC435には及びませんでした。バスの世界ではあまりにもパブロ・カザルスが有名なのですが、それはなぜなのかよく分かりません。やはりニューヨークの市場原理を生き抜く華麗な演奏がゲーリー・カーには必要だったのでしょうか。私は市場原理の世界をくぐり抜けようとする彼の姿勢にかえって妥協を峻拒する演奏の技に凝縮されたピリットを感じるのです。しばしこの私のスピーカーが壊れそうな重低音の世界に耽溺して思索にふける極上の時間を過ごしたいと思います。ああ〜アメイジング・グレイスを聴いていると私はいまここになんでいるのか・・・と思うのです。(2007/3/3 19:29)

[ゲーリー・カーを聴きながら・・・・]
 なんの気なしに立ち寄った中古レコード店で興味半分で買った。どこかで聞いた名前だな−と思ったが、ゲーリー・カーを聴いたのは多分初めてだ。重々しいコントラバスに載って、弦楽器の著名なメロデイが流れる。この床を震わすような重低音に圧倒させる。アメイジング・グレイスはまさに地の底から聞こえてくるような神の声に思えた。弦楽器の凄さに圧倒された。コントラバスは1611年製アマテイ。
 しかし私はゲーリー・カーを聴きながら、実はエリ・ヴィーゼル『死者の歌』を読んでいたのだ。自身が表現不可能だというアウシュヴィッツの地獄から奇跡的に生還した彼は、さまざまの想い出を語る。圧巻は、収容所のブロック長であったカポとテル・アヴィブのバスの中で出くわしてからの緊迫したやりとりの果てに、自分からかけだして逃げていく「自由」を云っているところだ。収容所の記憶はいまになっても過去の行為を蘇らせ、彼は自分の父を死に追いやったカポに復讐しないのだ。重々しいコントラバスのつぶやくような音と、強制収容所が重なって、なにかとんでもない時間が過ぎていったような気がする。(2007/2/14 17:25)

[『チョークで書く「希望」』(岩辺泰史 大月書店)より] 

  君たちに    ジャン・コクトー

 いつかは 天まで とどくほど
 大きくなるような 木の幹に
 君の名前を 彫りたまえ
 大理石に彫るよりも
 そのほうが ずっといいのだよ
 名前も いっしょに 伸びるのだ

  ひとりで考えているうちは 夢
  ふたりで話せば 希望
  三人で話せば 力

 筆者は東京の小学校教師としての37年を振り返ってつぶやいている。学級が崩壊して突発性難聴で入院したこともあるという。コクトーにこのような詩があったとは知らなかった。私も高校時代に裏庭の楓の樹にナイフである決意を刻んだことがある。何と刻んだかは恥ずかしいので云わないが、いまでもあの樹は残っているだろうか。こうした誠実溢れる書を読むと、日本の教育現場と行政に致命的なミスマッチが起こっているように思う。(2007/2/4 9:25)

[三角みず紀『幸せのカタチ』(ふきのとう書房 2007年)]
 この女性は1981年生まれの詩人です。04年に現代詩手帳賞を、翌年に中原中也賞を受賞していますから、日本の詩の世界ではもはやメジャーに近いのでしょうか、詩の世界に疎い私にはよく分かりません。少女期から激しいイジメを受け、拒食と過食を繰り返し、リストカットと自殺を何回か試み、ステロイドによる膠原病を発しています。写真を見ると、表情のない少女のような顔が映っています。彼女はメンタル系詩人といわれるそうです。なぜか名前を忘れた右翼系ロックの少女を想い起こしました。外向的な行動への発散か、内への自虐か方向が違うだけで本質的には同じような気がします。この世にはほんとうに震えるような細やかな神経の持ち主がいるのですね。なんでこの本を買ったのかよく分かりません。たった30分で読んで一応理解できたような気になりますが、おそらくほとんど何も分かっていないのでしょう、私は。どんなに考えても私とは違った世界を生きているような女性です。今の日本の詩人たちの世界はこういう世界なのでしょうか? NHKで詩のボクシングというのがあって、そこにアレコレと評論する世俗的な詩人たちが登場してウンザリする私ですが、選手たちは真剣そのものです。すごい溝があるナーと思うのです。三角氏と私のように。彼女の詩を一つだけ紹介しておきましょう。

  ビューテイフルデイ    三角みず紀

 素晴らしき快晴に衝動が込みあげる
 皆さん 御元気ですか
 御元気ですか
 とても美しい街を歩く
 歩く
 耳障りな少女の笑い声
 かしこまった街並
 深呼吸で衝動を抑え
 掌のナイフを隠し
 錠剤を飲み続け
 飲み続け
 少しづつ死んでゆく
 少しづつ死んでゆく私は人びとの
 行く末を考えて大笑い
 なんて美しい日だろう
 素晴らしき快晴に衝動が込み上げる
                           (2007/1/31 15:53)

[うたいたい歌はあるか]

  あの橋 小坂太郎

 歌について
 歌いたい人が
 歌いたい歌を
 歌いたい時に
 歌えばいい
 歌いたくないのに
 歌わされたり
 歌うことで証されたり
 歌わないことで
 非国民と烙印されたり
 そういう歌は歌いたくない  (『詩と思想』2007年1・2月合併号)

  ぼくの息子  ホアキン・エンリケ・アレタ(アルゼンチン 1974−83年に軍事政権により拉致、虐殺)

 ぼくが未来を思う時
 ぼくが何を求め
 何のためにたたかうのかを思う時
 ぼくが最高のことを口にし
 根本的なことを例示したい時
 ぼくは 彼の微笑みを眺める そしてそれで十分だ (同上誌)   (2007/1/25)

[汝 忠実なる献身の使徒よ 退職するNへ]

 この世に果たして
 報われることのない献身というものがあるだろうか
 あるともいえるし ないともいえる
 しかし 我らはそれをイメージできる人を確かに見た
 彼はときどきパチンコの喧噪に身を沈めもしたが
 それはかえって彼の人間を浮き彫りにした
 彼はいま静かに去ろうとしている
 大いなる喪失の痛みに耐えて
 香しい野の花を咲かしめながら ( 荒木國臣詠 2007/1/17)

[06年・美しい国への挽歌]
 夕暮れて子を呼ぶ声を遠く近く 聞きつつ独りの箸を揃える (相澤マサ子)
 
 身に棲まう鬼もあるゆえ手のひらに 五九個の豆を数える (風美樹子)

 なすべきをちらしの裏に書きおきて 明日うたがわず今日の灯を消す (塩谷千鶴子)

[ギュンター・グラスの告白]

 グラスは今回出版した回顧録『タマネギの皮を剥きながら』で、自身が武装親衛隊(SS)のメンバーだったと告白した。この告白をめぐって欧州で激しい議論が起こり、ノーベル賞剥奪を主張する意見も現れている。彼は15歳の時に家を出て生活したく、国防軍のUボート部隊に志願したが配属されたところが武装親衛隊だった。いうまでもなくSSは民族虐殺を中心任務とする最も犯罪的な部隊であった。15歳のグラスは、ヒトラー・ユーゲントに拍手喝采し、ナチスを批判する者への憎しみを覚える少年たちの1人だった。彼がナチスのホロコーストの事実を信じたのは、ニュルンベルグ裁判でのシーラッハ・ユーゲント総裁の証言が契機であり、それまではドイツ人がこのような行為をおこなうことはあり得ないと思っていた。敗戦の学習過程の中で、SSの過去の汚点を考え始めた。
 その時に少年だった私はなにゆえに正しい問いを発することができなかったのだろうか?
 自分はいかなる問いも発しなかった、決定的な問いを発しなかったではないか?

 戦後60数年を経て告白したグラスを責めることができるだろうか。当時の15歳の普通の少年でグラスとは違う行動をとった少年がいただろうか。多分いただろう。たとえいなくても彼には責があるといえるだろうか。600万人のユダヤ人を虐殺した殺人部隊の一員であった事実をなぜ60数年にわたって隠してきたのだろうか。彼はノーベル賞のメダルを手にする時に何を考えたのだろうか。
 はるか離れた東アジアから彼の選択を責める資格があるだろうか。あるとすれば治安維持法に抵抗し、日本の侵略の行為に加担しなかった者のみにある。戦時に15歳であった日本の少年たちがどうであったか−が問われる。グラスの長い沈黙と告白は、人間の弱さと強さを表している。ギュンター・グラス「60年後のいまなぜ沈黙を破るのか」(『世界』11月号)は、あまりにも淡々と自分の告白を語っているがゆえによく分からない。(2006/10/19 8:25)

[反戦川柳作家・鶴彬(つるあきら)没後69周年]
 鶴彬は1909年(明治42年)1月1日に石川県に生まれ、16歳で川柳を詠み始め、19歳でナップ(全日本無産者芸術連盟高松支部)を結成し、プロレタリア川柳を主唱し、21歳で金沢歩兵7連隊に入営し、軍隊内反戦活動によって治安維持法で懲役2年の判決をうけ、出獄後1937年再検挙され翌年9月14日獄中で赤痢のために絶命。遺体は兄・孝男が引き取り盛岡で埋葬。享年29歳9ヶ月。大阪城内の監獄跡地へ顕彰碑を建てる運動が進んでいる。

 手と足をもいで丸太にしてかへし

 胎内の動きを知るころ骨がつき

 枯れ芝よ!団結をして春を待つ

 暁をいだいて闇にゐる蕾

 暴風と海との恋を見ましたか

 思想と表現の自由を奪われた戦争とファッシズムの渦中を生き抜いた彼の作歌活動はわずか13年であり、それも自らのいのちと引き替えの魂の作業であった。治安維持法の犠牲者は復権されず、公的な過去の清算はない。こころある人がほそぼそと研鑽活動を続けているに過ぎない。最近どうも気になる。治安維持法の犠牲者の名誉を回復することなく、このまま永遠に罪人として闇に埋もれていく日本の姿に。韓国は過去史究明立法を制定し、旧日本植民地時代からの反民族的行為を暴き、犠牲者の名誉を回復して補償を始めている。歴史への根元的な姿勢の違いを覚える。日本の治安維持法犠牲者はもはや高齢でこの世から去ろうとしている。鶴彬を顕彰することは治安維持法犠牲者の名誉という失われた尊厳の回復に他ならない。日本は明治期の自由民権運動から大逆事件を経て治安維持法犠牲者に到るすべての非道の仕打ちに倒れた人を、正しく歴史に位置づける作業なしに歴史をほんとうに語ることはできない。公的な祈念施設ひとつない日本は、ほんとうに異常な反歴史の国だ。鶴彬をいま以て、”暁をいだいて闇にいる蕾”に放置している国とはいったいなんだろうか。歴史のモニュメントとして靖国神社がふたたび歴史の表舞台に登場しようとしている異様な情態にある日本を、鶴彬は墓のなからなお凝視しているように思う。(2006/9/13 15:28)

[錦米次郎とは誰か]
 錦米次郎(1914−2000年)は三重県松阪市の農民詩人、南京作戦に従軍し戦後は社会派詩人として活動。未発表の日記や詩300点が最近発見された。朝日新聞8月31日夕刊参照。

 無題 錦米次郎

 土壁に 門に
 弾丸の跡なまなましく
 おびただしく
 歪んだ薬莢が散乱している
 荒々しく削った柳の生木に
 墨痕淋璃の墓標の文字は
 荒々しく楊柳を削って立ててある
 その墓標をのこし
 静かにしかしくろい硝煙の夕暮れが漂いはじめた

 一人の従軍作家(於沙か戦) 錦米次郎

 ひとりの作家が従軍する
 ひとりの作家が戦線を訪れる
 おれは知っている
 その人の日灼けにくろい頬の色を
 やまの朝は楓が霧に濡れている
 あなたは谷の水で飯盒を洗っている
 あなたは夕べの軍用公路に
 腕章も白く前線から帰ってくる
 ひとりの作家が帰還する
 その作家はさっぱり何も書けなくなる
 自分は創作の任でないとの意味を漏らす
 おれも知っている
 そのひとも秋深む山の戦いに
 敵兵の
 屍体を踏みこえ踏み越えきたのだ


(コメント)
 なんと冷厳な観察眼だろう。しかも戦争への疑問が見え隠れする。最前線でいのちをあらそう自分と他者をこのように冷厳に見つめていた詩人がいたとは!(2006/8/31 18:02)

[I was born 吉野 弘]

 確か 英語を習い始めて間もない頃だ

 ある夏の宵。父と一緒に寺の境内を歩いてゆくと 青い霞の奥
 から浮き出るように 白い女がこちらにやってくる。物憂げに ゆ
 っくりと。

 女は身重らしかった。父に気兼ねしながらも僕は女の腹から眼
 を離さなかった。頭を下にした胎児の 柔軟なうごめきを 腹のあ
 たりに連想し それがやがて 世に生まれでることの不思議さに打た
 れていた。

 女はゆき過ぎた。

 少年の思いは飛躍しやすい。その時 僕は<生まれる>というこ
 とが まさしく<受け身>である訳を ふと諒解した。僕は興奮して
 父に話しかけた。
 ーやっぱり I was bornなんだねー
 父は怪訝そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返した。
 ーI was bornさ。受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせら
 れるんだ。自分の意志ではないんだねー

 その時 どんな驚きで 父は息子の言葉を聞いたか。僕の表情が
 単に無邪気として父の眼にうつり得たか。それを察するには 僕は
 まだ余りに幼かった。僕にとってこのことは文法上の単純な発見に過ぎなかったのだから。

 父は無言で暫く歩いた後 思いがけない話をした。
 ー蜻蛉という虫はね。生まれてから二、三日で死ぬんだそうだが
 それなら一体 なんのために世の中へ出てくるのかと そんなことがひど
 く気になった頃があってねー
 僕は父を見た。父は続けた。
 ー友人にその話をしたら 或る日 これが蜻蛉の雌だといって拡大
 鏡で見せてくれた。説明によると 口は全く退化して食物を摂るに
 適しない。胃の腑を開いても 入っているのは空気ばかり。見ると
 その通りなんだ。ところが 卵だけは腹の中にぎっしり充満してい
 て ほっそりとした胸の方にまで及んでいる。それはまるで 目まぐ
 るしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉もとまで こみあげ
 ているように見えるのだ。淋しい 光りの粒々だったね。私が友人 
 の方を振り向いて<卵>というと 彼も肯いて答えた。<せつなげだ
 ね>。そんなことがあってから間もなくのことだったんだよ。お母
 さんがお前を生み落としてすぐに死なれたのはー

 父の話はそれからあとは もう覚えていない。ただひとつ痛みの
 ように切なく 僕の脳裏に灼きついたものがあった。
 ーほっそりとした母の 胸の方まで 息苦しくふさいだ白い僕
 の肉体ー。

 (コメント)
 なにかがせりあがってきて息苦しくなってくるような詩です。幼くして母を亡くしたものでなければほんとうにこの哀しみはわからないでしょう。生きとし生けるものの、めぐりめぐるいのちの連鎖を感じさせます。いのちのはかなさとなお連綿として紡がれていくひとすじのつながりの結晶としていまの私があることの言い表すことのできないいとおしさをしみ込むようにうたいあげています。自らを生み落として逝った母への憧れのようなまなざしがあります。それにしてもこの父親はすばらしい意味の伝達者だと思います。子のチョットした一言にこのように こぼれ落ちるような繊細な意味を込めて反応する父親はそうはいないでしょう。合掌して両手を合わせるような気持ちになります。(2006/8/30 19:32)

[追悼 近藤芳美]
 近藤芳美氏は「アララギ」の若手で結社「未来」を立ち上げ、「民衆の短歌」を主張して現代短歌を主導し、6月21日に心不全でこの世を去った(享年93歳)。彼は今年の1月にプロテスタントの洗礼を受け、身内だけの葬儀では賛美歌が流れた。病室での3月26日に詠んだ歌が最後となった。

 マタイ受難曲そのゆたけさに豊穣に深夜はありぬ純粋のとき

 かれが朝日短歌の選者を退いてから、わたしは本気で朝日短歌を読む意欲を喪失した。それだけ近藤氏の存在は大きなものでした。わたしは朝日短歌に一歌も投稿した経験はないのですが、近藤氏が何を選歌したかはほんとうに注目していました。
 わたしの個人的な思い出を語ると、岡井隆が宮中歌会始の選者になった時に、わたしは近藤氏の自宅に電話して「前衛短歌の旗手がなんで天皇制に屈服するのか」と聞いたら、近藤氏は確か「それは個人の思想の自由だ」と怒りの口調で答えた記憶があります。率直にいって、わたしは近藤氏ですらこうなのかと失望を覚えました。それ以上の深いやりとりはないままに、わたしは電話を置きました。この点についてわたしは近藤芳美氏への評価を保留しますが、にもかかわらず氏が果たしてきた戦後短歌の意味を高く評価します。

 守り得し彼らの理論清しきに 吾が寝ねられぬ幾年ぶりぞ

 そしてなおかつ思うのです。ほとんどの歌人が戦前から戦後への転換をつねに、迎合的姿勢で乗り切ってきた罪責感の喪失を指摘せざるを得ないのです。短歌を支える叙情の限界を思想で乗り越えた歌人として、わたしは近藤氏に無条件に敬意を表するのです。合掌・・・(2006/7/31 19:04)

[朽ちはてる 荒木 國臣]

  そそりたつ超高層 バベルの塔のかたすみに
  ひっそりと傾いているあばら屋の向こう
  光をうしなったひとみたちが 工場の門へと向かう夜明け前に
  街ではコンビニのゴミをあさりながら 青年がたたずみ
  深夜を過ごした少女が眠りこけている
  
  ふるさとのみどりなす田園のかたすみで
  糧なき田に鍬を入れるルーテイーンがつづき
  虫を追うこどもたちの声がひびかなくなってから
  草むす廃屋が身を投げだしている
  シンとして飲みこまれるような静寂のなかへ シルバー人材の老いた姿が消えていく

  超高層は勝ちほこる蒼穹に屹立し
  田園はあくまで青い
  でもよくみると よくみると顔がない
  すでにして生きながらに逝った屍体が転んでいる    (2006/7/25 12:01作)

[エリ・ヴィーゼル『夜・夜明け・昼』]
 エリ・ヴィーゼルは1928年にトランシルバニアの小都市シゲトにユダヤ人として生まれ、1944年の春に15才でアウシュヴィッツ強制収容所に幽閉され、翌年にブッヒエンヴィッツ強制収容所に移されて解放を迎えたユダヤ人作家です。孤児となった彼は、ユダヤ人が絶滅した故郷への帰還を拒んでパリに行き56年に渡米して米国市民権を得て、フランス語で文筆活動を続け86年にノーベル平和賞を得ている。この小説は、強制収容所生活を描いた『夜』、新生イスラエルのテロリストとなって英兵捕虜を処刑する『夜明け』、ニューヨークでの女性との遍歴をとおして生き残った者の悲哀描く『昼』の3部編成となっています。

 私がユダヤ人のショアーに触れたのは、アンネ・フランク『アンネの日記』、フランクル『夜と霧』の作品や『愛の嵐』など幾つかの映画しかありません。収容所での囚人たちの実相の一端は『愛の嵐』でかすかに触れたような感じがしましたが、この作品で本格的なショアの体験のほんの一部を知り得た思いがします。体験そのものが伝達不可能な沈黙でしか語り得ないものであり、ただ私は呆然として頭を垂れるしかありませんでした。それは少年期にユダヤ教スピルチャリズムの世界を探求した著者が、収容所体験を経て神を疑い詛うようなことばを書き連ねていることに示されています。
 何も知らない若かりし私は、こんなに痛めつけられてなんでユダヤ人たちは暴動を起こさなかったんだろう−と疑問を抱いたこともありましたが、それは私の浅薄な認識でしかありませんでした。巨大なちからがすべての尊厳を奪ってしまった後には、人間は生ける抜け殻と化してしまい、所与の環境に埋め込まれてただひたすら命令によって動くモノと化していくのです。以下はアンソロジーです。

 トラックに満載された赤ん坊たちが、真っ赤に燃えさかる巨大な穴に積み荷のように投げ込まれている光景(著者はそれから眠れなくなった)
 整列した私たちは銘々左腕の袖をまくり上げて、針で番号を刻み込まれた。私はA−7713号となった。この他に私の名前はなくなった。
 幼いともだちのピーペルが何千名もの囚人の目の前で絞首刑となった。「いったい、神はどこにおられるのだ」と誰かが尋ね、「どこだって。ここにおられる−ここに、この絞首台に吊されておられる」とある男が答えた。その晩のスープは屍体の味がした。
 衰えて弱り切っていく父親を見放して、自分がどうやって生き残るかを考えている私にゾッとした。父親は殴りつけられ、くずれおちた。父の身体を探してパン切れをつかみ、むさぼり食い始めた。翌朝目が覚めると父の姿はなかった。夜明け前に焼却炉へ運ばれたに違いない。とうとう私は自由になった!私は15才であった。
 米軍がきて私たちが自由になった時のふるまいは、ただパンに飛びつくことだった。誰も良心や復讐のことは考えなかった。私ははじめて鏡に映る私の顔を見た。鏡のそこから、ひとつの屍体が私を見つめていた。その屍体のまなざしは、そののち片時も私を離れることがない。
 以上『夜』から。

 われわれの3分の1がナチスによって絶滅されつつあったとき、世界中は黙っていた。<汝殺すなかれ>の戒律を守ってきたのは、われわれだけだった。われわれは非人間的で不正者を追い払うために、彼らを殺そう・・・・・・(イスラエル テログループリーダー講義)。僕は運動の<第11戒>について勉強した。汝の敵を憎め−と。僕自身が濃灰色のナチス親衛隊の軍服を着ているのを思い描いた。神は軍服を着ていない。神はむしろ、戦闘員であり、テロリストなのだ。
 おれは3人の捕虜のうち一人を処刑せよという命令を受けた。おれは3人に命令して仲間同士で一人を選べと云った。もし拒めば全員銃殺だと。彼らはくじ引きをした。夜明けにおれは拳銃を首筋に当て一発の銃声を響かせた。(もし彼らがくじ引きを拒んだら)おれ自身が自殺しただろう。
 ぼくを裁かないで神をさばいてよ。宇宙を創造しておきながら、自由が死刑囚たちの死骸の上に立てられるようしにたのは・・・神なんだ。
以上『夜明け』から。

 恥ずかしさに苛まされるのは、刑吏どもではなく、犠牲者の方だ。運命に選ばれてしまったという、たまらない恥ずかしさ。神がこの上なく不正さえ犯すことができるという結論になるくらいなら、人間の方があらゆる罪悪を我が身に引き受ける方がよいというものだ。神は人間を必要としている。神は永遠の孤独という刑に処せられたために、自分を笑わせる玩具として人間を創造したのだ。
 苦しみは、人間のいちばん下劣なところ、いちばん卑怯なところを、そこを越えると獣になる。一口のパン、1秒の眠りのために隣の人の魂を犠牲にする。聖人というのはその終末を見なくて先に死んでいったひとのことだ。生き残った者は自分の顔を見ることができない、そこに怪物が映っているのではないかと気になるのです。
 人間の水準を超えたところへ高まりたいなどという夢を、ぼくは一度として抱いたことはない。人間は、彼を否認するものによってではなく、彼を肯定するものによって定義される。人間は、彼の前面でも横手でもなく、彼自身の内側に見いだされるものなのだ。
 地下の隠れ家に隠れているユダヤ人を捜索するナチスの警察犬がきた時に、乳飲み子が泣き始めて全員の生命を危機に陥れた。母親は必死であやそうとしたが駄目だった。「この子を始末して黙らせてくれ」と言われ、母親は闇の中で指をまさぐりながら頸を探した。地上に静寂が降り、犬だけが遠くで吠え続けていた。
 ぼくはかってのように、強烈に生きたい。透き通った黄昏を目にして涙が出るほど感動したい、劇場で大声で笑いたい、醜さの表れに反抗の叫びを上げたい、ぼくはふたたび生きはじめたい−ぼくはうまく嘘をつくもんだ。
 神は恥ずかしかったのだ。神は12才の女の子と寝るのが好きだ。そのことを察した人間は、死ななくてはならない。死は神を守る万人であり、淫売宿の門番女でしかない。12才の少女サラは、毎晩ナチス兵の部屋をまわるように命令された。生き残ったサラはいまパリで娼婦となっている。
 ぼくは自分が生きているのを、自由にパンを食べているのを、冬に上等の靴下をはいているのを、恥ずかしく罪深いように感じてしまう。あそこにいた者は、人類の狂気を持ち帰ってきたのだ。ぼくはいったんは死んだ死者としていまこの世に生きているんだ。
 幸福とは汽車が後戻りしてくるくることなんだろうなあ。ところが汽車はいつも前へ前へと進んでいくんだ。後戻りするのは煙だけなんだ。あの煙の味を人に伝えてはいけないんだ。ほかの人は自由や進歩について話しているけど、彼らは知らないんだよ。地球がもはや空っぽになって、巨大な汽車がなにもかも天へ運び去ってしまったのを。
 ≪彼≫はぼくの幼年時代を奪った。それはどうしてなのかと≪彼≫に問いただす権利がぼくにはある。
(*≪彼≫とは神のこと) 以上・『昼』から

 小説の一部を抜き出してアンソロジー化しても意味はないかも知れませんが、私は強烈な印象に残ったところを留めたいと思ってこういうことをしました。記載していないのでは、著名なポーランド人のヴァイオリニストが、息絶えていく前の深夜にヴェートーヴェンの協奏曲を奏でてこの世を去ったシーンでした。遺体の側には粉々に壊れたヴァイオリンが残されていました。虚ろになった囚人たちはもはや美しい音色に関心を示さず、ただ一切れのパンを争って襲撃したのでした。
 強制収容所行きの貨車に詰め込まれたユダヤ人たちは、いつもと変わらない晴れわたった青空のなかを、咲き乱れる花々をみながら、自分の運命を知らずさまざまの希望をいだいてアウシュヴィッツに行きました。収容所に着くと、世俗の身分や地位が消えてしまい、純粋なユダヤ人の共同体が出現したかのような解放感さえありました。しかしそこから600万人のいのちがリセットされる地獄の日々が始まったのです。生き残った者は、生きつつもなおこの600万人の影を背負って生きていかなければならないのです。人はある状況でどこまで人であり得るか−等と問うことそのものが野蛮なような気がします。ひょっとしたらマクシミリアン・コルベ神父は幸せな人生であったのではないかとさえ思わしめます。身代わりになって処刑された神父の行為の聖性を讃えて、聖人の座に列したローマ法王は最大の偽善者であるかも知れません。ヴァチカンは、ホロコーストの情報を知りながら沈黙しました。
 ショアのあとになって沈黙を批判する人がいますが、沈黙を批判する資格があるのは生き残って生還したユダヤ人にのみ許されることであって、ニュールンベルグ裁判でナチスを裁いた判事たちも、じつは裁かれなければならない人たちであったように思われます。そして沈黙しててはならない多くのことに、見て見ぬふりをしてきたわたしもまた。
 いま日本はひょっとしたら巨大な強制収容所と化しつつあるのではないでしょうか。中間搾取にあえいで搾り取られている非正規労働者たちが、いま焼却炉に投げ込まれるのを待っているユダヤ人の捕囚と重なってきます。非正規労働者が毎日工場の中へ消えていく姿は、まるで焼却炉を逃れた作業班の囚人が列をなして労働へ向かう姿ではないか! 北朝鮮系の民族学校の子どもたちを襲撃している日本人は、まるでナチスかカポーのように見えてきます。惨めな自分のルサンチマンをさらに惨めな囚人に向けて発散している点では同じではないか? 申し訳ありませんが、わたしはヴィーゼルの収容所での人間のふるまいの醜さと惨めさの描写に、打ちひしがれたと同時になにか言い難い感動さえ覚えたのです。極限において表出される醜悪な姿が逆に、真実に接近しようとしている自分の獣性とパラレルに昂進してくのです。わたし自身もナチスであり、カポーであり得るのです。そうした自分に戦慄を感じない摩滅した神経に驚くのです。わたしはナチス台頭期のドイツと似てきているのでしょうか。(2006/7/23 12:46)

[歌人たちは、1941年12月8日そして、1945年8月15日をどう歌ったか]

 1941年12月8日 太平洋戦争開戦

  皇御民皇御国に1億のの命ささげむ時今し来る   佐々木信綱
  天皇の戦宣らす時おかず奮ひ飛び立つ荒鷲が伴  北原白秋
  久しくも世界一なる民族と信じたりしを今証せり    窪田空穂
  勝たむ勝たむかならず勝たむかくおもひ微臣のわれも拳握るも 吉井勇
  撃てと宣らす大詔発す若かりし日の日露の役の号外の鈴  土岐善麿
  世界戦争の挑発者たる栄光をアメリカ大統領よ墓へもちて行け  土岐善麿
  み戦の詔書の前に涙落つ代は酷寒に入る師走にて  与謝野晶子
  絶待に勇猛捨身の攻撃を感謝するときにわれはひれ伏す  斎藤茂吉
  えんえん燃ゆる巨大な日の 十二月八日のこのひと時を今を  前田夕暮
  大勅のまにまに挙る一億を今日こそ知らめアメリカイギリスども  土屋文明
  国は今は一人の兵を要求す戦ひ果てむ病む体さへ  近藤芳美


 1945年8月15日 無条件降伏

  新草は焦土にし萌ゆ焼かんるも焼かれざる吾が日本精神あり  佐々木信綱
  おほに見む戦ならず寒にゐて一枝の梅の張り頸きはる  北原白秋
  大君の宣りたまふべき御詔かは 然る 御詔を われ聴かむとす  釈超空
  現つ神吾が大君の畏しや大御声もて宣らせたまふ  窪田空穂
  おほみこころ常に平和の上にあらせたまへり粛然として干かを収む  土岐善麿
  あなたは勝つものとおもってゐましたかと老いたる妻のさびしげにいふ  土岐善麿
  聖断はくだりたまひてかしこくも畏くもあるか涙しながる  (臣)斎藤茂吉
  天皇の大詔畏けれポツダム宣言承けいれたまふ  前田夕暮
  ざまを見よ、ざまを見よとし罵り歩む東京焦土空に一機なく  近藤芳美
  敗戦を俺は喜ぶ この日から 圧政の鎖が断ち切られたのだ  渡辺順三


 以上は三枝昂之『昭和短歌の精神史』(本阿弥書店 平成17年)から、1941年12月8日と1945年8月15日に日本の代表的歌人たちがどう詠んだかを抜粋したものです。日本短歌界の頂点をなす歌人たちがひしめいていますが、ほとんどの歌人たちは天皇制ファッシズムに呪縛されて、自らの自律した思想と感性を持つことなく、開戦時も敗戦時も天皇制賛美の歌をうたっています。ため息が出るような残酷な風景であり、短歌を含む芸術世界に生きた日本の精神のほとんど絶望的な貧しさを覚えます。他に岩間正男という戦後に共産党の国会議員を務めた人もいますが、かれも戦時期は天皇制と戦争宣揚の歌にまみれていました。逆に前川佐美雄はプロレタリア短歌から転向して天皇制賛美に走りました。日本の近代短歌の黎明を拓いた与謝野晶子が老いてなお、天皇制賛美の歌を奏でていることも、この上なく哀しいものです。数少ない例外が近藤芳美と渡辺順三ですが、渡辺は治安維持法で検挙されて開戦時の歌はなく、敗戦時の歌は彼の遵守した反戦の思想を高らかに歌いあげています。近藤芳美のみは直感的な抵抗派として、その思想と感性を貫通させています。
 戦時期には戦争を賛美し、敗戦に打ちひしがれて今度は戦後新憲法を宣揚するという大勢順応の無思想は、もはやどのような歌をリリックに歌いあげようと私は彼らの感性を原理的に疑います。この大勢順応的な無思想はしかし、彼ら歌人のみならず日本社会の全線に染みわたった文化風土そのものであったのでしょう。最近は思想的非転向を硬直した発想と批判し、転向者を賛美する評論家さえ大手を振って歩いていますから、日本の思想そのものが「思想」としての基礎条件すら構築していなかったと思わざるを得ません。私たちは60年前の戦争犯罪法廷でもっとも追求しなければならなかった最高責任者を無罪放免したところに、現代まで続く日本思想の曖昧なありかたが連綿として続いてきたのだと考えざるを得ません。私たちは依然として戦争にほんとうに決着をつけていないのです。その点で渡辺順三と近藤芳美の姿勢は学ぶべきものがあります。日本ではこういう姿勢を、よく言えば剛直といいますが、多くは教条と批判する雰囲気があります。三枝氏の論考は、そのような思想責任としての切り口はなく、感性の「純情」の次元で分析する限界があります。こうした発想は日本だから許されるのです。ヒトラーの行為は間違いだが、心情はピュアーであったとか、私は強制されて仕方なくやったのだーというような合理化は欧州では軽蔑され、絶対に公論の場に上りません。

 戦後直後の歌人の戦争犯罪を追求した動向をみてみよう。

 1945年11月 福本和夫 斎藤茂吉の戦争責任を批判
 1946年 3月 GHQ文学者追放指令第1次指定 浅野晃、林房雄、中河与一、山中峯太郎
        4月 小田切秀雄 斎藤茂吉を戦争歌人として批判 
        6月 新日本文学 戦争責任文学者25名発表 菊池寛、高村光太郎、西条八十、横光利一、保田輿重郎、佐藤春夫
                                     吉川英治、武者小路実篤、斎藤茂吉 
 1947年 7月 荒  正人 前川佐美雄 侵略戦争謳歌歌人と批判

 戦犯文学者として名指しされた人々は、批判をどう受けとめたのであろうか。多くは自らの戦争責任を封印し、戦後の文壇や歌壇に華やかに復活した。戦犯指定という方法に問題があろうが、自らの戦争と天皇制への感性を本格的に誠実に自己分析した人はいないのではないか。東北の寒村に退いた高村を例外として。他は原理的な左翼嫌いとして己が生命を閉じた。

 私は高校時代の国語教科書で斎藤茂吉を初めて知り、『赤光』『あらたま』の緊迫感溢れる短歌に深くこころを打たれた。その数首は今でも暗唱することができる。次の歌はいまでも心を締めつけられる。こうした感性の持ち主が天皇制と戦争を賛美したのだ。あまりに惨めで哀しい。この感性の連続性に何があるのかを、私は追求しなければならない。

 死に近き母に添い寝のしんしんと 遠田の蛙 天に聞こゆる
 故郷の母の姿を一目見ん 一目見んとぞ ただに急げる


 或いは、戦前期のレジスタンス運動で獄中で狂死した教え子の女学生・伊藤千代子を偲んだ土屋文明の歌もこころを撃つものがある。こうした感性がなぜ天皇制戦争賛美に走ったのだろうか。

 こころざしつつたふれし少女よ 新しき光のなかにおきて思はむ


 戦後の第二芸術論争で短歌を全否定する激しい批判が起こったが、その根拠はその戦争詠にあった。戦犯歌人を含めて戦争芸術の総括はほんとうに終わっていないのではなかろうか。近藤芳美が朝日新聞短歌欄の選者を退いてから、私はほとんど朝日の短歌欄をみなくなった。都留重人が論説委員を退いてからの朝日の論説と同じく、狭隘な私生活主義の感性に嵌りこんでいっているような気がするからだ。(未完)  −2006/7/15 22:39

 こうした歌人たちの戦争責任の未完はすべての芸術分野に及んでいる。エコール・ド・パリの画家として名高い藤田嗣治の生誕120周年展が全国巡回し、はじめて戦争画5点が展示され、「戦場の極端な悲惨さを迫真的に描いている」(加藤周一 朝日新聞5月24日)などと高く評価され、一部の美術評論家は反戦画とするまでに称揚するに到っている。芸術を時代から切り離して観るのも間違いだが、時代に埋没させて裁断するのも間違いだ。その両面から評価しなければならない。
 さて藤田嗣冶は軍部の要請で国民の戦意昂揚と作戦記録のための「作戦記録画」として自ら積極的に描画した。凡百の他の画家にはない、戦闘の迫真的な悲惨さが戦場体験のない彼の想像力と描画力がうかがわれる。しかしそこにあるのは紛れもなく殉死の美学である。凄惨極まりない玉砕の倒錯の美である。戦争とともに日本に帰還し、敗戦とともに日本を捨てた藤田の姿勢がある。画家の戦争責任の無思想性が映し出されている。(追記 2006/9/13 13:00)

[Micchael Ende:Das Gefangnis der Freiheit自由の牢獄(岩波書店)]
 ミヒャエル・エンデを初めて読んだ。なんとも摩訶不思議なファンタジックな世界を描きながら、フィロソフィックなテーマの思索が展開される。「奴隷状態以外を知らない奴隷は、おとなしい奴隷だ。捕虜生活しか知らない捕虜は、自由が奪われていることを苦しまない」といった箴言がちりばめられている。自由の牢獄は、選択の自由が与えられており、選んだ瞬間に選んだ対象の束縛を受け、その結果一切の選択が不可能となるジョルダンンの驢馬のような自由のパラドックスを描いている。
 人間の自由な思索が縦横に展開されるが、なにかニヒルな感じが漂うと言ったら、読み違えだろうか。欧州の精神活動の深さを堪能できるが、よほどの成熟した老練な魂でなければ、エンデの世界を越えていくことはできないだろう。こうした表現活動が供給される欧州の精神的文化風土がうらやましく感じるとともに、第3世界の精神的貧困を思うと、そのめくるめく差異に哀しみを覚えるばかりだ。(2006/6/9 17:02)

[Klaus Kordonクラウス・コルドン『Die roten Matrosen oder Ein vergessener Winter赤い水兵或いはある忘れられた冬(邦題 ベルリン1919)』(理論社)]
 第1次大戦末期の1918年11月の独キール軍港の水兵反乱から、ドイツ革命による帝政打倒を経て、革命の方向をめぐるベルリン市街戦のただ中を生きたあるスパルダクス団員家族の一員である子どもの目を通したベルリン現代史の3部作の第1作である。カール・リープクネヒトやローザ・ルクセンブルグが等身大で登場する、ドイツ20世紀の前半を描く大河ドラマと言えよう。まるでアルビノーニの「アダージョ」をBGMとして聴いているような感じだ。
 今から思えばこの時代の左翼が違った戦術を採用しておれば、後のヒトラーの独裁もなくまた第2次大戦もなかったと思われるような、ドイツ現代史の過酷な歴史体験を同時代的に味わうことができる。そしてドイツもフランスもイギリスもイタリアも含めて、苛烈な国内内戦状況を生き抜いてきたということが分かる。その点は前出の『太白山脈』も同じだ。こうしてみると、日本がいかに特殊な国であったかを改めて痛感する。日本でも自由民権運動や大正デモクラシー運動などの近代化運動はあったが、民衆が街頭に出て政府を争う人民的運動の体験を持たない国であったと痛感せざるを得ない。
 何なんだろうこれは! 日本は自分の頭で行動し、自分の命を賭けても自分の主張を実現しようとした体験がないのではないか! 大勢に順応し、鬼畜米英といったかと思えば、すぐに日米同盟といい、矜持と誇りを知らないままに強者に追随してきた歴史があるような気がする。こうした歴史と体験の深みの差が、薄っぺらな現代日本のカルチャーを形成しているような気がする。日本のノーベル賞作家が、川端とか大江なんていう、ほとんど私小説に近いのもそれを象徴している。日本では骨太の大河小説は現れないだろう・・・と哀しくなりそうだ。
 さて第2作はヒットラー登場から第2次大戦の悲劇を描く。ほとんど成功しかけたドイツ社会主義革命が、なぜナチズムに敗北していったのか、そればかりか世界史上最も悲惨なホロコーストに手を染めるドイツに到ったのか。歴史に「・・・たら」「・・・・れば」は禁句と云うが、それは違う。過去史の悔恨の中から現代を生きる指標が浮かび上がるにおいてこそ、歴史は歴史として意味を持つのだと思う。

 作中で印象に残った言葉を記しておきます。

 「どこの出でもいい、どこへ行くかが問題だ。出身で人間を判断したら、俺たちはカール・リープクネヒトもいないし、ローザ・ルクセンブルグもいないことになる」
 「世の中には3種類の人間がいるんだ。一つは面白ければそれでいいという連中だ。彼らは一緒に行進し、いざとなれば人を殺しもする。2つ目は、何が起こっているか理解しない連中さ。殺人者の本能を見抜けず、喝采を送る人たちだ。第3は、いわゆるイエスマンだよ。何が起こっているかちゃんと分かっているのに、我が身大事で口をつむぐ連中だ。この連中が一番数が多く厄介なんだ」


 コイズミとかいう首相のパフォーマンスに拍手を送った人は2番目だ。衆愚制選挙では多数を制した。靖国参拝を見て見ぬふりをし、君が代不起立処分を横目で見ている人は3番目だ。結局のところ現代日本でも同じなのだ。その結論はニヒルな独裁を歓呼の声で迎えることになるのだろうか。(2006/7/4 19:56)

 Klaus Kordon『MIT DEM RUCKEN ZUR WAND壁を背にして(邦題 ベルリン1933)』(理論社)
 第1作の水兵の次男ハンスを主人公として展開されるヒトラー政権把握から独裁体制樹立にいたる激動のベルリンが描かれる。ナチスと社会民主党・ドイツ共産党の3大勢力のなかでもっとも少数であったナチがなぜ政権把握に到ったかがヴィヴィッドに描写される。それにしても世界第恐慌の破局がいかに凄まじいものであったか、街頭での示威運動に主力が傾注され、相互に武装して殺戮し合う激闘が展開される。ナチスの基盤が、主として事務労働者や中間層であり、しかも突撃隊は粗野なルンプロを中心に編成されたヤクザ集団にちかいものであり、ドイツ共産党と社会民主党が激しく労働者を争奪し合う関係にあり、ついに連合してナチスに対抗することができなかったこと等々教科書歴史の背後にある生々しい実態が活写される。ヒトラー政権獲得後も、その独裁への危惧やユダヤ人迫害などを予想しないで数週間で政権崩壊に到ると信じていた雰囲気も現代に通じるものがある。ドイツ共産党とナチスが手を組んで共同してストライキをおこなうなどびっくりする。ヒットラー政権樹立後の夜の松明行進の情景は圧巻だ。ごく普通の小市民がなぜ熱狂してヒットラー支持に熱中していったかが少し分かったような気がする。読み始めたらぐいぐいと引き込まれてついに朝を迎えた。 
 第1部は自費で購入したが、第2部は図書館で借りた。この小説が、児童書コーナーに置いてあったのには驚いた。(2006/7/14 21:30)

[趙廷來(チョウ ジョン ネ)『太白山脈』(集英社)]
 私がこの小説を知ったのは、東京・有楽町で何の気なしに入った映画館で上映されていた林権澤(イム・グオンテク)の同名の映画を観た時です。3時間近いドラマチックな長編映画で、その迫力に圧倒された覚えがある。あれはたしか1995年だったろうか。そして今年に韓国の抵抗と平和の旅というツアーに参加して、『太白山脈』の舞台をまわったが、その時は原作は読んでいなかった。今から思うとなぜ旅に出る前に読んでおかなかったのかと、悔やまれる。そして今、なにしろ全10巻、1巻400頁として実に4000頁にわたる巨編をわずか4日間で読了した。こんなドキドキ昂奮して、次はどうなるんだろうというエランビタールを味わったのは、ほんとうに久しぶりだ。作者は1943年生まれだから、今年62歳になるのか、韓国を代表する国民的作家という高い評価を得ているそうだ(他に『黄土』、『流刑の地』、『アリラン』、『20年間、雨の降り続く土地』など)。この作品は、00年時点で500万部を突破し、今も部数を伸ばしているというから(人口4000万人の韓国で!)、青年以上はほとんど読んでいるということになる。日本で国民的作家といえば、夏目漱石、森鴎外、吉川英治、司馬遼太郎等を指すのだろうが、全くカテゴリーが違う。むしろロマン・ロランやビクトル・ユーゴ、トルストイに匹敵するような巨匠というイメージだ。

 日本帝国主義からの解放後の1948年から1950年の朝鮮戦争までの朝鮮半島の激動を、全羅南道・筏橋を舞台に熾烈な左翼と右翼の血で血を洗う苛烈な闘いをヴィヴィッドに描く。めまぐるしい権力交代と、米軍の介入による荒廃のなかで、朝鮮民族が受けた内戦の痛みと傷跡は想像を超えるものがある。筏橋という街は私も旅で訪れ、パルチザン根拠地となった山もバスで立ち寄ったが、その時は小説を読んでいなかったのでリアルな実感は起こらなかった。おもえば、20世紀の後半世紀にもっともミゼラブルで痛ましい体験をした民族が韓半島であり、いまも分断の中でそれは続き、その源流に日本の植民地支配があったことを思うと、いま騒がれいる拉致問題など吹っ飛んでしまうような罪責を日本が刻んでいたことに気づかされる(拉致被害者の哀しみを否定するものではないが)。そして現代韓国での、ノムヒョン政権の誕生や民主労働党の前進の背景に、こうした韓国現代史の血の滲むような体験が深く深く沈積していることを痛感する。それに較べて、我が日本の現代史が実は植民地支配に胡座をかいてきた歴史であり、侵略した側の歴史であり、過去の罪責を清算しないままズルズルときたあまりに、「醜い!」歴史なんだということを身にしみて感じる。朝鮮・韓国と日本は、ほんとうに歴史体験の内実の深みが全く違うように思う。この作品を読めば、アジア人がなぜ広島・長崎への核爆弾投下を歓びを挙げて評価するかが分かる。朝鮮戦争による特需景気で沸き返り、その後の高度成長で世界2位に進出したと喜んでいる風景がいかに恥ずべき感性かが分かる。
 
 日本の子どもたちにアジア史を教える場合の必須の教材となるのではないか。日本との関係で云えば、いとも簡単に土地改革を受容した日本(命令した米軍)と、この土地改革をめぐる激烈な争闘に明け暮れなければならなかった南朝鮮(米軍はなぜ韓国では土地改革をさぼったのだろう?)に、その後の歴史の展開に大きな違いが生まれたような気がする(勝利した毛沢東型ゲリラ戦争を適用した南朝鮮の民主化運動に問題があったのだろうか?)。
この作品のすごいのは、「リアリズム文学」の基準である典型的状況における典型的人間の形象化という基準を超えた、豊かな個性表現が繊細かつ縦横に展開されていることにあると思う。その条件は、容共と反共という偏見に満ちた価値観を超えた「人間」の赤裸々な全体性を描いているところにあると思う。人間は天使でもあり悪魔でもあり、崇高な気高さと醜い弱さも併せ持つ、存在であることを活写し、崇高な天使性が少数派となって敗北していくがゆえに、それがより美しく際だつというパラドックスを逃げることなく示す。

 こうした作品を国民的文学としてほとんど全国民が読んでいる国と、せいぜい夏目や森、吉川英治や司馬のレベルでしか国民をイメージできない国とでは、ほとんど絶望的なヒューマニテイーの違いが生まれるのではないだろうか。日本では、ほとんど左翼はサヨクとして漫画化され、狭隘な歪んだ私生活の中でしか文学を語れない日本には未来はないーと断言できる哀しい現状がある。

 以上は『太白山脈』の原理的は評価ですが、ただしこの作品に問題がないとは云えない。あまりの長編であるがゆえに、部分的に展開のほころびがある。たとえば、パルチザンが戦略転換で偽装帰順方針をとり、最高幹部がいともあっさりとそれを実行するところ。そうした戦術に疑問を持つ幹部が、いともアッサリと上級幹部に説得されていくところ。或いは儒教的な年功序列性や家父長制の感性が、内在的に批判されず、左翼すらいざというときにそれを利用していくところ、或いは個人崇拝など。これを当時の歴史的条件に規定されたものとしてしまえば、これらを乗り越えようとした史的実在は形象化されないまま終わる。それは現在の北朝鮮の神格政治的なシステムの源流にあるのではないかとも思う。ただし北朝鮮の神格システムを単純に半封建的遺制として切って捨てるような分析が、いかに単純なものであるかはこの作品を通して実感できる。

 とにもかくにも、韓国はハイレベルの国民文学を持ち、日本はいかに薄っぺらな文学しかないというこの差は如何ともしがたいほどに、無惨だ。(2006/6/30 22:/13)

ユン・ミジン&パク・チュン来日コンサート(2006/5/20)
 新宿で開催されたコンサートのDVDが送られてきた。「歌よ はばたけ 韓国の民衆歌謡」と題されている。まるで日本の戦前期か戦後の歌声運動が蘇っているかのような歌だ。そこには素朴な民衆の連帯と希望をシンプルに信じ合える、日本ではいつも何か喪われてしまった世界がある。おそらく日本の普通の若者が聞いたら、相当の違和感を覚えるだろう。しかし私は、懐かしい時代の感性を想い起こして無条件に感情移入した。よく考えると、現在の日本は私たちの想像を絶する奇怪な時代に入っているのではないだろうか。それは、人と人が互いにオオカミとなっていがみ合う感覚が日常となっているかのようだ。韓国は、確実に東アジアを領導するデモクラシー国家となっていることを実感させる。その内実は、欧州型社会国家のデモクラシーであって、米国型のリベラルではない。とくに「非正規労働廃絶同盟の歌」なんて云うのを聞くと、とても日本ではつくれないし、歌えない歌だと思う。日本が人間的な結合を喪って、深く傷つき漂流している現実の深刻さを気づかせるコンサートだ。(2006/6/26 22:19)

ホロコーストを生き抜いたユダヤ人の心性−Elie Wiesel 『LE CREPUSCULE,AU LOIN(たそがれ、遥かに)』(人文書院)
 エリ・ヴィーゼルは1944年に15歳でアウシュヴィッツに収容され、翌45年にブーヘンヴァルト収容所に移送され奇跡的に生き残って解放され、現在はボストン大で教鞭を執り、86年にノーベル平和賞を受賞している。デビュー作の『夜』が有名だが、私が彼の作品を読んだのは初めてだ。ホロコーストのなかを生きたユダヤ人の狂気のような心性があぶり出される。極限に追いつめられて人間がどのように変貌していくのか、その痛ましさは想像を絶する。秘密結社が逮捕者が拷問で自白するのを前提に組織原則を作らねばならないことが想い出される。平和的な日常で健やかに才能を発揮しているヒューマンな人が、汚濁にまみれているありさまは筆舌に尽くせない。全編が重々しいニヒルに包まれ、もはや希望なんて言葉を使うことすらが滑稽な感じだ。
 ヴィーゼルは敬虔なユダヤ教徒であるらしいが(あったらしいが)、その彼が神に対する不信を剥き出しにする姿は残酷だ。輝かしい解放者の姿をとったソ連・赤軍・NGKVのユダヤ政策の残酷さも伝わってくる。ヴィーゼルの反共主義的な心情もここから来るのであろう。そのような究極の汚濁のなかからかすかな希望を探る。

 「人間は悪を消すことはできない。しかしそれを自覚することはできる。人間は輝かしい夜をつくることはできない。しかしそれを待ち望んで語ることはできる」
 「君は神を信じているかい?」「それを尋ねなきゃあいかんのは、神にだよ」
 「(大虐殺をとめなかった)神はただ単に忙しすぎだけではないか。無関心であったのだ」
 「おやまあ、あんたはお祈りをしているのかい? あんたは気が狂っている、かわいそうに」

 人間がどこまで野獣になり得るか? 人間がどこまで堕落し得るか? その真っ只中を生きた彼はすべてを見た。まさに「見るべき程のことは見つ」・・・すべてを見た人が生き残った後にどう生きていくのか、私は呆然と凝視するしかない。しかし私は、彼にどうしても問うてみたいのだ。あなた方ユダヤ人が受けたホロコーストの残虐を、いまパレスチナ人へ同じ仕打ちをしているのではないか。この答えをどうしても聞きたい。(2006/6/25 11:36)

近藤芳美(93)の逝去に寄せて

 たちまちに君の姿を霧とざし 或る楽章をわれは思ひき (『早春歌』)

 みづからの行為はすでに逃る無し 行きて名を記す平和宣言に (『歴史』)

 森くらくからまる網を逃れのがれ ひとつまぼろしの吾の黒豹 (『黒豹』)


 93歳で亡くなった近藤芳美への追悼文で、馬場あき子がとりあげた3首である。率直に言って私は、近藤芳美が朝日歌壇の選者を去ってから、朝日歌壇への関心を著しく喪った。たとえ馬場あき子が残っていようとも、近藤の去った後の空虚感は取り返しがつかない感じがした。馬場の追悼文は、「行為者たり得ない苦悩と屈折感」をたたえた「クールに醒めた知的判断の魅力」は「澄んだ客観を保って狂わぬ判断」を理想としたと、最大限の賛辞を捧げている。誰しも親しき人の遺体を目の前に置いて、激する感情を制御して評価を加えることは難しいが、しか敢えて云えば文学の世界ではこのように逝った人への追慕の言辞によって、その人の歴史的位置と足跡を定める作業に於いて、いささか感傷に流れてきた。それが逝った人も後継者をも不幸にしてきたのではないか。
 なぜ私がこのような死者に冷酷なことを云うかと云えば、岡井隆が宮中歌会始の選者になった時に、私は近藤芳美に電話して、ハッキリ言ってこれは転向ではないのかと詰問した。近藤氏は、それは個人の自由意志ではないかと、いささか気色ばんで応答した。私は天皇制に屈服した岡井隆を、擁護する近藤氏の答えに気落ちした。前衛歌人と称せられて戦後短歌界を主導した人物の認識はこの程度であったのかと思った。この直観は今もって変わっていない。私は、近藤氏の戦争体験に裏打ちされた立ち位置を評価するが、同時にそこに限界を感じる。それは馬場あき子氏にあってもおなじだ。進んで天皇賛美に転じた岡井隆はさらに許し難い。しかし岡井と2者の間には決定的断絶がある。その断絶を受容するかのような近藤氏の対応に、私はメジャーであるがゆえに、その令名にすがることはやめようと思った。近藤芳美の逝去の報に接して。(2006/6/23 19:24)

日本現代詩の自己閉塞−『現代詩手帳』6月号から

 生誕節 渡辺めぐみ

 沈黙のハロー
 街は快晴
 わたしなんか
 どこにもいない

 オカリナ 渡辺めぐみ

 わたしをさがす
 光の果てに ほんの少しでも
 わたしが在ることを
 それだけを 信じて
 わたしは わたしから
 何気なく 剥がれた
 出血は小さく
 オカリナが
 聞こえた

 佐々木幹郎氏によれば、「いっせいに新しい言語の感触を浮かび上がらせてきた」のだそうだ。これが現代日本の20−30代の詩人が、上の世代の媒介を経ずにじかに喋り始めたという。彼らのキーワードは「瓦礫」や「カケラ」であり、佐々木氏は「カケラ」と「カケラ」を繋ぐ液状が大事だという。佐々木氏のような詩人が他者に講釈を垂れている詩界は実に惨めだ。彼は、行きづまってため息を漏らすような若い詩人のいく果てのないニヒルな状況がほとんど分かっていない。
 ここにあるのは、人間が意味を喪って崩れていく果てに、かすかな希望の異郷を求めて彷徨っている震えるような神経系に他ならない。佐々木氏は、どうせ新宿のどこかの飲屋街で酒をあおりながら、シニカルな心情で荒廃を評論しているのだろう。私は、むしろここまで追いつめられて失意の淵にある若者の心情を掬いあげる方途はどこにあるのかと自省する中年詩人の自責をこそ期待したが、それは所詮ムダなことであった。私は、日本の若い詩人たちに告げたい。あなた方はリアルで原初的な絶望の体験がない、それはあなた方の責ではない、しかし想像力を駆使すれば虚妄のバーチャル・コミュニケーションの本質を暴き、もっと鋭い刃を大人に向かって発せられないのか。フランツ・ファノンやセゼール、韓国の詩界のほとばしり出るような野蛮な情念の発露から忘れられた若い感性をこそ復権すべきではないか。率直にいって、ここまで日本現代詩が、自己閉塞した袋小路の蟻地獄の世界に沈積して、ソト外界への関心を喪失しているとは思わなかった。(2006/6/20 19:07)

宗左近とはこういう詩人だったのか!?

 1945年5月25日の東京大空襲で母と逃げまどった彼は、四谷左門町で焼夷弾の日の雨の中で、母は焼死させた。炎の中にハハヲ置き去りにし、母を見殺しにした罪の意識から逃れることができません。絶望、虚無感、苦悩。行き場のない自責の念と苦悶、母への深い愛情・・・それが自分の詩作の原点だ。宗左近(本名・古賀照一)というペンネームは、東京大空襲で死線を彷徨った時の「そうさ、こん畜生!」からきている。

 ワタシハハハヲオキザリニシタ
 ワタシハハハヲミゴロシニシタ

 母の焼けてしまった身体を
 焦げた丸ごとの鰹みたいになってしまった身体を
 なぜ人々はもう一度焼かなければ気がすまないのだろうか

 見えている炎の海はたちさったけれど
 見えない炎の海があふれかえっているのだから
 燃えつづけて炎えやまない母だから・・・


 宗左近は、軍事訓練に一度も参加しなかった。絶食、体重激減、病で徴兵忌避を試みた。1945年3月26日に横須賀海兵団への召集令状が届き、入営後の8日に軍医の前で神経病を装って即日帰郷となった。天皇のためにアリのように殺されてたまるか。民主憲法の樹下には、戦死した若者の屍体が埋まっている。その血と肉である理念を根から吸い上げていくからこそ、あんなに美しい花を咲かせることができるのだ。まさに「きけわだつみのこえ」の世代の絶唱ではある。

 召集を受けた海兵隊から
 気違いを装ってぬけでてきた
 わたしの顔で二つに分かれて流れていた


 地球上で日本人だけが櫻の花に乱舞するのはなぜだろうか。(東京新聞05年5月16日夕刊)

 櫻の木の下には屍体が埋まっていると梶井基次郎は書いた。
 櫻の樹は先祖の屍体を吸って、櫻の花を咲かせるのだ。
 先祖の魂が、わたしたち子孫の魂を鎮魂するために咲かせるのだ。
 戦争で死んだ若者の屍体の生命の液を吸った櫻は
 非戦の誓いである憲法9条を咲かせた。
 非戦の誓いは私の友人たちの屍体の生命の液を吸って咲きいでた櫻の花に他ならない。
 だからこそ実に哀しく、このうえなく美しい。
 櫻が咲くと死んだ母が蘇って、私の苦しみと悩みを解き放ってくれる。
 だからこそ、みんなは櫻に狂い、踊り、歌い、酔っぱらうのだ。
 だからこそ私も叫ぶ「咲けよ 初夏にも日本の櫻」と


 後継の世代がどうあらねばならいか、もはやなんの説明もいらない。私たちが、二度と母を炎のなかに置き去りにすることのない世を、無辜の子どもたちに伝える責務がゆだねられている。85歳になる詩人は、詩を書くまでに45年の年から22年を要した。(2006/5/28 21:16)

アメリカ19 趙 南哲 (『詩画集 グッドバイ アメリカ』アートン 2003年)

 オレたちは持ってもいいが
 おまえたちは持ってはいけない

 オレたちは使ってもいいが
 おまえたちは使ってはいけない

 オレたちは何をしてもいいが
 おまえたちは何もしてはいけない

 オレたちは繁栄する国土と国民を守ってもいいが
 おまえたちは荒廃した国土と支配された国民を守ってはいけない

 オレたちはやられる前にやってもいいが
 おまえたちはやられてもやり返してはいけない

 オレたちはアメリカだから殺してもいいが
 おまえたちはアメリカでないから殺してはいけない


 評)ウーン 9.11以降の世界を表現すればこうなるんだ 『グッバイ レーニン』というドイツ映画は旧ソ連をノスタルジックに描いたが、この詩集の題名はそこから戯画的に借用しているのだろうか、多分そうではないだろう。いったい趙 南哲という詩人はどういう人なんだろう。奥付けをみると、1955年広島生まれとある。在日だからこそ、こういう詩が書けるのだろうか。日本の詩人は怖がって誰も書かないテーマだ。書いてもゴツゴツして教条的だ。単純であることのまっとうさが、真実を掴んでいる。まるでファノンの『地に呪われたる者』の感性が現代によみがえったようだ。連休に入って喧噪を極める日本は、水俣病者に補償しないで米国に3兆円をプレゼントする政府を抱えて喜んでいるかのように、素朴な怒りの感情は詩人からもとっくの昔に喪われて久しい。(2006/5/1 22:20)

ある「退廃芸術家」の生涯
 旧ナチスは政権獲得後に、平和とヒューマニテイを追求する芸術家を「退廃芸術家」に指定し、作品の破壊や国外追放をおこなって自由な表現を徹底的に弾圧した。いま東京芸大美術館で「エルンスト・バルバラ展」が開かれている。彼は1870年1月2日に、ハンブルグ郊外のヴェーデルに生まれ、工業デザイナーを志して古典主義教育を受けパリに行った。当時の世紀末時代は象徴派、印象派、アール・ヌーボーの百花繚乱の時期であったが、パリになじめなかった彼は1906年のウクライナ旅行で、大地に生きる人間くさい民衆の姿を見て衝撃を受け、自らの芸術表現の拠点を見いだし、中世以来の木彫と版画に焦点を定めた。第1次大戦開戦に昂奮した彼は、その戦争で苦しむ民衆の姿を見て、ケーテ・コルヴィッツなどと非戦雑誌を創刊し、各地に戦没者慰霊碑をつくった。ナチスは彼の活動を嫌悪し、1937年に「退廃芸術家」に指定し、作品を破壊して国外追放処分とした。絶望した彼は、1938年10月24日ロストックで病死した。第2次大戦後、彼の戦没者記念碑は次々と再建され、彫刻観に衝撃的な影響を与えている。
 ナチの愛国心やゲルマン魂に非協力の姿勢を示した芸術家の悲惨な末路を通して、芸術と歴史の本質的な関係が浮かび上がってきます。彼が日本に知られなかったのは、もっぱらパリやニューヨークの動向を追ってきた日本美術界の世界認識が如何に歪んだものであるかを示している。いまふたたび、愛国と大和魂というナチスばりの超国家主義が跋扈し始めている日本で、バルバラのような芸術家が出現するだろうか。「ドイツ表現主義の彫刻家エルンスト・バルバラ展」(5月28日迄 東京芸大美術館)。(2006/4/21 9:08)

パブロ・ピカソ『海辺の母子像』の背後になにが描かれていたか
 ピカソの『海辺の母子像』(1902年)は「青の時代」(1901−04)の代表作であり、海辺を目を閉じて歩む赤ん坊を抱いた母が描かれている。ポーラ美術館は展示にあたってこの絵のX線透過撮影を行い、その結果この絵の裏に、かって華やかだった雰囲気の女性像や酒のグラスが、カンヴァスに描かれていたことが判明した。親友を自死で失ったピカソの衝撃が「青の時代」へと向かう精神的軌跡をうかがうことができる。青春の歓びを謳歌して「キュビズム」といわれる前衛絵画革命の旗手としてデビューしたピカソは、「青の時代」を経てリアルな社会批判に踏み切り、37年には『ゲルニカ』を発表してナチスを鋭く告発した。第2次大戦中にフランス共産党員となった彼は、祖国スペインのフランコ独裁政権に抵抗し二度と故国に足を踏み入れることはなかった。昨年年末のスペイン旅行を想い出す。「ピカソ 5つのテーマ」展(ポーラ美術館 箱根町 〜9月17日)より。

京都弁訳唐詩(筧文生『漢語いろいろ』岩波書店)

 古別離 孟郊

 別れんと欲して郎の衣を牽く
 郎は今何処にか到る
 帰り来たることの遅きは恨みざるも
 臨きゅうには去ること莫かれ

 (京都弁訳)

 さいならする時 うちあんさんの
 袖引いて 言うた
 あんさん 何処に行かはるつもりや
 帰りが遅なるはんは しゃあないけど
 臨きょうの街にだけは 行ったら いやえ
 
「善意」の暴力と信仰共同体ーアナ・ファンダー『監視国家』(白水社)と野町和嘉『メッカ』(岩波書店)
 豪州の女性弁護士・ジャーナリストによるベルリンの壁崩壊後の、旧東独秘密機関シュタージの元メンバーと抵抗者へのインタビューから旧東独の一面が浮き彫りとなり、もう一冊はカメラマンによるイスラム巡礼の迫真の動向ルポであるが、この2冊には何の関連もない。しかし信仰体系への包摂という点で考えさせられるものがある。前者は仮想された社会システムの究極のメンテナンス技術のもとで、人間がどこまで歪むかを個の内面を対象に示し、後者はマスとしての共同性が信念体系に於いて全身を包むことを示して個の存在はない。

 シュタージが蓄積した旧東独国民に関するファイルは180km
 その解読を手作業で進めれば375年間かかる
 旧東独国民1700万人、シュタージ職員9万7000人、密告協力者17万3000人、パート情報提供者含めて6,5人に1人が監視する側にあった
 1989年時点の教会指導者の65%が情報提供者であった

 なぜ人類史の「本史」に歩み出たはずの旧東独で、かくも多くの国民が阿Qの心情に陥ったのか。それは性善説でもなく、性悪説でもなく、性弱説の証しなのか? 私たちは旧東独の秘密文書の公開によって、旧東独社会主義の恐るべき側面を知るが、では日本の過去の罪責のファイルは公開されたか?が問い直される。それを承知のうえで言うならば、ナチスに最も果敢に抵抗した人々が、冷戦の渦中にあってナチスをはるかに超える監視システムを敷かなければ体制を維持できなかったことを赤裸々に解明する必要がある。一般的に内向的な人は現実を正しく認識できるが、朗らかな人は羞悪な世界を健康に生きることができるという(訳者あとがき)。このあたりに分析のツールがあるのだろうか。 

 『メッカ』は文字通りムスリムのハッジの100万ー200万が喜悦の境地に生きる瞬間をレンズを通して写し出している。この信仰の巨大なちからを私は分析する力がない。原理の純潔と歴史が背反して、時間が止まっているいるような文化は私の思考を越えている。東京への往復新幹線の車中で一気に読んだ。(20006/4/8 19:23)

花は憂いの・・・・韓国・済州島と光州を訪ねて詠む(荒木 國臣)

 花は憂いのたそがれに けむる雨にぞ 静かに去りぬ

 昂揚画描きし君は欧州の 廃屋いずこ カソリック改宗に救われしか否(藤田嗣冶に)

 猛々しく批判の言の葉 荒れしいて 今宵をもちて汝れにサヨナラ(つまらぬ人へ)

 明日はまたい出立つわれら 集いきて 杯を交わしつ 虚栄の杯を(韓国旧日本軍飛行場跡地にて)

 よく見よと静かに声のつぶやきて 君が血潮をいかに継ぐらむ(光州学生共同墓地にて)

 蕭々と風吹きわたる荒涼の みどりの大地に日帝戦機たしか(旧日本軍飛行場格納庫跡にて)

 往き往きて我らが父祖の傷跡に 茫洋はるか 沈かに消えぬ(旧日本軍飛行場跡にて)

 波静か 刻みぬほこら跡かなし 戦さの果てに誰が弔う(人間魚雷回天基地を見て)

 何ぞ散りし若人のひとみまっすぐに 我らが生の現在を射抜く(光州5・8共同墓地にて)

 哀しくも舞いゆく可憐ただよわせ 酒飲む異人の喧噪をみつつ(パンソリを聞きつつ夕食をする) 

 哀切の調べ極まる夕べにて 君は誰にぞ訴えおらん(パンソリの絶唱を聞きつつ酒を飲む)

                                                  −2006/4/2 19:03

もう一つの日本の歌アンソロジー

 ここには華やかな詩歌界ではなく、時代の激動と向かい合って埋もれていった人たちの歌が編んであります。現代詩歌がリアリテイから離れて閉塞した叙情をさまようている状況は、戦前期ファッシズムに向かいつつあった時代の感性のありさまと酷似しています。時代の葛藤に正面から対峙して敗れ去った人たちの記憶をよみがえらせることは決して無意味な作業ではないでしょう。ジャンルは短歌、俳句、川柳です。無名、有名な歌びとを問わず、言葉が剣よりも強い衝撃力を確かにもっていることを証すしているのではないでしょうか。

 かなしきは小樽の人よ
 歌うことなきひとびとの
 声の荒さよ        (1912年『悲しき玩具』より 石川啄木)

 日本に住み
 日本のくにのことばもて言うは危うし
 わが思うこと              (1912年『黄昏に』より 土岐哀果)

 世の中をわれもすこしは見てきたり
 魂いれかえて百姓をせん       (1914年『生活と芸術』 唐木伝)

 凡俗がなにを知るやと
  昂然と
 或る夜はものを云わざりしかな  

 われはきたなき労働者なりー
 むすめ! むすめ!
 顔をそむけよ            (1924年『絶望の歌』 渡辺順三)

 復讐に似しもの胸の底にあり一念は火となりて燃え立つ (1934年『わけしいのちの歌』 江口渙)

 我がこころ
 何れはわかるときあらむ
 しずかに獄に下らんとおもう

 治維法の被告となりて
 いつ知らず去り行きしとも
 幾人かはあり          (1939年『囚衣集』 山田清三郎)

 わたくしが縛られている
 そのことが
 マルクスの正しさを証明します

 河上先生が強制労働をする
 独房から
 初夏の青葉は見えるのだろうか

 一流の人物はことごとく
 獄にあり
 時代の変遷を深く思うよ     (1933年『人民』 大塚金之助)

 のちの世は どうなろうとも ここにながるる
 無辜のなみだを たれかつぐなう       (1928年 大熊信行)

 あかるい社会を思うひとたちの深いこころは草を分けて知れ (1919年『プロレタリア短歌集』 前川佐美雄)

 あかつきの窓ほのぼのと白みつつ
 試練のひと日吾が檻に来る 

 いちはやく
 研究会をぬけ出した
 ひとはいま田舎の
 特高課長             (1936年『文学評論』 太田燎一郎)

 牢を出れば先ず山に行んなど思う
 われはコミュニストこの心哀し    (1930年『獄中にて歌える』 斉藤英三)

 お袋よ そんな淋しい顔をしないで
 どうしてこんなに苦しいのかそれを考えてください (1930年『プロレタリア短歌集』 小沢介士)

 ははから にぎらされた 銀貨が ぼうっと ぬくもっていた
 いくねんまえ あさしも ふんで わかれてきた

 ぎりり にわとりの くびを しめつけて おれのこころは
 ようやく すわる                         (1937年『まるめら』 佐々木妙二)

 米の飯もろくに食えない子もいる
 君が代を歌わせていて 心が疲れてしまう  (1931年 村山俊太郎)

 あすは とおく こもりにやられるという おまえの おおきいゴムぐつ
 あめなかをゆく からかさかたむけ
 さようなら さようなら さようなら      

 けさは おかゆをすすって きました とても ひもじくて
 たかとび などは できないのです            (1932年 遠藤友介)

 裁判長の読みあげる
 貧しい 母の嘆願書
 聞くまいとして
 涙をこぼしてしまう     (1934年『詩精神』 雪寿夫)

 こんな日にこんな世にとことんぶつかっていく生命がほしい  (1934年『詩精神』 松崎広三)

 窓の見える
 窓際に寝て
 書くだけは
 書いて死なむと
 プランを樹てる   (1934年『詩精神』 三川秀夫)

 差し入れの書籍についてる
 あぶら手の 指紋見つめて
 日もくれなんとす         (1935年『詩精神』 一条徹)

 うちへかえりたい?
 ときけば 素直にうなづいた
 十三の子の髪なでてやる

 大きすぎる
 工場着縫いこんで
 着せてみながら
 妹のようないとしさがわく

 おっ母さん! あなたを おもう心ふかければこそ
 いっぽんの塵のようにふりすててきた          (1935年『詩精神』 田中律子)

 語らえば眼かがやく処女等に思ひいづ
        諏訪女学校にありし頃のこと

 清き世にこひねがひつつひたすらなる
        処女等の中に今日はもの言ふ

 芝生あり林あり白き校舎あり
        清き世ねがふ少女あれこそ 

 まをとめのただ素直にて行きにしを
        囚へられ獄に死にき五年がほどに

 こころざしつつたふれし少女よ
        新しき光の中におきて思はむ

 高き世をただめざす少女等ここに見れば 
        伊藤千代子がことぞかなしき (1935年 某日某学園にて 『アララギ』 土屋文明)

 赤い花もない 黄色い花もない
 たった一色白く咲きそろえた 思想の貧困

 逆流にうかび泡となるまでの存在もある
 大衆はしずかな底のながれにいて      (1937年『生活の歌』 長谷川誠一)

 そむきては父かえり来ぬ生まれやにやみつついたくきずつきしむね (1937年『短歌評論』 中本たか子)

 吹きつのる暴風雨の中に
 一燈の揺るがないを
 凝視めて過ぎた      (1937年『短歌評論』 赤木健介(伊豆公夫))

 散らすまい
 たった一つの赤い花だ
 山茶花の根元に
 支棒をたてる

 獄中の
 友の便りが着いた朝
 寒風のなかで
 山茶花 凛烈と咲く   (1937年『短歌評論』 福島和人)

 三井三池炭坑の地底に
 十四の春から馬ひいてる俺だ
 友だ
 今日も坑道を痩せ馬ひいてゆく  (1937年『生活の歌』 林 冬二)

 偉くなれ 強くなれ
 故郷をでてきた
 少年工の肩をたたいた
 ーあとのいらだたしさ   (1937年『生活の歌』 渡会朝吉)

 生きのこる
 やりきれなさを肚に据えて
 時機のくらさに耐えん思う   (1937年『生活の歌』 佐藤吉之助)

 戦争があるのでしょうかと
 ただ一人の
 息子に生きる
 母の暗い顔   (1937年 井口陸平)

 金鳴らしつつおのが影掘るは囚人 

 俺の思想が街角でストップされた 

 夕焼のけれども地球は動いているんだ (

 思想が氷結したような月夜のビルジングが直角

 資本が磁石のようにラッシュアワーの人屑が規則的な

 死顔に蚊がとまる何として死にし

 向日葵よまたぶちこわされた組織があったのだ

 一夜の巨大な暴富をつんだ人間があって都会が疲れている

 いきどおりに燃えて夜の凍て迫るものに耐えている

 しんじつ生きむに北風のすさぶ世間とは何だ     (1917−1939年『俳句生活』 栗林一石路)

 すこし血に染まった言葉で人が人に検束されていく

 おいら娘を売ったまでよ 今年も日照らぬ田よ寒むかんべ

 憎しみの弾装填する日の銃と似て澄みきった銃口   (1930−1936 橋本夢道)

 アリラン哀し両足ちぢめて眠ろうとするだけ

 民ぐさのねぎごとは何ぞこの国のいくさ未だ熄まず  (1937−38年『俳句生活』 神代藤平)

 白日下に兵の骨壺が捧げられ故国の青き山迫る  (1937年『俳句研究』 横山林二)

 人間が人間をそくばくして炎天の道つくる  (1930年『旗』 林冬二)

 飢え死にする者に失業統計表が何になるてんだ  (1930年『旗』 栂井野蕪路)

 神聖なりと云う労働に凍死あり (1931年『文学新聞』 真智子)

 いまにも思想が飛び出しそうな労働者の死体

 もう親もない児童でにぎりめし渡された  (1937年『俳句生活』 伊藤棒地)

 正義だと騙して殺す方もある  (1929年『川柳人』 井上剣花坊)

 満ち足りた人だけ神を知っている

 片眼だけつぶして右へ来いという

 追えば座をかえて一分を生きる蠅

 男から奴隷を削るメスを研ぐ

 飢えます何か下さい人語は尽きる

 一本の鞭へ供えた肉と骨

 青春を地に投げ入れて春を待つ

 天に星なく地は剣に光り

 否定なき集い無人の夜の如し  (1927ー36年『川柳人』 井上信子)

 去勢してさあ革命を言いたまえ

 資本主義の工場ニヒリストの煙突

 飢えにける舌ー火を吐かんとして抜かれ

 病んでいる子を殺しても裏切れず

 搾取器へー
 村落から二八の春を
 吸うている
          *二八は16歳のこと

 修身にない孝行で淫売婦

 裏切りをしろと病気の子の寝顔

 踏み殺し切れぬ蟻に孔雀は気が狂い

 裏切りの夜から情痴の虫となり

 ユダヤの血絶てば狂犬の血が残るばかり

 産卵せねばしめ殺す手で餌をあてがわれ

 しゃもの国万歳とたおれた屍を蠅がむしっている  (1928−37年 鶴 彬)

 新春へどしんどしんと虚偽の束  (1934年『川柳人』 山村比呂志)

 風呂敷をコッソリ解いて出す思想

 蒼天をめがけ命伸ばす蔓   (1929−33年『川柳人』 藤井赤とん坊)

 真理の立上る迄は鞭が勝って来る  (1933年『川柳人』 中島国夫)

 うず高き髑髏の上に立つ文化

 神様だパンだ仏だ使用価値

 飢えさせておいて道義の鞭をあて  (1929−30年『川柳人』 岡本嘘夢)

 人間に生み落とされて犬に似る  (1930年『川柳人』 山見風柳人)

 碧空へ叛歌の如くいなびかり  (1933年『川柳人』 松尾柳思朗)

 桜咲く村へ語らぬ子が帰る  (1934年『川柳人』 石原秋刀魚)


 まだ肌寒い春の風が吹きぬける窓辺に曙光の指しくる部屋にて。隅のTVからWBC日韓戦の嬌声が響いている。(2006/3/19 12:37)

金石範「鴉の死」(平凡社)
 恐ろしい小説です。米占領下の朝鮮南半島の単独選挙に反対する済州島4・3蜂起が舞台で、1ヶ月間で1600人を超える民間人を含む4000人以上が死傷し、3600人のゲリラが投降しました。この小説はその蜂起の前夜におけるゲリラのスパイとして警察に勤務する人物の極限状況の孤独を描きます。金石範の実質的デビュー作であり、長編『火山島』の母体となった作品です。味方をも恋人をも偽らねばならないスパイの二重生活の痛ましい心情は想像を絶する。60歳を越えた老人が、ゲリラの生首を籠に入れて、市中を歩いて触れ回り、金を稼ごうとする情景は、まさに内戦の地獄を描いて圧巻です。ゲリラがでた家族は村人もろとも全員皆殺しになる。広場に集められて公開処刑が行われる。いつ密告されるかも知れない不安と戦いながら、戦々恐々と生きるスパイの日常。最愛の恋人が処刑されるのを笑って見つめなければならないスパイ。自分が歴史からどのような評価を受けるか分からない恐れ。最後は自分がスパイであることが発覚することを予測させて終わる。その後に予測される残酷な拷問は読者の創造に委ねられる。朝鮮民族がいかに苛烈な体験を経て今日にあるかを知って、私は凝然と頭を垂れる。もし日本の植民地強制がなかりせば、このような過酷な体験は起こりえなかったことを想えば、わが民族の可罰的責任の深い責任を突きつけられる。
 さらに私が思うことは、金石範という在日朝鮮人作家が、朝鮮語の表現を捨てて、日本人をはるかに超える豊か迫真的な日本語表現でもってこの作品を記していることだ。いったい外国語を駆使して、みずからの民族のこのような悲惨を加害民族に向かって表現することは、被虐民族にとってどのような意味を持っているのであろうか。
 いまNHK・FMから日本のバラード風の若者のヒップホップが流れてくる。雲が流れて、どこからきて、どこへ向かうのか、分からないままに、立ち尽くす・・・といったアイデンテイテイ探求の歌だ。誰もがあてもない旅をして、いつかどこかで出会えるように・・・・(スロウマップ)。「鴉の死」を読んだ後では、笑えてくるようなおめでたい歌だ。いったい日本は本気で生きて、本気で死んだ体験があるのだろうか。あの太平洋戦争期の「本気」が虚飾であったことが分かった後に。大江健三郎の作品すら、小市民のおずおずしたちっぽけな良心の溜め息でしかないように思える。つまらない日常を生きる浅ましい日本の姿を、日本人のあまりのおめでたさを射抜くに充分な威力をもつ作品です。(2006/3/7 21:49)

金時鐘『わが生と詩』(岩波書店 2004年)
 苛烈な人生を生き抜いた在日詩人の講演・対談集。その激しくも痛ましい体験から奔流のように放射される日本語は銃弾となって日本を射るが、同時に同伴者に対する共同と慈愛が溢れでている。日本の知性がこの国を根底から射抜く分析の力を喪失して漂流し始めているなかで、在日という独自の視座から私たちはこの国の表層をうがつ光を受けているようだ。植民地朝鮮で少年期を生きた彼は、骨の髄まで日本文化と日本的心情を身につけた皇国少年として成長し、日本の敗戦を挫折した亜日本人として受け入れ、そうした痛ましい被支配植民地人としての自らを真に解放していく苦衷に満ちた歴程を今も歩んでいる。輝かしい理想であった祖国・北共和国との訣別による抑圧の10数年を経て、いま凛として屹立する姿をさらして、この世から去っていこうとする決意者であるようだ。「国家」の実体とかくも自覚的に全身を賭して対峙した表現者を私は知らない。おもわず姿勢を正して、日常の頽廃を正される少年のような心境になる。もう少し早く彼に出会っていたらと思うほどの衝撃を残して、この書を閉じた。おそらく彼と同じような、或いはもっとすさまじい経験を秘めた在日がいるだろうが、彼はその類い希なる日本語による表現力によって、在日の相貌を後世に刻んでいる。想像力だけでこのような認識に至り得るのかー思考の基礎にある体験の決定的なちからを痛感した。あまりに疲れたので今宵はここで終わる。(2006/2/7 00:20)

 金時鐘氏の日本語分析は独特の鋭さがある。植民地化で日本語以外を知らずに成長し、解放後にハングルを身につけ、在日として日本と朝鮮の二重性のただ中を生きてきたからだ。彼は朝鮮での子ども時代の体験から日本語の特徴を次のように語っている。

 「私は国民学校4年生から朝鮮語は学校で一切禁止された皇国臣民教育を受けた。宮本不可止という古武士然とした校長先生は、運動場を見回っては出し抜けに声をかけて質問し、日本語で答えられないと頬面を張るんですよね。それは激しい往復ビンタで何発も張り飛ばすので恐い先生と思われていました。日本語に自信のあった私は恐くなかったのですが、ある日先生がきて「これはお前が落としたんだろうと言って、縄跳びの切れ端を見せました。私は身に覚えがないので「違います」と自信を持って答えたら、とたんに目も眩むようなビンタを頬面にくらい、朝礼が終わるまで平手打ちが続きました。私の鼓膜は破れ、耳からも鼻からも血を出したものでした。校長先生は踵を返しながら「いいえと云え」とひとこと言って朝礼台のほうへ向かわれたのです。
 この校長先生は朝鮮の子どもが憎くてしごいたのではなく、天皇陛下の赤子にすることこそ子どもたちを幸福にし、朝鮮をよくすることだとと心底思っている教育者なのです。幾つぐらいでしたかな。数えの12歳ぐらいでしたか。それから私にとっては、「いいえ」という短い言葉が、身に染みついた特別な日本語になっています。確かに「いいえ」という打ち消しは、丁寧語の中間的な柔らかさをもっているいい言葉です。相手の言い分をひとまず認めて、柔らかくいなし、気を荒立てずにすみます。波風を立てない、ものごとの是非を正すよりは平穏な状態を永続させる日本人の知恵がありますね。
 私の国では中庸をとる中和的な言葉がないのです。私たちは「である」か「でない」のどちらかで、正面衝突しやすい言葉なのです。日本語は明治政府の標準語指定から、事柄の真実を明示するよりも、関係を荒立てない修辞語に非常に磨きがかかり、躾にすぐれた教科書言語が行き渡りました。たとえば「おかせられましては」という特別敬語は国語審議会で廃止の対象はならず、相手を推し量って恭順さを装飾する言葉として生きています。敬愛の念が本当にあるかどうかは別ですが(笑い)。日本語は関係を即断しない優柔不断にふるまえる点で有効です。日本の中和的な言葉を褒めてきたようですが、本音のところは、日本の人もシャキッとメリハリをつけてほしいとも思うんです。これが「いいえ」という骨身に沁みたつらい言葉から学んだことです」
(以上筆者一部修正あり)。

 金時鐘氏のやわらかな語り口に驚きます。自らに暴行を加えた日本人教師をいまもっって、憎しみを込めて呼び捨てにせず、「校長先生」とある尊敬を込めて呼び、しかもそのピュアーな姿勢を評価さえしているようです。朝鮮独特の儒教文化の影響があるのかも知れませんが、私は「アー日本は文化としても敗北しているんだ」とつくづく思います。私は高校時代の朝礼で全員が整列していたときに、体育教師から頭をゴツンと叩かれたことがあります。制帽を脱ぐことを忘れていたからです。しかしあの屈辱感と辱めの記憶はいまも消えていません。それいらい体育教師は軽蔑と憎しみの対象となりました。だけれどあれほど激しい熾烈な植民地支配を受けた人である金時鐘氏が示した、旧宗主国での講演で、かくも淡々と自らの過去を振り返る広さと深さに頭を垂れます。そうした苛烈な体験を日本語と朝鮮語の言語分析に深めていく認識の力にも感心するばかりです。他の講演での言葉も少し紹介しておきましょう。

 「死者は同じでも戦争をしでかした側の死者と、戦争を強いられた側の死者は明らかに分けるべきでしょう。日本がかっての戦争で及ぼした被害は、教科書数字で2000万人ですが、その死者を抱えた家族をいれると数億に及ぶでしょう。誤解を恐れず云えば原爆の被害は手放しでむごたらしいと云える筋のものではない。一瞬にして消えた何十万の命はむごたらしい惨禍でありむごいことです。しかし日本は2発の原爆によって、一夜にしてみずからを戦争「殉難國」に成り変わり、過去の罪責から自らを解き放っていったのです。この夏の記憶を、私たちは冷厳にみずからに問い直して糺さなければならない」(「私の8月」より)

 「拉致と過去の清算を比肩したり、相殺してはならない。過去の清算は、朝鮮民族が不可抗力的に被った民族受難であり、侵すべからざる私たちの悲劇の栄光なんだ。これは汚してはならないことなんだ。その民族受難は、北半分の特定国家がしでかした国家犯罪と等質であるはずがない。無辜の市民を無差別に拉致するということは、おぞましいにもほどがある恥ずかしいことです。拉致家族の悲嘆がそれほどに深いものがあるならば、それに千倍する悲嘆を私たちは味わった。拉致と過去の清算を同列に置きたくないのは、私たちがより人間的であるという証明を僕がしたいがてめでもある。・・・・・差別する者もされる者も人間が損なわれる。むしろ人間が醜く損なわれるのは差別する側だ。より醜いのは、差別されていることすら知らない状態で、差別されている人間だ。そういう仕組みを細やかにたどり、言っていくのが僕の主張だった。・・・・・・知っていくためには知ろうと努める小さな意識があって、知ろうと努めるその小さな意識を十重二十重に包み込むだけの、知らせる力がいつも溢れていないと、知ろうと努める意識とか欲求とかが掬い取られることはまずない」(「拉致、お互いを見つめなおす契機」より)
                   (2006/2/7 21:54)

日々よ、愛うすきそこひの闇よ  金時鐘   (『光州詩片』福武書店 1983年 所収)

 まだ夢を見ようというのですか?
 明日はきりもなく今日を重ねて明日なのに
 明日がまだ今日でない光にあふれるともいうのでですか?
 今日を過ごしたように新しい年に立ち入らないでください。
 ただ長けて老成する日々を
 そうやすやすと受け入れないでください。
 やってくるあしたが明日だとはがぎらないのです。

 日々をさらして透けてしまった
 すっかり忘れられる愛でもあるのです。
 行った年にこそ目覚めなさい。
 さかしい自足にからまれて去った
 今日でない今日の昨日を見据えなさい。
 それがあなたのかかえる闇です。
 見据えなさい。見据えなさい。またも変わる年のまえに。

 そうです。年は行ってしまうものです。
 待たなくてもいい年を待って、とっていく年がだからあるのです。
 だから年月が 経なくてもいい年月のなかで 節くれるのであり
 黄ばんでうすれてもささくれ一つ

 過去が残す歳月はないのです。
 だからおよしなさい。
 待つことだけの明日であるなら、今のうちにお仕舞いなさい。
 明日がそのまま今日であっては
 やってくる明日が途方に暮れます。
 それでも明日がすべてですか?
 今日の今日を失くすのですか?
 陽が陰ります。
 地平の彼方ははやくもあふれる朝の光です。
 思いおこしなさい。思いおこしなさい。どこで燃えた一日なのかを。

 たしかにありました。燃えた熱気にゆらめいた日が、
 生きるよすがを明日に見た
 今日という今日もありはしました。
 記憶の外で底びかっている
 遠い蜃気楼の日にありました
 すべてはやり過ごしてしまったむかし語りです。
 待つことすらもこまぎれて いつとはなしに背かれていった
 日々のなかの白い時間です。
 もはや誰にも交わされますまい。。
 関わりきれた日でもないので
 うずく日など来もしますまい。
 閉ざした心に刺さる朝は来ますまい。来ますまい。
 明日とはともに来ますまい。

 余りにの永い時が経ち、余りにも多くを見過ごしたので
 今日はいつも過ぎ去る日にしかありませんでした。
 光景がかたどる風景のように
 昼は昼の日射しの尾根を傾いていき
 四季は四季の季節だけをかたどって
 黄道が投げる光の影に溶けいったのです。
 思いおこす夏とてないまま やたらとぎすぎすしい我執がはぼこり
 小さい俗っぽく、不信に熟れる反目の時をひきつらせました。
 それで時はこわばったのです。

 流れる歳月に滞って、昨日の今日をひび入らせたのです。
 つないだ世代がまたも世代をつなぐというのに
 この今日だけが彼らの受け取るあしたなのです。
 みどり児のあどけない 朝にかけて
 思い見なさい。思い見なさい。またも白む朝のまえに。

 なにがあるというのですか?
 今日が今日であったなんの証しが、あなたの今日にあったのですか?
 返された笑みでしたか? ねじれた嫌悪のお返しでしたか?
 とって返した踵ではなく それでも求めた手だったのですか?
 出会えない仕切の 向こうとここで
 交わせる言葉のひとひらくらいはとどけましたか、届きましたか。

 同胞と僑胞はどの夜の、どのようなしじまで安らいだので
 同じ呼び名がせめぎあう 日日のきしみはなくなりましたか?
 そうも方便に在日をこなして
 それでも不幸は 日本暮らしが仇なのですね!?
 やめにしましょう。人さまのせいで耐えるってことは。
 そこひの闇をまぎれていながら、痩せた条理の鰓だけが張る
 さもしい正義は捨てるとしましょう。手馴れた手順の手際のような。

 すべては狎れがひしいだ落とし子です。
 押しやられて鬼子となった
 かすれた愛のよじれなのです。
 恨みすらも均らされて 願いまでがうすれてしまった
 呪文のはずの年月なのです。
 三六が恨みだとは 皆して言ってきた繰り言でした。
 ぐちることとてもはやない、呆けた年はなんといいましょう?
 当てがわれるだけが自由だった 藻抜けの殻の解放のほどは。
 やはり待つべき明日なのでしょうね?
 鉄窓で萎える若さがあって
 火傷に燗れる呻きがあっても
 春は目出度く、年は年ごと寿ぐ朝を寄こすのでしょうね?
 間もなく満ちる臨月です。
 散らしてしまった三六年を こともなげに継ぎ足すだけの。

 もう戻らないでしょう。祖国が祈りだった あのさやかなもえぎの季節は。
 なにもかもが移ろうていって
 思いを一つにこぞっていられた 恨みの日日さえ遠のいたのです。 
 どれほど待たれるあしたであろうと
 変わることから変わってしまった あしたは同じ昨日の今日でしょう。
 待って亡くした遠い悔いです。
 振り向くほどのこともない 押しやった愛のかげりなのです。
 見ることは見ました。経ることを経ずに 経るだけの日日は経てもきました。
 主義はいつも民族のまえにありましたので
 思想に明け渡される同族のことでは ついぞ痛まなかった年月でした。
 それがゆらぐのです。冷えた胸に緑火は青く、裂け目の奥をゆらめいてくるのです。
 見つめましょう。今はしずかにそこひの闇をひたすときです。
 あるいは報復されるべきものに 純一でない祖国があるのかも知れません。
 見つめましょう。見つめましょう。かかえた闇のたぎる炎で。

 *金時鐘は1929年に元山で生まれ、済州島・光州で成長した。17歳で解放を迎えた彼は皇民化教育で朝鮮語は学んでいない。弾圧を受けて日本に逃げ、現在は奈良に在住の在日詩人です。日本語を駆使しながら在日の底にある心性を歌いあげます。絶望と言うにはあまりに過酷な痛苦の体験を超えて、なお希望を歌います。私のつたない思考ではとても評論はできません。どうかこの長編詩を読んでください。(2006/2/3 22:04)

時計店にて 芳 恵子

 そこへ行くと
 なにもかもが在ったような気がしたものだ
 視えるものも視えないものも
 死という意味を添えてはじめて生きてくるし
 小声で語られるような
 解放や歴史などはなく
 あらゆる瞬間を凝縮した充実だけがあると
 おもっていた

 そこでどちらを選ぼうと
 それは全くきみの自由であったはずなのだ
 時は無口で不親切だけれども
 きみの周囲の誰よりも
 おもいやりがあったのは本当だ
 いまはひとしずくの吐息でさえ
 測られる時計があり
 無駄なことや不必要なことは
 なにひとつなく
 一針ごとの進行にきちんと換算されて
 ぼくらはその請求書どおりの
 代価を支払っている

 そこには最初から
 どんな問題もおこる余地などなかったのだ
 すべての期待は
 ぼくらの手ににぎられている10円硬貨
 きみがそれを掴んで
 駄菓子屋に走った幼い頃から
 この関係はいつも同じだ
 ぼくらに与えられた可能性というのも
 そんなものだ

 それでも きみは
 じぶんを社会に投影して語るような
 夢も持たず
 世界が病んだ目つきで
 通り過ぎようとしたときも
 わずかな身振りで
 ひきとめることもしなかった
 まして
 傾斜したこころのうえで
 ようやく現在とつりあっていけるような
 ひとびとの名付けられない不安に立ち会いながら
 一方で
 激しく自分を否定することができたか
 だから
 その位置から きみが
 または ぼくらが
 さまざまな時の表情を
 ゆるやかに象るためには
 いくつものたたかいと その
 許されなかった物語が
 果実の手触りよりもやさしく
 墜ちていかなければならなかった

 いま とおく
 へだてられた怒りから
 くらい動作でたちあがり
 ひそかに告発に加担するため
 きみの眼は光っている
 きみは岐路に立っている

*1960年代の後半に大手出版社の高校生向けタブロイド版の月刊学生新聞に掲載されたある高校生の詩です。1970年代を向かえよとしている青春期の密やかな決意のようなものを感じます。体制的管理を攻撃するこの時代を風靡した言葉に「内なる○○を撃つ自己否定」という激しい自己告発がありましたが、いま彼らは団塊世代としてリタイアーの時期を迎えようとしています。あの熱く滾るような告発の時代を生きた青春の残滓はいまどのように変貌しているのでしょうか。高校生の時にこうした暗いパッションのあふれでる詩を書いた芳恵子さんは、その後どのように生きていったのでしょうか。(2006/1/2921:28) 

きみがやってくると 大島博光

 きみがやってくると そこに泉が湧いていた
 冷たい水が わたしののどに沁みた

 きみがやってくると そこはお花畑になった
 荒れはてたわたしの眼は やわらいだ

 きみがやってくると そこは海になった
 わたしは汗まみれの身を そこに浸した

 きみがやってくると わたしは風になった
 わたしは風の愛撫で きみをつつんだ
                            1003.2.17 「きみが地獄の岩に」より(『宝文館出版』1995年所収)

 注)大島博光氏(1910−2006年)は、日本にアラゴンやネルーダなどの海外革命詩人を紹介した詩人であり、今年の1月9日に逝った。日本ではメジャーではない革命的リリシズム溢れるロマンを終生貫いた詩人だ。これは妻を亡くしたときの絶望と哀しみをうたいあげたものだ。しかし読む者にとって「きみ」の内容は自由だ。「きみ」は、妻であれ、恋人であれ、子どもであれ、親友であれ、理想であれ、希望であれ、夢であれ、信念であれ・・・・自由に自分の「きみ」を思いうかべればいい。だれしもこうしたソッと秘めておきたい「きみ」があるだろう。(2006/1/28 19:58)

[反対]するこころ

  答辞に代へて奴隷根性の唄 金子光晴

 奴隷といふものには
 ちょいと気の知れない心理がある
 じぶんたちはたえず空腹でゐて
 主人の豪華な献立をじまんする

 奴隷たちの子孫は代々
 背骨がまがってうまれてくる
 やつらはいふ
 「四つ足で生まれてもしかたがなかった」と
 というふのもやつらの祖先と神さまとの
 約束ごとを信じ込んでいるからだ
 主人は神さまの後裔で
 奴隷は狩犬の子や孫なのだ

 だから鎖でつながれても
 靴で蹴られても当然なのだ
 口笛をきけば ころころし
 鞭の風には 目をつむって待つ

 どんな性悪でも 飲んべえでも
 陰口たたくわるものでも
 はらの底では 主人がこはい
 土下座した根性は立ちあがれぬ
 くさった根につく
 白い蛆
 倒れるばかりの
 大木の下で

 いまや森のなかを
 雷鳴が走り
 いなずまが沼地をあかるくするとき
 「鎖を切るんだ。自由になるんだ」と叫んでも

 やつらは 浮かない顔でためらって
 「ご主人さまの側をはなれて
  あすからどうして生きてゆくべ
  第一 申し訳のねえこんだ」といふ       詩集『人間の悲劇』(1952年)

 *金子光晴は1895年に愛知県海東郡越治村に生まれ、早稲田、東京美校、慶応を経て詩作を始めた。日本の伝統や権力支配の構造を象徴的手法で暴露、批判した『鮫』(1937年)は昭和詩史上最も重要な作品と評価される(岩波文庫版帯語)。日本の庶民の奴隷根性を痛烈に批判したこの詩に、思わず自分の身近にいる何人かがすぐに思い浮かべる人は多いだろう。先の総選挙で刺客として踊った人の心もまた、この詩の同じである。

  反対     金子光晴     *注:括弧内は私による私自身の言い換えです(筆者)

 僕は少年の頃
 学校に反対だった(学校に従った)   
 僕は いままた
 働くことに反対だ(働くことに一生懸命だ)

 僕は第一 健康とか
 正義とかが大きらいなのだ(大好きだった)
 健康で正しいほど
 人間を無情にするものはない(人間を強くするものはないと思っていた)

 むろん やまとい魂は反対だ(無視した)
 義理人情もへどがでる(時には同志愛と言い換えて涙が出た)
 いつの政府にも反対であり(時に或る政府には賛成した)
 文壇画壇にも尻をむけてゐる(羨望のまなざしで憧れてきた)

 なにしに生まれてきたと問はれるれば
 躊躇なく答へよう 反対しにと(世に出ようと)
 僕は 東にゐるときは
 西にゆきたいと思い(もっと東に行こうと思い)

 きものは左前 靴は右左(すべてしきたりを守った)
 袴はうしろ前 馬には尻をむいて乗る(忠実にしきたりを守ってきた)
 人のいやがるものこそ 僕の好物(人に気に入られようと励んできた)
 とりわけ嫌いは 気の揃うといふことだ(とりわけ好きは 気が揃って団結を感じたときだ)

 僕は信じる 反対こそ 人生で(前進こそが人生で)
 唯一つ立派なことだと
 反対こそ 生きていることだ(前進してこそ 生きていることだ)
 反対こそ じぶんをつかむことだ(前進こそじぶんをつかむことだ と思っていた)       (1917年頃)

 *つむじ曲がりの偏屈男丸だしと思ってはいけない。1917年といえば、第1次大戦のただ中にあってロシア革命、翌年には日本で米騒動という20世紀の激動期であり、日本が勝ち戦に乗って軍人が世の中を制覇し始めた時代であり、大正デモクラシーの時代ではないか。正面から怖じけることなく「反対」を歌い上げるこのスピリットは、いまこの日本にこそ最も欠落しているものではないか。アナーキーではあるが、熱い自由への希求が流れでている。いま自由は手あかにまみれたマネー競争に頽廃してしまった。君が代を歌いたくないという人を牢屋に送る時代になったのがいまだ。「反対」それ自体が意味を持つ時代は、90年前とほとんど同じだ。(2006/1/15 20:26)

朝露 キム・ミンギ作詞・作曲

 長い夜を明かし 草の葉に宿った
 真珠よりも美しい 朝露のように
 わたしの心に 悲しみが宿ると
 朝の丘に登り そっと微笑を浮かべる
 太陽は墓地の上に 赤く昇り
 真昼のうだる暑さは わたしへの試練なのだろうか
 わたしは行く あの荒れすさむ広野へ
 悲しみを振り捨てて わたしは行く

 *この曲は韓国音楽グループのサム・トウツ・ソリの1999年におこなわれた日本でのライブ録音。韓国のプロテスト・ソングの極地を象徴する曲。たたかう人への限りない励ましを込めたメッセージソング。サム生・トウツ志・ソリ声を聞いて欲しい(CD盤 CCD787 ONGAKUCENTER 3000円)。

 この世界に傷のない鳥がどこにいるだろうか ペ・ギョンヒ詞・曲 パク・ウジン編曲 キム・ウオンジュン歌

 
風が激しく吹き荒れる真っ暗な絶壁の終わりに
 心が弱く傷を負った鳥がいた

 恐ろしい空を飛ぶひどい寒い夜明け
 疲れた羽はちぎれ すべての夢を失った
 簡単に壊れてしまうものが夢だとよくいうが
 過ぎた日々よりも残りの日々が大切でじゃないか
 さあ羽を広げて飛んでみよう
 青い空を あの高い空を
 この世界に傷のない鳥がどこにいるだろうか

 あらわになった傷よりもこころの斜線が
 より強く君を押さえつけているだろう
 しかし泣きはするな 諦めもするな
 あの山の果てを染め 日が昇るじゃないか
 さ羽を広げて飛んでみよう
 青い空を あの高い空を
 この世界に傷のない鳥がどこにいるだろうか

暮れてゆく年の終わりに 荒木 國臣

 暮れてゆく街にほのかな灯のともる 今宵静かに雪に眠らん

 この年に何をなせしか口惜しく 批判の刃みずからに向けよ

 壊れゆく汝はいずこと問しかば こうべをあげて答ゆ人は何処

 我が痕にいずれ継げしこの想い はるか歩みし跡になにを伝えん

 はるか遠くのラテンのくによ いま黄昏れて我は刻まん歴程のしるし
                                           (2005/12/22 20:02)

金時鐘『境界の詩』(藤原書店)から

  へだてる風景

 動けぬ運河を
 猫が浮き
 境界をなして
 川がしなびる。
 日本と朝鮮の境い目であり
 朝鮮と朝鮮との雑居であり
 異郷でいぶる
 家郷であり
 年月であり
 味覚である


  冥福を祈るなー私は忘れない。世界が忘れてもこの私からは忘れさせない(『光州詩片』83年扉の語)

 非業のがおおわれてだけあるのなら
 大地はもはや祖国ではない。
 茂みに迷彩服をひそませ
 蛇の眼光をぎろつかせているのもまた
 大地だから


 日々よ、愛うすきそこひの闇よ

 まだ夢を見ようというのですか? 明日はきりもなく今日を重ねて明日なのに
 明日がまだ今日でない光にあふれるとでもいうのですか?
 今日をすごしたようには新しい年には立ち入らないでください。

 注)朝鮮・元山生まれの金時鐘は皇民化教育を受けた皇国少年として17歳で解放を迎え、48年の済州島4.3事件の弾圧を奇跡的に逃れて日本へ密航し、いらい半世紀を大阪・猪狩野で暮らし、現在は奈良県生駒市に住む。いまは慣用句となった「在日を生きる」という表現で、在日朝鮮人の実存の意味を探求してきた。在日はもろに強権の犠牲にならずともに暮らして先験的に一つの民族を生きてきたという点で、本国でなしえないことができ影響を与えることができるーこれが彼の在日の展望だ。光州の県庁に立てこもった青年達を政府軍が攻撃したときに、青年労働者は”勉強した君たちは生き残れ”と学生達の前に立ちはだかって守ったという。ここに現代韓国デモクラシーの根元がある。
 彼は言う。「言葉を使う者は、自分の思いが働く基盤を見なけれれば。物言えぬものへの慈しみの心を持つことが、表現する者の最も基本的な信条、思考秩序だと僕は思うんですよ。自分に規制をかけて、うまい、流暢な日本語を使わず、そぎ落とすために頑張った。ヤスリのようなゴツゴツしたなめらかな日本語となった。ユンドンジュは清純なクリスチャンであり、なよなしくみえる詩心の核に、息をのむような叙情がある。無惨な死でしたが、詩人は言葉のゆえに栄光なんだとつくづく思います」(*ユンドンジュは変節の強制を拒否して45年2月に福岡刑務所で獄死した詩人)。児玉由紀恵インタビュー記事参照。(2005/12/19 8:06)

折々のうたから

 いとせめてもゆるがままにもえしめよ斯くぞ覚ゆる暮れて行く春  与謝野晶子(『みだれ髪』所収)

 総員を撲り終りてわが部屋に帰らんとする時の淋しさ  直木孝次郎 (*戦後マルクス主義歴史家にしてこうであったのか)

 人がみな
 同じ方向に向いて行く
 それを横より見てゐる心  石川啄木
 (*21世紀は明治期と少しも変わっていないではないか)

 研ぎたての刃のごとき身にまとひい出でゆく夫の背をみつめおり  河野泰子(*ウーン企業社会の奴隷を射ているか)

 暮れて行く冬空の色鋼なすかく澄めとこそ 我が残り日々 八城スナホ(*我が晩年も冬の空のように鋼色なのか) 

  以上・大岡信『新折々のうた8』(岩波新書)から抜粋。

啄木からかえりみて現代を見る

 かなしきは小樽の町よ
 歌ふことなき人人の
 声の荒さよ

 平手もて
 吹雪にぬれし顔を拭く
 友共産を主義とせりけり      石川啄木

 古里の渋民村から盛岡、函館、札幌を経て小樽に移った啄木が目にしたものは、産業革命の坩堝と化した街だった。「小樽の生活競争の激甚なること殆ど白兵戦に似たり。彼らは休息せず、又は歌はず、又眺めず。唯疾駆し、唯驀進す。疾駆する小樽人の心臓は鉄にて作りたる者の如し」(「胃弱通信」1907年 21歳)。1886年頃から始まった日本の産業革命の北海道での拠点であった小樽は異様な経済的活況を呈し、人々は封建的束縛から解放されて日を挙げて自由な経済活動に没入していった(自由主義経済段階)。それから100年を経ようとしているいま、おなじように猛烈な競争経済が生き残りを賭けて繰り広げられ、人々は毎日の長時間過密労働にのめり込んでいる(新自由主義経済段階)。
 しかしその裏では戦争と革命の世紀が同時に進行していた。1908年に北一輝『国体論及び純正社会主義』を信奉する小国露堂と激しい論戦を交わした啄木は、2月11日の紀元節に「今日は大和民族という好戦種族が、遂に日本嶋の中央を占拠して、其酋長が帝位に即き、神武天皇と名告つた記念の日だ」と記した。それから100年を経ようとしているいま、その日は建国記念日と命名されて祝日となった。天皇制認識に啄木ほどの深化はあるのだろうか。すでに1891年に、内村鑑三は東京第1中学(現東京大学教養学部)の教育勅語拝読式での拝礼を拒否して教職を追われている。いま君が代を歌わない教師は弾圧され、教職を追われている。
 ひょっとしたらいま日本は100年ほど前に逆戻りしつつあるのだろうか。啄木や内村があの絶対主義天皇制下で実現しようとした自由の思想ほどのレベルにも達していないのだろうか。「歴史は繰り返される。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」ほんとうにそうか。二度目はさらなる悲劇として繰り返されるのではないか。正確に言うとさらなる悲喜劇として起こるのでないだろうか。

 ココアのひと匙 1911 6/15 TOKYO 石川啄木

 われは知る テロリストの
 かなしき心をー
 言葉とおこないを分かちがたき
 ただひとつの心を
 奪われたる言葉のかわりに
 おこないをもて語らむとする心を
 われとわがからだを敵に擲げつく心をー
 しかして そは真面目にして熱心なる人の常に有つかなしみなり
 
 はてしなき議論の後の
 冷めたるココアのひと匙を啜りて
 そのうすにがき舌触りに
 われは知る テロリストの
 かなしき かなしき心を

                                 (2005/10/13 11:46)

村の鍛冶屋 作詞作曲不祥/文部省『尋常小学唱歌』(1912年)

 ♪しばしもやまずに 槌うつひびき
 飛び散る火の花 はしる湯玉
 鞴の風さえ 息をもつがず
 仕事に精出す 村の鍛冶屋

 あるじは名高き いっこくおやじ
 早起き・早寝の 病知らず
 鉄より堅しと ほこれる腕に
 勝りて堅きは 彼がこころ

 刀はうたねど 大鎌・小鎌
 馬鍬に作鍬、鋤よ 鉈よ
 平和のうち物 休まずうちて
 日毎に戦う 懶惰の敵と

 かせぐにおいつく 貧乏なくて
 名物鍛冶屋は 日々に繁盛
 あたりに類なき 仕事のほまれ
 槌うつ響きに まして高し


 村の鍛冶屋 作詞作曲不祥/文部省『国民学校初等科音楽』(1942年)

 ♪しばしも休まず 槌うつひびき
 飛び散る火花よ はしる湯玉
 ふいごの風さえ 息もつがず
 仕事に精出す 村の鍛冶屋

 あるじは名高い 働き者よ
 早起き・早寝の やまい知らず
 永年鍛えた 自慢の腕で
 打ち出す鋤鍬 心こもる

(考察)第1次大戦直後の平和期に教科書に記された歌詞は4番までですが、戦時期の教科書は2番までで後はカットされ、言葉も幾つか改竄されています。一切の武器生産を否定する3番のメッセージと、貧困をイメージする第4番の歌詞は教えなくなったのです。太平洋戦争後の教科書でも3番以降は復活しなかった。現代でこうした作為をおこなえば知的財産の侵害として告発されるようなことを当時は平気でおこなっていたのです。第3番はおそらく旧約聖書「イザヤ書2・4、ミカ書4・3」の有名な一説から持ってきているのでしょう。すべての戦争と武器を放棄した平和共存を説く神の言葉です。これは仏教の兵矛無用と同じです。

  彼らは剣を打ち変えて鋤とし
  槍を打ち変えて鎌とし
  国は国に向かって武器を持たず
  ふたたび戦争をすることを学ばない


 では勤労を尊ぶ第4番はなぜカットされたのでしょうか。おそらく「稼ぐに追いつく貧乏なし」という諺に当時の産業報国運動と相容れないものがあるからでしょう。「稼ぐに追いつく貧乏なし」を江戸期の『主従心得草』(寿福庵真鏡編 文政6年・1823年〜弘化4年・1847年)は次のように解説しています。

 君子は心身ともに安心して暮らせるが、平民以下の大工・左官・車引きなど一切の日雇い人は、毎日働くことでその日その日を安心に暮らせるのである。もし、1日でも怠けようものなら、今日を暮らすのも困難である。下々は働くことを第1に考えよ。

 なんとも封建社会の身分制下の勤労モラルとしてナイーブな説教がアケスケになされていますが、権力者は楽して暮らせるが庶民は自分で稼げーという封建モラルは1億砕身して国家のために労働しなければならない国家総動員体制の天皇制国家のモラルにはふさわしくなかったのです。さらに改竄されている2番をみると、明らかに職人の誇りに満ちた独立意識が奉仕的精神に変えられています。何も知らない純真な子どもたちが、大声で唱っている姿を想像すると、音楽教育の恐ろしい影響力を考えざるを得ません。現代でも自分の都合のいいように教科書を書き換える動きがうごめいています。(2005/10/3 9:01)

♪夕焼け小焼けで日が暮れて・・・・

 夕焼け小焼けで 日が暮れて
 山のお寺の 鐘が鳴る
 お手々つないで 皆帰ろ
 からすと一緒に 帰りましょ

 子どもが帰った 後からは
 円い大きな お月さま
 小鳥が夢を 見る頃は
 空にはきらきら 金の星


 寺山修司は、「すぐれた童謡は長い人生に2度現れる。1度目は子ども時代の歌として、2度目は大人になってからの歌としてである。女の子が土手の上で「お手々つないで」を唄っていてもさしたる感興は湧かないが、人生にくたびれたキャバレーの中年ダンサーが、ホームで電車を待ちながら、同じ歌を謳っているのを見ると、心にしみいるものがある。何年か前にジャイアント馬場に会ったたときに、彼は大きな体に似合わず弱音を吐いた。それは彼のような規格外の大男を世間がどのように疎外してきたか、もはやヘラクレスのような英雄は見せ物にしかなれないのだ、ということだった。いやなことがかさなるとワシは唄をうたうんです。何の唄?と聞くと、「砂山」ですよと云って、唄いだした。

  海は荒海
  向こうは佐渡よ
  雀泣け泣け もう日は暮れた

 新潟出身の馬場にとって、それは望郷の唄だった」と書いている(『日本童謡詩集』立風書房)。

 私もほんの時に「ふるさと」とか「夕焼け小焼け」を聞くとなぜか胸にこみ上げてくるものがあります。ところで中国の老人の多くは、「夕焼け小焼け」を日本語でスラスラと唄うことができます。なぜでしょうか。彼らが中国の八路軍の兵隊として、日本軍と戦っていたときに日本兵に望郷の思いをつのらせるために一生懸命に覚えさせられたのです。しかしこの唄はおそらく国境を越えて、中国兵の心をもとらえたに違いありません。日本軍によって陵辱された家族と村を想い起こしては日本兵に届けと唄ったのでしょう。銃声がやんだ原っぱの戦場の煌々と照る月の夜に流れる「夕焼け小焼け」の唄は、日本兵にどのように聞こえたでしょうか。そうしていままた「夕焼け小焼け」が唄われています。

 1940年河北省と山西省にまたがる太行山に拠点を置いた八路軍は、石家荘と太原を結ぶ鉄道沿線で日本軍に「百団大戦」という大攻勢をかけrた。かこい美穂子さん(当時4歳)は鉄道の副駅長をしていた父母が戦闘で死亡した。8月20日の夜にはじまった総攻撃で、楊仲山さん(当時18歳)ら4名の八路軍が日本軍のトーチカに突入すると、日本兵の他に和服の女性が息絶えて倒れており、そのそばに女の子が呆然と立っていた。隊長が「子どもを救護所へ」と命令し、楊さんは美穂子さんを抱えて連れて行った。その後八路軍副司令は美穂子さん姉妹を日本へ帰そうと、八路軍と村人30人が協力して160kmの道を越えて日本軍駐屯地へ送り返した。妹はすぐに亡くなったが美穂子さんは宮崎県都城へ無事帰還した。
 今年河北省のその村に「百団大戦美穂子救出友好記念館」がオープンし、82歳の楊さんと69歳の美穂子さんは65年ぶりに再会した。耳が遠くなり視力も衰えた楊さんは、事件のすべてを語りながら最後に「夕焼け小焼け」をメロデイも歌詞もしっかりと歌った。
 これはつくられた美談だろうか。そうではないと思う。日本の子どもを助けて送り返した楊さんは、私たちがすでに喪ってしまったなにか大切なものを象徴しているような気がする。記念館をつくるべきはむしろ日本ではなかったのか。日本の童謡が国境を越えて唄われていることの背後にある、無数の哀しみへの想像力なしに、この唄をともに歌うことはできない。そしてこの唄をともに歌う者のみが、21世紀の日中関係を語ることができる。確かに童謡は、長い人生のなかで2度現れるのだ。(2005/9/18 13:46)

『在日コリアン詩集』(土曜美術出版)より

  こいしT 嶋博美

 飛んでくる石ころが怖いのではない
 飛んでくる石の数だけ
 歪んでいく
 心に
 私は鞭をふりあげる
 飛んできた石ころが言葉に変わった
 そのとき
 身体から血は流れず
 涙は枯れ
 心を濡らした

  自序 金時鐘

 自分だけの朝を
 おまえは 欲してはならない
 照るところがあれば くもるところがあるものだ。
 崩れ去らぬ 地球の廻転をこそ
 おまえは 信じていればいい
 陽は おまえの足下から昇ってくる
 (中略)
 行きつけないところに 地平があるのではない
 おまえの立っている その地点が地平だ。


  日々よ 愛うすきそこひの闇よ 金時鐘

 待つことだけの明日なら
 今のうちにお仕舞いなさい
 明日がそのまま今日であっては
 やってくる明日が途方に暮れます
 それでも明日がすべてですか?
 待つまでもない明日を待って
 今日の今日をなくすのですか?


 ある民族の出自であるという理由だけで、強制連行され母国語を失い、過酷な労働を強いられ、玄界灘をこえさせられた。彼らは異国語で育ち異国語で美しい詩を書いた。いま華やかなスターが同じく玄界灘を超えて、かろやかな微笑を振りまいている。民族は癒されたか。ある学生が私のところにきて、「私の母は出自を黙って隠せと云う。私は我慢できない」と訴えた。その瞳は澄み切った怒りで満ちていた。その学生はこうも云った。「喧嘩に勝つには先に相手を圧倒する迫力がなければならない」と。なにげないその言葉は、今まで生きてきた学習を全身に刻んでいるようだった。学生は民族の衣装を着てはじめてみんなの前に自分をさらし、壇上でピアノを弾いた。学生は小柄な女子学生だった。
 そのずっと前にある女子学生が「今日から本名を名乗る」と晴れやかな声で私に告げた。私は彼女の決意を讃え励ましの言葉を贈るべきだった。しかし私は何も言えず微笑んで黙っていた。彼女の人生にとっては決定的な回転の日であったに違いない。私は何も言えない自分に、怖さを感じた。私は結局のところ他者ではなかったのか。(2005/9/18 9:23)

虹がでるとき 門倉さとし

 虹がでるとき
 若ものは大きなのぞみを燃やす
 とらわれのしあわせに生きる鳥になるより
 嵐を告げてはばたきつづける翼になろう

 虹がでるとき 
 娘らは小さな思いをかける
 あたたかい部屋でゆめみる花になるより
 荒野に生きてうたいつづける雑草になろう

 虹がでるとき
 母おやはやさしいねがいをたくす
 汚された海でものいわぬ貝になるより
 あら海を切り飛びつづける魚になろう
 
 虹がでるとき
 人は かぎりないあしたを描く
 どこまでも青空を駆ける風になろう
 どんな日にも野火を燃やす風になろう

                         (『詩人会議』43 P12より転載)

 門倉さとし・・・・懐かしい60年代の日本の歌声を領導した詩人だ。直截な未来性に溢れた詩は確かなメッセージを発していた。学生の私はもっと屈折したものにこそ真実はあるぞ・・・と意気込んでいた。そうなんだ・・・あれから40数年を経てまた彼の名前を目にした。彼の齢は幾つに達しているのだろうか。60周年の夏を迎えて謳う彼の詩は、40数年前の息吹をそのままに残しているではないか! いまや虹を目にすることもなくなってしまった。はるかな虹を仰ぎ見てなにかの希望を託す気持ちも薄らいでしまった。しかしかれの基調は変わらないではないか! 持続する志の打ち消しがたい痕跡を覚えて、ノスタルジアを超えた普遍を感じた。そしてなおこういう詩があるのだ。

 陰茎と乳房ーホロコーストー おぎぜんた

 人間にはぶらさがっているものがある
 陰茎と乳房である
 古いフィルムの中で ガス室へ走らされている
 男女の姿があった
 走るたびに揺れているのが この2つの器官であった
 生きていると云うことは これがぶらぶら揺れる
 と云うことなのだなと僕は思った

 次のシーンは死体の累積した光景を映し出していた
 裸の男の死体には陰茎があった
 今は黒ずみかすんでいるが
 確かに陰茎は 其処に存在した
 僕は陰茎というものは
 死後まっさきに
 消滅するものと思っていたから
 まじまじと見つめた
 死体のその部分に
 陰茎が
 まだ存在していることが
 不思議だった

 焼却炉では 大きな乳房の死体に
 ぺしゃんこの死体を 必ず重ねたという
 痩せた死体だけでは燃えにくいから

 鉄の扉の内部には
 飢えて死んだという
 大勢の裸の死体があった
 その中には
 隣の死体にかじりついたままの
 屍体があった
 消えゆくときまで
 隣の死人の尻に
 かじりつかねばならなかった
 生き物としての人間の
 生の激しさと苦痛を
 僕は其処に視た

 人間には陰茎と乳房がぶら下がっている
 僕は いつも其処で 立ち止まってしまう

 私もありありとこの写真を最初に見たときのと惑いを思い起こす。私は女性が裸で走っていくのをニヤニヤとみているナチス親衛隊員をみて、私も親衛隊員とそんなに変わりはないと思った。私の視線もそこに釘付けとなり、どう考えていいのか分からない・・・痛ましいと思いながらも、自分でも打ち消しがたい獣性が自分にうちにあることを認めた。自分も何か彼女たちへの共犯者のような気がしていたたまれなくなった。このような尊厳の侵犯にどうして怒りが湧いてこないのか・・・自分を不思議に思った。いたぶられ、いじめ抜かれる他者をみて直感的に何を感じるかは、その人の本質を示している。私は『Days』という写真雑誌をみて、写真家は被写体にどう対応しているのだろうといつも思う。すると先記した門倉さとしの詩があまりにも楽観に見えてくるのです。でもどうかしてわたしは獣である自分を超えた、希望でありたいと願うのです。「陰茎と乳房」は無名の詩人の作ですが、私の犯してきた忌むべき恥多きことの数々を想い起こさせて、思考を中断に追い込むのです。(2005/9/13 19:00)

ローレンス・ファリンゲテイ「パンツ」

 パンツのことを考えて
 昨夜はあまり眠れなかった
 眠るのをよしてパンツのこと
 理論的に考えたことあるか
 掘り下げて考えてみると
 たいへんな問題が出てくるよ
 パンツはだれもが
 避けて通れない問題だ
 ・・・・・・
 男物と女物
 似ているけれどぜんぜんちがう
 女のは持ち上げ
 男のは押さえつける
 ・・・・・・
 だまされるな
 すべては二大政党制にもとづいているんだ
 選択の自由なんてないんだ


 ファリンゲテイはフランス系アメリカ人で1919年に生まれ現在はサンフランシスコ在住の詩人。米国最初のペーパーバック専門書店シテイ・ライツ書店を創設し、ギンズバーグなどのビート運動の先駆となり、オーラル・メッセージ運動という朗読会をおこない、日本の関西系詩人に影響を与えた。この詩は、共和ー民主の二大政党制によって米国市民が政治選択の自由を実質的に奪われていることを鋭く批判している。ラルフ・ネーダー等による第3の道の指向はあるが、実効的な影響力まではない。米国市民の有権者登録率は低く、特に有色系は政治参加自体を諦めている。米国モデルを一周遅れのランナーのように必死に追っている東アジアの島国も政治的無関心層の増大と棄権率の上昇は、もはや選挙の意味を失わせるレベルに達している。しかし今回の劇場型総選挙によって投票率は上向く傾向にあるそうだ。しかしその内実は、ローマ帝国末期の「パンとサーカス」のように操られたものであり、メデイアは挙げて二大政党制を前提とした報道をしている。強いられた選択はもはや選択ではなく、独裁のソフトな形態だ。これほどまでに選択が操作されていくともはや微笑むファッシズムに近い。アメリカが民主主義の国だといま世界の誰が信じているだろうか。ファリンゲテイの詩はすでにそれを警告している。中上哲夫氏論考『詩人会議』43参照。(2005/9/8 9:16)

残暑の夏に謳う    荒木 國臣

 
よく見よと教え給いしたそがれに ひぐらし啼いて 夏は過ぎゆく

 哀しくも踊り明けゆくこの街に 郡上の夏は虚しく過ぎぬ

 ここちよく我に働く仕事あれ それを仕遂げて死なんとぞ思う(啄木)

 生きてなおこの世に刻むことあれば われの習いになんの意味ある

 はるかなる都にいそしむ夜は更けて わが息子にぞ未来はあるか

 漂いし往くてさびしくつくる世に 競いし夏の虚しきことは

 すずむしの啼いて果てなむ夕暮れに はるか故郷の廃屋ぞ想う

 ゆく道はそぞろに消えて探しつも なお我が想いあくなく刻む

 踊られつ踊りつともに奈落へと 沈む夕陽は汚れて紅く

 なぜ人は喪ったのかそのこころ 少年の夏のあのざわめきを

 この世をばすべてのまこと解き明かし 来る必然示して果てぬ
                                      
                                    (2005/8/28 19:05)

赤蜻蛉・・・そしてしゃぼん玉 なんて哀しい日本の歌

  赤蜻蛉  三木露風

 夕やけ小やけの
 赤とんぼ
 負われて見たのは
 いつの日か

 山の畑の
 桑の実を
 小籠に摘んだは
 まぼろしか

 十五でねえやは
 嫁に行き
 お里のたよりも
 絶えはてた

 夕やけ小やけの
 赤とんぼ
 とまっているよ
 竿の先

  しゃぼん玉   野口雨情

 しゃぼん玉 とんだ
 屋根までとんだ
 屋根までとんで
 こわれて消えた

 しゃぼん玉 消えた
 飛ばずに消えた
 うまれてすぐに
 こわれて消えた

 風 風 吹くな
 しゃぼん玉 とばそ


 戦前期の貧しい農村には子守がいっぱいいた。子守は「子どもを眠らせる」ことが仕事だから、時間が来ても子どもを眠らせないと雇い主が子守をぶった。子守が子どもを背負ったまま強姦されるということがよくあった。背中に赤ん坊を背負ったままだから倒れることも暴れることもできず、泣きながら耐えるほかはなかった。間引きでも親は自分が産んだ子どもを殺すことはできないので、子守にやらせる。寒い風のなかで子守は赤ん坊を抱いてジッと立っている。その風で赤ん坊を窒息死させるのだ。
 日本がたった百年で背広を着ることを覚え、眼鏡をかけることを覚え、靴を履くことを覚えて近代化していった裏には、決して教科書には登場しない残酷でみじめな歴史が隠されている。300万人が死んだ戦争の後に多くの未亡人たちは、綺麗に化粧して占領軍キャンプへ働きに行った。彼女らは「横浜の波止場からお船に乗って異人さんたちに連れられてい」ってしまったのだ。信号機で眼の見えない人が渡るときにオルゴールで「遠りゃんせ」が鳴り出すと、ギクッとして足がすくんでしまう人がいる。人さらいの歌であるからだ。
 しかし現代の日本からは夕暮れの感覚はなくなってしまった。夕暮れ時は、やがて薄明かりが灯いて始まるなごやかな一家団欒の茶の間とまぶしい昼の時間を分けへだてるなにかものがなしい時間だった。西の山の彼方へと沈んでいく夕暮れの美しさに見とれて、しばしたたずんだこともあった。こどもはいっぱい遊んだ一日の終わりを感じて家路をたどるのだ。いったい晩ご飯を6時頃に食べる習慣は果たしてあるんだろうか。父親は残業の佳境には入って必至で働いている時間ではないか。私は決してノスタルジックに想い起こす気はないけれど、なにかほんとうに大切なものがつぎつぎと姿を消していっているような気がする。そうだ、1960年代を切れ目として日本は大きく変容した。
 子どもを背負っている風景なんていまはどこにもない。背負うべき子どもも今はいないんだ。子どもはどこにいるのか。新宿や渋谷の街を深夜歩くと、行き所のない少女が歩いている。彼女らは下着を中年男性に2万ほどで売りさばいてその日の糧を稼いでいる。彼女たちも温かなベッドと母親の作った食事を食べたいのだ。しかし自宅には帰れない。かっての貧しい農村の少女に較べていずれが幸福なのか。現代日本に歓楽街で戯れる少女たちを歌う歌はない。(2005/7/26 18:57)

美しい国  荒木 國臣

 どこかに美しい国はないか
 名刺の要らない国
 笑いの裏側に何も隠されていない国
 伸びゆかん若木の足を引っ張らない国
 人のミスをこれ見よがしに論うことがない国
 真実を誤魔化そうとしない国
 装いで人を見下したり騙されない国
 夕餉の宴にさんざめく笑いが流れてくる国
 朝家を出るときに希望がある国
 子どもたちが精一杯努力すれば大人たちが温かく抱擁する国
 
 どこかに美しい国はないか
 心ひそかに抱いた望みをそっと受けとめ手渡していく国
 見て見ぬふりをすることを恥ずかしいと感じる国
 痛めつけた他者にこころから謝罪する国
 マネーが手段に過ぎない国
 自分の利益を後回しにする国
 人の上に立つ快感で満たされない国
 真実のみによって裁かれる国
 夜の空にまたたく星くずが流れる国
 よく手入れされた緑に光を浴びた露が零れる国

 かってそのような国があった
 その国は罪を犯して罰を受けたが
 いま罪を忘れて悲劇を繰り返す愚かな国になり果てようとしている

 どこかに美しい国はないか
 あなたの国は美しいか       (2005/6/26 19:32)

石垣りんを聴く
 昨年84歳で亡くなった詩人・石垣りん特集の『現代詩手帳』をマナハウスで買いました。付録に79歳の時の朗読CDがありました。79歳の少女のような彼女の朗読の声を聞きながら、しばし私はいまはどこかへ棄ててきたようなかっての自分にであうような気持です。いや彼女に純な鋭さに自分のひからびた汚れが写し出されて溜息をつくのです。芝木のりこの「自分の感受性ぐらい 馬鹿者よ」と怒鳴りつけられるような気持になります。20年後の自分が彼女のようなしなやかな精神の若さを持っているか不安になってきます。彼女の詩は、ドキッとするような最後の行で締められています。(2005/5/25 21:25)

 挨拶 原爆の写真によせて

 午前8時15分は
 毎朝やってくる

 1945年8月6日の朝
 一瞬にして死んだ25万人の人すべて
 いま在る
 あなたの如く 私の如く
 やすらかに 美しく 油断していた

 定年

 ある日
 会社がいった
 「あしたからこなくていいよ」

 人間は黙っていた
 人間には人間の言葉しかなかったから

 会社の耳には
 会社のことばしか通じなかったから

 人間はつぶやいた
 「そんなこといって!
 もう40年も働いて来たんですよ」

 たしかに
 はいった時から
 相手は会社、だった
 人間なんていやしなかった

 表札

 自分の住むところには
 自分で表札を出すにかぎる

 自分の寝泊まりする場所に
 他人がかけてくれる表札は
 いつもろくなことはない

 精神の在り場所も
 ハタから表札をかけられてはならない
 石垣りん
 それでよい


故郷の廃屋に佇みて詠む
 京都の叔父の3回忌に岡山に親族が集まって、久しぶりに故郷の廃墟を前に佇んだ(2005/5/22)
 
 崩れゆく屋根に瓦の波うちて 草むす庭にしばし佇む

 かにかくも打ち捨て去れば生き物の朽ち果てるかの わが家に見入る

 ガラス戸の破れるさまをひとめ見て 我が心はキリリと痛む

 わが父母の祖父母の在りしこの館 いまは朽ち果ててなにをしぞ想う

 たらちねの母の廃墟に来てみれば 薮吹き渡る風に佇む
(母の生地を初めて訪れて)

尹東柱獄死60周年
 尹東柱はソウルの専門学校を卒業後、立教・同志社大学に留学し、1943年7月に朝鮮語で詩を書いたことを理由に特高警察に逮捕され、45年2月16日に福岡刑務所で不可解な死を遂げ、一緒に逮捕された従兄弟も直後に死亡しました。享年27歳のクリスチャン詩人です。特高は逮捕の時に日本で創作した作品と蔵書をすべて押収しました。この16日の60回目の命日に日本各地で偲ぶ会が持たれます。尹は生前は一編の詩も発表することなく逝きましたが、解放後に残された詩が韓国で発表され、一躍国民的詩人となりました。72年に金時鐘氏(76 生駒市在住)によって日本に紹介され、政治的な言葉を一切使わない繊細なリリシズムが日本の良心を撃ちました。彼の罪はただ単に母国語で詩を書いただけですが、それ自身が当時の内鮮一体の暴圧への同調を拒否する強烈な意思の表明となっています。彼の清冽な詩を2編紹介しましょう。

   「序詩」     尹東柱

 死ぬ日まで空を仰ぎ
 一点の恥辱なきことを
 葉あいにそよぐ風にも
 わたしは心痛んだ
 星をうたう心で
 生きとし生けるものをいとおしまねば
 そしてわたしに与えられた道を
 歩みゆかねば

 今宵も星が風に吹き晒される

   「春」      尹東柱

 春が血管のなかを小川のように流れ
 どく、どく、小川ちかくの丘に
 れんぎょう、つつじ、黄色い白菜の花

 永い冬を耐えたわたしは
 草のようによみがえる

 愉しげなひばりよ
 どの畝からも歓びに舞い上がれ

 青い空は
 ほのぼのと高いのに・・・・・


 わたしは、「一点の恥辱なき」とうたいあげる生き方をまぶしく、ある痛みを持って受け取るのですが、このリリックな抒情の背後になにか強烈な意志のようなものも感じるのです。抵抗の歌を直截に歌いあげた同じく獄死した槙村浩のパッションと同質の痛みがあるような気がします。肉体そのものへの物理的な抑圧に耐えつつ、なおも精神の尊厳を保ち得る稀有の魂に頭を垂れるのです。それは晩年をポリテイークの汚辱にまみれて惨めな終わりを迎えた中野重治の青年期の詩をも想いおこさせます。

   「春」     中野重治 

 わたしの心はかなしいのに
 ひろい運動場に白い線がひかれ
 あかるい娘たちがとびはねている
 わたしの心はかなしいのに
 娘たちはみんなふっくらと肥えていて
 手あしの色は
 白くあるいはあわあわしい栗色をしている
 そのきゃしゃな踵なぞは
 ちょうど鹿のようだ


 杉真理子という詩人は、この2人を並べて政治の論理と原理的に背反する詩的精神の自律があるというふうな批評を加えていますが、それはとんでもない自己投影に過ぎません。当時の時代精神と格闘して自らの繊細な感性を詩という表現でつらぬこうとした硬質の意志力がなければ、こうしたリリシズムは表出されないのです。詩の自己意識に閉塞された意識ではなく、外界に開かれた強烈な関心なくして起こりえない精神があるのです。杉氏は、詩人の精神によって、客観化された意識を免罪するような無意識の特権意識があります。これを無意識の偽善といいます。こうした詩の純情によって美化するような批評の世界から、尹東柱は(そして中野重治も)救い出されなければなりません。尹のいう、「死ぬ日までの一点の恥辱なき」とか「与えられた道」の具体的な内実への想像力が決定的に欠落しています。こうした精神の貧困は、時代精神と真っ向から格闘しないで閉塞していったことを嘆いた啄木と同じものがあります。(2005/2/8 19:51)

追記)尹東柱柱「序詩」邦訳をめぐって
 伊吹郷訳「生きとし生けるものをいとしまねば」に対して、大村益夫が原語は「すべて死にゆくものを愛さねば」であり伊吹訳を抗日への決意を覆う意図的な誤訳と鋭く批判した。伊吹は反論して「これは実存凝視の愛の表白であって日本人への憎しみなど関係がない」とした。しかし詩人が生きた当時のリアルな朝鮮の情況をみれば、詩人が形而上的な抽象愛を歌い上げたものでないことはあきらかだ。徐京植氏はここに翻訳による植民地的権力作用を指摘し、日韓両国のデイスコミュニケーションを暴く。この日本語訳を読む時に、在日朝鮮人と日本人の受け取り方は違うという。さらに日本語を母語としている在日朝鮮人である徐氏自身もこの意訳の問題性に気がつかなかったとして、母国語と母語の裂け目を痛感したという。さらに進んで、日本語のを母語でありかつ母国語としている日本人は、自らの言語による自明性を自覚しにくい。つまり日本語によって認識し、表現する日本人の原初的な言語の暴力性への自覚が問題だという。いま同志社大学にある尹氏の詩碑と高校教科書に載っている茨木のり子のエッセイはすべて伊吹郷訳を使用している。日本は無意識のうちに換骨奪胎された尹のイメージを手にしデイスコミュニケートに侵されつつある。
 さて徐京植氏の指摘を受けても、なお私は伊吹訳の清冽さに惹かれる。問題は伊吹氏の「実存愛」という弁護的合理化にあった。もしこの自己弁護がなければこの訳は生き残ったのではないか。植民地主義によって奪われていった「すべての死にゆくもの」への愛を、「生きとし生ける」はずだったものへの慈しみとしての決意を抒情に高め得たのではないか。そこで伊吹氏の意図がどうであれ、伊吹訳が生き残っていくのを認めていいのかどうかという問題がうまれてくる。ここまできて私の思索は止まる。これ以上何かを云えないのだ。(2006/10/9 9:34)

箴言または美しい言の葉

 どのような人間でも小さくなる。王でも、独裁者でも、よく知れば等身大に見える。自分が他人と較べて小さく見えるのは、自分をよく知りすぎているからだろうか。(『ユダヤ格言集』M・トケイヤー)

 つきかげの雫のごとくひとつぶの真珠はほそきゆびに置かれき (『声』大塚寅彦)

 美しく開いている状態というものがある。ただ香りを放つためにのみ開いている花のごとく。 (『断片』シュレーゲル)

 遠方から欲望を投げるな。 (『人生談義』エピクテトス)

 頒ち合って食べるパンの味わいに比較できるものはない。 (サン=テグジュペリ)

 「17にして親を許せ」  (「私を震撼させたひとこと」秦恒平)

 こころよく 我にはたらく仕事あれ それを仕遂げて死なむと思ふ   (『一握の砂』石川啄木)

 対岸の薄くらがりの水際まで手をさしのべて摘め幸いは   (『雲』加藤聡明)

 わが同志はわがもとに来りてわれとともに働く人にあらず。われのごとくひとり神に頼りて働くものなり。いかなる人にも頼らざる者。独立の人のみ互いに相敬し相愛す。  (『内村鑑三所感集』)

 人初めあらざるなし 想う 君能く之を終へんことを  (『玉台新詠集』)

 われかってみざりしごとく 山をみる 
 われかってみざりしごとく 空をみる  (「未知」宮本正清)

 虚にして往き 実にして還る  (『荘子(内篇)』)

 海鳥は絶海を画かねばならぬ  (『天の狼』富澤赤黄男)

 きみがどんなに悪人であり俗物であっても
 きみのなかに残っているにちがいない
 ちいさな無垢をわたくしは信ずる
 それがたとえ蟻の涙ほどのちいささであっても
 世界はきみが荒れすさんでいるときも
 きみを信じている
              (「蟻の涙」辻征夫)     (2005/1/24 23:13)

プリモ・レーヴィ シェーマ(聞け)

 ぬくぬくとした家で
 つつがなく暮らす君ら
 夕方には温かい食事と
 親しい顔のもとへ帰る君ら

 考えてみるがいい
 泥のなかで働き
 安らぎを知らず
 ちぎれたパンを求めて争い
 命令一つで死んでいく
 これが男か

 考えてみるがいい
 髪もなく名もなく
 想い出す力ももはやなく
 冬の蛙のように
 うつろな目に冷たくなった腹
 これが女か

 よく考えるがいい
 これは実際にあったことだ
 君らに命じる これらの言葉を
 君らの心臓に刻み込め
 家にいるときも 道を歩くときも
 眠りにつくときも 目覚めるときも
 子どもらに繰り返して語りきかせよ
 さもなくば 君らの家は崩れるがいい
 君らは 病に萎え
 子らに背かれるがいい

出所:プリモ・レーヴィ『アウシュヴィッツは終わらない』(竹山博英訳 朝日新聞社) 筆者の責任で一部意訳 プリモ・レーヴィはユダヤ人強制収容者からの生還者として生涯を証言に捧げた詩人(1919−1987)で投身自殺。(2005/1/9)

朝の陽が静かに昇りくるときに

 朝焼けの薄明かりを通して
 今日も静かに陽がさし昇ってきた
 朝ドラがけなげな物語を演じながら
 世は何ごともなくはじまろうとしている窓辺に
 小さな鳥が線をえがいてこずえに向かうとき
 街には工事の音が響きはじめ
 かくしてすべてのいのちは静かにその営みをはじめる
 歯をみがいて顔を洗い
 人間たちもそぞろにそのひと日を始めなければならない
 昨日よりほんの少し前にすすむために
                         ー2004/12/13 9:09

僕はみた

 夕焼けの太陽が橙色に辺りを染めて沈んでいくときに
 僕はみた

 長崎で12歳の少年がいたいけな4歳のこどもを殺害し
 同級生をナイフで殺害した少女がアスペルバーガー症候群と命名されるのを
 (僕はこんな世の中をつくるために生きてきたのか)

 クラスター爆弾がファルージャのこどもの右足を打ち砕き
 抱きかかえる父親の背後を狙って照準を合わせる沖縄海兵隊のぎらつく瞳を
 (僕はこんな世の中をつくるために生きてきたのか)

 運動部の学生が寄ってたかって少女をレイプし
 取り調べに薄ら笑いを浮かべて黙秘しあわてふためく大学当局を
 (僕はこんな世の中をつくるために生きてきたのか)

 30歳を過ぎた独身女性は負け犬で 既婚女性は勝ち犬で
 キャリアウーマンか可哀想な独身女性を競い合っている女性たちを
 (僕はこんな世の中をつくるために生きてきたのか)

 ヨン様 龍様 ○○様 ほんとうに尊敬もしない敬語をまき散らし
 泣き叫ぶこどものかたわらで汗を流してエアロに励む中年女性を
 (僕はこんな世の中をつくるために生きてきたのか)

 たった一人の尊厳を守りきることのできない南の島で
 外国兵の暴力に蹂躙されながら95年9月の少女の流れる涙を
 (僕はこんな世の中をつくるために生きてきたのか)

 グランドから校舎に流れ込む黄褐色の煙幕を浴びて
 教室を逃げまどう嘉手納の高校生のあふれる涙を
 (僕はこんな世の中をつくるために生きてきたのか)

 枯れ葉剤を全身に浴びて いまなお子から孫へと
 世代を超えて伝えているダイオキシンに侵されたベトナムの傷跡を
 (僕はこんな世の中をつくるために生きてきたのか)

 強盗のように押し入って占領を繰り返す恥ずべき帝国を
 人道支援なるレトリックで励ます国が東アジアにあることを
 (僕はこんな国をつくるために生きてきたのか)

 2000万人を虐殺するを命令を発したA級戦争犯罪者の慰霊に
 ひれ伏して参拝する首相の貧しい礼装を
 (僕はこんな世の中をつくるために生きてきたのか)

 8兆円の税金を注ぎ込んで救済した銀行を
 わずか10億円で買ったハゲタカが1兆円の含み益を得てほくそ笑んでいるのを
 (僕はこんな世の中をつくるために生きてきたのか)

 朝焼けの太陽が肌色に辺りを染めて立ちのぼってくるときに
 僕はみた

 震災で崩れ落ちた瓦礫のひとつひとつを黙々と
 片づけている青年ボランテイアを 彼は名前も告げず去っていった
 (僕はこんな世の中をつくるために生きてきたのだ)

 ギターを奏でる両手の指を砕いて34発の銃弾を撃ち込むマンリケス中佐に
 なお平和の歌を口ずさみながら 最後の抵抗を試みるビクトル・ハラを
 (僕はこんな人をこころに刻むために生きてきたのだ)

 注)ビクトル・ハラはチリを代表するシンガー・ソングライターで1973年の軍事クーデターで、サンチャゴのサッカー競技場で二度とギターを弾けないように両指を折られ、殺害された。首謀者・ピノチェト将軍は3200人を殺害する弾圧を加え、軍事独裁を強いた。民政を回復したチリ政府は、この12月13日に同氏を自宅軟禁とし、刑事免責特権を剥奪するとともに精神鑑定をおこない、殺人・誘拐罪と不正蓄財で裁判にかけることを決定した。ビクトル・ハラ虐殺後30数年を経て正義が回復される。(2004/12/11 8:55)

英訳Yamanoue-no-Okura by SUGA(GMO GROUP掲載)

I eat a melon
And then I think of children
I eat a chestnut
Then the more I love children
I do wonder whene
They have ome into this world
Why before mine eyes
They appear and move about
And let me not fall asleep

Poemette of Response

Even bright silver
Even gold and genuine gems
Of what use are they?
No treasure is so valuable
So rich as lovely children

息子を庭に埋葬したファルージャの父親に捧げる By Nesreen Melek

 To The Father in Fallujah Who Buried His Son In His Garden

 声をあげる前に まだ温もりのある息子を抱き上げ 彼らに尋ねてみよう
 わたしのこどもが いったいあなたがたになにをしたというのか?

 地面にしたたり落ちる息子の血を洗うことなく 彼らに尋ねてみよう
 わたしのこどもが いったいあなたがたになにをしたというのか?

 息子の手を鳥のように広げ 魂をはるかかなたに飛び立たせて 彼らに尋ねてみよう
 わたしのこどもが いったいあなたがたになにをしたというのか?

 息子の亡骸を庭の土で覆ったあとに 彼らに尋ねてみよう
 わたしのこどもが いったいあなたがたになにをしたというのか?

 息子の墓に白い花を供えたあとに 彼らに尋ねてみよう
 わたしのこどもが いったいあなたがたになにをしたというのか?

 花には水のかわりにあなたの涙を注いだあとに 彼らに尋ねてみよう
 わたしのこどもが いったいあなたがたになにをしたというのか?

 その花の肥やしのかわりに爆撃で逝ったイラクの市民の血を注いだあとに 彼らに尋ねてみよう
 わたしのこどもが いったいあなたがたになにをしたというのか?

 毎日息子の墓のそばに座って 失ったもののために涙しながら 彼らに尋ねてみよう
 わたしのこどもが いったいあなたがたになにをしたというのか?

 墓石はできるだけ背の高いものにして写真を撮って渡したあとに 彼らに尋ねてみよう
 わたしのこどもが いったいあなたがたになにをしたとういのか?

 *筆者はバグダッド生まれの51歳の女性 現在はカナダに住みカナダ=アラブ連合のスタッフ(推定)
 一部筆者の責任で意訳してあります(2004/11/21 18:46)

晩秋の朝

 香の煙かすかにながれる窓辺にて ファルージャはるかたたずむ我は

 キーを打つ音におどろきそのアリは ひたすら生きゆくいのちを終える

 どんよりと曇りし朝に ゆっくりと飛行機飛べば ファルージャは逝く (2004/11/14 11:29)

啄木に託して現代を詠む

 (帝国の大義なき侵略戦争に追随して恥じないこの国をみてー1910年韓国併合の再版ではないか)

 地図の上イラク国にくろぐろと墨をぬりつつ秋風を聴く(筆者改作)

 (戦争大統領を再び選んだアメリカ国をみて)

 時代閉塞の現状をいかにせむ 秋に入りてことにかく思ふかな

 (パレスチナ、イラクの絶望的なレジスタンスをみてー安重根による伊藤博文暗殺の再版ではないか)

 ひと彼を刺客といへり凶漢ともいう されどわれ彼を韓国革命青年という(筆者創作)

 見よ 今日も かの蒼空に飛行機の高く飛べるを       (2004/11/14 8:20)

奴隷根性の唄       金子光晴

 奴隷というものには
 ちょいと気のしれない心理がある
 じぶんはたえず空腹でいて
 主人の豪華な献立のじまんをする

 奴隷たちの子孫は代々
 背骨がまがってうまれてくる
 やつらはいう
 「四つ足で生まれてもしかたがなかった」と

 というのもやつらの祖先と神さまの
 約束ごとを信じこんでいるからだ
 主人は、神さまの後裔で
 奴隷は、狩犬の子や孫なのだ

 だから鎖につながれていても
 靴で蹴られても当然なのだ
 口笛をきけば、ころころし
 鞭の風には、目をつむって待つ

 どんな性悪でも、飲んべえでも
 陰口たたくわるものでも
 はらの底では、主人がこわい
 土下座した根性は立ちあがれぬ

 くさった根につく
 白い蛆
 倒れぬばかりの
 大木のしたで

 いまや森のなかを雷鳴が走り
 いなずまが沼地をあかるくするとき
 「鎖を切るんだ。自由になるんだ」と叫んでも

 やつらは、浮かない顔でためらって
 「御主人様のそばをはなれて
 あすからどうして生きてゆくべ。第一、申訳のねえこんだ」という

汲む ーY・Yにー   茨木のり子

 大人になるということは
 すれっからしになることだと
 思い込んでいた少女の頃
 立居振舞の美しい
 発音の正確な
 素敵な女のひとと会いました
 そのひとは私の背のびを見すかしたかのように
 なにげない話に言いました

 初々しさが大切なの
 人に対しても世の中に対しても
 人を人と思わなくなったとき
 堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを
 隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました

 私はどきんとして
 そして深く悟りました

 頼りない生牡蠣のような感受性
 それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
 年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
 外に向かってひらかれるのこそ難しい
 あらゆる仕事
 すべてのいい仕事の核には
 震える弱いアンテナが隠されている きっと・・・・・
 わたくしもかってのあの人と同じくらいの年になりました
 たちかえり
 今もときどきその意味を
 ひっそり汲むことがあるのです

                  *茨木氏の許可なく途中4行を削除しています

生ましめんかな 栗原貞子

 こわれたビルの地下室の夜に
 原子爆弾を受けた負傷者たちは
 ローソク一本ない暗い闇の地下室を
 埋めていっぱいだった
 なまぐさい血の臭い、死臭、汗くさい人いきれ、うめき声
 その中から不思議な声が聞こえてきた
 「赤ん坊が生まれる」と云う
 地獄の底のような地下室でいま、若い女が
 産気づいているのだ
 マッチ一本ないこのくらがりでどうしたらいいのだろう        
 ひとびとは自分の痛みをわすれて気づかった
 と、「私は産婆です、私が生ませましょう」と云ったのは
 さっきまでうめいていた重症の女だ
 こうしてくらがりの地獄の底で新しいいのちが生まれた
 かくてあかつきを待たず産婆は血まみれのままに死んだ
 生ましめんかな
 生ましめんかな
 己が命捨つとも

 *栗原氏の許可なく筆者の責で一部を改作しています。なおこの詩に登場する誕生した赤ちゃん(女の子)はその後成長し、現在60歳で広島で居酒屋を営んで元気におられます。彼女によると、産婆さんは生き残っており死んだと改作した栗原さんの詩には反発していました。栗原さんの葬儀に出席して気持ちが変わり始め、栗原さんの娘から、死んだ産婆は原爆犠牲者を象徴し、赤ん坊は未来の希望を象徴しているという話を聞き、いまは自分から被爆体験を語るようになっています。

宗 左近(85) 第1回チカダ賞(スウエーデン・ノーベル文学賞詩人ハリー・マッテインソン記念 チカダ:蝉)

 見えている炎の海はたちさったけれど
 見えない炎の海があふれかえっているのだから
 炎えつづけて炎えやまない母だから
 (「サヨウナラよサヨウナラ」より 1945年東京大空襲で焼死する母を見捨てて逃げた悔恨と罪の意識、鎮魂を込めて)
 敗戦日 死骸の白い雲一つ

 永遠のあとの一瞬 夜の虹

 憲法の樹の下には、戦死した若者の屍体が埋まっているに違いないのだ。その血と肉である理念を根から吸いあげてゆくからこそ、あんなに美しい花を咲かせることができる
(『私の死生観』より)

花を奉るの辞 石牟礼道子

 春風萌すといえども われら人類の劫塵いまや累なりて 三界いわん方なく昏し
 まなこを沈めてわずかに日々を忍ぶに なにに誘なわるるにや
 虚空はるかに一連の花 まさに咲かんとするを聴く
 ひとひらの花弁 彼方に身じろぐを まぼろしの如くに視れば
 常世なるうす明かりを 花その懐に抱けり
 常世のうす明かりとは この界にあけしことなき闇の謂にして
 われら世々の悲願をあらわせり
 かの一輪を拝受して今日の仏に奉らんとす
  花や何 ひとそれぞれの涙のしずくに洗われて咲き出づるなり
 花やまた何 亡き人を偲ぶよすがを探さんとするに
 声に出せぬ胸底の想いあり
 そを取りて花となし み灯りにせんとや願う
 灯らんとして消ゆる言の葉といえども
 いずれ冥途の風の中にて おのおのひとりゆくときの花明かりなるを
  この世を有縁という あるいは無縁ともいう その境界にありて
 ただ夢のごとくなるも花 
 かえりみれば 目前の御彌堂におわす仏の御形
 かりそめのみ姿なれどもおろそかならず
 なんとなれば 亡き人々の思い来たりては離れゆく
 虚空の思惟像なればなり
 しかるがゆえにゆえにわれら この空しきを礼拝す
 然して空しとは云わず
  おん前にありてただ遠く念仏したまう人びとをこそ まことの仏と念うゆえばなり
 宗祖ご上人のみ心の意を体せば 現世はいよいよ地獄とや云わん 虚無とや云わん
 ただ滅亡の世迫るを友に住むのみか 
 ここに於いて われらなお 地上にひらく一輪の花の力を念じて合掌す


 喧噪の世にあって底知れぬ深さの際からジット見つめている視線を感じます。もはや絶望という言葉さえ受け付けない深い絶望の中から、ひとすじのかすかな希望が立ち上がってくる、この世とは思われない彼方から聞こえてくるつぶやきに似て、まことに深い調べです。親鸞の御詠歌もかくやと思う現代の御詠歌が奏でられます。もはや美しいーといった次元を超えた祈りの世界のようです。汚濁がなんであるか、蔑みがなんであるか、この世に於いて地獄を見た者ののみが発せられる頌歌の響きをたたえています。苦界がなぜ浄土となりうるのか、私にはなお分かりません。苦界を浄土としてはいけないのでは、と思ってもそうしたまなざしを峻拒して寄せ付けないような厳しさをも秘めています。
 水俣の世界が石牟礼道子氏の回路を通してある浄化された信仰へといざなわれています。だけどもあまりの汚濁を美しい信仰の世界で果たして救いきれるのか、どうしても?が残ってしまうのです。石牟礼道子氏の静謐な自作の朗読を聞きながら、じつは私自身がこころ洗われて浄められるような感じになります。水俣の病者にそれでよいのかと問いつめられるようです。詩人が水俣の世界で表現するとはこうした歌になるのでしょうか。
 多くの凛々しきリアリストがこの世の戦いに殉じてその生を閉じようとするとき、なぜにして親鸞のみもとに馳せ参じるのでしょうか。人智を尽くして敗れ去った後の最後の救いがはたしてそこにあるのでしょうか。わたしは親鸞の一歩手前でゆれつつも踏みとどまりたいと思うのです。リアルの汚濁の世界に。CD・石牟礼道子『しゅりりえんえん 水俣 魂の叫び』(藤原書店)を聴いて。(2004/9/27 22:28)

寺山修司を聞くとノスタルジアが込みあげてくるのだ

 寺山修司 1935年12月10日、青森県弘前市に生まれる、中学1年から小説、短歌発表、早稲田在学中「チェホフ祭」で新人賞。1967年劇団「天井桟敷」結成後マルチに活動し、1983年5月4日死去(47歳)。

  真珠

 もしも
 あたしがおとなになって
 けっこんして こどもをうむようになったら
 お月さまをみて
 ひとりでなみだをながすことも
 なくなるだろう
 と
 さかなの女の子はおもいました

 だからこの大切ななみだを
 海のみずとまじりあわないように
 だいじにとっておきたい
 と
 貝のなかにしまいました
 
 そしてさかなの女の子はおとなになって
 そのことを忘れてしまいました
 でも
 真珠はいつまでも
 貝のなかで
 女の子がむかえにきてくれるのを
 まっていたのです
 
 さかなの女の子
 それは
 だあれ?


  さよならだけが人生ならば

 さよならだけが
 人生ならば
  また来る春は何だろう
  はるかなはるかな地の果てに
  咲いてる野の百合何だろう

 さよならだけが
 人生ならば
  めぐりあう日は何だろう
  やさしいやさしい夕焼けと
  ふたりの愛は何だろう

 さよならだけが
 人生ならば
  建てたわが家は何だろう
  さみしいさみしい平原に
  ともす灯りは何だろう

 さよならだけが
 人生ならば
 人生なんか いりません

  
      *CD『寺山修司 作詞+作詩集』(SMEJ MHCL 275−6)より抜粋(2004/9/25 22:19)

 わたしも何か大切なものを忘れてきたように思うのですが、もう何を忘れたのか思い出せそうもありません。だけどわたしが忘れたものを取りにくることを待っている真珠がいるような気がして、少しはホッとするのですが、忘れものを取りにいくことさえしないのではと恐れます。さかなの女の子は、実はわたしなのです。忘れたものは、何だったのでしょうか? さよならだけでない人生かも知れません。でもこの答えはとてもむつかしくて、わたしのあたまで考えても思いつきません。わたしはほんとうに何を忘れてきたのでしょうか? それを思い出すためにさよならするのでしょうか。男が死ぬときに送るただ一語の餞別のことばを誰か教えてください。(2004/9/25 23:36)

  幸福についての七つの詩より

 ポケットを探したって駄目です
 空を見上げたって
 涙ぐんで手紙を書いたって
 駄目です
 郵便局に日曜日があるように
 幸福にだって休暇があるのですから


  男が死ぬとき

 男が死ぬとき
 誰もバラの花など投げるな

 男が死ぬとき
 ドアを半分あけておいてくれ
 月の光が不在をやさしく照らし出すように

 男が死ぬとき
 新しい地平線を見つめる
 「過去はすべて他郷にすぎない」

 男が死ぬとき
 その死を荷作りしてもならぬ
 詩の彼方に
 鉄路省察したところで
 もうあいつには住所などないだろう

 男が死ぬとき
 長い冬
 時代精神の病める荒野に
 立ち止まって「兵隊が戦争にゆくとき」
 などを口ずさんだりするな 友よ

 男が死ぬとき
 餞別にはただ一語送れば充分なのだ
(筆者の責任で一部改作)

アメリカのイラク反戦詩集
 9.11のファナテックな復讐への心情の高揚を契機に進む米国の戦争の悪を鋭く撃つ文化運動が米国で興っている。マイケル・ムーアの『華氏911』はブッシュの虚偽を赤裸々に浮き彫りにし、また若き詩人たちが高揚する反戦詩を高らかに歌い上げつつある。そのなかから幾つかの詩をあげてみたい。『詩人会議』2004年9月号より。

 マックス・ジュワルツ 「バスラにささげる」

 レーガン、ホメイニ、シャロン、ブッシュが
 次の大殺戮を 開始するまえに
 雨と 過酷な太陽を逃れるために
 人間の素朴な手しごとににより
 土と水から造った アドービ煉瓦の家
 バスラの家で 7年間 子どもらは
 惜しみなく愛情を注がれて 育った
 レーガン、ホメイニ、シャロン、ブッシュよ
 雨水の泥んこに立っている
 紅い服の 丸い大きな目をした 女の子を
 見て欲しい

 S・ケリー 「この戦争が私の名において開戦されるという」

 縫い針のようなレトリック
 政治家たちが この戦争について
 もっともらしい議論という
 ちっぽけな針の穴に糸を通して
 私たちを縫いつなぎながら
 語っている
 どうにも手に負えないまま
 心に突き刺さっている 3本の針に
 今まさに私は気づいている
            (2004/8/29 22:10記)

土井大助詩集『朝のひかりが』(新日本出版社 1990年)から 
 政治の僕に自立した思想は宿らない、主人持ちの哀れな詩人と揶揄されながら、プロレタリア詩人としての生涯を貫いた土井大助の詩にほんとうの言葉のきらめきはあるだろうか。パブロ・ネルーダへの称賛に比して日本の詩評の矜持はどこにあるのだろうか。1970年代から80年代を歌った土井の詩は、その単純な直線性のゆえにもはや現代にはマッチしないとの評価を受けるだろう。でも僕は閉塞の現代にあってこそ、喪いつつある大切な何かを想起させてくれる。いま僕たちは、何を追悼し、何を以て道とするのであろうか。

 追悼

 8月がきた 戦争で死んだ友よ。
 美しく日焼けしたきみの顔は、いつまでも若く。
 いまでは、そこいらの若者の顔とかさなって、
 ときおり ぼくをうろたえさせる。

 生きてあれば どんな人生だって送れたものを
 近頃は 君の死だけが仰々しく 飾られていく。
 きみとつらさも痛みも 無念さもかき消されて、
 君の形見の きびしい沈黙さえもかき乱されて。

 この世で どんな殺戮が美しいというのか。
 生きることが あんなにも侮辱されたなかったら、
 きみの青春は なん倍も美しく燃ええただろうに。

 友よ 伝えてくれ、若者たちへ。
 いま きみの死を讃えるものの美しい言葉は、
 かってきみを死に追いこんだものが口にした言葉そっくりだと。
(1982年8月14日)

 

 どんな小道に迷いこもうと
 いずれおれたちは ひとつの道で出会うだろう
 一人だけ陽の当たる道にぬけたとしても
 仲間と別れていく道はさみしい風の吹く道だ
 
 あけっぴろげな声かけあって
 肩くみながら進む道
 仲間よこの道を忘れまい
 働く者の心に 灯をともす道
 おれたちはその道のために旗をかかげ
 嵐にむかってシグナルをかざす

 こどもたち 年寄たち 若者たち 娘たち 
 この国の多ぜいの人たちが いま
 たしかなシグナルを求めている

 未来に希望をかけて
 生きるかぎり
 仲間よ 働くすべての
 仲間たちよ
 おれたちは 大いなる一つの道で
 出会うだろう
 ふみかためつつ未来につづく
 ひろびろとした 道で 
      (外山雄三作・交響詩「風雪」より 1978年8月初演)

 1989ー90年

 かりに ぼくが東ドイツに生まれたとしたら
 ベルリンの壁にハンマーを打ちつけたろうか。
 たぶん 打ちつけただろう、力を込めて。
 手もとにハンマーがあるかぎり。

 もしもブカレストに生まれていたら
 独裁者の戦車と 銃火をまじえていただろうか。
 たぶん 鉄砲を手に街角に立っただろう、
 仲間のあとにくっついて 身をふるわせて。

 もし ぼくが北京に生まれていたなら
 今頃は裏町の片隅で思い悩んでいるだろうか。
 おそらく 絶望とたたかっているだろう、
 空をみるために時どき顔を上げながら。

 すべての人がお互いによき友達であるような、
 そんな世の中が来なければウソだー
 そう思って生きてきたぼく。
 (そんな話は夢さ、と友達は笑うのだけれど)
 
 人類は今まで進歩してきたのだから
 きっと今にそういう世の中に行きつくだろう、
 それに役立つような人間になりたいー
 そう願って生きているぼく。

 ぼくは日本に生まれた。
 ハンマーも鉄砲もないが、絶望もない。
 しかも ぼくらが壊さなければならないウソは、
 この国に みちみちていないか。
 さて今年ぼくは何をするだろう、この日本で。
  (1990年2月17日)

寺山修司詩集』(思潮社)から

 村境の春や錆びたる捨て車ふるさとまとめて花いちもんめ

 マッチ擦るつかのまの海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

 ころがりしカンカン帽を追うごとくふるさとの道駆けて帰らむ

 煙草くさき国語教師が言うときに明日という語は最もかなし

 一粒の向日葵の種播きしのみに荒野をわれの処女地と呼びき

 起重機に吊らるるものが遠く見ゆ青春不在なりしわが母

 母を売る相談すすみゐるらしも土中の芋らふとる真夜中

 売られたる夜の冬田へ一人来て埋めゆく母の真っ赤な櫛を



 あらゆる犯罪の中でもっとも美しいのは<確信犯>と呼ばれる、自分では間違っていないと思ってした行為が、社会的には犯罪になる場合だと、刑事だった私の父が教えてくれたことがある。

 「正義」の最大の敵は「悪」ではなくて、「べつの正義」なのだ、というのが確信犯という犯罪の論理である。

 放課後、私は階段に腰かけていた。戦争がやくざの殺しとちがうのは、死における数学の問題である。一度目の死と、二度目の死とのあいだで、「時」を人の数のように数えてゆくむごたらしさは、ボードレールの言うように「数は個の内にあり、数は陶酔なり」なのだろうか?

 一個のゴムのボールがAからBに投げられる。ボールが互いにグローブの中で、バシッと音を立てるたびに、2人は確実な何かを(相手に)渡してやった気分になる。その確実な何かが何であるのかは、私にも分からない。だがどんな素晴らしい会話でも、これほど凝縮したかたいてごたえを味わうことはできなかったであろう。手を離れたボールが夕焼けの空に弧を描き、2人の不安な視線のなかを飛んでいくのをみるのは、実に人間的な伝達の比喩である。終戦後、私たちがお互いに信頼を恢復したのは、どんな歴史書でも、政治家の配慮でもなくて、まさにこのキャッチボールのおかげだったのではないだろうか。(2004/6/29 9:47)

夕暮れに

 風になる音の澄みゆく夕まぐれ たたずむ我に誰が問うらむ

 齢きてだれが尋ねむ里の夏 想いすぐれば風澄み渡る

 凝視する瞳のなかにとめゆきし 思いは深く少女去りゆく(アフガン映画『アフガン零年』を観て)

 などてなお過ぎゆく時の夕まぐれ 佇む我に想いははるか
   (2004/6/18 19:23)

未来を拓く短歌
 
 こゆるぎの磯うるほせる淡水の雨やはらかし雨になりたし (有川知津子)

 僧院に妻室と呼ぶ房ありて細腰に巻く薄衣の壁 (吉野亜矢)

 反戦デー暮れむとしつつ地下街に土の香せぬ野菜を選ぶ (三国玲子)


 前2首は雑誌『歌壇』5月号が未来を拓く歌人の競詠として次代を担う歌人として紹介されている。傷心を癒して雨になってどうするのだろうか、封印されている女性の部屋で何を思うのだろうか、現代の課題と未来への一歩が見えてこない。三国の作品は平和と人工野菜という世界へつながった視点がある。問題は世界と私を結び架橋するような中間組織の発想がなく、私とあなた(彼、彼女)が直接つながる閉塞した関係にあることだ。世界や中間組織から自由であるというのは意識の錯覚で浮遊した現実感しか残らない。私と世界を架橋するリアルな認識なしに創作は自己満足に終わる。(2004/5/27 11:19)

ベルトルト・ブレヒトより

 学ぶのだ、誰でも知るべきことを。
 時代をいまにないとろとうする者が
 学ばずにいていいものか。
 学ぶのだ、ABCを。
 それだけでは足りないが、
 まず学ぶのだ!
 いまさら、などと言わないで
 はじめよう!
 きみはすべてを知らねばならぬ、
 きみは前衛とならねばならぬ。

 学べ、ドヤにいる人よ
 学べ、監獄にいる人よ
 学べ、台所の女よ
 学べ、六十の老婆よ
 きみは前衛とならねばならぬ。

 学校へ行け、家を持たぬ者よ。
 知識を手に入れろ、こごえる者よ。
 飢える者よ、本を手にとれ、
 本も武器のひとつ、
 きみは前衛とならねばならぬ。

 
 1930年代のドイツは革命と反革命が真っ向からせめぎ合う高揚期の坩堝であった。ブレヒトはドイツ共産党員として前衛演劇の旗手としてドイツ演劇界を席巻しつつあった。時代の息吹と生命の緊張のなかで、学習をかくも高らかにうたいあげた詩はないだろう。胸躍るような激動の時代を生き抜く先導者の熱情が伝わってくる。ブレヒトは敗北し、その後のドイツは歴史にかってなかった地獄の時代を経験した。コミュニズムの理想は血にまみれ、戦後はスターリニズムの制覇のなかで歴史の舞台から退場した。ブレヒトとその時代が追求しようとした理想と、その理想の無惨な結果はおそるべき歴史の狡知のなせる技だ。
 70年を経て新たな希望が立ち上がろうとしているのだろうか。学びへのこうした激しい希求が姿を変えて、人の胸をつかむだろうか。学習が経済の論理に汚濁されて、学びの純粋性は嬌笑を浴びている。子どもたちにとって、未知の世界への探求がもはや薄っぺらな虚栄となって堕ち行くときに、廃墟のなかからフェニックスのように甦る学びのイメージが求められている。私は齢を重ねて学びの現役から撤退したかにみえるが、私の心の底に秘かにあかあかと燃えている知への要求は消え去ることはない。「知的活動をする人たちのある者は、年をとるごとにますます知的に円熟して、しかもそういう面での積極性を発揮する、そういう人のひとりでありたい」。(2004/5/25 10:37)

セレクション俳人から

 短夜や乳ぜり泣く児を須可捨焉呼 (竹下しづ)
 春宵の母にも妻にもあらぬ刻    (竹下しづ)
 熱燗の夫にも捨てし夢あらむ    (竹下しづ)
 身も業も骨となりたる朧かな     (橋本栄治)
 扇風機一つに集う喪なりけり    (橋本栄治)

 かなかなの染みし板書が形見なる (橋本栄治)
 
 確かに深い省察の世界がある。私の技巧では作り出せない世界だ。評者・仁平勝氏によれば観念を超えた実感があるという。作者もそういう年齢にさしかかって、俳句という形式は日常の老いや死を見つめていくにふさわしいー等と評論している。第二芸術論として否定される日本的抒情の極地ではないか。老いと死にしか歌の対象を見いだせない芸術とは何か。ここには諦観の静かな残照しかない。生命の輝ける未来性を歌い上げ得ない自己閉塞した歌の世界は、いかに高度の技術を駆使して彩なす世界を創出し得てたとしても、明日へと開かれた世界の創造ではない。閉ざされた無念を歌う歌人に未来はない。世界との緊張関係に充ちた場所でしか歌ってはならないと思う。朝日新聞5月17日付け時評参照。(2004/5/17 19:53)

ふるさとへの帰還をひかえて詠める

 逝く母の廃家はじめて訪ねなば いくさなからん世のなかをしも想う

 廃屋の草に埋もれしわが故郷 空澄み渡り墓のみぞ残る
 
 ふるさとは遠きにありて想おうなゆめ 汝が生きし跡も残らず
 
 職去りて思いおこせば夕まぐれ 確かな何を残せいしか君

 かくてなお時は過ぎゆくかんばせに 故郷の廃家崩れておちぬ

 ふるさとの山端の際を音高く 高速ゆけば村静かなり

 帰り来てふるさと見れば悔い覚ゆ なんの希みを抱きて立ちし


                                  (2004/5/14 15:52) 

反戦川柳の先駆 鶴彬顕彰全国川柳大会
 鶴彬は反戦運動で逮捕され、陸軍大阪監獄に収監された後1938年に29歳で獄死した戦前期の反戦川柳作家である。1414句の川柳から代表作2首をあげる。

 手と足をもいだ丸太にしてかへし

 胎内の動きを知るころ骨がつき


 戦場から不具の身体となって故郷へ帰還した兵士は、もはや自分では耕せない田んぼをみて何を思うか。新婚の夫が戦死した時に新たな生命が育ち始める。この川柳によって彼は治安維持法違反で逮捕され、拷問によって無念の死を遂げた。今再び戦争の足音が近づいているときに、あの時は仕方がなかったーと勇気を持てなかった自分を免罪するのかどうか、彼の死は今の時代によみがえってくる。彼を記念した川柳募集要項。
 未発表2句 封書で〒536−0024 大阪市城東区中浜1−1−27 川端一歩方あかつき川柳会宛
 締切 6月30日 参加費1000円同封 本名・雅号・住所・性別・年齢・電話 (2004/5/11 8:35)

珠玉のような言の葉が紡がれていくー世の中に生きてある精神

 掲ぐるば仰ぐ席決め見張り立ちかくてのみ旗の権威生まるると (武蔵野市)雨宮 孝

 朝日歌壇5月10日付掲載。異様な雰囲気に包まれた今年3月の東京都立学校の卒業式。君が代斉唱に起立しなかった教職員196人が処分を受けた。明治期の教育勅語奉読時に敬礼しなかったとして辞職させられた内村鑑三が、この21世紀の現代でまた大量に生まれた。明治政府が正しかったのか、内村が正しかったのかすでに歴史の審判は下されている。不服審査で陳述した或る教師は「私は引き裂かれるような苦しみを感じています。君が代を強制されたくない、強制すべきではない、と思って生きてきました。私はクリスチャンです。君が代の起立・斉唱を強制されrことは、他の宗教行事に参加を強いられることであり、神への裏切り行為とも云えます」と述べた。こころに鋭い痛みが走ります。
 
 日本国憲法第19条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

 夜空の一点にいつも動かず輝いて、下界に指針を示してくれる北極星のようなもの。


2004年初頭にー愛高教情報掲載

 ひと筋のひかりさしゆく朝焼けに 歩みいださん非戦の道を(2004年年頭に)

 大掃除 手にせし用具子どもらは 聖なる点検終えて微笑む(始業式を迎えて)

 降りしきる雨にうなじを濡らしつつ 凛とは響けはるかイラクへ(イラク反戦高校生集会にて)

 しんしんと子らの教室静まりて うち伏す君は何を想える(試験監督をしながら)
                                        
                              (2004/1/14「愛高教情報」1742号掲載)

2004年初詠

 こもれびの落ちくる窓辺に霞みたち 新たな年に光はあるか

 よく見よと曇りある眼を見開けば いくさはじめの年を迎えむ

 学びのほかになにを求めむ枕辺に 年の初めの匂い立ちこむ

 ひかりさすわが還暦に星明かり 失いしことふりかえざらめ

 希望てうことば疑うこの程度 歩みとめなん惑いをひらく (2004/1/2 10:05)


今朝は真っ白な雪が積もっていた
 朝4時半頃に目が覚めたら、外は深々と雪が降っていた。そのままウトウトしていたら7時過ぎに目が覚め、外を見たら10cmほど積もっていた。愛犬コロはぴくりとも動かない。大丈夫だろうか? 前年より初雪は3日遅く、例年より6日遅いそうだ。9時過ぎると太陽が照って雪がキラキラと輝きだした。屋根の雪は解けて滴があちこちに垂れてきている。自動車の運転は大丈夫だろうか。こうしてやっと冬が始まったような気がする。この1年は今までになく速く過ぎ去ってしまうような気がする。やり残したことをすべてやり切って思い残すことなく今年を終えよう。全ての宿題と仕事は年内に終えよう。そこで1首。

 「酔っぱらった馬の時間」吹雪をいく少年と 暖かなベッドで目覚める私と 垂直の非対称性

                   *酔っぱらった馬の時間はマフバラフ監督の作品、今年の最印象作品
この世でほんとうのことは目には見えないだよ-サン・テグジュペリ『星の王子さま』

 この世でほんとうのことは目に見えない-真実は目には見えない、想像力と抽象力を駆使しなければ浮かび上がってこないのだ。それと同じくこの世でほんとうに美しいものは目には見えない、音には聞こえないかも知れない。こころを澄ませて凝視し耳を傾けていっしんに聞かなければならない。

 ギリシャの壺のオード ジョン・キーツ

 耳に聞こえる音楽は美しい だが
 聞こえない音楽はもっと美しい であるなら
 やわらかな笛の音を 奏でてください
 耳にではなく もっとやすらかな 魂へ
 音のない歌を

 なにかこころがやさしくやすらいでいくような気がします。いくさとすさぶるおこないのみちみちているこの地上に、生まれてなおいきていく、いたいけでけなげな魂がとびたち、はるかな遠くへなお遠くへこころざしを秘めて、ふたたび帰還するその日のために、けいかくと準備をしっかりと調えて、明日にもここから離れようとする新しいいのちのために、みなが声をそろえて歌い始めるその日のために、いまここを深く掘ろう、清らかな泉がとうとうと湧きいでて汝の頬を洗い清めてしばしのやるらぎをもたらす、戦士はかくしてたたかいにのぞんで怯懦にうちふるえ、いくさそのものの止揚せる時が来たることを希み、いくさをなくすための最後のいくさに出立する、ほんとうのこと・ほんとうに美しいものは目に見えず音に聞こえない、しばし歩をとどめて凝視せよ、耳を澄ませ、心をひらけ、大いなる希望の明日のために(ARAKI)-2003/10/5 20:14

道浦母都子歌集『ゆうすげ』(雁書館 1988年)より)
 処女歌集『無援の叙情』は余りにも有名ですが、この歌集はそれ以降の歌を集めた第2歌集です。私は、彼女の観念的な昂まりに流れすぎる傾向に辟易するところもありますが、その純な部分に惹かれます。以下はその中から幾首か引きます。

 今のこころに素直にならむと思いしより一人を超えぬ今のこころは

 精神の娼婦となるなという言葉風のごとくに一日まつわる

 こころざし尽きゆくごときあかときを聖句一行肉を過れり

 全存在として抱かれいたるあかときのわれを天上の花と思わむ

 さくらばないのち華やぐそのときのれを奪わむ力を思え

 あやまちのごとく雪降る ひと一人見失いたる春の余白を

残されし仕事の日々を・・・・

 悔いなくも決意はゆらぐ残り日を わたしの一歩は何を刻まむ

 終わりなき日常を生きよと無残にて しかばね積みし罪の深さは

 曇りなきまことの知をばこころざし 幾とせ過ぎし帰らざる日々

 なんのため 君が生ききしあしあとに 刻みしいのち誰が替わらん

 ゆきゆきて残れし日々の帰りこぬ 2度とは会えぬ日常は過ぐ

 万巻の書を蒐めいし我が書棚 命のかなしみあふれて並ぶ

                              −2003/5/11 19:00

映画『草葺きの学校』を観て

 今ははるか遠くにありてよみがえる 我が少年の痛みは残り

 岡山県瀬戸町万富大井の里 朽ち果てし屋やは遠く
 
 ふるさとのおもいなつかし広場には 我れ捨てゆきしなにが残らむ

 宵やみにひびく列車の音遠く 夜のしじまにはるか聞こゆる

 我が旅立ちしふるさとの 小道いつまで見送りし祖母

                               −2003/5/11 18:45

5月の雨に・・・・名古屋・高校生5.11反戦集会に遭う

 降りしきるうなじは濡れてなお歌う 集える若人雨に打たれて

 集い来し50数名の若人ら 雨に抗して反戦を云う

 今ここに未来をあらわす君の声 歴史はしかと忘れるなゆめ

 けなげにも君は歌える言の葉を たしかに刻む片隅の視線

 高らかに少女の声響く公園に いくさ離れしブルーのテント


                               −2003/5/11 18:32


無辜の民のかすかな命によせて
 
 漆黒の闇を切り裂く爆裂の弾は放たれおさなごに かき消す叫声われに食い入る

 さながらに劇画のごとく食い入りて 画面見つむる我をかなしむ

 何億光年の彼方より憐れむような声聞こゆ あどけなき命消えゆく小さな惑星

 得々と武器の性能述べ立てつ 君は噴きい出血潮を想え

 あかあかと燃えゆく夜空染められて もがきゆく恐怖の命果てなんとす

 星条旗ひるがえりゆく砂嵐 悪魔の嬌声は高らにこだます

 私がいたことを覚えていてください 君はダンサー 人間の楯とはなりて

 帝国の本性見たり我はいま 高ぶるこころ忘れぬなゆめ


                                    -2003/3/22 21:10

果てしなき議論の後に

 ともにゆくはらからゆえに のぞみなく互いの罪を声高に云う

 あやまりのゆくえは知らず 大いなる声の側に自らを置く

 知にあふる言の葉求めひたすらに 説きゆく我に攻む声ひびく

 みちすじを示しえずして敗るるは ちから及ばぬ限りを覚ゆ

 地獄への道は気づかず善意にて 掃き清められんとぞダンテの語

                                    −2003/1/19 20:14

2003年を迎えて

 新春の晴れ渡りたる青空に 陽光はるか イラクを思う

 還り来ぬ吾子の姿部屋にいて 妻の面も弾みゆく朝

 年の初めに紡ぎゆく新たな構想 しかと決めたし 

 あっさりと吾子の姿消えゆけば 部屋の中にぞ空洞覚ゆ

 希望なる言の葉しばし虚しゅうて 明けゆく年の来し方を思う


                                     -2003/1/1 8:14            

2002年よサヨウナラ・・・・・

 暮れなずむ街穏やかに陽を浴びて 鳥のさえずりもの言わぬ人

 襲い来る劣化ウランに身をさらし 少年は哀しく瞳を閉じぬ

 わが家の汚れ落としてすみずみに 我が心にも洗剤流す

 緑なすこの惑星に生まれいで 銃弾運ぶパックス・アメリカーナ

 遂にこそ終わりの時を迎えけむ 我が生涯はかくて刻みぬ

 還りきぬ吾子の貌ざし精悍に 去りゆく者の哀しみはなし

 100歳を過ぎなんとするコロの眼に 老いの諦め静かに浮かぶ(眠る愛犬コロをみて)

 こころよく我に働く仕事あれ それをし遂げて死なんとぞ思う(石川啄木)

 しかと定めよ今はの時に 未完のいのち一閃に放つ
       −2002/12/30 10:33

心ひたすら・・・・・・浅井あい歌集より

 浅井あいは、1920年に生まれ、14歳でハンセン病を発病、29歳で両目を失い、82歳の現在も営々と創作を続け、夫の死を契機に第4歌集を刊行した。2001年の熊本判決後、かって退学を余儀なくされた郷里の母校から卒業証書を受け取った。

 夫の頬わが頬になお温きときに 生き絶えしとぞ死にたるとぞ

 柩の夫の前に坐りおり 真昼間か夕べか夜か茫々として

 あかときを咽び泣きつつ呼びかけつ 夫の遺骨を胸に抱きて

 らい専門医なき国立らい園に収容して われらの死滅を待ちていし国

 熊本判決このよきをまず誰に伝えん 白杖を手に廊下にい出来つ

(まぶしくも・・・・)

 若鮎の撥ねゆくすがたそのままに 君のかんばせまぶしくひかる

 引き締まる筋肉の泡立ちて 身体の思想とはなんぞ 

 水しぶき跳び行く果てに 鎮まりて 君の航跡くっきりと浮かぶ

 高温のサウナのなかに瞑想す 汗は流れてインドしも想う


                                     -2002/12/1 19:00

エンヤの流れる窓辺で

 木漏れ日のこぼれる朝に 薄日差し霞みたなびき今日も明けゆく

 敗れ去る議論の果てに ゆらぐイデーは 夕日のごとし

 傷心のこころに滲みゆく歌声は ふたたび起ちあげれと静かに聞こゆ

 学舎の行く末決す闘論の 激する声に 何を思うか声なき多数

 過てる結論選びしその後に とりかえしつかない 現実が待っている

 大勢のおもむく先に 流される 踏みとどまれとの声のこだます

 生まれきた街に重たく霧の立ちこめて エンヤは歌う またふたたびの希望

 アイルランドの痛み静かに歌いあぐ エンヤよ君よ連帯よいずこ 

 ゆだねゆくセカンドランナーの現れて 確かな継承 去りゆく我は


                                         −2002/11/23 8:02

詩の朗読
 CD「詩の朗読ライブ 赤木三郎&山本萌『風は日暮れて逆光写真となっている』」をフトして買いました
 部屋のなかでひとりで聴いていると なにか不思議な気持ちになってきます
 ふたりの声はあくまでやさしく マリンバの声も散りばめて 静かに詠われます
 世の喧噪に打ちひしがれ 静謐なこころを喪って久しく どこかへいってしまった何かをとりもどすかのようです
 ふっくらとした声のせせらぎのような調べは まるで天の上から聞こえてくるかのようで
 生まれてこの方60年が過ぎなんとして いま私ははじめて詩の森の響きにふれました
 詩の朗読は沈黙の空間に凝集しているようです
 紡がれて流れでる言の葉はまるでイルミネーションのようです
 忘れていた、ふるえるような細やかな感受性の世界は過ぎた日の遠くの記憶をよみがえらせます
 この世の汚れを洗い流すかのようにふたりは静かに語りかけます
 こうした世界は現実にはありませんが
 いつかは一度詩の朗読の空間に身を置いてみたいものです
 赤木三郎の詩は沖縄のその痛ましい世界を昇華しています
 詩の世界に凝縮された沖縄のからだが 鋭い痛みとなって世界を撃ちます
 象徴詩こそほんとうにシュールなレアルを浮かびあがらせます
 いったい詩人の魂は レアルなくるしみのなかでどこまで耐えられているのでしょうか
 詩の朗読に拍手はいりません
 ただこころの琴の線が密やかに触れ合うその瞬間に時間はとまっているかのようです
 書きことばの世界でしか生きてこなかった私は いまはじめて音の言葉にふれました
 音のことばしかなかった原始のこころが掘り起こされて 宿りつつあるかのようです
 いつかテレビでみた詩のボクシングという番組の 神奈川県の高校生のふるえるようなたましい
 詩の朗読は 活字の詩とはこんなに違うものでしょうか
 この世には 私が知らない世界が ほんとうにあったのです
 あ〜少年の日に帰りたいという気持ちが突き上げてきます あの全てがめくるめく時であった日々に
 わたしが衝撃を受けたのは 矢内原忠雄の「神はわが傷あとに」でした
 この高名な経済学者がこんな詩人であったとは!
 そして私はこの詩の意に反して生きてゆかねばならないのです

   神は我が傷あとに 矢内原忠雄

 神は わが傷あとに草の香をただよわせ
 わが損失のあとに 野花を咲かしむ

 神は わが傷あとに草の香をただよわせ
 わが損失のあとに 野花を咲かしむ
 そうだったのか
 山野を歩けば かぐわしい草の香 野の花の数々
 みな風に吹かれて咲いている
 それらは人の傷あと 人びとの損失のあとだったのか
 神は 我が傷あとに草の香をただよわせ
 わが損失のあとに 野の花を咲かしむ

 神は わが傷あとに草の香をただよわせ
 我が損失のあとに 野花を咲かしむ

 傷あとに 草の香を
 損失のあとに 野の花を

 神は 我が傷あとに草の香をただよわせ
 我が損失のあとに 野花を咲かしむ


                         (2002/11/16 23:01)

我が折々の歌
 大岡 信『折々のうた』(岩波新書)を見るともなく読んでいるとハッとさせる歌がある。私が書き連ねてきた歌の未熟さをしたたかに撃って恥じ入るばかりですが、以下は私の心を魅く歌群です。

・「我を見よ」と叫びし者ら去りゆきてつぶやきうめく声を聞くのみ(土岐善麿)
・年功をひとつの尺度となすらしく執拗に教職年数を問う(山口光代)
・ふと思うことありて蟻ひき返す(橋 間石)
・自分の眼はいま まるで節穴だ 何も見ていない それでも光が節穴に入ってくる(高見 順)
・ふたたびは帰らず蝉の穴(阿波野青畝)
・海に出て木枯らし帰る所なし(山口誓子)
・明月に帰らず 碧海に沈み 白雲 愁色 蒼梧に満つ(李白)
・わがうたはみやびかあらずねがいにもあらずいかりのすてどころのみ(下中弥三郎)
・天のごとく太陽のごとく我が上に輝きいたるたましい劣ろふ(四賀光子)
・巌、月に大坐する(萩原井泉水)
・雉子の眸のかうかうとして売られけり(加藤秋とん)
・冬ながら空より花の散りくるは雲のあなたは春にやあらむ(清原深養父)
・めぐまれて小さな星に棲みみながら人間最も凶悪である(坪野哲久)
・余生なほなすことあらむ冬苺(水原秋桜子)
・あはれ我が凍て枯れしこゑがSもの云へり(三橋鷹女)

NHK第2回詩のボクシングを観て
・偶然のTV画面に流れくる詩の拳闘 飛び交うイメージの結晶
・うみほたるさん 震えるような感性の こぼれるようなこんにちは(彼女は決勝の敗者)
・うめきゆく声の世界か作曲の 原始の言の葉いまよみがえる(広島代表)
・テクニークよ技巧よさようなら こぼれでる美しいことば紡がれ織らる
・汚れたるいくさの満ちる詩の果てに 何が残るか問われている
・なんだか優しい気持ちが湧いてくる けなげにも詩を詠む少女の瞳
・なぜかまし首都の人はひからびて 詩の舞台に姿はみせじ
・即興にうたいあぐるポエジーに イマジネーションの悪魔は宿る

夏に想う
・大いなる望みの果てに悔恨の 苦衷流れて終わる夏の日
・煙の流れる墓群をみれば わが旅立ちし昨日を想う
・何ごとか為さざれん夏の日に 残り少なき悔恨を想う
・暑さの夏はオロオロ歩くか 今は喪えしはるかな志しある日
・六十路きて何をか今は語るべき 学びの道を選びし我は
・我が想い歴史の藻くずに果てぬとも いつか小さな花にて終わる
・よく見てし己が途を希望へと つなぎし人の哀れを刻む
・たらちねの我が母いずこすでになし おおよみがえれ誠の母よ
・古里の田地めぐりて争いし わが友垣は何処にあるか
                      (2002/8/12 19:45)

エンヤのケルト音楽 静かに流る
・諍いの果てにたどりつく闇に 君の歌声静かに流る 
・この世をば全てつつみて流れゆく 終わりなきうたごえはるかに遠く
・おお聖なる世界か 静かけく夜のしじまにうたごえひびく
・ふたたびの勇気もたらし 耳傾けぬ今ひとたびの立てという声
・天よりの声とばかりに聞き入れば 君の故国は敗れて廃ぬ
                      (2002/7/25 20:12作)

今は退職されようとするY先生に捧げる頌歌
・ひたすらに手向けるこころ純にして 天使のこどもあくまで守る
・掃除の用具整然と 聖なる点検 静かになしぬ
・学びの喜び黒板に 真っ白いチョークが数字を刻む
・ハラハラと痛みの涙こぼれゆく イジメらる次男のゆらぎ自らのごと
・ゆっくりと微笑み浮かべ 盤上に敗者の石をば静かに置きぬ
・軽やかに投じる球はまっすぐに 父ちゃんソフトエースの片鱗
・理系育ちの君にして はしなくもこぼれゆく知の饗宴
・知の対話かわしつつ愉しげに こころ満ちくる60年代はるか
                      (2002/7/20 9:31作)

2002年点描
・知性なくつぎつぎとなりゆく流れ目の前に 理性の燈火微かに光る
・小雨降る街に群れゆく少女らに 目を奪われて哀しかりけり
・姿なき電子の箱に記されし あまたの言葉咲くも貧しく
・世を越えてこころ通じる場はあるか 時に哀しく見つめて終わる
・まゆ一つ動かざりしかんばせに 深く燃えいる炎はあるか
・金色に染めしは君の黒髪を 何をば探して彷徨いゆくか
・テレメール見入るまなざし輝きて 打ち込む姿寄せつけ難し
・少女から先に退廃忍びより 気づかざりしか有事の憂い
・化粧してスカートの裾押さえつつ 階段上る少女の希望
・教壇を去りゆくこころおぼろげに いま黄昏れて暮れゆく季節
                       (2002/7/1 0:52作)

21世紀に希望はあるか
・双眉をば雨に濡らさぬいくさ場に 向かうグランドまた繰り返す国 
・汚れなきこの痩身を縛りゆき 18歳の女子高生は自爆に向かう
・誰ひとり云い出ずる者なしこの国に 戦の神は微笑みて訪ぬ
・悔恨の罪責を問う始まりか 強制連行の判決静かに下る  
・我が母は幼子残しみまかりぬ いくさ知らずに育てし果てに
・見通しのあやうき時代なればこそ 職場に溢る諍い哀れ
・髪を染め頬に揺れゆくピアスして 若者は迎ういくさの時を
・内に満つゆらぎをあえて外に向け 羞悪の統治はライオンヘアー
・かすかにも歌を忘れじカナリヤは 大地のゆらぎに先駆けて逝く
・深き夜のしじまのなかに 想うぞはるか いくさ捨つ第9条
・つぎつぎとなりゆくならい大勢に あえてつぶやくノンと小声に
・瞳輝く幼子は誓う 殉教者となりてイスラエル兵をたくさん殺したし
・希望とは絶望の意と魯迅は云いし エンヤの歌ながれる夕暮れ
・イクコラノ ノゾミハルケキ コノソラニ ワタクシノチカラ トドケトオモヘド 
                              (2002/5/5 24:55作)

我が少年期の想い出に捧ぐ
・旅立つ村の道ゆきて 見送る祖母はこうべをば垂れぬ
・帰り来ぬふるさとはるか山端の 暮れゆく空は真っ赤に染みぬ
・汗にじむ祖母の背中は縮まりて 幼きわれになにを訴う
・石臼に祖母が隠せし100円を 我は盗みて飛行機を買いしことあり
・さんざめく祭りの夜に 我は背負いて爺いを運びぬ
・今はの際に我が祖父は 10円の氷飲みてわずか微笑む
・またたく星の天の川 我は打たれて静かに放尿す
・帰郷して塀をあがれば祖母ひとり 思いのたけを語り尽くせり
・朽ち果てぬ廃屋みればボロボロと 少年の我が走る
・亡き母はいずこにおわす 崩れし写真じっと見つめぬ
・昂然とまなじりあげて立つ日こそ 哀しみ深き母を我は知るなく
・今は来て母の齢に達しつつ 振り返るこころに痛み走りぬ
・なにほどの誅求を生きたりしか かえりみすれば胸高鳴りぬ
・今日の日を母に向かいて何を云う 恥じらい多く生きてきしかも
・去りてゆく日々を積みゆきて 何を残さん生きゆくあかし
・刻みゆくかすかなしるし残しゆき 静かに消える慚愧の涙
・後ろ手に伸ばせばハッと突然に 少女の黒髪我が手に触れぬ
・みやこと云いし君の名を 微笑みぬ写真に見つめいたりき
・島津さん英語100点ハイどうぞ あなたは遠く私を越えぬ
・後ろから首を締めつける少年あり 我は悲しく逃げ去りゆきぬ
・そこはかにふるえるこころ訴えて 聖書を求めし少年の日々
・逝きし友の その名を呼びてひたすら自転車をば漕ぎゆく
・満員の夜汽車にゆれていく今宵 受験の我と同じ少年がいる
・ここにこそすべては始まり胸高らりぬ ただひたすらに神田を歩く
・五十路来てふたたび逢いし学び舎に ここにぞ定めん星くずの命
・世に問いし2つの書捧げあり 我がゆきゆきし確かなしるし 
                          (2002/2/10 連作)

(谺雄二氏の講演を聞いて
 1月27日元ハンセン病患者の証言集会にて詠める。甚目寺町民会館にて谺雄二氏の講演を聞いて。(2002/1/27 22:22)

・汚れたる業の病に腹這いて 君の境地のやよ神々しさよ
・ハンセンの病に染めてはじめての 温かき母に抱かれいつつも
・歪めかしくちびる垂れて ヨブのごと君は語りぬ許しの一夜
・権勢のちまたにありて その咎を一身にあびつ君は訴えぬ
・やよはるか君の青春いずこにか 取り返しえぬ想いを込めて
・人の世を信じよと云いし言の葉の 君をおいて誰が知るべし
・醜くくもゆがむ相貌晒しいつ 神の子のオーラを放つ
・勇気とは独りの極地に放たれる 君は此処にぞ身をもて示す
・静謐に伝える君の声聞けば 茫々として涙の流る
・人の世に光りあれとぞ宣いし あな酷き強者の背理
・地の果ての地獄を見てし人ありて 今は静かな言葉をついで
・なぜにして隔離の記憶紡ぎいて 希望のまなこ輝く今宵
・仏の教えなぜなるか 業の病よ因果応報
・ゆきゆきて訪ねる果てに一筋の 光差し込む裁きの部屋に
・歪めいし面の相貌誰が見ん すなおな抱擁誰が交わせん
・放浪の旅にゆき果て食を乞じ この道端にうずくまる朝
・この果てに希み失う仕打ちにも 我を見捨てぬひとりはありき
・最果ての苦しみ背負い歩みきつ 身をもて示す人のこころは
・誰をしもゆだねる命育みて いまはの君は勇気を贈る
・雨あがり空晴れてゆきつ教室に 君のかんばせ誇りを放つ

世俗の汚れのなかで・・・・私を晒す
・腹這いて汚れたるこころ逃れゆき 何をば生まん終わりの時に
・もういいではないかそのへんで こころゆがめぬ庶の身の憐れ
・人をしてその云うに任せよ 大いなる志し卑小に見ゆる今宵
・齢重ねし幾とせはるか 誰か認めん主と奴の弁証
・日々になくわがいのちちじこまる 断崖ここぞ飛び込むその時ぞいま
・過ぎてゆく時こそいまぞ誉れなき ゆきてゆきゆく想いぞ我に
・虚飾なきすなおなすがた求めつつ 夢ぞ想うな挙げたる評価
・私には残したることある それを云いたいしあまつ言挙げ
・我は我が道をゆく 雑言はるかあまた聞こゆる
                             (2002/1/20 19:35)

少々落ち込みし今日の夜に・・・・男のつぶやき
 閉鎖された集団の中では、あるつまらぬ葛藤が人間を破壊する。酒にまぎらわせて解決する途は選ぶべきでない。だとすればひたすら思考するか、歌を詠むしかない。(2002/1/17 20:45)

・東に喧嘩があればつまらないからやめろと云い またしてしまうこれぞ業なるか
・集団が崩れていくのは内部からだと云いにし我も共犯なるか
・みえない先のあるままにゆれる心に 敵意の生まる
・閉ざされしこころのはてに行きつくは 何の意なき作業の藻屑
・争いしつまらぬ諍いよしあれば 結び強まる幻想いだく
・なぜにして云うなめあてを喪いし 報いのはてにくずおれいたる

(21世紀の初頭とは何であったのか)
・現代の日本に働くとは何の意いぞ はるか下北の地に弟はいく
・はかなくも年の始めに夢いだき それぞれの暮れは今宵過ぎゆく
・デイズニーとマグドナルドに異なるこころ抱きつつ いまは錆びつく年の瀬をいく 
・ひさかたに香を焚きしめこの部屋に マイウエイのピアノ静かに流る
・幾とせのよわい重ねつ我がいのち 棺を覆いて何をば残す
・君知るか惑える少女よアフガンの 攻めゆく端にこの国がいる
・幾たびの出発の唄を奏でるも 目的の地はついに来ざるか
・このいのち絶えざるならばただ一つ かすかに歌え希望の詩を
・ただひとつ言い残せし言の葉は ケルンのかなたはるか消えゆく
・惑いの年にたどりつく 学の嶺にはいま遠くその一歩こそ忘れいまじく
                                (2001/12/26 19:43)

アフガン反テロ戦争の終焉を迎えて詠める
 9月11日以降たった3ヶ月で世界のシステム間闘争は終焉を迎えつつある今日の日に、カンダハル陥落のニュースを聞いて。(2001/12/10)

・敗残の兵歩みきたりし山並みを静かに見据え銃をば置きぬ(タリバン全面降伏を聞いて)
・破局のなかの砂嵐まなじり決し昂然と 少年兵はなお逃れゆく
・土を3たび掛けよと言い遺し 君は突入せし朝焼けのビル
・ビンラデイン何者なるか あまたなる血を捧げたる君は何者か
・覇権の国の渦巻くちから覆いきて この惑星に銃声のやむときあるか
・はらわたのえぐられし嬰児捨てられて 平原の大空高く禿げ鷹の舞う
・我が学問の幾末なんの意味あるか パシリのごとく国は歩みぬ
・瞳つぶらな少年の初めて巻きしターバンは 静かに唱えぬジハードの声
・彼の国の飢えて死にゆく幼子と 教室を逃れゆく子らのいる国
・恥らいしまなざし込めてはにかみぬ 君は初めてブルカを挙げて
・大いなる帝国のかますび熾きて頭領は 報復叫び白屋をば出ず
・哀しみの爆薬点けて最後なる 復讐の泉満ち溢れいぬ
・機動戦の時代は遙か遠くに過ぎゆきて 虚妄となりしグラムシは去る
・近代と前近代が戦えるアフガンは 壮大な戯画のページと歴史は記すか
・一杯の滴を汲みつ生きてゆく むさぼり尽くす安逸の非対称性がある
・グローバリゼーションの声かますびし惑星に 朽ち果てゆきし一つの命
・21世紀のシステムは決っしたのか恐慌の 音並みはるか忍び近づく
・血ぬられし大地に浸みいる鮮血の あとあざやかにサルモネの咲く
・青空の澄みゆく窓に寄りし朝 はるかアフガンの劫火は照らす
・アラーの声は真実なりや原理なる 教えに殉じし命の意味は
・何処なる誰が拾いぬその骨を いまは崩れぬケルンの砦

2001年初頭にあたって詠める
・峠の向こうに何があるの 問いかけるつぶらな瞳まぶしく映えて
・終わりなき学びの果てに ともに積みゆくひとつのケルン
・あかねさす明けゆく空に 航跡はるか漕ぎいずる朝は
                                          
1996年初等にあたって詠める

・凛として少女は訴うけなげにも いま再びの歌「沖縄を返せ」

・かすかなる水脈の音響ききて 闇深い夜の灯火守らん

・しんしんと子らの教室静まりて うち伏す君は何を想いぬ

・五十路きてふたたびくぐりし学舎に 若人の声遙かにひびく

・我らいかなる時代を経つつありや 龍平君とともに誰か歩まん

1994年 K先生の退職の宴にあたって詠める
・紅顔の頬を染めにし君の瞳輝きて 若き日の写真に見入る
・戦人たらんと励みし君もまた時代の子よ 陸軍幼年学校卒
・兄君は遙か沖縄で散華せし 君が無念よ憲法を説く
・法は人民を守り王を縛る為にあらずや 戦の跡の学舎に鱗落ちし君よ栄えあれ
・遙かけき古里を遠く母君を 背負いてゆきし君の姿よ
・静かけくしばし黙せぬ君の弁 職員会の場を圧しぬ
・ざわめきて暮れなむ飲み屋の片隅で 獅子吼せし君去りゆく夕べ
・片隅の椅子のひとつを占めていて 権力に突きかかりし想いのたけを
・一喝せし君の獅子吼校長に 共に歩めしデモクラシーの道
・若人の歌声高らかにきしめきて 星空の下君も歌いぬ
・よろめきし君と並びぬ岩場にて 遙か見はるかす槍はそびゆぬ
・歩みきし娘よ永久に飛翔せよ この朝焼けに嫁ぐ一粒の涙 親なれば君も
・暗闇の光る画まなざしこめて見つめおり 老人と海を見ぬ
・この地にて骨を埋めると決意せし 君の瞳よそのかんばせよ
・残されし日を渾身の力を込めて生きし君 見守れ後に続く我らを
・我が道をいく 人をしてその言うに任せよ この語こそ君のものなり
・これが人生だったのか よしさらば今一度 微笑みたたえて消ゆる姿を
・人の去りゆくや その言うやよし 高らかにさんざめく宴の夜は過ぎて

1991年中村高校106組進級を迎えた3月我が担任学生に送る
・軽やかに鋭きストレート投げ放ち 乙女の生涯も直球で行け(丹沢さんへ)
・瞳まどかな若人の頭まるめいし 会いし日は昨日か今や丈夫に(井上君に)
・にこやかに笑える君のかんばせや グラブ確たるボールを受ける(今飯田君に)
・おおらかに生き抜きし乙女よ 今は育ちぬゴールを追いて(梅本さんへ)
・教室に姿失いし君の椅子 一つ空白胸騒ぎいず(高梨さんへ)
・スポーツの汗にまみれて躍動す 君の姿生きて輝く(古川さんへ)
・納得せし強き意志の力もて我が道を往く さりげなき優しさ(杉浦君へ)
・泰然と他人事ごとく眺めいて 決して許さぬ差別のココロ(佐藤君へ)
・探求の意志強く本の杜 君は見事にやり遂げている(後藤君へ)
・女医の途選びし君は遙かめざして突き進み往く(後藤志さんへ)
・つつましく微笑む蔭裏に強き意志 君は確かな力を積みぬ(鬼頭美さんへ)
・評論の道を志す君の夢 迷わずに行け万巻の書物を読みて(菅原さんへ)
・朗らかに笑える君の声響き 教室の中常にやわらぐ(堀田さんへ)
・朝焼けの鍵盤さやかに響ききて 君の歌声高らに聞こゆ(西野さんへ)
・剛直に礼節の道貫きて 表情変えぬ君の存在(津田君へ)
・おおらかに伸びやかに育ち 大地を蹴りてボールは消えぬ(鬼頭君へ)
・中村は君にとって何であったか 離れても想起せよ母校(平岡さんへ)
・にこやかに輝く瞳溢れいで 静かなる強さは必ず生きる(水谷さんへ)
・細やかに感性溢れし乙女子よ 物想う未来夢見て(露木さんへ)
・強き意志なにごとか為し遂げん未来に 今は腹ばえ(鵜飼君へ)
・ひたすらにたゆまず歩む無言にて 秘やかに燃えん君のこころは(小坂井君へ)
・弓の道ひたすら励み君もはや 静かなる男とは君のことか(志賀君へ)
・古きよき男の時を残しおり 柔らの道とは君のことなり(丸山君へ)
・遙かけく小牧の町より通い来て 明るき笑顔飛ぶように浮かぶ(諸岡君へ)
・伸びやかに褐色の陽光あびていて 水の男かピアノの名手か(岩本君へ)
・優しさと激しさ同じく持ちいてし ひたすらボール追うぞ美し(蒲原君へ)
・静かけくはにかみひたすらに マイペース一歩踏み出せ(藤井君へ)
・静かなる大人の風格帯びていて 生き物愛す慈しみる(渡辺君へ)
 *申し訳ありませんがここまでしか手元に記録が残っておりません。完全版をお持ちの
  卒業生のかた御連絡下さい。
                                               
1992年 年頭の所感
 幾たびか心を決めて発ちし折り 顧みざれば達せし歳月

 1.健やかな身体にこそ健やかな精神の宿る
 2.テーマなくして生の満ちる時なし
 3.教えの技こそ日々の糧なり
 4.みな歓ぶなかに我あり
 5.瞳まどかな日こそ我が友
 6.残されし日々よく生きよ
 7.課題を残せ後世に我が家族に我が息子に
 8.日を刻めよよく見よ流されるなかれ
 9.満ちてくる想いを思い起こせよ月の刻みに
10.めまぐるしく回る日々の周期


1992年近藤芳美先生臨席の下に詠める・・・ソ連崩壊のあとに
・歩みきて崩れし彼の地の試みに 君は傍らの石ひとつ拾う

1992年卒業式にあたりて詠める
・築きあぐ記念の学舎残しいて 見守れ後に続く我らを
・君よいかなる学舎築きしか 静かけく式は過ぎゆく
・声を限りに歌いあぐ校歌よいまは こみあぐる想いのなかに
・あらがいし君の青春刻みきて 遂に別れの日とはなりぬ
・送別の歌は高らに流れゆく 君も歌わんこみあぐる想いを込めて
・故旧忘れ得べきや青春の 別れの宴は静かに過ぎぬ
・鋭くも母校えぐりて残しゆく言の葉の 我が胸に落ちて沈みぬ
・西暦にて終わりぬ答辞しめくくり 君は昂然と頭をあげて
                                            
1993年年頭に詠める
・過ぎていく歳月かさね雪明かり 闇深ければ一隅を照らす
・辿りきし過ぎゆく日々の懐かしく 振り向く我もあやしかりけり
・遙かけく嶺は遠くにそびゆるも 歩みいださんまたふたたびの道

1993年に詠める
・冷ややかに我に放てる視線あり 終の授業の高まりのなかに
・ソ同盟くずれて墜ちぬ晩鐘に 声秘やかに歩める夕べ
・諄々と説きゆく君の声静か 職員会の場を圧しぬ
・退学を勧告せよとの声激し 君は静かに「しかし」と云う
・「くにおみさん」と云いて指置く手のひらに 慈しみ込め君は諭しぬ
・見つめいる瞳は揺れてペンの音 静まりゆける教室を出ず
・この子等のいずれか涙す無惨にも 入試こそ我の十字架
・めくりゆく密かな紙の音しげく 我が学舎に春は来たらん
・吸い込める深き緑をたたえいて 真白きチョーク黒板に浮く
・このペーパーで2つに裂くか子供らを 15の春の痛ましき試練
・新しき友垣迎える学舎に はや幾歳の想いを積みて

1993年A先生の結婚式にて詠める
・ひとすじの確かな途を歩みきて いま君は華燭の宴に立つ
・においたつ光を浴びて手をとりつ 歩みい出さんさいわいの途
                                               
1994年年頭に詠める
・かすかなる水脈の音響ききて 闇深き夜にともしび灯る
・凛として少女は訴うけなげにも いまよみがえるあけもどろの島(沖縄米軍兵士少女暴行
事件抗議県民集会での女子高校生の発言を聞いて)
・われらいかなる時代を経つつありや 消えゆく命龍平は問う(エイズ裁判判決を聞いて)
・五十路きて再びくぐりし学舎に 若人の声遙かはなやぐ

1995年歓送迎会にあたって詠める
・ノブレスオブリージユに始まり 矜持にて終わりぬステージに 君の姿牢固立ちたり(M先生へ)
・心地よく我に働く仕事あれ それをし遂げて黄柳野にぞ向かう(H先生へ)
・理科棟より見るべき程のことは見つ君は中村の語り部たりき(O先生へ)
・我ら自由闊達に論議したりつねにリベラリストたりし君のもとで(K先生へ)
・汚れ無き心ふるえるフルートに我が胸も洗いながさる(KJ先生へ)
・献身とは斯くのごときか君の生 歴史は君を忘れない(N先生へ)
・数学の深奥を極めし君はまた数多の美女に囲まれている(Y先生へ)
・蝶の羽ひらりと舞いて追いし手に 君の青春こぼれて光る(I先生へ)
・淡々とあゆみ入る教室に君の若さ朗々とこだます(Y先生へ)
・事務を守りて六歳経し 君は二児の母となりたり(KJ先生へ)
                                              
1996年 退職者励ます会にて詠める
・微笑みて問う君のかたわらに 子らは集いて包み込まれぬ
・強からん言の葉ひとつ言わずして 静かに君は歩み去られん(2首 F先生へ)
・毅然たる姿さらしつ子を諭す 君は立ちたり野武士のごとく
・学びの途に終わりなく身をもて示す 修士に進む(2首 I先生へ)  

1996年 T先生を送る会にて詠める
 T兄を送る
 
振り返れば貴兄とはN高校時代からはじまり、数年をおいてN高校で再開し、本日の別れとなりました。小生は貴兄との現代思想関連のデイスカッションが楽しくまた知的刺激を受けてきました。関心テーマが重なり合う領域での話題は特に興味があり、私より若い世代の発想と触れ合うことで大変得るところが大きいものでした。貴兄の市民運動や現代神秘主義への参加がインド体験に於いても現代型の求道のスタイルを見いだし、どのような奇跡を描いていくのか、遠くから拝見しておりました。さらに貴兄の生徒との接近のスタイルは、まさに誠実以外の形容のしようがありませんでした。一方では適宜スキーを楽しんだりして、サラッと私生活領域を確保しているスタイルも若い世代のあり方を見せつけられた感があります。
 貴兄が生涯を限定された時間でのライフテーマを原始仏教に設定された話は、入試の採点の時に伺ったのですが、原始仏教から大乗・小乗に分化していったところでの大乗のあり方の現代的な位相と言ったことを考えると、より一層興味が募ってきます。私事ながら小生も世紀末から新世紀を見通していく展望の一助にと、一回の学徒に立ち戻りいささかの探求を試みたいと思っている次第です。私の今の主要な関心は、情報管理の深化のなかでの人間の自立意識の形成はいかに可能か?ポストフォーデイズムによる克服の展望は本当にあり得るか?といったところです。今後お会いできましたらそんな話もうかがいたいものです。最後に三首。

・ステージに掲げる火の鳥は何ぞ ひとたび死して蘇るふたたびの歌
・灼熱に焼かれていま飛ぶ火の鳥よ 再び叫べよみがえりの歌
・灼熱の炎あびつつステージに 火の鳥のごとく君は訴う

1996年 初頭に詠める
・凛として少女は訴うけなげにも 今再びの歌「沖縄を返せ」 
・かすかなる水脈の歌響きゆき 闇深き夜の燈火ともさん
・しんしんと子らの教室静まりて 打ち伏す君は何を想える
・五十路来て再びくぐりし学舎に 若人の声遙か聞こゆる

1997年 初頭に詠める
 「春暮れてのち夏になり、夏果てて秋の来るにはあらず、春はやがて夏の気を
催し、夏よりすでに秋は通い、秋はすなわち寒くなり、10月は小春のてんき、草も
青くなり、梅もつぼみぬ。木の葉の落つるんも、まづ落ちて芽ぐむにあらず、下より
きざしつ春に堪えずし落つるなり。迎ふる気、下にまうけたる故に、待ち取る序甚だ
はやし。」(『徒然草』第115段)

2001年 N・O・S先生の退職にあたりて詠める
・偽善をば鋭く射抜いて放ちゆく 君は去りなん「矜持」とともに(N先生へ)
・新たなる途へと旅立つ希望の乙女よ痩身の 君はあくまで求道者たりき
・新たなる求道の旅に歩みいで 乙女はソッと希望を手向く(O先生へ)
・きらやかにかがやく瞳浴びていて 寄り添う子らに囲まれる君(S先生に)

<芸術論・美学ノート>

窪島誠一郎『無言館 戦没画学生の祈りの絵』(講談社 1997年)
 ほとんどが東京美術学校卒業の将来を期待された画家たちの出征前の遺作から編集されています。この美術館には一度行ったことがあるのですが、なにか強制されるような圧迫感を覚えて、絵を見るような心境にはなりませんでした。こうした画集で見ると、あらためてかれらが、相当な絵描きになったであろう才能の持ち主であったことが分かります。反戦であれ、聖戦であれ、なによりも絵を描くことにピュアーであった画学生の精一杯のいのちの叫びと、彼らをして戦場に散らしめた侵略の責任者へのはげしい憤りが誘発されます。この和解が形が戦場で呻いていたときに、横山大観や藤田嗣治などのいわゆる画壇に君臨した巨匠たちは、先を争って戦争賛美の絵を描いて軍部に媚びたのであり、敗戦後も何らの自己批判なく画壇の指導者として生きたのです。
 これほどにアンヴィバレンツにお漫画チックな悲喜劇が日本の美術であったのです。私は、戦没画学生の遺作と巨匠たちの戦争画を正対させた展覧会を国立近代美術館で開催し、市民の眼差しを受けるべきだと今でも思っています。(2010/5/29)

土方定一『日本の近代美術』(岩波文庫 2010年)
 日本の洋画と日本画が幕末からどのように受容・変容し、展開してきたかを、筆者のオリジナルな視点に基づいて外観的に述べられており、独特のエッセイ風の文章であるために
かえってオーソドックスな感じを与えている、いかにも定説風の概論となっています。明治黎明期の洋画の導入が感銘に分析されて分かりやすい。基礎に史的唯物論による歴史観があるようで、そこが重厚な印象を与えている。ただ日本独特の画壇という美術史上の形態が形成された日本的特殊性の分析と、大正デモクラシー期の影響や、戦争画をめぐる葛藤などもっと突っ込んで戦争犯罪まで突っ込んで良いのではないか。日本画に関する展開は初めて知った部分が多く面白かった。高村光太郎「緑色の態様」、関根正二、小川芋銭、前田寛治と福本和夫、米国共産党員であった野田英夫など印象に残った。

 「戦争画を政治的強制によって描いているうちに、近代美術の造型思考が断絶したばかりでなく、造型思考そのもののデカダンス(頽廃)をもたらしたことがはるかに悲しむべき事実であった

 著者は日本近代美術史を次のように総括しています。青木繁=浪漫的神話→岸田劉生=超現実美→関根正二=幻視の世界→萬鉄五郎=キュビズム的ポエジー→小川芋銭=民間伝承世界→村上華岳=浪漫的哀憐→福沢一郎=シュールレアリズムの内面風景→新人画会=シュール・幻想世界 基本的には内向的、瞑想的な孤独な魂の表現 (2010/2/10)

ニコライ・タブラーキン『最後の絵画』(水声社 2006年)
 私はロシア・アヴァンギャルドの芸術理論を初めて読みましたし、またこの著者の名前も初めて知りました。岡崎市美術館で開催されたロシア・アヴァンギャルド展の販売コーナーにこの書があったので買いました。思うにこの書はロシア革命の前後の渦中で出版されています。この世界史的な激動のただなかにあって、芸術家と芸術理論も又私たちの想像を超える緊迫感のもとで仕事をしていたに違いありません。有能な表現者は争ってロシア革命に参加し、その世界史的使命のなかで自らの芸術を考えたに違いありません。そしたロシア芸術史上まれにみる華々しい芸術活動が展開されたのでした。その多くはしかしロシア革命初期であり、スターリニズムの登場のなかで閉塞していきます。この著者は、芸術アカデミーの中心にあって、ロシア革命に参加する前衛的な藝術理論の構築に全力を注入したのです。
 彼の理論は、実験室的な制作に拘泥する構成主義を批判し、芸術の創造過程を工場の生産過程と一致させて、労働の生産過程と芸術の創造過程を統合する生産主義という新たな芸術理論に挑戦したのです。絵画で言えば、イーゼルの枠を解体して、芸術労働と職人労働を統合する社会主義的制作物の創造(?)にあるといったらいいのでしょうか? いまから90年近く前の理論ですが、現代的に全く色褪せず、むしろその当時の理論水準の高さを知り、芸術理論の時代を超えた独特の特質を考えざるを得ません。この書のすごい点は、マルクスヤレーニンとか社会主義理論は全く登場しないし、使用されていないのです。1910年代の後半期にマルクス主義芸術論はまだ未開の分野であったのでしょうか? だかた著者は、非常にアカデミックなレベルで時代の先端を切りひらこうとする探求を試み、それが革命芸術理論と結果的に一致していたことになるのです。スターリニズムの歪曲を受けない初期ソ連革命期の芸術理論と活動の深層にふれることができるのです。それは近代科学とフォデイズムへの無限の信頼、大量生産・大量消費=アメリカニズムへの経済主義的な信仰に近いロシア工業化政策の戦略に一致した芸術理論のように思います。(2010/2/7)

東海文学学校(2009年6月21日 於労働会館)
 講師 吉開那津子
 プルースト  イブ・シモン「この世にはプルーストを読んだ人、読んでない人で世界がちがう)
 うそとまことのあいだに小説がある(近松門左衛門) トーマス・マン「ある詐欺師の回想」 ラファイエット「グレープの親方」
 自分の正当性を主張するな(いつも自分が正しいと思う傾向 相対的観点が重要))
 東京山の手在住の作家が日本の近代小説のことばをつくった
 小説
 @誰を主人公にするか(主人公の存在)
 A直接的な演説はやめよ
 B時間は前に流れる、回想しない、時間に限定される、時間副詞は使わない
 C作者の世界観、心象風景
 D作家は完全犯罪の詐欺師である
 Eモテーフ(動機) これを書かねば! 実際書いてみないと、心を真っ白にして

テオドール・W・アドルノ『美の理論』(河出書房新社 2007年)
 1969年になくなった著者の最後の著作であり、著述の途中でなくなっており完成稿ではない。600頁を超える大著なので、読み終えるのに数ヶ月かかった。叙述はアフォリズムのように自由奔放に展開するので、論理を追うことはできない。だからその頁毎に、きらめくような分析が観られるのですが、次々と発想が飛びかうので、結局なにを言いたいのか伝わってこない。ただアドルノのレトリックの技術はうかがえた。その手法は同じ語句を一つの文の中で、すぐに否定形で使い、それを繋ぐことだ。これはなにか深い思考があるようにみえるが、じつはレトリックに過ぎないことが分かる。第2は彼が作曲家をめざしていた経歴から、シェーンベルグの技法を称賛していることが分かる。結局印象に残ったのはこの2つだ。これだけではなんのためにこの大著に挑んだのか分からない。
 彼の批判の対象は、ルカーチの美学理論と社会主義リアリズムだ。ようするに彼はフランクフルト学派の合理主義理性による野蛮と個人の管理社会への包摂は、社会主義も同罪であり、それら総体を否定するユートピアとしての芸術にあるというらしい? それによって彼は世紀末芸術からモダニズム芸術を宣揚し、モダンな芸術至上主義をとなえる。この理論は美学理論として一見先駆的だが、冷戦崩壊後のグローバル至上主義に飲みこまれて商品芸術を高級に頽廃化する現実の前に、あまりに無力ではないか。この著作はルカーチを批判しながら、マルクス主義の用語も駆使しているのでまどわされる。ポイントは、晩期資本主義の管理社会を越えていく芸術を解明することにある。アドルノはそれに失敗している。だからといって、マルクス主義美学が成功しているわけではない。せいぜい民主主義美学といいかえて、古典主義へ回帰している現状は嘆かわしいことは確かだ。というわけで、アドルノの名声に頼って、現代美学の最前線に立とうとするのは、やっぱり甘かった。(2009/6/20 17:27)

ヴォルフガング・ウルリヒ『芸術とむきあう方法』(ブリュッケ 2008年)
 芸術市場においては、崇高で殉教者的な芸術家の拒絶的態度もデザインの一つの要素と化す(激戦市場における差別化戦略)
 なぜなら人間は不幸なときのほうが、幸福なときよりも互いに似るものだ(トルストイとは反対に)
 冷戦終焉以降ひとびとは無防備に幸福な平和なときが続くという前提のもとで生活してきた
 ポストモダンの美学にとっては、絶えざる気分転換と複数主義が好まれる。幸福な時代は形而上学を必要としない。幸福な時代の作品は不幸な人にとっては無意味だから。
 理想国家から画家を追放したプラトン、安定を指向する国家にとって不安定な画像は道徳破壊的であるからだ。
 芸術が時代精神の総体を表現した時代は去り、芸術の終わりをヘーゲルは宣言した

 芸術概念形成の歴史
  ロマン派 宗教的言語による芸術の聖化(人間解放、カントの目的亡き合目的性=無関心)→聖堂としての美術館での礼拝の対象として制度化
  19世紀後半〜20世紀前半 ダーウイニズム(生物主義)と軍隊的な英雄的戦士 アヴァンギャルド 芸術の延長としての戦争
    聖性の維持と戦闘の統合(青騎士)、革命・例外状態・彫刻→芸術家のカリスマ化(反経済主義)
  20世紀前半 芸術労働論 カント的天才観の否定 分業としての芸術集団化(スターリンー魂の技師、ナザレ派、バウハウス、ナチズム)
  1960年代以降 集団創作による個人芸術の否定(フルクサス運動、マチス、オノヨーコの分業絵画)、アヴァンギャルドから後衛主義へ(民衆芸術)
  1990年代
   芸術と市場経済の結合 経済と脳科学の結合(左脳と右脳)によるマーケッテイング化→ブランド・ビジネス
   芸術の制度産業化 自作展示→雑誌紹介→キュレーターによる流通(評価システム)+芸術理論家による概念操作
   芸術のサービス・アート化

窪島誠一郎『詩人たちの絵』(平凡社ライブラリー 2006年)
 立原道造、宮沢賢治、富永太郎、小熊秀雄、村山槐多の生涯と代表詩を紹介しながら、かれらが描いた絵がカラーで解説されています。詩人でなくて、画家としても独り立ちできそうな独創的なタッチの絵がならんでいますので、おもわずシゲシゲと見入ってしまいます。多くは詩人に似つかわしい、シュールで内省的な絵となっています。こうした詩人と詩人の絵を結びつけて、考察する窪島氏のセンスもなかなかのものです。そして詩人たちの詩にたいする感性と絵画表現に感性の共通性を覚えるのも楽しいものです。それにしても立原道造の詩と絵画の繊細でリリックな透明性には感心させられます。立原道造の絶唱を紹介しておきます。(2009/4/8 15:45)

  ゆふすげびと  立原道造

 かなしみではなかった日のながれる雲の下に
 僕はあなたの口にする言葉をおぼえた 
 それはひとつの花の名であった
 それは黄いろの淡いあはい花だった

 僕はなんにも知ってはゐなかった
 なにかを知りたく うっとりしてゐた
 そしてときどき思ふのだが いったいなにを
 だれを待ってゐるのだろうかと

 昨日の風は鳴ってゐた 林を透いた青空に
 おあうばしい さびしい光のまんなかに
 あのあの叢に咲いてゐた さうしtれけふもその花は

 思ひなしだか 悔ゐのやうにー
 しかし僕は老いすぎた 若い身空で
 あなたを悔ゐなく去らせたほどに!


内野光子『現代短歌と天皇制』(風媒社 2001年)
歌人は敗戦をどう受けとめたか
 「斎藤茂吉にあっては、宣戦と降伏の2つの場合の詠出がそっくり同一である。民族の知性変革の問題として、今こそ我々は短歌への去りがたい愛着を決然として絶ちきる時ではなかろうか」(臼井吉見『展望』1946年5月)

 戦争歌人責任・歌壇戦争責任解明(日本文学報国会短歌部会)と作品批判規準の確立などの戦争責任論は戦後短歌史から姿を消した理由
@歌壇と著名歌人への打撃的批判の重大さ恐れて反応できない構造(短歌ジャーナリズムの系列性)→歌壇外からの批判を受けて立つ構造
A歌壇外からの歌壇に対する評価の権威主義
B特定歌人への批判を許さない結社の存在(→結社世襲制) ムラ社会には主流と非主流派はあるが反主流はない アララギ短歌の支配

 詩人たちはなぜ敗れ去ったのか 歌壇における文学的精神の喪失
 戦争を感歎し讃美するような作品を製作してきた茂吉は敗戦の現実に直対してどのような苦楚を覚えたのか
 苦悩や自己批判なき歌人

 天皇の宮中歌会始を頂点とするピラミッド型戦争歌人群の仕事は、下に下がってくるほど短歌は政治的手段として悪用された(中野重治)

 『人民短歌』(1946年4月創刊)渡辺順三等による戦争短歌責任追及→短歌の存立と近代化への疑問、短歌形式批判、結社批判
 「新歌人集団」(1946年12月)→歌壇の腐臭、結社鋳型、宗匠マンネリズム批判(批判精神と抵抗の欠落)

 呉建堂『台湾万葉集』

永井潔「戦争は描かれたか」(『人間と芸術と』新興出版社 1972年)
      「戦争と美術」(『戦後文化運動・一つの軌跡』光陽出版社 2008年)
 「今日これらの名画は軍国主義復活とはなんら関係なく一つの歴史的美術品としての価値がある」(戦争記録画返還を前に 朝日新聞 年7月3日)
 →聖戦扇動絵画が名画として復活!
 「あの時はああするのが国民として当然だった。絵描きはいつの時代でもただ絵を描くだけだ」 *高村光太郎「暗愚小伝」との違い
 →いまわしい過去、悪夢のような時代として戦争画の再審を回避してきた痛みの感性内実の再検討

 「芸術の政治への従属(政治の優位)」説と「芸術自律」説の奇妙な融合がある

 戦争美術における政治の優位の抽象性と政治への従属(大政翼賛)の原因
  @美術界におけるアルチザン的職人技術主義と芸術至上主義の醜悪な結合

  A社会・戦争認識の貧困→戦争の本質を描いた戦争画はない
  →画家の戦争責任は戦争を描かなかったことにある
  →従軍画家批判のみならず、戦争画を描かなかった画家の戦争責任

  Bコスモポリタニズムと軍国主義の醜悪な結合(藤田嗣治)→エコールド・パリの画家が聖戦美術運動
  ・藤田は西欧的近代性と日本的伝統を巧みに融合させたのか?
   →欧米帝国主義のオリエンタリズム(異国趣味)への迎合
     西欧崇拝者の鬱屈したコンプレックスの表出としての排外主義
     日本近代の原理的特質との関連で把握する(脱亜入欧、近代の超克論)
   →日本的伝統を西欧近代から把握するのではなく、日本的伝統の自律的発展と西欧との相関関係で捉える
  ・藤田における人間的感性(連帯的共感性の剥落)
   →裸婦・猫(西欧的美貌への甘美な讃美と愛玩の対象としての陰ったエロテイシズム)
   →モジリアニ的哀愁は作者と対象から流れでる哀愁が共鳴しているが、藤田的哀愁は作者の一方向的哀愁
   →コスモポリタニズムと軍国主義の接点にニヒリズムがある(ファッシズムの醜悪な結合 藤田死闘図は反戦画ではない)
   →暗さを愛撫するかのようなニヒリズム(反戦はおろか厭戦にもつながらない)
   →哀愁・ニヒリズムの可能性 自己変革的に現実批判と反戦に向かう
   →藤田がなぜこの可能性を選択肢えなかったか?  *井上長三郎「死の漂流」

  C集合的心性における感覚麻痺(大政翼賛と国家総動員) *一億総懺悔論

 戦争美術総体を単純に全否定するのではなく、現代の課題と問題意識から再審する
  戦意高揚という動機(意図)だけで作品の内容と質が決まるのではない
  すぐれた作家は自己の政治思想に反してまで真実を描く *王党派バルザックのリアリズム
  芸術作品はその人の政治的意識によって断定するのではなく、作品の事実と質において評価される

 戦争体験継承論 体験世代の消滅の後になお体験を継承すること=記憶

『民衆の鼓動 韓国美術のリアリズム 1945−2005』2007年)
 美術作品把握方法の2つの偏向を越えようとする存在論的民衆美術
 @再現主義 時代の鏡像のみを見る 社会主義リアリズム
 A構成主義 時代と無関係の主観・理念の構成物 モダニズム
 1945−1979年 抑圧期(@思想・表現の自由抑圧A労働搾取による輸出志向経済B抑圧的開発独裁)
 1980年 光州抗争 青年・知識人中心左派イデオロギーの市民社会浸透 米国モダニズム(モノクローム)・アヴァンギャルドへの対抗
 民族的・民衆的美学による政治的抵抗運動としての民衆美術運動
   1945−79年 民衆美術前史 生活リアリズム、アンフォルメル、実験美術、越北作家
     柳宗悦の朝鮮民芸論(白を基調とする悲哀の美、線の美)を日本帝国主義美学として批判
   1980ー85年 小グループ運動 モダニズム批判と芸術の現実認識機能
   1986−87年 全国的単一組織運動 街頭・労働現場参画 表現の多様化
   1988年 現場美術運動・青年地域美術運動 民俗・民芸伝統美術
   1989−90年 理念論争(民族解放か民衆民主か) 民芸的伝統文化と結ぶかアヴァンギャルド的政治参加か
    ↓ *民衆美術運動が政治変革に従属し扇動性だけを強調する偏向(造形的乱暴)
    リアリズム(偏狭な描写論、機械的客観主義の宿命論)を越えた第3の新しいリアリズム(現実への主体的参与の視角)
    組織・変革運動に偏向する民衆美術運動批判
     民衆美術運動の個人的拡散と生命力喪失 多元的社会への再編
   1990年代以降 環境危機・IMF・階級・競争と貨幣物神・市場原理による公共性解体・生活の質など新たな現実の浮上
              制度圏展示と現場活動の多様化

ペーター・ビュルガー『アヴァンギャルドの理論』(ありな書房 1987年)
U市民社会における芸術の自律性の問題
 芸術至上主義の自律性概念 芸術の本質は社会からの切断・超越にある(歴史的・社会的認識の排除)
 実証主義の自律性概念 芸術の社会からの超越は芸術家の主観内存在であり、作品は社会的存在
 唯物論の自律性概念 芸術は社会的条件を認識させない表現で現実を表示する複合的な自律性

 ■ルネサンス期における芸術の自律性
 分業による労働者と生産手段の分離の中で、手仕事的な生産形態を維持した芸術活動の特殊性が芸術の自律性の基礎となる
 ルネサンス期に物質的生産と精神的生産の分離が宮廷芸術形態で進展する
 芸術市場の形成によって注文主と芸術家の関係は抽象化し、この過程を通して芸術の抽象化=自律化が進む
 (関心の対象は構成技法と色彩技法による匿名の自律性となる)
 しかし
 芸術の自律性は宮廷・ブルジョアによって、美的刺激が支配の手段として動員される範囲内に制約される(自律性の仮象)
 →支配のオーラ化による大衆の体制包摂
 芸術の自律性は芸術から閉め出された人々の苦しみによって贖われている(奴隷制、農奴制社会の芸術)という負の弁証法

 自律性問題の二重性(生活からの解放としての芸術と歴史的条件による規定性としての芸術)の区別と関連が重要
  教会祭儀プロパガンダからの芸術の離脱(宗教と芸術の分離) *バロック芸術(主題としての宗教でありながら表現は構成・色彩の自由)
  この過程は宗教の目的合理性かの制約を逃れたが、その主体は天才観念などのイデオロギー生成過程でもある

 ■市民社会期における芸術の自律性概念
 近代的芸術概念=美学概念の成立 目的合理性概念から解放された自由な創造と適意の王国→従来のホラテイウス詩学の有用性・教訓的概念の排除
 芸術の近代的自律性の歴史的規定性を排除した自律本質論が登場する

 カント『判断力批判』(1790年)
  感性と理性のはざま、市民的利益欲求(快)と実践理性(善)の双方に「無関心な趣味による適意」=美的判断の普遍妥当性(美の無機能性)=感覚と悟性の調和
 シラー『人間の美的教育について』
  分業による市民社会は粗暴な欲動と無気力の頽廃を生み出した(感覚と悟性の分離)
  引き裂かれた人間の統合は芸術によって可能となる(感覚の呪縛からの解放としての美)→人間の人間化

 ■アヴァンギャルドによる芸術の自律性否定
 使用目的・生産・受容の3要素による芸術類型
  A宗教芸術 祭儀客体として奉仕 宗教制度に包摂 手仕事・集団製作(ギルド)
  B宮廷芸術 代表客体として宮廷の自己表現に奉仕 宗教束縛からの離脱 個人生産の一回性 社交的受容
  C市民芸術 代表客体として市民階級の自己表現 生活実践からの離脱 生産・受容とも個人(作品への孤独な沈潜) 
 アヴァンギャルド芸術
  人間の生活実践から切断された唯美主義的制度芸術批判=自律芸術否定
  生活実践の目的合理性から主観的に解放された唯美主義を新たな生活実践再構築へ志向
   *マルクーゼ
     市民芸術の二重性(競争原理の浸透によって市民社会から剥奪された人間的諸価値が芸術に流れ込むことによって)
     →芸術は現実の悪に対する抗議するが、価値の仮象的実現によって現実の変革を回避する
  アヴァンギャルド芸術の矛盾
   生活実践からの切断による自由が生む批判的現実認識×生活実践に再吸収された芸術の批判能力喪失
   →歴史的進歩の観念が有効な時代にあっては矛盾は顕在化しないが、文化産業による芸術と生活の距離の止揚によってアヴァンギャルドの矛盾顕在化
   @生活実践と芸術の再統合→芸術要素の使用目的性消失
   A個人的生産の否定(個人的創造性 天才観念、ロマン主義的霊感説)
     作品の質よりも署名が優先する芸術の市場原理否定、さらに個人生産原理そのものの否定へ
     →アヴァンギャルド作品の美術館収納によって、ほんらいの挑発・攻撃性喪失→しネオアヴァンギャルドの商業芸術化
   B個人的受容の否定 生産者ー受容者という分離概念の喪失 芸術=生活実践の個別化
  歴史的アヴァンギャルド運動の帰結
   晩期資本主義における自律的芸術の止揚の欺瞞形態(娯楽芸術、商業芸術、商品美学)

Wアヴァンギャルドと社会参加
 ルカーチ 有機的芸術作品を美的規範としてアヴァンギャルド芸術を頽廃として拒絶
 アドルノ アヴァンギャルド非有機的作品を歴史的規範として、有機的作品を美的退歩として断罪
 両者はアヴァンギャルドを後期資本主義の疎外表現とするが、
  ルカーチ 社会主義的変革運動への市民的知識人の盲目性→リアリズム芸術による止揚
  アドルノ 後期資本主義の唯一心性の表現→リアリズム芸術は芸術技法の後退
 両者ともアヴァンギャルドの制度芸術への攻撃を市民社会芸術の発展における決定的できごととみない表現形式問題として把握
 両者とも制度芸術を無視
 両者の欠陥をブレヒト芸術が統合

T批判芸術理論
 @批判芸術は自己の表現行為を社会的意味の反映とみなす
 A批判芸術は自己の表現行為を社会的実践の一部と考える
 B批判芸術は既成芸術の社会的連関を究明する
 C批判芸術は伝統芸術の先進的部分を出発点とする
 D批判芸術は伝統芸術のイデオロギー批判へと移行する
  *マルクス『ヘーゲル法哲学批判序説』における宗教批判を芸術に置き換える
  @芸術は地上における人間的特性を天上に対象化した幻想的投影 芸術の実在は人間を欺瞞的錯誤の虜とする
  A芸術は現実の悲惨の表現であり、現実に対する疎外された抗議である
  B芸術の疎外された形態は現実のなかに存在するべきものを測る尺度となる

 個々の作品とそれを成立させる社会的現実の弁証法的連関のなかで、作品は相対的に社会的現実を越えた意味を持つ
 同時に個々の作品は制度内部で作用している被規定的な性質を持つ(社会決定論でも、文化普遍主義でもない)

 ■美概念の歴史性
 過去に形成された美概念を現代の美概念に到る階梯として理解してはならない(その時代の美概念はその時代のオリジナリテイがある)
 表現手段からみれば芸術創造過程は多様な手法の間の合理的選択過程であり、その選択は表現手段の多様性が実現した段階で認識可能となる
 市民社会芸術の発展は<形式ー内容>の弁証法が形式優位へとづれる方向に進行し、内容的側面(メッセージ)は後退し、形式的側面が狭義の美として差異化し分離独立していく過程であった(創造としては表現手段の自由な多様性であり、受容としては美的感性の多様化である)
 過去の認識は過去を無前提に把握する歴史主義でもなく、過去を現在にいたる前史とする構成主義でもない
 過去は現在の自己批判にいたる弁証法的過程であり、この自己批判は体系内在的批判(特定の制度内部で機能する)ではなく、超体系的的認識の

 市民社会芸術の自律性は全社会的発展が生み出した不安定な所産であり、支配者との力関係の制度変化によって動揺する(ファッシズム芸術政策、反道徳的芸術作品裁判など)=社会的審級による「自律性攻撃
 市民社会芸術は制度芸術(社会要請からの解放)と個別作品の内容との緊張関係を生命源である→作品の内容をめぐる芸術表現の制度的自由枠の限界設定をめぐるコンフリクト(芸術は市民社会で許容される欲求の枠外にある残余欲求を表現するから)→唯美主義ははじめてこの枠を突破しようとしたが、実態は制度と内実の一致による緊張感駅の喪失(虚構の自由)となった→芸術の自己批判の契機となる(その実践がアヴァンギャルド芸術)

 ■ベンヤミン芸術理論『複製技術時代の芸術作品』
 作品と受容者とのある特定の関係タイプとしてのオーラ
  @芸術作品それ自体の作用よりも作品が機能する制度によって決定される
  A受容のあり方は社会史的に決定される(オーラ的受容は市民的個人による)
 オーラ(近づきがたさ)芸術 宗教芸術→市民的自律芸術→芸術至上主義・唯美主義による芸術の再宗教化(祭儀化)
 →複製芸術によるオーラの喪失(芸術史の決定的転換)
 (*マルクス生産力と生産関係論を芸術に機械的適用、芸術市場主義・唯美主義は分業化の究極の形態=もはやいかなる社会的機能も引き受けない完全独立の部分))

 (しかし)
 芸術的生産は単純商品生産であり、単純商品生産では物質的生産手段の変化は作品の質に大きな意味を持たない、作品の普及と作用には意味を持つ*映画芸術)
 むしろ作品内実が利潤関心に隷属し作品の批判的な力は衰弱した(複製芸術論は似非唯物論的説明)
  @表現技術の発展を独立変数として把握してはならない
  A市民社会芸術の変革の原因を技術的複製方法の変化に帰してはならない
 この限定の上で技術的発展の造型芸術に及ぼした影響は
  写真技術による現実の正確な再現→造形芸術の模倣機能衰退
  映像技術による現実の再構成→造形芸術の表現方法多様化
  ワープロ技術による文字のデジタル化→文字芸術の多様化(筆記文字のオーラ喪失)
 オーラの喪失に対する対抗としての芸術市場主義・唯美主義は分業化の深化=部分領域の差異化(部分の分離独立)として見るべきだ
 専門化した芸術の特殊固有経験の絶対化による社会的機能喪失(もはや生活実践の領域へ反映不可能)
 アヴァンギャルド芸術は目的合理性と背反する唯美主義を生活実践の変革規準とする芸術と生活の再統合をめざす

細見和之「戦争責任論への一視角」(『岩波講座 近代日本の文化史7 総力戦化の知と制度 1935−55年1』)
 金素雲『朝鮮童謡選』『朝鮮民謡選』『朝鮮詩集』『乳色の雲』
  ハングルの原版を島崎藤村・北原白秋の7・5調の流麗な日本語に翻訳し、朝鮮の上田敏と称せられる(日本名 香山光郎)
  佐藤春夫「朝鮮の詩人などを内地の詩壇ぬ迎えんとするの辞」と藤島武二パステル画(チマチョゴリ)添付
  抒情の植民地化の悲劇(日本型オリエンタリズム)

 小田切秀雄「文学における戦争責任の追求」(『新日本文学』1946年6月号)
  @文学・文学者の反動的組織化に直接の責任を有する者
  A組織上そうでなくても従来の文壇的地位の重さのゆえに侵略讃美のメガフォンと化して恥じなかったことが広範な文学者と人民に深刻にして強力な影響を及ぼした者
  25名リスト
  菊池寛 久米正雄 中村武羅夫 高村光太郎 野口米次郎 西条八十 斉藤りゅう 斎藤茂吉 岩田豊雄(獅子文六) 火野葦平 横光利一 河上徹太郎
  小林秀雄 亀井勝一郎 保田輿重郎 林房雄 浅野晃 中河与一 尾崎士郎 佐藤春夫 武者小路実篤 戸川貞雄 吉川英治 藤田徳太郎 山田孝雄

 戦争責任追及の構図 
  @汚れた文化人と無垢の大衆という二元論→告発主体である大衆の不在を代替する文化人→追求者自身の戦争犯罪追求資格→戦争責任論の空洞化
  A被害主体と追求主体のいずれにも非植民地主体は想定されない→日本人内部での自己完結
  B小林多喜二と火野葦平をともに時代の犠牲者としてとらえる「成熟した文学的肉眼」視点(平野謙)に対する中野重治の政治主義的批判→「政治と文学論争」
  C『思想の科学』型転向論研究(転向、非転向、偽装転向)→非植民地を視野に入れない
  D先行世代戦争責任批判(吉本隆明)→植民地視点のさらなる相対化
  E無意味な死の追悼論(加藤典洋)→加藤の不用意な問いかけが新鮮なイメージを持つのはなぜか(植民地出身者の不在)
 →戦後日本の戦争責任論はすべて植民地視点を欠落させてきた

嶋田美子「フェミニズムアートと慰安婦」(『戦争責任研究』1998年春季号)
 マネ「草上の食事」で男は着衣なのに、なぜ女は裸体なのか 美の名の下に女性の裸体は性的客体として占有されてきた
 美術史は見る男と見られる女の非対称性の視線(男性中心主義イデオロギー)
 母性イデオロギーに絡め取られて天皇制ファッシズムに加担した日本女性と、性奴隷化したアジア女性
 女性は戦う兵士と化した男性を応援するチアリーダーとなった戦時期
 日本的性のパラダイム
  国家の部品として個人の尊厳を剥奪された男性兵士は、戦地において同じく尊厳を剥奪された女性を性欲の対象として記号化し、家では彼らの母が母性の優しさとして浄化され、性のケガレは家の内部から外部へ(遊郭、戦場)へ外化された。女性は優しく浄化された母と性の対象としての汚れた女性という垂直的なヒエラルヒーに分断されて、男性支配原理に包摂された。
 黒いリボンを付けて粛々と頭を垂れる天皇の死の儀式に参加するフツーの日本人の精神風景 黒いリボンを付けて営業する商店の精神とは抵抗なのか?
 男性アーテイストが連綿としてつくりあげてきた美意識の歴史
 アートクリテイシズムがまったく機能しない日本
 従軍慰安婦をステイグマとして烙印する一方的で無意識の優越感 「可哀相な」慰安婦のモルモットとしての聖人化 その時は共感して滂沱の涙をながし時が経つと忘れる
 自己犠牲に貫かれた愛の労働(ダラ・コスタ)としての母性愛の美徳
 
小沢節子「美術にみる戦争責任」(アジアに対する日本の戦争責任を問う民衆法廷準備会『音楽・美術の戦争責任』1995年)
 美術家の戦争責任ー制度としての美術の戦争責任ー芸術文化の戦争責任
 戦前・戦時期日本美術の再検討 前衛芸術運動、都市モダニズム運動、プロレタリア美術運動、戦争画
 戦争画の公開性
  @画家と遺族の抵抗
  A美術関係者の排除(個人の逸脱、ネガテイブな部分)→戦争画とプロレタリア美術の主題主義芸術を近代美術史から排除
  Bアジア諸国への配慮 価値判断を排除した価値中立性論批判(芸術性を論じる前に存在自体を否定)
  C芸術の自立性・自由をめぐる自主規制(検閲性)→天皇制、性表現
 戦争画の定義 呼称の多様性(時局画・従軍画・戦争協力画・作戦記録画)
  国民の戦意高揚を目的として、戦時期に描かれた主題画
 戦争画と戦争画家の特徴 
  @軍部のパトロネージのもとにあり、新聞社・デパートの大規模な支援を受けている
  A戦闘場面から銃後の暮らし、占領地のエキゾチックな人物・風景、伝統的自然画まで多様な対象
    タブローから絵はがき、挿絵、ポスター、アニメなど多様な描写手段に参入した
  B戦争画家の多くは官僚主導画壇の主要画家、中堅以上の職業画家であり、無名画家の多くは兵士として従軍
  Cごく少数の消極的戦争協力画家が存在した(前衛美術運動、シュル系の愛光、松本俊介)→彼らの戦争責任を問えるか?
  D戦争の進展段階で変容する
   日中戦争期 日本軍を後方から眺める視点(後ろ姿)→鑑賞者を見えない敵に参入させる仕掛け(河田明久)
   太平洋戦争期 大画面の群像、モニュメンタルな表現(西洋歴史画の大構図作品に対応)
  E近代の超克理念によって西洋大規模歴史画を越えようとする発想(藤田嗣政治、宮本三郎、中村研一)
  F国家・民族と自分を結ぶ芸術表現追求→芸術的達成をめざす欲求と社会的地位構築の世俗欲求の混在 
  G日本画の独自技法と空間処理、装飾性によるナショナリテイ表出(愛国者肖像画、富士、桜、南方風景などの端正美)
  Hパブリック・アート(彫刻) *肉弾三勇士の彫刻家は戦後派平和像をつくった
 *藤田嗣治
  戦争画に自らの芸術的達成を能動的に追求した戦争画家の典型(礼拝の対象から忌避・嫌悪の対象へ)
  独自の想像力のフィルターを通した悲惨な殺戮・死闘画 *他の画家のものは写真○写しの写実主義
  内面表出の芸術性、鎮魂の想いを打ち出した秀作なのかorロマン主義絵画への傾倒と日本的伝統残酷絵がサデイステイイク美学に統合されたものか?
 出征兵士画家 
  スケッチ軍事郵便 無言館運動
  戦争体験表現 水木しげる「ラバウル戦記」 浜田知明 香月泰男 丸木位里・俊
 民衆画 
  被爆絵画、空襲被害図、戦時生活
  元従軍慰安婦が体験を描画(過去の記憶を乗り越える自己表現・自己解放の絵画療法)
   *カン徳景「奪われた情」(日本兵の姿と一体化した満開の桜の木の下に倒れる裸の少女)
   →美しい桜や凛々しい兵士を描いた戦争画を戦後も検証することなく経過している戦後日本の芸術的感性を問う

 戦争責任論
 @戦争責任論は成熟せず敗戦直後で沈静した(のはなぜか?) *宮田・藤田・松本論争
   敗戦責任と連動する指導者批判に終始
   アジアへの加害責任意識欠落
   自己と国家の戦争が自らの内面で必ずしも結びついていない(画家の主体的美意識と戦争認識のあり方))
   戦争国家と芸術、政治と芸術、権力と芸術家、戦争加担システム、画壇構造問題と個人責任など戦争責任論の理論的解明深まらない
   国家統制による強制としての側面と画家自身の自発的参加という側面
   軍部の文化統制責任への言及がない 
   彫刻・建築分野の考究がない
   a)個人責任告発型(宮田重雄) 社会体制との関連抜きに激烈に個人責任追及「節操論争」
   b)構造責任追求型(内田巌、日本美術会) 公職追放を含む美術界の自己批判と民主化追求、主体的自己批判なし
    戦争記録画と社会主義リアリズムの双方を主題主義的傾向美術として芸術の自立性から批判的に揶揄する評論家の攻撃を浴びる
   b)一億総懺悔論(藤田嗣治) 国民的義務の遂行に過ぎないとする厚顔的居直り
   c)清算論論(伊原宇三郎) 議論自体の意義否定
    現代の価値中立的純粋芸術論と表現の自由による芸術性評価(イコロジー的技法的視点による再評価)につながる
   d)自己分析型(小川原脩) 戦争画の責任は自分にあり、この問題私に責任がある。
   e)沈黙型(小磯良平) 戦争画も純粋芸術派も病気、戦争画の太鼓を叩いても何にもならない
   
 A一部の作家が加害責任意識を表現し、鎮魂と責任に向かう 
   丸木位里・俊 原爆で死んだのは日本人だけではないという指摘を受け、南京事件画へ向かう
   浜田知明「初年兵哀歌」 兵士の非人間性と残虐行為を描く
    香月泰男「シベリアシリーズ」 同胞の鎮魂と戦争の記憶から責任を問う
 B戦後史における変容
  1960年代高度成長以降 芸術の商品化・消費財化の中で戦争責任論は局部へ移行、作品を離れた政治主義的批判
       戦争の記憶の深化・共有化に向かわない
       周辺・サブカルチャー分野で戦争主題化(初代ゴジラ、手塚治虫、アニメ)
   1990年代 戦前・戦時期日本美術の再検討
   2000年代 戦後日本美術の再検討(50年代、60年代美術の発掘) 戦後画家が戦争体験をどう描いたか?の系統的考察
 C1960年代以降生まれの若い世代画家の現代美術 米国・独滞在を契機に社会的テーマにアプローチ(戦争タブーからの自由)
   裏返しの戦争画(河原温「浴室」シリーズ) 斉藤義重の沈黙
 D外部からの刺激(アジア現代芸術、頽廃芸術展、キーファー、ボルタンスキー、クリスト)
   第2次大戦の民族的記憶、ホロコーストの記憶の共有と継承
 中国社会科学院日本研究所「芸術的精神溢れた画家が戦争を画題に選んでもなんら不思議ではない。モチーフが何であれ生命は芸術性にこそある・芸術か否かは鑑賞者の  感性と芸術的水準による。芸術であるから戦争遂行のプロパガンダにならないという理屈も又成り立たない。むしろ芸術性が高いほどプロパガンダになりうる。敗戦から58年過ぎた今日であっても、日本軍国主義なる言葉がしばしば外国の方から指弾される思うという意思は分かる。戦争画を描いた画家たちも複雑な思いがあって、描きたくないが陸軍の要請ゆえ描いた方、積極的に戦争画を描いた方、戦後に責任追及されるのじゃあるまいかと恐れている方などいろいろおられるらしい。芸術性それ自体は反まることではないが、プロパガンダの一翼を担ったという事実は(無形であっても)消えない」

 現代戦争責任論の課題
 @広い社会文化的文脈の中で、個別作家の個別体験を客観的に検証する作業
 A他者・外の視点(アジアからの視点) 国内自己完結性からの脱却
 B複製技術時代の芸術イメージ(モダンアート)の肥大化のなかに、戦争画をイメージ論で考察する

平瀬礼太「戦争と美術コレクション」(『講座 日本美術史6』岩波書店 2005年)
銅像 美術品×モニュメント×物質(銅)
 1943年 銅像などの非常回収実施要項(閣議決定)  銅の需給状況を補う決戦態勢確立と愛国心発露
  (皇室関連聖像、礼拝対象としての仏像、国宝・重要美術品、、国民崇敬の中心であるものは除外)
  9236件 回収8344件 存置279件(3%) *神武天皇、日蓮、考える人、カレーの市民、預言者ヨハネ、西郷隆盛像など
  回収は応召として位置づけられ、出陣式挙行し金属回収会社へ
 1945年 警保局長通牒 忠霊塔・忠魂碑等の措置について(*GHQは軍国主義撤去方針で日本政府の判断に委ねる)
  今後の建設は一切禁止し、現存のものは撤去、碑文抹消
  戦意高揚のものは撤去、皇族関係・美術品除外(その規準は不明確 *大村益次郎存置)
  5613件 撤去354件 移動907件 外観・碑文変更947件
戦争画
 1944年 大東亜戦争陸軍作戦記録画制作計画案 戦争の実相の記録収集し絵画の芸術力による聖戦意識高揚
 1945年 米太平洋陸軍工兵部隊文書 米国戦争省歴史的財産課へ送付する戦争画調査・収集 藤田嗣治へ依頼(東京都美術館へ保管)
 1946年 連合国人員への戦争画公開(上野) 豪州・英国・オランダが自国関連戦争画の譲渡要求
 1951年 戦争画米国へ移送
  戦争画は反米軍国主義的プロパガンダで美術品ではなく、国の文化遺産ではなく戦利品として、占領地文化財保護違反ではない
  これらの戦争画を日本に存置すれば戦争顕彰となり、破壊するか戦利品として移送する
 1968年 米国政府から日本政府への無期限貸与措置
 1970年 東京国立近代美術館収蔵
 1977年 一般公開展示 「他国への配慮」を理由に中止
 2002年 常設展での数点公開開始

 ◆櫻本富雄『歌と戦争』(アテネ書房 2005年)
 山田耕筰・山根銀二戦争責任論争
・山田銀二「資格なき仲介者」(1945年12月23日 東京新聞・楽団時評)
 「アメリカ人とアメリカ音楽の野獣性を糾合し不当に汚してきた巨頭、憲兵と内務官僚と結託して楽団の自由主義的分子とユダヤ系音楽家の弾圧に軍の圧力を借り、いっぱんおんがくかを威嚇しつつおこなわれた楽団の軍国主義化に、その業績の陰を塗った私利私欲の追求において典型的な戦争犯罪人である山田耕筰・・・戦争犯罪を隠蔽する日米文化交歓は、日本音楽家全体の恥辱」
・山田耕筰「果たして誰が戦争犯罪者かー山根氏に答える」(1945年12月25日 東京新聞)
 「私の戦力増強士気高揚への微力は、祖国の不敗を願う国民としての当然の行動であり、戦時期の愛国行動が戦争犯罪であるなら日本国民はすべて戦争犯罪者となる。この戦争を阻止し得なかった我々日本人は一人残らず戦争に責任がある。そうした我々が果たして同胞を裁く資格があるか。いまは一切の私情を捨てて敗亡日本を蘇活する高貴な運動を展開すべきではないか。あなたのみが正しくあなたのみが賢明であるという稚気と強がりを捨てて楽団を愛撫するこころを取り戻してください」

 2人の論争は無邪気な日本人がおしなべて戦後責任を果たしていないことが明らかだ。この日本人の無邪気さから派生するさまざまな戦後問題がいまだに放置されている。

『美術手帳 No424 特集 戦争と美術』(1977年9月号)
 戦争責任を画壇構造と美術家の意識構造の問題として追及する
 戦争画家の翼賛への包摂は、リアリズムと生活実感の欠如、社会認識の脆弱、近代絵画の自立性の欠如という構造的問題
 国家機構に包摂された戦時期美術構造の国家型公共性は、戦後期の万博への結集、国家ビジネス化する東山魁夷や平山郁夫、国際交流ビジネスへ取り込まれる前衛・異端派の擬似公共性と本質的に通底し、彼らは戦後の戦争画家である
 統制による組織的表現としての国家の戦争行動の幻想面を担った美術は、国家統制の集団性と全体性を体現する方法を絵画表現の方法とする点においてもう一つの国家であった。
 大東亜共栄圏という虚栄の理念による侵略戦争の戦争目的に協力し、国家の命運をわが命運と同化して、時代の全体精神の美術表現に全力投球した動かし難い事実がある。その枠の中で自己許容の極限的悪魔となって、時局便乗の徹面皮を不適に価値転換することがなぜできなかったのか?ここに芸術の主体のほんとうの敗北がある。
 絶対戦争のニヒリズムが支配する中で、勝者の画像であれ敗者の画像であれ、生者の傲岸の名において、使者たちは二重にも三重にも陵辱され続けている。まさに戦争を記録する者は常に生者の側に身を置いているのだ。
 戦争画を生み出した文化構造と精神構造はかっては聖戦のための虚構的「リアリズム」と「浪漫主義」と「精神主義」の結合であったが、それは現代もなお形を変えて存続している。戦争画を論じることは、たんに過去を暴くことではなく、未完の過去の記憶の作業を通して、現在の戦争画の構造を解明し、同一構造の意図を断ち切るためである。

瀬木慎一『日本の前衛 1945−1999』(生活の友社 平成12年)
 戦争画の描画技法
 ・戦闘画面が夜景、薄明で描かれる
 ・凄惨な死闘図か記録画、平穏な情景図の両極に別れる
 ・日本画は国土美・説話による国家主義高揚、または植民地情景と女性図
 ・ダブル・ミーニング(井上長三郎「埋葬」「満州の葬式」「廃馬」「死の漂流」、山下菊二、糸園和三郎「犬のいる風景」)
 戦争作家群の前歴類型
 @滞欧経験と人間的、耽美的描写(藤田嗣治)
 A滞米経験と人間的、耽美的描写(清水登之)
 B反軍・反資本主義、リベラル・社会主義思想(松本俊介、本郷新)
 Cシュールレアリズム抽象表現(福沢一郎)
 D超俗的唯美主義(日本画家)

菊畑茂久馬著作集1『絵描きと戦争』(海鳥社 1993年)
 おびただしい戦争画の画布の中にはまさしく殺戮画面に心ゆくまで淫蕩しうずくような恍惚の中で陰惨な光芒を見せつけてくれるものがある。それが国家権力の幇間の手になるものであっても、殺戮讃歌の伴奏者であっても、私にとってはいっこうにかまわない。荒廃の極北で絵画の存亡に賭け、地獄の画布をはいずり回って画家の血塗られた手を私たちは恐れずに今一度凝視しなければならないのではないか。

 太平洋戦争画に対して、今日それに対する者がそれぞれの必要に応じて個別の異なる戦争の事実を組織し捏造している。絵画的描写による記録が、次第に事実から離れて異なる事実の所有、戦争体験の情念的な私有をはじめる。戦争画は戦後思想のタブーーを生産する。

 戦争画を生んだ昭和美術史の芸術思想において、昭和初期に展開されたマルクス主義文芸運動における、芸術の歴史的価値と芸術的価値観の相剋的な論点が、一貫して隠れた中心命題になっている。この骨肉合い食む命題は、市民社会の成立によって完全に雲散霧消した。

 近代芸術の価値観は、唯物史観の苦闘の隙間に見つけた不安定な空地を安住の地として居座っている。近代芸術の歴史的批判を免責された思い上がった栄光と、現実意識から阿呆呼ばわりされる悲惨さはここに由来している。(*マルクス「経済学批判要綱・序説」)

 戦後頻出した戦争の悲惨さを訴える反戦画と、戦争の最中に描かれた戦争画は構造的になにひとつ変わるところはない。

 前衛芸術家が同時に体制の中心に位置する芸術選良でもあるという回路は、ひとつも不思議ではなく、芸術の自立性なる概念はすでに市民社会の中に溶解してしまっている。・・・擬似的に解放され個人生産される大量自由芸術時代のなかで、芸術が自らの芸術によって崩壊しつつある。

 太平洋戦争画所産の意味とは、西欧思想が天皇思想と結ぶ日本文化の独特の現象を生むメカニズムの近代百年の日本美術思想の本質がもっとも濃密なかたちで暴露されたものだ。国家存亡の折りに軍部と結託して戦争に協力したのがなぜいけないのか、という一言を打ち砕くには近代百年の全重量に拮抗するものが必要である。戦争画の史的意味は延々累々と日本近代史に揺曳された近代の超克という痛点に突き当たる。戦争画解明のカギを握る画家は藤田嗣治であり、絵画表現を画布一枚の純粋培養の世界として、キャンバスを国家やイデオロギーのはるか上空に舞う帆布の鳥のように考えるが、絵画表現とは国家社会の現実の泥沼にあるのだ。日本美術の本質は、天皇制国家論と近代の超克論という巨大な歴史的歯車にはさまれて生育してきた。太平洋戦争画といういっときの嵐に妖花を咲かせた表現の内質は、蕩々と流れる明治の地下水が突如噴き出したものであり、その水脈は天皇制国家によって醸成された美意識を源泉にしている。日本の近代美術の発展は欧化開明思想と絶対主義国家に収束した西欧文化の影の部分に関係している。日本の美術家の西欧芸術巡礼の裏側には、近隣アジアへの侮蔑観があり、明治国家草創期のきしみがあり、日本美術は出自からなにか重大なものが剥落しており、明治という若い父親の胡座のゆりかごのなかで、何も知らずに甘え育てられた、一人娘のじゃれつきに似た姿がある。

 日本近代における初めての戦争画は、日清戦争の戦勝に沸く皇国の燃えるふところの中に、献納や買上という形で吸収され、日本画をしのぐ忠誠の成果を上げる。

 太平洋戦争画は、2度と訪れるとは思われなかった、中世の芸術と国家の悪魔的な蜜月が、突如20世紀によみがえったようだった。戦後日本の市民社会に生きる弛緩した美術表現の急所をついている。戦後日本は戦争画に戦争権力に屈服した最大の恥部としてレッテルを貼り、絵画芸術としての表現の究明をほとんどしなかった。戦争画は人間の赤裸々な欲望や快楽を巻き込み、絵画表現の根元的な問題に触れた、うずくような恍惚を陰惨な光芒で包み、荒廃の極にあって地獄の絵図を誕生させた人間の恐るべき秘部だ。太平洋戦争画究明の最大の難関は、娼妓の絵画と堕した戦争画が、みずからの荒廃の極点から逆に大量殺戮を許している現代の平和の論理を嘲笑っている点にある。いま市民社会の小さな平和と自由に手込めにされている美術からは、戦争画は輝くばかりの快楽と堕落の頂点を極めた芸術の妖しい光を見せつけている。この対照的な2つの絵画が、芸術の堕落と衰退の姿として、互いを映しあっているなかで、戦争画は現代の美術状況と緊迫した関係を結びはじめている。両者の堕落の極点で表現の秘部に触れたものを探し出すところに、戦争画の思想的究明の今日的意味がある。
 古典的名画のほとんどが宗教画か殺戮画、権力者のための絵画であることをみれば、太平洋戦争画も同じである。しかし全く違うのは、描かれた戦争が観る者の戦争に対する悪魔的興味を掻きたてながら、表向きには戦争の真実を逆撫でする罪悪として唾棄されている二重性にある。

 私が少年期に戦争画の見上げるような大画面の前で、小さな体をわなわなと震わせたあの感動の意味は依然として宙づりである。その絵がどんなに私を勇気づけたか、どんなにつらく寂しい胸を抱きしめてくれたか、このまぎれもないわたし自身の体験に決して背を向けずに語りたい。なぜあの絵の感動を裁かなければならないのか。凛然と光る金色の札に墨跡鮮やかに「天覧」と書かれた絵の前に立つと、意味が分からなくとも身が硬直する衝撃に打たれた。いま私のなかにはあの時の感動の意味が強靱な姿となって立ちはだかっている。戦争画がなぜ悪いの一言が間違いであるなら、私の戦後の人生はみな間違っている。これはどうでも決着を付けねばならない。藤田の悲痛な同胞の死を描いた絵には、凄惨な死の光景を絵画の名において視姦した歴然たる事実が潜んでいる。戦争の修羅に狂喜する恐るべき嬉戯の欲情が張り付いている。

 戦争による国家と芸術の異常な結合をめぐる剥き身の表現論が求められる。芸術の政治的高揚、全体主義と芸術、民主主義と芸術、リアリズムと主題主義、民族の歴史的伝統美、民族への狂信的純粋信奉、封建遺制と民族伝統の混同などなど戦争と芸術表現の核となる表現論のテーマがある。

 戦争画にかかわらず、当時の絵描きたちの実情は軍部権力との癒着という点でみな同じだ。一幅の富士山の絵も戦争で潰してみれば戦争讃美の熱い汁が出るのだ。

 太平洋戦争画を日本の近代絵画の堕落の元凶と決めつける批判に対して、敢然と向かい合っているのは藤田一人だ。藤田だけは終始戦争の主題に小躍りして嗜虐的に食らいつき、狂ったように殺戮画を描きまくった。藤田は明治以来の日本の絵描きの内部構造を象徴的に浮き彫りにしている。

 わが国の論壇にはポスト・モダンとか、デコンストラクションなどのポップな言葉が氾濫しているが、この流行は現代版近代の超克論であって、事態は岡倉天心の時代からいっこうに変わっていないのだ。

 問1)戦時下の血塗られた絵になぜ一瞬神は宿ったのか?
 問2)藤田一人が全批判を浴びて、他のほとんどの画家が批判をすり抜けたのはなぜか?
 問3)藤田は戦争画の人物のポーズを得意満面にアトリエで見せたそうだが、彼が狂ったように殺戮の型を極めている光景はいったい何に踊っているのか、慄然とさせられる
 問4)神に従っても国家権力に盲従してはなぜいけないのか?

丹尾安典・河田明久『イメージのなかの戦争』(岩波書店)
1)日清・日露戦争美術
 日清戦争 勇猛果敢な日本軍、凱旋の錦絵 戦場となった朝鮮の悲惨の欠落、侮蔑的中国観の転換(脱亜を決定)
  浅井忠『従征画稿』 中国人の死体を客観的に描いて意図とは逆に反戦みえる
  松井昇<かたみ> 軍人遺族の擬制画か覚悟を示す絵か(家永三郎裁判)
 日露戦争 残虐描写はのちの藤田死闘図につながるが、他方では近代ヒューマンな戦争犠牲絵も生まれる(入欧を決定)
  侮蔑的中国観ではなく敵を文明欧州国ロシアとみなす
  海軍省委嘱による戦争画・歴史画は児童徳育に最大限利用された
  国のお役に立つ国用絵画が明治期美術家の基本目標となる(それによって社会的地位を上昇させる 高橋由一))
  皇国史観の視覚化→美術的造形美よりも軍国紙芝居化

2)イメージの変容 鳩:勇猛な兵士→平和の象徴
 金子光晴の改竄
   タマ(『戦争詩集』1939) タマは銃口を飛び出すと すぐ小鳩になって羽ばたく 東洋平和のために戦っているのだ
   弾丸(『落下傘』1948) 筒口を飛び出すなり 弾丸は小鳩となる 鳩は平和の使者
 何げない風俗画・風景画・人物画も充分に戦争画のジャンルであり、帝国日本への憧憬と美化を推進した(梅原龍三郎、有島生馬、藤島武二、横山大観)

3)15年戦争前夜(1935−37)
 帝院・帝展改組紛争と新壁画運動にみる美術のメデイア化の失敗と戦争スペクタクルによるチャンス

4)彩管報国(1937−40) この時期の国策順応絵画は大義の描写と実際の画像のズレが見られる
 直接的戦争協力の道がない美術の非社会的機能性の国家貢献としての戦争画選択
 最初の戦争画 朝井閑右衛門<通州の救援>(1937)
 従軍画家の制度化 大日本陸軍従軍画家協会(1938)
 傍観者に過ぎない画家が従軍して戦争を描く冷静、傲慢さに倫理的反感を覚える国民感情(戦場の招かれざる客)
 この段階では画家の造形的主観が残存し凄惨な戦闘風景は意識的に避けた 敵兵を描かない日中戦争画
 日中戦争の大義と正義の非理念性によって敵兵の遺体描写はない

5)歴史画としての戦争画の指向(1940−41)
 美術資材統制による美術思想統制(国防国家と美術 みずえ41年1月 秋山中佐)
 戦争画家の多くは第1次大戦後の不安期にパリ遊学しアヴァンギャルドが古典回帰する動向をみた→洋画の日本化
 ナチス美学とファッシズムを唱道する国家美術(難波田龍起)
 新体制運動 奢侈品等製造販売制限規則(1940)から美術品は除外される→陸軍省情報部・作戦記録画計画
 戦争を聖戦化する機能としての戦争記録画(西欧風歴史画としての本格的戦争画をめざす 女性像のモダニストであった藤田嗣治・宮本三郎などの陸軍美術協会参加)
 混んだ引火委でも流血・死体の凄惨画は登場しないが、画中の日本兵は控えめに演技をはじめている
 歴史画としての戦争画は、確たる歴史観による物語を主題化するが、戦争の意義と戦争のそのものの性格が欠落していた

6)死闘図の聖戦美術化(1941−45)
 太平洋戦争開始以降大東亜共栄圏理念が唱道され鬼畜米英の善悪二元論が打ち出される
 聖戦意識による軍事ロマンテエシズムが美術家を捉える、戦争画をめぐる道義的逡巡が解消される 日本近代洋画史の頂点としての宮本三郎<山下・パーシバル両司令官会見図>
 画中の兵士は後ろ向きから正面を向いて演技するようになる
 軍部はミッドウエーなどの大規模機械戦の敗北は隠蔽したが、ガダルカナル・アッツなどの壊滅戦は積極的に情報公開した→兵士の流血を聖める戦争の正義を、死に到る兵士の物語によってさらに補強する 殉教死の礼拝図化 藤田<アッツ島玉砕図>の横には賽銭箱がセットされた 
凄惨な死闘図の聖戦美術化(絵画の名における屍姦)

7)敗戦後の悲惨図(1945−)
 丸木<原爆の図> 鎮魂から反戦・ヒューマニズムと画壇からの無視
 死闘図は敗戦後も肉体の加虐図、自虐図となって連続した
 他者の不幸を絵の材料に貶めてはじめて悲劇を絵画に結晶する画家の本質は丸木も藤田も同じだ
 反戦美術の傑作(香月泰男)
 戦争を描いたのではなく、戦争画を描いたのだという言説の底にある芸術と画家の特権性
 
『ユリイカ』(2006年5月号)・藤田嗣治特集
 「アッツ島玉砕」を見たお婆さんが泣き出したのを見て藤田はすごい興奮と幸福感を覚えた。それは哀しみではなく、命をなげうつ兵隊へのありがたさだった。

 戦後すぐにGHQが戦争画の戦利品鑑定をおこなった時に、こんな残酷な戦闘場面を描いた反戦画があったのいかと驚いた

 藤田は敗戦後に防空壕の戦争画をすべてアトリエに入れ、紀元2600何年と記した年号を性的に書き直し、漢字の署名を横文字サイン FOUJITAをFUJITAに書き直した

 虚脱の時期がこの戦争画家にはない、すべては絵のため、芸術のためという弁明を僕は許したい(つはらやすみ)

 永井荷風が「わたしは世の文学者とともに何も言わなかった」と悔恨の情を込めて書いたように、ほとんどの人が大逆事件と韓国併合にに沈黙した、藤田の父は森鴎外軍医総監の後を継いだ総監(軍医中将)であり藤田戦争画の背景にこの父の存在がある

 政治は無関係といいながら、いざ戦争になると汚い戦争でも、向こう鉢巻きをして罪のない人民を死地に駆り立てる作品を書く、そんなことをした藤田は、負けると平気で日本を捨ててフランス人に化ける、こんな「芸術家」はまことに恥ずかしい(宮川寅雄 1932−40年間治安維持法で下獄)

 ジャン・コクトーはヒトラーを讃美した彫刻家アルノ・ブレーカーを絶賛してナチ協力者と猜疑され、自国ではながく冷遇された。日本では第1次大戦による主体の崩壊は経験されず、画家の主体性を貫いたと評価される松本俊介も、一市民の視線で戦時下の日常を描いた点では、藤田の視点を継承している。1930年の藤田の作品はグロッス(ドイツ共産党員)、デイゴ・リベラ(メキシコ共産党員)の影響を受け、コミュニズムを思想的には理解しないまま、ソーシャル・リアリズムと重なるリアリズムへ傾斜し、それは戦争画のフレームにつながった。「芸術は労働者の武器、商品ではなく弾薬、金持ちのために描く奴隷の絵画ではなく民衆のために描く、国体と共産主義の両立、資本主義的不平等の維持を図るリベラリズムが最大の敵だ」(鈴木少佐)という超国家主義的高度国防国家に反発した松本俊介の反論は市民主義的ヒューマニズムに過ぎず(コミュニズムへの失望→成長の家、→雑記帳)、典型的都会っ子の軟弱性をもっていた。藤田の大地と人が融解する表現様式は原爆の無差別大量殺戮を描いた丸木夫妻に近似する(岡崎乾二郎)

 携帯としての兵器へのモチベーション、兵器フェテイシズム。戦争画家の多くはフランス帰りであり、西欧経由で日本を発見して凡庸なナショナリストになるのは福田和也や村上隆に到るありふれた事象だ。藤田の始末の悪い純粋性、非政治的でありながら政治的になる無邪気性は、嫌韓流の萌えにも通底する。ただしただだらしなく従来の作法を戦時下の文脈に置き換えてその場しのぎの戦争画を描いた藤島武二や横山大観との違いはある。視覚表現の戦時下における表現は、技術の政治性として検証されねばならない。戦争画は天皇制ロマンテイシズムとリアリズムの野合であり、西欧19世紀英雄神話的な戦争のリアリズム作法はフランス帰りの画家によって戦争画の方法意識となった。戦争画は全体構想=国家の浪漫性と細部の表現=様式の写実性の結合(柳亮)であった。戦争画は日本中世絵巻物合戦絵画の西洋画的書き換えであり、英雄神話のリアリズム描写にある。戦争は、戦闘と戦局の2種から成り立っているが戦争画は戦闘しか描かない。藤田は凄惨さが描きたくて溜まらない嗜虐性をもち、その凄惨性が反戦画としてさえも機能してしまう。ここには現代のオタク性と通底するものがある。現代の戦争画的なものによるデイズニー的書き換え、まんがアニメの国策化は藤田戦争画の再評価と連動している(大塚英二)

 アッツ島玉砕とゲルニカを比較する(ふるやとしひろ)

 「この恐ろしい危機に接してわが国のために戦わぬ者があったろうか。命を捨てて一兵卒と同じ気概で他の形で戦うべきではなかったろうか。なんとでも口は重宝で理屈を付けるが、真の愛情も真の熱情も無い者に何ができるものか」(藤田嗣治)

 深読みをしないで戦争画を見ることほど恐ろしいことはないぞ。それはたんに戦争画に感動していることになるからだ。賽銭を投げ込んで拝んでいるのと同じだ(ふくながしん)

                              (2008/8/11 10:16)

北野輝「戦争画の評価と戦争責任問題ー藤田嗣治の「死闘画」をめぐって」(『前衛』2008年9月号)
 美術家の戦争責任問題、戦争画の評価、美術家の戦争協力と戦争画を含む日本近代美術史を清算できずに今日に至っている戦後美術史の再検討
(戦争画評価の動向)
@戦争責任と切り離して戦争画を造型論で論じる(戦争画肯定は戦争肯定ではないという一般論を太平洋戦争画に適用できるか)
  戦争責任論の重圧から解放されて戦争画を芸術として評価する(時代の規定を越える芸術の絶対性と至上性)
 ・戦争画はもし戦争責任論を離れて造型のみを論じることができるなら、彼らの代表作というにふさわしい。戦争画肯定と戦争肯定とは別だ(宮本三郎「飢渇」・中村研一「コタバル」)(辻惟雄『日本美術の歴史』東大出版会)
 ・太平洋戦争画の場合は、作品評価が軍国主義日本の侵略行為評価につながる(司修『戦争と美術』岩波新書)
A藤田など戦争画の芸術性とは何か(その名画性とは何か) 芸術性への踏み込んだ検討がなされない
B藤田戦争画は戦意昂揚画ではなく、厭戦・反戦画ではないか(現在の多数派評価 『美術の窓』1991年 岩崎孝 朝日新聞06年5月20日)
 抑えた暗い色調、くねり錯綜するフォルムとあいまって、藤田渾身の大画面には戦争の非人間性、人間の苦渋が鮮明にあぶり出されている。非戦・反戦の思いを掻きたてる反戦絵画だ(岩崎孝)
C国民精神総動員のポスター、プロパガンダに過ぎない(横山大観 海山十題に対して 吉沢忠)
D芸術の価値中立性論 
  藤田は戦争を描いたのではなく、戦場の悲惨を迫真的に描いたのであり、戦争の評価は画家の仕事ではなかった。戦争画というものはない。戦争そのものは美術の主題とはなりえない。藤田は賢明にも戦争という把握困難な怪物を避けて戦闘場面という画才を誇示できる題材の抽出に全力を注いだ。その画面には戦争讃美も軍人の英雄化藻戦意昂揚の気配さえない。藤田は軍部に協力したが、戦争を描いたのではなく、戦場の極端な悲惨さを迫真的に描いたのだ。(加藤周一 朝日新聞06年5月24日)
  戦争の個別画面を描いたが、戦争そのもの(侵略の本質)を描いた戦争画はない(永井潔)
(藤田「死闘画」の評価をめぐって)
 1938年 漢口攻略戦従軍(海軍省嘱託)を契機に戦争画開始(陸海軍の委嘱による作戦記録・戦意昂揚の目的で制作・展示された公式戦争画群=作戦記録画) 以降14点
 死闘画(日本兵の死闘・玉砕画面を描く)1943年「アッツ島玉砕」1944年「血戦ガダルカナル」1945年「サイパン島同胞臣節を全うす」
 芸術作品の多義性なのか、戦意昂揚画は厭戦・反戦的意図を秘めていたのか(戦時期に「拝まれた」死闘画は、現在では「戦争はいやね」とつぶやかれる)
 反戦的意図を秘めていたとすれば藤田の芸術的勝利を意味する
(藤田死闘画の特性)
 価値中立性によって、受容状況と鑑賞者の意識によって戦意昂揚にも反戦にもなりえる可能性があるが・・・
 戦争の聖戦化と戦意昂揚による国民意識統合に有効的機能を発揮した(戦争の物語化、歴史画化、死闘の殉死美、死者の鎮魂、遺族の慰撫、デスパレイトな戦闘意欲昂揚))
 藤田は厭戦に逸脱しかねない自由で大胆な表現を駆使したが、メデイアの情報操作による国民感情の受容の文脈で凄惨な表現が感情を喚起した
 (→痛みと悲哀の負の感情は、自己犠牲の美学と復讐感情に転化する)
 たとえ藤田自身は価値中立的であったとしても、国民をミスリードした客観的行為は自ら主体的に負うべきもの(エイゼンシュタイン、ショスタコヴィッチの葛藤がない)
(藤田死闘画の価値中立性はほんとうか)
 画題が問題ではなく、表現がすべてだ→主題選択の自由よりも描画の自由を享受する(戦争画は面白いから描いているんだー宮本三郎)
 *リーフェンシュタールのナチス記録映画
 何を描くかではなく、いかに描くかが問題だ(モダニズムの矮小化)と技量錬磨のアルチザン的退嬰(職人化)とアカデミズム表現の大衆化
 主題放棄・描画至上・職人化・大衆化の三位一体(思想を持たない描く熟練工は、戦争そのものを疑わず無条件に共感する傍観的好戦性)
 凄惨な画面を描きたくてたまらないんだ(藤田)という性向的嗜虐趣味と比類なき技量と描写への没入の相乗作用の増幅によって迫真的な死闘図が生まれた
 (→チャンバラごっこのリアリズム 大塚英志『ユリイカ』06年5月号)
 暴力の恐怖と戦争の無残へ、命と生存への無関心(*ゴヤの銅版画シリーズ)
 人間的関心と主題(意味)の欠如を、嗜虐的性向による好戦性×筆力によって埋め合わせる死の美学(*ナチス親衛隊の美学 愛と哀しみのボレロ)
 藤田死闘図には体制との緊張、内的葛藤、逸脱が内包されていない
 藤田死闘画の芸術至上的評価はじつは意外に形式的(形式主義的)で、芸術的評価自体の水準を貶めている
(純粋絵画の評価 直接戦争を描かない文化・風物画)
 梅原龍三郎「天檀」「紫禁城」「姑娘」などの純粋絵画は、侵略支配の特権状況で実現した眼による所有と支配、支配の正当化に寄与している

常田健『土から生まれた 津軽の画家 常田健が遺したもの』(平凡社 2002年)
 なにげなく手にした書は、私がまったく知らなかった画家の詩と絵からなっています。労働者や農民を描いた骨太の作品は、なにかメキシコの壁画を連想するような力強さがありますが、そこにはなんらのプロパガンダの匂いがありません。大地に生き、死んでいく生きとし生けるものへの哀惜が感じられます。人物画は後ろ姿が多く、顔は決して正面を向かず、表情がうかがえないような様式です。観る者はその絵の人物といっしょになって、大地を耕し子どもを育てる生命を感じます。常田健氏は、1910年に津軽で生まれ、18才で上京してプロレタリア美術研究所に通い、23才で帰郷してそれ以降は津軽で林檎を栽培しながら作画に没頭しています。日本美術会やアンデパンダン展にもっぱら出品した、いわば反体制画家ですが、そうした政治的メッセージはまったくありません。いわさきちひろが子どもを描いて生命の希望を讃えたように、常田健は大地に生きる農民を描いたのです。こうした作家がメジャーとして評価されるとすれば、日本も捨てたものではありません。彼の作風が生命主義的なものへ没入しないのは、大地に生きる人間群像の生命と切り離さないからです。是非ともほんものの作品をみてみたいものです。彼の詩を一編紹介しておきます。

  

 てっとりばやいところ
 りんごの木を見るがいい
 音楽などを
 かれこれ言うには
 及ばないのだ

 木の構造は
 生命そのものだ
 そのうねり
 そのわん曲
 その枝
 そのひと枝にまさるものは
 ほかにあろうか
 これにまさる音楽もまたないのだ


                          (2008/7/6 21:38)

針生一郎共同編集『美術と戦争 1937−1945』(国書刊行会 2007年)
 大日本帝国の戦争過程のなかに、画家がどのように参加していったかを示す戦争画が編集されています。今では日本を代表する巨匠と呼ばれる画家たちが描いた戦争画は、直接に戦闘や戦地の生活のみならず、歴史画や仏画、彫刻、女流の銃後の生活までひろく渉猟されています。唯一藤田嗣治の作品は著作権を持つ遺族の拒否によって掲載されていません。編者たちの意図は、おそらくかっての戦争画を時代と切り離して、藤田や横山大観を時代を超えた芸術作品として再評価しようという現今の流れに批判的な立場のものからでしょう。これらの作品群を見て胸が痛むことは、戦争に批判的であったり、戦後の反体制を志向した画家たちのものもみられることです。松本俊介、永井潔、井上長三郎、内田巌、本郷新などなどです。救いはこれらの戦前期プロレタリア美術や批判的美術運動の中心を担った作家群の作品が軍部から批判され、多くは陳列後の画集掲載を拒否されていることです。ここに戦争画を描いた画家たちの「芸術的」「美的」評価の錯綜した議論が出てくる基盤があります。

 しかし針生氏の概評では、ほとんど戦争画の今日的評価の基本を示す考察が見られません。ほとんど従軍画家たちへの情緒的評価と機械的論断に終わっています。先ほどの戦前期反戦志向の画家たちの評価は、戦後の政治的スタンスの視点からのみ語られて、芸術的視点ないし芸術と政治の関係の視点からの原理的掘り下げはありません。それは、彼が政治組織から除名されたという、彼自身の政治活動の体験に絡め取られているようです。党派への参加と脱退は、デモクラシーの成熟度を示すメルクマールですが、彼は政治的選択を芸術評価に投影する点で、政治の優位性の裏返しに陥っているようです。しかしこの画集は、戦後日本美術史に不可欠の作業であり、日本美術の現在的情況に対する不可避の問題を投げかけています。
1)戦争画の支配構造
 (1)画壇の垂直的ピラミッド構造
   @美術は明治近代国家構築の要件として政府の庇護と統制下に置かれた国家公認の美術の垂直的ピラミッド構造(前近代的封建遺制)
    →印象派外光技術と伝統的情緒を結合する描写絵画がピラミッド階梯上昇の条件
      在野美術(表現派、未来派、構成派)は社会から隔絶して私的感覚の近代表現をめざすが民衆から乖離、民衆に向かえば既成画壇構造に包摂するという矛盾
   A官展系と在野派の野合「松田改組」
   Bプロレタリア美術系の弾圧と転向
 (2)戦前期美術における「公共性」概念の未成熟
   「公」=天皇制国家に矮小化→「私」感覚の矮小化(「個」感覚との非連続)→総力戦体制による国家公共性への包摂
 (3)アルチザン的職人意識と描写技術主義の優位→主題の脆弱性(価値観思想と責任意識)→人物画技術の保有者が戦争画に動員された
2)戦争画責任論争の陥穽
 (1)モラル論争の限界(「節操」論争) 戦時戦争画家から親米追随への転換のモラル批判(宮田・藤田論争)→日本画系自然描写は批判対象とならない
 (2)GHQ型戦犯追及方式の限界 主要画壇指導者の戦犯画家指定による在野派画家の加担責任回避
 (3)政治主義的批判の限界(リアリズム論争 正統派左翼の主導性)→リベラル保守・前衛派・正当左翼派の分岐と対立 
   日本近代モダニズム美術を資本主義的頽廃として全否定 ジュダーノフ「国際主義、形式主義、ブルジョア個人主義批判」(1946年)
    唯美主義モダニズム(梅原龍三郎、林武 大ブルジョア)
    急進モダニズム(小ブルジョアの不安)
    同伴者的モダニズム(岡本唐貴、矢部友衛 政治主題との野合)
    ↓
    民衆的レアリズム(林文雄 日本美術会)・民主主義リアリズム(新日本文学会界) *主体性論争、近代主義批判、丸山真男批判、大塚史学批判
3)戦争画責任論争の閉塞 藤田渡仏による消滅

 堪木野衣氏の批評は、ヘーゲル美学や現象学的方法のポスト・モダン的表現でいろいろと語っていますが、要するに西欧近代の超克に挑んだゆえにそれに呪縛された歪みであり、実は戦争画の方法は克服されず、現代にポップ・アートに姿を変えて転換してきている戦争画の派生という現在進行形の問題があるといっています。氏の評論は社会的・時代的規定には触れず、もっぱら日本近代美術の方法の枠内で論じられておりますが、逆に美術の本質として日本近代美術の限界を鋭く指摘しているように思われます。しかし問題は防衛庁が自衛官の使命感昂揚のために、米国から返還された戦争画を国立近代美術館ではなく、防衛庁に収納するよう工作した戦後日本のポリテクスは、氏のような形而上的な批評では収まらない生々しい現実を示しています。

 河田明久氏の論説は、戦争画のうちの作戦記録画を対象に、作家が従軍した姿勢が主体的であったこと、その背景には公募展の競作主義の頽廃による危機があり、死を賭けて戦う兵士への気後れがあったことを指摘し、国家総動員体制へ巻き込まれたことを述べている。小説家から音楽家、美術家を含む文化の戦争動員を協力進めたのは、軍部であるが、戦争美術展覧会のほとんどは朝日新聞の独占的文化事業として展開された。日中戦争期の作戦記録画の特徴は、敵兵が画面に登場しないこと、日本兵はほとんど後ろ姿であること、肢体や流血を描かないことなどであり、それは聖戦の虚偽性があるからだ。ただし乱舞する日の丸があった。ここに西欧アカデミズムの歴史画としての戦争画とは異なる限界がある。しかし聖戦論を真っ向から掲げて開始された太平洋戦争期以降は、敵兵の捕虜、死体と流血などはじめて歴史画としての作戦記録画が登場する。大義に殉じる玉砕が讃美され、藤田の作品は遺影や宗教画のように礼拝の対象となった。河田氏の論説はきわめて実証的に戦争画の本質に迫ろうとしている。

 平瀬礼太氏の論考は、敗戦後の戦争画の動態を述べている。藤田嗣治はGHQの依頼を受けて、作品が米国の「日本征服展」に展示される誉れを受けて、戦争画の収集に協力した。米軍は最初は戦争画を破壊する方針であったが、藤田との会議で藤田が准将扱いで作画したことを知り、持ち去り方針に転換したが、豪州やオランダが分配を要求した。米軍は戦争画を文化財としてではなく、「軍国主義的で政治的に不愉快な性質を持つ」プロパガンダとして戦利品扱いとすることを決定し(美術品の掠奪は国際法違反)、米国に発送した。一部の戦争画家や朝日新聞が返還運動を始めたが、米政府は無期限貸与という措置で返還に応じた。

 蔵屋美香氏の論考は、日本の戦争画と西欧美術を構図論的に比較検討する。その意図は、戦争画をイデオロギーや倫理、境遇への情緒的共感といった観点ではなく、戦争画と戦争の是非を美術作品それ自体の分析、美的なものを真摯に視覚化するなかで捉えるべきだとして、西欧的構図の規範に身を委ねて戦争画を描いた画家の作画技術を問題とする。こうした議論は唯美主義ないし耽美主義へおちいる危険がある。なぜなら戦争画とは、戦争という殺人行為そのものを美しいとする前提に成り立っているという反人間性をどこかへ捨象してしまうからだ。いかに人殺しをうまくやるかという作業に沈潜している、おぞましさに無感覚であるとしたら、これほどに恐ろしい人間喪失はない。

 大谷省吾氏は国立近代美術館学芸員の立場から解説を加えている。戦争画のできごとの日付と制作の日付が混同され、タイトルが変更されたり、作者が不詳であるなどしているのは、従来の近代美術が「何を描くか」より「いかに描くか」が純粋美術としていたのに対し、戦争画は「いつ、どこで、誰が、なにをしたか」が主体となり、「いかに描いたか」とか「誰が描いたか」は2次的となったからだという。これは重要な指摘だ。大谷氏の主張は自ら属する近代美術館の戦争画の展示そのものを否定することだ。なぜなら近代美術館は、展示の意図を時代を超えた芸術作品として評価しようと呼びかけているからだ。大谷氏の論は、戦争画=プロパガンダという本質論を言っている。本人が自覚しているかどうかは分からないが。

 保坂健二朗氏は情報省の責任者であるケネス・クラークが主導した英国戦争芸術について述べている。その目的はプロパガンダと文化の結合を通じてプロパガンダを成功させ、あわせて戦争で失われる建築遺産や自然美の記録を残すことにある。その実践の主導権は芸術的価値観にあり、芸術作品としてのオリジナリテイの追求にある。6000人の画家が戦争画家として登録され、300人が雇用され、6000点が制作された。ポール・ナッシュの作品は兵士も戦闘もなく、滅亡への哀惜であり、ヘンリ・ムーアの作品はほとんど避難所と炭坑がテーマである。廃虚が描かれ、銃後の労働が描かれ、戦闘行為の描写はほとんどない。英国戦争画は本質的に非暴力をめざした。しかしそれらの戦争画も戦後には見向きもされない。国家による芸術と国民のための芸術の幸福な結婚であった。啓蒙主義と芸術の幸福な出会いがあった。この英国戦争画論は非常に参考になった。
 その他戦時期の画家による座談会、国防国家と美術、戦争画と芸術性、軍部の戦争美術方針、戦時期の戦争画報道、戦後の座談会など貴重な資料が付記されている。(2008/7/5 0:25)

ヴァルター・ベンヤミン「シュルレアリズム」(『ベンヤミン・コレクション @近代の意味』ちくま学芸文庫1995年 所収)
 ベンヤミンの浩瀚な名前を知っているだけで、真面目に読んだことのなかった私ですが、芸術論に興味を惹かれて読みました。何よりもユダヤ系としてナチスの迫害を逃れて、スペイン逃亡のピレネーの峠で入国を拒否されて自死した悲劇的な最後に、粛然とした気持ちになります。一読して歯切れのよい切り裂くような文体と散りばめられる冴えは、この人の頭脳の明晰さと時代と真摯に向き合い、現実の本質を鋭くえぐるような、未来を探る精神のピュアーさを実感します。書き出しは「精神の流れは、批評家がそのほとりに発電所を建設することができるほど、鋭い落差をなすことがある・・・」で始まります。先ずこうした書き出しに惹きこむような魅力を感じ、私には到底及ばないと打ちのめされます。
 彼はフランスで閃光を放ったシュルレアリズムを文学を内部から爆破した弁証法だといいます。「秘密結社が元来はらんでいる緊張が、権力と支配をめぐる具体的・世俗的な闘争の中で爆発せざるを得ない、或いは公に露呈されることで崩壊し変形せざるを得ない瞬間」・・・こうした本質をうがつ掴まえ方はみごととしかいいようがありません。この表現はおもわず連合赤軍の自滅を思い浮かべたのですが。「あるひとつの世界でのエクスタシーは、この世界と補色関係にあるもう一つの世界では、気恥ずかしいほどの冷静さになるのではなかろうか」・・・「人げのない街路で、口笛と銃声が決断を促す」・・・なにかドキドキするような表現です。
 さて彼は「芸術のための芸術が文字通りに受けとるべきものであったためしはない」として、芸術至上主義の欺瞞を否定し、「シュルレアリズムはラデイカルな精神的自由を表明する一切の行為に対する、ブルジョアジーの敵意によって左翼のほうへ押しやられた」左翼ブルジョアジーとシュルレアリズムの本質を規定し、「理想主義的道徳と政治的実践との間を度し難いやり方で取り持とうとする」と指摘します。彼らは「知の分野でのブルジョアジーの優位を崩し、プロレタリア大衆との接触に成功することが革命的知識人の二重の課題であるとするなら、彼らは課題の後半部を前にして完全にお手上げ状態となった」とシュルレアリズムの限界を指摘します。しかし「革命のあらゆる緊張が神経刺激となって、集団の神経を革命のウチに放電するならば、『共産党宣言』の要求しているレベルまで自分自身を乗り越えることができる。それを把握しているのはいまのところシュルレアリストだけである」と評価しています。ベンヤミンの鋭い現状分析と本質把握は、展望をコミュニズムに求めますが、ナチス支配のこの時期にはスターリニズムの頽廃は視野に入っていなかったのでしょう。これほどに時代との緊張をはらんだ文章を読むのは久しぶりです。(20086/29 17:08)
 
坂崎乙郎『夜の画家たち 表現主義の芸術』(平凡社ライブラリー 2000年)
 表現主義の前期から終末までの代表的画家の生涯と作品が解説されています。ムンク、ホードラー、ベッカー、ノルデ、ココシュカ、キルヒナー、ベックマン、マルク、カンデインスキー、クービン、クレーなどが対象です。表現主義が前衛芸術として内面の表出を追求したのに対し初期ソ連革命政府は公認しましたが、スターリン支配とナチス支配のもとで頽廃芸術として弾圧されていく過程、ユダヤ系が多いことなどの社会思想的背景について考察が弱いように思いました。あくまでも芸術思想としての考察に焦点をっているようですが、この20世紀前半期の戦争と革命の激動期を画家たちがどう生きたのかについて焦点を当てるべきでした。その典型は初期ソ連芸術の指導者から弾圧を経て、ドイツ・バウハウス運動をリードし、ナチス頽廃芸術弾圧からフランスへ亡命し、ナチス占領期で生涯を終えたカンデインスキーの芸術理論は注目されます。なぜ彼が唯物論とリアリズムに反対したか、その理論的軌跡について明らかにすべきでしょう。(2008/6/24 10:21)

池田浩士編訳『表現主義論争』(れんが書房新社 1988年)
 (訳者解説)1937年に亡命ドイツ人雑誌『ダス・ヴォルト』ではじまった表現主義とリアリズムをめぐる論争。
 クラウス・マン「ゴットフリート・ベン−ある迷誤の歴史」、ベルンハルト・ツイーグラー「<いまやこの遺産は途絶えた>・・・・」
  表現主義は必然的にナチズムへの道をたどる本質的に太古や原形質への退行願望 ファッシズムの先駆者
 フランツ・レシュニッツアー「3人の表現主義者について」
  表現主義は多様であり、既成の現実に対する拒否と反逆の部分がすぐれた本質としてある
 ヘルヴァルト・ヴァルデン「俗流表現主義」
  表現主義の破壊は創造のための破壊であって、進歩的人類の共同体意志を感性でつかめるように具象化する革命的芸術であり、反ファッシズムを担う芸術的アヴァンギャルド
 ジェルジ・ルカーチ「表現主義の偉大と頽廃」
  表現主義はプチ・ブル・インテリの自然発生的反対派表現 叫びや爆発などのラデイカルはファッシズムと通底する
  無意識的・自然発生的な反逆としての表現主義は革命的労働者の階級意識的現実否定
  長編小説を唯一のリアリズム形式とし、表現主義の断片的、無媒介的表現スタイルを反リアリズムとして批判
 エルンスト・ブロッホ『この時代の遺産』
  共産主義運動は民衆意識の未分化な気分の現実化に失敗 すでに1920年代の日常意識にファッシズムの萌芽があり、日常の生活と微細な感性の次元の解明が不充分
  無意識的、自然発生的な現実否定、前近代的・非合理主義的反逆志向を発掘
  高度資本主義で古い残滓となった農民・小農民の非同時代的反対の契機が重要 前衛芸術はその画期的な新たな表現形式
 ハンス・ギュンター『支配者対固有の精神』 ブロッホの問題提起を重視しつつ、ルカーチを支持
 ベルトルト・ブレヒト
  リアリズムという概念を特定の表現様式と結びつけるべきではなく、ブルジョア社会が排斥するすべての民衆の芸術的表現を基礎に置くべきとしてルカーチを批判

 1932年 ロシア・プロレタリア作家協会(ラップ)解散命令(唯物弁証法的創作方法の否定) 
 1934年 第1回ソヴィエト作家大会 社会主義リアリズム・テーゼ採択
 1936年 プラウダ 形式主義批判開始(ショスタコーヴィッチ『田舎のマクベス夫人』) 同伴者作家群(ロシア未来派)批判
        →新しい創作方法・前衛的表現は民衆生活から遊離する
 1937年 ナチス「頽廃芸術展」 表現主義をユダヤ的コスモポリタニズムとして弾圧開始 自然発生的・革命的反逆性を断罪

 表現主義論争総括(訳者池田氏)
 @表現技術の視点から芸術表現をみる(現代技術の発展が表現形式と方法にどう影響を与えるか)
 A集団的創造の問題
 B観客動員などの感性の組織化(送り手と受け手の真の共感と協働は可能か)
 C個の自己表現はいかに獲得できるか

 (訳者総括へのコメント)
 表現の自由に対する政治の優位性、芸術表現は超政治的普遍性をもちうるか、芸術的価値は相対主義的な多様性にとどまるのか、
 時代の要請と芸術の応答関係、緊迫した選択を強制される危機の時期における芸術創造・・・これらが表現主義論争の基底にある問題群であった、池田氏の総括は技術論に偏倚している・・・それは池田氏自身の変革運動との主体的位置関係を示している。(2008/6/18 13:44)
 
Pierre Naville『LE TEMPSDU SURREEL 超現実の時代』(みすず書房 1991年)
 著者はシュールレアリズムの渦中に20才で参加し、次第にその観念的・アナーキーな傾向に批判的となって、マルクス主義へ転換し、シュールレアリズムとマルクス主義を架橋する理論活動をはじめる。ソ連におけるレーニン後のスターリニズムに反対し、トロツキーの第4インターへ身を転じ、戦後はその党派からも身を引いて理論活動に専念する・・・という絵を描いたようなフランス知識人のある渓流を代表する典型です。この書はそうした半世紀に及ぶ自らの半生を記録した回想録です。
 内容は文字どおりシュールな筆体によるグループの相互の人間像を浮き彫りにしています。烈しくピュアーな精神が躍動していることを感じます。とこどろどころにある裏話的な挿話は余計ですが面白い。

 マルクスの娘婿であるポール・ラファルグとマルクスの娘にして妻のローラは、心身ともに健康のまま70才で自殺した。老いが意志を打ち砕く以前にを理由に。
 失語症におちいり、マヒ状態となったレーニンは命を絶つための毒を求めた。誰に? スターリンに。
 トロッキーもまたマヒ状態になった時の自分を抹殺する権利を留保するといっている

 マルクスは子どもの家庭教師に可愛らしい男の子を生ませていた。マルクスが猛烈に勉強した部屋のついたてのうしろにはヘレーね・デームートという女性が眠っていたのである。この子どもはオーストラリアでその数奇な生涯を終えた。エンゲルスが死の床でこの嘆かわしいペテンを確認した時に、マルクスの娘たちは信じることを拒んだ。
 ゆきずりの製鋼を蔑視したレーニンは、最後にイネッサ・アルマンへの愛の罠に落ちた。傷ついたクルプスカヤは長年連れ添った伴侶に行動の自由を与えた。
 晩年のトロッキーとフリーだの間には、親密な関係についての言葉のやりとりがある。
 ローザ・ルクセンブルグはレオ・ヨギヘスへの苛酷なまでの細心さから残酷にも引き離された。
 こうした愛情の表現は単に文芸詩人たちだけの占有物ではなかった。彼らの生涯を美化する必要も、貶める必要もない。ただあるがままに知ることは、その秘密をいささかも侵害することにはならない。

 レーニンは冗談で30才を超した革命家は銃殺せねばならないといった。革命家から熱狂、肉体のバネ、大胆さ、純真さが失われてしまうからだ。(トロッキーの話)
 レーニンが死んだ1年後のフランスで、フランス語に訳されていた著書は、『何をなすべきか?』『国歌と革命』『プロレタリア革命と背教者カウツッキー』の3冊だけだった。
                                                   (2008/6/17 16:58)
 
コクトー/アラゴン『美をめぐる対話』(筑摩書房 1991年)
 20世紀のフランスを代表する詩人、文学者がドレスデン美術館所蔵美術作品をめぐって対話します。コクトーは作家、詩人、劇作家、脚本家から映画監督までマルチな活躍をし(代表作『恐るべき子どもたち』)、アラゴンはシュールレアリズム詩人として出発してコミュニストに転換(代表作『フランスの起床ラッパ』)。この2人は17年間の断絶と対立を経て和解しこの対話に臨んでいます。ドレスデン美術館は第2次大戦で所蔵作品が破壊を避けて隠匿され、赤軍に保護されて後、戦後にドイツに返還されています。開戦と同時に芸術作品の保護対策を立てる欧州の文化意識は、イラク国立博物館の所蔵作品を掠奪に任せた米軍と大違いです。
 とにかくこの書は、20世紀フランスの代表的文学者が、1枚の絵をめぐって対話するという画期的な企画なので、最初からドキドキするようなスリリングさを覚えます。コクトーの直観主義的な感想に対して、さすがアラゴンは作品の歴史的・社会的背景を精彩に説明しながら対話をリードします。コクトーは少々自慢げに語るなかで直感的に作品の本質に迫り、女性美に対してはエロチックな感想を述べ、アラゴンは作家精神の本質に迫ろうとします。年長のコクトーに敬意を表しながら自説を主張するアラゴンの誠意がうかがえます。10数年の対立を経ての対話は、両者の美意識が交錯し、美の探求者として互いに相手を認め合うところが面白い。両者の美術に対する造詣知に驚かざるを得ません。
 この書の最大の効果は、美術評論にある論理分析的批評ではなく、その絵を目の前においての印象批評ですから、生々しい迫力があります。私たちが美術館で絵を鑑賞する時の視点のあり方を無限に教えられます。まさに希有の美術論となっています。それにしても、欧州の詩人たちの美術への関心と教養は、想像を超えたレベルです。この2人の前衛詩人たちが、単なる前衛ではなく、伝統文化に対する敬意と背後にある欧州文化の深く生活にしみ入った蓄積の重みを感じます。訳者が辻邦生というのも面白い。(2008/6/16 23:35)

Herbert Marcuse『The Aesthetic Dimension.Toward a Critique of Marxist Aesthetics(芸術の永続性 ある種のマルクス主義美学に抗して) 邦題:美的次元』(河出書房新社 1981年)
マルクーゼはユダヤ人マルクス主義者としてナチスの迫害を逃れてアメリカに亡命したフランクフルト学派のメンバー。フロイト理論とマルクス主義を統合するフロンと共同し、独自の変革理論を展開し、ソ連型マルクス主義を批判して、新左翼運動に大きな影響を与えた。この書は彼の美学理論であり、最晩年に書かれた。
(概要)
 マルクス主義の支配的正統派理論を批判してマルクス主義美学に貢献する
 正統派理論:現在の生産関係の総体によって作品の質と真理性を解釈し、ある特定の階級の利害と世界観を表現する
 @上部構造としての芸術は生産関係の変化に対応する
 A真の芸術は上昇する階級の意識を表現する、芸術家はそれを表現する責務を負う
 B政治・革命的内容と芸術の質は一致する
 C没落する階級の芸術はデカダンスとなる
 D正しい芸術形式はリアリズムである

 <批判的マルクス主義美学>
 芸術の政治的潜勢力を芸術そのもの、美的形式のウチにみる、その美的形式によって芸術は所与の社会的諸関係に対する自律性を持つ
 芸術は社会的諸関係に抗議し越え出で、支配的意識と日常体験をくつがえす
 芸術は虚構の世界への後退であり創造の領域で現実を変革するイデオロギーとしての階級的性格(正統派)
 主流派美学は主観の解放性への評価が低い
 芸術は抑圧と歪曲の社会的決定を越えて自己を解放する次元に基礎を置く、支配的制度の合理性と感性に挑戦して、別の理性と感性を発現させる
 既成の社会関係の物象化された客観性を破壊する反逆的主観性 昇華と脱昇華 異議申し立て
 真の芸術は内容(現実の正確な描写)でもなく形式でもない、形式となった内容である
 抑圧・歪曲されている自由の潜在的可能性は現実を否認する疎隔形式において表現される認識機能にある
 芸術がラデイカルな実践としての階級闘争によって解決されることはない
 奴隷制の古典芸術がなぜ普遍性を持つのかを正統派は説明できない
 ボードレールは自己の属するブルジョア階級の秘かな不満を探り出すスパイであった、エリート主義的頽廃性

 芸術は実践・生産の領域の外部に自らを置く 生産と芸術の分離によって現実の神秘を暴くことが可能となった
 高度資本主義は分業としての芸術、精神労働と手仕事の分離を廃棄する可能性を開いた
 自由は仕事の資本主義的・ファッシズム的組織化、同じ土俵の社会とも両立しない主義
 芸術の意識はある特定の階級の意識であるとともに、類的存在としての人間存在の意識であり、その主体はプロレタリアであるという正統派理論はもはや古い
 芸術の意識は階級的位置とは関わりない個人の意識である
 芸術は世界を変えることはできないが、世界を変える意識に寄与する
 革命的芸術は民衆の虚偽イデオロギーを意識させ、民衆の敵となる場合もある
 連帯・共同体は個人の吸収を意味せず、むしろ自律的個人の決断による自由に結合した個人の統合であってマスの統合でくちない。

 どうして芸術は人間存在の深部に到る解放のイメージを喚起し、1階級ではなくすべての被抑圧階級の経験を明確に表現できるのか
 芸術は現存する素材を具現・組織して昇華する美的変形による
 真の作品は形式の内的必然性の専制支配によって表現の直接性を抑圧された服従であり、虚構の世界における意識の再構成によって、反社会的経験に感覚的形象を与える。
 芸術は権力の終焉のイメージを喚起し、自由のシャインを呼び出す
 芸術の独自の真理は社会と自然の漸次元を塞ぐ日常的、祭日的現実と絶縁する
 反芸術、例えばスープ缶の展示はそれを生産した労働者の生活も、それを消費する生活もなにも伝達することはない
 真の対抗文化は芸術の自律性を主張し、必然的にエリート主義的にならざるを得ない

 芸術作品の仮象的、虚構的世界においてのみ事物はあるがままの、ありうるがままの姿で表れてくる
 芸術は現実から遠のく罪責感に苛まれるが、それでもアウシュビッツをさえ生きのび、いつの日かそれを不可能たらしめるものを呼ぶ必然性から解放されない。この記憶さえ沈黙されるならばそれは芸術の終焉である。真の芸術はアウシュビッツにもかかわらず、アウシュビッツに抗して記憶を維持する。
 芸術は避けようもなく傲慢の要素がある。純粋な人間性が人間のすべての不幸や罪悪を救うものではなく、むしろ純粋な人間性はその犠牲となる。
 現状肯定的な芸術作品にも超越と批判的要素はあるのか、逆に極度の否定にかえって肯定があるのか

 マルクス主義美学は美の観念を否定し、政治の極限で美を語ることは犯罪だ、にもかかわらず美の観念の急進的でラデイカルな源泉がある、エロスは支配の現実に反逆し、ファッシズムの恐怖のにもかかわらず、生の衝動による美の反逆がある 芸術が幸福の約束を携えて失敗した目標を記憶している限り、変革の絶望的闘争に参入できる、あらゆる生産力の物神崇拝に対して、個人の奴隷化に対して革命の究極のイメージを提示する

 社会主義はいかなる民主的形態であれ、個の葛藤を解消はしえない、社会主義はエロスをタナトスから解放はしない、ここに社会主義の限界がある、この限界は革命をどのような自由の段階をも越えて推進する
 芸術の真理は社会的ダイナミズムに根ざしているが、それとは別のものだ、芸術は既成の現実原則の法則に支配されない、いままで見たこともない、聞いたこともないようなイメージを認知する
 芸術の自律性は不自由な社会における個人の不自由を反映し、化石化した世界に語らせ、物象化と戦う

 マルクスの人間の自然の占取は支配の傲慢さがある、主体による対象の搾取である
 文化革命は文化の展開が社会的基盤の変革に先行していることを意味する
 芸術こそが転倒した形で既成社会に対する戦いの武器となり、各個人の内なる資本主義の根を攻撃する
 先進国においては労働者階級は革命的階級ではなく、社会主義文化の展開は阻止されている
 芸術の本性である転覆の潜在的可能性は、いかにして変革の実践における要素となりうるか、芸術は革命の代理を務めることはできない、芸術は革命を喚起するだけである、あらゆる革命の目標は美と調和の世界の中に表れる、芸術と革命の関係は対立物の統一であり、その一致は世界の変革と解放のなかで実現される、芸術家自身が革命家であっても、作品の中に革命は出てこない場合もある、クールベはパリ・コミューンの評議員であったがm彼の絵に革命の直接表現はない、コミューン崩壊後の虐殺の後に彼は静物画を描いている、リンゴはいかなる政治的絵画よりも力強く異議申し立てを表している、ランボーはコミューンの共産主義憲法草案を書いたが、彼の詩はいつもと変わらなかった想像力による永遠の革命、永遠の美的転覆・破壊が芸術の方法である
 奴隷やゲットーの叫びとしての黒人音楽は、音楽のなかに黒人の生命と肉体があるが、白人が歌うとそれはもはや演奏であり商業化し、社会的基礎を持たない集合的無意識を動員する全体主義へと転化する、ロックコンサートでヒステリックに身体を揺らす観衆は決して互いに触れあうことはない、これは攻撃のミメーシスないし浄化の一時的解放であるが、真の解放は個人の仕事である
 芸術と革命の緊張関係は軽減できない、芸術が革命に従うことは自己否定である
 芸術は抑圧と管理の全体主義による疎外に対応する、ジョン・ケージやブーレーズの高度に知的な形式を失った構成主義は、なんの衝撃も与えない敗北のゲームである
 革命はブレヒトの政治的演劇ではなく抒情詩にこそあり、反芸術の死、形式の再生にある
 芸術は政治的内容を欠いたままで政治的であり得る、ブレヒトは単純な日常言語のなかに解放された奇跡のイメージを成し遂げている
 芸術の発展は野蛮な社会の廃絶に依存しているから、芸術家は解放のチャンスとなる革命に参加するが、街頭に出ることによって芸術家は芸術の世界を去る 
 いわゆるブルジョア芸術のなかにも革命の目標は見いだしうる、芸術はあらゆる形式のなかに表現を見いだすからである
 新左翼内に跋扈する反知性主義は、芸術的にも政治的にも反動的であり、事実上既成文化への適応に他ならない、先進的労働者の意識である現在のプロレタリア芸術も美的形成を妨げる、革命芸術はブルジョア芸術の継承者であるが、その決定的否定はまだ未来に属する抑圧されたラデイカルな少数者の特殊情況は普遍的な人間につながるが、伝統的な形式を拒否することはない

(分析と評価)
 啓蒙と否定の弁証法によって鋭く現代の問題情況を解明したアドルノと同じように、マルクーゼも最後は美学に向かった。正統派マルクス主義美学論=社会主義リアリズム(スターリン主義)を批判しつつ、実践的美学論を展開する。美と芸術の独自の自律性を強調して、政治からのある遮断を主張する。それは、芸術行為の個の主観的内面性による現実の再編成を本質と見ることによる。あの新左翼感性主義・街頭主義に影響を与えたマルクーゼのイメージとは違うことに驚きを覚えた。彼は伝統芸術の美的形式の普遍性を認め、新左翼の反知性主義を批判し、正統派マルクス主義の政治への従属性を攻撃する。自由を求める社会変革の精神活動として芸術を位置づけつつ、政治との距離を置くことを強調する。政治世界に無関心の芸術至上主義とは異なるが、その実際上の差異は危うくなるのではという危惧を抱く。
 こうしたマルクーゼの政治と芸術の緊張関係という見方は、おそらく彼自身の政治イメージの固定化にある。彼の生きた時代の政治は、まさに権力闘争の野蛮が剥きだしとなった偏狭なイメージがあったに違いない。しかし現代の政治はもはやそうした狭隘なイメージではなく、政治概念と政治行動は豊かな人間性を育むオープンな概念となりつつある。とくにソ連崩壊後の新たなマルクス主義の創造的な探求は、従来の政治イメージを大きく変えつつある。政治と芸術を対立物の統一と捉える規定はもはや有効ではなく、政治と芸術の双方を不幸にする。政治と芸術の緊張関係において、芸術の独自の自律性を擁護するマルクーゼの理論は、スターリン主義芸術論批判としては有効だが、現代マルクス主義はさらに新たな規定を求めている。アドルノの『美の理論』の難解さに較べて、マルクーゼ美学論は分かりやすく記されているが、マルクス主義方法論を廃棄しているわけではない。マルクス主義に依拠しないで芸術論を構築しきってみる試行を経て、しかもなおマルクス主義の有効性が確かめられれば、マルクーゼ美学論を越えることができるだろう。(2008/6/12 13:05)

北海道・生活図画教育事件
 生活図画教育運動
  1932−40年に北海道旭川師範学校・熊田満佐吾、旭川中学・上野成之とその教え子が実践した美術教育
  身の回りの生活を見つめ題材を選んで現実の生活を変革する絵画教育
  「リアリズムの図画を通してその時代の現実を正しく反映する」→美術とはなにか・美術は人間になにをもたらすかの学生討論と労働描写
  「戦争という現実を考え直す眼」→ポスター「スペイン動乱はなにをもたらしたか」制作
  1931−35年大凶作休演ポスター共同製作「凶作地の人たちを救おう」「欠食児童に学用品を送ろう」
  1932年 旭川中等学校美術連盟結成 「北風画会」(卒業生)の旭川市内での展覧会毎年開催
  教師となった卒業生は生活図画、生活綴り方にとりくみ、アイヌ差別・いじめ、地域青年団活動に取り組み戦後民主教育の先駆となる
 弾圧
  1941年 北海道綴り方教育連盟事件
   1月 教師53名逮捕(熊田満佐吾逮捕)
       師範学校は美術部員取り調べ 卒業直前に5年生5人を留年・思想善導、1人を放校処分
   9月 特高 留年の5人を含む熊田の教え子(国民学校教師)21人、上野成之と教え子3人を検挙
       憲兵 軍隊入隊または入隊直前3人(判明分)取り調べ うち1人虐待死
 裁判 旭川区栽堀口検事
  「地主と凶作の桎梏に喘ぐ農民を資本主義社会機構より解放せんとする階級思想を啓蒙するもの」(稲刈り途中で腰を伸ばした農婦を描いたポスター「凶作地の人たちを救おう」)
  「プロレタリアートのによる社会変革に必要な階級的感情及び意欲を培養し昂揚するための絵画である」(生活図画総括) 
 判決 
  治安維持法目的遂行罪 熊田満佐吾3年半懲役 上野成之2年半懲役 本間勝四郎2年半懲役 12人執行猶予付き有罪

元大日本海洋美術協会提供・清風書房編纂『大東亜戦絵画美術集<陸海篇全1巻>』(清風書房 昭和43年)
 陸軍美術協会『聖戦美術』(国書刊行会 昭和55年)

 前書は昭和18年に開催され、観覧者数百万人を動員した文部省・戦時特別美術展と大東亜戦争美術展に出品された作品を中心に編纂され、後書は昭和14年と18年に陸軍美術協会編纂の復刻版です。戦後に発刊する意図は「モチーフが戦争ということだけで戦争画を一概に否定するのはどうであろうか。・・・戦争画は大東亜戦争をふり返る貴重な記録である」(前書 はじめに)「従軍美術家のとらえた戦争の実態は、美術史上において極限の美という芸術的世界を創りだした・・・そこに思想の良否と時代を超える芸術性を見いだす」(後書 再刊にあたって)と記され、両書ともかっての戦争を「大東亜戦争」と記して戦争画の再評価を意図しています。編集者の意図とは別に作品そのものをみてみましょう。
 驚くべきことに戦後日本美術界の中心的画家たちがほとんど登場しています。私が知っている人物だけで、藤田嗣治、中村研一、山口逢春、宮本三郎、小磯良平、向井潤吉、猪熊弦一郎、石井柏亭、井原宇三郎、福田豊四郎、川端竜子、橋本関雪、宮田重雄、鹿子木孟郎、藤島武二、北川民次、そして内田巌(戦後 日本美術会初代会長)の諸氏ですが、これ以外にも大勢の画家が参画しています。陸軍に協力して戦争画を描く参画の意図と姿勢はそれぞれ違いがあるでしょうが、この書では分かりませんので全体としての印象を記したいと思います。

 本質的にはプロパガンダ芸術なのですが、一部に壮絶な美とも言うべき独自の手法を駆使した作品があります。同じ戦争を描いてもテーマへの接近と技術に格段の差があります。特に藤田嗣治の作品は戦場を描いて人間の深奥に迫る深さがあるような気がします。屹立する兵士の自画像は、松本俊介の自画像にそっくりであり、私はおもわずアッと声を上げたのですが、その背後に流れる思想と描写技法の共通性の乖離を道標化するのか、粛然と考え込まざるを得ません。第2は彫刻で特に表れるのですが、ほとんど社会主義リアリズムまたはナチズム芸術に酷似した古典的手法が表れています。
 さて問題は単なるプロパガンダ作品とは異なる戦争画の「芸術性」を語ることができるかということであり、そして画家たちの戦争協力責任をどう問うべきかということです。戦争を知らない私が、もっとも驚くのは、これらの戦争画家たちがいともあっさりと戦後に復権し、戦後美術界をリードしたことです。これは天皇の戦争責任が免罪された体制の中で美術界も例外ではなかったのでしょうが、戦争画の芸術性を語る以前に、戦争画家たちの責任が公的に問われていないということを押さえなければ成りません。
 私の率直な感想は、対象への接近力と描画技術のすぐれた者が、戦争画を越えた芸術性を示している場合に、どう評価するかという点です。これが難しいのです。戦時体制を推進した画家が、その芸術性ゆえに免罪されるとは思いません。おそらくその画家は平時にあっては数段すぐれた質の作品を生み出したに違いありません(藤田)。人殺しを推進する絵はどのように美しかろうと、それはもはや芸術と言うべきではないでしょう。私は、戦争に抵抗して死んだ無数の無名の画家を想うのです。(2008/4/30 19:29)

リアリズム論ノート(日本美術会『美術運動』No128、129号要約)
 (北野輝)
 芸術認識説<認識としての芸術> 
  芸術を認識、知の独自の一形式とみる、言語ではとらえられないが言語による解明を不可欠とする、現象的個別に普遍的本質が内在する
  アリストテレス模倣説(ミメーシス 再現・模倣芸術)・ルネサンス・ヘーゲル美学・マルクス主義美学・ルカーチ・アドルノ
 芸術実践説<実践としての芸術>
  芸術を認識形式(形式特性)の差異としてみるだけでなく、実践的に把握する
  物の生産としての科学に対する意味の仮象的生産としての芸術(戸坂潤)
   コミュニケーションの発展的分化としての労働から発展した表現構成
   個別的対象認識の普遍的表現
   生産(創作)・作品・享受(鑑賞)の動的過程 
    *原始洞窟壁画 最高の価値対象としての野獣→狩猟生活の目的儀式として表現(収穫願望)→生活実践と芸術実践の未分化
      ピカソ「ゲルニカ」 現実生活の反映(表現)→平和・抵抗のシンボル
 リアリズム=発展的現実に対して能動的にかかわり立ち向かう自覚的な芸術態度(認識・批判・変革への実践の統一体)
  労働→構成→抽象(合目的制作)
       提示→オブジェ・インスタレーション(現実介入)
  コミュニケーション→表現→人間的真実の表出(パフォーマンス、抽象/具象)
               再現→具象(真実認識)
 既成リアリズム論=再現的具象表現
  明暗法・遠近法、古典的人体モデルによる再現形式→近代的制度化(額縁画・台座彫刻)
 シュールレアリズム・マニエリズム(アヴァンギャルド)=寓意・象徴形式 *モダニズムの自閉性

 (日本プロレタリア美術の再検討)
 階級的党派性としての芸術表現、モダニズムに対抗する社会主義レアリズム(スターリン独裁の美術統制手段)
 造型と主題の統一としての社会表現とは別個の普遍的人間表現 *戦争画における人間表現の普遍性
 日本プロレタリア美術史における2潮流
  A)政治的実践=プロパガンダ芸術=道具主義(宣伝扇動性の階級的役割 社会的プロレタリア・リアリズム)
  B)近代美術におけるリアリズムの発展としてのネオ・リアリズム(タブロー重視 内在的リアリズム)
 →プロレタリア・レアリズムへの一元化(プロレタリア美術家同盟)
 →前衛表現から労農群像の写実主義か、モダニズム構成主義の応用芸術か(ポスター)
  *ソ連型社会主義レアリズムの反動的伝統回帰とナチス写実主義の一致(古典表現への反動的回帰と国家規範か)
 →権力統制下のソ連型リアリズムと権力弾圧下の日本型レアリズムの差異(モダニズム否定とピカソ型モダニズム=民衆性表現と大衆受容))

海老原武・栗原幸雄・池田浩士・萬木康博「<討論>政治の芸術ー日本の場合ー」(『講座・20世紀の芸術 6 政治と芸術』岩波書店 1989年)
 ソ連崩壊前後の時代での20世紀芸術を総合的に考察する講座シリーズの第6巻「政治と芸術」で、当時では若手理論家であった論者の討論であり、90年代前後の特徴を知ることができる。現在では「政治と芸術」等というテーマ自身が無意味となったとするポスト・モダンモダンが制覇し、芸術と権力の緊張関係が衰弱しているなかで、もはや過去の議論でしかないが、参考資料としてとりあげてみた。
 第1次大戦以降の芸術に初めて民衆の視点が登場し、アナーキズム(大杉栄)芸術からはじまって、ドイツ輸入の前衛芸術運動が紹介され、マルクス主義芸術の政治の優位性論が展開され、近代的自我形成と近代を越える協同性が同時に課題となる二重性という特徴を持つ。この課題を解決することに失敗した。近代の超克は、マルクス主義的方向、日本浪漫派的伝統指向、農村回帰の都市文明批判など幾つかの方向があるが、前衛芸術は伝統を処理できないままに転向していったとする。ここでは転向を権力の抑圧から見るのではなく、芸術家自身の意識内在性に見る。ここに吉本隆明的な転向論の影響を受けた権力免罪の問題がある。転向者をなぜもっとがんばれなかったのかーとーと無責任に批判する論が出てくる。
 一方村山知義や柳瀬正夢のダダイズムからプロレタリア芸術への変貌は、別の意味で政治に屈服した「くそリアリズム」とみなしていく。こうした視点は、論者たちが民衆視点を取り上げながら、自らを民衆としては身体感覚的に捉えていない高踏的な意識がうかがわれる。転向者は民衆を知らない傲慢さの逆表現だと論難するが、論者たち自身の民衆論は告知しない。転向しないで沈黙すればよかったなどと、後知恵のしたり顔で非難する。
 戦前前衛芸術の陥穽は、天皇制と共産党というマクロ権力の政治との関連を主題とし、それを支える家父長的なミニ権力との関係を主題とし得なかったところにあるという。ここからせんごの全共闘や新左翼の戦後民主主義の虚妄という主張を宣揚している。

 総括的に批評すれば、この4人の論者たち自身が、政治または権力を「支配」機能の側面から一面的に抑圧機能として捉え、自らが(民衆が)主体的に参加してごく自然に運営していく社会生活の習慣として把握していないということです。政治のイメージは、絶対主義的な狭隘で専制的なものとしてあり、市民又は民衆が自らの手で営む豊かなものだという本来的なイメージがありません。だから戦犯権力も、それに対抗した反戦組織も権力として同質に捉えられ、従って犠牲となって転向した人たちの主体責任を極度に強調する結果に終わります。
 第2にこの討議では、戦争協力芸術とそれを推進した芸術家の戦争責任と、その追求の日本的特質についての言及がほとんどありません。ナチ協力芸術家を徹底的に裁断した戦後ドイツと、水に流してしまった日本的戦後処理の問題を明らかにしないことでは、政治と芸術の日本的特徴の本質的問題は語れないでしょう。
 第3は、論議の対象が左翼芸術に偏向し、政治と芸術の全体像を捉えていないことです。美術で言えば、帝展と日展を頂点とする日本美術の権力構造や、現代芸術が企業権力に包摂されている現状への問題提起は、ほとんどないか適当にパトロンは利用せよと言った無責任な提起に終わっています。(2008/3/11 10:08)

ハーバート・リード『芸術の意味』(みすず書房 1995年)
 リードは、詩人として出発し、第1次大戦出征後に大蔵省に就職し、1923年に美術館に転じ、、美術評論家としてはじめて造型芸術論をBBIに連載したのが、本書であり1931年に刊行された。原始芸術からシュールレアリズムまではじめて体系的に世界の芸術を考察し、現代芸術論の先駆となった。日本の浮世絵までカバーするリードの博識には驚いた。ただし、美は道徳的な善であり、醜は悪であるとする彼のロマン主義芸術論は現代美術論からはもはやあまりにピュアーであり、しかもキリスト教芸術を世界史上の最高の到達点としたり、第3世界の芸術を遅れた文化意識と見なすなど、幾つかの疑問が残った。(2008/3/10 10:47)

デイドロ『絵画について』(岩波文庫 2005年)
 フランス百科全書派の総帥であるデイドロの絵画論です。それまでの兵法や航海術、技術などまで含むリベラル・アーツ(教養)であったアート概念が、文学と造型芸術に絞り込まれて近代芸術概念が確立し、職人的手仕事の肉体労働から芸術家が自立していく18世紀の芸術概念の近代化を遂げた転換点となる著作です。哲学的美学概念の最初の書としても画期的です。デイドロの美概念は、自然・世界の「模倣」としての美であり、主観の創造ではありません。この時代の美術作品の展示はパリを中心とするサロン展であり、美術館はありません。美術の諸技法についていかに彼が研究していたかが分かります。デッサン、色彩、明暗法、表情、構成、建築、マニエールなど現代美術論の編成とほとんど変わらないのは驚きであり、微に入り細をうがつ叙述は彼が絵画の世界に精通し、シャルダンなどとの交流も深かったことを示しています。近代絵画論の古典です。(2008/3/1 11:27)

『イリヤ・カバコフ自伝』(みすず書房 2007年)
 著者は旧ソ連時代からの、異端派の画家といえようか。キャンパスを飛び出したインスタレーション表現で世界を席巻している。本書は1960年代ー70年代の社会主義リアリズム絵画とは対極にある、いわばアングラ異端芸術家の世界を自伝風に描いている。自らの伝記と言うよりも絵画界の時代的緊張の報告書である。著者のグループが公式的な発表の場を保障されず、野外展覧会で発表したことや、市民の支持を得て室内展の機会を得て、フルシチョフのロバの尻尾発言に象徴される反響を呼んだことが記されている。ロバの尻尾とは懐かしい表現である。ソ連美術界では、絵画派(いわば純粋唯美主義)と人生の真実派の論争が展開され、後者が勝利していく過程が綴られているが、カバコフは表現の自由を求めて独自の道を行ったようだ。旧ソ連の芸術世界の緊張した世界を知らしめる書である。ただし彼には、エレンブルグやマヤコフスキー、エイゼンシュタイン、ストラヴィンスキーのような緊迫感はない。(2008/2/14 19:44)
 
司 修『萩原朔太郎『郷土望景詩』 幻想』(勉誠出版 2007年)
 わたしは萩原朔太郎という詩人の詩のイメージに初めて接したような気がしました。失意、失望・・・の背後から立ちのぼってくるような、ある決意を感じます。それを表象化した司修の油彩画は、また独特の抑制された、むしろ古典的な色を使いながら心象世界を浮かぶ上がらせようとしています。司氏のことは岩波新書の『戦争と美術』ではじめて知りましたが、彼の絵を観るのは初めてです。こういう色はわたしには出せないだろうと・・ため息が出ました。詩人も画家もわたしは師の1人となるような予感がいたします。(2008/2/1 10:39)

Janer Wolff『The Social Production of Art(邦題 芸術社会学』)(玉川大学出版会 2003年)
 著者は英国生まれの現在は米国・ロチェスター大学芸術史教授で、どうもニューレフト系マルクス主義理論家であるようだ。この書は芸術社会学教科書と書かれているが、マルクス主義美学の現代的展開を意図しているようだ。以下は本書の概要。

 社会構造と芸術創造
  芸術的生産の本質 芸術における資本主義 芸術的創造
 芸術の社会的生産
   芸術の集団的生産 芸術の社会的制度
 イデオロギーとしての芸術
   支配的イデオロギー 代替的イデオロギー 世代・性・民族 発生的構造主義 調停としての美術
 美的自律性と文化政策
  下部・上部構造モデルとその限界(還元主義) アルチュセールの相対的自律性 
  文芸批評の諸類型(伝統的正統マルクス主義 準マルクス主義 ニューマルクス主義 フランクフルト学派
 再創造としての解釈
  観衆(経験主義アプローチ 唯物主義美学 相対主義ガダマー 新客観主義 現象学的反応美学 
 芸術家
  支配的創造者神話 芸術生産の集団性 グループ意識 アルチュセール・反ヒューマンアプローチ ラカン・精神分析アプローチ
 文化的生産
  
 マルクス主義の現代芸術社会学の先端に触れたような気がします。日本ではほとんど姿を消したかに見えるマルクス主義美学は、欧米では強固な伝統的理論としていまなお有効性をもっているようです。私はまだこの書を評価する理論的・実践的な蓄積がありません。ただし、日本のポスト・モダニズムの芸術論の大流行と、芸術の商業主義的傾向は目を覆わしめるものがあり、日本型の現代美学理論の構築が求められていると思います。市場原理に流されない社会的連帯の欧州経済は、文化芸術分野でも強固な独自性を持っているようです。著者は米国の大学で研究していますが、スタンスは欧米系理論です。(2008/1/25 16:48)

Margaret A.Rosergaret A.Rose『MARX`S LOST AFESRTHETIC Karl MarX and the visual arts(邦題 「失われた美学 マルクスとアバンギャルド」)』(法政大学出版会 1992年)
 著者は豪州出身、ケンブリッジ研究員として英国で活動する、そらくマルクス主義美学者(?)と思われる。本書は若きマルクスの視覚芸術論を掘りおこし、現代のマルクス主義美学論争に新たな視角を提供しようとしている。論争とは初期ソビエトで展開された構成派にみられる生産主義的前衛論と、反映論に「依拠する社会主義リアリズム論の論争を云う。著者は政治権力によって終止符が打たれた論争によって正当理論として確立された社会主義リアリズム論に異議を唱え、マルクスその人の美学理論にリアリズムはなく、むしろ生産主義的芸術論があったことを論証する。
 若いマルクスが生きたプロシャ絶対主義期のドイツでは、国家支援によるナザレ派といわれる浪漫的な宗教画を批判して、ギリシャ芸術を理想に感性と肉体を解放して産業と芸術の統合を説くサン・シモン派が激しく対立し、国家はサン・シモン派を抑圧した。この抑圧に抵抗したのが、ハインリッヒ・ハイネを先駆としてフォイエルバッハ・バウアーなどの青年ヘーゲル派であり、若きマルクスは後者のグループで活動した。この両派の対立の根底には、美・聖を忠実に再現する反映論美学と、時代を切り開いてリードしていく生産主義的な主体的創造派とも云うべき認識の対立があった。この認識論的な対立は共時的であり、ロシア革命後のアバンギャルド構成派の文化創造による社会変革主導論と、革命の現実の忠実な再現を主張する社会主義リアリズム論争となってソビエトに現れ、ルナチャルスキーとスターリンの政治的闘争と重なっている。
 若きマルクスはキリスト教美術を人間の本質の物神崇拝的疎外とするフォイエルバッハを出発点に、人間の本質の疎外を労働の本質の疎外=私有財産と所有の観念の廃棄に求める。芸術的生産は物質的生産の諸形態の一つであり、生産的労働に他ならず、芸術作品が交換価値でのみ評価される私的所有制(アダム・スミス)の廃棄なくして芸術労働の疎外の恢復はない。芸術は労働者とその共同体の必要に仕え、資本主義を越える生産主義的な唯物論美学としてある。「誰であろうと、その人に1人のラファエロが潜んでいるならば、その人は妨げられずに自分を伸ばす」労働の共産主義的組織が実現する。「共産主義社会においては、画家などというものは存在せず、せいぜい、他にもいろいろすることがあるが、なかんずく絵を描くこともする人間がいるだけである」。「大人は子どもになることはできない。せいぜい子どもっぽくなるだけである。だから子どもの無邪気さは彼を喜ばせないだろうか? そしてより高い段階で、その心理を再生産するために、ふたたびみずから努力してはならないだろうか?」
 結論はマルクス主義美学論争における生産主義派と反映論的決定論(魂の技師としての芸術家ージダーノフ)の対立は、若きマルクス時代のヘーゲル(精神の疎外と反映)とサン・シモン(前衛的変革)の葛藤が反映されている。サン・シモン的芸術的前衛論とプロレタリアート前衛論が結合して、ロシア構成派アバンギャルド理論があり、ヘーゲル的反映論美学の末裔として社会主義リアリズム論があった。ロシア構成派アバンギャルドはマルクス主義美学と対立した(従来の定説)のではなく、社会主義リアリズム論と対立したのである。この点にこそ従来の定説を覆す本書の意味がある。
 いずれにしろ社会主義リアリズム論はそうとうに分が悪い。現実の諸相の中から、未来へ向かう革命的現実を描出して、革命潮流に芸術的貢献をするという社会主義リアリズム論の致命的な問題は、スターリン権力と結んでテロル的手段で芸術論争に決着をつけたという悪夢があるからこそ、イメージが傷ついたのではないかーとも思われる。現実の中に核としてあるはずの未来潮流を見いだして(反映)、描出することそのものには問題がないとも思われる。あまりに面白く、立った1日で読了しました。82008/1/20 10:31)

伊藤敬「芸術論覚え書き」
 芸術の創造行為としての鑑賞(芸術作品は鑑賞を目的に制作される)
  創作そのものが自己鑑賞による加工過程
 鑑賞とは
  心を作品に集中し、意識を作品に向け同時に自己の感じ方をも観る
  自己の感じ方と作者の提起の対比が遂行される
  自分の求めているものを探す、探している自分とはいったい何かを問う
  作品と鑑賞者は双方向関係にある(審査員が評価する構図は作品が審査員を評価することでもある)
  鑑賞体験は作品に見いだした特質を社会で生起する出来事にも同じ構えで臨む
  感性・感情と一体化した論理は知的探求の過程でもある
 作品
  どのジャンルにも現実を反映した多様な潮流と傾向がある
  作品が生活の場で鑑賞できる社会の構図はその社会の文化水準を浮き彫りにする
  名画や優れた曲の存在と市民がどういう関係にあるか
  芸術文化の実態が経済的構図を示すバロメーターとなる
 世界観
  人間の美的感情は個人的・具体的であり、なおかつある普遍性を持つ
  人類が対象世界を変えてきた労働の人類史のなかに芸術の変容をみる
  作品表現は帰するところ作者・演奏者の人生観・世界観、生きる姿勢が現れている
  作品の巧拙に係わらず、作者の生き方・生きている社会が現れている
  芸術は概念的認識よりも広い意味での形による認識だ
  芸術は音声や身体も含めて物や物の属性からなるが、同時に意識・精神であり、どんな意識も物質にまとわりつかれている

永井潔『芸術論ノート』(新日本出版社 1982年)
 人間の表現行為は3要素としての主体的要素(自己)・客体的要素(対象)・手段的要素(素材)の有機的結合による
 資本主義的分業の進展はこの有機的結合を解体し孤立化する
  主体的要素(自己)の偏向としての表現主義(自己内部の感情や観念を表出し対象と素材は道具となる)
  客体的要素(対象)の偏向としての写生主義(対象の再現 フォーヴィズムは対象の枠内で主観を表出)
  手段的要素(素材)の偏向としてのモノ主義(媒体となる素材に潜む形態的本質の顕現 自己でも対象でもない)
 感情とはなにか
  ・感情は反映の一側面であり、外界の対象を占有しようとする能動的意識である
  ・感情は対象に対する主体の態度であり、感情の種は対象ではなく主体の種によって決まる
  ・感情は行為(実践)を前提としながら、行為との一定の分離において形成され、その分離が限度を超えると機能を喪失する
 美は客観的に存在するか
  (ソヴィエト型唯物論美学論) 
  チェルヌイエフスキー『現実に対する芸術の美学的関係』 
   かくあるべき生活の概念を現実の存在=生活において想起させる事物が美しい
   美とは物的現象の法則性・調和・均整・和合の特質を抽出抽象した概括概念である 人間の意識から独立した客観的存在としての美
  (主観主義美学)
  美は本源的な主観の作用であり、人間にほんらい存在する美的本能・美的感受性の発現
  絶対精神(神)の発現としての美(ヘーゲル)
  (反映論美学)
  人間の創造的実践の法則性・目的性が「かたち」として対象が人間化され、次いで人間が対象化されて内部に美的感情が形成される
  美の起源は労働 実践を媒介としない直接受動的反映ではなく、実践を媒介とする能動的創造的反映
 芸術起源論
  呪術・宗教起源論 自然現象
  遊戯本能論
  労働起源論

油彩技法覚書
 (基本色
 ブルー ウルトラマリン・フタロシアニン・セルリアンの3色
 レッド カドミウムライト・アリザリンクリムソン
 イエロー カドミウムライト・イエローオーカー
 ブラウン バーントアンバー・バーントシェンナ
 グリーン ビリジャン
 オレンジ カドミウム
 ブラック アイボリー
 ホワイト ジンク・チタニウム

 (オイル
 初期段階:テレピン・スパイクラベンダー・ペトロール油(絵の具が薄くなり早く乾く)など揮発性油(スピリッツ) 単独使用は初期のみで通常は調合油として使う
  深みのある表現は揮発が遅いが筆運びのよいスパイクラベンダーを使う(ペトロールは中間的溶剤)
 乾性油(オイル) 画溶液としての単独使用はなく調合油として使用 光沢のある深い画面は加工乾性油を使う
 スタンドリンシールオイルは粘度高く濃密で光沢がある
 ワニス パンドルの名称で市販される描画用ワニス
 乾燥促進剤(シッカチーフ) クルトレは薄塗り画面に、ブランは厚塗り画面に使用する
 調合油(メデイウム) 揮発性油+乾性油+ワニス+乾燥促進剤
  最初は揮発性油を多く、最後は乾性油を多くする(ファットオーバーリーン)
 ○市販調合油を利用した調合法
 <描き始め>揮発油性油100%使用
 <中   間>市販調合油100%使用
 <仕 上 げ>市販調合油90%+乾性油10%(又は乾燥促進剤)

 (カラーチャート
 画紙又はキャンパスにペンで升目を定規で書く(1辺50〜75mm)
 各色ごとに別々につくる(絵の具の色名を記す)
 ・ホワイトとの混色(升目の一つに試したい色を塗る→その半分だけにホワイトを混ぜる)
 ・2色の混合(2つの色をそれぞれ太い斜線でV字型に描き交わった点で混ぜ合わせる)
  *ウルトラマリンブルー+ビリジャン+(ほんの少しのホワイト)→目の覚めるようなブルーグリーンとなる
   カドミウムレッドライト+カドミウムイエローライト→あざやかなオレンジ
   ブルーやグリーンの寒色系にアイボリーブラックを混ぜると素晴らしい効果がある(風景画によい)
 ・視覚的混合(下塗りした絵の具が乾いた後に透明か半透明の別の色を重ね塗りする)

 (色彩の相互関係
 ある色を鮮やかに見せる時は、補色関係(色環図の反対)はコントラストを際だたせる、または中性色
 ある色を鈍く落とした調子にするには、類似色(色環図の近接)は彩度を弱くする

 (色彩による構成
 寒色ー暖色の強いコントラストで絵の主題を浮き立たせる
 明暗(バリュー)のコントラストで絵の主題に明るいスポットを当てる
 彩度の高い鮮やかな色と鈍く暗い色のコントラストで主題に目を惹きつける
 色彩を使って視線を誘導する

 (光と陰影
 光、ハーフトーン(光と陰の境界)、陰、反射光の4つのトーンから成り立つ

 (調子キー
 ハイキー(明るい調子) 全体を明るい調子にすると陰影部も相対的に明るくなる
 ミドルキー(中くらいの調子) 
 ローキー(暗い調子) 

 (コントラスト
 強い 全部のバリュースケールを強くする場合にコントラストは強くなり、絵全体の一定の調子は設定しない(ハイ・ミドル・ロー)
 中位 バリュースケールはミドル
 弱い バリュースケールはハイキー(靄のかかった風景、但し夜の風景はローキー)

 (混合メデイウム
 パステルと水彩ウオッシュ
 @ソフト・パステルで絵を描く
 A柔らかい水彩用の筆をつかって薄くパステルの上にウオッシュをかける(余分な水分は吸い取り紙で除く)
 Bウオッシュが濡れている間にパステル・ステックで細部を描き加える(@、Aを繰り返してもよい)
 オイル・パステルと水彩ウオッシュ
 @粗いキャンパスにオイル・パステルで絵を描く
 Aその上に水彩でウオッシュをかけるとキャンッパスの凹部に定着する(石、岩、砂)
 アクリルと油性クレヨン
 @クレヨンでしっかり厚く大胆に線描する
 A大量の水で薄めたアクリル絵の具を大きく柔らかい筆で軽く塗る
 ガッシュと木炭
 @ガッシュを厚く塗る
 A完全に乾いたら木炭の線描を上に描く
 B剛毛の筆でさらに書き込む
 アクリルとガッシュ
 @キャンパスにアクリルで暗い単色のウオッシュを塗り乾かす
 A表面を水で濡らしキャンパスを少し持ち上げて傾ける
 B薄めた白いガッシュのウオッシュをキャンパスの一番上に横方向に塗り、静かに垂れていくのに任せる
 C最初のガッシュのウオッシュが流れ落ちたら、次のウオッシュを一番上に塗り同じように垂らし、その後絵を乾かす

 (下塗り インプリマトーラ
 ・基底材全体にハケかテレピン油を染み込ませたぼろ布で透明色を薄く引く(乾くまで1日)  
 ・アクリル絵具を水で薄めて塗ってもよい(早く乾く)
 ・絵の中の最も明るい色と暗い色の中間的な素朴な抑制された色を選ぶ(ロシェンナ、レッドオクサイド、バーントシェンナを少し混ぜたウルトラマリン)
   白い下地は初心者には向かない、フタロシアニンブルーやカドミウムイエローなどの蛍光色は使わない
  肖像画・人物画は薄めたイエロー・オーカー、ローシェンナのウオッシュ
  夕焼け・秋の風景はゴールデンイエロー
  海や霧のある山は自然なブルー・グレー
 @中間色をコーパル・ワニスで溶く
 Aキャンバスを完全には覆い隠してしまわないように大きな平筆でできるだけ薄く塗る
 B絵の具を均等にはせず、筋が入っていると上の色が生き生きとする
 (トーンをつけた下塗り)インプリマトーラは透明色を使うが、これは白い絵の具を加えて不透明にする
 @キャンパスを下塗りした後でローアンバーの不透明な地塗りをする(テレピン油で液状の濃度になるまで薄める)
 A少量のフレイクホワイトで色を和らげ普通量のメデイウムで溶く
 B大きな剛毛の筆を柄って滑らかに塗る
 B完全に乾いてから(24時間)描画にはいる
 *暖冷の配置が分かっている場合は複数のトーンで地塗りができる

 (下絵 下描き
 ・木炭又は絵の具(オーカー又はブラウンなどの中間色)をテレピン油で薄めて下絵を描く(速乾性はアクリル絵の具で下絵) 
 ・木炭は(布きれで余分をはたき落とすか)スプレー式定着液を吹き付ける
 ・静物画などでは定規を使った座標をつくってもよい
 ・オイルパステルで塗り分けた画面をさらに全面黒で塗り潰し、スクレーバーや楊枝などでデッサンすると、描線は黒のパステルが削られてカラフルな下絵が現れる
 ・下絵の間違いはテレピン油に漬けたボロ布で拭き取ると簡単に修正dけいる
 ・下絵は大きな筆で迅速に行い、主要な形やマッスだけをかたちどる
 @テレピン油で溶いた薄い中間色を大きな平筆で短く粗いストロークで塗る(チタニウム・ジンクホワイトは遅乾性で使わずフレイクホワイトを使う)
 それぞれの部分のエッジを柔らかい筆でブレンデイングする、影もできあがりより明るくハイライトも抑制する
 A下絵が完全に乾いてから本格的描画にはいる

 (粗描き デッド・カラーペインテイング
 ・アクリル絵の具(乾きが早い)で単彩の明暗を施し、中間色から始めて陰影とハイライトを付ける 
 ・最終色を想定した多彩の粗描きもある
 ・ローアンバーの絵具を薄めて一番暗い部分から塗り、次に中間色へ移り最後に明るいハイライトへいく(ハイライトはキャンバスの白地を残してもよい)

 (ブラシワーク
 ・モチーフの形に合わせて太さに適した多種の筆を使い分けながらストロークを描く
 ・細かなタッチをし過ぎたと感じたら、描く題材には大きすぎると思われるサイズの筆を使ってみる
 ・広々とした風景のようなデテールにこだわらない題材は、それぞれの対象を筆で3回描くだけで表現してみる

 (エッジ)明確に輪郭を描くハードエッジと輪郭をぼかすソフトエッジ
 ・輪郭に沿って色を一筆で塗り、次に別の色をその横に塗る(2つの色がぶつかるように筆を動かすが、実際に重ねてはいけない)

 (ナイフペインテイング
 ・画面に絵の具を大胆に押しつけ塗りの最後にナイフをきれいに挙げる(塗ったところへ後戻りしてはならない)
 ・各色の純粋さを維持するために塗る毎にナイフをきれいに拭く
 ・ナイフの側面で画面に粘度の高い硬い絵の具を塗りつける、絵の具はインパスト用メデイウムで伸ばしボリュームを増しておく
 ・仕上げのアクセントやハイライトなどの絵の一部に使われることが多い

 (フィンガーペインテイング)繊細な印象や絵の具の厚み調整にすぐれる、希釈していない絵の具を広い部分に素速く塗る場合に活躍

 (スポンジペインテイング)筆よりもゴツゴツしたテクスチャ、広い面に塗る時もよい

 (マスキング
 制作途中でできあがった部分を他の部分の絵の具の撥ねから守る(スプラッタリングなど)、現在の表面の色を残すために覆いやマスキング液を使う
 @マスキングテープ 直線や幾何学的模様を描く時によく使われる、ハード・エッジを残すので柔らかい有機体には不適
 絵の具が完全に乾いてからテープを剥がす
 Aマスキング液 必ず古い筆を使いゴム液が乾いて固くなり筆の毛を固くするのを防ぐためにすぐに温かい石鹸水であらう
 溶液が乾いたら自由にウオッシュをかける→絵の具が乾いた後乾いたマスキング液を消しゴムで剥がす
 Bワックス 白いワックスをキャンパスの凸部に滑らせ、絵の具を塗って完全に乾いたら吸い取り紙をかけその上から温かいアイロンで抑えるとワックスを取り除くことができる
 C綿 綿を適当な暑さに拡げキャンパスの上に置き、望む形を作る 画面から数a離したところで硬い筆の毛を指ではじき覆いの周りの部分に色をまき散らす
 絵の具が乾いてから綿を剥がす(木や雲など自然のものに向く)
 Dボール紙 ボール紙に形を描きナイフで切り抜き、キャンバスに置き、濃い絵の具をナイフか筆で置き、絵の具が完全に乾いたところで覆いをとる

 (スプラッタリング)絵の具をキャンパスの上方から飛び散らす技法で普通は絵の一部に使われる、使いすぎると高圧的な感じになる(石、セメント、岩、海の飛沫、吹雪など粗くアバタのあるテクスチャ)
 ・古い歯ブラシを濃い絵の具に浸し、7,5〜15cm離して、ナイフの刃か親指の爪で歯ブラシの毛をはじく(少し大きめの細かい滴)
 ・硬い剛毛の筆に濃い絵の具を付け相手言う方の手のひら、又は他の筆の柄に鋭く叩きつける(より密な細かい滴)
 @キャンパスを水平に置き、絵の具が乾くまでそのままにしておく
 A異なった方向から或いは筆を少し傾けると色点ではなく斜めに歪んだ滴ができる

 (グラッシ
 ・地や粗描きの上に、よく乾燥させた後に透明色を薄く重ね塗りする 部分の効果を挙げるので全部する必要はない

 (修正
 ・乾く前の絵の具はパレットナイフで簡単に削り取れる(削った残像がぼんやり残るが残しておいても、ペトロールをつけた布で消してもよい)
 ・塗り重ねて削りにくい時は吸い取り紙で吸い取りながら上の層を剥がしていく
 ・何層も絵の具を塗る時は色を重ねる前に乾いた層に少量のリンシードオイルを擦り込んでおくと修正しやすい
 ・厚塗りでなく少しだけ絵の具を取り除く時は修正部に紙ヤスリをかけるか、その部分に下地を塗ってから書き直す

 (上塗り グレージング)乾いた層に色の薄いウオッシュを次々と重ねていく、下の層が透けて見える
 @上塗りメデイウム(グレージング・メデイウム)で絵の具を薄める(リンシード・オイルは変化するので適さない、テレピン油だけで絵の具を溶いてはいけない))
 A明るい下塗りに薄い層の上塗りを付す(絵の具が垂れたり流れないようにカンバスは水平にする)
 B下の層が完全に乾いてからさらに上塗りをかける
 トーンを和らげる上塗り(特に影の部分は暗色の上塗りで輝く)
 @透明なフィルムをかけるように乾いた絵の上に薄い上塗りをかける
 インパストへの上塗り(インパストの割れ目に入りこみ、絵の具のゴツゴツしたテクスチャを強調する)
 @ナイフか筆で厚く絵の具を塗り粗いゴツゴツしたテクスチャをつくり、表面が乾くまでおく
 A薄く上塗りする
 B上塗りをテクスチュアのある表面に入り込ませ、次の絵の具の層を塗る前に乾かす

 (グラデーション)明から暗へ、ある色から別の色へ移っていく(ここでは明暗の変化)
 @段階的に変化するトーンを鋭く分析し、トーンの変化の各段階に対応する色をパレットに用意する(最も暗い色から始める)
 A前の色にチタニウム・ホワイトを少し加え、ほんの少し明るい色をきれいな筆でつくり、最初のトーンの隣にこの色をつけ筆をジグザグに動かして融合させる
 Bこうして次々と白を加えて最も明るい色にもっていく

 (ハッチング)平行な線でトーンやテクスチュアをつくる、ストロークの間隔変化で明暗のさまざまなトーンができる
 ・異なる色のブレンデイング(色が物理的に混合されない効果)
 ・パステルで色を拡げるように指sかいで線をさすると微妙な光が出る(肖像画)

 (インプリント)絵の具がまだ乾いていない表面に実際のものを押しつけると、その形やテクスチュアが押し跡に残って面白い結果が得られる
 ・厚い粘りのある絵の具にしっかりと押しつけ素速く取り上げる
 ・実際のものに絵の具を付け乾いた絵かキャンバスの上に押しつける(木の葉、羽、草、織り目のある布など)
 ・フォークを塗れている絵の具に押しつけパターンを残していく
 ・ノコギリの歯を画面にくっつけて動かしていく

 (ハイライト)最後に絵が完成するときにある部分に絵の具を加えるか取り除く
 ・白をたくさん含んだ相当に厚いインパストを塗る(レンブラント)
 ・純粋な白でハイライトをつけてはならない

 (吹きじみ ブロウン・ブロット
 @乾いたキャンバスの上に油をたっぷり溶かし込んだ絵の具を含ませた大きな筆を置き、色の水たまりをつくる
 A絵の具を近距離から吹くと雲の巣のような跡ができる、面白い形になるよう幾つかの方向から吹く
 B最初の色が乾いたあとに、別のしみを載せていく(今度はストローで細かい跡を思い通りの方向へつくってもよい)
 C点眼器を使って絵の具のしみを垂らし、独特の形を作り出してもよい

 (擦りぼかし スカンブリング)乾いた、明るい、半透明色の色をそれよりも暗い色の、乾いた、不透明の絵の具の層に粗くつける技法(あまり油の多くない乾いた下塗りの上に絵の具の層を不均等に重ね塗りする)、一番下の層が透けて見え、鮮明さを保って色の修正ができる
 ・平塗やグラッシの上に不透明な絵の具を薄く霧のようにざっと塗りつける 剛毛の丸筆・指・ボロ布なんでもよい 面白い偶然のコンビネーションや地肌が出現する
 ・指で絵具を別の絵具に擦り込むと特殊な効果が出る
 ・下に塗った色に擦りぼかしを施し、そのうえに上塗りをかけると深みと神秘性が出る

 (プリマ描き 直描き)早い筆運びで濡れた上にすぐ描く方法
 ・重ね塗りしないで最初から不透明色で一気に仕上げる 印象派に多い 粗描きはカットする 筆やナイフの痕跡も重要となる
 ・最初にライン・明暗・画面の肌合い・色彩を同時に考慮する 特定の部分ではなく全体を並行して同時に描き進める
 ・ペインテングナイフで絵具の断片がジグゾーパズルのように画像を紡いでいくこともできる(補色関係配慮)
 ・この技法ではパステルが便利である(指や布の利用、点々、ぼかし、ハッチングとの組み合わせ)

 (ウエット・イン・ウエット
 ・プリマ描きの応用で、描画の中断後に濡れている間に別の色を混ぜ込む 下層の色を考慮して濁らないような技術が必要
 ・細部の場合は細いテン毛筆を使い、キャンバス上で色を溶かし合わせる時は扇型ブレンダー(ファン)を使うとよい
 @色面を置く それが濡れているうちに次の色を粗い揃えないストロークでなかに入れていく
 Aブラッシュ・ストロークはつけすぎないように(擦りぼかし)

 (ウエット・オーバー・ドライ
 ・すでに乾いている絵の具の上に新たに絵の具を塗る、インパストの上に擦りぼかしや渇筆を施して生き生きとした精彩を得る
 濃い絵の具は下地の凸部分のみをとらえて3次元的効果を得るが、薄い絵の具は下層にひびにまで入り暗い線をつくりだす

 (インパスト)絵具を厚く盛り上げる技法 絵具をそのままキャンパスに塗るか、オレオパストのようなインパスト用メデイウムを適宜加えてもよい
 筆によるインパスト
 @絵の具を吸い取り紙の上に絞り出し、数分間そのままにして、余分な油を吸い取らせる
 A絵の具を吸い取り紙からパレットに移し塗りやすい程度にテレピン油で溶かす
 B剛毛の平筆で多方向に短く強く素早く塗る、一度塗ったストロークは逆戻りせず2度と触らない、筆の跡を残すように充分絵の具を厚くする
 Cキャンバスを数日或いは数週間おいて乾かす
 D乾いたら対照的な色の上塗りをおこなってもよい
 ナイフによるインパスト
 @ペインテングナイフで厚くどっさり不透明な絵の具を幅広く塗る
 A渦や畝の掘り出しができる(絵の具をこね回しすぎないようにする)
 B上塗りと組み合わせると非常に深みが出る(影は薄い上塗りで、肌や布、宝石などは厚いインパストでハイライトを付ける)
 C最終的に乾いたインパストのうえに透明な上塗りをかけると絵の具の割れ目に入り粗いテクスチュアを際だたせる(木、樹皮、ざらざらした石)

 (スグラフィート)ナイフ、カミソリの刃、スクレーパー、筆の柄の先、指の爪など鋭利なもので絵の具の層をひっかいて擦り落とす
 ・ナイフで微妙な肌合い、豊かなインパスト、色の練り合わせ、絵具に刃で刻みを入れる
 ・上層の色を一部掻き取って下層の色を表面に出す技法で模様・輪郭線を描く
 ・パレット上で対象に近い色をつくってからキャンパスに塗りつけ、乾かないうちに鈍いナイフやアイスクリームの棒で擦り落として柔らかいハイライトをつくる
 引っかかれたテクスチャー・不透明画材
 ・チューブから出したままか厚塗り、濡れているうちに筆の柄の先で絵の具の中に線を引く
 ・ペインテングナイフで幅広の線を付ける
 ・薄い絵の具層をペインテングナイフでキャンパスのところまで削り取ると繊細なテクスチュアが倦まれる
 ・鋭く細い線はカミソリの刃、外科用メスを使い、刃を一方向に素速く動かす
 ・長い草が部分的に照らし出されているような場合は、ウオッシュが湿っているうちに親指の爪で素速く軽く動かして繊細な線を出す
 ・ゴツゴツした風雨にさらされたテクスチャーは目の細かいサウンドペーパーでそっと削り落とす
 ・異なったメデイウムで対照的な色を塗り重ねて、各層を引っ掻き出すと抽象画が得られる(工作ナイフの刃)
 2色トーン効果
 @厚くゴムのような絵の具の層をペインテングナイフで塗り乾かす
 A次に違った色のトーンで第2層を塗り滑らかに均す
 B上の層が濡れているうちに引っ掻いて乾いた下層を露出させる

 (ペインテング・ナイフ
 ・ペインテイングナイフで画面をこねくり回してはならない(塗ってある色層を乱さないように)
 ・ナイフの縁を使って絵具をさっと線状に塗る

 (クロス・ハッテイング)色の線やストロークが互いに重なり交差して、色彩とトーンの美しい多様な網の目ができる
 ・平らなウオッシュを塗った上に適度に乾いた絵の具でいろいろな方向へ交差すると、下の色が上の色を通して輝き微妙な感覚をうむ
 ・テンペラは細筆で非常に適した画材となる

 (渇筆 ドライブラシ)少量の濃い絵の具を筆につけて乾いた絵の表面を軽く滑らせて下の色をまだらに残す(岩、石、木が風雨にさらされた表面の荒れなど)
 ・キャンバスの粗い表面やかなり乾いた画面など

 (ファット・オーバーリーン)ファット(リンシードオイルやポピーオイルで溶かれた絵の具)は必ずリーン(テレピン油やホワイトスピリットで溶かれた絵の具)の上に塗らないと、後からひび割れが生じる。粗塗りとした塗りは油の含有量が高い絵の具は避ける

 (ウオッシュ)一筆で覆いきれない広い範囲を水っぽい絵の具で描く技法
 ・適当なメデイウムで溶いた多量の絵の具を幅広の平筆を使って同一方向へ運ぶ、常に前のストロークに少し重ねて次の筆を引く
 @多色ウオッシュ スポンジで
 ・最初のウオッシュが濡れている間に別の色のウオッシュをスポンジでつけ色を流れあわせる
 明るい絵の具に暗い色を混ぜ流れるままに乾くまでほっておく(予測不可能!)
 A多色ウオッシュ ブレンデイング(筆)

 (ステイン
 ・膠だけを塗ったキャンパスに着色し水彩画のように基底材の地肌を生かす アクリル絵具がよい 普通の市販キャンパスはだめ

 (ブレンデイング)2つのトーンや色の隣接部を筆ですりあわせて柔らかい溶け合うようなグラデーションを実現する
 ・2つの色を混ぜないように隣り合わせに塗り、絵の具が乾く前に濡れた筆で軽くブレンデイングする
 ・広い範囲のブレンデイングの時は霧を吹いて絵の具を湿らせておく、或いは柔らかく湿った筆を直線に引いて素早く混ぜ合わせてもよい
 ・絵の具が乾いた後にする場合は、2つの絵の具を混ぜ合わせた新しい混合色をエッジ部に粗く擦りぼかしていく
 ・扇形筆を慎重に掃くように、明るい方の色を暗い方の色へ引いていく それから混合するまで軽いタッチで休まず筆を動かす
 ・広範囲のパステルはトーション(巻紙)、ボロ布、指、筆、テイッシュペーパーで混ぜ合わせる、細かいサンドペーパーを使って派土パステルで紙の目がつまりすぎないようにしてもよい

 (色彩分割描法 点画描法
 ・絵の具をブレンデイングせず純粋色の小さく分離されたストロークででつける
 ・色が鮮やかで汚れないようにすることが重要で煩瑣な洗筆が必要
 ・全体の調和のために適度に制約された色の種類に限定する(印象派のパレット構成はカドミウム・イエロー、イエロー・オーカー、ビリジアン、エメラルド・グリーン、コバルト・ブルー、ウルトラマリン、パーミリオン、クリムソン・アリザリン、コバルト・バイオレットであり、鉛白は色を明るく反射するために用いる))
 ・純色の点を画面に並べて画像を描き出す(補色関係を隣にする)、異なった色が並んで上に重なって軽く叩くように塗られる次第に色が繋がれて形になる
 @筆による点描 小さな先のとがった筆で細かくモザイク状に仕上げる(筆先は垂直に等間隔で同じ大きさの点を置く)
 A剛毛の丸筆による点描 広範で迅速な処理
 Bデコレーターブラシ 柔らかいブラシであいまいで不規則な点描(古い筆でよい)
 Cスポンジによる点描 小さく丸めたスポンジ(人造は規則的) スポンジを湿らせ固い絵の具に浸し押し上げては上げる動作を望む密度まで繰り返す
 Dブラシ ネイルブラシと半液状絵の具(もっと不揃いの点描)

 (フロッタージュ)凹凸のある硬いものに薄手の紙を当て、上から鉛筆やコンテで軽く擦るように色をつけると、下にある凹凸が浮き上がる(岩、石、木の目などの粗いテクスチュア)
 平らな紙
 @少量のテレピン油で薄めた絵の具を塗り、非吸水性の紙をその上に載せ静かに押し降ろし、紙のウエイから指で軽くする
 A紙を剥がす、紙を取り替えて動かしたり擦ったりして気に入る効果を出す、絵の具が乾くまで48時間おく
 皺にした紙
 @濃い絵の具を塗り、非吸水性の紙を丸めて皺にしそれを拡げて塗れた絵の具に押しつける
 A慎重に紙を剥がすと、平らな紙よりハッキリとしたテクスチュアができる

 (トーンキング
 ・余分に塗られた絵具を新聞紙のような吸収性のある紙(新聞、ペーパータオルなど)を使ってキャンバスから取り去る 紙をかぶせその上を優しくこする プリマ描きの失敗時によい(一番上の層が剥がれて輪郭がぼやけ、薄くのばされた絵になり、これを下塗りとして製作を進めることができる)
 ・絵具を薄く塗り乾かぬうちに表面をボロ布で叩くと霧状の模様ができる
 ・乾いていない絵具の上にオイル・パステルを塗る オイルパステルを一滴のテレピン油で混ぜ合わせる(指でもよい)
 ・柔らかく溶いた絵具を流れるままに垂らす、キャンバスを床に置いて上からしぶきを垂らす
 ・流れた絵具が乾いた後に、その上に硬めの絵具をペインテングナイフで塗ったり、ゴムのローラーをかける

 (スクレイピング)ペインテイングナイフの刃の平らな部分を使って、絵の具を擦って削ると残った薄い層がぼんやりした幻想的イメージをつくる

 (スタンピング)いろいろな素材やオブジェを絵の具に押しつけて離す
 ・おたまでつくった穴、フォークでつくった溝、ノコギリの歯でつくったギザギザ、スプーンをねじりながら押し込む、写真フィルムの缶のフタを絵の具に刻印する、クシャクシャにしたアルミ箔を使って絵の具を軽く塗りつけ下地が透けて見えるボンヤリとした印象、乾く前の絵の具に非吸収性の紙を置き剥がす、マッチ箱の側面を押しつける、フォークで上の層の色を削る

 (抽象技法
 ・対象を省略する
 ・複数の対象を合成する
 ・心象の抽象模様化(素描の抽象、感覚を叩きつけるアクション・ペインテング
 ・シュールレアリズム(オートマチック技法、デカルコマニイ、フロッタージュ、コラジュ)

 (筆による線引き
 ・マスキングテープ、定規
 ・定規の縁に絵の具を塗り、定規の縁をキャンバスに押しつけ、定規を素早く外すと線ができる(あまり機械的でない線を引きたい時)

 (コラージュ
 ・紙切れ、布きれ、小石、木片、金属片その他の素材をキャンパスに則で貼り付ける
 ・岩、織物、波などは皺にした紙を貼り付けその上に絵の具を塗る

 (修正 コレクション
 @油絵の具が乾いていないうちはトンキング(吸い取り紙を修正する部分に載せて軽く擦ってはがす)
 Aパレットナイフで絵の具を擦りとり、その部分をテレピン油をひたしたボロ切れで拭く(修正の周囲にメデイウムを塗るオイリング・アウト)
 B刀、サンドペーパーによる削り取り
 Cテイッシュペーパー、スポンジによる吸い取り
 (ひびつけ クラックリュア)新しく描いたばかりの絵に昔の巨匠のようにひび割れをつける
 @絵の具の最後の層を塗る時にシッカチーフ(速乾剤)を通常より多めに入れて絵の具に混ぜるとひびができる(またはA)
 A幅広豚毛の筆で絵画の全体にワニスをかけ、数時間おいて乾かす→乾いたワニスの上に透明な水性アラビア・ゴム・メデイウムを塗る(粗いひびは厚く、細かいひびは薄く塗る)→アラビア・ゴム・メデイウムが乾くとその上からさらにワニスをかける、この時にひびを埋めてしまわないようにする→完璧にするにはヴァンダイク・ブラウンの油絵の具を柔らかい布でソッとひびに擦り込み、亜画家枠までおきそれから最後のワニスをかける

 (特殊技法
 @プラステック・ラップ 
 ・薄いプアステック・ラップを絵の具にかけ皺や織り目を指で挟んだりつついたりして、その後水平にして乾かす
 次にラップを取り除くとぶちか筋のあるパターンが絵にできる
 A塩
 ・ウオッシュが乾く直前に何粒かの岩塩(細かいパターンは食塩)をまき散らし、表面を水平にして自然に乾かす
 絵の具が乾いた後、塩を筆で払いのけると結晶状の形が残される
 ・薄いウオッシュに塩を落とすと花のような形になる
 B油に水彩
 ・ホワイト・スピリットを塗り、水彩ウオッシュをその上にかけると面白い効果が生まれる
 Cアラビア・ゴムと水彩
 ・水彩顔料にアラビア・ゴムを加えると濃くなり艶が出る(動物の毛、嵐の空など)
 Dゴム・ウオーターと水彩
 ・アラビア・ゴムを薄めたゴム・ウオータに絵の具を加えて緑を高める
 Eテレピン油
 ・パステルをテレピン油で湿らせてブレンデイングし柔らかい効果を出す
 Fオイルパステルとテレピン油のウオッシュ
 ・キャンパスにパステルの腹を使って色を均等に塗り、キャンパスの凸部だけ軽く塗る
 きれいな筆とテレピン油でその色を溶かし凹部に拡げる
 そのうえにさらにパステルのトーンを加えることもでき鮮やかになる
 Gスポンジ画
 ・湿ったスポンジで濃い絵の具を押しつけ、キャンパスに軽く叩きつける(柔らかくなすりつける)
 濡れているウオッシュにきれいに湿ったスポンジを押しつけて色を吸い取り微妙なテクスチュアをほどこす
 ・人造スポンジは均一で密なパターン 最初に暗い層を塗り乾いたらその上に明るめの色を部分的にかける(雲や海の泡沫)
  天然スポンジはまだらなパターン 岩、崩れた石、海岸の小石、砂、海の飛沫、木の葉群
 Hステイニング(染め) 濃い不透明の色の代わりに薄い顔料でキャンパスを染める
 ・適切なメデイウムを使ってチューブの絵の具を薄い流動的な濃度に薄め、それを直接キャンパスに注ぐ
 スポンジを使って色をキャンパスの織りの中に入れ込んでいく
 完全に滑らかで均一な仕上がりができる、絵の具をいろいろな方向へ塗ると荒削りにもできる

 (テクスチュアのある描法
 @絵の具に砂を混ぜる
 ・粗い建築用砂をよく混ぜてナイフで強くキャンパスの織りの中まで入れる
 最初の層ができるとさらにナイフで絵の具を加えてインパストを厚くする
 ナイフで畝をつくってもよい
 A櫛を使う
 ・ガッシュの厚い層を髪櫛で跡をつけて立体化する
 Bアルミホイルを使う
 ・濃く粘りのある絵の具をアルミで強く覆い、ホイルを剥がすと盛り上がった模様ができる
 この後に乾いたら上塗りや渇筆を施して強調することができる
 
事例研究
 1)岩肌の質感を表現する
 ・細かくけずった柔らかい3B程度の鉛筆で描く
 ・メスを使って塗った絵具の表面を線的にはぎ取る(スグラフィート)
 ・塗ったばかりの絵具の上に、しわくちゃにしたテイッシュ・ペーパーを軽くこすりつけて絵具を拭き取る
 ・毛の硬い筆に薄めた絵具を染み込ませて、キャンパスに向けて撥ねかけて斑点模様を出す

 2)海の波を表現する
 ・チューブから直にホワイト絵具をキャンパスに塗りつけ光の反射・分散をさせる(指でこすってぼかしてもよい)
 ・イエローのオイル・パステルを点描的に加味して海のブルーを際だたせる

 3)髪の質感を出す
 ・乾いた絵の絵具の上から鉛筆を使う、鉛筆・ペンのみならず筆による線描もある
 ・髪のハイライト部を鮮やかな色で描く(例:マゼンダなど)

 4)集団画(家族みんなの肖像画など)
 ・3Bの鉛筆などで画用紙に詳細な下絵を描き、この下絵を碁盤目状に分割し、一つの升目単位で同じ鉛筆でキャンバスに転写する
 ・ドラフテイング・フィルムを写真の上にかぶせ、それをもとに下絵を描き、オリジナルと同じ升目の碁盤目を引いて転写する

 5)人間の顔を描く
 ・肌色はバーントシェンナとホワイトを混ぜる、暗い部分は少量のウルトラマリンを混ぜる、明るい部分はカドミウムレッドを混ぜる
 ・眼のくぼみや髪、髭の影部はローアンバーを使う
 ・目を半分閉じて顔を眺めると顔の微妙な明暗の違いが分かる
 ・イエロオーカー、ベネチアンレッド、ホワイトの混色で肌色をつくる 鉛筆で描いた上をボロ布でなぞる

 @デッサン
 ・形を大きく把握して細部にこだわらず軽く描く 手などは指まで描かずかたまりとして描く
  目や鼻は無視して大きな卵形のかたまりとして描く 水平・垂直の基準線を引きその上に目や鼻をのせる
  目の高さと鼻の高さを一致させる 耳は四辺形に置き換えると描きやすい
  指は親指だけが反対方向で、他の4本は1枚の板として考える
  木炭は長く持つと全体を見やすくなる 色鉛筆・コンテでもよい
 ・小さなキャンパスで下絵を描いてもよい 

 A下描き 
 ・顔の向いた方に余白を多くする、顔の傾きは内面を表す
 ・木炭デッサンをフィクサチーフ(定着液)でとめたあと、薄めた油絵具(イエローオーカーが主)で最初は主役の顔から胸→胴→脚→頭部の髪と描く
  バック(周辺部)から塗り始める方法もある 絵具が厚すぎたら布かナイフで拭き取る 薄い絵具を何度も塗り重ねる
  衣装や髪は思い切りよく描き、顔の微妙な複雑さはていねいに根気よく描く 髪型でイメージが大きく変わる
  衣装は肌に接した明るい部分から塗り始める 鮮やかな色から先に描き黒い地色はその後で埋める
  肌の色は単純なジョンブリアンではなく混色する
  木炭の上を油絵具でもう一度デッサンし直す気で線描き・修正する
  下描きの溶き油は揮発性のテレピンかペトロールを使う
  バックは黄色系に青みを加えると落ち着きが出る
 ・次に少し濃いめの色で全体のバランスを念頭に置いて各部分を強めていく

 B描き込み
 ・濃い絵具で部分(顔・髪・胸・肩)をたっぷり絵具を重ねきちんと描き分ける 明暗のハッキリしたところをナイフで塗る方法もある バックをハッキリさせる
  肌や髪は固定観念でない色彩を自由に使う(髪は絶対に黒色を使わない こげ茶+青色) 量感を絵具の厚さで表す
  溶き油は乾きが遅いが艶があるポピーかリンシードを使う 溶き油の量は次第に少なめとなる
  バックの調子に変化をつけて奥行きを出す

 C仕上げ
 ・もう一度キャンバスを離れてバランスを修正する 細部・デイテール(眼・口・乳首)を細筆で描く 衣装の模様もこの段階で入れる
  髪は風に揺れるようにソッと置く 髪のほつれ毛を正確に描くと髪の毛と首の量感が際だつ
  乳房のハーフトーンやひざなどの肌色に青色を入れると肌が生き生きする
  髪は軽く勢いのあるアッサリとしたタッチで軽快に描き、肌は中味のつまった厚いタッチにする
  わずかな余白や周辺部分も手を抜かない

 6)静物
  @単純に注意深く組み合わされたグループ(ごく普通にあるものを少数)
  A背景色は主題を浮き立たせる中間色が最適(描くグループが明るい場合は暗い色)
  B厚紙を描く絵と同じ大きさで切り取りそれを通して対象をみると構図がハッキリする
  C画面中央よりやや右に興味の中心を置く(人は本能的に左から右へと観るから)
  D側面から指す単一光源から光を選ぶ
  E全体から個々へ進み細部やハイライトは最後に残す

 写実に陥らず花の根本をとらえる(微妙な色の効果で奥行き、神秘的はかなさをだす)
 早花弁一枚一枚にこだわらない
 花のグループをよく観察し最も光があたっている1,2の花をとらえ鮮やかな澄んだ色とハッキリしたエッジで強調する
 他の花はエッジを和らげ色を弱くしてじょじょに背景に埋もれていくようにする
 花瓶は補完的であり部分的に隠して脇役を演じる
 @薄い層から始め重ねていく(最初に濃くすると乾きにくい)
 ・輪郭をスケッチしたら中間色で明暗を塗り分ける
 ・主題の色を単純化し、各色は明・暗・中間の3つのトーンで描き分ける
 ・細部は後に残し主要部分の固有色を塗る
果物、野菜
 影を黒で描くのは間違いで、影はそれぞれのものの補色を含んで次第に冷たい色になる(また近くの色の反射を受ける)
 ハイライトは白ではなく光と他の色の影響を受ける
ガラス
 ガラスは周囲のものの色を帯びるが、反射対象を描く場合は背景の色を先に描く、対象に映っているどんな形の歪みも注意深く描く
 細部が少ないほど表現が豊かになる(必要なトーンとハイライトだけを塗り線は明確にブレンデイングは少なく)
 純白のハイライトはない
 @アイボリーブラックとチタニウムホワイトに少量のコバルト・ブルーを混ぜて背景とする
 ウルトラマリンと黒テンの筆でハッキリと軽くグラスの形を描く(口の部分の線と楕円は正確に)
 Aグラスに輝きをつけるハイライト(チタニウムホワイトを黒点の筆につけグラスの橋や脇に塗る)
 暗いハイライトはチタニウムホワイトとローンアンバーの混合色でグラスの曲線を施す
 Bチタニウムホワイトとアイボリーブラックの混合色で影を描く
光沢のある金属
 影やハイライトを混乱させないように上からの光を控えめにし、代わりに単純な明暗を生む横からの強い光を選ぶ
陶器
 ブレンデイングのし過ぎに注意、生き生きとしたストローク
 絵の具は薄く微妙なトーンの変化と光を含む影と反射光
 明るいトーンは厚いインパストで

 複雑な襞のある模様付きの布は小さい部分毎に分けて、明暗をよく観察し動きのある感じを出す
 複雑な襞のある白い布は影の暖かいトーンと冷たいトーンを少し誇張する
 <襞のある布1>
 @ローシェンナの薄い層を塗り、乾いたら平筆を用いて薄めたローンアンバーで主要な襞とトーンの部分を描く
 (暗いトーンはローンアンバー、中間はウルトラマリンとチタニウムホワイト、明るいトーンはチタニウムホワイト)ト
 A地塗りの中間トーンが少し覗くようにウルトラマリンとチタニウムホワイトの緩いウオッシュをかける
 <襞のある布2>
 @布の縁の線を明確にするためにマスキングテープ使用
 <模様付き布>
 @デコレーターブラシで幅広ストローク(模様は近い色で単純化)

 写真的正確さで描かない、大胆に描き細部は最小限に、ハッキリと単純に
 晴れた日の海は空の青さを反映し、嵐の日は灰褐色、水中の藻・雑草が予想外の緑や茶・オーカーを加える
 <流れの速い水>
 一番波立つ小波や波立ちを素速く断固としたストロークで
 @剛毛の平筆でペイングレーとウルトラマリンで暗い小波を塗る
 Aウルトラマリンと白の混合色を交差するストロークで塗り、明るい小波をかたどり、最後に波立った白いハイライトをつける
 B15分ほど乾かしデコレーターブラシでブラシをかけるように軽くブレンデイングする
 <静かな水>
 @ウエットインウエットで塗ったフラットウオッシュ
反映
 ある角度で傾いているものは同じ角度で傾いて映り、向こうへ傾いているものは短く、こちらへ傾いているものは実際より長く映る
 崩れた反映は静かな水面の反映より長い
 柔らかい丸筆で揺れ動くストローク

 写真ではなく光景全体の印象をとらえる 現場でアラ・プリマに描く 
 色に気を配る 飛沫は夕焼けなどはピンクを帯びる
 どの色でも平らなモノートーンでは塗らず微妙な変化をつける
 @チタニウムホワイトにブルシアンブルーを混ぜたトーンで地塗りする
 小さなデコレータブラシで絵を厚く局sねんてきストロークで塗る
 海はブリシアンブルー・フーカーグリーン・カドミウムイエローの混合色を断続的ストロークで塗る
 A砕ける飛沫はチタニウムホワイトを少量のメデイウムに混ぜ重いインパクトのストロークで根元を塗る
 すばやくデコレータブラシで擦りぼかす
 B飛沫の上端にペインテイングナイフで長い断続的ストロークでチタニウムホワイトを塗る
 Cデコレータブラシを使ってチタニウムホワイトを打ち砕ける飛沫にスプラッタリングして飛び散る飛沫を表す

 筆のストロ−クで波の本質的な動きだけをとらえる
 さまざまなトーンのペイングレー、ウルトラマリン、バーントアンバーを同時に画面につけ、ウエット・インウエットで混じるようにする
 きれいな濡れた筆でいくらか色を吸い上げ飛沫の感じを出す(不透明な白をスプラッタリング)
天候の効果
 分析的な思考を捨て感覚に鋭敏に反応する、普通にはやらない技法を試す
 <霧と霞>
 朦朧とした感じはウエット・イン・ウエットのブレンデイング(中間的なトーンから始めて暗明のトーンへ進みエッジを互いにブレンデイングする)
 数少ないストロークを指で擦する
 非常に薄く溶いたロー・アンバーのトーンつき地塗りに、風景の和らげられたトーンや色を繊細な擦りぼかしで施す
 絵の具の乾く前に新聞紙でトーンキングをする
 霧は背景の薄いハッキリしないかたちから始め、じょじょにトーンを暗くし、前景は暗いトーンのアクセントやハッキリした部分を含める
 (背景は弱く霧が濃い感じで奥行きと神秘性をもたらす)
 @剛毛の筆でカドミウム・イエロー、チタニウムホワイトにアイボリーブッラクを少量加えた薄いウオッシュで風景の主要な輪郭を描く
 最も遠い木からアイボリーブラック、チタニウムホワイト、ローアンバーの冷たい混合色で描き、次の木の層はローアンバーを加え、チタニウムホワイトを少なくして少しくらいトーンで描く
 A前景に近づくとより濃く暖かいトーンで塗り、一番前景の木はサップグリーン、ローアンバーにアイボリーブラックを少し加えた混合色で塗る
 B各面のエッジは前の面にウエットインウエットでブレンデイングする
 C最後に前景の野を大きな豪もの筆で強い擦りぼかし野ストロークで塗る
 D絵がまだ濡れている打ちに絵全体をトンキングすると霞がかかった感じになる

 斜め下へのストロークで降る雨を示す、雨粒は無視して画像を少し滲ませる
 屋根や道の濡れた感じはここを非常に明るいトーンで塗り空は対照的に暗く塗る(道にある木々や建物を写す水たまりも雰囲気が出る)
 支配的な色は灰色だが、青、赤、黄色のさまざまな組み合わせで変化を与える
雪と氷
 空の色や周りの色を反射して純粋の白はない
 必ず明るい色から始めじょじょに冷たい色を加える
 降る雪は背景の画像の細部をぼんやりしたシルエットにする(点描、スプラッタリングが効果的)
 @セルリアンブルーと白で空と丘の基本色を置き、セルリアンブルーに白と黒を少し加えて長い影を描く
 A影の中間的なトーンを薄い青の混合色で加える
 B雪片を示す白い絵の具のスプラッタリングを前景に施す
 Cふわふわした雪の感じはヘシアンクロスを支持体にテーピングしよく絵の具をつけた筆で布に強く押しつけ、ヘシアンクロスを静かに取り除くと柔らかいエッジの厚塗りでよい結果が得られる、絵の具を塗りすぎたらボロ布で拭き取る
 Dデコレータブラシでくらい木江の具の上に雪を擦り拡げて巻き上げられた雪を表す
明るい陽光
 秘訣は影にある(影を全毛に伸ばし小さな明るい部分を中央に置くと効果がある)
 光があたる対象の固有色を光が帯び、暖かいトーンとなり、逆に影は冷たいトーンとなる
 さまざまなところに対象同志の色が反射し合うので注意深く描く
 影は薄く、明るい部分は厚いインパスト
荒れた天候
 地平線を低くすると劇的な荒れた空が際だつ

 7)魚の地肌を出す
 ・とかした絵具を硬い豚毛の筆に含ませ親指で毛をそらして弾力で画面に跳ねかける
 ・細かいペインテイングナイフを使って絵具の小片を塗りつける

 8)スケッチ
 ・木炭で輪郭線を描き、オイルパステルでその線をなぞる

 9)光を描く
 ・網や噴霧器を使う
          
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