21世紀へのメッセージ・2002/12/30〜2003/9/11 第4エッセイ集(トップページへ戻る)

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[ファッシズム前期にある現代日本ー石原慎太郎の暴言は分水嶺だ]
 建国義勇軍国賊征伐隊を名乗る人物が外務省高官の自宅に爆発物を仕掛けた事件に対して、石原東京都知事は「爆弾仕掛けられて当然だ」と聴衆に向かって暴言を吐いた。彼は公然とテロリズムを容認し、家族と近隣の市民を含む殺人を肯定したのだ。外務省の外交路線に対する意見の違いを暴力的な脅迫と殺人によって自説を通す手段を教唆し、テロリスト集団を支援し激励するという殺人幇助罪に値する言動をおこなった。彼は今までも女性差別や外国人蔑視につながる発言を繰り返してきたが、今回は明らかに殺人に荷担する発言を公的におこなったのであるから質的に重大な意味を持つ。
 都民の生活の安全に最高の責任を持つ都知事が、意見が違う相手は殺してもいいと云ったのである。石原慎太郎という人物に基本的に民主主義を語る資格がないことが明白となり、もっといえばファッシストとしての本質を露わにしたのである。直ちに発言を撤回し辞任すべきである。しかし彼は今日も公衆の前で恥じることなく演説をおこなうという破廉恥極まる振る舞いに及んでいる。本日の全国紙の朝刊の一面には事実の報道はあるが、彼を正面から批判する記事は見あたらない。ジャーナリズムを含めて恐るべき人権の感覚の頽廃が進行している。殺人を教唆する公職者を断罪できない日本になってしまったのだ。しかも彼に対する一定の支持率の高さは大衆演劇のようなパフォーマンスによるポピュリズム・大衆扇動家のレベルでしか、日本が動いていないことを暴露している。私は戦後民主主義の洗礼を受けた日本の民衆の理性的な判断を最終的に信頼するが、事態はすでにかなり深い部分で日本を陵辱するところまで進展していることを自覚せざるを得ない。結論的に云うと、日本はファッシズム前期の段階に入りつつあると規定しなければならないのではないか。
 現代のファッシズムは非常に複雑だ。戦前期の暴力主導型のグループもいれば、スマートでソフトタッチの者もいる。少し前まではこの2つのグループの境界線があって、後者は前者を軽蔑していた。ところが石原都知事の場合はこの境界線がないまま大衆の支持を得ている面があってこれが薄気味悪い。どうしてこのような時代状況がもたらされたのであろうか。第1は9.11以後の米国の国内の雰囲気に似たような気分が米国より少し遅れて日本に蔓延し始めた。テロの攻撃に現実感を抱くなかで内向きの団結が強まり、異質な他者に対する想像力の欠如と排除の指向が生まれている。第2は底知れぬ大不況と構造改革で300万人を越える失業と13000人を超える自殺者が象徴する不安心理の蔓延が、強いポーズをとる強力な指導者にたいする苦し紛れの期待感を生んでいる。自分たちを痛めつけている元凶を逆に進んで支持するというパラドクシカルな状況が生まれている。第3に時代を超えた日本的思考様式である大勢順応主義−次々と成り行く論理の流れに身をゆだねて自らの頭で思考しない多数追随主義だ。 
 石原発言が国家的に、国民的にどう処理されるか−現代日本の民主主義の帰趨を決する分岐点になろうとしている。ひょっとしたら取り返しのつかない分水嶺を越えようとしているのではないか。(2003/9/11 22:08)

[天に根ざす者は地に平和をもたらさない]
 スペイン詩人ブランコの言葉−人間同士なら敵とでも妥協と交渉が可能だが、理念を前面に掲げる限り合意は永遠にあり得ない。いかに高尚な理念を掲げても戦争は結局人を殺すものだ。ネオコンが支配する米国とイスラム原理主義に妥協の余地はない。どちらかが降伏するまで(死ぬまで)衝突は続くだろう。こうしたア・プリオリな理念と信条で異質な他者と向き合う限り、地上での争闘はなくならない。異質な他者との共存の方法として見いだされたはずの民主主義のイデーは、いまや強制と独裁の反語としての頽廃的な姿をまといつつある。民主ではなく、何らかの権威・権力の支配とそれへの依存の無制限の進行は、民主の核たる思考の自由を喪失させ、伸びやかな・溌剌とした頭脳活動を奪いつつある。
 こうしたシステム以前の主体の変貌がもたらした事実の前線は、恐るべきソフトな独裁に転化する危険性がある。それは反独裁の内部にも同じような垂直の思考停止と依存の傾向が浸透し、むしろそれを良心への忠実な証として自己陶酔する無惨な主体の喪失が蔓延しつつあるからだ。かすかに残された良心の痛みを覚えても、それを対自化するリスクにおののいてセイフテイゾーンを生活の名において選び免罪する。または逆に孤立の道を選んで純化すればするほど、殉教者の自己陶酔に身を投げて冷徹な思考を忘れる。自爆テロがほとんど年端もゆかない少年の自己犠牲において繰り広げられ、華麗な追悼のセレモニーによって宣揚される背後で、実は頽廃した指導者層が権力を駆使して安座している。
 成熟した先進諸国では、良心の痛みは豪華な夕食の中で語られ、自らの共犯構造に思い及ぶ思考の自由はない。どこかに安穏へのファッシズムが静かにソフトに浸透し、臨界点に達しつつある瞬間に最後の抵抗線を引けばいいとして引き延ばし、客観的には重層する共犯構造を無意識のうちに構築している。問題はグローバルな時代認識を自らが生活するその現場でローカルに活かし得ているかどうかだ。100万人といえども我れゆかん−というヒロイズムが氷のような冷徹な知性とドッキングしなければ切り開け得ない難関に直面している現代に、常に具体を具体として一歩前に進める手触りのある作為におのれを再設定しなければ手遅れとなる時が近づいている。(2003/9/10 21:33)

[蛍の光窓の雪・・・・・・・]
 来年の3月1日の卒業式には、また全員合唱の蛍の光が歌われ、私は来し方、行き末を思って一筋の涙をこぼすに違いない。蛍雪とは、晉の車胤が貧乏で油がないために蛍を集めてその光で読書し、孫康は窓の雪に照らして読書したという故事から学問にいそしむことをいうが、原曲はスコットランド民謡のバーンズ作詞「楽しかった昔Auld Lang Syne」で別れの歌として歌われたが、明治時代に小学唱歌集に入ってから日本で普及し現代に到っている。
 さてホタルの光は求愛のサインだ。光の色や光る時間の長さ、点滅の間の取り方によって種の違いが分かる。同じ種は同じ光り方をするので、仲間の雄と雌が幸福な出会いが可能となる。ところがフォツリス種の雌は他の種の雌の発光を上手に真似るので、それと知らずやってきた他種の雄を食べてしまう。ところがフォツリツ種の雄も他種の雄の発光を真似るので、なんと雄は自分を獲物だと勘違いして近づいてきた同種の雌を捕まえて強制交尾してしまう。こうした騙しの技術を持つホタルはすべて北米産だ。私はこれを持って米国が騙しの技術で国連をおびき寄せようとしているなどと云うつもりはありません(イヤほんとうはそう言いたいのです)。ホタルと言えば、映画「螢川」(原作宮本輝)でほのかな慕情を交わす青年男女が乱舞するホタルの荘厳な美しさに戦いてしまうシーンを想い起こす。映画より原作の表現が圧巻であった。いまや蛍の光は環境保護運動の格好の対象になるというまでに汚染が進んでしまったが、あの夏の夜の闇を妖しく瞬く美しさを知らない人間がこれから増えていくのを思うと哀しい。まさに生命と生命が出会う瞬間に於いてのこの世の最後を掛けたいのちの燃焼と消えゆく姿ではないか。
 いのちについて、人間のいのちについて2つの事例をあげよう。赤ちゃんは生後2−5日で母親が話すのと同じ言語を他の音と聞き分けるレベルに達しているそうだ(日立基礎研とイタリア国際先端研の共同研究)。近赤外線で頭皮に光ファイバーで透過性の高い光を当て脳活動を直接観察すると、脳の血流の変化を調べる光トポグラフィー装置で、録音テープを聴かせると、普通に話した時のみに左耳の上辺の脳の血流が活発になることが分かった。言語機能は生まれた時から左脳が優位であり、明らかに赤ちゃんは母親の胎内にいる時から聴覚が発達し母国語を識別できるようになっている−という結論を出した。胎児の時からすでにヒトは言語を持つ人間でありはじめているのだ。しかしインドで発見されたオオカミ少女は、最後までオオカミ語を話し人間の言葉を習得することはできなかった。ここに人間の偉大と悲惨がある。人間は人間になることもできるし、オオカミになることもできる。その決定的な条件は、かれが人間らしい環境に置かれて知性と愛情に包まれて育ったかどうかだ。
 ところがこの世には人間を殺すことを専門とする職業がある。それが日本では自衛隊と呼ばれている軍隊だ。殺すために生きていることを納得するのは基本的に矛盾している。ここ数年自衛官の自殺者数が激増している。1993年〜2002年の10年間で601人が自殺している(防衛庁公式発表)。最高は2002年の78人だが、今年はすでに23人と発表されており年度末には100人を超えて最高になると予測されている。原因は、病苦3・借財6・職務3・その他不明11人と発表されているが、実際には陰湿なイジメとノイローゼが主な原因だ。一般的には自殺者の3倍の予備軍がいると云われるから自衛官の意識は相当な問題性をはらんでいる。なぜイラク人を殺しに行くのか、なぜイラクで自分が死ぬのか−本当に信念を持って答えられるヒトは少ないだろう。
 すでにホタルが乱舞する夏の夜は去ってしまったが、人間のいのちがあちこちで虚しく消え去ろうとしている。(2003/8/9 21:12)

[人間のつくる社会は進歩しているのか(1)]
 戦争が絶えない世の中を見ていると、一体人間の社会は進歩しているのか−といささかニヒルな考えに襲われる。では進歩とは何かについて考えるために、最初に地球生命の進歩=進化について整理してみたい(当然進歩と進化はイコールではないが)。進化論のダーウイン的パラダイムは、偶然に生じた変異に自然選択が働き、環境に適応したもののみが生き残って子孫を増やすことで進化が起きるとする。ダーウイン批判を類型化して考えると、@進化する単位は個体ではなく種である(今西錦司)A生物界は共生と棲み分けがあり必ずしも生存競争のみではない。@は現代進化論は遺伝子を単位とするから個体か種かという論議は無意味となり、生存競争は正しくは生存への奮闘であり、共生も棲み分けもその一形態である。Streggle For existenceを生存競争と訳すのは誤訳である。生存競争という語は、強くて優秀な個体が生き残るという考えを前提にするが、そうではなく環境に適応したものが生き残るという意味で弱くて劣等な種が生き残ってきた場合もある。B適者生存説は間違いで生き残った種が環境に必ずしも適応していない場合もある。C環境に適応する器官が偶然に発生するとは云えないD段階的進化論は、途中の中途半端な生物は淘汰されるから誤りだ。或る途中の器官は複数の機能を重複して個体維持を促進するのであり、たとえば恐竜に羽根が生えて将来鳥類に進化する場合の羽は体温保持と飛翔の2つの機能を持っていた。E連続性仮説は誤りで断続平衡説が正しい−進化は等速度の漸進的な過程ではなく長い停滞期と短い変革期から成り立っている。このダーウイン批判は正しい。古生代の寒冷期には既存種が大量に絶滅し、新種の適応放散が一定周期で起こるが、その間の種の変化は少ない。F進化は偶然では起こらない。ダーウイニズム最大の難問は、遺伝可能な差異がいかにして生じるかと言う問題だが、1885年のワイズマン実験で獲得形質の遺伝は否定され、1901年の遺伝子突然変異のなかで遺伝可能な獲得形質が発見され(ド・フリース)、ネオ・ダーウイニズムの総合説がでてくる。この考えの問題は、高等生物のDNAの1つの塩基の突然変異率は10億分の1であり、奇跡的な数字になることだ。しかしDNA全体の変異は、哺乳類のゲノムあたりのヌクレオチド変換は2年に1回の高速度である(木村資生)。木村の中立説は、表現形質として出現する有害な突然変異遺伝子が微弱な場合、環境の変化によって優位になる場合があり種は平均を変えてその跡を追うという。
 従来の総合説は、遺伝情報はDNA→RNA→アミノ酸合成と一方向の翻訳であるセントラルドグマが主流であったが、RNA→DNAに逆転写するするレトロウイルスが発見され俄然ウイルス進化説がて登場したが(1971年中原英臣・佐川峻)、この説は学会では受け入れられていない。レトロウイルスが宿主を殺さないで擬似遺伝子を子孫に残すならば負の選択圧を受けることなく寄生が続きその末裔がトランスポゾンとなる。この説は社会システムの進化を説明するモデルとして有効性はあるだろうか。

 生体内でタンパク質を合成する権力を獲得している保守的な遺伝子に対して、疎外されている擬似遺伝子と権力獲得を狙っているウイルスが次世代のタンパク質合成の革命的主体として存在しているというアナロジーだ。断続平衡説のように、人間世界では長い安定期では指導者の世襲など中心の同義的な置換と周辺でのマイナーな改革があるがシステム自体の変革をもたらす表現形質の変異は見られない。しかしひとたび環境の変化にシステムの維持ができなくなると、中心から周辺へ主体が移動して革命が誘発される。マルサス人口論では、食料は算術級数的に増え人口は幾何級数的に増えるから余剰人口の希少資源を巡る闘争が起こりその勝利者が適者生存する。アダム・スミスの見えざる手は、個人が私益を無制限に追求すれば結果的にうまく調整されて公共益を実現するが、生物も各固体が生存の努力をしていれば自然選択という見えざる手が作動して新しい種が誕生するということになる。自然進化を社会進化に直結することは或る警戒が必要だが、情報をコード化するメデイアが言語か遺伝子かという多くの類似性を持っている媒体であれば、同じモデルで説明が可能な要素はある。これが社会ダーウイニズムだ。複雑系理論では、一般的にシステムは増大した複雑性を縮減することで進化するが、システムの周辺で多くの未来設計図の予備軍が蓄積され、選択可能性が著しく増大した時に、環境に適応しない設計図の候補から自然選択によって淘汰が進行し、複雑性を縮減しながら進化が進む。但し人間社会は意志や価値観とか規範を持った相互作用の体系であり、自然界のような盲目的な変化ではないから単純に適用することはできない。次回は社会における進化(進歩?)について考えよう。永井俊哉・縦横無尽の知的冒険参照。(2003/9/7 6:31)

[戦争の民営化]
 イラクに駐留する米軍は、物資の輸送や宿舎・道路・空港の整備などの後方支援をすべて民間企業ケロッグ・ブラウン・アンド・ルート社(Kellogg Brown &Root KBR)に委託している。この会社は、チェイニー副大統領がCEO(最高経営責任者)をやっていたハリバートン社がイラク関連でつくった小会社だ。KBRの委託事業は、兵舎の準備・清掃・郵便配達・港湾整備・油田の再開工事・遺体輸送その他を受注している。
 米国の戦争経済の構造が象徴的に現れている。政府の戦争予算を集中的に政府関係者の関連企業に発注し、戦争を通じて最大限利潤を追求する構造だ。ところがKBRは保険料がテロで上昇して3〜4倍に跳ね上がり作業員の危険が増大して利益が出なくなったことを理由に、委託された後方支援事業をストップしたため、米軍兵士の水不足と食糧不足が深刻化し、遂には従軍記者を動員して宿舎建設にあたった。KBRの委託事業の社員一人が郵便配達中に攻撃を受けて死亡するという事件が起こりマヒしてしまった。米軍兵士は、 50度の酷暑の中で1日に1.5lのボトル2本の水しか装備されず、開戦から5ヶ月間はアルミパック入りの携帯用軍用食で過ごした。占領地の子供たちにスナック菓子を与えた湾岸戦争とは大違いで、自分たち自身が飢えに耐えなければならない。水分の不足は、熱射病を誘発し、1日最低必要摂取量3ガロン(約10l)の1/ 3というレベルである。国防総省は、特別危険手当と家族手当の増額分を1人当たり月額250−475ドルを上乗せしたが、これは最初だけでいまは予算切れで支払われていない。米軍専門紙アーミータイムスは、高級軍人は厚遇するが下級兵士の昇給はほとんどない、軍人の減税が少ないなど激しいブッシュ政権批判を展開している。
 米軍の兵站活動を民間企業がになうようになったのは、1985年にLOGCAPという委託プロジェクトがはじまり、ソマリア(1992年)やコソボ(1999年)等で莫大な利益を上げ、CEOのチェイニーが副大統領となったイラク戦では入札すらおこなわない汚職の構造を呈した。ラムズフェルド国防長官・ウオルフォウイッツ国防副長官等ネオコンは、米軍の効率的精鋭化に向けた業務の民間へのアウトソーシングを推進し、結果的に国防総省上層部で年に1兆円の使途不明金が発生し、企業は栄えたが戦場での兵士は最悪の事態が誘発された。国防総省は、財政的に最悪の事態となり、前線での兵站が挫折したのである。
 ここまで書けばすべてお分かりであろう。米軍の混乱している兵站活動を後方支援する日本自衛隊は、米国の民間企業に替わって無償で最も危険な活動を展開することになる。米国は自分でうまくゆかなくなったので、同盟国を動員して自分の齟齬を上塗りしようとしている実に軽蔑すべき汚い戦争を遂行しているのである。(2003/9/6 14:22)

[ブラジャーの変容は女性の自立を象徴するか]
 かって巨乳とかFカップと言われたバスト用語は男性から見た視線であり、それを意識する女性も狂ったようにバストのボリュームアップに狂奔し、ブラメーカー・ワコールはグッドアップブラとかキメブラなどそれに応える商品を販売して市場を拡大した。ここにきて同社は戦略を転換し、はずしたくないほど快適に感じるブラやセミオーダーできるブラを売り出してヒット商品となっている。すると各社争ってつけ心地重視の夢見るブラ(トリンプ)、コスメテイック(高島屋)、ファインクエスト(グンゼ)などを売り出し、不況の影響で99年以降下降線をたどってきたブラの販売数は増勢に転じている。この背景には、男社会の中で男の視線を浴びるためのアピール性を高めるボデイファッションが、やっと虚飾を去って自分自身の快適性を重視するファッションへと転換していることがある。その根底には、男社会がゆらぎ始め、女性の社会進出に伴う自立意識の上昇という意識変化がある。逆にいうと、男性もただ大きいだけでは魅力を感じない対女性観の質的な変化が生まれ始めている。以上のようなファッション評論家の言説があるが、しかし本当にそうか。
 確かに男性中心社会は制度的にはゆらぎはじめているが、基本的には社会の中枢は男性が支配権を維持し、賃金で云えば100:61の格差は縮小していないばかりか実質的には拡大しつつある。制度的には平等原理が進んでいるが率直に言って女性の意識が追いついていない。仕事における女性の発言権が弱いことの一つの要因は、女性自身に男性依存の暗黙知があるからだ。従って快適ブラへの転換も、、恒に差別化商品を創出して市場拡大を図らなければならないメーカーの商品戦略の側面が強い。こうした二重性をはらみながら歴史は前に進んでいくのであろう。
 これは米国のイラク戦略の変貌に酷似している。国連をこけにしてイラク攻撃をおこない、占領に入った瞬間に米国(男性)は弱者イラク(女性)の無差別テロの反撃にあって困り果てたあげく、かってバカにした国連に助けを求めていくという無惨な姿をさらけ出した。米国の視線を意識した同盟国である日本は、一生懸命バストのボリュームアップに努めて応援軍を送ろうとしたが、イラクのテロに怖じ気づいて一時派遣を見送り、ボリュームアップブラとともに人道支援という快適ブラも用意し始めた。これを米国から自立し始めたしるしだと評価したらとんでもない間違いだ。つまりイラク問題もブラジャーの変容という風俗も、原理的には商品戦略の差別化という点で通底しているのだ。
 スバル自動車の新車New IMPREZAの全面広告は、現代社会の或る価値観を見事に象徴している。髪を真っ黄色に染めた歌舞伎役者2代目中村獅童を登場させて、そのキャッチフレーズが「正当派異端系」となっている。つまり先行き不透明な大不況のなかで、大胆に革命的な転換をはかる生き方はリスクが多すぎるのであくまで正当派(走りの血統重視)でいたいが、それだけではクルマの魅力はないから少しだけ刺激的な異端派のイメージで自分らしさを強調したい。世の中全体を変えるのは勇気がいるが、黄色い髪程度の異端は少し刺激的な安全があると言うことだ。スバル自動車のコピーライターは、そこをうまくついている上質のマーケテイングを打ち出したのだ。ところがどっこい、それが実は甘いのだ。民衆はもはやこの程度の刺激では満足しない。抵抗勢力を果敢に撃破するライオンヘアーに熱い眼差しを注いでいるのは、そこにある種の革命的なメッセージを感じているからだ(イワユル、カッコイイ)。従って結論的には、いい線を打ち出したが中途半端に終わっているニューインプレッサは思ったほど売れないだろう。そして快適ブラもそのうちあきられて、またファッショナブルなブラ戦略に再転換するだろう。そして米国とそれに追従する日本のイラク占領政策も失敗に帰するだろう。残暑厳しいなか少し涼しい風が吹く中途半端な晩夏の夜の夢想から。(2003/9/5 23:36)

[街中に防犯カメラが張りめぐらされる日本とは−究極の監視社会は下からのファッシズムにより完成する]
 東京都千代田区は全国トップを切って路上禁煙を実施し、歩きタバコとポイ捨てを禁止し、街がきれいになったと区民の88.2%が歓迎している。この千代田区生活環境条例は、安全環境の整備に向けてじつは憲法上の人権侵害にあたる努力項目を決めている。その一つが、防犯カメラの設置の努力義務規定であり、共同住宅・大規模店舗・その他不特定多数が利用する施設では防犯・監視カメラの設置を求めていることである。防犯・監視カメラは、警報装置とは基本的に異なり犯罪に無関係の一般市民を監視し、その行動をチェックすることになる。第2にのぼり旗・置き看板を路上に放置することを禁止し、街頭宣伝も規制するとなっている。
 確かにこの条例によって嫌煙派は救われ、ケバケバしい宣伝物が街から姿を消し、きれいで清潔な街が生まれるだろう。しかしそこには電柱ごとに静かに警察署と連結した監視カメラが作動している。市民のプライバシーはなくなり日常の街頭での行動はすべて警察が把握している状態となる。環境美化の名目のもとで、市民の基本的な人権は実質的に機能しなくなる。これをしも環境ファッシズムと呼ばずして何がファッシズムか。かってナチスは、異端者排斥の野蛮な行為と並行して環境美化運動を推進し、見事なドイツの町並みが実現した。但しそこには鍵十字のハーケンクロイツが君臨し、一切の批判勢力は声を潜めて潜ってしまったのである。
 現状では路上禁煙のみがクローズアップされているが、その裏では市民の圧倒的な支持を得た形でソフトなファッシズムが進行しつつある。市民の正常な不満と要求の一部を取り上げる形で、じつはもっと大切なことを剥奪する事態が進行している。民主主義は日々の人民投票によって保障されるが、逆に民主主義は自らの中から独裁を生み出すパラドックスをも秘めている。いま全国に展開中の生活安全条例(生活環境条例)はこういった本質的な問題性をはらんでいるといえよう。
 なぜこうした新しいファッシズムが進展しているのであろうか。その根本的な原因は世界資本主義の破局が現実に迫りつつあるということにある。9月3日の世界銀行『2004年世界経済の展望』は、@イラク復興の不透明性A中国のSARS再発B米国の巨額の経常赤字の3つのリスクによって、世界の3年度実質GDPは2.0%にとどまるとし、日本の04・05年度GDPは1.3%で低迷すると予測し、世界の成長率は4年度3.0%→5年度2.9%と低迷していくとしている。これが最良の予測値であるから、経済運営に失敗してリスク回避が不可能となれば最悪の世界恐慌というというケースもあり得る。米国経済に依存している率が最も高い日本経済が深刻な打撃を受け、その場合の国内秩序の崩壊は予測しがたい。こうした危機を突破するためには一定の統制型国家システムが求められ、それはかっての上からのクーデターや強力ではない現代的な民衆包摂型の下からの相互監視システムの構築によって遂行されていく。(2003/9/4 20:15)

[成果主義賃金は崩壊するか]
 労働者個人の能力を反映する能力主義賃金の具体化であり、能力は成果(業績)で測定できるとする賃金制度を意味する成果主義賃金は、従来の年功序列型賃金体系を打破する狙いを持って1997年に電機連合という労働組合が提起して以来、アットいう間に殆どの企業が採用して現在に至っている。成果主義の狙いは、年功制を打破する若年労働者の要求でもあったが、多国籍化する日本企業が欧米基準に合わせる必要もあり、また経営者サイドからは勤労のインセンテイブを引き出す(ニンジン)の効果もあった。しかし日本の賃金が夫の労働によって妻子を養う家族的な生活給という特徴に対する真っ向からの挑戦であり、年功を排除する成果基準は最初から大きな矛盾に直面することとなった。成果主義の究極の形態が年俸制であり、期初に設定した目標の達成度によって給与の絶対額が変動する形態で、最悪の場合は雇用契約がうち切られるという事態が発生する。
 こうした能力主義=成果主義=年俸制の条件は、成果に対する公正な評価基準とその説得性と長期に渡る基礎研究に対する評価が確保されているかどうかにあるが、実態は総人件費を縮小させて労働者間の競争を煽る効率化原理に巻き込まれることとなった。特にチームワークが不可欠の仕事では個人の業績競争は逆効果を生んだ。成果主義は競争を極大化するが、逆に協力を極小化するという効果をも生む。
 ところが成果主義の発想は、企業の賃金システムにとどまらず、行政評価から教育評価そして大学法人化による学問評価にも及んでしまい、日本全体がニンジンをぶら下げられたチキン・ゲームを思わせるような殺伐とした社会になっていった。協力や共同・協働の持っているインセンテイブを喪失させ、大人社会では自殺率や犯罪率の上昇、子ども社会ではいじめやひきこもりの増加という結果をもたらした。もちろん成果主義の競争原理と社会病理が関連があると言うことを証明するには、多くの媒介項とデータが必要だがここではその詳細な説明は省くが、一つだけ例を挙げる。
 社会経済生産性本部『産業人メンタルヘルス白書2003年版』は、成果主義賃金の評価への満足感が低下し精神と身体への悪影響が出ていると指摘している。労働組合の70%がこの3年で鬱病などの心の病が増加し、90%が今後も増加すると答えている。心の病で1ヶ月以上休業している組合員がいるのは63.5%、大企業では81.5%になる。最も多いのが鬱病であり、原因は職場の人間関係・仕事の問題・本人の問題の順である。メンタルヘルスが悪化した場合の影響は、生産性の低下37.8%・労災のリスク発生32.8%で、非製造業では生産性の低下が47.3%と高い。成果主義賃金の評価は、満足度が5.64→5.56へ低下し、合理的な給与制度ではないが53.5%、自分の評価について納得できない27.9%、不公平感を持つ58.3%となっている。この数年間で激増しているのが、ノルマが厳しい(28→39%)・朝起きた時疲れた感じがある・神経が疲れる(40→50%)であり、生活に不安はないは60→40%に激減している。
 結論的に云うと、アメリカ型の成果主義賃金制度の競争主義は失敗しているのである。人間が何かを創造的に生産するのは、協力+公正な競争なのだ。ニンジンをぶら下げた競争に命をかけるのは動物に堕落した者なのだ。動物も協力するから動物以下の存在だ。(2003/9/3 23:35)

[逃げるな、茶会ではない、頼むから何も云うな]
 アーミーテージ米国務副長官が日本政府代表に厳しい口調で迫った。Dont Walk Away逃げるな!イラク支援はお茶会への出席ではないぞ!何も云わずサッサと派兵せよ−米国のいらだちが見える。イラク駐在国連本部のテロに驚嘆して不安に駆られた日本政府は、自衛隊派遣に及び腰となり、総選挙を控えた時期をはずし年内派遣を断念したと思ったら、一転して恫喝に屈して9月末にも派遣のための調査団を送るそうだ。自主的な外交戦略を持たない哀れな日本外交の本質が露呈され、ますます軽蔑と憐憫のまなざしを向けられている。現地イラクでは、米軍の軍事占領が破綻し、混迷した泥沼状態に陥り、イラク占領政策を巡る米政府内部の対立も激化し始めている。ブッシュ政権内部のタカ派は、伝統的右派(ラムズフェルド長官・チェイニー副大統領))とネオコン(新保守主義派)とキリスト教右派(ローブ上級顧問)の3つの潮流で構成されているが、米国型民主化を狙うネオコンは大規模な派兵なしには破局が来ると脅迫し、伝統的右派は国連承認の多国籍軍編成を主張し対立状態となっている。ネオコン内部も分裂し最強硬派は少数に追い込められている。
 根元的には米軍の違法な軍事侵攻と軍事占領の破綻をいかに大統領選挙に波及させないかというところにあるから、相互の対立はますます深まり、米政府の政策的統合性はこれから矛盾が吹き出すだろう。テロの進行による連続する米兵の死者の増大と厭戦感情の増幅は、ベトナム戦争末期を想起させる。しかし一方で注意しなければならないのは、テロの方向が米英軍から国連、宗派間テロと無差別に拡大し、イラク内部の矛盾を激発する方向へ流れていることだ。独裁の崩壊によって生まれた宗派と部族の差異が無差別テロへと発展すれば、果てしない泥沼へと陥るだろう。その前で一歩踏みとどまって、民族の自主権という統一した目標のもとで手を結ぶ冷静な選択をして欲しいと念願する。
 日本は米国の動向にあわせて右往左往する見苦しい姿勢を一掃した確かな政策が代替されなければならない。それはそれはイラク国民によるイラクの自主的な再建であり、それに向けた人道的な支援である。(2003/9/2 21:11)

[Carl−HeinzMallet『KOPF AB!-Gewalt im Marchen』カール=ハインツ・マレ『首をはねろ!』(みすず書房 1989年)]
 メルヘン(童話)はすべての人にとって楽しい子ども時代の想い出だ。例えば「白雪姫」−「王子さまのキスで100年の眠りから覚めたお姫様は王子さまと結婚しました。めでたしめでたし」。しかしこの後に原作では、白雪姫は復讐のために真っ赤に燃えた鉄の靴を母親に履かせて舞踏会でみんなの前で死ぬまで踊らすのだ。王子の母親は実は人食い女であり、王子が戦場に行ってしまうと、母親は嫁と孫を食べるために料理人を呼びつけ孫の一人を料理するように命令する。白雪姫の母親も嫉妬に狂って、実の娘を殺してその証拠に肝臓を取り出して持ってこいと命令する。家来は森に行って白雪姫を殺そうとするが、あまりの美しさに助け、替わりにイノシシを殺してその肝臓を持って帰る。母親はその肝臓を焼いてウマイウマイと言いながら食ってしまうのだ。
 原作のあまりのむごさに欧州では実母を継母と改作するが、日本では後半部分をすべてカットしてしまう。日本では、泣いて謝る母親と白雪姫が仲良くダンスして終わるようになっている。問題は2つある。第1はグリムのメルヘンの残酷さの意味は何か。第2は日本ではなぜ仲良くダンスして終わるように改作するのかという点である。この第1の問題を考察しているのがこの本である。マレは、グリムのメルヘンは子ども向けの形をとっているが、実は大人向けの人間考察のメッセージであり、子ども向けの形をとったのは権力の抑圧をくぐり抜けるためであったという。彼は人間の深淵にある暴力の本質を鋭く見つめ、たとえ肉親と雖もこの暴力は免れがたいという。つまり欧州文化の深部にある暴力−血なまぐさい争闘から目をそらさないで凝視すべきだという。ただし暴力の行使と最後の暴力による解決は多くが権力者の没落を持って終わるものが多いが、そうではない悪が永遠に暴力で栄えるというメルヘンも登場する。ナチスのホロコーストをみるまでもなく、暴力に対する妖しいまでの魅力が漂っているのが人間の本質なのだ。ここにはそこしれない欧州文化の深層を感じさせるものがあるが、同時にこうした暴力に敢然と抵抗する崇高な気高さも描かれる非常に複雑な世界がグリムにはある。
 ひるがえって日本に翻訳されたグリム童話は、残酷な場面はすべてカットされ、最後は悪人が泣いて謝罪しみんなで仲良くダンスして終わると云うようになっている。これは争うこと自体が悪とし、仲良きことが至上の善とする日本的集団主義の文化があることは間違いない。この背景には、欧米型牧畜文化によって生まれた個人主義と、稲作農耕によって生まれた日本型集団主義の違いがある。実は、東京大学後期問題で、白雪姫のグリムの原作と日本の翻訳版を並べて示し、この背景にある文化の差異を問う出題があったが、上記のようなことを書けばほぼ正解であろう。
 しかし私はそれではまだ不足していると云いたいのだ。つまり欧州では、悪はあくまで悪であり、人間を越えた唯一神によって最後の審判を受けるが、日本では善悪の境界があいまいであり心情が純粋であれば悪もまた許されるという甘えの世界がある。それほどお前は思い詰めていたのか−と言ってすべてを水に流してもとの仲良き関係を回復するという日本的人間関係の欺瞞があると云うことだ。罪に対して明確な罰がある欧州に対し、涙を流して土下座して謝れば許されるという関係にこそ、日本にデモクラシーが根付かない根底の問題があるように思われる。(2003/9/1 20:07)

[長い長い最後の夏が終わった・・・・・・]
 この夏は地球と人類の現在と未来を象徴しているようだ。冷夏にあえいで何十年ぶりかの凶作に戦く日本、猛暑の襲来で万単位の死者を出した欧州−と地球環境の危機が毎日の生活の身近な実感として伝わってきた。始業式に登場した若者たちは、あくまで明るく、遙か離れた砂漠の街で血なまぐさい爆弾が爆発している時代を感じさせない。山のような宿題を抱えて四苦八苦したしたに違いない夏の終わりも、学園祭の喧噪で消し飛んでしまいそうだ。ど真ん中祭りと称する若者のエネルギーの爆発をみると、昨年と違って押し寄せる就職難を吹き飛ばすような迫力と団結性で狂喜乱舞している。これを自己陶酔と言って冷笑する人はいますぐここを去るべきだ。それは日本の祭りの本質的な意味を理解しない阿呆だ。日本の祭りは、収穫を祝う神事であると同時に抑圧された民衆の蓄積した力の束の間の爆発なのだ。支配者にとっては、一時的な発散の場として許容する支配の再構築の場であるか、または体制を打倒する危険なメッセージの場でもあった。日本歴史をひもとけば、革命や動乱の1年前に民衆舞踏の大乱舞が起こっているという事実に気づくはずだ。冷酷にみて私はど真ん中祭りに変革のエネルギーがあるとは思われない。1960年代に若者たちは該当を埋め尽くす大デモンストレーションによって激しい抗議運動をおこなったが、あれは連帯と共感の渦の中に自分を置くと云うことではまさに祭りではなかったか。現代の若者はデモンストレーションの昂奮を体験しないまま、一過性の祭りに全精力を投入してかろうじて自らの力を確認している。
 近年の祭りがますます盛大にして過激になるのは、世の末期がそれだけ接近していると出口の見えない不安の中で感じとっているからではないか。しかし見物衆の中で、年老いた老婆が目を輝かして幼い子どもの踊りを励ましているのを観ると、なにかとっくの昔に私たちが失ってしまった素朴な近隣社会の共同性を無条件に思い浮かべて、私の目にも何か熱いものがこみあげてくる。日本の童謡で最も愛されているのが、日暮里小学校教員であった中村雨雀が作詞した「ゆうやけこやけ」であり関東大震災の1ヶ月前につくられた。震災のなかで燃え残った楽譜を頼りに、被災地でこの歌は一気に拡がった。失われたいのちへの鎮魂、なじんできたふるさとの景色の崩壊に、焼け落ちた街を観ながら「これは自分たちの歌だ」と信じて胸にしみる静かな合唱が起こったのである。手をつないで帰っていけるところがあるというさいわいと、それを失ってしまった哀しみを込めて歌ったのである。しかし私が最も感動したのは、米軍基地拡張に反対して血みどろの戦いを繰り広げた人々が、敗れ去って夕日が落ちていく野原で誰云うこともなく歌い始めた「」ゆうやけこやけ」である。これを甘いヒューマニズムという人はここから去れ。私は最も良質のナショナリズムが生起した瞬間であると思う。(2003/9/1 18:00)

[閉経で子供が産めない女に生きている意味はあるのか(石原慎太郎)−国連の女性差別改善勧告へのホンネ]
 1979年に国連総会で採択され、85年に日本政府が批准した女性差別撤廃条約の取り組み状況を審査してきた国連女性差別撤廃委員会が8月に日本政府に勧告した改善内容は恐るべき日本の実態を示している。表題のような発言をぬけぬけと云ってのける都知事が存在している限り、改善勧告の遂行は進まないだろう。今次改善勧告は22項目に上る懸念・要請・勧告をおこなっているが、その主要な点は、@コース別管理Aパート・派遣の女性比率の高さと賃金格差B家庭と仕事を両立させる対策の遅れC民法の差別規定D意志決定機関への女性参加の遅れE男女賃金格差F女性の専門的仕事への昇進機会の剥奪などである。
 具体的なデータを見ると、正規労働者の男性賃金100に対する女性賃金比は、米国76.0・英国80.6・ドイツ74.2・フランス79.8に対して、日本は65.3と異常な低水準となっている。こうした女性差別の根底には、支配する側の分裂政策があるのですが、その結果は男性の労働条件をも低下させ、頂点にいる者が高笑いする云う構造をつくり出します。男性→女性、正規社員→非正規社員、上級生→下級生、日本人→外国人等々日本国内に集積している多様な差別構造は垂直的な抑圧の移譲となって、生贄を次々とつくり出しながら弱者へと攻撃が集中していきます。江戸期の士−農−工−商−エタ−非人という前近代的な身分構造と本質的には共通したシステムなのです。
 1923年9月1日の関東大震災直後の憲兵隊の活動を記録した内部資料4編が発見され(朝日新聞8月31日付け朝刊)、憲兵隊員を朝鮮人収容所へスパイとして潜入させ、社会主義運動を取り締まる高等課を発生翌日に編成していたことが明らかとなった。震災直後の流言飛語によって、朝鮮人6000人が虐殺され、23715人が強制収容の後自警団に引き渡されて虐殺され、無政府主義者大杉栄・伊藤野枝の虐殺(甘粕正彦事件)や社会主義者の川合義虎虐殺(亀戸事件)が関東一円で起こった。この流言飛語の出所は当時の警視総監であり、国家権力とそれに追随した民衆がおこなった犯罪による被害は未だ以て償われていない。パニックによる不安の爆発を虚偽の敵を作りだしてそこへ集中的に発散させる−という最も古典的な支配戦術のモデルケースです。
 現代日本の差別が、江戸期の前近代的な差別政策と本質的に通底しているのであれば、危機に直面した時に同じようなパニックの処理が誘発されるのではないかという危惧を持ちます。閉経後の女性は生かすな!と叫ぶ東京都知事は、おそらく大震災といった極限状況では異端の抹殺による体制維持という戦術を採用する可能性があります。しかし彼の人気は高く、而も女性の支持率が高いという実態は、日本の社会システムのモラルハザードが底知れない淵に進んでいることを示しています。
 いまパリ世界陸上の中継が流れスポーツマンのさわやかな姿が浮かび上がっています。鍛え上げられたサイボーグといった印象もありますが、浮き世の頽廃とは正反対の人間の美しさも感じます。私が特に注目したのは、男子体操で2冠に輝いた大阪清風高校出身の鹿島選手の表彰台の表情です。君が代をバックに日の丸が揚がっていくのを、表情を変えずジッと凝視し、かすかに唇を動かしましたがとても君が代を斉唱しているようには見えませんでした。ここになにか国家を越えた個人の尊厳が漂っているように思えたのです。恐らく彼は体操協会から表彰式の態度を注意されたのではないでしょうか。日の丸を見つめる鋭い視線はいまでも私の脳裏に残っています。(2003/8/31 9:13)

[監視カメラが街中にセットされる日本とは何か]
 コンビニにセットされた監視カメラは警察署につながり、大学の屋上にはキャンパス全体が見渡せる大型カメラがあり、国会の監視カメラは請願にきた市民を写している。私の家の玄関にも監視カメラを置こうかという誘惑が起こる。人々の安心を確保する手段として監視カメラは必要な手段か。不安心理は監視カメラの設置によってますます刺激され、逆効果になるという意見もある。現代の不安は国家権力に対する不安ではなく、自分の隣人の行動が自分には予測不可能だという点にある。コンビニやインターネットの個人的世界の装置が増えた日本では、個人化が極点に達し妄想とストーカーが生まれている。古い日本では個室という自由はなく相互監視で安全があったが、共同体による相互監視が崩れて監視カメラによる個人の自由がでてきた。いや監視すること自体が不安を増幅させ監視カメラ市場は急速に拡大し、不安が商品化され他人を無条件に危険視する風潮が問題なのだ。
 住基ネットは統治システムの電子化の端緒であり、民主主義を崩壊させる新たな権力の契機となる。第1に近代社会の自由を担保してきた匿名性が崩壊する。第2に民主主義で最も必要な双方向の議論が無駄のように感じられITに依拠した意志決定システムが横行する。そうではない、21世紀の行政サービスは効率化が重要であり個人情報の一元的な電子管理は不可欠だ。個人情報のセキュリテイーを確保すれば問題はない。
 9.11以降のテロ対策は従来の監視レベルでは不可能であり、事前に抑止する予防検束しかない。テロリスト以外の普通の市民の情報も蓄積してプロファイリングしていくことになる。そんなことをすれば個人の思想・心情の自由はどうなるのか。電子的なファッシズムの完成ではないか。
 デイズニーランドが監視社会のモデルだ。お客は表面的には快適で自由に振る舞っているように見えるが、実際には主催者から逸脱を許されないコントロールを受けている。つまり監視社会は一方的に決定されているルールの中で、自由を行使している飼い犬の自由であり人間の自由ではない。そうではない。国家の束縛からの自由という古典的な自由観を修正して、自由は万能ではなく条件付きのものだという新たな自由観が必要だ。そうではなく監視によるのではない、信頼による社会システムの構築が必要なのだ。以上橋本大三郎&小倉利丸の対論の要約。
 橋本の立論が19世紀のホッブス的人間観=人間は互いにオオカミである→自由にすれば最悪の殺し合いになる→絶対的な権力が取り締まるべきだ−が形を変えて亡霊のように蘇っている感じがする。人間の共同性と協同性を実現するために努力してきた20世紀の意味はどこにあったのかという想いだ。日本で警察署に連動したコンビニ監視カメラがセットされているのは、最も市民社会の形成が遅れているといわれる名古屋市だ。これは何を象徴しているか。(2003/8/30 19:25)

[危機管理とは何か−大地震とミサイル防衛]
 14万人以上の犠牲を出した関東大震災から80年を経た今日、日本列島は再び地震活動期に入った。大地震を引き起こす原動力は、日本列島周辺に位置する4枚のプレート(太平洋・フィリピン海・北米・ユーラシア)が年に数センチの早さで動き、地殻のひずみが集積されて固着している部分を破壊する海溝型大地震から始まり、これが陸地の活断層に影響を与えて大地震に到る。これらはひずみを矯正するする運動だから、ひずみが地震によって解消されると地震発生が弱くなる静穏期に移行する周期性を持つ。西日本では1948年の福井地震以降静穏期に入り1995年の阪神・淡路大震災で本格的な活動期に入った。M8以上の巨大地震となる東南海・・南海地震の発生確率は、30年以内で40〜50%、50年以内で80%以上の高確率となる。私が住んでいる名古屋周辺の東海地震はM8程度の地震がいつ起こっても不思議ではなく明日かも知れない。
 陸域活断層は、活動間隔が1年〜1万年の幅があり予測はできない。阪神・淡路大震災(M7.3)の発生直前の事前確率予測は0.4〜8%であったのである。しかも00年10月の鳥取県西部(M7.3)と03年7月の宮城県北部地震(M6.2)は、活断層の存在さえ知られていなかったのである。東海地震と並んで切迫性が指摘されているのが、震度6以上の首都圏直下型地震である。宮城県沖の地震は30年以内の発生確率が99%という殆ど悲鳴を上げる数値です。
 さて問題は対策である。各自治体は地震の破壊力と被害想定を発表しているが、その被害予測の数値は予想を遙かに超える甚大なものである。首都圏の政治・経済・文化中枢は破壊され、中部圏の製造業も壊滅する。しかし災害の規模は、地震の破壊力と社会の防災力の接点で決まる。これらの被害予測値が甚大であるのは、被害防止の対策抜きに数値を出しているからである。あなたの家屋の耐震診断と耐震対策は終わっていますか?公共建築物の耐震工事はまだ始まったばかりです。いざというときの避難場所は確保されていますか。そこに必需品はセットされていますか。阪神・淡路大震災の最大の教訓は、政府が何の救援体制も補償措置も執らなかったことです。日常生活は全国から集まった無償のボランテイア活動によって確保されました。今でも仮住まいをしている多くの犠牲者に、三宅島を含めて政府は本格的な対策をとっていません。これが肝に銘じておかなければならない日本の現状です。
 防衛庁のミサイル防衛構想は、PAC3(地対空誘導ミサイル)・SM3(イージス艦搭載スタンダードミサイル)だけでも今後4年間で5300億円という膨大な予算を投入し(日米共同研究費を入れると1423億円)、米国先制核攻撃戦略の戦争準備をおこなうとしています。さらには重武装ヘリを搭載する航空母艦の購入をもめざしています。ヘリ空母は13500トンで英国・スペイン・イタリアが保有する戦闘空母に匹敵する規模であり、地球規模での米軍支援をおこなう明らかに防衛兵器ではなく、、先制攻撃型兵器であり、日本は侵略能力を持った軍隊への再編成をめざしています。大地震の時の自衛隊の救援活動は、あくまで戦時訓練として位置づけられ、「国の安全と独立は守る」(自衛隊法)のための活動であって「国民の生命と安全」を守るための活動ではないのです。自衛隊が被災地救援活動に出動することは、日本の防災体制の貧困の象徴であり、本来は警察と消防隊が活動の基本となるのです。
 ミサイルが来るぞと恐怖心を煽って莫大な軍事費を使い、明らかな地震の到来に本格的な対策をさぼるのは、金儲けになることはするがそうでない「無駄な投資」はしないという経済効果論で国民の命を考えているからです。大いなる論争を期待します。(2003/8/30 9:10)

[附属池田小事件−考える視点]
 私はこの事件について総括的な評価を下す能力も条件もありません。さまざまの情報から幾つかの論点を挙げてみたいと思います。@被告個人の人格障害か社会的条件か−情感と社会性が欠落した統合失調症、家族に捨てられ結婚も破綻した競争社会の脱落者による復讐、A精神障害者と共生できる社会はいかに成立するか−心神喪失者処遇法によって予防拘禁が可能となった社会は社会復帰原則を基調とする精神医療の理念を否定するものか、精神障害者に対する厳罰主義は精神障害者=犯罪者という偏見をつくりだすかB凶悪犯を弁護する意味は何か−証拠主義原則の刑事司法のもとで被告人の権利はどこまで可能か、謝罪しない被告に対して弁護人は牧師の役割を演じるべきかC監視による安全か信頼による安全か−監視カメラによって不安は解消するかより拡大するか、安心と自由とどちらを優先するかD予防拘禁はやむを得ないか人権侵害かE死刑制度は廃止すべきか−無差別殺人犯は自らの死を以て責任をとるべきか、終身刑で悔悟すべきかE事件を防ぐことはできたかできなかったか・・・・・等々アトランダムに挙げてもさまざまの問題が横たわっています。
 @〜Eは本日の朝刊からピックアップしたものですが、私は本当に重要なことが語られていないのではないかと思います。第1は詫間被告の行為と心情に密かに共感を覚えている層が一定存在するのではないかということです。こうした心情はかっては異常な逸脱として無視されてきましたが、今の世の中では無視できないものとなっているのではないかということです。第2はなぜ凶悪犯罪や少年犯罪が激増しているのかについて誰も指摘していないと言うことです。ハッキリ言いますと、ライオンヘアーの首相が新自由主義原理を持って登場してからであり、逸脱者に対する厳罰主義が横行し始めてからです。敗者のトラウマが弱者に向かって放射されていったのです。ライオンヘアーは、「池田小事件の死刑判決は当然でしょう」とコメントしましたが、ここに彼の致命的な無能力性が見事に現れています。行政府の長が司法判断をおこなうという三権分立に対する逸脱の意識が全くないこと。多発する凶悪犯罪を生んでいる社会の最高責任者が自分であるという意識が全くないこと。ここに最大の問題があります。ライオンヘアーは日本を地獄へと導いていっている哀れむべき無知の確信犯です。こうした流れを根本から絶たない限り、厳罰主義と弱者攻撃・異端排除による不信に満ちた社会システムが歯止めなく進むでしょう。究極は米国型銃武装社会、武力による侵略を正義と見なすオオカミの社会です。本日の議論に興味を持たれた方は、是非朝日新聞8月29日付け朝刊「対論・監視する社会−小倉利丸&橋爪大三郎」をお読みください。(2003/8/29 8:23)

[集団レイプする人は、まだ元気があるからいい。正常に近いんじゃないか。−破廉恥が極まったモラルハザード日本の行き着くところ]
 早稲田大学の学生の集団レイプ事件に対する政府与党幹部の発言。最近こうした無神経で軽薄な大衆の劣情を煽るような発言が平気で横行している。こうした発想の背景には、時代閉塞の現状で力への盲信で、まともな理念を誠実に希求することへの嘲笑いと他者に対する関心のマヒがある。ニヒリズムとファッシズムは典型的な末期症状だ。憲法改正を短絡的に命令して恥じない首相の行為も歴史と未来への責任感覚の底知れぬ頽廃を示している。
 防衛庁は米国の先制核攻撃戦略との本格的な連動に踏み出した。米国はすべての敵を攻撃できる核戦力を保有し、相手の反撃は絶対に許さないという究極の軍事的一極覇権主義であり、その主要な方法が来年から実戦配備するミサイル防衛網だ。ところがこの米国ミサイル防衛網に日本は積極的に参加し総額1兆2千億円〜5兆9千億円という巨費を支払う。大不況下での戦争経済しか出口がない末期的症状だ。日本が米国から購入する兵器は、敵の弾道ミサイルを中間段階(ミッドコース)で撃墜するイージス艦から発射するSM3、着弾直前段階(ターミナル)で迎撃するPAC3であるが、迎撃と命中精度が最も高い発射直後の上昇(ブースト)段階は米軍が発射する。ここが日本政府の9条との整合性をいう苦肉の子供だましだ。ブースト段階は敵のミサイルがどこに向けて発射したかは分からない段階だから先制攻撃そのものに他ならない。米国の先制戦略は、3段階の連鎖にあるから、最初の段階に日本が参加しないということはありえない。 
 こうした日本の軍事戦略は東アジア諸国から強い批判を浴びている。中国の北京−上海高速鉄道に日本の新幹線技術を導入するかをめぐって激しい論争が起こっている。中国人を強制労働させた日本の会社が中国の鉄道システムを支配しようとしている、純粋な技術問題で政治は関係ない等の白熱した議論が飛び交っているが、ミサイル防衛システムに対する強烈な反発もある。北京に向けてミサイルの照準を合わせながら一方で新幹線を売り込むという破廉恥な行為に及んでいるからだ。私は日本の新幹線導入はないと推測する。
 日本は東アジアに対してかって従軍慰安婦や南京大虐殺の集団レイプを行い、公式の謝罪と補償は一切おこなっていない。それも元気で正常な行為であったと見なすのだ。親分の命令にしっぽを振ってはしゃぎ回るライオンヘアーは、全世界から冷笑と軽蔑を持って見られているにもかかわらず、銃口を向けて新幹線を買えと迫る破廉恥な行為に及んで恥じるところがない。しかし最も哀しいことは、50%近い人々がライオンヘアーを支持しファナテックな民族拝外主義に巻き込まれて、チマチョゴリを襲撃している現状があることだ。東アジアの秘密主義的な独裁国家が威嚇と恐怖に訴えて存続を図ろうとしている頽廃外交に、その要因の一つがあるが、そうした挑発を冷静に見抜き、実は客観的には米国との合作シナリオの演者となっている本質を暴きながら振る舞う知性が求められる。それが東アジア共同の家構想だ。
 働く意志がありながら正社員として就業できないフリーターが417万人(21.2%)にのぼる深刻な国内雇用の不安が、外国に対するストレスの発散の刃を向けるという実態を生んでいる。真の敵は誰か、敵を明確に正しく見抜けば、本当の解決の方向が見えてくる。かって関東大震災では政府のデマ宣伝に踊らされて多くの朝鮮人を虐殺する行為をおこなった日本人は、阪神・淡路大震災では献身的な相互扶助とボランテイアをおこなうまでに変化している。災害研究が、デマとパニック研究であったレベルからいまや協力と共同のレベルに移行している。ここに確かな希望の芽生えがある。(2003/8/28 9:17)

[軍事国家日本へのシナリオ−05年11月憲法改正草案・国民投票法案作成]
 憲法遵守義務を持つ特別公務員である総理大臣が憲法改正を指示する事態となった。国家システムの基幹が根底から再編される日程が現実に駆動し始めた。20世紀は「戦争と革命の時代」と呼ばれたが、21世紀はおそらくその最終的な時代となる予感がする。軍事国家日本のシナリオは、世界帝国米国の一極支配の一翼を担う日本を本格的に構築すること、多国籍時代を自力で展開できる軍事力の構築が背景にある。当然このシナリオに連動して、自衛隊の国防軍への再編成と防衛庁の国防省への移行と徴兵制の施行がセッッテイングされる。
 5月3日に報道された憲法調査会改憲素案では、@天皇を元首にA非常事態宣言発令権を首相にB国民は国家防衛の義務を有する−が主要な改正点であり明らかに戦前型権威主義国家の復権である。現行自衛隊法は自衛隊の目的は「国の独立と平和を守る」ことであって国民の生命・財産を守るとは書いていない。それは警察法に記してある。
 第2次大戦での日本人の犠牲者300万人、アジア人の2000万の犠牲者のうえにつくられた戦後平和国家構想は、60年で崩壊の危機に瀕することとなった。声高な危機の発話によってマスメデイアはすでに世論の誘導を客観的に果たしている。すでに各種の戦争協力法によって海外での戦時協力が推進され、最後の一線である軍事力の直接行使を実現する最後の行程に入った。要するに人を殺してもよい−殺人が名誉だとする国家への大転換が始まった。同時に戦争を批判し、反対する勢力への封じ込めと抑圧の時代が到来するだろう。世界帝国米国に屈従する奴隷の国家は、裏を返せば自分より弱い国家に対する抑圧の国家となって、世界は米国を頂点とした垂直的な地球惑星国家が出現するだろう。
 旧ナチス体制の推進過程を慚愧のうちに悔恨を込めて吐露したマルチン・ニーメラーの警詩がますますリアルな意味を持って迫ってくる時代となった。気が付いたらすでに遅かった、あの時に抵抗していたら−と牧師は悔やんで最後の抵抗を試みて死を選んだが、その轍を繰り返すのかどうか再び問われる時代がきた。ライオンヘアーは、広島の原爆慰霊祭で小学生の峠三吉の稟たる朗読を直に聞いたに違いない。あの声は彼には届かない野の呟きでしかなかった。
 これからの2年間は日本の良心がどの程度のものか真に試される試練の時代が続くだろう。よく見て・よく聞いて・よく考えて・・・大勢に順応せず矜持を持って未来を代表して振る舞う時代だ。負の蓄積はまた同時に壮大な正への転化の契機でもある。戦争か平和か−単純な選択ではないか。殺し殺される時代か愛し愛される時代か−選択は明確ではないか。やり甲斐のある壮大なドラマの時代だ。弱気になった方が負けだ。真理と真実を見抜く力を日頃から準備しておこう。内部のチマチマした世迷いごとで過ごしている時代は終わった。今自分のいるポジションで陣地戦の時代を血を吐くようなささやかな力の凝集を組織し得る者が最後に笑う。批判は内在的であろう。相手の論拠を自らの論拠として違う結論に到ることを証明しよう。(2003/8/26 9:07)

[粒粒皆辛苦すなはち一つぶの一つぶの米のなかのかなしさ(斎藤茂吉)]
 超肥満国家アメリカは日本に押し寄せている。1970年代のニクソン大統領時代のアール・バッツ農務長官は、自分の票田である農場主階級の利益のために、高果糖コーンシロップとパーム油を市場に普及させた。これは冷凍食品やファーストフード、炭酸飲料を長持ちさせて味をよくする効用があり而も低コストだ。マグドナルドは売り上げ増大をめざしてポテトを増量し、ハンバーガーを大きくし、公立学校は補助金を狙って校内販売を許可した。ホワイトハウスと企業の利潤は最大化し、市民の20%が病的な肥満体となるという超肥満国家が出現した。こうした肥満層は、ファーストフードに依存する貧困層に集中し金持層はこんなひどい食事はしないから肥満は少ない。貧困地域の犯罪の多発は子どもが危険で外出ができないのでますます肥満が増大するという悪循環を誘発している。以上グレッグ・クライツアー『デブの帝国−いかにしてアメリカは肥満大国となったか』(バジリコ)参照。
 在日アメリカ大使館には、カラーリング・リストを作成するチームがある。日本の政治家、官僚、学者、文化人、ジャーナリストなど世論形成に影響力を持つ日本人の政治的な傾向を色分け(カラーリング)した個人別ファイルを作成する。反米的な言動から親米的な言動に到る詳細な発言と行動が詳細に収集され、対象者の米国観を評価・チェックしてワシントンに報告する。明らかに内政干渉にあたる思想調査であるが、多くの中間派はこのアメリカ大使館の行動に萎縮して矜持を失っている。マグドナルドの脅威に日本側が押されっぱなしの現状で日本の肥満国家が進んでいる。

 人恋いそめしはじめより
 夜な夜な床に寝つかれず
 日に日に心物思い
 休むいとまの露もなし

 我がラマ僧の御前に
 教えを乞いに進みしも
 深き御法にあらずして
 娘を想う心のみ

 我が御教えのラマ僧は
 想いだにすれ現れず
 かの清楚なる娘子は
 想わざれども心離れず


 これは6世ダライ・ラマであるツアンヤン・ギャムツオ(1683−1706)の恋愛詩集の一つです。彼は幼少期に5世の化身として認められ、ポサダ宮殿で修行後成人して周囲の反対を押し切って還俗しはじめてのダライ・ラマです。ラサの町中で恋愛にふけり、当時のチベットに内政干渉した満州族清朝の康煕帝は審問のために、北京に召還しましたが途中で23歳で病没しました(暗殺説あり)。帝国の権威に追従せず自らを貫いた6世は、今でも民衆の敬慕の的です。どこかのライオンヘアーと大きな違いです。彼の詩は、封建期のまっただ中の而も教祖でありながら、その自由な精神に驚かされます。恋愛を賛美し、宗教的な権威すら揶揄する精神の自由をどうやって手に入れたのでしょうか。日本の仏教と同じ大乗の流れを引くラマ教に大きな魅力を感じます。
 日本のライオンヘアーは、、自己選択−自己決定−自己責任というキャッチフレーズで若者に対する公的支援を全くおこなわず、15−24歳の就業者のパート・アルバイト率を39.9%に上昇させ、20歳未満では41.8%に上るという非正規雇用をつくり出しています。20歳後半の正社員の70%が年収250−499万円で、アルバイトの60%が年収50−200万円という異常な事態となっています。彼らは恋愛はできますが恐らく結婚はできないでしょうし、出産の見通しは皆無でしょう。しかし彼らは夢と希望を捨てないで頑張っているのです。

 正面に戦争がある冷奴(伊達みえこ) 
 劣化ウラン弾しだれ桜の夜黙る(漆畑利男)
 敗戦忌音なく急ぐ蟻の列(西岡弘子)

 21世紀の扉を叩いてからはや3年が過ぎようとしています。世界が血で汚れ涙で曇ろうとは予想もできませんでした。底知れぬ破滅への歩みの最後の一歩にも思えるような毎日が過ぎていきます。マイナスの乗数効果は昂まってプラスになるという歴史の法則的な真実がいかにも楽観主義に感じられます。そうなのです。弁証法が真理であるとすれば、まさに今それが試練に属しているのです。
少なくともこれから生まれ出ようとする無垢の命がある限り、私は弁証法の道を選ぶのです。(2003/8/25 20:00)

[若者が使い捨てられる時代]
 急成長する業態に業務請負会社がある。大量の新卒採用があるために多くの若者が殺到し、夢を抱いて就業するがあまりの実態に次々と退社し中には自殺する者が出現している。派遣と請負はどう違うのか。派遣は、派遣元企業が労働者を派遣先企業の指揮命令下で働かせる形態で厚生労働省の許可がいる。請負は、製造ラインや営業業務を一括で受託し自社で業務遂行をおこなうアウトソーシング型の業務だ。従って単純に人を働かせて上前をはねる人貸し請負は労働者供給事業として職業安定法で禁止されている。にもかかわらず多くの請負会社は、自前の機械や設備・指揮監督者を置かない労働者供給事業に近い。かってのドヤ街の人足斡旋事業とほとんど変わらない実態がある。社員の出欠や仕事の内容を把握せずに無制限に働かせる労働者派遣法の制約を逃れる闇の業態であるから、現実に請負業界がどうなっているかは厚生労働省も把握できない。経営見通しなしにやみくもに採用して、アルバイトよりひどい身分待遇で働かせ、労働者はいつ解雇されるか分からない不安に襲われて猛烈な超過勤務と休日出勤を繰り返しついには過労死する。採用時には夢のような広告を打ち、全寮制で高級という派手な活字が踊る。請負社員の多くが地方出身で寮費を差し引かれると手取りは10万円を切ってしまう。解雇されると住むに困りサラ金に手を出すか、ホームレスへの道が待っている。
 労働者派遣法も改正され、「物の製造」への派遣が解禁された結果、労働者派遣法の制約を受けない請負業がメーカーの製造ラインへ参入しいわゆる”裏派遣”という請負が群生し始めたのだ。
 これはまさに明治期の原生的な労働関係と変わらないではないか。殖産興業のスローガンの下で大量の農村部少女を工場に集め、人手が余ったり病気になると農村へ返し企業は最大限の超過利潤を実現し、安価な繊維製品を作って海外に輸出したのだ。現代のメーカーが目玉として採用するアウトソーシング(外部下請)はこの現代的な形態であり、@正規採用を削減し人件費コストを極小化するA生産動向にあわせて労働力供給を最適化できるB社会保障義務から解放される。この経営戦略に対応した派遣と請負という業務が急成長しているのだ。
 もはやこれは前近代的な半奴隷制に近い労働形態ではないか。こうしたフレクシブルな労働に最も適合的なのが、就職できない若い青年労働者である。このような人間を人間として扱わないような公共性を完全に喪失した企業が利潤を求めて跳梁跋扈している日本とは一体何なのか。かっての日本型企業社会は、終身雇用制によって会社への全人生を捧げる忠誠を組織したが、いまや露骨に利潤を前面にだして恥じない別の企業社会ができあがってしまった。請負業界で急成長したクリスタル・グループは、自殺した社員(東京都立大学中退23歳)の遺体が腐乱状態で発見されるまで放置していた。これがライオンヘアーの首相が先陣を切ってつくり出している構造改革の実態だ。(2003/8/17 17:46)

[住民基本台帳ネットワークシステムの本格稼働につい]
 住民基本台帳は、市町村がその住民の氏名・生年月日・性別・住所・国保や国民年金の被保険者資格・児童手当の受給資格が記載され、住民税課税・公証作成・選挙人名簿作成・学齢簿作成に利用されてきたが、従来は市町村ごとの個別の電算化であったものを、02年から氏名・生年月日・性別・住所・住民票コードを都道府県のコンピュータに集約し、他府県と政府機関・市区町村が相互利用できるようにし、25日から本格運用が始まり、住民は住民基本台帳カードの交付と住民票の広域交付が始まる。住民は居住地以外で住民票の交付が受けられ転出転入手続きが簡素化される。一方行政は全国民の個人情報を一元的に管理可能となる。
 最大の問題は誤用と悪用による個人情報の漏洩と目的外使用である。福島県岩代町では全町民の個人情報の盗難が起こり、全国銀行協会が住民票コード通知票を本人確認手段として使用する目的外使用をおこなった(金融庁との事前協議で承認ずみ)。防衛庁は自治体を通じて自衛官適格者名簿を住民に無断で収集していた。住基ネットを庁内情報通信網(LAN)を通じてインターネットに接続し外部からの進入で情報流出の恐れがある自治体が全国約800市町村に上っていることだ(長野県は分離要請22自治体におこなった。住民票の広域交付によって続柄・以前の住所が、転入転出手続きの簡素化によって戸籍・国民健康保険・国民遠近・介護保険等の情報がネット上に流れることになり、本人のみが閲覧できる情報が他人に使用される危険性がより一層高まる。
 こうした問題を防ぐための個人情報保護法は、個人情報の処理に本人の関与を認める自己情報コントロール権が記載されず、住民の思想や信条などの情報収集原則禁止規定もなく、「相当な理由」があれば官庁の目的外使用を認めるという本来に立法趣旨を逸脱した国民監視型の内容となっている。本来の個人情報保護法制は、政府の情報を公開して市民的自由を拡大し、国家による市民への介入を抑制するためのものであり、欧米の個人情報保護法はすべてそのような内容であるが、日本だけが特異で奇異な政府権力を強化するものとなっている。こうしtら個人情報保護法と住民基本台帳ネットが結びつけば、J・オーウエルまたはフーコー型監視社会が実現するだろう。通販やDMなどの民間の個人情報乱用を規制するという名目で、全市民を対象とする管理強化が進展する危険がある。(2003/8/17 9:00)

[フェデリコ・ガルシア・ロルカ「イグナシオ・サーンチェス・メヒーアスを弔う歌」]
 スペインの国民的詩人・ロルカ(1898−1936)は、スペイン内戦中の36年8月19日未明にフランコ側のファッシストによって、スパイの嫌疑で逮捕され自分で墓穴を掘らされ背後から撃たれて殺害された。グラナダ郊外のその場所は泉が湧き出る公園となっている。メヒーアスは不出世の闘牛士ホセリートの義弟で闘牛士の傍ら小説も書き、34年に闘牛のケガが元でこの世を去った。ロルカはその死を悼んで1年かかって追悼詩をつくりその翌年に殺害された。この詩は闘牛を通してスペイン内戦の死を描いています。

午後の5時 彼の額のうえでもう牡牛がいなないている
午後の5時 意気盛んなのは牡牛だけだ
午後の5時 少年は持ってきた 白い敷布
午後の5時 一籠の石灰 もう用意はできていた
午後の5時 のこるは死 死だけだった

あらゆる国で死はひとつの終わりですがスペインでは幕が上がるのです
死者は世界中のどこでよりも死者としてずっと生き生きとしています
生はおのれの軌道を持ち闘牛士も自分のを持っています
この軌道と軌道が交差するところにあの恐ろしいゲームの頂点をなす危険の一点があるのです
スペインは唯一死が見せ物になる国なのです
スペインは家族も友人もみんながカーテンの後ろから死をじっと見つめ喜ぶ国なのです


 闘牛は午後5時に始まり、最初に騎馬闘牛士ピカドールが牛に槍を突き刺し、次いで銛打ち士バンデリャーリャが2本ずつ対になった銛を差し込み、最後に正闘牛士マタドールが赤い布を手にパセと呼ばれる華麗な技を駆使しながら、肩胛骨の間の心臓を狙い剣でとどめを刺す。牛に美しい死を与える「真実の瞬間」と言われる。1日の闘牛で殺される牛は6頭。年間3万頭が殺される。高尚な芸術とも言われ、野蛮な風習とも言われる。独裁期には闘牛は熱狂的な人気を博し、民主化が進むと低迷し現在は観光化した闘牛が生き残っている。死は手軽な娯楽となりかっての荘厳さは消え去ってTVで観戦している。
 私は巨大な観光ビジネスとして堕落した闘牛を見ていると、米軍のイラク攻撃を思い浮かべる。闘牛は勝ち負けを決めるスポーツではなく、勝のは人間に決まっている。死を約束された体重500kgを越える巨大な牛をよってたかって苦悶のうちに死の煩悶を味合わせてとどめを刺す。最近は闘牛士が死ぬ劇的な死はほとんどなく、戦うカスタ(血統)を持たない太らせただけの牛を危険を冒さないで殺害するゲームに過ぎない。米軍は最初に大量破壊兵器の精密誘導爆弾でデイスプレー上で集中的な打撃を与え、致命傷を負った敵に対して地上軍が圧倒的な攻撃を掛けて勝利する。後には劣化ウラン弾で殺害された累々たる子どもの死体が横たわる。楽しむために牛を傷つけ、牛の痛みが分からず分かろうともしない無知の誤謬が米兵に蔓延し、彼らはまさに堕落した闘牛士であるかのようだ。米軍にとってイラク人は牛なのだ。米国は、カーテンの影からのたうつ死をじっと見つめて喜んでいる国だ。(2003/8/16 9:57)

[いま日本のこどもたちは・・・・・]
 法務省総合研究所のデータでは全国の少年院にいる少年少女の約70%が家族や大人からの暴力を受けた経験があり、東京都児童相談所の調査では、身体的な虐待79.5%・心理的虐待62.3%で両方とも経験している者が多い。このデータは一過性の面接では表面化せず、長期に渡る直接の面接から出た数字であり告白できない層はもっと多いと推定される。特に突出した事件の少年の背後には、家族内虐待や夫婦間のDVが隠れていることが明らかとなった。少年犯罪を社会的な問題としてとらえず、特異なミュータント(モンスター)論による排除と厳罰主義は何ら有効性を持たない。子どもがおかしいのではなく背後にいる大人がおかしくなっているのである。
 ひきこもりは6ヶ月以上社会的関係を絶っている状態を言い、斉藤環の100万人説で問題化したが厚生省調査では10万人以下となっている。精神分裂病(統合失調症)は統計的に全人口の1%とみなされ日本では120万人と推定されているが、斉藤説はこれを引きこもりに適用した杜撰なものだ。欧米で日本のひきこもり現象を説明しても理解されず、日本的な病理現象といえる。親や大人に合わせて生き自分の感情を表せない日本文化の影響は大きい。人とのつながりがない潜在的なひきこもりは社会で働いている人にも多い。社会に出て働こうとしても履歴書の空白が障害となってしまい、働いてもフリーターや派遣でまっとうに評価されないから、また自分を責めてひきこもることになる。つまりひきこもりとひきこまらせの悪循環が引き起こされている。とくにいじめや体罰、虐待、裏切りを経験するとベトナム帰還兵のPTSD症候群と同じような状態に陥る。

 文科省の調査では02年の全国小中学校の不登校数は139000人で過去最高となった。この数字は年間30日以上欠席した数であり91年から調査が開始されているが、実は年間50日の欠席調査は66年度から実施されておりこちらは75年から増加の一途をたどっている。少子化時代を迎え80年代後半より子どもの人口が減少に入ったにもかかわらず、不登校は増え続けている。文科省が50日調査から30日調査に切り替えた理由は、毎年数10億円掛けて学校復帰政策をとっても効果がなく早期発見早期治療に切り替えたからである。文科省が多大な予算を投下して全国1000カ所に設置した適応指導教室は利用率が10%未満で、多くの不登校の子どもは民間の支援施設かフリースクールに通っている。ここに最大の問題が潜んでいる。なぜこどもたちは文科省の支援する施設に行かないのか。それを見事に示しているのが文科省協力者会議の「不登校を容認する指導や風潮が増加の原因だ」「父性を強めて再登校させれば不登校は減少する」という言葉で、彼らがほとんど何も分かっていないことが分かる。せっかく現場で不登校への偏見が弱まり元気になる子が増えているのに、ここで強制的な方法を使えば逆効果だと言うことが分かっていない。不登校の子どもにとって一番言ってはいけないのが「早く学校へ行け!」という垂直的な強制の用語だ。文科省の意向を受けて、学校とPTA・民生委員が連携し深夜家庭訪問を繰り返して登校させる実績をつくった地域では、その親がつらくてこの地域には住めないと実は転居してしまったのだ。いま最も大事なことは、子どもの最善の利益(子どもの権利に関する国際条約)を一人一人の子どもに寄り添いながら追求することではないか。ところが不登校の多発を理由とする教育基本法改正では、国を愛する心を養って新しい公共に主体的に参加する国際競争にうち勝つたくましい日本人を育てることによって、不登校はなくなり当面半減させるという(教育振興基本計画)。

 国際テストで上位の成績を取り、高卒段階で英語の日常会話・大卒で英語で仕事ができる人間を育成するために、東京では小・中学校別成績表が公開され、教師は戦々恐々とし子どもは優越と劣等の狭間で歪んだ愛校心を身につけている。こうしたトラウマは弱者に集中し、イジメと不登校を急増させている。チマチョゴリを襲撃する地域は、学校別成績表を公開した地域と重なっている。心のノートは、義務を果たして権利を(子どもの権利条約違反!)から始まって最終章は「我が国を愛しその発展を願う」で終わる。小学校6年生の通知票で愛国心を評価した小学校は11府県172校に上る(朝日新聞)。愛国心に「努力を要する」という評価をもらった子どもは次の日から日の丸を家で掲げるのだろうか。不登校児の個別指導記録が小1から中3まで、指導要録以外の記録簿をつくって毎年残すそうだ。いったん不登校の扱いを受けると中学校まで前歴がついてまわり、学校や地域からそのように扱われる。客観的には異端を排除する魔女狩りの結果をもたらすだろう。
 
 さて子どもたちの変化は実は乳幼児期から始まっている。東京都公立保育園研究会の保育士5000人対象の調査では、最近の子どもの気になる特徴は@夜型の子どもが増えている74%A集中力がない35%Bすぐ手が出る28%C疲れたを連発する22%D意欲がない20%となっている。無表情で体が固く、抱っこしても丸太を抱いたような感じの子がいる。この背景には、就寝・起床時刻・睡眠時間がバラついて生体リズムが喪われ、情動が不安定で他人に関心がなく@無表情A理由なき攻撃性B強いこだわりという3つのタイプの子どもが生まれていることがある。日本小児保健協会の2000年幼児健康調査では、3歳児の就寝時間は午後9時39%・10時37%・11時13%・0時2%、起床時間は午前7時以前が減少し8時以降が急増し遅起き傾向が極端に増えている。夜9時以降に寝る子の比率は、3歳児52%・2歳児59%・4歳児39%であり、80年調査の2.5〜3倍近く増えている。欧州では夜10時以降寝る3歳児は4.1%に過ぎず中学生までは夜9時就寝が当たり前なのだ。
 日本学校保健会調査の小中高7000人の就寝時刻は、小学校3・4年21時40分、5・6年22時4分、中学23時18分、高校0時8分であり、高校生は94年以来翌日就寝が続いている。遅寝の理由は、なんとなく男子58.3%・女子61.8%、次いで深夜TVや勉強・PC・TVゲームが続く。小学生はが家族みんなが遅いが40%でダントツだ。睡眠は@脳の疲労を回復するA体の変調を防ぐB免疫系の活動が活性化し防御機能が働くC成長ホルモンが分泌するという不可欠の重要な役割がある。人間の生体時計は1日25時間サイクルであるが、大脳が朝の太陽を認知して24時間サイクルの地球時間にリセットして生体リズムをつくり出している。この生体時計をリセットしないと、毎日1時間の遅れが生じリズムがバラバラとなり、体温と睡眠覚醒の周期が崩壊する。つまり時差ぼけ状態となって学校へ行っても机に伏せて授業は聞かないと言う状態になる。生体リズムを調整するメラトニンというホルモン物質は、3歳から5歳に大量に分泌し次第に減少するが、それとともに性的な成熟が進む。夜更かしによるメラトニンの分泌の抑制がガンの増加と性的早熟をもたらす。TV視聴時間が4時間を超えると自律神経の異常が起こり、PCやTVゲームの時間が1時間半を越えると同じ現象が起こる。
 結論的に言うと、大人が自分の生活パターンに子どもを引き込み、眠らせなくしている。サービス残業で疲れ切った父親は、せめてものスキンシップで寝ている子どもを起こしてしまう。小学生までは、夜9時就寝・朝7時起床というリズムはもはや完全に狂ってしまっている。この国の大人は、自分の子どもを犠牲にしてサービス残業に狂奔している。

 文科省の02年度学校保健統計調査によると、喘息の小中学生の割合は10年前に比べて約2倍となり、アレルギー性鼻炎や副鼻腔疾患と近視が増え、体力の低下が目立っている。05年度から食に関する指導をおこなう栄養教諭が配置され、全国一律の評価基準によって食生活を管理するという。健康の条件は、食事・休養・運動のバランスにあるが、この食の部分を切り離して特に管理するのだ。いわゆるキレやすいのは食生活に原因があるそうだからだ。03年5月16日に成立した食品安全基本法は、資源収奪型農業を前提にした食品の危険性を前提にしたリスク評価を基本として、ゼロリスクによる予防原則ではない。ファーストフードへの過度の依存や加工食品の過重摂取、巨大化した生協が輸入食品に依存し、消費者保護の基本を忘れる営利主義に傾斜するという日本の危機的な現状は、食の機能性を機軸とする健康食品やダイエット食品・栄養補助食品(サプリメント)・保健機能食品など営利主義的な食品供給を認可する食文化のゆがみをつくり出してきた。本来の自然食と有機農業を支援する食品行政はどこかに吹っ飛んでしまった。こうした食生活の崩壊によって子どもの体調異変がつくり出されている。サービス残業によって一家団欒の食生活が衰弱し、過労死と自殺が増大している社会システムの異常と食生活の崩壊は連動している。文科省の栄養教諭設置はこうした問題には全く触れないまま、歪んだ食供給システムを前提に全国一律の食教育をおこなう。市民の消費者主権に立脚した食行政への転換こそ、子どもの食生活改善の前提ではないか。

 子どもを取り巻いているさまざまの現状を鳥瞰して云えることは、子どもに責任はなく大人に責任があると言うことだ。その大人の特に効率原理で日本社会を再編成しようとしている市場原理主義派の罪は万死に値すると言わなければならない。以上『世界』9月号参照。(2003/8/16 00:09)

[お母さんの秘密はね−58回目の8月15日を迎えて]
 浜上優子さんは私と同い年であり満州で父を戦死で喪った後、5月21日に生まれ3歳で帰還しました。でも本当の誕生日は3月3日です。出生届を頼んだ人が戦時の不安定な中で届け出を忘れていたからです。私の母も私が3歳の時に亡くなりましたので、ちょうど浜上さんが日本へ帰る時です。いつか中国へ行ってお父さんに白ユリを手向けたいと思っていますが、戦争が終わったと告げてはいけないとも言っています。おそらくまた戦争の足音が聞こえるのでしょう。高垣さんは引き上げの途中で栄養失調で首も据わらない1歳の末妹が血便が出始め、赤ん坊を抱いた母親が「死んでくれ」とポツリと呟いたそうです。ポイと捨てるのは可哀相なのでミカン箱を用意していました。アジア・太平洋戦争は300万人を越える日本国民と2000万人を越えるアジア諸国の人の命を奪い、こうした悲惨な例は2300万人のそれぞれの姿でした。
 名古屋市内の前田栄一さん(77)は、戦時中16歳で村役場に就職し41年の太平洋戦争開戦時から、兵隊の召集令状を配りました。赤紙は縦15cm・横23cmで、連隊区司令部から地元警察に命令があり駐在が各市町村に持参するのが夜8時頃で、真夜中でも家を回って家人を起こし「召集令状を持って参りました。おめでとうございます」と言って渡しました。待っていたぞ!とかこれで肩身の狭い思いをしないで済むとかご苦労様と言ってじっと赤紙を見つめる妻などいろいろ反応がありましたが、或る家で死んだらあかん死んだらあかんといって泣きじゃくる妻に出会いました。他の家は泣いたりしないのにどうしてこの家は−と不審に思いました。16歳で配った赤紙は全部で200人でしたが、そのうち生きて帰ったのは半数でした。私の母も中国戦線へ出征する父を送り出す時に、「ミイラになってもいいから生きて帰って」と言ったそうですが、本当の気持ちはそうではなかったでしょうか。父は母の死を知らないまま奇跡的に帰還し、辿り着いた家の玄関で母の死を知らされました。父のその時の気持ちを私は想像できません。
 戦後の民主教育を受けて憲法と教育基本法が体にしみ込んだ私は、いままで300万人の日本国民の死とそれに数倍する苦難には少しの想像力が働きましたが、2000万人のアジア諸国の人の死とそれに数倍する悲劇にはそれほど思い至りませんでした。次々と加害者としての日本に対する告発がつづくなかではじめてしっかりと考えなければならないと思い始めました。例えば、韓国・全羅南道(この活字は一太郎11では一発変換できません)の小鹿(ソロクト)にあるハンセン病国立療養所は、1916年に当時の朝鮮総督府が設けた強制隔離収容所で40年代にはピーク時で6000人を超える患者が収容され断種などの被害を受け、現在入所中の748人のうち115人が戦前から収容されています。一昨年成立したハンセン病補償法は韓半島には適用されず、当然国の強制隔離政策を断罪した熊本地裁判決による謝罪もありません。これらの人の名誉と誇りはいまだ回復されていないのです。従軍慰安婦の方には、見舞金が支払われる姑息な方法がとられていますが(名乗り出た従軍慰安婦209人のうちもらった人はごく少数です。すでに77人が亡くなり、残っている人は80歳代です)、ハンセン病強制隔離患者にはそれすらもありません。戦争は終わっていないのです。

 アジア諸国の人に対して犯した罪の決済がないまま、私たちの国は驚異的な成長を遂げ、今は深刻な不況の中で活路を東アジア進出に求めています。これらの国々は日の丸を見るだけで日本鬼子がきた!と恐怖で気を失う人が大勢います。責任を決済しないまま過ぎた58年間でこの国はどのような状態になっているでしょうか。2つの例を挙げたいと思います。
 多発する米軍兵士の犯罪に怒りが高まる沖縄では、米兵犯罪の刑事手続きについて犯人を日本側に引き渡す代わりに米軍捜査担当者が同席して取り調べる方法を日本政府は受け入れたそうです。かっての明治期の不平等条約改正で、外国人に対する裁判権がなかった治外法権を、外国人判事を日本の裁判所に任用して裁判をおこなう妥協案が出されて妥結しましたが、日本国民の怒りを買い政府は倒れました。強国には媚びへつらって矜持を喪い、弱い国には親分に付き従って攻撃をかける−というおよそ誇りと名誉を泥だらけにして恥じない惨めな軽蔑される国に成り下がっています。責任に対する決済を回避する者は、自らをも辱める行動を平気でやってしまうのです。
 こうした国のあり方は、その国の内部自身を腐朽させ希望を失わせています。この国では抵抗できない無垢の子供たちに対するイジメや誘拐、性犯罪が激増しています。大人たちは子どもをかばうのではなく、逆に攻撃しています。スタンガン(電気ショック銃)で子どもを動けないようにして拘束し傷つけています。それに立ち向かう力がない子どもに対して「なぜ逃げなかったのか」というような最も無責任な非難を加えます。追い詰められた子供たちを守るためのマニュアルが作られるという哀しい事態が起こっています。以下はPEACE暴力防止トレーニングセンターのマニュアルであり、子供たちは一生懸命にこれを勉強しています。
 @知らない人とは腕2本分離れる。捕まえられそうになると叫んで逃げる。
 A自分の住所や名前、電話番号は絶対に教えない。
 B食べ物を知らない人から絶対にもらわない
 Cいざというときどこに逃げればいいか考えておく。
 D相手が大人でも、たとえ知っている人でも、嫌なことは嫌と言ってもいいのだよ。(これは子どもにとって本当に難しい)
 E嫌なことをされて口止めされても、大好きな大人の人にそれを言って相談してもいいよ。(これも難しい)
 この国は、小さい時から人間は信頼できない−ごく一部の人しかいい人はいないよということを徹底的に教え込まなければならない国になりました。

 私は1943年にこの国で生まれ、飛行機の音に怯えて炬燵の下に隠れたという戦争の記憶しかありませんが、8月15日をほぼ同じ年輪で送り今日に至っています。私の半生涯は決してこのような国をつくり出すために捧げられたのではありません。残されたささやかな力を少しでも私のいるこのポジションで人間らしい美しい世界に近づけるよう尽くしたいと思います。戦争で亡くなった母の霊前に示し得る証しであるのです。(2003/8/15 10:49)

[出陣学徒60周年−特攻隊に想う]
 特攻機の両側には白い一輪の桜が描かれ、絢爛たる命の輝きに満ちたイメージは最後には見事に散って靖国の庭で会おうと誓い合って自爆攻撃を敢行した若者がいた。私の同僚であり先輩である岸本直哉先生の兄君も、陸軍士官学校卒業後大尉として知覧基地から飛び立って2度と帰らぬ人となった。兄君の軍服が靖国神社に展示してあり、私は深い感慨を抱いた。
 戦死した特攻隊員は3400人であり、60%は予科練等の下士官で40%は士官・士官候補生で、いわゆる予備学生・予備生徒出身者が大部分を占めていた。全体の40%を占めた仕官(仕官候補生)のうち、海軍の85%・陸軍70%が学徒兵であり、全体の30%が学徒兵であった。当時の大学進学率は極端に少なかったから、彼らは最も卓越したインテリゲンチャであり彼らが強制された死をいかに内部処理したかは実に錯綜したドキュメンタリーの白眉である。なぜなら死を拒否したり抵抗することは物理的に不可能であった。当時の専制的な管理社会では、「罪5代に及び、罰5族に渡る」迫害が加えられるから、親族を犠牲にして忌避や脱走はできないからである。彼らがポイント・オブ・ノーリターンの地点に追い詰められてどのように自らの不可避の死を受容していったかは、まさにユダヤ人のホロコーストの極限状況に匹敵する。
 しかし外国の特攻に対する評価は国によって著しく異なる。米国は、狂人のような国粋主義と見なし洗脳された若者として侮蔑の対象とする。9.11テロの自爆犯もおなじような狂信者であるから、だからこそ原爆を投下する必要があり、イラクへの先制攻撃が諸手をあげて受け入れられた。キューバはありありと尊敬のまなざしで特攻を見る。あの米国に命をかけてよく抵抗したとみなす。アラブ諸国もほぼ同じだ。おそらく知性に溢れた特攻隊員の内面もこれに似た背理する心情を抱えていたに違いない。無理矢理に特攻する自分を肯定する論理をなんとかして肯定しなければならない悲劇的な思考が展開されたに違いない。それは最後に、お母さんを苦しめたくない−という母への思慕で溢れている手記を見れば分かる。米国人は死に臨んで母への思慕はない。西欧の兵士は、徹底的にを殺すことを教え込まれ、日本の兵士は徹底的に死ぬことを教え込まれたにもかかわらず、特攻隊員は死の意味に最後まで煩悶した。彼らの訓練中の読書量はすごい。なんらかの思想と論理によって死の意味を意義づけなければならない出口のない思考の悲劇が伝わってくる。西田哲学や安田輿重郎の日本浪漫派は彼らに死の意味を説いたが、これらの思想家は精神的な戦争犯罪者として罪万死に値すると言わなければならない。
 特攻隊員は、時計の針の刻む音で眠れないという、時計がチコチコ鳴っていると自分の一生が消えていく感じで、夜寝る時は時計を止めなければならなかった。死が迫っている中でそれを本当に納得していない隊員ほどそうであった。20歳で人生を閉じられた若者が最後まで自分自身を凝視し、最後の瞬間を誠実に生ききろうとした姿は、そのまま戦争の不条理と彼らを追い込んだ戦争犯罪者に対する無言の指弾となっている。残された者、戦後の平和しか知らない者は60年前の闇から何が訴えられているかを理解しなければならない。なぜならいままさに正義なき戦場へ若者を派遣し、イラク人を殺せさもなければ死ね−と命令している自衛隊最高司令官がライオンのような髪をして獅子吼しているからだ。(2003/8/14 17:49)

[安逸への全体主義−パラサイト・ナショナリズム]
 電通総研が各国の研究機関と5年単位で実施する「世界価値観調査2000年度版」では、「自分の国に誇りを感じるか」という問いに、YESと答えた日本人は54.2%で74カ国中71位であり、「戦争が起きた時に進んで国のために戦うか」という問いにYESと答えた日本人は15.6%で59カ国中最下位の59位である。ところが「国民みんなが安心して暮らせるように国はもっと責任を持つべきだ」は65.7%がYESと答えている。「国が諸君になにができるかを問うのではなく、諸君が国に何が何ができるかを問え」(ケネデイー)を近代ナショナリズムの理想だとすれば、現代の日本は恐るべき国への依存と無責任があると云える。宮崎某というなる評論家は、これをパラサイト・ナショナリズムと呼んでいるが、果たして単純にそういいきれるか。
 戦後日本は、確かに中央依存型の国家資金導入政策に地域開発の夢を掛け、政権政党に寄生した土建政治が横行してきた。選挙の時には投票機械となってフルに稼働して長期の独裁政権が維持されてきた。そうした癒着構造を醒めた冷ややかな目で見る層が着実に増え、政府や国家と自己のつながる心情は遂に形成されてこなかった。つい先日も亀井某と言う政治家の後援会の光景が放映されていたが、そこでは中年男が早く道路を造ってくれと言うと、亀井某は秘書に命令して道路局長に電話を入れ2億円ぐらい何とかせよ−と怒鳴って参加者の喝采を浴びていた。なんとも言い難い土建政治の残滓をみて溜息をついた。こうした国のために「戦う誇り」が形成されるはずがない。
 確かに一部では他者に依存し、批判はするが自己批判はしない−ミーイズムが蔓延していることも事実だ。しかしそれは小泉某という名の首相が領導している市場原理主義の陥穽に嵌って悪戦苦闘している人たちの悲しむべき選択肢ではないか。安逸への全体主義は藤田省三の造語だが、或る面での真実を鋭く付いてはいるが、実態はもっと錯綜している。なぜなら藤田の考えは、中流の上層をしか客観的には対象化し得ないからだ。終身雇用と年功序列の企業社会で、世界に冠たるサービス残業をして会社に貢献したら、50過ぎてもう要らないよと−あっさりとリストラする現状で誰が安逸をむさぼれるであろうか。むしろ安逸の全体主義は、小泉型ファッシズムに向かう最も危険で汚く非人間的な潮流になろうとしている。(2003/8/13 17:47)

[俳優はなぜスターというか]
 世界で最も美しい比率は黄金比(√5−1):2=1:1.618・・・・・であり建物の設計もこれによる。しかしなぜこれが最も美しいのか。この比率は5角形の辺と斜線の比であり、実はそれが美しいのだ。ではなぜ5角形が美しいのか。5角形の対角線を引き続けると、無限に5角形ができる永遠の図形なのである。この対角線を一筆書きすると星形になり、切れ目がないので悪魔が入り込む余地がなくパワフルだとされ、函館五稜郭や米国国防総省(五芒星)がつくられる。俳優もスターと呼ばれるようになる。しかし本来はギリシャのピタゴラス学派の校章であり永遠を示す印であった。
 ところがアジアでは別の黄金比があった。法隆寺や大阪御堂筋は、1:1.414・・・・つまり1:√2であり直角三角形の斜辺の二乗の定理である。これがなぜ美しいのか。外枠の四辺の中点を結ぶ四角形をつくり、その四隅にできる三角形の比がまさにこれであり、これもまた永遠に内側に向かって同形を作り続ける永遠の美を持つのだ。法隆寺の塔の屋根5層は、上から順番に6・7・8・9・10の比率でありこれも自然数の美に依拠した構造となっている。
 6角形の場合はどうか。真ん中の対角線を引かないで考えるとダビデの星である。これも同じように対角線を引き続けると無限にダビデの星が生まれ続けるのだ。八角形の場合はどうか。対角線を2本だけ引くと中央に八角形ができまた永遠につくることができる。これはダイヤモンドカットの元祖だ。建物では法隆寺夢殿、天武・持統合葬稜がある。八角形は道教で重んじられ天武は道教を好み、五角形は陰陽道の安倍晴明の印となった。八は天地四方の倍、自然を4で示す東西南北や春夏秋冬によく馴染んだ。
 タリバンが破壊したバーミヤン遺跡は、正方形の枠組みを交差させながら中央を高く盛り上げていくラテルネンデッケという力学的に極めて合理的な天井構造を持っている。サッカーボールは六角形の中に五角形が散りばめられ、そこだけ黒く塗られている。そこにはピタゴラスオリジンの美とパワーが込められている。以上中西進氏の論考(『図書』03年8月)参照。暑い夏の朝に涼しい思考がめぐってきた。(2003/8/13 10:35)

[ハイパー超大国・アメリカ帝国の衰弱]
 ソ連が崩壊する予兆として乳幼児の高い死亡率に象徴される社会インフラの衰弱があった。現在の米国も同様に貧富の差の拡大や人口比で白人に次ぐアフリカ系アメリカ人の乳幼児死亡率が極端に高くなっている。米国の軍事予算は世界の30%を占め巨大な軍事力で地球を制覇しているかに見える。しかし米国経済は貿易赤字が90年1千億ドル→00年4500億ドルに膨張し、海外から毎日12億ドルの資金を引き寄せなければ存続できない国家となっている。
 このなかで米国の世界戦略は、米国が世界で不可欠であることを思い知らせるための軍事戦略で、それは弱小な不安定国家に集中攻撃を掛けることによって実証する(アフガン・イラク)。その場合の大義名分は米国型民主主義モデルである。果たして世界は米国なしにデモクラシーの実現はできないのであろうか。韓国やブラジルの民主化は米国の軍事力なしに独自の力で推進され、世界のあちこちで米国モデルによらない民主化が前進している。つまり世界帝国であることを証明する米国は不要なのである。
 民主化を支える社会的なインフラは識字率と出生率の抑制であるが、イスラム圏を除いて中国や南米では人口抑制が進みアフリカでも徐々に進んでいる。明らかに緩やかな民主化のためのインフラが推進されつつある。世界が不要としつつある米国は逆に軍事力と脅迫で帝国の幻想を植え付けようとしているが、実はそれはトロイの木馬にしか過ぎない。
 アメリカ帝国は永遠であり対米関係を安定させ、米国市場への輸出でしか経済回復が期待できない日本は、米国が衰弱した時のマイナス効果を破壊的に被ることは間違いない。すでに欧州・ロシアは米国から自立するパワー集合をはじめ、アジアでもマレーシア・中国を中心とするアジア経済共同体構想が動き始めた。米国モデルを神のようにあがめて媚びへつらうしかできない日本の将来は言葉の正しい意味で危機をはらんでいる。以上エマヌエル・トッド『帝国以後』参照。(2003/8/13 9:36)

[ 実質GDP0.6%増ではしゃいでいいのか]
 8月12日に発表された4−6月実質GDPが前期比0.6%増となって日本経済は活性化の局面に入ったそうだ。GDPの60%を占める個人消費は実質0.3%増となっているがこれは物価変動の影響を除いたデータ加工であり、物価自体が下落しているなかで家計の実態とは離れている。名目個人消費は逆に−0.2%であり個人消費の低迷は続いている。総務省発表に勤労者世帯消費支出は−0.9%で、実収入−201%・保健医療サービス+15%、民間住宅実質−0.4%と同じく低迷している。
 国民所得の雇用者報酬が0.8%増となっているのは、公務員の3月分のボーナスが6月支給に変更されたことの影響と健康保険の総報酬制導入によって雇用主負担が増加したことの片影であり偶然的な要素に過ぎない。設備投資は実質1.3%増であるが名目では0.5%減であり、個人消費と同じく物価下落の反映でしかない。10月からの首都圏排ガス規制強化に伴うトラックの買い換え需要という特殊要因もある。輸出は実質1.0%・名目0.5%増であるがすべて米国向け輸出の増大である。輸出から輸入を引いた外需(純輸出)の実質GDP寄与率は0.2%増となっているが、この内実はSARSによる海外旅行者の激減による海外サービス支払いが落ち込んだというこれも偶然的要素に過ぎない。
 年金積立金の株式運用で巨額損失を出した厚生労働省は「責任のとりようがない」と居直ったり、消費税免税点を1000万円に引き下げることで中小零細業者の60%が負担増となると財務省は「生活保護者も払っている」と鉄面皮にも答えたり、ETF(株価指数連動型投資信託)を絶対儲かりますと金融経財省が閣僚に勧めたりする底なしのモラル・ハザードが進んでいる中では、日本経済の未来はない。(2003/8/13 8:3)

[中国労働者の現状]
 現在中国GDPの72.1%を占めている中国労働者の数は、1978年1.2億人→2000年2.7億人になり農村部出身労働者7千万人を加えると3.5億人に達し全就業員数の50%にのぼっている。うち1億人は私営企業・個人経営・外資系企業などの非公有制経済体で働いている。郷鎮企業は名目上は集団所有だが実際には私営もありここの就業者も労働者にはいる。国有企業は、小規模なものは売却され大規模なものは株式会社化された。国有中小企業の資産権改革の過程で、経営者による大量の持ち株化が有効な改革方法であると見なされ、さまざまの株式購入方法を通じて一夜のうちに数百万の株を持つ新億万長者が誕生した。その資金調達方法は、友人からの借金、個人資産を担保とする銀行融資、現地政府の財政収入からの融資、経営者の技術や管理能力を擬制出資で奨励し、本人の負担は少ない。従業員賃金節約基金の流用もある。国有大型企業の株式制への移行は、外資系と私営企業の参入で企業経営者の年間収入は一般労働者の百倍に上る場合もある。
 労働者の相対的な貧困は進んだ。私営企業数をみると1978年0→2001年2028500社、登記資本1兆8212億2400万元、1000万元以上は2.3万社、1億元以上は383社で、2253.03万人の労働者を雇用している。資本蓄積の重要な供給源は労働者の剰余労働を無償で占有しているところにある。1995−99年の製造業の労働力コストは中国729ドルで米国の1/40・日本の1/43・韓国の1/5・タイの1/4でありインド以下的低賃金である。1時間60セントに達せず英国の最低賃金の1/10にも達しない。私営企業が発展し外資が中国に投資する最大の理由である。一部の私営企業では、10時間以上の労働時間で遅配や欠配、労災が多発している。最底辺は農村部の出稼ぎ労働者であり「起きるのは鶏より早く労働は牛よりきつく食事は豚にも劣る」という状態だ。
 絶対的貧困状態にある労働者は、最低生活保証金受領者2053万人であるが未登録でこぼれているものを入れると実数は遙かに多いと推定される。彼らは1火日3食が困難で、子どもの就学や医療は受けれず売血や自殺が発生している。この原因は@最低賃金以下の収入しかないAそれ以上であっても病気や災害で生活できない人たちである。1998年以降国有企業のレイオフは2700万人に達し、それ以外にも生産縮小による実質的な半失業、内部退職・割増金による早期退職があり再就職ができない。リストラによる経営効率化にすべての原因がある。
 社会主義市場経済の前提条件は、@主体が公有制A労働に応じた分配B国家によるコントロールC労働権の保障であり、「鉄の茶碗をうち砕こう」(決して食いっぱぐれはない)というスローガンは有効性を喪った。労働者が困窮グループとかマイノリテイーグループと呼ばれるのは、企業の管理権から遠ざけられたからだ。かっての労働者代表大会は形骸化し、企業改革やレイオフで討論することはなくなった。労働者・農民に議事能力がないと言われ、第10回全国人民代表大会の2984人の代議員のうち511人(18.4%)
に過ぎず、メデイアに労働者が登場することは少なくなった。私営企業家の党員比率は上昇し、93年13.1%→95年17.1%→00年19.8%となっており、労働者と党組織の関係が衰弱し労働者の政治的参加は衰えている。
 こうしたなかで、企業と労働者の一体関係はなくなり、かっての企業組織が経済組織であると同時に社会組織であった草の根の結合はなくなり、経済組織の面だけが前面に出ている。大慶油田の労働者は、退職後に党組織の所属もなく勤務が断絶すると党歴も喪われている。3.5億人の労働者のうち組合員は1.3億人で外資系と出稼ぎ労働者は組合がない。労働者が労働権を主張する時には、組合や党ではなく自発的な組織に頼るしかない。労働者は周辺化され矛盾が蓄積している。以上劉実(元中華全国総工会副主席)3年4月28日付け「中国労働者階級の現状」より要約。

 中国のナショナル・センターの幹部のレポートであり改めて衝撃を受けた。改革開放政策が理念としての社会主義システムを揺り動かしている現状が生々しく伝わってくる。社会主義市場経済の理論を本格的に考察しなければならないと痛感する。(2003/8/12 10:10)

[広島は現代日本の座標軸だ]
 8月6日におこなわれた広島平和記念式典で子ども代表として高らかに峠三吉の「ちちをかえせ ははをかえせ」を朗読した小学校6年生の藤井博之君の「平和への誓い」は胸を打つものがありました。その堂々たる健やかな声は、なにか大人に向かって「あなた方何をしているの!?」と抗議し励ますような声調でした。私もつい姿勢を正し涙が出てくるのを止められませんでした。峠三吉は被爆詩人として戦後を反戦平和に捧げ共産党員としてこの世を去りました。中央政府がいくさの道へとしゃにむにこの国を引っ張って、それに公然と声を挙げるのがはばかれれるような現在で、やはり広島は日本の動かない座標軸として屹立しています。広島市長の平和宣言は、米国の核政策を公然と現代の危機の最大の要因と断じ、日本政府の責任を問うたのです。こうした原理的な問いかけは、今や冷ややかな冷笑と無視をもって遇されるので毅然として言い切る姿勢が衰えている日本で、広島は戦争と平和に関する日本の漂流の羅針盤か座標軸になったと思います。小泉首相の官僚的な作文と比べてその誠実さは際だっています。
 日本の学生がアジアの学生と交流して原爆のことを聞かれても、よく分からないと答えてかみあわないそうですが、或る韓国人被爆者が「日本は何もせず私たちが死ぬのを待っているのですか」と問いかけられても、その意味がよく分からないのです。私も含めて8月の暑い夏が来ると広島・長崎に関心がいきますが、、またいつのまにか日常の生活に埋没してしまいます。どうして私たちは歴史の記憶に弱いのでしょうか。なぜ私たちは自分が直接痛まない限り、他者の痛みに共感することが薄いのでしょうか。
 ここで日本の有名な作曲家である古関裕而をとりあげましょう。彼は「長崎の鐘」が有名ですが、「六甲おろし」「読売ジャイアンツの歌」「中日ドラゴンズの歌」も作曲しています。しかし戦時中は「暁に祈る」「愛国の花」「若鷲の歌」「嗚呼神風特攻隊」などの戦時の名曲もつくっています。今は亡き黛敏郎も「暁に祈るを聞いた時に私も予科練に行きたいと思った」と言っているように、古関の歌を聴いて多くの若者が戦場へ行きいのちを散らしたのです。私が戦時歌謡の最高の名作だと思う「海ゆかば」をつくった信時潔は、私の勤務する学校の校歌を作曲しています。戦争の時は戦争高揚歌を、平和の時は平和の歌を全霊込めてつくる芸術家の精神とは何でしょうか。丸山真男の次々となりゆく論理−頼まれれば何でもつくる大勢順応の無節操は、私たち自身のものでもないでしょうか。
 かって大日本帝国が中国東北部にでっち上げた傀儡国家・満州国を、現在の日本政府は正当な独立主権国家であると言っているそうですが、当時の日本政府はこの満州国の高級官僚養成機関として満州建国大学をつくりました。建国大学を歌った歌に小林旭の「北帰行」の2番「建大 一高 旅高 追われ闇を旅行く 汲めど酔わぬ恨みの苦杯 蹉嘆干すに由なし」がありますが、小林はこの2番をカットしています。実は旅順高校寮歌であったのです。多くの青年が民族協和の理想に燃えてこの大学に入学しましたが、そんなかに上野英信がいました。彼は理想と現実の乖離に苦しみ、召集後広島で被爆し京大編入後も学業を放棄して、筑豊の炭坑奥深く石炭掘りとして日本近代の棄民の闇を撃つ活動を展開しました。ここにこそ戦時体験の正当な継承の1つのスタイルがあるように思われます(参照『追われゆく坑夫たち』岩波新書)。

 ひるがえって人種問題に苦しんだ米国の現状はどうでしょうか。1963年に有名な「仕事と自由のためのワシントン大行進」が25万人の黒人によって行われて以降、米国の黒人差別は解消の方向にあると言われます。しかし現在の全米失業率は白人5.5%に対し、黒人11.1%で一貫して2倍の格差があります。シカゴ大学がおこなった雇用調査で、米企業に3700通の履歴書を送ったところ、白人にある名前(例えばエミリー)は黒人によくある名前(例えばエイシャ)より1.5倍多くの面接通知がありました。米国では人種による就職差別を防ぐために顔写真の貼付は要求されませんが、現実には制度の裏側に差別が横行しているのです。6月19日にはシカゴ近郊の黒人町で暴動が起こっています。160kmの速度で走るパトカーに追われて壁に激突して死亡したバイクに乗った黒人少年の事件をきっかけに、街中の黒人が警察署を襲撃しました。その前には白人少女と交際する黒人少年がデート中に殺害され、川に投げ込まれた事件が事故死として扱われたことが伏線となっています。

 いま日本では女子小学生の過激なダイエットが問題となっているそうです。「小学4年生までは細かったのに、お尻が大きくなったり、足が太くなったりするのが嫌。好きな雑誌モデルみたいな体型になるためには、1日リンゴだけでもいい」等と云っています。企業は消費不況の脱出口を高齢者と子ども市場に求め躍起になってマーケッテイングを展開し、女性の性的付加価値の低年齢化が進んでいます。何も知らない少女たちは、企業がつくり出した欲望の虚像に取り込まれて、健やかな発達を奪われ動物のように弄ばれています。

 しかし私は、敢えて信じたいと思います。広島平和記念式典で平和のメッセージをこころから訴えた小学生に日本の未来が確かにあることを。そしてワシントン大行進を率いた故・マーチンルーサーキング牧師の「私には夢がある(I have a dream)。いつの日か、あのジョージアの赤い丘の上でかっての奴隷の息子とかっての奴隷所有者の息子とが同じテーブルに座れる日が来ることを・・・・」という歴史的な演説の理想はまだ実現されていないとしても、必ずやキング牧師を倒した銃弾に替わる未来の米国があることを。ヒロシマ・ナガサキの平和集会は台風の嵐をついておこなわれました。(2003/8/8 21:03)

[ウオルマートのコーポレートガヴァナンス]
 世界最大の流通企業ウオルマートが西友を傘下に納めて日本に上陸した。ウオルマートの経営理念は、有名なスリー・ベーシック・ビリーフス(3つの基本理念)であり、その第1条は「リスペクト・ジ・インデイビジュアル(個の尊重)」として「出身、肌の色や信条が全く異なっても、一人一人の個人は尊敬され尊厳を認められる権利を有する」というものだ。ここには二重の意味がある。有色人種や女性労働力の最適調達という側面でありこれがウオルマート躍進の原動力となった。高卒の若い社員が退職前の社員とペアを組んで売り場を管理したり、車椅子の従業員が熱心に質問に答えたり、レジのキャッシャーが軽い雑談をしながら顧客に対応、店の入り口にショッピングカートを一台一台用意して「いらっしゃいませ」等と年輩の温厚そうな社員がカート渡すので顧客は気持ちよく買い物できる。
 第2条はオールウエイズ・ロー・プライシズ(毎日安値)であり特売日を決めないと云う商法だ。実際にウオルマートの価格はいつ買っても後悔しない独自の信頼感確立しています。日本のように特売の魅力で惹きつけ利益率の高い商品を同時に買わせるというコンビニ商法ではないのです。この背景にはメーカーとの直取引で実際の売り上げデータをコンピュータで解析するQR供給システムにあります。第3条は10フィートルールで、顧客が自分から3mのゾーンに入ったら視線を合わせて挨拶し「何かお探しですか」と声を掛けるのです。これはサンダウンルール(日没ルール)という顧客の困りごとをその日のうちに解決するというものです。
 西友は必死にウオルマートのビジネスモデルを輸入しようとしていますが、必ずしもうまくいっていません。例えば3つの理念を日本人従業員が知っているかの抜き打ち検査をやりますが、こうした抜き打ち検査こそ個の尊厳を正面から否定し自主的な意欲を削ぐ日本的なやり方であるからです。第2はウオルマート側自身が米国モデルを機械的に押しつけ、日本の文化や商習慣を無視しているからです。
 こうした米国モデルをグローバルスタンダードとして輸出するやり方は、イラク占領政策にも現れています。イラク文化を理解しないで米国モデルを強制するやり方はイラク人の支持を得ておりません。フセインの息子2人の無惨な遺体写真を公開して恐怖を煽るやり方は、イスラム文化を冒涜するもので、さらに密告者を高額の懸賞金で募るというのは米国の西部開拓モデルではあってもイラクでは最も恥ずべき行為なのです。
 ウオルマート商法は結論的に云うとうまくゆかないでしょう。日本型の個の尊厳を基盤にしない限り、異文化の海を泳いで資本力だけでクリアーできないのです。以上冷泉彰彦「国境を越える普遍性」参照。(2003/8/4 8:25)

[大量破壊兵器の現在−核兵器と化学兵器]
 米誌『ブレテイン・オブ・ジ・アトミック・サイエンテイスツ』連載の天然資源防衛評議会(NRDC)の情報から世界の核兵器の現状を整理する。
 <保有国>
○米国  推定10600発、使用可能8000発、ブッシュ核体制見直し構想で先制攻撃戦略と核使用構想(使える核兵器開発)
○ロシア 推定18600発 実戦配備8600発
○英国  70年代350発保有 98年爆撃機搭載戦術核兵器廃棄 トライデント型原潜核弾道200発以下宣言 保有原潜4隻に各48発核弾道搭載
○フランス 92年540発から現在350発へ削減、うち288発が3隻の原潜に搭載された48基の中距離ミサイルに装着、地上発射弾道ミサイルと爆撃機核爆弾は廃絶
○中国  93年435発から現在400発へ削減、うち250発が戦略兵器で20発がICBMに搭載、120発が中距離ミサイルへ搭載、SLBM12基保有
 <実質的保有国>
○インド 45発〜95発分の核分裂物質生産、製造核兵器30発〜35発と推定
○パキスタン 30発〜52発分の核分裂物質生産、24発から48発の核兵器組み立てと推定
 <疑惑国>
○北朝鮮 2〜3ヶ月以内に核爆弾6発、10年までに200発以上製造可能(インターナショナル・クライシス・グループ推定)
○イラク 70年代に製造計画開始、その後停止
○イラン 独自の核兵器能力追求
○リビア 70年代に中国から輸入計画
 <廃棄国>
○南アフリカ 79年に6発の核兵器製造、91年核兵器計画中止
○ブラジル 90年に核兵器計画放棄
○アルゼンチン 83年核兵器計画終結
○ウクライナ、ベルラーシ、カザフスタンソ連崩壊後自国内配備の核兵器を96年までにロシアに移管

 以上から現状では30000発が蓄積し、その96%は米ロが独占、17000発が使用可能状態にある。

 米国のイラク攻撃の最大の根拠が大量破壊化学兵器の抑止にあった。その米国が世界最大の化学兵器開発・使用国である。1961−71年までのベトナム戦争でダイオキシン入りの1億リットルの化学毒薬をジャングルに散布した。その後のベトナムでは、大量のガン、異常出産、奇形児出産とその他の難病が引き起こされた。二重胎児ベトちゃんとドクちゃんの分離手術は三重赤十字病院でおこなわれた。ベトナム中部のトアテイエン・フエ省のアールオイ県だけで人口の1/10、3944人が化学毒薬に汚染されうち1831人が直接汚染された。ベトナム・ゲリラの補給ルートであったホーチミンルートの周辺が最も被害が大きい。米国は自国の旧米兵被害者には補償をおこなっているが、ベトナム被災者には因果関係の科学的根拠が不十分として一切補償に応じていない。他人には化学兵器を使用するな−脅威を煽って侵略占領しながら自国の使用だけは目をつぶれと言っている。こうした世界システムに終止符を打つためにどうしたらいいのか。私は何ができるのか。(2003/8/3 8:27)

[フセイン肖像画家は芸術の冒涜か]
 今は潜伏中のフセイン元大統領の肖像画の作成に多くのイラク人画家が動員された。眉毛を描き忘れて電気銃で撃たれた画家もいる。平均4日で完成し報酬は20万デイナール(1万円)で遙かにサラリーマンの平均月収を上回った。イラクを代表する画家たちが描いた作品は政権崩壊後、破られ、はがされ、ペンキを塗られて見る影もない。肖像画を描いた画家を捜しても誰も名乗りでない。彼らは権力への恐怖とともに生活のために、さらにどうしても絵の具を買うカネがほしかったのだ。
 作家林芙美子(代表作『放浪記)』の生誕100年に当たる今年(生年1903年)には、近藤真柄(10歳代で赤欄会に参加)や矢島せい子(障害者運動に献身、女優沢村貞子の実姉)、丸岡秀子(評論家)、金子文子(アナキスト 大逆事件で死刑判決のあと獄中で縊死)が生まれている。林と金子は、いずれも”花の命は短くて苦しきことのみ多かりき”と差別と貧困のどん底で幼少期を過ごし、上京してアナキストの群れと交わったが、林は友愛と相互扶助の輪から抜け出して流行作家の道を歩み、、金子は朝鮮人・朴烈と結婚して皇太子爆殺事件で起訴され死刑判決の後自らこの世を去った。
 藤田嗣次は現代洋画界の巨匠といわれ彼の作品はとても手が出ないような高額となっているが、太平洋戦争中は素晴らしい!戦意高揚画を描き、詩人・高村光太郎も米英撃滅の詩を高らかに歌った。多くの芸術家が戦争と独裁を前に芸術を冒涜したのである。彼らの作品に感動して多くの若者が戦場に行って命を散らしたのである。戦争の時代を知らない私たちが、彼らの振る舞いの惨めさをアレコレとはやし立てても余り意味はない−という声があるが、私はそうは思わない。彼らの劇的な!生き方は、現代の真綿で首を絞めるようなソフトな転向のなかでこそ矜持というものの本当の意味を問い直す契機を与えると思う。例えば吉本隆明といわれる、かっての60年代以降の前衛的な評論家がいたが、ポストモダニズムの幻影の中で今は誰も見向きもしない言説家に頽落してしまった。世を挙げて競争と新たなファッシズムの渦が巻き起こっている今年の8月は、かっての戦時の激動を生きた人から学ぶべき多くのものがあることを教えている。
 いま上映中の「スパイ・ゾルゲ」にゾルゲに協力して逮捕され無期囚として網走刑務所に服役するジャーナリスト・ヴケリッチが登場する。彼は獄中から日本人の妻・山崎淑子に当てて次のような手紙を送っている。倉田百三『出家とその弟子』を読んだ後、「この人たちは皆ご自分の或いは多勢の人たちと雖も、個人的の解脱に夢中ですが、私ども皆一本の大きな木の枝や葉や花に過ぎません事に気がついていませんらしい。木さえ生きれば枝と葉の救いになんの意義があろう。私どもこの木の元へ落ちてそこで肥料になればいいじゃないか。しかしね、一花咲かした後よ」(43年4月27日)、「生命さえあれば、昭和20年か21年辺は新しい相談の時期ですよ、これこそ貴女の希望であれ」(43年11月4日)・・・・・美しい書簡である。しかも検閲を逃れるための表現である”新しい相談”には象徴的な意味が込められていて感動的だ。戦争のお先棒を担いで名声を保とうとした人、抵抗して抹殺された人・・・・現代ではもっとソフトなかたちで同じ動きが起ころうとしている。未来が見えないでムシャクシャした若者が広島・平和公園の千羽鶴に火をつけて燃やしてしまう時代だ。ファッシズムはこうして民衆の下からの怨念の情念を組織しながらじょじょにその姿を現してくる。

 広島に投下されたウラニウム型原爆リトルボーイの搭載機B29エノラ・ゲイは、投下前にパンプキン爆弾という模擬爆弾(1万ポンド爆弾)をリハーサルで投下し、広島・長崎と原爆攻撃をおこなった後には日本が降伏するかどうかを注目し、13日になっても降伏しないために、3発目の原爆攻撃を準備し14日に7発のパンプキン爆弾を名古屋に投下した。15日の無条件降伏がなければ3発目の原爆が投下されていたのである。以上舟橋洋一氏記事(朝日新聞7月31日付け)参照。私の記憶は間違っていたのか。米軍は3発の原爆を製造し、最初をネバダ砂漠で実験し、次の2発を日本へ投下したと思っていたがどうもそうではなかったようだ。いま米国は世界に冠たる精密誘導科学兵器で巨大な軍事力を誇示して、全世界に恐怖を与えて帝国として君臨しようとしている。自らが想像を絶する大量破壊兵器で武装しながら、他国の兵器は一切許さないと云うユニラテラリズムで脅迫している。東アジアのGDP世界2位の国は、それに媚びへつらって戦争準備に進んでいる。千羽鶴を焼き尽くす若者が無自覚のうちに国の運命を変えている。
 「運命」destiny は、避けられない必然性としての生を意味し、どちらかといえば不幸のイメージが強いが、「運命」という語は「いのち」を「運ぶ」ということだから、悠々たる太古から連綿として紡がれてきたいのちの大河を意味すると解釈してもいいのではないか。DESTINYという英語は決然たる主体的な選択というニュアンスがあるが、日本語の「運命」はアキラメという受容的な印象が強い。ここに日本歴史の運命の致命的な欠陥がある。(2003/8/2 8:58)

[渋谷はなぜ歌舞伎町になったのか]
 歌舞伎町は日本最大のアダルト系歓楽街で暴力団と不良外人が闊歩する不夜城のような街だ。私も時々「ロフト」という名前のトーク系ライブハウス(薄汚いビルの地下3階)に行く時に歌舞伎町を歩くのだが、意外と女子学生風のコンパの群れがさざめきながら楽しそうに歩いている。しかし最近はかなり危険な街になったので若者たちは渋谷に流れているらしい。歌舞伎町はオトナの犯罪街に、渋谷は子どもの犯罪街になったのだ。メデイアがこれ見よがしに映像を流すので多くの若者が集まっているように見えるが、首都圏全体の若者から見ればそれはドロップアウト寸前のごく一部の層に過ぎない。ところがTV映像を通して全国に流れるとあたかも先端ファッションのように受け取られ、田舎に行くほどだまされて渋谷風の若者が増えるという逆転が起きている。だから少年犯罪の多くが実は田舎で起きているのだ。
 渋谷駅周辺は、ビートのきいた大音響の音楽が流れファッションビルやアダルト系店が立ち並んでいる。女児ブランド服が並ぶファッションビル「109」では化粧した小学生でいっぱいであり、近くのセンター街入り口は夕方になると合法ドラッグの舞台が出てマリファナが売られている。平成大不況の中で倒産企業が続出した後の空きビルにアダルト系店が続々と入居し、こどもたちを性の標的としか見ない異常な世界ができあがっている。何も知らない子供たちがおだてられて享楽と頽廃の地獄へ落ち込んでいく。少女4人を監禁して自殺した男は、渋谷で少女専門の買春クラブを経営し、小学生の女の子を見つけてくれば3万円が支給されるシステムで、客を相手に1回6〜10万円で性行為を行わせていた。出入りする少女たちは「こんな稼ぎをすれば普通のバイトなんかバカらしくてできないよう〜」とアッケラカンと云い、日頃から知り合いの監禁被害少女に何の驚きも同情も示さない。こうした街では極限まで人間を破壊し頽廃させる作用が働いている。これが小学生を中心とする少女たちの生態だが、こうした頽廃をつくり出しているのはオトナ、その背後にある現代日本のカネがすべてというシステムに他ならない。
 少年犯罪が多発しているソ連崩壊後のロシアでは、金銭目当ての犯罪がほとんどでストリートチルドレンも多いが、ほとんどの犯罪は理由が見える経済的な貧困によっている。最近の日本の少年犯罪は、経済的貧困というよりも理由が見えない、説明しがたいものが多い。ロシアでも両親がいても家出する子がいたり、親の都合で捨ててしまわれる子がいるが、日本では理由がはっきりしない無断外泊が急増し親と携帯で連絡をとるが家に帰らないと云う亜家出が増えている。特に許せないのは、少女の知的障害者を狙った化粧品やダイエット食品の高額なキャッチセールスだ。判断力の不十分な人を食い物にしてあくなき利潤を追求するオトナの破廉恥商法は、最近の犯罪を象徴している。こうした社会的弱者を保護するサポートシステムが緊急の具体的な課題となっている。この夏はこどもを犯罪からいかに守るかが最大の課題になってきた−そういう惨めな国になってしまった原因を根本的に掘り下げなければならない。

 第1に少年少女の世界をむしばんでいる消費主義文化の蔓延だ、いま小学6年生の平均の小遣いは月700円であるが、子ども市場のブランド製品は1万円を超えるから、カネがないと流行に乗れない惨めな気分を味わい、1回6〜10万円の小学生援交がおこなわれる。しかも携帯でオトナの世界との境界が喪われて悪の世界に直接普通にアクセスできるようになった。親も「何かあったら携帯ですぐ連絡する」というメールが入ると、あたかも我が子がすぐ近所にいるような錯覚におちいり、親子のコミュニケーションが薄っぺらなものになってしまった。思春期の女の子どもは、すぐグループをつくって互いに依存しあう傾向が強いが、これがマイナス方向に働くと歯止めが利かない地獄への道をたどる。
 第2は地域共同体の崩壊だ。かって子育ては無意識のうちに地域全体でおこなわれ、家族と地域が結びついて子どもの遊びは地域の空き地で日の暮れるまで思い切って遊びまくるスタイルが異年齢集団で展開された。いまやどこで痴漢が発生しているかを示す「犯罪危険地図」が町内会を通して各家庭に配布され、我が子を家庭に閉じこめて安全を守るか、親付き添いの塾通いをおこなうようになっている。空洞化で歯抜け状態となった商店街と、巨大なショッピングセンターが共存しているところに本当の地域はない。
 第3は根本の原因はオトナ社会の崩壊にある。弱肉強食の生き残りを賭けた競争原理が社会を覆い、一方では中高年の激しいリストラと若者の失業が急増し、他方では世界最長のサービス残業による過労死が頻発している中で、人間を結ぶ絆が深いところで絶たれてしまい、母親も猛烈な勢いで我が子を勝利者のサイドに駆り立てているような現状がある。利益率極大化をめざすスタイルが蔓延し、人と人は分断されてもはや何でもありの時代になった。その最大の責任者の名前は小泉純一郎だ。

 結論的に云うと、アメリカ・モデルの機械的な導入に最大の要因がある。西部開拓のフロンテイア・スピリットは、フロンテイア(未開の大地)が存在している限りは、明るい挑戦的な心を培い成功者に対する称賛も素直におこなわれたが、すべてを開拓し尽くしていまアメリカには何もない。すると外国に出かけるか、残っているものを奪い合うか−という選択しかなくなる中で、現在のアメリカ人は両方やっている。そのなかで落ちこぼれた大量の敗者を救済している余裕はないから自己責任で放置してしまう。都市で云えば、大都市郊外に拡がるフェンスで囲まれ武装したガードマンが警備する高級住宅街と、犯罪が横行するダウン・タウンの2極分解が進んでいる。学校で云えば高額の授業料を払えるブルジョア子弟のエリート私立校と、庶民の子弟が通う銃が持ち込まれる公立校の2極分解だ。日本の都市と学校もじょじょにアメリカ・モデルに近づきつつある。
 しかし米国は最初から個人主義が定着した文化でありそこでの振る舞いは成熟している。けっして子どもねらいの公然とした街をつくったり暴力TVを放映したりすることない。日本的共同体から内発的な必然性なく、アメリカ・モデルを直輸入して暴走している日本は、右往左往してシステム構築に致命的な失敗を犯そうとしている。はやく病巣にメスを入れないとメルトダウンしてしまうのではないか−と思う。何か処方箋はないか、ひとつだけフランスの例を挙げる。フランスでは8〜12歳を対象とする個人の尊厳と制度についての教科書が発行されている。その内容の一部はは次のようになっている。

 第1巻 学校生活・国籍とは何か・フランス革命・人権宣言・子どもの権利条約・フランスの植民地支配・第1次大戦の栄光と悲惨・植民地独立運動

 10歳前後の子どもにこうした教材を義務づけるフランスの知性に驚嘆する。よき市民社会を構築するための公民教育(市民教育)の抜きがたい歴史的伝統の重みをうかがわせる。逆に日本では、こうした知の世界を青いタテマエと揶揄し本音を語ることが公的世界で横行し、国際的に恥ずかしくて赤面するような言葉が政治家から発せられ失言として謝りもせず責任も問われない。欧州では激しい非難を浴びて直ちに職を失うような言葉が平気で漏れる知的な頽廃におちいっている。少なくともアメリカ・モデルのいい面に注目し、欧州・モデルを本格的に検討すべきではないだろうか。両者の違いは、「個人」を勝者と敗者に分ける競争の面から見るか、自主独立した連帯の関係とと見るかにあると思われる。以上朝日新聞7月27日付け朝刊参照して筆者作成。(2003/7/27 9:50)

[T・K生とは池明観さんだったのか]
 忘れかけていた記憶がよみがえりました。月刊誌『世界』(岩波書店)の73年5月号から88年3月号にかけて約15年間に渡って連載された「韓国からの通信」は匿名韓国人T・K生で書かれ、当時の韓国朴正熈・全斗煥軍事政権の弾圧と抵抗運動をリアルタイムで日本に伝え、私も韓国軍事独裁の生々しい実態をこの記事で知りました。ちょうど私の学生時代の知人である在日韓国人徐勝君(現立命館大学教授)が国家安全保障法違反で死刑判決を受けて、獄中で19年間拘束され私も救援運動に参加していましたので一層関心がありました。池明観氏は、一貫した反独裁のクリスチャン知識人として本名で日本の雑誌に登場して名前を知られていましたので(後に東京女子大教授)、まさか彼がT・K生とは思いもよりませんでした。歴史はその背後に無数の知られざる真実を隠しているものだと改めて深い感慨にとらわれました。さらに在日韓国人女子学生であった私の教え子が、当時の抵抗運動に係わって日本人の私にも相談を持ちかけてきましたので一層関心が昂じていたのです。
 池氏は当時の『世界』編集長である安江良介氏に原稿を渡し、安江氏が転記の後すべて消却して雑誌に掲載してKCIAの手を逃れました。このレポートによって急速に韓国民主化運動に対する日本の支援が進み、遂に独裁政権は倒れました。死ぬまで云わない積もりでしたが捏造説が絶えず当時の仲間も亡くなったので明らかにすることにした−と氏は述べています。もはやあの命がけの韓国民主化運動の時代は去り、逆に当時は楽園と思われていた北朝鮮が軍事独裁国家として非難されるようになり、歴史のあまりの変貌に驚かされます。当時の日本も高度成長末期で激しい対抗運動が盛んでしたが、いまや大学に行っても立て看一つなく華やかな姿をした学生が楽しそうに闊歩しています。ノスタルジアではなく確かにあの時代を振り返ると決して埋もれてはならない貴重な現代史の刻印があるような気がします。池氏も現代韓国について次のように嘆いています。「韓国は苦難の時は強いが、安楽の時には弱くなる。民主化運動に殉じた人たちの初心は忘れ去られた。私たちは、東アジアの連帯を追求したのに、今は米国を頂点にし、連帯は見えない。韓国の民主化運動とそれに協力した日本の市民は何だったのか。もう一度考えてほしい」・・・・・。
 死を覚悟して独裁と戦い最後に勝利した人の言葉は思い。勝利の後に来る世の中が、自分のことしか考えないようになってしまっている現状を砂を噛む思いで見つめているのだと思います。私はかなり前に見たギリシャ映画『シテール島への脱出』を思い出します。ギリシャ独裁政権と戦って追放され亡命した夫婦が、解放後ににもはや老人となって小舟で我が家に帰ってきますが、そこで見たのは家族の醜い土地争いの姿でした。老夫婦は打ちのめされて悄然と肩を落として小舟に乗って島を離れるという物語でした。池氏の心境はこの老夫婦の裏切られた心情と重なるところがあるのではないでしょうか。そして日本では、かっての戦前期に唯一抵抗した集団が北斗七星のような称賛を持って迎えられた後、現在では汚い侮蔑の言葉を投げつけられています。私たちの国は、苦難の時も弱く、安楽の時も弱い大勢順応が行き渡っているような気がしないでもありません。
 しかし私は或る意味では歴史はこうした試行錯誤を重ねながら、一歩一歩前進をしていくものだと思います。厳しい選択が迫られる激しい時代は、選択肢は明確であり問われるのは勇気でありますが、現代のような複雑で錯綜した時代は選択自体が困難であり単純な意志決定は困難となります。逆に見ればそうした複雑な葛藤を経て掴んだ信条は、なにか深いものに裏付けられて確かな歩みを遂げていくのではないでしょうか。グラムシ(伊思想家)は現代を称して、戦場で一気に決着をつける機動戦から塹壕を掘ってじょじょに広げる陣地戦の時代に入ったと云いましたが、私もそうだと思います。気の遠くなるような日常の積み重ねのなかに、ワインが成熟するように新しい時代がドアをノックする日が来るのだと思います。だから池さん、決して絶望しないでじっと見つめてください。そこにはさわやかな現代っ子が先生のこころざしを受け継いで明日を準備している姿があります。(2003/7/26 20:03)

[結構毛だらけ、猫灰だらけ、お尻のまわりはクソだらけ−小泉一家は自滅するのか]
 夏祭りの夜店などで、立て板に水の威勢のいい言葉で怪しげなものを売る香具師(やし)テキヤを見たことはありますか。渥美清主演の「男はつらいよ」で毎回登場する寅さんがそうです。かっては東京だけで8万人の露天商がおり啖呵を切るような口上で売る啖呵売をやっていました。なぜ香具師をテキヤと呼ぶのかは諸説ありますが、仏教の教えを優しく説いて香や仏具を売り歩いた武士の香具師が野士(やし)と呼ばれ、やがて祭礼や縁日で物を売る商人を指すようになり、それが明治以降「ヤー的」に、さらに逆転してテキヤになったという説が有力ですが、通行人をすべて敵と思って商売せよという意味でテキヤという説もあります。何れにしろ名調子にスカッとするのでつい買ってしまうものですが、最近は姿をあまり見なくなりました。寅さんの口上の例を見てみましょう。

 結構、結構。結構毛だらけ、猫灰だらけ、おしりのまわりはクソだらけ。 
 四谷赤坂麹町、チャラチャラ流れるお茶の水、粋な姉ちゃん立ち小便
 白く咲いたはユリの花、四角四面は豆腐屋の娘、色は白いが水くさい


 バナナの叩き売りは値段を下げていって最初に食らいついた人に売るオランダ型オークションですが、ここでも七五調の四拍子の名調子が響きます。 
 ♪ヤレー、金波銀波の波を越え 海原遠き船の旅 艱難辛苦の暁に ようやく着いた門司港 
 サアサア買った、サ買った、私のバナちゃん400円
 そらっ、持ってけ、泥棒


 実は香具師の世界は上下関係が厳しく、独り気で気ままな商売をすることはありません。この社会には憲法と云われるオキテ3原則があります。@バヒハルナ(売上金を盗むな)Aタレコムナ(もめ事は仲間内で解決する)Bバシタトルナ(旅中の者の女房とるな)の3箇条です。このオキテを破ると、エンコヅメ(縁故詰め)といって指を落とさなければなりません。独り立ちするには、約3年の修業を経て親分に一人前と認められ盃をもらう儀式を経なければなりません。全国の縁日や祭りの日程表を手に、旅から旅への生活で青色申告で納税し、国保の保険料も支払いますが、不安定な収入でローンは組めず、以前は当たり前だったサクラを使う売り方も最近は詐欺商法と見なされます。平成大不況の中で、フリーター感覚で露店を始める若者やリストラ転身組が増え、トウモロコシ・フランクフルトを売る店が増えて同一業種は隣り合わせにしないので場所割りが大変です。現代では姿を変えた香具師が繁盛しています。店先の宣伝にしのぎを削る電気店街やデパ地下食料品売り場、歓楽街の”シャチョウ、マッサージハイカガデスカ、イイコガイマスヨ”などなど・・・・・。

 ところが最近は驚くべきところに啖呵売りが出現しています。文句があるなら「かかってこい!やられる前にやる!」(ブッシュ大統領)、非戦闘地域は「私に聞かれたって分かるわけない。殺すかも知れないし殺されるかも知れない。公約を破るのはたいしたことない」(小泉首相)などと香具師まがいの啖呵が飛び交っています。まるで暴力団かヤクザの出入りの言葉です。香具師まがいは、ちゃんと納税して社会保険料も払っている香具師の方に失礼です。暗黒街の運命に多大な影響を与えているこの2人は、もはや暴力団の親分・子分の間柄で日米安保条約という堅い契りの盃を交わしています。
 ブッシュ親分が気に入らない敵を闇討ちしたら、小泉舎弟はすぐブッシュ親分を応援し、助っ人を頼まれたらスタコラと人殺しに組員を送り込みました。小泉一家には戦はしない・ドスは持たない・トラブルは話し合いで−という絶対に守らなければらない憲法9条というオキテがあるのですが、この子分は親分の命令に屈従してオキテをドンドン破ってしまいました。普通はオキテ破りは指を落として謝るのですが、この組の幹部連中は皆な我が身カワイサに親分に媚びへつらって組のオキテが崩壊していくのを黙ってみています。
 さてブッシュ親分の台所は実は大変な火の車でいつ倒産しても不思議ではない大赤字を抱えています。だからこそ追い詰められた強がりの虚勢を張って暴力で暗黒街の支配にしがみつこうとしていますが、如何せん破産だけは何とかくい止めなければなりません。そこで小泉舎弟に無理難題を押しつけて借金の代理返済を頼んでいます。小泉舎弟は、ブッシュ親分の発行するドルといわれるお金を買いまくり、自分の円と云われるお金を売りまくっていますが、その資金は日銀というところでセッセと印刷しています。小泉一家の台所の赤字が無茶苦茶増えても必死になってブッシュ親分のドルを買っています。円を売って大量のドルに替えて得た大量の外貨準備金を、こともあろうにブッシュ組が発行する借金証書(国債)購入に当ててブッシュ親分の赤字を減らすことに忠勤を励んでいます。いまや暗黒街の全部の借金証書の33%を小泉舎弟が買い支えるというまでになっています。
 しかしブッシュ親分の赤字は、最近のイラク組への出入りと占領でたった1年で4555億ドル(53兆円)に急膨張し、小泉舎弟の献金も砂漠に水のような状態になってきました。ブッシュ親分は常に出入りをやらなくては組会計が破産する深刻な状態になり、小泉舎弟は自分の組の組員の生活を犠牲にしてまで地獄に付いていこうとしています。頭に来た小泉舎弟は、俺もイラクに出きりさせろ!と叫んで自分に反抗する堅気の声を無視して遂に鉄砲玉を送ることを決めました。実はイラク一家はいままで一切出入りがなく穏やかであった東アジアの組に好感を抱いて尊敬さえしていましたが、それも小泉親分のお陰で吹っ飛んでしまいブッシュ親分に媚びへつらう子分として軽蔑し始めました。そこまでして小泉親分は火の出る水のおこぼれに預かりたいのです。
 けれどもこの東アジアの組の堅気の多くは、50数年前の出入りで2000万人を殺し自分も300万人が殺される惨めさを味わい、骨身にしみて懲りていますので、こうした親分の猪突猛進に疑問を持ち始めました。とおからずこの組の内部は、本来のオキテを守ろうとする勢力が力を付け、掟を破った小泉親分を破門して指を詰めさせることは間違いありません.。そうしてヤクザの組織を解散して、親分−子分の関係がない世界を開くでしょう。さもなければこの一家が仕切る国は崩壊して滅びる運命にあります。
 長い梅雨が明けて暑い夏が来そうな夜に、こんな夢を見て目が覚めました。(2003/7/26 10:10)

[アサーション・トレーニングと現代世界]
 アサーション・トレーニングとは自分も相手も大切にしながら自分の思いや考えを伝える表現法であり、1970年代の米国人種差別・女性差別撤廃運動のなかから拡大した。≪放課後に遊ぶ約束をしていた友達が、とうとう待ち合わせ場所に来なかった。翌日あなたはその子にどう話しますか?≫@「何だよ、もうお前とは遊んでやらないからな」(攻撃型)A何も云えない(受け身型)B「どうしてこなかったの、待っていたんだよ」(アサーション型)の3つのうちどれがいいと思いますか? 子供たちは@はきつい、Aはうじうじしている、Bははっきりして優しいとして圧倒的にBを支持します。@は究極には暴力、Aは究極には自虐に到るタイプのように思えますが、私は現実には@とAのタイプが多く、それでさまざまの問題が起こっているのではないかと思います。それは子どもの世界だけでなく、むしろ大人の世界で多発し子どもはそれを写す鏡のようになっているのが実態だと思います。では大人の世界にどのようなアサーションの欠落があるでしょうか。
 22日に米軍はイラク北部のモスルで、フセイン元大統領の二人の息子ウダイ、クサイを殺害したことを最大の戦果と発表して写真を公開しました。戦争終結後の占領体制下では、こうした敵軍の殺害は禁止され逮捕して裁判にかけるというのが原則であり、こうした暴力団のような報復殺人はありえません。この殺害事件は、米政府と米軍が国際法を越えた帝王として君臨し、異文化に対する蔑視意識を持っているということを示しています。決して白人国家の指導者に対しては不可能な行為でしょう。広島・長崎への原爆投下を誇る米国は明らかに有色人種に対する蔑視観がありました。イラク占領米軍は「アメとムチ」の治安政策を用いる(ブレマー占領行政官)としていますが、これほどイラク人の尊厳を損なう傲慢な態度はないでしょう。これはまさにコミュニケーションにおける@の攻撃型暴力反応に他なりません。

 24日の警察庁発表で、2年の全国自殺者数は32143人(対前年比1101人・3.5%増)、人口10万人あたりの自殺率25.2人(対前年比0.8ポイント増)、その70%は成人男性で22505人に上っています。自殺の動機・原因の上位スリーは、健康問題14815人、経済・生活問題7940人(対前年比1095人増)、勤務問題1764人となっています。経済・生活問題では負債4143人、生活苦1168人、失業683人、事業不振1098人、倒産97人、就職失敗155人であり、遺書を残した3297人のうち50歳代の男性が1402人と約40%を占めています。動機の内訳は、負債関係1837人、事業不振503人、生活苦425人、失業228人です。あきらかに自殺者が急増している変動要因は経済・生活問題であり、日銀短観の貸し渋り予測がマイナスの場合は自殺率が上昇するという予測が当てはまります。またヤミ金融の追い込まれ自殺は統計に出てきませんが相当数に上ると推定されます。さらにネット上で知り合った20歳代青年による集団自殺も含まれています。自殺はもはやメンタルヘルスの医学問題ではなく、社会問題なのです。 年齢別自殺者数は60歳以上11119人、50歳代8462人と中高年層が圧倒的で、30歳代が増加しています。総数の男女比は、男23080人(37.1人/10万人)、女9063人(13.9人/10万人)。年間3万人以上が自ら命を絶つ社会とは何でしょうか、60数年を生きてきた人が行き詰まって死を選ぶ社会とは何でしょうか。しかも自殺者の背後には約10倍以上に上る未遂者がいると云われます。この数字がデータとして冷ややかに分析対象となるには余りにも哀しいことです。1人1人のかけがえのない喜怒哀楽のドラマがあるに違いないのです。TVの爆笑番組や料理番組を見ていると、怒りと空しさが交錯します。32123人の喪われた希望を取り返すために、残された人は何をしたらいいのでしょうか。コミュニケーションにおけるAの受容型という社会システムは、実は@の攻撃型社会システムによって誘発されています。自己責任原則がすべてだとし、自殺する者を弱者として冷ややかに冷笑して競争を煽る竹中平蔵なる人物は無限地獄に転落するでしょう。

 同じ24日に発表された警察庁統計では、捜索願が出された家出人は102880人(対前年比750人増)であり、成人78798人(導609人増)、うち男性53323人(3572人増)・女性25475人(同7人増)で増加分のほとんどは男性です。少年は24082人(同2859人減)、うち10歳代は23195人(同2880人減)であり、学生・生徒は中高生が多いがそれぞれ14%.13%減少しています。原因・動機別では家庭関係が20603人でトップです。ここでも成人男性の家出急増という自殺者統計と酷似した特徴が浮かび上がります。これ以外に捜索願が出されない家出が膨大な数になるでしょう。愛情の最後の共同体との関係を断ち切る社会とは一体なんでしょうか。
 年間10万人が家出し、3万人が自殺している国はもはや異常でしかありません。日本は崩壊しつつあるのでしょうか。希望はどこへ行ったのでしょうか。私はこうした現実から逃れることはできませんし、私自身を無関係として傍観することもできません。やはり希望の手がかりを求めてその一歩を踏み出さなければなりません。「世界全体が幸福にならない限り、私の幸福はない(宮沢賢治『農民芸術論綱要』)というやや時代がかった言葉を現代的に再生する道は何か、真剣に考えたいと思います。アサーション・コミュニケーションの意味がほんとうに問われています。(2003/7/25 8:43)

[青年を追放する現代中国ー待業青年とは何か]
 中国で最も問題になっているのは、高校は卒業したけれど家が貧しいか学力がなくて大学に行けなくて就職もできない青年層だ。彼らの残された希望は「日本留学」であるが、公費留学はかなりの難関であり、従って大量の待業(=失業)青年が生まれている。
現代中国の失業の要因は、@社会主義市場経済への体制転換よるもの(親方五星紅旗の国有企業の民営化)A産業構造の転換によるもの(第一次産業→第二次産業→第三次産業)B技術進歩によるものC農村の過剰労働力の都市流入であり、ABは世界共通であるが@Cはは中国独特の原因であり「隠れた失業」といわれる。
 計画経済体制下では国有企業の雇用数は計画当局の雇用ノルマによって決定され、実際の生産に必要な労働力を上回っていた。この過剰な雇用労働者は賃金水準に比べて限界生産性が低く、市場経済では本来的に失業すべきはずの労働者であった。しかも国有企業ではインサイダーコントロールが働き、すでに雇用されている労働者が既得権益を守るために新規雇用を抑圧するシステムがある。特に中国公営企業は、教育から老後に到る一生を保障する社会保障機能も兼ねていたから、低賃金でも安定した生活が実現した。
 さらに中国の巨大人口が住む農村には、農業労働力を遙かに上回る過剰人口が存在し、事実上労働力の無制限供給モデルが成立していた。中国農村労働力人口4.5億人のうち過剰労働力は1.37億人を占め(1995年)、潜在失業率は30%に達している。この過剰人口が都市に流出して都市住民の就業機会を奪っていった。計画経済では戸籍を都市・農村に分断し都市流入を抑制していたが、市場経済化によってかなり自由な労働力移動が推進され、都市部での失業率を急増させた。こうした農村労働力の無制限供給モデルと多国籍企業の労働力最適配置戦略が結びついて、驚異的な外資による開発経済戦略が推進されたのである。従って国営企業の民営化に伴う労働力配置の再編成と農村部開発をどう推進するかという課題がある。
 これを日本から見れば、多国籍化した日本企業が怒濤のような中国展開を開始し、日本国内の空洞化と高失業率を誘発させていることである。私たちは日本企業の海外展開にストップをかけて超安価な中国製品の流入を規制しなければ日本経済の未来はないのでしょうか。最も打撃を受けた繊維産業について考えてみましょう。
 2年の衣類の輸入浸透率(国内市場に占める輸入品の割合)は、数量ベースで89.0%と5年間で18.4ポイントも上昇し、日本人が着ている衣類の大半は中国製品となりました。しかし金額ベースでは52.8%でありいまだ国内生産が半分強を占めています。つまり国内市場は、低価格量産品の輸入品分野と高価格少量生産の国産分野の棲み分け分業がすすんでいるのです。さらに輸入品と国産品の内外価格差は賃金格差よりも、国内生産・流通システムの複雑多段階のロスト不効率によっています。最終商品ベースで40%以上に上るロスが発生すると云われます。消費者ニーズ情報が製造段階に伝わらず、返品制の商習慣によって在庫管理と企画・開発が阻害されています。輸入品は、海外からの直接買い取りが一般的で商社経由で直接小売り段階へ流れ取引コストが発生しません。特にユニクロ現象といわれる直接生産・直接販売という製販直結システムは一時的に最強の比較優位を築いたのです。日本の繊維産業は国際競争に耐えうる比較優位性を充分に持っています。
 比類なき技術力、デザイン力は充分にイタリアブランドに対抗できる水準にあるのです。課題は幾つかあります。@各企業が顧客感応型の企画・開発力を発揮し生産から流通の各段階で対等な競争と協力を推進することA国内取引システムの慣行的な条件を改善し取引ロスを削減することB高齢労働者の再雇用による技術と技能の伝承を図り流出を阻止することC政府による技術開発支援政策の推進D中国を含む富裕層を対象とする海外市場進出のためのメイド・イン・ジャパンのブランド戦略を推進するE有望海外市場への輸出拠点の開設とマーケッテイングと貿易実務に習熟した人材育成などである。
 以上は産業構造審議会繊維産業分科会報告書「日本の繊維産業が進むべき方向ととるべき政策」の概要です。長期戦略としては高付加価値少量生産とコストパフォーマンスの両立にあり、総論的には評価したいと思います。しかし平成大不況下において業界努力を上回る需要減退が進み、高級品市場においても生き残り戦略に重点が移りつつある現在では、共倒れか一部大メーカーの独占に帰する可能性が強く、結果的に繊維産業自体が壊滅する危険性があります。WTOセーフガード措置発動について一切言及がないことも問題です。第2は海外市場重点戦略の傾向が強く、国内市場における日本独特の風土性を開発する戦略がありません。第3は繊維産業を斜陽産業と見なして撤退を推進するかのような政府政策への反省がありません。事態は深刻でありさらに検討を深め総合的な対策を立てる必要があります。(2003/7/24 20:52)

[青年を追放する日本−現代日本の奴隷制]
 私が大学を卒業する時の就職活動は、高度成長期で採用率は高く、新聞社2社・放送局1社・出版社3社・教職3府県を受験し、出版社1社と教職1県に合格しましたが、それでも厳しい就職市場で4年生の秋は不安を抱えて過ごしました。現在青年層の失業率は約10%で、大学卒業生の就職率は90年の81%から56.9%に激減し、大学生の2人に1人は失業状態に近づいています。こうしたなかでフリーターが急増し、95年時点の248万人からから01年は1.7倍=417万人となっていまや5人に1人(21.2%)が潜在的失業状態の不安定雇用となっています。フリーターが急増した要因は、95−01年に中小企業は3万人の雇用増大に対して、大企業は108万人の雇用削減を行っていることにあります。大企業は正社員を大幅に削減し、5人に1人が労働時間週60時間(年間3000時間)という超過重労働を強いています。国営情報企業に勤務する私の息子は深夜11時頃に退社しています。会社の寮が通勤1時間を超えるので、会社の近くに住まいを移しました。「息子が朝6時に寮を出て毎晩12時まで残業し、体はやせ細り、会社が滅びるか息子の体力が滅びるか」(朝日新聞「声」21日付け)という情況がごく普通の事態となっています。大企業の異常な長時間残業を是正すれば84万人の雇用が実現します。以上のデータは、労働者本人の自己申告を基礎とする「労働力調査」(総務省)と事業所の賃金台帳を基礎とする「毎月勤労統計」(総務省)の労働時間差をサービス残業試算値として算出していますから、実態は遙かにこれを越えています。従業員500人以上の事業所で年間192時間の(9.3%)サービス残業があり、これをゼロとした時の雇用創出効果を大企業の正社員数1184万人と労働需要の時間弾性値=0.769から試算すると、84.3万人の常用雇用が創出されるとしますが(第1生命経済研究所試算)、これはあくまで公式データに過ぎず実際にはさらに多くの正社員が生み出されます。
 政府の評価は、青年の意識が変化して必ずしも終身雇用を望んでいないこと、自由な派遣勤務を選択する傾向がある、勤労意欲自体が衰弱している等として学校教育が大事だと云っています。確かに高度成長期には企業人間を忌避して「自由な」労働を指向する傾向がありましたが、それは労働市場が求職者に有利であり選択可能性があったからです。いまやフリーターの70%強は正規雇用を希望し、就職活動に疲弊した青年は「自分は社会にとって不要な人間ではないか、人間として否定されることが辛い」というところまで追い詰められています。
 こうした政府の評価は日本社会の企業価値を最優先する頽廃を示しています。大学に到る教育投資がゼロに帰する膨大なロスを生んでいるのみならず、日本経済の再生産構造を維持する人的資本を喪失させ、未婚化・晩婚化・少子化をさらに深刻化させて不安定社会をますます深化させます。
 最後に派遣労働の実態を量販店売り上げ第1位を誇るヨドバシカメラを例にみてみましょう。著名作家の息子A君(25)は、渋谷区に本社を置く派遣会社に所属し、DDIポケットの販売要員(ヘルパー)としてヨドバシカメラに来ていました。派遣会社はDDIと派遣請負の契約を結び、ヨドバシとの契約関係はありません。A君は派遣会社からDDIに派遣されさらにヨドバシに派遣されるという違法な二重派遣状態になりました。ヨドバシカメラの携帯売り場で働きはじめたA君に対して、ヨドバシは「笑顔が足りない!」「10分の遅刻!」「ペナルテイーとして便器をなめろ!」という激しい制裁を受け、最後には全治2ヶ月の重傷を負う暴行を受けました。当然社会保険の加入はありませんし、ヨドバシシールによる早出サービス残業が横行しました。A君にとって最悪のことは、派遣会社が無許可営業をしていたことでした。ヨドバシはA君との直接契約はありませんから、A君に対する直接の指揮命令権はありません。逆に暴行障害に対するヨドバシの責任も形式的にはありません。暴行行為についてヨドバシは無罪、派遣会社は30万円の罰金となりました。いま日本は417万人を越えるフリーターと派遣社員がこうした現代型奴隷労働を強いられています。DDIのみならず、量販店の店先で笑顔を振りまいて接客している若者は、NTTドコモもJフォンもおなじような派遣労働を強いています。あなたが気軽に楽しく使っている携帯電話は、こうした現代型奴隷労働に支えられています。現代奴隷制が唯一残っている高度工業国が東アジアの片隅にあるのです。もはやそこには笑いながら「便器をなめさせられる」奴隷はいても、人間はいないのです。A君は屈辱を我慢できず立ち上がりましたが、多くのA君が屈辱を隠して笑顔で働いています。いまいちど奴隷解放運動が起こって現代の奴隷解放宣言が発布されるでしょう。(2003/7/24 9:09)

[時代閉塞の現状−果てしなき沈黙の後に]
 シェルドン・ウオーリン(米政治思想家)は、現代の米国を逆全体主義と呼ぶ。そこでは「選挙は多大な資金を費やしながら、せいぜい半分くらいの有権者しか参加しない些末な事件となり、有権者が得る情報は企業が支配するメデイアを通してしか得ていない。市民の意識をくじき政治的無関心に追い込む制度的な過程がある」(『世界』8月号)。かっては一方向的な政治参加を強制するハードなファッシズムによって棄権行為は処分され、驚異的な高投票率が維持された。現代は政治的無関心による大量の棄権層が支える「ほとんど投票しないこと」によって権力が支えられている。内実は逆であっても「私たちが直面しているのは、一定の自由な社会を、前世紀の極端な体制の一変種として意図的に変容させようという試み以外のなにものでもない」(前掲論文)。ひるがえってこの日本でも、「我々の国家である日本等と論じる人を政治家かその周辺の人という風に思ってしまう。我々の日本というものが、その人たちにとっての我々なんだと思ってしまう」(橋本治)という権力による国家の独占が進んでいる。失業率が10%を超える青年層は最も棄権率が高い層であり、最も正義漢が強く感性豊かな層が政治に背を向けている。安保闘争や民衆運動の高揚期を経験したはずの中高年層は、リストラの不安に怯えつつ保守勢力へ投票している。1930年代のファッシズム期と酷似した雰囲気が日本を覆いつつある。あの時代もエロ、グロ、ナンセンス文化が大流行し、凶悪犯罪が急増してモラル水準は低下した。純粋で正義漢の強い青年将校が危機感を覚えて、ファッシズム扇動思想家の影響を受けてドラマテイックなクーデター事件を積み重ね、結果的に軍部独裁への露払いの戯画を演じた。
 しかし現代との決定的な違いは、青年が時代の運命を声高に論じ赤裸々な姿をさらして時代を切り開こうとしたパッションがあったことである。今は遠い歌人・啄木の時代にあっても、果てしなき議論の後に「されど誰一人としてヴ・ナロードと云いいずる者なし」と言えども、運命に反逆する批判精神は確かにあったのである。権力は治安法制によって血なまぐさい弾圧を加えたが、それでも矜持を失わなかった少数の集団があった。彼らが全身を賭けて追い求め、最後に300万人の犠牲者を出して獲得した男女普通選挙権はいまや紙切れに過ぎなくなった。現代は無関心の沈黙の時代である。闇の向こうで高笑いをして嬌笑する権力の声が聞こえないか。蓄積されたストレッサーは、抑圧の移譲によって次々と自分より弱い層へ向かって放射され、弱者攻撃の悲惨な凶悪犯罪が激増している。かっての凶悪犯罪は、権力や資本家などの支配層へ向かって放射され、「誰が彼女をそうさせたか」という貧困や抑圧への抵抗として逸脱的な犯罪が必然として存在した。犯罪が或る意味では革命的性格を持った時代があった。現代の犯罪を見よ。エゴイズムの自己利益のための知能犯罪から、弱者攻撃のいじめに到るまで、およそ人間的な共感を一切欠く反人間的な頽廃した犯罪ではないか。
 私が最も警戒するのは、こうしたカオスを一刀両断する強力なリーダー出現への願望が噴出して、独裁に身をゆだねるソフトなファッシズムが忍び寄っていうるのではないかということだ。私がそのために生涯をささげようとしてきた戦後民主主義は、もはや埋葬されてしまったのか。無表情のあいまいな微笑を浮かべて自己責任を回避しようとする態度が蔓延し、異端的なアウトサイダーへストレッサーを集中する最悪の時代思潮が現出してはいないか。私はまだ撤退するわけにはいかない。残された力を使い果たさないで、ゆでガエルのようにこの世を去るわけにはいかない。とりあえずは、果てしなき議論の始まりを告げるファンファーレを高らかに奏でなければならない。誰かが吹くのを待っているのはもうやめた。私かあなた、それ以外の誰が吹くというのか。長梅雨の雨音を聞きながら、世界水泳の歓声を聞きながら、最初の一歩を踏み出す夜が明けようとしているはずだ。すべての悪ははためく星条旗にある。かって或る理想を体現したこの旗は、いまや歴史上最も人の血を吸ってひるがえっている最も汚れた旗となった。星条旗への一切の幻想を暴き、その赤い血を白日の下に曝さなければならない。水に落ちた犬は打て!水に落ちようとしている犬は蹴飛ばして落とせ!さもなければこの惑星の終末はいよいよ近く、取り返しのつかない悔恨の涙をこどもたちに強いることになる。この旗が姿を消した地球を想像せよ。楽園の惑星が輝く光を放って銀河系を照射する美しい光景が浮かび上がるではないか。航空機で突っ込むような戯画的な方法とは、きっぱりと縁を切ろう。全力を尽くして理性の未知を切り開く勉強をしよう。信じ切れない自らの力の源泉に思いを致そう。2度とない生のために、再びは来ない青春のために、残り少ない時間のために、この惑星がもう一度あざやかなよみがえりの姿を現すために、君の恋人のために、君のいたいけな子どものために、かけがえのない自分自身のために、生きとし生けるすべての命のために、誰かが名づけた神のために、そうして・・・・・・・・。(2003/7/23 20:15)

[米軍の空爆が夕刻7時に始まるのはなぜか]
 1986年のリビアの首都トリポリに対する空爆は、米国TVニュースが始まる夕刻7時にセットされた。この作戦は、米兵が集う西ベルリンのデイスコへのテロに対する報復であった。首都トリポリでは、事前に「大事件が起こる」と伝えられていたTV各局が待機して「驚いた振りをすることになっており」、ニューヨークのスタジオでは「いまはじめて聞いた」という顔をすることになっており、興奮させるアクションシーンや爆弾の映像を流した後に、ワシントンのスタジオでコメンテーターが待機するという態勢をとった上で、夕刻7時に攻撃が開始された。TV視聴率が最も高い時間帯に合わせた史上最初の仕組まれた宣伝であった。これ以降に湾岸戦争からイラク戦争に至る空爆と侵攻の開始時間は夕刻にセットされている。以上『チョムスキー世界を語る』(トランスビュート刊)参照。
 メデイアを通じた世論操作は精緻を極め、今時イラク戦争における米軍支持の世論はほとんどTV報道によって意識的につくり出されたものだと云える。その象徴は、フセイン大統領の巨大銅像を歓声を挙げて倒すイラク民衆の映像であったが、その内実は米軍兵士が倒壊させて歓呼して喜ぶ民衆はクウエートから連れてこられた者たちであり、現地イラク人の姿は少なかったのである。先の湾岸戦争時に、原油が流れ出した海で油をかぶって真っ黒になった鳥の映像が全世界に放映され、イラクの侵略に対する怒りを組織したが、実はあの映像も作為されたヤラセであった。
 これ以外にも手品のミスデイレクション(見られては困る場所から目をそらせる技)の手法を使った世論操作がおこなわれる。例えば、もはや記憶から遠ざかりつつある「白装束集団」がTVワイドショーを占領してカルト的な恐怖感を煽ったのは、有事法制の国会審議のまっただ中であり法案が衆議院を通過すると同時にアッというまに姿を消してしまった。この場合は、明らかに世論を誘導して国民の関心を偏向させる謀略的な意図があったのではないか−と疑わせる。メデアイ側も視聴率競争に翻弄された批判的ジャーナリズムの衰弱が進行して情報操作の先兵となっている。特に公共放送たるNHKは最悪のイラク戦争報道を垂れ流し、米軍政府の広報局に堕落してしまったが、同じ英国のBBCが毅然として報道の自由を守り政府と対決している状況を見ると、日本のメデイアの恐るべき頽廃が露呈されている。
 しかし真実は一時的に闇に隠されても、必ず光を当てられるというのが歴史の法則だ。大量破壊兵器の真実が姿を現し、米英政権は国民を欺いた罪を指弾されつつある。市民がメデイアによる虚偽情報に一時的に誤った判断を持っても、その体験を学習した市民のメデイアリテラシーの水準は必ず上昇し、逆に批判的分析力を持つようになる。これが歴史の弁証法だ。(2003/7/23 8:49)

[現代日本のキーワード]
 ある人が新聞記事に登場する日常語をアトランダムに収集し、Google検索でインターネット上の使用頻度を調べたら次のような結果となった。商品>価格>販売>通信>旅行>会社>情報>学校>技術>製品>パソコン>家庭>ビジネス>需要>住宅>医療>IT>自動車>道路>産業>日本人>消費税>投資>少年>合併>輸入>介護>ドル>インターネット>流通>犯罪>暮らし>育児>覇権>ボランテイア>証券>株式>マスコミ>所得>外国人>業績>ローン>防衛>商店>障害者>>ロボット>税金>温暖化>年金>融資輸出>景気>北朝鮮>NPO>デジタル>リストラ>サラリーマン>金利>廃棄物>遺伝子>治安>バブル>地域社会>起業>負債>発電>少子>構造改革>拉致>ハイテク>高齢>不良債権>無農薬>デフレ>燃料電池>電子政府>物価>郵政>国債>麻薬>エイズ>規制緩和>セクハラ>カルト>フリーター>知的財産>民営化>野党>失業率>公的資金>ホームレス>地価>非行>支持率>過労>水資源>住民投票>市民運動>内部告発等となっている。トップの商品のヒット数は20,700,000件であり、ラストの内部告発は22,900件である。奇妙に思われるのは、「環境」「生命」などのエコロジー用語や「戦争」「イラク」などの国際用語がなく、また経済用語が中心を占めていることに、現代日本の意識の特徴がうかがわれる。 現代世界の機軸となるキーワードの一つが「戦争」だと考える私は、その焦点であるイラクについて考えをめぐらさざるを得ない
 さてイラク占領の推移は或る意味で21世紀の世界システムを決めてしまう決定的な意味がある。大義なき侵略と占領が成功裏に推移すれば、21世紀の地球は強者と奴隷のシステムが支配し、占領が失敗すればまだ地球には希望がある。第1に、米政府の文化遺産政策の貧困について考えたい。イラクは、世界最古のメソポタミア文明の遺跡の宝庫であり、世界最古の古代都市ウル、バベルの塔があったバビロン、アッカド遺跡の都市キシュ、ウルク遺跡、イシン遺跡、シルクロード隊商都市遺跡ハトラ、アッシュール遺跡等の無数の遺跡が集積している国全体が博物館だ。米軍の攻撃は古代文明を破壊することに対する痛みと配慮は全くなく、米政府の文化政策が最低であることを示した。占領米兵士は、次々と略奪を行い、闇市場に流した。フセイン独裁政権は、国威発揚のために文化遺産を尊重し厳格な保護政策が採られたが、逆に国民から見ればフセインのお宝と写ってしまい、生活難の中で略奪行為に走った。日本政府はユネスコを通してイラクの文化遺産保護に百万ドル(1億2千万円)の拠出を決めたが、軍事支援から見れば涙カネであり、日本政府の文化意識の貧困が露呈された。
 第2は現地占領軍の厭戦意識の蔓延である。米兵への襲撃が多発し死者数が湾岸戦争を上回る151人に達して、占領作戦に対する誇りと使命感が衰弱している。1万人の派兵をインドに拒否された米軍は、代替部隊の補充が遅れ現地米軍の帰国日程が次々と延期されている。「今までの人生で感じたことのないレベルの失望を感じ、KOパンチを食らったみたいだ。我々は力尽きた。帰国ができることを望んで負傷する者が相次ぎ、心理的にも肉体的にも疲労困憊している。おーい俺を撃ってくれ、早く家に帰りたいんだ、ってね」(エリック・ライト軍曹)「数ヶ月で帰国できると3回も聞かされたのに、我々はやる気を失った」(クリス・グリシャム軍曹)「もしここにラムズフェルド国防長官がいれば、彼に辞任を求めるだろう」「なぜ我々が依然としてここにいるのか。なぜ我々がイラクにいるのかさっぱり分からない」「我々は軍隊への忠誠心を著しく失った。彼らが何を云おうとも信じない。来週出発だと云っても信頼はしない」「一番早く帰国する方法はバグダッド経由だと開戦前に聞かされ、我々はそれを実行した。でもまだ我々はここにいるんだ」(フィリップ・ベガ軍曹)「帰国の延期を彼女に伝えたら泣き始めたんだ。僕ももう少しで泣き出すとこだった。心臓が張り裂けんばかりになったよ。すぐ帰国できると云っては留めておくのか理解できない」(テリー・ジルモア軍曹)等々兵士の怒りの言葉が続く。
 注目すべきは、インタビューに応じて答えているのが現地の最前線で戦うプラトーンの曹長だということにある。最前線の精鋭である兵士に厭戦気分が蔓延し米軍の内部がゆらいでいることを如実に示している。志願制の米軍兵士は、9.11テロ以降星条旗への忠誠と独裁者を打倒する一定の使命感で生命をささげる決意で参加したにもかかわらず、現地の実態は初期の解放軍の歓迎が急速に薄れ、植民地占領軍へと移行して兵士自身がゲリラ攻撃を受けてその本質を知り始めたのだ。ベトナム戦争の二の舞が始まり、帰国後の兵士は汚い不正義の戦争に従軍したイラク帰りのとして冷ややかな視線を浴びて、PTSD症状を示すことは間違いない。
 世界最強の帝国が、ネオコンに扇動されて”かかってこい”といい気になって傲慢な振る舞いに及んでいる時に、日本ではストレス少年が幼児を襲撃して快楽を味わっている。(2003/7/22 8:45)

[満月の日に欠席者が増えるのはなぜか?]
 皆さんは「今日は何となく学校へ行くのがいやだな」と思ったことはありませんか?(いつもそうだという人はここでは対象としません)そんな日にはその日の月の欠け具合(月齢)を新聞で調べてみましょう。多分満月の日ではありませんか? 昔から西欧では満月の日には何か起こると云われ、満月の光りを浴びて狼に変身する狼男、満月の日に気が狂う狂人等々よい意味では使われません(日本の満月は歌を詠んだり、、かぐや姫の物語になったり、お月見などよいイメージがあります)。
 月の引力で潮の満ち引きが起こり、満潮と干潮は毎日だいたい2回起こります。満月と新月の時は満潮と干潮の差が大きい大潮となり、上弦・下弦の時はその差が小さい小潮となります。こうした月の地球に対する影響力は、身近な人間生活にどのような影響を与えるでしょうか。或る高校の地学部が学校の欠席者数のデータから月齢との関係があるかを調べました。高校生の欠席率は、教師や生徒などの人為的影響を受けやすいので、データの信頼性をもたせるために、人為的影響を比較的に受けにくい低年齢の幼稚園児を対象に調査しました。風邪の流行している時期をはずし、4592人のデータが集まりました。それぞれの日を月齢に置き換えて、欠席者数と月齢の関係を表にしてみると驚くべき特徴が浮かび上がりました。満月の頃休む子供の数が特に多く、逆に新月の頃は欠席者数が減少しています。サンプル数を増やせば増やすほどその傾向が強く現れ、明らかに月齢と欠席者数に相関関係があるということを示しています。
 満月は月の引力が最も強い時期で、人間の身体にも強い影響がある時期で体調不良が起きやすいのです。こうした関係は、交通事故発生件数や出産数の調査でも同じような傾向が現れます。この詳細なメカニズムは私には説明できませんが、自然と人間の深い関係を証明しています。但し経済大不況を太陽の黒点で説明する理論になるとややマヤカシの傾向があります。ひょっとしたら少年犯罪も満月の日に発生する傾向があるのではないでしょうか。
 いよいよ8月27日19時に火星の地球大接近が始まり、距離5576万km・最大視直径25秒を超え、南の空に約40度の高度で−2.9等の明るさで輝きます。火星は2年2ヶ月ごとに接近しますが、楕円軌道の狭いところの接近は過去2000年間で一度もなく、57000年ぶりの超大接近といわれています。今後は2050年と2080年の8月に同規模の大接近があると予測されています。火星は平均半径3390kmで質量は地球の10分の1で自転軸の傾きが地球とほぼ同じで四季があり、豊富な液状の水があります。つまり生命が存在する条件があり、NASAは1996年に火星から飛来した隕石分析で「火星の原始生命の痕跡発見」という衝撃的な発表を行いましたが、直接のサンプルリターンによる確認はありませんでした。宇宙における生命誕生の普遍理論を構築する絶好のチャンスは近づいてきました。
(2003/7/22 24:07)

[複雑系理論Theory of complexity systemによって社会現象は説明できるか]
 現実に起こっている事象の相互連関作用である系は、原因となる変数と結果の間に正比例関係がない非線形である。系の構成要素は相互に分離不可能な非線形現象であり、事象を要素に分解して要素を解明すれば全体の性質が解明できるとする近代科学の要素還元論は危機と荒廃を招いた。1980年代にI・ブリゴジンは、エネルギーと物質の交換のない孤立系、エネルギーの交換はあるが物質の交換がない閉鎖系、物質とエネルギーの交換のある開放系の3つの系を考え、現象の本質を開放系に置いた。開放系内部に形成される規則的構造を散逸構造と呼び、開放系に非線形・非平衡によるゆらぎが生じるならば或る確率的な法則による自己組織化ないし協働現象という自己組織化によって新たな秩序が形成されるとする。例えば、大気中の熱流に伴う水蒸気の上昇が生む鰯雲、心筋の鼓動、ホタルの群の同期的明滅、神経の規則的振動などは不可逆的な時間的な散逸構造であり、系を構成する要素が全体へスレーピング(隷属化)される協働現象でもある(独化学者・H.ハーケン))。初期値を入力すれば結果のすべてが決まる力学方程式は、初期値のわずかな誤差によって結果の異なる場合は時間変化の将来を全く予測できない(初期値敏感性による力学的カオス)。他方散逸的方程式では非線形の度合いの高まりにつれてランダムな結果が生じ、いずれも自己組織化による新たな秩序形成に到る。古典力学では、外生的要因によって状況が変化してもその変化は時間において可逆的であり、これは機械の世界無時間的な運動であるが、現実の事象は外生的要因の波を受けつつも基本的には内生的要因による不可逆的な非線形の相互作用である。こうした複雑系理論は、1960年代以降宇宙の生成から生命の形成、生物固体の動態分析、大脳の情報処理機構から最も高度な複雑系である人間社会の分析に到る普遍理論としての有効性を獲得しつつある。
 さて人間社会の複雑系分析として内部観測理論がある。サッカーで云えば、誰にパスを回すかという判断の正当性は、グランドでプレーしている選手とベンチで観戦している監督では視点のズレが生じる。選手は局所的な瞬間的判断であり、監督は大局的判断である。このズレを除去することが勝利への条件であるが、この違いを埋める理論として複雑系理論が有効性を発揮する。このズレは、時間とともに或る範囲の領域に閉じこめられる複雑なカオス(ストレインジアトラクター)の解であり、ボールが敵のゴールに接近すればするほどパスの選択性は減少する。古典力学では、たった一つの最適なパスがある(最適解は唯一)とするが、集団スポーツは複雑系であり最適なパスは複数存在する。なぜなら敵選手の予期せぬプレーや味方選手のアクシデントなどの要因が複雑に絡まり、或る局面における最適のパスルートは複雑に分岐するからである。本質的なことは、ベンチから見ている監督が大局的な観点から最適パスルートを判断し、選手に指示を指示を出しても有効性はないということである。監督の指示という外生的な要因は、一定の影響を選手に及ぼしはするが、不可逆的な試合の流れの中で主体的な選択行為の連鎖の中にある選手自らが内生的な非線形の主体的な瞬間的判断で時間 従って選手は協働関係の中で監督の意志を自らの意志として体現しつつ、プレー自身は誰でもない自らの行為として展開する。こうした選手と監督の弁証法的な相互関係は、日頃の練習の中でしか体得されない。その弁証法的な相互関係としての秩序が自己組織化され、チームの散逸構造として定着するならば秩序は形成されてゆらぎはない。ところが、その秩序に対応する新たな戦術を敵チームが発見すれば、当然にその秩序はゆらぎ、新たな自己組織化へと向かうことになる。否定の否定は新たな肯定につながり、試合の量の蓄積は或る段階で新たな質に転化する。
 少年犯罪で云えば、複雑系の発達過程にある少年がある外生的な要因を契機にゆらぎが生じ、新たな秩序形成への自己組織化に失敗して、自らのゆらぎを生まない弱者への攻撃行動によって、そのゆらぎから一時的な平衡を回復しようとする運動であった。少年の発達段階は、さまざまな外生的な要因による秩序のゆらぎが誘発されやすく、悪の要因に対する内生的な発展を保障するための保護要因が衰弱し、結果的に自己コントロール力が失われてストレインジアトラクター情況に陥り、時間とともに位相空間における位置の範囲が極端に狭くなって閉鎖系ないし孤立系に逆転する結果となった。少年にとって、攻撃対象としたなった幼児は、もはや複雑系における協働関係ではなく、孤立系における抹殺すべきモノであり、エネルギーと物質の相互交換(=人間的愛情や信頼の交流)は消失していたのである。(2003/7/21 21:00)

[少年犯罪を考える(3)−共犯者は誰か]
 なぜこうした事件が起こるのか、なぜ防げなかったのか−評論家から市井の人までがよってたかってしたり顔でさまざまの解釈を繰り広げているが、基底にある普遍的な意味の探求や考察は少ない。それらは少年12歳を自分とは直接関係のない客体として観察し、自分自身が一員である社会の問題として考察されていない。自分自身も或る条件の下で同じような行為を犯す充分な情況にあるという痛みがない。少年の世界にある冷ややかにイジメを見て傍観者や加担者として自己保存を図る傾向や、企業や職場・地域にある異端者への排除を見過ごしている自分自身への意識内在的な解釈がない。親を縛り首にせよ−と獅子吼する政府高官が辞職しないのは、市民自身の中に潜在している罪の忘却に対する逡巡を素朴な直線的怒りとして想起させ、あるカタストロフィックな心情を公言してはならないタブ^−を直裁に表現して一定の共感を得ているからに他ならない。メデイアは灯台のような感性で直ちにこの発言を批判しなければならないにも係わらず、3面記事のような扱いしかできない人権意識の頽廃に覆われいる。私はただ一言、希望を喪失した社会と云おう−そして共犯者でない者はいないとも云おう。すべての人が多かれ少なかれ、何らかのかたちで日常の身の回りの生活で、7階の屋上から誰かを突き落としている情況があり、そうした棘が自分に刺さっている中ですべてを12歳の少年に流し込んで自己保存を図ろうとしているとも云おう。
 たとえば01年に公表された家庭裁判所調査官研修所『重大事件少年の実証的研究』というレポートでは、少年の単独事件の特徴を次のような3つのタイプに分けている。@幼少期から万引きなどの非行を繰り返し、殺人に到るタイプで、親が世間に顔向けできないとかいって体罰を加えてきたケース、A普段はおとなしいが突然殺人を犯すタイプで、親との意志疎通が希薄で温かい人間関係をつくれず、空想世界にのめり込むタイプ、B思春期に挫折を経験し、衝動的な殺人に到るタイプで、親の過大な期待で自己中心的な傾向が強いケース−としている。いずれも親子の家庭情況に主たる責任を求める狭隘な分析だが、その限りでは真実を含んでいるだろう。問題はその背後に拡がる重層的な社会状況の分析であり、家庭裁判所の限界がそこにある。
 次に「キレる」こどもの生育歴について国立教育研究所は次のようにレポートしている。父親に存在感がなく、母親が過保護であり、普通の人間関係をつくることが苦手で親の暴力によるしつけを受けたことが多い。いずれも家庭の親子関係に主要な原因を求める自己責任式が欠落したレポートであり、客観的に少年法改正と親への服従を強化する教育基本法改正に連動する役割を担う研究だ。
 さらに12歳の少年が4歳の被害者を裸にした行為を重視し、未分化な性衝動と攻撃性の結合という思春期特有のゆがんだ異性観を指摘する。確かに思春期は、身体と精神の調和のゆれが生じ、特に異性を自覚した時からとまどいが生じて安定性がゆらぐ時期であるが、なぜ幼児に執着したのかとかという猟奇的な視点から見る傾向は、12歳の少年自身が幼少期に性的な被害体験があったのではないかという飛躍した推定を行うに到る。ひるがえってみれば、異常な性ビジネスが歯止めなく街中に溢れ、ポルノがコンビニで自由に見れる異常な国を野放しにしてきたのは誰か。興味本位の性情報をシャワーのように浴びれば、誰しもゆがんだ性意識が形成される可能性があり、誰しもこうした犯罪行為に走る危険性があるのが、現代日本の頽廃情況ではないか。

 社会全体の人権感覚が決定的に衰弱していることを象徴的に示したのが、長崎県警が職場体験学習の待ち合わせ場所で2人の友人の目の前で少年を公然と逮捕したことである。一緒にいた少年たちの驚愕と痛み、恐怖感は想像を上回るものがある。少年の氏名と顔写真・中学校名がネット上で流され、あたかも少年をいたぶるかのようなバッシングが行われている。ネット上で公開した人は、この中学に近接した者であろうが、これほどサデイステックな行為はなく頽廃はない。

 戦争で多発するレイプや強姦はごく普通の市民であった兵士がおこなったのである。少年が幼児を裸にしたのは、戦時におけるレイプとの共通性がないか。戦時レイプは、抵抗不可能な女性に死の恐怖を煽りつつ遂行される究極の身体的暴力であり、しばしば集団で公開の場で行われ、敵に対して激しい屈辱感と虚無感を与え抵抗力を奪う。犠牲者は蔑視され共同体から排除され追放される。共同体の恥辱の刻印の生き証人を抹殺して名誉を守りがたいためである。犠牲者は贖罪のシンボル、スケープゴードとなる。占領政策の効率的な展開のために、レイプは戦術として駆使され、抵抗者は逆にレイプ被害を抵抗精神の高揚に最大限利用した。レイプは、女性の身体を直接的に破壊し民族再生産機能を消滅させる民族浄化と純化の儀礼的効果を持つ。戦時性暴力は、平時のごく普通の市民が兵士となって遂行される。従って平時の社会でどのような生活や価値観が日常生活で刻み込まれているかが、戦時暴力の質を規定する。平時の市民社会で、子供や女性がどのように位置づけられているか、男性がそれをどのように受容しているかが決定的な意味を持つ。戦時暴力は、軍紀を逸脱した一部の兵士の異常な行為ではなく、平時を生きてきた市民の価値観の凝集であり、実は現代日本を生きる私たち自身の日常が問われている。頻発している少年犯罪は明らかに戦争犯罪につながる共通した心情があり、日本がかなり危険な領域に突入しつつあることを示している。戦時レイプについては、長谷川博子「儀礼としての性暴力」(『ナショナルヒストリーを越えて』東大出版会)を参照。幼児を殺害した少年が、抵抗不可能な幼児に対する絶対暴力による自己権力の確認、自分を翻弄する現体制に対する攻撃の象徴的行為という自己意識が少しでもあったとすれば、明らかにそこには戦時暴力との連続性がある。この国は秘やかに戦争への道を着実に歩みつつあるのかも知れない。少年は実は私なのだ。(2003/7/21 1:15)

[デイクシー・チックス]
 米グラミー賞4部門受賞のカントリー音楽の女性3人グループは、3月のロンドン公演で「大統領が同じテキサス州出身で恥ずかしい」とブッシュを批判してから、米国内でのバッシングは激化し非国民!CD打ち壊し運動、議会での謝罪要求決議、全米ラジオからの放送禁止、殺すぞという脅迫番組、曲をかけたDJの休職など現代の魔女狩りのような猛烈な迫害が行われましたが、彼女たちは自分のヌードに「平和」「言論の自由」とペイントして反撃をおこない、大量破壊兵器の情報操作が暴露されてからCD売れ行きは急上昇し、コンサートチケットは完売が続いています。単純な言葉ですが「勇気」という言葉の真も意味を身を以て示しました。
 世界食糧計画WFPは、アフリカ南部の親がエイズで死亡し食料が途絶えた孤児が1100万人に達し、今後7年間でさらに900万人増大すると予測し、アフリカ南部経済の大部分がエイズで壊滅する危険があると警告しています(18日リスボン発ロイター)。親がすべて死に絶え世帯の半分が70歳代以上のひとに養われる異常な状況となっています。戦争より飢餓救援が人類的な緊急課題となっている情況をデイクシ−・チックスは鋭く音楽を通して訴えています。
 日本最初のマラソンは、現在の群馬県安中市で江戸時代に安中藩主板倉勝明が安政15年(1855年)に藩士の鍛錬のため安中城から碓氷峠の熊野権現までの約28kmを走らせて着順記録を競わせたことにあります。安中市は新島襄(同志社大学創立者)や柏木義円(安中教会牧師で非戦運動家)などを排出した平和の文化都市です。1975年に「遠足マラソン」として復活して全国から愛好者が平和を胸に気軽に走ります。軍隊をイラクに派遣する予算でこうした行事がいくつか再生します。
 フランスのラブジョイは、大学の授業で学生から「あなたは神を信じますか」と聞かれて、1週間かけて神の観念を33種類に整理して「ところで君はどの意味で尋ねたのかね」と聞いたという(『観念の歴史』名古屋大学出版会)。私が思い浮かべることができるのは、せいぜい6種類ぐらいしかありませんが、要するに人間の文化は比類なく多様であり異なった文化との共存なしに人類の生存はないということが分かります。ブッシュは十字軍よろしく米国型民主主義を暴力で強制していますが、こうした試みは他者の尊厳をうち砕く試みに他なりませんから、遠からず米軍は撤退し米国現代史の教科書に致命的な政策として記載されるでしょう。こうした神の名でもって神に反逆する悪魔は歴史とともに古く、12世紀西欧では身の毛もよだつようなふてぶてしい恐怖の容貌を以て登場し、16−17世紀には幾千人の魔女が火刑台で火あぶりとなり、サタンやサバト等の魔術を抹殺する蛮行が蔓延し、18世紀になると一転して悪魔は個人の内面に浸透して毒気を失ったファッションとしてのデーモンになっていきました。ところが21世紀になると悪魔は突然に、最先端科学兵器で全身を武装して敵を「悪の帝国」と罵りながら星条旗を掲げて精密誘導攻撃を開始するというユニラテラリズムという戦略をとるに到っています。この21世紀悪魔は、世界最強の帝国として地球支配計画を推進していますが、人類の精神的支持はほとんどなく侮蔑と冷笑を浴びて舞台の上で右往左往するという惨めな姿をさらし始めました。水に落ちた犬は打て!!
 ルーマニアの首都ブカレストには、10−20歳代前半の子供たちが零下20度になる地下マンホールで生活しています。。独裁者チャウシェスク時代の人口増加政策で急増し、政権崩壊後すべての保護を失って、親から捨てられたり家出したりした子供たちです。地下のマンホールは温水パイプのおかげで寒さをしのげ、糞尿の汚濁の中で段ボール製のベッドで飢えをしのぎシンナーを吸っています。子供たちは被差別民族ロマ(ジプシー)が多く、外界では激しい暴力と迫害を受けるからマンホールを選んでいます。しかしマンホールの中でも陰惨な集団暴行があり、暴行を避けるためにわざと自分で腕に傷を付けて大量の血を見せて逃れようとしています。日本の公園では、中高年の青テント生活者が水平的な棲み分け生活をおこなっていますが、ブカレストでは少年たちが垂直的に地下に潜っています。ブッシュに再び問う!あなたがカウボーイよろしく「かかってこい!」と怒号している時に、ブカレストの少年たちは地上に出る希望を失っています。あなたが高級ホテルでアスレチックに励んでいる時に、マンホールの少年たちはシンナーで幸福そうな顔をしてこの世を去っていきます。(2003/7/20 9:05)
 
[ジャン・ギトンVSジャック・ランズマン『神を信じる者と信じない者』(新評論 1995年)]
 本書はフランス最高のカソリック神学者ギトン(94歳)と無神論者でユダヤ人小説家ランズマン(68歳)の火花を散らすような赤裸々な対話記録である。私が圧倒されたのは、日本的な曖昧な同調性や共感性が全くないフランス的知性の文字通り真摯な思想の応酬である。相互に一切の妥協を許さない白熱した言葉によって互いの深奥に迫ろうとする刃のような対話である。日本の対話は、互いを傷つけないような配慮とあいまいな微笑によって、一見互いの承認を麗しくめざすようで、結果的には何の生産性もないものが多いが、この対話は抜き差しならない対決の中から、最後にユマニテの一点で相互承認が行われる。そこに到るけわしい道程は自らの全存在を賭けているかのようである。しかし両者ともにフランス・コミュニズム批判において共通し、社会認識の限界が示されてもいる。
 第2はフランス・カソリズムの現代社会に対するオープンで柔軟な態度には驚かされた。そこでは神学者自身が神概念を疑ったり、修正したりする。。生々しい政治的問題に対する鋭敏な感性と思考は、とても94歳と68歳の頭脳とは思われない大脳活動が示される。

 私はいつでも他の誰でもない私でありたいと思っています。生き残った最後の人間として、考えるようにしたい。

 但し私はやはり無神論者ランズマンの思想に近接性を覚える。神学者ギトンは、やはり観念が第1義的であり、生き残ろうがどうであれ、すべてを神−私という2者関係で完結する発想を示す。ランズマンは一時フランス共産党の活動家であり、ソ連に対する幻滅を経て独自の立場での表現を展開してきたが、基礎は私を含む人類であり、ギトンにはない。神は聖域であり、地球のあらゆる悪に無罪であり、天上から下を見下ろしているようなところがある。これがカソリシズムの限界であろうか。いずれにしてもハラハラドキドキするような興奮をもたらす対話である。フランス文化とかフランス的教養の奥の深い蓄積の重厚さは比類のないものだ。(2003/7/19 23:42)

[少年犯罪を考える(2)−12歳の生存権]
 米国の子供にとって13歳の誕生日は特別な意味がある。PG13規制の映画か観られるようになり(13歳未満は保護者の同意が必要)、ベビーシッターがいなくても長時間の留守番が可能となり、商店街を一人で歩くことができるようになる。12歳までは街をうろつくことはできないし、留守番はできない。米国社会は、日本より深刻な病理現象が拡がり多くの悲惨な犠牲の上に、試行錯誤を繰り返して12歳まで大人の監視を受けるルールができあがった。米国のシステムは、社会と大人の悪を前提に「12歳以下の防衛能力は限界がある」として強制的な保護政策を採っている。
 一家心中に対する日米の意識の差をみると、日本語の「心中」の語源は相愛の男女の純愛による情死であり、それが家族全体に転じた。カップルや家族は一心同体で、可哀相だから親は責めるの避けられ、結果的に「子供は親の所有物」となった。米国では、「マーダー・シュイサイド」(殺人の自殺)として親は殺人(未遂)罪に問われ、どんな理由があっても子供を道連れにすることは一切同情されない。親が信頼がない場合は、子供の生存権は社会が守るのだ。日本人の海外駐在員の妻が鬱病で子供との心中を図った事件では、日本では情状酌量されるが、米国では第2級殺人罪に問われる。日本人観光客が、子供を駐車したレンタカーに置いて短時間買い物をして戻ると、車はパトカーに包囲されて親はそのまま連行され、見て見ぬ振りをした通行者も逮捕される。長時間の留守番で子供を自宅に置いた場合、隣家は確実に警察(911番)を呼ぶ。自分が預かってあげようとか子供を助けたらダメなのだ。こうした発想の背景には、「悪い大人から純粋な子供を守る」というだけでなく「判断力のない子供は自分で危険な情況を作る」という発想もある。

 米国の強制的な監視システムがここまで進んだ要因は、1970年代以降あまりにも悲惨な犯罪によって子供が犠牲となってきたことがある。第1の犯罪は、子供を性的な対象としてチャイルド・ポルノ現象が蔓延し、犯罪の犠牲者とする闇ビジネスが子供を食い物にした。多くの子供が失踪し、新聞やチラシに行方不明の子供の写真が懸賞金付きで掲載された。第2は、銃社会の中で子供が自由に銃で遊び自分や兄弟を誤射する悲劇が続発し、第3は家庭の破局と両親の離婚によって、親権を失った親が裁判所命令を無視して子供を奪う事件が続発した。学校の誘拐対策は、子供を渡す対象を厳重に管理し、親以外の者は事前に届け出た者以外は引き取れない。つまり米国では12歳までの子供は完全な管理社会であり、子供の自己決定権はない。

 ところが13歳になると子供は完全に大人として扱われる。教科内容では平気で政治的価値判断を求め、国語の時間ではテキスト批判が奨励され、スポーツは12歳までは誉めて伸ばすが、13歳から完全な競争原理となる。男女交際が13歳から始まりダンスパーテイーが煩瑣に開かれ、特定の異性との交際が進む。アルバイトは職業経験として支援され他人の子供のベビーシッターもできるようになる。校則も12歳までは侮蔑語を使っただけで校長の説諭があり、勉強用具以外の持ち込みは禁止され、給食も食券制で絶対に現金に触れることは許されない。

 しかし13歳からの自由度はアメリカ的自由の枠内に限定されている。弁舌豊か、人権感覚、平等意識、政治的交渉力、スポーツ万能、異性との活発な交渉力、音楽熱心、ボランテイア経験あり−というスーパー高校生が要領よく好成績を収めてエリートコースを歩み、それ以外の者はアウトサイダーとなる。エリートは弱者や異文化に対する尊敬を知らないまま傲慢になって狭い世界観を持つ。何の取り柄もない敗者は、屈折した歪んだ自意識によって犯罪者となり、犯罪の後更生して軍隊に志願する。平気でイラクを攻撃し劣化ウラン弾をばらまく文化が形成される。

 私は12歳以下の米国的監視システムを部分的に導入する必要性を考えたい。特に日本社会の限界を超えた子供に対する情報の暴力は余りにも無秩序だと思う。暴力シーンの氾濫や性的シーンの横行、漫画やゲームの頽廃等々日本の現状は子供のゆがみを極度に誘発している。暴力と性情報は感覚に直接刺激を与え、脳活動をマヒ破壊することは大脳生理学で明らかだ。「どうして人を殺してはいけないのか」と問われて答えに詰まる評論家がいるのは、日本での12歳以下の子供観が野放しになっていることとパラレルだ。こうした問いは、抽象概念が理解できる13歳以上になって教えるべきもので12歳までは無条件に保護の安らぎのなかで成長させなければならない。人間は信頼に値するものだ、なかなか捨てたものではないという素朴な信頼感が育ってくれば、後は自分で生きて行くに違いない。ところが日本では、「本音と建て前は違う、この世にきれい事はない」といった大人のような人生観が、のべつ幕なしに子供にメッセージされ、早くから希望と挑戦意欲を失わせておとなしい青年に成長させている。少なくとも但し米国から学ぶことはここまでだ。

 結論的に云うと、米国の発信力重視の教育と日本の基礎訓育重視の教育の双方ともに欠陥がある。米国システムはジャングルの法則による強者賛美に終わり連帯の契機が欠落し、日本システムは生き生きとした批判精神を喪失させて大勢順応を招いている。やはり私は、準モデルとして普遍的教養を重視する欧州モデル(特に北欧)を本格的に研究しなければならないと思う。それは新自由主義の対極にある平等の契機を重視する社会的経済に裏打ちされたデモクラシーの指向だ。以上冷泉彰彦氏(米国在住作家)の論考を参照して筆者作成。(2003/7/19 20:46)

[フセイン政権崩壊後 1000人以上の子供が死傷した!]
 ユニセフ国連児童基金は、17日に4月17日の戦闘終結後から、米英軍が投下したクラスター爆弾の不発弾とイラク軍が放棄した数千トンもの弾薬で1000人以上の子供たちが死傷したと発表した。多くの子供がピカピカ光る金属やボールの形に興味を持ち、拾って遊んでしまう、自然な好奇心が犠牲を急増させる。生活のために放棄された弾薬を売るために金属や部品をあさっている。バグダッド北東260kmハデイタ弾薬廃棄場で30人以上が死亡し、北部のキルクークで2週間で133人が不発弾で死傷し、もするで20件の事故が起こるなど重大事故は把握できているが、報告されていない事故を含めると甚大な犠牲が発生していると推定される。米英主体の暫定行政局は、ゲリラ戦争に怯えて弾薬除去など基礎的な占領政策を実行していない。
 現在イラクでは米英駐留軍に対するゲリラ攻撃にとどまらず、非政府人道援助組織も標的とされ、倉庫の略奪や自動車盗と暴力の横行によって立ち入り不能の地が激増している。保険・医療のインフラ復興に従事する公務員が無給状態でイラク人の協力はなく逆に憎悪が高まっている。NGO職員と米軍が近接することは最も襲撃を受ける危険があり、NGO活動は実態として休業状態だ。解決は米英占領軍の撤退と国連主導の復興にしかないことがますます明らかとなっている。
 ローマ法王ヨハネ・パウロ2世は、戦争防止国際法の制定を呼びかけ、「人類は決定的な挑戦に直面している。真に効果的な制度をつくることができず、戦争が罰せられないでいるなら、武力が法の上に立つ危険がある。戦争のルールではなく、平和と正義、連帯を構築し維持する立法措置」を全世界に訴えた(17日バチカン市当局)。彼は明確に米国を「悪の帝国」として事実上神の名において米国を裁いている。
 英国では、大量破壊兵器に関する情報をBBC放送に流したとされるデービッド・ケリー元国連査察官が17日に行方不明となった後、翌朝2km離れた場所で遺体で発見された。明らかに情報操作疑惑で追いつめられているブレア政権関係者によって、暗殺・消された可能性が高い。彼の死によって最も利益を得るのがブレア首相であるからだ。英国情報機関MI6が絡んでいるかも知れない。ブレア首相は米国議会で演説し「決して謝るな!」と呼びかけたが、もしそうなら米英政権は直ちに人道に反する罪・平和に反する罪という国際戦争犯罪者として必ず近い将来明確に処断されるだろう。(2003/7/19 9:36)

[動物の快適旅行権について]
 EUの欧州委員会は、牛・豚・馬などの動物の長距離輸送でのストレスを軽減する陸上輸送法案を発表した(16日)。すべての動物を対象に、9時間以上の陸上輸送を禁止し、9時間後に12時間の休憩をとる再輸送は承認された。動物ごとに異なる制限時間を設けていた現行法では、1時間の休憩を挟んだ前後14時間の輸送を認めていたが、格段に規制を強化した。さらに動物搬送用の室内温度の適正化、常時水を飲める状態を確保するなども規定し、違反した運転手は資格停止処分となる。新規制は5年末に実施されるが、輸送コストが20%上昇するため運送業界の反対は厳しい。以上16日発ブリュッセル時事通信。
 私はこのニュースに接して改めて、動物の幸福権や人間との共生について考えさせられた。1970年代に欧米で開始されたヒューマン・アニマルボンド(HAB)という新しい社会科学が85年に日本で始めて紹介されてから久しい時がたったが、日本ではそれほど浸透していない。HABは、人と動物が互いに触れ合う相互作用の効果を認め、双方の福祉水準を上昇させようとする新しい社会科学である。少子高齢化や独居化による人間環境の変化に対応する新しい動物観であり、従来の人間が一方的に可愛がるペットではなく、人間の家族の一員として人間とともに暮らすコンパニオンアニマル(伴侶動物)として位置づけようという考えである。
 この動向はさらに進んで、一定のしつけをしたコンパニオンアニマルを伴ったボランテイアが、福祉施設や病院・学校を訪問し、レクレーションを伴う情緒的なコミュニケーション活動をおこない、治療効果を高めるという著しい成果を示してから一躍注目されるようになった。医療活動としては動物介在療法(AAT)があり、欧米では人と動物のふれあい活動(CAPP)が急速に高まっている。こうした活動の背景には、ペット普及率が90%に迫る欧米の条件があり、30%弱の日本のペット普及率では決して出てこない発想だ。動物の快適旅行権がグローバルスタンダードになるという欧州の条件はここにある。さらに欧州の人権意識の成熟と社会的経済の定着が、人間から動物に到る生命観の成熟をもたらしていると推定される。
 ひるがえって日本では、まだまだお犬様・お猫様というペット感が強く、人間以上の高級な食料を与えたり、ファッションを飾り立てたりする一方的な愛情注入型になっており、実は動物の方が迷惑している現状がある。グッチやプラダ・エルメス等の一流ブランドの犬用グッズが、次々と売りに出され、20万円のベッドや17万5千円のキャリーバッグや5万円の首輪などが人気商品として買われ、欧州ブランド企業は、日本人を軽蔑しながら儲けまくっている。
 しかしより問題は、人間の子どもに対しても同じような傾向がありはしないか。我が子のみを飾り立て、化粧や髪染めを施す若い母親を見ていると、子どもを自己満足のためのペット化してそれを他人に顕示して喜んでいる哀れむべき姿がありはしないか。こうした子どもはややもすると、自己顕示型の他人の痛みが分からない、ひとのせいにして自己主張のみを行うエゴイストか非行少女になりやすい。(20037/18 20:52)

[英国王室制度改革案について]
 英国労働党に団体加盟しているフェビアン協会独立委員会(10人で構成)が15日に英国君主制度改革報告書を発表した。立憲君主国にふさわしい役割の法律による規定、王室の非政治化と公私分離原則、議会の承認なしの開戦・条約締結、主教・判事などの公的人事決定権の剥奪など主な提案概要は以下の通り。
 @国家元首の憲法上の地位の明確化、王室の権限と義務の非政治化
 A首相と政府が行使する、議会の承認なしの開戦、上級公務員の任命などの国王大権を法律のもとにおく
 B議会解散、招集、法案承認、首相指名などの政治分野の国王大権の廃止
 C王位継承権を男子と英国国教徒に限定しているのを廃止し性別・宗教を王位継承の条件としない。非国教徒・カトリック教徒と婚姻した者の王位継承権排除を廃止する。年下の弟が年長の姉より王位継承順が上位にあるのを改める。
 D国家元首が英国国教会の最高庇護者である制度を廃止する
 E国王、女王の終身在位制を廃止し、引退可能とする
 F王室収入の一元化、透明化、議会承認制とする
 G王室の土地、建物、美術品の公開制
 H王族の財産と・収入に対する相続税を含む課税制とする

 日本の天皇制に比較して意外と英国王室の政治性が強いのには驚いた。「君臨すれども統治せず」という立憲君主制は日本の法が進んでいる面があるが、日本に比較して民主的な側面もある。何れにしろこういった議論を国民全体を巻き込んで展開できる状況が日本とは異なる。日本では最初から菊タブーによって抑制されるか自主規制し、逆に元首化などの強化論が強まっている。「昭和の日」の設定などその象徴的な事例だ。昭和天皇誕生日の4月29日を「昭和の日」として国民の祝日とする法案が成立した。国民の祝日は、新憲法のもとで従来の天皇家の行事を中心にしていたことを否定し、国民主権のもとで国民の行事中心の祝日となり、その結果明治天皇の誕生日であった明治節(11月3日)は廃止されて文化の日となったにもかかわらず、なぜ昭和天皇を特別扱いするのであろうか。すでに4月29日はみどりの日として定着しているのも係わらず、強行に決定することは果たして国民的な合意の成熟を踏まえているのであろうか。英国の君主制改編がおおらかな国民的議論の中でオープンにおこなわれているように、日本でも一定参考にした議論の深まりが望まれる。私の母は、戦争の渦中でこの世を去り、父は戦場で重傷を負って帰還した。私にとって昭和天皇は戦争のイメージが余りにも強すぎるのです。(2003/7/18 20:05)

[自衛官はなぜ自殺するか]
 陸・海・空3自衛隊の自殺者が激増している。防衛庁のデータによれば、1993年度−2002年度の10年間で601人、最多は02年度の78人で陸自>海自>空自の順に発生している。自殺理由は「不明」>「借財」>「職務」等の順番に多く、30歳代前半でみると一般民間人男性の28人/10万人に対し、自衛隊は34人/10万人と高い発生率を示している。毎年60人前後の自殺者の背後には、10倍以上に上る自殺未遂者がいると推定され深刻な実態がある。実際の自殺理由は、上位者による陰湿ないじめ、私的制裁、勤務上のミスによる懲罰、厳しい業務に起因する労働災害(公務認定2件)などであり、孤立して周囲に相談できないまま追い込まれているケースがほとんどだ。特に今年発足した「離島対策の対ゲリラ部隊」(西部方面普通科連隊=佐世保市)では発足から4ヶ月ですでに4人が自殺している。
 遺族の証言では、「訓練時のケガの後遺症で部隊の足手まといとなり、いじめにあって追い込まれた」「長期に渡って通常任務にもない仕事をやらせて人前で恥をかかしノイローゼになった」「希望を抱いて入隊したのに『嫌がらせばかり受け、1回酒を持っていったら、今度また持っていかないとやられる』と云っていた」等々の痛ましい例がある。或る自衛官は「自衛隊は黒いものであっても、上が白と云えば、白になる世界であり、上下関係のいじめを根絶しない限り、自殺はなくならない」とも云う。陸上自衛隊幕僚監部は「アフターケア・チーム」を発足させてカウンセリングを強化しているが、効果はない。なぜならカウンセラーはほとんど同じ部隊の上官であり絶対的な権力を持つ上官に対して、自分の内面の真実や苦悩を吐露することは困難であるからだ。
 本質的な問題は何であろうか。第1の原因は、軍隊組織の特別権力関係にあり、上官の命令に疑問や批判を持っても公然化すれば最悪の場合は抗命罪・反逆罪に問われるという構造にある。垂直的な命令−服従の権力関係は、上から下へ抑圧の移譲を誘発し、最下層に抑圧が蓄積するというシステムとなっている。特に旧日本軍の場合は、野間宏『真空地帯』に見られるごとく、悲惨で凄惨な下層兵に対する無意味な攻撃が頻発し、最下層の兵隊は抑圧を外部の占領地外国民間人に発散するという行動を誘発した。このような旧日本軍の悪しき伝統は、旧軍の中堅指揮官がそのまま自衛官へ移行した中で、現在の自衛隊に引き継がれている。
 第2の原因は、、憲法上の合理的な根拠を持たない自衛隊の本質的な存在意義の欠落にある。表面的には、祖国防衛と災害出動という崇高な使命を鼓吹され、そうした幻想を持って入隊したとしても現実の行動は明らかに大義のない侵略軍に近い作戦行動に従事させられていることに気づかざるを得ない。市民からは疑惑と不信のまなざしを持って見られ、「誇り」あるあるはずの制服で堂々と街中を歩くことがはばかられる現状がある。自分がそのために死んでもよい−と決意する大義に対する喪失感と、現実に死ななければならないこととの背理は、意識的にしろ無意識的にしろ良心をむしばみストレスを蓄積させる。激烈な訓練のさなかで派生する苦しみと疲労はは恐らく多大な徒労感を蓄積させる。要するに国民的合意を基盤としない軍隊の本質的な問題構造がはらまれている。
 結論的には、一時的なカウンセリングで湖塗しても矛盾をより深く内在させるだけであり問題は解決されない。一旦は解散して、軍隊の存在に対する国民的合意を明確にして再結成するかどうか−という本質の問いをクリアーしない限り、痛ましい自死は根絶されない。(2003/7/17 24:00)

[米国政府の北朝鮮挑発計画について]
 米誌『USニュース・アンド・ワールド・レポート』(7月21日号)が恐るべき情報を伝えている。ブッシュ政権内部の匿名の内部告発者と政府当局者の発言とあるが、確認はできない。ラムズフェルド国防長官は2ヶ月前に対北朝鮮戦争に向けた戦争計画の立案を指示した。ファーゴ米太平洋軍司令官とペンタゴン計画担当者は、その計画の概要について@北朝鮮の資源を枯渇させるA北朝鮮軍を弱体化させるB北朝鮮軍指導部の金正日総書記に対する反乱を組織するなどの計画を推進している。戦争勃発を前提にした情況を段階的に組み立て、5026→5027→5030という番号で、段階ごとに大規模部隊と空母の移動数を特定し、5030の場合は米軍RC130偵察機を北朝鮮領空に接近させて挑発行動を展開するとなっている。
 詳細は記事全文を見ていないので正確な判断はできないが、ベトナム戦争・イラク戦争の経緯は明らかに米軍の侵略プランがあり、その通りに実行された事実から見れば、明らかにすでに米国政府は対イラン戦争・対北朝鮮戦争計画を作成した上であらゆる外交活動を展開していることは間違いないと推定され、日本政府内閣調査室もこのプランの概要は把握した上で現在の振る舞いを検討していると思われる。
 北朝鮮のプルトニウム生産完了通告が事実であれば、双方が相手の挑発行為に載る形でエスカレーションをおこなうという最悪の展開となっている。第2次朝鮮戦争という最悪のシナリオがすでに進行中なのであろうか。なぜこうした挑発行為を互いに繰り広げているのであろうか。世界の超大国である米国のスーパーパワーは、今やハイパーパワーでありユーバーパワーと表現するらしいが、実はそれは嘘だ。米国経済はすでに破綻寸前の断末魔に直面し、北朝鮮も国家崩壊に直面している危機的な破局の中で、内部矛盾を敵を外部に作って恐怖をあおり立てるしか権力維持の手段がないことを示している。
 ペリー元米国防長官は、米国と北朝鮮の戦争が今年の早い時期に開始されると警告を発している。米国は事態をコントロールできない段階に入り、北朝鮮の核開発に対する最後の手段を検討中だとし、大統領は金正日は悪魔であり、彼との交渉は忌まわしく不道徳なことだという結論に達している−としている。(ワシントン・ポスト7月15日付け)

 第2次大戦後に平和国家として再出発した日本は、戦争を一度も試みたことのない・一人の外国人も殺したことのない平和な国として、世界の名声を得てきた。こうした戯画的なシナリオを節度と気品を持って、ストップ!と呼びかける充分な資格を持っているはずだ。にもかかわらず現状は、米国に追随して媚びへつらう哀れむべき振る舞いに及んでいる。こうした虚偽で塗り固められた偽善的国家に転落した指導者がいる限り、少年の凶悪犯罪は後を絶たないであろうし、日本自身が深い痛手を負うことは間違いない。 有事法制施行によって日本の自治体はすでに地域国防マニュアルの作成に着手し、教育基本法改正から憲法改正後の徴兵制によって米国に次ぐ軍事大国をめざすシナリオも着々と進行中だ。戦後史に究極の別れを告げ、一体日本はどこへ行こうとしているのだろうか。私の半生涯はいったい何のためにあったのであろうか。(2003/7/16 21:18)

[男女の体格差は何を語っているかー320万年前のアファール原人の化石調査から]
 東アフリカのエチオピアで発見された約320万年前のアファール猿人の腕と脚の化石を詳細に分析した結果、男女の体格差はほぼ現代人に近いことが判明した。アファール原人の体格は今までは、男性の体重約45kg・女性30kgという推定が有力とされてきたが、この推定は調べた骨の化石が少ない上に、最小と最大の標本比較に偏っていた。同猿人の腕と脚の化石22個と、全身骨格が揃っている女性化石ルーシーを基準として、大腿骨上部の直径に換算して比較した。その結果、男女の体格差はゴリラより小さく、チンパンジーより大きい程度で現代人に近いと云うことが判明した。ゴリラは一夫多妻制で、雄同士が雌をめぐって激しい闘争を展開し、そのために雄の体格がはるかに雌より巨大となった。今まで男女の体格差が現代人に近くなるのは、約180万年前の原人時代という定説があったが、これで2倍近い320万年前に遡ったことになる。
 さて大事なことは何か。男女の体格差が消失して現代人に近づいていくということは、婚姻形態の基本的な変化があったことを示している。一夫多妻制という雄の激闘時代という動物の段階から、男女のペア制度に移行し、本能と欲望と権力による結合から愛情による結合に転換したことを示す。もはや異性をめぐる同性間の闘争は終わりを告げ、雄の体格が異常に巨大化する要因が消滅して男女の体格差が縮小に向かい始めたのだ。体格をめぐる人類学は実に興味津々だ。
 今宵は、世界的バリトン歌手ホセ・カレーラス(大阪ドームのこけら落としで、プラシド・ドミンゴやダイアナ・ロスと共演)が高らかに情感込めて歌う「ホセ・カレーラス 世界を歌う」(伴奏 ウイーンフィル)を音量を最大にして聞き惚れながら、この文章を綴りました。こころが洗い流されるようなカタストロフィーを味わっています。日本語で歌う「川の流れのように」は最高だ(美空ひばりが歌うのは困る!)。(2003/7/15 22:28)

[究極の電脳監視社会]
 米国国防省国防高等研究計画庁(DARPA)は、03年5月に全国民の個人生活のすべての情報を収集し、索引を付けて検索できるプロジェクト「ライフログLife Log」プログラムの研究に着手した。個人のすべての行動が単一の巨大なデータベースに蓄積され、電子メールの写真や通話から視聴したTV番組、読んだ雑誌に到るすべての行動が含まれる。他のさまざまのソース(個人の行き先を突き止めるGPS送信機、視聴覚センサー、健康状態を監視するバイオメデイカルモニター)から収集されている情報と結びつけた壮大な個人情報のデータベースとなる。DARPAはこれによって、個人生活の履歴から将来の個人の人間関係と行動の予測が正確に把握できるとする。
 ユーザーは、検索エンジンからこのデータベースにアクセスすれば、過去の自分の行動を瞬時に引き出したり、数秒前の経験や何年も前の昔の経験を呼び出すことができる。DARPAは、すでに全情報認知TIAデータベースプロジェクトで、個人のすべてのやりとりの情報を追跡し、個人の購入物や電子メールの送信先は蓄積している。ライフログはTIAを遙かに上回る個人情報収集システムだ。

 国防総省は、軍隊が過去の体験からより効果的に作戦を立てることが可能となり、軍の訓練システムも各訓練生の行動パターンに応じたレッスンを立てることができる−としているが、テロ容疑者の身元の割り出しや捜索に主たる目的がある。しかしもし、テロ容疑者と類似した行動パターンをとっている人がいたら、彼は有力な捜査対象者となる危険が生まれる。ところがこうした監視システムは、無限に歯止めを失って普通の市民を監視することになる。個人の特有の行動パターンや人間関係や習慣が、デジタルフォームで示されれば、個人の監視はすすむ。個人情報はもはや意味はなく、国家が裸で丸ごと個人を把握することになる。DARPAは、プライバシー保持について、適切に匿名化すれば医療研究や伝染病の早期発見に役立つ等と主張している。

 デジタルデバイドが深刻になる中で、多くの国民がこうした計画への意見表明の機会を奪われ、みずからを国家の前に曝す社会システムが忍び寄っている。かってのソ連型監視社会はスパイと密告者による極めてハードな監視社会であったが、現代の電脳監視社会は、本人の意思と行動とは無関係に気がつかない形でソフトに進められている点でより恐ろしい地獄を準備している。
 今回の長崎少年事件は、アーケード街の防犯カメラが決め手となって補導された。少年のマンションのエレベータに設置された監視カメラによって少年の動揺は激しかったという。防犯カメラの設置が推進され、監視社会がいっそう進むだろう。英国の都市の四つ角には監視カメラが設置されて容疑者探しに使われ、日本の名古屋ではコンビニの監視カメラが警察署に直結している。街の照明を明るくすると、その区域の犯罪発生率は減少している。ところが設置されていない周辺の犯罪は逆に増大している。国中のすべての居住区で照明を明るくし監視カメラを設置することは不可能だ。こうした監視カメラや証明は、少年たちの心の中を写し出すことはできないし、すべての人を容疑者とみる監視社会(フーコー)の完成に他ならない。人間同士が互いに信じ合えない社会の究極の姿ではないか。(2003/7/12 9:35)

[サッカーはなぜ崇高なスポーツなのか?]
 多様なスポーツの中でなぜかサッカーが最もデモクラテックな印象を与えるのだろうか。先月、FIFAコンフェデレーションズカップ準決勝進出をかけた日本対コロンビアの両チーム選手が、”NO TO RACISM(人種差別にノー)”という黄色い旗を掲げて記念撮影を行った。国際化が進み、多民族の選手が混在してくると自然に人種差別もなくなると考えられてきたが、現実には逆にレイシズムが横行し始めた。欧州では黒人選手に対して侮辱的な言葉が浴びせられ、サッカー界はこの動向に断固たる戦いを始めたのだ。
 この大会で急死したカメルーン・フォエ選手を追悼するために、カメルーンの全選手はユニフォームにフォエの名前を刺繍し、マンチェスター市は23番を永久欠番にした。世界中のサッカー公式戦で黙祷がささげられた。決勝戦の相手フランスは、試合前にカメルーンの選手と肩を組んで円陣をつくりフォエ選手の魂のために祈り、そのままの形で両国国歌が演奏された。「サッカーという名前の国では、国民すべてが兄弟なのです」(コロンビア・フランシスコマツラナ監督)。なぜサッカーというスポーツは、かくも美しい崇高さを示すのであろうか。普通ではヤラセと受け取られかねないものだ。
 11人の選手が協力して1つのボールを敵陣のゴールにけり込むに過ぎない競技が、実は人間のある理想的な関係を象徴的に構造化しているのではないか。およそ3層に編成された役割が固定化されず、すべての選手がヒーローになりうる機会の平等、互いに相手を不可欠の必要な仲間と意識し、しかも独裁をつくり出さない水平的な関係、周到に練り上げられた作戦と瞬間的な判断力、人間の持っている多様な要素のすべてが要求されるプレー等々が考えられる。企業経営論で云えば、水平的なネットワークによる異業種連携と信頼財に裏打ちされた団結力−競争優位をつくり出すすべての条件を兼ね備えた構造をサッカーは持っている。
 第2はその独特の平等主義思想のルールがある。それはオフサイドの思想に見事に現れている。敵陣に攻撃を掛けたときに、敵選手より先に敵陣になだれ込むことを禁止するこのルールほど、平等の原理を象徴化したものはない。こうしたデモクラシーの思想が基盤となっているが故に、サッカー王国は何よりも近代民主主義を先駆的に遂行した欧州諸国なのだ。
 第3にこうした平等主義は決して没個性でないばかりか、逆に個性が極限まで発揮される。選手は監督の駒ではなく、かけがえのない人格だ。誰も失敗の責任を誤魔化せない。汚いプレーは直ちに満場の軽蔑の対象となる。堂々と自己表現できない者は去らなければならない。人を出し抜いて他人を犠牲にする者は去らなければならない。

 こうした特徴を持つサッカーの試合は、プレーとプレー以外のシーンにもデモクラシーの姿がごくごく自然に姿を現すのだ。人間と人間がこのように相互に相手を尊敬し、相互の尊厳を認め合い、しかも熾烈な闘争を展開する。勝利と敗北が、決して支配と服従を意味しないばかりか、互いの健闘を祝福しあう終末を準備している。もし世界が、人類がサッカーのような思想で編成されていたら、戦争や犯罪は起こらないだろうと確信できる。戦争犯罪者や独裁者は直ちにレッドカードが示されて、退場か出場停止となる。(2003/7/11 22:12)

[誰が真の犯人なのかー少年犯罪を考える]
 少年犯罪の質的に社会を驚愕させるような凶悪犯罪がいま連続しています。沖縄の中学2年生は、同じ学校の生徒に対してグループでリンチを加え殺害し、長崎市では中学1年(12歳)が4歳の男児を7階建ての駐車場の屋上から墜落死させました。刑法では14歳未満の少年は、刑事責任能力がありませんから最終的には家庭裁判所の審判によって児童自立支援組織に送られることになります。この2つの事件を頂点に、全国各地で少年による通りすがりの集団暴行や仲間内のリンチが多発しています。少年犯罪の専門家ではない私は、こうした現象を正確に分析することはできません。すでに出されているさまざまのアプローチを参照して、、ぜひとも指摘したいことを述べたいと思います。
 第1のアプローチは、集団心理学的な分析です。加害少年の多くが事件後に「なぜやってしまったのか」と後悔するケースが約50%に上っていることに着目します。トルネード仮説(大災害をもたらす米国の竜巻現象で、同調や煽りによって行為がエスカレートすることをいう)は、閉塞感や自己評価の低い非行性のある集団は、相互の悪影響の連鎖で規範意識が衰弱し、予期せぬ残虐な結果を誘発するという説です。集団ヒステリー心理の爆発として個人の判断を越える別の行動心理の力学の存在を想定します。より悲惨なことは、誰よりも残忍な攻撃をしなければ仲間から評価されないと云う相互承認の連鎖が働くことです。これが逆に出ると、自分が認められたいために自分の実の妹をレイプの犠牲者として提供するという地獄のような光景に発展します(愛知県大府市の中学生)。このアプローチの致命的な弱点は、閉塞感と自己否定感を生み出すメカニズムの解明に限界があり、集団異常心理に巻き込まれない個人の自制を説くことに終わります。ミクロの個人心理のレベルでは解決できない問題に無力です。
 第2のアプローチは、青年前期心理学による分析です。この分析は、よく12歳で自死した岡真史『僕は12歳』という遺稿集をとりあげます。そこでは次のような詩があります。

 人間ってみんな百面相だ

 ひとり
 ただくずれさるのを
 まつだけ
 けりがついたら
 どっかへ
 さんぽをしよう
 またくずれるかも
 しれないけど

 こころのしゅうぜんに
 いちばんいいのは
 自分じしんを
 ちょうこくすることだ
 あらけずりに
 あらけずりに


 読むだに痛々しい心のふるえが伝わってきます。ここで少年心理学は思春期特有の多感な心というテーゼを導き出し、その複雑な揺れがゆがんだ他者攻撃に発散されるとしますが、岡真史君を含めてなぜ最悪の行為に結果するかのマクロ的な経路の説明はありません。岡真史君の父親は朝鮮人詩人高史明であり、母親は日本人の高校教師岡百合子さんでした。最愛の息子を自死で失った高氏は、事前に把握できなかった自分の認識に苦しみ、最後は親鸞に救いを求めました。親鸞に行くケースは非常に日本では多いのですが、申し訳ありませんが私はなんとかしてマクロ的な過程を知りたいのです。4歳の駿君の信頼を完全に得て屋上へ導いて牙を抜いた少年のおぞましい内面の過程を臆断することは絶対に避けなければなりませんが、青年前期の心理に還元して終わるだけでは本当に真実を掴んだことにはならないのではないでしょうか。

 第3のアプローチは社会制度学的な分析です。健康で正常な心理発達を阻害する社会システムのゆがみが誘発する心理的なゆがみを説明する論理です。この論理の欠陥は、ややもすると体制還元論的なシステム論に終始し、逆に個人の心理過程を軽視し、極端に云うと”あらゆる犯罪は革命的だ”(平岡正明)等と犯罪革命論を鼓吹する無責任な言辞を振りまきます。この他にも制度論的な分析がありますが、どうしても構築しなければならないのは基底的な社会システムから個人の内面心理に及ぶ重層的な構造を解き明かすことではないでしょうか。この制度論アプローチは犯罪の賛美と侮蔑の両極に結果し、具体的な犯罪分析に無力です。
 第4のアプローチは教育制度論的アプローチです。長崎県の高校入試は、総合選抜制で特定の高校を目指す競争は比較的緩やかで、不登校も全国最小の地域でしたが、今春の入試から単独選抜制になり一気に競争が強まり、12歳の少年が住んでいる地域は特に最も激烈な競争が展開されているところでした。親と教師は成績に目が奪われ、子どもの内面や表情の変化などに目を向けることが衰弱しています。それを見事に示したのが、当該中学校長の記者会見で、校長が詳細なテスト結果の資料を基に少年の日常を語っていたことでした。これほどの凶悪犯罪を犯した少年のプロフィールを語るにテストの成績をマスコミに発表する校長を見て、私は哀しくなりました。競争原理が人間をゆがめていく過程をかなり把握できる方法で有効性があります。
 第5のアプローチが家族論的な視角です。特に父親とのコミュニケーションのあり方を問題にし、その最も反動的な形が政府高官の「親を市中引き回しの上縛り首にせよ」とするすべてを家庭教育の責任にして、親に対する憎悪をあおり立てる最悪のタイプです。確かに親が、我が子の競争をあおり立て幼児期から塾通いをさせ、子どもとの伸びやかな関係を創れていない側面があります。しかしそうした競争を組織したのはまさに受験システムを導入した新自由主義派の文部科学省に他なりません。企業は父親を過労死に追い込むサービス残業を強いて家族のコミュニケーションを奪っています。家族と地域を崩壊に追い込み、荒廃させてきたその責任者が親を処刑せよ!と叫ぶような脳天気なシステムを一掃しない限り、家族の再生はなくこうした悲惨な犯罪は後を絶たないでしょう。
 最後に治安政策アプローチがあります。人口10万人あたりの刑法犯発生件数(認知件数)は、戦後混乱期2000件→70年代1100件→2001年2200件と反転上昇し、特に強盗犯3倍化など凶悪犯罪が増加しています。増加の特徴は、第1に外国人犯罪の急増であり特に「来日外国人」検挙数比率が80年代8%→現在60%となっており、第2の特徴は強盗罪検挙人数に占める少年(24−20歳未満)が40%を超え、少子化で全人口の7%しかない中で異常な突出を示している。少年犯罪はかっては万引きなど軽微犯が多いとされていた常識が覆され、彼らが成長した若年成人20歳代の犯罪発生率も増加に転じ始めています。他方で検挙率は、戦後60%前後→最近20%に急降下して先進国中最低水準になり、特に強盗犯検挙率が80%→50%となっている。治安政策論者の主張は、こうしたデータの危機を訴え、短絡的な社会規範崩壊説によって刑罰強化(少年法改正、児童買春処罰法)というムチの政策を唱えます。しかし犯罪者は、死刑制度の犯罪抑止効果がないように、重刑が怖いから犯罪を思いとどまると云うことはありません。治安政策的アプローチは犯罪が発生する社会病理自体を軽視する秩序至上主義に過ぎません。

 或る個人に対面したときに、その個人がどのレベルで最も現在の自己を動かしているかを理解し、そのレベルに重点を置いた対処を試みる必要があるのではないでしょうか。私はこのような体系的な答えを準備する能力もありませんし、勉強もしていませんが、どうしても触れておきたいことは、新自由主義の自己選択−自己決定−自己責任のマクロ・システムが強調され始めたこととパラレルではないかということです。優勝劣敗の強者の論理が社会全体を覆いつつあるなかで少年犯罪が発生していることの相関性を指摘したいのです。相互承認と信頼の契機を一掃しつつあるシステムが幾つかの回路を通過して少年たちの心に流れ込んでいること−この具体的な論拠と証明は他日を期しますが、この関係の改編抜きに少年犯罪の現状を全体として解き明かすことはことはできないのではないかと考えるのです。竹中氏が領導し小泉氏がラッパを吹いているこの路線に、基底的な要因があるとすれば彼らこそ間接的に犯罪行為を誘発している真の犯人であり、罪万死に値すると云わなければなりません。
 その実例は政府高官が連続して繰り返している女性蔑視発言です。「女性が閉経後も生きているのは無駄だ」(石原都知事)「集団レイプは男の元気の発露だ」(太田誠一衆議院議員)「男を挑発する女性もいる」(福田官房長官)等々新自由主義思想と女性蔑視は通底しています。強姦という性暴力を肯定する論理と心理は、加害少年のこころとどこかでつながっているような気がします。7月8日に開催された国連女性差別撤廃委員会では、「日本の公人の発言について、非政府組織だけでなく、政府として謝罪を求めるなど対応をとる必要があるのではないか」「最近の日本の政治家の発言は女性への差別的なものが多い。閣僚は、男女共同参画社会の充分な認識を持っているのか」等の厳しい指摘が日本政府代表になされました。国連開発計画の人間開発指数(女性の社会参加)のデータでは日本は世界で34位なのです。
 他者への暴力など問題を起こす子どもには2つのタイプがあります。1つは明らかに何かやりそうだと外見からすぐ分かる子どもであり、第2は表面はいい子だが内面に闇があるこどもです。例えば親の過大な期待や要求に応えているがそれが負担となって本来の自分とのずれが生じているいる場合です。何かをきっかけに突然に乱れが始まり、闇の部分が表に現れます。崩れる前に何らかのシグナルを出すが周りの大人たちが受け止めなければなりません。子どもがしんどく辛いときに、それが素直に出せ受けとめられる場所があるかどうか。中学校では身なりの隅々まで規制され、少しでも違う子どもが排除されるる雰囲気があれば、子どもは一日中気を遣っていなければなりません。「まじめで成績がよい優秀な子が突然・・・・!」と云われる今回の中学生は、どこかに他人にうかがい知れない闇を抱えていたのではないでしょうか。「誰とも仲良く元気に明るくがんばる子」といったモデル化された子ども像を強いてしまうと、当てはまらない子はダメ印を押されてしまいます。特に男の子に「泣くな!」「頑張れ!」という目で見るのではなく、優しくおとなしい子がそのまま自然に育っていける世の中でなかればなりません。人前に出ると親にしがみついて離れない男の子でも、それがその男の子にはとても大事なことなのだ。転んだら「気をつけろ!」ではなく「痛かったね、大丈夫?」と云えるような世の中でありたい。

 いずれにしろ今回の少年犯罪は、多様なアプローチの重層的な総和から誘発されたものであることは疑いなく、あらゆる学問や実戦の経験を動員し、その背景と原因を暴き出し、個別のケースに寄り添った個別の解決を具体化するとともに、日本の社会システムの基本に変革のイメージを導入しない限り、明日は第2の犠牲者が出るでしょう。少なくとも他人を見れば、犯罪者ではないかと疑心暗鬼に落ちいって米国型の国民総武装の監視社会にだけはしたくありません。(2003/7/10 22:08)

[危機管理の社会工学ーSARS未知との遭遇]
 7月5日にWHOはSARS(新型肺炎)の終結宣言を出した。SARSは未知の遭遇の局面における危機管理の社会工学という一般的な課題を提起した。SARSを対象に世界の対応をトレースすれば、そこに何らかの普遍的な解があるかもしれない。第1に、感染医療政策からみれば、まず基本的なメカニズムが未解明であることから過剰反応と過小反応の両極が起こった。第2に、情報伝達の過程でマスコミ報道が不安を増幅させた。「抗生物質が全く効かない恐怖の病」といった言説は、ウイルス病には当然の初歩的なことを強調する不安報道であり、デマとは云わないまでもそれに近い社会不安を誘発した。第3に、未解明の新興感染症に対する緊急隔離措置である。不安とパニックを事前に抑制する緊急措置としては正しいが、隔離措置を受けた人への補償措置や解雇処分を受けた人への救済措置など未知の危険に対する制度的な保証が整備されていない現状を暴露した。第4に、すでに確定している科学的解明の修正可能性を含む初動措置の修正の問題である。台湾人医師の場合は、ウイルス生存期間を過ぎているから通過経路の消毒など必要ないはずだが、万が一を考えればこの措置も正しかったということになる。しかしそれが汚れを清める安心儀式の過剰反応とすれすれであったことが問題となる。保菌者に対する排除と抹殺に連動する社会心理が醸成された面がある。
 従って未知との遭遇の危機管理は、社会科学的な側面と自然科学的な側面との統合的なシステムとなる。デマの心理による危機の増幅と排除の心情を回避する情報伝達の問題があり、科学的な解明に対する認識の限界を想定した自然科学的な対応の統合が求められる。リスクを極小化するシステムの探求が課題として残った。リスクの極大化を想定したすべての対応を仮定することが考えられるが、それはリスクそのものがない場合の社会的な損失を覚悟し、その場合の逆リスクを極小化する対応を同時に含んでいなければならない。しかもそれは社会成員の事前の合意を得ていなければならないから、合成の誤謬が発生した場合の責任を成員が負うこともあらかじめ前提としていなければならない。こうした社会成員の合意形成が民主主義的な経路を辿ってなされる膨大なロスに対する反発の即時的な形態として、強力な指導者への委任という対応が大衆社会で起こりやすいことも歴史的経験としたある(ナチスを想起せよ)。
 さて危機管理の現在の最大のテーマは、迫り来る東海大地震であるが、この危機管理マニュアルが社会成員総体の共通認識となっているかははなはだ疑問ではないか。阪神・淡路大震災の教訓をふまえた危機管理の制度設計は、いまだ行政の部分的なレベルで推移しているのではないか。私自身の家族を見ても一目瞭然である。オイオイこんなことでいいのか? 武田徹「未知との遭遇と社会工学」(朝日新聞7月8日付け夕刊)参照。(2003/7/8 21:13)

[はじめて旧ソ連強制収容所の実態を知った−ヴァルラーム・シャラーエフ『極北コルイマ物語』(朝日新聞社)]
 旧ソ連の反スターリン主義に対する苛烈な弾圧を象徴するシベリア強制収容所を描いた幾多の作品のなかでは、ソルジェニーツイン『イワン・デニーソヴィッチの一日』が余りにも有名ですが、わたしは読み方が浅かったのかそれほど衝撃は受けませんでした。この作品を読んではじめて強制収容所の悲惨をうかがえたように思います。著者は聖職者を父親に持ったが故に、大学入学資格を奪われ、労働のなかで辛苦してモスクワ大学に入学し、反スターリン運動に参加し、あの有名なレーニンの『遺言』を印刷して逮捕された後に、作家活動に入り反革命トロツキストとしてシベリアに流刑されます。コルイマは、イワン雷帝以降最も恐れられたシベリア極北の流刑地の地名です。この作品は、当時のソ連国内では出版不可能で、サミズダート(地下出版)というタイプ印刷で密かに回し読みされ、タミズダート(国外出版)としてニューヨークのロシア語雑誌に掲載されて高い評価を得た。ソ連国内で出版されたのは1987年の著者死後5年を経た後であった。
 作品は幾つかの流刑囚のアンソロジーからなっていますが、人間がどこまで悪魔になりえるか、また人間がどこまで動物になりえるか哀しいまでにリアルな描写が淡々と続きます。

 収容所の生活には、一分一秒たりとも、毒されていない時間はない。
 そこには人間が知ってはならぬこと見てはならないことがあまたある。ひとたび見たら死んだ方がましだ。
 囚人はそこで労働を嫌うことを覚える。ほかには何も学ばない。
 しゅうじんはそこでへつらいと嘘、さらには卑劣な振る舞いを身につけて、エゴイストになる。
 道徳の壁は消えふせた。
 卑劣な振る舞いができ、それでも生きていられることを知った。
 嘘をついても生きていられる。
 約束はできるが、約束を破ってもやはり生きていられる。
 仲間のカネを呑んでしまうことができる。
 お情けを乞うて生きている!物乞いしてでも生きている!
 人は卑劣な振るまいをしても死なないのだと分かった。
 怠惰、うそ、あらゆるものにたいする憎しみ、あらゆることに慣れてしまった。
 自分の不運を嘆き、色眼鏡で全世界を見るようになる。
 自分の苦しみを過大に評価し、すべての人にそれぞれの悲しみがあることを忘れてしまう。
 他人の悲しみなど理解できず、しようとも思わなくなる。
 人を憎むことを覚えた。恐れ、臆病、密告を恐れている。隣人を恐れている。
 囚人のモラルはうち砕かれた。だが自分ではそれに気づいていない。
 インテリは永遠に腑抜けにされた。精神を破壊された。精神への威嚇とその破壊は、自由の生活に持ち込まれ堕落させる。
 文学は、この堕落を「北の呼び声」と名づけた。

          −以上P69〜72(一部略)

 想像ができない悲惨な世界です。強制収容所のザッヘそのものが、人間がモノと化す世界です。この世界は、秘密警察への密告が日常の生活となる完璧な監視社会によってつくりだされました。ソルジェニーツインはロシア正教徒として、たとえ収容所内でも人間の尊厳は守られるという描写をしましたが、シャラーエフの作品ではそのような甘さはありません。どこまで人間が動物となり堕落するかを淡々と描き、そうした地獄を地獄と意識しないで麻痺してしまうなかでキラッと光る人間を描きますからよりリアルな実相が迫ってきます。
 いまの日本には、秘密警察と密告が支配する強制収容所は制度としてはありません。明るい享楽と表層の自由が蔓延しているかに見えます。しかしわたしは、強制収容所と根っこのところで通底した堕落が、それと気づかないままゆるやかに進んでいるような気がします。しかしモラルの崩壊と精神の破壊を示すそこはかとない事態が社会を覆いつつあるような気がします。私自身の日常を振り返って、一瞬ゾッとするような自分の退嬰を覚えます。
 ジャングルの野獣のシステムがいつのまにか生活世界に浸透し、デモクラットを冷ややかに冷笑するシニカルな情景が繰り広げられてはいませんか。わたしは、こうしたシステムをつくりだし広げようとしている勢力に照準を合わせて撃たなければならないと思います。だんだんと撃つチャンスと気力が遠のかないうちに、反攻のときがじょじょに過ぎていってしまわないうちに。(2003/7/6 22:24)

[人はなぜ美しくなりたいのか−少女が化粧する時代]
 職場や学園、はたまた電車のなかで人目をはばからず化粧する少女が蔓延している。メイク、美容整形、、ダイエット、かつらなど身体加工・装飾サービス業が繁栄し、日本全国化粧病時代の到来だ。なぜか。自分のその肉体の可能性に賭けることにかすかな希望を感じる心性は、逆に言うと相互の肉体を他者評価の基準とする視線が市井に満ちているからだ。その深層はかけがえのない個性の基準が、ヒューマンなこころや力を尽くした知性、人生の奥深い経験といった基準から遠ざかっていることにある。市場原理の競争に翻弄されて人間的次元の評価が衰弱し、かすかに残った自己確認として1次元的な手触り感のある肉体への回帰が選ばれている。
 第2は自らの生きる見通しと可能性を早期に摘み取ってしまうシステムのなかで、「希望」への伸びやかな感性を喪失させる閉塞情況だ。結果の平等への調整機能を次々と廃止し、もっぱら機会の平等と自己責任原則が強いられるなかで、機会の平等こそ強者の特権であると身に滲みて刷り込まれた人々は、唯一残された機会の平等の領域として自らの肉体空間しかなくなったともいえる。現実には多数の人は、現実の自分の容貌を受容できず、身体コンプレックスに呪縛された身体奴隷におちいっている。
 第3は学問もスポーツも芸術も大きなリスクを伴う、ある先天的な才能が勝負を決し、しかも偶然の要素にもてあそばれている現状では、最後に残された自己努力の領域として自らの身体に対する操作努力がある。確かに手を加えれば、現実の自分とは確かに変わるという実感が味わえ、その努力に対する賞賛と軽蔑のドラマを一定の緊迫感を持ってリアルに味わうことができる。こうして人目をはばからず、公共の場でひたすら自己の容貌への操作を行う自己陶酔のナルシズムの世界に没入する少女が出現する。
 結論的にいうと、化粧する時代は遠くを見れなくなった時代の、現在に捕らわれた自己表現であろう。誰しもその関係を熟知しているから、化粧する他者に冷ややかな視線を浴びせ無視しあうかカワイイと言い合いながら相互に慰安しあうかいずれかである。
 怖いのは、ファッシズムと戦争前夜に必ず自己閉塞した化粧ブームが風俗現象として起きていることだ。経済が不況で出口が見えなく、戦争が迫りつつある−というそこはかとない不安、確かな羅針盤に対する自信のなさと敬遠、正義に対する空しさ、真剣な態度への違和感−基本には横の連帯感の見事な喪失−明るいニヒリズムがうまれる。

 さて化粧文化の歴史的な変遷を本格的に辿ってみたい誘惑がわき起こるが、ここでは女性史の現代化という視点から考えてみたい。かって母系制社会では、化粧はもっぱら男性が行い、女性は戦場で戦って死ぬ勇敢さが求められた。女性の世界史的敗北と男系社会への転換によって、女性の仕事は出産と育児に閉じこめられ、男性への奉仕活動が評価の対象となった。化粧する主体は女性に移り、男性の嗜好にあわせた女性の美しさがシステムとしてとして定着した。肉体の露骨な顕示を隠蔽し、秘やかな魔力で男性を吸引する美学の幾世紀を経た今日では、再び女性が覇権を求めて登場しつつあり、自由に身体を露出的に表示するようになり、それに対する男性の攻撃はセクハラとして100%犯罪となった。問題は、制度としての女性の社会参加の前進と現実の男性優位のシステムに移行期の過渡的な背理が目に見えてそそり立つようになったことだ。日本の職業社会では特に際だつグラス・シーリングが存在する。こうした壁が比較的ない学校や地域では女性の元気さと比例して男性がおとなしくなり女性に従うかのような風景が満ちてきた。
 しかし残念なことに、女性の側で二極分解が生じ、元気ではつらつがんばる層と、ひたすら身体へのめり込む層だ。重要なことは、どちらも男性への屈従や媚びへつらいではなく、自由な自己表現としての活動であることだ。化粧する少女は、かっての雄を惹きつける奴隷ではなく、売春すらも優雅な遊びとして遂行する点で質的に違う。この差異が或る可能性を秘めているかどうか−ここがポイントだ。例えば戦争に対してはどうか。誰でも戦争には反対するが、それは必ずしも集会やデモンストレーションという顕著な直接行動ではなく、それぞれのポジションに対応した具体的な状況で、理不尽なことは許さないというささやかな筋を通す行為の積分として、反戦の有効性があるだろう、それを見て見ぬ振りをして世界反戦に華やかに打って出ても無意味ではないか。日常の理不尽に対して直感的に反応し、異議申し立てを行う感性が化粧する少女に育っているだろうか。世界と自分の新しい関係が素朴な日常で育っているだろうか。真っ赤に髪を染めた少年少女がロックを聴きながら、反戦を唱えるという風景に違和感をもてばそれはもはや、感性の古びた衰弱に過ぎない。乙武洋匡君に対する強い関心の背景には、こうした一見漂流する自己を撃つ可能性へのかすかな希望がある。(2003/7/6 9:25)

[大アジア主義の心性−グローバル・ナショナリズムの日本型陥穽]
 空は黒から濃紺に薄まり、いったん青が失せて灰色になったが、太陽が昇るとともに青が息を吹き返し、仰ぎ見るものすべての心を青く染めるような濃い青が拡がっていった。少女は抜けるようなひろびろとした孤独を感じ、産まれてはじめて自由という言葉を意識した。

 東亜維新の をたけび高く
 興る満州 国はひろらか
 穂になびく 実は豊か
 埋もれる たから 草ぐさ
 繁栄の未来を 契る
 土の恵みは 無限
 民族協和の 旗ふりかざし
 興る満州 力みなぎる
 かがやかし 希望に燃えて
 日に進む 国は ほがらか
 王道の光を 仰ぐ
 民の栄えは 無窮(「満州唱歌集」から)

 朝日新聞連載の柳美里「8月の果て」の一節です。在日朝鮮人の少女が、満州に希望を求めて旅立つ車中のなかの風景です。柳氏は、日本人作家が決して描けない世界を独特の文体でつづり、その濃密さに圧倒されますが、戦前期日本の大アジア主義もしくは日本浪漫派の心情を日本人以上に伝えてくれます。
 かって戦後初発期をリードした民族自決の思想を先端的に担った思想家群である上原専禄・江口朴郎・竹内好等の言説と現代の新自由主義史観の言説を比較すると奇妙に似たものがあると、太田昌国氏が鋭く指摘している(川本孝史「民族・歴史・愛国心」)。例えば竹内好は「朝鮮の国家を滅ぼし、中国の主権を侵す乱暴はあったが、ともかく日本は、過去70年間アジアと共に生きてきた。そこには朝鮮や中国との関連なしには生きられないという自覚が働いていた。侵略はよくないことだが、しかし侵略には連帯感のゆがめられた表現という側面もある。無関心で或る意味では他人任せでいるよりは、健全である。・・・・大東亜戦争の侵略的側面はどんなに強弁しても否定できぬと思う。ただ侵略を憎む余り、侵略という形を通じて表されているアジア的連帯までを否定するのは、湯と一緒に赤ん坊まで流してしまわないかを恐れる。それでは日本人はいつまでたっても目的喪失感を回復できないからだ。日本のやった戦争が、土着の自生の民族独立運動を励まし、或いは立ち上がりのチャンスを与えた、という思わざる反面の影響も否定できない。」(これは竹内が1961年に書いたものだ!)と言い切っている。
 歴史的情況の違いをふまえても、痛ましい文章だ。民族自決や主権思想の原理がない。竹内は、いったい従軍慰安婦や3光作戦の犠牲者を目の前において同じ言葉を言えるのであろうか。極右思想に堕落した日本浪漫派と究極的には通底する思想があり、現代の新自由主義(勝利も汚濁もともにする祖国!)との判然たる区別は消失する。リアルな現場と事実認識から出発し得ない日本型知識人の観念の流れを痛感する。つかこうへいと柳美里は、在日朝鮮人として日本的心情に飲み込まれる危うい位置にいるのではないか。グローバル・ナショナリズムが吹き荒れる日本で、ナショナリズムがふたたびアキレス腱となりつつある。参照・小森陽一/高橋哲哉『ナショナル・ヒストリーを越えて』(岩波書店)。(2003/7/5 20:12)

[今どき 予話情浮名横櫛 源氏店−やいポチ公 戦争ごっこはいいかげんにしろ(阿部政男 筆者一部改編)]

 オッ総理大臣 小泉さん ペットさん
 いやさ ポチ公久しぶりだなあ
 (ポチ公)そういうお前は!
 (戦没者)戦没者の亡霊だよ おめえは俺を見忘れたか
 しがねえ戦争に狩り出され 命の綱もプッツリ絶たれ 娑婆からそのままあの世行き
 もう2度とこの世には帰れねえと諦めていたその矢先
 おめえがちょくちょく靖国にやってくるので いまの首相は今どき一体何をやっているのかと気にかかり
 娑婆に戻ってみたら この始末
 聞けばてめえはブッシュの囲いもので 旦那のご機嫌とるために自衛隊を献上するというじゃねえか
 身の程知らぬうつけ者 おめえはそれでも本当に日本の首相かい?
 ブッシュのために義理立てを 総理の椅子にしがみつき 日本をアメリカに売るなどと
 聞くもおぞましい下司根性 おまけに天下に名だたる9条を5分刻みに痛めつけ 殺そうとしている正体が
 日本の首相とはお釈迦様でも気がつくめえ よくまあてめえは首相でいられるな

 おう蝙蝠安 これじゃあこのまま帰れねえ
 (蝙蝠安)なるほど こいつあこのまま帰れねえ
 (戦没者)先のアジアの大戦で人を殺める罪犯し 多くの戦犯いだしたる 今度はイラクで銃を向け撃ち殺してこいというのかい
 たった一度でも血で汚せばそれで日本はお終えよ 血が染みついたその手の汚れ 金輪際きれいな手にはもどれねえ
 アラブの恨みは消えねえよ それでもおめえは平気かい

 「何を云うかいケセラセラ 俺の信念なりゆきまかせ 地獄の果てまでアメリカの親分に付いていくのさ 俺知らねえ」てめえはきっとうそぶいて 云わずと知れた戦犯の戦後第1号とはてめえのこと 首を洗って待っておれ

 おりゃあ冥土の土産の語りぐさ このまま娑婆に踏みとどまって てめえの仕草をとっくりと この目に納めて帰ろうと
 そんなに命をアメリカに ささげたいならてめえの倅の孝太郎を真っ先かけて送ろうぜ 男一匹ポチ公の名は末代まで伝わることは間違いねえ
 よくも先祖のおれたちの 顔に泥塗るおこないを 恥じらいもなくやってくれるぜライオンヘアー
 このままで済むと思うな てめえが冥土に来たときにゃ あの世で静かに眠れると思ったら大間違え とりあえずてめえの頭は丸坊主(成駒屋!の声かかる)

 *久しぶりに江戸っ子の啖呵を聞いてスッとした気分です。原作はかなり長文ですが筆者の責任で改編しました。(2003/7/5 8:01)

[「かかってこい!」−米国防総省の極超音速無人攻撃機の思想]
 イラクでの米軍に対する襲撃の多発を記者団に聞かれたブッシュは、「米軍を攻撃できると思っている者がいる。彼らへの私の答えは、かかってこいだ」と述べた。まるで西部劇の悪漢の言葉であり、ブッシュの品性が露呈されている。
 国防高度研究プロジェクト局(DARPA)と米空軍の共同計画「ファルコン(タカ)」は、極超音速攻撃機(HCV)による「柔軟な世界攻撃」を任務とし実戦配備は2025年とされている。HCVは、アラスカ・ハワイを除く米本土から「世界のいかなる地点にも2時間以内」で相当重量を輸送できる、再使用可能な攻撃機であり、米軍を前進配備依存から解放して、敵国やテロ集団の活動に「迅速かつ決定的な対応を可能とする」ブッシュ先制攻撃戦略の中核をなす兵器となる。アフガンとイラク戦争から米空軍能力の限界が露わとなり、時間が決定的な意味を持つ攻撃や、地中深くつくられた堅固な目標に問題が生じたことが背景にある。
 HCVは自動運転で、空軍基地滑走路から離陸し、2時間以内に9千マイル(14500km)離れた地点の攻撃が可能で、超音速グライダー式爆撃装置(CAV)と巡航ミサイル、爆弾など12000ポンド(5.5トン)を搭載する。開発計画は、03〜04年度中半に概要を決め、07年度第34半期までに設計・開発を終了し、09年度末に実証試験を実施する。
 想像を超えた即時攻撃を実現する米国の戦略思想は何であろうか。それは明らかに米国の価値観を全世界に強制する地球支配戦略に他ならない。究極の軍事技術によって、米国に批判的な者の存在を絶対に許さないとする帝国の思想である。究極兵器を所持していること自体が、圧倒的な脅威を与え、ホワイトハウスとは異なる思想の存在は実体的に非存在となる。これはもはやホワイトハウスを頂点として垂直的にそそり立つ世界帝国の出現ではないか。
 こうしたアメリカ帝国の戦略は現実に実現するだろうか? 第1に20世紀に到達した戦争違法論の思想から、この戦略は根底的に国際正義を喪失している。ここに米国が世界の平和勢力から完璧に孤立することが推定される。大体国際法的に他国の領空を勝手に飛行すること自体が不可能だ。第2に米国の脅迫戦略は実は強さの表現ではなく、追いつめられた暴力団の弱さの威嚇的な表現であることをすでに世界は見抜いているから、暴力の連鎖を許さない理性の力の前で敗北するだろう。第3にアフガンからイラク戦争まで巨大な政府財政を投入した米国財政は破綻に瀕している。このうえ巨額の開発費を投入することは、軍需企業のみを肥え太らせて米国経済は破局に直面するだろう。米国は自ら墓堀人となって自滅の道を歩んでいる。最後に米国は武器の比較優位で敗北はないと思いこんでいるが、武器は人間の理性に勝つことはできない。ひざまづいて屈辱を受けるより立って死のう−と決意している民族に、どのような協力兵器を用いても有効でないことは、勝手のベトナム戦争の敗北で身に滲みて知っているはずではなかったか。
 米国がここまで追いつめられた最大の経済的要因は、国内市場が閉塞し海外世界市場へ米国商品を売りまくらなければ崩壊する現状がある。例を遺伝子組み換え食品の貿易障害を強行に打破しようとしている現状を見よう。米多国籍企業は、遺伝子組み換え技術によって、食糧の大量生産が可能となり飢餓が克服できると宣伝し、食料援助の美名のもとで全世界に輸入を迫っている。しかし遺伝子組み換え食品は、安全性の確認がなく生態系の破壊と農業基盤を根底から破壊する危険を指摘され、自然農業は衰弱し、世界農業は巨大農業化学工場と化すことは明らかだ。2002年に、インドは米国食料援助に遺伝仕組みあけ食品が含まれているとして受け取りを拒否し、ザンビアなどアフリカ南部7カ国も米国からの食料援助を拒否し、南米諸国でも撤回させた。農産物輸出国カナダは、米国モンサント社の遺伝子組み換え小麦の新品種認可申請を拒否し、先進国からも厳しい批判を浴びている。欧州議会は、2日に遺伝子組み換え食品の表示義務を決定し、混入率0.9%以上の食品と飼料にラベル表示のの義務化を決め(無認可は0.5%以上)、これ以下のものは倉庫に残っているカス等の偶然混入する可能性に配慮して表示義務を除外した。事業者が 原産地から流通の全過程の情報を管理するよう求めている。これらの諸国は、食料援助の受け入れ選択権・現金による食料援助・当該地域での食料調達権など当然の権利を主張している。99年からの18種の食品に限定したことによって米国からEUへの大豆輸出は半減した。
 人体の安全性と環境への影響よりもアグリビジネスの利潤を最大限優先する米国農業戦略と、極超音速攻撃機開発の軍事戦略は、生命の尊厳を否定するという点で、最悪の非人道的な国家となっている。(2003/7/3 19:53)

[日本の人権水準は着実に前進している]
 自分の身体的な外面的性と内面的に認識している性が一致しない性同一性障害者の性転換手術は、1969年に島根医大初めて行われたが医師は有罪となった。1998年10月埼玉医大で再開されてから(患者は東北の30歳代の女性で子宮と卵巣を摘出後、男性器をつけた)、旧優生保護法の禁止事項から条件付きで除外された。あれから5年後の2003年7月1日に「性同一性障害特例法」(案)が参院法務委員会で全員一致で決定され、戸籍上の性別変更を承認することとなった。
 この法案は、性同一性障害者が@20歳以上A現に婚姻していないB現に子がいないC性別適合手術で生殖腺がないか生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあるD身体に他の性別の性器に近似する外観を備えている−のすべてに該当している場合に、本人の申し立てにより家庭裁判所が変更の審判をすることができるとしている。戸籍上の変更が可能となれば、住民票・健康保険証・年金手帳などの公的書類の性別記載も変更される。手術後の外見的性と公的書類の性が異なることによって、就職や日常生活で差別に苦しんできた人たちは、その限りで通常の社会生活を送る道が開かれた。残された問題は、ホモセクシュアルやレズビアンと云われる同性愛者の婚姻を認めるかどうかがある。すでにオランダやスウエーデンと米国の一部州では承認されて、自由な同性婚が行われている。いずれも生まれながらの生得的なものではなく、成育過程でのホルモン・シャワーが原因とする説が有力だから、この問題もいずれ俎上に上るだろう。日本の人権は確実に前進している。こうしたマイノリテイーへの感覚が、排除から受容に向かう流れは、もはや力で止めることはできない人権の蕩々たる必然である。むしろ何が証明されているかというと、マイノリテイーを尊重する社会の方が、健全で発展的に活性化していると云うことだ。
 経済産業省男女共同参画研究会報告「女性の活躍と企業業績」(約2万6千社対象調査)は、女性比率が高く女性が活躍できる風土がある企業ほど利益率が高いというデータを発表している。業種と規模が同じであれば、女性比率が10ポイント高いと利益率が約0.2%高いという相関関係がある。しかし個別企業の相関関係を複数年に渡って調べると、女性比率と利益率の相関関係はない。つまり女性が活躍できる風土を持たない企業が単に女性比率を高めても利益率には反映しないと云うことだ。女性の活躍と利益率が相関している企業は、@男女の勤続年数格差が小さいA再雇用制度があるB女性管理職比率が高いなどの特性がある。そうした条件は@育児休業の実質的取得率A保育所整備率B男女残業時間率などの社会的インフラにある。女性を差別する男性型企業風土は、実は人材を喪失し利益率を低め男性自身をも駄目にしているのだ。
 男性と女性の人類史に革命的衝撃を与えたのが、バッハオーフェン『母権論』(1861年)であり、先史期においての母系社会の存在を証明した。例えばアフリカのデホミ族では、戦士は女性であり臆病な女性戦士は「おまえは男のようだ!」と罵られ、姉妹によって処罰された(現在の「女々しい」の反対語)。小アジアのアマゾン女族の女王は、女たちを戦士に育て、男児が生まれると脚と腕を不自由にして戦えなくし、女児は右の胸を焼かれて大きくなって戦場で弓を引くときに乳房が邪魔にならないようにした。アマゾンとはア・マゾン(乳房がない者)という意味だ。黒海沿岸地域の女性支配の歴史はその後の長く続き、ユダヤーキリスト一神教の成立にいたって男女の逆転が起こる。英語のmanは人を意味し男を意味するが、自然natureの語源は「産まれる」であり、男女関係は人間と自然の関係でとらえられている。弱い人間が自然にもてあそばれていた時代は、男性が女性に従属し、人間が自然を支配する時代になると男性が女性を支配するようになる。人間を産んだのが自然であるように、男性を産むのは女性である。しかし「旧約聖書」では最初の女性イブは、最初の男性アダムの肋骨を一本抜いて創られている。ここに男性が女性を支配する最初の姿がある。それは人類が農耕を始めて自然を支配する新石器時代への移行を意味する。20世紀に入り、環境危機が顕在化して自然の人間に対する反逆が開始されたと同時に、女性の男性に対する反逆が開始され、ウーマンリブやフェミニズム運動が活発となった。現代で男性と女性の関係が混沌としているのは、同時に人間と自然の関係が混沌としていることとパラレルであり、模索の状態が当面続くだろう。(2003/7/2 23:05)

[ブッシュは脅してばかりいる]
 「ブッシュは脅してばかりいる。米国にトルコを脅迫する道理はない」(アンカラ大学オラン教授)。米軍のイラク攻撃のシナリオは、南北からバグダッドを挟撃する作戦でしたが、、イラクが米地上軍部隊の通過を拒否し米軍は大打撃を受けました。ブッシュはトルコの「妨害」に対する怒りと恨みをいまもって忘れず、「トルコが勇気を出して云うことを望む。『私たちは間違っていた。イラクがこんなにひどいとは知らなかった。どうすれば米国の役に立てるか考えよう』と」(ウルフォウイッツ米国防副長官)と威圧的な脅迫を行っています。
 米国際開発局の「地域援助プログラム」は、7000万ドル(83億3000万円)の財政支援を口実に、米国NGO団体に米国政策への「協力と奉仕」(NGOは米政府の1つの武器だ!)を強要し、NGO5団体のうち3団体がこれを受け入れた結果、現地イラクでは米英軍への攻撃のみならず、NGO活動がソフト・ターゲット(狙いやすい目標)になりつつあります。学校再開に向けたNGOや、自治体運営支援のNGOに対して、各地で投石や自動車の破壊が頻発し、石がすぐに銃弾に変わる危険な情況となっています。つまり米英軍のイラク占領政策は完全に失敗しているのです。その最大の原因は、侵略と占領そのものにありますが、イラク国民に何らの権限も与えない直接軍事統治にあります。米軍は「ガラガラヘビ作戦」という脅迫的な品のない作戦で露骨な軍事作戦を展開しています。
 この米英軍の占領政策を日本占領と比較して、もっぱら現地協力者の育成の差異にあったという技術的な問題を指摘して、冷ややかな分析を加えている研究者(五百旗真神戸大教授 朝日新聞7月1日付け夕刊)がいますが、ここに近代政治学の致命的なパワー・ポリテックス理論の限界が露呈されています。日本占領は、ポツダム宣言の無条件受託から開始された占領軍の民主化という国際法上の根拠がありますが、イラク戦争はいまだ降伏宣言はなく一方的な植民地占領統治に過ぎないのです。イラクの国家主権と尊厳を完全に否定した上での占領であって、日本の占領とは質的に全く異なることを彼は認識できないのです。彼は、基本的に米国サイドに立って、もっとうまくやれと激励しているに過ぎません。そればかりか日本の被占領成功体験を生かした支援を行え、とも云っていますが、一体彼はアジア共同体の一員としての日本から発想しているのでしょうか。正義と国際法を蹂躙した米英軍が直ちに撤退し、国際連合システムのもとでの国際協力でしかイラクの再生はないということが、ますます明らかとなってきています。日本自衛隊がイラク人を殺害に行くなどとは、ほとんど常軌を逸した戯画的な行動になり、日本は致命的な失敗のみちを歩もうとしています。政府の失敗は、市民の手で修復するしかありません。劣化ウラン弾という核兵器を平気で使用し、いたいけな子供に大量の白血病をひき起こしている国に、正義を語る資格はありません。(2003/7/1 20:41)

[物事を適切に考えられない人]
 南アフリカ共和国のマンデラ前大統領(ノーベル平和賞受賞者)が、7月のブッシュのアフリカ歴訪を控えて会談を拒否したときの言葉です。イラク占領米英軍はイラク民衆の抵抗に直面し、「真にイラクを代表する体制を待ち望む国民の忍耐が限界に近づいている。いかなる外国人もイラクを統治できない。イラク人だけが統治する能力と権利を有している」(デメロ国連事務総長特別代表)という事実がますます明確になってきた現状で、日本自衛隊は米英軍支援に向かうという国際感覚を喪失した政府の破廉恥が際だちつつあります。
 エッセイスト米原万里さんが小咄の本質を「笑いと簡潔を旨とする」で次のような愉快な話を紹介しています。”ブッシュ大統領が気を失ってソファーから転げ落ちたのは深夜で、アメリカン・フットボールの試合をTV観戦しながら塩味プレッツエルを囓っている最中だった。ところが事件の翌日に、ブッシュの屋敷から2区画離れた道路に乗り捨てられた車の中から、コーランとアラビア文字でかかれた塩味プレッツエルのレシピが発見された”、さらに”小泉首相は9.11テロが起こる1時間前に、ブッシュのテロに対する報復戦争を無条件に指示した”いずれもニヤリとする痛快な小咄です。旧ソ連圏で独裁権力の実相を暴く庶民の知恵として駆使された小咄は、今やネオラテラリズムの権力者と追随者を皮肉る表現様式となっていましたが、皮肉や落書きは抵抗の原初形態で、次は必ず表面に現れる運動となって権力は遂に壊するという法則があります。

 「さくらさくら」(森山直太朗)という歌が大ヒットしています。
 1.さくら さくら 今 咲き誇る 刹那に散りゆく運命と知って
 2.さくら さくら ただ舞い落ちる いつか生まれ変わる瞬間を信じ
 3.さくら さくら いざ舞い上がれ 永遠にさんざめく光を浴びて

 桜が孕む象徴性は日本的感性の独特の表現として形成されましたが、明治以降の天皇制権力は菊と桜をオーバーラップさせ、桜の持つ象徴性を精神的資源として徹底的に菊に対する殉教に利用しました。散る桜は自覚的な戦死への動員として極めて有効であり、背後にふくらむ豊かな情感性と多義性が、散り際の美として結晶しました。この散りゆく美学が、、あやまてる大義を美しく飾り立て大義への殉死が最高度の究極の死にゆく美学として、いかにも自然で自己完結的なイメージをもたらしました。マルクス学徒が、片手に『資本論』を抱えて特攻作戦に志願したのです。ここに統治権力による象徴操作のメカニズムが見事に起動したのです。(以上大貫恵美子『ねじまげられた桜−美意識と軍国主義』岩波書店参照)
 いまここで「桜」を「星条旗」に置き換えると、みごとに現代の世界情況が浮き彫りとなります。星条旗の象徴操作によって、ネオコンサーヴァテイブとユニラテラリズムが見事に隠蔽され、日本の若者がイラクで命を捧げようとしています。こうした象徴操作の欺瞞を見抜くちからは、かってとは異なって決して孤立したものではありません。イラク攻撃に反対する2000万人のグローバルな反戦行動が同時に展開されるまでになっています。しかし最後に付言しますが、星条旗の散り際は桜のようには美しくなく、泥にまみれて唾を吐き掛けられて地上に踏みつけられるでしょう。

 世俗の感覚用語として「カッコいい」・「ダサい」が普遍性を持つ日常語となって久しい。この背景には、善・悪を正面から真面目に論じたり行動したりすることに対する越えがたい躊躇への自己防衛意識があり、そらはいわば「クール」という感覚用語です。<クール>は1950年代の米国で、スクエアー(堅物・石頭)に対する反逆語として登場し、もとは奴隷制下の黒人たちが差別に対して感情を表に出さないで虐待と侮辱に耐え抜く心理的な防衛規制を表す用語でした。これが戦後の白人中流階級青年の不安な時代への憂屈とした心理を表現する用語へと転換し、60年代以降ビート世代からカウンターカルチャー世代までナルシステックな無関心と悦楽にのめり込むスタイルを表現するようになり、現代ではファッション・ミュージック・ドリンク・ドリンク等の大衆消費社会を浮遊する空虚で私生活中心の末期症状を表現する用語となってついには、遂には真面目さや正当性を揶揄する無関心を装う用語へと変貌したのです。若者たちは、上からの「燃えろ!熱くなれ!」という権威主義的なメッセージを冷ややかに拒否するシニシズムを纏うようになりました。「さくら さくら」がヒットする背景には、このような退嬰的な大衆青年心理のゆらぎがあるように思えます。この心理を星条旗=日の丸に動員できるかどうかが統治権力の分水嶺となるのですが、それは同時に”イマジン”を嫌悪する心情ですから、多くの抵抗に出会うでしょう。

 さて私たちはもう一つの星条旗があることを知っています。米国では、チャレンジド(障害者)の就労を促進するニューフリーダム計画が活発に推進されています。すでに政府職員の7%、全米大学生の3%はチャレンジドであり(日本は0.09%)、ここに憐れみではなく参加の原則が働いています。障害を持つアメリカ人法(AD法、90年制定)は、企業でのチャレンジド向け機器の設置が義務づけられ、ユニバーサル原則が社会の普通の原理になりつつあります。こうした障害者が逆に自らの障害によって社会全体を支える−というシステムが、高齢者と女性の社会進出を促進するという効果を生んでいます。米国のチャレンジド原則の内容は、もう少し吟味する必要がありますが、少なくとも日本のように国際基準から外発的に導入している偽善的要素はないようです。星条旗は、一方で戦争動員の象徴となり、他方でデモクラシーの象徴となっています。私たちは後者の可能性に期待するのです。(2003/6/29 21:24)

[ビジョン・クエスト(荒野の自己変容)]
 ネイテブ・アメリカンは成人する前に、荒野に放たれ、一人で生き延びるなかで極限の生活体験を行い、その体験をもとに成人となった証として新たな名前をもらいます。こうした成人のイニシエーショションは、覚醒の宗教的な儀式など多くの例があり、異文化理解の鍵概念となっています。それはある極限的な状況に自己限定を行うなかで、過去の自己と決別して新たな自己への本質的な転換を成し遂げて共同体のメンバーとして公認される象徴的な儀式的行為です。価値と行動様式が多様化した現代では、統合された単一行為から、より個的な多様性を持ったジャンプ行為へ移行しています。少女のどぎつい化粧などは、自分探しといわれるビジョン・クエストのより現代的な形態をまとった風俗でしょうか。しかし両者には本質的な違いがあるように思われます。本来のビジョン・クエストは、既成の自己から新たな脱皮した自己への飛躍をQUEST(探求)する瞬間的な時間行為を意味しますが、現代の少女の化粧は作り上げられた虚像としての自己を振り捨てて本来のナイーブな自己を獲得する再生の意味があるように思われます。それは、ある決意と決断を込めた前方に向かっての質の飛躍の可能性を拓いていますが、逆に無限の自己肯定への安らぎを求める−退嬰への危険をはらんでいます。そうした模索の渦中にある自己表出としての化粧を、管理的抑圧からの解放と見る自由観もありますが、私は哀しみの絶叫か或いは享楽への頽落を無自覚に表明しているようにも見えるのです。
 ビジョン・クエストに見られる共同体価値に対する無条件の受容と自己一体化は、星条旗に対するユニラテラリズムのようなナショナリズムの危険を生む可能性があり、現代の個的風俗の蔓延はそうした統合から逃れていく拡散した行為であり、少なくとも消極的な抵抗の意味は持つでしょう。しかし本当にそれは、確然として屹立する自由を獲得しているかといえば、余りにも儚い逸脱行動の意味しかありません。問題は、共同体への全一的な帰依でもなく、冷ややかな拡散的抵抗でもないクエストの途はどこにあるのかということです。
 現代の共同体の生命維持活動を象徴しているのが、「産まないバブル世代」と云われる30歳代の出生率低下です(1.32先進国最低)。合計特殊出生率は、15歳から49歳までの女性の年齢別出生率を合計して計算する平均値です。共同体の人口を維持するためには、死亡率が一定として2.08が必要とされています。この世代に何が起きているのでしょうか。この世代は、労働時間が最長の世代であり、過労死危険水準である週60時間以上の労働を4人に1人(25%)が行い、30歳代前半の非正規労働(フリーター)は10年前の2.7倍(80万人)になっています。女性も男性並みの長時間労働が要求され、寿退社しなけば次世代養育活動は不可能となっています。或る大手派遣女子社員(37)は、妊娠して派遣会社の相談担当者に告げたら、電子メールで「妊娠中絶」という的確な(!)アドバイスを受け、一瞬頭が真っ暗となりました。現代の労働は殺人を求めるのです。
 厚生労働省政策評価官室が作成した資料は、全国を14の地域に区分し、週60時間以上働いている者の割合(有配偶者男性)と出生率の関係を1997年統計でみている。長時間労働の割合が10%以下の東北・北陸・山陰では出生率が1.50以上であり、全国平均以下の北海道・南関東・京阪神は長時間労働の割合が13%前後と高くなっています。20歳代後半から30歳代前半までの女性の就業率が高い欧米諸国は出生率が高くなっているという事実は、労働時間や経済的負担・保育所などの出産と育児インフラの整備がいかに重要であるかを示しています。
 現代のビジョン・クエストは、こうした共同体の生命再生産システムの恐るべき非人間的な冷酷な事実から出発しなければなりません。企業共同体への全一的な帰依(過労死)でもなく、拡散的なフリーターでもない−本来の人間的なクエストのチャンスが公正に保証されるシステムへの転換が緊急の課題です。産む・産まないは個人の自由−といった半封建からの解放としての自由観は、リアルな意味内容を喪失しています。なぜなら産む自由がシステムとして破壊され、実現しているのは産まない自由のみという惨めな実態のうえに生活があるからです。政府高官が女性蔑視発言を繰り返しているのをみると、いかに日本が人権途上国であるかを思い知らされます。
 さてさて今回は、ネイテイブ・アメリカンの高貴で尊厳あるビジョン・クエストの考察から始まって、現代の生命のあり方に至りました。鮮明になったことは、前近代の古典的な無謬共同体の時代のクエストから、個と共同体の再建された新たな質を含む関係をめざすクエストが求められているということではないでしょうか。化粧する少女を目の前にして、さまざまの想いがめぐっていきます。(2003/6/28 9:43)

[乱心の東京都知事]
 先にカジノ特区構想を吹聴していた彼は、ギャンブル規制法の壁を突破できないので放棄を表明したが、なんと今時は東京ドームの競輪の再開を打ち出した。都市型の新たなエンタテイメントとして、これまでの常識を覆す、若者や女性も楽しめる斬新でスマートな競輪をめざし、賭け事という古いイメージを打破したいーと述べている。後楽園競輪は、1949年から開催されてきたが地元の文京区議会が66年に全会一致で廃止を決議し、73年に美濃部革新知事が「ギャンブルの収益はふさわしくない」として廃止に至った経過がある。後楽園競輪廃止に際して、東京都は東京ドーム事業者と「競輪場を競技事業の用に供してはならない」という協定を結んでおり、事業転換資金として97億円の無利子融資、競輪場跡地の払い下げを行って現在の東京ドームを完成させた。
 地域住民の健康で安全な生活を実現する厳粛な責務を担っているはずの自治体首長が、自ら先頭に立ってギャンブルを先導するーといった末世の症状が露わとなっている。大不況で莫大な赤字を抱える地方財政をまさか賭け事に熱中させることによって解決できると考えているとすれば、罪万死に値する。全国の競輪場所在地の荒廃し退廃した風景をみれば一目瞭然だ。ギャンブルは、額に汗して働く人間の尊厳を剥奪し、見るも無惨な尾うち枯らした敗残の人生を誘発する。まじめに働くより、一攫千金を夢見るカネカネ亡者を作り出し、幾多の家庭が崩壊状態に陥ったかー事実が示している。世がカジノ資本主義のバブルに浮かれた結果が現在の大不況に他ならない。一周遅れのラストランナーとしてヨタヨタ歩いている日本の現状を彼はどう反省的に観ているのであろうか。
 石原なる名前の都知事は、一方で治安担当副知事の設置を決め、陰惨な警察首都をつくり出そうとしている。この構想の危険性は、犯罪抑止力として、地域の警察協力体制を高度化し、警察主導の住民による相互監視システムを創出することにある。まさに草の根から彼に対する批判勢力をあぶり出すファッシズム首都を現出し、戦々恐々として互いを密告しあうシステムを構築するのだ。先に防災記念日に自衛隊の戦車を銀座でパレードさせて、裸の王様のように閲兵した彼は、一方ではギャンブルの飴を投げ、他方で鞭を振るう典型的なナチス独裁を演じようとしている。
 こうした試みが恥ずかし気もなく出てくる基盤がすでに或る程度形成されているのではないか。それは一言で云えばファッシズムの心情であり、大不況下で追いつめられている庶民の無力感と無展望のはけ口のトラウマのような暗い情熱である。それは問題を一気に解決するパフォーマンスを演じる権力を自ら希み、奴隷的服従に快感を覚える心情である。ここには健康でナイーブな精神そのものが、違和感を持って周囲から孤立し迫害の対象となる。加害者は、自らの加害の行為にある痛みを覚えれば覚えるほど、攻撃の水準を激化させるのである。ファッシズムは、マゾヒズムと裏腹にサデイズムを強固に内在させていくのである。ヴァンダリズムそのものであったナチスは、一方で真っ白い手袋を好む清潔さへの異常な偏執を持っていた。
 乱心の都知事は、実は乱心したのではなく末世の時を得てその本質を露呈したに過ぎない。彼は確信犯である。(2003/6/25 21:34)

[日本型共同社会の融解]
 熊沢誠氏は次のように言う。階層としての労働者像が融解し、3層に分解したとする。第1階層は有力企業に正規入社するヤングエリートであり個人的競争主義を身につけ、サービス残業もさほど緊張感なく挑戦している。第2階層である高卒の多くと大卒のかなりの若者は、フリーターを中心とする非正社員となり工場やコンビニ・飲食店・娯楽施設で単純労働と低賃金で働く半失業のヤング・ノンエリートのハンズ(人手)として生涯を送る。第3階層は終身雇用を前提に職場に定着しようとしてきた40〜50歳代の怯える中高年層であり、上司からの叱責や冷遇・リストラに苛まれ、ホームレスの30%が1年未満で41%がその前まで正社員や役員であった(03年厚生労働省調査)という結果となる。
 かって日本の労働者は、学校を卒業してすぐに入社し、易しい仕事から徐々に難しい仕事に移り、定年まで正社員として雇用を保障されて職場と仲間に馴染み、時には組合活動にも参加して、仲間と協力して生活と権利を守る営みをおくってきた。現代の3層に分解した労働者は、どの層にも市場原理と競争主義に対抗する連帯が育つ条件はなく、砂を噛むような孤立状態に置かれている。自己選択・自己決定・自己責任システムに翻弄されて、ほんらいの自然で協働的な関係は喪失した。
 市場原理主義に対抗する欧州モデルは、米国モデルに対する社会連帯の制度化を目指して着々とワークシェアリングのシステムを構築しつつあるにも係わらず、なぜ日本だけが米国モデルをストレートに受容したのであろうか? 熊沢誠氏はこの肝心なことに対する考察が及ばない。三井三池に象徴される日本の連帯の息吹はどこへ行ってしまったのであろうか。労働経済学のみならず、経済学研究の分水嶺がまさに此処にあると思われる。かってはあれほど軽蔑された慶応経済学派が、いまや我が世の春を謳歌して政府権力の中枢を把握してしまっている。ひょっとしたら日本の社会は、音を立てて瓦解していくのではないか。ケインズ経済学の巨匠として君臨した都留重人氏は今やマイナーな辺境で孤軍奮闘する、敬して遠ざけられる存在となった。
 さて弁証法的な運動法則が原理的に起動するとすれば、こうした分離と対立の極北に、それを止揚する新たな質の飛躍が待ちかまえているはずだ。そのかすかな胎動の調べを確かに聞き分ける鋭い感性を持った才能も育っているに違いない。いやその胎動を準備し現実に駆動させるのは、このホームページの趣旨に共感していただけるあなたであり、また私自身なのだ。社会の表層が一見して奇妙に明るく、街を歩く青年男女を見れば、そのどこに不安の陰があるというのか? それほど自らの不安を表明できる回路を絶たれているという、実は深刻な事態が進行しているとも云える。
 かって京都『世界文化』派の生き残り評論家(久野収)は、「日本の闇を照射する灯台の光をめぐらして、日本の隅々と全体を煌々と照らして鳥瞰しなければ」と言ったが、そこには現場の実践の修羅に身を置いて考え抜くという矜持はなかった。しかし敢えて私は、いまこの灯台の自ら光を発して日本を総点検する知性の創造力を求めるし、みずからそれを刻みゆく行程を歩まねばならないと思う。魯迅の言葉が今ほど生彩を帯びて蘇る時代はないのではないか。「思うに希望とは、もともとあるものともいえぬし、ないともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になる。」・・・・だれが最初の一歩を誤りなく踏み出すか、だれがそれを正しい一歩だとして後に続くか、誰が・・・・・。現代という時代の水準では、うすうすと多くの人が道をすでに知っている。ただそれを自らの道とするには多大の生け贄を必要とすることも知っている。自分が最初の生け贄になることも知っている。ふたたび云えば、自分が生け贄になると知った人からしかその道は歩み出せないのだ。歴史はそのようにしてつくられてきたし、これからもそうであるに違いない。過ぐる時代には、自覚した人格の英雄的な自己投企によって踏み出された最初の一歩は、現代では知的に結集した多数者の同時の一歩として踏み出される。そして多数者の同時の一歩は、或る一人の飛躍の決断を契機として拓かれるという点では、本質的には同じなのだ。あなたのかけがえのない息子と娘が過労死するまえに、跳ばなければならない。梟は迫り来る夕闇とともに飛びはじめるが、人間は夕闇を待てないー手遅れの時がままある。(2003/6/25 21:07)

[ポジテイヴアクションが照射する私たちの国]
 ポジテイヴアクションとは、男女格差を解消するために企業がおこなう自主的な取り組みを言いいます。かっては米国の黒人差別に向けたアファーマテイブアクションがあり、一定率の黒人の入学定員を設けるなどの取り組みがありました。逆差別問題など紆余曲折を伴いつつも差別解消への確かな制度として機能しました。ポジテイヴアクションは、経済的な自立を求める女性の急増と、競争激化で性を越えた優秀な人材を求める企業の経営がマッチして急速に広がっています。国連の女性の意志決定参加度数で世界トップになっているノルウエーでは、民間上場企業の取締役会の女性比率を05年までに40%以上にするクオーター制勧告を政府が行い、未達成企業は制裁される法案が可決されます。70年代から女性運動が活発になり、政党は比例名簿を男女半々にし、育児休暇のうち4週間は父が取得しなければならないパパクオーター制が導入され、女性国会議員比率36%(日本は7%)・父親の育児休暇取得率80%となっています。
 国連の女性の意志決定参加度数で、日本は先進国中最低の32位であり、ポジテイブアクションに関心を持たない企業が60%を超えています。省庁の課長にしめる女性比率はノルウエー37%に対し、日本は1%に過ぎません。ポジテイヴアクションの推進の保証は、あくまで女性の参加が企業利益をもたらすことを実証することにありますが、総合職と一般職というソフトな差別管理を行っている企業では、ごく少数の総合職女性の涙ぐましい自己犠牲による華やかなサクセスストーリーがスポットライトを浴びますが、実は逆に構造的な差別を再生産するグラスシーリングが厳然とそびえ立っているのです。過酷な深夜サービス労働が横行し、過労死を覚悟しなければ業績を評価されない企業現場の実態を放置したままでは、日本でのポジテイヴアクションの推進は気の遠くなるような時間を要するでしょう。こうした構造は、女性自身を萎縮させてしまい、男性に伍して堂々と主張したり意見を言う文化が衰弱し、束の間の今を楽しく過ごして生活は男性依存する甘えの気分が特に若い女性の間に蔓延しています。
 こうして生活が矮小化し、大不況による不安がトラウマとなって、無表情な生ける屍のような少女たちが今際の生とアイデンテイテイーを確かめるように、ケータイを打ち込み化粧にうつつを抜かし、短くしたスカートで男を挑発しています。社会のあちこちが退嬰的な症状を呈し、健やかとはとてもいえない雰囲気が満ちているとは思いませんか。この結果が出生率1.3というもはや日本という国の人口がゼロになる水準に落ち込む状態をもたらしています。子供を増やせと叫びながら、一方では過労死を放置する政策のミスマッチによって、日本の危機は間違いなく深まっています。男女が伸びやかに健康的な生活を営むごくごくナイーブなスタイルが定着しているノルウエーの出生率は1.75と比較的高めに推移しています。
 このような差異がなぜ生まれたのでしょうか。その原因がつかめれば解決法も明らかとなりますから、私たちは弁証法的な希望を持つことができます。負の積分は、実はそのまま乗数化した正の希望に転化するからです。私見では、その原因は明確です。バブル崩壊後に株主主権論によって企業の短期利益を極大化する米国型企業モデルを機械的に導入し、企業の公共性を全否定するシステムが蔓延し、私益しか関心のない企業経営が横行して、企業ほんらいの共同的な公共性を侵し始めたからです。システム全体がファーストフード型の競争にのめり込み、恐怖のチキンレースに嵌りこんだのです。私はその救いを求める悲鳴が聞こえてきます。私自身が悲鳴を発しているのです。いま薄々とそれに気づき始めたこの国では、多くの試行錯誤を経てスローフード型システムへの大転換が誘発されるでしょう。その転換は巨大な負の積債を伴っていますが、逆にみれば蓄積された生産をコントロールできるホンモノの揺るぎないちからが身に付いたとも云えるわけですから、想像を超えた豊かで健やかなシステムをもたらすはずです。地獄をみた者が最もよく天国をみることができるのです。(2003/6/25 5:34)

[グレゴリー・ペック死去(12日)]
 ハリウッドの大スターであるグレゴリー・ペックが12日死去した。オードリー・ヘップバーンと共演した「ローマの休日」は、日本人が好きな外国映画のトップをいつも争う名作である。ヘップバーンは、10歳の少女時代に母国オランダで反ナチ抵抗運動に参加し、その時の死の恐怖や飢えの記憶が、束の間の自由を満喫する王女の喜びと重なっている。この映画の脚本は、マッカーシズムの赤狩りでハリウッドを追放されたドルトン・トランボが名前を隠して書き、ウイリアム・ワイラー監督は赤狩りに抵抗する運動の先頭に立ったが、途中で権力の重圧に屈して挫折しこの映画を撮影した。映画のラストシーンで、ペック演ずる新聞記者が王女との別れの後、大使館の広間をひとり退出する歩みが異常に長いシーンで、そのうつろに響く靴音はそのまま体制に屈服した監督の挫折感に繋がっている。
 自由を宣揚する米国の国内での人権抑圧のすさまじさは、恥ずべき自己矛盾に満ちた歴史を刻んでいる。米国国勢調査局は、02年7月1日現在のマイノリテイー数をヒスパニック3880万人(+9.8%)・黒人3830万人・アジア系1310万人(+9.0%)と発表し、はじめてヒスパニックが最大の少数派になったとしている(総人口28840万人・白人19680万人)。このマイノリテイーが勤務するカリフォルニア州南部の清涼飲料水最大手コカコーラの労働者が、ライバル社ペプシコーラの飲料水を売店裏で飲んでいたという密告をもとに、自社商品を中傷したとする就業規則違反で解雇した。全米最大労組「チームスター」の活動家である運転手を狙い撃った笑うべき解雇である。おそらくコカコーラの売り上げは激減し、ペプシが取って代わるだろう。こうしたマイノリテイー差別と運動家に対する迫害は、ブッシュ大統領の単独行動主義の裏返しであろう。赤狩りは現代でも連綿として生きているのである。
 こうした余りにも哀しい人間の差別の歴史を、宇宙の時間に置いてみると、そのあまりのはかなさに胸を打たれる。宇宙は誕生後、1秒とたたない間に急膨張したあとに大爆発(ビッグバン)を起こし、最初の物質が誕生した。高温・高密度の宇宙で光は直進できず、38万年後にやっと直進できるようになった。この光をいま人類は観測可能となっている。物質の密度の高いところで星や銀河が誕生し、2億年後に輝き始め、9億年後に銀貨系を形成し、12億年後にクモの巣状に広がった大構造に発展する。この大構造を形成したのが未だ未解明のダークマター(暗黒物質)である。最近の宇宙膨張の速度は速まり、天体の距離が拡大して観測不能になる危険があるという。宇宙膨張のエネルギー(暗黒エネルギー)も未解明で、人類が現在観測可能な物質は宇宙全体のわずか4%に過ぎない。現在の宇宙年齢は137億歳(±2億歳)であり、生命誕生はわずか30億年前に過ぎない。気の遠くなるような宇宙の歴史の中で、やがて爆発する地球惑星の上で、人間はささないことで争い殺し合っている。
 一方人間の愛し合う微笑ましい姿もある。電車の中で若い男女が「チュー」する光景や路上でキスする「路チュー」が姿を消してから久しい。電車の中ではひたすら携帯に打ち込み、コンパクトを出してお化粧に余念がない。明治以降に英語Kissが入ってきてから「キッス」という日本語が定着し、その前は「接吻」とか「口づけ」という翻訳語をあてていた。しかし江戸期には、「口すい」とか「口口する」というのがオーソドックスな日本語であった。なんとも生々しいエロテイシズムがあるではないか。”口を吸う 時に困ると 天狗言い”・・・・・
 人間は137億年の宇宙史を背景に、キスしながらまた同時に差別したり殺し合ったりしているのだ。なんともはや戯画的な麗しく痛ましい風景ではないか。なんとなく谷川俊太郎の1千億光年の彼方(?)ーという詩が浮かんでくる。(2003/6/22 21:04)

[いじめについて]
 いじめの定義を国語辞典でみると、「弱い者を苦しめたり困らせたりする」(旺文社・国語辞典)「特に学校で弱い立場の生徒を肉体的または精神的に痛めつけること」(広辞苑)であり、ここに国語辞典の限界がある。共通した間違いは、「弱い者」を対象とする行為としている点である。確かに弱者攻撃は含まれるが、主要な対象は他者との異質性(個性)にある。何らかの平均的イメージから逸脱している者(それは優等生であったり、美人であったりする)であり、必ずしも弱者に限らない。不潔、動作がのろい、転校生、訛りがある−等々多様な属性が平均的属性から逸脱している場合に発動の対象となる。第2の間違いは、モデルとして学校を取り上げているが、実はいじめは広範に社会の隅々に存在して、こどもはその忠実な鏡像に他ならない。大人の世界では、皮膚の色や宗教・思想といったより上部構造に近い要因が作動する。このようなイジメの本当の怖さは、いったん烙印を押されるとそれが本人と無関係であっても、本人の本質的な属性として社会的に規定される(ステイグマ)。ステイグマはそれ自身で暴走を始め、エスカレートし加害者自身もその捕囚となって、相乗的に等比数列で積分される。ここまで進行すると、最悪の事態が誘発されるまでおぞましいイジメが進行する。
 こうした果てしない泥沼に至るイジメの構造は、基本的に人間世界の日常が権力の垂直的な統合のなかで、頂点に立つ権威的な抑圧が次々と下方に移譲され、自らの安全を保つためには自分より下方にある対象に抑圧を流し込むしかないのである。さらにともに苛める加害者としての相互承認の中で快感と自己保存を図る卑劣な心情が形成される。水平的なネットワークの構造に大転換すれば、いいのかというと必ずしもそうではない。形式的な水平的な関係には、中心と周縁関係が誘発され、周縁に位置する者に対するイジメが誘発される。ここに学校におけるイジメの本質がある。形式的には垂直的な権力関係を持たない学校では、バイ菌→葬式ごっこ→追悼文全員署名(担任教師まで!)という円環的な攻撃が拡大し、スケープゴードが完成する。
 現代の学校教育では、イジメの止揚に向かって、「思いやりの心」とか「心のふれあい」といった主観的心情を改革する戦略を採用するが(文部省副読本『こころのノート』)、イジメが社会的な構造現象である限り、個人的心情の改革は限界がある。逆に強力的な管理教育や警察権力の導入によって表面的な消去を図っても、それはより陰湿な深化するイジメの形態に移行して、ますますイジメは進行するしかない。だいたい警察や学校の職場内部では、子供の世界以上の陰湿なイジメが横行している。嫌われている教師がお茶を入れると、同僚教師は一斉に飲まずに捨てるし、警察では特にノンキャリアの先輩からの後輩に対するイジメは目を覆うものがある。いじめられた下級警官がそのトラウマを市民に向かって発散するのはみなさんよく体験していることだ。しかし大人の世界のイジメは、直接的な暴力というハードな形態ではなく、「白眼視」というまなざしの暴力が主要な形態である。
 人間が他者を見る場合に、意中の人を視る場合は瞳孔を大きくして相手を視野の中心に置くが、汚らわしい他者を視る場合は視野の周辺に位置づけて顔を背ける。その背けるまなざしが「白眼視」であり、視界そのものから排除し抹殺するために攻撃を始める。規則に縛られて個人の自由が失われている時には抑圧の移譲としてのイジメが起こり、組織が一体となって何らかの戦闘的な体制をとるときには内部の裏切りや異端を警戒する時には排除と抹殺のためのイジメが起こる。こうして人間的な正義の感覚と相互扶助の心情がじょじょに衰弱し、できるだけ本心を見せない笑いや媚びとへつらいによる孤立回避行動が蔓延し、集団の伸びやかな前進的な姿勢は喪失して自己崩壊に至る。それは劇的な壊滅ではなく、真綿で首を絞められていくような、自分でも気づかない内部崩壊である。
 イジメが最終的に姿を消すのは、個人が組織から自立して、自分の頭で考える自立した思考を奪い返せるようなシステムを打ち立てることの中にしかない。たった一人になったときに、なおかつ自分は動物とならず人間であり得るかー甘えと集団主義文化の根を引きづっている日本では、まだまだ気の遠くなるような時間が必要なのだろうか? しかしこの耳障りのよい個の自立論は、実は強者の論理に他ならない。イジメの現象を冷ややかに冷笑しながら自らはその圏外に置いて、観察している者の思考法だ。被害者の悲哀に実践的に共感し同盟する立場に立ちきる主体形成とそうした両腕を組み合わせる社会システムにこそ最後の可能性がある。個の自立はそうした関係の中でこそ実は生き生きと輝きを発する。(2003/6/19 22:36)

[ジョゼ・サラマーゴ『見知らぬ島への扉』(アーテイストハウス)]
 島を見たいのなら、その島を離れなければならない。
 自分のことを知るには、
 自分から自由にならなければならない。

 船をください
 或る一人の男が王様に願い出ます
 その船で、まだ知らない島を探しにいきたいと
 男は云います
 知られていない島など存在しないと
 周りが馬鹿にしても男の信念は揺らぎません
 男は遂に船を手に入れます

 その姿に心を動かされた女は、男に付いていくことを
 決心します
 強く決断したときだけ開かれる決断の扉を通ってー

 既成のの習慣や、古いものの考え方が通用しなくなった現代に、
 この寓話的なメルヘンは、きっとあなたにあるヒントを与えるでしょう

[小池昌代(詩人)の感性はすばらしい!]
 私は彼女の詩を読んだことはありませんが、朝日新聞のエッセイ「こころの風景」のすばらしい感性に打たれました。彼女は子供の保育園について次のように書いています。
 「日の入りの時刻に敏感になった。早く迎えにきて!と手を伸ばして待っている子供の顔が浮かんでくる。捨てておいてきた自分の心を、こっそり取り戻しにいくような気分になって保育園への道を小走りに急ぐ。保母さんたちは私を、お帰りなさいと迎え、子供たちはみな可愛い目をくりくりさせて、柵の向こう、小動物のようにお迎えを待っている。親から離れ、群れとなっている幼い生きもの。たくさんの瞳が、孤独な光を発しながら一斉にこちらを振り返ってみている。なぜだか、毎回ドキッとする。あの目に見られると、私はいつも、罪を犯してきた者のような気持ちになる。サヨナラ、マタネ、あちらこちらで、ひらひらと小さな手が舞っている。緊張がどっと緩むのだろうか、親の顔を見たとたんに泣き出してしまう子供もいた」。(一部省略及び改編、筆者責)
 私の子供も同じような保育園生活を送った。私の妻は小学校の教師で、私よりも帰宅時間が遅く、早朝と夕刻の保育園の送り迎えは父親の私の仕事であった。保育園の玄関が開く時間は、朝の7時30分であったから、早めに職場に行かなければならない私は、息子を保育園のまだ閉じられている門の前に置いて、職場に向かった。あの時の胸のかすかな痛みは今でも残っている。息子は、案外に頼もしくて落ち着いて門が開くのを待っていたが、本当は心細かったのではないか。夕方に迎えに行くと、残り少なくなった子供たちと遊んでいる姿が蛍光灯の光の中に目にはいる。ツト私の姿を見た息子の顔は、見る見るうちに喜びの表情に変わり、全身で私の方に駆けてきた。この瞬間が私の至福のひとときでもあったが、ひょっとしたら息子は不安が一気に解消した瞬間であったかもしれない。
 今は大人になって遙か遠くに行ってしまった息子は、民間企業で深夜11時まで働く企業研究戦士になってしまった。思えば去ってしまったあのいたいけな無垢の時代の毎日の生活に無限の哀惜を覚える。サヨウナラ・・・・二度と帰り来ぬ黄金の日々。小池昌代さんのエッセイは、みごとに当時の私の気持ちを表現しています。あなたのあふれるような愛情に包まれて、こどもはたくましく豊かに成長するに違いありません。あなたの詩を読んでみたくなりました。(2003/6/17 22:37)

[創氏改名の歴史感覚では21世紀は創れない]
 自民党の最高幹部が創氏改名を「満州で仕事がしにくかったから、名字をくれと言ったのが、そもそもの始まりだ」と述べて歴史感覚の恐るべき貧困を暴露した。陸軍大将・南朝鮮総督がこの制度を強制した時の朝鮮統治目標は、朝鮮に昭和天皇の行幸を仰ぎ、朝鮮に徴兵制を施行することにあった。日本領土で天皇が訪問しなかったのは朝鮮のみであり、天皇行幸にふさわしい統治の実績をあげることにあった。徴兵は青年が国防を心から義務と感じなければ実効性はなく、同時に親と一般民衆が徴兵を義務と思うようにならなければならない。南は、31年に柳条湖で満鉄を爆破して15年戦争を引き起こした戦犯陸軍大臣であり、その後関東軍司令官を経て、36年に朝鮮総督に就任した。36年に孫基禎がベルリンマラソンで優勝し、東亜日報は日の丸を抹消して無期停刊処分となった。こうした抵抗意識が沸騰する朝鮮民族を皇民化し、忠良な皇軍兵士を作る政策の一環として創氏改名が導入された。40年に台湾と同時に創氏改名が進められたが、朝鮮民衆はどう受け止めたのであろうか。
 3.1独立運動の宣言書を起草した作家李光珠は、独立の展望を失い日本帝国への屈従を説く中で差別を解消するという迎合的な文章を書き、「差別を解消することのためにのみ、私は天皇の御名と同じ名前に切り替える」として香山光郎を名乗るという無惨な屈服を行っている。かって観た特攻を描いた日本映画で、金山中尉と名乗る朝鮮人将校が「俺は朝鮮民族のために死ぬんだ、マンセイ!」と叫んで突入するシーンがあったが、私はその引き裂かれた無惨な愛国に云うべき言葉がなかった。日本人からの差別を逃れるために、日本人になるという痛ましい極限的な自己肯定の裏切りを強制したのも、私たちの日本帝国であった。並行して学校での朝鮮語使用は禁止され、日本語を流暢に話す中でしか尊厳を認めない教育が横行していった。誇りある先祖伝来の氏名を喪失した両班階級の多くが自死して先祖にわびた。自民党最高幹部は、こうした目を覆わしめる日本帝国の非情な強制には全くの無感覚だ。創氏改名は朝鮮総督府の総力を挙げて推進され、2月11日(紀元節)のスタートから8月10日の締め切りまで1.67.300名(総人口2300万人)が届け出た。創氏改名の届け出数が末端行政機関の考査基準となって、激しい圧迫が朝鮮民族に加えられた。或る在日朝鮮人が「結婚したり、養子にいったりして簡単に名前を変える日本人は、名を奪われた朝鮮人の痛みは分からない」といったが、”あなたが噛んだ小指の痛さ”は噛まれた本人しか分からないのだ。
 このような朝鮮植民地政策を「善意の悪政」と言う人がいる(朝日新聞2003/6/3付け社説)が、彼らには「地獄への道は善意で踏み固められている」(ダンテ『神曲』)という言葉を贈らなければならない。創氏改名→日本語教育強制→土地調査事業→徴兵制→徴用・従軍慰安婦という歴史の展開も「善意の悪政」であろう(!)。かっての植民地帝国で、現地民族の姓名を奪い言語を奪う内面的な支配を構築したのは、歴史上には日本帝国しかない。93年の細川首相の訪韓時に正式に創氏改名を謝罪し、98年の日韓共同宣言でも過去の罪責を直視すると明言して、21世紀への友好の扉を開いたかに見える日本は、またも亡霊が現れて歴史の真実を攪乱しようとしている。その亡霊は小泉純一郎の有力後継候補である。おそらく大不況のもとでトラウマが蓄積している日本で、北朝鮮バッシングとともに弱者に対する抑圧の移譲のシステムが確実に作動しつつある。1度目は悲劇として2度目は悲喜劇として。
 私が最も恐れるのは、この大不況下日本で、噴出するトラウマの矛先が最初に日本国内のマイノリテイーに発散され、次いで職場や学園のなかでアウトサイダーや弱者と目される人に対する陰湿な攻撃が加えられて、垂直的なイジメによる快感の爆発が横行するのではないかと云うことだ(恐らく在日外国人→被差別部落→障害者→高齢者→女性→アウトサイダーと云った順番をたどるだろう)。いやそれはすでに始まっているのかもしれない。自分がうまくゆかないときに、敵を間違えて味方の弱点に関心が集中する内部崩壊の序曲がすでに始まっている。(2003/6/17 20:48)

[生きたいから死ぬ社会−今は未だ暗い誰も通わぬ道だが、必ず後から誰かが来る]
 見も知らぬ赤の他人とネット上で交流し、自動車を密閉して練炭を焚いて死ぬ−という自死が相次いでいる。自死する若者は、誰も悲しまないと思っていることが多いが、自分は実は必要な存在だというメッセージが必要なのだ。彼らは生きたいから死ぬのであって、ほんとうに死にたいわけではない。阪神大震災のボランテイアに出かけて、「自分は人のために何かできる・・・・生きていていいんだ」と実感して自死から生還した多くの青年がいる。ネットでは、見たこともない人とホンネで語れるけど、悩みのはけ口のようになって自死への共感が生まれる。キャバクラに通い、ホストクラブに通う少女は、ほんとうは人との暖かい触れ合いが欲しくて寂しいのだ。人間関係で傷ついて家庭や学校に居場所がない若者は暴走族で人との触れ合いを求めている。何かに一緒に取り組み、葛藤を乗り越えるとある感動が生まれ−そこから生きる力が湧いてくる。ありのままにある自分とひとを受け容れる関係−弱音が云える関係をつくりながら、ともに前を向いて生きていこうとするときに、互いに成長していくのだ。
 『ライ麦畑でつかまえて』(サリンジャー)は、社会のすべてに反発し、ムカツキ、キレル16歳で退学処分になった少年が主人公だ。家庭は裕福で通う高校は私立エリート校であり、一見するとお坊ちゃんの甘えにみえる。少年の反発の背後には、言いようのない閉塞感といらだたしさがあった。1950年代の米国は、東西冷戦でマッカーシズムが吹き荒れ、繁栄の中で急速な保守化が進んでいた。1960年代になるとこうした閉塞を打破する公民権運動、女性解放運動、対抗文化運動が華々しく立ち上がるが、主人公ホールデン少年の青春はその前で終わってしまったのだ。
 いまこの日本で異常な繁栄が虚像として崩れ落ち、出口のない閉塞が世の中に満ちて、いったい誰が希望を語っているというのか。もっぱら弱肉強食の自己責任で競争を煽り立てている現状では、繊細でナイーブな青年ほど痛ましい傷を受ける。表面では明るく振る舞っているその裏に、行き場のないトラウマが蓄積しているのではないか。尾崎豊はその怒りをすべてぶちまけて、自らアル中となってこの世を去ったが、いまではそのような怒りすら放射できない閉塞状況にある。
 志村ふくみ(80歳・染織家)は、草木染と紬織りの重要無形文化財指定を受けた。亡くなった母は、37歳で死去した青田五良の紬を織る後継の道を選んで果たさずこの世を去る前に、娘に向かって「今はまだ暗い、誰も通わぬ道だが、必ず誰かが後から来る。自分は踏み台になる」と言って亡くなった。その娘が重要無形文化財指定を受けていまは80歳の生をおくっている。
 ネットで自死する若者の背後に、君の意志と感情を丸ごと受け止めるひとが必ず存在することは確かだ。(2003/6/2 22:05)

[なぜ売買春はいけないのか]
 現在日本では売買春は禁止されている。「誰にも迷惑を掛けず、互いの自由意思で合意でやっているのだから、何にも悪いことないじゃん」という肯定論者にどう反論するのか。まず売買春を含むフリーセックス一般の問題として検討してみよう。
(1)性病蔓延・非嫡出児出産説
 もし夫婦間であれば配偶者にしか感染しない性病が拡がり、不特定多数を相手にする売春婦がスーパー・スプレッダーとなって蔓延させる。未婚女性の売春は避妊に失敗して婚外子を生むリスクがある。しかしこの説は現にアングラマーケットがはびこっている現状を打破できない。この理由は売買春を公認し、性病と避妊の管理を完全にすればいいと云うことになり、知識がない女子高校生がフラフラと援交オヤジを探す場合よりも安全であり、アングラマネーを公共の福祉に使うことが出来る。戦前期日本はこの考えで、公娼制度を作り公的な機関の管理の下で売買春がおこなわれた。ではなぜ戦後売春禁止法が施行されて完全禁止になったのであろうか。
(2)フェミニズムジェンダー説
 男の女に対する経済的優位の象徴だから許せないというフェミニズムの主張は、売買春が男女の経済的格差を広げるよりも逆にちじめているから、男女経済格差を解消されれば、買春禁止の根拠が無くなるので、やはり成り立たない。
(3)女性の男性への隷従を生む性的奴隷制度説
 奴隷は24時間365日自由を剥奪されているが、売春婦は勤務時間中だけ剥奪されている。確かに途上国には、性的奴隷制に近い女性がいるが、これは人身売買の別問題である。日本の売春は、ブランド品を買いたいとかプチ家出の理由が多く奴隷とは言い難い。もし日本の売春婦が奴隷なら、すべての労働者は勤務時間中は奴隷だと云うことになる。フェミニストはややもすると、女性を被害者と見て女性の売春に寛容な傾向がある。女は売春しても良いが、男は買春してはいけない−という「片手で拍手しろ」というような奇妙なことになる。
(4)愛がない金目当ての卑劣行為説
 愛があるかないかで専業主婦を区別できるだろうか。遺産目当てで年寄りの金持ちと結婚する女性はどうか。専業主婦志望の女性は、だいたい学歴・収入・未来性を重視しているのではないか。逆に売春婦の方が、趣味と実益をかねて愛のこもった交渉をする場合があるのではないか。するとこの論でいけば、終身雇用型専業主婦と、パート派遣型就業の売春婦は、「メシを食う」ための就業形態の違いということになりはしないか。
(5)身体をモノのように売り買いする非人間的行為説
 この論は商品=財という誤解がある。サービス業はモノの売り買いがなくても交換は成り立つ。売春を「体を売る」というが、臓器売買のように文字通り肉体を切り売りしているのではなく、肉体を用いたサービスをおこなっているのだ。肉体労働自体が悪ではないとすれば、売春も悪ではない。売春は顧客の肉体に接触するから、汚らわしい肉体労働なのか。では、マッサージ師は、売春婦と同様に、顧客の肉体に接触して快感を与え、金を稼いでいるから売春婦と同じ醜業ということになる。
(6)顧客の性器と接触する猥雑で汚れた職業説
 これは(5)説の究極の形態だが、中世以来の触穢思想と通じる差別的な言説であるが、では産婦人科・泌尿器科の医師や看護婦は典型的な触穢職ということになる。売春と医療行為を区別するには、売春はもっぱら性的快楽だが、医療は崇高な救命行為だというjことになる。では性的快楽自体が悪だと云うことになり、この説も破産する。
(7)売買春合法化による性の希少性剥奪説=人口維持説
 売買春の報酬が他の職業よりも異常に高いのは、性の有用価値が異常に高いのではなく希少性が高いからである。援交が示すように素人の女子高校生の価値がベテラン売春婦よりも高いのは、オヤジ族の稀少的な処女幻想にある。もし売買春が公認された公娼制度が出来れば、売春婦の経歴上のステイグマは減少して、より多くの女性が売買春市場に参入して過剰供給となり、報酬はマッサージ料と同じ水準になるだろう。規制緩和による価格破壊が売春婦の生活を困難にし、次いで専業主婦の危機をもたらすだろう。なぜなら特定の男性と女性にしばられたくないという男女は、婚外交渉禁止の下では互いに結婚しなくなるだろう。するとその分だけ生まれる子供の数は減少し少子高齢化が異常に進むに違いない。従って売買春の公認は、人口を減退しさせ種の存続を危うくするからだめなのであり、婚姻制度に於いてのみ許される行為なのだ。前近代社会に於いては結婚は家父長間での女性の交換であって、現代の個人の自由ではなかった。個人レベルの恋愛と社会レベルの結婚が一致しないのが前近代であり、一致するのが近現代である。(7)説は市場原理による売買春否定論ですが、この説の致命的な欠陥は市場行動における自己利益極大化=効用価値説に立脚していることです。この説では、無償の愛とか献身的な愛等の種の維持を越えた愛の形態を説明できません。人格の発達と共に、こうした説明しがたい愛の形態が高度化してきた歴史を説明できません。要するに(7)説は、食欲と同じような本能的欲望(種の保存)として男女関係を見ているに過ぎません。市場交換関係を越えた男女間の微妙な問題にこそ実は人間の真相があります。

 こうして(1)〜(7)のすべての売買春否定論の根拠が疑われることになりましたが、さて皆さんは、(1)〜(7)説のどれに賛成ですか。それとも新たな説がありますか。永井俊哉・教養大学第155号参照。(2003/6/1 20:35)

[いまほどほんとうに世界を見抜く知の積分が求められている時はない−第6回・帝国の終焉]
 ネオコンのウルフォイッツ米国防副長官は「誰もが同意できる理由として、形式的に大量破壊兵器という一つの問題に焦点を当てた」と述べ、イラク戦争の正当性は手段に過ぎなっかったと述べた(米誌『バニテイ・フェア』7月号)。真の理由は、フセイン打倒による米軍サウジ撤退にあったと語っている。これほど全世界を欺いた戦争は、かってない。歴史の理性は近い将来にブッシュを戦争犯罪者として裁くだろう。
 歌人大辻隆弘(未来)は、9.11同時多発テロの時に次のような歌を詠んだ。私たちは決してこの歌を忘れてはならないだろう。いのちを歌う歌人がまさに人殺しの歌を詠んだのだ(『歌壇』6月号)。

 紐育(ニューヨーク)空爆之図の壮快よ われらかく長く待ちゐき

 大辻はテロを怨念の爆発として肯定し、「歌は正しい認識以前の原初的な心情を掬いとり、それに形を与えるもの」「時代という大いなる運命の前で玩弄される人間の深層をあからさまに表出させてしまう残酷な詩型である」と言い切っている。なんたる知性の頽廃であろうか。かっての太平洋戦争開始時の真珠湾攻撃を聞いて、興奮状態で激情に駆られて開戦を賛美した高村光太郎の戦争賛美詩の心情とほとんど変わらない。この両者に共通しているのは、第1次的な原初的心情をストレートに表現する技術主義にとどまり、ある普遍性を持った人間的な理性の媒介を経ない−実は動物的本能の爆発という退嬰的な退行の仕事をしていることに気づかないことだ。両者ともおびただしい犠牲を出した後に、自己責任を問われて、逆に反転して悔恨の技術を駆使した歌を作る−もうこんなことを繰り返してはならない。−と強く警告し弾劾し退場を迫りたい。テロリスト−アルカイダが真珠湾攻撃と特攻作戦を賛美するのと同じ心情が流れている。こうした原始的心情は、「純情」の装いを纏って、容易に批判的な言辞に対するすさまじい抑圧と攻撃を遂行する情熱に転化する。
 ナチスはユダヤ人迫害のために、「黄色いダビテの星」を身につけるように強制した。ユダヤ人はドイツ社会への同化に努めたにもかかわらず殺されたのではなく、ほとんど区別できないほど同化していたために、識別のために排除効果をねらって腕章を強制されたのだ。執拗に異質性は捏造され、ドイツ人のトラウマを解消する攻撃感情の対象として意識的に対象化されたのである。現代日本の学校におけるかすかな差異をねらって責め立てる陰湿なイジメと同じ論理なのだ。いじめる側はあくまで明るく快感を持ち、フラストレーションを発散しながら、孤立する悲惨な対象を極限までイジメ抜くのである。キューバ・グアンタナモ基地には600人のアフガン人が拘留されており、米国では1200人のイスラム系外国人が検挙され、700人が拘留されている。米国よ、世界の弱者をいじめてそんなに嬉しいか!途上国の無辜の民を殺し抜いてそんなに楽しいか!歴史の理性は君たちを決して許さないだろう。

 イラク空爆で使用された兵器(米国国防総省資料より 朝日新聞5月29日付け朝刊)

 ハイテク兵器
 ○米軍
  ・レーザー誘導弾    8618
  ・GPS誘導弾      6542
  ・クラスター爆弾      908
  ・海上発射トマホーク   802
  ・空中発射巡航ミサイル 153
  ・その他(戦車弾など) 2246
 ○英軍
  ・ストームシャドー     679
           合計  19948
 通常兵器
 ○米軍
  ・250ポンド爆弾    5504
  ・1000ポンド爆弾   1692
  ・750ポンド爆弾    1625
  ・2000ポンド爆弾      6
 ○英軍
  ・クラスター爆弾      124
           合計   9251

 以上の資料からみれば、米英軍がイラク攻撃で撃った兵器の総数は29199発であり、精密誘導ハイテク型兵器は19948発(68.3%)である。最も命中率が高いレーザー誘導弾が8618発、GPS誘導弾が6542発、クラスター爆弾908発、ストームシャドウ679発で決してハイテク戦争ではなかったことが分かる。湾岸戦争の性に津誘導兵器は10%未満、アフガン戦争は60%であり、イラク戦争は80〜90%をめざしたが抵抗の激しさで通常兵器に依存した。その結果莫大な非戦闘員の犠牲者が増えたのである。ブッシュは誇らしげに米軍の水準の高さを披瀝したが、その実は残虐兵器を使用して恥じなかったのである。(2003/5/31 23:04)

[追悼 足羽 徳]
 叔父足羽徳が27日95歳で脳溢血でこの世を去りました。28日に京都で告別式があり全国に散らばる親戚が集い、手厚く葬りました。亡き叔父は私の母の兄で、岡山西大寺で生まれ、旧制・岡山一中ー第六高等学校を経て京都大学経済学部に進み、6人兄弟の長男として家族の期待を一身に担っていました。明治以降の近代化過程での農村部出身の知的発達を象徴する人物であったと思います。家族挙げて長男を世に出すために、兄弟姉妹はある意味で自らを犠牲にするという面がありましたが、娘達も高等女学校を卒業し、ある意味では地方名望家の一端を担っていたでしょう。岡山県という風土は、伝統的に教育志向が強く、中央への進出によって未来を拓くという生き方や学問への尊敬の念が強い土地柄でした。
 叔父が京都大学でめぐり会ったのが、故・蜷川虎三教授(統計学−中小企業庁長官−京都府知事)であり、日本の近代統計学の開拓者でありながら、吉田茂首相の招聘を受けて初代中小企業庁長官に就任し、中小企業二重構造打破政策を推進し、吉田茂との衝突の後、京都の革新勢力の支持を受けて京都府知事に就任し、戦後地方自治史上に偉大な革新地方自治の先駆的な業績を築きました。京大時代の叔父の生活は、私の亡き母の残した日記に登場し、叔父と母はよく蜷川家に行っては遊んだり手伝いをしていたようです。叔父は蜷川氏のいわゆる7人の侍の一人として、商工部長を務め、京都中小企業の維持と発展に反独占民主主義保護政策を貫きました。現代中小企業政策から見れば、もはや歴史的な意味しか持たないという評価もあると思いますが、日本の歴史史上初めて大企業に下請け化されない中小企業の存立をめざした京都モデルと言われる保護主義政策を展開しました。もしこうした政策がなければ、西陣や友禅から清水焼といった素晴らしい伝統工芸を含む京都の地場中小企業は恐らく壊滅していたでしょう。いま蜷川府政下での中小企業政策の成果と限界をあらためて精細に分析し評価し直すことは、壊滅に直面している現代の中小企業を再生させる重要な材料を提供するに違いありません。叔父は府庁退職後、京都府人事委員長として公務行政の民主的なチェックを厳格に進め、働くもののサイドにたった裁決をくだし、傍ら立命館大学で教鞭を執り青年に地方自治の在り方の神髄を伝えようとしていました。
 告別式の最後に親族を代表して長男惇氏(京都新聞)が生前の父を偲んでの挨拶の中で、95歳の病床から這ってでも選挙に行くと云って叔母を困らせたこと、最後の病床でマルクスの『経済学批判』をひもといていたことを述べていたことが、まさに自分の姿勢を正されるような強い印象を受けました。挨拶では太宰治と水上勉が引かれましたが、叔父はどちらかと言えば水上に近かったようにも思います。おもえば、明治−大正−昭和−平成という4世代を生き抜き、戦後日本の地方自治に巨大な足跡を残した小さな巨人の生涯ではありました。
 学生時代から幾たびかお宅を訪れて対話致しましたが、そのふくよかで穏和な豊かな表情は、青年のように変革の情熱にあふれ、その余りにもナイーブな純情は、この人がほんとうに京都の政治の中心にいて革新の戦闘を行っているのだろうか−と疑問を抱くような−汚れなき人柄であったように思います。ある写真家が叔父と叔母が和服姿で並んで散歩している後ろ姿を撮影し、個展に出品していましたが、時代の風雪を共に生き抜いてきたほほえましい一体感がにじみ出ているある崇高さがあり、一瞬私はうらやましく嫉妬に近い感じを持ちました。叔母は、典型的な温かい気品ある京美人というか、この妻なしに夫たる叔父の仕事はおそらくなかったと推察されます。叔母は女医の仕事を投げ打って叔父に嫁いだようですが、私は医師の仕事も続けた方がよかったのではとも思いましたが、当時の日本である大きな仕事を男が成し遂げるためにはやむを得ない面もあったでしょう。この夫婦は、戦後日本のある知的中流階級の生き方の一つの京都的なモデルであったように思います。
 高級官僚でありながら、その自宅はごく普通の庶民の家であり、部屋中に書物があふれ、いかにも保守と戦う市井に生きる革新派行政マンという感じが満ち満ちていました。叔父は退職後、京都市郊外への新築を購入する気持をいだいたようですが、数十年替わらなかったこの家のたたづまいにこそ−民衆の側で生き抜いた矜持を覚えます。
 叔父は日中国交がない時代からの中国派でもあったようで、国交回復前に訪中して第六高等学校の同窓生である郭沫若からもらった見事な達筆の色紙を私に1枚プレゼントしてくれました。その時に「京都には絶対大企業は入れない。中小企業を守る」と強く言いきりましたが、私は−そんな機械的な政策でいいのかなあ−と内心思いましたが、京都革新の原則的な立場の強さを感じました。このあたりが、私がいま住んでいる愛知の風土との決定的な違いだとも感じ入りました。私は処女著作『日本絞り染織産業の研究』(同時代社)を献呈したところ丁寧な批評が届き、実践の最前線での練り上げられた指摘に深く学ばされました。
 葬儀に出席するたびに、あ〜生前にもっとお会いしていたら−と悔いを残しますが、今回は一層新たにそのおもいが込み上げ、欠礼の詫びをしなければんりません。デスマスクは生前の大きなふくよかな顔貌はもはやなく、白く美しい小さな仏さまのようなお顔でありました。背中を押して正されるような無限の励ましを受けたようで、私に替えれば残された30年間の生を驥尾に付していかなければならないと秘やかに思う納棺ではありました。合掌。(2003/5/29 19:52)

[いまほどほんとうに世界を見抜く知の積分が求められている時はない−第6回・ファッシズムはどのような顔をして忍び寄るのか]
 小泉首相は有事3法案の5月21日の参院審議で語った次の言葉をよく読んでみましょう。「私は、自衛隊が我が国の平和と独立を守る軍隊であることが正々堂々と云えるように、将来憲法改正が望ましいという気持を持っている。私は実質的に自衛隊は軍隊であろうと−いずれ憲法でも自衛隊を軍隊と認めて、日本の独立を守る戦闘組織に対して、しかるべき名誉と地位を与える時機が来ると確信している」(朝日新聞5月22日付け)。私は一瞬耳を疑ったのですが、小泉氏は相当の決意を込めて語ったのか、それとも時流に乗った失言であったのか−何れにしても確信犯であることは間違いない。憲法擁護義務がある特別公務員たる自覚は一切ない。かって戦前期に国家総動員法が上程された時に、人権が侵犯される恐れはないかという議論が飛び交う中で可決された事態と全く同じシナリオが目の前で展開されつつあります。昭和初期と同じように巷では頽廃風俗が満ち、大不況の中で国民のフラストレーションが強力なリーダーを求める心情に惹きつけられ、立憲意識そのものが空洞化していく状況があります。丸山真男の云う次々となりゆく論理−勢いのある方へ大勢がなびいていく−こんなはずではなかったと取り返しのつかない分岐点に差しかかっているような時代意識が蔓延しています。
 米国政府が24日にイラン政府との接触を断つ決定を下した。理由はテロ組織アルカイダのメンバーを保護し、核兵器開発を進めているとし、イラク民主化によってイランの聖職者支配を転覆するための反政府活動を強化するとしています。ネオコンの21世紀プログラムの想定通りに進んでいることを示しており、残された悪の枢軸である北朝鮮に対する武力攻撃のシナリオも着々と準備されていると推定される。有事3法案は、この米国の世界戦略に軍事参加するシステムへと戦後日本のパラダイム転換を図ろうとする意図があることは間違いない。
 私は日本の平和勢力がなぜここまで後退しているのかを深く分析し、取り返しのつかない悔いを残していかない確たる見通しを準備しなければならないと強く思う。その鍵となる双曲線は、不況を縦軸とし平和を横軸とする戦争のフロンテイア曲線のどこでちからが衝突するか−という3次元分析になると思う。不況↑//戦争↑or平和の裂け目にある規定的な変数を探らなければならない。平和への意思×(α)=Xというα因子をあらゆる学問を動員して見つけなければならない。
 米軍はイラク攻撃の1年前から、バグダッド攻防の主力部隊である大統領警護隊の司令官(フセインの従兄弟)と数百万$で無抵抗の取り引きをし、現実に米軍は無血で首都入城を果たした(仏新ジュルナル・ヂュ・デイマンシュ25日付け)。これが事実であれば、すでに国防省総省かCIAは、開戦を想定してイランと北朝鮮に対する謀略活動を着々と実行しているに違いない。私の方程式はこうした変数をどう導入するかまでは想定できない不完全なモデルだ。(2003/5/27 20:48)

[黙祷・合掌 亡き久保田一竹師にささぐ]
 幻の染めと云われた室町期にはじまって徳川3代家光のころに忽然と姿を消した「辻が花染」を現代に復元した染織家・久保田一竹氏が4月26日多臓器不全で逝去されました。享年86歳。「一竹辻が花」と命名された技法は、えもいわれぬ荘厳な美の極致の世界を開きました。私は、名古屋市緑区の有松・鳴海絞りの研究から始まって、京鹿の子絞の研究を進めるうちに、この源流にある辻が花染めに逢着して、はじめて久保田さんの名前を知り、写真集でその美の世界をかいま見たのが最初の出会いでした。
 彼は江戸・神田の生まれで、小学校の先生に勧められて親元を離れて友禅師に弟子入りし、類い希なる努力の後に19歳で独立して皇室の仕事に携わるまでになりました。偶然20歳の時に、帝室博物館(現 上野国立博物館)で室町期の辻が花染めを見た時に、その美しさの虜となり、シベリア抑留後40歳ですべてを捨てて復元の道に入りました。貧窮おくあたわざる生活と悪戦苦闘の試行錯誤の試練を経て遂に60歳で認められるに至りました。最初はすべての作品を無視され評価されず、行き詰まって東京芸大の染織家の処に作品を見せに行って初めて評価されて世に出ました。彼の自伝でこの場面を読むと、まさに彼の全生涯が懸かった緊迫の決定的瞬間でした。もしこの教授がこの時に無視していたら、その後の久保田さんはなく永遠に埋もれた工芸家で終わっていたでしょう。縫って絞って染めて蒸して水で洗う作業を懲り返し、荘厳なまでの神秘的な色の世界が現れ、78歳でスミソニアン博物館での個展を開くにいたって世界的な名声と評価を得ました。パリの個展会場でミッテラン仏大統領と並んだ写真は晴れやかに微笑しています。
 何かを得るためには大いなる喪失に堪えなければならない−という言葉を文字通り生活と命を懸けて貫いた生涯であり、美の神に魅せられた芸術家の魂の実相を直截に示された生涯でした。彼なくして辻が花の復興はなかったのであり、日本の工芸史上に巨大な足跡を残されました。もちろん庶民が購入できるような品ではなく、数千万円もする豪華絢爛たる一品生産の芸術そのものの世界ではありますが、時代を超えた崇高とも云える仕事を残されました。すべてを犠牲にして辛苦の果てに人間が何ほどのことが出来るかを身を以て示され、まさに美の神が乗り移ったかのような生涯ではありました。6月15日に河口湖畔にある久保田一竹美術館でお別れ会が開かれ、親しかった能楽師が辻が花染めを纏い、チベットの笛に合わせて舞います。是非とも拝見したいものです。深く頭を垂れて黙祷し合掌を捧げたいと想います。参照・拙著『日本絞り染織産業の研究』(同時代社)。(2003/5/26 23:05)

[いまほどほんとうに世界を見抜く知の積分が求められている時はない−第5回・辺境モデルの検討]
 世界システム論としての周辺−中心の従属モデルは、先進資本主義と従属途上国間の不等価交換による富と貧困の両極への蓄積を説明しますが、9.11以降このモデルは巨大な軍事力を持って展開されているような状況があります。経済生活のみならず精神生活まで含めた生活の全線に渡って途方もない落差が生まれようとしています。
 世界保健機関WHOが23日発表した精神衛生に関するレポートでは、世界4億5千万人が精神・神経障害に犯され、4人に1人が一生のある時期に障害を発症する確率になるとしています。鬱病1億2千百万人、てんかん5千万人、統合失調症(精神分裂病)2千4百万人であり、年間自殺者百万人、自殺未遂社1千万〜2千万人に上っています。背後には先進国の新自由主義的な競争至上主義の蔓延や途上国の絶対的貧困と戦争による荒廃などがあるでしょう。地球全人口の25%が精神的障害の発症に苦しんでいる背後には、障害に至らない膨大な潜在的患者の存在が予想されます。
 中南米19カ国が参加するリオグループ首脳会議は23日に、グローバル化を推進する国際通貨基金IMFが社会開発を切りつめる構造調整政策を強制した結果、貧富の格差が増大し財政と通貨不安で持続的な経済成長は実現していないと−鋭く指摘しています。経済のグローバル化は、発生源と治療法が解明できない新型肺炎SARSが世界30カ国いじょうで8117人の感染者を生み、689人の死者を発生させています(23日現在)。SARSは逆に現代の地球がグローバルに直結されていることを象徴的に示しています。これほど一国行動主義ユニラテラリズムが無意味且つ犯罪的であることを証明する例はないでしょう。
 日本リサーチ総合研究所「4月の消費者心理動向」(23日)は、今後1年間の生活への不安の強さを表す「生活不安度指数」(100で横ばい、過去総合平均は117)は前回調査より4ポイント高い161で1977年調査開始以来過去最悪の水準となっています。

 こうした危機と不安が覆いつつある中で、いま売り上げ500億円をめざすカジノ制度実現に向けた動きが活発化しています。日本プロジェクト産業協議会(JAPIC 鉄鋼、ゼネコン大手参加)報告「カジノ制度構築に向けた諸課題と対応策」(23日)は、東京・大阪・静岡・和歌山の5都道府県でのカジノ実現を提案し、ラスベガスをモデルに床面積23000uの施設を自治体が民間に委託し、企業は82億円を投じてカジノを建設し、年間500万人が来場し、1人が10万円の賭博をおこなうとして、掛け金10%が胴元の収入になると試算し年間500億円の収入になると試算しています。自治体はカジノ収入の15%(75億円)を国税として収め、企業への委託費225億円を差し引くと収益は200億円としています。
 カジノは刑法で禁止された賭博罪にあたる犯罪であり、射幸心を煽り、犯罪とギャンブル依存症や青少年の頽廃・地域環境を破壊することは世界のカジノを見れば明らかなのですが、平成大不況の中で市民をギャンブルに駆り立てて市民の犠牲によって儲けようという為政者の頭脳構造って一体どうなっているのでしょうか。かってのローマ帝国末期に権力を維持するために「パンとサーカス」で市民を操り頽廃させたローマは、アットいう間に滅んでしまったのです。現代日本の為政者がどこまで堕落し、自ら展望を失って漂流しつつあるかを如実に示しています。

 中心−周辺の従属モデルによって地球規模でも一国内でも富の一極集中が進み、他方で全線に渡る貧困が蓄積しています。こうした両極の対象性の量は、ある時点で飛躍的な質の変化をもたらすに違いありません。腐朽しつつある世界システムは、展望がなければ内ほど軍事力による脅迫と威圧による支配を強化していますが、それは実は滅びゆくものの最後の悲鳴でしかないのです。少なくと日本は、こうしたシステムから離脱し、共生の母なる大地に帰り「諸国民の公正と信義に信頼して」生きていく尊厳ある道を選択する以外に、地獄への転落を防ぐことはできないでしょう。(2003/5/25 8:41)

[いまほどほんとうに世界を見抜く知の積分が求められている時はない−第4回・アメリカモデルの検討]
 今回はアメリカの教科書をみて日本との違いを考えます。米国の中高教科書は、A4版のハードカバーで厚さは1000頁ぐらい、重さは1冊2〜3Kgある。これを何冊もバックパックにいれて毎日歩くので、骨格の固まっていない成長期の子どもにはしんどい。値段も1冊1万円ぐらいであるが、ほとんど学校から貸与され、学年が終わると返却し次の子どもがまた使うので読み返すことは出来ない。
 さて米国史の教科書の太平洋戦争の部分を読んでみると、日本の本土空襲を始める前に、米国政府は国民の支持を得るために人種差別宣伝を展開したことが記され、軍公式見解である焼夷弾は目標のみを破壊する精密爆弾という公式見解であったが、現実には大量破壊と殺戮がおこなわれたことが書かれている。無条件降伏という日本が承伏しがたい要求をしたために、戦争は長期化し犠牲者が増大したとしている。この他マッカーシズムの恥部や人種問題も詳細に記載されている。各章の終わりに推薦図書が1000冊程度掲載され発展学習になっている。その他人物描写が多く読んでいて面白い。
 日本の中高教科書は薄っぺらで、人名と年号しかなく無味乾燥なことがよく分かる。かって昭和史論争というのがあって、マルクス学派の歴史を非人間的だと堀米庸三氏が攻撃して大論争となったが、いまから見ると案外あたっている所もあるように思える。侵略か侵攻か進攻かに明け暮れる日本の教科書の論争は、その点であまりに偏狭である。自国の恥部を率直に指摘して客観的に記載する米国に対して、いまなお自虐史観といって攻撃する日本の知性の頽廃ぶりが際だつ。要するに健康なデモクラシーの率直さをストレートに感じさせる明るさがある。日本の教科書の息の詰まるような、丸暗記してすぐ忘れるための授業−この根底には明治以来の上からの近代化をドイツ・モデルで追求してきた日本の教育の抜きがたい権威主義がある。ただし米国・モデルの致命的な欠陥は、自国の恥部をあっけらかんと肯定しながら、世界で最も進んだモデルだという素朴な無反省の信念があることだ。つまり私の言いたいことは、現代米国の軍事アナクロニズムの背景にある米国史の徹底的な研究が必要だと言うことだ。
 米国の軍事的アナクロニズムの頂点を画するのが核兵器戦略である。冷戦終結後米国は核実験を凍結し、小型核兵器の研究開発も通常兵器との区別が曖昧になるとして禁止してきた。ところが米国ネオコンの拠点である全国公共政策研究所NIPPは、01年1月に「新しい核兵器を設計し生産する能力が求められている」とする提言をおこない、02年1月に国防総省の新たな核戦略の指針として「最低限の水準の核兵器による信頼できる抑止力」の維持を提案し、現在配備している6000発の核弾道を12年までに1700〜2200発まで削減し、地下施設攻撃能力を持つ核爆弾開発のための地下核実験を再開すると発表した。NIPPには世界最大の防衛産業であるロッキード・マーテイン社の副社長が役員として在籍し、ネオコンと防衛産業の複合体が形成されていることを示している。米下院安全保障外交小委員会は03年2月に、5キロトン以下の小型核兵器の開発を規制するスプラット・ファース条項の撤廃を含む報告書を発表し、この背後にロッキード社が運営委託されている米国3大核開発研究所「国立サンデイア研究所」のスタッフが起案したということだ。その後に議会に提出された04年度国防権限法案(国防予算)には小型核兵器禁止撤廃が盛り込まれ、上院軍事委員会は同法案を可決した。CIAは、核拡散防止条約NPT体制の弱体化を指摘し21世紀は新規核保有国が連続して登場する核ドミノの時代になるとしてNPT体制の崩壊を予想する「使える核兵器」時代に入ったと報告している。こうした米国核戦略の背景には、民主帝国アメリカへの脳天気なパワーに対する「明るい」期待がある。
 米国モデルのこうした「健康な」力のデモクラシーの背景には、すべての人にチャンスが提供された西部開拓期のフロンテイア・スピリットがあることは間違いない。しかし大事なことは、このスピリットには光と闇の二つの側面があり、現代は無規律の悪夢限競争が組織される新自由主義(新保守主義)が跋扈し、あらゆるハンデイキャップを捨象する生存競争による勝者と敗者の乖離に対する痛みの感覚が衰弱する悪しき側面が露呈しつつあるということだ。世界に冠たる社会保障国家であったはずの英国がこの波に飲み込まれて、輝かしい「ゆりかごから墓場まで」という歴史的遺産を投げ捨てつつあるということだ。英国民統計局の分析資料では、01年会計年度の可処分所得の格差を表すジニ計数は、90年レベルの0.36に下がった。保守党サッチャー政権下の80年代前半は0.28〜0.29で安定していたが、サッチャー改革で86年0.31から90年0.36へ上昇し、保守党メージャー政権下の90年代前半の0.33まで減少し、ブレア政権97年0.34から上昇を続け0.36と史上最高値を記録した。01年度の年収は、5分位の最上位で平均62900ポンド(1100万円)、下位は3500ポンド(63万円)と約18倍もの較差が生じている。しかし税引きや福祉手当・養育手当・勤労家族控除で調整後はそれぞれ44800ポンド(800万円)と10500ポンド(190万円)で較差は4.2倍に縮小する。かろうじて伝統的な社会保障の残滓があるが、米国モデルを引き写した英国社会は危機的な亀裂が生まれつつある。
 東アジアのある国では、1日14〜15時間労働が当然のようにはびこり、残業代も支払わないという先進国では考えられないような事態が進行し、労基法改悪によって8時間労働制を空洞化する裁量労働制の対象業務拡大が図られようとしている。その国は生命と生活に関しては世界最悪の後進国となり、「このままではこの国は立ちゆかなくなる」と漠然たる不安が蔓延し、史上最高の自殺率を記録している。≪自分は何でこんなに働くのでしょう?いつかこの努力が報われる日が来るのでしょうか?いつまでこんな生活が続くのでしょうか?≫・・・・・人間の尊厳と誇りを奪い尽くして生き残るような国家に未来はない。(2003/5/22 21:10)

[頽廃の極地−ブック・オフto日本の文化!]
 少々過激なテーマですが、それほど私は怒っているのです。今日は藤が丘の古本屋一軒とブック・オフ2軒を回りました。藤が丘の古本屋は、ぎっしりと丁寧に整理された文系の学術本が並んでいる名古屋でも代表的な古本屋です。主人がまたきさくな書籍愛好家で、いろいろと面白い話をしてくれました。鉄工所経営から1億円の資金で古本屋を始め、あと3年で店を閉じるとのこと。週1回開かれる市での仕入れにをおこない、朝は6時から店の清掃を始めるとのこと。東京や長野・京都・大阪の市にまで仕入れに行くとのことです。古本屋は文化の仕事であり、書籍を眺めているだけで満足すると云うことでした。息子さんはトヨタで設計をやっており、父親の商売には全く無関心であるとチョット嬉しそうに嘆いていましたが、店を続ける気はないとのことです。試しに業者にこの店の本を見積もらせたら全部で700万円と言われがっかりしたそうですが、私にまで店と土地を含めて全部買わないか−と云われたのには驚きました。主人は、ブック・オフの商法を怒りを露わにして攻撃していました。仕入れはまとめ買いですべて引き取り、5年を過ぎたものは古紙屋に売り払い、、残った本を重量・書き込みのない・カバーがある・きれいなものをすべて定価の半額で並べ、時を見てすべて100円コーナーに移して処理する。本の著者と中身は全く無関係に、ただ無機質の紙の物体として書籍を扱っているとのことです。私は主人の主張に賛成し互いに非難して溜飲を下げて店を出ました。
 その足で2軒のブック・オフに行って、すぐに100円コーナーを物色しましたら、アルワアルワ、専門書や学術本がたった100円で惜しげもなくきれいに陳列してあります。いつもはそうした掘り出し本を見つけるのにワクワクするのですが、本日は先の主人との会話が記憶に新しいので段々と複雑な気持ちになってきました。こんな貴重な専門書を100円で売るという商法は、完全に文化を侮辱している行為ではないか。と怒りつつも私はホクホクで数十冊の書籍を抱えて自宅に帰ったのです。部屋で購入した書籍から値札をはがし、表紙のきれいなのを糊付けする作業は、私にとって得も言われぬ桃源郷で遊んでいるような恍惚とした満足感をもたらしますが、今日だけはなんとなく虚しい気持になりました。やはりブック・オフは倒産させるべきだというのが結論ですが、また明日になれば違った支店に行って100円コーナーを物色しているかも知れません。これも冷酷な資本主義文化の現実でしょうか、全力を傾注した思索の書がたった100円で手元に来るというのは、やはりどこか歪んでいます。(2003/5/19 23:15)

[いまほどほんとうに世界を見抜く知の積分が求められている時はない−第3回・欧州モデルの検討]
 いま日本の仕事をめぐる現状は4つの問題を抱えています。
 @失業率の急増
 2002年の完全失業率は過去最高の5.4%(332万人)で倒産とリストラによる非自発的離職者が114万人に上ります。1年以上の長期失業率は1%(92万人)であり、求職活動を諦めたり臨時アルバイトの潜在失業率は10%以上に上ると推定されています。失業の波濤は史上最高の約3万人のホームレス、自殺者31000人(うち無業者が46.5%)、家出人102130人(うち無業者35.5%)、強盗・窃盗検挙者173000人(うち無業者30%)に象徴されています。
 Aリストラ
 ほんらいのリストラは経営の全般的な見直しと事業再構築という意味ですが、日本では主として従業員の削減を指しています。日本労働研究機構の2年度1683者対象の調査によれば、最近3年間に52%の企業が人員削減をし、その方法は自然減82%、採用抑制77%、早期優遇退職制と希望退職制34%、パートの契約不更新30%、出向転籍拡充26%、解雇7%となっています。大企業のほとんどは35歳以上を対象に会社に残って欲しい人をA・B・C3ランクに分けて激しい退職勧奨をおこなっています。悪化する雇用情勢によって新規学卒者の就職率は、高卒18%(無業10%)・短大卒56%(無業23%)・大学卒56%(無業23%)と極端に下がり、たとえ就職しても不本意就業で短期離職率が急増するといういびつな構造となっています。
 B長時間労働
 2年度『労働力調査』の労働時間調査では、週49時間以上男36%・女12%、週60時間以上男17%・女3.8%ですが、これでも総務庁の公式統計に過ぎません。ちなみに英国の週60時間以上は4%であり虐待にあたるとして企業は社会的糾弾を受けています。
 Cパート差別
 日本のパート就業率は23%に増大し、フルタイマーとの賃金較差が異常に増大しています。英国も同じ23%ですが均等待遇が原則で賃金格差は問題となりません。日本の女性パートタイマーのフルタイマーの時間給較差は00年で67%となっています(厚生労働省2年調査)。この原因は、職務の違い・雇用形態の違い・差別慣行などがありますが、日本は雇用形態の違いが=賃金の違いになります。欧米では雇用形態の違いにかかわらず、同一労働同一時間給なのです。女性労働者の46%が非正社員で、74%は年収300万円未満であり、4分の3の女性労働者は自立できずパラサイトを余儀なくされています。

 さて深刻な不況の中で@〜Cの問題を解決する方法は一つしかありません。それは一人当たりの労働時間を短縮して雇用機会をより多くの人で分かち合うワークシェアリングです。ワークシェアリングは、緊急避難型(解雇を避ける)・中高年対策型(より中長期の緊急避難)・雇用創出型(法規による時短)・多様就業促進型(勤務を多様化して女性や高齢者の機会を生む)の形態があります。フランスは、法規で35時間制にし収入減少も10%にとどめ、オランダは時短とともに均等待遇と勤務選択制によりパート増大を進め(オランダ・モデル)、その他の欧州企業は時短ではなく同じ仕事をする人を複数にして短時間勤務にするジョブシェア制など多様な取り組みが進められています。日本のワークシェアリングは、同一労働同一時間給や社会保険の均等待遇原則がないまま推進されていますから、少数正社員の残酷な過重労働と多数パート・派遣の零細賃金の2極化が進んでいます。

 さて問題は、欧州型モデルは手厚い社会経済保障によって、国民の雇用を確保して購買力を高め個人消費の伸びによって、経済の好循環が実現するはずです。しかしEUが発表した今年第1・四半期のユーロ圏実質GDP伸び率速報値は前期比0%と減速し、前年比でも0.8%にとどまっています。独連邦統計局の発表では、−0.2%tぽ2期連続マイナスという事実上のリセッション(景気後退)となっています。仏政府は少子高齢化によって現行の賦課方式年金は2040年にGDP比7%(現2.6%)という危機を迎えるとして、年金制度改革(保険料支払期間37.5年→40年、受給額75%→66%、公務員の賃金上昇スライド→物価上昇スライド)を推進しようとしています。欧州モデルは失敗しつつあるのでしょうか。
 第1に欧州の景気停滞は、同時多発テロとイラク戦争による購買力収縮とともに、ドル不安からユーロを買う世界の金融投機の加速によってユーロ高が進み輸出に打撃を与えたからです。第2に、欧州型社会経済保障モデルは財政危機によって失敗したのでしょうか。そうではなく一層のワークシェアリングによって失業を解決し新たな雇用を増やせば、政府税収は増大し財源は確保されるのです。第3は付加価値の配分(労働分配率)を変える必要があります。1980年代のフランスは、付加価値総額の69%が賃金にいき、31%が粗利益に行っていましたが、現在は賃金59%、粗利益41%と逆転しています。粗利益に占める投資部分は変化がありませんから、10ポイント増大した粗利益部分は投機と金融所得に向かいました。従って金融所得に対する課税と増大した付加価値に対する課税(法人税)をおこなう必要があります。こうした提案は、企業の設備投資などの投資行動を抑制するか、企業の撤退や活動の衰退をもたらすとする反論がすぐ予想されますが、中長期的にはGDP比66%を占める国民購買力と個人消費力を上昇させ景気の好循環をもたらすのです。
 むしろいま一番怖いことは、米国から逃避しつつある海外資本によってNY株式市場が暴落することであって、EUの景気後退の原因はEU自体にあると言うよりも、米国の経済・外交政策の失敗にあるのです。逆に欧州モデルは米国の不況を波打ち際でかなり食いとめる効果をもたらしていると云えるでしょう。ここに生活基盤関連投資と社会保障を極端に削減して景気を奈落の底に沈めている日本との違いがあるのです。(2003/5/19 8:52)

[いまほどほんとうに世界を見抜く知の積分が求められている時はないー第2回・戦争経済の論理]
 3月に営業を開始したばかりのりそなホールデイングス(HD)が金融危機に陥り1兆円に上る税金投入が決定され、事実上国有化しました。なぜあっというまに金融危機に陥ったのでしょうか。りそなグループは、他の4Gに比べて特別に放漫経営問題があるわけではなく、査定の厳格化と不良債権の早期処理及び株価下落による増資分の帳消しによる巨大な赤字が発生しました。なぜりそなが発火したかというと、りそなのみが国際業務から撤退して中小企業と個人向け融資の有力地方銀行という戦略を採用し、総貸出残高に占める中小企業と個人向け融資・住宅ローン部分が相対的に高い割合を占めていました。そこに「改革加速のための総合対策(総合デフレ対策)」・「金融再生プログラム(竹中プログラム)」(2年10月30日)が、「主要行の不良債権比率を現状の半分に低下」させる目標をうちだし、大銀行に対する資産査定の強化を打ち出しました。それは割引現在価値(デイスカウント・キャッシュ・フローDCF)や繰り延べ税金資産(税効果会計)の制限などの米国モデルを日本の金融の実情を無視して機械的に適用するものでした。これは優良資産のみを保有し、中小企業への貸し渋り・貸し剥がし効果を急増させ貸付利子の上昇によって、実体経済の中心である中小企業の経営危機を招きそれが不況を深化させ不良債権をまた増加させるという悪魔のサイクルを生んでしまいました。地域金融戦略を採るりそなが最も致命的な打撃を受けたのです。自分で自分の首を絞めつつあるのが竹中金融行政であり、まさに罪万死に値します。りそなの危機は、当然に他の4Gに一層の収益力強化を迫り貸し渋りと金利上昇の悪循環が全体化して、日本経済全体がチキン・ゲームの様相を呈するでしょう。
 問題はこうした日本の金融危機が経済恐慌に発展する可能性です。ここにこそなぜ有事法制を強行し戦争準備を急いでいるかの理由があります。国内の経済危機を対外的な戦争経済によって回避する最悪のシナリオにしか突破口がないこと−まさに小泉構造改革の致命的な選択の失敗があります。さて実はこの小泉危機は実は、米国モデルを直輸入する対米従属型システムに真の要因があるのです。だからほんとうに危機突破を図るには、米国モデルを良く研究し米国モデルに対抗するプランを提示しなければなりません。
 いまマグドナルド・コカコーラ・シテイバンクから外資が一斉に逃避しつつあり、外国投資家は財務省証券とドル保有から撤退し米国株式と社債からも手を引いています。米国の第3世界に対する巨大な債権は、米国銀行への巨額の元利支払いをもたらし、株主への配当と有利な貸付となって米国富裕層へ還流しています。1990年代に利潤のブームが暴走して投機的なバブルを生み出し、2000年初頭に破裂したまま、労働者のクレジット購入は莫大な負債を誘発して、企業はレイオフときりもみ状況の経営縮小がもたらされました。FRBグリーンスパン議長は低金利による需要喚起をねらいましたが、深刻な不況下で誰が消費に走るでしょうか。共和党減税政策も失敗に帰し、ブッシュ政権は「自分たちの乗る経済船が沈みつつあるのに、櫂もなければ櫂もなければ水をくみ出す缶もない」という危機的な状況に陥りました。ここに9.11という絶好のチャンスが訪れ、悪人と戦う白馬の天使として目をそらすことに成功しました。
 米国新帝国は、戦争を媒介に外国原料資源と外国市場・海外投資機会を極大化することに最後の生き残りを掛けることになりました。しかし投資が海外に向かえば、帝国の費用は当然にして海外に向かい、国内労働者の賃金下落・退職者や疾病者・学生に対する政府プログラムは削減され、米国の富を独占する上位20%の富裕層と残り80%の貧困層の断絶はますます拡大していくでしょう。2003年の米国市民の状況は、史上空前の疲労蓄積・ストレス・家庭の機能障害・アルコール中毒・児童虐待・DB・12段階の中毒改善プログラムの蔓延によって潜在的なトラウマの蓄積を生んでいます。
 冷静に観るならば最後の断末魔に喘いでいる米国経済の対外軍事膨張による自己延命のシナリオが推進され、実は米国が巨大な虚像として自らの重さで自動的に崩壊する危機のその危機のまっただ中にいるからこそ、表面的には軍事的勝利を宣揚して強さを誇示するしかないところに追いつめられているのです。私はここに巨大且つ深刻な歴史の弁証法の避け得ざる必然の暗部をみるのです。

 イラク戦争勝利で、ニューヨーク株式市場は沸き立たずドル相場も上昇しなかったのはなぜでしょうか。イラク戦争が米国経済にもたらした双子の赤字は深刻であり、貿易収支(−4352億1600万$)・経常収支・財政赤字(3040億ドル これにイラク戦費は含まれない)は最大の赤字で米国は世界最大の債務国・借金国となりました。もしここで米国が低金利政策から高金利政策に転換すれば、国債利率の上昇にともなう利払い額が増大して連邦財政は破綻し未曾有の大混乱におちいるでしょう。1990年代の米国経済の永遠と言われた繁栄は、実はアジア通貨危機・ルーブル危機を回避する海外投資家の米国への投資集中がもたらした株価投機に過ぎなかったのです。ただ一つイラク石油関連企業と軍需企業のみが潤う末期的な戦争需要が残っているのみです。米国貿易促進権限(TPA)による大統領権限の強化、ミレニアム・チャレンジ・アカウント(MCA)は米国経済に従属すれば開発援助の補助金を与えるというものであり、海外からの投資を米国に集中させればドルが急落し、抑制すれば米国の輸出は抑制するという最後の袋小路に入ったのが米国経済の現状です。この突破口として戦争しかないという最悪の選択が進んでいます。(2003/5/18 19:41)

[いまほどほんとうに世界を見抜く知の積分が求められている時はない−第1回・帝国の論理]
 不透明で先が分からないなかで漠然とした不安やイラダチが蔓延し、しばしば自分の身近な所での些細なことにはけ口を見いだして、容赦なく責め立てたり、我関せずと私生活に満足したり、こうした内向的な互いを信じ合えないニヒリズムはいつか爆発して奈落の底に転落して地獄を見ることになるのではないか。闇が深いほど光は明るい−夜明け前が最も暗い、希望への信頼が内実をともなう確かな筋道として、自分自身の頭を使って納得するまで考え抜かないといけない試練の時代であるように思えます。確かに学園に行けば、若者は明るく何の心配もないように振る舞っておりますが、では未来と希望があふれる輝く瞳であるかといえば、すでに大人の諦観がただようような表情が多いのではないでしょうか。
 一極帝国のジャングルの論理がまかり通るなかで米国の企業倒産は過去最高を記録し、日本のGDPはゼロ成長に落ち込み破産は過去最高を記録し、りそなグループに1兆円の救済資金が投入され、戦時動員体制の法律がいとも簡単に通過し、巷ではカルトっぽい宗教団体が真っ白い衣装で徘徊し、凶悪犯罪が毎日のように報道され、娘達はまるで風俗嬢のように厚化粧し、スカートを短くし男を挑発しています。いったい日本はどうなっているのか−と思いませんか。かってマルクスは「哲学者は世界をさまざまに解釈してきた、大事なことはそれを変革することだ」といいましたが、この語を以て解釈の地位が低められ、ある教条の下で素朴で単純な実践がが宣揚され無残に崩壊してしまいました。日本と世界の現状を自分自身の頭で考え抜いて、まことの解釈を施し、世界と自らを救う変革の実践が求められている時はありません。私はなにも大げさなことを云っているのではありません。私の息子が戦場に行かないでよい、企業倒産で失業しなくてよい、互いに大切にしあいながら生き生きと自己実現できるごく人間的な生活を望んでいるに過ぎないのです。
 と言ったわけで今日から数回に分けて現代の焦点となっている問題を考え抜いてみたいと思いますので、厳しい御批判をお寄せください。さて今日は米国一極帝国主義の動因と展望(この展望は自信がない)について。

 米連邦裁判所事務局の破産申請件数は1−3月期412、968件(前期比+4.5%)で集計を開始した94年以来最高を記録した。契機の不透明感で雇用情勢が悪化して個人破産が急増したことによる。1年間の破産件数も1、611、268件ではじめて160万件を突破した。企業破産は37、548件(前年比−5.8%)で個人破産は1、573、720件(+7、4%)、その大部分はクレジットカードの負債免責が中心の破産法第7条申請が7.1%増の1、135、436件によって占められている。
 日本の内閣府が発表した1−3月期GDP速報値は0.0%ゼロ成長を記録した。対米・対アジア輸出によってGDPを支える構造が破産し、民間住宅投資の急激な落ち込みが代表する民間消費支出を支える国民購買力が低迷し内需主導型への切り替えが失敗したことを示しています。
 以上の日米経済の現状は、資本主義の生産力が成熟しもはや先進国ではあらたな生活に必要な物資を必要としない段階に達し(あなたの家庭でも衣・食・住じゃほぼ満足しているでしょう)、先進国では差異化された市場を奪い合うもはや生き残りに過ぎないと云う飽和状況に至り、そうした差異の競争を勝ち抜く弱肉強食の新しい自由主義原理が称揚されるようになりました。このようの追い込まれた資本主義は、剥き出しの帝国主義となって世界市場を制覇する以外に脱出口はありません。これがグローバリゼーションといわれるアメリカン・スタンダードの世界的強制という場面に至っているのです。米国国内市場の閉塞が逆に外の世界に対するあくなき暴虐的な進出の動因になっています。こうした米国企業の世界展開を暴力的に実現する政治的な理論と実践が必要となりますが、それがネオコン(ネオコンサーバテイブ:新保守主義)理論です。ネオコン思想の概要を分析してみよう。
 
 ネオコンの代表的な論者であるロバート・ケーガン『楽園と武力−新世界秩序のなかの米欧』からその主張を見る。冷戦崩壊後米国と欧州は西側としての世界観を共有していない。法の支配という楽園に暮らす欧州と、ジャングルの掟が支配する世界は大きな隔差がある。この隔差を埋めるのは米国の圧倒的な軍事力を持つ米国の覇権しかない現実を認めなければならない。欧州は、平和と相対的繁栄というポスト歴史時代の楽園で、カントの永遠平和の世界をめざし、軍事力ではなく国連による国際交渉を問題解決の主要な手段とし、軍事費を減らして社会保障を拡充している。欧州以外の国はホッブス的な弱肉強食の無法世界であり、そこでは武力のみが決定的な意味を持つ。従って唯一の超大国として全世界に責任を持つ米国は、法の支配ではなく武力による処理しかあり得ない。欧州が武力に依存しない楽園を享受できるのは、米国が武力によりナチス支配から全欧州を解放し、さらにソ連から欧州を守ったお陰であることを忘れるべきではない。同じネオコングループのローレンス・カプラン、ウイリアム・クリストル『イラクをめぐる戦争』は、国連は主権国家の集合に過ぎず、米国より国連の方が高い道徳的権威を持っているとみなすのは極めて奇妙だ−と述べ、米国は自由な世界秩序を擁護、前進させる他を以て代え難い国であり、神の摂理で定められた諸国家の国家という特別な国だとし、米国の軍事力は米国の国益だけに奉仕しているのではなく、全人類の利益に奉仕している−としている。ソ連崩壊後に多くの国が大量破壊兵器と運搬手段を保有し、不安定な暴君に支配され反米国際テロリストと結んでいる。従ってそれに対処するには従来の封じ込めや抑止では不十分であり、攻撃される前に攻撃する先制攻撃が必要だ。なぜなら@先制攻撃は1世紀以上に渡る米国戦略の一部だAグロテイウスやトマス・モアも先制攻撃を認めているB国連憲章以降も先制攻撃の実例は多い。

 なんという近代政治学のイロハを理解しない単純で粗野な理論でしょうか。ホッブスを現代に蘇らせるとは17世紀の世界観に立ち戻れというに等しく、ロックとルソーを経た米国独立宣言の思想すら否定しています。国際法の父・グロチウスは「殺す準備をしている者を殺すのは合法だ」と明白にして差し迫った危機の正当防衛を認めましたが、原則は国際法による解決を主張したのです(『戦争と平和の法』)。モアは「外国の皇太子が侵略の準備をしている」場合に限定する正当防衛を主張したのです(『ユートピア』)。20世紀の2度の世界大戦の惨禍によって、正戦論と無差別戦争論は否定され、いかなる戦争も否定される戦争違法論による国際連合憲章の画期的な意味が全く理解されていません。自ら発案し結成した国際連合憲章を提唱国として遵守する責任がある国が、国際連合を貶めてしまう発想はまさに子どものレベルの発想でしかありません。すべての国の平等、主権の尊重、紛争の平和解決、自衛と国連の承認以外の軍事制裁排除というルールによって、戦争の惨禍から人類を解放するという輝かしい理念こそ現実的な有効性を持っています。法より力を!と叫ぶネオコンは近い将来に、歴史の真実から手痛いしっぺ返しを受けるでしょう。米国が歴史の屑籠に捨てられていた先制攻撃論を取り出した背景には何があるのでしょうか。@冷戦崩壊後に米国のみが超大国として存在する現在こそ、米国主導の世界を構築するが決定的な瞬間であり、AIT軍事革命によって米軍の戦闘能力が世界を遙かに凌駕する水準にある絶好のチャンスであるからです。以上第1回終了。(2003/5/17 19:55)

[現代日本の職種別平均賃金]
 東京ハローワークでの平均賃金はどうなっているかの調査結果から(ちなみに全職種の平均賃金は時給708円)。

 新薬モニター(人間モルモット):日給3万円
 原発作業員(炉心付近):時給5〜10万円
 死体洗浄:時給1万円
 名義貸し:日給1.5万円 但し逮捕リスク報酬100万円(オーナーの身代わり逮捕)
 偽装結婚:150万円
 ウリセン(男性売春):2万円
 ゲイ男優:日給30万円
 コンパニオン(吉原):日給3.5万円〜月給80万円〜
 風俗店受付(男性):月給50万円
 サラ金営業:月給50万円
 看板持ち:時給千円

 以上はキワモノ職種の相場賃金です(一部は業界標準で秘匿されている)。次は一般職。

 一般飲食店バイト:時給850〜1000円
 配送運転関連:時給1200円
 コンビニバイト:時給850円
 PC入力:時給1000円
 トイレ清掃:時給900円
 警備:日給1.5万円
 鳶・大工:日給1〜2万円
 
 次は正当派大手です。

 銀行・生保社員(役付き):月給100万円(日給5万円)〜
 ファイナンス関連社員:月給100万円
 PC上級エンジニア:月給100万円
 大都市議員:月給100万円〜
 大手会社役員:月給100万円(時給5000円)〜

 現代日本の仕事のいびつな構造が象徴的に浮かび上がっています。金融関連のカネの亡者か風俗関連サービス業でしか、生活に必要なカネが稼げないと云う構造です。倒産しかかっても公的資金(「国民の税金)で救われている金融関連の高給は開いた口がふさがりませんが、一方で風俗店の受付月給50万円ってほんとうでしょうか!? さもなくば命がけの危険な労働しかありません。これが痛みを伴う小泉構造改革がつくりだした惨憺たる世紀末的な日本の職業収入の現状です。小泉氏もひょっとしたら風俗店受付係か死体洗浄係ではないでしょうか?竹中氏も?(2003/5/14 21:03)

[米国・死の商人=戦争ビジネスに追随する日本帝国]
 米国は冷戦崩壊後世界70カ国に基地を保持し、平時でも25万人の軍隊を展開し、1時間当たり52億円の軍事費を注ぎ込み、1世帯当たりの年間軍事費負担は45万円にのぼり、世界の総軍事費の30%を占める恐るべき史上最大の軍事国家となっている。この軍事費に群がる禿げ鷹企業がプライベイト・ミリタリー・カンパニー(民間軍事企業=PMC)であり、米軍介入が難しい地域や危険度が高い仕事を一手に請け負っている。PMCは冷戦後の米軍削減(湾岸戦争時78万陸軍→現在48万人)に伴う業務を元軍人が請け負い、肩代わりする。これはまさに90年代の民間企業の経営戦略であったアウト・ソーシング(外部委託)の軍隊版であり、軍隊の民営化と民間活力活用に他ならない。PMCの市場規模は1000億ドルとされ2010年には2020億ドルに倍増すると予測されている。特に各国が敬遠する国連の平和維持活動PKOを請け負うPMCは莫大な利潤を挙げ、実際の戦闘や訓練を主導する戦争の民営化とビジネス化が進んでいる。
 米国の地下経済とも云える戦争ビジネスは、いまや正規軍の行動を補完するだけでなく、正規軍に替わって戦争そのものの中心部隊となり、金儲けのための戦争へと退嬰的な地獄への道を転落している。ここでは正義や真実は全く不要であり、ただ単に儲かるか儲からないかだけだ。
 ブッシュ政権の「核配備見直し報告」(02年1月概要公表)は、従来より強力な地中貫通核爆弾を中心とする「使える核爆弾」を開発する先制核攻撃戦略を打ち出し、5キロトン以下の小型核兵器の開発を禁止している「スプラット・ファースト」条項を廃止し、強力地中貫通型核爆弾研究を再開する。これは明らかにNPT(核拡散防止条約)の崩壊を意味し、米国の単独行動主義が究極の形態を採ることを示している。さらに敵の弾道ミサイルをレーダーで探知し、迎撃ミサイルを撃墜するミサイル防衛構想を推進し、宇宙核兵器開発に向けた多層防衛計画の配備を決定した。
 こうした米国の戦争計画に参戦する日本の戦時国内法制定の動きが遂に最終段階に入った。米軍の先制攻撃に対する在日米軍を対象とする報復攻撃に日本の自衛隊が防衛出動する国家総動員体制の構築である。これ程の勢いで戦時体制の構築が進むとは正直に言って信じられない。戦争前夜は4つの特徴がある。@戦時動員法の整備A好戦的指導者の登場Bマスコミの危機扇動C政治的無関心の深化であり、すでにA・B・Cは充分すぎるほど成熟し(A=石原慎太郎B読売改憲路線C棄権率の上昇)、遂に最も基軸となる@の実現の過程に突入している。日本は好戦国家・米国と共に地獄の業火に包まれようとしている。(2003/5/13 21:50)

[「ドーハの悲劇」のほんとうの悲劇]
 93年のドーハであったサッカーW杯米国大会アジア地区最終予選の日本ーイラク戦で、ロスタイムにイラクはゴールを決めて日本の決勝進出は絶たれ、いわゆるドーハの悲劇と呼ばれてきた。しかしほんとうの悲劇は、イラク選手に起こっていたのだ。最終予選終了後に帰国した代表チームの多くは投獄や罰金刑を受けた。ヘデイングシュートを決めたジャファール・オムラム(36)は、フセイン大統領の長男であるウダイ・オリンピック委員会会長から、2000ドルの手当を没収され、リビアのプロチームからのスカウトで出発の10日前に秘密警察からスパイを強要され、断ると移籍は取り消された。オムラムにセンタリングを上げたムンデイル・カラフ(33)は、髪の毛を剃られ給料は没収され数日間投獄された。翌年のアジアクラブ選手権(インド)で破れた時は、背中を棒で打たれ、、97年のW杯予選でカザフスタンに敗れた時は、ふたたび投獄されそれ以降チームを去った。
 フセイン政権の暴力的なすさまじいバンダリズムを象徴する事実だ。イラクのスポーツは国威を発揚する政治的な役割を担う典型的な途上国型であり、独裁者を賛美するための道具にしか過ぎない。これはヒトラー・ナチスを賛美したベルリン5輪とも重なっている。
 日本では、たまちゃんと称するアザラシの一挙手一頭足が報道され、庶民が心配して群がり、メデイアがまたそれを大々的に報道している。一方では爆弾で吹き飛ばされ、ちぎれかけた少年の左手が報じられている。この写真を撮影したカメラマンは、アンマン空港で爆発物を不用意に持ち込み警備員を殺傷した。日本の脳天気な平和の風景とイラクの非対称性的な世界を私たちは生きている。(2003/5/10 19:20)

[米国は分裂国家の亀裂に犯されている]
 星条旗は、「自由の女神」の定義をめぐる熾烈な内部闘争の時代に入った。その分岐の対立軸は、自由の強制か協調かにある。その対立を象徴する事例を2つあげる。今米国では全土で2つの歌が流れている。1つは「愛国ソング」他は「イマジン」であり、どちらが米市民のハートを最終的につかむか地を這うような闘争が繰り広げられている。
 全米ビルボードチャートのカントリーアルバム部門で2週続けてトップを走るのが、ダリル・ワーリー(38歳)の」「ハブ・ユー・フォガットウン(忘れちまったのか)」であり、9.11とイラク戦争を結びつけて初登場以来わずか1週間で21万枚を売り上げている。4月16日には国防総省で軍人を前に慰問し、ラムズフェルド長官が聴きながら2度涙を拭った。その歌詞は以下のの通り。

 この戦争を無用という人がいるらしい
 戦う意味ならちゃんとあるさ
 母国は攻撃され
 人が吹っ飛んだ
 タワー2つが崩れたあの時を忘れちまったのか
 ビンラデインなんか心配ないって言うのかい
 忘れっちまったのか


 おなじく「怒れる米国人」を歌ったトビー・キースの「カーテイシー・オブ・ザ・レッド・ホワイト・アンド・ブルー」が絶好調だ。その歌詞は以下の通りでいかにも下品だ。この歌は5月下旬発表のカントリー・アカデミー賞の年間最優秀曲8部門の候補となり、4月にはビデオがファン投票で「年間最優秀ビデオ」など3賞を受賞した。

 アメリカをいたぶると泣きを見るぜ
 尻にブーツをけり込んでやるからな


 対して「イマジン」を静かに歌ってデモ行進をおこなう反戦運動が拡がっている。反戦市民団体「ユナイテッド・フォアー・ピース・アンド・ジャステイス」副代表のビル・フレッチャー・ジュニア氏は次のように語る。「イラク戦争を阻止できなかったがそれを失敗とは思わない。今度のように開戦反対を訴える運動は米国では第1次大戦以来だ。運動は短期で急速に幌まり、強固な反戦派が米国民の30%に達した上、賛成派の3分の2はどこかに疑問をもったゆるやかな支持だ。息の長い運動に向けて反戦の心は伝わる」。事実史上最大規模の国際的な平和運動が起こった。米国の民主主義は確かに政権内部だけでなく社会にも軍事力に依存する危うい構造がある。来年に迫った大統領選挙で決着が着くだろう。(2003/8/9 22:28)

[高校生の携帯電話考]
 新潟県の県内高校生15%(12000名)を対象とした携帯電話に関するアンケート調査から。日常的に使用(男子73%・女子85%)、出会い系サイトの利用体験者27%、サイトで知り合ったメル友が現在いる40%、料金月平均8800円、負担者全額親53%・自分23%、携帯がない生活に不安を感じる70%−となっています。大都市部ではこの率はもっと高くなると思われます。
 生徒の代表的な声をあげると、「メールだと何でも云えるのに、直接話すと云えなくなる」「つきあう人が多いばかりで、中身のない人間関係になってしまった」「便利でいいなと思って思っていたが、最近は自分がどんどん駄目になっていく」といったものです。携帯の便利さを誰もが認めていますが、多くの者が悲鳴に近い否定的な評価をしています。携帯は生徒の内面の孤独感をおぎなう要素が強く、生徒は携帯に使われる麻薬のような状態になり、主体的に使いこなすコミュニケーションの手段となっていません。携帯電話がもたらしている負の側面は、@ますます自分中心の世界がひろがり、他人とつながっているように見せかけながら実は砂を噛むような世界がある、A出会い系サイトが犯罪の温床となり易く、B多額な料金が不況で苦しむ親と本人自身を苦しめている、C本当の親密な友情は深まらない、D自閉的で閉じこもり傾向を生む、Eリアルで生の世界と付き合うのが段々とおっくうになる、F自然の中でおおらかに育つはずの感性が衰弱する−などが指摘されています。
 学校を卒業してナマの現実の社会のまっただ中に入っていった時に、青春期を携帯で過ごした感性はおそらく相当の戸惑いと苦痛を覚えて、それを乗り越える多大の努力を強いられるでしょう。なぜなら大人の世界の携帯電話は、生活と仕事が懸かったリアルそのものの世界であるからです。
 「使い方さえ誤らなければ負の要素はほとんどない」というテーゼは、青春前期の発達水準には、とても適用できない無理な規定です。携帯電話の普及とともに、若者の世界は私的なこの世界では無制限のたわいない会話があてどもなく展開していますが、いざ公的な会議や議論の場になると無表情の沈黙が覆ってしまっています。おそらく若者は、自分自身が将来戦場に行く法律が現在作られようとしていることに、めんどくさい−といった感覚でしか受け止めていないのではないでしょうか。現実と正面から向き合い、逃げないで自分の頭で考えることや、みんなと互いに議論し合いながら何かを創造していく本当の楽しさを体験しないままに青春期を終えるのではないでしょうか。
 これは恐ろしいことになるような予感があります。コミュニケーションの対面性と集団性が奪われ、この私的な世界に沈殿した虚妄の世界が、客観の外界と触れ合いないまま、大きな力に自分が飲み込まれていても気がつかないか、無関心を装う知性の衰弱と頽廃がますます進むように思われます。誰かを操作してある方向へ誘導したいと考える勢力がじょじょに力を得て、自分自身が取り返しのつかない事態へいつの間にか引きずられていく蟻地獄のような世界が現れるという予感があります。私の危惧は間違っているでしょうか?それとも一面を突いているでしょうか?携帯電話リテラシーについて教育現場は野放しにしておいていいのでしょうか。(2003/5/8 20:45)

[詩とは何か]
 30年前の雑誌『暮らしの手帖』に掲載された小学校2年生の男の子の詩。原爆投下数ヶ月後に、学校で書かされたものです。鉛筆書きの茶色になった原稿用紙をそのまま、印刷しています。おそらく家族を喪ったうつろななかで、書くともなく鉛筆が動いたのでしょう。自分で何を書いたか覚えていないかもしれません。この子はその後をどのように生きていったのでしょう。いま生きていれば70歳に近い歳になっています。

 おとうちゃんがしんだ
 おかあちゃんがしんだ
 おじいちゃんもしんだ
 あんちゃんもしんだ
 みんなみんなしんでしまった

 米国の大統領は、戦闘機生産工場や航空母艦の艦上で誇らしく高らかに戦闘終結と勝利宣言をおこないました。彼の表情からは、爆撃で犠牲になった無辜の民衆に対する痛みというような表情は、微塵もうかがえません。むしろ晴れがましい喜びの表情があふれています。彼が宣言を発表するために選んだ場所は、そのまま彼が何のために戦争をおこなったのかを示しています。
 原爆投下からアフガン・イラクへのバンカーバスター爆弾の投下に至る20世紀の歴史は、いたいけなこどもたちのうめきが聞こえてくるような痛ましく血塗られています。ひょっとしたら、米国の指導層には恐るべき有色人種に対する蔑視感覚があるのではないでしょうか。肌の白い反対派に同じような非人道的なふるまいはできないのではないでしょうか。

 父を返せ
 母を返せ
 私につながる
 すべての人間を
 返せ

 ミオレニアムの明るい初日をわたしは平和への希望を込めて迎えました。私の希望はいま確実に裏切られつつあるようです。21世紀のいつまで私たちはこどもたちに苦しみを提供していくのでしょうか。わたしは自らの無力に打ちのめされて、あやうく悲観の淵に沈む寸前で踏みとどまりたいと思います。なぜわたしが生きているか、なにをこの世に刻んで生きていくのか−そう問いかけるちからがまだ私に残っている限り希望を捨てるわけにはいきません。(2003/5/6 20:35)

[この頃都に流行るもの]
 最近リサイクルかデフレの影響か街のあちこちに、リサイクルショップが開店し結構客を集めています。面白そうな品が市価よりかなり安い値段で並べられており、掘り出し物をさがす楽しみもあります。とにかく一般店で買うのがばかばかしくなる安さです。かってはこうした店は、古物店とか云われて廃棄物に近いような古く汚いイメージがあったが、今は店も明るく陳列も工夫されておりチョットした雑貨屋さんに近いようです。あるリサイクル店に新品のフルートが5000円であったのでどうしても欲しくなりましたが、迷って結局止めてしまいました。代わりに近くの古本屋さんに入ったら、本が整然とセロファンカバーにして並べられ、かなり重厚な書籍が鎮座しています。一通り見て回ったら、店の主人が「最近はさっぱり売れなくなってしまってね」とぼやきました。とにかく最近の学生は、電子辞書に走って全く売れないそうです。BOOK−OFFとかいう新たな古書店商法にも押されて、困っているみたいです。しかしこの店の主人は、朝7時に店に顔を出して店内を整理してから10時に店を開けるといいますから、なかなかの誠実な商法です。
 棚の上の方を見ていたら、なにやら黒っぽい洋書本があります。椅子を借りて上って手にすると、なんとデイーツ版『DAS KAPITAL』ではありませんか!? 店の主人は何やら英語本だと云ってよく分かっていないらしいのです。京都大学の先生が蔵書を整理するのを手伝い持ってきたと云います。値段を聞くと3千円でどうだというので、少し勉強してよ−と云うとでは2500円でいいと云うので買うことにしました。ところがその主人は、いい本がありますよ−と云って取り出したのが、実はサイデンステッカー訳の豪華なMURASAKISIKIBU『THE TALE OF GENJI』でした。いくら?と聞くと、市で3千円で買ったので4千円でどうかと云う。私は急に欲しくなり『DAS KAPITAL』をもう5百円負けて締めて6千円で貴重本を手にして、ホクホク顔で帰途につきました。古書マニアにしか分からない充実した1日でした。古本屋は、名古屋市地下鉄・藤が丘駅から歩いて5分ですので、みなさんよかったら冷やかしに行ってみてください。
 実はこれは書かないでおこうと思ったのですが、もう一冊ANDRE BRETON『Recherches sexualite』(白水社)も買ったのです。これはフランスの『シュールレアリスム革命』誌上で1928年初頭から1932年8月1日までなんと4年間に渡って展開された、当時の最先端の芸術潮流であった仏シュールレアリスムの主たる人物が勢揃いしたデイスカッションの記録なのです。この錚々たるメンバーを見て私は驚嘆しました。私が知っている範囲で名前を記すと、ルイ・アラゴン、アントナン・アルトー、アンドレ・ブルトン、マルセル・デユアメル、ポールュ・エリュアール、ジャック・プレヴェール、マン・レイ、ジョルジュ・サドウール、シモーヌ・ヴィヨン等々現在では大家と言われる圧倒的な名前が並んでいます。彼らが20歳代から30歳代の年齢でブルトンの主催するサロンに集ったことが分かります。内容は皆さん自身で読んでください。とにかく日本の文学者や芸術家が顔を赤らめて退場するのは間違いありません。日本文化がこれ程儒教モラルに犯されているかがよく分かります。最後に云えば、やはりフランスは成熟した「文化の国」としか云いようがありません。こうした爛熟したカルチャーのなかで自己形成を遂げた青年芸術家が、何の疑いも経ることなく前衛を呼称して先進文明の先端を担います。彼らがどのように第3世界の被抑圧者に共感を浴びせようとも、越えることの困難な文化の壁がそびえ立っているように思えます。と言った1日で充実した連休の最後の日を堪能することができました。(2003/5/5 17:47)

[歌の別れ−金子みすずに寄せて]
 名古屋古書会館で開かれている古書展をのぞいたら、ちょうど金子みすずのCD付き詩集が1800円で売られていたので買いました。彼女の世界は、世の汚れから解き放たれるような清浄な素朴さに満ちており、なにか惹きつけるものがあります。生命活動あふれる若者の世界には響かないかも知れませんが、世の喧噪に明け暮れて幼き頃の慕情をつい想い出したくなるような気持をとらえてしまうのです。この詩集は、それぞれの詩についてCDの旋律を聴きながら、エッセイを読んでいくように編集されています。静かな旋律ではあるのですが、なぜかもっと天上から降りてくるような気高い調べにしてほしいとも思います。

 露   金子みすず

 誰にもいわずにおきましょう。
 
 朝のお庭のすみっこで、
 花がほろりと泣いたこと。

 もしも噂がひろがって
 蜂のお耳にはいったら、

 わるいことでもしたように、
 密をかえしに行くでしょう。


 かって中野重治はこうした抒情の調べと訣別し、”お前は赤まんまのうたを歌うな”との決意を込めて、『歌の別れ』をしたためてリアルな実践に身を投じ、戦後の中野の作家活動は見るも無惨なおびただしいマキャベリズムの惨憺たる累積を残して、無念のうちに世を去りました。実は中野の深底には、金子みすずのようなリリシズムあふれる抒情の世界があるのではないでしょうか。そうした抒情とリアルな実践が統合するには、あまりに時代ははやすぎたように思われます。中野が捨てた歌の世界は、実は遠近で見れば彼のめざした実践の世界とつながっているのではないでしょうか。現代の実践は、金子の世界を包み込むような温かく分厚いものに成熟しているように思われます。
 夕べの食卓でTVからは、パレスチナの砲撃でなけなしの家を失った11人家族の緊迫した生活が映し出されています。9人の子どもたちは4帖半の小部屋で折り重なって眠っていますが、その頭上では銃撃の音が絶え間なく響いています。銃撃の中で眠りにつく子どもの姿を見て、しかもその少女の彫りの深い美しい表情を見て、現代日本との余りの対比に胸を打たれます。ボランテイアで活動中の米国籍女性が必死の形相で米軍の爆撃を非難する証言をしていましたが、彼女は10日後にイスラエル軍のブルドーザーの前に立ちはだかり、全身を轢かれて即死しました。金子みすずの世界は、こうした現実には無力です。おそらく私たちは中野にならって「歌の別れ」を試みなければならないでしょう。しかし金子みすずの奇跡は、一切の権力関係がないと云うことではないでしょうか。金子の世界を愛する人は、武器を手にしないでしょう。無抵抗でブルドーザーに轢かれるでしょう。人間の歴史をほんとうに前に進めてきたのは、中野でしょうか、それとも金子でしょうか・・・・・・不遜にもそんなことを考えていると、静かにCDが終わりを告げて沈黙が訪れました。矢崎節夫『エッセイで旅する金子みすずの世界』(JULA出版 1997年)参照。(2003/5/4 20:14)

[竹田の子守歌を歌うには勇気がいる]
 かって「赤い鳥」(後の「紙ふうせん」・リーダーは後藤悦治郎)がヒットさせた日本3大民謡の一つ「竹田の子守歌」を歌うのは、実は勇気が要ります。

 ♪守りもいやがる 盆から先にゃ 雪もちらつくし 子も泣くし
 盆が来たとて なにうれしかろ  帷子はない 帯はなし
 この子よう泣く 守りをばいじる 守りも一日 やせるやら
 はよもゆきたや この在所越えて 向こうに見えるは 親のうち
 向こうに見えるは 親のうち
 向こうに見えるは 親のうち

 実は赤い鳥のファーストアルバム(日本コロンビア 1970年)は、「翼をください」と「人生」の2曲が収められたシングル版ですが、この「人生」(山上路夫作詞)は「竹田の子守歌」のメロデイーだけを使った歌詞が違う次のような歌だったのです。

 ♪どこに人々かえるやら 街はざわめく夕間暮
 今日をどうしていきたやら みんなだまって歩いてく
 どんな人生待つのやら 人は家路を急いでく 
 誰か教えてくださいな 何があなたの生き甲斐か
 何があなたの生き甲斐か

 山上氏は元唄では意味が分からないと云うだけの理由であったが、後藤悦治郎はこの意訳に強く抵抗し、「竹田の子守歌」の源流を必死で調べ始めました。なぜならその後に放送禁止歌に指定されメデイアから流れなくなったからです(フジTV番組考査部「同和がらみでOA不可」など)。つまりこの歌は、京都市伏見区竹田の未解放部落の少女達が歌っていた子守歌で、「在所」とはその部落のことを指すのです。2番の歌詞には地名がいっぱい登場しますが、それはどこが部落であるかを皆に暴いていることになるのです。この歌を初めて採集した尾上和彦(舞台音楽家)さんに歌って聴かせた岡本ふくさんは、そのあとに周囲から”誰がこんな歌を教えたんや”とさんざんに攻撃されました。しかし放送禁止歌はメデイアとは異なるチャネルに載って全国的な大ヒットを記録していきました。ここから岡本ふくさんの苦しみが始まります。私が歌ったばっかりにみんなに迷惑がかかる−楽屋まで行って歌うのをやめるよう頼みました。一方では、部落の若者を中心にした合唱団がつくられ、自分たちが舞台に立つことは部落出身を表明することになりますが、”勇気を持って歌おう!”と広まっていきました。TV放映の時には、TV局は足だけ放映しましたが、彼らは逆に怒りを覚えて抗議したのです。

 現在の「竹田の子守歌」は、プロによる修正が施され元唄とはかなり異なり、もはや子守歌ではありません。試しに子どもに歌って聞かせてみると、こどもは”ギャーッ”と声をあげて泣き出すのです。もはや大人がしみじみと味わう歌になっているのです。

 被差別部落竹田は、江戸期1600年頃に丹波街道の入り口につくられた伏見奉行所の直轄地です(江戸期は城下町の出入り口に部落をつくる法則がありました)。森鴎外「高瀬舟」の舞台になった高瀬川の川べりですが、対岸の本村には洪水防止用の堤防が設けられ、竹田は洪水を引き受けるために堤防はありませんでした。部落の人が、本村の店に買い物に行くと、八百屋さんは当人の目の前で、わざわざ柄を付けたザルにお金を受けて、それを塩水で濯いで清めました。部落の女性は、京都の有名な伝統工芸である「鹿の子絞」(筆者『日本伝統染織産業の研究』同時代社を参照されたい)の括り工程に従事し、大抵の者は失明の危機にありました。女の子どもたちは、雨や雪の日も子守をして1日1銭を稼ぎ、解放されるのは盆と正月だけでした。激しい差別を受けながら必死で生きたこどもたちのトラウマが沈積した歌を歌うしか慰めとはなりませんでした。どれだけ道を歩めば、人と呼ばれるの?−いま人間の尊厳をこめて21世紀にふたたび蘇ろうとしています。今年の2月に赤い鳥の旧録音版CD全集も発売されました。

 竹田の子守歌(元唄)

 ♪ねんねしてくれ 背中の上で
 守りも楽なし 子も楽な
 どしたいほりゃきこえたか

 この子ようなく 守りをばいじる
 守りも一日 やせるやら
 どしたいほりゃきこえたか

 以上藤田正『竹田の子守歌−名曲に隠された真実』(解放出版社)を参照して筆者記す。「五木の子守歌」はもっと恐ろしい由来があるようですが他日を期したいと思います。(2003(2003/5/4 9:35)

[戦後憲法へのスタンスをどこに置くか]
 憲法は統治権力に対する国民の命令である。憲法の出生は、イングランド王ジョンの横暴な課税に対してシモン・ド・モンフォール議会が王に認めさせたマグナ・カルタ(大憲章)に由来し、議会の制定する法もコモンローに服すべしとの「法の支配」と結合して近代憲法が誕生した。つまる憲法を頂点とする法は、国民が王を縛るためにつくられたのだ。しかし日本は王に対する抵抗権を行使して、現在の憲法を作ったのではなく、大日本帝国憲法の改正という欽定憲法であり、憲法が市民ではなく国家権力の義務規程であるという本質の浸透は曖昧なままで推移した。市民が国家権力を制限するという本来の憲法意思は不徹底なまま戦後が推移した。例えば、憲法9条「交戦権の否認」は憲法に記されているから重要なのではなく、私たちが統治権力に強制した意思の表明なのだ。
 さらに第19条「思想・良心の自由」は、人権の法的な規定であるのも係わらず、国家権力が「道徳」の領域まで踏み込むという近代原則の逸脱が横行している((児童買春・児童ポルノ禁止法、教育基本法改正案など)。何を価値とみなすかは、法ではなく市民相互のコミュニケーションによる道徳の問題なのだ。青少年の人権を守る方が、青少年の道徳を規定する法案に転化してしまう。このような近代憲法の近代原理を侵す振る舞いに対する無知があふれている。
 しかしいま世界は、近代憲法原則を足蹴にする米国のリヴァタリアンが欲しいがままに飛び交い、前近代的な力の専横の時代に入った。「百人の罪人を放免するとも、1人の無辜の民を刑するなかれ」と言う推定無罪の近代刑法原則は放擲され、「百人の無辜の民を刑するとも、1人の罪人を放免することなかれ」へと逆転し、司法手続きやと国際法を蹂躙した反テロ実力行動が制覇しつつある。さらに21世紀は、国民国家の限界を超える地球規模の環境破壊や南北問題が噴出し、近代国民国家の憲法原理では処理し得ないグローバルな危機が噴出しつつある。こうした危機に対する抵抗が、テロという形態を採る時に、反テロ側も憲法を越えた暴力原理で対抗するという悪魔の循環が始まった。
 後発近代国家の二重性を抱えて出発した日本は、近代原理も血肉化できないまま、明治期アジア主義・15年戦争期近代の超克論・80年代ポスト・モダン論など右往左往しながら、強国の後を模倣したり逆らったりアイデンテイテイーを確立できないまま漂流を続けてきた。本質的に近代を知らない日本は、日本の直面する問題が「近代自体の欠陥」にあるのか、「近代の不徹底」にあるのか解明できないまま太平洋戦争の悲惨な敗戦にいたり、今また軍事国家への冒険的選択をおこないアジアの孤児になろうとしている。モダニズム日本は、結果的に前近代と近代と現代が混在する摩訶不思議な複雑国家へと変容し、羅針盤を喪おうとしている。以上宮台真司氏「戦後憲法をめぐって」(朝日新聞5月2日付け夕刊)参照して筆者考察。

[過労自殺の蔓延する異常な社会・・・・・日本は狂気に包まれている・・・・ああ!〜・・・!?]
 日本政府が自殺と失業率統計を取り始めてから、鍋底不況(1950年代)・円高不況(1980年代)・平成不況(1990年代)とピークは3つあり、明らかに自殺率と失業率の相関関係がある。日本では、雇用対策や失業補償などのセイフテイーネットが弱いので、自殺率と失業率は正比例の関係にあるが、高自殺国のスウエーデンは社会保障が充実しているから失業率との比例関係がない。日本の過労自殺のほとんどは板挟み状態にある中間管理職であり、遺書はすべて自分自身を責める内容である。日本という社会は、生きること自体がしんどい社会であり、特に中高年リストラ、30歳代の働き盛りにストレスが集中する。鬱病になるとまるで山手線のように鬱のリングから逃れられないようになり、自分でも死にたい理由が分からないまま、なぜか死にたくなってしまう。ここに最後の一撃が加われば、自殺に至る。日本の自殺者は、年間3万人(米国の銃による殺人件数33000人に匹敵する)にのぼる。既遂であれ未遂であれ、自殺1人当たり周囲5人の心に打撃を与える。年間3万人の背後には、10倍近い未遂例があるとされるから、およそ150万人の人が癒しがたい心のトラウマを抱えていることになる。
 小泉構造改革以降、業況が悪化した中小業者は56.2%、改善したのは0.6%に過ぎない(信金中央金庫特別調査)。地域社会が衰退したと答える業者は53.9%にのぼり、87.2%が倒産・失業の増加を指摘している(同上調査)。小泉政権下の企業倒産(負債1000万円以上)は38980件(帝国データバンク調査)で、02年度の完全失業率は未曾有の5.4%に跳ね上がった。中小企業の開廃業率の逆転が続き、特に従業員5人以下の企業では54%に上っている。倒産中小企業経営者の74.1%が債務返済のために自宅を売り、自己破産は43.4%にのぼる。これが日本経済社会の真実の姿である。
 ところが世界の企業の1−3月期決算でただ一つ純利益が急上昇した会社がある。純利益4300万$と前年比から倍増した会社は、米国ハリバートン社である。イラクの油田施設の臨時補修契約を受注した子会社エンジニアリング、ケロッグ・ブラウン・アンド・ルートの大幅な収益改善が増益をもたらした。KBRの売上高は10%増の14億4900万$で、米軍受注の油田火災鎮火と施設臨時補修契約の政府関連サービスで最大限利潤をあげた。同社はチェイニー副大統領がCEOを務めていた会社だ。平成大不況に沈みながら米国に救いを求める日本は、こうした目眩くような非対称性の大海の中をさまよっている。
 しかし米国経済は実はイラク軍需企業の繁栄を例外として、破滅のチキン・ゲームを繰り広げている。もはや成長神話は崩壊し、戦略は誰かを犠牲にした生き残り戦略しかないという末期的な状況にある。だからこそ戦争による破壊の復興ビジネスしかないという悲惨な状態に陥っている。米国政府は、イラク戦争への自国民のファナテイックな扇情を組織するために、エンペッド(埋め込み)報道を組織し、メデイアを戦闘部隊に完全密着取材させ、記者を軍に埋め込んで徹底した愛国報道を展開するFOX(フォックス)現象を成功させた。大不況で苦しむ米国市民はCNNを捨てて束の間のFOX報道を楽しんだのである。
 最も象徴的な例が、米軍女性兵士ジェシカ・リンチ上等兵(19)の救出作戦である。ワシントン・ポストはこの救出劇を「おおげさなショー」としてその真相を暴露した。上等兵の負傷は戦傷ではなく「事故」によるもので、イラク兵は彼女を手厚く治療し、米軍に返すよう努力したが、米軍はかまわず攻撃した。米軍部隊が到着した時にはイラク人の姿はすでになく、実は軍事作戦も全く必要なかった。米軍中央軍司令部は得々として英雄物語の救出作戦を演出して報道操作をおこない、米国民の大半はそれを信じてヒーローとして迎えた。彼女は大学の奨学金欲しさに従軍した貧しい下層市民の一人であった。米軍は、こうした虚構を暴露するアルジャジーラやロイター等の駐在するホテルを狙い撃ちにし10人のジャーナリストを殺害した。米軍の報道操作に最も忠実に協力したFOX・TVは、新保守主義とつながるメデイア王マードックが経営するおよそジャーナリズムの原点を喪った大本営報道部となった。知性の欠片もないブッシュとか云うやからに、嬉しそうにしたり顔で媚びへつらう日本は、何人の自殺者が国内で出れば自らの愚かさに気づくのであろうか。こうした歴史の真実はいつの日か、白日の下にさらされ、虚構にまみれた羞悪な権力は必ず崩壊する。イラク戦勝の高揚した自己陶酔の時期が去って、冷静に事実を受けとめる時が来ると、歴史ははじめて巨大な真実のページをゆっくりとめくるだろう。過労死が蔓延する狂気ただようの日本は、おびただしい幾多の凄惨な犠牲者を出し切った後に、はじめて流れ出る鮮血を拭って記録を訂正し始めるだろう。(2003/5/1 21:20)

[とんとんとんからりんと隣組]
 政府与党内部で小学校単位の『隣組』制度の創設が提案されているそうだ。何か戦後システムが音を立てて崩れていく感じだ。隣組は、日中戦争が泥沼化した1940年(昭和15年)9月に、戦争向けの雑用が増大し内務省が市区町村の補助的下部組織として、農村では部落会、都市部では町内会をつくることを指示し、その下部組織として10戸単位程度の組がつくられた。太平洋戦争開戦後の42年(昭和17年)に大政翼賛会に組み込まれ、政府の指令が国民の末端までとどくチャネルができあがった。生活必需品の配給ルートとなるほか、空襲時の防火訓練(1戸に必ず1人出席しなければ国賊視)、金属の供出や愛国公債の割り当てなどこの組織を抜けると生活ができないようになり、物資の配給を武器とした住民への半強制的戦争動員システムとして絶大な効果を発揮するとともに、反政府的な批判を相互に監視する組織として重大な機能を持った。隣組制度は江戸期の5人組という相互監視・連帯責任組織をモデルにした国民を草の根から戦争へ組み込む総動員システムの生活単位であった。
 国家レベルで戦争体制を推進する法制が整備されるということは、決してどこか上の方でやっていることではなく、民衆一人一人の日常生活の隅々まで民衆自身による組織化が進んでいると云うことだ。現代のファッシズムは大衆ファッシズムなのだ。そういえば、戦前期にNHKは国民歌謡「隣組」の歌をつくって、毎日のラジオ放送で流し、その明るい踊るようなメロデイーが日本全国で歌われ、楽しくファッシズムは行進したのだ。現代のファッシズムはもっと微笑し笑いながら近づいてくる。(2003/5/1 00:12)

[倚りかからず−芝木のり子に寄せて]

 倚りかからず             芝木のり子

 もはや
 できあいの思想には倚りかかりたくない
 もはや
 できあいの宗教には倚りかかりたくない
 もはや
 できあいの学問には倚りかかりたくない
 もはや
 いかなる権威にも倚りかかりたくない
 ながく生きて
 心底学んだのはそれぐらい
 じぶんの耳目
 じぶんの二本足のみで立っていて
 なに不都合のことやある
 倚りかかるとすれば
 それは
 椅子の背もたれだけ

 芝木のり子は1926年生まれの80歳に近い詩人である。この詩は1999年『倚りかからず』(筑摩書房)の9番目に掲載されている。「表札」など精神の独立を高らかにうたいあげた女流詩人のこころはいまだ新鮮でとても80歳近い精神活動とは思われない。老齢期に入るに従って、人間の大脳活動は硬直し、みずみずしく生き生きとした生気が衰弱する。頑固になって人の意見を聞かず、他者との交通に自ら扉を閉ざし、後継世代を揶揄しながらひたすら自己肯定する様は見苦しくさえある。特に、青年期の志をして老年期にまで延長した人にみられる腐朽する矜持とも云うべき硬直性は目に余るものがある。
 なぜなら枯渇する創造性、現実に対するリアルな反射神経の衰弱が過ぎ越し方へのノスタルジアとなって、自らを甘く包むからである。このような態度と発想の根底には、対象に対する「否定」の視角が反転して、いつのまにか無条件の自己肯定に転化するからである。自らの相対性に対する認識のゆえに、かって保持し得た謙虚さが消失し、特定の対象に対するあくなき否定性が対象一般に拡散するからである。芝木のり子の詩は、だからそのような危うい壁の前で自己完結する安易さに反転する危うさを秘めている。倚りかかるものがもはや「椅子の背もたれ」だけになってしまった老境詩人の精一杯の抵抗であるかに見える。
 「できあい」の総否定の心境に至ったとすれば、では「できあい」ではない芝木自身の思想、宗教、学問のアンチテーゼがなければならない。芝木の致命的限界は、自らの信じうるジン・テーゼを歌えないところにある。「もはや」とは、敢えて反問すれば80歳まで何をしてきたというのか−自らの前半生に対する痛恨の告白ではないか。こうした批判は、少し考えれば誰にもできるし、批判に終わる批判は羞悪である。芝木が後世に残そうとしている感性が、「表札」に「倚りかからず」して自らの主体において思考し、行動するものであるならば、21世紀を経てなお現代日本の課題として、充分な意義を持っている。(2003/4/29 20:08)

[現代の研究環境の変容]
 本日は名古屋哲学研究会の例会が名市大であり、報告は稲生勝(岐阜大)「サイエンス・ウオーズから科学技術政策論へ」・鈴木正(名古屋経済大)「家永三郎の学問と思想」であった。稲生氏の報告は、現代の大学再編成のリアルな実態が報告され、基礎自然科学が軽視されてテクノロジー全盛の新自由主義的経営の方向の一端が分かり、参考になった。大学での学問研究の基本理念が、「学術」から「科学技術」へ移行し、人文科学は実質的に排除される方向が出されている。1995年の科学技術基本法成立以降、重点4分野(IT・バイオ・環境・ナノ)に予算が重点的に投下され、日本学術会議の従属化が進んでいる。パラダイム論を中心とする科学社会学から技術重視へと決定的に転換している。大学の本来的な意味は何か−根元的に問われる時代に入った−と切実に感じた。
 鈴木氏の報告は、家永氏の学問研究が批判的啓蒙主義の系列にあり、丸山真男・羽仁五郎と並ぶ現代的な潮流にあるとした。教科書裁判における思想・表現の自由を求める国家との対決の意義について、エッセイ風な報告があった。私は学生時代に家永氏の講義「近代憲法思想史」を受講したが、原稿を淡々と読み上げる講義で、学生はひたすらそれを筆記するスタイルであったが、その内容はそのまま翌年に岩波書店から出版されるので、学生は崇敬の眼差しで聴講した経験がある。
 久しぶりにアカデミックな雰囲気で楽しく充実した時間であったが、迫真的な応酬がなく何かリアルな刺激を得るまでにはいかなかった。(2003/4/27 20:05)

[ラップトップを抱えた石器人−ギャンブラーの誤謬について]
 ギャンブラーの誤謬とは何でしょうか? ルーレットで赤、赤と続くと次も赤が出るような気がし、赤、赤、赤、赤だと、次は黒が出るような気がしてくるという誤りを云います。どちらが出るかは過去の出方に無関係に毎回50%なのです。人間が経験する確率的な現象は、数回の経験をもとに因果関係を類推して、この次も似たようなことが起こると考えた方が、進化に適応できたのです。ただしたまに間違えても損失が他人に及ばず、他人の間違いも自分に及ばない小規模なリスクの時代であったからです。
 しかし現代の誤謬ははるかにリスクが大きく、航空機事故やスペースシャトル爆発、原子力発電所事故にみられるように大規模な破壊効果を持つようになりました。驚くべき科学技術の発達を成し遂げてきた人間は、自分の大脳も同じような進化を遂げてきたと錯覚し、巨大事故の原因も機器の不備にあるのだとして改良に取り組めば無くなるだろうと考えました。ところが巨大事故のほとんどは、機械そのものに原因があるのではなく、それを操作している人のヒューマンエラーにあるのです。個人がマニュアルのごく一部を細かく分割して担当し、細分化された工程の自分自身の判断ミスが最終的に集積されて巨大な事故に至るメカニズムが作られてしまったのです。人間の大脳機能は石器時代人の機能のレベルと変わりません。狩猟採集生活をしているアフリカ原住民の子どもを教育すれば、パイロットにも脳外科医にもなれるのです。現代人が快適にコンピュータを操っても、自分で作れる人はほとんどいません。なのに私たちはコンピュータの進歩と同じように自分の大脳が進歩していると錯覚しています。私たち現代人の大脳は、およそ5万年前にできあがった、非常に可塑性に富んだ大脳と同じなのです。この大脳は、一致協力して自然法則を解明し、余りにも急速に高度技術を開発してきた結果、自分の大脳が処理できる情報をはるかに越えた無数の施設を作りだしたのです。以上長谷川眞理子氏のエッセイ参照(朝日新聞4月27日付け朝刊)。

 長谷川氏の主張は鋭く現代科学技術の本質を突いていると思いますが、一つだけ弱点があります。彼女の立論は、科学技術の発展水準と人間の大脳のミスマッチという視点から、人間の謙虚さを推奨するのですが、しかし現代の科学技術を利用しながら政治的・経済的な利益を最大化する社会的なシステムの問題に触れておりません。巨大事故の背景には、単なるヒューマンエラーにとどまらない利益極大化をめざす経営戦略や政治戦略の偏位があり、さらにその底には人間の生命を手段とみなす思想があります。
 例えば米軍の世界最高水準の精密誘導兵器であるトマホークは、ピンポイント爆撃で民間人の被害はないとされていましたが、実際には多くの被害が発生しました。トマホーク自体の能力にも問題がありますが、「戦争という情況では民間人の被害はやむを得ない」とする米国の非人間的な先制攻撃という戦略思想にあります。すなわち科学技術を大量殺戮兵器に応用するという軍事利用システムそのものを、切り替えて平和利用へと転換させる必要があるのです。

 結論的に云うと、科学技術の発展と人類の生存は調和し得ない限界に直面しています。戦争の科学技術が地球を荒廃させ、利潤の科学技術が地球環境を極限まで破壊し、もはや取り返しのつかない最後の瞬間にあるという冷酷な現実を直視すべきです。「・・・・・この恨みに時効はあるの?人はいつか忘れてしまうの?原爆が落とされた日のことを。その翌日歩いたその町を。焼けて流れて爛れて溶けたその町とそこに張り付いた人影を」(野田秀樹「オイル」(『文学界』5月号)。わずか50数年前の痛ましい光景が、イラクで両足を吹き飛ばされた少女の姿に移し替えられ、さらにまた北朝鮮に攻め込もうとするこの時に、忘却はあまりにも早すぎます。わずか50年前に、欧州では「黄色い星」を付けられた人々が強制収容所で最も高度な科学と医療によって地上から抹殺され、さらにまた大量破壊兵器を独占した一極帝国が世界を恫喝しているこの時に、忘却はあまりも早すぎます。
 あの時にも神は沈黙し、姿を現しませんでした。今この時にも姿を見せようとはしていません。残された私たちは、かすかな尊厳を守る射抜く気高い気持を通わせながら、少なくとも歴史の証言者として踏みとどまらなければなりません。(2003/4/27 8:58)

[なぜ尾崎豊は蘇っているか−かれはあたかも現代のイエスのようだ]
 何年か前に尾崎豊を聴いた時の、確か悲劇的な事故死の直後の特集番組であったか、衝撃は忘れ難いものであった。あの時代になぜ尾崎が尾崎であり得たのか? 抑圧を跳ね返す若者のムーブメントが潮が引くように去った後のエアーポケットに彼は登場したのだ。ヘルメットを被り火炎瓶を投げながら抗議した世代が消え去った後に、若者の自由への渇望は出口を封鎖されて、カネが全ての時代に囲まれて服装検査が全盛期を極めた学園から脱出しようとする行き場のない溶岩のようなトラウマが彼を捉えたのだ。秩序からはじき出されてあがいている、自分自身でも掴みがたいもだえに似たマグマが洗い流されるようなカタストロフイーを与えたのだ。
 今宵なぜか再び尾崎豊の特集番組があり、あざやかにかっての彼の姿が蘇ってきた。驚いたことに小学生から70数歳までの人が、リクエストのFAXを送っている。彼らは共通して云う。「もう一度がんばる気持ちが生まれてくる」「勇気が湧いてくる」「自分の気持ちそのままだ」「ありがとう」・・・・あたかもイエスが復活したかのように、今尾崎豊は蘇っている。時代の最中で自分なりの必死さで生きようとしている人にとって、妥協を許さない抵抗と抗議と怒りのほとばしるような彼の訴えは、魂が死んでいくかのような自分の現実を鋭く暴き、「愛」という今は干涸らびてしまった言葉を正面から訴える彼の激情に自らの蘇りを覚えるのだ。
 かって私は、尾崎豊を評して、激情の爆発にとどまって未来への希望がない−としたが、それは間違いではなかったかと思う。「支配からの卒業」とかはそれ自体で完結した自由への渇望のメッセージであり、未来展望を語れないのは彼の限界ではなく、時代の限界であり、それは聴く者に託された課題ではないかと。
 しかし今や抵抗を語り、自由を語り、抑圧からの解放を想うことすら大変なエネルギーを要する時代となった。なんとなく過ぎていけば、それなりに楽な生活に安住し、しんどいことやめんどくさいことは回避する習性が身に付いてしまい、それを疑うことすらできないこころに染まりつつある。でもやはり潜在的にどこかにある人間らしい自由で解放的な、しかも一所懸命に打ち込める目標への望みは絶対に消え去ることのないものだ。ここにこそ尾崎豊が蘇って世代を越えた共感を集めているメンタリテイーがある。
 私が最も好きなのは、デビュー直後の18歳で小さなライブで歌っている彼のひたむきな、まだ自信がなく戦くように歌っている初々しいステージだ。全身に滴る汗を光らせて巨大なステージで歌うのも迫力があるが、やっぱり小さなライブがいい。(2003/4/27 24:40)

[限りなき議論の後に、誰ひとりとして、ヴ・ナロード!と云いい出る者なし]
 誰かに、権威に、古典に、外国に、勢いに、自分の外に依拠して何かを語る時代が過ぎようとしている。明治期に慨嘆した啄木の木霊は今もって残響し続けている。主人が何を云うかに注目してからやっと自分の結論を出そうとする振る舞いは、上向きの時代ではまだしも有効であったが、フロンテイアを切り開くのはやはりリスクを覚悟した個人だ。かって魯迅が忸怩たる想いを込めて、自らの出自たる民族を反省的に告発してから半世紀が過ぎようとしているなかで、歴史は同じような痛苦の経験をまたも繰り返そうとしている。悲惨なことにナロードの姿すらどこかに拡散し、虚しく探し求める現状とはなった。
 無告の民が草の根から、生活の深部から、カオスのなかから、真実の希望を一軒一軒に配達する、気の遠くなるような、地を這うような、しかしシンプルな手紙がいま求められている。かってそれを担った知識人は、もはや開拓者のスプリットを喪失し、力の前での無力を嘆きつつ撤退して雲散霧消していった。いま此処で語られるべきハートを掴むちからを持った「希望」は姿を現していないばかりか、言葉としての「希望」すら垢にまみれてうち捨てられようとしている。「希望」は語義通りに「希な望み」として,寄り添うにはあまりにも稀少な位置しか与えられていないかに見える。
 だが待てよ、真実が姿を現す時に、最初からそれは主流派であったろうか? だが待てよ、希望が姿を現す時に、最初からそれはあたかもすぐに実現するような安っぽいものとして登場しているであろうか? そうではなく、真実は虚偽の渦のなかからきらりと光っては消えそうな危ういものとしてあらわれ、希望は絶望の累積のなかからかすかな意匠を纏ってほのかに姿を現してきたのではなかったか。だからこそ、消えそうな光を、ほのかな意匠を探し求めるところに労苦の意味があったのだ。幸せの青い鳥を求めてさまよい歩いたチルチルミチルは、最後にどこで青い鳥を見つけたのであろうか? 大切なものは目に見えないと知った星の王子さまは、最後にどこで大切なものにであったのであろうか? 全ては告げているではないか−真実は、希望は、あなた自身の傍らに姿を隠して付き添っていることを。(2003/4/26 21:23)

[第2次朝鮮戦争を覚悟しなければならないのか]
 「事態は今、非常に危険な状態にある。米国にとっての外交的手法は、北朝鮮の封じ込めと最終的な崩壊を想定している。北朝鮮の核武装計画が明確になり、米国がそれを拒否するということがはっきりした。時期は分からないが、朝鮮半島での戦争はもはや不可避となりつつある」(米マンスフィールド太平洋問題研究所長ゴードン・フレーク 朝日新聞4月26日朝刊)。最悪の悲観的なシナリオが描かれています。米国政権の中枢を掌握しているネオコンとブッシュ・ドクトリンから導かれる素直な結論は、確かにこうした悲劇的な地獄の東アジアが浮かび上がります。日本政府も、北朝鮮との戦争を前提にして米国のイラク攻撃を支持し、ルビコン河を越えました。私たちはイラクで繰り広げられた両手が吹き飛ばされ、足を失った少年少女の無数の阿鼻叫喚を、自らの体験としてこの目で見る日が近づいています。
 確かに米国の軍事力は北朝鮮を壊滅させるでしょう。同時にその過程で、朝鮮半島と日本列島を含む全面戦争が誘発され、特に北朝鮮に近い韓国の首都ソウルを含む朝鮮半島全てが壊滅するでしょう。「平和」という言葉が、ただ単に「戦争」のない状態ではなく、いま此処にある危機としての「戦争」と対決するリアルな実体概念として登場してきました。防衛庁は全国の自治体から自衛隊の適格者名簿を整備し、すでに動員体制を整えつつあります。

 イラク戦争で全世界で2000万人を超える市民が、同時反戦アクションに立ち上がった背景には、イラクという国自体が地勢的に欧米地域に含まれており、まさにみずからの問題として直感できるリアルな緊迫感があったからです。日本での反戦アクションがそれほど高揚しなかったのは、欧米のような空間的な緊張感がなかったからでもあります。東アジアの危機を直接にみずからの危機として受け止めざるを得ない局面では、日本国内自身が緊張の限界状況に入ります。YESかNOか全ての日本市民が態度表明を迫られ、正邪を判断して自らの生活を賭けた決定を行わざるを得なくなります。
 そしていま大不況と将来不安の充満するなかで、このような混迷する時代を一刀両断する強力なリーダーの出現を求めるマグマのようなトラウマが蠢動しつつあり、首都の知事が驚異的な得票で当選したのもその表れではないでしょうか。カリスマは危機の時代に常人を越えた振る舞いと革命的なメッセージを以て登場し、自己陶酔の高揚感で大衆心理を掴み、反対派に対して容赦ない抑圧を集中します。現代の抑圧の方法では、微笑しつつ真綿で首を締め付けるような洗練されたソフトなものとなっていますから、それを鋭く見抜いて対抗することがより困難となっていますし、市民自身の抗争を組織する巧妙かつ高度な手段によって市民自身の内部の軋轢が誘発され、真に告発される者が誰かを拡散させる構造となっています。

 しかしゴードン・フレーク氏の致命的な欠陥は、歴史の動向を規定している弁証法と歴史の基底にある主体者に対する洞察力を欠き、表層的なパワー・ポリテックスとしてしか歴史をみていない所にあります。ブッシュ・ネオコングループが、軍事戦略の勝利に酔いしれてさらに機械的な先制戦略を駆使するというジャングルの論理は、累々と横たわる無辜の市民や子どもたちの無惨な痛ましい死体の散乱に対する人間的な痛みの感覚が伴わないというところにしか成立しません。ここに私たち市民の決定的な人類的な優位性があり、この惑星で人類が生き延びていき、しかも互いが笑い、共感し、手をつないだ協同のアソシエーションという尊厳に満ちた気高い関係を築いていく資格者が何れであるかを証明しています。

 ただし私は率直に言って悲観的な気持に囚われます。いまホームレスを襲撃して殺害する少年グループが横行し、チマチョゴリを切り裂いて侮蔑するような現状をみていると、危機のなかでこうした現象がますます拡大していくのではと不安になり、それを止めることができない無力な自分にのぞみを失っていくのではないかという恐れです。私の大学時代の知人である徐勝氏(現立命館大学教授)は、韓国独裁政権に抵抗して、激しい拷問に堪えきれずみずから灯油を浴びて自殺を図り、今も顔は醜く焼けただれています。死刑囚として20年間を獄中で送り奇跡の生還を果たしました。このような抵抗はおそらく私にはできないでしょうが、しかし私はそのような行為を一つの希望とすることはできます。そうして市井に生きる普通の市民が、みずからの毎日の生活のなかで、たとえささやかであっても罪に加担しない行為を淡々と積み重ね、それが集積されて大河の流れとなって最後の良き結果を自らの手にする日が必ず来るとも、ある確かな気持を持つこともできるのです。
 楽で平坦な道は、単純な直線の道は、権威の命じるままの服従の道は、おそらく地獄に通じているでしょう。試練が複雑で巨大であればあるほど、試練に晒される者の主体も豊堯となり、歴史もそれだけ厚みを持った手応えのあるものとなるでしょう。いま私の背後で、「もし地球が100人の村であったら」のCDが流れ、世界の命と平和を歌い上げる切々とした歌声が響いています。私は、やはり世界を支え動かしているもう一つの確かなちからを信じることができるのです。(2003/4/26 10:07)

[ジャパニーズ・ネオコン!の跳梁跋扈]
 コロンビア大学の留学生の間で、外国人留学生から日本ネオコンと呼ばれる日本人留学生グループがある。彼らは日本のネオナチとも呼ばれている。その主張の特徴は、@憲法改正・再軍備A戦前のアジア侵略肯定B核武装にあるが、日本外務省の対中・対北朝鮮外交を軟弱と批判し、当面は北朝鮮崩壊をめざしている。彼らは究極的には次のシナリオの何れかを選択する決断に迫られる。@日本の核武装を表明して、北朝鮮の核武装を阻止する米国の戦略を支援する対米追随従来型A北朝鮮の核武装を前提に、日本の核武装を推進し日米同盟によって対抗する対米対等同盟型B当面は米国ネオコンと連携して日米同盟から脱却した自主独立型の何れかだ。この選択は恐らくA→Bへと最終的には進みたいと考えていると推定される。日本国内では拉致問題が絶好のスプリングボードとなって、日本型ネオコンが跋扈しつつあるが、米国留学生グループが将来の日本の国内舞台に参加するようになれば、近い将来日本ネオコンが権力中枢を掌握する恐るべき軍事国家に変貌する可能性がある。
 こうしたグループは、従来は時代錯誤の漫画的で戯画的な狂信グループとして無視され軽蔑されてきたが、いまや公然とメデイアの一角を占め一定の市民権を獲得しつつある。憲法改正や教育基本法改正問題が提起されただけで、戦前型極右の復活として一蹴された時代は、はるか過去のものとなってしまった。大不況の閉塞状況からの脱出のシナリオが明確に描けないまま、鬱積した民衆のトラウマが捌け口を求めてマグマのように蓄積されつつある。最も退嬰的な形態は、社会的最弱者であるホームレス襲撃やチマチョゴリへの攻撃となって発散され、抑圧の垂直的な下層への移譲となって噴出している。残虐で異常な犯罪の多発もその一部だ。あなたの属する集団や組織でも似たような底辺弱者への攻撃という現象はありませんか。まさに1930年代のナチス台頭期の情況が新たな装いを以て日本を覆いつつある。
 こうした雰囲気を示しているのが作家・石田衣良のエッセイである。「僕たちはさらにミサイル開発を加速させなければならない。最優秀の頭脳と潤沢な研究開発費を投じて、より高性能な次世代ミサイルを配備する必要がある。人類を通じて一端開発された軍事テクノロジーが廃棄されたことはかってない。次世代巡航ミサイルは、知性を越えた智恵が欠かせないだろう。戦闘員と一般市民を識別し、軍事施設と赤十字の病院を見分け、作戦会議と結婚式を取り違えない、両腕を失った子供への想像力を、誤った指令には信管を解除できる、批判的で懐疑的な能力を持つミサイル開発を加速させなければならない」。彼は、彼なりの皮肉と諧謔で米軍を批判している積もりだが、何か自分を安全な場所に置いて語っている。軍事力それ自体を否定する平和への希求ではなく、究極のハイテク戦争を宣揚していると−少なくとも受け止められかねない主張だ。究極のハイテク兵器を使用した誤爆のない攻撃であれば、戦争は許されるとも言っいるかのようだ。良心的に解釈すれば、こうした究極兵器は絶対に不可能だから、戦争はおろかだ−と主張しているとも読めるが、それにしても危険な発想ではある。朝日新聞4月25日付け朝刊参照。
 しかし華々しいネオコンの攻勢は、実は自らの足下からゆらいでいることに気づいている。対極では、米軍のイラク侵攻に対して2000万以上の市民が世界同時反戦行動を展開するという、極めてナイーブで健やかな人間的行動が誘発され、人間への希望と尊厳が確かな証しとなって地球をめぐっているからだ。現状では強大な軍事力が一方的に華々しく制覇している情況を目の前にして、一部では無力感と敗北感をいだく層も生まれているが、未来の真の代表者は何れにあるかは余りにも明白だ。暴力によって相手を威嚇する者は、実は自分自身の理性的な説得力に確たる自信を持てない弱さの逆表現に過ぎないと言う決定的な限界を露呈している。(2003/4/25 23:00)

[徴兵制のインフラ整備が着々と進んでいる−日本の若者は大丈夫か?]
 防衛庁が自衛官募集のために、全国794市町村から18歳前後の適齢者の情報提供を求め、うち332市町村は住民基本台帳で閲覧が認められている「住所・氏名・生年月日・性別」の4情報以外の「世帯主・保護者・職業・郵便番号・電話番号」の情報を提供していた。自衛隊石川地方連絡部は、石川県七尾同市在住の13歳−15歳までの適格者名簿を提出させていた。昨年10月10日付けで出された依頼文書は、「適格者名簿の資料の期限が切れている」とし、13歳・14歳・15歳を対象とした3種類の名簿をつくり、それぞれ本人の氏名・住所・保護者名を明記するよう求めている。七尾市が提出した適格者名簿一覧表は、保護者名が空欄となっている人もおり、重要なプライバシー情報がすべて把握できる内容となっている。長野県では「世帯主・職業」、福井県では「特技など」の個人情報が提供されている。さらに集積された個人情報は、自衛隊作成の応募者リストに転記された後、警察に渡され訪問調査によって、志願票に記入された事項の確認と自衛隊法欠格事項の事由の有無、その他隊員として真にふさわしいかどうかに関する調査がおこなわれる。
 防衛庁の重大な違法性は、自治体側が「閲覧以外」の方法で4情報を提供すること自体が、特別な便宜供与に当たり、それ以上の情報提供は完全な違法行為である。保護者欄が空白であったり、性別の明記は性同一性障害者にとってはこの上ない苦痛となる個人情報の暴露である。現行住民基本台帳ネットワーク閲覧自由制度自体が問題として再検討が迫られており、行政機関が保有する個人情報の保護に関する法の限界が露わとなった。提供された情報は電子ファイル化されているが、個人情報のファイルは現行法でも総務大臣への届け出義務があるが、それもなされていない。自衛隊が本来所有していない情報があること自体が脱法となるからだ。自衛隊と防衛庁は、1年齢だけでも120万人に及ぶ膨大な個人情報を集積していることを示した。
 憲法13条を根拠とするプライバシー権は、個人が自己に関する全ての情報を自分がコントロールする権利であり、情報化社会における個人の自由権確保の基礎となる。個人の健康状態や家族関係などのセンシテイブ情報(取り扱いに慎重を要する情報)を国家機関が収集する行為は違法行為であり、しかも軍事目的にのみ使用されるとすればそれは軍事ファッシズム国家ということになる。
 こうした故意による違法行為の背景には、有事法制成立後のシステムがすでに準備されていることを示しているが、より深刻な問題は徴兵制への準備が客観的には着実に実行されつつあることだ。戦前期の徴兵制も最初から強制力を伴っていたわけではない。憲法には兵役の義務が記されていたが、徴兵検査も建前は強制ではないとされていた。真の目的は、どの地域に健康で兵士として使える人間がいるかを調査し、陸軍幼年学校や海軍飛行予科練習生が不足した時に、軍の地域担当者が志願兵を出すために検査がおこなわれたのである。以上軍事評論家林茂氏・右崎正博独協大学教授のコメントを参照。
 防衛庁の戦争システムの構築がどこまで推進されているか−その到達水準からみて、戦後日本は決定的な分岐点を迎えようとしている。さらに重要なことは、自治体の大多数が個人情報を抵抗感なく提出していることであり、およそ市民的な人権について行政が致命的な欠落状態にあるということだ。部分的な救いは、田中長野県知事が直ちに個人情報保護条例の再検討を指示したことだ。生命を産み育てるお母さん方、女性達よ、世の父親よ、手塩にかけて育て上げた自分の息子を武装させるような機会が秘密裏に進められている事態をどう考えますか。父親が深夜遅くまで残業して過労死に至っている裏で、日本国家は着々と戦時システムを構築しているのです。(2003/4/23 19:25)

[米軍は人間のいのちをどのように位置づけているか]
 米軍は自軍の死者と行方不明者の数字は公表しているが、イラク人の死傷者数は調査しないとしている(フランクス中央軍司令官「我々はボデイ・カウント(死体の勘定)はしない」)。つまり敵は人間とは認めないということだ。この傲慢性に抗議した米英の研究者がイラク戦争での民間人犠牲者数を集計するプロジェクト「IRAQ BODY COUNT」というサイトを立ち上げている。その数字は4月19日までに1652人〜1939人であり、その多数は米軍の残虐兵器による子どもや老人・女性であるとしている。その冒頭には、「あまりにあっけなく無視されてしまう暴力の犠牲者達にもみずからの記録がある」と記され、死亡者数の集計が個々の人間を抽象的なデータに貶めないよう警告している。ひるがえって9.11同時多発テロの後に、ニューヨーク・タイムズ紙はテロ犠牲者一人ひとりの家族や仕事、将来設計を紹介して、テロの不当性を訴え、反テロのうねりをつくりだした。今次戦争の犠牲となったイラク民衆は、みずからの生と死の痕跡すら残すことを米軍は拒絶している。
 こうした米軍の人間の生命に対する差別的な感性の背景を、米軍の人種と民族構成からみてみよう。米政府2000年統計によると、米国市民の人種構成は白人75%・黒人12.3%・ヒスパニック12.5%・アジア太平洋系3.7・先住民0.9%である。それに対し、米軍の現役兵の人種構成は、白人64%・黒人20%・ヒスパニック9%・アジア太平洋系4%・先住民1%・その他2%であり、白人の比率が極端に低く黒人の比率が極端に高くなっている。徴兵制を廃止して志願制に転換してから、志願優遇制を求めた貧困層やマイノリテイーが家族の社会保障や大学奨学金を得るために志願していることが分かる。特に中東に派兵された30万近くの兵士の多数が、黒人とヒスパニック系の貧困層で占められている。政治家や富裕層から軍に志願する者はいない。子どもが戦場に行っている上下院議員は1人だけだ。米軍と米政府指導層は、そして米国白人市民層も含めて、戦争に対するリアルな痛みの感性は無くなってしまう軍隊構造が作られている。中東に送られた米国貧困底辺市民が残虐兵器で、イラクの社会的弱者であるこどもと老人・女性を殺しているという悲惨な戦争構造が誘発されたのだ。
 米軍指導層は、ほんとうは自軍の死傷者数すら関心がなく、ただ国内での戦争宣揚の崇高な犠牲者として美化するために発表しているに過ぎない。日露戦争期に与謝野晶子が歌った「君死に給うことなかれ」という戦争の真実が、21世紀の現代においても繰り返されている。

 戦争とは
 破壊をビジネスとする
 ひとにぎりの人がするんだ

 サダムではない ある年寄りが息絶え
 サダムではない ある少女が右足を失い
 サダムではない ある少年が両腕を切断し
 幼子を失ったある悲しむ若い母親に向かって
 戦争とはそういうものだとやさしくなぐさめる

 だからひとにぎりの人ははじめに戦争は正義だと言った
 なぜならそれは
 人を愛する人々の声ではなかったから
 なぜならそれは
 武器を憎む人の声ではなかったから
 なぜならそれは
 産声をあげてこれから生きる子どもの声ではなかったから
 だからはじめに言わなかった
 戦争はそういうものだということを

 破壊をビジネスとする
 ひとにぎりの人はだから初めは正義だと言った
 ひとにぎりの人は思い通りで嬌笑している
 戦争とはそういうものだ

  *てつお氏の詩「戦争とは」を筆者の責任で大幅に改作致しました。(2003/4/20 8:07)

[アメリカに冷たい風が吹いている−テイム・ロビンズ講演から]

 (ハリウッド俳優テイム・ロビンズの代表作は「ショーシャンクの空に」、妻のオスカー女優スーザン・サランドンの最新作は「ムーンライトマイル」で、TV・CMで”イラクは私たちに何をしたというのでしょう”という反戦メッセージを広めた)

アメリカに冷たい風が吹いている−テイム・ロビンズ ワシントン市ナショナル記者クラブでの4月15日講演

 本日は私を記者クラブにお呼びくださってどうもありがとう。この機会を利用して野球とショービジネスについてお話ししましょう。(笑い)9.11以降私はこれが良い機会になって米国が素晴らしい国へと生まれ変われるのでは、と希望をいだきました。この国のリーダーが、今こそ学校や老人ホームや貧民街に行って奉仕活動を始める時だと国民に説き、テロの混乱から新しい調和へと導くと思ったのです。
 ところがブッシュ大統領の最初のメッセージは「世界は我々の敵か味方のどちらかだ。近所で不審な人を見つけたら通報しなさい。愛国心があるなら、景気浮揚のために買いまくりなさい」でした。あれからたった1年半で、民主主義は恐れと憎しみにとってかわり、米国にこころから同情してくれた世界中の国々は、今では米国を信用しなくなり、旧ソ連のような「ゴロツキ国家」だと軽蔑するようになりました。
 私の11歳の甥が、学校の歴史の先生から「スーザン・サランドンは戦争に反対することで、我が米軍兵士を危険にさらしている」と云われ、私の姪は別の先生から「学芸会にサランドン夫妻を連れてこないでくれ」といじめられたそうです。親戚の学校では、戦死した米軍兵士の冥福を祈る集会が中止になりました。その理由は、生徒達が死んだイラク人に対しても祈りたいと希望したからです。別の学校の先生はピースマークを付けたTシャツを着ていたという理由で解雇されました。

 スーザンと私は、マスコミの「裏切り者」リストに載り、「サダムの支援者」と呼ばれています。特に19世紀フォックス社はひどいです。(笑い) 2週間前にスーザンは招待されていた女性会議の参加を拒絶され、先週にあった「野球の殿堂記念パーテイー」で主賓であった私たち夫婦は入城禁止となりました。でも参加を拒否された一番の犠牲者は「言論の自由」だったのです。

 この国に冷たい風が吹いています。ホワイトハウスやマスコミが流しているメッセージは、「もしブッシュ政権に楯突け、ろくなことにはならないぞ」というものです。国中で自由に言いたいことを云う人が、報復におののく時代に入りました。そんな今こそ、私たちは怒りの声をあげるべきです。流れを変えるのはそんなに難しくありません。さきほど話した私の11歳の甥でさえ、恥ずかしがり屋でいつもは黙っているのに、「先生!スーザン・サランドンは僕の叔母さんです。そんなことを言うのはやめてください!」と立ち上がったのです。すると先生は恥じ入って引き下がったそうです。

 この国のジャーナリストも、憲法違反の第2愛国法を止めることができるんです。ハリウッド映画的には「続・愛国法」と呼びますが、私たちはあなたがたジャーナリストがこの「続・愛国法を防げ!」のスター俳優になることを期待しています。ジャーナリストは、「自分たちは政府のお抱え宣伝役ではないぞ!」と主張することができるんです。(拍手喝采) 

 11歳の甥の未来のためにも、多くの迫害と差別の犠牲者のためにも、この国に調和を取り戻そうではありませんか。227年も生き延びてきた「言論の自由」を守るためにも、野球のフェアー・プレーを守るためにもお互いに戦っていきましょう。(拍手喝采)

 *筆者コメント:暴力で他国に民主主義を輸出している国が、自国内では民主主義を抑圧している状況が浮かび上がる。「他国を侵略する国は自らが自由でない」という歴史法則が例外なく作動している。かっての米ソ冷戦期のマッカーシズムによって二百数十名のハリウッド関係者が密告を受け、ハリウッド・テンと呼ばれる映画監督と俳優は密告を拒否してハリウッドから追放された。チャールス・チャップリンは米国を逃れて2度と帰らずスイスで亡くなり、エリア・カザン(「『エデンの東』監督)は裏切って密告しハリウッドの職を守った。あれから50数年後の今どちらが高貴であったという評価を得ているか。追放された人々はすべて名誉を回復され、密告した人々は泥にまみれた。
 自由の女神がそびえ立つ米国ですらこうした歴史の過ちが繰り返されつつある。集団主義文化が強固な日本では、より一層苛烈な真綿で首を絞めるようなプレッシャーがこれから襲うだろう。かってのハードな弾圧ではなく、物言えば唇寒くなるようなソフトな支配が蔓延するだろう。いよいよ戦時国内法である有事法制3法案の審議が始まった。未来世代の教育に責任を持つ者がこの現在の瞬間にどう行動したかを、歴史は確かに記録するに違いない。私たちはチマチョゴリを纏う少女達を襲撃するような若者をつくりだしてはならない。現代のファッシズムは微笑しながらやってくる。(2003/4/20 5:30)

[イラク国立博物館の略奪と死の骨董商人=米国の野蛮な文明観]
 人類が絶対に失ってはならない命より大事な文化遺産がある。そうした世界最古の文化遺産を保存しているのがイラク国立博物館だ。この世界有数の博物館が略奪を受け、世界最古の文明シュメール王朝の王墓遺宝、目には目をで有名なハムラビ法典石碑(レプリカ)、新アッシリア時代の石製碑文と象牙製美術品、世界最古の文字シュメール語やアッカド語、アッシリア語、バビロニア語などの大量の楔形文字粘土板などの全人類の共有財産が消失した。これらの文化財の消失によって、古代国家制度や貿易、社会システム、日常生活の記録はなくなり人類古代史の解明はそのデータを完全に失った。
 イラク考古遺産庁は、西欧の侵略時に略奪されたハムラビ法典(ルーブル博物館)、アッシリア・レリーフ(大英博物館)、イシュタル門(ペルガモン美術館)など数え切れない貴重な遺産の返還を求め、英米の研究者は自国警察と協力して骨董業者の摘発に必死で取り組んでいたその渦中で今回の略奪は起こった。
 こうした文化遺産の略奪の背景には何があるか。経済制裁の下で貧困に喘いでいたイラク民衆の突発的な行為ではあろうが、その背後には国際的な闇市場が存在し、購入に血眼になる先進国骨董収集屋がいる。ユネスコは、こうした文化財の地下ネットワークの横行に対抗して、54年に「武力紛争の際の文化財の保護のための条約(ハーグ条約)」を制定し、70年には「文化財の不法な輸入、輸出及び所有権譲渡の禁止及び防止の手段に関する条約(ユネスコ条約)」を制定し、イラク考古遺産庁はこの条約に基づいた厳しい保護法を規定して流出に最大限の防止政策をとっていた。文化遺産は全人類の共有財産であり、個人や機関の私的嗜好の対象ではありえず、絶対に金銭による売買対象であってはならない。

 にもかかわらず米軍と米国政府はどのように対処したか。米国の骨董品収集家や芸術関係法律家が昨年に結成した「アメリカ文化政策評議会ACCP」は、今年1月にイラク開戦を前にして米国国防総省と国務省と懇談し、フセイン政権後の新政府が文化遺産を輸出できるようにイラク国内法を緩和するように工作を強めた。ACCPのウイリアム・ピールスタインは、イラクの古物法を保護主義的と批判し、「もし戦争が起これば(ACCPは)米国政府が『サダム後の分別のある文化行政』を確立し、古物品に関して厳しいイラクの法律の一部を緩和するよう期待している」(ニューヨークタイムス2月25日付け)と述べた。これに対し、「イラクの古物法がイラクを守っている。業者とつながった一部の米国人グループによる介入は全く無用だし、法律のいかなる変更も極めて重大なものとなるだろう」(米パシフィカ・ラジオ「デモクラシー・ナウ」4月15日)という厳しい批判が起こっている。
 現実には何が起こったか。バグダッド侵攻後48時間略奪が始まり、米軍は石油省と油田のみを略奪から防衛したが、他の場所は「欲しいものは全部持っていけ」と逆に略奪を扇動した。国立博物館の管理人が米軍の介入を依頼したが冷たく無視した。開戦前から米国文化財諮問委員会は、強くブッシュ大統領に文化財の防衛を警告していたが、米政府は「石油の価値は理解できても、文化遺産の価値は理解できない」スタッフしかいなかった。略奪直後のラムズフェルド国防長官の「戦闘状態で略奪は仕方がない。混乱の仲に民主主義がある」という居直り発言を聞いた諮問委員長他の委員は一斉の抗議の辞任をおこなった
 おそらく今頃歴史的に最も貴重な代替のきかないメソポタミア文明の文化財に、米国骨董商人達がハイエナのように群がっているであろう。米国は独裁者を倒すことと引き替えに、「人類文化」に対する最も恥ずべき野蛮な略奪者であることが白日の下に示された。米軍は大量破壊兵器の捜索に熱中するのではなく、全力を挙げて略奪文化財をただちに差し押さえ、イラク国立博物館へ返還しなければならない。驚くべきことに米国政府は、略奪者に免罪して応分のカネを提供するから差し出せ−と呼びかけたそうだ。(20034/19 8:36)

[BBC戦争報道指針−情報への客観主義的接近のモデル]
 [序文] 英国だけでなく世界の視聴者に正確な情報を提供する特別な責務がある。公平な分析・解説、反戦運動を含む多様な意見を放送しなければならない。
 [報道用語] 感情的に飾らず報道する
 [情報源] 情報源を明示する。自分が目撃したのではない場合はそれを明示する。
 [報道の差し控え] 十分な説明が与えられたら報道を一時的に差し控えるが、その判断は我々がおこなう。差し控えの理由がなくなればすみやかに公表しなければならない。
 [犠牲者報道] 近親者が番組で最初に死亡や負傷を知ることがないようにする
 [戦傷報道] 死者や負傷者の映像は慎重に扱う
 [親族インタビュー] 特に細心の注意が求められる
 [戦争捕虜] 捕虜関係者へのインタビューは放送しない。尋問に利用される恐れがあり捕虜の安全に影響する。
 [反戦] 国内外の反対意見を報道に反映し、議論を吟味する
 [大量破壊兵器] 特別な恐怖を呼び起こす兵器が使われた時は、完全な確信がなければならない。

 ジャーナリズムの本質とはなにかを考えさせる。BBC戦争報道指針はフセイン政権崩壊後までバグダッドに記者がとどまった(NHKはサッサと逃げた。どちらも同じ政府の支援を受ける公共放送だ)。BBCの放送指針は、おそらく戦争報道を越えて普遍的な情報発信の原則を示している。想起するのは、M・ウエーバーのあらゆる価値判断を排除したなかに真理があるとする「社会科学の客観的価値中立性」という問題だ。しかしその基底にあるのは、ラスキ・ギデンズ型多元主義的民主主義論であろう。民主主義という価値を共通にしつつもその実践過程の多元性を相互承認し、経験のなかで積み上げて英国型民主主義の質の有効性を見事に示していると思う。ひるがえって米国のメデイアとそれに追随するNHKの底の浅いハリウッド・カウボーイ的報道は、劇場型扇情主義の極地を示している。
 第2は報道テクノロジーの急速な発展(リアルな同時・精細画像の世界発信が可能)に対する、報道リテラシーの間に著しい乖離が生じ、商業主義的な報道競争のなかでモラル・ハザードが誘発されている現状に、鋭い警告を発していると思う。
 第3は敢えて指摘しなければならないのは、客観主義報道原則の原理的な限界についてだ。事実の本質に関する原理的評価を回避して、賛否両論を公平に報道することは、逆に言うと侵略戦争をスマートに擁護する効果をもたらす。今次のイラク戦争が原理的には、米国自身が言うような「インベーダー(侵略)」であるという原点にたった発信を行うかどうかが最も重要な問題だ。つまりジャーナリズムは事実と共に真実を伝えて正確な判断が下せる資料を提供する義務がある。BBCは確かに、、英国軍を「友軍」とは表現せず「英軍」と客観的に呼んでいるが、真実である「侵略軍」の本質を伝える義務があるのだ。
 第4は、客観主義報道原則は、コンシクエンシャリズム(結果主義)に誘導されやすい欠陥がある、結果主義とは「戦争の結果が、戦時中の悪行を帳消しにして有り余りほど良ければ、その戦争は道徳的に正当化される」(M・アムスタッツ『国際倫理』)という主張であり、客観主義報道は現実には事実の連鎖を公平に報道するから、どうしても事実の後を追いかけて追随せざるを得ない欠陥があるからだ。
 結論的にいうと、米国・日本のメデイアの翼賛報道が際だっているが故に、BBC戦争報道指針の中立報道が逆に真実を照らし出す相対的な効果をもたらしたというのが今回の事態だ。しかし戦争ジャーナリズムの歴史にBBC戦争報道指針は偉大な足跡を残したことは事実だ。(2003/4/19 8:00)

[米国ネオ・コンサーバテイブ(新保守主義)に関する新知見−米IPS(インタープレス・サービス)通信ジェームズ・ローブ記者の分析から]

 ブッシュ政権内タカ派は3つの潮流からなる。第1は力の政治の信奉者、強固なナショナリストで一方的行動主義者である共和党右派のラムズフェルド国防長官、チェイニー副大統領であり、第2は元左翼やトロツキストなどの極左で左翼が保守になったので「ネオコン(新保守)と呼ばれる潮流である。ネオコンの多くはユダヤ系で少数派であるが強固なナショナリストだ。彼らは米国型民主主義は世界中に関与する世界的使命を負い、特にイスラエルとの戦略的利益は共通しているとし、国連がイスラエルに批判的であることから反国連の態度をとる。このグループは、ウオルフウイッツ国防副長官、ファイス国防次官、ボルトン国務次官、リビー副大統領首席補佐官、エイブラムズ国家安全保障会議中東担当、パール前国防総省国防政策委員長、ウルジー元CIA長官、クリストル『ウイークリー・スタンダード』編集長などがいる。第3はキリスト教右派で、より孤立主義的、地方主義的で世界的関与を好まないが一方的行動同主義を指向する。ブッシュ大統領上級顧問カール・ローブを中心に大きな影響力をホワイトハウス内に持つ。
 これらの3グループは差異と共通点がある。彼らは”万人は万人に対してオオカミである”という極めて陰鬱なホッブス的世界観に依拠している。トロツキストを源流に持つネオコンは、組織力があり戦術的にも極めて巧みで、時に応じて多様な勢力と同盟関係を結んで延命してきた。レーガン政権内で一時的に主導権を握ろうとしたが、先代ブッシュ大統領時代にはネオコン派は追放されたが再度息を吹き返しつつある。ネオコンが発生したのは1960年代後半で、@第3次中東戦争でのイスラエルの勝利Aベトナム反戦運動B市民権運動を基盤として複雑なグループが形成され、特に第3次中東戦争で従来のホロコースト被害者のユダヤ人に替わる「戦士ユダヤ人」の誕生を契機に大きな誇りを確信した。しかし国連が占領地からの撤退を決議したことを契機に、このグループは国連に幻滅しはじめた。ネオコン派は、ベトナム戦争での米国の撤退を批判し関与の継続を主張するという独特の反戦運動を主張した。ネオコンの源泉は、第2次大戦のホロコーストは米国が関与しなかったことが最大の原因であるとする一方、ナチスドイツを敗北に追い込んだ米国と自己を一致させているところにある。

 記者の分析から米国権力構造の闇の部分が浮かび上がる。極めて単純化した図式では、ユダヤ人の新世代潮流=青年期極左トロツキストが、共和党極右グループと提携しながら、全体として超右派グループを構築して米国権力中枢を掌握していったということになる。これがかっての一定の健康さを持ったフロンテイア精神にあふれたアメリカン・デモクラシーの良心的潮流を駆逐しつつあるという構図である。言い換えれば冷戦期のマッカーシズム型脅迫路線がシオニズムやモンロー主義と結合して、「よき」アメリカン・リベラリズムを制圧しつつあるともいえようか。結論的には、これらの潮流は原理的に民主主義と背理するという本質的な限界から、近い将来には孤立し権力からは去りゆく運命にあり、おそらく歴史は第2次マーッカーシズム期と記録するのではないか。(2003/4/18 1:36)

[マイケル・ムーア(アカデミー賞最優秀ドキュメンタリー賞受賞)からのメッセージ]

 2003年4月7日

 友人の皆さん

 この2,3日にブッシュのイラク植民地化は達成されるだろう。これは途方もない間違いであり、これから何年間にも渉って私たちは代償を支払い続けることになる。これは亡くなった何千人ものイラク人だけでなく、米軍の軍服を着た餓鬼1人の命にも引き合わない。私はこの人達全てに哀悼の意を表し祈りたい。
 いま最も気になるのは、最初からこの戦争を支持しなかった大多数のアメリカ市民が、軍事的勝利を目の前にして沈黙したり、怖じ気づいたりしないだろうかということだ。今こそ今まで以上の平和と真実の声が聞こえなければならない。平和を叫んだことで、職場・学校・町内でしっぺ返しを受けるのではないかと恐れる人もいる。戦争となれば、抗議は正しくなく、兵を支持すべきだということを耳にたこができるほど聞かされてきた。
 2週間前のオスカー授賞式で戦争を批判する演説をぶってから、私の身に何が起こったか。オスカー受賞の発表の時に観衆は総立ちとなり、偉大な瞬間を見た。私はいつまでも忘れない。私たちアメリカ人が、希にみる暴力的な国民で、大量に隠し持った銃で互いを殺し合い、世界中に銃を突きつけていると告発する映画が、総立ちで歓呼の嵐に包まれた。ブッシュが架空の恐怖で国民を脅し、やるがままに野心を達成していることを暴露する映画に拍手喝采を送ったのだ。アメリカ政府は、制裁と爆撃でこの10年間でイラクの子ども50万人の死をもたらしたと抗議する映画に支持を表明したのだ。私は是非ともスピーチで応えなければならないと決心した。私は壇上から次のように発言した。

−「ノンフィクションを愛するのも、嘘偽りの時代を生きているからなのです。嘘偽りの選挙結果で、嘘偽りの大統領を戴く時代に私たちは生きているのです。たった今嘘偽りの理由で嘘偽りの戦争を推進しているのです。ブッシュ!ダクトテープの作り話であれ虚偽のオレンジ警報であれ、私たちはこの戦争に反対だ。恥を知れ!ブッシュ!ローマ法王もデキシー・チックスも反対した今となっては、貴様はもうお終いだ」

 発言の途中から観衆から歓声が上がった。バルコニーの連中がすぐブーイングを始めたが、私の支持者達が大歓声でブーイングを黙らせた。私の言葉を遮るために、ステージ監督の「音楽!音楽!」とバンドに叫び、恭しい演奏が始まって私の発言時間はなくなった。翌日から2週間、右翼有識者やラジオの下劣なデイスクジョッキーが私の首を狩ろうと躍起になっている。私は傷ついたか?私を黙らせることは黙らせることはできたか?

 授賞式の翌日から『ボウリング・フォー・コロンバイン』の観客全米動員数は桁外れの73%アップ、全米最長ロングランを記録し、26周連続ランクインとなり、興業収入はドキュメンタリー部門最高記録を300%近くの大差で塗り替えた。私の著作『アホでマヌケなアメリカ人』はニューヨークタイムズのベストセラートップに返り咲き、4度目の前代未聞となった。私のHPのヒット数は日1000万〜2000万でホワイトハウスのヒット数を抜いた。アマゾンコムのオンライン書店ビデオ予約数は最優秀作品賞『シカゴ』を抜いた。

 私たちが毎日のように聞かされているメッセージ−「その気になって政治的発言をすれば、後悔するぞ。傷つき、大抵は経済的に困り、職を失い、雇ってくれなくなる。友人も失い・・・」−こんな脅しに対抗したいから私は皆さんに上のような事実を言った。メデイアが信じさせたいのは、異議の声を沈黙させたいから、「ワア!ムーアがあんな仕打ちを受けるのなら、取るに足りない自分はきっとひどい目に会うだろう」と思わせ、「黙ってろ!」と云いたいのだ。
 今週のグッドニュースは、私もみんなも沈黙せず、同じ考えを分かち合っている何百万人のアメリカ市民と結ばれているという事実だ。インチキ愛国者が煙に巻こうと脅かされることはない。戦争支持率70%という世論調査は、調査対象がイラクに出征した人がいる地域の住民だと云うことを忘れてはならない。彼らは兵を心配し、望んでもいない戦争を支持するように囲い込まれた人たちだ。みんなが無言の帰宅を恐れている。みんなが生きて帰還することを望んでいるし、この人達に手を差し伸べ知るべきことを知っていただかなければならない。

 残念なことにブッシュは満足していない。味を占めてこれからどこでも同じことをするだろう。この戦争の真の目的は、「テキサスの邪魔をするな!お前の物は俺の物だ!」と全世界に宣言することだ。平和とともにあるアメリカを信じる私たち・多数派は黙っている時ではない。声を大きくしよう。連中が骨抜きにしようとも、それでもここは私たちの国だ。

 皆さんとともに
 マイケル・ムーア
         *一部筆者の責任で省略及び改作(2003/4/16 22:05)

 2003年4月14日(テキサス大学主催講演会にて)

 ホワイトハウスには自分のことを神だと思っている奴がいる。我々が憂慮しているのは、大量破壊兵器ではなく大量な乱心による兵器だ。

 付記 テイム・ロビンズ(俳優・監督 代表作『ショーシャンクの空に』)ワシントン講演から

 狂気の戦争熱が横行する米国で1人ひとりの市民が怒り、勇気を出して流れを変えよう。9.11以降ブッシュ大統領が「米国の味方でない者は敵だ」と演説してアフガン空爆を開始して以来、米国内で自由な発言、異論の表明が抑えつけられている。ラジオのトークショーで著名な反戦活動家の殺害が呼びかけられ、イラク市民を含む戦争犠牲者への黙祷を予定していた学内のイベントが理事会によって中止され、ロック歌手に反戦集会での発言を依頼したらコンサート後援企業からの反撃が怖いからと断ってきた−等の事例が全米を覆っている。反戦の意志表示をした妻の女優スーザン・サランドンと自分自身も「国賊」と言われ、13歳の息子も強迫を受けた。こうした空気の中で多くの国民が戦争に反対しながら口を閉ざしている。

[フセイン像引き倒しのメデイアやらせ作戦]
 バグダッドのフィルドス広場にあるフセイン像が引き倒されるシーンが、イラク解放の象徴的な映像として全世界に放映された。最初はイラク人男性がハンマーとロープで倒そうと試みたが失敗し、米海兵隊が戦車を牽引する軍用車輌のクレーンを使って引き倒した。広場にいた歓声を上げる200人ほどの人は殆ど米軍兵士で、イラク人は十数人に過ぎなかった。喜ぶイラク人は、親米イラク人軍事組織「自由イラク軍」のメンバーで、その1人が引き倒しに参加していた。
 現場にはすでに多くの報道陣が詰めかけ、戦車とはしごと米国旗・イラク国旗は事前に用意されていた。フセイン像が引き倒された現場は、前日の8日に米軍戦車の砲撃によってロイター通信記者が殺傷されたパレスチナ・ホテルのすぐ目の前であり、すでに米軍のバグダッド侵攻時に立像引き倒しのシナリオは準備され、用意万端整った上でショーとして演出されたと推定される。引き倒しの直後からバグダッドで恐るべき略奪と秩序の崩壊が始まり、米軍はこれを完全に放置した。独裁者を倒す行為に自主的に参加した民衆が、なぜ病院や博物館の略奪をおこなうだろうか? 6日に米軍輸送機でイラクに入った7000人の「自由イラク軍」が扇動して起こした蜂起が略奪に発展したと考えても不思議ではない。フセイン像に最初に掲げられたのは米国海兵隊員による星条旗であったが、抗議を受けてすぐに引っ込めて旧イラク国旗に急いで取り替えられた。ここに米軍海兵隊のシナリオのチョットした狂いが生じたが、、ここにこそ今次イラク戦争の本質が象徴的に浮き彫りとなって示されている。(2003/4/14 23:40)

[ダグラス・ラミス作「アメリカ兵向けチラシ」−あなたは何問正解ですか?]

1.今までの人類の全ての歴史のなかで、イラクがアメリカ合衆国を侵略した回数は?
2.湾岸戦争に負けてから、イラクが他国を侵略した、侵略しようとした、また侵略すると脅かした回数は?
3.9.11WTC攻撃事件の時に、飛行機に乗っていたイラク人ハイジャッカーの数は?
4.イラクとアルカイダの関係を証明しようとして、パウエル国務長官が最近国連で発表した主要な証拠は?
5.アルカイダとイラクは何十年も協力してきたというパウエルの発言の証拠は?
6.パウエルがイラク政府はナイジェリアでウランを購入しようとしたことがあるということを証明しようとして提出した文書の問題点は?
7.国連査察団がイラク査察時に発見した大量破壊兵器の数は?
8.先制攻撃を国際法の正確な用語では何というか?
9.第2次大戦後に東条英機をはじめとする7人の日本の軍人が裁判で有罪判決を受け、絞首刑になった時の容疑は?
10.ブッシュ大統領が国連管理下の常設国際司法裁判所を設置するための条約の調印を拒絶した理由は?
                                    −2003/4/14 22:41

[もしもわたしが、イラクの民であったなら・・・・]

 もしもわたしが イラクのたみであったなら
 ふつうに生活していたある日
 爆弾が雨あられと降りそそぎ
 病に伏すわたしには なすすべもない

 わたしの息子は 両腕が吹きとび
 娘はあたまが裂け
 わたしは両足がなくなって
 もはや自由には動けない
 わたしの夫はバース党本部の職員で
 おそらくいのちはないだろう
 ぶあつい壁をぶちぬいた デージカッター爆弾で
 崩れ落ちた地下室のなか 夫は生身の身体を埋めてしまった

 わたしはなぜこうした目に会うのだろうか
 わたしは アメリカにイギリスに日本に
 なにか悪いことをしたのだろうか

 聞けば わたしの国は独裁で
 恐怖政治から自由にするという
 よけいなお世話ではないかしら
 わたしの息子 娘になんの責任があるのか
 子どもを殺して なんの自由と解放か

 独裁者フセインは すくなくとも生活は守った
 普通の人に手をかけることはなかった
 医療も教育も中東では心配なかった
 経済制裁で薬を手に入れるのは困ったけれど
 それはアメリカのせいではないか
 独裁者であれば私たちの手で自分で倒したい

 そのむかし 反政府の人を弾圧したと言うが
 政権移行時にはアメリカでもしていたことだ
 イランとの戦争をしかけたのは あなたアメリカではないか
 乗ってしまった私たちも悪かったが
 アメリカの罪はもっと重いのではないか
 クルドの人を殺めたのはみにくい行為だった
 うしろで化学兵器を差し出したのはアメリカではなかったか
 
 投下された劣化ウラン弾で
 いまでも ガン 白血病 無脳症で苦しむこどもたちがいる
 きのうある病院で 髪の抜けた少女が死んだ

 アメリカって いったい何だろう
 インデイアン虐殺からつぎつぎと侵略し
 いまはイスラム系移民を虐待し
 他国のいのちを 虫けらのように扱って恥じない
 史上最強の悪の帝国
 
 さて明日からわたしはどうしよう
 身動きできないこのからだ
 はたしていつまで生きられるか
 亡くなった娘 夫 両腕をなくした息子
 わたしのこころには めくるめく憎しみがよみがえる
 アメリカが運んでくれたという民主主義が
 かたちを変えて わたしの中で芽を吹く気配がある
 この硝煙のかなたから すくすくとそだち
 陽光を浴びて 一直線に伸びていく
 やいばをアメリカに向けよと

 わたしはたしかに生きられる
 死の間際からの奇跡の生還
 復活したわたしは 神の声を聞く
 たとえ このいのち尽きるとも
 その芽はやがて実を結び
 その葉はしげって 大輪の花を咲かせるだろう
 ジハードという名の花を

          −2003/4/13 

*この詩は長壁満子「テロの芽が出て実をつけ大きくなって帰っておいで」(2003/4/11)を筆者の責任で大幅に改作致しました。責任は全て筆者にあります。

[米軍「衝撃と恐怖」作戦の心理学的誤謬] 
 米軍のイラク攻撃における初期の「衝撃と恐怖」作戦の狙いは、初期段階で予想をはるかに越える空爆をおこなって心理的不安から抗戦を放棄させることにあったが、見事に失敗したのはなぜだろうか−心理学的な実験から考える。

 相手を服従させるためには、一定の恐怖を与えることが必要だが、その威嚇のレベルはどの程度が最適か−その効果を調べる実験をおこなった心理学者ジャニスとフェッシュバッハは次のような結論を出した。

◆威嚇効果実験
 被験者を集めて以下の3つのパターンで「歯磨きをするように」言った。
 A「さあ、歯磨きをしよう」(威嚇なし)
 B「虫歯になっちゃうから、チャンと歯を磨こう」(弱い威嚇)
 C「歯磨きしないと歯に穴があいて腐るよ、放っておくとガンになって目が見えなくなるよ、、さあ歯を磨こう」(強い威嚇)

 さてこの説得で最も効果があったのは、ABCどれだと思いますか?(考えてから次を読んでください)

◆CMでは、弱い威嚇が最適?
 実はこの答えは何とBの弱い威嚇だったのです。皆さんの中には「エッ!Cじゃないの!?」という人もいたことでしょう。
 この論文が発表された時に、心理学会は大混乱におちいり、「マジで゙!? 弱い脅しの方がいいの?」「怪しい店とかで『○○したら100万円の罰金』とか書いてあるけど、意味ないの?」等と話していたかも知れません。心理学会の統一的な結論は出ていませんが、ほとんどの実験は「被験者がそのメッセージに興味をいだいている場合は、脅しは弱い方がいい。強すぎる脅しは逆効果だ」ということが示されています。
 強い脅しは、人間の気持ちをシャットアウトします。その結果「聞かない」「従わない」という選択肢があるのです。胃腸薬のCMは、「飲み過ぎて死にそうな人」という強い脅しは出さず、「なんだか胃がもたれて」「二日酔いでつらそう」といった弱いレベルの脅しを使って、「だからリポビタンDを飲もう」と宣伝します。これは育毛剤の宣伝でも同じで、登場する俳優は、丁度いいくらいの短めの髪の人が採用されます。ふさふさのロン毛では脅しにならないし、髪がない人は脅しが強すぎるからです。

◆強すぎる威嚇は意味がない
 本来、人間の行動は内側から生まれてきます。脅しが強すぎると、「外側からの強制」によって、最初のうちはイヤイヤ従っても、いつまでも続くことはありません。「どこ行ってたの? 何で電話しないの?」 こんな言葉は、「あなたは私にすべて話す義務がある。あなたは私の支配下にいるのよ」というメッセージがあり、繰り返されるほど相手はイヤになります。

◆では従わないので怒るというのはどうか?
 相手に逃げ道を用意してあげることがよい場合がある。注意した後に「でも○○してくれたのは嬉しかった・・・」とかお茶を出したり食事をつくってあげてもいいです。後輩を怒る時に、「なんでミスばかりするんだ。このままじゃ困るよ」と言った後に、「・・・まあ、○○君ほどは悪くないけどなあ〜」とか言ってボソッと話す。もしもあなたが誰かを怒りたくなったら、ちょっとした気遣いで逃げ道を用意してあげるといいかも。

◆その忘れられない一言
 誰にだって忘れられない言葉があります。「よくできたね!」「やったね!」「ありがとう」など普通の言葉が、シチュエーションの違いで凄い意味を持つことがあります。つい強い言葉を言ってしまったら、あなたのなかに確実にある、暖かい言葉を一緒に添えてあげましょう。あなたにとっては普通の言葉でも、相手にとっては忘れられない大切な言葉になることもあるのです。 

◆さて「衝撃と恐怖」作戦はなぜ失敗したのでしょうか?
 イラクの民衆にとっては独裁者フセインは憎しみの対象でした。それを倒して民主主義にせよ!と武力で強制した米軍を解放軍として受け入れよ−というのも逆の独裁です。米軍の究極の暴力による強い脅しは、逆に反発を招き従わないのです。いくらいいことであっても、人間は自分自身でそれを実行したいのです。イラクの民衆は、しばらくは米軍に従うでしょうが、そのうち必ず「出ていってほしい!」と言うようになります。米軍は良いことだと思って、命をかけて解放してやったのに何だ!と困惑したり、怒ったりするでしょうが、それは人間の本質を知らないからです。
 動物は明らかに強い脅しに従います。主人に従わなければ殴り、従ったら肉を与えるように、アメとムチの政策が完全に有効です。しかし人間は違います(一部の人に効果がありますが、それはあくまで一時的です)。人間にはプライド・尊厳・誇りがあるのです。今次戦争によって、イラク民衆の人間的本質は泥にまみれました。彼らは、いつの日か復讐の挙に出るでしょう。(2003/4/13 17:43)

[今次イラク戦争は第4次世界大戦の序曲に過ぎない−米国ネオコンサーヴァテイブの地獄の黙示録]
 今次イラク戦争を表層からではなく。透徹した理性でその本質を考究すれば、明らかに21世紀は恐ろしい中世的な野蛮期にバックフラッシュしつつある。今次イラク戦争を主導した米国新保守主義(ネオコン=新帝国主義とも云われる)の世界戦略が、超帝国による世界の垂直統合にあることが明白となりつつある。フセイン政権崩壊宣言後に米国ネオコングループは一斉に中間総括的発言をおこなっている。ネオコンセンターである米国シンクタンク・アメリカンエンタープライズ研究所(AEI)のM・リデイーンは「米国はイラクで軍事史の例外的な1ページを書いたが、それを自殺的な政治的失策で白紙に戻すことはできない。イラン国民は現政権を嫌悪していおり、米国が支持すれば熱中して政権と戦うだろう。カブール、テヘラン、イラクで専制政権を倒す民主主義革命が成功すれば次はシリアだ。それこそが米国の革命的伝統を最も十分に表現する道だ。米国民は戦争好きな国民だ」(カナダ紙ナショナル・ポスト7日付け)と語り、ラムズフェルド国防長官は「米国は今はまだイラクを処罰しているが、シリアをどうするかは今後の行動次第だ」(9日国防総省会見)と云い、ボルトン国務次官は「シリア、イラン、北朝鮮は大量破壊兵器が利益にならないという教訓をイラクから引き出すことを希望する。悪い記録を持っている諸国からの脅威を排除するためにはいかなる手段も考慮する」(9日ローマ)とのべ、チェイニー副大統領は「イラク独裁政権を倒したことによって米国は、テロ全集団に対し米国は戦って勝利する能力と意思があることを示した」(9日ニューオーリンズ)と語った。これらの発言を集約しているのがウルジー元CIA長官であり、「現在の戦争は東西冷戦という第3次世界大戦に続く第4次世界大戦の開始であり、この新大戦はイランの宗教指導者、イラクとシリアのファッシスト、アルカイダのようなイスラム原理主義過激派の3つを敵とした戦争であり、今までの世界大戦よりはるかに長く続くだろう」(9日AEI会議)と将来展望を語っている。本来は共和党極右分派に過ぎなかった米国ネオコンが政権中枢を把握した後の諸発言の基調に、米国を頂点にして垂直的にそそり立つ世界システムを追求する21世紀世界戦略があることが露わとなっている。
 こうした米国の21世紀世界戦略は致命的な欠陥を持っている。なぜなら米国が世界モデルであるという確証はどこにもなく、現時点ではただ単に軍事力が優越してることを示したに過ぎず、動物的な暴力の水準で勝利したに過ぎないからだ。意見や考えが異なる場合の処理システムは国際法と国際連合にあるという不抜の理性の世界システムを真っ向から否定するジャングルの法則に過ぎないが故に、人類史の英知から見れば明らかな二律背反だ。「米国は20世紀の英雄だったか、21世紀の米国は世界の悪玉となった」(オスカル・アリアス・ノーベル平和賞受賞者)「世界中が反米で団結すると思う」(米国女優ジェ−ン・フォンダ)「野蛮時代の響きを持つ超大国の道徳的没落を目の前にしている」(ノーベル文学賞・ギュンターグラス)などの痛烈な批判を見よ。ピカソの「ゲルニカ」を展示しているソフィア王妃美術館はストライキを実施して閉館し、今は正面の壁にゲルニカだけを街に見えるように掲げている。フセインの銅像を倒したバクダッド市民は「フセインを締め上げろ!米国を締め上げろ!ブッシュを締め上げろ!」と叫んだ。
 第2に軍事経済に傾斜する中でしか米国経済の復興がないということを暴露している米国経済の末期症状がある。米国経済の帰趨を決定する中東原油支配を奪還するしか米国経済の復興はないところまで追いつめられている。企業にとっては利潤の極大化が至上課題であり、人間の命は二の次だ。トマホーク巡航ミサイル1発60万$(7200万円)、JDAM(ボーイング統合直接攻撃爆弾)1発18000$(216万円)でありこれまで合計18000発が発射され、米国軍事企業の株は軒並み10%近く急上昇した。チェイニー副大統領はハリバートン社CEO、ラムズフェルド国防長官はゼネラルインスツルメントCEOであり、死の商人のトップが米国政権中枢を担うという米国政治史上最悪の軍産複合体政権である。一方、ソニー・コンピュータ・エンタテイメント(株)は早くも開戦2日後に、米軍のイラク攻撃作戦である「衝撃と恐怖」の「プレイステーション」向けのコンピュータゲームを開発し、米国特許商標局に登録申請した。たった3週間で5000人以上の死者を出したイラク戦争を食い物にしてカネを儲けようとしている。いつの時代にも死の商人はいるが、こどもや家庭を対象に利潤を挙げようとする究極のモラル・ハザードが進んでいる。両腕と右足を吹き飛ばされたイラクの少年少女の目の前でこのゲームを売る頽廃は極まっている。いま全世界でソニー商品に対する不買運動が始まっている。戦争を対象とする商売は、根元的に人間の論理と矛盾し、最終的には破産する。全世界が米国企業の繁栄のために自分のいのちを犠牲にして提供するだろうか。米国軍事企業とソニーは倒産のリスクを背負いながら、儲けに血眼になる致命的な経営戦略のミスを犯した。我が亡き後に来た洪水は我自身をも飲み込むことに気づくだろう。
 第3は米国内反対派の隠然たる潮流がある。共和党内部の伝統的主流派は今は沈黙している国際協調・実務派(スコウクラフト元大統領補佐官・ベーカー元国務長官など)であり、さらに実施的に大統領選に勝利していた民主党とリベラル派であり、民主党リベラル派は「リベラルホーク」と呼ばれるタカ派の「武力による人権実現」路線によって今次戦争を支持しているが、底流にはベトナム帰還兵の挫折体験がある。さらにチョムスキーやムーアなどの反体制的なリベラリズムの潮流が少数ながら存在する。ネオコンの対抗軸になる可能性があるのは、保守派内孤立主義グループの「帝国ではなく共和国の原点に返れ」というモンロー主義以来の孤立主義の伝統であり、それと結合する国際協調派(パウエル国務長官・スコウクラフト・ベーカーなど)である。しかし最も重視すべきは、開戦初頭から反戦運動を展開した米国平和潮流であり、米国の未来は彼らが握っている。イラク占領の混乱と米国経済の内部崩壊が始まれば、孤立主義派と国際協調派が連携して、ネオコンの対抗軸を構築し、近い将来ネオコンは歴史の表舞台から姿を消すだろう。
 第4は「アメリカ国務省日本課」(作家・島田雅彦)と云われるまでに頽落した日本外務省の対米追随にある。この親分にひれ伏す追随論理は必ず北朝鮮攻撃を誘発し、朝鮮半島と日本列島は悲惨な戦場と化し大量の無辜の日本の民が犠牲となる将来が迫っている。「やみくもに国連中心主義を唱えるのは、無邪気で空想的すぎる」(「産経」11日付け社説)として既に国連の存在を否定する世論誘導が始まっているが、「世界内戦が始まった。地球は取り返しのつかない歪んだ状況となった」(「毎日」外信部長11日付け)なかで、逆に日本の悲惨な戦争体験の記憶は火を噴いて蘇り、日本国内も政治的内戦状態となるだろう。その分岐点は有事法制という国家総動員法を許すかどうかにある。

 こうして建国以来の「理想は武力で実現する」という武力中心のリアルなDNAの遺伝子を持つネオコン型21世紀システムに未来はないということが明らかとなったが、それを現実に挫折に追い込むのは誰あろう私たち自身だ。カウンタープランをどのように構築したらいいのか−未来世代に対する根元的な責任として浮上している。(2003/4/12 9:04)

[両腕を吹き飛ばされた少年、右足を吹き飛ばされた少女はこれから孤児としてどのような一生を送るのか?−米軍はなぜジャーナリストを意図的に殺害したのか?]
 イラク内部から戦場の真実を世界に発信していたジャーナリストであるアルジャジーラ・ロイター・スペイン第5チャネルの3人が殺害された。明らかに米英軍のバイオレンスの実態を告発する報道機関を沈黙させる意図があったと推定される。高性能精密誘導兵器のよるピンポイント爆撃、報道陣の拠点ホテルに対する砲撃は記者の支局がある15・17階が狙い撃ちされた。ジャーナリストの本来の使命である真実の報道、現場の証人を肉体的に抹殺することを通して真実を封じ込める最も反民主主義的行為だ。米国報道官は戦争の危険とバグダッドにいるなと警告したと居直りの説明を加え、一言の謝罪もおこなわなかった。
 今次戦争が明白な国際法違反、国連憲章違反である予防先制攻撃であり、加えて攻撃方法が一般市民への無差別殺戮、残虐兵器の使用という点でも明らかな犯罪戦争であるという本質を劇的に証明する行為であった。戦争が始まれば最初の犠牲者は真実であり、次いで良心だと云われるが、情報戦争の側面から見ればバグダッド内部からの報道は、米国にとっては自らの虚妄を赤裸々に暴く赦し難い報道であったのであろう。ジャーナリストは、ジュネーブ条約で戦時保護の対象となる民間人にあたり、明らかにその殺害は戦争犯罪にあたる。
 ロイター通信の記者はなぜ殺されたか? 彼が報道した写真が余りにも残酷であったからだ。その写真はアリ・イスラーム・アバス君(12歳)の両腕を吹き飛ばされた痛ましい写真だ。バグダッド東部デイアラ橋地区の自宅が爆撃にあい、父母兄弟が即死した。母親は妊娠中であった。「自宅の爆撃について覚えているのは、家が崩れ近所の人が救ってくれたこと。両腕が酷いやけどで骨が見えた。医者が出血を止められず切断しました。ねえ、僕の両腕を取り戻す手伝いをしてくれる? お医者さんは僕に2本の腕を付けてくれることができると思う? もし腕が戻らないなら自殺する」「僕の家は貧しい掘っ立て小屋だよ。なぜアメリカは僕の家を爆撃したかったの? いままで大人になったら陸軍士官になりたかたけど、今はお医者さんになりたい。でもどうやったらなれる? ぼくは両腕がないんだよ」悲痛な訴えが続く。米軍司令官は「非戦闘員が戦争で死傷するのは当然だ」とコメントする。もう一枚は同じように米軍の爆撃で右足を吹き飛ばされてベッドに横たわる少女ザイナブ・ハミドちゃん(9歳)の痛ましい写真だ。彼女は父母・兄弟・姉妹を全て失い孤児となった。これらの映像が米軍の怒りを買ったのだ。
 予防先制攻撃という戦争の本質、戦闘過程における無差別攻撃、残虐兵器の使用に至る全ての行為によって、米国は全身から血を滴らせて軍事的に勝利したが、道義的には完全に敗北し人類史の良心からは孤立した。軍事的な勝利も一時的でこれからより一層泥沼状態に陥り、24時間テロと報復の連鎖の中で不安と恐れの中で暮らしていく悲惨な運命をたどるだろう。(2003/4/10 21:55)

[視線の正面衝突を避ける日本]
 日本のオフィスで視線が真正面にぶつからない机の配置が増大している。イトーキが開発した空豆形やコクヨが開発した「く」の字形が発売され売り上げを伸ばしている。個室を好む米国型個人主義の対極にあった日本は、オフィス机は互いが真向かいに直線状に整然と座り、管理職が中央から監視するというパターンであり、しかも管理職席に近いほどランクが高いという中央集権型集団主義文化の象徴的な配置であった。この配置は日本の学校の教室の机の配置がタテ−ヨコ整然と中央に教師が立つ位置関係の延長でもあった。ここにきて周りに個人の空間を設けるが決して集団からは自立しない日本型オフィスが出現してきたのだ。他者との視線が常にぶつかる従来型では集中心が落ち、仕事の効率性がアップしないという経営上の理由からだ。視線は自分が好きな時にオンオフを選ぶというこのオフィスはいかにも日本型集団主義と欧米型個人主義を折衷している。果たしてこれは日本の個人文化が進歩していることを示しているのであろうか。
 聖徳大学・山口創講師の実験では、知らない人との会話でどんな位置関係を選ぶか−という学生100人対象の調査で、10年前は「正面」「90度横」「斜め前」の順であったが、現在は斜め前がトップで正面は2位になったそうだ。山口氏は正面からの視線は攻撃的で、自然に視線をはずせる斜め前が好まれるようになった−と分析し、渋谷目白台教授は変化が激しい現代に適応するために視線を自分で選ぶようになった−と分析する。一方公共の場で他の存在を無視して電車内で化粧したり食事やヘッドフォンや携帯というカプセル型人間も激増している。閉じてもいるが開いてもいる、直に見られたくないが見たくもない、人の気配は感じていたい、係わりたいがわずらわしい−という「あいまいな日本の私」(大江健三郎)が蔓延している。相反する気持に折り合いを付ける手段が視線であり、シングル指向のなかでの甘え関係の維持−といった新しい日本的人間関係が醸成されつつあるのだろうか。
 私はこれらの分析は不十分な表層分析に終わっているのではないかと考える。孤立するのも怖いが公共空間も煩わしい−という感性は実は自己の自立と尊厳から、甘えをいだいたまま「敗北を抱きしめて」(ジョン・ダワー)逃走している退嬰的な現象があるのではないかと思う。私の周りでも他者の視線を、或いは私自身の視線を正面から受け止めて見つめ合う関係は姿を消してしまったかのように見える。そして裏に回ってホンネをもらしたり、他者批評をおこなうという相変わらずの日本的情景が確固としてある。技術と生活の高度は進んだが、基底にある日本型集団主義がかたちを変えて、表面的な衝突を回避する自己中心主義(自己チュウー)と結合しているだけではないのかとも思う。なぜなら電子上のコミュニケーションでは、自己は隠れて公然たる責任を逃れて卑劣な他者攻撃をおこなう野蛮なスタイルが蔓延しているからだ。
 こうした「新しい」日本的人間関係や日本型コミュニケーションから、本当に創造的なオリジナリテイーのあるなにものかが生まれてくるとは思われない。但し一方で救いに似た情景もある。それはイラク反戦ムーブメントの高校生集会で、自己の生活感覚と結びつけた自然で気取らない率直なメッセージを発する高校生を見た時だ。かっての反戦運動集会で、戦時期の軍人が絶叫するような軍事用語で個性のないアジテーションを自己陶酔的に反復する演説を聴いていると、ファッシズムの裏返しのような薄ら寒さを覚えたが、現在の若者にはあのような虚飾はない。たとえ未熟であっても背伸びせず、必死で自分の頭を使って何かを考え発信しようとするけなげさを感じる。結論的に云うと、コミュニケーションの形態は色濃く文化の影響を受けているが、その基調にあるヒューマニズム=人間の尊厳を第一義的な価値として内面化しているかどうかが最も問われていると思う。100万人と雖も我れ行かん−という大言壮語ではなく、内面からほとばしり出る人間の尊厳をかけて孤立しても毅然として述べ切るかどうか−ソクラテスの弁明の感性は依然として未だ日本文化の課題であると思う。

 いまイラク侵略戦争は最終局面に入り、夕刊では両腕を吹き飛ばされた少年の痛々しい姿が映し出されている。自分がこの子だったら−子どもの頃お母さんの帰りが遅いだけで不安になったり、嘘がばれた時のドキドキした気持を思い起こすと、いまイラクの子どもたちは命や家族を失うという絶望の淵に置かれて深いトラウマに侵されている。58年前の日本の子どもたちがまさにそうであったのだ。私たちはもはや忘却してしまったのか。あいまいな微笑の中でカプセル人間となって自分の安全をイラクを犠牲にして維持しようとしているのか。B52や戦車に乗って押しつける民主主義って一体なんだ。強者による傍若無人の横暴なふるまいを黙って見つめて、冷笑している私って一体なんだ。施しは要らない、我々が欲するのはイラクの尊厳だ−と叫ぶイラクの市民をブラウン管で観た後に、巨人−中日戦に熱狂する私って一体なんだ。首都攻防がどうなろうとイラク人はすでにアラブの心において誇り高く勝利している−米国の本当の敗北は占領後にやってくるのだ。イラクでは深い怒りが人の心を支配し、侵略者の無礼な攻撃によって犠牲となったマグマがおそらくこれから火を噴くに違いない。日本は米英に次ぐ第3の敵なのだ。イラクの子どもを殺す銃弾を発射した引き金の一部を日本は握っていたのだ。

 新しい日本的人間関係と日本型コミュニケーションは、こうした本質的な激動に晒されて紙くずのように吹き飛ばされる薄っぺらなものではないだろうか。イラクに行って「人間の楯」となって命を懸ける以前に、いまここ日本で「人間の楯」となるべき無数のテーマがゴロゴロと転がっている日本ではないか。(2003/4/9 20:10)

[日本の若者に希望はあるか]
 日本の若者が直面している客観的状況の幾つかを記す。雇用情勢は、若年失業率10.3%であり若年フリーター「500万人」という不安定雇用が拡大し、高卒就職率は内定率74.4%で過去最悪となった。こうした雇用不安を求職−求人のミスマッチだとか、就職忌避症候群とか若者に責任を転嫁しているのが現在の労働行政である。高校求人がこの10年間で約1/7に激減している責任は市場原理主義を唱道した政府自身ではないか。欧米では若者に対する特別雇用対策を推進しているが、日本政府は自己決定・自己責任といって自らの責務を放擲している。親が倒産・リストラによって収入を絶たれ、結果として学業中断・進学放棄に直面している若者に対し、政府が実施したのは80万人が利用する日本育英会を廃止し新法人をつくることだ。新法人の奨学金事業は年間3万円の保証料を徴収するサラ金と大差ない金貸し業に堕落している。大学院生の教育・研究職返還免除制度も廃止する。欧米では奨学金は給付制が原則であり返還義務がないのに対し、日本の奨学制度は貸与制であり有利子返還が半分を占める。しかも日本の大学学費は先進国で最も高い。
 かって私の学生時代に、早稲田大学で学費値上げ反対闘争が起こり、数ヶ月に渉る全学ストライキで遂に撤回に追い込んだ。その後の全国の大学にこの闘争が波及し、学生の運営参加を求める学園闘争が日本を覆った。当時の学生のエネルギーに比して、現在の学生のムーブメントは弱いのではないか−という声もあるが私はそうはおもわない。3.21全国高校生平和集会に集まった高校生の姿を見ていると、ここにこそ日本の未来があると信じることができる。若者の希望を奪おうとしているのは誰か−それが明確に意識に上った時に若者は確かに動き始めるだろう。(2003/4/8 20:26)

[NHKは翼賛放送局に堕し、もはやジャーナリズムではない]
 NHK・TVは放送法の原則を逸脱した政府広報放送に成り下がった。9.11以降NHK・ニュース全体が米国政府見解に日本政府の情報をプラスするという米国政府の広報番組になっている。NHK記者はバグダッドには1人も駐在せず、米中央軍司令部とヨルダン特派員のみの現地レポートで構成されている。軍部の軍事解説を垂れ流し、空爆を受けている子どもたちや女性へを中心とする民間人被害への想像力が決定的に欠けている。放送法の「公正で客観的・多角的報道」という原則を完全に逸脱している。世界的な反戦ムーブメントの報道も無視している。第2にジャーナリズムは断片的な事実を総合した対象の本質を鋭くえぐる責任があるが、総合TV番組は無意味な米軍兵器の解説や戦況の推移をゲームのように伝えているだけだ。第3に「公共性」の基本は権力への監視機能にあるが、復興や戦争という米国政府用語を無前提に伝え、治安維持のための政府広報番組に堕している。NHK情報は完全に米英軍に事前統制と検閲を受けた内容であるにも係わらず、その規制措置については完全に黙殺している。この点は朝日新聞報道のほうが未だ誠実である。NHK記者が無自覚に「作戦に支障が出る」「私たちの部隊は○○へ向かう」とかまるで自軍の従軍記者であるかのようだ。
 BBCは自国英軍も「侵略部隊」と表現して報道の独立性を保持し、米国議会放送局Cspanは欧州やイラクの報道を積極的に紹介し徹底した議論を展開している。NHKはもはや公共放送ではなく、政府直営の私営放送に成り下がっている。これに対しTV朝日・TBS・日テレはまだ多様な視点を提供し特に筑紫哲哉番組は基本的に批判的立場を堅持している。スポンサーに遠慮しなければならない民放の方がジャーナリズムの原点を堅持しようとしている。迫り来る有事法制や北朝鮮問題でのNHK放送へに対する国民の逆監視が求められる。
 いま日本は決定的な現代史の分岐点にある。最も親日的であったイラクは、日本を「米英に次ぐ第3の敵だ」と非難している。中東では日本は出遅れた帝国主義国家として、英・仏が蹂躙した後で侵略の余地なく結果的に侵略国であることを免れてきたのだ。アジア最大のイスラム国家であるインドネシアを敵に回すこととなった日本は、これからアジアの孤児としての道をみすぼらしく進んでいく。「力の強いものが弱いものの上に立つジャングルの法則がよみがえり、世界で豪腕を振るっているものに対し、彼らの行為に感嘆していないことを気づかせる必要がある」(メガワテイー・インドネシア大統領 7日イスラム女性会議演説)。こうした情報は決してNHKTVには登場しない。(2003/4/8 19:57)

[イラク反戦は挫折したのか!?]
 米軍がバグダッド中枢部の大統領宮殿を占拠したという映像が流されている。いよいよ戦局は侵略の最終段階に入ったようだ。3月20日以降全世界で展開された反戦ムーブメントは何らの成果も上げなかったように見える。反戦デモの参加数も下降し、参加者も何か虚しさを感じるという声もある。確かに米軍は圧倒的な軍事力ではイラクを一蹴し極めて短期間でイラク占領過程に入りつつあると云える。しかし米国はモラリテイーにおいて勝利したか?国際法において正義の徒であったか? そのような次元において明らかに米国は敗者であり戦争犯罪者であることを全世界は知ってしまった。ヤクザかマフィアの論理で世界を制覇する野望を持つ国家テロリストであることを露呈した。本日の夕刊では、米国高官が戦争の大義であった「大量破壊兵器の廃棄」ではなく「政権打倒」にあることを最終的に公言した。米国政府の戦争目的は、「対テロ戦争」→「大量破壊兵器廃棄」→「独裁者フセイン殺害」→「イラクの支配権獲得」と次々と戦況の中で変化した。つまり最終目的は米国支配にあったのだ。民主主義実現と云うが、かって米国は非民主的軍事独裁政権を支援し(キューバ・バチスタ政権、ニカラグア・ソモサ政権、ハイチ・ドウバリエ政権)、逆に民主政権を転覆した(1953年イラン、1954年グアテマラ、1973年チリ)。米国政府は軍事的には勝利したが、政治的・道義的には敗北しているのである。
 私は全世界の平和を求める人々は、この一点において米国は歴史的には敗者であることを証言する資格者であると信じることができる。私の学生時代にベトナム侵略戦争があり、トンキン湾事件後の北爆開始によって衝撃を受けて反戦運動に参加していった若き体験を想起する。その時の私の心情は反侵略であり、また北ベトナム擁護サイドで反米軍であり、必ずしも反戦=非戦ではなかった。当時反米救国戦争の英雄としてホーチミン政権を我が英雄と崇敬した。そうして戦争の犠牲となる無辜の民衆の悲劇やゲリラの死を崇高な犠牲として美化し、私もその一端に連なりたいと思った。戦争の過程で命を散らした幼子に対する想像力はそれほど直裁ではなく、やはり理念から侵略戦争に反対した。だからベ平連という団体の、単純な戦争反対論を軽蔑し、解放戦争=正義の戦争として解放戦線の英雄的な戦いを賛美した。ベトナム戦争後のいわゆる傷跡文学といわれる戦争文学を読み、そこに生きていた1人1人のかけがえのないベトナム青年の苦悩とトラウマとを知って、私の認識の甘さを知った。
 今次イラク戦争への想像力は私の生きてきた或る経験が重なってベトナム戦争時とはいささか異なる。確かに抵抗者が独裁か社会主義かの差異があるとしても、泣き叫ぶおさなごの声を耳にするだけで戦争の恐ろしさを少しは身に引き受けて感じるようになっている。そうしてベトナム戦争とは異なって、短期間に侵略軍の勝利に終わりつつあることも却って私を複雑な心境に追い込む。21世紀がこんな無惨な世紀になってしまったのか?という虚無的な意識に襲われないと云ったら嘘になる。イラク民衆は自国の独裁者が去った後に、少しスマートなかたちの別の外国人独裁を体験することになる。全世界もその独裁の下にひれ伏すことを考えると、私の胸は暗然たるものがある。
 私たちは単なる歴史の証言者でしかなかったのか。そうではない。そこに大きな変化があると思う。第1次大戦の戦死者の95%は軍人で5%が非戦闘員であった。第2次大戦では、軍人の死者は52%(日本は28%)で非戦闘員の死者が48%となり、朝鮮戦争では軍人死者15%で非戦闘員死者85%、ベトナム戦争では軍人死者5%で非戦闘員死者が95%となり、今次イラク戦争では非戦闘員が100%に近い数字になっている。ユニセフによると、過去10年間に亡くなった子供は世界で200万人、障害を負った子供は4−500万人、1200万人の子供が住む家を失っている。戦争兵器の高度化によって軍人よりも圧倒的に民間人=子供が犠牲となることが明白になった。もはや戦争による解決は人類に対する犯罪=人道に対する罪であり、正義の戦争という概念自体が有効性を失ったことを証明している。
 にもかかわらず私たちは戦争をストップさせることができなかった。しかし本当にそうか。ベトナム撤退の時にその契機となったダニエル・エルスバーグのペンタゴン秘密報告書の暴露は、彼が反戦デモのうねりをみて煩悶し内部告発を決意したからだ。おそらく今次イラク戦争においても間違いなくブッシュ政権内部からの告発が始まり、内部崩壊が誘発されるだろう。いま全世界で反戦行動に立ち上がった人たちの力は、必ず米国の軍事的勝利を戦後の政治的な敗北に追い込むだろう。それはおそらく莫大な軍事費の支出に絶えられない米国経済の破綻からはじまるだろう。
 こうした戦争責任論を考える時に想起するのが、高名な政治学者丸山真男氏による戦前期共産党の戦争責任論だ。丸山氏は日本帝国主義の侵略を阻止できなかった共産党の責任を問う。丸山氏の名声が余りにも高かったために、この主張の漫画チックな論理はそれほど批判されていない。時代の歴史的な配置や力関係を欠落させた非歴史的・没主体的な傍観的な戦争責任論はおよそ社会科学者のものとは思われない。「ある趨勢の究極的な勝利が、なぜその進行を抑制しようとする努力が無力であることの証拠とみなされなければならないのか。変化の速度をおとしめたというまさにその点で評価され得ないのか。変化の速度は、変化の方向そのものに劣らず重要である」(カール・ポラニー『大転換』1944年)−ここにこそ歴史に対する真の批判がある。勝利か敗北かという二元論で短絡的に裁断するのではなく、たとえ敗北を通しても従来の限界を超えようとした貴重な遺産が残されていることの方が本当に大事だ。こうした点から見れば明らかに今次イラク戦争反対の世界的なムーブメントは、これからの侵略戦争に対する大きな阻止の力となったことは確かではないか。(2003/4/7 20:34)

[中国では反戦デモが一切おこなわれていないのはなぜか]
 中国ではなぜ反戦デモが一切おこなわれていないのか?その事実経過を示す情報から考えてみたい。李寧・童小渓両氏は3月25日北京市公安局治安管理総隊に行き、デモ行進の申請をおこなった。行進進路・参加人数・時間などを記し申請は受理されたが、翌々日呼び出しがあり撤回を要請された。理由は予想し難い事態が発生するということであったが、基本的人権であり周到な準備をする都説明した所、更に翌日になって正式の許可文書を交付されたが、参加人数・場所・時間に大幅な制限が加えられていたので、実質的な却下だと判断して止めようと考えたが、10数年来の初めての自発的なデモなので許可文書を受け取った。それから多様な広報活動をおこなったが、反戦声明のEメールはサーバーにとどまり受け取った人は皆無であり、サイト上では削除され、IPアドレスも使用不能の状態になり、大学掲示板に張り出した所北京医薬科大学・北京工業大学では警備室に連行され尋問を受けポスターは撤去された。デモ前日に再度治安管理局に呼び出され、デモ行進参加者名簿・新聞記者の招待等の不備が指摘された。「中華人民共和国集会・デモ行進に関する法律」による合法性を指摘し論争となった。デモ行進時間の変更と新聞記者の取材を希望しないように要求され、最終的に正常なデモ行進は不可能と判断し中止を判断した。

 中国の表現の自由の現状が浮き彫りとなっている。中国憲法に保障された基本的人権の侵犯ともいえるデモ行進規制が繰り広げられている。表面的には社会秩序維持のための行動規制という形態をとっているが、その本質は表現の自由の抑制につながっている。市場型社会主義における人権保障は未だ以て途上国レベルにあることが分かる。中国における民主主義の到達水準は、開発独裁型社会主義の枠内に封じ込められている。米国多国籍企業による開発経済の道を突き進む中国の政治社会の課題が明白に露呈されている。しかし5・4運動以来の歴史的な中国民主主義の流れを押しとどめることはできないだろう。(2003/4/6/ 15:11)

[芸能人の反戦・平和商法について]
 米英軍のイラク攻撃に対する芸能人の反戦メッセージ活動が活発になっている。日本の芸能史上かってなかった動きであり、一部週刊誌は芸能マスコミに踊らされた人気取りの偽善者だと決めつける非難もある。どうなのか。彼らのメッセージを見てみよう。

●矢井田瞳(歌手)「誰かに愛されているはずの人が、誰かの愛する人の血を流すのは紛れもない事実だろう? 地球規模で考えてもっとできることはないか。戦争反対」
●草野正宗(スピッツ・ボーカル)「ドラえもんのジャイアンの腕力とスネ夫の経済力を兼ね備えたいじめっ子が非力なのび太を潰そうとしている。誤爆によるイラク民間人の被害をできるだけつまびらかに報道してほしい」 
●坂本龍一(音楽家)「いかなる戦争にも反対。非戦を」(詳細はHPを)
●和田唱(トライセラトップス)「いまアメリカをはじめ、世界がおかしい。今でも素晴らしい心を持っているっていうのが俺には救いだよ。でもブッシュはバチがあたるべきだ。何が正しいか、俺たち日本人はもっと強くなろうね」
●TAKURO(GLAY)「誰にも奪えないものがある。未来に対する希望が僕の中に小さく生まれました」(詳細はHPで)
●MISIA「戦争はいつだって・・・悲しみを残します。戦争の中に絶対的な正義はない。戦争は平和への近道ではない。どうか世界平和を!戦争のない世界を!」
●忌野清志郎「この国の政治家はこの素晴らしい憲法をどう理解しているのか。日本は戦争が好きな国に追従ばかりしていないで、自分の意見を世界に対して言えるようになってほしい」
●藤原紀香「蛮行を私たちは黙ってみているしかないのでしょうか?この戦争によって何の罪もない民衆の人々の多くの命が失われようとしています。日本もこの虐殺に加担するようになるなんて。生きる権利を奪う戦争を繰り返してはいけない。STOP THE WAR!」

 芸術と殺人・暴力は二律背反の絶対的な関係にあるから、かれらがこうした反戦のメッセージを挙げることは芸術に100%忠実であろうとする、内面から吹き上げる自然な行為である。戦争を賛美する芸術活動がいかに薄汚れたゴミのような作品を生んだかは、第2次大戦に協力した芸術家の活動で余りにも無惨な例証を示した。なぜなら芸術は人間の生命活動の最高の形態であり、戦争はその生命自体を抹殺する反人間的・反芸術活動であるからだ。
 しかし戦争の最中にあって反戦の側に組みすることは、実は芸術家にとっては自己のステージを抹殺される政治的なリスクを覚悟しなければならない。かっての冷戦期にマッカーシズムの犠牲となった二百数十名の映画人はハリウッドを追放された。いまイラク戦争に反対する先頭を切った俳優マーチン・シーンに映画会社の攻撃が集中し仕事を奪われつつある。但し歴史の審判はどう下ったか。ハリウッドの反戦映画人は名誉回復され、戦争協力の芸術家は慚愧の涙を流した。日本の芸能人の反戦活動を揶揄する週刊文春などの言説はジャーナリズムの原点を完全に見失ったイエローペ−パーに堕落していることに気がつかない。(2003/4/6 10:19)

[日本の青年男性の殺人率は世界最低の意味は?]
 WHO世界保健機関の99年データによれば、日本の殺人被害者は10万人当たり0.6人で世界最低で米国の1/10だ。殺人者出現率は02年で10万人当たり1.1人でこれも世界で最低だ。日本の殺人者率は3〜4人を前後していたから急速に低下していることになる。1950年代から急減し90年代にほぼ1人となった。この急減を支えたのが戦後生まれの若者だ。本来若者((特に男性(は20代前半が最も血気盛んでつまらない理由から殺人を犯す率が最も高い。55年代は20歳前半が23人となっていた。40年間でほぼ1/10に激減している。それに対して中高年の殺人者数は横ばいで50歳代が最も高い。若者の殺人者率の山が亡くなった国は日本だけだ。02年版犯罪白書では暴行・傷害・強姦などの凶悪犯罪率も若者では激減している。
 なぜか? 説明T:終身雇用・高学歴化・平等社会の実現で若者のリスク評価基準が変わった。20歳代でバカなことをして一生を台無しにしたくない。若者は自らの尊厳をかけて生き抜こうとするなかで殺人をも覚悟するというのが進化生物学の考察だ。説明U:戦争と殺人件数は正比例する。暴力合法化モデル(デーン・アーチャーカリフォルニア大教授)は、戦争の前後5年間のデータから戦争参加国は殺人者率が跳ね上がる。ベトナム戦争中米国の殺人者率は戦前より42%上昇した。日本は戦後60年戦争をせず徴兵制もなかった。説明V:エネルギー衰弱説。日本の若者の生きるエネルギー、危険に近づく男性的エネルギー、変革のエネルギー自体が衰弱している。東大医学部で教育改善を求める嘆願書を持ってきた学生に、嘆願とは何だ!もっと堂々としたらどうだ!ときつく云ったら、学生はヘナヘナと失神してしまった。男性は暴力肯定の軍人モデルで大人になったが、敗戦後それを否定した後何も建設的なモデルが提起されなかった。以上朝日新聞4月4,5日付け夕刊参照。
 率直に言って私は説明Vモデルに共感を感じる。それは第一義的には若者の責任ではない。競争の圧力を常に与えて幼少年期にすでにアキラメと未来への期待可能性を奪ってきたシステム、特に内申制学校教育にある。内発的な発達可能性に重心を置かない、常に教師と周りの評価を気にしなければならない態度を強制してきた教育システムにある。攻撃は真なる敵へと向かわず、仲間への攻撃(イジメ)と自己への攻撃(引きこもり・不登校)という秩序維持型退嬰講堂をとらざるを得なくさせている。純粋・正義とか云う言葉はもはや若者世界では死語となった。米国アカデミー賞授賞式で「ブッシュよ恥を知れ」とスピーチした映画監督のような人物は日本では出現しない。日本では反ブッシュ派もヒトの良さそうな顔をしながら、互いに傷つけないように恐る恐る反戦を訴えている。
 私は、この事実の二重性を正確に評価する必要があると思う。それは平和の理念が生活感覚のレベルで浸透しつつあるというプラスの面であり、どのような形態をとろうと平和的な社会への道程を歩んでいるということである。しかし他面から見れば、引きこもり・不登校・イジメという内向的な被抑圧者の内部転化の論理を伴っているとすれば、未来は危うい。現に進行しつつある悲劇的な戦争への想像力が衰弱し反省への若者の参加が少ないとすればむしろ危機のシナリオが進んでいるとも云える。尊厳の放棄によって実現している奴隷の平和はもはや平和ではなく隷属−精神的隷属という究極の疎外状況を示している。(2003/4/5 19:26)

[帝国の終焉]
 日本語の「国家」は中国からの伝来で聖徳太子の17条憲法(604年)には「國家自治」という言葉が登場する。日本の国家は天皇制と結んだ「イエ」という家族的紐帯を「クニ」という郷土愛に拡大する同心円的な国家観が強い。典型的な例が「国家というのは、自然的な共同体として発生し、契約国家ではなく、勝っても国家負けても国家である。栄光と汚辱を一緒に浴びるのが国民であり、汚辱を捨て栄光を求めて進むのが国家であり国民の姿である」(中曽根康弘 1985年自民党サマーセミナー)である。
 しかし今日の国家は西欧近代に発する国民国家Nation stateであり近代社会契約説を基礎とする国家組織stateである。アダム・スミスは国民の自由な経済秩序を維持する夜警国家を主張し、ヘーゲル(独)は「倫理的理念の現実態」としマルクスは「社会の人為的な強力である幻想共同体」とした。20世紀の普通選挙権から国家機能が拡大し、レーニンは「階級支配の道具」と単純化し、ウエーバーは「一定の領域内で正当な物理的暴力行使の独占を実効的に要求する人間共同体」として暴力と正当性を統合した。デユルケム(仏)は「社会的分業の発展による機能分化の統合」機能に着目し、ラスキ(英)は市民社会の自発的集団形成の一段階とする多元的国家を主張し、グラムシ(伊)は「政治社会と市民社会の強制の鎧を付けたヘゲモニー」という合意調達能力に注目した。
 国家の基礎は権力であり、権力実体説(軍備・富)から権力関係説(権力行使の相互関係)を経て、正統的暴力の独占体としての国家からネットワーク権力論(医者と患者や教師と学生などの規律・訓練権力、男女の性差ジェンダー)が登場してきた。国家の3要素は領土・国民・主権である−というのは古典的国民国家論となった。現代国家論は3つの課題に直面している。
 第1は、資本主義と国家関係である。自由主義的夜警国家論はすべてを見えざる手にゆだね、国家は度量衡制定・治安維持・対外防衛に専念する小さな政府を理想とした。この理念は莫大な海外植民地か広大な国内フロンテイアの存在を前提とする先発国(英米)には該当するが、近代日本などの軍事力で全国市場と工業力を創出する「開発(独裁)国家」には適用されない。20世紀以降国家と経済が結合する国家独占資本主義が成立すると、国家力はGNPで計測され、それに社会主義システムとの冷戦構造が接ぎ木されて国家の役割は急増した。市場から市民生活まで活動領域が拡がり労働条件や福祉政策などを重視する北欧型「福祉国家」や、日本やアジアの「経済成長国家」が出現した。戦後日本は米国政治学の圧倒的な影響の下で、行動科学や多元主義の機能主義的政治過程論が主流となったが、1970年代以降米国の衰弱の中でふたたび国家論が復権された。多様な国家論が展開され、比較政治学・政治過程論からコーポラテイズム論・開発独裁論比較民主主義論・政治経済学・新制度主義論・公共政策論まで多岐に渡っている。
 第2の課題は世界市場の拡大に伴うステイトとネーションギャップである。かっては共通の言語(国語)や文化を基礎とする民族が人口数千人規模の近代国家を形成したが、第2次大戦後複雑なモザイク国家が多数となり、ネーションとはステイトが創造したフィクションでは亡いかという疑問が生まれてきた。国家形成が先行して国民形成ができない新興国家やエスニシテイー論の発展によって、ネイションは想像の共同体(B・アンダーソン)だという考えが定説となった。国家は、建国神話・国旗・国家・国語・貨幣・切手・記念碑・元号・暦・叙勲・公教育・軍隊・福祉などさまざまの形態でナショナラズムを喚起し、五輪やW杯による愛国心的一体化を構築しようとするが必ずしもうまくゆかない。
 第3の課題はグローバリゼーションと国家の関係である。市場経済が世界を覆い、多国籍企業と国際組織(IMF・世界銀行・WTO)や地域国家連合(EU・APEC)など新たな形態が登場し、移民・難民・外国人労働者などのヒトの移動やモノ・カネの移動が自由となり、TVや電子機器による情報の直接交流も進んだ。NGO・NPOなど市民組織もグローバルに拡大し、国際=国内というリンク状態となった。冷戦型軍拡競争による核戦争の危機とGNP至上主義による地球環境危機は国家を越えたグローバルガバナンスを緊急の要請としている。他方では中央集権から参加の機会を奪還しようとする地域分権・自治・直接参加が拡大しローカルな自立と文理の動きも強まっている。国家の絶対性と主権的地位がゆらいでいる。以上加藤哲郎「国家論」(『アエラムック』朝日新聞社2003年)参照。

 こうした21世紀初頭の新しい問題群の集積を突破する世界システムは未だ登場せず手探り状態にあり、ここに21世紀の地球システムをめぐる模索のエアポケットが生じた時に、対立・矛盾する敵対勢力が一方的な暴力型対決形態を採用した。その象徴が9.11同時多発テロリズムであり、それに直線的に反応する覇権国家米国の先制攻撃戦略である。圧倒的な経済力と軍事力を独占する米国は、21世紀問題群を一気に強制暴力で一刀両断し、自らの文明を世界化する単純にし衝撃と恐怖に満ちた戦略を展開しようとしているのが現段階の主要な特徴である。しかしこの試みは失敗の必然性がある。なぜならグローバリゼーションは水平的なネットワークを構築し、他方で推進される多文化共生システムの形成が一極帝国の垂直的な暴力支配と本質的に両立しないからである。いま米国は19世紀的な新自由主義の亡霊を権力化する新保守主義という黄昏の道を歩んでいるにすぎない。(2003/4/5 16:58)

[史上最悪の凶悪思想−ネオ・コンサ−ヴァテイブ(新保守主義)とは何か]
 アメリカの帝国戦略の源流は1970年代の石油危機の頃、ジェームズ・アトキンズ(元サウジアラビア大使)の「キッシンジャー・プラン」にあり、ネオ・コンは1997年に設立されたシンクタンク「PFNAC(プロジェクト・フォア・ニュー・アメリカン・センチュリー)アメリカ新世紀プロジェクト」が主導してきた。発起人メンバーはチエィニー副大統領・ラムズフェルド国防長官・アーミテージ国務副長官・ウルフォイッツ国防副長官・パール前国防政策委員会委員長・リビー副大統領補佐官・ボルトン国務次官・ウルジー前CIA長官など現ブッシュ政権の中枢を把握している。彼らのビジョンはソ連崩壊後の全地球的規模にわたる米国一極覇権の確立である。イラク攻撃に次いで、イラン・北朝鮮・リビア・シリア・パレスチナ・サウジアラビアが標的となっているが、イラク攻撃の「衝撃と恐怖」作戦の成功によって、残る諸国を壊滅に追い込む戦略だ。
 彼らの政治的実践の特徴は、第1にパワーを独占する傲慢な威嚇、第2にマキャベリステックな情報欺瞞、第3に市場原理と結合した多国籍企業の代弁、第4に民衆の犠牲に対する無関心にあるようだ。彼らの大義となる標語は、米国型民主主義の世界制覇であるが、その為には暴力を含む強制を主要な戦術とする。ネオコンの代表的イデオローグであるR・けーガンの論文『強さと弱さ』は、現在の米国は旧約聖書に登場する怪物リバイアサンだと断言し、人間理性の進歩による戦争廃絶が可能とするカント永久平和論のような啓蒙主義的発想を切り捨て、人間の自然状態は万人の万人に対する戦争状態で、秩序をもたらすのは理想や対話ではなく、怪物的な権力による畏怖と暴力であるから、国際法や国連に依存する幻想は無効だと主張する。啓蒙的な近代は終わり、恐怖が支配する野蛮時代に入ったのであり、力のみが唯一の勝利者になるとする。PFANCが02年1月に出した「ブッシュドクトリンについての覚書」は3つの基本要素をあげている。
 @米国の敵を全世界で追いつめ、先制的に素早く行動する能動的リーダーシップ
 Aならず者国家=悪の枢軸を非難するだけでなく、体制変革に勝利の真の意味がある
 Bすべての国は自由と法と正義から逃げることはできない。テロ対策だけでなく、米国の政治原則をイスラム世界に拡大するチャンスだ。
 イラク戦争はこの戦略通りに進み、あたかも宗主国が植民地支配をおこなう総督政治に酷似してきた。明らかに「民主化ドミノ」理論によって、イラク・モデルを周辺国に連続的に適用し、中東全体を米国型民主システムに転換させようとしている。イラクは米国による中東全面制圧の序曲に過ぎない。イラク占領によって@油田支配による財源確保A将来の軍事行動のための基地構築B中東全域の制圧という恐るべき帝国のシナリオだ。最終的には米国型自由の武力による世界制圧だ。
 02年9月に決定された「国家安全保障戦略」は、国際法の「攻撃を準備する陸海空軍の目に見える動員」という「差し迫った脅威」の従来の規定を、「テロのような敵対的行動」に変えて「唯一の防衛は敵に対し戦争をおこなうことだ。最良の防衛は適切な攻撃だ」とする先制防衛戦略を策定した。次いで提出された国防報告は「敵性国家の政権転覆」を掲げ、「米国の軍事外交を国連の呪縛から解放する」米国が支える世界秩序構築が不可欠だとした。国連による国際平和秩序は「リベラル派のうぬぼれ知的瓦礫であり、国連が国際秩序の基礎だという幻想は消滅する」と述べ、「有志による連合こそが、新たな世界秩序への最良の希望であり、国連の惨めな失敗による無秩序への真の対案であることを認識すべきだ」と主張している。
 なぜこうしたアナクロニズムが米国の中枢を握ったのであろうか? かってベトナム戦争期にミライ村虐殺事件で、女性や子供500−900人を虐殺した時に米国民の65%はそれを支持した。チェイニーがCEOを勤めるハリバートン社はイラク石油の復興利権を独占契約し、米国小麦アグリビジネスは、沈滞する業界復興の最大のチャンスをねらっている。米国エスタブリッシュを中心とする白人層は、決定的な世界に対する認識の欠陥があり、。広島−長崎への原爆投下は当然だと思う市民意識を基礎に、その最も極右にある層が権力を掌握しているネオ・コンだ。

 バグダッドの病院に24日夜間空襲で被害を受けたナダン君(14歳)とムハメッド君(4歳)の兄弟がベッドに横たわっている。4歳のムハメッド君は自分がなぜここにいるのか理解できない。8歳の兄ザノウがなぜいないのかも分からない。兄はすでに死亡しているのだ。ナダン君は「ブッシュのせいで学校に行けない。僕になんの罪があるというのだ。なんでこんな目に遭うのだ。きっとアラーが復讐してくれる」と痛みで顔を歪めて云う。カメラを見つめて「僕を撮って」・・・腫れ上がった眼の奥から一筋の涙がこぼれ落ちた。以上森住卓レポートより。こうして未来のテロリストが確実に育っていくのをどうして批判できようか。

 ネオ・コンにが主導する先制攻撃戦略ブッシュ・ドクトリンは我が日本を直撃している。対北朝鮮戦略が日本の平和政策を根本から転換させ、日本政府の中に米国最新鋭弾道ミサイル迎撃システム・パトリオットPAC3の導入、攻撃型軽空母導入が検討され始めた。日本も米国型先制攻撃戦略に巻き込まれて戦争への道を確実にたどりはじめた。

 1776年7月4日米国フィラデルフィアで歴史的な独立宣言が発表され、自由の鐘がうち鳴らされた。福沢諭吉はそれを訳して『亜米利加十三州独立の檄文』として、「天の人を生じるは億兆皆同一轍にて、之に付与するに動かすべからざるの通義を以てす。その通義とは人の自ら生命を保し自由を求め幸福を祈るの類にて」として人間の生命・自由・幸福追求権を生まれながらの自然権とする思想を初めて日本に紹介した。これがその後の「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらずと云えり(『学問のススメ』1872年明治5年故郷中津の人たちのために書いた小冊子17編を活字版で出版し総計340万部という驚異的ベストセラーとなった)のルーツとなった。私が最も好きな一節は「理のためにはアフリカの国奴にも恐れ入り、道のためには英米の軍艦をも恐れず、国の恥辱とありては日本国中の人民1人も残らず命を捨てて国の威光を落とさざるこそ一国の自由独立と申すべきなり」という独立自尊のスピリットにある。「一身独立して一国独立す」として人民は政府の家元であって客分ではない。立てと云えば立ち、舞えと云われれば舞う痩せ犬のような人民では外国に対しては独立を保ててない。小泉のように。しかし一方では、「百巻の万国公法は数門の大砲にしかず」と武力を至上化し、「吾輩は権道に従うものなり」とパワーポリテイックスを肯定し「文明男子の目的は銭」と拝金主義者でもあった。福沢がバイブルとした米国独立宣言は致命的な欠陥を持っていた。「人」の範囲には、奴隷・女性・マイノリテイーが含まれず(南部州の反対で原案から削除された)、その後の米国公民権運動の課題として残された。ひょっとしたらこの課題は現代まで残されているのではないか。米国一極帝国はなぜ他国の指導者を暗殺するのか、なぜイスラムを無差別爆撃するのか、米国独立宣言の理想は今もって米国白人の人権宣言ではないのか。シャトル爆発で犠牲となった宇宙飛行士とイラクの路傍で死んでいく子供の命のどこに違いがあるのか。独立宣言の起草者トーマス・ヒェファーソン自身がヴァージニア州の大地主であり、広大な大邸宅の側には働く奴隷小屋があり100人の奴隷を抱えていた。こうした米国現代史の欠陥は同時に福沢の限界でもあり、後期の福沢は日本の覇権的な膨張を支持する「脱亜論」を主張し遅れたアジアを悪友と呼んで軽蔑したのである。福沢が1万円札の顔写真となった時に東アジアの人々は怒り心頭に発したのである。ひょっとしたら福沢の決定的な限界は、現代日本の米国崇拝にも及んでいるのではないか。有名なホーチミン起草のベトナム民主共和国独立宣言は、今やネオ・コンが泥に投げ捨てた米国独立宣言の理念を冒頭に高く掲げてその正当な継承者であることを謳っている。(2003/4/5 10:40)

[阿鼻叫喚の戦さのなかで宮沢賢治・星めぐりの歌を聴く]
 イラクでは食糧が4月末に尽きるそうだ。飢えと爆撃のなかで阿鼻叫喚の地獄絵が繰り広げられいる。新学期の始まりをひかえて桜は満開で少し散り始めている。他国の死を犠牲に自らの安全を保つこの国で、何ごともないかのようにまた新しい入学生を迎える準備が整われる。帰宅してフト宮沢賢治「音の宝石箱」という癒し系のCDを聴き、次いで詩の朗読ライブ・赤木三郎・山本萌を聴いていると、こころが洗い流されるような至福の時間が過ぎていく。α波のたゆたいに身を委ねていると、世の喧噪から解き放たれて原初的な生に帰っていくような豊尭のただなかですべてを忘れて流れゆく詩を聴く。賢治の詩の世界の全てを包み込むような音の旋律に体を預けていると、しみじみと生きてあることの別の世界へといざなわれる。
 そしてイラクでは今この瞬間にトマホーク誘導弾の爆発音が響き渡り、いたいけなこどもがその犠牲となってこの世を去っている。粛然として頭を垂れこの平安と惨劇の恐るべきパラドックスを私はこの小さな6帖の勉強部屋で過ごす。バグダッド20kmに迫っている米軍の姿がTVに映る。。
 
 神は我が傷跡に草の香を漂わせ
 神は我が傷跡に野の花を咲かしむ

 ああ〜このような聖なる静寂と彼の地では爆発の轟音が響き渡る夜に私は時を共有している同時代がある。何ほどのこともできない私が静かな音の世界に身を置いて、彼の地では生死の境界をさまよう無辜の死がゴロゴロと転がっている。私はあまりこうした情緒の舞台で彼の地のことを考えたくはない。それは憐憫と同情のレベルであり、我が事として冷静に怒りを以て対象を捉えることから遠ざかるからだ。怒りを通り越した哀しみという心情世界で自らを免罪しているからだ。

 いよいよ戦局は終焉を迎え、恥ずべき大統領がしたり顔で勝利の宣言をおこなう時が近づいているのだろうか。軍事的に勝利しても、文化は野蛮を許さないだろう。私は文化の側に属したい。私は決して彼を許さないだろう。できれば道連れにしても地獄へともにおちるだろう。歴史の最終審決も無辜の市民の側にあるだろう。(2003/4/4 22:14)

[米軍無差別非人道兵器はイラクの無辜の民衆を虐殺している]
 ピンポイントのスマートな!?戦争とは正反対に,、米軍の残虐兵器はイラクの民間人を虐殺し現時点の発表された数は死者650人以上に達した。残虐兵器の第1はトマホーク巡航ミサイルであり、地形図を記憶し全地球測位システムGPSで位置を測定しながら、頭部のカメラで目標周辺の映像を確認しながら突入する命中誤差10m以内とされる。ところが命中精度の基準は50%が半径10m以内に落ちるという意味で、残りの半数は20−30m逸れるという意味だ。500ポンドクラスの爆弾では半径300mの範囲で危害を及ぼすが、現在使用中の海上発射型トマホークTLMA/Cは重量1000ポンド(454kg)の弾道を搭載し、TLMA*Dは1000ポンドで166個の子爆弾を内蔵し上空で広範囲に拡散する。
 第2は1000ポンド級の新型精密誘導クラスター爆弾CBU105で装甲貫通型収束爆弾だ。CBU87クラスター爆弾は大型の筒に缶ジュース程度の子爆弾202個が詰められ8万平方mに散乱する。着弾後すぐに爆発せず人が触れると爆発する地雷効果を持つものもある。
 第3に劣化ウラン弾は、爆発・燃焼時に拡散するウラン微粒子が人体に入り、ガンや白血病を誘発する。
 第4は大型爆弾デージーカッターBLU82であり、重量6750kgで先端の約1mの信管で爆発本体が地面に触れる前に爆発し、激しい爆発音と共に広範囲の地域を真っ平らに破壊してしまう強力な威力を持つ。
 第5はバンカーバスター爆弾で、コンクリート5−6m、普通の地面は30m地下まで貫通し地中に奥深く突入してから爆発する。
 これらの兵器がじゅうたん爆撃で投下されれば、その主要な犠牲者は、子供・女性・老人などの社会的弱者である。泣き叫ぶ子供の悲鳴が今しも聞こえてくる。米政府は国際戦争犯罪法廷で被告として裁かれ、自らの罪を悔い改めて処刑されなければならない。それにしても日本の首相小泉は、平然として犠牲を少なくしたい−などと微笑しながら云っている。おそらく彼には人の痛みを理解する基礎的な人間的感情が欠落しているのであろう。(2003/4/4 7:54)

[ラモス瑠偉は語る]
 サッカー元日本代表・ラモス瑠偉(46歳)の話はスポーツマンのヒューマニズムに溢れている。「毎日平和を祈っている。ブッシュがどうしても戦いたいのなら、フセインをピラニアがうようよいるアマゾン川に連れて行って、取っ組み合いをすればいい。戦争で傷つくイラクの人々は、W杯めざして競い合ったアジアの仲間なんだから。湾岸戦争後の93年、米国W杯アジア予選で僕らは最終戦で勝てず、W杯を逃したドーハの悲劇の相手がトルコだった。よくまとまっていてしかも速い、集中力も途切れない。イラクを米国に行かせるな−という感じで彼らに不利な判定が多かったけど、決して異議を唱えず、ハートの強い紳士達だった。湾岸戦争さえなかったらW杯に出場したのは彼らだと思う。試合の直後ホテルのエレベータで一緒になった。最高の試合だった。日本は素晴らしいチームだ−あなたたちこそ、片言の英語で讃え合った。僕は一生あの試合を忘れない。そのドーハに今米軍の司令部がある。戦争が終わったら当時のメンバー同士でもう一度試合をしたい。日本は全員そろうだろう。でもイラクは?本当に心配だよ」(朝日新聞4月3日付け夕刊)。

 ペルシャ湾に展開中の米空母キテイホークの乗組員5500名は、プロテスタント・カソリック・イスラム教・ユダヤ教の教徒がそれぞれ独自の祈りの時間を従軍神父や牧師の主催で開催する。さすが多民族国家米国の軍隊だ。「平和を説く基督教徒が爆弾を落としていいのか」と泣きながら乗組員が訴え、牧師は「圧制下の人を救うことは基督教徒の義務だ」と諭す。ここに教会関係者の政治性が見事に表れている。かって欧米は新大陸進出の時に、最初に牧師を派遣して原住民の信仰を変え、次いで植民地にした。ローマ法王が厳然として反戦を訴えているにもかかわらず、末端の教会は戦争に協力している。
 「いつだって世の中の大きな悲しみには、ちっぽけな枝葉がある。極めて個人的な生活がその端を担っている。私は悲劇の中の小さなパーツの一つに過ぎない」(山田詠美『PAY DAY!!!』新潮社)。理不尽なのは戦争そのものよりも、戦争という暴力が自由と民主主義の名によって正当化され、”さあ、これから戦争をやるぞ”という強者の論理を誰も止めることができないと云う無力感だ。以上沼野充義。歴史の悲劇の時にはいつでもだれでも自分の無力を痛感してきた。そんなことはとっくに分かっているはずだ。私は、牧師の説教に罪の意識を和らげ、また無力感で自分の領域に閉じこもることのどちらも許せない。沼野はいまさら”アンガジュマン”(サルトル)を説こうとも思わないといっているが、ここにこそ現代市民派の卑劣さがある。”飢えて死ぬ人にとって、料理の本は何の意味があるか”は永遠の課題だ。自分の狭い専門に閉じこもって小さな成果を上げることも大事だが、いま飢えて死んでいこうとする子どもたちののために自分ができるフルパワーを発揮することのほうが決定的な人間の義務だ。現状は神はまた沈黙している。ひょっとしたら神は永遠に沈黙しているのではないか。

 いま日本ではカワイイということばが無条件に誉め言葉とされ、世界的にも日本語のカワイイという言葉が流行しているそうだ。日本のカワイイは、童顔で未熟な子供がそのままヒーローやヒロインとして活躍するが、子供は成長することが善だとする欧米ではカワイイという言葉がない。弱く、幼いこと自体がプラスと考える価値観は日本独自のものであり、成長や力に価値を置く欧米では否定される。
私は、このカワイイは人間的な問題への考察を回避し、その場をうまくやり過ごすための迎合の言葉でしかないと思う。自分のアイデンテイテイー自体を構築することが怖く、責任をとることが怖く、自立することが怖く、問題を先送りしたり強者に迎合する態度に他ならない。ブッシュに媚びへつらう小泉はまさにカワイイのだ。(2003/4/3 20:05) 

[米国の『平和のための結集』国連総会招集妨害について]
 国連安保理決議377『平和のための結集』は、平和維持の協議が安保理で機能しない場合に国連緊急総会を招集して自体の対応措置を安保理に勧告できるというものであり、冷戦時代にソ連の拒否権発動に対抗して米国が駆使した戦術である。現在全世界の反戦派が377決議による国連緊急総会の開催を求める動きに対して、次のような文書を各国大使に配布して妨害工作を行っている。「アメリカ合衆国は、現在の高揚した雰囲気のもとでイラク問題の協議のために国連総会は事態の打開につながらず、アメリカ合衆国への敵対行為であると捉えている。この問題と貴国の立場はアメリカ合衆国にとって重要なことがらであることを理解されたい」。
 これはまさに外交的な恫喝のヤクザのような言葉ではないか。いまイラクの無辜の市民とこどもの命を救う唯一の方法は、即時停戦と国連主導の武装解除路線への復帰であるにも係わらず、米国は国連憲章第7章に基づいた行動を抑圧しようとしている。ヤクザのようなではなく、ヤクザそのものの論理だ。米国のデモクラシーは地に落ちてしまった。(2003/4/2 23:42)

[兵士と罪−對馬忠光]

 兵士よ
 汝は命令とはいえ
 その業は殺人だ
 何の罪もない子どもらを
 その手にかけてしまうのだ

 兵士よ
 汝を生みしふた親は
 人を殺めるなりわいを
 その両の手が血塗られて
 悪鬼になれと教えしか

 兵士よ
 1人を殺めるは罪なれど千万を殺めれば
 これを誉れという誰の云うう
 おのれの罪の深さをば
 想い至らぬ汝の罪や

 兵士よ
 祖国の民を守るとや
 いにしえからを辿らずも
 民草守りし兵はいまだなし
 時の支配者のみ英雄とはなる

 兵士よ
 汝の銃を上官に向け
 矛を捨てて鍬をとり
 田畑に汗を流すなら
 歓び笑顔は絶えなきを
 汝の故郷は君を迎える
 武器を捨てて帰還せよ
 兵士よ今一度云う
 矛を捨てて帰還せよ


        *對馬氏の原詩を無断で一部改変致しました。全責任は筆者にあります。(2003/4/2 10:20)

[大日本反戦黒色婦人会って分かりますか!]
 いま東京・新宿駅南口広場で真っ黒い服を着た女性達がイラク攻撃反対を訴えています。この反戦黒色婦人会というグループ名を見てハハーンと思う人は、太平洋戦争に詳しい人です。太平洋戦争中に、16歳以上の日本の婦女子は全員「大日本国防婦人会」に組織され、竹槍訓練や出征兵士歓送行事などの戦意高揚や相互監視組織として活動しました。当時の国防婦人会のユニフォームが日本の母親の象徴である白い割烹着でした。1945年3月9日の深夜から10日未明にかけての米軍の東京無差別大爆撃によって、2000トンの爆弾が投下され10万人以上が犠牲となり、その多くは子どもと女性でした。いまでも東京の地下には多くの人骨が埋まっています。現代の女性は、この苦い経験を踏まえて先達の轍を踏まず軍国主義の犠牲にならないという決意を込めて、真っ黒い服で反戦を訴えています。
 米国統合作戦本部の発表によれば、米英軍は開戦以来700発以上の巡航ミサイル・トマホークと8000発以上の精密誘導弾を投下し、トマホークは保有量の30%が既に使用され追加生産のための資金調達を急いでいます。いまメデイアでは、模型を使って喜々とした戦況解説が従軍記者によって行われ米英軍はあたかも解放軍のようです。戦時期の報道管制がないなかで戦争を煽る報道を行っているメデイアは、かっての大本営発表を繰り返した報道犯罪以上のひどい状況です。メデイアには戦争報道の指針がまったくないのでしょうか。特にアルジャジーラから流される映像は残酷で無惨なものであり、映像のインパクトを直接受ける子どもへのPTSDが心配されます。包帯を巻いて泣き叫ぶ子どもの映像は深くこころに焼き付き、ある女子高校生は「助けてーっ、だれかーっ」と大声でうなされたそうです。開戦20日は日本では中学校の卒業式でした。命を大切にしよう−とはなむけの言葉を起こっている最中に爆撃が開始されたのです。子どものメデイア・リテラシーが最も問われる戦争報道は大人の責任です。TVに子守させている家庭はいま犯罪者になっています。乳幼児の場合は親が一緒にTVをみておびえたらすぐ消し、しっかり抱きしめてあげましょう。言動に異変が表れたらカウンセリングを受けましょう。
 朝刊にイラク南部のナジャフに米陸軍第101空挺師団が設けた施設で、有刺鉄線に囲まれた4歳の子どもを抱くイラク人の男性捕虜の写真が写っている。男性は真っ黒な帽子を被らされ、子どもは放心したような表情で、父親の左手が子どもの額に当てられている。米軍は親子を離ればなれにしないために一緒に収容している−と解説しているが、何で戦場で4歳の子供と父親が一緒に戦っているのか、4歳の子供を捕虜収容所に入れているのは虐待罪ではないのか。それともイラク軍はこどもを楯として使用しているのであろうか。

 ラムズフェルド国防長官は下院軍事委員会で化学兵器を使用する考えを明らかにし、「敵兵が洞窟に籠もったり、女性や子供を兵員と混在させている場合は使ってもよい」「人間の楯をイラク軍から引き離す時には使う」としている。いうまでもなく化学兵器禁止条約で人間の活動を不能にする化学物質は戦場での使用は禁止されており、米軍の目標も大量破壊兵器と生物化学兵器の廃棄にあったはずだ。イラクには戦争によって兵器の廃棄を強要し、自らはその兵器を使用するという−この自己矛盾にこそ米国の虚妄と傲慢さと非人間性が暴露されている。それに無自覚な米国指導層の破廉恥性も際だっている。(2003/4/2 9:20)

[イラク戦争にみる日本文化論]
 イラク国民の不幸よりも、国際法よりも自国の国益を優先し、米国の意向に媚びへつらいながら自分の意見を言わない国という印象が世界に植え付けられた。日本人と本気になってビジネスや仕事のパートナーとなる国は皆無だ。日本人は米国や企業の陰に隠れて個人の顔が見えないといわれ、その結果日本人は全く誇りと矜持と自信を失ってしまっている。追い付き型近代化を達成して世界のフロントランナーに躍り出たと自称したこの国はいまや最も惨めな米国のジュニアパートナーに甘んじて、国民に対してだけは威張り散らすという堕落した国家となった。日本人や日本文化の精神構造は特殊であり、発達が未熟だと云われて久しいが、こうした日本型集団主義の負の側面が際だっている時はない。幼児国家日本!!
 ウーパールーパーのように幼生の特徴を残したまま成体になる個体を、生物学ではネオテニーというが、日本は経済的には大人になったが文化的・精神的には幼児のままであり、ネオテニー国家なのだ。こうした日本文化特殊論の系譜を整理すると、ネオテニーの属性を強調する者が多い。

 中根千枝『タテ社会の人間関係』は、日本を欧米型のヨコ社会に対してタテ社会という。あなたの仕事は?と聞かれて、欧米人は「システム・エンジニアです」と言うが、日本人の多くは「松下の社員です」と答える。しかしタテ社会にも「場」の集団内部に限定されたヨコ社会があり、それをウチ社会という。ウチは家族をモデルにした社会であり、日本はいつまで経ってもゲマインシャフト(愛情共同体)の温情主義的な温もりに安住し、戦前の天皇制家族国家(天皇=父、皇后=母、国民=赤子)や戦後の企業家族主義(会社=父)が存続してきた。共同体内部では親密な人間関係を構築しよそ者には排除か引っ込み思案となる。

 ルース・ベネデイクト『菊と刀』は、恩を受けて生じる義理が善悪を越えて意識と行動を規定するとしたが、こういsた互酬制原理はプリミテイブな社会に特有である。個体発生と系統発生からみると、互酬制社会は母子関係の水平的な交換を基軸とする鏡像段階に相当し、父という超越的第3者による垂直的な交換が媒介されていないと云う点でプリミテイブなのだ。欧米と日本文化の差異を「恥の文化」と「罪の文化」の違いとして説明した。日本の経営者は「世間を騒がせて申し訳ない」と辞職するのは、共同体の温情秩序を乱した恥の文化から来る。恥とは、他者という鏡に映し出された醜い自我のに対する不安の感情であり、客観的な普遍的犯罪という意味はない。周りのスカートが短い時に、自分だけ長いスカートははけない、周りの髪が茶色の時に自分だけ染めずにいることはできないという意味で、恥は鏡像的な他者との相対的な関係で決まる(浮き上がることを極端に恐れる)。
 欧米の罪は、超越的で普遍的な規範に反した時の意識である。もし自分が正しいと確信して、周囲から笑われてもそれは周囲が無知なのだと考える。たった1人で孤立しても堂々と主張する人が尊敬される。日本はこうした規範がないから、鬼畜米英と絶叫した後に星条旗に媚びへつらっても別に罪の意識は感じないのだ。マッカーサーは日本人の精神年齢は12歳だと云ったが、罪の文化から見ると恥の文化はものすごく幼稚に見えるのだ。

 土井健郎『甘えの構造』は、日本文化を甘えるという現象に見る。「甘える」という日本語は外国語にない。なぜなら「甘える」という行動が日本以外にはないからだ。どこの国でも幼児は母親に甘えるが、日本では大人になっても甘え続ける。多くの国では、子どもは父親によって精神的な離乳を強制されるが、日本ではこの力学が働かない。これはなぜであろうか。
 日本では母権社会から父権社会への転換である男性革命が極めて不十分であり、欧米ではギリシャ哲学・ユダヤ教・仏教・儒教などの男性原理に基づく思想が誕生したが、日本はまだ縄文期のプリミテイブな大地母神を信仰していた。645年に日本は、男性宗教である仏教を輸入するが、しかし自分が解脱するのではなく、無念の死を遂げた敗者が怨霊となって祟りをなすという怨霊信仰とむすんでそれを成仏させる技術として導入した。「誰でも死ねば仏になる」と信じているのは日本の仏教だけである。敗者が怨霊としてたたりをなせば、それでも救われると期待するのは、まさに甘え以外のなにものでもな旧約聖書では、イスラエルの民が出エジプトからカナンに向かう時に邪魔になる住民を大量殺戮しているが、この被害者が怨霊となって報復することはない。唯一神には絶対服従なのである。母性宗教は、フラストレーションで駄々をこねて泣きじゃくれば慰めてくれるが、父性宗教ではこうした甘えは許されない。
 日本の満員電車で席を日本の女性に譲ったら、深々とお礼をして母親はいい年をした息子を座らせたのを見て、外人は仰天する。外国女性は日本の男性を見て「頼りない」「子どもっぽい」「男らしくない」と軽蔑する。日本の亭主関白は「メシ!フロ!」と妻に命令するが、自分1人では身の回りのことが何もできない人間失格者なのだ。
 太平洋戦争で捕虜となった米国兵が「自分が捕虜になったことを祖国の家族に知らせて欲しい」と嘆願して日本兵を驚かせた。日本では「生きて虜囚の辱を受けず」(戦陣訓)として捕虜になるなら自決の道を選んだ。米兵の死を賭けて戦った点は同じだが、家族を守る父親として無駄な死を避けて生き延びることは少しも恥ではなく正当な行為であった。欧米人は死を美化しないのだ。
 日本は、いつまでも咲く梅の花より、すぐ散ってしまう桜の花を愛する独特の美学がある。自爆テロを行うイスラム原理主義者は、父なる神アラーのために死ぬのであり、日本人のように死それ自体を美しいとは考えない。なぜ日本は死を美化するのだろうか。
 日本での死は大地に返ると云うことであり、日本の特攻隊員は死ぬ直前に天皇陛下万歳ではなく、「お母さん」と叫んで死んだ。死ぬ時に母を呼ぶ文化だ。こうして日本の死の美学は、表面的な悲壮美の裏に極めて幼稚な胎内回帰願望という幼児期の欲動がある。
 李御寧『縮み志向の日本人』は、日本人が小さな箱に入りたがる縮み志向があることを指摘する。縄文時代の屈葬、現代のカプセルホテルなどなど。日本は欧米の製品を精巧に縮小して小型版を作るミニチュア製品が得意だ。「○○ごっこ」というごっこ遊びあがるのは日本だけだ。日本は人口密度が高いからだという説明があるがそれは間違いだ。それはいつまでも幼児でいて大人になりたくないという胎内回帰願望の表れだ。

 日本ではなぜ男性革命が成功せず、いつまでも地母神信仰と母親志向を引きずってきたのか。第1の説は自然環境説である。母なる大地が過酷な砂漠では、早い時期に母なる者とは袂を分かつが、日本ような温暖でやさしい自然ではいつまでも母親から自立できない。一般的に母親が厳しい子どもは早く自立し、甘やかす母親からは乳離れできない子が育つ。しかし温暖な自然の地域ではいつまでも自立できない文化が育つかというと、それは日本の特殊な現象であるから自然環境説では不十分だ。
 第2の説は隷属経験説だ。幼児的な民族は嫉妬深く強力なリーダーの出現を嫌う。そのような民族が戦争に負けて奴隷となる悲惨な体験をしたら、幼児的な嫉妬心を捨てて強力なリーダーを期待するようになる(世界初の男性宗教はユダヤ教であった)。日本列島は、まるで羊水に守られている胎児のように海に囲まれて異民族の支配を受けにくいやさしい運命の国であった。幕末の欧米は植民地ではなく通商に熱心で、太平洋戦争後の日本も米国は慈悲深い母であった。日本はいつまでも米国から乳離れできない幼児国家となった。運命の女神というように、運命は女性として表現される。父性国家は、運命という女を力で征服し自分の支配下に置こうとするが、日本は運命という偉大な女神に幼児のようにすがって身を委ねることでうまくいってきた。北朝鮮が攻めてきても米国が何とかしてくれる神風指向が今でも首相の口から出る。

 幼児的であることによって、世界に冠たる小型製品やアニメを創造して世界市場を席巻している日本は、その幼児性の優秀さを示している。しかし政治や外交や文化・先端科学の世界では幼児性は致命的な欠陥である。それは自立したオリジナリテイーが最も要求される領域であり、21世紀の日本がまさに直面している領域であるからだ。以上http://nagaitosia.com参照。(2003/4/1 20:00)

[戦争とスポーツ−米大リーグ開会式はF16戦闘機が飛び、バグダッドではサッカー選手権試合が開催された]
 米大リーグエンゼルス−レンジャーズ戦開会式で、黙祷の後球場に星条旗が広げられ、上空を飛来したF16戦闘機に歓声を上げ、7回裏の攻撃前には空軍パイロットが1塁ベース上に登場し、全員が「ゴッド・ブレス・アメリカ」を合掌した。スポーツは一切の暴力を拒否する本質的な人間活動であるが、戦争はスポーツをも利用して動員する。それに煽られる米国一部市民の戦争観が浮き彫りとなっている。一方バグダッドでは、イラクサッカー国内選手権が数千のファンが参加して開催され、爆発音が響き渡る中で試合が続き、ファンは「ブッシュはもう先がない」と叫んだ。イラク民衆の誇りが表れている。しかし戦争とスポーツという絶対矛盾の二律背反が、楽しい雰囲気の中で繰り広げられているというなんとも残酷な風景だ。
 イラク派遣軍の米兵士の人種的・民族的構成を見ると、明らかにベトナム戦争時の米軍構成と酷似している。軍隊に占める下層人種とくに黒人の比率が高く、前線に送られる兵士も有色系の比率が高いから、死者に占める比率も比例して高い。米国は1973年に徴兵制を廃止して志願制に切り替えてから、貧しい移民が生きるために・米国の永住権と市民権を取得するために米軍に志願する貧困ヒスパニック系が多い。米軍統計によると、全米兵に占めるヒスパニックは約9%。イラクの実戦で26日までに死亡した12人の内ヒスパニック3人で25%の比率となっている。米国パワーエリートが戦争を命令し、前線では有色系が戦死するという米国多民族国家の内部矛盾が浮き彫りとなっている。米国民のイラク戦争への支持率を見ると、支持70%・不支持27%であるが、人種別にみると白人78%にたいし黒人の賛成率は29%に過ぎない。米国社会に明らかに亀裂が生まれている。
 私は今次戦争をに対する判断の方法について考えたい。いまメデイアでは戦争の帰趨を決める重要な要素として、軍事技術−とくに米軍のハイテク軍事技術の圧倒的な優位性について語られている。同時代性への理解や歴史の知識だけで真実の判断が下せるわけではない。それを基礎づける的確な歴史観と内在的な価値観が決定的な意味をなす。対象や事象についての己の眼とこころを通過したところの、焦点を明確にしたうえで判断に取りかかることが重要だ。社会的政治的事象は、その経過・歴史的推移・発生の要因・背景について可能な限り調べ上げ、おのれの想いと考えを確立した上で判断を形象化することが大事だ。戦争をテーマにした判断では、死傷者数の比較というレベルとその1人1人の生命の重みへのレベルは決定的に異なる。大リーグ開会式でF16に熱狂する人々は、敵の死傷者数の増大のみが主たる関心であろう。ほんとうのスポーツ愛好者や芸術愛好者は本質的に反戦である。以上『歌壇』4月号所収島田幸典・山本司論文参照して筆者考究。(2003/4/2 9:30)

[スペースシャトル・コロンビアの宇宙飛行士のメッセージは削除された]
 コロンビア号には多様な人種・宗教を持つ男5名・女2名の7名が登場していた。コロンビア号のモーニング・コールは地上から発信される。米国人宇宙飛行士ウイリアム・マックールはジョン・レノンのイマジンを希望した。午後3時39分。青チームメンバーのアンダーソン、マックール、ブラウンはイマジンで起床した。マックールはエッセイの中で次のように述べている。「私たちがいる周回軌道の眺望のよい地点からは、国境がない、平和と壮麗さに満ちた地球の姿が見えます。そして私たちは人類が一つの命となって、私たちがいま見ているような、国境のない世界を想像(イマジン)し平和の中で一つになって生きる(live as one in peace)ように努力することを祈ります」。この言葉はイスラエル人飛行士ラモンによってヘブライ語に翻訳されて地上に送信されている。驚いたことにラモンは、22年前にイスラエルがバクーの核疑惑施設を先制爆撃した時の副操縦士であった。
 マックールはなぜイマジンを希望したのであろうか。すでに9.11以降イマジンは反戦歌として余りにも有名になっており、明らかに彼はイラク攻撃が迫る地球に憂慮してこの歌を希望したのだ。米国政府とマスメデイアは飛行士の会話とエッセイをすべて国民に公開したが、マックールのエッセイだけはすべて削除した。イラク攻撃にばく進する米国政府にとって、自国の英雄が反戦派であることを封殺したのである。コロンビア号は、テキサス州のパレンという場所の上空で爆発し、その破片はブッシュが経営するクロフォード牧場に落下したのである。
 1986年のチャレンジャー事故は米国政府のスターウオーズ計画の最中に爆発し、コロンビア事故はイラク戦争の最中に爆発したのである。象徴的な偶然ではないか。以上中澤英雄東大教授サイト「萬晩報」参照。(2003/3/31 23:58)

[ほら 民主主義を届けに来たぞ−北バグダッド・シャアブ地区爆撃跡にて]

 あまりにも醜く、おぞましいまでに残虐だ
 金属のドアに切断された腕がひっかかり
 道いっぱいに血と泥が沼となり
 ガレージの中に人間の脳味噌が散乱している

 焼けただれた女性の残骸が
 3人の小さな子を抱いたまま
 くすぶっている車の中に残されている

 米軍の爆撃機から発射された2つのロケット弾が
 一瞬にして20人以上の無辜の民の命を奪った

 わしらはみんな人を殺したがっているのさ
 あいつを殺せと命令されたら
 余分に周りの奴も殺すのさ
 家の中に人が居ようが居まいが
 フルパワーで速攻さ

 イラク人のことなんか 知ったこっちゃない
 なにしろ鬼より怖い上官殿の命令だからね
 こんな爆撃は気持ちのいいもんだ

 幾百万のこどもたちが翻弄され
 荒れ狂う濁流の渦に巻き込まれ
 累々と積み重なる屍となってこの世から消える

 「よし これが人生だったのか さらばいま一度!」
 と云えるのは生き切った貴族のことばだ

 絶望の虚妄なること 希望の虚妄に同じい
 明日なきいのちを散らしたこどもには
 絶望のみが真実であった
 ふたたび立ち上がって家族のもとを希んだこどもに
 もはや歩きはじめるちからは残っていなかった

 残雪の後に砂嵐が襲っている大地は
 真っ赤な鮮血で染められている
 遠い今はなき未来のために だれが光を手向けるのか
 今はなき遠い未来のために だれが闇を払いのけるのか


             −アルジャジーラの映像を見ながら何もできない我が身を恥じる(2003/3/30 20:32)

[日本人は、どこまでイラク国民にとっての戦争の真の意味を想像できているのか]
 モハメッド・カッサブさんはイラクを離れて20年日本に住んでいる。フセインを追放してくれるのなら誰の力でも借りたい。悪魔でも。今の故国は大きな刑務所で、秘密警察に捕まる恐怖、経済制裁で食いつなぐのに必死、反政府運動など想像できない。私は戻ろうとしても戻れない国だ。もはや武力以外で解決できないという我々の絶望をどこまで認識しているのか。日本政府が米政府を支持したのは仕方がない。日本は米国に自己主張できない国だ。以上朝日新聞3月29日参照。体験しなければ分からない独裁への恐怖と怒りが伝わってくる。しかしカッサブさんには申し訳ないが、独裁を倒すのに国際法違反の武力侵略を遂行し、非戦闘員を虐殺することを認めればその瞬間に独裁を批判する資格も失われることを理解すべきだ。
 米軍は公然と劣化ウラン弾の使用を認め安全だと主張している。劣化ウランは、核燃料や核兵器を製造する濃縮過程で副次的に生み出される高密度の重金属で、砲弾の芯に使うと貫通力が増し、空気中で発火して微粒子となって飛散すると、放射能による環境汚染や人体への深刻な影響をもたらす。湾岸戦争後白血病やガンに罹る子どもが急増し先天性異常の新生児の割合は3%に達し、白血病患者の生存率は10%以下だ。欧州議会は劣化ウラン弾の使用を禁止した。劣化ウラン弾は通常兵器として扱われ、放射能と毒性の拡散は時空を限定できないから大量破壊兵器なのだ。血染めの街に泣き叫ぶ子の声が響き、病院で全身をガーゼで巻かれた2歳の女の子のベッドに横たわる写真がある。一方で広島の312gで生まれた女児が無事成長している画面が出る。何という非対称性だ。

 侵略軍兵士にPTSD(心的外傷後ストレス症候群)が激増している。20歳前後の兵士に最も多く、怒りっぽくなる、すぐ暴力を振るう、うつ状態になる、家族を愛せなくなる、金を浪費する・・・・・・などなど。兵士は戦場体験を話すことは禁止されている。或る兵士の母親は「夜中に何かを思いだし眠れなくなるようだ」という。PTSDは異常な経験、恐怖、緊張感が原因とされるが、戦場での身の毛もよだつ殺人や残虐行為を見聞きし、自ら行い、帰還しても英雄とはみなされない挫折感から誘発される最も惨めな症状だ。ベトナム戦争帰還兵ステイーブン・クレッグホーンさん(53)は呻くように「私の息子は、この国を守るために軍隊に入ったというのに、いまでは”帝国”のために他国で人殺しをしている」と言う。
 人類の戦争史は2つの法則がある。第1は遠戦化であり、敵との空間距離を拡大するという法則だ。刀や槍から弓・銃さらに大砲やミサイルというように敵の顔が見えない画面上で戦うようになってきた。第2は差別化の法則であり、戦闘員と非戦闘員を峻別し無差別攻撃は違法とされるようになった。一般市民や捕虜はすべて保護の対象となり虐待は戦争犯罪とみなされる。しかし遠戦化と差別化は原理的に矛盾する法則だ。兵器の射程距離が遠のくほど非戦闘員の犠牲が増える構造となっている。これは誤爆ではないのだ。戦車をバックに砂漠で座り込んでいるイラクの幼児の厳しい眼差しの写真はまさにこの矛盾を無言の中に告発している。国連児童基金(ユニセフ)はイラク戦争後少なくとも小学校就学年齢のこども560万人の10%にあたる50万人以上の児童にPTSDなど精神医学的なカウンセリングが必要になると発表した。子どもたちはミサイルの着弾を間近に体験した時に間違いなく発症する。

 こうした悲惨な戦時の実態をみながら日本の首相小泉は時に微笑しながら嘯いている。小泉のパフォーマンスはそれ自身非人間的な良心のかけらもない動物的人間の象徴だ。小泉横綱の星取表。得意技は丸投げ、はったり、公約捻り、ブッシュもたれ、世論すかし、先送りだし、しゃべり倒しと多様な技があるが、堂々たる寄り切りだけはない。世界は日本に素朴な疑問を持つ。広島・長崎を体験した国がなぜ米国よりなのか。どんなに無辜の市民が犠牲なっても、ブッシュは温かいベッドで眠っている。目覚めたら小泉に命令すえればいいのだ。彼は何を云っても従うからだ。国連イラク人道調整官事務所は、イラク南部バスラ(人口150万人)で人口の3分の1に近い40万人が飲料水困難な状況にある。英米軍の爆撃で給水施設の修復は不可能だ。小泉が薄ら笑いを浮かべている理由は明確だ。戦後の復興の甘い汁を吸うことができるからだ。
 米国際開発局はイラクの初期復興事業に総額24億ドルを投下し、道路・港湾等のインフラ整備に投下する19億ドルは米国企業に限定契約すると発表し、すでにチェイニー副大統領の経営するハリバートン社と契約した。総額事業費1000億ドルに達するという巨額の戦後復興事業費は、関係国の拠出と石油収入・フセイン資産で賄う。戦場の地下には1125億バレルと見積もられる石油が眠っている。イラクの油田開発権を取得しているフランス・トタルフィナエルフ、ロシア・ルクオイル、中国・CNPC等の国策企業は真っ青だ。米国でいま最も注目されているブーツ・アンド・クーツ国際油田管理株式会社(本社ヒューストン)の株は、昨年倒産の危機に瀕する6セントまで暴落したが開戦直前に40倍を越える2ド55セントまで上昇した。米国は相手を壊しておいてその復興で自国の会社の倒産を助けるという汚い戦争の本質が浮き彫りとなる。日本は米国企業の下請けとなって甘い汁を吸うのだ。

 しかし私は最後に、ブッシュは人類の文明に対する犯罪者であることを指摘したい。皆さんは、世界最古のメソポタミア文明をご存じであろう。バグダッドには、古代メソポタミアやアッシリアの名品を集めた美術館があり、イラク国立博物館は文化財の宝庫だ。イラクのチグリス、ユーフラテイス川流域ではBC3000年頃に楔形文字を使用したシュメール、バビロニア、アッシリア等の都市国家文明が盛衰し、空中庭園やバベルの塔で知られるバビロン、ウル、神殿群ハテラなど世界遺産が集中している古代文明の宝庫だ。米軍はいまこれらの文明群に空爆を加え、2度と戻らぬ貴重な文化財を破壊している。取り返しのつかない人類の文明に対する破壊であり、罪万死に値する。私は死刑廃止論者だが、ブッシュと小泉はその例外としたい。幼い子どもが無惨に死んでいくのを仕方がないと薄笑いを浮かべているブッシュとその子分小泉は国際戦争犯罪法的で間違いなく死刑宣告を受けるだろう。(2003/3/30 19:25)

[米国政府はノーベル平和賞受賞者2名を逮捕した]
 ホワイトハウス前でイラク戦争に対する抗議活動を展開していた2人のノーベル平和賞受賞者がいる。メアリード・マグワイアさん(は北アイルランドの平和運動家で、暴力追放デモをおこなうなど非暴力の運動を続け1976年受賞し、ジョデイ・ウイリアムズさんは米国の対人地雷禁止活動家で97年に受賞した。さらに元核戦略分析家ダニエル・エルスバーグさんは、国防総省のベトナム戦争秘密報告書をニューヨーク・タイムズ記者に暴露して米軍の撤退に大きな影響を与えた内部告発者であった。
 3人を含む60数名がラファイエット広場で反戦を訴えて座り込み中を逮捕された。エルスバーグさんは「政府内の誰かが自分の逮捕を知って勇気づけられ、少しでも戦争についての真実の情報を漏らしてくれれば」と微笑しながら連行された。
 この事実から幾つかの米国民主主義の実態が浮かび上がる。第1は、国家政策に対する批判を含む表現の自由が実質的に国家権力によって抑圧されつつあること。第2にそれはたとえノーベル賞受賞者であれ例外を許さないこと。第3に最も重要なことは、この逮捕は米国政府が実は追いつめられており、自国世論の支持に対する脅威を感じ始めていることを示していることだ。しかし私は、ノーベル賞受賞者がこうした直接行動で意見を表明する直截なアンガジュのスタイルに感心する。日本の知識人は、論説の机上からは発言するが、せいぜい集会の壇上に姿を見せるだけであって路上では訴えない。

 さて今夜のニュースステーションのイラク戦争に対するコメンテーターの発言はひどかった。彼は、「戦争には勝ち方もあるが負け方もある。場合によっては負け方の方が重要な場合がある。ナチス・ドイツは首都ベルリンで激しい市街戦を展開して全土を廃墟に導いて降伏したが、日本は沖縄・広島・長崎を犠牲にして全土を廃墟にすることはなく降伏した。イラクはナチス・ドイツ型で国民の生命よりも別の理由で戦っているのではないか。」と云ってあたかもイラクは早く降伏せよ−としているかのようだ。日本の降伏が天皇による国民の命を重視した決断であるという天皇免責論とも共通している。彼は、侵略に対する抵抗の意味が理解できず、降伏して屈辱的な奴隷の平和を選べと述べている。彼は朝日新聞編集部員だが、社の方針とも基本的に食い違っている。ただしTV画面は鋭くその本質を伝える。彼はその発言を終えた後自信なげに下を向いたのだ。彼は自分の発言のどこかに間違いを自覚しており自信と誇りを失っていることに気づいているのだ−と瞬間的に受け取った。犠牲者が出るのはフセインが抵抗しているからだ−と小泉が云ったが、たとえ独裁者であれ国民が祖国に対する侵略に抵抗するのは、国際法的な抵抗権の行使である。どのような国でも、奴隷の平和を拒否する尊厳と矜持と権利があることを理解できない最低のコメンテーターではある。(2003/3/28 00:01)

[倒錯したテロリスト−ブッシュの精神分析]
 ”Shock and Awe衝撃と畏怖”作戦は、米国国立防衛大学が開発した構想で、開戦時に一気に多量の武器を投入して、敵の軍事力を物理的に破壊するよりもむしろ戦意を喪失させる心理的効果を最大化する戦略である。迅速な勝利をめざすこの作戦の主要な立案者は、海軍出身のHarlan K.ウルマン等であり、瞬時の大規模攻撃により敵に理解不能な圧倒性をイメージとして植え付け、敵の知覚・意志・理解を停止させ、あたかも攻撃を神の到来のような畏怖感をいだかせるものだ。ウルマンは、春秋時代の孫子の兵法とクラウゼウイッツの戦争論から学び、孫子からは建武は詐欺であり、開戦前に武装解除を迫るのが最も有効ということを、クラウゼウイッツからは、敵の完全な殲滅=絶対戦争という圧倒的な兵力による敵の戦闘意志の破壊ということを学んだ。
 ”Shock and Awe衝撃と畏怖”作戦は失敗に終わりつつある。その最大の要因は、近代軍事科学の法則を逸脱した主観主義戦略にある。その基準はイラク人自身の戦争心理ではなく、立案者のアメリカ人の感情を移入しているところに最大の問題がある。作戦を発表するラムズフェルドの表情は弛緩した恍惚感にあふれ、自分自身がこの作戦に没入し酔っているかのようである。この心理は、9.11が誘発した畏怖と恐怖のダブルバインドな心理反応のリフレーンである。歴史上一度も本土爆撃を受けた経験がない国が、目の前で崩れ落ちる巨大なビルを目撃した時の心理を映し出したのが、衝撃と畏怖作戦である。第2は軍事的知識の限界である。孫子が最も重視したのは実際の戦闘を回避する外交戦術であり、クラウゼウイッツは戦争勝利と完全な制圧を同一視することなく、あくまで政治の延長としての戦争を定義し、開戦後も外交へのフィードバックを常に考えていたのであった。米国軍事戦略の致命的欠陥がここにある。その意味で衝撃と畏怖作戦は、専ら心理戦術による完全な制圧をめざすリーズナブルで単純な実証性がない論理なのである。

 さてAwe崇高は、カントによれば絶対という量の概念に基づいている。例えば広大な砂漠や水平線、大空はその大きさと広さだけによって無条件に崇高さを覚えさせる。火山や地震の凄まじい破壊力はその超越的な力への畏敬の念を呼び起こす。カントは、前者を数学的崇高、後者を力学的崇高と呼んだ。9.11テロのWTCの廃墟や倒壊した教会に対する畏怖や崇高さをアメリカ人は初めて実感したのである。

 現実のイラク戦場は衝撃と畏怖に満ちているであろうか。精密誘導兵器の入力ミスによる相次ぐ誤爆は、ハイテク兵器を駆使するだけの知性と技術が欠落していることを白日の下に晒し、味方同士の同士討ちや相打ちがこれ程多い戦争はかってなく、米軍の無神経さが際だっている。従って初戦で衝撃と畏怖作戦は強烈なダメージを受け、ただ単に米軍のみでなく米国自身のステートとしての威信が揺らぎつつある。
 米英合同軍は愚劣な作戦がもたらすジェノサイドによって、一般市民から反フセイン勢力までを敵に回し、解放軍どころか米軍に対する激しい侮辱と抵抗が誘発されるという侵略軍のイメージが固定化されつつある。米軍が期待した反フセイン派やシーア派の反乱や協力はほとんど期待できない状況におちいっている。
 不思議なことにピンポイントでイラク大統領府が爆撃されても、市街には平然と自動車が走り、市民が買い物をしている。灯火管制すら敷かれていないようだ。一般市民が衝撃と畏怖を覚えているよりも、画面を見つめている攻撃側が衝撃と畏怖を感じているという奇妙な対照がみられる。或る米兵がいみじくも云った「彼らはなぜ逃げないのか!?」という困惑こそ米軍の驚愕を表している。

 心理分析で云う有名なダブル・バインド(二重拘束)理論は、矛盾する情報や禁止を同時に提示された受け手が困惑を経験し、混乱状態におちいるということである。犬は、主人から矛盾する命令を受けると、興奮し身悶えし吠え回る。いまダブルバインド状態になっているのは、独裁者を打倒して自由をもたらすと信じて闘っている米軍兵士が、一般市民を虐殺し民衆から憎悪を被るという事実に直面していることにある。

 こうして敵を徹底的に破壊した上でなおかつ畏敬を自覚させる高度の精神的打撃戦術はそれ自体が矛盾に満ちており、プランナー自身の埋め込まれた9.11トラウマの精神的外傷がパブロフの犬のように条件反射によって立案した矛盾が露わとなってきた。この作戦が最終的に失敗に帰することは明らかだ。なぜなら敵は10年以上の長きにわたっ爆撃の恐怖を生き続けてきた人達であり、そうした畏怖の感情は何ら意味をなさないからだ。人間が作りだしたものがあっけなく崩壊することをすでに日常的に目にしてきた人たちは、破壊によって衝撃と畏怖を覚えるのではなく、逆に悲しみの積分のうえに抑えようもない怒りの感情を蓄積させている。従ってこの作戦は、恐るべき想像力の貧困と鈍化した知性の表現でしかない。イラク人は前にも増して米国へのカウンターを決意するだろう。すると我々が得る結論は最悪のシナリオを想定せざるを得ないということだ。爆撃−憎悪−反撃−爆撃−テロの悪連鎖であり、米国自身が史上最大のテロ国家へと変貌していくことだ。これは地球惑星の最後の時が到来することを予告していないか。(2003/3/27 20:00)

[世界は石器時代に逆転した−マハテイール・マレーシア首相演説(24日)]
 私が現在最も注目している人が痛烈な米国演説をおこなった。かってマレーシアはアジア通貨危機の時に対ドル交換を一時停止して危機を脱し、自立の道を歩んでいる。マレーシアの戦略については別途詳細な分析を試みたい。マハテイール首相は「世界は力が支配する石器時代に逆転した。今後は超大国の恣意によって独立が犯されると予見できる。民主主義ではなく傀儡政権を利用する外国の強権支配の世界システムが実現する。強い国は弱い国を攻撃しないものだ。それは臆病者、ごろつきに過ぎない」。この矜持ある態度は日本の首相と鮮やかな対照をなしている。

 米国はベルダンもアウシュヴィッツもスターリングラードも広島・長崎の悲惨を本当は知らない。核爆弾を投下する相手を有色人種を対象とする人種差別思想が確実にある。国内での異論の許容は国際的な異論の共存を許さない狭隘なものだ。ハイパー超大国はかってのパックス・ロマーナの比ではなく全世界を支配する史上最大の戦争装置をもって強迫と暴力をほしいままにしている。イラク侵攻軍の前線をいく第7騎兵連隊は、西部開拓期にインデアン・スー族の攻撃を受けて全滅した白人植民者の軍隊であり、ありとあらゆる戦争で侵攻軍の前線に立つ。報復を受けたスー族酋長シッテイング・ブルは、最後の抵抗の精神を示す集団舞踏ゴースト・ダンスを踊って部族を励ました。

 こどもたちよ
 はじめわたしは白人が好きだった
 わたしは彼らに果物をやった
 父よ 聞いてくれ
 わたしの喉はカラカラだ
 ここにはもうなにもない

    −金関寿夫『アメリカ・インデアンの口承詩』より一部略

 17世紀に全欧州を巻き込んだ30年戦争の後、1648年のウエストファリア条約で主権国家の基礎が確立されたが、国際紛争を暴力で解決し、戦争の正否を問う制度はなく戦争時のルールだけが存在するシステムは、19世紀まで続いた。非戦闘員を含む悲惨な犠牲者を出した第1次大戦後、1929年に締結されたパリ不戦条約は紛争解決の手段としての戦争を始めて否定し、紛争の平和的解決を義務づけ、日本を含む60カ国が批准した。しかし再び数千万人の犠牲者を出す世界戦争が起こり、第2次大戦後発足した国際連合は紛争の平和的解決と武力による威嚇・武力の行使を禁止し、日本国憲法の前文にも記入された。武力行使が許されるのは、攻撃を受けた時の自衛と、安保理が認定する集団措置のみで、先制攻撃は違法とした。
 ソ連崩壊後の米国国防総省内部文書「1994−99国防計画」で「国連を中心とした世界秩序から米国とそれに同調する有志が支える世界秩序への転換」構想が決定され(作成者は現副大統領チェイニー、国防副長官ウルフォウイッツなど)、9.11テロを契機に本格的な発動が開始された。「新しい世界秩序の構築に如何にこの機会を利用するか。国際的な地殻変動が始まった。従来の国際条約や機関に囚われない米国の行動を支持する自発的連合を形成すべきだ」(ライス補佐官 9.11直後インタビュー)。これらのネオコン(ネオコンサーヴァテイブ新保守主義)と呼ばれる人々は相次いでこの構想を理論化していく。「無秩序の世界を指導する新しい帝国主義が必要」(リチャード・ハース国務省企画制作局長)「国民国家体制から市場を基礎にした市場国家体制への改変過程で一連の戦争は避けられない」(フィリップ・ボビッド元安全保障会議スタッフ)など現存の国際平和システムを否定するユニラテラリズムの理論が強力に推進された。まさにマハテイールの云うごろつき・臆病者国家に変貌しているのが現米国政権であり、彼らは地獄からの使者として登場しつつある。(2003/3/27 11:30)

[ダニエル・エルスバーグとギュンター・グラスは語る]
 懐かしい名前だ。1971年に米国防総省の秘密報告書「ペンタゴン・ペーパー」を暴露し、ベトナム戦争の裏面を内部告発した元同省職員でいま71歳だそうだ。「平和に対する罪を主導する国の市民であることを恥ずかしく思う。ベトナム戦争はまだ同盟国への支援という大義名分があったが、今回はそんな見せかけもない明らかな違法行為だ。日本が天皇の名で1930年代に石油を求めて南進したのとよく似ている。中東の石油をねらう帝国主義的な意図がみえる。今回の戦争は、違法であるだけでなく、自爆テロの志願者をますます増やす危険がある。もっとも心配なのは核兵器の使用だ。フセインがもし生物・化学兵器を使えば、、多くの死者が出て、米国は長崎以降初めて実戦で核兵器を使う危険性がある。どんな状況でも、核使用は人類に対する犯罪だ。国連でそうした決議を提案できる資格を持っているのは日本だ。広島の碑に過ちは繰り返しませんから−とあった。核使用という犯罪を繰り返させないよう私も一生を捧げるつもりだ」。米国にもこんな良心的な人がいるんだ。大量破壊兵器の廃棄という名目で、核兵器を使用する先制攻撃をすでに米国はブッシュ・ドクトリンで決めている。今次先制攻撃はその最初の一歩だ。エルスバーグさんありがとう。健康で長生きしてください。

 米国は明らかに分裂しつつある。ブッシュ・ドクトリンを推進するキリスト教原理主義者は、旧約聖書・箴言2章7の≪主は正しい人のために力を・・・≫を引用し(南部バプテイスト神学校ダニエル・ハイムバック教授)、平和派は「自分に正義の戦いと言い聞かせてもイエスへの信仰との選択を迫られる」と告白する(合同メソジスト教会ジム・ウインクラー教会と社会委員長)。旧約聖書には≪目には目を、歯には歯を≫とあるが新約聖書は≪汝の敵を愛せよ≫とある。キリスト教は旧約と新約の間をゆれている。イスラム教も旧約聖書をバイブルにしているが、イスラムという語自体が「神への絶対服従」「平和」という意味で本来的に戦闘性はない。従って教義的に両者が戦うことはない。ではなぜ戦争に至っているのか。米国のキリスト教原理主義者は、「神」の名において米国民主主義を移植することを大義名分としているが実は裏がある。アフガン戦争は中央アジアの天然ガスと石油支配にあり、イラクは世界第2位の産油国としてEU・インド・中国の依存が強く、両地域の支配権が21世紀の世界支配力を決める。ここに米国の真の狙いがある。

 宗教的原理主義は「神」の概念を恣意的に使用し、ファナテックな理解によって「神」を言質にとる権限を与えた。十字軍的なメンタリテーがどんな永続的な災害をもたらすかはすでに歴史が証明している。我々は動揺し、無力感に襲われながら、怒りに満ちて唯一者として支配する世界権力のモラル・ハザードの凋落を見守っている。かってヨーロッパの啓蒙主義がこの国の植民地主義の克服と憲法作成を支援した言論の自由を実現したあの同じく二とはとても信じられない。米国市民自身が、自分たちの本源的な価値観が崩壊し、自国中心主義の不遜な権力を生み出していることに驚愕している。米国の尊厳を傷つけているのはアメリカニズムではなく、ブッシュとその取り巻きに過ぎない。ドイツは犯罪的な結果をもたらした2つの世界戦争の歴史から学習し、課せられた教訓を理解した。ドイツは強力な同盟国に対しはじめて主権を行使した。いま多くの人が意気消沈しているかも知れないが、それでも我々の戦争に対するノーと平和に対するイエスの声は消え伏せていくことはない。何が起こったか?我々が山の頂上に積み上げようとした岩塊は、また山の麓に転がり落ちたのだ。それなら再びこの岩塊を頂上に向かって押し上げていこうではないか。頂上からまた転がり落ちるという予感はあるが、それでもなお、何度でも、決して終わることのない抗議と反対を繰り返していくことは人間にとって不可能になることは絶対にない。以上ギュンター・グラス「強者の不正」(朝日新聞26日付け夕刊)参照。
 さすがノーベル文学賞作家(『ブリキの太鼓』他)の重厚な誠実溢れるメッセージだ。こころの深い所に呼びかける抵抗の声だ。こうした文章は日本人には書けないのはなぜだろうか。なにか欧州文化の「教養」の根本的な違いを感じる。小泉や石原にはとうていマネができない深い思想がある。

 スコット・リッター(元国連兵器査察官 弾道ミサイル専門家で米軍軍事諜報部門で12年間活動し88年クリントン政権に抗議して国連査察特別員会を辞職)は次のように語っている。米国は2300万人の国民、しかもそのうち700万人は何らかの武装をして都市部に集中している国民を敵として戦っている。この機会に反乱に立ち上がるはずの南部シーア派と北部クルド人は、逆に米英合同軍に抵抗している。十字軍が聖なるイスラム聖地へ侵入していると捉えているからだ。米英合同軍が解放軍として入城するという甘い期待は裏切られ、憎悪の念を持って迎えられている。米英合同軍は間違いなくイラク戦で敗走する。(2003/3/26 21:35)

[13歳の少女シャルロッテ・アルデブロン(13歳)は語る−「私たち子どもの声が聞こえますか・・・」]
イラクの人口の半数以上は15歳以下の子どもたち。私は13歳。あなたが殺そうとしているのは、この私です。運がよければ私は即死するでしょう。スマート爆弾が炸裂して300人の子どもが死んだように。不運にも私はゆっくり死ぬかも知れません。劣化ウラン弾でガンになった少年のように。痛みに喘ぎながら死ぬかも知れません。寄生虫に臓器を食われた18ヶ月のムスタファみたいに。いえ私は死なないかも知れない、精神的障害を抱えて何年も生きる少年のように。彼の父は家族を同じ部屋で寝かせました。そうすれば一緒に生き残るか、一緒に死ねると思ったからです。私は独りぼっちになるかも知れません。3歳で父を殺された少年は、毎日お父さんの墓を掘り返しました。「大丈夫だよ、お父さん。もう出られるよ。ここにお父さんを閉じこめたヤツはいなくなったよ」って叫びながら。
 これが自分の子どもたちだったらどうしますか。子どもたちが手足を切られて苦しんで叫んでいるのに、何もできないことを想像してみてください。娘が崩壊したビルの瓦礫の下から叫んでいるのに、手が届かなかったらどうしますか。自分の子どもが、目の前で死ぬ親を見た後、お腹をすかせて独りぼっちで道をさまよっているとしたらどうしますか。
 これがイラクの子どもたちの現実なのです。イラクの子どもたちの半分は、自分が何のために生きているのか分からないと語っています。ちいさなこどもさえ戦争のことを心配しています。5歳のアセムは「銃や爆弾がいっぱい来て、お空が冷たくなったり熱くなったりして、みんな焼け死んでしまうんだよ」。私がどう感じているかを伝えたいと思います。悪いことが起きるのをただ待っているイラクの子どもたちとして。何一つ自分で決めることはできないのに、その結果はすべて背負わなければならない子どもたちとして。私たちは明日も生きられるかどうか分からないと考えると怖いのです。殺されたり、傷つけられたり、将来を盗まれると思うと悔しいのです、いつも側にいてくれるお父さんとお母さんが欲しいだけなんです。イラクの子どもたちをのことを私たちならと考えて欲しい。明日両親が生きているかどうかを知ることだけが私たちの望みなんて悲しすぎます。私たちはなにか悪いことをしたでしょうか。


 何とナイーブな想像力豊かで文章力がある少女だ!ここに新世紀の真に新しい世界をつくるスピリットがあると思う。てっきり在米イラク人かと思ったら彼女は米国白人だ。中学の「星条旗」をテーマとする作文コンテストで、「布きれの旗は大事にされているのに、ホームレスは大事にされていない。トマス・ジェファーソンはがっかりするでしょう」と書いたら、国語教師から「愛国心のない子がいる」と突き放されて落ち込み、心配した母親がニュースサイトに投稿し爆発的な反響を呼んでいる。いまでも学校では相手にされない。社会科教師が「フセインは化学兵器を持っている」というので、彼女は「でもその兵器は米国があげたんでしょう」と言うとみんなから冷笑された。だけど少女はめげない。「世界の人たちが私の話を聞いてくれるからこれからも自分の考えをしゃべり続けたい」。ここにこそ輝かしい米国の真の未来がある。米国はその意味で底知れない強さがあると思う。
 国連児童基金ユニセフと世界保健機関WHOは、イラク南部バスラ市(人口150万人)で水道水の40%を供給するワファアルカイドの水道施設が機能を停止し、3日間に渉って飲料水の供給が停止し、市民は下水が流れ込む川から飲料水を求め、下痢や脱水症状によって5歳以下の10万人の子どもの命が危険な状態に陥っていると発表した。国際人道法、(戦時における文民の保護に関する)ジュネーブ条約第4条、(交戦者の権利義務に関する)ハーグ法では、戦時における住民の公共サービスと安全については占領軍に責任がある。10万人の子どものいのちを奪う「正義」が米英軍にあるのだろうか。

 ブッシュはなぜこうした歴史的蛮行に及んでいるのであろうか。ここでは視点をブッシュの成育過程にみてみる。ブッシュは、父親のブッシュ大統領の不良息子として反抗的な青年期を送り、何をしても成功せず、挫折感から酒におぼれ、40歳の時にはアルコール中毒であった。大学も不正入学に近く学業成績も低空飛行であった。彼を更正させたのは、かの反共で名高い伝道者ビリー・グラハムであり彼はキリスト教原理主義の心酔者となる。現在の指導者フランクリン・グラハム(ビリーの息子)は、「イスラムは最悪の絶滅させるべき宗教」「我々がイスラムを攻撃しなければ、イスラムが我々を攻撃する」という極右思想の持ち主だ。ブッシュは毎朝5時に起床してこういsた原理主義思想の祈祷会に参加する。悪と戦うために神は自分を選んだという強烈な信念の持ち主だ。チェイニー、ラムズフェルド、ウオルフォウイッツなどの取り巻きに操られて思考停止状態にある。13歳の少女の想像力と比べてなんと人間的水準の卑しさであろうか。
 待てよ、青年期に激しい挫折感と劣等感をもって成長する人間は、強い他者への攻撃意識を養うというのは、あのアドルフ・ヒトラ^と同じではないか。ヒトラーは青年期にウイーンの美術学校をめざして何度も不合格となり、ルサンチマンを蓄積させた上でナチ党を設立して独裁権力を手に入れていった。ポーランドに対する宣戦布告文は、ブッシュのイラク開戦演説とそっくりだ。ブッシュは、ジョージ・ヒトラーと呼ばれているのを知っているのだろうか。(2003/3/26 13:00)

[没落過程を歩む帝国の末路-小泉よ恥を知れ!貴様の持ち時間は終わった!!]
 戦争は勝つか負けるか引き分けるかの何れかだから、開戦時には3つのパターン別に周到なシナリオが準備されている。太平洋戦争時の米国政府は開戦時にすでに対日占領政策を立案していた。占領後の日本管理行政官を養成する教育機関が各大学に設置され専門的な知識を修得する軍政教育が実施された。その時の日本はただ単に勝利をめざして盲目的に戦い、占領地での行政は軍人の野蛮な軍政が実施され、素人の教師や公務員が派遣され、日本語の強制が行われた。「大東亜共栄圏」の標準語として日本語を強制して、その占領地の文化を剥奪するなど被占領民族の憎しみを煽るだけという稚拙なものであった。
 日本語が世界で最も特殊な言語であるのは、一人称代名詞が無数にあり場所と関係によって使い分けるところにある。人間が個人として自立していく時に、それは一人称代名詞を通しておこなわれる。英米人はIで自己を確立し、フランス人はjeで、スペイン人はyoで、ポルトガル人はeuで、オランダ人はikで、中国人はwoで、インドネシア人はsayaで遂行する。しかし日本人は、私・ぼく・わい・われ・あたい・余・麿・わし・自分・わたくし・おれ・あたし・朕などなど無数にその場によって使い分ける。たった一個の一人称代名詞を使い続けることで自己を固定するのが普遍的な世界で、日本人だけは一人称代名詞が道具となってしまう。場面が軍国主義であれば全員が軍国主義者になり、場面が民主主義であればみんなが民主主義者になり、永久に個の自立が成し遂げられない。日本以外は、王であれ奴隷であれ一人称代名詞は同じであるから、身分は違っても個人としては平等だという尊厳の意識が出てくる。ここから日本語では、言語自体を軽んじて言葉の尊厳自体も危うくなる。言葉の重みがないから、互いに相手の言葉の裏にある言外の言を必死に探ったり、黙して語らずと云った心情主義に陥りやすい。現実を言葉の装飾によって美化する浮ついた表現が登場し、それに自縄自縛となって酔う傾向も出てくる。真実と事実をリアルに見つめることができなくなる。例えば、太平洋戦争期にメデイアで踊った言葉を列挙してみると、神国日本・天津日嗣・天壌無窮・金鴎無欠・八紘一宇・南進日本・躍進日本・七生滅敵・国体護持・本土決戦・一億玉砕・現人神などなど仰々しい言語が時代を覆い、大多数の日本人はマインドコントロールの呪縛に陥った。これらが如何に虚妄であったかは、一億玉砕など全国民が死んで後に何が残るのかを考えれば、その狂気の構造は一目瞭然であるが、当時の日本人は本気で信じていたのだ。
 さていま世界は、「自由・民主主義・人権」という米国型デモクラシーという一国帝国の価値観が覆いつつあり、違う価値は暴力で服従させようとしている。世界最悪の犯罪多発国家である米国は自らの足下を見るならば、恥を知るべきであるが、それさえも自覚できないほど視野狭窄のユニラテラリズムに陥っている。まさに太平洋戦争期の日本語環境と同じなのだ。米国の「自由・民主主義・人権」とは米系多国籍企業が全世界で自由に活動できることと同義なのだ。イラク軍の捕虜となった米兵の待遇がジュネーブ条約違反だとして国際法違反で訴追するとする米政府は、自らが先制予防戦争という国際法の最悪の違反を犯していることに気づかないほど頽廃している。永遠と思われたパックス・ロマーナが没落したように、パックス・アメリカーナは実現する前に自壊するだろう。戦争で一時的な勝利の過程を歩めば歩むほど、米国の財政と経済は危機が深化していく。小泉は殺人の共犯者として日本を滅亡の道に引きずり込んでいる。(2003/3/26 1:12)

[イラク侵攻作戦のシナリオ−米政府は世界を欺瞞している(米紙ワシントン・ポスト記者ボブ・ウッドワード23日付け記事から)]
 氏の明らかにした米政府のイラク侵攻作戦のシナリオは次のようになっている。氏は『ブッシュの戦争』の著者。

 2001年 9月 同時テロ当日ラムズフェルド国防長官「いい情報を早く。UBLだけでなくSHを叩くのに十分な情報を」指示」
           翌日ラムズフェルド長官「テロリストとの総力戦はイラクを攻撃目標とする」と大統領に提案
           ウオルフォウイツ国防副長官「」今こそイラクを攻める時だ」と大統領に進言(15日)
           ブッシュ大統領「イラクが査察受け入れを拒否したらサダムは思い知ることになる」と述べる
           ライス補佐官「新しい世界秩序の構築にいかにこの機会を生かすか。国債の地殻変動が起こされた。
           従来の国際条約や機関に囚われることなく米国の行動を支持する自発的な連合を形成すべきだ」
           ライス補佐官「大統領は電球が急に明滅したように、そうだイラクをやろうと考えた」
       12月 ブッシュ大統領「来年は戦争の年になる」と予告(21日)     
 2002年 1月 リチャード・パール国防政策諮問委員長「サダムを放置し小さな国をやれば、米国は大きな国には手が出せ
           ないといことになる」と発言
           ブッシュ大統領「悪の枢軸」演説でイラク・イラン・北朝鮮を国際テロ組織と非難(「イラクが査察を受け入れ
           てもフセイン政権を打倒する。危機が近づくのを座視しない」)
           ブッシュ大統領 米中央情報局(CIA)のフセイン大統領追放の包括的計画の実施秘密命令に署名 
           ブッシュ大統領 イラク反体制派支援とフセイン打倒の情報収集予算2億ドル(240億円)支出承認
        6月 CIA準軍事部隊秘密裏にイラク国内への侵入を開始 イラク全土でフセイン打倒の組織網確立
        9月 ラムズフェルド国防長官・フランクス中央軍司令官等によるイラク侵攻作戦「OPLAN1003V」作成
           ブッシュ・ドクトリン 悪の枢軸に対する予防的侵略戦略構想決定
           ブッシュ大統領 国連総会演説で大量破壊兵器査察再開承認演説 同時に米海兵隊クエートで演習開始
                    (ラムズフェルド長官は査察期間を利用して作戦遂行兵力の展開と作戦細部準備)
           イラク 査察無条件受け入れ受託
           米軍カタールに中央軍司令部設置
       11月 国連安全保障理事会決議1441全会一致で採択
           イラク査察受け入れ表明し査察再開
 2003年 1月 「空爆開始後4日の地上戦開始」作戦案決定
           ブリクス委員長査察の有効性を評価する報告書提出
           パウエル国務長官査察打ち切り主張
           ブッシュ大統領アルミ管輸入を核開発計画とする一般教書演説
        2月 フランクス司令官「特殊部隊による極秘作戦を本格侵攻開始の2日前に始める」作戦決定
           米国 イラク大量破壊兵器開発の証拠を安保理に提出(これが大学生の作文であった)
           ブッシュ大統領「ゲームは終わった」宣言
           査察団追加報告で査察継続を要望 米軍飛行禁止区域からの爆撃開始
        3月 イラク アルムサード2ミサイル廃棄開始
           パウエル国務長官査察即時打ち切りを主張
           査察団定例報告で査察継続を要望
           米英スペイン3国共同修正決議案提出(17日武装解除最終期限)
           フセイン大統領の居住するドラ・ファーム施設への秘密作戦を特殊部隊が開始(19日)
           2日後に開始予定の地上部隊侵入を24時間繰り上げて開始(20日)

 おそらくこれは事実だろう。なぜなら事態の進行とこのシナリオはピッタリと一致している。米国は、最初から国連を手段として愚弄し辱め、全世界を欺瞞する外交を展開しながら着々と単独行動によるイラク侵略作戦を実行していたのだ。これでは同盟国である英国やスペインも単なる操り人形に過ぎないと云う哀れな処遇を受けたことになる。悪の帝国アメリカは、地獄に堕ちるだろう。(2003/3/25 11:55)

[米国の世論の真実]
 米国ではベトナム戦争を上回る規模の反戦行動が全土で展開されているにもかかわらず、報道機関の世論調査は開戦後70%を越えているというデータがある。このパラドックスの背景に何があるのか。NYでは開戦後の19日に地元TV局の最新調査では、市民の51%がイラク攻撃に反対であり、賛成は35%に過ぎない。東海岸のボストンやフィラデルフィアや西海岸の大都市では反対が多く、南部や西部では逆に戦争賛成論が多いという地域的な差異が際だっている。
 さらに人種間での意見の相違が浮上している。NY1の調査では、アフリカ系米国市民の72%が戦争に反対で、賛成は15%に過ぎない。一方白人市民は、39%が反対で49%が賛成という逆の結果になっている。ラテンアメリカ系は反対派が多いが、ほぼ拮抗している。白人は賛成派が多く、黒人は反対が多いという構図となっており、人種間の亀裂が拡大している。

 International A.N.S.W.E.Rは次のような声明を発した。『ベトナム戦争の時に米軍司令官は、「米軍が農村を焼き払っているのは、共産主義から農民を守るためだ」と説明し、ブッシュは「バグダッドを爆撃するのは独裁者からイラク国民を守るためだ」と云っている。450万人が密集する大都市を何百マイルも離れた潜水艦や航空機から発射する巡航ミサイルや3万フィートの上空から落とす3000ポンド爆弾は、大規模なテロ行為に他ならない。世界で最精鋭の軍事力を持った帝国が、最貧国が将来持つかも知れない最精鋭兵器を許さないと云って殺すという恐るべき偽善がある。しかし戦争犯罪者は予想し得なかった反戦の世界世論に火を付けて驚愕している。彼らは自らいま孤立しつつあると自覚しているからこそ、より凶暴になっている。いま希望は、恐怖と苦難に耐えつつあるイラク民衆の犠牲のうえに逆に実を結ぼうとしている』。ここに米国世論のまっすぐな良心があるように思われる。日本のライオンヘアー首相は、「戦争反対という情緒的な考えは間違いだ。だれでも情緒としては戦争に反対する」といって反戦世論を攻撃しているが、ここには恐るべき命に対するニヒリズムがある。どのような戦争も間違いだという戦争違法論こそ悲惨な第2次大戦からつくりだした人類の理性の到達点だ。暴力ではなく話し合いで解決しよう−というのは子どもの方がよく分かる意見が違う場合の処理方法だ。(2003/3/25 00:35)

[ブッシュよ恥を知れ、貴様の持ち時間は終わった!!]
 イラク攻撃の最中に米国ハリウッドで行われたアカデミー賞授賞式は、テロに備えて州兵が出動して厳戒態勢が敷かれ、赤じゅうたんには金属探知器が設置され、入場セレモニーは大幅に縮小された。アドリブは自粛、台本通りに進行するよう主催者は求めた。にもかかわらず、標題の激烈な批判の言葉は誰あろうアカデミー賞受賞者マイケル・ムーア監督の受賞スピーチだ。氏はドキュメンタリー部門で銃社会を鋭く批判した映画「ボウリング・フォア・コロンバイン」で受賞した。氏のスピーチ(ここにアメリカン・デモクラシーの神髄がある!)の概要は「僕らはイカサマ選挙で決まったイカサマの大統領を戴いて、嘘っぱちの世界に生きている。イカサマの理由をでっちあげて僕らを戦場に送り込むイカサマの情報が流している、そんな男のいる時代を僕らは生きているんだ。ブッシュよ恥を知れ、貴様の持ち時間は終わった」という胸のすくような演説でブッシュを切って捨てた。さらに「戦場のピアニスト」で主演男優賞を得たエイドリアン・ブロデイは「いかに戦争が悲惨で非人道的なものでるかを訴えたい。(なり始めた音楽にストップをかけて)平和による解決を」と述べている。主演女優賞のニコール・キッドマンは「同時多発テロ以降世界にたくさんの問題が生じ、このイラク戦争でも家族が愛する人を失っている」と反戦を訴えた。助演男優賞のクリス・クーパーは「私たちは平和を祈る」と述べて大きな拍手を受けた。アカデミー協会会長フランク・ピアソンは「兵士よすぐに帰れ、平和がすぐに訪れ戦争なしに生きよう」と訴えた。『ロードオブザリング〜2つの塔』の勇者アラゴルンを演じたヴィゴ・モーテンセンは、”石油のために血はいらない”WAR IS NOT THE ANSWER”と自分の着ているTシャツに書き、「真の勇者はすぐに戦わない」と述べた。ダステイン・ホフマン、スーザン・サランドン、キャシー・ベイツ、ダニエル・デイ=ルイス、ペドロ・アルモドバル(脚本賞)は、ピカソの平和の鳩をデザインした平和バッジを付けて登場し反戦を訴えた。かって冷戦期のマッカーシズムでハリウッドを追放されたハリウッド・テンといわれる10人の映画人の民主主義の伝統は脈々と生きており、私は感動した。ついでに云っておくと、彼らを裏切って密告したのがあのエリア・カザン監督(「理由泣き反抗」)であり、彼の受賞スピーチは抗議の嵐に包まれた。さて最優秀長編アニメーション部門は宮崎駿「千と千尋の神隠し」であり、評論家はアニメ史上の最高傑作・偉大な天才的監督と絶賛し、02年映画10のマスターピース(傑作)と最大級の賛辞を送っている。しかし宮崎駿監督と鈴木プロデユーサーは授賞式を欠席した。「いま世界は大変不幸な時を迎えているので受賞を素直に喜べないのが悲しい」(宮崎駿監督)「自分の笑顔がメデイアに流れることになるだろうが、今の時勢では辛いことです」(鈴木プロデユーサー)と述べ、明らかにイラク攻撃を批判して欠席したのではないかと思われる。

 昨年2月のソルトレークシテイ冬季五輪の開会式の開会宣言で、ブッシュは五輪憲章を逸脱する原稿にない「誇り高く、優雅なこの国を代表して」という米国の愛国心を鼓舞する語句を勝手に加え、テロの廃墟から見つかった星条旗を強引に入場行進に持ち込み、五輪の理想を傷つけ全世界の怒りを買った。 北米プロアイスホッケーリーグ(NHL)の試合で米国国歌が鳴り響き、主催者が場内放送で間接的な戦争支持を求めた時に、ファンはブーイングで答えた。NBAマーベリックスのカナダ出身ポイントゲッターであるステイーブ・ナッシュは、2月のオールスター戦で戦争反対を訴えるTシャツを着てプレーした。芸術家であれスポーツマンであれ、堂々と自らの社会的主張をアピールする文化がある。

 あなたは勝つものとおもっていましたかと老いたる妻のさびしげにいふ(土岐善麿)

 土岐善麿は明治から大正にかけて石川啄木の友人として、戦争と朝鮮併合に反対し、昭和にはいると戦争を鼓舞する論説を発表した歌人である。家にあって台所で食事を作り続けた妻は、乏しい材料から別の歴史認識を形成していた。大正期まで反戦を訴えた知識人は多いが、昭和の長い15年間の戦時期にその立場を守った者は少ない。日本の知識人の連続転向を問うことによって、反戦の根拠を理論に置く者は転向し、生活に置く者(自分は殺されたくない)は転向しない。いま世界で最も新しい文明が、最も古い文明に対して攻撃を加え、女性、子ども、老人という戦闘力がない者から殺されている。攻撃を加えている新しい文明は、地球上の全ての生物(動物や草木も含めて)に対する破壊力を持っている。米国の大統領はこのことを自覚していないが、もはや人類は地球に対する謝罪として自分たちの終わりを考えるべき時が来ている。以上鶴見俊輔(朝日新聞3月24日付け夕刊)概要。

 前夜の空襲で撃墜されたB29から落下傘で逃れ、捕虜になった若い米空軍兵士は、額から口元にかけて一筋のまっ赤な血が流れ、取り囲む数百人の群衆をゆっくりと見回していた。20歳前とさえ思われた青年の肌の白さと美しさ、僕らと同じ人類なのか、こんな美しい人々と僕らは戦っていたのかと愕然とし、身体が震えた。彼はやがて処刑されるに違いない・・・・あれ以来あんな美しい西洋人を見たことはない。演出家木村光一(朝日新聞3月24日付け夕刊)概要。

 あれ以来日本は米国に意見を言えない国になった。1980年代の経済摩擦からイラク侵略まで、日本は沈黙で相手の理解を得ようとし、外交では米国の投票機械に成り下がった。西欧は口角泡を飛ばして議論して相互理解を図ろうとするが、日本は常に相手の顔色をうかがいながら強者に屈従し、弱者を迫害してきた。日本は国内でも、筋を通して意見を戦わせる生活がない。常に相手に如何に気に入られようとする行動パターンをとってきた。米国は唯一の帝国となり、検事、判事、執行人を兼ねた単独行動をとって国際法を無視するヤクザになった。あなたの学園で討論の機会はあるか、あなたの職場で上司に自分の意見を言ったことはあるか、たとえ孤立しても堂々と自分の考えを主張したことはあるか。日本で異論を唱える者は村八分の制裁が待っている。カネを唯一の価値として生きてきた日本は、世界有数の経済大国とはなったが、人間的価値としては最低の国に頽廃してしまった。「経済気象台」(朝日新聞3月24日付け夕刊)参照して筆者記す。

 日本は太平洋戦争の被害と加害の膨大な犠牲から、どのような教訓をくみ取って歴史を刻んできたのであろうか。(2003/3/24 21:30)

[世界で日の丸が焼かれている]
 世界で巻き起こっている反戦運動の象徴的なパフォーマンスとして、抗議対象国の国旗を焼却して抗議の意志を示すということがおこなわれる。驚いたことにはアフガニスタンではじめて反戦行動がおこなわれたことだ。戦後復興過程にあるアフガンは、国際社会特に米国と日本の支援を受けているから、イラク侵略に反対する気持と米日との友好関係を重視する複雑な状態にある。アフガン東部ラグマン州都メータルラムで23日イラク侵略に反対する市民1000人がデモ行進をおこなった。参加者の多くは学生や商店主などのプチブルジョア階級である。庁舎前で「米国に死を!英国に死を!」を叫んで、星条旗と英国旗や日章旗を焼いた。イスラム原理主義の影響が残存していることを示しているかどうかは置いて、私たちが注目しなければならないのは、日本の評価がブッシュの奴隷としてパシリとして全世界から軽蔑され嘲笑されていることだ。このような日本をつくるために誰が戦後日本を営々とつくりあげてきたのか暗然たるものがある。(2003/3/24 9:00)

[むごい 余りにも酷い 恐ろしい写真]
 カタールの放送局アルジャジーラのサイトにイラク侵略戦争の犠牲者の写真がある。少女や散乱した兵士の死体。少女の頭は上部頭蓋骨が破壊された痛ましいものである。何でこのような悲惨な死を遂げなければならないのか。衝撃より前にこうした死体の写真を公開するアルジャジーラの報道基準を問いたくなる。広島原爆記念館の展示も残酷であるが、この少女の写真は目を覆う。いかなる言葉による表現も不可能な、否一切の表現を許さない死のむごたらしさがある。私は初めて心の底から米軍に対する憎しみが込み上げてくる。許せない残虐行為だ。
 もしこのサイトを開いている人がいれば、ぜひとも「阿修羅」という戦争サイトを開いて欲しい。アラビア語から日本語へ翻訳し直した情報と写真が掲載されている。少々キワモノっぽいサイトなので敬遠するかも知れないが、戦争写真は恐らく事実だろう。電脳精密兵器戦争の裏でどのような犠牲者が出ているか、肌身に滲みて理解できるだろう。
 サンデー毎日(3月30日)「命奪われし者たちの叫び−イラク・アメリア・シェルターの悲劇」を見よ。400度の超高温で焼き付けられた人影、湾岸戦争中のバグダッドの住宅地にあるシェルターでは422人の内408人が死亡し、うち5歳以下の子ども52人が死亡した。壁には、女性の人影、大きく口を開けている男の顔が焼き付き、地下室の壁には眼球や皮膚が張り付いている。劣化ウラン弾によってイラクの子どもはいま地獄の白血病を病んでいる。
 戦争報道とは何か、何を伝え何を伝えてはならないかをストレートにジャーナリズムに迫っている。一般メデイアの報道がいかに綺麗事に終わっているかを白日の下に晒している。(2003/3/23 23:40)

[イラク侵略戦争の対費用効果と国際連合の崩壊]
 巡航ミサイルトマホークの一基当たり単価は7000万円、地中貫通爆弾バンカーバスターは2000万円であり、3月20日−21日に少なくともそれぞれ360基と4基が発射された。米中央軍司令官は約3000発の「史上空前の規模」の空爆になると言うから、実に800億円の消費があるということになる。国連査察委員会IAEAの年間通常予算(査察活動を含む全体予算)の3年間分、日本が98年までにおこなった援助累計額600億円をはるかに越える。大量破壊兵器の消滅と政権交代に要する爆弾費用としては余りにも非合理的であり、ただ単に軍需企業の利益が極大化するに過ぎない。膨大な財政赤字を抱えた米国経済は奈落の底に沈む恐慌の過程にはいる。軍事と経済の対費用効果からみれば明らかに馬鹿げた攻撃作戦だ。金のかからない戦争はないという苦い教訓を得て米国は歴史の審判を受ける。

 いま国際連合の評価をめぐって2つの意見がある。戦争推進派は、米国主導の戦略を拒否した結果「国連は機能停止に陥った」という国連マヒ論であり、他方の反戦派は戦争を許した国連は結局国連は無力であったという国連無力論である。事態をリアルに見るならば、これらの議論はいずれも正しくない。国連は、米国の一方的な武力攻撃決議案を拒否したという点で国連憲章の正しさを守ったのであり、昨年9月のブッシュの実質的な戦争演説から少なくとも半年は開始を遅らせ、米国が世界の孤児であり国際法の正義を国連は守ることに成功したことを高く評価しなければならない。かっては米国の投票機械と言われた国連は逆に米国を孤立させてその権威を守ったのである。安保常任理事国として拒否権行使を宣言したフランスは賞賛さるべきだし、米国の影響が強い中間派理事国の殆どが米国案を拒否したのも立派である。このなかで恥ずべき役割を演じたのは他ならない日本政府である。
 ただし国連憲章を無視して攻撃に出た米英を糾弾・非難できない国連の限界も露わとなった。国連の真価が本格的に問われるのは、復興の人道支援とポスト・フセイン政権構築に国連が関与できるかどうかにある。その基準は、イラクの将来の決定権はイラク国民自身にあり、特にアラブ諸国が助言しうるシステムをつくるかどうかにある。復興支援に早くも米系石油メジャーは絶好のビジネスチャンスとしてハイエナのように群がろうとしている。占領軍最高司令官と米系メジャーのプログラムを規制し、大イスラエル主義による政権構想を許さない介入を国連が行使できるかどうか、ここにこそ国連の未来がかかっている。イラクを壊した責任の大半は米国にあるから、再建費用はすべて米国が負担すべきである。民間人の死者に対する賠償と傷ついた乳幼児を含む市民の治療費はすべて米国負担としなければならない。破壊された建物その他のインフラ復興資金もすべて米国が負担しなければならない。
 こうしたイラク再建過程に、日本政府が現在と同じ米国追随主義で奴隷のように振る舞うならば、日本は全世界の冷笑を受け、恥ずべき国家として遇せられる。日本にとって最も危険なことは、ポストイラク後の北朝鮮攻撃に対応する自衛隊出動という軍事国家に転化することである。世界と日本の良心は、決してこのような野蛮な暴力団の論理を許さないだろう。(2003/3/23 19:30)

[11歳の僕でも分かるのになぜ大人は分からないのか? People United Never Be Defeated連帯した市民は決して滅びない]
 20日のサンフランシスコの反戦集会の質は高い。参加者の多くは授業をボイコットした大学生・高校生・中学生・小学生が中心だ。「国家が侵略戦争を始めたというのに、学校や仕事に行き、いつもと変わらぬ日常を送ることはできません」と述べる。驚いたのは行動に参加した地元の小学生グループが「今日は学校の授業をボイコットしてきた。校長先生からは処分に合うかも知れませんが、気にしません。11歳の僕たちでもこの戦争が間違っていると分かるのにどうして大人は分からないのでしょうか? アメリカはもっと頭のよい大統領が必要です」。この小学生の澄んだ瞳は鋭く真実を見抜いている。
 22日のロンドンでは100万人の大行進がおこなわれた。開戦後は挙国一致の雰囲気が強くなるのが普通だが、英国人は不正義の戦争による英兵の死を許さないと云う意志を明示した。ここでも学生から中学生・小学生が授業をボイコットして参加している。第2次大戦の英雄であるチャーチル元英首相の曾孫にあたるジェシカ・チャーチル・マクロードさん(14)は中学生600人の隊列の先頭に立って云う。「イラク攻撃には賛成できない。選挙で選ばれた指導者が若者の考えを聞かないことも納得できない。曾祖父の業績をとても誇りにしているけど、戦争に反対することで彼の名声を裏切るとは思わない」。立派だ。尊敬に値する。

 「世界は、今大国が目的達成のために他国の指導者の暗殺も辞さないという驚くべき事態に直面している。誰が次の犠牲者になるか分からない。恐るべきことだ。大国が我々を攻撃する気になれば、もはや国連に頼ることはできない。刑の執行人が裁判官なのだから、我々は有罪になるだろう」(マハテイール・マレーシア首相 21日記者会見」と述べている。ライオンヘアーが恥じて身を隠すような堂々たる発言だ。米国は最低のモラル・ハザードをおこしている。なぜこのようなモラル・ハザードが起こっているのか。米国は世界最悪の銃暴力が横行する犯罪国家だ。殺人事件が日常茶飯事で恐怖の日常生活が満ちている。米国人はなんでも暴力で解決しようとするが、その過剰な攻撃性が銃と結びつくと簡単に人を殺してしまう。過大化した攻撃性は、銃を持てばミサイルや戦車など世界最強の軍事力を持てば、説得よりも武器による威嚇に依存して理性を失ってしまう。ブッシュは、テロと独裁国家を結びつけて意図的に国民の恐怖を煽り米国を侵略戦争に引きずり込んだ。これが恐怖による先制予防攻撃戦争論(「新しい戦争」)だ。こうした欺瞞に満ちた非人道的なふるまいに国民を動員するプロパガンダが最大限動員されている。
 米国政府は周到なメデイア操作によって世論誘導作戦をおこなってきた。たとえば湾岸戦争の時に、クウエート大使の娘が米議会でイラク兵が保育器から未熟児を取り出し道端に投げつけた残虐行為を証言して反イラクの雰囲気が一気に高まったが、この証言は米国大手広告代理店が仕組んだ完全なヤラセであったことが判明している。ユーゴの民族浄化の大量虐殺も同じ広告代理店の仕掛けた宣伝によるものだ。この背景には、ベトナム戦争時の反戦報道によって米国政府が追いつめられた苦い経験がある。しかし権力によるメデイア操作によって一時的に歴史を偽造しても、真実は必ず暴かれるというのも歴史の絶対的な真理だ。なぜなら歴史は真実の連鎖であるからだ。

 米国の介入を弁護できる唯一の理論は、ユーゴ内戦時に国連軍が依拠した「人道的介入」論だ。ある国で一部の国民が極端に不当な扱いを受けたり、虐殺されたりしている時には国際社会は主権を侵してでも介入すべきだという理論だ。しかしこの理論は限定的な条件が要る。「もし加害者への攻撃が許されるとすれば、現実に虐殺が起きており、且つ加害者に攻撃を加える以外に手段がない場合に限られる。それも各国が勝手に判断するのではなく、国連のような世界機関の集団的判断による集団措置でなければならない」(最上敏樹『人道的介入』岩波新書)というように。私は全面的に「人道的介入」論を認めるものではないが、今次イラク攻撃は完全に「人道的介入」基準をも逸脱している妄想的な行為だ。細菌化学兵器を含む大量破壊兵器を廃棄するのが目的だとするならば、それは正しい。なぜなら米国を含む全世界の大量破壊兵器を廃棄するという全世界非武装という究極の理想に接近するからだ。しかし最大の欺瞞は米国自身が世界で最も強力な大量破壊兵器を独占する帝国であり、自らの武装解除については一顧だにしないモラルの衰弱があることだ。「ブッシュはフセインを倒せば、アラブは花束を持ってあたたかく米軍を迎えるだろうとでも考えているのか。それは幻想に過ぎない。イラク戦争で大量の犠牲が出れば中東全域で反米の大衆蜂起が起きるだろう。米国の目的はイスラエルによる中東支配を実現する大イスラエル主義にあり、絶対にアラブの文明とは両立しない」(ハッサン・ナファカイロ大学教授)。 

 今朝の朝刊の一面に、イラク南部のウムカスルでシャツを真っ赤に染めた父親が横たわり、その側で頭から血を流している少女が涙を流して座り込み、母親が泣き叫んでいる写真がある。米海兵隊の衛生兵がかがみ込んでそれを見つめている。この米兵は一体何を考えているのであろうか。自らの無知と殺人罪を恥じよ。ただちに良心的兵役拒否の権利を行使して故郷へ帰れ。こうした事実をこのHPに記せば記すほど沸々と私の胸に怒りが込み上げてくる。米軍は「孫子の兵法」の”戦争とは騙すことだ”という発想で、今次の「衝撃と恐怖」戦略を組み立てたそうだ(ハーラン・ウルマン博士主導の共同研究)。彼らの作戦は文字通り成功しつつある。しかし彼らは完全にもう一つの側面に盲目となっている。「衝撃と恐怖」による権力への奴隷的な服従は、内面に噴き上がる屈辱感と怒りを蓄積させ、遠くない将来のある日突然マグマのような炎となって逆襲するだろう。特に今次侵略戦争で命を落とし傷ついた人々は、必ずいつの日かの復讐を誓って占領をくぐり抜けるだろう。こうして戦争と暴力の連鎖という地獄への道が切り開かれた。

 背後のNHKTVの政治討論会が終わり、甲子園野球大会の中継に移って、高校生の白熱した試合が放映されている。私はある種の虚しさがないでもない。甲子園野球大会は、戦争を横目で見ながらフェアープレーを演じるという恐るべきパラドックスを青年に強制している。欧米の学校で授業が中止されて反戦行動に小学生が参加している今、正しい選択は甲子園大会の中止にあるのではないか。徐々に怒りが増幅してまさに私は噴火直前の状態だ。

 突然ぶん殴られても怒れないような善男善女がうじゃうじゃ生息する一方で、あきれるほど些細なことでキレまくる若造が蔓延している現代ニッポン。それは車の両輪だ。彼らは怒りを感じ表現する機会を幼少期から奪われ続けてきた。怒りの感情と技術を学ばない社会は、他者の怒りと悲しみを理解できない社会であり、むしろ強力なリーダーを願望するファッシズムの基盤を育てている。善意の大海原の微風の中でたゆたんでいる頽廃がある。以上は中島義道『怒る技術』の概要だ。私は中島氏の主張自体が究極には暴力への希求を潜ませるファッシズムの心情をはらんでいるのんきな挑発論理でしかないと思うが、不正義と抑圧と非道に対する直感的な抵抗としての怒りが衰弱し、羊のように冷笑しながら私生活主義に堕落している現代生活の一部を彼なりに突いていると思う。では中島氏はイラク侵略戦争に怒りを覚えて抗議しているのかというと、書斎で原稿を書いているに過ぎない。熱い心臓と冷たい頭脳でもって、歴史の真実を見抜き、そこに参加していくパフォーマンスの質が問われる21世紀の初頭となった。絶望の裏の顔にははっきりと希望と記されている。闇が深ければ深いほど来るべき朝は明るい−このことばに具体のリアルな内容を加えるのは私たち自身だ。(2003/3/23 10:50)

[21世紀の日本はどこへ行こうとしているのか]
 9・11以降一極帝国による世界支配のシナリオが火蓋を切り、日本は思考停止状態で次のシナリオである北朝鮮攻撃を想定している。日本は憲法改正によって世界帝国との連携による第2の軍事国家に転換する。超国家主義ないしファッシズムへのプランがテロの脅威を口実に実践に移されている。テロの脅威と恐怖を最大限に利用すれば、愛国心を動員する権力による国民意識の操作はそれほど障害はない。愛国心の動員は遂に教育基本法改正という中央教育審議会答申に登場した。「伝統・文化の尊重」「郷土や国を愛するこころ」「公共心の育成」など一見伝統回帰的な方向に見えるが実はそうではない。なぜなら他方で国際競争を勝ち抜く「たくましい日本人」を訴えているからだ。日本の将来は二極分解する。世界規模の競争を勝ち抜く国益に基づいて行動するエリートと、競争からこぼれ落ちた広範な脱落者が反社会的な方向に向かない公共心を持って服従する2極だ。

 一極帝国の対テロ民主化解放戦争という大義は一定の帝国白人市民のハートを掌握しつつある。開戦後反戦世論が低下している國は、米英であり何れも参戦国だ。たとえ不正義の戦争と雖も命を懸けた自国兵士を守ろうとするナショナリズムの心情が働くからだ。しかし少し事実を冷静に見れば、米国こそ国際司法裁判所が認定した歴史上最初のテロ国家なのだ。米国は1980年代にニカラグアの極右ゲリラであるコントラを支援し、ニカラグアは国際司法裁判所に提訴した。1986年国際司法裁判所は「無法な力の使用」=国際テロと米国有罪の判決を下し賠償金の支払いを命令したが、米国は拒否して攻撃を続行した。ニカラグアは国際法の遵守を訴えて国連安保理事会に提訴したが、米国一国の拒否権で退けられた。
 こうした米国の単独行動主義の背景にあるのは、南部バプテイスト教会を中心とするネオ・コンサーバテイズム(新保守主義)だ。この超保守思想は、世界を星条旗型民主主義で塗り固めようとするパックス・アメリカーナの実現にある。これは米国多国籍企業の最大限利潤の達成する政治的安全性の確保と結びついて、遂に政権中枢を握ったのだ。デイック・チェイニー副大統領は、石油メジャー企業ハリバートンのCEOであった。ハリバートンは、石油採掘機の販売会社であるが、同時に軍事基地の建設をおこない湾岸戦争で巨額の利潤を挙げた。
 エネルギーの安全保障という観点から見れば、米国がなぜイラクにかくも狂気のような行動をとるかが分かる。今と同じ量で石油を消費すれば2022年から枯渇が始まり(今より1%増なら2016年、2%増なら2011年、3%増なら2006年)、10年後には石油の価格が現在の2−3倍となり、20数年後には人類は石油時代の終焉を迎えることになる。フランス、ドイツ、ロシア、中国が米国の単独行動に強く抗議している理由の一つがここにある。なぜなら世界各地の石油資源が減少していく中で、OPECの生産量が全世界の40%に達してOPECが石油価格の支配権を握る可能性が劇的に高まる。つまりイラク・イラン・サウジが世界のエネルギーの覇権を握ることになる。これは米国石油メジャーの危機的な状況だ。

 ここで問題なのはイラクの独裁体制にある。ここに米国が石油問題は一切表面に出さず、専ら反テロ・反独裁を戦争の大義とする根拠が生まれる。イラク人のホンネの一部に、「戦争になってもいいからフセインの圧政から逃れたい。空爆は怖くないが、ドアを叩かれるほうが怖い」と云う声があるように、イラク人にとっては秘密警察からの解放という秘かな期待がある。この声は米国のプロパガンダであるかも知れないが一片の真実はある。重要なことは、反戦と同時に反独裁を追求する重層的な態度が求められているという点だ。
 私は「人間の楯」について考える。彼らは恐らく絶対平和主義によって自らの命を捧げている。いわば戦争の現場における反戦の直接行動だ。宗教者がこうした行動に参加するのは、自分と神を直接結びつけて、神の道具として戦争の犠牲者との痛みを分かち合うことを信仰の証と考えるからだ。21世紀がパックス・アメリカーナの平和か神の平和かという二分法ないし二元論から、ギリギリの極限に自分を追い込む。自分のいのちは宗教者にとっては自分のものではなく神のものだ。神聖なものを犬に与えてはならず、真珠を豚に与えてはならないのだ。犬はブッシュで、豚はチェイニーだ。
 イラク臨時大使河野雅之氏は米国を支持する日本政府方針に批判を持っているそうだ。米国の多くの大使はすでにブッシュの方針を批判して辞職しているが、日本の外交官はその点で矜持がない。いよいよ終盤を迎えつつあるかに見えるイラク攻撃の速報を聞きながら記す。背後のNHKTVからは漫才が流れてくるが、なんだか悲しくなる。(2003/3/23 1:10)

[Shut Up Bush&Listen to The People 私は世界の若者を信じることができる!!]
 米国がイラク攻撃を開始した20日全世界で一斉に抗議集会が開催された。アメリカでは、ハーバード大学の学生が授業をボイコット、シカゴでは高校生数百人が授業一時不参加で抗議、ニューヨークではホワイトハウス前緊急集会で数百人の学生が抗議した。ドイツでは、ベルリンで昼に集まった高校生20000人が行進し、ミュンヘン5000人、ケルン2000人の高校生が気温3度の中を「馬鹿げた戦争はやめよ」と行進した。フランスでは全国学生連盟UNEFが「戦争がルールとなる世界に何もせずに生きることはできない」とのアピールを発表し授業放棄に入った。パリ・リヨンでは授業放棄した学生と高校生が朝から抗議行動に入り、2万人の行進の先頭に立ってコンコルド広場に向かった。イタリアでは、同じく高校生と大学生が授業放棄に入り、ローマ・ナポリ・ミラノなどの主要都市で抗議行動を開始、最終的には全ての学校で最終授業が放棄され、1000人が米国大使館前で「戦争ノー、弾丸ノー」と叫んで座り込みに入った。ギリシャのアテネでは、午前中の授業を放棄して1500000人の大学生と高校生が「ブッシュ人殺し!」と叫んで米国大使館に向けて行進した。スイスでは、高校生が一斉に授業を放棄しジュネーブ5000人、ヌーシャテル3000人など主要都市で平和を象徴する虹の旗を掲げて行進した。イギリスでは、ロンドン、マンチェスター、リーズ、ブラッドフォードなどで朝から授業を止めて集会を始め、ロンドン議事堂前では午前中から授業を放棄した高校生4000人が「イラク攻撃をやめよ」と行進した。スペインでは、バルセロナで大学生と高校生が中心となって、12000名が米国領事館前で抗議行動をおこなった。ロシアでは、市内の高校で生徒の全員集会が開かれ戦争反対決議を挙げ、代表が米国大使館に抗議文を渡した。エジプトでは、カイロ大学で5000人以上の学生が戦争の中止を求める学生集会を開いた。トルコのヨルダン大学では約1000人の学生が抗議の行進をおこなった。以上は私が入手できた情報の一部にしか過ぎない。
 私はここに未来への確かな鼓動と希望を信じることができる。日本の高校生も行動を起こしている。名古屋市栄丸栄スカイル前で40数名の青年が19日夜から徹夜の座り込みに入り、20日の朝を迎え、地下鉄本山駅で80名の大学人と学生が東山公園まで行進した。21日には東京渋谷・宮下公園でイラク攻撃反対全国高校生集会が開催され、約1500名の全国から参加した高校生が渋谷の街を行進した。昨年夏に開かれた「全国ユースフォーラム2002」に参加した高校生一同が、ブッシュと小泉にあてた武力攻撃反対アピールを発表し、沖縄県立球陽高校の生徒400人はグランドに”NO WAR”の人文字をつくって反戦を訴えた。京都・滋賀の芸術系学生は、京都・三条大橋に50枚の布に反戦メッセージを展示し、銀座では葛飾区在住の大橋光雄さん(69)が銀色学生帽に”小泉には天罰が下るぞ”と記して街頭座り込みをおこなっている。

 横須賀基地の米兵と家族を対象にした街頭投票で、イラク攻撃を支持する4名・反対する10名・分からない8名という結果がしめされ、米兵とその家族200人が反対署名に応じ、80の家族が懐疑を持っているそうだ(東京新聞22日朝刊)。私が驚いたのは21日の東京芝公園の抗議集会に米兵の妻子が参加して反戦の意思を表明していたことだ。ちなみに彼女の夫は現在空母コンステレーションの乗組員として攻撃に参加している。
 世界の知性が激しい憤りのメッセージを挙げている。「武装した社会ダーウイニズムが始まった。これでは自然の法則、ジャングルの掟への回帰だ」(カルロス・ファシオメキシコ国立自治大学教授)、「私が習得した政治学の根本が揺らいだ。私は戦争について、どのような国際的正義をこどもや学生に政治学と法学を教えてよいのか分からない」、「米英は恥知らずにも世界を悪夢に導いている。私はできるだけ大きな声で抗議する。魂なき者たちのこころに入り込み、愚かな者たちのこころの中に松明を照らすだろう。戦争へのあらゆる口実は偽りであることが証明されている。誰の名においても戦争を許してはならない」(アナンド・パトワルダ インド映像作家)。

 最後に今次イラク攻撃がなぜ21世紀のシステムをゆるがす致命的な歴史の誤りであるかを確かめておきたい。20世紀の100年間を費やして莫大な命を犠牲にして、人類が到達している非戦の国際法が国際連盟憲章だ。国連憲章第2条4項は、個別国家の武力による威嚇と武力の行使を全面的に禁止している−これが現代国際法の大原則だ。武力行使が許される基準は、「武力攻撃が発生し、攻撃を受けた国による自衛権行使」(憲章51条)と「国連安保理事会が承認した軍事制裁」(憲章42条)の2つの場合だけだ。国連強制措置は平和を乱す行為のみに発動され、他国政権の転覆を認める国際法は存在しない。フセインが独裁政権であってもその交代はイラク国民の主権に賊する。イラクは米国を攻撃していないから51条は適用できない。国連安保理の戦争決議を自ら取り下げた米国は42条も逸脱している。さらにブッシュ宣戦布告の最終目標はフセイン殺害にあることは攻撃初日のピンポイント爆撃でよく分かった。米国は秘密裏の敵国指導者暗殺はいままで繰り返してきたが、公然と大統領の名で暗殺行為をおこなったのは今回が初めてだ。国連憲章では、主権の不可侵・内政不干渉を例外のない大原則を規定し、独裁国と言えでもその主権を侵犯してはならないことは国際法のイロハだ。これはまぎれもなく国家テロであり、近代世界史上初めての事態だ。
 ブッシュ・ドクトリンは、将来の脅威を事前に封じ込める先制攻撃戦略と予防攻撃戦略という国連憲章を真っ向から否定する単独行動主義を採用した。しかも先制核攻撃をも容認している。米国自身が国連憲章違反の侵略国であり、人道に反する罪(ニュールンベルグ裁判判決)を犯している戦争犯罪国家だ。米国がこのような視野狭窄の妄想国家になり果てたのは、南部キリスト教原理主義を基盤とするネオ・コンサバテイブ(新保守主義)が権力中枢を制覇したからに他ならない。ブッシュは、毎朝5時30分に起床して神への祈りを捧げた後、自転車を漕いで体調を整え会議に臨むそうだ。彼の信仰が何であろうと自由だが、神に依存しなければ判断できない頭脳水準の極めて低質なコンプレックスを信仰で補っているに過ぎない。
 さて戦局の動向をさながらバーチャル・ゲームのように伝えているメデイア報道を戦争犯罪の視点から冷静に分析する必要がある。特にNHKはもはや日本の放送局ではなく、米軍の官製報道を垂れながす奴隷の放送に陥っている。米軍の精密科学兵器を解説し攻撃側の成果を説明する堕落した画像を垂れ流している。戦争の真実は、破壊され炎上する建物、その中で血まみれになって死んでいく子ども、劣化ウラン弾を浴びて白血病になる人、飢えて泣く赤ん坊、水のでない水道にこそある。メデイアはかっての太平洋戦争期の大本営発表の鸚鵡返しに転落している。こうした報道で視聴率を上げようと云うメデイアは、ジャーナリズムの原点を失った報道屋にしか過ぎない。NHKはさっさとバグダッドを逃げてヨルダンから固定映像を送っているそうだ。哀しいかな再び次の詩を歌わねばならない。

 ちちをかえせ
 ははをかえせ
 としよりをかえせ
 こどもをかえせ

 わたしをかえせ
 わたしにつながる
 にんげんをかえせ

 にんげんの
 にんげんのよのあるかぎり
 くずれぬへいわを
 へいわをかえせ


  注:峠三吉『原爆詩集』(被爆後8年間生存し肺葉摘出手術で1953年3月10日36歳で死去。50年忌)    

 負傷して泣き叫ぶイラクの幼児の声を聞きながら記す。(2003/3/21 9:50)

[ブッシュ宣戦布告演説はヒトラーポーランド侵略演説に酷似している]

 「ドイツ帝国総裁アドルフ・ヒトラーの1929年9月1日ドイツ軍への声明」
 
 私が望んだ国家間の平和的解決をポーランド政府は拒否し、そして武力で解決しようとした。ポーランドのドイツ人は残酷な恐怖に迫害されて家を追われている。国境地域での度重なる違反は、偉大な国家にとって耐え難いことであり、ポーランドがもはや帝国の国境を尊重する意志がないことを証明している。このような狂気を終わらせるためには、これからは武力には武力をもって交えざるを得ない。ドイツ軍は再生ドイツの誇りと生存権のために堅い決意をもって戦い抜くであろう。永遠なるドイツ兵士としての偉大な伝統を自覚している全ての兵士たちは、偉大な国家社会主義ドイツ労働党の代表であることを忘れることはないであろう。わが国民とわが帝国よ永遠なれ。


 ブッシュ演説との異同:ドイツ帝国=アメリカ合衆国、ポーランド=イラク、ポーランドのドイツ人=イラクのクルド人、偉大なナチス=偉大な星条旗、そしてアドルフ・ヒトラ=ジョージ・W・ブッシュ.戦争は自国の青年の命を要求するするものであるから、それにふさわしい義務観念を誘発する聖なる大義が立てられる。それが恐るべき欺瞞に満ちたものであっても、堂々と大言壮語しなければならない。青年たちは虚偽の大義を祖国への献身と捉えて命を投げ出す。邪悪な戦争ほど美辞麗句の理念で飾られる。それを見抜く方法は、国際法のルールに沿っているかどうかを自分自身の頭で考え抜くことしかない。しかも「敵」の立場に一端は身を置いて冷静に自国の指導者の言辞を観察する冷徹な理性的認識が求められる。今次イラク攻撃において、80%を越えていた英国国民の反戦世論は、開戦と同時に50%に下降してしまった。ここに人類の戦争認識の謙虚に見つめなければならない限界がある。(2003/3/21 2:00)

[ありがとう、偉大な指導者ジョージ・W・ブッシュ]
 遂に始まった史上最悪の汚い戦争、無辜の民と子どもたちが今この瞬間に恐怖で打ちのめされて眠れない夜を過ごしている。国連は無力だったのか、世界最強の帝国の無法を食いとめることはできなかったのか、軍事力の前に無力な平和の鳩、TVから爆撃の轟音が響き、空襲警報のサイレンの音が鳴り渡る。痛みに耐えてのたうち回る子どもたちの姿が目の前をよぎる。全ては力ある者に引き回されて汚れていくのか。
 パウロ・コエーリョ(ブラジル作家 世界的ベストセラー『アルケミスト』)は鋭いシニカルな諧謔を通して私に勇気を与えてくれた。以下は朝日新聞3月20日付け夕刊より筆者要約。

 ありがとう、統治者と国民の願望の間に巨大な亀裂があることを世界に示してくれて。自分を選出した国民の声に全く敬意を持っていない指導者がいること示してくれて。ありがとう、今世紀誰もなし得なかったことを実現してくれて−世界の全ての大陸で同じ思いのために闘っている何百万人もの人を結びつけてくれて。ありがとう、再び私たちに、たとえ自分が無視されても少なくとも自分は黙っていなかったのだ−と感じさせてくれて−将来に私たちはより以上のちからとなる。ありがとう、私たちを無視してくれて。あなたに反対するすべての人をのけ者にしてくれて。なぜなら世界の未来は排除された者たちの者だから。ありがとう、もしあなたがいなけれrば、私たちに人を動かし動員するちからがあることに気づかなかったから。そのちからは今すぐに役に立たなかったかもしれない。後になって必ず役に立つはずだから。
 戦太鼓が鳴り響いている今、1人の王が侵略者に云った言葉がある−「どうかあなたの朝が美しいものでありますように、太陽があなたの鎧の上で輝きますように、なぜなら午後にはあなたは私の前にひれ伏すのですから」。ありがとう、私たちに無力感とはどんなものかを味わさせてくれて。その無力感と闘いいかにしてそれを別のものに変えていけばいいのか学ぶ機会を与えてくれて。だからあなたはいまのうちにあなたの朝の栄光を味わっておいていただきたい。(なぜなら夕方にはあなたは戦争犯罪者として裁判にかけられるからだ。私たちはあなたの言葉をしっかりと聞いておきます。それらはすべてあなたの有罪の証拠となるのですから)。ありがとう偉大な指導者ジョージ・W・ブッシュ。
注:( )は筆者追加。

 ウーンさすが一流文学者の刺すような皮肉に満ちた抗議だ。こうした表現を身につけたいと思うや切である。一方イラク市民全員に武器が配られたそうだ。これもすごい。独裁者フセインは単純な独裁者ではない。自国民を抑圧する恐怖による支配は、常に革命やクーデタ−やテロの恐怖に戦くから民衆全員に武器を配るなどはあり得ない。地上戦での激烈な戦闘と米軍のおびただしい犠牲者が予測される。米軍の若き兵士よ!銃口を自らの上官に向けよ!誇り高き米国独立宣言の旗に忠誠であれ!あなた達の勝利は薄汚れたヤクザの勝利に過ぎないことが分かった時に、あなた方は自らの罪に打ちのめされるだろう。目覚めよ!若いアメリカ人兵士よ!故郷へ帰り恋人と熱い抱擁を交わせ!自らの手を神に反逆する血で汚がさないために。

 今空母艦載機の鋭い離発着の切り裂く轟音がこだまし、バグダットの病院での負傷者の映像が流されている。21世紀の初頭を恥ずべき殺人で飾ったブッシュは世界の平和法廷の名において死刑判決を受け処刑されるだろう。地獄へ真っ逆様に転落していくブッシュの亡骸に涙を流す者はいない。終業式のなかで攻撃開始のニュースを聞きながら。(2002/3/20 21:40)

[帝国の終焉−「米国の失敗」による累々たる犠牲の上に民主主義が再建されるだろう−ブッシュ大統領糾弾宣言(HP管理者による)]
 米国大統領は48時間の期限付き最後通牒をイラクに突きつけ、フセインの亡命か戦争か何れかの選択を迫った。戦争が遂に確定した。国連憲章を足蹴にする「予防戦争」の発動であり、「予防」の確たる証明もないまま2400万人の国が戦火に燃え上がる時が遂にきた。その半数の1200万人は15歳以下の子どもたちだ。「米国は自分たちの安全を守るために武力行使をする権限を持っている」!!君の国だけ国際法を犯す権限をなぜ持っているのか!? あなたは国際外交に敗れ一匹の野獣に成り下がってしまった。「拒否権を行使する国があるから」などと他人のせいにする卑怯な理由づけを恥じらいもなくおこなった上で、「イラク国民の解放を約束する」などと傲慢且つ不遜きわまる権力者の言辞を弄している。「富の源泉である油田を破壊するな」と命令してあなたのホンネを漏らしている。「中東の自由と平和」とはパックス・アメリカーナの別表現ではないか。あなたの開戦演説は史上最低の卑賤で虚偽に塗り固められた西部カウボーイのヤクザ言葉でしかない。直ちに去れ、あなたは完全に世界の良心と歴史の理性から、そして神から見捨てられた。
 私はあなたのような大統領を戴いた米国民衆に同情する。輝かしい米国独立宣言に刻まれたアメリカン・デモクラシーの理念は、本日泥にまみれてしまった。追いつめられ衰えゆく強者の最後の叫びは、恐怖で抑圧するしかないから声高になるしかないが、実はそれは弱さの裏返しでしかない。恐慌へ突入しつつあるあなたの国の経済を他国への侵略で湖塗しようとする戦略はもはや歴史の古い見抜かれた幻想に過ぎない。世界の隅々に生きる市民はそれを鋭く見抜き、あなたの扇動の前ににひれ伏したりはしない。
 つらつら見るにあなたの容貌は知性がまるでなく、発する英語も最低のブロークンではないか。自国語も普通に語れない人に、世界を語り指示する資格はない。一極帝国の「勝利」は一時的にはあるかもしれない。しかしそれは武器による勝利でしかなく、モラル・ハザードがもたらした孤立から逃れて政治的に勝利することは不可能であることが分からないのか。不正入学した大学に戻って一から真面目に勉強し直すことを忠告する。今次戦争は、一極帝国の終焉が迫りつつあることを逆に示している。必ずやあなたの国の民主主義を再建し、歴史とともに積分された国際民主主義をふたたび人類の舞台に載せるために、退場したあなたの後に無数の若者が献身するだろう。
(2003/3/18 21:00)

[凄い写真だ!!−パレスチナ人間の楯アメリカ人女性レイチェル・コリ−の圧殺]
 写真が2枚上下に並べられている。上は、迫ってくるイスラエル軍のブルドーザーの前で拡声器を持って呼びかけている赤いヤッケに黒いズボンの女性の姿、下は地上にぺしゃんこになって横たわっている赤い姿に手を差し伸べている2人の姿。パレスチナ自治区のガザ南部ラファの難民キャンプで16日、パレスチナ人の住宅破壊を止めるよう説得する米国人女性に、イスラエル軍ブルドーザーが砂を掛け彼女の上を轢いて圧殺した。この写真は、ロバート・キャパのスペイン人民戦線の撃たれた瞬間ののけぞる兵士、ベトナム戦争で頭を撃ち抜かれて処刑される瞬間のゲリラ兵の写真に匹敵する21世紀を代表する写真になるのではないか。
 米国人女性レイチェル・コリーさん(23)は、パレスチナで非暴力の抵抗運動による平和をめざす平和支援団体「国際連帯運動(ISM)」のメンバーとしてイスラエル軍の攻撃を素手で止める「人間の楯」として活動していた。ISMによると、現場ではコリーさんを含む米英人8名が、イスラエル軍が破壊しようとするパレスチナ人の家に滞在していた。コリーさんがブルドーザーの前で破壊を止めようとしたがブルドーザーはそのまま前進しコリーさんを轢いた。イスラエル軍は偶発的な事故と発表している。

 この2枚の写真はあたかも日常の風景として淡々と事実を伝え、扱いも小さく世界的な反響はない。淡々と戦場での日常を無機質に伝えている。或る1人の女性が占領下の無抵抗の抗議に自らを犠牲にしたのは、あたかも偶然に起こった不慮の事故であるかのようだ。なぜか日常のチョットした出来事に過ぎないかのように扱われている。

 明日から始まるかも知れないイラク攻撃で6名の日本人がイラク現地の浄水場と石油貯蔵庫に「人間の楯」としている。滋賀県のダンサー村岸由季子さん(32)もその中にいるはずだ。

 私は今日学校が休みであったので、映画「小さな中国のお針子」を観た後プールに行って水泳を楽しんで帰宅した。平和な日本的日常と占領下又は戦争直前の現地との余りにもかけ離れた日常が厳然としてある。問題はどこにあるか。第1は世界の不幸への想像力、第2は命を懸けた非暴力抵抗の問題。想像力は向こうからはやってこない、自分でアクセスする過程の問題であり、自ら所属する職場や学園での自分の振るまいと相関している。ソフトな日本型の抑圧構造の中で自分自身がどのようにリアクションを起こしているかによって差異が生まれてくる。抑圧されて死にゆく者への想像力は、私たちが今此の現場でどう振る舞っているかの積分だ。
 第2の非暴力抵抗はインド独立を指導したガンジーの思想に源流がある。おそらくポリテイークな有効性があるかと言えばないだろう。2000万に迫る反戦行動と世論調査の方が明らかに暴力を追いつめるだろう。しかしそれを分かっていて尚かつジットしておれない、内側から沸き起こるパッションなくして運動の点火はないともいえる。米軍は「人間の楯」に対する攻撃を戦争犯罪とはみなさず、戦場での自ら選んだ自己犠牲であって作戦には何の影響もない−としている。巨大な組織暴力の前で人間個人のちからの弱さを証明するにしか過ぎないのかも知れない。しかしもしこうした人々がいなかったら歴史の事実と真実は確実にその一部を失う。彼女はイスラエルの残虐さを自らのみを持って証明した歴史の証言者ではある。彼女の遺体は熱い連帯の旗で覆われ、彼女とは異なる方法で献身する無数のピース・ムーブメントを生み出すだろう。23歳でパレスチナの地でいのちを散らした彼女の生涯はおそらく一滴の悔いなきものであったろう。そして人類史の到達点は、歴史を逆回転させようとする暴力に対して、尊厳ある判決を下すだろう。人道に対する罪に時効はない!と。(2003/3/17 20:14)

[教育を利潤極大化の対象にするとは-あなたは子どもを株式会社学校に入学させるか?]
 構造改革特区で学校経営への株式会社参入が認められた。現行法では、学校を開設できる資格は国、自治体、学校法人だけである。@第3者評価を受けるA財務情報の公開B倒産時の就学先保証を「条件として株式会社学校がスタートする。第2次特区提案に34件が提案され、10件が自治体(杉並区、三鷹市、長野県、静岡県など)であり24件が企業である。大半はビジネスチャンスの拡大とみなして認可基準の策定を待っている。参入を促進するために総合規制改革会議は、@株式会社立学校への私学助成A公設民営化による民間委託B私学設置基準の緩和を文科省に要求している。
 これらの論者は、近代教育史における教育の公共性の形成を勉強していない。特に義務教育制度は、貧富や身分に無関係に全ての国民が必要とされる基礎的な知識と教養を平等に入手することを保障するシステムとして、長い年月をかけて導入された。教育基本法には「法律に定める学校は公の性質を持つ」と規定され、私立学校を含めて教育の公共性原理を確保している。
 いま日本では、かっての衣食住の原始的貧困から抜け出し、財産と教養による新しい階層間格差が拡大し、新たな貧困問題が激しくなっている。グローバルに活動する多国籍企業の競争論理によって、ネーションとしての基盤が衰弱し、コスモポリタンの市場原理で勝ち抜く私益追求型人間が恥ずかしげもなく横行している。株式会社学校は、このような人間を早期に育て上げるところに最大の目的がある。
 確かに現在の公教育システムから排除された不登校現象や高等教育の先端研究に株式会社学校が導入されることによって、新たな教育の展開の可能性があるかもしれない。しかし学校を利潤極大化の営利追求機関として、金儲けの対象として競争を勝ち抜くにはなんらかの比較優位を構築するしかない。その比較優位の条件は市場における果てしない競争力の確保にあるから、必然的に公共性ではなく私益性が優先される。ここからいびつな没無国籍の特化した能力しか持たない歪められた人間が育てられるだろう。
 人間の本質は、社会的諸関係のアンサンブルにあり、人類史のフロントランナーとして子どもたちは誰しも総合的な基礎学力を基礎にピ−プルの一員として生きていく資格と権利を誰しも持っている。人間の本質が競争と強調の共同性にあるという原理と乖離する学校制度は友愛と真理から隔絶したロボット人間しか育てないだろう。環境汚染を海外に移転して恥じない国、暴力で威嚇することに唯々諾々と従う国、全世界から軽蔑されているこの国は、金儲けしか頭にないベニスの商人として未来を失うだろう。(203/3/16 8:10)

[Jリーグ・ナビスコ杯で起こったこと・・・・・・]
 大分の選手が倒れているのを見て京都の選手がボールを蹴り出したが、手当が済んだ後のスローインから大分の選手が得点した。当然相手に返すべきボールから得点したロドリゴの行為は完全なアンチ・フェアーであり弁護の余地はない。これを見た大分の小林伸二監督は、選手たちにプレーを止めるように指示し、大分の選手が棒立ちになっている間を縫うように、京都がゴールを決めた。先月のデンマークの試合で、相手選手の勘違いで生まれたPKをデンマークの監督はわざと外すよう指示してチームの得点を放棄させた。
 両監督は自分のチームの決定的なアンフェアーなプレーに劇的な反応を示した。意識的にゴールをプレゼントしたり、PKをわざと外すのは八百長以外のなにものでもない。両監督はそれを承知の上で敢えて決行した。真のスポーツには勝敗を越えた正義の感覚がある。正々堂々と全力を傾注し、相手を尊敬しながら戦って得た勝利しか本当の勝利とみなさない尊厳がある。高校サッカー全国選手権岡山県決勝戦で審判のミスでゴールが認められれ勝利したチームのキャプテンが、全国大会への出場を辞退してサッカー部を退部したニュースがあったが、彼の態度も本質的には同じだ。彼を退部に追い込んだ学校関係者は拭いがたい汚点を残した。違うか。
 自分にとってサッカーとは何か、勝敗が至上か、勝敗を越えた大切な何かがあるか、目先の勝利のためには何をしても許されるか、私はプレゼント・ゴールや外しPK自体を評価しているのではなく、その行為の底に流れている何か大切なものに気づかされたのだ。サッカーという競技は特にその正義感が際だつスポーツだ。私は自分の人生で何か全力を傾けて打ち込んでいるモノがあるか? たとえ何かあっても汚い手を使って実現しようとしてはいないか。思うに本当に全力投球すれば勝敗を越えた境地にたどり着くに違いない。

 全米で沸き起こっているイラク反戦行動は明日15日に最高潮を迎え、ホワイトハウスは50万人の人間の鎖で包囲される。しかしここに来るまで反戦派は、非国民スパイ!と迫害され白眼視されてきた。特に若者は殆ど無関心で反戦行動には参加しなかった。ところがいまや全米各地で高校の反戦ストライキが起こっている。そのきっかけは高校生が町の交差点でビジル(プラカード仁自分の主張を書いてジーと立ちつくす行動)からはじまった。米国政府にはサッカーでのフェアープレーの高貴さが理解できないのであろう。強ければ何をやっても許されるという傲慢さは、最後に歴史の審判を受けて断罪されるだろう。

 いま教育基本法の「改正」運動が急ピッチで進み、日本の伝統や日本的美意識が宣揚されている。夫婦別姓は日本の美風だと云うが、明示民法以前の太政官布告は女性は婚姻後も実家の姓を名乗るとなっていた。日本的美意識の象徴は水墨画のような枯淡の境地をいうが、逆に桃山のような豪華絢爛たる金銀装飾の美の伝統もある。日本の伝統文化の象徴である茶道は、参加者相互の平等性が強調されるが、一方では参加者を制限する排除の構造があり、ステータス・シンボルでもあった。伝統故に全てを肯定するわけにはいかないのだ。日本文化の本当のフェアープレーはどこにあったかを探さなければならない。それは百姓一揆の傘連判状に、吉原遊郭の恋愛に、安藤昌益の自然真営道に、出雲阿国の世界に、非人の世界に、隠れキリシタンに、日蓮宗不受不施派に、自由民権運動に・・・ここにこそ日本の伝統の本当の素晴らしい世界があったのだ。(2003/3/14 23:06)

[We ask peace for peace]
 滋賀県出身のダンサー村岸由季子さん(31)がバクダッドで「人間の楯」として、発電所や精油所にいる。2月末には400人いたメンバーは今は数10人であり、日本人はかってのアフガン戦争に参加した空手家の男性のみだ。地元の子どもと接するたびに不条理を感じて子どもたちを残して帰る気にならない。村岸さんは日本舞踊をしていた祖母の影響でダンスを始めて世界各地を公演してきたが、日本での老人ホームや孤児院の「お金にならないが、ずっとこころある拍手」が好きだという。公演で立ち寄ったイラクを離れることができなくなった。母親から痛切な帰国を促す手紙が届くが、彼女は淡々と「戦争を止めるために来ました。命を捨てるためではないがその覚悟はできています」と語る。「イラクに政治的に利用されているのでは」との批判もあるが、彼女は自分の行動を貫きたいと思う。反戦を訴えるイラク女性と一緒に写っている写真は、みんなの表情が活き活きと輝いている。アレコレと彼女の行為を評論する人はいるだろうが、こうしたナイーブな心情が私はうらやましい。以上毎日新聞3月12日付け朝刊参照。

 SMAPの稲垣吾郎や草薙剛が歌う新曲「世界に一つだけの花」が5日の発売後急速に売り上げを伸ばしている。作詞・作曲はシンガーソングライターの槙原敬之。

 ♪もし世界中のすべての人が、ありのままの自分を好きになれたら 戦争なんてなくなると思う・・・・違う種を育て、違う花を咲かせることに懸命になればいい、誰が一番、という争いは必要ない。ナンバー1ではなく、オンリー1を♪

 NEWS23の筑紫哲也は「反戦歌」だと言ったが、それはどうでもいい。なぜこの詩が心を捉えるかだ。なぜか私が答えなくても、競争社会に疲れている人はすぐ分かるだろう、人間関係に疲れている人はすぐに分かるだろう、この歌の意味が。村岸さんもSMAPもそれぞれのスタイルで、オンリー1のスタイルでイラク攻撃にノン!の意志を示すことが大事なのだ。以上朝日新聞3月12日付け夕刊参照。

 現在の日本は84%がイラク攻撃に反対しているのも係わらず、逆噴射行動を戯画的におこなっている恥ずべき内閣総理大臣を持っている。大不況下で恐慌を目前にしながら戦争に突き進むファナテックな雰囲気が醸し出されている。蔓延する不安は確実に強者依存のファッシズムを招き寄せている。村岸さんのような女性の純な行動は、私の胸を打つものがある。ライオンヘアーへの幻想が醒めやらない民衆は恐るべき冷酷な結果に慄然とするだろう。

 マインドコントロールの恐怖を証言する統一教会の英国人元信者ドナ・コリンズさん(32)が来日し、脱会してから社会復帰するまでの苦悩を語った。「70年に英国で生まれた時、両親は既に信者で、私は西欧で初めての信者でしたので、汚れなき子として祝福され、4歳の時に韓国人の教祖に抱かれました。私は教祖に傾倒し、部屋は彼の写真で埋まり、日記は彼への忠誠と愛の言葉で溢れました。11歳から15歳まで韓国で暮らし、合同結婚式も参加しました。しかし教祖一家の倫理性からかけ離れた生活ぶりを見て幻滅しました。米国に移ってから、いろんな宗教の人と接して悩みがさらに深くなり自殺も試みました。22歳で脱会しましたが、染みついたサタンの恐怖が消えなくて、病気や死と云った罰が自分や両親に下るのではないかという恐れは消えませんでした。脱会後は、最初は両親と組織に対する憎しみと怒りの期間があり、次いで喪に服する期間が来ました。悲しくてじっとしていましたが、ここで過去を隠し続ける人は麻薬やアルコール依存になります」。以上朝日新聞3月12日付け夕刊参照(一部筆者改編)。
 親が自分の価値観をこどもに押しつけることは、心理的虐待であり、社会的不適応や麻薬・酒・セックスに依存したり、過食症や鬱病を誘発する。私もこの強要に近いことを授業でおこなっていたのでないか・・・と暗然とする所がある。現在の米国は、9・11以降こうしたマインド・コントロールに陥って理性を失い、暴走している側面がある。ドナ・コリンズさんの記者会見での表情は厳しい。髪は乱れている。想像しがたい深い傷がこころに残っているに違いない。村岸さんの持つプラカードには、”We ask peace for peace”と記されていた。(2003/3/12 21:03)

[片倉もとこ氏のアナン国連事務総長への手紙(朝日新聞3月11日付け夕刊)]
 氏は国立民族学博物館で中東史を研究し、アナン氏とは米国留学中の同僚である。片倉氏は、アナン氏との交流の想い出を語りながら非戦の想いを何とか伝えようとしている。無言館の戦死者の声を伝えつつ、戦争の悲惨さを訴えてアナン氏の心を動かそうとしている。国連の権威を死守せよとも訴えている。私はしかし若干の疑問を感じるのだ。全体のトーンが余りにも情緒的で、研究者であるならば心情を越えた冷徹な論理で説得しなければならないし、それがむしろアナン氏への尊厳ある説得に連がるのだが、いかにも少年に訴えるような懇願でしかなく、国際外交官に対する説得の仕方ではない。かって小泉信三氏が(慶応大 故人)、『海軍主計少尉小泉信吉』という書で戦死した子息への鎮魂の情を披瀝していたが、およそ社会科学者の書くべき文章ではないと思った。戦争の論理と心理を冷酷に分析し、吾が息子の死を歴史の舞台で正確に評価してやることこそ、戦死者への真の鎮魂になるのだ。今回の片倉氏の手紙にも同じような情緒への傾斜を感じた。こういう文章ではアナン氏の心は少し動くかも知れないが、彼の精神を揺さぶることはできない。
 しかしアナン事務総長ははじめて危機感を表明し「米国が安保理の外で軍事行動をとれば国連憲章に合致しない行動となるだろう。戦争の惨禍から人々を救うため創設された国連は、最後まで紛争の平和解決を求める義務がある」として実質的に米英を批判した。当然の言明であるが未だ不足である。国連を無視した行動を公言している国を非難し、除名をも含む制裁を加えるべきである。もし駄目なら辞任を表明すべきである。ノーベル賞受賞者でもある国連事務総長はいま決定的な分岐点に立っている。
 第2次大戦の悲惨を乗り越えて、遂に人類が発見した平和機構である国際連合の帰趨が問われている。それは同時に全ての戦争を否定する戦争違法論のレベルに到達した現代国際法の信任が問われている問題でもある。かっては正義も戦争が肯定された時代があったが、それも苦難の体験を経て否定され、全ての戦争が悪であるとする時代に到達した人類史の授業をブッシュは受けなければならない。イラク第1次攻撃初日で死ぬだろう50万人の命(国連予測)を目の前にして決然とした振る舞いをすべきである。
 このような叱責をする資格が私にあるかと問われれば赤面して退場するしかない。ライオンヘアーは臆面もなく藪大統領に媚びへつらい、早く戦争をやれ!と迷っている国を説得しているそうだ。援助という人参をぶらさげながら。日米安全保障条約という2国間条約が国際法に優先するといった行動を恥じらいもなく展開している。究極のモラルハザードの典型がここにある。それを許している私でもある。(2003/3/11 20:58)

[ジミー・カーター米国元大統領のイラク戦争批判 『NEWYORK TIMES』3/10]
 As a Christian and as a president who was severely provoked by international crises,I became thoroughly familiar with the principles of a just war,and it is clear that a substantially unilateral attack on Iraq does not meet these standards.This is an almost universal conviction of religious leaders,with the most notable exception of a few spokesmen of the Southern Baptist Convention who are greatly influenced by their commitment to Israel based on eschatological,or final days,theology.

 想像以上に米国キリスト教原理主義の影響は強いのだろうか。南部バプテイスト派は終末論的神学によるイスラエル支持を主張する一派である。ヨルダン川でイエスに洗礼を施した洗礼者ヨハネを信仰する洗礼(浸礼)教会に源流を発する。カーター自身もバプテイスト派の一員である。大不況下の米国で原理主義的キリスト教が、ユダヤロビーと結んで保守主義と白人一極帝国による世界支配をめざす潮流が一段と強まっていることが分かる。刻々と戦争の足音が近づきつつある決定的な瞬間が来ようとしている。おそらく3月15日は爆発的な歴史上最大のグローバルな反戦運動が爆発するだろう。(2003/3/10 20:00)

[プロスペクト理論の陥穽]
 心理学の手法を使って経済現象を解明するカーネマン(プリンストン大学 2002年ノーベル経済学賞)がトウベルスキー(スタンフォード大学)と共同して1979年に発表した理論。不確実な状況下での人間の非合理性を体系化した新しい意志決定理論であり、従来の経済学は、経済主体である人間の合理性(ホモ・エコノミクス)を前提にした期待効用理論の限界を打破しようとする。人々が必ずしも常に合理的に効用を極大化する意志決定を選択しない場合があることを理論化して、理論と現実を架橋しようとする。ハーバート・サイモンの限定的合理性やモーリス・アベに源流がある。 
 不確実な現実の中で、生身の人間が複数の選択肢のなかから、或る選択をおこなう場合の心理を重要なパラメーターとして導入する。意志決定者の受ける利益(損失)を本人の主観的な価値として価値関数を想定し、中立状態を示すリファレンス・ポイント(基準点)をメルクマールとしてそれより上回っている(+)状況とそれを下回っている(−)状況があるときに、生身の人間は(−)状況の心理的重圧が高いとし、(−)状況の場合はより短絡的な行動を選択すると説明する。
 プロスペクト理論は、リチャード・セイラーによって行動ファイナンス理論に発展し、株式市場におけるアノマリー(例外的事項)やノイズ(短期的市場の揺れ)などの非合理的な市場動向を説明する。80年代日本の資産バブルや90年代のITバブル現象のなかで、市場の群集心理的な行動がなぜ起こったかを説明できるとする。
 しかしプロスペクト理論や行動ファイナンス理論の原理的な限界は、人間のファジーな部分に注目しつつも、基本的には自己利益極大化自体を否定していないことだ。経済現象は、一方で非競争的な協同や協調行動を伴う公共圏=公共財を作り上げているが、こうした圏域には興味を持たず頭から私財に限定するところにプロスペクト理論の限界がある。
 プロスペクト理論を政治学に適用するれば、イラク攻撃はまさに不確実な状況下での非合理的な攻撃行動の極限を意味するが、一方で公共圏たる国際連合の公共財的な国際関係論が厳然として抵抗し、攻撃者は孤立している。プロスペクト理論は、私的競争の私財的経済圏の非合理的な行動をうまく説明するかもしれないが、政治学の世界に適用できないとなれば普遍理論としては破産している。こうした理論にノーベル賞を授与する経済学賞の選考システム自体が破産しているのだ。2001年のデリヴァテイブ理論でノーベル賞を授与された研究者は自らの投資で破産してしまったのだ。
 最近ニューアルバムを出したセネガルのミュージッシャンであるユッスー・ンドウールが、米国のイラク戦争に抗議し、予定していた全米7週間・38都市のツアーをキャンセルした(BBC)。彼らのコメントは次の通り。「良心の問題として、私はイラクで戦争を開始したいという米国政府の明白な意志表示に対して、疑問を呈さざるを得ない。私は、イラクの武装解除については、国連がその責任を果たすべきであると考える。今私が米国へ行ったら、多くの人が私が米国の政策を支持していると考えるだろう。多くのアメリカ人が政府の政策に反対していることを私は理解しており、これらの市民を私は尊敬する。よりよい時期に渡米したいと私は熱望している」。ウーン矜持ある音楽家だ。しかしカーネマンはこの行動を、プロスペクト理論の事例として引用するだろうが、これはノイズでも何でもなく市場行動では説明できない共同の公共原理なのだ。(2003/3/9 20:46)

[13歳の演説]
 シャーロッテ・アンデブロンちゃん(13歳 メイン州プレスクアイルのカニンガム中学生)がメイン州平和集会で次のような話をしました。感想はお母さんのジリアン・アルデブロンさんまで。mailto:aldebron@ainop.com 

 アメリカ人がイラクに爆弾を落とす事を考える時、頭の中で想像するのは軍服を着たフセインとか、銃を持った口ひげの兵隊とか、バグダッドのアルラシート・ホテルの玄関フロアに「罪人」と説明付きで描かれたブッシュのモザイク画とかでしょう。でも知っていますか?イラクに住む2400万人の内の半分が15歳以下の子どもなんです。1200万人の子どもですよ。私と同じ子どもです。私はもうすぐ13歳ですけど、もっと大きい子たちやもっと小さい子たちがいて、女の子ではなくて男の子もいるし、髪の毛も赤毛だけじゃあなくて茶色だったりするでしょう。でも、みんあ私とちっとも変わらない子どもたちです。
 ですからみなさん、私をよ〜く見てください。イラク爆撃の時に、頭の中で私のことを思い描いて欲しいのです。みなさんが戦争で殺すのは私なんです。もし運がよければ私は一瞬で死ぬでしょう。1991年2月16日にバクダッドの防空壕でアメリカのスマート爆弾で虐殺された300人の子どもたちのように。防空壕は猛烈な火の海となって、その子どもたちやお母さんたちの影が壁に焼き付きました。いまでも石壁から黒い皮膚を剥ぎ取ってお土産にできるそうです。けれども私は、運悪くもっとゆっくり死ぬかも知れません。たったいまバクダッドの子ども病院の「死の病棟」にいる、14歳のアリ・ファイサルのように。湾岸戦争のミサイルに使われた劣化ウラン弾のせいで、彼は不治の白血病にかかっています。さもなければ生後18ヶ月のムスタファのように、内臓をサシチョウバエの寄生虫に食い荒らされて、苦しい不必要な死を迎えるかも知れません。信じられないかも知れませんが、ムスタファはたった25ドル分の薬があれば完治するのです。でも、みなさんが押しつけている経済制裁のためにその薬がありません。
 さもなけらば私は死なずに生きるかも知れません。サルマン・モハメドのように、外側からは分からない心理的打撃を受けて・・・・。彼は今でもアメリカが1991年にバグダッドを爆撃した時、幼い妹たちと経験した恐怖が忘れられないのです。サルマンのお父さんは、生き延びるにしても死ぬにしても同じ運命をと、家族全員を一つの部屋に寝かせました。サルマンはいまでも空襲のサイレンの悪夢にうなされます。
 さもなければ私は、ルエイ・マジエッドのように無事でいられるかも知れません。彼にとっては、学校へ行かなくてもよくなり、夜いつまでも起きていられるのが湾岸戦争でした。でも、教育を受け損なったルエイは、いま路上で新聞を売るその日暮らしの身の上です。

 皆さんの子どもや姪や甥が、こんな目に遭うのを想像してみてください。体が痛くて泣き叫ぶ息子に、何も楽になることをしてやれない自分を想像してみてください。崩れた建物の瓦礫の下から娘が助けを求めて叫ぶのに、手が届かない自分を想像してみてください。子どもたちの目の前で死んでしまい、その後彼らがお腹をすかせて独りぼっちで路上をさまようのを、あの世から見守るしかない自分を想像してみてください。

 これは冒険映画や空想物語やゲームじゃありません。イラクの子どもたちの現実です。最近国際的な研究グループがイラクへ出かけ、近づく戦争の可能性によってイラクの子どもたちがどんな影響を受けているかを調べました。話を聞いた子どもたちの半分は、もうこれ以上生きている意味がないと答えました。ほんとうに小さな子どもたちでも、戦争のことを知っていて、不安がっているそうです。5歳のアセムは戦争について、「鉄砲と爆弾が空で冷たくなったり熱くなったりして、ぼくたちものすごく焼けこげちゃうんだ」と云いました。10歳のアエサルはブッシュ大統領にこう伝えて欲しいと云いました。「イラクの子どもが大勢死にます。あなたはそれをテレビで見て後悔するでしょう」。

 小学校の時友達との問題は叩いたり悪口を言い合ったりするのではなく、相手の身になって話し合うことで解決しましょうと教わりました。相手の行動のよって自分がどう感じるかをその子に理解してもらうことで、その行動をやめさせるというやり方です。ここで皆さんにお願いします。ただしこの場合の”相手”とは、いま何かひどいことが起ころうとしているのに待つしかないイラクの子どもたち全部です。ものごとを決められないのに、結果がすべてかぶらなければならない世界中の子どもたちです。声が小さすぎたり遠すぎたりして、耳をかしてもらえない人たちのことです。

 そういう”相手”の身になれば、もう一日生きられるかどうか分からないのは恐ろしいことです。他の人たちが自分を殺したり、傷つけたり、自分の未来を奪ったりしたがったら、腹が立つものです。ママとパパが明日もいてくれることだけが望みなんて、悲しいです。そして最後に自分がどんな悪いことをしたかも知らないので、何がなんだか分かりません。

 米軍の3000発のトマホークミサイルがバグダッドに照準を定め、初日の攻撃ですべて撃ち込む計画だ。いよいよ本日0時より国連安全保障理事会の最終会議(?)が開催される。TV同時中継がありますのでアンデブロンちゃんのことを思い出しながら是非ご覧ください。(2003/3/7 21:13)

[ウーンこの小説は命を懸けている!・・・・柳美里『8月の果て』(朝日新聞夕刊連載3月5日付け]

 「確か9月の終わりに死刑判決が出て10日後に執行されたんだ」
 「宮内大臣が乗った馬車に親指ぐらいの傷をふたつみっつつけただけだろう? アイゴ プルサンヘラ(かわいそうに)」
 「天皇が何だ。天皇も同じ飯のを食って、同じ糞を垂れているんじゃないか」
 「天皇が食う飯はこんなじゃないだろう」と完柱は放屁のような音を立ててげっぷをした。
 「食う飯は違っても糞は臭いだろう!」
 「アイグ、大きな声を出すな。倭奴に聞かれたら、不敬罪でひっぱられるぞ」
 「朝鮮人も日本人も等しく天皇の赤子ちゃないか」さっきからずっと俯いていた基河が日本語でいってのけ、萬植ははっとして友人の顔を見た。
 「おれは天皇の赤子なんかちゃない」萬植は水でも飲んでいるように上下している友人の喉仏から目を離すことができなかった。
 「・・・・それはそうだ・・・・・でも・・・・・たた・・・・・おれは同ちたっていいながら・・・・・ちかう扱いをしているのは日本人のほうたって・・・・」  ほとんど動かさない唇のあいだから熱っぽい声が漏れた。
 「じゃあ、もし、同ち扱いを受ければ天皇の赤子になるのか?」
 「・・・・そんなこと、あり得ないさ。日本人は鮮人、支那人と見下しているさ・・・・」基河は友人の眼差しに精一杯堪え、堪えきれなくなって川の流れに視線を投げた。
 三浪節の斐始重が大きな声でうたい出した。

 日本の天皇を 下僕にし
 日本の皇后を 下女にして
 こきつかわん 昔干老(倭寇と闘った将軍)の
 誓い
 われらの模範に いたさねば
 老賊伊藤博文を 露領で襲い
 三発三中で 撃ち殺して
 大韓万歳を叫ぶ 安重根の義気
 われらの模範に いたさねば


 「クンヘラ クマネ!(やめろ やめろ)」
 「チョッパリ(日本人野郎)に朝鮮語はわからんよ」
 「朝鮮語はわからなくても、伊藤博文と安重根はわかるだろう」
                                −以上第259回

 私は一切のコメントを控えたいが、おそらく彼女はテロの対象となるだろう。日本の深層にある触れてはならないタブーに真っ向から挑戦している。柳美里は、前衛劇団「東京キッドブラザース」で東由多果の伴侶として女優生活を送り、今は在日作家として活動している。(2003/3/5 21:00)

[藤原定家『明月記』の思想]
 平家による軍事的な源氏追討の戦争と暴力の横行する時代に『明月記』は書かれた。当時の公家は、強力な武士階級に寄生して生きる存在に転落していたが、公家が独占する芸術的能力は政治から一定の自律性を保持し、芸術は直接政治権力と係わると同時に、芸術表現を媒介とする社会変革の力を信じることができた時代でもあった。定家は『明月記』で有名な「世上乱逆追討耳ニ満ツト雖モ、之ヲ注セズ。紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」という語を記して、源平の争闘を越えた平和のメッセージを発信している。「之ヲ注セズ」とは、政治的な闘争に一切のコメントはしない・・・・・しかし私は私自身の芸術的表現を媒介に鋭く反戦の意志表示をおこない、平和の世にしたいという意味だ。
 定家が明確な意識的反戦平和主義者かどうか門外漢の私の論じる所ではないが、定家のメッセージはなかなか深い意味を持って私たちに迫ってくるものがあると思う。専門化が究極にまで進展している現代では、逆に言うとすべての人が己の専門を通して社会的メッセージを発信しうるチャンスと能力を獲得していると云う意味では、ごく一部の知識人しか発進力を持たなかった中世日本とは根本的に異なる。あらゆる汚濁を伴いつつも明らかに人類史は進歩の過程にあると確信することができる。以上辻井喬「詩における思想とは何か」(『現代詩手帖』2003年1月号)参照して筆者記す。
 さて被爆直後の広島で、或る抒情詩人が抒情から変革の詩人へと変貌し、詩誌『地核』との決別を経て『われらの詩』を創刊し、その巻頭に「嘗て山上に奏でられていた孤独な自我の歌は、既に寂しい呟きのようにかすれて、いまや歌が途絶えざるためには人民の魂が鳴り出さねばならない時がきた」と歌い上げてから、すでにして50年が流れた。先制核攻撃が何の痛みもなく宣揚される悪夢のようなこの現代にあって、今は亡きこの詩人はあの世から哀しみの視線を投げ掛けているであろう。私の生涯は何のためにあったのか!私は何のために”ちちをかえせ、ははをかえせ、わたしにつながるにんげんをかえせ”とうたいあげたのか!・・・・と無念のうちに落涙しているであろう。彼はこの歌の創作に全力を使い果たして、1953年3月10日36歳で肺切除手術という最も危険な手術台で命を落とした。藤原定家の叙情は、20世紀の現代に峠三吉の名前を借りて蘇ったのである。(2003/3/4 20:42)

[哲学者たちはただ世界をさまざまに解釈してきたに過ぎない。肝腎なのは、世界を変革することである(マルクス『フォイエルバッハに関するテーゼ』(廣松渉訳 岩波文庫版)]
 日本における『ドイツ・イデオロギー』研究の水準を一気に上げたと云われる廣松訳版を本日買い求めた。学生時代の熱気をはらんだ雰囲気のなかで信仰に近い位置づけをされていたこの書を、今は40年も過ぎて比較的冷静に見ることができるようになったが、21世紀初頭の解釈学が横行する中で、表題の「変革」の言葉がますます豊かな意味を持って光彩を放ってきたように思える。40年前の時代では「変革」は権力と体制に直結した激しいインパクトを刻印した言葉であったが、現代ではもっと豊かなシステム転換を意味するようになっている。にもかかわらずこの書の原理的な思想は、古典の域を超えて現代の最前線で格闘する新たな蘇りのメッセージとなってきたように思う。生産概念の多様な高度化、自然と環境概念の多岐化、人間概念のジェンダー論的な展開、宗教者との協同、途上国開発経済の人間化等々マルクスが目を回すような豊堯さに満ちている。しかし現代のアプローチの多くは、精緻な解釈学の展開であって、変革思想として或いは現実の変革として語られ実践されているかどうかは別問題だ。現在にあって未来を代表しようとするリアルな先駆性なしに、どのような生産的活動もありえないということがますます明示的となっている。こうした問題意識をいだいて再びこの書を読み解いてみたいと思う。
 例えばアッシジの聖フランチェスコの「祈りの言葉」をみてみよう。「私を平和の道具にしてください。憎しみのあるところに愛を、争いのあるところに赦しを、分裂のあるところに和解を、疑いのあるところに信頼を、絶望には希望を、闇には光を、悲しみには喜びをもたらす者にしてください。慰められるより慰める者に、理解されるより理解する者に、愛されるより愛する者に・・・・・・・・」(朝日新聞3月3日付け天声人語参照)・・・祈りの言葉は続く(一部筆者意訳)。アッシジのブルジョアの出身であったフランチェスコが放蕩と戦争、病苦の果てに辿り着いた境地であり、おそらく清貧の修道院生活の中で発信した渾身のメッセージではあるだろう。しかし私は、それから800年も過ぎた21世紀の現代にこの言葉を置いてみると、人類の歴史はアッシジの聖人が訴えた地平から、果てることなき前進と後退を繰り返し、罪と罰と救済のドラマが一層濃密なシナリオを描いているように見えて溜息が出る。聖フランチェスコが願ったことは、狭く見ればクリスチャンのイデーではあるが、飢餓と硝煙が吹きすさぶ現代の巷では、「変革」と同じように悲痛なほど豊かな内容をもって迫ってくる。
 私の希求は、マルクスと聖フランチェスコをヒューマニズムの一点で架橋し、少なくとも飢えて死んでいくいたいけな子どもの瞳を曇らさず、その頭上に爆弾を降り注がないことである。罪深き藪大統領は赤面して、自らの罪を告解し懺悔の涙を流して地獄に堕ちなければならない。”NO WAR NO DU(劣化ウラン弾)”3月2日被爆地広島で6000名の市民が人文字を作って全世界に発信した。NO DUに広島の叫びが込められている。その人文字の中で、喜納昌吉は”全ての武器を楽器に”と歌い上げた。標題の「哲学者たちは世界をさまざまに解釈してきたに過ぎない」の「哲学者」を、「教師たち」「学生たち」「芸術家たち」「庶民たち」全ての人間の存在形態に置き換えて、自らを考え直す時がきた。(2003/3/3 20:50)

[AGENDA21日本に向けて]
 世界のアーチストがイラク反戦の意志表示を始めた。「WIN・WITHOUT・WAR(戦争なき勝利)」に参加する音楽家は、デビット・バーンズ、ラッセル・シモンズ、REM、シェリル・クロウ、ソニックユース、ルー・リード、ナタリー・マーチャント、Jay-Z、ジョージ・クリントン、デーブ・マシューズ、ブライアン・イーノ、ナタリー・インブルグリア、坂本龍一、スザンヌ・ベガ、マ−ビンン・ゲイの諸氏の他、グラミー賞授賞式(23日ニューヨーク)ではシェリル・クロウが「NO!WAR」と記したギターストラップを使って演奏し、ロックバンドのリンプ・ビツキッドのフレッド・ダーマスは「この戦争は早くどっかへ行ってしまえ」と発言し、マドンナは来月に衝撃的な「反戦ビデオ」を発表する。U2のボノは、28日フランスの最高勲章であるレジョン・ドヌール賞授賞式で「ブレアは本当に駄目だ」と批判した。
 ニューヨークの2人の舞台女優が呼びかけたアリストファネス「女の平和」全世界上演が、3月3日に名古屋、東京を含む全世界56カ所850グループが一斉におこなわれる。
 日本のメジャーなアーテイストで反戦の意志表示をしているのは、坂本龍一、喜納昌一、池辺晋一郎他少数である。彼らは地の塩である。日本のメデイアが戦争を前提としたかっての大本営発表を思わせるファナテックな報道のなかで、反戦の意志表示を行うのは自らの芸術市場からの撤退を覚悟しなければできないプレ・ファッシズム状況にある。普通の市民社会の状況もそうした陥穽に嵌り込み、自縄自縛の状態となっている。世論調査では70%を越す反戦の意志が示されながら、自分の意志を外に表せない眼に見えないバリアーが張り巡らされているようだ。
 私は、2月28日付け朝日新聞朝刊(名古屋版)に全国1522名の研究者の意見広告に参加し、3月4日付け毎日新聞関東版の意見広告にも参加する。私の乏しい小遣いを叩いてのささやかな行動だ。日本のグラース・ルーツがいよいよ動き始めた気がする。イラク反戦の行為は、実は日本を覆い始めているプレ・ファッシズムのシステムと正面から対決する体制的な質をはらんでいると思う。市井の片隅で呟くだけでもいいのだ。それぞれが、いのちと平和が極限に追いつめられている時に、吾が事として意識している歴史の証言者になるからだ。いま毎日5000人の子どもが餓死している国に、難癖を付けて爆弾攻撃が仕掛けられようとしている。藪大統領も独裁大統領も同時に舞台から退場する瞬間が間違いなく近づいている。たとえ彼らに一時的な「勝利の栄光」があろうとも、それは歴史の藻くずとなって沈んでしまうだろう。いよいよAGENDAの時がきた。(2003/3/2 8:34)

[イラク攻撃の対費用効果]
 米国議会事務局のイラク攻撃費試算は次の通り。
 軍事作戦費用 毎月60〜90億$(7200億円〜1兆800億円)
 占領諸経費   毎月10〜40億$(1200億円〜4800億円) 
 すでに開始している展開費+撤退費用合計 140〜200億$(1兆6800億円〜2兆4500億円)
 湾岸戦争規模(1ヶ月間の戦闘と1年間の戦後処理)=350億$〜815億$(4兆2000億円〜9兆7800億円)

 米国下院予算委員会予測 930億$(11兆1600億円)
 ノードハウス・イエール大学教授(カーター政権諮問委員)予測 直接的軍事費1兆400億$、占領と復興の今後10年間の経済的影響参入すると1兆9000億$(224兆円)で第2次大戦の直接的軍事費の3分の2にのぼる。

 比較事例:エジプトGDP983億$(2000年 人口6800万人)
        第1次大戦0.2兆$(GDP比24%米国のみ)
        第2次大戦2.9兆$(GDP比130%米国のみ)
        朝鮮戦争0.3兆$(GDP比12%米国のみ)
        湾岸戦争(1991年)610億$(7兆3200億円=当時 米国は0.1兆$GDP比1%) 

 この費用の80%は同盟国負担となる。
 日本の負担予測 7560億円〜1兆7604億円(米議会予算局最低試算)となり「今後の日本経済の危険要因となる」(大和総研)
            (湾岸戦争時は1兆980億円 18%負担))

 その他の波及効果
 @世界的消費需要が低迷する
 A企業の投資が抑制される
 B原油価格の高騰 国際標準価格25$→36$48¢(現在)が急騰する.米国戦略国際研究センターの試算ではWTI価格(現在38$)は80$に上昇すると予測。
 C原油価格高騰による軽油価格・燃料費高騰 原油10$上昇で世界のGDP0.6%下降(日本は0.8%下降)
    豪州連邦準備銀行試算では、米国と日本の打撃が最も大きく、日本のGDPは330億$(3兆9600億円下降)
    ノードハウス教授試算では、石油危機が起こらなくても米国GDP2.4%下降
    丸紅経済研究所の予測では、イラク攻撃長期化の場合、米国株価の下落と景気悪化の悪循環がはじまり、日本は金融危機の   懸念が拡大しGDPは0.9%のマイナス成長。大和総研では、GDP1.7%のマイナス、04年度も0.3%のマイナスになると予測。

 こうしたイラク攻撃の対費用効果予測はどれも最低の試算であり、金融危機と連動すれば間違いなく、米国・日本発の世界恐慌に発展することは容易に想像できる。特に瀕死の財政危機にある日本が、最も危うい。本日の朝日新聞朝刊に日本の社会科学者1700余名の意見広告が掲載され、私もその一端に氏名を掲載した。これが未来世代に対する私の最低限の義務の遂行としてのささやかな行為である。折しも感動的な卒業式が終了して、未来世代が学園を巣立っていこうとしているなかで、彼らの未来に取り返しのつかない事態が訪れないように−切なる願いである。

[この叫びを聞け! 第13回非同盟諸国首脳会議『クアラランプール宣言』採択し25日閉幕す]
 公正で平等な世界秩序をめざす非同盟運動の再活性化をめざし、単独行動主義に対する多国間主義の推進、現在のグローバル化を途上国排除の激化・永続化として拒否、南南協力の強化を決めた。グローバル化のなかで途上国は、経済不均衡・発展較差・重債務・貧困に苦しんでいるとしている。
 「我々は皆一つの地球村に住んでいる。現実には2つの村があり、豊かな村はより豊かに、貧しい村はより貧しくなっている」(ムベキ・南ア大統領)、「我々には何もない。誰も国際金融機関の決定に参画する可能性がない。誰も最良の能力を維持できない。資本の逃避からも、先進国の浪費的で身勝手でどん欲な消費主義によって引き起こされる自然環境の破壊から、誰も自分を守れない」(カストロ・キューバ議長)と痛烈な北批判がなされた。
 非同盟諸国112カ国(首脳出席63カ国)は歴史上最も代表性の高い首脳会議となった。我が日本は、本来なら過去の罪責を克服しようとする平和憲法を持つ東アジアの一員として、当然この会議の参加国に名を連ねるべきであった。21世紀の日本が、東アジア共同体のメンバーとしてしか未来がないことが明らかになりつつあるいま、ライオンヘアーは一顧だにせず、ひたすらブッシュ親分に忠勤を励んでいる。尊厳と矜持を失った国は、ひたすら競争主義のくにづくりに励み1人勝ちの道を必死で探して地獄への道を歩んでいる。彼を支持する少なからぬ人々は、ダンテの云う「地獄への道は善意で掃き清められている」の真の意味を激しい痛みの中で味わうだろう。21世紀のグランド・ビジョンは私たち自身の手にしか委ねられていない。真っ直ぐにものを見て、真っ直ぐに行動する−ただ単純な行為の原理が失われ、強者は誰かと右顧左眄し自らの思考を剥奪されて彷徨う羊のような群れが見えないか?
 明らかに未来は、非同盟第3世界にあり、先進国は赤面して歴史の舞台からの退場を迫られようとしている。彼らは人類の歴史を逆に回し、現在にあって未来を代表する能力と資格を喪失して、カネ(経済力)と暴力(軍事力)という恥ずべき動物的な水準で、この惑星の生命系を弄ぼうとしている。あなたの生活している職場と学園を見よ! ちからに屈してもはや屈辱を屈辱と思わない奴隷のような無惨な集団がのたうち回って、僅かな救いをプライベートな私生活主義の陥穽に求める哀れな動物の群れと化してはいないか!? いたいけな若者はこうした大人の頽廃の渦に巻き込まれ、さわやかな雄々しさを喪失し、何を学び・何のために学び・誰のために学びゆくのか−羅針盤を失って放浪していはしないか。耳を澄ませば、目を凝らせば、匂いを嗅げば、全身を貫いて堕ちていく人間たちの阿鼻叫喚が聞こえてはこないか。僅かな差異に憤り、僅かな個性をも許し難く、僅かな自己表現にも揺らぎ、激しい悪罵か軽蔑か無視か−若者の終末が大人たちによって準備されている。自らの終末の行く末に気づいているのかいないのか、若者たちはどこへ行こうとしているのか? 飢えと明日なき生にいまを苦しみ生き抜く第3世界の若者の瞳は、なぜあのように輝いているのか。なぜ貧困の極限にあってナイーブな人間らしさを失っていないのか。子どもの世界を知ることなく一直線に大人として冷酷な生存に耐えていかねばならない第3世界の若者は、神の沈黙を前にしてひたすら生き抜く残酷な運命にある。私の学的生命も彼らの側にありたい。(2003/2/27 22:00)

[腹を切れ!!−上州沼田藩士・工藤行広『自刃録』(天保11年(1840))]
 切腹は日本人が発明した最もグロテスクな自死法であり、最終責任法、義理に殉じる、意地、詰め腹なだなど多様なケースがあり、武士道の極地とされる。本書は幕末に正式の切腹法が廃れて専門業者の請負が流行した頃に、正式のマニュアル本として筆写で出回った。正式の切腹は、介添、介錯、検使などの役回りがあり、江戸は首切り浅右衛門が有名だ。
 検使が儀式の開会を告知する時は、最初は小声で徐々に大きく最後は断固たる口調で告げなければならない。現代のリストラ言い渡しの上司と同じだ。介添は護衛役で帯刀はないが、懐剣を用意し異変に備えていつでも息の根を絶つ準備をしておく。切腹する本人は、抑えきれない思いが噴出し突発的に何をするか分からないからだ。介錯は、肝が据わり腕が立つ人物でなければならない。首の皮1枚残して切れ−というのは嘘で正確に一刀両断しなければならない。貴人は上段、同輩は中段、それ以下は下段と構えは3段に分ける。
 その前に切腹の儀式がある。「右より肌を脱ぎ、次に左を脱ぐ。左の手にて刀をとり、右の手を添えて押し戴き、切っ先を左へ向け直し、右の手に持ち替え、左の手にて3度腹を押し揉み、臍の上1寸許の上通りに左に突き立て、右へ引き回す也。深さは3分か5分にて、深すぎては引き回しに難儀し、腹に突っ込む分のみ短刀を握り、拳で腹をなでる具合に切るとよし。この場にいたりて何をか為すべきや。わろびれず静にして死につくべき也」云々。
 何とも恐るべき、笑えてくる悲喜劇ではある。かって小林桂樹『切腹』という映画で描かれた、貧しい武士が竹刀で切腹する凄惨なシーンを思い出す。現代の若者は笑い出してしまうのではないか。『自刃録』を昭和18年(1943年)に紹介した森銑三は、すぐ”腹を切るゾ!”と言って脅かして我を通す軍人を皮肉っていたのだが、当の軍人で本当に腹を切った者はいない。
 さて現代日本で本当に腹切り法による死刑にふさわしい人物は誰か。それは云うまでもなく、「改革」を怒号して日本経済を奈落の底に沈め、今はヤブ親分に媚びへつらって殴り込みに向かうライオンヘアーではないか。付記:死刑廃止論者の私も今回は少々怒っています。詳細は2月28日付け朝日新聞朝刊の意見広告をご覧ください。以上池内紀「腹の切り方」(『本』2003/3)参照。(2003/2/25 20:28)

[莫 邦富『中国「新語」最前線』(新潮選書)−改革・開放経済は言語をも変えるんだ!!]
 莫 邦富氏は、上海で生まれ85年に来日後日本で活躍中、変貌する中国が新語を通じて浮き彫りとなる。この書は改革・開放の進展で続々と生まれている現代中国語の最前線新語集である。以下私なりに羅列してみよう。
 公営の「郵電電話」に対抗する放送局の光ケーブルを使った「広電電話」が急速に拡大し、ブロードバンドネットワークである「寛容帯網」が立ち上がり、インターネットの中国訳は政府訳の「因特網」ではなく民間訳の「一線通」が制覇し、「猫」というパソコン部品店が林立し、著作権を意味する「反版権」が大問題となっている。こうした市場化の流れは政治世界にも及び、自由立候補選挙である「海選」が始まり、返還後の香港へ各国から帰る「回帰」と出稼ぎ者が故郷に戻って事業を興す「回流」現象が起こり、中国の将来に自信を持つ「中国意識」が強くなったが、腐敗もはびこり警察官を取り締まる「警務警察」が創設され流動する庶民の戸籍を監督する「社区警察」や国際犯罪を取り締まる「国際刑警」も大忙しとなり、アイデンテイテイーを失った人々が「法輪功」などの新興宗教である「邪教」が群生し、「東突」によるテロに怯える毎日だ。
 沿岸部では「房貸」と言われる住宅ローンで分譲マンションを買い、内装は自分で「家装」し、集合住宅が集まる「小区」が増え、「物業管理」といわれる不動産業が急速に拡大し、従業員は「期権」と呼ぶストックオプションを買い、ISO9000シリーズを満たした「貫標認証」を得た企業を探し、「一級方程式」と呼ぶFIレースを観戦し、「高速公路」をぶっ飛ばして、負けじと鉄道は「提速」というスピードアップを図って、「拍売」という競売に熱中し、片手に持つ携帯電話である「手機」で交信し、自由職業人は「工作室」という事務所で勤務し、家に帰ると家訓である「家教」を子どもに説き、環境に優しい「環保」商品を買い、時には路上で「一夜情」といわれる自由恋愛を楽しむプチブルジョアである「小資」が増大している。
 農村部から都会に出稼ぎに来た「外来妹」が家政婦として働き、店員はもはや「同志」では振り向いてくれず「美眉」と言わなければならず、「配装師」と言われるスタイリストがデザインし、情報通信系で働く「知本家」が颯爽と歩き、「形象大使」を使ったCMが大流行し、「的庁」というデイスコで踊りまくり、貧しかった時代の結婚を再び飾る「婚補消費」が流行し、飲む酒の主流は「紅酒」であり、国内旅行を支える大衆ホテルである「平民賓館」が乱立している。
 ただし市場経済は犯罪を誘発し、偽札を見破る「防偽」という機械が爆発的に売れ、冠婚葬祭に大盤振る舞いする「白色消費」をねらう産業が続々と現れ、宝くじを意味する「私彩」を買うために殺到しているが、一方ではリストラ「下崗」労働者が激増し、経営権を譲渡する「託管」という合併が進み、幹部を天下りさせる「分流」が徐々に困難となり、アダルトショップである「性保健」という店が裏通りに林立し、セクシーという意味の「性感」が誉め言葉となり、替え玉受験を請け負う「槍手」というアルバイトが大流行している。

 ここまでくると何か暗然たるものがある。これが市場社会主義の実態であり、もはや社会主義のメルクマールは土地国有制のみであり、後の社会システムは政治世界をのぞいて、ほとんど資本主義と変わらない。冷戦崩壊後の恐るべき変貌が進んでいる。市場社会主義とは何か?未知の実験が爆走している。但し立派なのは、日本語のようにヤタラ外来語標示を導入するのではなく、必ず中国語に翻訳していることであり(e−○○を除いて)、ここが日本の欧米崇拝と決定的に異なる。(2003/2/21 19:52)

[史上最大の反戦行動−2月15日世界1000万人大行進−世界は一つになってブッシュを包囲した]
 15日に米英のイラク攻撃に反対する平和大行進が、世界約60カ国・600以上の町で開催され、総参加者数は1000万人をはるかに越えた。以下はその主な集会である。

 ロンドン(200万人 英国政治史上最大 ピカデリー広場〜トエラファルガー広場〜ハイドパーク)
 パリ(25万人 ダンフェルロシュロー広場〜サンジェルマン通り〜バスチーユ広場  その他70都市50万人 シャンソン歌手ジュリエッタ・グレコ米国糾弾演説)
 ローマ(300万人 映画監督ナンニ・モレッテイ氏米国糾弾演説)
 ベルリン(50万人 テイアガルテン戦勝記念塔前 その他都市60万人)
 シドニー(20万人 3日連続の大集会)
 ウイーン(3万人 西駅〜シュテファン寺院)
 ブタペスト(2万人)
 ザグレブ(1万人)
 ブラチスラバ(3千人)
 ソフィア(2千人)
 ワルシャワ(1500人)
 ダマスカス(数万人)
 ベイルート(1万人)
 カイロ(1千人 エルサイダ・ザイーナブ・モスク前広場)
 デリー(300人 ラージガード入り口)
 コルカタ(1万5千人) 
 カラチ(1千人)
 ラホール(1千人)
 メキシコシテイー(3万人 アラメダ公園〜独立記念塔 ノーベル平和賞リゴベルダ・メンチュ氏米国糾弾演説)
 ブエノスアイレス(米国大使館前 数千人 ノーベル平和賞受賞者アドルフォ・ペレス・エスキベル氏米国糾弾演説) 
 リオデジャネイロ(2万人)
 サンパウロ(3万人 その他15都市)
 モンテヴィデオ(7万人 作家ガレアーノ米国糾弾演説)
 ハバナ(5千人)
 サンチャゴ(人数不明)
 ニューヨーク(50万人 国連本部前 南アフリカ共和国デズモンド・ツツ大司教米国糾弾演説 その他全米200カ所以上)
 名古屋(400人 久屋広場)
 東京(2万5千人 明治公園)
 バンコク(不明)
 台北(米国台湾協会前 700人)

 いよいよ正念場にきた。日本の参加数が少ない理由は、マスコミの変容や運動の側の分散、若者層のシニシズム等々分析する人は勝手にやってください。少なくともアレコレ評論する前にいまは極く少数であっても、行動が主要な形態だ。行動の形態は、”ちからある者はちからを、智恵ある者は智恵を、カネある者はカネを”自分にできうることをすればいい。私は、朝日新聞27日付け朝刊に意見広告を掲載します。そして後はみずからのポジシュンでなんらかのアクションを起こしたいと思います。喜納昌吉氏は人間の楯としてイラク・コンサートを企画し、すでにバグダードで行動しています。(2003/2/17 20:15)

[”どのように感じますか。戦慄があなたの庭を走っているのを見た時・・・・”-ガルシア・マルケス氏の米大統領宛書簡]

 ガルシア・マルケス(1928生まれのラテン・アメリカ、スペイン語圏の代表的作家 代表作『100年の孤独』 1982年ノーベル文学賞受賞)が2月6日にブッシュ大統領に次の書簡を送付した。

 
どのように感じますか。戦慄が隣人の居間ではなくあなたの庭を走っているのを見た時に。あなたの胸を締め付ける恐怖、耳をふさぐ大混乱、制御できない炎、灰の奥に滲みる臭い、血と埃をあびて歩く無実の人々。ある日あなたの庭で起こる理解できないことが起きた時にあなたはどうしますか。ショックからどう立ち直りますか。1945年8月6日の広島の生存者たちは歩いたのです。米軍のエノラ・ゲイ号の砲撃手が爆弾を投下したあと、広島では立っているものはなくなりました。数秒で8万人の男女が、子どもたちが死に、25万人が放射能で数年後に死にました。しかしそれはずーと遠いところの戦争でTVもありませんでした。
 忌まわしい9月11日の事件は遠い所で起きたのではなく、あなたの祖国で起きたことをTVが語る時、あなたは戦慄をどのように語るのですか。28年前の9月11日に、あなたの政府はサルバド−レ・アジェンデ大統領をクーデターで殺しました。幾つかの国であなたの海兵隊は、血を流し砲火を交え自分の立場を押しつけて来た時、あなたは大して気にもしませんでした。1824年−1994年の間に、ラテン・アメリカ諸国を73回侵略したことをあなたは知っていますか。犠牲者は、プエルトルコ、メキシコ、ニカラグア、パナマ、ハイチ、コロンビア、キューバ、ホンジュラス、ドミニカ、バージン諸島、エルサルバドル、グアテマラ、グレナダでした。100年間あなたの国は戦争をやってきました。20世紀の初頭からあなたの国防総省が参加しなかった戦争はほとんどありません。ほとんどの爆弾はあなたの国土の外で爆発しました。例外は1941年の日本軍による真珠湾だけでした。常に恐怖は遠くにあったのです。
 ツインタワーが埃のなかで倒壊した時に、あなたはマンハッタンにいましたのでTVで叫び声を聞きました。その時に、あなたはベトナムの農民が感じたことを少しでも想像できましたか。マンハッタンでは、人々が摩天楼の高所から操り人形のように悲劇的に落下しました。ベトナムでは、ナパーム弾が長い時間肉を焼き続けたので、人々は悲鳴を上げました。空中で絶望的に身を投じて落下した人々と同じように、その死はすさまじいものでした。あなたの飛行機はユーゴの工場や橋をすべて破壊しました。イラクでは50万人が殺されました。50万人の魂が砂漠の嵐作戦で失われました・・・・・。
 何人が異国で、遠い所で、血を流したことをあなたはご存じですか? ベトナム、イラク、イラン、アフガン、リビア、アンゴラ、ソマリア、コンゴ、ニカラグア、ドミニカ、カンボジア、ユーゴ、スーダン・・・それは果てしないリストです。それらすべての場所で使われたミサイルは、あなたの国の工場で製造され、あなたの若者が、あなたの国務省が雇った人が発射したものです。すべてあなたがアメリカ的生活様式を引き続いて楽しむことが出来るようにするためだけでした。
 あなたの政府は、自由と民主主義の名の下に黙示録の騎士を投入しています。しかし世界の人々にとって(毎日2万4千人が飢餓で死んでいる)、アメリカ合衆国は自由を代表してはいないこと、戦争・飢餓・恐怖・破壊をばらまく遠くて恐ろしい敵であることを、あなたは知らなければなりません。あなたにとっては、戦争は常に遠いものですが、そこに住んでいる人にとっては恐ろしい死を目の前にする身近で痛ましい現実なのです。その犠牲者の90%は住民、女性、老人、子どもなのです。
 ニューヨークの犠牲者たちが、納税し一匹のハエも殺さない秘書や、証券会社のオペレーターや清掃人であったならば、どう考えますか。どうのように恐怖を感じますか。アメリカ人よ、長い戦争が、最終的に9月11日にあなたの家に到着したと分かった時に、どう感じますか。
                                        2003年2月6日 ガブリエル・ガルシア・マルケス

                                          (注:新藤道弘訳を一部筆者の責任で意訳しました)
 付記:この書簡は「世界社会フォーラム」のホームページに掲載されたものから転載しましたが、後日ホームページから全文削除されました。その理由の詳細は不明ですが、ここではそのまま管理者の責任で掲載を致します。

[ユーモアとは「にもかかわらず笑うこと」(デーケン上智大教授)−ブッシュのイラク侵攻計画]
 14日夜東京・明治公園で開かれた「平和を願う日本の良心を いま世界に 2.14集会」(25000名参加)で、NHK・TV番組『ひょこりひょうたん島』のドン・ガバチョ大統領が来賓挨拶を述べた。以下はその要旨。

 てまえ、取りいだしましたるこのクスリ、わが「ひょうたん島」が誇る天才少年、博士クンの大発明、ノーベル医学賞・化学賞同時受賞にかがやく驚異の新薬「ヨクナールッ!」。効能はなんと「あたまがよくなーる」ことでありまーすっ! とくにできの悪い政治家が呑みますると効果は抜群。「石油産出国の利権欲しさに、戦争を仕掛けて、尊い命を奪う」なんてえことが、野蛮で、人間の道にはずれたことかが分かります。大急ぎで呑ませなければならん人は、もっと手近な所にいます。日本国憲法があるにもかかわらず、イージス艦をペルシャ湾に押し出して、あの国のイラク攻撃に加勢したり、有事法制をゴリ押ししたりする、この国の総理大臣、外務大臣、防衛庁長官なんてえ方々は、どうみても、まともな頭脳をお持ちでないと、不肖ドン・ガバチョは診断するのでありまーす!

 パウエル国務長官によれば、米国のイラク侵攻2カ年計画は次のようになっている。[米軍の直接統治→外国人を指導者とする文民の暫定統治機構→イラク人による新政権]。この計画は、明らかに第2次大戦後の対日占領方式とアフガン方式をミックスさせたものだ。ラムズフェルド国防長官は、「(イラクが生物・化学兵器を使用した場合)核兵器の使用を排除しない」とした。
 国連アナン事務総長は、イラク攻撃後の緊急人道援助計画として、攻撃直後の行政機能停止による最大1000万人の飢餓の発生、破壊による国内避難民約200万人、隣国への避難民145万人を想定し、△25万人の10週間分の食糧△30万人の衛生用品△子ども24万人分のビスケット△11万8千人分のテントの配備に向けて準備を進めている。国連は昨年12月に主要国に3750万ドルの資金援助を要請し、新たに9000万ドル(108億円)を13日に要請した。国連事務総長は一体何を考えているのか?あなたの責務は戦争を回避し平和的な紛争の解決にある。米軍の攻撃を前提にした国連の「人道支援」の計画など、恐るべき自己欺瞞に過ぎない−と考えないのか。あなたは米軍占領後のインフラ再建に国連を動員するという米国のしもべの役割を演じるに過ぎないのか。米国の戦後処理の最大の狙いは、イラクの石油の独占にあることは明らかだ。仏・独が必死に米軍攻撃阻止のために動いている時に、国連事務総長はパックス・アメリカーナの道具に転落しようとしている。よく解釈して、あなたは客観的には国連事務総長ではなく、国際赤十字総裁の役割を演じているに過ぎない。米国は、営々として人類が幾多の戦争を越えて蓄積してきた戦争違法論の到達点を否定し、国際法を無視した先制攻撃を、しかも核攻撃を加えようとしている事実をあなたはどう考えているのか。世界史上最大の戦争犯罪国家である米国に対する制裁措置を決議する提案者として振る舞わなければならない時に。(2003/4/14 23:24)

[日仏経済学会名古屋研究集会から]
 本日は名古屋国際センターにて、フランス・レギュラシオン派の指導者ボアイエ教授を迎えての研究会があった。日本の各地のレギュラシオン学派が総結集した感があり、大部の報告と討論が2日間に渡って行われる。経済変動をマクロ的に解析するレギュラシオン派は、制度から文化までを含めて労働と資本調整様式という視角から分析する。あくまで解釈学派という限界の中で、ポスト・フォデイズムという現代経済の規定を行う。とりあえず第1報。明日は全日出席して報告します。(2003/2/14 20:38)
 2日目は、李春利(愛知大教授)「中国自動車産業の現状と展望」と渡辺純子(電通大教授)「貿易摩擦と経済統合−繊維産業から」
が午前中あり、李氏は英語のプレゼンテーションで理解できなかったが、渡辺氏のテーマは私の問題意識と重なり興味あるものであった。全体として貿易摩擦問題と産業調整に関するサーベイに終わって、問題に対する切り込みが不足した。勝俣誠氏のコメントが鋭く、産業調整と途上国開発経済の矛盾を鋭く指摘した。
 米国のイラク攻撃に賛成する非常任理事国であるカメルーンとアンゴラの背景には何があるか? この2カ国は、産業調整政策によって産業自体が消滅し、唯一の輸出産品である原油を向こう10年間分米国に売却して武器購入に当てている。米国に批判的な外交政策は絶対にとれないのであり、優れて政治経済学の問題なのだ。午後の部は所用で失礼したが、知的刺激を充分に受けた。(23/2/15 18:45)

[芸術家の時代感覚と姿勢]
 いま開催中のベルリン映画祭に参加している米国の映画監督・俳優が記者会見で痛烈なブッシュ批判を行っている。
●ダステイン・ホフマン(「クレイマー、クレイマー」主演俳優)
 私は反米ではないが、現政権の政策に反対する。直接的な脅威がないのになぜ侵略するか?
●マーチン・スコセッシ(映画監督「タクシードライバー」「ギャング・オブ・ニューヨーク」など)
 暴力は世界を変えられないし、たとえ変えたとしても全く一時的なものだということを悟らねばならない」
●エドワード・ノートン(「25時間」主演俳優)
 世界の人々が、声を挙げて米政府に圧力をかけることを望む。米政府の一国行動主義に幻滅する。彼らには理性的な手順が不十分だ。ドイツやフランスでは国民の誰もが政府と同じ考えだ。
●スパイク・リー(映画監督「マルコムX」「25時間」など)
 ドイツとフランスの政府こそ称賛されるべきだ。多くの人々がブッシュとブレアに驚いている。米国には、他国の人々に何をすべきかを語る倫理上の権利はない。全世界に同調しろと云うのは、黙って従えと言うことだ。もっと多くの人々が、反対に立ち上がるものと期待する。

 堂々たる、毅然たる、明確な自国政府の政策に対するNon!の表明であり、米国民主主義のよき伝統が失われていないことを示している。日本の芸術家で、映画関係者でこうした独立精神をもっている人は少ない。現在のところ、高畑勲(アニメ監督)・羽田澄子(記録映画監督)・田沼武能(写真家)・木下順二(劇作家)・小山内美江子(脚本家)・ジェームズ三木(脚本家)・津上忠(演出家)・山田洋次(映画監督)・米倉斉加年(俳優)などの諸子である。日本型集団主義は隠然として根を張り、異論派は社会的に真綿で首を絞められるように封殺されていく。あなたの地域・学園・職場ではどうですか。それにしても学生を中心とするもっと行動力があるはずの若者たちはどうなっているのだろうか。
 確かに現在の日本では、こうした社会的意思表明を実現する回路が公共空間で希薄となって、市民が個々バラバラに少数のグループとなって動くしかない状況ではある。まわりを見渡すと、沈んだ雰囲気と退廃文化が溢れている。誰もがこうであってはならないと−こころのなかで思いつつ、一歩が踏み出せない柔らかいファッシズムが着実に進行している。(2003/2/14 20:03)

[自殺願望サイトについて]
 1998年:東京都杉並区女性(24)が札幌市内男性(27)から青酸カリを宅配便で受け取り服毒死、男性も後を追って服毒死し、自殺幇助罪で被疑者死亡のまま書類送検
 2002年10月24日:東京都練馬区マンション男女2人心中 自殺願望サイト掲示板で出会い、1ヶ月後に心中発見 死後10日前後推定 「やはり1人で死ぬのは寂しい。相手は誰でもよかった」(女性遺書)、「女性の遺書に比べて男性のメールは悩みや悲壮感がなく、何か死ぬことを楽しみにしているようにさえ読めた」 練炭による一酸化炭素中中毒
 2003年 2月11日:埼玉県入間市アパート 男性(26入間市)女性(24船橋市,24川崎市)3人 練炭による一酸化炭素中毒死発見 昨年10月男性が募集を始め12月に計画を公表「心中相手を探しております・・・・ただし女性に限ります・・・・やっぱり1人だと寂しいからね・・・本気の方お待ちしています」



 インターネット上で拡大する自殺関連サイトが増大し、あるサイトは00年4月開設以来アクセス件数16万件を越えた。少年から高齢者まで世代別掲示板が用意されている。2.11以降サイトは閉鎖された。恐らく捜査を警戒してのことか、プロバイダーが処理したのか。急増している自殺願望サイトについて、ここに記すとことをためらう。しかしこのようなサイトを掲載しているプロバイダーに心からの怒りと抗議を表するために敢えて記す。これらの報道を初めて開始した毎日新聞に対する抗議が集中しているが、毎日は沈黙している。毎日の記事が明らかに自死を誘導する誘発効果をもたらしている。毎日報道以降、連続して起こっていることで明らかだ。プロバイダーの無責任システムとマスコミの客観報道主義の陥穽が明らかに若者のいのちを奪ったと云える。
 さて毎日新聞には以下のような評論が掲載されている。
 「インターネットを通じた社会病理の形態がまた広がった感じだ。おそらく精神的に孤独な人たちで、直接顔を合わせないだけに、共感・同情しやすかったのだろう。現代の自殺の形なのだろうか」(岩井弘融東洋大名誉教授)
 「初対面の男女が心中することは昔からあるが、インターネットの出会いの形を劇的に変えている。出会いが記号化し、死ぬという行為まで成立してしまう世の中になってしまったのかと思う。札幌のケースのような反社会的行為とは云えないまでも驚く」(小田晋帝塚山大学教授)
 「家族など近距離間のコミュニケーションが断絶し、気持のもっていき場がなくなっていること、短期間で死という極端な結論に至ってしまう一因だろう。高学歴化、長寿化で人生の岐路が30歳代前半になりつつある。かっての10代のような生きることへの悩みを、この年代がいだいても不思議ではない」(評論家・赤坂行雄)
 「人生のルールをはずれると今の日本は生きていくのがしんどい。金で全てが動き、人間として生きていく意味がまったく見いだせない。生きていくことに意味がある生活ではこうしたことは起こらない。高卒でも大卒でも若者が浮遊している。みんなが力を合わせて世の中を変えようと云うメッセージすら感じられない。大人が若者と手を組んで世のなかを変えて行かねばならない瀬戸際まで来ている」(教育評論家・尾木直樹)

 尾木氏を除き、これらのコメントは本質的な分析が欠落し、精神病理学か評論家の表層的な、およそ皮相な分析で、本人自身が混乱して戸惑っている。本質的に、日本は毎年の自殺者数が30000人を超える自殺率世界第1位(人口10万人当たり25人)を越えている現実の反映なのだ。従来は、高齢女性と壮年過労男性が中心であったのがじょじょに青年層に移行している現実を鋭く指摘しなければならない。県別に見ると、秋田県が人口10万人当たり36.9人で全国平均を10人以上上回っている。高齢者介護の問題で行き詰まる高齢女性とリストラに恐れおののく壮年男性、過疎村でひっそりと自死する村人たち。いままで自死は、周囲がタブー視し口を閉ざして語らず、せいぜいヒソヒソ話で幕を閉じてきた。つねに自死の根底的な解明を回避し先送りしてきたのだ。問題は、希望を奪い尽くしてしまって絶望の果てに反転する一筋の希望としての自死の道に誘導する社会システムにある。精神医学は、高度医療に金をかけるが心の問題を支援しない実態を批判して、豊かだが貧しい心を問題とするが、このような分析に精神病理学の限界が露わに示されている。基本的に、現在の社会システムは、自己決定・自己責任原則で生き抜く強者中心の社会を構築してしまい、およそ公的な場面では本当の心を(自分の弱さを含めて)ナイーブに交流する関係が失われてしまったのだ。自死した3人の若者は何れもフリーターだ。大学新入生アンケートの「今最も関心の高いことは?」のトップは2〜3年前から「就職の心配」となっている。フリーターは、@健康保険未加入A賞与がないB年金未払い者が多いC単純・補助労働でやりがいがないD将来の保障がない−若者の生きる展望はどこにあるのか。
 ここに匿名でホンネを出し合える電子的なバーチャル空間が登場し、孤独な夜の静寂の中で、輝くデジタル文字を見つめながら、痛々しい交流を行える。リアル空間で追いつめられた人々の、かすかな救いの場としてデイスプレーが唯一の開放感ある場として登場し、若者の心情を鷲づかみにしてしまったのだ。知り合って1ヶ月で心中できる心理は、彼らにとってはごく自然な流れなのだ。出会い系サイトや携帯メールも同じような効果を持つ。「やっぱり1人だと寂しいですからね。本気の方お待ちしております。」・・・・・・死への準備中は活き活きしていたのではないか。道具を揃え、部屋を密封し完璧な用意であった。

 詳細な分析は他日を期すが、少なくとも確認できることは、他者を振り落とさなければ自らの幸せが獲得できない囚人のジレンマと化してしまった社会システムを転換し、弱さが素直にコミュニケートできる水平的な協同原理を核とする社会システムを再構築する以外に原理的な展望がないことがますます明らかになってきたことだ。学校で成績順位を示しながら、学力競争の袋小路に追い込むような発想が横行している限り、未来はない。若者の死因の第1位は自殺と推定され、自我が発達する頃生も死も自分で自由に選べるという感覚を持つなかで、生が困難であるなら死こそ最後の自由だという思いこみが生まれる。若者の無力感が蔓延し、生命の重みがあまりにも軽くなってしまった社会状況。バーチャル空間で死が弄ばれる。互いに嘲り合う人間関係の希薄さと歪み−ここに最大の問題がある。第2に、当面直ちにサイト管理を表現の自由の枠内で一定の規制措置を整備し、視聴率至上主義と客観行動主義に転落しているマスコミが自主的に報道倫理規定を再整備することだ。他者の自死を語ることは、自らの生き方を根底から逆照射する厳しく且つ困難な課題をみずからに突きつけることでもある。なんだか哀しい国になってしまったなあこの国は。人間が人間らしく扱われない、人間が互いに攻撃し合う国に。自殺願望サイトに次のようなメールが載っていた。「わたしたちは、本当に生きたいから、死にたいと云うんです。死ぬほど悩んでも生きていたいから、はなしをネットでするんです」。(2003/2/13 21:14)

[イラク攻撃を目の前にして−私たちの日常は”平和”な風景に満ちているが]
 イタリアのレナート・マルテイーノ大司教(平和と正義教皇評議会委員長)は、米国がシシリア島のシゴネッラ基地に遺体袋10万人分と棺桶6000個を2月1日に秘かに送ったことを明らかにした。同基地は、米海軍の飛行場があり海兵隊併せて3000人が駐留する、地中海米海軍の米軍の中枢である。教皇が許せば自分が直接ブッシュ大統領に会って戦争をやめるよう訴えたいとも語った。以上英紙『デーリーミラー』2月10日付け。
 国連査察団秘密報告書によれば(ジュネーブ・ツマッヒ記者入手)、米国の大企業や政府官庁、核研究所が、今まで違法にイラクの生物化学兵器・核兵器開発プログラム構築を支援し、イラク武装化に協力していたとする最重要機密部分がある。1970年以降米国では、すべての対外軍事研究協力は禁止されているなかでの半ば公然たる違法行為である。米国政府自身がイラン・イラク戦争の中で最大限援助したのがフセイン政権であったことを思えば、あり得る事実である。恐るべきは、米国政府機関であるエネルギー省・国防省・商務省・農務省が、対イラク武器援助をしてきたことであり、米国政府核兵器開発研究所であるローレンス・リバモア、ロスアラモス、サンデイア研究所がイラク科学者の訓練を行い、放射性物質を譲渡していることである。同記者は、アメリカよりもドイツがイラクとのビジネス関係を持ち、ドイツの奇病の名前が80強も記載されている−としている。同報告書にある米・独系企業の名前は以下の通り。

 ハネウエル、スペクトラ・フィジクス、セメテックス、TIコーテング、ユニシス、スペリー社、テクトロニクス、ロックウエル、レイボルド・バキューム・システムズ、フィニガンMAT−US、ヒューレット・パッカード、デユポン、イースタン・コダック、アメリカンタイプ・カルチャー・コレクション、アルコラック・インターナショナル、コンサーク、カール・ツアイス、サーベラス、エレクトロニック・アソシエーツ、インターナショナル・コンピュータ・システムズ、ベクテル、EZロジック・データシステムズ、キャンベラ・インダストリーズ、アクセル・エレクトロニクス・・・以上である。私は、これらの企業の羅列を見ていると、第2次大戦時に大量のコンピュータをナチスに提供して莫大な利益を上げて世界最大のメーカーにのし上がったIBMを思い出す。IBMコンピュータはユダヤ人対象虐殺の最も効果的な管理器具としてフル稼働した。企業は最大限利潤の極大化のためには、敢えて悪魔とも手を結ぶのである。

 日本では、戦争はバーチャル空間で展開され、人と人の殺し合いという実感が次第に薄れている。戦争は敵味方双方の人を壊してしまう。ベトナム戦争帰還兵のPTSD(心的外傷後ストレス症候群)という心の病が激増し、アフガン空爆に参加した飛行士にも大量のPTSD患者が発生している。いま世界で最も悲惨なソマリアでは、街を鎖でつながれた人々がヨタヨタと歩いている。彼らは惨たらしい内戦で、狂気となって暴れたり、会話も成り立たない、摂氏50度の暑さの中で暑いのも分からず、歩いている精神病患者である。国に1つしかない精神病院は旧軍人で溢れ、精神科の医者はイタリア人NGOの1人しかいない。薬は全くなく、カウンセリングといった高等な治療は不可能だ。ソマリアを外国人で初めて取材したフリーカメラマン谷本美加さんは、白人と間違われ、「何で肌が白いの? 宇宙人?」と言われたそうだ。93年から1人も外国人を見たことがないこどもが大勢いるからだ。ブッシュ大統領は平然とこのような現場を正視するだろう。

 さて幻の歌人と言われる石上(いそのかみ)露子(本名 杉山タカ 『明星』派5才媛の1人)は、日露戦争時に次のような歌を歌った(与謝野晶子の”君死に給うことなかれ”の2ヶ月前)。

 みいくさにこよひ誰が死ぬさびしさと 髪ふく風の行方見まもる

 『明星』派ロマンテイシズムの極北であった彼女が、ヒューマニズム溢れる非戦を刻んだのである。それから60有余年が過ぎようとしている現代は、歴史の痛手をまたしても繰り返そうとしている。再び数百万人の命を犠牲にしなければ、気が付かない蒙昧のスパイラルに転落しようとしている。(2003/2/12 21:03)

[2・11徐京植(ソ・キョンシク)講演から]
 紀元節に批判的な立場からの講演会、講師が私の大学時代の同級生である徐勝氏(韓国民主化運動で入獄、現立命館大教授)の実弟であり、作家であるということで参加した。イタリア人作家プリモ・レージア(アウシュヴィッツの生還者)が1987年に自殺した背景に、ホロコーストに対する現代欧州の反省に絶望があったとして、現代における断絶の問題を強調する極めてペシミステイックな講演であった。恐らく拉致事件以降に日本で吹き荒れている凄まじい在日に対する迫害と日本社会を覆うゆるやかなファッシズムに対する危機感の深さがある。ファッシズムの最も痛ましい犠牲者である民族の出自からして、現代ファッシズムの最初の犠牲者がまた再び在日であるという恐れをひしひしと感じているのだろう。この現状認識の感性レベルの違いが、在日と日本人との断絶という表現で訴えている。
 私は、質問で「断絶より希望を語るべきである」としたら、「希望とは、絶望ではないが望みが希れと言う意である」とされた。そこまで彼らの危機感は深いのであり、そういう意識に在日を追い込んでいる日本の現状がある。彼は、日本の社会運動がシステムとして崩壊し、市民派が分散的に異議申し立てを行っている、メデイアという公共空間がその最低のモラルを失い、私的な言辞が剥き出しの形で表面化しているとする。彼は孤立した民主派が、孤独な場で自己の存在を賭けた将来世代の証言者としてしか行動できない時代に入ったという。
 しかし私は、イラク攻撃にノン!という米国を含む世界の市民、それに押されて米国に異議申し立てする独仏EUというかって歴史上なかったことが起こっており、日本では地方から中央に抵抗する抵抗自治体が群生している事実も指摘しないわけにはいかない。徐氏の悲壮感あふれる言辞は、朝鮮詩人ユン・ドンジユの次の詩を紹介していることからも分かる。

     序詩

  死ぬ日まで 空を仰ぎ見
  一点の恥ずべきことなきを
  葉あいに起こる風にも
  わたしは苦しんだ
  星を歌う心もて
  あらゆる死にゆくものを愛さねば
  そして わたしに与えられた道を
  歩みゆかねば
  
  今宵も星が風に吹かれる
  
 今日の講演は、作家の時代認識の危機であり、そこには文字通り真実がこもっていた。しかし敢えて云えば、大事なことはその感性的な危機認識をリアルな理性認識のレベルに高め、対象と切り結ぶポリテイカルな認識に深化して欲しい。誤解を恐れず云えば、祖国の北半部における集権主義システムをどうするのかーこれに対する提起なしに加害告発型のメッセージをいかに深めようと限界がある。詩人は同時にポリテイシアンでなくてはならない。それは作家の仕事ではないと言われるならばそれまでだが。私は、フト中野重治「雨の降る品川駅」を想いだした。小雨降る愛知県勤労会館にて。聴衆満席。(2003/2/11 19:00)

[恐ろしい本を読んだ−ヴィクトル・クレンペラー『私は証言する』(大月書店 1999年)]
 戦前期ドイツで最も著名なフランス文学者であったユダヤ人・クレンペラー(元ドレスデン工科大学教授)の1931年(ナチス政権把握)から1945年の敗戦に至るドイツ第3帝国におけるユダヤ人迫害の日常的実体験をリアルに記録した日記の全訳である。クレンペラーの立場は、大学教授という社会的地位とユダヤ人という出自及びソ連社会主義にもナチズムにも反対するリベラリストである。
 この書は。アンネ・フランク『アンネの日記』と並び立つ迫真的な日常の記録であるが、戦後東独在住ということで日本への紹介は遅れた。私は、いままで幾つかのナチス支配下のユダヤ人の迫害を描いた記録文学や映画を見てきたが、これほど日常の生活と心理を迫真的に報告した記録は初めてで、読み進めるに従って背筋が寒くなった。クレンペラーが生き残ったのは、妻がアーリア系であるという混合夫婦ということで収容所送りを免れ、ドレスデン大空襲の中で偽の身分証を偽造して身を隠したからだ。
 ヒトラーの政権獲得後に、徐々にユダヤ人迫害が忍び寄り、第2次大戦開戦後激化し、独軍の劣勢が進むと比例して過激化していく過程が恐ろしいほどの事実で伝わってくる。ファッシズムは、最初微笑して近づき、次いで熱狂を組織し、さらに次いで劣情を動員した異端迫害に発展するということが胸に滲みて理解できる。なぜ私が背筋が寒くなったかというと、現代日本の状況がファッシズムの初期状況を呈しており、なにか取り返しのつかない通過点をいま通過しつつあるのではないかという恐怖だ。ナチス台頭期にも、大不況が始まり、ワイマール末期の爛熟した退廃文化が横行し、徐々にファナテックな激情の爆発に転化していった。客観的な情勢は酷似している。街を走り回る右翼の装甲車のラウドスピーカーに対して、かってほど眉をひそめる人は少なくなったのではないか。リベラル民主派の知事が登場すると同時に、大都市圏では極右知事が君臨して罵詈雑言を吐いてもメデイアは非難しない事態が現れている。職場での信頼関係は分散傾向にあり、声高に言いつのる者が理性的な議論を抑圧するという情景がある。多くの人が私生活主義の陥穽にはまりこみ、真っ直ぐにものを見ず、視野がますます狭くなって云っている。経済を問わずシステム全体が危機にあり、見通しがない不安の中で、音楽や酒に紛らわせてその日を過ごす人が増えている。現在の日本でユダヤ人の役割は在日朝鮮人が担っている。
 さてクレンペラーが直接体験したユダヤ迫害の日常は次のようにステップアップしていっている。
 ナチス政権把握と共にコミュニスト弾圧→ユダヤ人解雇運動→ユダヤ商店ボイコット運動→人種法成立(祖父母がユダヤ人は正統ユダヤ人とみなす)→友人・同僚の亡命・脱出始まる→ユダヤ人強制収容所(初期は懲罰で殺害はない)→大学教員突撃隊制服・ナチス敬礼導入→→クレンペラー教授の講義学生ゼロ→クレンペラー教授職解雇→カトリック教会弾圧→ユダヤ人商店に鍵十字→婚姻法(ユダヤ人との婚姻は懲役刑)→学生成績評価にナチスへの服従心導入→ベルリン・オリンピックでユダヤ人迫害一時抑制→フランス語教授禁止→生命保険料国家保管→ユダヤ人立ち入り禁止地域設定→ユダヤ人お断り商店拡大→海外移住者財産没収→ユダヤ人基督像迫害はじまる→ユダヤ人家屋に黄色ダビテの星貼付はじまる→警官のユダヤ人自宅の武器捜査開始→電車のユダヤ人専用席設置→ユダヤ人図書館全面使用禁止→ユダヤ人運転免許証剥奪→ユダヤ人財産税アップ→クレンペラー、ユダヤ人アパートへ強制移住→ユダヤ人全員強制勤労動員はじまる(16−60歳)→ユダヤ人全員黄色腕章強制着用はじまる→ユダヤ人車輌所持禁止→クレンペラー灯火管制違反で検挙→ユダヤ人タイプライター没収→喫煙切符ユダヤ人除外→クレンペラー、こどもの襲撃を受ける→ユダヤ人強制収容所移送はじまる→ユダヤ人路面電車・バス使用禁止→ユダヤ人植木鉢と花を買うこと禁止→ユダヤ人の家はすべてユダヤの星を強制貼付→ユダヤ人家具修理禁止令→ユダヤ人ペット引き渡し令→ユダヤ人家宅捜査開始→ユダヤ人牛乳配給禁止令→ユダヤ人のラジオ・電話・雑誌購入・公共交通利用・床屋利用・劇場・毛皮・自転車・駅構内立ち入り・公演立ち入り・日光浴・食料品備蓄・外食全面禁止令・買い出し時間1時間制限令→ユダヤ人学校閉鎖・個人授業禁止令→新聞購読禁止令→ユダヤ人自殺者激増→・・・・破局!!

 以上はクレンペラーの日記から抜粋した迫害記録だ。彼は教壇を追われて研究活動を立たれて、最後に残った文学者の仕事としてこの日記を記すことによって、発狂と自殺を免れた。いま日本でもリベラル研究者と教師を追放する試みが徐々に導入され始めている。最初の兆候の時にどう行動するかがすべてを決する。最後に問題。ナチス期の小学校の授業で教師が「第3帝国の次に来るのは何ですか?」と質問したら何と答えますか? 「分かりません」と答えたら懲罰、「第4帝国」と答えたら留年、解答は「永遠に不滅です!」が正解である。注:第3帝国とは神聖ローマ帝国から第3番目の永遠の帝国という意味。(2003/2/9 21:28)

[ものづくりのエネルギーは確かにあるー東海ものづくり研究会から]
 東海4県(岐阜・三重・愛知・静岡)の中小企業有志と研究者が集まって21世紀の東海地方のものづくりを考えるグループがスタートした。今日の報告で注目したのは、名古屋南部工業地帯のものづくりネットワークであるレッツ・エヌ、非製造業のネットワークのモックである。東大阪のHITにつづくネットワークが名古屋で誕生していることを知って嬉しくなった。浜松のオートバイ下請(シャーシー)の浜松の報告も興味を持った。いま浜松は繊維も楽器も低迷し、それを客層とする商店街も空洞化。オートバイは車生産の狭間で作っているが、下請は親企業と同じ機械を少数セットし、この部品のここしかやれなないという特化生産で、なんとかネットワークを作り異業種を巻き込んで仕事まわし・仕事おこしをやっている。地域経済振興条例の直接請求がつぶれたのは、大手企業による1次下請への猛烈な締め付けで保守層を巻き込めなかったところにある−というものであった。岐阜の刃物業界は、下請から脱却して新分野進出を果たし、美濃和紙を現代化したメモ帳や名刺・絵手紙の教材化を進め、高齢者や障害者・共同作業所のものづくりをすすめ、特許権を設定して販売を拡大している。以上の3例は、現代のものづくりの新しい展開を象徴している。ネットワーク戦略、高齢者産業、ニッチ産業などなどの実践である。
 研究者が机上で組み立てている理論が、こうした実践で裏付けられているのを聞くと、何か嬉しくなり、俺もやるぞ!という勇気が湧いてくる。製造業の海外展開と国内空洞化、中国製品の怒濤のような流入のなかでものづくりは、壊滅の危機にある。戦略と政策を緊急に提起し、直ちに取り組まなければならない未来はない。危機は深いが、希望もあることが少し実感できた。(2003/2/9 19:20)

["鬼は外 福は内"−鬼は内にいるのではないか?]
 ミサイルに乗ったブッシュ大統領が地球の上を飛んでいる。米誌『ニューズウイーク』(2.5)の表紙だ。副題は「正義を掲げるカウボーイの異常な『戦争愛』」とあり、「今の米国は史上最悪の狂気の時代にある。赤狩りの時代よりひどい。ベトナム戦争より悲惨な結果をもたらすだろう」(英国スパイ小説家ル・カレ)、「今のアメリカは昔の関東軍と同じだ。かってにどこへでも行って主権を踏みにじる戦争をやる」(小田実)などの批判が並ぶ。
 父親のコネでエール大学に入学したブッシュの英語力が最低であるのは誰でも知っている。デイーパー(より深刻な)と言うべき所をモア・デイーパーと云ったり、主語と述語の単複がバラバラであり、自国語の最低知識がない。第29代ハーデイングは接尾辞を間違え、ノーマルの名詞(ノーマリテイー)をノーマルシーと言ったのは特に有名で、「バック・トウー・ノーマルシー(常態への復帰)」は1920年代初頭の米国を象徴する歴史用語となっている。自国語さえ駆使できない無能な大統領を選んだ国民は、まさに自分にふさわしい人物を選んだのだ。言語だけ習得して、それを駆使して豊かに思考を展開しない言語学者も問題だが、基礎的な言語を習得しないで思考することはまた絶対に不可能だ。米国はボキャ貧大統領の下で崩壊の道を歩んでいる。
 フランスの人類歴史学者エマニュエル・トッド氏(51)が独特の分析をしている(朝日新聞2月7日朝刊)。−我々が目撃しているのは、帝国としての米国の崩壊過程だ。軍事的には強国でも経済的には脆弱で破滅の直前にあり、悪の枢軸論は米国の存在を示す最後の戦略に過ぎない。戦後世界は米日独の3大経済大国で成立しているが、日本がピンチでドイツが反旗を翻し、米国支配のシステムは揺らいでいる。現状の本質は、米国と欧州EUの対抗システムにあり、フセインはこの両極が繰り広げるチェスのポーン(歩)に過ぎない。欧州の主要国が同調しない戦争は、湾岸で15万人の兵力を配備する費用は1週間で10億ドルだ。米国の貿易赤字を埋める資金は1日15億ドルだ。ドルが下がりつつけて取り返しのつかない破局がくるだろう。(一部筆者の責任で意訳)
 パウエル国務長官の安保理報告で引用した英国情報機関M16の19ページの文書は、実は盗作と知的窃盗によって作成されたものだ。英国TV「チャンネル4」は、同文書は一般雑誌に掲載された3つの記事をつぎはぎしたもので、カリフォルニアの大学院生の論文も含まれている。事前にこれらの論文を読んでいたケンブリッジ大学の研究員が指摘した。おまけに原文の文法やスペルの間違いがそのまま転記されたり、挑発的な表現に書き直されている。
 イラク攻撃の舞台裏で活発に活動している米英の秘密諜報活動の一端が浮上したが、このようなレベルの低い諜報情報を鵜呑みにして国際文書として報告するブッシュ政権の末期的症状が露呈されたに他ならない。ブッシュは6日声明で「ゲームは終わった」と言って最後の恫喝をおこなったが、実はそれは米国の終わりの始まりと言う意味でよく理解できる。

 ひるがえって我が日本に対するアジア諸国の鋭い批判が沸き起こっている。「NATO主要国が米国のイラク攻撃に反対しているのに、『平和大国』日本がなぜブッシュのイエスマンになっているのか。平和憲法と反戦精神を勝手気ままに無視し、なぜ米国の機嫌をとり自衛を越えてイージス艦を派遣するのか? 侵略国日本は戦犯を首相にし、首相本人が3度も戦犯にぬかづのか」(マレーシア南洋商報2/5)、「第2次大戦の日本軍の虐殺を忘れることはできない。14人のA級戦犯になぜ敬意を表するのか。日本の政治家が元帥に対する過去の感傷にふけるのをやめれば、日本の信頼は回復できる」(香港『フォー・イースタン・エコノミック・レビュー』1/30)、「もしかしたら小泉は、自己を犠牲にして切腹やカミカゼ精神を体現したと認識しているのかも知れない。小泉が3度に及ぶ靖国参拝で、ことさら日本の極右の側で民族の英雄役を務めたのは確実だが、こんな賭博で有り金はたいて勝負に出るようなやり方は、すでに日本外交をさらに孤立した状態に陥れている」(シンガポール聯合早報1/18)。銘して聞くべし。(2003/2/8 8:37)

[ある川柳の原点から−迫り来るイラク攻撃の中で]
 いまヒタヒタと押し寄せるいくさの危機は、15年戦争突入時の緊迫感が漂う。しかし日常は平穏で、職場は笑い声が飛び交い街はネオンが輝いている。60年前もズルズルと戦争は始まってじょじょに取り返しのつかない泥沼に陥った。1938年に鶴彬(つる・あきら)は自作の川柳を誣告され、川柳人弾圧事件で逮捕、獄死した。彼の作品は、次のものであった。
 
 手と足をもいだ丸太にしてかへし

 鶴の川柳論は根底的な1930年代芸術批判論である。「端的に言って川柳は、和歌・俳諧の純粋詩的流派に反逆する所から発生した。当時の貴族・武士・ブルジョアの不生産的生活と世界観が生んだ叙情的・観照的方法についていけない勤労市民の現実的矛盾の要求として、批判風刺的方法が創造された厳粛な現実批判の風刺短詩であり、通俗的ユーモアの風刺短詩ではない。既成川柳は、現実の嘘の皮をなでさすって感じた浅薄なユウモアや、足の裏を舐めるような気色の悪い洒落を撒き散らすことによって、現実のまことに触れることを忘れ、純粋詩川柳は個人主義的な末梢神経が描く非現実的な幻想に酔っぱらって、極めて消極的な社会的人間の嘆きを呟いている」(『川柳人』1937年7・8月号)。

 現代から見れば教条主義的な内容であるが、本質的な鋭さは時代を超えて現代の頽廃を撃っており、浮遊する現代芸術の表層を射抜いている。身を正して聞かなければならない迫力がある。彼は自らの死を賭けて言葉を言っているのだ。時実新子氏に聞かしてやりたいほどだ。

 さて喜納昌吉&チャンプルーズは2月12日に沖縄を発ってイラクへと向かった。米軍の攻撃に対して、人間の楯となって15日にバクダッドで平和コンサートをひらく。以下は彼のメッセージ。

 地球の恵みを戦争の手段によって奪い合ってきた文明のありかたに
 終止符を打たなければならない時がきた
 あらゆる文明悪を浄化し、地球の恵みを人類の福祉と地球の再生に向け
 人類は一つ、地球は一つというまったく新しい
 宇宙に開かれた”輝く惑星文明”に目覚めなければならない
 それゆえに文明の故郷を持つイラクと
 文明の先端をになう米国が
 ぶつかるほど愚かなことはない
 対話する勇気があるならば、理解の扉を開くことができる
 中東問題の争いのもとであるユダヤ教・基督教・イスラム教は
 おなじアブラハムを祖に持つ
 奇しくもカナンを求めてきたアブラハムの出生は
 イラクにあるウルの地である
 きっとそこに和合のヒントがあるだろう
 戦争が早いか祭が早いか
 真実の平和運動が試される時がきた
 
 すべての武器を楽器に
 すべての基地を花園に
 すべての人の心に花を
 戦争よりも祭を

 9.11報復戦の時は坂本龍一氏が音楽家の良心を示し、今次は喜納昌吉氏が命を懸けて戦地で歌う。こうして全世界の非戦の声を受けて、史上最大の野蛮国家米国に対する最後の審判が下された。次はラムゼー・クラーク元米国司法長官の「ブッシュなどに対する弾劾書」(2003/1/15付け グローバル・ピースネットワーク・サイトより引用)の一節である(原文・全文は筆者まで)。

 『大統領ジョージ・W・ブッシュ、副大統領リチャード・B・チェイニー、国防長官ドナルド・ラムズフェルド及び司法長官ジョン・デイビッド・シュクロフトに対する弾劾書』

 大統領、副大統領及び合衆国の公務員はすべて、アメリカ合衆国に対する反逆罪、贈収賄或いは他の重大な犯罪及び軽罪に対する弾劾が為された時、及び有罪の決定が下された時、公職から解かれなければならない−米国憲法第U章第4節
 上記4名のが弾劾さるべき行為は以下の通りである。
 1)アフガニスタンに対する先制・第1撃の侵略戦争を公言し、命令し、指揮し、その結果非戦闘員数千名の生命を無差別に奪い、数百万人を家なき飢餓に陥れ、首都に自分の政府をつくったこと
 2)11年間に渡って、米軍機は攻撃を受けないにもかかわらず、自衛のためと偽り、イラクの主権を侵犯して空爆し、数百人の市民の生命を無差別に奪っていること
 3)イラク周辺に軍隊を増強し、先制核攻撃で強迫し、戦争で威嚇してイラクを恫喝していること
 4)イラク政府を転覆すると公言して独立と主権を侵害していること
 5)暗殺、即決処刑、誘拐その他不法な拘留、捕虜への拷問を許可し、命令し、米国内外で諜報機関員が、合衆国憲法修正第1条、第4条、第5条、第6条、第8条で保障されている人権を侵害し、世界人権宣言及び国際人権規約を侵犯していること
 6)〜9)略
10)アフガニスタン、イラクその他の国々に対する戦争と侵略の恫喝のなかでおこなわれる戦争犯罪を、国連憲章と国際法に違反してまたそれらを破壊していること、国際法と国際機関を妨害する買収、強要その他不正な行為によって、条約を受け入れず、受け入れても覆すことによって、国連と構成国の諸国民のちからを暴力的に奪っていること
                                                    2003年1月15日 ラムゼイ・クラーク

 このようにして戦争は始まるのか? ナチスの場合もヒタヒタと押し寄せ、まだまだ何とかなるのでは?と思っていた瞬間に非戦派は一網打尽に壊滅した。私ができることは、せいぜい朝日新聞への意見広告に過ぎないが、せめてそれぐらいの加担しない証の行為は後世に残したい。(2003/2/7 21:46)

[オランダ欧州企業観測所オリビエ・ホードマン氏との討論集会から]
 いま世界で注目されているオランダ・モデル(ワークシェアリングによるスローライフ)について、オランダ人であるホードマンさんが京都の研究集会で質問に応じた。日本の現状にそのまま適用することはできないが、経済的な効率原理を越えたヒューマンなあたたかい社会システムを覚えて少々うらやましくなった。基礎経済科学研究所京都研究集会にて。

 A:独裁政権下での企業監視行動は可能か?
 国際的連携が必要だ。国際的な圧力と国内グループの連携で自国政府に圧力を加えることができる。ビルマを見よ。

 B:企業監視で、情報・基準・調査に恣意が入ることはないか?
 工場や会社を直接現地調査することが必要だ。基準は、人権・最低保証賃金・労組結成の自由であり、調査過程の公開制と透明性が求まれれる。判断は世論に委ねる。
 
 C:先進国への途上国移民をどう考えるか?
 Global responsibilityとして移民は積極的に受け入れるべきである。グローバル経済化は同時に責任を伴う。オランダは、1990年代以降多文化社会を宣言して移民を積極的に受け入れている。オランダ人は高齢化が進み、ビル清掃・コールセンター・スーパーのレジ・IT下請け等の低賃金労働力が必要となった。前回総選挙での右派政権の誕生で、移民規制が試みられ、オランダ語の習得義務など同化政策が進められたが、政権は短期間で倒れた。9.11以降イスラム系の移民が抑制されたが、多文化社会はあくまで私たちの誇りだ。

 D:福祉国家ではなぜ若者が勤労意欲を無くすのか?
 若者の失業手当Unemployment benefitの額が低い。5万円程度で、仕事を得るための強いプレッシャーがある。高学歴の左派学生は、仕事がないのは自分たちの責任ではなく経済システムに責任があると考える者が多かった。90年代に労働市場の規制緩和が進み、サービス業とIT産業のパートタイム制の導入で失業率は下がった。

 E:EU統一基準によってオランダはどんな影響を受けるか?
 一般的にグローバリゼーションは競争を加速する。社会保障が厚い国は厳しい運営を迫られる。オランダは、社会保障がそれほど手厚くなく、フレクシブルな経済(医療保険はすでに民営化)なので、競争力は比較的ある。移民政策・税金・環境政策・安全保障は、各国で決定してEUが調整するが、EU決定が先行しているので市民は厳しい。

 F:店の営業時間など便利さの欲望に逆行する政策は合意が可能か?
 便利さの追求で24時間開業は賛成できない。24時間経済は自分も24時間働けと言うことだ。オランダは労働時間が短く、6時以降買い物できなくても全く困らない。日曜営業は、宗教的理由で規制され、労働組合と教会が連帯して反対している。一般的に市民は、生活を金儲けに支配されないための政策を支持する人が多い。飲料水の自販機を街に置けないのは、景観を守るためだ。イタリアのフローレンスやヴェニス、アムステルダムに世界中から観光客が来るのは、商業化されていない歴史の町並みがあり、アメニテイーが満ちているからだと思いませんか?

 G:ソフトドラッグ(麻薬)の利用をどう考えるか?
 オランダは、マリファナをはじめ自然のソフトドラッグの使用・販売・所持が認められている。パーテイーで一服というのは普通のことだ。影響も効果も全く異なるハードドラッグ(ヘロイン・コカイン)には絶対に手を出さない教育が行われている。全てのドラッグを禁止しても、地下に潜るだけで無くならずハードドラッグまで手を出す可能性がある。だから部分的に合法化して教育を充実させる方針だ。大麻の葉1gは5ユーロだ。要は「あなたの判断で決めてください」という自律性が大事だ。

 H:男性がフルタイムで、女性がパートで働くのが一般的か?
 労働人口の40%がパート労働だで、その70%が女性だ。一般的に子育てと両立させるためという人が多い。

 I:EUレベルでのワークシェアリングは進んでいるのか?
 EUレベルでの調整はない。オランダの労働市場は大変柔軟で、ちょうどパート制がフィットしたのだ。英国や南欧ではパート制は合わない。

 J:ワークシェアリングは国際競争力を落とすのではないか?
 失業率を下げるという意味で、パート制は競争力を強化している。フルタイムよりパートのほうが仕事の創出がし易い。労働の量的結果ではなく、質的な面で、パートのほうが創造性がある場合がある。

 K:日本でワークシェアリングの導入は可能か?
 行き詰まった日本経済をどうするか? 今までの労働者の激烈な長時間労働に支えられた経済大国というステイタスを守りたいのなら、大きな変化を期待することはできないでしょう。しかし違うビジョンも可能かも知れません。雇用を多様化し、生活の質の向上のための支援策をうちだし、環境産業に力を入れ、まちづくりと福祉の向上にNPOのエネルギーを活用するといった方向に、政府・産業界そして何よりも生活者が踏み出すならば日本社会は変わるでしょう。(2003/2/6 20:52)

[消費税の国際比較分析]
 政府税制調査会は「少子高齢化社会の税制の在り方」について実質的な審議を開始し、所得税控除の縮小と消費税率16%値上げに本格的な一歩を踏み出した。その根拠の1つに欧州は高税率・高福祉で消費税率が高く(20%)、日本は比較的に低い(5%)と言う。この内実を国際比較統計から見てみる。
 例えば福祉モデル国であるスウエーデンを例にとると、経済協力開発機構(OECD)の統計では、スウエーデンの公的支出(財政支出+社会保障給付)の財政規模をを示す国民負担利率(対GDP比)*は54.2%。同国の消費税収入はGDP比7.2%であり、公的支出の財源の8分の1に過ぎない。スウエーデンの公的支出の財源の大部分は、GDP比19.3%の個人所得課税と11.9%の社会保障負担の雇用者分によっている。スウエーデンの消費税は25%と高率で食料品軽減税率は12%だが、高水準の社会保障制度によってその負担がゼロに相殺される。個人所得課税は累進制であり、欧州の公的支出の中心は、消費税ではなく、累進課税と企業負担である。欧州の消費税率の高さは標準税率の高さであって、生活必需品はすべて軽減税率かゼロ税率を適用している。
 英国の標準税率は17.5%で食料品その他生活必需品はゼロ税率が適用されている(2002年1月現在財務省資料)。英国のゼロ税率適用対象は、食料品・飲料水・下水・子供服・新聞・書籍・国内旅客運賃・医薬品・居住用建物建設費など衣食住全てに渡っており、実質的に市民の消費税負担はない(OECD『消費税の動向』2001年)。フランスの標準課税率は19.6%で食料品の軽減税率5.5%、ドイツの標準税率は16%で食料品の軽減税率は7%。米国は消費税(付加価値税)そのものを導入していない(一部の州の小売売上税は広い意味では消費課税だが、付加価値税ではない)。日本は全ての消費に一律に5%を掛け、さらに16%という超高税率にしようとしている。広く薄く→広く重くという大衆課税は、消費需要を減退させとめどない不況の地獄へのスパイラルを生む。
 *国民(=個人+企業)負担率=[(税負担+社会保障負担)/GDP]×100      (2003/2/5 20:35)

[シャトル爆発はアラーの神の復讐なのか!?]
 シャトル爆発は神の意志であり、イラク攻撃に対する復讐だとする声がイスラム世界に広がっている。米国航空宇宙局NASAのプロメテウス計画は、核システムによる原子力推進ロケットの開発を10億ドルの予算で進め、原子力利用の宇宙探査機の打ち上げを計画している。その探査機は、プルトニウムを利用したヒーターが装備され、今年5月と6月に打ち上げる予定であった。もしコロンビアに核物質が搭載されているとしたら、爆発後の降り注ぐ放射能被害は予測できない悲劇的なのものとなった。
 NASA自身の環境影響評価(EIS)では「1回の打ち上げにおける事故発生の確率は30分の1であり、何らかの事故によって環境中に放射性物質が飛散する確率は230分の1である。風下にいる住民は放射性物質を吸入する可能性がある。フロリダのケネデイ宇宙センターから60マイル以内の住民が影響を受ける惨事が発生する可能性は高い」としている。
 NASAはジーン・オキーフ長官の異常な熱意で、宇宙計画における大規模な核開発を推進している。これに対し、連邦議会は宇宙計画予算(スペースシャトルのメンテナンス費用)を削減しており、NASAは打ち上げの財源を国防総省ペンタゴンに依存するようになってから、急速に軍事技術開発に傾斜してきた。今後の全ての打ち上げ計画はNASAとペンタゴンの共同計画となった。
 NASAは一貫してスペースシャトルの安全性を主張し、再突入時は発射時よりも安全だと云ってきたが、事故確率計算のあまりのずさんさから見ると、起きるべくして起きた事故だ。大気圏再突入時の危険については、97年の土星探査機カッシーニの地球近接飛行の際に強く警告されたがNASAは無視した。犠牲となった乗組員には哀悼の意を表するが、本質的には彼らは特攻隊員であったのだ。メダカや蚕の産卵実験が報道されているが、実は乗組員の本当の任務は宇宙核物質のデータ収集にあったのだ。乗組員の国籍を見ると(イスラエル、日本)、明らかに米国と固い軍事同盟を結び、米国の宇宙核先制攻撃戦略に積極的に加担してきた国だ。以上「宇宙兵器と原子力に反対するグローバルネットワーク」カール・グロスマンニューヨーク州立大学教授の手紙を参照。
 9.11以来おごり高ぶって国際法を無視して世界に君臨しようとしているアメリカ帝国に対する神の罰だとしてもあながち間違ってはいない。恐らく米国は、今回の事故を偉大な犠牲として、乗組員のパイオニア精神を宣揚し、星条旗に対する忠誠の動員を最大限試みるであろう。こうした事態の果てに米国は巨大な象が音をたてて倒れるがごとく自滅の道を歩むであろう。(2003/2/3 20:14)

[生き切った男の残したもの−大窪敏三『まっ直ぐ』(南風社) ]
 いやー実に現代史の渦中を生き切った波瀾万丈の生涯ではある。宮崎学がアホみたいに小さく見える。しかしこの書からは無限の汲むべき熱いメッセージがある。一筋に自らの信じた道を行って何ら悔いる事なき生涯とはかくたるべし−とも云える。左翼運動者のこうした類のものは、帝国大学出身のインテリゲンチャのものが多く、如何に自分が思想に殉じて誠実に生き、そして裏切られたといった自己肯定のものが多いが、大窪氏は小学校中退で修羅場をくぐり叩き上げてきた骨の太さと無条件の弱者への共感があり、一切の私心というものがない。しかもイデーに対する献身といった儒教的な晦渋さもない。常に現場の渦中で全力投球で生き抜いていく迫力はすごい。それで尚かつ繊細な感性と鋭い人間観察力を持っているから、類い希なる民衆のオルガナイザーでもある。左翼前衛者のなかに、こうした底辺労働者出身の感性と知性がどのような過程を経て成長していくのか、生涯学習心理学の絶好の教材でもある。
 氏の生涯を奥付から拾うと、1915年東京の裕福な家に生まれ幼少期を過ごしたが、関東大震災で一家没落し、事実上小学校中退という極貧生活で帝拳ジムのプロボクサーとして将来を期待されたが、腰痛で無念の引退。1936年に海軍陸戦隊員として約10年間中国戦線を転戦。初戦は上海事変で上陸作戦を闘い、最後は内陸部で八路軍と戦闘を交える。本土決戦下で横須賀鎮守府の特殊潜行艇「回天」基地の物資倉庫責任者として「闇の王様」と呼ばれる。戦後は兄の影響を受けて共産党に入党し、川崎・横須賀中心に労働運動に参加し、生産管理闘争を闘う。レッドパージ後軍事方針下の共産党東京都委員会軍事委員長として非合法活動を行い、米軍基地スパイ容疑で逮捕、投獄。黙秘を貫き得ず自白した。出所後「医療に貧富の差があってはならない」という信念から、日本最初の医療生協である神奈川医療生協を創立して現代に至る。なんともあっぱれな疾風怒濤の経歴ではある。
 この書は、氏が87歳でガンを宣告され、やり残したことはないか−と考えた子息大窪一志氏のヒアリングを元に書かれているが、べらんべえ口調まるだしの独白がまた独特のアクセントを与えている。一志氏は「あとがき」で次のように云っている。「彼はただの人である。格別偉くもないし、とりわけ業績を残したわけでもない。だがその生き様を現代日本に置いてみると、急にただ者ではない光を帯びてくるように思われる。戦争と革命の世紀を、埒外から傍観したのではなく、上の安全圏から指導したのでもなく、その現場に身を晒しながら、身体で係わって生きてきた者に、この世紀の歴史の智恵が宿るのではないだろうか。天下にとってはまことに小さいが、自分にとってはかけがえのない一回限りの人生を投げ出して生きる、その個人の緊迫した状況の中にこそ、「あ、ここだな」「あ、これだな」という生き方をつかむ瞬間が現出するのではないか」。子息の分析は鋭い。私もまさにそう思う。敏三氏はまた素晴らしい息子を育て上げている(離婚後2人の息子を引き取り育て上げた)。子息は、最初は父に反発したが東大文学部卒業後父の足跡を歩み始めている。

 最後に氏が云っている遺言に近いメッセージの一節をに記す(一部筆者の責任で略す)。

 「そうだな、敢えていうなら、私利私欲を捨てるということかな。無私とか無我はそんな高級なものじゃねえよ。俺だっていい酒飲んで、うまいもの食って、安楽な暮らしをしてえと思うよ。だけどそれと利己心や功名心に立って、はかりごをめぐらすのとは違うんだよ。小せえ個人のはかりごとは、往々失敗に終わるし、世界はどんどん狭くなるんだ。もっと大きなものがあるってことよ。たとえ獄中の独房にいても、世界は広いよ。・・・・”みずから立てるところを深く掘れ。そこに泉がある”っていう言葉がある。俺はなるほどなと思ってやってきたんだ。自分で選んだ道がひでえことになっちまった時に、こりゃだめだってんで、引き返すか、頭あ上げて先に進むか。引っ返しちゃダメだなんだよ、実は引き返すことなんかできねえんだよ。井戸を掘っても掘っても泉が出てこない時にどうすんだ。向こうで掘ってる奴が湧きだして、頭あ下げて家来になるか。岩盤にあたったらあきらめるか。そのたびに掘り直すことなんかできねんだよ。だからいつまでも掘り続けて、真っ直ぐに掘っていけばいいんだ。俺の場合、温泉を掘り当てることはできなかったし、ずいぶん苦労した割にはてえしたことにはならなかったのは確かかも知れねえ。だけどよ、泉は湧いてきたよ。きれいな水がさ、湧いてきたんだよお。たいした役じゃあなかったけどさ。それでいいんだと俺は思っている。だから云うんだ。”みずから立てるところを深く掘れ。そこに泉がある”。
 20世紀ももう終わるな。俺は83歳だよ。もうすぐこの世とおさらばだ。他人様から見りゃあ、てえしたことのねえ一生だったかも知れねえな。割りの悪い一生だったという見方もあるかも知れねえ。だけど俺は満足している。
 日本も世界も、このまま安穏に過ぎていくとは思えねえ。
 来るぜ、また
 絶対に来るよ、激しい時代がさ。
 そいつはまちげえねえよ。
 そうしてさ、みんなも、そうだってことが、また来るってことが、わかりはじめているんじゃねえのか。というか、みんなあ、もうわかっているんじゃねえのかな。なのに眼をふさごうとしてるんじゃねえのか。眼をふさがないまでも、正面から見ようとしていねんじゃあねえのか。
 そんな時でてくるのは怯えだよ。見ようとしないから怯えるんだ。一所懸命生きようとしている人間にとって、世の中ってえのは、いつも大変じゃあねえのかな。平穏無事な世の中ってえのが実はどんなに大変なものか、あんただってよくわかっているだろう。そうであるなら怯えるこたあ、ひとつもねえよ。必要なのは、真っ直ぐ見るってことだけだよ。真っ直ぐ見りゃあ、やるべきことは分かってくるんだ。どんなに世の中がかわろうが、やるべきことはわかっているんじゃねえのかな。・・・・・・
 世の中が続くかぎり、人間はつらいめに遭いながら、一所懸命生きていかなきゃあならねえんだろうな。
 俺があの世へ行っちゃても、世界は残って、人間はそんなふうに生きていくんだろうなあ。
 そうなんだろうなあ。
 ・・・・・・・・
 しっかりやれよ。
 それじゃあ、アバよ。」

 実にスゴイ言葉のオンパレードだ。日本語で語った言葉でこれほどの重みと真実の籠もった言葉は久しぶりだ。なにか全てのしがらみを吹っ切るちからがある。私がこの世を去る時に、このようなほんとうの言葉を残すことができるだろうか−と思う。私の同僚にガンで早世した女性がいる。彼女は死の1日前に200万円を持って、名古屋市内の百貨店を全て回り、ありとあらゆる買い物をしてこの世を去った−フトこうしたことを思い出した。(2003/2/2 16:47)

[英会話講師ジェイソンG.ウイリアムスさんからの手紙]
 私はこの手紙の趣旨を理解はしますが、全面的に賛成するものではありません。以下全文(岡山県朝鮮初中級学校HPより)。

 「過去5年間、岡山にある北朝鮮系の初中級学校で教えている者として、私は最近の在日朝鮮人に対する人々の言動について当惑し、憤慨しています。特に朝鮮学校の生徒に対する悪質な行為について不快極まりありません。」
 私が教える学校の生徒たちは、ずっとこの状況に悩まされ続けていて、今はもう学校の外で制服を着ることはできないでいます。この子どもたちは、日本人の拉致事件が起こった時に、生まれてさえいないのです。さらに最近、私は総連に対する調査を要求したり、総連の人が北朝鮮を訪問した時に、日本への再入国を拒否すべきだという云う人たちがいると聞きました。にもかかわrず、日本の政治家や公務員からは誰ひとりとして、在日朝鮮人への嫌がらせに反対する意見を聞いたことがありません。これはどうしたことでしょうか?
 私はしばしば人々が、北朝鮮は「よく分からない」とか「恐ろしい」というのを耳にします。しかしもし彼らに、朝鮮人に1人でも会ったことがあるかと聞くと、答えは明らかにノーです。私は何人かの在日朝鮮人を知っていますが、彼らが(朝鮮戦争退役軍人の息子である)私や私の家族、友人、同僚(カナダ、オーストラリア)に示してくれたのは、親切と寛大さ以外の何者でもありませんでした。
 私は、この手紙を読む人たちに、近くの朝鮮学校を訪ねてみることを提案します。間違いなく歓迎されるでしょう。そして自分自身で見いだしていただきたい、そこで私がこの5年間で知ってきたことを。
 私が教えている学校の或る教師が、すべての人にとって大切なことは、お互いに理解し合うとだと言いましたが、これは簡単なことなのです。(2003/2/1 21:30)

[ネルソン・マンデラ元南アフリカ共和国大統領のブッシュ米国大統領批判について]
 ヨハネスブルグ国際女性フォーラムでのマンデラ発言の要旨は以下の通り。
 「ブッシュ氏は、傲慢で近視眼的であり、国連を無視してイラク攻撃を進める熱狂は、人種差別から出ている。先見の明なく、適切に考えることができない大統領を持つ一つの大国が、いま世界をホロコーストに陥れようとしている。なぜ米国はかくも傲慢に振る舞うのだろう。ブッシュ氏が望んでいるのは、イラクの石油に他ならない。ブッシュ氏とトニー・ブレア氏は、国連及びガーナ人のコフィ・アナン事務総長をないがしろにし、存在を形骸化している。これは事務総長が黒人だからなのか。もし白人だったら彼らはこんなことはしなかっただろう。第三次世界大戦が起こらなかったのは、国連があったからこそであり、イラクに対する処遇も国連が決定すべきだ。無情にも広島と長崎に原爆を落とした米国には、世界の警察となるような道義的権威はない。もし世界に言語道断の残虐行為を働いた国があるというなら、それはアメリカだ。アメリカは人間の死を何とも思っていない。彼らは世界の警察官をもって任じ、イラク民衆のために何が為されるべきか、その政府と指導者をどうするかを決めるというのか。米国は、大虐殺を引き起こそうとしている。米国民は投票により彼をその地位から追い、彼の政策に反対している意を示して欲しい。ブレア氏はアメリカの外務大臣であり、もはや英国の首相ではない」。同時にマンデラ氏は、イラクは武器査察官に充分な協力をしていない、南アフリカは国連により支援された対イラク措置はすべて支援するだろうとも云っている。

 さすが生涯を黒人差別解放運動に捧げた人の痛烈な言葉だ。大統領経験者が、米国大統領の個人的資質にまで踏み込んで、その人種差別的人格や無能力を批判するというのは、かってない。広島・長崎は、明らかに白人の有色人種に対する人種的偏見による原爆投下であった。この被爆の実相を知り抜いているはずの日本政府が、先制核攻撃を「理解する」という驚くべき状況に立ち至っている。所詮国民は自らにふさわしい政治家しか持ち得ない等と言って冷笑している人はもはや共犯者だ。
 イラクでは、湾岸戦争後12年も経つのに、急激に子どもたちの白血病やガンが増大し、白血病専門病棟がつくられているが経済制裁による医薬品不足が深刻な事態となり、50年前の医療水準に戻っている。専門病棟の6人から8人部屋はハエが飛び交い、汚物の臭いが充満し、感染症を避ける衛生状態は保てない。髪の毛の抜けた少年少女が、まるで老人のような表情となって、化学療法の薬がなく治療を断念して退院に追い込まれる。約5年間で1000万イラクデイナールの医療費(教師の給料月2万デイナールの40年間分)を支払える家族は少ない。米軍が投下した劣化ウラン弾による放射性物質によって汚染された地下水を使って育てられたトマト、メロン、マッシュルームが一番危険だ。マッシュルームはイラク人の好物で、日本人のマツタケに相当する。2月下旬に再び米軍の攻撃が行われれば、200何人の死者が予測されるイラク国民の惨状は予測しがたい。生物化学兵器の査察が不充分だという米国自身が、非人道的な放射性兵器で無差別爆撃を行おうとしている。いま査察さるべきは、史上最大の核兵器、化学兵器、生物兵器を持っている米国自身ではないか。
 私たちは沈黙して他人事のように見ているに過ぎないのか。Tink Globaly Act Locallyを好きだと云っていた人は、私を含めて何かができる。なぜなら日本は、中東諸国から歴史上一度も侵略に係わった経験がなく、資源のない小国が、平和と教育を大事にして高度成長した開発モデル国として教えられているからだ。中東の初等教育では、日本のモラルと歴史がモデルとして教えられている。日本はパレスチナ自治政府に対する最大の援助国として尊敬されている。この日本イメージに決定的な打撃を与えたのが、イージス艦の派遣であり、もしペルシャ湾に入れば日本は米軍と行動を共にする敵国に転落する。日本は、トルコが提案している中東平和会議の提唱国になることによって、「国際社会で名誉ある地位」を得ることになる。逆に日本は、米国に次ぐ侵略国家に転換する有事法制が準備されている。この法制の大事なことは、他国に対する侵略の正当化が同時に日本国民自身の人権を剥奪する点にある。米国で1976年に創設された米国連邦緊急事態管理庁は、政府が自由に財産の没収と市民的自由の停止を行う権限を持っている。他国を侵略する国は、自分自身の自由を奪われる−というのは歴史の鉄則だ。(2003/2/1 20:00)

[「感性は洗練されると美意識になり、論理で研ぎ澄まされると思想になる」辻井喬(堤清二)]
 辻井喬は現代を代表する詩人であるとともに、西武グループ総帥としてセゾングループを率いている財界人/堤清二でもある。セゾン自身は倒産の危機に瀕しているが、詩人としての活躍は相変わらずだ。彼は詩人としての生き方に専念したほうがよいのではないかとも思う。『現代詩手帖』1月号で、「日本の現代詩は思想性が希薄になってきて、それが日本の現代詩の衰弱の原因ではないか。・・・・テーマへの意識が表現しなければすまないようなものになって出てくる時に、それが初めて詩における思想の素材となる」として、題名の言葉が続く。こうした感性の持ち主が、激烈な経営競争の世界で生き残れるはずがないとも思う。逆に言うと、欧米では経営者が同時にスゴイ教養文化を発信している例は枚挙に暇がないが、辻井(堤)氏のような存在を日本社会が受け入れるほどには成熟していないと云うことだ。
 面白い話がある。ノーベル物理学賞小柴昌俊氏と松下康雄氏(元日銀総裁)と原口統三(『20歳のエチュード』遺稿集 逗子の海で自死)と上田耕一郎氏(共産党副委員長)は旧制1高時代に同じ部屋で暮らした。原口が家からの送金が途絶え、朝鮮戦争の米軍荷役に人足で学費を稼いだ時に小柴氏も一緒に働いたそうだ。1高の寮は完全自治で、寮自治会が内閣を組織し総代会という議会があり、3権分立で教授も自治会の許可がなければ寮に立ち入れず、懲罰委員会が学生の謹慎を決めると学校も自動的に停学にし、退寮処分を決めると学校も自動的に退学処分にした。寮自治会選挙で小柴グループと上田グループは正面対決して、小柴グループが当選した。
 小柴氏は学校の成績がビリであったが、研究のスタイルを次のように云う。「学力は、先生の教えることを理解し、きちんと答案を書く受動的な認識能力と、自分で何をやるか自分から能動的に働きかけていく能動的な認識能力がある。人間の総合的な能力は、受動的能力×能動的能力であり、どちらが欠けていても仕事はできない」。
 おそらくこのような発想は、旧制1高での高い教授陣と学生の完全自治の統合の中から生まれたものであろう。戦時下の閉塞された空間で、ただひとつエアーポケットのように存在した青年の自由空間が、戦後日本の再生と科学の発展をさせる基礎をつくったことは確かであろう。表題の辻井喬は、東大時代に上田氏の弟である不破哲三(共産党議長)の薫陶を受けて反戦運動に没頭し、現在でも親友の関係が続いている。原口のようなあまりにも繊細な感受性の故に、戦後の価値観の大混乱の中で自ら自死を選んだ人もいるし、業績を挙げて名前を残した人もいる。どの時代にあっても青年期は、シュトルム・ウント・ドランクの時期であり、無限の哀惜が込み上げてくる。こうした関係を特殊なエリートの共同体と切って捨てるのは、思いが狭くなっている人だ。
 それにしても学園における自由とは何か、現代の学校教育での自由とは何かという問いは、時代を超えて普遍的な課題ではある。つまり現代での自由のパラドックスは、自由自身のうちに頽廃への自由が含まれる現実があり、自由のレベル自身が危機に瀕している現状があるからだ。(2003/2/1 9:49)

[「ただ一つ、超大国に迎合し、進んで他国への武力行使に参加する事態に遭うのだけは御免だ。ーと書いてみて虚しくなる。もの哀しくなる。戦後58年が経った今、どうしてこんな事を書かなくてはならないのか」(高井有一『文学界』2月号特集)・・・・問題の根源は何か!愛知の若者に告ぐ]
 黒田洋一郎氏(東京都神経科学総合研究所客員研究員)が痛烈な日本の科学技術体制批判を展開している。以下はその要約。「田中耕一さん自身が当惑したノーベル賞受賞に対する過剰反応は、日本が近代科学の進歩の構造を理解できていないことを示している。日本の科学技術は、国策として西欧から導入されてから専門家の専有物とされ、一般の人の介入は封じられてきた。科学が無条件に善とされ、ノーベル賞が実態以上に賞賛される。ノーベル賞は、過去に間違いだった理論やロボトミーといった反社会的な実験が受賞した歴史があり、自然科学は物理・化学・医学・生理学だけで環境や健康など21世紀の問題が対象外でノーベル財団自身が再検討に入った。これを補完する国際生物学賞やブループラネット賞、京都賞など高水準の選考はあまり報道されない。
 ノーベル賞は10年から20年前の発見や仕事が後に実を結んで評価されるから、現在の日本の実態とは関係ない。重要な点は、「世界で初めて」はその時には誰も評価せず、「変人」扱いされたり無視されたりする。ノーベル賞の条件は、「他人と違うことを云ったり、したり」する先駆性とその信念の貫徹にある。しかし全ての変人が、意味ある大発見をするわけではないので、独創的研究には大いなる無駄が伴う。
 田中さんの受賞は、肩書きや権威が横行するなかで彼の独創的な仕事が全く評価されていなかったことを示している。日本の風土は、知的に本当によいものの評価システムがなく、教育では知能の極く一面を学力偏差値で量り、同じように研究の評価は、論文数や引用率で見分ける程度のデータ評価しかない。「特上」を評価する能力と習慣がないので、ノーベル賞の権威に依存する傾向がますます強まる。独創力は、実は壮大な無駄と金のかかる試行錯誤の過程でもある。
 現在進行中の大学独立行政法人化は、研究を工場生産と同じように考え、効率と安価・大量原理で捉え、表面的な採算とは合わない独創研究が排除される。総合的な未来評価能力を持たない人が下手な評価制度で行うので、かろうじて生き残ってきた「変人」的な部分が消えてしまい、流行だけを追う(絶対にノーベル賞の対象とはならない)小器用な並の人に過大な研究費が保障される現象が起きている。これから10年、20年後にノーベル賞を受賞する逸材が、会議や膨大な書類書きに振り回されて、貴重な研究時間が奪われている。このままでは、日本の科学技術の将来は暗い。」(朝日新聞1月31日夕刊)

 日本の科学技術の現状の頽廃と、超帝国に追随しておこぼれに預かろうとしている日本の論理は本質的に通底している。垂直的なヒエラルヒーのどこかに埋め込まれて、体制順応しなければ社会的立場が保障されない社会システムが、科学研究や国際行動の論理を覆っている。自分の頭で考え、いかなる権威も疑い、自分にしか言えない意見を言い、自分しかできない行動をとるー等という未来を先駆的に先取りした思考は必然的に排除される。高井有一氏の文学的な直感を論理的に解析すれば、以上のような前近代的な風土性が浮かび上がる。
 この典型的な地域が、トヨタ王国が君臨する愛知県であり、愛知の大学や研究機関で驚くのは、学生を含めて火を噴くようなデイスカッションがほとんどないと云うことだ。これは東京から来る研究者が異口同音に云う。おそらくこのような大勢順応型強者追随の風土は、愛知の企業や教育その他ほとんどの社会組織を覆ってしまい、愛知はおそらく残念ながら日本歴史の最後尾から周りを見ながら、右顧左眄してこれからも歩んでいくだろう。従って若者は、少なくとも一度は愛知を捨てるべきである。広い外海に出て、その荒波にもまれるべきである。
 フラスコに蛙を入れて熱湯を入れると、蛙は驚いて飛び出すが、じょじょに暖めていくと熱湯の中で死んでしまう。環境に慣れ親しんでしまうと、これが自然だと思いこんで自らの命を奪われるまで気が付かないのだ。(2003/1/31 21:16)

[貸しえぐりとは何だ!]
 中小企業に対する金融情勢が限界にきた。国際業務を行う金融機関の自己資金比率が8%以上、国内業務は4%以上と義務づけられているために、政府は主要行に対する不良債権処理を迫りながら、一方で公的資金投入の条件として中小企業への貸し出しを増やせと言う自己矛盾した指導をおこなっている。自己資金比率表式(注)でみれば、不良債権処理→分子減少、貸出額増大→分母増大で何れにしろ自己資本比率を減少させ、不良債権処理を加速しながら貸出を増やすという手品はできない。メガバンク担当者は、金融手法でやるのは限界で結論的には貸出を抑えるしかないと云う。現実に主要行は昨年4月から9月の半年間で25兆円の資産圧縮をし、中小企業に融資したくてもできない状況になっている。貸し渋り→貸しはがし→貸しえぐりという究極の金融破綻によって、倒産件数(自己破産申し立て件数)は戦後最高を記録している。特に高い技術力や信用力で地域経済を担ってきた老舗企業の倒産が目立ち、不良債権処理の加速のもとで、将来のものづくり技術が崩壊の危機に貧している(全倒産件数に占める老舗企業の倒産割合:1990年463件(7.2%)→2000年4071件(21.3%)→2002年5213件(26.8%))。
 科学計測機器メーカー大手の堀場製作所堀場社長は次のように云う。「セラミックは清水焼から、IC産業は京友禅の製版技術から、京仏具の金属加工と表面加工技術から本社と島津製作所の技術は生まれた。300年、400年と積み上げてきた伝統産業の技術力は世界レベルであり、そのベースの上に新しい産業への乗り換えが起こっている」。メガバンクが生き残った後に、累々たるものづくり企業の死体が横たわっている。一体この国はどうなるのか?
 
 注)自己資本比率=自己資本/総資産(中心は貸出金)×100

[リズムとは何か]
 音楽の要素としてメロデイ・ハーモニー・リズムがある。リズムはもとは心臓の鼓動から生まれ、速いテンポの曲は興奮し、ゆっくりしたリズムは落ち着いてくる。1拍が1秒(メトロノームで60)がアンダンテでゆっくり歩く速さの平常心のテンポであり、それ以下の遅いテンポがアダージョで眠っている時の心臓の早さなので子守歌などを聴くと眠たくなる。逆に100倍の速さになるとアレグロで急いで走ったりドキドキしている時の心臓の速さでビートを聴くとなぜか踊り出したくなる。
 今の世で流行っているのは、心臓のリズムとは違う2拍子か4拍子であるが、これは人間の手足の数から来ている。歩けば、1,2。踊れば1,2,3,4。つまりリズムはいつも人間の形をしている。洋楽がほとんど4拍子であるのは、乗馬の歴史から来ている。パカパカパカ・・・と馬の足に合わせて4拍子が生まれた。早足はパカパカパカ・・・と4拍子で刻む。但し人間が歩く行進曲は、2拍子となる。
 ではワルツの3拍子はどこから生まれたのか?ワルツは、くるくると円運動をするので円周率3.14から来ている。ウインナーワルツを正確に聞くと、1.2.3の拍子が均等ではなく、2拍目が少し長い。つまり3拍分を足すと3ではなく、3.14・・・となる。
 こうして同じ拍子でも正確に刻むとぎこちなく、少し崩すと軽妙に聞こえる。強弱の付け方次第で、拍子の中に無限のニュアンスが広がる。例えば4拍子でたんたんたんたん・・・よりもたんたかすたたか・・・というとイメージが一変する。リズムは、人の身体をくすぐり、手足をくすぐり、全身を動かし、心を動かしてしまう。強烈なロックビートは、人間を興奮状態に陥れ、感性が100%爆発する動物的な本能を歓喜するから、逆に大脳の理性的な正確な活動を著しく衰弱させる。アダージョからアレグロまでバランスのとれた音感の世界で生活するなかでこそ、人間的な音感の豊かさが生まれる。モーツアルトが理性活動に適しているとするα波の理論はここに根拠がある。
 今世界は、米国大統領や北朝鮮のTVアナウンサーのようにアレグロの騒音が喚き立ち、理性的なアンダンテの精神活動が著しく衰弱している。9.11後の坂本龍一の作曲活動は、明らかにアンダンテ中心であり人間の理性的な精神活動の再生を呼びかけている。私たちの日常生活も、アンダンテを基盤にした理性的な集団でありたい。(2003/1/30 2031)

[或る過労死ー名古屋市Tさん(32)の場合]
 インターホンを製造する中堅通信機器メーカーの営業マン、帰宅は連日深夜1時、2時で週1度は3時になった。タイムカードはなく残業代は支払われなかった。ノルマ未達成で収入が増えないためさらにノルマに駆り立てられた。顧客先を回って職場に戻ると見積書が貯まり、もっと高い契約を要求する上司の決裁は得られなかった。新妻T子さん(33)は、「夫はいつも帰りが遅く、ごめん、ごめんと言っていた。早く帰ってきたのは新婚1ヶ月だけだった」と言う。夫は、亡くなる2ヶ月前から疲労困憊し「会社を辞めたい」と漏らし始め、亡くなる1週間前に「次の仕事を決めてからにして。家のローンもあるし、こどもをつくるのも延ばすことになるから」と言うと、夫は「そうだなあ〜」と云って涙を流した。T子さんが台所に立つと、後ろから腰に手を回して、すがるような格好をして「会社を辞めたい。ごめん、ごめん、幸せにしてあげられなくてごめん」と謝った。次の日曜日にT子さんの外出の隙に自宅で自死した。
 T子さんは目に涙を一杯に浮かべて、「夫が残していってくれたのだと思う。宝物です」。3ヶ月になる赤ちゃんがスヤスヤと眠っている。亡くなった後妊娠していることが分かり、もう一度やり直せるからと、周囲の反対を押し切り出産した。「彼もこどもが大好きなので、もう少し早く生んでいれば、死ななかったんじゃないか」と今でも思う。結婚8ヶ月でこの世をみずから去った夫の苦しみを、理解していたのだろうかと思う。
 T子さんは、夫が自殺した当日過労死を確信し、通夜と葬儀への会社幹部の出席を断り名古屋東労働基準監督署へ労災申請した。労災制度を全く知らなかった彼女は、イロハから勉強を始め、夫の携帯の記録から勤務状況を明らかにした。夫は亡くなる4日前に深夜2時頃帰宅し、2日前には午前3時頃ベッドに入り、「アレ、先輩やばいぞやばい、あぶない。本当にダメになるかもしれん・・・・」と意味不明なことを云って眠った。亡くなる前日の土曜日も、休日にもかかわらず、朝電話でたたき起こされ、「行かないかんな・・・・えらいのに・・・」とフラフラになって家を出た。T子さんは自分の勤務先から、「この職場での評判が下がるから相手を訴えるのはやめて欲しい」と言われたが、「訴えなければ、私は生き地獄を生きることになる。こどもが大きくなって”お父さんは何で死んだの?”と聞かれた時、弱かったからとは云えません。過労が原因でなくなったと堂々と云いたい」として断った。乳飲み子を抱え、親の援助と貯金を取り崩しての生活がいま続いている。次は、夫が自死の前日に書いた昇格試験の論文のメモである。

  営業職
 担当分野の課題
   特販営業
  ◎売上、利益の確保
   厳しい環境における

  ◎川上営業、現場営業
  ◎QCDのおさえ
  ◎組織的営業

     ゼネコン、デイベロッパーの例  (以上原文は手書きで乱れています)

 云うべき言葉がない。すべての思想、哲学、科学、文学、教育はこの事実の前にひれ伏さざるを得ない。いのちを奪う社会システムは何なのか、それを許している私たちは何なのか−少なくとも私の生活では一切の妥協を排さねばならないとつくづくと思い迫るものがある。(2003/1/28 19:15)

[君を千里送るも終に一たびの別れあり]
 おのれが打ち込んで、そのためにこそ自分があるとしてきた生活が、現実から裏切られる時の鋭い痛みは、人を途方にくれさせてしまう。おのれの存在理由の根底がゆらぎはじめ、明日からの出会いに恐れをいだき始める。こうした事態に対する反応は、反射的に自らを受容しない他者への、非難や軽蔑といった攻撃の反射をもたらす場合があるが、それはもともとみずからのふるまいに必然的な信頼の同一性を欠いていたらかに過ぎない。おのれのふるまいが、未来からの呼びかけに答えた誠実な行為であるならば、一時的なゆらぎがあってもふたたび立ち上がって歩み始めるだろう。惜別の意を込めて忘れぬ人を想起するこころが彼に降り注がれるであろう。現世での評価をみずから期待する前に、それにふさわしい、何らの報いを期待しない生を刻んでいるかどうか−を問うべきではないか。
 大事なことは、おのれの主観に閉塞して自らを肯定する精神の死の循環に陥って、オープンなマインドを喪い、想いと思考が悪魔のように狭い奈落に転落していく危険に囚われてしまわないことだ。自らの条件を客観のなかで探り、そこからのフィードバックの弁証法におのれを位置づける冷静で理性的な態度が求められる。広い世界のなかで、繰り広げられている一つ一つの幸福と不幸の集積の一つとしてあるみずからの事実を極大化して、逆に世界の事実を覆ってしまわないことが切に求められる。たとえそれがありふれた事実であっても、或いは重い事実であっても。
 
 さて私たちが直面している世界の「事実」をそのまま直裁に見てみよう。これはその一部に過ぎない。米国防総省高官は、対イラク戦開始初日に巡航ミサイル300−400発を打ち込み、開戦2日目にも同じ規模の攻撃をかけると語った(24日CBSTV電子版)。これは湾岸戦争40日間の全発射量に相当し、イラク国内に安全な場はなくなるとしている。すでにして思い浮かべることができる。いたいけな無辜の子どもたちの無惨な累々たる散乱した死体。泣き叫び、逃げまどう人々の阿鼻叫喚。彼らの幸福と不幸、喜びと哀しみ、愛と裏切り−ふつうの人生であれば、精一杯味わったに違いない経験が一瞬にして遮断される。以上が間近に迫りつつある「事実」だ。
 国際労働機関(ILO)は2000年末の世界の失業者は1億8000万人(6.0−6.5%)であり、前年末より2000万人(12.5%)増加したと発表した(24日)。原因は、01年春のICTバブルの崩壊と同時テロによる世界不況にあり、特に途上国の労働集約型輸出産業である衣料産業の女性労働力が致命的な打撃を受けたことにある。経済破綻によるアルゼンチン失業率は20%を越え、情勢不安の中東・北アフリカ18.0%、アジア・太平洋4.2%、中国7.5%であり、世界労働力人口の60%が集中するアジアが深刻な状況となっている。失業の不安と痛みは日本をも直撃し、ある開発部門裁量労働者(34歳)は1日の勤務時間が10−19時間に及び、マンションのベランダから飛び降りて、みずから人生のリセットボタンを押した。死亡時には37日の年休が残っていた。”我が亡き後に洪水は来たれ”という聖書の教え通りに、日本の企業は社員を死に追い込んで恥じない。
 日本の高齢者自殺率はハンガリーに次いで世界第2位を「誇って」いる。お婆さんの自殺率がお爺さんの自殺率の2倍に上っている。高齢者社会保障が先進国最低レベルに落ち込んで、老人ホームには入れないお祖母さんが嫁か娘の世話を受け、激しい葛藤状態になってこの世をリセットすることで、矛盾を解決するしかない悲惨な状態に追いつめられる。ほったらかされている60万人の寝たきり老人の存在は、高齢者自殺率を上昇させる最大の要因だ。(なぜデンマークは寝たきり老人がゼロであるのか、システムそのものを再検討するところに日本は追いつめられている).
 五十嵐丈二東大助教授は、「東海地震の発生時期は2005.2年+−0.9年で、早ければ2004年4月、遅くとも2005年12月までに起きる。計算式を当てはめると、およそ2005年2月という結果になる」(03年1月24日週刊ポスト)と予測している。丁度万博と中部空港の時期に一致する。内閣府中央防災会議の被害想定は、東海地震で死者8100人、建物全壊23万棟、東南海・南海地震で死者7400人、建物全壊27万7000棟であり、同時発生の場合は被害が増幅され予測できないとしている。愛知県の「市町村消防施設設備等の現況」によると、00年現在で消防力の最低基準100%に達しているのは、救助工作車だけで、消防ポンプ車97.4%、はしご車93.9%、消防水利83.9%、化学消防車94.3%、救急自動車91.3%、消防職員67.8%とすべて全国平均を下回っている。防災対策費は、神田県政・第3次行革以降4年間でそれ以前より防災対策費950億円、地震対策費80億円が大幅に減額され、万博・中部空港に回されている。1万人の命を犠牲にして、トヨタ・名鉄等の利益極大化が進められている。最も地震の発生危険度が高い時期にわざわざ震源地に観光に来る人が世界にいるだろうか。

 かって「人間はみずから解決可能な問題しか問題として提起しない。問題が提起された時には、すでに解決が潜在的に含まれている」とマルクスが云ったように思うが、21世紀の初頭を覆う問題群の集積に呆然として、おのれの無力を覚えて打ちのめされるかもしれない。しかしされど一方で歴史は教えているではないか。アウシュヴィッツの血と汚濁のなかで、尚かつ人間としての尊厳あるふるまいを喪わないで生き抜こうと決意して奇跡的な生還を果たした少数の人々がいたことを。かれらのキーワードはたった一つ!「希望」であった。身体剛健な人が生き抜いたのではなく、希望を喪わなかった人が生き延びたのである。
 では「希望」とは何か。ラエリアン・ムーブメントに依頼してクローン息子を創造する人に希望はあるか? 一極帝国に追随しておこぼれをもらう国に希望はあるか? 自己責任原則で生まれた大量のホームレスの側を走る高級乗用車に希望はあるか? 沈黙して大勢に順応する人に希望はあるか? 他者を攻撃して一時的な快感を味わう人に希望はあるか? 
 これらすべてに「希望」はない。欺瞞と嘘と自己利益の虜になったこれらの希望は、すでに裏に潜んでいる大いなる絶望によって裏切られる。「希望」はみずからの足で歩き、みずからの頭で考えだし、みずからの瞳を総動員してみずからの泉を発見する所にしかない。泉を独占する所から泉自身が姿を隠していく。すべてのひとが「泉」を見いだす条件を平等に共有しているところに、各人の確かな「希望」の契機がある。すべての人が、巡航ミサイルと失業や過労死・大地震の被害からから解き放たれている条件の下でのみ、真の「希望」がくっきりと姿を浮かび上がらせる。曇天の日曜日にはるかなイラクに思いを馳せて記す。(2003/1/26 10:15)

[健康な精神は健康な身体に宿るか]
 昨日は生まれて初めての精密検査を受けた。医師と看護婦の前で全身を晒した時に、いのちの絶対的な限界の感覚を味わうこととなった。検査の極限的な苦痛とあたかもモノのように私を扱う看護婦の無機質な動作の前で、私の精神の尊厳は粉々に砕かれ、いままであたかも存在しない空気のような存在であった身体が、ハッキリと私の限界を告知する時間が過ぎていった。私は、そこではモノそのもであり唯物論の正当性を否応なく味あわされることとなった。挑戦的で戦闘的だと思っていた生活スタイルそのものを根底からゆらぎ、世界のなかで木の葉のように弄ばれているパスカルの存在をはじめて理解したような感じだ。宇宙の中で人間はH2O一滴によって奪われる存在であるが、それを知っているが故にそれを知らない宇宙の全てよりも貴い−という前半部だけ理解した。
 身体の限界に直面して、冷静に分析し科学的な治療に自らを委ねる決意はなかなか生まれてくるものではない。こうした境界線上で揺らいでいる自分を見つめるもうひとりの自分が確かな存在としているかどうか−が決定的なことではないかとも思った。或いは、ヤスパースの限界状況における実存論の局面に立ったのかも知れない。ヤスパースは、この限界状況の突破を投企による自己決定に求めたが、そのような瞬間的な飛躍の心境にはなれるものではない。
 こうして夕闇が迫る頃、私の精密検査の全てが終了した。生命のるつぼともいえるDNA複合によって構築された錯綜した身体の限界線を踏んで、私はまたこの世に生還してきたのだ。生きとし生けるものへの、何か今までと違った視線が形成されたような気がしないでもないが、私には残された未完の仕事がたくさんある。そこには全てを忘れて打ち込む集中の時間と空間がある。(2003/1/25 10:13)

[誰のためにがんばったら・・・・?

 自分一人のためにがんばったら、一人のためにしかならない。それもうまくゆかないかもしれない。
 家族のためにがんばったら、家族のためにしかならない。それもうまくゆかないしれない。
 友達のためにがんばったら、ともだちのためにしかならない。それもうまくゆかないかもしれない。
 想いが狭くなってしまったら、ひとにできることはそのんなものかも。

 だけど、10人のためにがんばったら、10人のためになる。大なり小なりね。
 だけど、100人のためにがんばったら、100人のためになる。大なり小なりね。
 だけど、1000人のためにがんばったら、1000人のためになる。大なり小なりね。
 だけど、1億人の人のためにがんばったら・・・・・?

 もし10人のひとびとがそう考えて生きようとしたら?
 もし100人のひとびとがそう考えて生きようとしたら?
 もし1000人のひとびとがそう考えて生きようとしたら?
 もし1億人のひとびとがそう考えて・・・・・・?

 自分1人のためにがんばる60億人の世界と、60億人のためにがんばる1人1人の世界と、世界ってどう変わるだろう?
 地球の未来はどちらにあるのだろう?

 オンブズマンネットワーク・松本寿光さんの詩「もしも地球が・・・・」を筆者の責任で改作しました。(2003/1/25)

[狼とは誰か]
 イラク攻撃にフランスが拒否権を行使することを宣言した。直接の契機は、訪米したシラク大統領の特使がブッシュ政権幹部から「協力しなければ戦後のイラク復興に伴う利権をフランスに回さない」とまで批判され、シラク大統領が激怒したことにあるという(週刊紙カナール・アンシェネによる)。米国の真の狙いが表面化したのはこれが初めてだ。戦争の真の狙いは、廃墟となったイラクの戦後復興によるバラマキ需要と石油利権にあり、手柄を立てた米国賛成派はヤクザのような親分からこの利権の約束を既に得ているのであろう。真っ先に手を挙げてイージス艦を派遣した日本は、莫大な復興利権を約束されているに違いない。
 米国ブッシュ政権の中枢には、石油・自動車関係の業界代表が大量に参加している。エバンス商務長官(石油会社トムブラウンCEO)、カード首席補佐官(GMロビイスト)、ゼーリック通商代表(エンロン顧問)、チェイニ^副大統領(石油大手ハリバートンCEO)、ライス補佐官(シェブロン役員)、ホワイト陸軍長官(エンロン副会長)、リンゼー前補佐官(エンロンコンサルタント)、ブッシュ大統領(石油ハーケンエナジ^−役員)。驚くことに不正会計で倒産したエンロン出身者が多数を占めている。しかしほんとうに大事なことは、彼等の最大の弱点は、このような卑劣な「汚い戦争」が必ず白日の下に晒され、歴史の審判を受けるということだ。
 21日に発表されたブッシュ政権によるイラク情報戦分析報告「うその機構〜サダムの偽情報とプロパガンダ」は、可哀想なことに自ら天に唾する内容だ。この報告はフセイン政権の「うそ」の手口を次のように4分類している。矢印以下は筆者コメント。

@悲劇のでっち上げ−軍隊の側に民間人を配置、軍事施設をモスクに設置し、民間人の犠牲者をつくる「人間の盾」作戦→これは戦争に反対する全世界の人が自ら志願してイラクに行き、人間の盾として自らの命を懸けて行動しているのであり、すでに多くの日本人がイラク入りしてしている。湾岸戦争での民間人死者は、米軍の誤爆と称する無差別爆撃にあったことはアフガンと同じだ。
A被害の利用−飢餓や医療不足をつくりだし、米国のせいにする。イラク軍の化学兵器によるガンの増加を多国籍軍の劣化ウラン弾のせいにする→飢餓や医療不足は経済制裁による面が大きく、劣化ウラン弾とガンの相関関係は、アフガンやユーゴ内戦からかなり蓋然性が高いとされ、米兵の患者が大量に発生している。
Bイスラムの利用−世俗政党出身のフセインは、宗教的な祈りを捧げて支持を得ようとしている→これはブッシュ大統領が教会にわざわざ行って大衆と共に祈るのと同じではないか!?
C公式記録の改ざん−取材に対するうそ、うその会見で公式記録を改ざんする→この件に対する事実認定は筆者の判断を保留する。少なくともウオーターゲート事件やクリントンのセクハラ事件はどうだったのかとは云える。

 ブッシュ政権の戦争プロパガンダのレベルがあまりにも低レベルで、このような内容で国際世論を動かし得ると考えているブッシュ政権のスタッフの知的水準が疑われる。付言すれば私はフセインを擁護しているのではなく、米国はフセインと同じような類の独裁者であると云っているのだ。

 しかし日本にとって怖いのは、ブッシュ政権超保守派が遂に日本の核武装を支援すると言い始めたことだ。北朝鮮の核開発に対抗して日本の核武装を推進すべきだと主張している。20日には、コーエン元国防長官が自民党国防族議員10人に「北朝鮮に対抗するために迎撃ミサイル網か核武装を考えよ」と語り、3日にはワシントン・ポスト紙の著名コラムニスト・クラウトハマー氏が「中国が北朝鮮包囲網に加わらないならば、日本が独自の核武装を持つ試みを支援する」と主張している。こうしてますます明確になっているのは、ブッシュ政権に平和を語る資格はなく、自らこそが地球と人類を崩壊に導く「ならず者国家」であるということだ。(2003/1/23 21:20)

[板三味線ゴッタンを知っていますか?]
 津軽三味線とか琉球三線は有名ですが、今回初めて薩摩ゴッタンを知りました。素朴そのものの土俗的な歌とメロデイで、いまは遠く離れた我が故郷を想起させるものでした。しかしさらに驚いたのは、この楽器は薩摩藩による浄土真宗禁制下で、隠れ信徒たちがその信仰を託した楽器であったということです。
 江戸幕府がキリシタン禁制を科するより先に、各藩による浄土真宗弾圧が始まり、相良藩(熊本県)が1555年、薩摩藩は1597年に禁制となった。15世紀末に薩摩での布教が始まり、16世紀にかけて全国で一向一揆が猛威を振るい加賀藩(石川県)では100年間にわたって僧侶と農民が独立国を築いた。薩摩藩は恐怖を覚えて一斉に真宗禁止に踏み切ったが、門徒たちは講を組織し京都本願寺につながるネットワークをつくった。集落から離れた里山のガマと呼ばれる洞窟に、監視の目を逃れて法座を開き、漁村では沖に船を出して念仏を唱え、家の中では柱やタンスに本尊を潜ませてお参りをした。幕末に藩経済が繁栄した時に、多額の裏献金が発覚し拷問による殉教者14万人が摘発された。士族身分の門徒は身分を落とされた。薩摩藩は琉球王国をも支配下に置いて、島津家を頂点とする厳しい垂直的な身分体系をつくった。親鸞の「阿弥陀仏の前ではすべて人間は平等だ」という思想は、薩摩民衆のこころを掴んで放さなかったのだ。本願寺は江戸期に「王法為本」を唱えて権力への服従を説いたが、薩摩の民衆は本山に従わず秘かに信仰を守った。
 浄土真宗が解禁されたのは、キリシタン解禁の3年後の1878年(明治9年)であり、鹿児島県に信仰の自由が布達された9月5日は、現在でも西本願寺別院の特別法要が営まれる。解禁後も信徒たちは、声に出して念仏を唱えることができず無言であったという。板三味線ゴッタンは、公然と念仏を唱えられない農民たちが、歌の中に和讃の気持を込めて弾いた楽器であったのだ。かくれ念仏洞で有名なのは、鹿児島市郡山町・花尾山の中腹にあり、資料館は知覧町にある。

 思えば日本の封建支配下で多くの民衆宗教が弾圧を受けた。キリシタン・日蓮宗不受不施派そして浄土真宗など苛烈な弾圧を受けた宗教に共通しているのは、「平等」原理である。人間はそのために命を懸けたのだ。ゴッタンの調べを聞きながら、悠久の平等思想のちからを覚える。願わくば現代宗教のすべてが、その開教の初心に返って欲しいと思う。(2003/1/22 21:00)

[ヒトクローンとスローフード運動}
 食の化と伝統を守るスローフード運動が拡大し、現在80カ国10万人の会員を持つに至っている。日本の会員は約2000人である。スローフード協会は、1986年に北イタリア・ピエモンテ州ブラという町で発足した。マグドナルドに代表されるファーストフードに対する言葉で、@消滅する郷土料理や質の高い食品を守るA高質の素材を提供する小生産者を守るB子どもを含むすべての人に味の教育を勧める−などの活動をおこなっている。さすが食文化を豊かに楽しむイタリア人ではある。イタリアとフランスは、マグドナルドの進出に誇りを傷つけられたとして全国民的な拒否行動に出た。イタリアとフランスでマグドナルドに入るのは、外国人旅行客だ。
 味の均質化が世界的に広がり、味の多様性を守るために世界中の質のよい食材を集める「味の箱船」運動などが日本に広がっている。高質の食材確保で最も大切なのは、生産から最終消費までの流通チャネルの追跡可能性の保障であり、その条件は農業が尊敬される仕事として認知されているかどうかにある。多くの人が農村を捨てて都会に向かった背景には、正当な収入が確保されないことにあり、無制限の食料輸入を自由化するWTO=米国アグリビジネスの制覇がある。マグドナルドが全世界に展開し、工業製品のように大量生産された農作物が途上国から怒濤のように押し寄せて来る。
 ファーストフードは、生活を均質化・標準化された単調なものにし、幼児期からの人間の神経構造をも変えてしまい、日本では大量の家庭内暴力やひきこもり・学級崩壊を生む一つの原因となったという指摘もある。すべての人は、人生を楽しむ権利があり、友人と食卓を囲む歓びを味わう権利がある。スローフードは、食生活の豊かさを保障する産業構造の組換え、人間が安らかに生きられる都市構造、弱者が生きやすい街づくりなど果てしなく関連領域が広がる。
 今や音を立てて20世紀型大量生産・大量消費システムが崩壊する中で、ヒューマンニテイーを再生する生活の質が問われ始めている。気を付けなければならないのは、アグリビジネスがこうした次世代型産業を先取りしスローフードを囲い込み、途上国をモノカルチャー構造に閉じこめて、生活の質の豊かさを先進国のみで享受する未来型戦略を採用しつつあることだ。最近流行のCVSのおにぎりブームはその象徴ではないだろうか。CVSでおにぎりを買うのではなく、温かい家族団らんのなかでおにぎりをみんなでついばむようなライフスタイルへの転換こそが重要なのだ。CVSがのさばる国はすでに滅びへの一歩を歩んでいる。

 ファーストフードの極限的な事例がヒトクローンであり、ついには幼子を事故で失った日本人夫婦が亡き幼子の体細胞から出産したそうだ。我が子を失った悲しみの深さは理解できるが、2400万円投資してそのクローンを創造して悲しみを癒すという行為に、恐るべきエゴイズムが現れていることに気が付かない。生まれてくるクローン子のアイデンテイテイーの苦悩をどのように両親は考えたのであろうか。自分が両親の愛情の結晶ではなく、亡くなった姉(兄?)のクローンであると知った子どもの心情を想い計れないのであろうか。
 私は本質的に、ヒトクローンはファーストフードの中で育った無惨な感性であると思う。100円のカネを出せば、同じ味のものがベルトコンベアのように目の前に出現して食べるなかで、食の創造過程への想像力は喪われ、ファーストという食生活そのものが人間の再生産にまで及んでいるのだ。さらに極端に云えば、独裁者が自分のクローンを次々と生産して独裁を永続させようとすることは不可能ではない。人間が両性生殖の高等動物でなくなり、女性だけで人類が存続可能となったということは、一体どう考えればいいのだろうか。今回のクローン技術は、新興宗教団体ラエリアン・ムーブメントが異星人から伝授されたと云っているおどろおどろしい技術だ。この会員が最も多いのが日本であること(6000人 スローフード会員の3倍!_)は不思議ではない。うち続く大不況と頽廃の中で、理性による未来探究力が衰弱し、ライオンヘアーの独裁型政治家か妖しげな宗教家に依存していかざるを得ない不安な心情が世を覆いつつある。あなたの目の前にいる若者を見よ!希望あふれる生き生き、溌剌とした生活スタイルの者はいるか? 「25歳頃にそろそろ社会から引退してのんびりと余生を送りたい」と答える若者が急増している(NHK最新青年意識調査)国が日本なのだ。

 これらの諸現象は若者の責任ではない。私を含む大人の責任だ。大人は本当に理性をもって子どもの生活の場をつくってきたのであろうか。都会での子どもの遊び場と交流の場が唯一CVSであるという国を私たちはつくりだした。(2003/1/22 19:55)

[或るカナダ在住朝鮮人からの手紙]
 カナダ在住のKay Hwangさんから送られてきた拉致問題についての手紙を以下紹介します。

 長い歴史の積み重ねの中には、あってはならないことが起こります。これらは決して曖昧にされていいわけではなく、明快な歴史的な総括がなされなければなりません。拉致された5人は24年になるそうですが、4半世紀という彼等の人生をあのように変えたことや亡くなった人々のことを思うと慚愧に耐えません。

 歴史の総括について
 
 最近の米日韓研究者チームの発表では、植民地統治下で朝鮮半島から強制連行された被害者は、氏名が明らかになった人の数だけで23万人余だそうです。過酷な労働環境の中で多くの人々が命を落としました。実は私の叔父(父の兄)もそのひとりで、逃亡を図った見せしめに殴殺されたそうです。1941年冬の夕張のことです。その時の凄惨な現場を、もう既に亡くなった同じ村のハラボジから詳しく聞き取り、それを映像と文章にまとめてCD−ROMにしているので、我が家の歴史として子どもたちにも伝えています。決して恨みを云っているのではありません。
 こうした国家犯罪は、明確に総括されなければならないと云いたいのです。むろん今回の北朝鮮による拉致も例外ではありません。私が指摘したいのは、報道する者の姿勢は公平であってほしいと云うことです。私の叔父や従軍慰安婦のことはもう半世紀以上も過去のことではあります。しかし考えてみましょう。植民地統治からの解放から24年経った頃、日本のどのメデイアがこうした日本の罪科について伝えたでしょうか? いやその後もまた現在もそうです。このアンフェアーネスは丁度「日本人の生命と人権は、朝鮮人の何倍も重たいのだ」と云っているのと同じではないでしょうか。
 日本のメデイアがこうした姿勢をとり続ける限り、その矛盾の傷口は大きくなると云うことに他なりません。公共放送であるNHKを含めて、常軌を逸した偏向報道が続く限り、とても日本は成熟した市民社会ではないと思います。不況に喘ぐ大衆のフラストレーションを北に対する敵愾心を煽ることで中和しようとする意図さえ感じます。(では拉致報道はするなと云うことか?と揚げ足取りの自由史観論者に云われそうですが、私は報道は社会的に必要な節度を保つべきだと云っているだけです)
 あれでは北にいる子どもたちを本当に呼び返すことはできません。戦後一貫して続けられたアメリカの北朝鮮封じ込め政策と敵視政策の片棒を担いできた日本の積年の付けはどうやって払われるのでしょうか?と云いたいのです。
 私ははっきり言って北朝鮮との国交正常化はしないほうがいいと思っています。詳しい理由は別の機会に述べますが、国家エゴ丸出しの日本にほんとうに怒っているからです。嫌な日本を捨てて、カナダ人になったことをよい人生の選択だったと思っています。私の叔父は死にましたが、この国家犯罪は決して過ぎ去った過去のことではなく、いまもって苦しみのなかで生きている人もいるのだということを決して忘れてはなりません。

 従軍慰安婦金徳順さんは、名乗り出ようかどうしようかと悩み抜いて、親戚に相談したらやめたほうがいいとと止められました。彼女は、日本政府の対応を見て、あまりの悔しさに遂に決心して名乗り出ました。その後は、その事実が自分の息子にいつ知られるか、びくびくしながら暮らしていました。その時の息子との対話をNHK・TVで語っていましたが、私にはとても印象的で、おそらく生涯忘れることはないでしょう。その内容は次のようでした。
 
 息子「どうして今まで自分に隠していたのか?」
 母親「自分の親にも云えなかったことをお前に話せるわけがないだろう」
 息子「お母さんが自分の意志でやったことではないし、当時の韓国人は日本から奴隷のような扱いを受けていたことは、教育を受けた者は誰でも知っている。どうしてうち明けてくれなかったのか?」
 母親「打ち明けたところでお前はそれを許すことができたのかい?」
 息子「歴史は正す方がいいと私は教わった。私が理解できないと思ったのか?」
 母親「・・・・・・・・」

 この対話の後、彼女は嫁から聞いたそうですが、息子は部屋の窓を開け、放心状態で外をぼんやりながめて、嫁が声をかけてもしばらく気がつかなかったそうです。そこで嫁が「何をしているの。早くご飯を食べて会社に行かないと!」と強く言ったらやっと我に返ったそうです。その後も何度かこうしたことがあり、その話を聞いてから彼女は心が安まることがなかったそうです。
 この番組を見て、私はいつのまにか自分を息子さんの立場に置き換えていました。まかり間違えば、私の母も運が悪ければ「従軍慰安婦」にさせられていたでしょう。もしそうであったら、その時息子さんと同じ立場に置かれて、自分はその事実の重みに耐えられるだろうか? 私が「従軍慰安婦」のことを考える原点がここにあります。彼女たちの筆舌に尽くしがたい虐げられた青春の苦しみは、私にとって他人事ではありません。決して遠い昔の出来事ではないのです。

 <筆者コメント>彼女の意見に全面的に賛成するわけではありませんが、どのような謝罪の行為もこのような苦しみを和らげることはできないと思います。その罪は永劫に背負っていくことになる。韓国や朝鮮の人が「未来志向」と語る時に、日本は同じ言葉を語れないだろう。ただしそのことによって拉致を免罪するということは、二重の罪を重ねることになる。歴史の罪責はやはり、謝罪と償いの無限の過程にある。こうした不幸を2度と繰り返さないことが、現代を生きていく者の責務であろう。少なくとも責任を被害体験で語ってきた日本は、真正面から加害体験を受け止めなければならないと思います。これ以上私は語れません。現代日本のあまりに恥ずかしい現状を見ていると、とても何かをコメントする資格がないように思われるのです。毎日を生きている自分の姿勢を鋭く突く刃のような気がするのです。(2003/1/19 19:31)

[「星の輝きは、時として雲のために消されたり、嵐の中でその光を下界にまで届かせないことがあるが、波乱の中で光り続けた値打ちは不朽のものであり、歴史の中に刻み込まれるものだ」(1941年1月)]
 この言葉は、政治犯宮本顕治が網走刑務所の獄中から妻にして作家である宮本百合子に宛てた手紙の一節である。この手紙は、宮本百合子の短編『朝の風』に対する厳しい批判として書かれている。最近刊行された『宮本顕治 獄中からの手紙』に記載されているが、『十二年の手紙』ではカットされており、宮本百合子全集にも概要が記載されているだけである。このカットに政治的意図があったとすれば、『十二年の手紙』の文学的価値は半減する。コミュニストである宮本夫妻に対する政治的評価はおいて、非転向の獄中生活を貫こうとする20歳代後半の青年の格調高い理性的な精神生活が、あらゆる拷問に抗して維持されていることに驚嘆する。精神の独立とか尊厳、思想の自由が、強力的な暴力の中で生き生きと保たれていることを認めることができる。しかも1月という北海道の最も厳寒の暖房のない監獄から発信されていることに、その肉体的な強靱性をも示している。敗戦による釈放まで3年7ヶ月を残しているとは露ほども知らないなかで。鶴見俊輔氏にならって云えば、敗北した抵抗者の思想の極北を象徴的に示しているといえよう。
 宮本氏の戦後の活動の中で発信された文章は、何か儒教的なリゴリズムを漂わせるものがあるが、借り物の文章ではなく自分の頭で考え出された、文学的な感性的表現と思想的な精神生活の在り方の関係を鋭く突いていると思う。現代から見れば明らかに当時の時代的規定性を受けた階級概念が前面に出ており、現代の市民的成熟のレベルにはおのずから限界を持つが、緊張したリアルな対抗からソフトで真綿で締め付けられるような支配へと移行している現代では、最も大事な思想の矜持性が基準を失って溶解していくなかで、ハタと立ち止まらせるような理性の呼びかけとも云えるメッセージ性を持っている。
 更に云えば、抵抗運動の形態が市民的に多様化し、社会運動の一元的な統制といった古いスタイルではとても通用しない現代では、運動論的にも限界を持っていることも否定できない。しかし現代において、抵抗からの転向が、かっての暴力に対する屈従から1億総転びの時代と言われるソフトな形態をとりつつあるなかで、基軸となる原理や原点をどう貫いていくかという問題は、宮本氏の思想に対する賛否を越えて参照せざるを得ない内容がある。
 さて現代では、抵抗はおおらかな伸びやかさを持って展開され、抵抗のテーマも豊かな多角性がある。例えば昨年来日したクレイグ・キールバーガーさん(20歳 トロント大学学生)は、世界的な児童労働廃止NGO「フリー・ザ・チルドレン(FTC)」を結成し、日本を含む35カ国に支部を持つ国際組織となって、3年連続ノーベル平和賞候補となり、昨年尾崎行雄記念財団の第7回萼堂賞を受けた。現在5〜17歳の児童労働は世界で2億4千6百万人で、子ども6人に1人であり(国際労働機関=ILO)、少年兵は20万人である。サッカーボールのほとんどがインド児童労働によって作られている実態がワールドカップ・キャンペーンで反響を呼んだ。「僕が1人で行動しても、それは夢見る男の子の話に終わる。しかしそういう子どもが何十万人と集まれば変わる。人は人生の中で偉大なことができるわけではない。ですが小さな1つ1つのことが、大きな偉大な行動へとつながる」と言っている。彼が途上国に建設した小学校は、350校に上っている。ここに私は、宮本夫妻が孤立のなかで孤塁を守った戦時抵抗の現代的で国際的な形態があると思う。(2003/1/18 21:01)

[イニャツイオ・シローネ『独裁者になるために』(岩波書店 2002年)]
 本書を1962年にイタリアで刊行したシローネは、1921年にイタリア社会党青年部を率いてイタリア共産党結成に参加し、1931年にスターリン主義に失望して離党した。反ファッシズム運動の第1線で活動した後、スイス亡命後にファッシズム分析に生涯を費やしたイタリア社会運動家である。解説の加藤周一氏は、すべての独裁政治の条件と必然性を考えるうえで、現代でも多くの示唆を与えているとし、今日に日本語訳を刊行する意義を述べている。
  一読して実に面白い。独裁者が登場する社会的条件と、独裁者個人の人格的個性、大衆動員のための様々の方法、なぜファッシズムは勝利し得たか、ドイツ共産党武装部隊がなぜ雪崩を打ってナチス突撃隊に参加したのか、社会主義独裁の必然性は、独裁はなぜ最終的に敗北するか、ファッシズムの階層的な基盤は−などなど現代の特徴と酷似している状況を1920年代に見つけだしているために、実は背筋が寒くなるようなところがある。
 特にスターリン主義とファッシズムの根元的同一性について述べている所は圧巻であり、さらに左であれ右であれ情念的に共通した誘因があるとするところも参考になった。1920年代に既にこのような発想で世界を見ていた者がいたことに驚愕する。そして現代世界がすでにファッシズムが醸成する社会的条件がすでに成熟していると改めて確認させられることとなった。大衆のルサンチマンを組織し、独裁者の階段を上る者が、共通して青年期に挫折体験を持っているというのも面白い。皆さんの属している職場や学園の中で、自らの頭を使って思考するのではなく、大勢に順応しその先頭にあわよくば立ちたいと試行している者はいませんか。正論を述べる者が次第に孤立し、冷笑を浴びせられてはいませんか。さらに正論を述べる者に対して逆に攻撃をかけていく傾向はありませんか。こころの中では正論に賛成しつつ、自らの安全のために沈黙する傾向はありませんか。そこではすでにファッシズムの条件が成熟しつつあることが示されています。最後には悲劇的な破局が待っているのです。(2003/1/15 21:29)

[子ども写真家・田沼武能氏の子ども観]
 田沼氏が子ども写真の極意を語っている。子どもと大人の遊びへの情熱の注ぎ方は正反対である。大人の遊びは、気晴らし・暇つぶし・健康など複雑多様であるが、子どもの遊びは全知・全能・全神経を集中し、頭の先からつま先まで身体のすべてが緊張でみなぎる。自然の中であれ室内であれ同じだ。その時の子どもの瞳は、キラキラとすばらしい輝きを見せ、この輝きこそが本当の子どもの表情であり、子ども写真の最高のシャッターチャンスである。夢中で遊んでいる時に、気づかれないうちに撮影してしまうしかないが、気づかれた時は、無言で忍者のように案山子のように突っ立って、子どもが再び遊びの世界に戻るのを待つしかない。これが長年かかって修得した子ども写真の極意である。もう一つの極意は、子どもの世界に自分自身が感動してその真を写すことだ。以上朝日新聞1月14日付け夕刊。

 ウーンなかなかのものだ。子どもの世界の真実を見抜いた言葉だ。ここで大脳辺縁系と新皮質系の違いで、子どもと大人の遊びの違いを説明したりすることは何とも味気ない。こどもがすべて自己を忘れて没入する瞬間の美しさを忘れて久しい時が過ぎた。そのような場を準備できなくなった大人の罪はあまりに大きい。さらにいえば、大人自身の中にも遊びに没入するこころが衰弱して、子どもとの共感が失われてしまっている。写真が、真を写すものであれば、真なるものがますますこの世から姿を消し、子どもはデジタル化されたバーチャル遊びで、対象への没入と相互作用の胸躍るドキドキするような魅惑を体験できなくなった。傷つければ、血を見る痛さを生で味わい、いのちへの素朴な関係を培う機会が失われてしまった。おそらく田沼氏の子ども写真のシャッターチャンスは、これから失われていくであろう。
 逆に第3世界の貧困と飢えに喘いでいる子どもたちの瞳が、なぜあのように輝いているのか、その表情がなぜあんなに切実な可憐さを持って迫るのか、この違いは何なのか。クルド映画『酔っぱらった馬の時間』に登場する子どもたちの凛々しく、けなげないじらしさはまさに胸を打つものがある。勉強したくてどうしても1冊のノートを手に入れたい小学生の妹のために、同じ小学生の兄は自らの命を懸けて密輸をおこない国境を越えるのだ。酔っぱらった馬とは、雪に閉ざされた峠を越える馬に酒を飲ませて暖めると言う意味だ。なんと悲惨な世界だ。これに対して先進国では、あまりにあっけなく子どもの世界を奪い、はやばやと中途半端な大人にしてしまっていると感じる。授業中に化粧を始める少女は、なにか最も大切なものから引き離されている犠牲者そのものではないか。大人の罪はあまりにも重い。かって少年期に、大人の保護と暖かいまなざしに全身で無意識の信頼を感じ、無我夢中で何かをやり遂げていく充足の歓びは、日本映画『森の学校』でもナイーブに描かれているが、すでに昭和10年代でこのような世界は姿を消してしまった。人工化された文明空間の氾濫のなかで、なおかつ1次元的な子ども世界をどう再生させていくのか−21世紀が問われている最大の課題の一つではないだろうか。(2003/1/14 20:11)

[世界最大の死刑国家米国・イリノイ州全死刑囚167人減刑をどう考えるか]
 米国では1972年の連邦最高裁判決「残虐で異常な刑罰を禁じた憲法に違反する」とする死刑廃止判決後、1976年には逆転合憲判決により、現在38州で死刑が復活し、1977年−2000年までに683人の死刑が執行され(2000年は85人)、現在約3500人の死刑囚がいる世界最大の死刑国家である。米国の死刑判決の最大の特徴は、人種と貧困に偏向した判決が横行している点だ。メリーランド大学が、同州内で78年−99年に発生した凶悪犯罪1311件を調査した所、白人が被害者であった場合の死刑判決の割合が著しく高く、76件の死刑判決のうち被害者=白人、加害者=黒人の死刑判決が50%に達している(事件件数全体では25%に達していないにもかかわらず)。被害者・加害者とも黒人の場合は死刑判決は少なく、調査は被害者の人種が判決を左右していると結論づけている。
 イリノイ州・ノースウエスタン大学の学生が17年間獄中にいる1人の死刑囚の裁判記録を調べ、無実の証拠を発見した。驚いた知事は、他の死刑囚の調査を指示した結果、13人の冤罪が発見され、拷問による自白が明らかとなって、州知事は3年前に死刑執行を全面停止し、11日に全死刑囚167人の減刑と釈放を決断した。州知事は「死刑制度は不道徳インモラルであり、悪魔的な誤りを犯すリスクがあり誰でも死刑を受ける可能性がある」としている。
 死刑制度の本来の狙いは、犯罪抑止効果と被害者応報感情論にあるが、イリノイ州の示した事実は、人種と貧困によって判決が偏向し無実の人が処刑される現実を明らかにした。いまや全米で死刑廃止論争が再燃し、後任のイリノイ州知事は個別審理を徹底して巨悪犯を断罪する死刑は復活すべきだと反論している。
 米国の死刑論争は何を示しているであろうか。何よりも根深い人種的偏見と白人優越主義が深部にあり、捜査と陪審裁判を左右し、個人の尊厳の中核である生命がいとも簡単に弄ばれている。米国白人の有色人種に対する蔑視は、別に不思議なものではなく、沖縄の少女強姦事件や韓国女子中学生轢死事件など日常茶飯事のことであり、さらにいえばアフガン報復戦争時の大型爆弾と劣化ウラン弾使用や、アルカイダ捕虜のキューバ・ガンタナモ基地収容から間近に迫ったイラク攻撃などおよそ相手が白人国家であるならば到底できないような振る舞いに現れている。国内で差別され迫害される有色人種が、軍隊に志願して海外で差別をおこなう抑圧の移譲の論理がまかり通っている。第2は、州の独立性によって州知事が司法結果もすべてご破算にできる大統領的な州知事の在り方だ。州単位で判決内容が異なり、死刑廃止州と存置州の併存など、米国型地方分権国家による独特の人権感覚が出てくることだ。人の死について、州によって基準が異なるという恐るべき事態である。
 ひるがえって我が日本はどうか。日本の裁判では、99.9%が有罪判決であり、判事は刑事訴訟法よりも検察=判事一体化の官僚機構の先入観によって判決を下す。常時300件の手持ち事件を抱え、最高裁事務局の転勤政策に奴隷のように従い、通常の市民的権利を剥奪された裁判官は、事実認定の科学性や日常の経験則を無視した冤罪判決を下すという実態がある。疑わしきは罰せず−という近代刑法原則は砂上の楼閣であり、有罪になりそうにない事件が無罪とならない。以上は、元判事秋山賢三『裁判官はなぜ誤るか』(岩波新書)参照。
 さて日本の司法改革の目玉として浮上している市民裁判員構想があり、最高裁は市民裁判員の定数を削減して抵抗している。米国型陪審員制度にも上記のような偏見が濃密に作用する欠陥があるが、市民に開かれた司法を作り上げていくうえでは是非とも参考にしなければならない。日本的な司法イメージは、まだまだ江戸期のお白砂感覚があり、大岡越前などというTV番組に庶民は涙を流して有り難がっているのだから。逆に逮捕令状の乱発によって、年間約140000人が逮捕され、そのうち約半数の70000人は起訴すらされていない。根拠薄弱なまま逮捕し、あわよくば自白させて起訴するという逮捕の乱用が横行している。無実な者は逮捕されないと云う最低限の法治国家の常識が崩れ、セクハラ事件などでは被害者の申告のみで有罪となる例が後を絶たない。(2003/1/13 9:43)

[少年の視線からみる]
 「森の学校」という映画を観た。昭和10年代のドキドキするような冒険とギャング期の清冽な少年期がみずみずしく描かれている。原作は河合雅雄『少年動物記』であり、里山の自然のなかで虫や魚を夢中で追い、対立するグループと激しい喧嘩をし、老人の死を間近で見つめ、淡い少女との別れを体験し、毎日がめくるめくような豊堯さに溢れている。冒険さえが大人によってセットされた都会の子どもたちからみれば、まさに田園に自由は存すという衝撃を味わうに違いない。私の少年期がまさにそうであり、懐かしいノスタルジーの世界にドップリと浸かった2時間であった。
 しかし私が反省的に考えたのは、このようなヴィヴィッドな視線はまさに学問にとって不可欠なものではないかということだ。学問の世界も、実は最初は未知の世界への驚きからはじまって、探究へと進み、最後に真理の認識に至る過程がある。それは少年が、川でありとあらゆる術策を駆使しながら魚を採り、そして自分で育てていく、時には死に至らしめる過程とそう変わらないのではないか思う。
 ところが学問の現状は、先行研究や権威的学者の方法論に依存するか縛られて、徒弟的な慣習を踏襲しながら査読を意識しながら書き上げていく職人芸を披瀝して認められていくという過程をたどることは否定できない。
 知的探究は、驚愕としての興味と関心からはじまって、何らの社会的評価にも無関心な少年期の胸躍るような探究の過程ではないか。こうした知的探究過程に社会的なハビトウスが入り込むことによって、徐々に制度の権威に呪縛されて自らの始源的なまなざしが失われてから久しい。これを言い換えれば、パラダイムの呪縛であり、いわゆるクーンはその転換の論理をはじめて分析しようとしたが、パラダイムの権威自体を越える知的探究過程の復権には思い至らなかった。映画「森の学校」は、直接は関係ない学問の世界に対して痛烈な問い直しの刃を放っていると実感した次第である。少年の視線から見る−という方法は、知らず知らずのうちに失っていった認識の原点ではないか−そうした反省を迫られ、自覚を沸き起こらせた映画であった。(2003/1/12 21:10)

[一極帝国の反ヒューマニズムー養子縁組ビジネスの陥穽・禿げ鷹ファンドの蹂躙]
 米国の養子縁組に対する無知によって、途上国の斡旋業がビジネス化している。米国の依頼者が現地の斡旋業者に支払う手数料は約1万ドルであり、現地業者は貧困家庭の子どもを買い、役人に賄賂を贈り偽造の孤児証明書を入手して、偽孤児が作り出され米国に送られる。最大の養子縁組先のカンボジアの場合、母親は約100ドル(1万2千円)で子どもを売るから、約9000ドルが業者の丸儲けとなる。カンボジアの公務員の平均月収が20ドル、スラムの日雇い仕事は1日1ドル稼げばいい方であり、特に母子家庭の母親は自分の子どもを売ってしまうのだ。斡旋業者は、表では政府公認の私立孤児院を経営し裏で人身売買をやっている。米国の似非ヒューマニズムは、逆に途上国の貧困を再生産する結果をもたらしている。
 こうした途上国の悲惨な構造はどのようにして生まれるのだろうか。多国籍企業の進出→低賃金労働or内戦・米軍の空爆→現地兵士と民衆の死亡→大量の孤児・母子家庭の発生→路上生活→米国との養子縁組というワンダーフォーゲル型循環構造だ。米国は、自ら仕掛けた戦争や多国籍企業による現地の悲惨な実態を利用して、養子縁組という偽善的なヒューマニズムを満足させているに過ぎない。

 国連が7日発表したイラク攻撃による被害予測は、攻撃の初期段階で戦闘行為による直接の負傷者が約10万人で、約40万人のイラクの一般国民が負傷し、1000万人が緊急食料援助が必要な状態に陥り、避難所支援が必要な難民は200万人で90万人が隣国へ流出すると予測している。すでに湾岸戦争後の国連制裁で疲弊している国民生活は、食糧・民生品の政府依存度を強め、攻撃による原油生産の停止と政府機能の一層の弱体化は、最悪の状態を招くとしている。世界保健機関WHOは、すでに人道支援計画を策定し、各国に総計3750万ドルの拠出を求めている。戦争開始前からすでに復興計画を進めている戦争などかって歴史上にあっただろうか! ましてや米国のユニラテラリズムによる戦争の結果に、国連を含む世界各国が人道支援をおこなうなどとは信じがたい状況だ。カンボジアの人為的に作り出された偽孤児を救済する養子縁組ビジネスと本質的に同じ論理構造にある。

 ひるがえって我が日本の屈辱的な実態を指摘しなければならない。日本政府の政策決定に係わる政府審議会に多数の米国系多国籍企業の代表が参加して審議に加わっている。財務省審議会には、J.P.モルガン証券、メリルリンチ証券、金融庁審議会にHSBC証券、経済産業省審議会にMCI、マッキンゼー、メリルリンチ、UBS、ユニゾン、リーマン・ブラザース、モルガンスタンレー、内閣府審議会にマキンゼー、ゴールドマンサックス、文部科学省審議会にマキンゼー、総務省審議会にドイツ証券などの代表が委員として参加し、構造改革戦略の審議に議決権を持って参加している。彼等が今まで表明した代表的な意見は、米国への資金流入を促進するためのドル価格の維持とか民間による都市再開発と道路整備、四季報の厚さを半分にするまで企業を倒産させよ、終身雇用制廃止等々である。ここに日本の経済主権を含む国家主権が米国外資系ハゲタカファンドに侵食され、国家自体が売り渡されている深刻な状況がある。意見を聞くにとどめることはあり得ても、議決権を持って政策決定に外国企業を参加させるなどとは、もはや独立国の最低条件を失っている。(2003/1/8 21:12)

[あなたの側にもリストラ犠牲者はいませんか]
 かって1960年1月から10月にかけて、三井三池炭坑の1278人の指名解雇に反対する解雇反対闘争は、戦後日本の労働関係をを左右する大闘争としての意味を持ちました。1企業のリストラに対して全国民が何らかの形で係わった社会問題の様相を呈しました。いま嵐のように進んでいるリストラは、民間企業から公共部門や社会保障の分野までを含むかってなく大規模な生存それ自体を脅かすものとなっています。たまに早く帰宅すると、家族が「リストラされたの?」と真面目に心配し、リストラを家族から隠すための偽出勤も広がっています。子どもたちの世界にも、あたかも学校へ行くかの如く装って家を出ますが、実はよそへ言っているというリストラ登校が増えています。解雇率・失業率・中退率・引きこもり率は異常な勢いで増えつづけ、公式失業者数340万人は路頭に迷い、高校生就職内定率は遂に50%を切りました。富士通は3ランクに選別した社員に、希望退職か転籍かを迫る退職マニュアルによって大量の解雇を推進し、NTTは50歳以上のすべての社員に賃金3割削減して子会社への出向を迫り、拒否すれば遠距離配転する11万人リストラを推進しています。リストラを恐れる社員は、無制限のサービス労働を「自主的」におこない、過労死と過労自殺が激増しています。かっての三池ではたった!1278人の解雇に全国民が関心を寄せ、心を痛めました。私の親戚の1人は、東京本社勤務を解かれ子会社への出向命令によって、横浜に家族を残したまま単身で青森県6カ所村に生き、さらに1人はリストラによって失業手当生活をしています。
 こうした人間としての最低の生存権を否定して憚らない企業の論理によって、日本語の「希望」という言葉ほど色褪せたものはありません。希望の喪失はそのまま犯罪発生率の激増をもたらし、犯罪検挙率は過去最悪を記録しております。誰しも初歩的な社会の存立基盤が崩壊しつつあるのではないかと予感しています。今誰が日本の「希望」について語ることができるでしょうか。おそらく1つの希望は国際社会の外部からくるでしょう。それはなぜでしょうか。
 EU(欧州連合)は、企業リストラには労働者との「合意を前提にした事前協議」が義務づけられ、希望退職・転籍などの半強制行為の厳禁と家族配慮義務制などが規定され、正当な事由なき解雇禁止とリストラ計画の事前協議制などの最低の労働基本権を規定しています。これらの規定に違反した企業は、全欧州から排除され製品の販売ができなくなります。これらの欧州基準によって供給される欧州製品と競争する日本製品は、おそらく厳しく不公正競争の対象として指弾されるでしょう。
 こうして国際競争を生き抜く条件として、国内労働基準が公正な自然権として確立されることが求められます。ここに「多国籍企業」の弁証法的な自己矛盾が発生し、すでに賢明な経営者は「労働の人間化」の方策を試行しつつあります。企業は、利潤の論理とともに、社会的な公共性によってはじめて、経営が安定するという新たな段階に入って行かざるを得ません。
 しかし以上のような外発的な契機は、ホンモノではありません。自分の仲間がリストラされて、自分でなくてとりあえずホッとするような非人間的な社会関係を組み替えていくのは、他の誰にも依存することができない、私たち自身の課題ではないでしょうか。昨日は、かって職場を共にした人の出版記念会が開かれ、それぞれが元気な姿を見せました。ここには、他を犠牲にして自らの生存を図ろうとする人はいません。私たちは、いま銃剣のない強制収容所に収容されているような状況ですが、アウシュビッツの囚人は、生き延びるためのさまざまの行為を選択しました。ナチスに魂を売って、カポーと云われる手先になって延命を図った者も出ましたが、それが如何に虚しい延命策であったかは、大量の犠牲者を出してから初めて分かりましたが、その時にはすでに遅かったのです。本当に生存できたのは、肉体的に頑強な男たちではなく、あくまでも未来への希望を捨てなかった少数の人たちでした。21世紀はそのような過去の無数の苦渋の体験を経て、失敗を2度と繰り返さないだけの理性を手に入れていると信じます。(2003/1/6 9:15)
 
[中国語の苦闘から考えること]
 次の中国語を和訳するとどうなりますか? @互聯網A一線通B伊妹児C期権D一級方程式E二悪英F形象大使G配装師H性保健I下崗J手機K海選L少資M平民賓館N環保O性感
 正解は、@インターネットAISDNBEメールCストックオプションDF1レースEダイオキシンFイメージキャラクターGスタイリストHアダルトショップIリストラJ携帯電話K自由選挙L中産階級M格安ホテルN地球にやさしいOセクシー

 急速な市場経済化を背景に、中国語に登場している新語だ。日本語では、ほとんど言語のカタカナ表示で読み替えているが、中国では中国語に翻訳する苦闘が繰り広げられている。和訳が漢字のものは、造語であったり、名誉回復後であったり、流行語であったり、形容詞に転じた略語であったり、中国社会の激動と混乱の部分も反映している。同じ漢字文化圏に属しながら、ひたすら自国語を守ろうとする中国に対して、日本語の盲従ぶりは際だっているばかりか、それをステータス・シンボルとして称揚する風潮もある。先日に国立教育研究所が言い換え集の試案を出したが、それをしも揶揄する傾向がある。かって明治の文明開花期には、和魂洋才という外来文化受容政策をとって、現代中国語と同じように漢語への翻訳をおこなったが、今はそのような矜持をかなぐり捨ててしまい文化コロニアリズムの陥穽に陥って恥じる所がない。
 確かに日本語には、中国語にはない平仮名とかた仮名表示によって、より豊かな言語表現の可能性を実現し、これによって日本文化の狭い民族性を打破することに成功してきた。逆にしかし、戦後政治・経済・情報のアングロ・サクソン圏への入れ子状況は、日本語という言語文化を含めた上部構造まで侵食されてきている。そのような日本語文化の変容に対する危機感が、昨今の日本語ブームを生んでいる一つの理由ではないか。日本語をネイテブとする人々は、フランス語圏の英語侵入に対する拒否や中国語圏の執拗な自国語維持の文化性から学ぶ必要がある。確かに、フランスのショービニズムや中国の中華思想という排外的な要素に組みする者ではないが、少なくと無国籍的なコスモポリタニズムに堕落して漂流するような文化は、もはや文化とは云えないのではないか。カルチャーの語源は、耕すであり、自ら汗を流して自力で創造していく所にしか文化はないと思うからだ。(2003/1/5 9:34)

[1.18イラク攻撃反対国際行動 ワシントンDC全国行進のアピールから]

 ONLY THE PEOPLE CAN STOP BUSH’S RUSH TOWARDS WAR

 The January 18 National March on Washington DC and joint action in SanFrancisco comes just nine days beffore ahat has been slated by the Bush administrration to be a deadline in their drive towards war on Irag.
 Military preparations are underway at a feverish pitch.Last week,more than 1.350 Florida Army National Guard and US.Army reservists were called to active duty(according to the Miami Herld,Dec.27).This is the largest call-up of Florida's National Guard and reservits since World War 2--andit's also the firstdeployment of an infannty battalion since that time.
 Though the military has not made an official stateement as to why the units have beeb mobilized at this time,the 150 members of a military police unit based on Fort Lauderdale who have been called up as part of this mobilization are being sent to Kuwait,a clear indication that they will be playing a role in any war in Irag.

 On January 27,Hans Blix(the head of UNMOVIC,the United Nations Monitoring and Verification Commission)will make a report on the first two mnoths of weapons inspections in Irag.Bush administration officials have indicated that they view this date as a deadline for a final decision regarding their war plans.


 We believe that we can still stop this war from happening. Thousands of innocent people in Irag,and an unknown number of U.S.GIs will die unless we can stopo Bush's war plans.It is urgent that the anti-war movement not be lulled into a false sense of opti,ism because Irag and the UN are cooperating.The Bush Administration is determind to wage war and occupy Irag.The extent to which the world is voicing cautious optimism about a peaceful sollution,is also the extent to which the Bush foreign policy team is racing to dash all hope for such an outcome.
 The January 18 National March on Washington DC may very wellbe the last opportunity that we have on a national level to show the breadth and depth of oppositon before the scheduled plan to start the war.

 We rely on the generous donations of those individuals who believe in our work.Many have made a financial donation.We would like to again thank you.Without your contributions we could not carry out this work.If you want to make a contribution within the tax year(by December 31),you must make your online contribution by 11:59pm.If you are sending a check,as long as you date it by December 31,it can be received next week(send checks to 39 W. 14th St.,Room 206,New York,NY 10011).Online contributions can be made at http://www.internationalanswer.org/donate.html

 以上InternationalA.N.S.W.E.R(ActNowとStopWar&EndRacism)発。一部省略。

[2003年の日本民主主義の船出は?]
 日本民主主義の経済的基礎は、自動車・電気主導の加工組立装置産業による輸出主導型成長経済から、海外展開による多国籍化へのドラステックな転換がなされたところにある。従来のフルセット型産業構造によって拠点集中的に形成された企業城下町と企業社会そのものがゆらぎ始め、保守層の中心的な基盤となっていた下請け企業集団と終身雇用型サラリーマン層がおのれの存在基盤を崩されて、主として都市部保守支持が漂流して無党派層へと流れはじめた。さらに、大型公共事業による需要創出政策が財政危機によって破綻し、多国籍企業にとってはもはや国内道路は不要であり、開発輸入をめざすアグリビジネスにとっても国内農業保護政策と埋め立てによる田畑拡大も無意味となって、都市と農村部における伝統的な保守基盤が崩壊しつつある。しかしこうした構造改革路線は、ネオ・リベラリズムの弱肉強食によって、ムラ的な共同性の虚妄を白日の下にさらけ出して、新たな保守層の離反が生まれている。
 ほとんどの政治勢力は、日本の民主主義の将来展望に対するグランド・デザインを真正面から提起する能力を喪失し、目の前の議席を維持するためのマキャベリステックな離合集散を繰り返すという惨めな状況に陥り、反対陣営へのネガテイブ・キャンペーンを展開するという堕落した状況に陥り、結果的に民衆の間に予測を越えた政治的アパシーが蔓延しつつある。戦争か平和かという緊急の世界史的課題を突きつけられても、学級会的な大勢順応で対応するという恥ずべき状況となっている(小学生に失礼だ!)。独シュレーダー首相の戦争非協力宣言や韓国廬大統領の封じ込め政策批判という毅然とした矜持を見れば、吾が日本の悲しむべきプライドのなさがよく分かる。
 権力装置の支持基盤が空洞化して不安定になり、新自由主義政策による競争原理によって連帯の契機はますます衰弱し、私生活主義への傾斜がすすんで、権力が最も重視する公共的統合の水準がますます低下するという対内的危機が深化している。こうして政治学のテーゼである「体内的危機を対外的危機に転化せよ」という伝統的手法が前面に出て、戦争の危機を鼓吹したり、迫害する敵を作り出すことによって虚偽の統合を図ろうとする手段が採用されつつある。集団的自衛権発動を担う主体形成に向けた「公への奉仕」と愛国心の義務化が推進され、拉致事件を契機とするネガテイブキャンペーンと危機のシナリオが意識的に操作されつつある。1930年代の危機がふたたび装いを変えて再現されつつある。
 このような現象的には攻勢的に見える権力運動は、実は自らに本質的な不安を抱えているからこそ、逆に強い態度によって威嚇するというヤクザ的な堕落形態を採っているに過ぎない。ネオ・ファッシズムはまたしても、単純で断定主義的なメッセージを直截に提起して、世論誘導戦略を採りつつあり、どこかのライオン・ヘアーの首相と三文文学出身の都知事が、プチ・ヒットラー型の言辞を怒号しているのも、まさに弱さの裏返しに過ぎない。
 ではオルタナテイブはどこにあるのか? それは全国の地方から巻き起こりつつある地域民主主義と、都市マイノリテイ−を中心とした無党派を巻き込むデモクラシー勢力の登場と、国際的な民主主義の外圧が相まって、プチ・ファッシズムが顔を赤らめて退場する可能性である。1930年代との基本的な差異は、まさにここにある。(2003/1/3 10:21)

[鉄腕アトムは行く−21世紀の新たなる戦争の世紀に抗して]
 手塚治虫が月刊『少年』1952年4月号から連載を初めて半世紀が過ぎた。当時は朝鮮戦争(50−53年)の真っ直中であり、63年1月に日本初の連続TVアニメになった(白黒で66年12月まで放映)。人間の身勝手でつくられ、売られていくロボット差別と闘い、自らも傷ついていくアトムが描かれた。当時の正義の味方であるヒーローは余りにも哀しい存在であった。67年の連載漫画では、4次元空間に放り出され69年の地球に帰還したアトムが描かれた。着いたのはベトナムの村であり、米軍の大編隊によって焦土と化したなかで、アトムはエネルギーを消耗し、最後に飛来した爆撃機のパイロットをパラシュートで降下させた上ですべてを破壊してしまう。そしてアトム自身のエネルギーも尽きてしまう。あれから半世紀が過ぎて、未だ戦争の危機は去らない。
 実はアトムの誕生日は2003年4月7日である。その日成立した日本ロボット法では、第1条:ロボットは人間を幸せにするために生まれたものである、第2条:その目的にかなうかぎりすべてのロボットは自由であり、自由で平等な生活を送る権利を持つ−となっている。科学省長官天満博士の息子・飛雄が交通事故で死亡し、4月7日に博士は息子そっくりの10万馬力のトビオを作るが、成長しないことに失望し、売り払ってしまう。トビオはアトムと名付けられ、お茶の水博士に保護されて、同博士が作った両親や妹・ウランと暮らし、小学校に通い始め、事件が起これば常に正義の立場から立ち向かう・・・・・というストーリーだ。
 手塚治虫とアトムは、時代の中で成長し、漫画生活40年間でそのテーマは、生命の尊重→自然の保護→生き物への讃歌→科学文明への疑い→戦争反対へと発展していくなかでアトムはそれらすべてを象徴している。89年に60歳で亡くなるまで、手塚氏は反戦勢力を支援してその命を閉じた。1928年11月3日−1989年2月9日の生涯で、原稿用紙15万枚の漫画、60タイトル以上のアニメを残してこの世を去った。時代がどのようであろうと、目先の事態に揺れないで、自らの生命を貫いた手塚氏の生涯は私たちに無限の励ましを与える。アトムは不死の主人公としてフェニックスのように、時代閉塞のなかで飛翔する。
 米軍のイラク攻撃が迫りつつある今、全世界で反戦の行動が溢れている。世界人権デーの12月10日のニューヨーク国連本部前では、大規模な反戦集会が開かれ、10月14日付けニューヨーク・タイムスの全面広告で財界人150人がイラク戦争反対を訴え、米アイスクリーム会社最王手のベン&ジェリー共同創業者が訴えた。ワシントンの20万人集会はハリウッド著名俳優が多数参加した。今までの米国で戦争開始前に大規模な反戦集会が開催されるのは史上初めてである。9.11同時テロで姉を失ったクリステイーナ・オルセンさんは、「テロが起きたことさえ知らないアフガンの人が、毎日米軍の爆撃で死んでいる。私は姉を失ったが、カブールの8歳の少女は、16人の家族を亡くした」と静かに訴えた。
 ロンドンでは、9月28日にハイドパークで40万人の反戦集会が開かれ、グリニッジでは毎週土曜日にろうそくデモがおこなわれ、ブリストンでは毎日交代で地域昼休みデモがある。英国では2月15日に史上最大規模となるロンドン反戦集会が予定されている。
 イタリアでは、11月9日に欧州社会フォーラムに合わせたフィレンツエ100万人欧州平和大行進がおこなわれ、12月10日には全国250都市で反戦キャンドル行進がおこなわれた。
 ドイツでは、シュレーダー首相がイラク戦争不参加を表明し、10月26日に米国反戦集会に呼応して全国70都市で数万人が反戦デモをおこない、ベルリン・アレキサンダー広場では3万人が参加した。世論調査で70%が国連決議があっても戦争に参加すべきでないと答えている。中東欧では、プラハ・パラフ広場で12月初め反戦集会が始まり、新年明け大規模な平和集会を予定している。
 韓国では、12月14日に女子中学生轢殺事件に抗議する国民平和大行進が10万人の若者の参加によっておこなわれ、平和路線を追求する廬武げん氏が大統領に当選し、米国の北朝鮮封じ込め政策に反対の意思を表明した。
 ローマ法王ヨハネ・パウロ2世は、1日の新年メッセージで「今日の紛争と脅威的緊張を前に平和的手段の解決を改めて呼びかける」として、骨肉合い食む無意味な暴力に終止符を打つよう呼びかけた。
 さて日本ではどうか。あなたは沈黙を守るか。第2次朝鮮戦争は日本列島が火の海になることを意味する。それが予知されていながら私たちはなお沈黙しているか。私たちの学習と知の成果が試される瞬間が近づいている2003年の初頭ではないか。(20023/1/2 19:12)

[江戸期デザイナーズブランド・宮崎友禅斎]
 日本最初のファッションブランドは、成熟した町人文化を背景に武士から貴族上流町人に持て囃され、そのトップデザイナーとなったのが色鮮やかな絵画的手法を駆使する「友禅染」の宮崎友禅斎だ。彼は、17世紀後半から18世紀前半にかけて京都で活躍した人気扇絵絵師で、その名声と腕前で京都の染色工房で売り出したのが「友禅染」である。染色技法の新たなる開発者ではなかったが、扇絵から生み出された丸模様や、鯉の瀧登り、山岳風景を駆使した斬新なデザインを開発し、「友禅風」「友禅流」と云われる最先端デザインを創造して全国を席巻した。
 このブームを支えたのが、当時生まれた「雛型本」という着物のデザインを集成したファッション雑誌である。友禅直筆の「余情ひなかた」をはじめとする紹介も多い。遊女や歌舞伎者が纏う風変わりな服装を取り入れた人気デザインの雑誌は、最初は見て楽しむ絵本であったが、次第に実際の染色に使う実用書になった。イメージが先行して、その人気が出版メデイアを通して増幅されるという現代型流行の元祖である。
 やがて強力なライバルとして登場した尾形光琳は、草花を単純化した大胆な模様で人気を集めたが、光琳死後模倣デザインが粗製され、著作権を意識した「光林模様」等と文字を変えるファッションが現れた。友禅自身の生没年は不明で、本業の扇絵はほとんど残存せず、彼の生涯も不明である。
 現代では、こうしたデザイン原画は織元に秘匿され、門外不出である。デジタル化が進んで原画のアーカイブ化が進んでいるが、著作権問題がネックとなって公開には至っていない。江戸期も今も、デザイン競争の熾烈さが伺われる。(2003/1/2 18:40)

[パックス・アメリカーナの陥穽]
 米国のユニラテラリズムは21世紀をパックス・アメリカーナの世紀とする振る舞いにみえて、古代ローマ帝国時代のパックス・ロマーナに比肩しうるかのようだ。シュンペーターのローマ帝国に関する次の叙述と現代米国の行動を対比してみよう。「何らかの利益が危険にさらされている、または現に攻撃を受けていると言いうるような場所を世界のどこかに見いだすというのが手法であった。その利益がローマでない場合には、ローマの同盟国のものであった。そのような同盟国がない場合には、臨機の同盟国をつくるのが常であった。さらに口実としての利益をでっちあげれない場合には、国家的名誉を傷つけられたと言いさえすればよかったのである。こうして戦争は常に合法形態の形をとり、ローマはいつも腹黒い隣邦に脅かされていたとされたのである。・・・・世界中の至る所に敵がいて、彼等の歴然とした侵略の意図に対抗するのが、ローマの崇高な義務とされたのである。こうしてすべてを敵とみなして征服戦を続けたのだが、この征服戦を具体的な目的から理解しようとしても、困難である。ローマ市民は、我々の言う意味での武士民族ではなかったし、その初期においては武力独裁国ないし特殊の軍隊志向をもつ貴族国家でもなかった。だから理解するただ一つの方法は、国内の階級的利害関係、言い換えれば「誰が得するか」という問題を分析するよりほかないのである」(シュンペーター『帝国主義と社会階級』岩波書店 1956年 一部筆者意訳)。
 さて現代米国の世界的な位置を確認しよう。人口2億8千万人(4%)のこの国は、GDP9兆8千億ドル(31%)・自動車保有台数2億2千万台(29.6%)・二酸化炭素排出量23.8%・石油消費量40%・英語使用ホームページ80%・ノーベル賞受賞者数270人・武器輸出量330億ドル(64%)・国防費2814億ドル(36%)などを占めている。もし全人類60億人がアメリカ型生活を実践すると、原料調達と汚染処理で地球惑星があと3つ必要となる超帝国だ。
 敵対する他国を「悪の帝国」と呼び、世界最大の武器商人として武器輸出をおこなっている。99年に起きた紛争の92%に武器と軍事技術を輸出し、92−01年で1420億ドルの武器を世界に輸出し、02年に世界70カ国で兵士を訓練するために7000万ドルを投下している。戦後の次のような代表的な戦争に参戦し、米軍の死者を最小限に押さえて現地に莫大な死者をもたらした。<朝鮮戦争>米軍55000人・南北朝鮮160万人、<ベトナム戦争>米軍58000人・南北ベトナム170万人、<湾岸戦争>米軍148人・イラク158000人、<アフガン戦争>米軍41人・アフガン民間人3000人以上などなど。
 一方で米国のユニラテラリズムの動向は常軌を逸したものとなっている。国連分担金凍結02年分2億4千万ドル・国連人口基金拠出金3400万ドル撤回・地球温暖化防止京都議定書離脱・国際刑事裁判所署名撤回・対人地雷全面禁止条約不署名・弾道弾迎撃ミサイル制限条約(ABM)脱退・包括的核実験禁止条約(CTBT)批准拒否・国連核廃絶決議案反対投票・ユネスコ脱退(02年復帰予定)など重要な国際合意を拒否ないし脱退している。
 このユニラテラリズムの背景には、米国人の世界認識の決定的な低水準がある。「あなたの国にも黒人はいますか」(01/11ブッシュのブラジル大統領への質問 ブラジル人の50%はアフリカ系)、9カ国の若者(18−24歳)の比較では、過去3年の外国旅行経験者数21万人(9位)・核兵器保有国正答率19%(7位)・進化論を信じる10%・創造説を信じる44%などの驚くべき数字が並び、実に米国青年の70%が単独行動をしていないと答え、52%が米国は世界でいいことをしていると答えている。少なくともここに米国青年の恐るべき知的頽廃が示されている。

 無知な者が力を独占した時に世の破局が来る−ということがローマ帝国によって証明されたように、放置すれば21世紀はパックスアメリカーナによる世界の破局の世紀となることは間違いない。しかし古代帝国と決定的に異なるのは、地球市民の民主主義の水準が全く違うと言うことであり、シュンペーターの言葉を借りれば、米国内部から支持を失うことは間違いない。それは米国自身の輝かしい米国独立宣言の理念であるだろうことも確かだ。以上朝日新聞1月1日付け朝刊参照。(2003/1/2 13:24)

[101歳西陣織匠・山口伊太郎氏 源氏物語錦織絵巻創作]
 源氏物語絵巻は、紫式部「源氏物語」を100年後に藤原隆能が54帖の各帖から1〜3場面を選んで、詞書と絵を交互に配してつくったので「隆能源氏」と呼ばれ、ほぼ4巻が現存し、徳川美術館と五島美術館に分蔵されている国宝である。今年101歳になる西陣織匠・山口伊太郎氏は、源氏物語の世界を西陣織で再現しようととりくみ、1巻の完成に10年と5億円の私財を投入し、30年かかって3巻を完成させた。各2巻づつ作成した1組をフランス国立ギメ美術館に寄贈した。リヨンからもたらされたジャガード織機によって西陣の繁栄した返礼だという。
 数千本の縦糸に数百色の緯糸で繊細で多彩な織りを実現し、長さは9m。絵の部分は1日に2〜3cm、平仮名部分は1日4cmしか織れない。金銀砂子に切箔を散らし、装飾の贅を尽くした詞書の部分は、箔で同じ地をつくり、それを細かく裁断して、緯に織り込んで復元する引き箔技法である。千年後にも白さを保つためにプラチナ箔を開発するのに3年かかった。糸染めは、機会をすべて売り払った職人が手染めでおこなった。12歳で丁稚奉公に入り、70歳でハタと自分の仕事の限界に気づき発意したという。後10年生きて寿命と競争しながら残る1巻を完成させる。
 私は、山口氏に象徴されている工芸職人の芸術的な魂と高度技術の複合を実感する。ここに表れたスキルは、もはや神の領域に達している。小学校卒業と同時に自らの全人生を西陣に賭けたなかで到達した境域である。しかし西陣織は、図案・紋意匠図・糸染め・整経その他の精緻な分業システムであり、山口氏の背後には無数の無名の職人群像がある。彼はそれらすべてを企画・統括する総合プロデユーサーなのだ。おそらく重要文化財に指定されるに違いない彼の作品は、西陣織の技術が芸術と結合し、またそれが技術革新を促して産業を活性化させるという相互循環的な過程にあることを示している。衰退する地場産業の再生の1つの方向を示しているが、実に困難な道だ。(2003/1/2 9:16)

[2003年よ 汝は如何なる女神であるや・・・・・・]  
 新しい年がめぐってきました。真っ青に晴れ渡った青空から降り注ぐ陽光は、まるで地球の今際の姿からはほど遠い清らかさです。窓を思い切って開け放てば、眩しい新春の光が全身を包んできます。街は、静かに少し冷たい空気を漂わせ、鳥のさえずりも新年の歓びを半ばに祝福しているかのように聞こえます。地球は永劫の営みを繰り返しつつ、人間に無限の恵みを常に与える準備を絶えることなく、繰り返していますが、人間たちの愚かな行為が果てしなく続いて参りました。
 大晦日は、紅白と格闘技を交互に見て、深夜1時過ぎから「朝まで生テレビ」のデイスカッションをみて朝方5時頃に床につきました。メモリーを追加して、WindowzXPのアップデートを実行しようとしたら逆に不調に陥ってしまい、息子が徹夜で悪戦苦闘して修復してくれました。いま寝不足の眠気まなこでこのメッセージをしたたためています。
 今年の紅白はかなり演出を工夫したようですが、視聴率はどの程度であったのでしょうか。「朝まで生テレビ」は、国家とナショナリズムをテーマにイラクと北朝鮮問題を中心に論じていましたが、印象に残ったことは、かん尚中氏(東大)の鋭く冷静な分析とは対照的に戦争を宣揚する西尾幹二氏(新しい教科書派)の固い伝統的な思考方法が、鮮やかなに浮き彫りとなっていました。西尾派は、胡散臭いイメージを振りまいて、オオカミが来るゾ!という恐怖を扇動するデマゴーグでしかありませんでしたが、何れにしろ北東アジアが今年の最大の課題となることことは確かであり、日本が渦中にある当事者として戦後最大の転機に立っていると思わざるを得ません。朝日新聞の元旦社説も旧来になくペシミステックなものであり、すべての問題の原因を一神教的な思想に求め、遂には日本的多神教から共存の論理を導き出すという無惨なものでした。世界と日本と身の回りの動向を所与の与えられたものではなく、自ら参画していけるかどうかに決着を付けることを迫られる年となるような予感が致します。
 こうした激動する世界の中で、私の研究と思索もこうした巨視的な動向に規定されつつ、この世界との関連を常に意識しながら、あくまでもインデイペンデントにやり遂げて行かなくてはという思いを新たに致しました。個人的にも物理的に特別の年となる2003年の構想をこれから正月3日を使ってじっくりと思いめぐらしたいと考えています。みなさまのご健闘を祈りつつ、新年の挨拶にかえたいと思います。創造・対案なき批判は無意味であり、その人を頽廃に導くだけである−という我が生の結論を共有してくれる人はいるでしょうか。
 ああ〜彼の人は2日のみ滞在し、早々と帰京しました。私が故郷を出る時も、私の肉親は無限の寂寥感を持って私の出立を見送ったに違いありません。野辺の果てまで私を見送って、深々と頭を垂れた祖母の姿をまざまざと思い浮かべます。育て上げし子が雄々しく故郷を去るのは、家族の宿命にして未来に生きる若者の特権であるでしょう。私は、ある寂しさのもとでそれを受容するものです。こうした家族の歴史は幾多の歴程の辿りきた道の繰り返しであります。私自身も同じように誇りを持って、故郷を捨ててきたのです。おお!子よ!2度と還り来るなかれ。残された者のポッカリ空いたこころの空洞に何の配慮も自覚しないのが、若者の特権であり、未来ある者の宿命ではないか。行け!振り返るな!2度と還るな!! よしやうらぶれて廃屋に面しようとも・・・若者はすべての愛憎を断ち切って出立して行かねばならないのです。忘れるなかれ!残された者はただ単なる追憶のなかで日々を送っているのではありません。残された者は、自らの矜持を守りつつ、新たな出発を果たそうとしているのです。こうして新たなる2003年の最初の日は暮れていきました。愛する者は我が下を去っても、私は、私であり、誰にも依拠し得ぬ孤独な夢想者として、自ら選んだ学びの道を歩んでいくのです。要するにあまり好きな表現ではありませんが、道は大抵いばらに満ちているのです。自己満足に終わることなく、私はシカと客観と一致した仕事の道を行くのです。(2003/1/1 20:40)

[2002年よさらば・・・・・・]
 <世界>一極帝国が世界を蹂躙し、力が正義であると強高く申し述べた。原理主義的テロリズムが自爆反抗を試みたが、悉く虚しいルサンチマンの暴発にみえた。帝国は核開発を許さぬと宣い、自らの核独占と劣化ウラン弾の無制限の使用を容赦なく加えた。帝国は対内的な経済崩壊の危機を対外的な敵対へと転化するなかで延命を図ろうとしている。その主要な戦略は挑発である。9.11は絶好のチャンスを提供するが故に、事前の把握を隠蔽した。世界の機軸は、一極帝国−それに従属する衛星群というパラサイト陣営と、原理主義的なマイノリテイー国家の対峙する構図である。しかし見逃すなかれ。このような世界構図の根底には、先進国−途上国の二律背反があり、あたかも相対性原理の如く支配に対するルサンチマンが充満し、蓄積していることを。人類史的な課題に最も遠いアングロ・サクソンとそれに従属して軽蔑されている東アジアのある先進国は、歴史舞台からの撤退を約束されているが故に、恐怖の裏返しとしての強迫をおこなっている。しかし、確実に平和とマイノリテイーとジェンダーの歩みは絶えることなく続き、環境へのアプローチもかってなく高まっている。世界の視線を飢えて死ぬ、エイズにたおれる幼児の眼差しに置かなければならない。分水嶺は、幼子の哀しい眼差しに応えるか否かにある。
 <東アジア>眠れる獅子は完全に覚醒し、飛躍的な経済成長を遂げつつあるが、社会主義市場経済における社会主義システムの内容規定をめぐる混迷は生じ、政治的な一党制に対する民主主義的な懐疑が生じつつある。近接する半島北部では、前世紀的な社会主義独裁に依拠する前近代的な閉鎖的システム国家が、悪戦苦闘する反グローバリズムの先兵の役割を演じつつあるが、社会経済システムの破局的な状況の中で、追いつめられた者の絶叫に近い政策的選択を選びつつある。南半部は、漢口の奇跡といわれる経済成長を成し遂げた後、次の新たな段階への苦悶の試行を試みている。一極帝国との連携によって、北部要塞国家に対抗する戦略はすでに時代遅れとなり、新たな併存の道を模索する困難な行程をたどりつつあるが、逆に反転して一極帝国への従属を再定義する志向が女子中学生轢死事件を契機に台頭しつつある。
 <日本>ライオンヘアーなる指導者が登場してから、この国は目眩ましにあっている。本質的にはネオリベラリズムと新保守主義の雑炊に過ぎないこの指導者の言辞が、単刀直入で単純明確であるがゆえに或る種のネオ・ファッシズム的な支持を集めてから、現実の社会経済状況は地獄への道を歩んでいる。おそらく民衆の生活をこれほど犠牲にして、一部企業の生き残りを進めた政治家はいないにもかかわらず、大勢順応の風土は翼賛的な振る舞いに対する恥じらいの観念すら衰弱させた。史上最高を数える指数は枚挙に暇がなく、企業倒産率・企業解雇率・失業率(若年失業率)・中高年自殺率・凶悪犯罪発生率・中高生中退率などなどすべての国勢状況は、過去最悪を記録している。最も深刻なのは、こうした体制危機に対する抗議と怒り、オルタナテイブ諸運動の反作用が低迷し、欧州とは正反対の諦念が蔓延し、事態に対する正当な反射神経すらが失われつつあることである。抑圧され蓄積したルサンチマンが、マグマのように沈殿し、何時の日か暴発するのではないか。それが理性に裏打ちされた進歩の方向か、はたまた直情径行の全体主義か、この国の大団円が忍び寄りつつある。
 <学園>
 学園では、惨めな権威と権力に対する屈従の態度が広がり、少数の異論派に対する阿諛が蔓延しつつある。異論派が多数派であった時代ではそれに従い、時代が変わると秘かに姿を変える天気を見て行動する日和見が増大している。数理分析を駆使する表層的研究があたかも学問の先端であるかの如く振る舞い、実践とは遠く隔たった実践科学が横行しつつある。こころの中では、学的良心の痛みを覚えつつも、正面から批判し得ない状況が相も変わらず続いている。研究の場に社会への不信が一定膨らみつつあり、いまやともに真理の女神を共有する白熱したデイスカッションは哀しいかな姿を消した。正義感に満ちた、純粋であるが故の過ちは許されるが、その段階を越えた卑劣な攻撃は、取り返しのつかない罰を受けるしかない。自由闊達なオープンマインドで伸び伸びと学びあえる学園を再生させなければならない。
 <希望>
 最後に2003年の希望について語らねばならない。希望はどこにあるか。かっては青年に希望を託する時代が確かにあった。現代の青年に無条件の希望を託し得るか。第3世界の飢えて死ぬこども、エイズで死んでいく幼子、迫害の故に自爆テロを決行する若者、迫害されるマイノリテイー、企業内で学園でいじめられる弱者などなど数多の不幸の状況にある人たちに対して、何らの条件なく手をさしのべる青年がいるか。少数しかいない。希望はどこにあるか。まさに迫害されるその人たち自身のなかにしかないのだ。すべての教養を奪われて、生き死にの極限を歩んでいる、現象的には頽落烙態としての人々の間にしかないのだ。すべの人の解放によってしか自らの解放を約束されない人々、だからこそあらゆるエゴイズムを脱却できる人−こうした人々こそ希望であり、地の塩である。こうした人々こそ、自ら地に落ちる一粒の麦になるのだ。
 <終わりに>
 こうして私の2002年は暮れていく。偉そうに言うお前は何をやったのかと聞かれれば、頭を垂れるしかない。私の残り時間も既に尽きようとしているかのような足音が忍び寄ってくる。悔い多きこの1年であったが、更なる跳躍台のスプリングボードの意味がなければ、逆算する人生の意味がない。(2002/12/30 20:18)