エッセイ・・・・徒然に綴りし21世紀のことども(2001年3月5日〜8月12日)
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[甲子園東洋大姫路主戦投手ベトナム難民に想う]
 高校野球全国選手権の兵庫代表東洋大姫路の主戦投手は、ベトナム難民の末裔であるという。戦争
を逃れて幼児期に10数人の難民船で出国し、フランス船に救助されて日本で難民指定を受け、以後兵
庫県で3K労働に携り高校生に成長した。母国の肉親とは最近音信が回復したそうだ。或る意味では日
本でのサクセスストーリーであるが、尊厳ある彼はそうは言わないだろう。あくまで野球選手としての評
価でのみ自己評価を期待するだろう。彼の先発登板した本日の中継を見て、スピードはさほどではない
がストレートで真っ向勝負する清々しさを感じる投球であった。私は、東洋大姫路とその監督を誉めたい
。そこには何らの意識なく、彼を1人の野球青年としてのみ評価し、チームメートも何らの他意なく野球能
力でのみ彼を評価しているという感じが伝わってくるからだ。
 なぜか?これは兵庫県が人権教育の面で全国的にも先進的な実践を積み重ねてきたことにあること
は間違いない。恐らく彼が愛知県であれば、このような評価はなかったに違いないと私は断言できる。
おそらくこのようにして日本の「単一国家」イメージは若者のなかから時代とともに払拭されていくのだろ
う。(2001/8/12 19:09)

[地域の再生とは何か]
 昨日は野原敏雄先生(前中京大経済学部教授)の自宅で緑区平民懇主催の有松・鳴海絞りシンポの
打ち合わせがあった。野原先生は、岸本先生(中村高校退職)と大学院時代の同窓で岡山の実家も訪
問されたそうで懐かしく歓談した。深屋さん(事務局担当)と税田さん(建築士、郷土史家)の4人での打
ち合わせとなった。税田さんは博学多識で根っからの郷土史家という感じであり、資料探索を「掘る」と表
現されるのはいかにもプロという表現であった。地域の伝統文化を現代に蘇らせる情熱が3人からほと
ばしり、私も本気で準備が必要だと覚悟する次第であった。千種区にもこのようなコーデイネイターが必
要だ。帰宅したら、地場産業論の1校が来ていた。明日から本格的な作業に入る。(2001/8/10)

[戦後処理は営々と進んでいるか?]
 本日8月9日は、21世紀初頭においてもなお私たちの残された課題を痛切に訴える3つのニュースを
目にした。1つは長崎平和記念式典の池田早苗さん(68)の「平和への誓い」、2つは井上ひさしの靖国
問題のエッセイ、そして第3は名古屋市東邦高校生徒の戦時中朝鮮人生徒の遺骨返還行脚である。池
田早苗さんの訴えは、数ある式典挨拶のなかでも白眉を画する迫真性と問いかけを秘めた無名の犠牲
の声を集約している。最後の肉親である被爆した姉が「日本の国は戦争に勝っているね、ウンと返事し
ますと、いきなり立ちあがって両手を上に挙げ、天皇陛下万歳といって倒れて死にました」と詠みあげた
ときに、ほとんど私は憤怒に近い激情が込み上げてきた。小泉首相は泣いて喜ぶだろうが、私にはここ
まで日本国民の誠実なこころをマインドコントロールして、痛ましい死を強いた元凶に刃があれば刺し貫
きたい怒りを覚えた。もはや小泉首相の個人名も呼びたくない。このように被爆体験を昇華し得たメッセ
ージを私は知らない。彼女は加害責任については一言も云っていない。しかし、被爆で自分の目の前で
5人の兄弟の死を看取った彼女はすでにして充分な地獄の業火をあびている。
 このような池田さんの体験を、特攻隊員の魂の問題として論じたのが井上氏のエッセイであり、未だ故
郷に帰り得ぬ遺骨を手渡すため望み無き行脚を続ける高校生のなかにこそ継承しようとする、現在と未
来の希望を信じることができる希有の時間を今日は持つことができた。(2001/8/9 20:19)

[扶桑社教科書の採択について]
 「新しい」と称する教科書の採択が東京都と愛媛県の障害児学校で決まったそうだ。障害者学校の教
科書採択権は都道府県教委の直轄であるそうだから、制度上は何らの問題もない。しかし私は何か哀
しくなってくると同時に憤りを覚える。第1に教委の認識水準のアナクロニズムが権力によって土足で現
場に入っていく構造であり、第2にリアルな判断のデバイドを負荷された障害児がその標的となったこと
である。つくる会の人々は、多様な教科書のなかから自己判断による歴史観の育成と云ってきたが、な
んと残酷な教育現場への侵入を実現したのであろうか? 最も避けなければならない障害者教育の場
に最も論争的な政治的教科書を強力的に強制するという非教育的な破廉恥な方法を用いたのである。 
 障害者はいつの時代でもこのように自己の人格の自由を保護されず、権力関係の犠牲となってきたの
である。恥ずかしくないのか!決定した人々よ!あなた方は最もインテリジェンスとヒューマニテイーを欠
落させた方々だ!!(2001/8/8 19:55)

[bitについて]
 あるクイズから・・・・玉が12個あって、その何れの外観も全く同一であるが、そのうち1個だけは重さ
が他と異なり、より重いのか軽いのかは分からないとする。このような12個の玉を天秤を3回用いて、ど
の玉の重さが他と異なっているか、またそれは軽重何れであるかを答えよ。(大阪大學伊藤清発案)
 玉の個数が4×3n個の場合は、天秤の使用がn+2回で解け、n+1回では解けない。玉の個数が4
×3n個の場合の必要情報量は、3+n×log23であるが、一方天秤をn+1回使用して得られる最大情
報量は(n+1)×log23であり、両者の差は、必要な情報量−天秤n+1回の情報量=(3+nlog23)b
−((n+1)×log23)b=(3−log23)b>0 つまり必要情報量>天秤n+1回の情報量となり必要な情
報量を持たさない。以上の解についての疑問は本HP「掲示板」までどうぞ。
 さてbitについて。私たちは指で数えるときに、指を折るか指を出して数えるか? 指を折るのは日本人
、小指から指を出すのが英米人、親指から指を出すのがフランス人。最も面白いのがフランシ人の数え
方である。親指→親指・人差し指→親指・人差し指・中指→親指・人差し指・中指・薬指→親指・人差し指
・中指・薬指・小指→親指を折る→親指・人差し指を折る→親指・人差し指・中指を折る→親指・人差し指
・中指・薬指を折る→親指・人差し指・中指・薬指・小指を折る・・・・・・では片手で31まで数える方法は?
ここにbitの契機がある。疑問はHP「掲示板」までどうぞ。(2001/8/5 9:53)

[マキャベリー的知能仮説から電子共同体の可能性を考える]
 霊長類の大脳新皮質が際だって大きいのは、運命をともにする共同体の中で他者の行動を予測し、適
切な行動をとることによって食糧と異性獲得を実現してきた複雑な社会関係が知性を磨き上げた結果に
ある−というのが動物行動学者で1980年代から考察された「マキャベリ的知能仮説」だ。大脳の全容
量に占める新皮質の比率は4:1であり、これとパラレルである群の規模は約150名である。つまり現世
人類の最適共同体規模は150名である。これは、狩猟採集民族の儀礼を行う単位であるクランや初期
農耕民の村の規模、英国国教会の信徒団体数、近代軍隊の基礎的行動単位としての「中隊」、近代学
校の理想とされる学年人数が何れも150人であることによって実証される。つまり、人類が或る集団で
自分の意味を認め、他者の存在を自覚しうる相互承認関係が成立しうる最適規模である。これは、ルネ
・ジラールの「欲望の三角形理論」(欲望の主体−客体(対象)−第3者(ライバル))が成立する規模だと
もいえる。
 ところが、生産力が上昇して農業社会→工業社会へと発展すると、人間は大集団を統合する擬似的共
同体(神の共同体→国家共同体)をつくって、本来の新皮質系共同体の限界を突破して、共同体への献
身と生き甲斐を創りだし、「民族のココロ」「愛国心」「労働者の団結」「日本型企業社会」はその典型でも
あった。
 従ってここで確認しておくべきことは、「近代社会は、独立した個人が自己の利益を得るために契約を
結ぶ社会である」という近代モデルと、「消費者が自己の効用を最大化するために自由な市場行動を展
開し、結果的な最適な調整がおこなわれる」という新自由主義モデルが虚妄であるという点だ。なぜなら
人間の大脳新皮質系にとって自らの生き甲斐は150名程度の共同体にあるからだ。
 さてでは新たに登場しつつある電脳共同体は人類が未だかって経験したことのない新たな共同体を創
出しうるのであろうか? たとえばHP上の掲示板や携帯の出会い系サイトは、本来の共同体の萌芽で
あるのか? 現段階では否!匿名のコミュニケーションに自分のいのちを含むすべてを交換できないの
は当たり前である。西垣通は、オンラインコミュニケーションのなかから家族でも企業でもない第3の社会
が芽生え、相互互酬的なボランテイア経済の登場に未来を見ているが、それも大脳新皮質=150人説
に立脚しているからである。
 私は第3の仮説を提出する。それは、独立した近代的個人の自由意志=世界大の共同体=手触りの
ある近隣共同体が、垂直的にではなく水平型のネットワークとして連結されているシステムである。なぜ
なら世界大での共同体を自らの生き甲斐とせざるをえない惑星的な条件が成熟しているからである。た
とえば、地球環境危機、エネルギー、人口爆発、核危機などはいやおうなく人類共同体の問題を提起し
ている。Think Globaly Act Localiyという環境運動の標語は、オンラインによって加速し、オンライン共同
体の可能性を告げている。電子情報世界で展開しているLINAXのオープンソース運動、地域共同体の互
酬運動としての地域通貨、加藤敏晴氏のエコマネー運動、ボストンの大学生がつくったナップスターなど
がその実例である。参照:西垣通『IT革命』(岩波新書)。(2001/8/3 10:14)

[加藤典洋の靖国論の陥穽について]
 朝日新聞夕刊8月1日に掲載された加藤典洋氏の「首相の靖国参拝問題」は、従来型の戦争責任論
にはないある種の「新しさ」があるかにみえる。彼の論理は、[馬鹿馬鹿しい死を身を以て示した死者→
戦後を米国と友好的に生きている者はすべて裏切り者→死者と生者は断絶している→死者を「戦争犠
牲者」とする革新派も「英霊」とする保守派も、生者の勝手な意味づけに過ぎない→戦時抵抗を基準とし
た戦前の断罪は正当ではない→閉ざされた社会では誰もが誤る→謙虚な反省が必要]というものである

 第1に彼の議論は、究極的に負けたからこうなったので勝っていれば裏切りは生まれない・・・という論
に接近する危険がある。戦争の侵略としての客観的な本質よりも、心情的な側面に傾斜するからこうい
う議論になる。第2に、あの状況ではみんな誤るので誤った人を責めることはできない・・・という実質的な
大勢順応主義がある。閉ざされた状況で抵抗を探る方法を考察したり、そこから学ぶ意義を捨てること
になる。第3に、戦後抵抗というリアルな現在の課題に立ち向かうという姿勢がない。戦場には行かない
があらゆる死の商人の仕事で高度成長を遂げた戦後日本の亀裂が彼の目には入らない。カール・ヤス
パースも同様に戦争の罪責を心情的・内面的に考察したが、ヤスパースの論理の基盤には冷徹な客観
責任倫理があった。加藤とヤスパースの差異は、そのまま日独の戦争罪責の姿勢の違いとなってあら
われてくる。加藤の論理は、緻密に練り上げた一億総懺悔論の現代版に過ぎない。同じ紙面で山田風
太郎を悼んだ関川夏央の「戦死者はデパートの地下食品売場を見て、安心と恨みをともに懐いている」
という心情風景に共感するだろう。彼等には、飢えて死んでいく第3世界の子どもたちの姿はないのだ。
 従って加藤の言う「戦死者を裏切ってきた戦後」は、戦死者を再び同じ間違いに追いやろうとしてきたと
いう意味に置き換えられなければならない。(2001/7/31 19:53)

[第19回参議院選挙・・・小泉改革路線圧勝?]
 参院選は予想通り小泉改革路線圧勝に終わり、21世紀日本のシステムが立ち上がるかに見える。失
業をはじめて国民に勧める革命的なメッセージが支持を得た。M・ウエーバーのいうカリスマ的支配(危
機の時代でみんなが不安にあるとき、世の中を揺り動かすような大胆なメッセンジャーによる支配が登
場する)の亜種としての小泉氏の本質を鋭く見抜く知的な成熟が残念ながらなかった。危機の時代には
、潮流は左右両極への分岐として起こるはずが、今回は左翼が衰弱しポピュリズムの一人勝ちとなった
。政治・経済への国民的教養と判断力が奈辺にあるかをリアルに示し、かっての満州事変前夜の様相と
酷似している。今後考えられるシナリオは、@[大失業→不況の長期化→危機の悪循環→破綻]とA[靖
国・教科書論争・米国のジュニアパートナー化→東アジアからの孤立・西欧からの侮蔑]という対内的な
危機と対外的な危機の複合である。戦前期の近衛革新フィーバー後の最悪のシナリオが形を替えて再
度上演されるだろう。一度目は悲劇として、2度目は喜劇として・・・・。かくして国民的教養は、様々の負
の体験を味わいながら、確実にそのレベルを高める。地獄への途は善意でもって踏み固められている。
 私は歴史における偶然の問題と或る個性による領導の問題を考えざるをえない。そのような時代の流
れを狡猾かつ大胆に掴んだ「大勢」とそれに雪崩を打って追随する「順応」が特に日本では際だつ。歴史
がどのように大きくカーブを切るかの見本を私は実感した。
 さて大事なことは、国民的な心情を把握しうるカウンタープランの提起とその普及である。そのようなプ
ランのモデルとして西欧的な福祉国家システムの日常化が考えられるが、そこにイキイキとした個の精
彩が同時に刻み込まれていることが必要だ。(2001/7/30 10:28)

[2年ぶりの北アルプス・・・快晴の3日間]
 7月24日から27日までワンダーフォーゲル部の夏合宿立山でテント生活。1日目は雷鳥沢で野営準
備、2日目雄山登山、3日目奥大日岳、4日目称名滝散策といつになく優雅でアットホームな山行きであ
った。3日間とも快晴で3000m級の山並みが空を突き、都会のヒートアイランドを忘れ去るオープンマイ
ンドを満喫した。下界の世俗的な雑事から開放される瞬間を久しぶりに味わった。ヤマは人のホンモノの
交流をもたらし、いやおうなく個性を丸裸にする。自らの汚い部分も丸裸にし、私は常に恥じらうべき自分
を発見する。しかし青年達のなんと健康な、他者を思いやる振る舞いをなんの演技もなくやっているのを
みると、日本もまだまだ大丈夫だという安心感が生まれてくる。ヤマへ行くと何でアンナニ他者に対して
優しくなれるのだろう。地位も名誉もカネも一切意味を無くし、自分の身体だけで生きていく時に、頂上と
いう共通した目標があり、ともに辛い登りの果てに到達した成就感を共有できる関係のなかで生まれてく
る共感だ。すでにヤマではめざすべき社会システムの一つのありかたが実現されている。それは相互扶
助の水平的ネットワーク社会だ。下界の社会がかろうじて支えられているのは、ヤマを体験した人々によ
っている部分が確実にある。(2001/2/28 11:27)

[ジェノバ・サミット 20万の反グローバリズムデモを考える]
 7月20日のジェノバ・サミットに対する反グローバリズム反対デモで1名の死者と1名の重体者が出た
。「2つの脅威がG8を襲っている。反グローバリズムの暴力と米国のユニテラリズムだ」(伊コリオレデラ
セラ)。ブッシュ大統領の出身州であるテキサスは、フランスやイギリス一国のCO2排出量より多い。ブッ
シュはテキサス石油業界の利益を地球環境より優先させている。サミットは、一部少数大国による地球
秩序の形成であり、決定への異議申し立ての民主的な制度すらないなかで、米国のユニテラリズムに攪
乱されている。サミット終了後の記者会見で筑紫哲也が鋭く質問していたように、多様な共生のありかた
としてグローバリズムを再編しなければならない。私は、デモのメイン・スローガンである反グローバリズ
ムを聞いて一瞬虚をつかれた。少なくとも私は、グローバリゼーションを21世紀の所与の流れと位置づ
け、その論理的な特徴を解明することに全力を挙げてきた。グローバル・ネットワークの形成は、IT革命
による必然的な現象だとも思い、特に東アジアへのグローバルな生産展開に直面して、セーフガードは
保守的な一国経済論だとみなしてきた面があり、新自由主義派の声高の主張に対し、せめて敗者への
セーフテイーネット論を展開してきたに過ぎなかった。このような条件闘争論に対する正面からの問題提
起として、今回の実力行動の意味は大きい。この背景には、分厚い国民経済の保護と、福祉国家戦略を
構築してきた西欧社会の社会民主主義システムの蓄積がある。私は、グローバリゼーションと国民経済
、G7と国際連合の復権、西欧における直接民主主義、保護主義と自由貿易などなど根本から再検討す
る課題を背負い込んだ。とくに着々と進むEU統合の流れは、一面では新自由主義による欧州統合であ
るとともに、他面では社会的連帯の欧州全域化でもある。ここから米国ユニテラリズムに対する反発の
姿勢が出てくる。東アジアでEUの進歩的な面を反映した日本・中国・韓国などを中心とした「東アジア共
同体」構想が遠からず日程に上ってくるのは歴史的必然であろう。まことに21世紀は波乱と激動の世紀
である。(2001/7/21 20:12)

[谷川俊太郎「さようなら」から恢復の意志は・・・・・・?]

 
        さようなら      谷川俊太郎

     ぼくはもういかなかきゃなんない
     すぐいかなかきゃなんない
     どこへいくのかわからないけど
     さくらなみきのしたをとおって

     おおどおりをしんごうでわたって
     いつもながめているやまをめじるしに
     ひとりでいかなきゃなんない
     どうしてなのかしらないけれど
     おかあさんごめんなさい
     おとうさんにやさしくしてあげて
     ぼくすききらいいわずになんでもたべる

     ほんもいまよりたくさんよむとおもう
     よるになったらほしをみる
     ひるはいろんなひととはなしをする
     そしていちばんすきなものをみつめる
     みつけたらたいせつにしてしぬまでいきる
     だからとおくにいてもさびしくないよ
     ぼくはもういかなきゃなんない
                              (『はだか』筑摩書房 1988年)   

 少年はこのようにして家族や故郷を離脱して自らの途を求めて旅立つのだろうか。そこには空気のよう
に自分を育んでくれた山河や家、幼き友そして無条件の愛情があった。にもかかわらず彼は一歩歩み出
る。未知の世界への憧憬とおののきに胸躍らせながら、振り返ることの痛みを覚えながら、視線は前方
を向いている。与えられた充足の日々からイヨイヨ創っていかなければならない不安と望みの日々へと転
回していく決意の瞬間である。
 わたしもこのような少年として故郷を捨ててきた。私が家を出るとき、小さな道を曲がり姿が消えるまで
見送ってくれた祖母が、最後に深々と一礼した時に私の胸はざわめいてココロが締め付けられるような
喪失と「行かねばならない」という誇りのような感覚が湧き起こった。齢50を過ぎて私の故郷は廃家とな
り、夏の帰郷の度に暗然とした取り返しのつかない喪失の気持ちに打たれる。妻と息子はこのような私
の気持ちを知ってか知らずかよく清掃の仕事を手伝ってくれる。今は亡き父母や祖父母とのイキイキとし
た黄金の生活に替えて、新たな家族との生活を営みながら、私は2度と帰らぬ少年期がホントウニ去っ
てしまったという打ち消すことが出来ない事実の前に佇む。
 私はもういちどかっての離脱の決意と前方への視線を味わいたい。それは大人になった全く異なるス
テージと経験を踏まえた熟慮の果てにであるが、本質は少年期の初々しさと同じものでありたい。私の
残された生の目標は既に定まっているかにみえる。下賤な世俗の末梢に汚れつつも、私には学しかない
。誰も為しえなかった真理と真実の結晶を残して、それをこの世に置いてそれのみを置いて、姿を消して
いく。そのための残り時間はあり余っており、贅沢をせず集中して使うならば何ほどかのことはできる充
分な時間がある。(2001/7/21 11:50)

[21世紀最初の夏に捧ぐ]
 21世紀最初の夏が猛暑のうちに来た。京都議定書は米国によって葬られ、温暖化防止は100年遅
れ22世紀に持ち越されようとしている。2050年時点で5.7度上昇という予測のなかで、我が生涯も確
実に終焉を迎える。初日にあたって幾つかの備忘録をしたためる。この40日間が画期となる強いココロ
もて我が胸に刻むべく、以下箇条書きにする。
 @紀要掲載論文「出版電子情報化と再販制」を8月初旬10日までに完成、参考文献目録
 A『転換期の地場産業』初稿の校正入り次第3日間で終了
 B東京神田古本渉猟と研究会参加、京都古本渉猟とデジタルアーカイブ聴取調査
 CAmazonnその他電子出版・販売関係聴取調査
 D自宅書棚整理と再編成
 E早朝ジョギング(1回/日)と厚生年金アスレ(または千種スポセン水泳)、自転車、腰痛治療(具志堅)
 F映画、美術館、博物館
 G故郷清掃、墓参り
 H新教育課程試案編成(教育センター)
 I早朝ジョギング→研究室→厚生年金→自宅(インターネット・論文)
 J家族会食・旅行

[米国議会の強制労働補償議案]
 米国下院に日本企業が米軍捕虜を使った強制労働に対する補償法案が提出されている。米国内では
歴史教科諸問題をめぐり「過去と直面しない日本」のイメージが広がり、既に100名以上の賛成議員が
出ている。田中真紀子はなんとかしてくれとパウエル国務長官に頼んだらしいが、ここに日本政府の恥
ずべき限界が露呈されている。すでに米国政府は、太平洋戦争中の日系人強制収容に対する個人補償
を行うという、さすがの米国流ヒューマニズムを示してきた。田中真紀子はカネを出すことを渋るという恥
ずべき破廉恥な外交をやっているのだ。
 皆さんは私が何を言うか既にお分かりのことと思う。潔く罪を認めて責罪せよこれ以上恥をさらすな!
さもなければ日本の未来世代がいつまでも軽蔑の対象として生きていくことになるのだ。(2001/7/19
20:23)

[米国はここまで日本を侮蔑しているのか]

 ベーカー駐日米国大使は、「日本が米国のミサイル防衛構想に参加することで、日本は遠くない将来に
憲法を改正するかどうかの決断を迫られると述べた。日本国民に指図するつもりはないが、現実の世界
環境は、憲法9条の解釈変更か再定義を日本国民に勧めることになる」と語った。(朝日新聞7/18夕刊)
 このニュースは私に衝撃を与えた。我が祖国日本は、国家の基本問題に関して他国から指示や助言を
受けて行動する国家に成り下がってしまったのだ。悔しいのはベーカーの指摘するとおりの破廉恥な米
国追随をやってきた日本政府とそれを選挙で選んでいる日本国民の水準だ。しかし遠からず日本国憲
法改正の国民投票が行われる。ところが主役たる日本国民は、メデイアに踊らされ、不況の不安を抱え
ながらケータイや化粧に狂い、幼児虐待を行っているばかりか、アイドル的な首相の尻を追っかけて騒い
でいる。このようにして誰もが影におびえつつ、方向が見えないままとりあえずの強力な指導者のパフォ
ーマンスにすがりつつ、1方向へ突っ走って行くかに見える。精神分析学の示すとおり、或る瞬間に影は
一斉に反逆し、真実の姿を白日の下に晒すその時はもう遅いのだ。そのようなカタストロフィーが音もなく
迫りつつあるような気がしてならない。私たちは日常性の虚構から一歩身を引いて、冷静に観察すること
が今求められているのではないか。(2001/7/18 21:53)

[大村はま95歳・・・・或る国語教師の業績 頭を垂れよ]
 戦前・戦後話し言葉を重視し、教科書を使わない授業を展開したのは、戦争に負けたことが大きな転機
だった。戦争に負けたことが大きかった。民主国家で大切な基盤は、一人ひとりが意見を持って話し合い
が出来ること。そのためには話し言葉が大切になってくる。国語の力は「読み・書き」だけじゃなく、人と会
って話をし、自分の考えをまとめる力もある。戦時中東京の女学校で、草むしりを生徒にさせ、千人の生
徒が一斉に針を動かす千人針もやった。負けて分かった、それが間違いだったと。何とも言えない空しさ
,哀しさを感じた。話し合いがあればあんな惨劇にならずに済んだ。民主国家は人の言うままでは駄目。
考えなきゃあ。小泉さんを見ると初めての話し言葉になった政治家だと思う。怖さや不安もあるわ。でも
、本気で話をして、相手に伝える。(朝日新聞7月17日夕刊より一部改作)。
 私は大村さんの敗戦体験に裏打ちされた国語の力の痛切な迫真力を実感するとともに、彼女の国語
教育に対する献身的な姿勢の迫力を認める。そして本当の基礎学力の在り方について静かな確信を懐
く。私は初めて小泉首相の魅力がどこにあるかを教えられた。ただし最後に一言申し上げれば、迫真的
な話し言葉で何を言うか?その内容が問題であって、そこにこそ大村さんの限界があると。しかし、私は
彼女にそれだけのことを言う実践的基盤を持っているかと問われると赤面の極みである。(2001/7/17
20:17 )

[チェット・アトキンス ギタリスト6月30日死去(ガン)77歳]
 1924年にテネシー州ナッシュビル近郊の農場で生まれ、祖父はフィドル(バイオリン)の名手、父はピ
アノ教師で家が余りに貧しく29年大恐慌も気づかなかった。喘息の発病で小学校は休み、9歳で継父の
ギターと銃を交換しベットで弾いた。17歳でプロデビューし、弦楽やコーラスを加え、カントリー音楽を洗
練されたポップスに変えた。何故そんなに長く音楽を続けられるのかという問に、「音楽で自分を満足に
表現できたことが、一度もなかったから・・・・自分が欲しかった音を手に入れたことはないし、欲しかった
和音を弾いたことがない。全精力で私は『平凡さ』と闘ってきたんだ。すぐに自分を捕らえにくる凡庸さ、と
。・・・・私は上品だった。人に親切だった。音をはずさないギタリストだった」と答えている。
 彼と私は生きる世界が全く違うが、齢77歳でこのような言葉を吐ける彼に対して敬意を表する。人間
は、歳を経るに従い自己充足して謙虚さを失い、あくなき探求心を劣化させる。彼こそ永遠の青春者の
一人である。下線部筆者。(2001/7/16 20:14)

[決断・・・・やっぱり大江健三郎は一目置くべきだ]
 『ハックスベリー・フィンの冒険』で、ジムという逃亡奴隷の少年と一緒にミッシッピー川を下り、ある町に
着いた時に、ハックスベリーはジムはここにいると奴隷所有者のおばさんに手紙を出さなければならない
が、ハックスベリーはそれを止める。財産を盗んだら地獄に行くが、奴隷は財産だから、逃亡奴隷を逃が
すことは犯罪なんだ。ハックスベリーは、苦しみながら考え抜いて「よし、僕は地獄へいこう」と決断し、ジ
ムを密告しないで一緒に生きる道を選ぶ。障害者大江光が生まれたときに、家族の中心に光を置き「よ
し、僕は地獄へいこう」という選択をおこなった。大江がスゴイのは、障害児との生活を自らの文学の中
心に据えるという決断であり、「自分が沈むかもしれない最も危険な選択だった」ということにある。
 私は、決断の問題を考え込む。私は、目先の利益に目が眩み、良心を脅かす数々の尊厳を傷つける
決断をおこなってきた。そのような決断は、結局の処何の利益ももたらさなかった。心の片隅に棘が刺さ
ったような痛みを覚えつつも、なにか曖昧な甘えの世界を通過してきた。つまりそれはホンモノの「決断」
ではなかったのだ。ラ・ボエーム〜かくして時は流れてきた。しかし私は悔いはしない。最後の「決断」の
瞬間に何を選ぶかの自由は、まだ私の手の内にあるからだ。(2001/7/16 19:36)

[ジョン・ガリアーノは21世紀を担う異端の巨星か?]
 ジョン・ガリアーノは、1960年にジブラルタル人の父とスペイン人の母の間に生まれ、6歳までをジブラ
ルタルで過ごしてから、家族と英国に移住し、セントマーチンズ美術大学でファッション史を学ぶなかで、
創作活動を展開し、在学中からメキメキ頭角を現し、伝統的な意匠を特有の感覚でモダンにアレンジする
才覚は抜群で、すぐ有名専門店に買い取られ、84年に独立後前衛派の旗手として国際的に有名になっ
た。1995年に35歳の若さでジバンシイの後継者に起用され、翌年にはクリスチャン・デイオールのデ
ザイナーに抜躍された。ウエスタン・ブーツにコーラ片手のストリート系前衛派としての作風と、パリのエレ
ガンスがどのように両立するか冷笑を持って迎えられた。パリオートクチュールにロック・シックとパンクシ
ックの感性を持ち込み、21世紀デイオールに若さと華やぎとエネルギーが持ち込まれた。1着200万円
から300万円する彼のファッションを一体誰が注文するのだろうか?
 しかし私はここにファッション産業のあくなき前衛強迫意識を覚える。ファッションは、時代の先端では勝
負できないのだ。先端の一歩手前を行くメッセージ性が要求される修羅場のような世界だ。青年ガリアー
ノがコム・デ・ギャルソンで固めていたと同じく、時代の一歩手前を先取りする研ぎ澄まされた感性が求
められる。
 このような感性は日本では育たない。若きデザイナー志望の諸君がパリやミラノをめざすのはやむを得
ないが、せめて東京ぐらいは世界的なファッション発信基地になってほしい。その可能性は、アジア的感
性と西欧を融合した独自のポリシーしかない。勉強や学問においても同じことだ。(2001/7/15 20:16)
 
[大江健三郎『取り替え子 チェンジリング』からいのちの問題を考える]

 大病した子どもが「お医者さんがどうすることもできないといった。僕は死ぬのか」と聞くと、母親は「あ
なたが死んでも、私がまたあなたを生んであげるから大丈夫」と答えた。この意味は、子どもは分かるが
、大人がむしろ分からない。いま世界中で大人になれずに死んでいく子どもが驚くべき数に昇っている。
その死んでいった子どもの替わりに生きているという自覚が今の日本の子どもには必要だ。・・・大江健
三郎。
 このような生命観の連鎖は、危うくすれば押しつけにつながる。しかし私たちは、自らの親しい肉親の
死を目の前にしたときに、自らの生の実相を真摯に見つめ新たな生の在り方について考えをめぐらすこ
とがある。それが自分より幼い生であればあるほど、こうした思考は深まると思われる。大事なことは、
仏教的な輪廻と諦観にいかないで、幼き生が理不尽な死(飢餓、戦争、虐待など)を強制されている実態
を見抜いて自らの生がそのような扱いを受ける可能性があることを、真摯に発見し、理不尽な死を生み
出す原因をなくす無数のとりくみの一端に自分を位置づけることではないか。(2001/7/15 12:31)

[日本政府はカノッサに行かねばならない]
 1077年1月に神聖ローマ皇帝ヘンリー4世は、ローマ教皇グレゴリー7世に破門を解除してもらうため
、カノッサ城を訪問し城外に佇み許しを乞うた(カノッサの屈辱)。以来「カノッサへ行く」というのは紛争の
当事者が謝罪することを意味する。1千年後、カノッサに行った人々は、ドイツ(ジェノサイドによるイスラ
エルへの賠償、ナチス奴隷労働に対する補償)→スイス・オウストリアの政府や企業の補償→アメリカ政
府の日系人強制収容への賠償と続いたが、日本政府のみがカノッサを拒否し、戦争犯罪の責任から逃
れようとしているばかりか、正当化する教科書を発行している。このような歴史上の罪責は、ジョン・ポー
ル2世教皇によるユダヤ教徒やガリレオ弾圧への謝罪やギリシャ正教、イスラム教への弾圧への謝罪に
及び、真実委員会方式による賠償が行われている。日本のかすかな希望は、ハンセン病患者への謝罪
が同様な罪責への補償として行われようとしていることである。賠償にかかる費用は、罪を犯した人々の
子孫が支払う。
 このような世界史における真実の恢復の流れに逆らって、唯一人日本政府のみがカノッサに行くことを
拒否し続けている。中国、朝鮮への植民地支配や強制連行、従軍慰安婦などの過去の清算はぐずぐず
した謝罪の言葉に終わっている。謝罪や賠償、高潔な調和の言葉にもまして大事なことは、このような罪
責を生むシステム自体をこの世から無くしてしまうことだと、イマニエル・ウオーラーシュテインは述べるが
(「真実、謝罪、そして賠償」ビンガムトン大学フェルナン・ブローデル・センターコメントNo.66)、その初
歩である謝罪と賠償すらおこなっていないのが我が日本である。日本政府は直ちにカノッサへおもぶくべ
きである。(2001/7/15 19:32)

[精神障害者と犯罪]
 日本の精神障害者の犯罪は、マクノートンルールによって措置される(1843年にマクノートンが首相
への偏執的妄想による殺意から間違って秘書を殺害し、精神障害者は制裁に適さない)。つまり、精神
障害が立証されれば、心身耗弱として減刑されるか、心神喪失として病院治療が優先される。この原則
に対し、被害者親族を中心とした制裁要求が強く出されている。特に大阪池田小学校事件以来大きな問
題として登場している。本日はこれについて考える。
 世界の精神障害者犯罪に対する処遇は、3つのモデルがある。
  @赦免モデル(精神障害者犯罪は赦免し、危険であれば精神病院に収容する):米国・日本
  A混合モデル(精神障害者犯罪は有罪を宣告し、監獄ではなく精神医学的治療に服す):スエーデン
  B完全責任主義モデル(精神障害者犯罪も刑に服するが、希望すれば精神医療を受ける):なし
 このようなモデルを判別する基準は、近代刑法理論(ベッカリーア)による、刑罰は行為者を罰する報復
主義ではなく、行為自体を罰するという原理の再確認にある。つまり「罪を憎んで人を憎まず」であり、人
格と行為を分離して、その犯罪責任を追及するという原理である。この考えでは、モデルBが正しいとい
うことになり、犯罪予防を優先する保安処分ではなく犯罪制裁を中心に位置づけることになる。精神障害
者自身の責任能力が健常者と全く平等に扱われるが、健常者と狂気の境界線がなくなってしまう。
 より厳しい刑事制裁を求める背景には、家族や地域、職場といった中間集団の社会的規制機能が衰
弱し、相対的に刑事司法への期待が浮上してきたからである。いずれにしろ、犯罪責任における能力主
義の問題、精神障害の客観的認定基準(宮崎勤鑑定は3つに分かれた)、人格における正常と異常、犯
罪制裁に対する時代や文化、人間発達障害の問題などなど多領域の諸問題が凝縮している。19世紀
は加害者から被害者への賠償が重点であり、20世紀は加害者の治療が重点となり、最近は被害者援
助に傾きつつある。結論的に私は現段階で結論を出せない。参照:ガラポンパリ高等司法研所長談話
(2001/7/15 12:52)

[PL学園の暴力部活と日本型スポーツ]
 PL学園野球部元部員A君は、週2,3回の暴力を受けた。こぶしで頭部や腹部を殴られ、時にはバット
やパイプ椅子で強打された。ある日上級生のアンダーシャツが紛失し、付け人であるという理由で、何度
も胸部を殴られ、頭部の一部をバリマで刈られたが、痛みを理由にすれば又殴られるので、練習に参加
したが、このままだったら殺されるという恐怖におののいた。食事の時は、上級生の配膳をし、食べ終わ
ったら素早くお茶を出す。上級生が食べ終わるまで立って待っているという奴隷的な状態であった。これ
らの全てを監督は見ていたのである。全国から野球選手をスカウトし、勝利を義務づけられた軍隊的なト
レーニングは、一種独特のファナテイックな集団感情を醸成していたに違いない。
 このような過酷な集団主義の濃密な関係は、それ自体が快感を生み出し、抑圧の移譲と倒錯したサデ
イズムとマゾヒズムの極地をつくりだしている。ここには、知性を欠落させた野蛮な肉体至上主義の競争
原理の世界がある。これこそパーフェクト・リバテイーPLの笑うべき自己矛盾が露呈されている。
 しかし恐ろしいのは、学校側が高野連から出場停止処分を受けるまで、何らの対処もせず、教育の論
理を全く放棄していた点にある。いまもって責任者の処分は行われず、謹慎もしていない。日本型スポー
ツはこのような暴力の繰り返しの歴史であり、この悪しき伝統は絶たれない。この基本的な原因は、個の
解放が為されないまま、半封建的な集団主義文化を温存してきた構造それ自体にある。抑圧と甘えをメ
ダルの両面としてしか機能してこなかった日本社会の企業から学園に至るあらゆる領域ではびこってい
る。小泉首相へのファナテックな支持は、市民的な個の自立を遂げていない人々の、強力な指導者への
哀しいまでの甘えとしての期待なのだ。(2001/7/11 21:02) 

[或る学生K・S君との大論争・・・久々の爽やかさ]
 授業の冒頭で自由論題のプレゼンテーションをおこなう。本日は、「人口爆発」と題するものであり、現
在の人口爆発を許容すれば人類は滅亡するから、なんらかの権力的な抑制が必要だと言い、すでにい
じめや殺人、幼児虐待といった愛を失った形での、人口削減に向けた自己破壊活動が始まっている。究
極的には志願制による宇宙脱出という解決策しかないという、すこし荒唐無稽な部分もあるが、若者の
危機感を率直に披瀝した大胆且つ率直な問題提起であった。私自身への刺激的な批判もあり、白熱し
た大論争となり、久しぶりに教室の中が沸き立つ雰囲気となった。
 私が注目したいのは、終末への危機観の深さと、ある種の権力を行使した解決または脱出という逃避
試行である。この原因は、環境や人口問題の危機の強調に対する、展望ある解決法の提起が弱いとこ
ろにある。現在のブッシュ政権に見られる京都議定書やCTBT破棄にみられる市場強者中心主義が影を
落としているかもしれない。闇が深いほど朝は近い、夜の後には必ず朝がくるという弁証法的な思考が
今ほど求められているときはないと痛感した。地球や人間の負の側面を強調することにためらいがあっ
てはならないが、それ以上に人間的な豊かさの献身的な取り組みがおこなわれている現実の諸例を提
起して、虚妄やあきらめ、絶望するにはまだまだ早いよというメッセージが必要だ。少し気になったのは、
このような論争自体に嫌気がさす一部の学生もいることである。(2001/7/9 20:34)

[本居宣長と賀茂馬淵・・・日本的学問の系譜]
 1976年5月、34歳の本居宣長は伊勢詣りの帰路に松坂で宿をとった賀茂馬淵とはじめて会った。私
淑していた古典研究の先達であった。宣長が古事記注釈の計画をうち明けると、67歳の真淵は「私も
一時は考えたことですが、もう歳です。やるなら万葉集などで古代の言葉を研究した上で取り組みなさい
」と答えた。当時の漢字ばかりの原典をどう読むか、全く分からない。古代日本語の発音はどうだったか
、それが外来漢字を使ってどう記されたか、宣長は丹念に調べ上げる。古事記外伝全44巻は69歳で完
成するが、最初の数年は基礎研究で第1巻の完成は42歳であった。正史扱いされてきた日本書紀を厳
しく批判し、儒教という「からごころ」による「潤色」が多すぎ、言痛き異国のさかしら、きたなきこと、いた
づらごと、学問のさまたげ・・・・と悪罵を放つ。
 私は、ここに学問の徹底した実証に寄らずして論証し得ないこと、事実以外の検証にもとづかない職人
的な伝統の源流をみる。当世流行の欧米思想を追い求めている日本の文系学問の虚妄を覚える。そし
て、自らの一生を文字通り捧げる生き方そのものも感じるところがある。国粋思想とナショナリズムへの
架橋を果たした宣長の思想を肯定しはしないが、その学問のスタイルはみるべきものがある。しかしこれ
は、本居学について全くの門外漢である私の考えに過ぎない。誤り有ればご教授願いたい。
                                             (2001/7/9 20:58)
[永田町の変人は・・・・・萩野アンナは鋭い!]
 「永田町の変人は、世間では普通の人ですと自ら言っているが、決して普通の人ではない。カメラの前
で自然に語り、振る舞うことは普通の人では出来ないことです。ヒトラーがもし21世紀に再来するとした
ら、小泉さんのような自然さで訴えかけるのではないか。・・・・日本経済をよくするには、痛みが伴うと言う
が、どういう痛みなのか、手術なのか投薬なのか、手術なら局所麻酔なのか全身麻酔なのか、インフォー
ムドコンセントがない。直します、でも痛いですよ、何をするんですかと聞くと、とりあえず痛いですよ、と。
手術の副作用や合併症の危険など具体的提示しない。もしかすると、発生源だけ残して転移先だけとっ
てしまうことになると最悪だ」(萩野アンナ慶応大文学部助教授)。
 彼女の直感力と比喩力に敬服する。しかし、このような観察力にもかかわらず、日本国民の支持率は
80%を越えて、欧米マスコミから「日本人は政治的に成熟していない。・・・・すぐ大勢順応する」と揶揄、
軽蔑される。まことに「地獄への途は、善意で掃き清められている」のだ(2001/7/8 11:04)

[私は自らの無知を恥じる・・・・ハンセン病と『砂の器』]
 松本清張『砂の器』は、1960年に読売新聞に連載され、その時点では隔離の必要がないことが明ら
かになっていたにもかかわらず、松本清張は暗いイメージを固定的にとらえ悲劇に仕立て上げた。連載
時点で患者達は偏見が広まることを恐れたたが、組織の力が弱いため深い追求は為されなかった。映
画化に当たって患者組織は、「不治の遺伝病を軸にした原作のままでは困る」と映画化中止を申し入れ
、ラストに字幕を入れることで合意した。さらにフジTVが企画した際には、患者組織は字幕方式を拒否し
、結局父親を「精神異常を来した廃人」に病名変更し、原作を全く変えてしまった。
 私は学生時代にこの映画を観て、野村監督の圧倒的な描写力に圧倒され、患者達のこのような必死
の抗議があったことは夢にも思わなかった。こうして私は、真実の表層をなぞって感動してきたのである
。結局の処、松本清張と野村耕三郎は、自らの芸術的な迫真性をもってハンセン病の怖さを定着させ、
隔離政策を固定化させる国民的な心情を組織するという、自らの善意とは全く逆の結果を生んだのであ
る。
 さらに栗本薫の大河ヒロイックファンタジー『グイン・サーガ』の第1巻『豹頭の仮面』に登場するハンセ
ン病に冒されたヴァーノン伯爵の偏見的な描写に対する患者組織の抗議に対し、栗本薫は黒死病に変
えて改作してしまった。『ハリーポッターと秘密の部屋』では口唇・口蓋裂者への偏見に満ちた描写によ
って第66冊からの削除をおこなった。全国の図書館は今対象に右往左往している。差別と偏見と表現
の自由をめぐる論争はあるが、私は芸術的表現による事実誤認の犯罪性を心から訴える。『砂の器』を
観て原生的な感動の涙を流した私は、明らかに隔離政策の一端を握る犯罪者として存在してきたのであ
る。(2001/7/5 19:37)
 
[さまざまの人間のありかた・・・・・について]
 既成の伝統的な垂直性のなかで形成されてきた集団において、自らの理念が劣勢又は反垂直的であ
る場合に、自らの持つ信条と相反する振る舞いを演ぜざるを得ないシーンは、私たちが度々味わうところ
である。そのような振る舞いを幾つかのパターンに類型化すると、第1は、このようなパラダイムを越えた
運動を展開することによって自己充足し、反垂直性のパフォーマンスを演じていくタイプである。このタイ
プはその超越性に於いて、ある種の華やかさを演ずるが故に、経験が足りない一部の若手の共感を得
るが、集団自体を無視しているか全く内発性を欠いているが故に、集団成員との生活感情を共有できず
、敬して遠ざく対応に終わる。第2のタイプは、直線的に垂直性に抗い、彼我の状況抜きに進むタイプで
ある。このタイプは極左にも極右にも揺れるが、基本的には主観的な感性の発露に過ぎないが故に、じ
つは非常に脆く、自己の敗北を専ら他己責任において追求するから、最も転向しやすいタイプであり、転
向後は、自己擁護のために最も激しく過去の信条を攻撃する傾向がある。第3は、このような垂直性に
甘んじる現状追随型である。このタイプは、一切の軋轢や矛盾を避けて自己の安住を図ろうとするが、究
極の選択に迫られて時は、ほとんど垂直性の正極に立つ傾向がある。しかし、ある種の誠実さは持ち合
わせているが故に、垂直性と無関係の場に自己を置いてそこで自らの誠実性を最大限発揮しようとする
。その限りに於いてこのタイプの人間的な誠実性は発揮され、一定の共感を呼ぶがそれが長期のスパン
でいかに儚いものかという自己認識はない。第4は、垂直的な力関係の構造を経験的に認識し、この構
造のなかで、少数派たることを巧妙に避け、双方をマキャベリステックに操作しつつ、自らの安定的な座
を確保しようとするタイプである。このタイプは、+方向に働けば一定の前進的役割を果たすが、なにしろ
境界線上を歩むが故に、何時無自覚な内に悪魔とも手を結ぶ退廃の淵に転落する危険性を持っている
。第5は、無邪気なタイプである。さまざまの集団葛藤のなかで、無邪気さと誠実一路のパフォーマンスを
客観的に演じているホントウニ子どもっぽいタイプである。このタイプは残念ながら歴史的意味を持たな
い。歴史の舞台で脇役を演じながら自己充足して、この世を去っていくタイプである。第6は、垂直性自体
を聖化しそれに自己献身的に奉仕していく喜びを味わう、率直に言って知的レベルの低い層である。こ
のタイプは、成育過程において同じような垂直性のなかで経過してきたが故に、疑い自体を持てないタイ
プである。このタイプは理性ではなく肉体的な優位を自己肯定の基準とする傾向がある。
 このような類型化が完全であるとは夢にも思わない。恐らく多くの人は、幾種類かのパターンを重複し
て演じているだろうし、私もその例外ではない。私は第7の類型を設定したい。それは水平性を希求しつ
つ、それを政策レベルで具体化・実践する戦略と共感性を具現する知的且つ活性的なスタイルである。
なお私は、第8の類型としてあらゆる世俗の諸関係とは適度にアクセスしつつ、ひたすら自己の設定した
探求目標に独自の努力を傾注するタイプを設定したい。このタイプは現場の現実責任と離れるが故に、
反発を買う覚悟がいる。(2001/7/4 20:57 )

[市場原理主義の非人間的な破壊の悲惨:・・・・・富士通の現場から]
 勤続26年、44歳の女性社員が須坂工場の屋上から飛び降りた。「亡くなる1週間前からよく眠れなく
なり『あのパソコンがよく分からない、クリックするのが怖い』」・・・・追いつめられた自殺の背景には、配
置転換で職場は40人から14人に減り、仕事の引継時間もなく、毎日のようにトラブルが発生し、ノイロ
ーゼ状態に陥った。「自分がリストラの対象となるとは思わなかった」と知人に漏らした1時間後に自殺し
た中間管理職の女性もいた。富士通は「こころの悩みホームページ」を立ち上げたが、年間数千人のア
クセスがある。「現在川崎工場では、全ての建物の屋上が立入禁止となっている。自殺防止のためです
。以前はスポーツや合唱で楽しんだ場所です」 
 成果主義賃金を最初に導入し、リストラに邁進する富士通の悲惨な実態である。云うべき言葉もない。
なぜこのような命をすり減らすまで会社に献身し、あげくは屋上から身を投げる日本的企業の本質的な
分析が求められる。或る集団のなかで誠実であろうとすればするほど、自縛された価値観のなかに必死
で生きていく行動様式が形成される。私は、自殺した社員を単なる市場原理の犠牲者と描きたくない。彼
らは、ホンノ少しの契機でその誠実さをもっと豊かな人間的な働き方を選び取る可能性を持っていたの
だ。このように人間を野蛮な競争に組織していった富士通経営陣の究極の疎外に対しては、やはり最も
残酷な地獄が用意されているだろう。そしてそのような疎外に狂奔する企業社会をつくりだしたシステム
自体の転換が必ずくるだろう。(2001/7/2 20:58)

[欧州ナチ戦犯追求・・この余りの日本との差異の根元に私はどうすればいいのか]
 南ドイツのベルヒテスガーデンにあるヒトラー山荘は、第2次大戦中のナチス・ドイツ軍の最高司令部が
置かれたが、戦後完全に破壊されたあと、最近ではネオナチグループの、聖地としてヒトラーの誕生日に
巡礼する動きがある。これに対抗してこの場所にホテルとゴルフ場をつくる計画が進んでいる。英国では
、ヒトラー『我が闘争』の印税の一部を被害者救済に使う慈善団体が、ヒトラーの著作の商業出版に反対
する声明を出した。5月にオックスフォード大で企画された討論会に、極右とのつながりがある歴史家が
招待され、学生や教授の反対運動で中止となった。「反ナチは言論の自由よりも大事なことだ」と主催者
は述べた。このような歴史の罪責にたいする記憶の在り方に対する、我が日本の余りの軽薄な戦争責
任への態度(それは自虐史観というそうだ)の基礎にある文化の差異や、人間の尊厳に対するキッパリ
とした冷厳の差異を感じる。(2001/7/2 20:30)
 
[”人が皆 同じ方角に向いていく それを横より見ているこころ”(石川啄木) 小泉
首相に捧ぐ
]

 1940年(昭和15年)内務省通達で町内会、隣保会、市町村常会が全国に整備され、江戸期の5人
組に似た相互監視の草の根挙国一致システムが構築され、「とんとんとんからりんと隣組」の国民歌謡
に乗って、戦時体制に逆らう非国民の排除体制がつくられた。小泉が8月15日に靖国神社へ公式参拝
することに関して、日本宗教界は様々の論評を述べている。
 「靖国神社は国家のおこなう戦争を正当化する仕組みを持つ、極めて政治的意図を持って創設され
た・・・・参拝は信教の自由、政経分離の原則からも、神社創設の経緯からも違憲行為である」(真宗教
団連合6/5付要請文)
 「大切なのは戦没者自身の命をどのように考えるかと言うこと。戦没者を英霊と讃え感謝することによ
って、国家の戦争犯罪を正当化し、その責任を回避するために、戦没者を利用することであるとすれば、
戦没者を再び抹殺することにある」(真宗遺族会6/11付首相宛反対声明)
 「靖国神社は、天皇のために死んだ人を英霊として祀り、他の宗教とは別格の国家神道として存在し、
アジアや太平洋の国々への侵略戦争に天皇の軍隊を送り出す精神的基盤の役割を果たした。首相参
拝は、憲法の原則を踏みにじり戦争犠牲者に大きな痛みを与える」(日本キリスト教協議会6/1付首相
宛要請書)
 「靖国神社は成立以来、軍事的・政治的イデオロギーの濃厚な宗教施設。78年にA級戦犯を合祀した
ことで、本性が明らかとなった。首相が参拝し、慰霊することはアジア太平洋戦争を全面的に肯定、正当
化することになる」(日本聖公会5/2首相宛要望書)
 「首相参拝は、再びいつか来た道に戻るほどの意味を持つ重大な過ちといえる」(日本カトリック正義と
平和協議会6/28付首相宛反対声明)
 「首相発言は戦後靖国神社問題が、大きな政治問題、外交問題になってきたことに対する認識、理解
が全くうかがえない・・・・・A級戦犯が合祀されたことによって、靖国参拝は、戦争の犯罪性を否定するも
のとして、サンフランシスコ平和条約第11条違反を明白にするものとなった。中国、韓国が反発する法
的根拠はここにあることを首相は心得ているであろうか」(カトリック新聞6/10付)

 ここまでは仏教、キリスト教界による批判的な論評である。次に靖国神社側の論評を見る。
 「参拝を政争の具とされることには不快感を覚える。戦没者への敬意と感謝の気持ちを込めて参拝す
るという言葉は、我が国の首相として本音や建て前を越えた普遍の意志でなければならない」(神社新
報5/21付論説)
 「英霊に対し、国勢の最高責任者たる総理が参拝することに何のためらいがあるだろうか・・・・・一貫し
て参拝の姿勢を表明していることは誠に頼もしい限りである」(靖国神社社務所「請濤」)

 この両者の主張を比較する基準は、宗教的、政治的な争点に関し、自己の心情を抑制して出来るだけ
客観的な論理に基づいて冷静に論拠づけているかどうかにある。この点で明らかに靖国神社側は心情
論理で感情を吐露しているに過ぎない。この論争において明らかに参拝批判派が優位であるが、靖国の
論理はポピュリズムの基盤を持っており、この基盤にどう切り込むかが問われる。しかし、恐ろしいという
か、唾棄すべきは靖国神社側に戦争への自己批判が全く見られないと言う点であり、神道の21世紀的
な理論構築が皆無であると言うことである。伝統的な神道の新たな展開にとってこれは、致命的な欠陥
となるに違いない。(2001/7/1 21:00)

[辻井喬『風の生涯』(新潮社)について]
 辻井喬は堤清二西武百貨店社長の詩人としてのペンネームである。彼は、東大時代に戦後共産党東
大細胞のメンバーとして不破哲三などと非合法活動も経験し、宮本百合子の東大講演を依頼した人物で
あり、その後転向して堤コンツェルンの総帥として経営の最前線に立ちながら、詩人としても活躍してき
た。私は、学生時代に電車ストライキが華やかなりし頃、西武鉄道のみが労働組合が無く従って一切スト
ライキがなかったことを、彼の経歴と照らし合わせて一種複雑な感情を抱いたことを想い出す。彼の弟は
、東急財閥の総帥として長野オリンピックを演出したJOC会長である。
 辻井喬が最近出版した『風の生涯』上巻を読んで驚いた。一代にして大財閥を築き上げた彼の父親で
ある堤康次郎の生涯を描いているこの小説は、ほぼ実話に近いと思われる。彼の父親は、旧一高・東大
と進み、労働運動に身を投じて非合法共産党の中国駐在代表を務めて、戦前の共産党の最高幹部とし
て革命運動に邁進している。ここで上巻が終わり、下巻も是非読もうと思う。
 革命運動から転向して実業家に身を投じた人物は、水野成夫(サンケイ社長)や渡辺恒雄(読売社長)
にしろ、徹底した反共路線を歩むパターンが多いが、辻井喬は一味違い、今でも共産党系の講演会で講
師として出席したりしている。このあたりに彼の詩人としての魂や良心の残り滓を感じるが、西武の経営
がいまいちうまくいかないのも、こうした彼の姿勢にあるかもしれない。しかし私は彼に幾ばくかの人間
的な共感を覚えるのである。(2001/7/1 20:24)

[欧米の小泉評から]
「防衛問題を取りあげる小泉氏の動機はハッキリしないが、民族主義的姿勢を示すことで、党内の保守
派からの支持を得ようとしているのかもしれない。彼は今年、死刑にされた戦争犯罪者を含む戦没者を
祀った場所を参詣することを表明した。しかし、そんなやり方で歓心を買おうとするならしっぺ返しを受け
るだろう。」(NYタイムズ 5月16日付社説)
 「小泉氏は、・・・・典型的な日本の若手の保守政治家の代表ということができるだろう。彼は自衛隊の
欺瞞的な呼称にも終止符を打ち、優秀な装備を持つ近代的な軍隊というあるがままの姿で呼びたいと思
っている。彼は、アジア地域で攻撃があった場合にはアメリカの助手となることを明確に約束することを
含め、アメリカとの安保同盟で積極的な役割を果たそうとしている。それは、彼自身が認めている戦争放
棄の憲法を改定するか、或いは少なくとも解釈し直すことを意味する。小泉氏の大衆迎合主義は歴史教
科諸問題でもあらわれている」(イギリス エコノミスト5月19日付)」
 「小泉氏は、教科書の修正を求める中国、南北朝鮮の要求に耳を貸そうとしない。さらに重大なことは
、小泉氏は、憲法改定と自衛隊の合法化で右派的な立場をとった。彼はついに8月15日の敗戦の日に
靖国神社に行くことを表明した」(フランス ルモンド5月29日付)
 「小泉首相は、平均的日本人には耐え難い政策を持って登場し、”涙と血”政策による失業を語らない」
(イタリア ソレ・24・オレ6月26日付)


 欧米の小泉観のスタンダードがよく分かる。彼は、明らかに右翼政治家として警戒感を持って迎えられ
ている。欧米には、日本にあるようなパフォーマンスによる擬似的なムードは無縁であるから、比較的に
冷静に分析している。恐らく日本人も、変化への願望の裏に不安を抱えながら支持しているに違いない。
遠からず100万を越える大失業の事実を迎え、彼は凋落の一途をたどるに違いない。名古屋市六番町
で美容院を経営する21歳のスタッフは、小泉首相が好きだ。「だって格好いい」他に理由はない。「カリス
マ美容師と一緒。でもブームなら落ちるのも早いわよ」(朝日新聞7月1日朝刊)。(2001/7/1 9:10)

[集団力学の行方について]
 或る集団の内部矛盾が顕在化するときは、その集団の方向性が明確でない場合、またはその集団の
指導層の無能性や退廃を契機とする。集団構成員全体が、集団の相互信頼への懐疑を連鎖反応的に
誘発させ、相互の欠陥に関心が集中し、生産性無き相互批判が横行する。こうした集団の退嬰化は、そ
の集団に指導される下位集団の退廃を誘発し、こうして上位集団と下位集団の相乗的な堕落へと展開
する。こうした集団崩壊に立ち向かう成員は、あくまで真実に依拠しようとする成員を戯画化し、自らの狭
いポジションの真摯な実践の部分的な領域で自らの良心を慰めようとする。そのような部分的な実践は、
余りにも非力であるが故に、自己満足と他己批判の悪循環に結果する。こうして全体の展望のなかで自
らを位置づける意志は衰弱し、下位集団との戯れの中に自らの小宇宙を構築しようとする。このような集
団崩壊は、構築へのエネルギーと対比して、あまりに安易であるが故に、一度崩壊を始めた集団は坂道
を転がり落ちるような悪無限の状態となる。
 翻って集団力学の理想状態は、権威主義的関係の垂直性に替える、水平的なネットワーク関係が自
然の関係として形成されているか否かにある。水平的な関係が一切の権力的な指向性抜きに成熟して
いるかどうかが、集団の質と未来を決定する。
 さらに怖いのは、同時に依拠できるのは、下位集団は上位指導集団の退廃と無関係に独自の論理を
持って運動していることである。下位集団は、上位集団を乗り越える潜在的な可能性を持って、未来から
の呼びかけに答える。なぜなら上位集団は、成熟しているがゆえに発展可能性の限界を持ち、下位集団
は時間制約的な限界を持たない未来可能性を潜在的に持つが故仁、非生産的な集団内競争と無縁で
あるからである。(2001/6/28 21:23)

[薬害ヤコブ病(医源性クロイツフェルト・ヤコブ病)について]
 死体から採取した脳硬膜の移植で感染する病気で、発病すると痴呆症が進み、運動能力から思考能
力が全て失われ、1〜2年で死亡する。脳硬膜販売をおこなっていた日本BSS社は、事前に米国の「疾
病病報(MMWR)」の情報を1987年にドイツの製造会社B・ブラウン社からFAXで知らされていた。日
本BSS社は「販売した利益分が父(前社長)の退職金的なものとしてすべてもらえることになっていたの
で、売れるだけ売った」と厚生省に報告している。私は死刑廃止論者であるが、この件については保留し
たくなる。医薬業界の退廃した利潤至上主義について云うべき言葉がない。米国流公開処刑に値すると
思う。(2001/6/27 19:51)

[加藤周一の秀逸な現代政治批判]
 江戸期琳派3代(俵屋宗達ー尾形光琳ー酒井抱一)による見事な日本現代政治批判。俵屋宗達は、
平安期以降の貴族文化をテーマに、独創的な空間処理と色面の微妙な組み合わせにおいて天才的で
あった。尾形光琳は、大画面の題材を日常身近の風物に集中し、京都町衆の豊かな日常世界を自信を
持って理想化した。酒井抱一は、文化文政の武士社会が没落し町人文化が圧倒した時代を生き、鋭敏
な緊張をもって次に訪れる崩壊の微妙繊細な美的快楽の世界を描いた。
 文化文政の幕末前期に、改革の主張は幕藩の枠を出づ、体制的危機の本質的な認識はなく、大衆は
浮世風呂で漠然とした世直しの天から降ってくるお札を期待したに過ぎない。こうした状況は、危機が破
滅的段階にいたり、外国からの圧倒的な圧力(黒船)による本格的な改革となった。酒井抱一は、腐敗し
た支配階級から脱し、周辺的な存在に自らを位置づけて、伝統の再発見と活性化に貢献した。
 加藤は、江戸期琳派の系譜を追いながら、小泉流改革の虚妄をからめてから風刺している。ただし、私
は酒井抱一流のアウトサイダー的な社会参加に真の改革があるとは思えない。幕末江戸期のリフレーン
とはならない確かな理性を持った改革勢力が地下水脈のように成長していることを信じることが出来る。
しかし、加藤周一の江戸期芸術の系譜から発する現代批判の方法には、流石と思わせる洗練されたも
のを感じた。朝日新聞6/26夕刊。(2001/6/26  20:24)。

[Relaxation癒し系音楽について]
 星ヶ丘三越のレコード屋を覗いたら、癒し系CDコーナーがあり、「Grace」というCDがあったので購入し
て今聞いている。かってのイージーリスニングに近いが、それにあるやすらぎを付加したのが癒し系音楽
といえるのだろうか。HP作成や勉強のBGにピッタリという感じだ。白鳥英美子や石原真治というのがし
ばしば登場するが、彼らがこの世界のメインアクターなのか。それにしても、ビートルズが癒し系のメイン
になっているとは驚きだ。彼らは抵抗と反戦のシンボルであったはずだが。(2001/6/24 19:16)

[音楽と人間行動]
 今回は軽い話題。スーパーでフランス音楽を流すと、フランス産ワインの売り上げがドイツ産の5倍には
ねあがり、ドイツ音楽を流すとフランス産の2倍になった。電話の保留時に音楽を流すと、メッセージを繰
り返すより電話をかけた人が辛抱強く待つことが分かった。ハーモニカによるビートルズナンバーが最も
効果的だという。学生食堂の利用者に、メニューの値段で、クラシックやポップスがかかっていると気前が
よくなり、イージーリスニングや音楽なしでは出し渋る傾向がハッキリでた。ロンドン・ローハンプトン大学
の実験。
 フランス音楽はドイツ音楽の2.5倍の効果を持つというのが面白い。さて日本ではどうなるだろうか?
演歌や浪曲で売り上げが伸びるだろうか?まさかクラシックでは伸びないだろう。(2001/6/24 9:30)
                                                                  
[吉田秀和氏の秀逸な小泉評]

 「小泉純一郎の第一声に、何よりもベートーヴェンの第5交響曲の出だしを思い浮かべる。あの所信表
明演説は、有名なダダ・ダダーという主題そっくりのダイナミズムと果敢さを持ち、不退転の決意を告げる
ファンファーレみたい。今までの灰色のアンダンテ(ぶらぶら歩き)とは、大違いの予感をこめたアレグロ・
コン・ブリオ(精気に満ちた速さ)で、誰も予想しなかった熱狂的な歓迎を受けた。・・・・・・今の靖国には戦
争犠牲者と主導者が並んで祀られている。その一部は他の犠牲者への責任がある点で同日には論じら
れない。・・・・・この音楽好きの多感な心の持ち主が、日本国首相として靖国に参る前に、まず隣人達の
犠牲者を丁重に弔ってくるというのだったら、どんなによかろう。」(朝日新聞6/22夕刊 一部改作、削除)
 吉田秀和氏の音楽批評は、ほぼ日本のスタンダードであり、それだけの深みと感性を備えたものであ
ったが、それにしてもこの小泉批評の的確さは凡百の政治評論家を寄せ付けないエスプリに溢れている
。おそらく音楽的な感性と相容れないものが、小泉氏の言動にあり、それが直感的な違和感を与えたに
違いない。私は、このような人に日本の音楽評論が支えられてきたことに深い共感を覚え、また吉田氏
に続くような批評精神が現れないのではないかという危惧を抱く。(2001/6/22  22:05)

[ハンセン病歌人・・・・・咎なくして逝った2、3000人の鎮魂のために]
 ・夜に入りて稲妻走る梅雨の雨ベトナムの野にきたる雨期待つ(甲斐八郎)
 ・島流しと偏見に堪えし五十年いま長島に橋架からんとす(甲斐八郎)
 ・人の世の涯(はたて)とおもう昼ふかき癩者の島にもの音絶えぬと(明石海人)
 ・戦争に力かさざりしとは何を言う木の葉を包帯に巻き堪えて来にしを(伊藤保)
 ・点字読む手は神経痛に死ぬともまだまだ我には唇がある(田村史郎)

 ・点字読む舌は疲れつつ夜の部屋に沈丁花の花の匂い鋭し(浅井あい 全盲)
 ・知覚失せ指の縮みし盲いわれ唇にさぐり袷を洗う(古川時夫)
 ・姪よりの電話を聞けば我の詩を読みつつ母は泣きたりと言う(古川時夫)
 ・ともどもに学びし鈴木もしばられて零下20度の監獄に死にき(沢田五郎)

    「義眼の中に花が散る」(沢田五郎)

   私の顔の一部となって馴染んできた義眼が
   なにを見ようとしたのか突然  
   ポトンと 抜け出し    
   コロコロ転がりながら 走ってゆく
   高原の澄みきった5月の空を みつめている 
   桜の花が 散っている
   上向きの義眼の中の 空
   輝いて 花ビラは静かに
   音もなく 静かに散ってゆく

 
 沢田五郎の友人は、殺人事件の嫌疑を受け、1年2ヶ月「特別病室」に入れられて18歳で死んだ。少
年が死んだとき、髪は伸び放題で痩せ果てて、15kgあるなしで、手足の爪は伸び放題、人間ではなく、
なにかネコ科の動物の死骸のようだった。
 これらの詩歌は、咎なき命と引き替えにつくったモノである。これらの詩歌に技巧の拙劣さがあるかもし
れない。しかし、どの現代歌人がこのような絶壁のなかで歌を詠んだであろうか。粛然として頭を垂れて
聞くべきである。特に宮中歌会始の選者を努め、今は「未来」の代表に選ばれた岡井隆よ! 恥よ自ら
の虚飾を。岡井を代表に選出した全ての「未来」同人は赤面して退場せよ。道浦母都子よ!あなたは初
心を忘れ、今は彷徨う歌壇の職人に過ぎない。私は、地獄の縁でなお人間であることの証を示したハン
セン病歌人に無条件に頭を垂れ、驥尾に付していきたいと思う。(2001/6/22 21:00)

[ポピュリズムとはなにか・・・・・小泉純一郎氏の陥穽]
 ポピュリズムの起源は、19世紀末米国の農民政党「人民党」の主張にあり、その評価は進歩的な民
衆政治なのか、近代産業社会から取り残された農民層に依拠する情緒的大衆政治なのかについての
決着はないそうである。共通点は、何らかの政策的な整合性ではなく、政治的なスタイルや指導者原理
にあることらしい。
 ポピュリズムが誘発される条件は、デモクラシーの名で強大な組織的権力が国民を支配し、その背後
にいるエリートが操作する裏切りと空洞化にある。このような状況に対する反応は、民衆参加による冷
静で合理的な改革の方向と、絶望した民衆の非合理的な扇情的行動の2つの方向がある。このいずれ
もカリスマ的な指導者が触媒の役割を果たす。小泉首相は何れか。明らかに後者ではないか。朝日新聞
6月21日付け夕刊、古屋北大教授の論説はよく整理された現代日本政治の鳥瞰図であった。しかし、こ
のようなポピュリズムは、かっての田中角栄、細川の登場時に経験済みだ。一度目は悲劇として、2度目
は喜劇として、3度目は悲喜劇としてその終焉を迎えることは確かである。(2001/6/21 21:00)

[10度ハンセン病について・・・・・・その国際比較分析]
 ベトナムでハンセン病患者が強制的に隔離されたのは、フランス植民地時代のみで、タイビン省バンモ
ン・キャンプであった。1945年の独立以降、54年の北部解放ご隔離政策は廃絶された。82年以前は
1万人当たり1人の患者がいたが、2000年にには0.23人に減少した。現在ベトナムには20のハンセ
ン病診療所があり、一切無料で自由面会で移住自由である。
 私はハンセン病政策のグローバルな比較を通じて、その国の人権意識や文化の問題が浮かび上がり
、問い直す新たな視点を教えられた。(2001/6/21 20:29)

[何故このようなひどい経済学が横行するのか? エセ経済学者竹中平蔵氏]
 かって慶應には脈々たる社会経済学の流れがあり、日本の経済学会をリードしてきた。曲学阿世とは
このような輩を云うのであろうか。竹中平蔵氏は、構造改革フィーバーの旗振役をインテリゲンチャの恥
じらいもなくやっている。それは彼の表情を見るとよくわかる。何とも言えぬ知性のない競争意識丸出し
の子どもっぽい表情である。「つぶれるべき企業や銀行はしっかりつぶすという決断が大事だ」「政府系
の機関、大学、病院はどんどんマーケットに放り出す。そうしたら政府の支出は小さくなる」「消費税は最
低でも14%にしなければならない」・・・・!? このような発想には経済学は不要だ。19世紀以降の社会
権や20世紀の社会的公正や公共経済学をかれは全く学んでいない。理性による社会的な統御を如何
に設計していくかの学問的な探求がゼロで、動物的な金銭欲望の闘争に放擲しようとしている。社会科
学者の資質を問われる基本的な欠陥を持っている。それにしても彼は、自らの学問的な地位を利用して
セッセと蓄財に努めていたのだ。何と悲惨な学問的21世紀状況であろうか!? 竹中氏に最後の忠告をお
こなう。最低M・ウエーバーの『学問と政治』だけは読みなさい。(2001/6/20 20:30)  
                                                                  
[往生・・・・・・現代に蘇る宗教思想史的意義]

 往生や浄土の現代的な意味は何か。禅宗の直下の証悟と比較して、浄土教の浄土思想の迂回的な在
り方。しかしこのような迂回的な救済へのスタイルこそ実は、現代人の実相を表明しているのではないか
。こうして親鸞の救済思想は、キルケゴールやブルトマンを媒介に、非神話化されていく。浄土に肉体的
死によって往生すると考えるのは間違いであり、或る宗教的改心無しにはあり得ないという。なぜ極楽で
なければならないのか?そのような希求は現世の地獄性の裏返しではないか。現世のイマ・ココでの極
楽の希求無しに構築した来世の極楽に一体どれだけの意味があるのか。「仏陀を背負いて街頭へ」(妹
尾義郎)の現代的な意味は依然として失われていない。星野元豊(92)老衰のために逝去すの報道を
聞き。(2001/6/18 21:23)
                                                                   
[9度びハンセン病について・・・人間の奥底のドラマ]

 ハンセン病訴訟が始まる半年前の群馬・楽泉園。「裁判を起こしたら、周囲に知れ実家が村八分にな
る。家族のことを思うと訴訟には踏み切れない。いやなんだよ」という気持ちは痛いほど分かった。最初
はたった2人から出発した原告団が今は100人以上になった。この間全国で3人の原告が亡くなったが
、裁判が遺族によって引き継がれた。「ハンセン病裁判が他の裁判とは違う一番の特徴は、家族会がな
い、家族が法廷に一度も顔を出さないことだった。とうとう家族が加わってきた。本当に画期的なことだ」
 当時ライ予防法によって、入所者に接触する看護婦は、分厚いガーゼのマスクを付け、全身白ずくめの
予防服から目だけのぞくいでたちであった。仕事が終わるとクレゾールの池を渡って長靴を消毒し、仕事
着を全部脱いで衛生地区に帰っていくという状況であった。
 私は、このような真相が次々と明らかになるにつれて、人間の尊厳の底深い力、地の底から最初は小
さな微動として、そして徐々に怒濤のような勢いとなる地下水脈の岩をも貫く力を感じる。自らに顧みて
何ら恥じざる事なきに、故無き指弾を受けこの世から抹殺されようとした人々が、誰の手でもない自分の
この手で数十年かけて、私は人間だ!という証明を得たのだ。このような表しがたい困難や苦しみに比
肩する苦が考えられないとすれば、私の手元に残るのは勇気、屈することなき人間の尊厳のあかし、そ
して今一歩前に進み出ること、自分の足で、怯懦や逡巡にひるまず、あらゆる不正にあらゆる非人間的
な事象に、抗してあらがうこと・・・・を教えてくれた。絶望の虚妄は、決して希望の虚妄にイコールではな
い。最後にハンセン病原告団会長代理の谺雄二作詞、原告村瀬信孝作曲の「奪ったのは誰」という歌を
紹介する。*現在CD吹き込み中 キタキツネ工房 FAX0266-28-4415

 「奪ったのは誰」

    病み棄ての烙印を押されて
    親からもらった名前を無くした・・・・・
    病み棄ての烙印押されて

    2万3千の僚友を亡くした   
    骨堂に引きとりてなく
    今も眠れぬ御霊悲しや・・・・・

    奪ったのはだれ
    奪ったのはだれ
                                     (2001/6/17 20:35)
                                                
[
21世紀の日本の理科教育はどこに行くのか]
 2002年から始まる新しい理科教育の問題を考える。第1に子どもの素朴な見方や考え方を尊重する
、個人の狭い経験的発想の尊重であって基礎的な概念の学習は阻却される。第2に観察や実験は、仮
説から客観的真理の認識に至る過程ではなく、仮説の確認に留まる。第3に子どもは自分の考えを絶え
ず見直す態度を身につけるとなって、試行錯誤を重視する非法則的な認識のレベルにとどまる。
 新たな理科教育の根底には、動的自然観と称する理論軽視の相対主義科学観がある。源流は、パラ
ダイム論のT.SSクーンや日本の村上陽一郎である。村上は「誰にとっても、いつでも、どこでも」完全に同
じという伝統的な科学的真理を否定し、共同体の文化的枠組みで自然科学の真理も決定されるという。
村上氏は、科学理論の複式構造を云い、人数が少ない順にメソン理論→素粒子論→量子論を共有し、
数の多いレベルが少ないレベルに影響を与えるとし、宗教や魔術、神秘主義までも科学的認識の中に
含めてしまう。
 さらに進んで一部の科学者は、縄文以来の日本人の自然観を土着科学と位置づけ、これを理科教育
の根本に据え、多元的科学教育と称して新しいモデルを宣揚している。全ての日本の理科の教師はこの
ような自然科学観で教えなければならないのである。子どもは、客観的な真理よりも、「自分の見方や考
えかた」を優先する教育を身につけるのである。
 私はこのような自然観を、社会観における「自由と公共性」に置き換えてみたい。自分の見方や考え方
を尊重すること自体は大変大事なことと思うが、それを公共性に優先させるならば、公共的な実践の検
証を受けない市場原理の修羅場が浮かび上がる。それは理性によって統御する人間社会ではなく、欲
望のままに自己主張する野獣の世界と同じではないか。21世紀の理科教育がここまで堕落していると
は思わなかった。(2001/6/17 20:05)
 
[アジアの目から・・・・私たちが創ろうとしている21世紀は?]
 今私たちは、小泉首相の高人気に浮かれているが、アジア諸国は彼をどう見ているのであろうか。

 「日本の新内閣の対中政策がますます強硬になる背景は何か。一国が内政で苦況に陥ったとき、強硬
な対外政策で人々の視線をそらすのは常套手段である。日本は、バブル崩壊後、経済復興計画をいろ
いろ試みたが、効果は上がっていない。日本の国内には、軍需と軍事生産で経済復興しようとする底流
がある。軍備で経済を好転させ、軍事大国の目的も実現しようとしている。」(中国『青年参考』6月7日)

 「靖国参拝を「国家のために命を捧げた犠牲者等に感謝を表す行為」と述べたというが、実にあきれる
。この神社に祭られた東条英機ら太平洋戦争のA級戦犯14人も「国家のために命を捧げた」と見ている
のか、聞きたい。小泉首相の言葉は、被害者だった周辺国の民族感情を無視した、独善的な発言以外
の何者でもない。」(韓国 京郷新聞6月1日)

 「最近日本から聞こえてくる言葉の横暴は、私たちを憂鬱にし、憤慨させる。小泉首相は、「靖国神社
がなぜこのように非難されるのか理解しがたい。・・・・辛いときには神風特攻隊員のことを考える」と述べ
、石原都知事は「できるならばヒトラーになりたい。・・・・・中国人の凶悪犯罪は民族的DNAのため」だと
人種差別論を展開している。日本人は果たしてどこへ行こうとしているのか」(韓国大韓毎日5月24日)

 「最近の日本は危険水域に肉薄している。。しかも、保守化や右傾化を越えて国粋主義、軍国主義の
次元に進んでいる。・・・・・小泉首相の任期に便乗して、右傾化を進めるならば、日本国民にとって不幸で
あり、歴史にとっても大きな過ちを犯すことになる」(韓国 京郷新聞5月23日)

 「小泉氏が靖国と改憲・軍拡にかくも熱心なのは、党内主流の保守の関心を買うためであるが、彼の固
有の保守思想の反映でもある。彼は、森前首相と同じく、A級戦犯で元首相の岸信介を源流とする福田
派に属し、厚生大臣の時に靖国に参拝した。彼が積極的に唱える首相公選論の目的は憲法改正へのタ
ブーの突破にあることは、観察力の鋭い人にとって難しくない。」(シンガポール 聯合速報5月17日)

 「小泉首相がアジア諸国にとって敏感な歴史問題で強硬な姿勢を突出させ、人々に強烈な印象を与え
ている。靖国の参拝は日本国内の右翼勢力の歓迎と支持をえている。日本と東アジア諸国の関係が悪く
なっている責任は東京にある。・・・・10年来日本経済は不振続きで士気が低下している。小泉内閣は、
外交上の強い姿勢で、民族主義を奮い起こし、経済改革の支持を得ようとしているが、政治的手段で経
済苦境を解決しようとしても役に立たない。」(シンガポール 聯合早報5月16日)

 「小泉氏は、一方で大胆な改革の実施を強調しながら、他方で歴史の流れに逆らい、最も改革が必要
な部分で道理を無視して強行しようとしている。これは彼の政治改革が偽物であることを示すだけだ。高
い支持率があるから好き放題やってよいというのは、とんでもない心得違いである」(中国 光明日報5
月15日)

 「日本が今のように右に進めば、果たしてその終着点はどこなのか。逆回りする歴史の時計針に乗っ
て、軍国主義の亡霊が復活するのではないか。我々は、このような疑問とともに深刻な憂慮を感じ得な
い。我々はこのような疑問とともに深い憂慮を禁じ得ない。小泉首相の支持率は明らかに異常加熱だ。
首相は強い日本、云うことは云う日本というイメージ攻勢で日本国民の心をとらえている感じだ。正道よ
り人気を意識した大衆扇動主義と、出口を求める日本人の不安心理が相乗作用を起こした結果が小泉
首相の爆発的人気に繋がったのだ。特にこのような日本の内部事情が米国のブッシュ政権の発足とか
みあい、日本の右傾化は急速に進行している」(韓国 中央日報5月17日)


 率直に言ってここまでの危機意識で受け取られているとは思わなかった。このような東アジアの感覚は
、21世紀の日本が東アジアの経済共同体の一員としてイコールパートナーでなければならない条件を
基礎の基礎でみずから崩していることになる。右傾化を小泉フィーバーでゴマかす政策が次々と展開す
るなかで、私たちは日常のよしなしごとやツマラナイ人間関係の低次元のことに神経を浪費している。周
りを気にしながら、大勢順応のなかで自らの小さな安定を保持しようとしている。青年達は、化粧とミニス
カートの後ろを気にしながら、時には煙草を吸って補導され、大人は少年少女を襲撃して殺している。そ
して、誰もが未来への不安やイラダチをかかえ、自分では行動しないで、もっと強い指導者の登場と大胆
な改革を、観客民主主義となって求めている。1930年代の日本で、一方でエロ、グロナンセンス文化が
世俗を覆い、他方でクーデターや思想弾圧が横行し、ついには恥ずべきファッシズムガ完成したあの時
代が装いを変えて再びデビューしつつあるのではないか。まさにそうだ。
 しかし私はこのような21世紀の前奏曲に対極に、地下水のように流れているデモクラシーの水脈を感
じることが出来る。90年間に渡る隔離と断種政策を断罪してキッパリと謝らせたハンセン病患者たち、
阪神大震災に全国から駆けつけた青年ボランテイア、裁判への市民参加を実現した主体的民主主義、
いずれも人間の尊厳と信頼を恢復し、民衆が主体者である精一杯の表現だ。私たちは、正と負、光と闇
のデイアレクテイークの螺旋上を歩んでいる。(2001/6/17 10:20)

[私たちが忘れていること・・・三宅島島民は未だ島に帰れない]
 東京都八王子の山にある住宅公社が提供した農園に、北区の避難団地から片道2時間かけて通う。「
朝電車が混むのがいやで、6時半に出る。電車もろくに乗ったことがないので、最初は切符も買えなくて
困りました」。すぐ帰れると思いサンダルで島を出た人もいる。最大の問題は収入で、平均年齢67歳で
はハローワークにいっても働く場所はなかった。開設された農場では「年齢制限がない。みんなで働いて
、賃金を得、種苗を確保し、いくつもの目的が一気に解決する」、「避難は長期に渡るだろう。なにしろ、組
織の経験がないので、始めますよと云っても腰が挙がらない。人間は一人では強くありません。まして、
つらい時には助け合わなければなりません。ここは一緒に仕事が出来るし、最新の情報が集まる」「いま
大事なのは自己確認だ」。
 三宅島も阪神大震災もそうだが、このような事態に基本的に行政は生活保障をしない。政府や自治体
の冷酷さは、被災者の最も痛感したところだが、一般市民もこれをハッキリと悟った。このような追いつめ
られた被災者の生活再建が、いわばユートピア協同体として営まれていることに、私は共感と確信を覚
えた。これは何を私たちに示しているのであろうか? 限界状況のなかで人間は助け合うと云うことの証
ではないだろうか。私は、逆に人間も捨てたモンではないという素朴な信頼と、どのような悪条件でも生き
抜くという勇気と励ましをもらった。小泉純一郎氏や石原慎太郎氏の真の姿が見えてくる。彼らは虚妄な
のだ。彼らは結局人を助けないのだ。(2001/6/13 20:10)

[米国は最低の人権国家・・・・公開処刑に想う]
 米連邦ビル爆破事件の主犯マクベイ死刑囚(33歳)が、薬物処刑を受け、遺族250人以上に対し公
開された。私は、米映画「ダンサー・インザダーク」で正当防衛の女性死刑囚が遺族の見守る前で、絞首
刑を執行され、その身体が魚が跳ね上がるように曲がるのを平然と見つめている姿に衝撃を受けたが、
今回はもっとオープンなショーのような感じがして、米国の底知れない冷酷さを実感した。
 主な先進国で死刑を続けているのは米国と日本のみで、米国では毎月7人が執行され、ブッシュはテ
キサス州知事時代の6年で全米トップの152人の執行命令書にサインした。大統領選の最中にも署名
をセッセおこなったそうだ。「加害者の死を見せることで被害者の怒りが和らぎ、凶悪犯罪の抑止につな
がる」(ブッシュ)「今回遺族向けの中継に踏み切ったことで、近い将来一般向けTV中継をする時代が必
ず来る」(パルトカ・ガウチャー大教授)。開拓時代に治安は法でなく力で、死には死で報いるみせしめの
リンチが当然であり、南部の一部では戦後も私刑が続いた。1936年に一般向けの公開処刑は最後と
なったが、それは公然の嘘だった。現在でもテキサス州では、「私は性犯罪者」と大書したステッカーを家
や車に張るよう婦女暴行の被告に命じる判決が出される。
 私は云うべき言葉を持たない。ヤンキーを腹の底から軽蔑する。自由の女神の像に唾を吐きかけるべ
きである。このような野獣国家に未来はない。国連死刑廃止条約は泥の中に捨てられている。このよう
な野獣の論理が、新自由主義市場原理として、全世界を覆おうとしている。米国はイエスの前に恥じよ!
2度と賛美歌を歌うな! 死刑執行に賛成した81%の米国市民は呪われた人類史の墓場こそ最適の
場所だ。私の祖国日本は、そのような野獣に媚びへつらいながら、同様に及び腰で死刑を執行している
野蛮国家に成り下がっている。要するに米国も日本も基本的に、IQまたはEQが前人類並みに低いの
だ。(2001/6/12 20:24)

[暴力アダルト・ビデオについて]
 或る人気暴力AV・・・複数の男性俳優が、女性俳優を強迫し、髪の毛をつかんで引き吊り回し、嘔吐物
を顔に吐きかけ、輪姦する暴力が延々と続く。AV女優は、いままで虐待を受けてきた悲惨な生い立ちの
人が多く、また親の借金を返すための人多い。暴力AVに出演した女優で、身も心もズタズタにされ、手
首を切って精神病院に入った人も多い。女性の就労機会が無く、女性の賃金も低いなかで、水商売から
性産業へ追い込まれる女性も多い(ポルノ・買春問題研究会報告書から)。
 AVを擁護する代表的な意見は、@性犯罪防止論、A出演者の自己決定論、B表現の自由論などが
あるが、明白な人権侵害と犯罪が遂行されているモノがほとんどである。いわゆる健全な男性市民は見
て見ぬ振りをするか、或いは影でニタニタしてみている。私も例外ではない。しかし、最も怖いのは、性犯
罪防止論の立場からこれを肯定する女性が少なくないことである。AV女優の存在を軽蔑しながら、己の
差別化を優越の内に図っているこのような女性達こそ、私は非人間的な自己喪失を覚える。だからAV
ではそのような女性達への迫害を好んで取りあげ、市場浸透を図っている。私は、女性達に問う。あなた
方はこのような侮辱と汚濁になぜ抗議しないのか。私は、買春サイドのジェンダーとして、敢えて貴方が
たに問いかける。体を張ってでも許すな。(2001/6/11 21:25)

[日本の女性はどこに行くのか]
 「国連開発計画報告(2000年度版)」では、日本の平均寿命や教育水準、国民所得の指数は174カ
国中9位、女性の政治参加や意志決定への参加、所得格差の総合比較では41位ニダウン。企業の管
理職に占める部長職は1,6%、課長担当職で2,6%で世界水準に最も遅れている。男女別賃金格差
は、パートを含めて男性の49%、正社員では63%であり、国際労働機関ILOは再三日本政府に是正
勧告を行っている。日本の高校進学率は女性が男性を上回り、大学進学率も30%を越えた。
 日本の女性がキャリア中途撤退する大きな要因が、乳幼児の育児にある3歳までは母親の手でという
「3歳児神話」にあり、子育て層の女性の57%、男性の55%が「子育てに専念し、大きくなったら就業す
る」と答えている(子ども未来財団調査報告)。育児休業中の所得保障は40%に過ぎなく、保育園待機
児童は5万人に達している。さらに規制緩和による変則勤務、夜間勤務、単身赴任、サービス残業は明
らかに女性の就業継続の阻害要因となっている。ここまでは全て正しい。しかし、このような言説の多く
が女性の主体的な要因を語らない。私はここに怒りを覚える。
 一定の制度的な保障を得ている職場において、一部の女性はフォーマルな場で語らない、語ってもトー
タルな視野が弱く、感性的なレベルに終わる。普遍的なメッセージを発することなく、ジェンダーを超克す
ることはできないばかりか、被抑圧的な感情を裏のインフォーマルな場で披瀝して終わる。メデイアによっ
てによってつくられた理想的男性像に無自覚に追随し、自分たちの真の味方を見失っている。つまり、私
は明確に云う。ジェンダーデバイドを継続させている要因の一つは、まさにジェンダーにあると。女性の男
性依存のつくられたジェンダーへのカウンターなしに女性の自己解放はあり得ない。(2001/6/11 20:33)

[ヴァイア・コン・デイオス 主があなたともに行かれんことを]
 北へ帰る旅人は、今は黙して行かなければならないのか。なぜ君の今はの際の声を、精一杯の声を後
に残して君は行けないのか。沈黙が最も多くのことを語りうるのは、想像力の共同体を前にしてのみ語り
得ることだ。そして今は、このような沈黙の共同体にとって最も危険な時がやってきたのだ。声高に論じ
たているが、その言辞に誠実な一言をも刻み得ぬ輩が、跋扈し始めている時代においておや。勢いの赴
くところ我らが生はあるのか。その確かさがないが故にとりあえず勢いの向くところに我が生を置いてい
るのみではないのか。北へ帰る旅人よ、北に楽園はあるか、ノスタルジーの幻想があるのみではないの
か。主は君とともに歩んでいるか。否主は、君の行方を自らも確信がないまま同行しているに過ぎない。
 このようなかたちで21世紀は過ぎていくのか。ヒトとヒトが争い、軽蔑しあい、競争しあう恐ろしい市場
のなかで、私こそ勝者と勝ち誇る傲慢な反ヒューマニズムが爛れた場に、君臨しあう羞悪な泥のごとき、
世界を準備するために20世紀はあったのか。ヴァイア・コン・デイオス! 希みが薄れていく薄光のなか
で、夕闇を準備する紅に染まった夕陽のなかで、ミネルヴァの梟はいままさに飛び立とうとしているのか。
私は、私の道を行く、そして人をしてその云うに任せよ。(2001/6/10 19:32)
                                                                   
[PTSDについて]
 戦争や災害、犯罪などで強い心的衝撃が原因で生じる精神的後遺症を意味する。PTSD(心的外傷後
ストレス障害)は、Post-traumatic-stress-disorderの略で、睡眠障害、無気力、失感情、恐怖体験が再
現されるフラッシュバックなどの症状が持続する。米国のベトナム戦争帰還兵の症状から注目され、19
80年に正式な病名となった。日本では、阪神大震災、地下鉄サリン、えひめ丸で同様の症状が現れて
いる。私は学校教育の場でのPTSDを問題にする。教師や級友から強力な衝撃的な叱責や攻撃を受け
た場合に、その当事者のその後の言動に現れる無表情、無気力は残念ながら日常的に経験する。私自
身にも悔いて余りあるそのような激情的な叱責がある。これは誤ってとりかえしがつかない恢復し難いト
ラウマを残したに違いない。
 一方でメデイアを通した暴力の垂れ流しによって、痛みの実感がマヒし、イキイキしたナイーブな感情の
交流も失われつつある。こうして現代人は、充実した手触りの実感のあるホンモノのコミュニケーションを
喪失し、互いに傷つかない程度の心的距離を保ちながら、仮面の微笑の裏に装いを隠しながら、その日
をただ過ぎ去る時間として経過しつつある。
 行き場を失い、未来への見通しを持てず、当座の生活を私的な領域で満足させながら、漂流する日本
丸のなかで、荒涼たる荒野で野獣と羊が何とか棲み分けをおこない、変革を怒号するエセポピュリストに
一抹の希望を委ねたりする情けない民族が出来上がってしまった。
 いささかニヒルな論評となったが、「闇深ければ朝は近い」という今は死語になってしまった弁証法の魂
が、新たな内実を備えて再生する一縷の希望を、私は確かに懐く。問われているのは、人間の発生史以
来営々と築き上げられてきたフロンテイアを目の前にしているいることだ。ドキドキするような変革への奔
流と、尊厳ある矜持もまた確かである。このような微かな燭光を身を以て示してくれたハンセン病の患者
に感謝する。(2001/6/9 11:44)

[8度ハンセン病について]
 またハンセン病のことかと言う人がいるに違いない。しかし私はこの国家犯罪とそれに加担した民衆
犯罪の落とし前をつけることなしに、戦後民主主義の闇の部分を克服できないと考える。今まで数多の
民主派がこのような少数者に対するよってたかっての差別に無知であった構造そのものが問われてい
ると考える。企業や職場、学校における少数異端派に対する差別と隔離の加担者とならなかった経験の
ないものはなかろう。他ならぬ私自身も少数派に対する加害者の責罪の一端を担ってきた。だから私は
このようなエッセイを8度も書かざるを得ない心境に陥るのだ。君は人を差別したことはないか!君は人
を実質的な隔離に置いたことはないか!汝等の内罪なき者のみこの女を打て!               
 ハンセン病療養所の栗生楽泉園の元患者、故高田孝さんの証言。「アレは日本のアウシュビッツだっ
た」。アレとは、殺人獄舎と呼ばれた「特別病室」、92人が入れられ、死者22人、釈放されて死亡した人
30人に及ぶ。高田さんは園の医局の手伝いをし、遺体を迎えに行った。特別病室は8つの独房があり、
塀の中を壁で8つに仕切り、1区画に獄舎が1つ。独房の間も切り離され、半ば暗室。食事は日に2回。
零下15〜20度に冷え込む日もあった。「凍った布団に寝ている。死んで凍るんじゃなくて、生きているう
ちに凍る」「戸を開けたら、そこに頭があって・・・・戸に頭を押しつけて死んでいた。」             
 同時代を生きてきた私たちの闇にこのような生が強いられていたこと、それに私たちが無知であったと
いうこと、私たちはあなた方を責めない。あなたがたも精一杯の生を生きてきたのだ。私は私を責める。
私の無知が故に2万人を越える生命が闇から闇に葬られたことを。政府は、生存している4千名にたった
800万円の賠償をおこなうそうだ。(2001/6/8 20:19)
                      
[7度ハンセン病について]
 ハンセン病訴訟全国原告団協議会会長曽我野一美(73歳)。裁判に対する国の態度が、「強制的な
収容はしていない。堕胎は強制していない」と国のハンセン病政策を全面否定した態度に「腹の底から
怒りが湧いてきた」。91歳で亡くなった父の葬儀の日は、それとなく出席を断られた。「帰ってくれるな」
とストレートに云われたら、「惨めな思いにならなかったろう」「恨みつらみを云っても仕方がない。今は青
空を仰げます。墓参りをして、父に報告したい」。
 命の極限を生き、信頼と不信の狭間を行き来しながら、人間の世の辛酸をなめ尽くしたこれらの人々の
絶対に私たち健常者は云うべき言葉を失う。あらゆる虚飾を剥ぎ取る無窮の証言の数々の前に、いかな
る評論も無力である。このような強制された隔離の暗黒の闇を許してきた私たちの無知の責罪。戦後民
主主義がその裏に隠蔽してきた無惨な生の前で、私たちは繰り返してきたのだ、あのアウシュビッツの
悲劇を。歴史は一度目は悲劇で二度目は喜劇というようにはならなかった。(2001/6/7 23:40)

[ハンセン病と日本宗教界]
 真宗大谷派は、6月2日の東本願寺シンポで、患者隔離政策を内務大臣から依頼され、慰問布教をお
こない、「皆さんが静かにしておられることがそのまま、たくさんの人を助けることとなり、国家のためにな
ります」と「慰めこそしたが人間として解放されるための教えは説かなかったのではないか」、「差別や隔
離政策に加担した点では、教団も加害者だ」との痛切な自己批判をおこなった。「過去の事実を隠したま
までは、判決の喜びを共有できない。問題を明らかにし、謝罪することが出発点になる」。
 戦時中の真宗の僧侶が担った役割を自ら反省することなく、無自覚の内に過ごし、一般勤労市民とし
ての収入と、葬式収入が全てであり、それ以外の何者でもない一部の僧侶の存在の偽善を鋭く自己批
判する声明である。(2001/6/4 19:50)

[21世紀の100年をいかなる世紀にすべきか]                            
 このホームページにアクセスする人々に告ぐ。自らの足下に21世紀の課題がある。今自分が「これは
いけないんじゃないの?」と直感的に考えているそのことに、そのことに大勢順応に流されず、その時に
声をあげるべきではないか? 時には全き孤立のなかで自らの良心をかけてそれを遂行すべきではない
か? 一切の妥協を許さない生を一度はしたいと思いながら、実は人生全てをダラダラと終わってしまう
のだ。21世紀は、このような後から顧みて慚愧の念に打たれる世紀にしたくない。人間は不思議なこと
に命脈が尽きつつあるあるその時にも、この世のしがらみを背負いながら自らの生を繕っている哀しい
存在であった。声を挙げよ! 自らの限界の極みを生きよ! 妥協の爛れから自らを解放せよ! 私は
齢50を過ぎながら今も迷っている汚らわしい存在だ。私のポジションは何だ? 未来の世代に説教する
資格がどこにあるんだ? 生の時間が限定され、刻々と終末が近づく実相のなかで、はるかに猶予時間
を持っている若い世代に告ぐ。ホントウニ1回しかない、取り返しがつかない最も美しい時間を君たちは
過ぎつつあるんだ。広〜い世界を遠くまで見渡し、いまココにいる自分のポジションを確たるベースとして
自らの可能性を限界のギリギリまで突き詰めよ! 私は最後の自分の可能性に賭けて、最後の挑戦を
おこなう。若いき世代よ、髪をいじる時間や化粧をする時間は今は何の意味をもらすのか? 自らを恥じ
よ! 若い世代よ!君たちに媚びへつらう大人を軽蔑せよ! 彼らは自らが嫌われたくないが故に、君
たちに真実を告げる勇気を失っている、いわば犯罪の加担者にすぎない。若い世代よ! なぜそのよう
な媚びへつらう大人達と同じムジナの行動をとるのか? 他人と同じ行動でないと不安なのか? スカー
トがなぜ短くなければならないのか? 階段を上がるときにスカートを抑える自らの仕草を恥じることはな
いのか? それは本質的に雄を挑発する雌の性行動に過ぎないことが分からないのか?
 この惑星系のなかで唯一の生命をもたらしたガイアの一端を誰しもになっている。君も私も例外なく、生
命の一回性を賭けて、右往左往迷いながら、取り返しのつかない今日を生きている。振り返って悔いの
ある生涯を最後の死の瞬間まで生きている。なぜ今それに気づかないのか!? 若い世代よ、君たちには
チャンスがある。それは少しデバイドがある平等のチャンスではあるけど、充分意志のちからで乗り越え
られるチャンスではないか。以上はマーラーの「復活」を聴きながら書いた。                  
 若い世代よ! 君たちに慰めは要らない。慰める者を軽蔑せよ。君たちに同情は要らない。同情する
者を拒否せよ。君たちに微笑は要らない。微笑の裏には軽蔑がある。若い世代よ!自ら羽ばたけ!そ
の羽の破れるところに君の天国と地獄がある。私のメッセージはこれだ終わりだ。私の悔い多き生のリフ
レーンとなるな!!!(2001/6/3 20:32)            

[フランスでの「カルト防止法」成立について]
 5月30日にフランス国民議会で「カルト運動防止・抑制強化法」が成立し、宗教の名前でおこなう利権
活動や人権侵害に対する解散命令、指導者催行禁固5年、500万フラン(約8000万円)の罰金が決
定された。国民議会に提出された『フランスのセクト』という報告書では、「心理的攪乱という手法によっ
て、信者達から無条件の忠誠、批判的精神の低下、倫理・科学・公民・教育の分野で一般に受け入れら
れている基準との断絶をめざし、個人の自由、健康、教育、民主適性度に危険を持ち込むもの」と定義さ
れている。驚いたことに、このようなカルトの例に、創価学会、統一教会、エホバの証人、サイエントロジ
ーなどが調査対象になっていることである。(2001/6/2 20:29)

[5度ハンセン病について]
 終戦直後の長島愛生園では、食糧不足で朝夕食はおかゆで副食は塩。園長の光田健輔は強制隔離
政策推進のリーダーであり、園長支持派が棍棒を持ってうろつくのでみんな息を潜めていた。夜になると
出刃包丁を振り回し、園を出て行けと強迫された。愛生園の改革を求めるビラを書いた患者は、両手両
足がマヒしていたので、万年筆にガーゼを巻き、口にくわえて書いた。森田竹次(当時35歳、享年66歳)
1996年のライ予防法廃止以降も、患者の多くは、現在も本名を名乗れず、故郷に帰れない。基本的人
権も国民主権も遠い世界のことだ。養子に出したことにして籍を抜かれ、両親の死亡の通知がない人も
多い。ハンセン病患者への国家賠償は、既にこの世を去った人々にも実施すべきである。
 ハンセン病詩人谺雄二の詩を掲げる。

            「このままでは死ねない」

         ライは天刑・業の病
         即ち神国日本にとって
         決してあってはならぬ日の丸の汚点だといい
         世界列強に肩を並べる面子から
         国は明治40年ハンセン病患者の撲滅をめざした 
         現在生き残っている4700人の
         元患者の人間の尊厳をかけ
         私たちはここに<日本のアウシュビッツ>
         その国家犯罪を裁判に訴え挙熱く新世紀への扉を開く

         今日医学はライを治癒させている
         日本山脈の奥処 この熊笹の尾根に
         ひっそりと身を潜めねばならぬのか・・・
         夜はまだ明けぬ
         ああ夜はまだ明けぬ

                                               (2001/6/1 23:11)

[本日のトピックスから] 
 日本語と広東語は、単語や発音が同じものが多い。日本語の「はい」という返事は、広東語の「係(ハイ
)」が明治期に香港から輸入された。敬称の「・・・さん」も「生(サーン)」からきた。広東語で「人気」という
のは人の気配の意であったそうだが、日本語の影響を受けて今は評判がいいと言う意味にも使われる。
日中友好はこの当たりから始めてはどうか。
 アメリカで1999年に改正されたリハビリテーション法で、すべてのIT機器のユニバーサルデザインが
強制力を持った。障害者がアクセスできないIT機器は原則的に販売できない制度となる。ワシントンの政
府系官庁ではごく当たり前のように障害者が勤務しているのに、日本の官庁では見かけない。ここらが
本当のデジタル・デバイドになるのではないか。
 90年前の1911年6月1日に、若い女性5人が集まり青鞜社の発起人会が持たれた。「青鞜」は、18
世紀の英国で芸術や科学を論じたロンドンのサロンに集まった女性が履いたブルーストッキングに由来
する。それ以降進歩的な女性を冷笑するコトバとなった。平塚雷鳥は最初から覚悟して自ら「青鞜」を名
乗ったのだ。雑誌「青鞜」は、単なる文芸誌の予想を超えて女性解放運動のシンボルとなった。
                                                  (2001/6/2 20:53)

[国際アムネステイ2001年版報告書]
 世界の人権状況についての調査報告。日本に関しては、公判前の拘置に使われている「代用監獄」制
度について批判。拘置された被疑者への長時間の取り調べで強制された自白が、証拠として採用されて
いる。警察の取り調べ手続きに関する法規がない、起訴前の被疑者への国選弁護人の選任権剥奪、弁
護士の取り調べ立ち会い権の剥奪などを指摘している。2000年度で世界61カ国で超法規的な死刑が
おこなわれ、28カ国で死刑が執行された(日本を含む)。63カ国以上に良心の囚人が存在し、125カ国
で拷問と虐待があり、30カ国で行方不明が出ているとしている。(2001/5/31 20:15)

[本日は少し落ち着いた話題でいこう]
 5月27日のNHKテレビで、リストラなどの不安やストレスが原因となった30歳代の夜尿症が急激に上
昇し、高齢による夜尿症の70歳代の数値を超えたという。縄文期には、1日2〜3時間の労働で1万年
を過ごしてきた生活スタイルであった。現代日本の労働分配率と賃金水準の相関関係は、縄文期の逆
値であり、縄文期と同じ生活が出来るレベルにある(考古学の先端研究から)。
 サンテグジュペリ『星の王子様』で、酒飲みに「何で酒飲むの?」と聞いたら、酒飲みが「飲んでいる恥
ずかしい自分を忘れるために飲んでいる」と泣きそうな顔をして答えた。私はこの話を、人間は理性では
なんともできない面があるという例として教えてきたが、どうもこれは間違いだったのでは?と思う。こん
な浅はかな弱い人間の惨めさを教えたと言うべきではないか。
 考古学者の斎藤忠氏の言。「学者の冥加は、身長に達する本をあらわすことだ、と言われているが、私
の著作も重ねてみると身長をはるかに超える。夕日の西に沈むとき、今日はあだ(無駄の意)との憾みな
く、とは土井晩翠作の私の母校の校歌の一節であるが、一日を無駄なく過ごすことが、私の今である」。
なんと幸せな学者か。第一に、著作が身長を超えるほど心血を注いだ仕事があったこと(私は30cmに
もならない)、第二に、この世の不幸とは無関係に専心しうる仕事に就く条件を得たことである。この学者
にとって飢えて死んでいく子どもより、稲荷山古墳の鉄剣を発見することの意味があったのだろう。また
それが学問とも言える。すでに90歳を越えたこの学者の驥尾に付して私も往かなければならないが、あ
まりにも世俗の雑事が多すぎる。(2001/5/30 20:23)

[4度ハンセン病について]
 ハンセン病瀬戸内訴訟原告団長宇佐見治さん(75歳)が、訴訟に踏み切ったのは、熊本地裁訴訟で
の国側答弁書「隔離も断種も本人が納得してやったこと、なんら憲法違反ではない」である。宇佐見さん
は、家族や職員の立ち会いもない僚友の遺体を自らの手で火葬した。「燃えながら弓なりになる遺体を
鉄棒で押さえつけた。僚友の遺体を焼かなければならないことほど、残酷なことはない」という。国のハン
セン病行政に大きな影響を与えた長島愛生園の光田健輔園長は、「法改正で強権を発動し、強制収容
が必要」「手錠でもはめて強制的に入れればいい」と国会で証言し、ライ予防法制定に貢献した。この光
田健輔の名前を私は永久に悪魔の列に加え、このような人物が人間として生存した事実を深く刻みたい
と思う。或る意味で多くの日本人が光田健輔であったのだ。私も含めて。真実を貫くために彼らは50有
余年をかけた。彼らは地の塩である。(2001/5/29 20:25)

[冬敏之『ハンセン病療養所』(壷中庵書房)から]
 冬敏之氏は、小学生の時に発病し26年間を多摩全生園で過ごし、今は自治体職員の傍ら小説家とし
ての日々を過ごす。療養所時代の同僚である北條民雄(代表作『いのちの初夜』は、胸が締め付けられ
るような惹きつけられる題であったが、いまの今まで北條がハンセン病患者で亡くなったことも知らなか
った、川端康成の推薦でデビュー)の日常が登場する。私が興味を惹いたのは、民雄とともに文学サー
クルをやっていた土田義雄という人物である。昭和22年に特効薬プロミンが発見され、アメリカからの輸
入量が足らず、1200名の患者から1割の重症患者が選ばれて土田さんも入った。
 土田さんは、「辞退することが人間として非常に自然のようで、そうした行為が英雄的とかあるいはカッ
ッコよくみせるとか、そんな感じは全くなく」、みんなが受けた後でよいといってプロミン治療を辞退した。
極限状況のなかで自然に出る振る舞いとしては、聖人の行為である。まさにあのナチス強制収容所での
マクシミリアン・コルベ神父に並ぶ。他者の小さな裏切りや背信をすべて許した上で、最後の臨終の13
人の見舞客のひとりひとりに弱々しい声で「ありがとう、ありがとう」といって、20分後にこの世を去った
そうである。
 私たちが日常の酬悪な人間関係に疲れているときに、まさにその同じ人間が神にも近い行為を自然に
おこなう神々しさを合わせ持っている、そこに私の救いがある。しかし振り返れば、私たちの日常のすみ
ずみにこのような「神の行為」は姿を変えて営まれているのではないか。土田さんは、2.26事件で首相
官邸に突入した青年将校であった。(2001/5/28 20:11)

[「小泉首相の靖国参拝について」(英『エコノミスト』5月19日号から)]
 東条英機等のA級戦犯を合祀している靖国神社への公式参拝に対して、英誌『エコノミスト』は、「ドイツ
の首相が、ヒトラー、ヒムラー、ゲーリング等を追悼する教会行事に公的に参列したらどうなるか。・・・・死
者を弔うなら戦没者墓園を訪問する方がよい」と批判している。恐らく西欧では、ナチス賛美への国家指
導者の公式表明として、EUからの追放、外交関係の断絶からドイツ商品のボイコットに至る猛烈なドイツ
批判が誘発されるだろう。同日のBBC放送は、「改革派としてもてはやされている小泉首相は、意外と
ウルトラなナショナリストであることを示した」と解説した。欧米の小泉評はこれで固まってしまった。A級
戦犯を靖国から分離する姑息な方法も考えられているが、これこそ政教分離を犯す靖国神社宗教法人
への介入そのものだ。靖国神社の記念館である就遊館を一度でも見たら、全ての戦犯が英霊として讃
えられていることを実感できる。(2001/5/27 10:40)

[ヘルムート・シュミット特別講演から・・・・・ビルドゥングのこの違いに畏敬する]
 ドイツ前首相の来日講演(東京大学)から、日本と西欧の教養の圧倒的な差異を覚える。演題は「追憶
悔恨、そして責任」となっているが、このような演題を設定しうる日本の政治的指導者がいるであろうか。
全文を是非紹介したいが、残念ながらここでは一部のみ挙げる。
 「植民地主義や奴隷制、帝国主義が他の世界で既に退潮に向かっていた今20世紀の前半期に、日
本は逆に自ら帝国主義的な植民大国たろうとして懸命になったのです。中国で、旧満州で、朝鮮で、そし
て台湾で。1941年以来皆さんの父祖たちは、軍事技術力でこれらの全ての国を征服して、ヒトラーの前
例に続こうとしたのでした。第2次大戦を仕掛けたのがヒトラーであることを疑う人が世界に一人もいない
と同様に、アジア太平洋で戦争を仕掛けたのが日本であることを疑う人間は誰一人いません。・・・・なに
びとも、他者が犯した罪悪や犯罪行為を悔い改める義務を負っていません。けれども、われわれ両国民
はその父親や父祖の中に、犯罪行為を犯した者がいたことは確かです。われわれ両国民は誰であれ、
そのような犯罪行為が将来において二度と再び繰り返されないようにする重い責任があるのです・・・・」
 私は、このような彼我の責任意識の差異が、一神教と多神教の差異だなどど文化論的な弁護ですまさ
れない、なにか本質的な人間の質に関わるような気がする。つまり、つまり、日常の職場や学校の場で、
営々と積み重ねられている無責任との対決なしに、シュミット氏に向き合えることはないのではないか。
 表しがたい笑いのなかで常に本質を誤魔かしていこうとしている私たち自身の良心の痛みの摩滅の中
に、言い難い無性に腹立たしい、殺してやりたいようなイラダチを覚える。恐ろしいのは、このような感覚
の世界にすでに高校生を含む若者が処世術として浸りつつあることだ。(2001/5/25 20:47)

[オーイ日本は大丈夫か?]
 総務省の2月労働力特別調査は、日本の労働力市場の危機を示している。完全失業率は、@月末の
1週間で、A全く仕事をせず、B仕事を探している人で、C仕事があればすぐ就ける人を対象とし、全国
で318万人(4.8%)という数値になった。しかし、@〜Cに入らなかった1週間でチョッとアルバイトした
人、前週は探したが今週は探さなかった人、働きたいが介護がある等の人は、完全失業者ではなく非労
働力人口に算入する。非労働力人口での内、自分では就業を希望している人は920万人、このうち42
0万人が「適当な仕事があれば働きたい人」であり、そのうち「すぐ就ける人」が133万人である。これを
完全失業者318万人に加えると451万人(6.6%)となる。420万人では738万人(10.4%)となり、
就業希望者全員を加えれば1300万人(17.0%)となる。病気などの自己都合で就業できない人を除く
と最低738万人が失業者となる。労働力特別調査は、日本の失業率計算の欺瞞性を余すところなく示し
ている。これはほとんど暴動が起きる数字ではないか? 小泉内閣の不良債権最終処理が強行されれ
ば、恐るべき失業国家が出現する。これをこそ「市場の失敗」といい、それをセイフテイーネットで救済す
るのが政府の役割ではなかったのか。(2001/5/23 22:23)

[三度ハンセン病について]
 私は事実のみを語る。全国のハンセン病療養所では、所長に警察権(患者懲戒検束権)を与え、監禁
所を設置した。全国から反抗的な患者を集める特別病室は、群馬県草津町につくられた。鉄筋コンクリ
ートで囲まれた4畳半の獄舎には、小さな明かり窓がひとつあった。全部で八房、房毎に鍵があり、奥の
部屋は八つの鍵がいる。食器の差し入れ口は扉の下で、そこから腕を伸ばして探る収監者がいた。8年
間で92人が投獄され、22人が獄死、出獄後すぐ死亡した人が30人。冬は零下20度で暖房はなく、板
敷きの床に粗末な布団が2枚、犠牲者は布団毎凍死した。政府の絶滅政策で、断種1434人、人工中
絶3135人。ハンセン病は感覚神経がマヒするため、怪我をしても気づかず血だらけになる。全国の療
養所の納骨堂には、死して故郷に帰れなかった23000人余の遺骨が眠っている。今も4000人が療
養所にいる。彼らは本名を隠し、実家の住所を隠し、おののきながら一生を終える。ハンセン病患者原告
団は、今全国の療養所から徒歩で東京に向けて控訴断念の行脚を続けている。
 私は今想い出す。映画『砂の器』(原作 松本清張)で、ハンセン病の父親を病院に訪ねた主人公に対
して、父親は「お前は知らん、ワシは人違いだ!出て行け!」と音楽家として脚光を浴びつつある我が子
に呻いたシーンを。全身を藁で覆った父と子が、雪吹きすさぶ海岸をヨタヨタと歩いていく姿を、そしてピア
ニストとしてのデビューを飾る主人公が恋人を殺害するに至る哀しみの行為を。かってハンセン病の実
態を知らないまま観た映画はそれでも圧倒的な衝撃を与えた。あの恐ろしいまでのシンフォニーの劇的
な音の波は、今でも私の耳に迫ってくる。私は、芝木のりこの詩「わたしが一番うつくしかったとき」を、ハ
ンセン病患者のひとりひとりの無惨な生に捧げる。

  「わたしが一番うつくしかったとき」 芝木のりこ

    わたしが一番きれいだったとき
    街はがらがら崩れていって
    とんでもないところから
    青空なんかが見えたりした

    わたしが一番うつくしかったとき
    だれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった
    男たちは挙手の礼しか知らなくて
    きれいな眼差しだけを残し皆発っていった
  
    わたしが一番うつくしかったとき
    わたしはとてもふしあわせ
    わたしはとてもとんちんかん
    わたしはめっぽうさびしかった
    だからきめた
    長生きすることに
    年をとってから凄く美しい絵を描いた
    フランスのルオーさんのように

                            (一部略 筆者責)
   
 浄土真宗本願寺派(西本願寺)と真宗大谷派(東本願寺)は、「無批判に国家政策に追随し、隔離とい
う政策徹底に大きな役割を担った」教団史を振り返り、「極めて非人間的な法律を国が持ち続け、私たち
もそれを容認してきた過ちの重さをはっきり見据える」という声明を発表した。私は、ここにかすかな21
世紀の燭光を見る。私に責任はないのか。小泉内閣の控訴断念に至るまことに戯画的な過程を聞きな
がら記す。(2001/5/23 20:55 K・A)

[再びハンセン病判決について]
 こだま雄二(69歳 原告団会長代理)、後遺症でワープロは左手小指のみ。6歳で発病、7歳で多摩全
生園収容以来62年間は隔離生活。母、兄も発病し実家は真っ白に消毒、姉は離縁、 ライ患護送車で強
制隔離。家族は村八分、家屋は全て焼き払われた。空襲の中で母と兄は餓死。ハンセン病患者の平均
年齢は74歳、余命幾ばくもない。世界的に特異な強制隔離政策をとったのは日本のみ。感染力と発症
力が極端に弱く、特効薬プロミンの開発後も50数年強制隔離をおこなった。この痛みへの想像力は、大
江健三郎をもってしても無理だろう。画期的な「立法不作為」を受け入れたくない政府は、控訴の後和解
でカネを払う方針だそうだ。人間の尊厳のほとんど信じがたい喪失と無感覚!この一点で小泉は退かな
ければならない。しかし、当時の民衆は、彼らを村八分にし家を焼き払った、その火付け綱の端切れを私
も握っていたのだ。ほとんど救い難い国に私たちは生きている。(2001/5/22 20:16)

[デジタル・デバイドについて]
 デジタル・デバイドの指標は、比較主体と内容に分けられる。比較主体は、個人(年齢、性別、所得、職
業、身体など)、組織(企業規模、公私立学校など)、地域(国、都道府県、市区町村)である。内容は、情
報通信インフラ(光ファイバー網、高速移動体通信など)、環境(PC、回線、LAN、ソフトなど)、利用(リテ
ラシー、意識など)であるが、私は利用効果(収益効果、学習効果など)が最大のデバイドだと思う。
 デバイド解消の必要論は、所得格差による社会的不安定、ネットワーク外部性の実現、ユニバーサル
サービス、経済誘発効果、初期のデジタルオポチュニテイーの均等、社会的効率性にある。これに対し、
デバイド解消不要論は、自動車運転免許論、個人努力優先論、高級財論、嗜好の自由論、長期的自然
解消論などがある。私は、デジタル利用率の所得間格差ないし階層間格差が基本問題で、デジタルデバ
イドによってそれがさらに増幅されなければ、嗜好の自由でよいと思う。(2001/5/21 21:28)

[太平洋戦争死者230万人の60%は戦死ではなかった]
 アジア太平洋戦争における日本人死者約310万人のうちの軍人・軍属の死者230万人の死因別死
者数は、60%の140万人が栄養失調による病気や飢餓であった。日本軍の食糧は「」現地自活主義」
であり、補給の途絶による飢餓、伝染病(マラリア、アメーバ赤痢)や下痢による死亡が大半を占めた。
大量の餓死は、@過剰な精神主義、A敵の火砲の軽視、B補給部門の軽視、C参謀の机上の空論敵
作戦主義、D兵士を人間ではなく天皇の楯と扱う・・・・など欧米近代軍の対極にあった前近代的軍隊の
悲劇であった。
 靖国の英霊の過半数は、日本軍事思想の犠牲となった飢餓地帯での野垂れ死にであった。以上は、
藤原彰『餓死した英霊達』(青木書店)の最新研究成果。この研究によって、靖国問題は決着が付いたと
思われる。(2001/5/21 21:06)

[篤農家といわれた祖父母に]
 岡山の1町歩あまりの田畑に生涯を捧げた祖父母の姿が、時に蘇る。2人は黙々とその田畑を耕し、 
大きな物語もなく一生を終えた。想えば日本の近代史を支えた日本農業の中核農家であった。朝は5時
頃に太陽の指し昇る東を向いて遥拝する祖父の姿は、今でも脳裏に焼き付いている。汗が滲んだ祖母
の背中は、今では何とも言えない言葉を越えた労働の実相を幼い私に告げてくれた。私の生と理論活動
は、深いところでこのような原体験に規定されている気がする。大地と格闘して、無名のうちにいまは墓
場に座している無数の百姓達のなかから、実は近代化を担った出藍の誉れと称せられた階級も形成さ
れた。私は、時代がどのように変わろうとも、この無名の人たちの墓碑銘のなかにこそ、言い得て表しが
たい歴史の底流の深さと重さを感じる。彼らは所詮空しい消えゆく生命であったのか、あの西の空を染
めた夕暮れの美しさは、再び帰り得ぬ記憶の中にしか存在し得ぬのか。
 労働を忌避した私に、哀しそうな眼差しで「手伝ってくれよ」といった祖父の言葉は、はじめて私が一人
前の男として、労働力の対象とせざるを得ない実の承認と、大人としての肉体的権威の失墜を私に示し
た最初の依頼であった。その時の祖父の哀しみを込めた肉声は、今でも取り返しのつかない痛みとして
私の胸によみがえる。
 私は、それ以来「篤農家」という言葉に無限の誇りと同時に報われぬ生を感じる。私たち教師もまたこ
のような生のリフレーンではないか。「篤」を冠したあらゆる仕事に、私は絶賛の辞を送る。「篤教家」と云
われて生涯を閉じた無名の教師達に、私は頭を下げる。
 教育基本法と日本国憲法を改正すべきだと、声高に宣揚する魑魅魍魎が跋扈する巷にあって、良心
の最後のひとかけらとともに姿を消していこうとする無名の教師群像に、歴史の光は必ずや照射するだ
ろう。(2001/5/20 19:13)

[米国盗聴捜査報告2000年度版から]
 裁判官からの報告では、令状の内60%(715件)が携帯機器(携帯電話、ポケベル)がトップで第2位
が個人宅の電話盗聴である。最も長期の盗聴捜査は連邦警察でカリフォルニアの308日、州警察では
ニューヨーク州の300日である。
 検事からの報告は、平均日数は42日、連邦警察の盗聴で頻度が最も高いのは、the Northern Dis
−trict fo Ohaio での1日346通話の盗聴。州警察ではニューヨーク州の1日713通話となっている。
 実際におこなわれた盗聴対象では、電話回線(固定、携帯、コードレス)への盗聴が全体の81%(92
7件)。このうち691件が携帯への盗聴を含む。次いで、ポケベル、ファックス、電子メールといった電子
機器の盗聴で全体の8%(89件)である。
 盗聴された通信の内22件で暗号が使用されていたが、難なく解読に成功。盗聴捜査費用は54829
$で、3411名が盗聴捜査で逮捕され、うち22%(736名)が有罪。連邦警察が約半数。
 世界を同盟国・競争国・ならず者国に分類し、世界帝国として君臨し、民主主義を輸出している国の恐
るべき人権侵害の実態。野獣となった個人の競争国家の民主主義とは、このような監視国家でもあった
のだ。彼らに云わせれば、犯罪の自由とともに監視の自由もあるというだろうが、なんとうすら寒い国な
のであろうか。常に他人を犯罪者と疑わなければ暮らしていけない国に成り下がった状況に、自由の女
神は微笑むであろうか?盗聴法の成立した日本の未来がある。(2001/5/20 12:12)

[君が代とはなにか]
 「君が代」の元歌は、古今集に読み人知らずとして載っている古歌である。現行の曲の作曲者は、宮内
省雅楽課の林広守であり、明治13(1880)年11月天皇の誕生日を祝って宮中で初めて演奏された。
その翌年に文部省の発行した我が国初の音楽教科書「小学唱歌集初編」には、それとは全く違う「君が
代」が載っている。当時の教科書編纂に参加した東京師範学校教員の稲垣千愕が歌詞を創作して補い
2番の和歌は源頼政の作であり、曲はウエブのものを借用したが、この歌は唱われなく、文部省は明治
26年8月の告示で、現行の歌曲を学校の儀式で用いるように制定した。
   <もう一つの君が代>
   君が代は。ちよにやちよに。さざれいしの。巌となりて。こけのむすまで。うごきなく。常磐はかきはに
   かぎりもあらじ。

   きみがよは。千尋のそこの。さざれいしの。鵜のいる磯と。あらはるるまで。かぎりなき。みよの栄え
   を。ほぎたてまつる。
           *詳細は、http://www.tokyo-syoseki.co.jp/bunko/kimigayo.htm (2001/5/19 22:57)

[口蹄疫と皆殺し・・動物愛護のパラドックス]
 欧州で猛威をふるう口蹄疫対策として、皆殺しがおこなわれている。殺した家畜を堆く積み上げて燃や
している。なにかスゴイ迫力と違和感を覚える。鯨等に対して猛烈な批判をおこなう欧州人は、このように
動物の虐殺をおこなうことが出来る。口蹄疫は、伝染性は高いが死亡率は少ない、コレラやペストのよう
な猛菌ではなく、麻疹程度の病気だ。だからワクチンで充分なのだ。ではなぜワクチンを使わないのか?
 ワクチンを使うと肉質が落ちて商品価値が下がるからだ。過激な市場競争のなかで、政府の命令で皆
殺しにして補償金を受け取る畜産業の経営論理が優先している。少々肉質が落ちても我慢して食べて、
家畜を助けるべきだ。欧州の動物愛護運動の限界が見事に露呈している。 (2001/5/19 9:17)

          [サイバー戦争におけるデバイドの深層]
    米国のスパイ衛星システム「エシュロン」の調査に訪米した欧州議会調査団を、米国国
    家安全保障局NSAと中央情報局CIAは面会を拒否し、調査団は帰国した。冷戦期に
    旧ソ連向けに発足したエシュロンは、同盟国の通信まで傍受し、あらゆる通信を傍受
    して、あげくは航空機輸出や日本車の排ガス基準まで介入し、米国の市場競争を優位
    に展開した。米国の調査拒否によって疑惑は益々深まった。
     米中軍用機接触事件以来、両国のハッカーによるサイバー戦争が展開し、中国側「紅
    客連盟」は1000以上の米国サイトを破壊、ホワイトハウスのサイトを2時間以上閉鎖に
    追い込んだ。米国ハッカーも、1000以上のサイトを破壊した。人民日報は「中国ハッカ
    ーは愛国心溢れる人々だ・・・・中国側は安全対策が未熟で、犠牲となる例が多い」と休
    戦宣言をおこない終息した。
     高度情報化時代のデジタルリテラシーが如何に危ういかを象徴的に示している。しかし、
    基本的には電話盗聴と変わらない面もある。デジタルデバイドの優位が勝者の条件とな
    る未来社会の萌芽があるとも言える。私のサイトも傍受されている。(2001/5/13 9:27) 

          [李秀賢記念日韓ラグビー交流施設]
     JR新大久保駅で線路に転落して救おうとして亡くなった韓国人留学生(26)の死亡
    事故で、韓国ラグビー協会秋光浩(46)らが、ソウルに留学生を中心にした日韓交流
    施設建設計画を進めると発表した。「李さん等の犠牲的な行為はラガーマンの精神に
    通じる」とし、私有地1800hmを寄贈し、5億円かけて、図書館や宿泊施設、会議場を
    備えたものにする。
     何か違うぞ。私たち日本人が寄贈すべきではないか。一方で韓国を貶める教科書を
    出して喜んでいる人や内政干渉と言って抗議している人がいる。私たちは、戦後欲望
    肥大社会のなかでなにか大切なもの・・・矜持とか志しとかを失っている。はるかに彼の
    国の人の方が人間の尊厳を心得ている。(2001/5/12 10:56)

          [君が代を歌う若者・・・最近のカラオケヒット曲]
     Jリーグ名古屋グランパスサポーターの愛知県甚目寺町の会社員(28)は、「胸に手
    を当てて歌うとよし勝つぞという高揚感がある。意味はよく知らないけど、天皇をたたえ
    る歌ですよね」。名古屋市のカラオケ2万7千曲中現在2311位でほぼ石原裕次郎とお
    なじランク。こうして大衆的君が代が普及していく。カラオケで君が代を歌うときは、恐れ
    多くも東方を向いて直立不動で歌っているのでしょうね。このような現象は名古屋からし
    かはじまらん(朝日新聞5月8日付 2001/5/11 23:38)

          [私の恥ずべき無知]
     ハンセン病裁判で初めてその真相の一端を知った。ハンセン病とは、ライ菌によって
    顔面や四岐にに褐色の結節を生じ、特異な顔貌を呈する(『広辞苑』)発見者ノルウエー
    の医師ハンセンに因む。日本ではライ病と呼んでいた。感染力は弱く、特効薬があった
    にもかかわらず、日本では強制隔離・断種・中絶で社会から抹殺された患者が2万3千
    人に上る。1996年にライ予防法が廃止されるまでこれは続いた。次は鷹志順(66)の
    生涯から・・・・・「一族断種して家を絶とうと思う。面会に来た兄からそう切り出された。ハ
    ンセン病は当時遺伝病だと偏見があったからだ。父親が亡くなったとき、電話で”帰ってく
    るな”と言われたが、それでも帰った。葬列の最期から歩いたが、その後実家との縁は切
    れた。それでももう一度お母さんと呼んでみたい」。これに類した2万3千人の人生がある。
     無知故の責任を私は感じる。邑久光明園と長島愛生園は私の故郷の近くにある。何れも
    瀬戸内海の島であり、行政は絶対に本土との橋を架けなかった。大半の原告は今でも名
    前を名乗れず、「原告番号○○番」として法廷に出ている。エイズ患者は起こるべくして起
    こった理由がよく分かった。厚生省を含めた国民の犯罪だ。それにしても朝日新聞「天声
    人語」は一体なんだ。いままで何の社会的アピールもしないで、判決が出ると正義の味方
    のように評論する。こういう態度がハンセン病患者にとっては一番許せないのではないか。
                                             (2001/5/11 23:24)

         [ジャック・アタリの矜持]
     ミッテラン仏前大統領特別顧問・欧州開発銀行総裁であった氏のアメリカ文化批判に
    は、フランス文化の矜持を覚える。フランス・ショービニズムの臭いがしないでもないが、
    我々日本人が歴史的に持ったことがない文化的なオブリージュがある。「いや将来に渡
    る大きな問題は学位の問題だ。文化の闘いとはまず教育の戦いだ。米国の大学は企業
    化し、学位を売っていくだろう。私の推測では現在約2億人の非アメリカ人が米国の学位
    を欲しがっており、米国は自分たちに従った者に学位を出す。・・・新たな文化帝国主義の
    姿がそこにはある」(朝日新聞5/8夕刊)。日本政府の高官でこのような発言をする人がい
    るだろうか。このような文化の香りのするステーツマンが日本にはいない。いたとしても政
    治的に抹殺されるだろう。(2001/5/8 22:02) 

         [遺伝子組み替え赤ちゃんの誕生について]
     英国BBCは5月4日の報道で、米国での30人の遺伝子組み替え赤ちゃんの誕生を
    報じた。15人を誕生させた米ニュージャージー州セントバルバナスの生殖医療科学研
    究所では、細胞内ミトコンドリアの異常に伴う遺伝性疾患を防ぐため、母親の卵子に他
    人の細胞の一部を加える方法で正常なミトコンドリアを持つ赤ちゃんを誕生させた。つま
    り両親以外の第3者を含めた3人の遺伝子を組み合わせた人間が生まれたのである。
     アマチュアの私はすぐ次のようなことを想像する。アインシュタインの頭脳と、カール・ル
    イスの脚、ミケランジェロの絵画力、モーツアルトの音感、シェイクスピアの筆力などなど
    天才達の遺伝子を組み合わせたサイボーグ人間を! しかし彼は同時に相対性理論と
    絵筆を持ってピアノに向かいながら、文章を書き挙げ句の果ては、その混乱に陥り自分
    を処理できないで困惑するのではないか? 生命科学をコントロールするバイオエシック
    スの在り方を腰を入れて勉強する必要がある。
     新自由主義アメリカは、まさに暴走しはじめている。そのうちカルトによるクーローン人
    間の誕生が報道されるだろう。連休最後の日朝刊を読んで(2001/5/6 9:13)

         [ローマ・カソリックとギリシャ正教会の歴史的和解!!]
     ローマ法王ヨハネ・パウロ2世は、5月4日アテネを訪問し、ギリシャ正教大司教クリ
    ストドウロスとの会見をおこない、教会大分裂後の十字軍の迫害と略奪を謝罪し、「現
    在に至るまで、カソリックの信者達は正教徒に対して罪を犯してきた。主が許されるよう
    に祈りたい」と述べた。驚くべき謝罪の旅だ。数世紀前の歴史的事実について、ドグマ
    テイックな宗教の世界でこのような謝罪がおこなわれ、新たな関係を構築するこの歴史
    感覚は、私たち日本人とは全く違う。戦争犯罪で使われる「記憶」という言葉の真の意
    味を知らされた気がする。このような歴史への「責任」は、「水に流す」行動をとってきた
    日本人を撃つ。ローマ法王の行動の裏にたとえ「拡大主義」があったとしても、西欧宗
    教史に大転換を画することになるだろう。この世にはまだまだ「見るべき程のことは見
    つ」といえる多くの事実を提供してくれる。当分この世は去れない。(2001/5/5 9:31)

         [中国 改正民法施行]
     注目の婚姻法改正が全国人民代表大会で28日採択、即日施行された。愛人との同
    居、家庭内暴力の禁止、夫婦財産制、子との接見、離婚損害賠償など改革開放体制
    下の家族生活の変貌を踏まえた対応だ。驚いた点が2つ。高所得者の一部で妻妾同
    衾があるらしい。広東省では経済犯の95%以上が愛人を囲っていた。もう一つは、「
    計画生育(一人っ子政策)」によって法定結婚年齢を、男20歳・女18歳を男22歳・女
    20歳に2歳あげた。内政干渉にならないとは思うが、これは基本的人権の問題ではな
    いか? 一人っ子政策は未だ強制力はなく保護政策のレベルだが、婚姻年齢を政策
    的に操作していいのか?大いなる疑問だ。(2001/5/1 20:17)

         [ヴァルター・ベンヤミンの足跡]
     「複製技術時代の芸術」で知られるベルリン生まれのユダヤ人思想家。1940年亡 
   命先の巴里を脱出し、南へ逃げながらピレネーを越えてスペインの寒村ポルボウで自殺
   する。48歳。29歳で手に入れたクレーの「小さな天使」を手放し、最後は黒いカバン一
   つであった。最後の論文である「歴史の概念について」で、歴史は強風によって否応なく
   未来へと運ばれるが、その足下には瓦礫の山が残る・・・といったペシミズム溢れる文章
   が展開する。
    極限状況に追いつめられたときにこそ、人間の本質は露わとなるが、生きること自体
   が限界状況であった1940年代の西欧でシンカーであろうとするギリギリの心情がほの
   見える。1970年代日本の学生運動でよく「挫折」という言葉がが使われたが、いかにも
   甘っちょろい言葉であった。西欧と較べてやはり日本は、「甘えの文化」であるのだろう
   か。最後は何らかの集団が自分を引き取ってくれると云うのが目に見えて、自分の頭で
   最後まで考えて屹立するという文化を創らねば・・・という想いがこみ上げてくる。朝日新
   聞4月29日日曜版参照(2001/4/29 9:35)

         [不良債権処理すれば、景気はよくなるか?]
     日本経済の不況を脱するキーワードとして、不良債権処理がかますびしく宣揚されて
    いるが、果たしてそうか? 不良債権とは、貸したカネが戻ってこない心配がある債権
    を云う。不良債権は景気が悪いから発生するのであり、逆ではない。不良債権を処理
    すると云うことは、カネを返してもらうか、担保を処分して金に換えるかどちらかだ。そ
    れは、確実に企業を倒産に追い込む。現在不良債権の額は銀行融資総額の約3%だ
    。その3%を不良債権として最終処理すれば、現在の企業総数250万社の3%である
    7万5千社が倒産する。250万社で働く従業員総数4400万人の約3%の130万人
    が失業し、路頭に迷う。現在の完全失業者数320万人でプラス130万人が失業する
    と、合計450万人約6,5%の高失業率となる。小泉純一郎の云う構造改革とは、所
    詮こういうことであり、その中枢である経済財政相に就任した竹中平蔵は脳天気な新
    自由主義経済学者として、最も軽蔑されている曲学阿世の徒である。これらの連中は,
    ポピュリズム的な大衆的人気を背景に日本を奈落の底に転落させようとしている。竹 
    中曰く「強い者は生き残れ、弱き者は去れ」。しかし、今度こそ取り返しがつかない破局
    が待っているかもしれない。(2001/4/28 8:00)

       [フィリップ・フォレスト『永遠の子ども』1997年フェミナ賞受賞作]
     フランス現代文学の研究者フィリップ・フォレスト氏は、大江健三郎の『個人的体験』を
    読んで感動し、ガンと闘う娘を描いた処女作『永遠の子ども』でフェミナ賞を受賞し、現
    在来日中である。次はその作品の一節。「私は娘を紙の存在に作りなした。私は夜ご
    と書斎をインクの劇場に変えて、作り出された冒険をあらためてみずから演じた。最後
    の文字を書いて、私はこの本を他の本と並べた。言葉は、どんな救いにもならない」。
    スゴイ文章だ。翻訳(大江)もスゴイ。このような文章は大江にも書けない。いわんや私
    も。娘を喪う哀しみが心底から伝わってくる。この時ほどフランス語が理解できたらと思
    ったことはない。朝日新聞4月26日付参照。(2001/4/26 18:57)

        [「紫金草物語」(作詞大門高子、作曲大西進南京市青春劇場公演]
     今、線路際に咲いている美しい紫の菜の花は、日中戦争後復員兵が平和を願って中
    国から持ち帰り、日本全国に播いた紫金草である。それを歌い上げた「紫金草物語」
    の公演が、南京虐殺の当地である南京市青春劇場で行われた。中国の聴衆は、「今
    まで日本人は鬼としか思っていなくてはじめて鬼のお母さんや教師の気持ちを考える
    ようになった」(小学校教師)とか、「日本人が嫌いだった。今回のコンサートで見方は
    変わった。良心のある日本人も大勢いることを知った」(高校生)とかの感想を語って
    いる。粛然と、正して聞くべきではないか。私たちの父が犯した罪の深さを思う。
                                            (2001/4/25 21:10)

        [デマゴーグ小泉純一郎の登場]
     デマゴーグとは、ローマ帝国末期において登場した民衆を煽る扇動政治家の意味で
    ある。危機の時代に伝統的な既成の価値観がゆらぎ、また将来への展望が見えない
    ときにしばしばある種の革命的なメッセージをもって、民衆の不安な心情を惹きつける
    似非政治家を云う。小泉純一郎は、小型デマゴーグとしてのイメージ戦略に成功し、圧
    倒的勝利を勝ち取った。日本の現状の危機と展望のなさを露呈したデビューではある
    が、ニューファッションを装ったネオ・ファッシズムと言って間違いない。憲法・教育基本
    法の改正は急テンポで進み、構造改革という名の新自由主義路線が急展開する可能
    性がある。私たちは自分の政治的レベルにふさわしい政治家しか結局持てないのか。
    しかし、どこか深部で日本の地殻変動が起こって、予測し得ない早さで歴史が動いて
    いるのは間違いない。(2001/4/23 20:30)

        [プロ・ボクシング世界ヘビー級タイトルマッチ ルイス破れる!]
     本日南アメリカヨハネスブルグで開催された世界ヘビー級タイトルマッチを衛星中継で
    見た。私は、肉体の鍛え上げられた限界でもって、人間の勇気と強さ、逆の恐れと弱さ
    の境界線上で、偶然のワンパンチで逆転の可能性を秘める恐怖に戦きながら、1対1
    の戦場で撃ち合い、叩きのめす文字通りの八百長のない勝負の世界に限りない魅力
    を感じる。上京すると必ず後楽園ホールに行く。2線級の選手が自己の将来を駈けて
    血を流しながら闘うのを見ていると、何とも厳粛かつ爽快な気分になる。 
     本日のヘビー級は、神話化された帝王レノックス・ルイスが5ラウンドに右一発で沈む
    というドラステイックな大団円であった。最強の地位に君臨した者の栄光と悲惨を今日
    ほど示したことはない。必死で起きあがろうとするルイスのうつろな目は、さっきまでの
    自信にあふれた傲然たる鋭い瞳はもはやない。勝つか負けるかのギリギリの緊張を
    放擲した安易な日常の戯れを逆照射する世界が、凛然としてある。いま、私の背後で 
    はショパンの夜想曲が流れている。(2001/4/22 19:55)

        [小学校1年生の将来就きたい職業 『職人』急上昇]
     化学メーカー「クラレ」(クラレは今や化学メーカーか!)が、ランドセルを購入した男女
    各2000人の小学校1年生へのアンケート。男子は、スポーツ選手・警察官・運転手・
    職人(大工)と上位を占め、女子は、パン屋お菓子屋・花屋・看護婦ときている。男子の
    職人は23位から4位に急上昇、会社員は10位から19位に転落し、遂にベストテン圏
    外に去った。
     実に世相を反映した職業観だ。リストラで苦しんでいる父親の姿を目の前に置いて、
    手に職を持つという安定志向であるのか、それとも職人の生き方自身に魅力があるの
    か、たぶん前者であるだろう。朝日新聞4月20日付朝刊(2001/4/21 17:38)

        [ハッサン・マレーシア戦略国際問題研究所所長のアジア戦略]
     ブッシュ新政権は、中国を「戦略的パートナー(協力者)」から「戦略的競争者」へと定
    義を変えた。クリントン政権のアジア政策は大きく転換し、緊張と対決の時代が来る可
    能性がある。このなかで日本の問題となっている歴史教科書は、アジアの一員として
    受け入れられない道を選び、ブッシュとの心中に至る可能性をはらんでいる。アセアン
    諸国は、友好協力条約の精神を踏まえ、人民の尊厳と福祉の安定、社会経済開発を
    優先させる相互協力の合意に達した。安全を軍事面だけでなく、生活や経済・社会の
    向上に置く協力は、確かな21世紀のアジアの未来を予測させる内容である。  
     このようなマスコミにあまり報道されない東アジア諸国の地道な自主的な努力を聞い
    て、私は日本の現在の道がなにかとんでもなく間違った孤立の途を歩んでいる気がす
    る。今マレーシアは、東アジアの1つの戦略モデルではないか(2001/4/21 17:15)

        [ユニクロの袖裏は、真っ赤な血で染められている]
     ユニセフが警告した強制労働のために売買される100人の子どもを乗せた奴隷船
    が、3月から西アフリカ各国をさまよってから、4月17日ベニンのコトヌーに入港した。
    乗船していた子どもは、23人であったが業者が母親を装っているため摘発は難行して
    いる。年間20万人に昇る子どもたちが、農場、漁場での労働や売春に従事し、1人あ
    たり約30$(約3800円)で売買され、親は「通学し、仕事もある」という言葉にだまさ
    れて我が子を手放す。カメルーンでは、約50万人の子どもが人身売買と重労働の犠
    牲で死んでいる。ユニセフとILOは世界の児童労働を総数を2億5千万人と発表し、5
    〜15歳の児童労働の60%がアジアに集中しているとしている。バングラデイシュでは
    全児童の60%が繊維産業に、ネパーールでも60%の児童が労働に従事している。
    以上ナイロビ発4月17日。(伊シチリア)国際児童労働会議4月18日発。

     私は事実のみを報告する。日本の明治期の原生的労働関係以前の奴隷制の対象
    が、幼児や児童労働によって担われている。ミレニアムとかなんとか騒いでいる地球の
    裏側で現実にある実態である。私たちが、ユニクロで安価で品質のよいアパレルを楽
    しく買っているその製品の袖裏は、アジアの子どもたちの真っ赤な血がにじんでいる。
    あなたは何のために学ぶのか!私は何のために授業をやっているのか!この事実に
    正面から向き合い、自らの答を語り得ない限り、それは想像力の貧困だと言われても
    仕方がない。「飢えて死んでいく子どもの前で、芸術はパン一切れの意味もない」(サ
    ルトル)は依然として生きている。(2001/4/20 19:24)

        [吉野屋牛丼250円から、日本経済を読む] 
     吉野屋の牛丼が250円セールを始めて、牛丼業界は価格戦争に突入し、昼食値段
    が激落した消費者はホクホク・・・本当にそうなのか? 牛丼の原材料である牛肉は1
    00%輸入で米国産、コメは国産と吉野屋は云う。まずコメの卸売物価指数は99年自
    由化以降下落の一途を辿っている。輸入物価は円高で下落しているが、円相場は本
    来の購買力平価(その国の通貨で買える同じ商品の値段の比較)である1$=153
    円より50数円円高で推移している。従って、牛丼の原材料である牛肉とコメは大幅に
    下落しており、今までの値段が実はおかしかったのだ。これが、消費者にとっては輸入
    急増による国内経済のバランスの崩壊と地域経済の打撃となって、平成不況が続く要
    因となっている。円相場が実勢を反映しない円高で推移しているのは、投機の影響とと
    もに、企業が国内を犠牲にして円高でも無理矢理輸出し、海外生産の逆輸入で最大限
    利潤を追求してきたことにある。従って、国内産業構造のバランスを回復させる道は、
    海外進出計画の規制と投機規制やセーフガード発動によるしかない。私たちは、日本
    経済のバランスを崩壊させながら、安い牛丼を食べて喜んでいるという悲惨な状況に
    ある。(2001/4/17 20:45)

        [水平型ネットワーク・システム・・・インターネットの驚愕]
     このホープページにリンクを張らせてくれ・・・というメッセージが最近数件飛び込んで
    きた。面白いのは、私の映画批評欄の或る映画についての評論と、私の出身大学の
    卒業生のホームページ一覧からの依頼があった(このようなサイトがあることすら私は
    知らなかった)。こうしたあるHP上の或る特定の語句を把握して、情報集約システムを
    構築する力には感心するものがあった。このような機能を備えている検索エンジンは、
    Gooだろうか? インターネットによる情報の水平的ネットワークの可能性について、私
    自身の体験から多くのことを考えさせられることとなった。(2001/4/16 20:25)

        [アメリカ帝国の真実について]
     アメリカ合衆国(本多勝一氏はアメリカ合州国)は、ソ連崩壊後地球帝国として我が世
    の春を謳歌している。この国は、自由・平等・民主主義のイメージと人種差別の背理す
    るイメージ間を揺れ動いてきた。最近は、地球環境の温暖化防止京都会議の議定書を
    アメリカ経済を阻害するということで脱退すると表明した。世界の温暖化排気ガスの多
    くをアメリカが排出し、排出権取引制度を自ら提案しておきながら、国際法上許されな
    い態度をとった。EUを先頭に全世界が抗議の声をあげているが、日本のマスコミの報
    道は小さい。ブッシュ大統領(知性と気品のなさでは近来稀だと言われる・・・私ではな
    く側近がそう云い演説させないという)自身が石油資本家であることから、強く石油業
    界のロビー活動を受けたとも言われている。日本の近代経済学者が、排出権取引制
    度の経済誘発効果を数理的に分析した業績も、これでは戯画化されることとなった。ア
    メリカ帝国の評価を腰を入れてやらなければ、21世紀システムが壊れる。
                                      (2001/4/16 20:05)

        [チン・コン・ソン(61歳)の死]
     ベトナムのシンガー・ソング・ライターが、4月1日病死した。彼の歌「坊や大きくならな
    いで」は、高石ともや、デユーク・エイセス、森山良子、加藤登紀子らが歌い、日本でも
    ヒットした。ベトナム戦争の真っ只中で作曲された彼の歌は、当時のサイゴ政権によっ
    て反戦歌として発売禁止となった。
     「坊や Ah・・・・おやすみなさい 草も木も緑も村も消えてゆく・・・・」 旋律が素晴ら
    しくココロに沁みいる調べであった。
     想うにこのような歌は、戦争や革命という大きな物語のなかで、極限状況を強いられ
    た芸術家の魂から迸りでる。現在の日本の何かわからん不透明のなかでは、このよう
    な歌は出てこないし、歌われない。これはいいことではあろうが、しかし人間が解体さ
    れる砂を噛むような日常を別の角度から歌い上げるシンガーの登場が期待される。そ
    のキーワードは「希望」だ。これから「スターリングラード」を観に名古屋の繁華街に自
    転車で行く。(2001/4/15 2001/4/15 9:28)

        [出版再販制論から地場産業論へUターン]
     再販制の継続が公取委で決まった。電子出版や情報ネットワークの展開が、公的規
    制である再販制を再編するという視点から、出版する予定であったが、私の専門が地
    場産業・地域経済である点から、名古屋市緑区の有松絞に焦点を当てた地場産業論
    を出版すべきであるということになり、急遽4月にプロット、5月連休は原稿書きというこ
    とになった。腰を据えて全力を投入しよう。リサーチャーにふさわしい我が仕事を成し遂
    遂げよう。明日は、絶対に「スターリングラード」を観に行くぞ!(2001/4/14 17:59)

        [新右翼「一水会」顧問 鈴木邦夫氏の主張について] 
     つくる会教科書問題をめぐって、新右翼の鈴木邦夫氏の主張に初めて触れた。(朝日
    新聞4月14日付け朝刊)。彼の主張の概要を記し(一部筆者略)、感想を述べる。

     歴史認識をめぐる保守派知識人の主張は、・・・自分たちは一点の誤りもない正義で
    あり、相手の存在を抹殺する言い方だ。そこには異なる意見に対する「寛容の精神」が
    ない。偏狭なナショナリズムであり拝外主義だ。・・・元来日本人は、謙虚であり、昔か
    ら朝鮮や中国から謙虚に学んで日本文化を形成してきた。ところが、日清、日露戦争
    に勝って傲慢になった。日本人が誇るべきは謙虚さであり、傲慢さではない。・・・天皇
    や戦争について、同じ価値観を持たせようとすること自体が間違っている。・・・いろい
    ろな史観を提示して生徒に考えさせる。・・・拝外主義に陥らない「開かれたナショナリ
    ズム」をどうつくっていくかだ。・・・意見の違いを認めて、タブーをなくしてはなしあうこと
    だ。

     鈴木氏の主張の特徴は、よりソフトな自由主義の装いのうえで、天皇制国家を復活さ
    せるスタイルでしかない。一見耳障りの善いリベラルな姿勢で、混迷する日本の現状に
    秩序を求める一定の若者のココロをつかむだろう。しかし、彼は君主制自体が民主主
    義と背理する自己矛盾にあることには気づいていない。左翼から右翼までの教科書を
    並べて、自由に考えるというのは、公教育の基本を否定している。彼の主張は、一水
    会青年右翼運動のなかで現代の若者の感性を踏まえた組織論として、ハードなやり方
    は通用しないという体験があるのだ。民主派の21世紀は、より手強いしたたかな右翼
    と対峙するということになる。 
     それにしても朝日新聞編集部は、コメントをつけて「異なる意見との対話を志向する」
    としているが、ファッシズムに反対するジャーナリズムの燭光としての原点を忘れてい
    るのではないか。巧妙な視聴率主義に堕している。ドイツ国家基本法は、「ナチズムの
    宣伝」への加担を犯罪としている。(2001/4/14 11:09)     

        [3歳のパレスチナ人幼児への想像力は?]
     パレスチナの保育園に勤める日本人保育士 中村真実氏のレポートから。何百年の
    前から国土をめぐって壮絶な闘いを繰り返してきた人たち。国家や民族への思い入れ
    は、日本人には理解できない強いものがある。保育園の3歳児でもハッキリ断言する。
    「ぼくはシリア人じゃない。パレスチナ人だよ」と。保育室では、銃撃戦ごっこが頻発す
    る。それはTVのヒーローのまねではなく、肉親達のまねなのだ。保育士もその遊びを
    奨励することはあっても、決して止めることはない。幼い頃から世界に直面し、民族を
    認識し、仲間の意識を育む。(朝日新聞4/13付夕刊)
     民族の修羅場を生きているいたいけな幼子たち、この子達も将来は立派なPLO戦士
    に成長し、若い命をゲリラ活動に捧げ、ある日突然あっけなく死んでいくに違いない。日
    本の子どもたちは、また全く異なる惨めな死を遂げている。なんと人類は、おろかな争
    いの形態を解決できないまま、21世紀を迎えているか。(2001/4/13 21:11)

       [IT革命の帰結・・・情報化爆弾について]
     システムの基本を破壊する兵器として、20世紀は核爆弾の時代であり、これは現在
    も依然として存在している。21世紀は、生命そのもを破壊する遺伝子爆弾の時代であ
    り、今や本格的に始まろうとしている。しかし、この2つの最終爆弾の機能を握っている
    のは、実は情報化爆弾であり、近未来の戦争は「情報化戦争」となる。この戦争の恐ろ
    しさは、地域的に限定されていた今までの戦争に対し、インタラクテイブな双方向性を
    持つ無限の情報連鎖のなかで、破局的な反応が誘発されてしまう所にある。それは、
    皆殺しではなく消滅であり、人類全体を壊滅させる熱核爆弾とも違う、生命の原理自体
    を消滅させる。以上がIT革命に対する思想的な評価を加えた最初の人物といわれるポ
    ール・ヴィリリオ『情報化爆弾』(産業図書 1999年)の要約である。
     いささか反科学論の臭いがするが、現在かますびしく繰り広げられている「情報化」
    論が、電子技術に偏重したパラダイムチェインジ論と、技術論抜きの人間主義的悲観
    論に両極分解している現状のなかで、技術と思想を架橋する統合的なIT革命論として
    注目される。未だ全文読み切っていないので即断できないが、期待は高まる。 
                                         (2001/4/12 20:03)

       [愛犬コロと平和公園桜見物散歩・・・]
     晴天が続く日曜日、愛犬コロを連れて平和公園に散歩に行った。桜が散り始めた公
    園では老若男女が賑わい、車座になってこの世の極楽を楽しんでいる。桜華は、独特
    の妖気を放ち、心を躍らせる何かこの世ならぬ光の風景を醸し出す。世紀初頭の平成
    不況の憂さを晴らすがごとく人々は戯れている。この過ぎゆく刹那を惜しむように、この
    春の陽光を浴びながら盃を傾けている。なにか滅びゆく最後の高まりの美しさの空しさ
    をも覚える。しかし、見渡す限りの桃白色の桜一面の咲き乱れた光景は、人を惹きつ 
    けて圧倒するちからを見せつける。
     愛犬コロもなにか浮かれた風情で、桜には無関心に道辺をひたすら散策していた。3
    0分ほど歩いて、街の愛犬の浴室にてコロの入浴を依頼し、帰宅した。何しろコロは、1
    年以上体を洗ってもらっていないのだ。かくして私の今年の春も短く終わった。
                                         (2001/4/8 20:08)

       [20世紀最大の音楽家 ふじこ・へみんぐとは誰か]     
     ピアノ月刊誌『ムジカノーヴァ』に全国の音楽系大学生2000人のアンケート「20世
    紀最大の音楽家は誰?」のピアニスト部門トップに”ふじこ・へみんぐ”が登場している。
    初めて聞く名前で、一回も演奏を聴いたことがない。誰なんだ?この人物は?
     日本人ピアニストを母に、ロシア系スエーデン人画家を父に、ベルリンで生まれる。5
    歳で帰国し、6歳からピアノを学ぶ。16歳で右耳の聴力喪失するが、東京芸大入学。
    数々の国内音楽コンクールで入賞し、28歳でベルリン国立音楽学校入学。ブルーノ・
    マデルナに認められ、ウイーンでソリスト契約。バースタインに手紙を書き、楽屋で演奏
    して評価され、ウイーンでのリサイタル直前に、高熱を発し左耳の聴力喪失。「あの時
    のことは思い出したくない、悪魔がいた、自分の弾くピアノの音が全く聞こえないなんて
    ・・・・・」。1995年に帰国し、演奏活動を再開して活躍中。左耳のみ40%聴力恢復。
     30歳過ぎてデビューし、途中で聴力を喪うという致命的な地獄から生還。それ以外 
    生きる証がない世界で決定的なハンデイーを負い、競争の修羅場のなかで再生を成し
    遂げたのは奇跡に近い。かってみたロシアバレエ学校の苛烈な競争を生きる少女の世
    界を思い起こした。想うに、世俗生活や自己の能力、身体を含む諸条件を決定的に乗
    り越え、訣別した者のみが芸術家の称号を得る。映画「リトル・ダンサー」にあってはそ
    れは被抑圧者の出自であった。私は、なぜか在野の女性史研究家高群逸枝の研究生
    活と膨大な成果を想起する。学問の世界も同じである。(2001/4/8 9:05)
 
       [外国語学習にスタート]
     10月に武漢の大学との学術交流の予定が入った。これを契機に思い立って、外国
    語のラジオ講座を聴くことにした。中国語(8:20〜8:40)、英会話(7:25〜7:45)
    ビジネス英語(10:40〜11:00)の3つだ。昨日からスタートしたが、高校時代に聞
    いた講座と様変わりして音楽やネイテイブが参加してかなり凝った内容である。かって
    の堅苦しいいかにも講義という感じではなく、メリハリが利いた刺激的な展開である。
    未だ始まったばかりで先行きは分からないが、マスターするぞ!というよりも楽しんで
    やろうという姿勢でやってみたい。(2001/4/6 21:08) 

       [森崎和江「いのちのまなざし、その無言」『図書』624所収)について]
     彼女のエクリチュールの基本は、戦時期朝鮮在住の原体験(「哀しみをたたえてじっ
    と私をみているその幼年のまなざし」など)と、おもわず引き込まれる詩人的な情念にあ
    る。例えば次の言葉。

     私は幼い世代の放つ無言の声が苦しくて、旅に果てたい。せめて千年のスタンスで一緒に暮らそうね。お互い
     自由放任の歩みのなかで。 

     ・・・・・・
     しょせんは人間ですが 
      しょせんはけもののむれですが
      ほのほの 笛ひとつ

      いとしい人よ
      生まれておいで
      はるばると無量の風の中です
 

     彼女の思念の特質は、世代間コミュニケーションやエコロジカルな共生への志向が基
    底にありつつ、仏教的な諦観とアニミズムの情念に流れるところにある。この静謐なパ
    ッションの魔力に魅入られて、思わず共感の涙腺を明け渡す吸引の力がある。しかし、
    このような客観を情念で語る思念の流れは、日本浪漫派と共通するところがあり、誠
    実ではあるが妖しい危険な魔力を帯びている。彼女が希う浄土は、リアルな実践理性
    によってかなえられると、おもわずして直観するところがあった。(2001/4/5 2:02)

       [平田オリザの芸術家条件論について]
     「断崖絶壁に向けて、複数の車が全速で走り、どちらが先にブレーキを踏むかという
    チキンレースで、急ブレーキを踏み、ギリギリの位置で車を止めた方が勝者となる。芸
    術家は精神と肉体を極限まで削り、作品を創造するが、多くはその困難に耐えきれず
    この競争から去る。断崖のギリギリで奈落の底を覗き込んだ者のみが、芸術家として
    の賞賛を得る。狂気の一歩手前で我慢できるかが勝負を決める。それに耐えきれない
    人は去るがよい。芸術教育は、断崖に立つ方法と車のスピードは教えるが、肝心の困
    難に直面してなおかつ創作を続ける精神的な力や、そのような緊張から来る寂寥感や
    孤独感を一人で引き受ける力は、教えていない」(一部筆者改引)。
     リアルな芸術家論である。幾多の卵が絶壁から去り、断崖から墜落したであろうか。
    このようなスピリットは教えられないと思う。去るのもよし、転落するのもよしかくして狂
    気の線上を芸術を志す者は歩んできた。芸術に限らずあらゆる仕事は斯くあってきた。
                                               (2001/4/4 11:20)
 
       [西尾幹二主導の教科書と私の対案] 
     「新しい歴史教科書をつくる会」主導の中学歴史・公民教科書が4月3日検定に合格
    し、4日の各紙は全面特集を組んでいる。いつもマスコミは決定過程での情報アクセス
    はせず、結論が出てから情報の全面公開を行う。このような姿勢は、太平洋戦争の開
    戦から敗戦後の報道と同じで、検定過程の情報は主としてアジア諸国からもたらされ
    た。私が最も注目したのは朝日「私の視点」掲載の西尾幹二つくる会会長の文章であ
    る(これはいつもの投稿原稿ではなく、朝日の依頼記事である。4月4日付け朝刊)。
     彼の主張のエッセンスを記すと、「歴史を学ぶとは、今の時代の基準からみて、過去
    の不正や不公正を裁いたり、告発することと同じではない。過去のそれぞれの時代に
    は、それぞれの時代に特有の善悪があり、特有の幸福があった。歴史を裁判の場に
    することはやめよう・・・権力を常に悪だという階級闘争史観の歴史教科書にだけ残っ
    ている時代遅れの観念である。・・・私たちは一つのイデオロギーに囚われた従来の一
    切の単調な歴史に反対する」等である(一部略)。
     恐るべき歴史方法論の無知(歴史的事実を踏まえて、未来からの照射を当てて現在
    に生かすという初歩的な知がない、これでは価値相対主義の物語史に堕す)、イデオ 
    ロギー概念の無知(イデオロギーとはある社会的規定性の下での社会的な観念であり
    イデオロギーから自由な歴史観などもともとない)がある。
     「イデオロギーに囚われない」とする彼らの教科書の叙述こそ、唾棄すべきイデオロ
    ギーの集積であり(例:神武天皇東征説・教育勅語近代日本人人格背骨説・韓国併合
    バランスパワー説・神風特攻神格化説・南京大虐殺疑問説・太平洋戦争独立推進説・
    天皇万世一系中心権威説などなど)、およそ戦後歴史學の到達点にたった科学性を喪
    失した素朴な情念願望型ウルトラ・イデオロギーむき出しである。
     つくる会批判と反批判の基準となる視点は、21世紀の主流となる共生のグローヴァ
    リズム、ジェンダーフリー、マイノリテイーという私たちが今や焦眉の課題となっている
    テーマに他ならない思う。求心力をウルトラ・ナショナルな価値にしか依存し得ない彼ら
    は、歴史の藻屑に消去される哀れな人々に過ぎないが、このようなゆらぎは不透明な
    緊張期に復古主義として登場し、一定の共感を得る条件がある。西尾幹二・藤岡信勝
    氏等は、本来の専門であるドイツ文学や教育学の分野での研究に業績を挙げるべき
    である。           

    *資料・・・アジア諸国の反応から
     「日本が再び虚構の歴史を青少年に教えることは、日本の軍国主義の被害を受けた
    アジア諸国民に対する背反行為だ」(韓国新千年民主党声明)
     「うそを教えることは愛国ではない。この本で歴史を学ぶ日本の次世代は世界から落
    後する(朝鮮日報社説)」
     「中国政府の度重なる厳正な申し入れを顧みず、是非をあいまいにし、黒白を転倒さ
    せる教科書が出るのを放任したことに対し、中国政府と人民は強い怒りと不満を表明
    する・・・・アジアのすべての被害国民への侮辱だ」(中国外務省朱邦造報道局長)
     「アジア諸国のなかで怒りが高まるなかで、日本の文部科学省は拝外主義的な歴史
    学者が書いた侵略戦争を美化するとの批判のある教科書を合格にした」(マレーシア 
    英字スター)

     私の3つの対案・・・・・・・・・
     (1)戦争責任を明確にし、戦争犯罪者の時効をなくして処断すること
       4月3日にドイツ・バーデン・ビュルテンベルク州地方裁判所は、元ナチ親衛隊員
      ユリウス・フィール被告(83歳 1945年にテレジエンシュタット収容所(5万8千人
      収容、生存者3万人)で強制労働中のユダヤ人7人を射殺し、1999年南ドイツで
      逮捕)に、12年の禁固刑(実質終身刑)を言い渡した。ヘルマン・ウインクラー裁判
      長は、「いかに時間が過ぎようとも、犯罪者達は責任を問われると知るべきだ。犠牲
      者達への罪は償わなければならない」と述べた。
       昨日のことである。永遠に同民族であるナチスの犯罪をを追求するドイツの仮借
      なき論理を学び、取り入れる待ち時間は少ない。被害者も加害者も鬼門に入りつつ
      ある。
       1938年のナチスによるオーストリア併合時に在住した19万人のユダヤ人の資
      産は45年迄に全て没収されたが、オーストリア政府は総計3憶8千万$(470億
      円)を拠出して補償するとし、約2万1000人の受け取り資格者のうち約60人が7
      000$(87万5千円)を受け取り、3日から補償金の支給が本格的に始まった。  
     (2)東アジア国際歴史教科書を編纂すること
       ドイツのゲオルク・エッカート国際教科書研究所『歴史と地理の教科書に関する勧
      告』(1977年)に学び、国民相互の歴史認識を共有し、過去の克服をめざすこと。
     (3)戦時被害者・戦争批判による被弾圧者への正当な償いをおこなうこと
       レイモンド・ジンジャーハーバード大学助教授は、1954年に共産党員かどうかを
      明らかにするか、辞職の道を選ぶかの選択を迫られ、辞職した。遺された妻である
      アン氏は、昨年大学へ書簡を送り、赤狩り時代の大学当局の行動調査を求めた。
      大学は、本年4月夫人に対し、「遺憾の意」を表する書簡を送った。(米紙ボストン・
      ヘラルド4月3日付け)
       このような態度こそ歴史に真摯に向き合う正当なあり方である。ハーバードの権
      威はより高まりこそすれ、決して侮られることはない。ここに日本現代史の過去に 
      向き合うモデルがある。(2001/4/4 9:54)

      [池田晶子『2001年哲学の旅』(新潮社)は面白い]
     久しぶりに名古屋繁華街栄の大規模書店マナ・ハウスにいった。品揃えも多いが、
    分類項目が比較的細分化されていて、しかも客が少なくじっくりと探書できる点で気に
    入った。池田晶子の『2001年哲学の旅』(新潮社)は、西欧哲学者のゆかりの地を訪
    ねて紹介しながら、彼女の哲学を語るという体裁のビジュアルな楽しい本で思わず買
    ってしまった。
     池田氏の個の精神的な自律性を極度に重視する精神的貴族主義には、一種疑問も
    あったが、あくまで借り物でない自らの頭脳で考え抜こうとする姿勢と平易な言葉で伝
    えようとする叙述は今までの日本にはなかった独自のものである。このような発想は、
    特にソクラテスなど思考の原点を対象とするときに精彩を放つ。
     しかし彼女には「共同性」とか「歴史性」の視点は弱く、従って彼女のマルクス主義批
    判は既成の通俗的な水準以外の何者でもなかった。ただこの書は、従来の哲学書の
    イメージを破る大衆性を獲得していると云える。最も精神の王国を称揚する彼女と、大
    衆性を装うスタイルが共存しているのが特に面白い。(2001/4/3 16:55)

      [美輪明宏 ヨイトマケの唄]
     銀座「銀巴里」で17歳で歌い始めた美輪が、「メケ・メケ」でデビューした背景には、
    ユニセックス的な容姿に対する奇異の眼が確かにあった。第2作であるオリジナル「ヨ
    イトマケの唄」の原風景は、彼が生まれ育った長崎遊郭街にある。小学校2年生の参
    観日で、みんなにいじめられている子の母親が、前掛けをした作業服姿で現れ、みん
    なの蔑視を浴びた。休み時間に親の側に寄ってきた我が子の洟を垂らした顔へ、母親
    が顔を付けて、いきなりその子の洟を吸いとり、ペッと器用に校庭にに吐き出した。・・・
    そのなりふり構わぬ姿に、うわーと呆然となった。美輪はこの遙か遠い少年の日の光
    景が、衝撃的な記憶となって残っている。世間の荒波にめげず頑張っている一人の青
    年への応援歌として「ヨイトマケの唄」が誕生した。

     父ちゃんのためなら エンヤコーラ
     母ちゃんのためなら エンヤコーラ
     もひとつおまけに エンヤコーラ

     今も聞こえる ヨイトマケの唄
     今も聞こえる あの子守唄
     工事現場の昼休み
     煙草ふかして 目を閉じりゃ
     聞こえてくるよ あの唄が
     働く土方の あの唄が   

     (2・3番略 本当は略さない方がいいのですが)

     あれから何年 経ったことだろ
     高校も出て 大学も出た
     いまじゃ機械の 世の中で
     おまけに僕は エンジニア


     美輪の差別と戦い抜いた生涯には無条件に頭を垂れるが、この唄は二重の意味で
    哀しい。1960年代の貧困から抜け出していく刻苦の哀しみには希望があるが、往き
    着いた光り輝く高度成長期のなかで、何が準備されたか?と考えると必ずしも肯定で
    きない。美輪が作詞したときには、エンジニアは貧困脱出の輝かしいステータスであっ
    たかもしれないが、機械を現代の先端情報産業に置き換えると、エンジニアの光と影
    も一変してしまっている。(NHK番組を見て 2001/4/3 9:22)

      [技術空洞化の模索は続く・・・]
     音響・映像メーカー、アイワは1985年プラザ合意に対応して、国内主力工場を閉鎖
    し、海外生産(インドネシア・マレーシア)と中国への生産委託に切り替え、海外生産比
    率20%→90%へ、外部委託率50%へと大きく生産システムを変えた。このような外
    注を請け負うEMS(電子機器製造サービス)企業が急成長している。アイワは新国際
    分業の論理によって、最新デジタル製品(DVD・MD)の国内生産を推進しようと考え
    たが、徹底した海外生産シフトは国内工場の技術空洞化を誘発し、かっての円高優等
    生は今季27億円の赤字決算となった。旧式のベルコンの単純な流れ作業・半導体基
    板自動装置の老朽化など国内の技術革新は遅れ、在庫が山積みとなった。
     海外生産への移行は、既成の生産技術の海外移転のレベルでは有効であるが、同
    時に高付加価値製品を創出する絶え間ないイノベーションを国内で追求することが並
    行しなければならないことを如実に示した。アイワ再建に乗り込んだのが、ウオークマ
    ン開発を担当したソニー副社長である。では、ソニーシステムとは何であったか?
     キャノンコピー機製造工場では、6人のチーム編成で一人が複数の組立工程を担当
    し、コの字やUの字に配置された台車で作業を行う。短サイクル・短納期型の製品供
    給には、固定型大量生産方式であるコンベアーシステムよりも、より機能的に瞬時に
    対応できるセル(細胞)生産方式が優位であり、作業者個人の多工程担当による創意
    工夫が可能となる。こうして国内はマザー工場といわれる開発特化工場となっている。
    こうして、アイワからはベルコンが撤去されセル生産方式に切り替えられた。
     しかし、三洋電機デジタルカメラの工場は、直線的な対面式ラインによる量産型経営
    モデルを堅持している。三洋の持つ電子部品技術の比較優位を最大限生かし、マーケ
    ッテイング力を持つ光学機器メーカーと提携し、90%が他社ブランド(オリンパス・ニコ
    ン)である。三洋は、全世界のデジタルカメラ1000万台のうち350万台を生産する世
    界トップ企業に成長した。
     三洋型生産システムは、かってのアイワ型生産システムであるが、中核技術の絶対
    的な比較優位を持っている。生産システムを決めるのは、中核技術の絶対的な比較優
    位とその保有推進力であることが分かる。さらに考えたことは、学問や教育の現場に
    セル生産方式が適用できるか?という問題である(2001/4/3 8:07)

      [青春前期の輩は今・・・・・]
     青春前期とは何であったか? 夢無惨な処女期の再び帰らざる慚愧の季節! 回顧
    の欲望に克てない故に今は無垢のままにソッと手向けたい願いを置いて・・・されどよく
    ぞ生き抜いたあの過ぎ去りし日々のことども・・・誰が言おうかそれは罪と。あれから幾
    星霜、時は移りゆき私は此処に立つ。日本の学制は私の生を斯く決めてきたのだ。私
    は、他律から脱したという幻想から抜けきれない、この歳月の回帰の瞬間に思わず疑
    わざるを得ない、私は何であったかと? オーイ私よ、善き生であったか?
     私は往かなければならない、遠くをめざして、この世に何かを刻みつけるために、アソ
    シエーションは無辜の民の虚構であったか、それとも果てしない道の無名の人々の墓
    碑銘の積分であったか、よしんばそれが数えられる歴史的時間の微分であるとしても
    私はこの現在の瞬時の消え去る時間の非連続に見えるこの場で自分を賭けなければ
    ならない。かくして今日の夕べのひとときは過ぎ、明日の朝を呼び寄せるささやかなち
    からを傾けねばならない。級友鴨井達比古(脚本家)のドラマを観て(2001/4/2 22:05)
     
      [碩学大野晋:自分と出会う・・・に想う]
     多力な人間は円周の一端に立って中心点を押し通って対点に行ける。少力な私は
    円周を細々とでも歩み続けて対点に行き着く他はないと考えた。・・・そこで橋本先生
    の演習に出会った。一点一画、一字一句を精密に追求する精神と技術を学んだ。ご遺
    体の前で私は古代日本語の研究に打ち込もうと心を決めた。それは日本がある限り
    意味があるはずの仕事と思われた。敗戦も被占領も私には何の影響も与えなかった。
    道は既に一本だった。・・・・しかし『岩波古語辞典』を仕上げたときに、私は50歳を半
    ば過ぎていた。私の研究もlここまでかもしれないと考えた。・・・60歳の春、私はたま
    たま『ドラヴィダ語語源辞典』(オックスフォード)を手に入れた。帰路、電車のなかで開
    いてみると、日本語と共通の形と意味を持つ単語がそのなかのタミル語から続々と見
    つかるではないか。・・・・だからこの文明と言語が、海路到来したことによって弥生時
    代の幕が開いたのである。・・・・私はこの年になってようやくこうした判断を持つ自分
    に出会ったように思う。以上朝日新聞4/2夕刊。
     学問の一典型を伝えている。碩学の青春期は何らかの無力感から始まり、或る決意
    と決行は時代を「無視」して直線的にひたむきに進むこと、成熟を過ぎた後なおかつチ
    ャレンジする不撓の魅入られたスピリットが働くこと、大野先生は70歳で疑いなき真理
    に到達している。象牙の塔の片隅で営々と積み重ねた労苦と辛酸を想像すれば、学
    問が到達する嶺の頂のひとつのルートをクッキリと示している。(2001/4/2 20:08)

      [サパテイスタ国民解放軍(EZLN)について]
     メキシコ先住民の自治権を求めて1994年に武装蜂起したEZLNが、長期の武装闘
    争を経て、3月28日のメキシコ国会での先住民権利法制定審議に招待され、覆面姿
    の幹部4人が出席し、スペイン侵略の歴史と生活実態を告発した。同法に反対する与
    党の論拠は、先住民居住区が自治権を持つことによって、男性優位社会の先住民社
    会が復元し、女性の権利が更に侵害されるというものである。
     私は、3つの感想を持った。第1は、開発途上国における粗野な支配の存在と暴力 
    による歴史の進歩が社会システムを規定している地域が、アメリカ隣国に依然として
    現存していること。恐らくこれらの地域ではマルクス主義の思想的影響力が強いこと。
    このような開発型民主主義への私の想像力の不足。第2は、日本を含む多国籍企業 
    のメキシコ投資が、同国の権力構造とどのような関係にあるかによっては、私とサパテ
    イスタにグローバルな関係がありうること。第3にもっとやっかいなことは、「女性の人
    権を守るが故に、自治権付与には反対」という与党の主張。文明の強制による進歩の
    保障、人類的な人権保障の名による干渉の承認(ユーゴ干渉の論理)、占領による文
    明化(韓国支配の容認論)等開発民主主義の困難な問題を象徴していることにある。
     しかし判断の基準は、文化の多元性を認め、そこから統治の自治権を相互に承認し
    合うのが現代国際法の初歩的な前提ではないだろうか。文化モデルの多元性を前提
    として、モデルの強制を互いにしない上で、しかも国連人権規約の適用が求められて
    いると思う。先日のラテン・アメリカ映画を見た経験から言う私の率直な感想だ。
                                 (2001/4/1 9:35)

      [江漢大学経済学部学術代表団との交流会から] 
     夕方から名古屋ルブラ王山で、中国の武漢にある江漢大学経済・経営学部の代表
    団5人を歓迎する名古屋市立大学経済学部有志との交流会があった。中国の人は、
    おおらかでさすが大陸系の大人の風格があった。日本人のなにかチマチマした狭さと
    は異なるところがある。悠久の歴史のなかで培われたものと、苛烈な現代史の渦中を
    生き抜いていきた体験がミックスして、このような一種独特の超然たるスタイルがつくら
    れているのであろうか。現代中国の市場経済の、特に「志し」といったことをお聞きした
    かったが、そのような時間はなかったのが残念であった。
     私の臨席であった塚田文子氏(椙山女学園大生活学部助教授)との会話も興味深
    いものであった。氏は帰国子女の適応過程を主として研究対象としているそうである
    が、若き新進気鋭の女性学者といった感じで好感が持てた。
     10月には、武漢への日本側の視察が行われる予定があり、都合が許されれば参加
    してみたいと思った。(2001/3/31 7:33)

       [東京とはなにか]  
     息子の卒業式に顔を出した。前日は、一日を使って神田の古本屋街を廻った。圧倒
    的な蔵本量のなかから掘出物を見つけるのが、私の人生最大の垂涎の悦びだ。片っ
    端から宅配便で名古屋に郵送し、身軽になってまた探書活動を始めるとき、私は至福
    の悦びに包まれる。帰宅した後の整理活動も格別だ。
     東京は、人間の行動にキビキビとしたリズムがある感じがする。もたれあっているよ
    うな会話も少なく、地下鉄のなかでも一人で本を読んでいる人が多い。これは、大都会
    の疎外された砂漠ではなく、思うに本社機能が集中しているが故にそのような人間活
    動が自然に培われているのだと思う。書店の店員の対応も親切・簡潔で、名古屋のな
    にかイヤなよそよそしさがない。マスコミから流れる東京情報は、東京の最も退廃した
    部分が全国に拡大しているわけで、特に東京の一部の若者の退廃文化を真に受けて
    地方に行くほど若者の退廃が際だつ。私は帰名するのが少しイヤになるのだ。
     さて、このような感慨を抱きながら、本日は息子の学位授与式に出た。赤門から安田
    講堂へは小雨ふる未だ冬のたたづまいに近かった。かって1970年代初頭に学生と
    機動隊が衝突した硝煙のなかで卒業式は流れてしまったが、安田講堂は時代の風雪
    を刻みつけて牢固として屹立していた。かって構内に林立した政治看板は、今は一枚
    もなく家族での記念写真撮影に微笑を浮かべている。かく言う私も、安田講堂をバック
    に写真を撮った。しかし、1970年代のような激情の爆発に替えて、今の若者はかなり
    冷静に世の中を見ている面があることも確かだ。(2001/3/29 19:41) 

       [宮川先生を偲び、大橋先生を送る献辞] 
     突如鬼門に入られた宮川先生を偲び、転進される大橋先生を励ます会に、所用あっ
    て欠礼し、以下はその会に託した拙文です。    
     永訣の夕べに・・・・今は永眠された宮川先生へ
     「物準」と称する解放区の化した物理準備室は、空き時間をねらってやすらぎと憩い
    を求める人が、集い、それぞれ勝手なことを言いながら飲茶を堪能した。私も常連とし
    て通わせていただき、心楽しい一時を満喫させていただいた。あれから幾星霜の時代
    が過ぎて、いまではそのようなサロンさへ学校から姿を消そうとしている。想えば、「物
    準」は、かけがえのない「私の大学」でした。
     準備室の主人である宮川先生は、それらのざわめきをほほえみをもってながめなが
    ら、みずからは渦中に入らず優しく見守っているかのようでした。こうして鳴海の黄金
    時代は過ぎていったのです。物理の授業に献身し、生徒の質問に嬉しそうに答えられ
    る先生の姿は、強く私の脳裏に焼き付いています。
     私的には、激しく闘争したゴルフの戦場で、残念ながら私は敗れてしまい、ハンデイ
    キャップはみるみる開いてしまいました。今でも覚えているのは、一泊で行った鳥羽の
    コンペで、確か5ホール目で先生が5連続OBを打ったときのことです。申し訳ありませ
    んが、私は心の中で先生を嘲笑い、快感を味わいましたが、その時の先生の無念そう
    な表情はいまでも印象に残っています。あれ以降先生は急速に上達し、その後同じ屈
    辱を味わうこととなった私は、遂にゴルフの世界からリタイアーしてしまったのです。そ
    れ以降は、時折組合の大会でお顔を拝する以外は、欠礼が続くこととなりました。
     誠実にひとつの生を刻まれた先生の生涯を想えば、日本の青年期を支えてきた何の
    報いも期待せず、献身してきた無数の教師の群像が確かに存在していることを信じる
    ことができます。今は、ただ安らかに転生をお迎えください。今一度ドライバーを交える
    ために私も馳せ参じます。合掌・・・・・・ 
     新たな展開を志す乙女に・・・・大橋先生へ 
     鳴海時代の先生のクラス実践には、無条件に頭を垂れるものがありました。アウトロ
    ーに流れる生徒ほど先生の愛情は注がれ、夏のクラス全生徒への家庭訪問などはそ
    の象徴であり、亡き伊藤俊二先生のご遺族に対する配慮など先生なしにはあり得ませ
    んでした。残された生を介護という21世紀の最前線の仕事に転換される飛躍と決行も
    また天晴れなものであります。
     本日はやむを得ざる私用のために欠礼させていただきますが、私の教師生活の波乱
    多き激動の揺籃期をともにした諸先生が次々と去られるなかで一時代の終わりを感じ
    ますが、時は移りゆき、新たな世代が確実に後を継いでいくに違いありません。本日は
    どうか心ゆくまで盃を酌み交わしてください。(2001/3/28)

      [Chalmers Johnson日本政策研究所長の日本国家観]
     Los Angeles Times2001/3/21付けの記事は、アメリカ知識人の対日現状認識を正
    確に表している。「日本の現在の問題は経済ではなく政治問題である。日本は先進国
    で最も破局的な無能な政府を持っている。これは、冷戦期に米国の衛星国のなった遺
    産である。過去10年間米国は日本の経済運営における規制を批判してきたが、事実
    は全く逆だ。近年の日本は、規制過剰ではなく、規制不足であり、正しい政策能力が
    政治的要因によって損なわれてきたのである。日本問題は、銀行の無責任な貸付を
    政府が監督しなくなって、経済官僚の政策能力が既得権益集団によって去勢されてし
    まったからである。
     米国が日本を批判する意図は、米国モデルに替わるアルタナテイブを阻止し、米国 
    が支配する秩序を更に追求することにある。・・・・米国モデルは、経済的成功のため
    に、社会的分裂(犯罪、監獄人口の増大、人種・民族紛争、家族・地域社会の崩壊)と
    いうコストを払っている。・・・自民党は、米国の手先となる沖縄人の苦悩と屈辱に無関
    心でいられる、日本で唯一の政党である。
     日本と東アジア諸国に必要なのは、 米国のヘゲモニーの終焉、真の指導者を選ぶ
    政治的制度の発達、産業の適正な配置である。・・・日本は、米国の政治的衛星として
    動いているため、中国との平和的通商関係、朝鮮半島の和平と利益、平和と安定の
    将来は暗い」。
     実に正確な東アジアと日本の認識であり、国際政治学の最もオーソドックスな視点か
    ら見て、日本の異常性がよく分かる。このような客観的な認識によってこそ、日本の現
    状への批判的な分析の契機が与えられるが、他ならぬ米国内部からの批判としては、
    刺激的な発言である。本来は、日本自身の内部から発せられるべき言辞ではある。
                                          (2001/3/27 17:09)

      [亡夫3回忌]  
     妻の父の3回忌があった。妻の兄弟3人と私で亡き父を偲んで霊を慰めた。海辺の
    街の早春の風の強い日であったが、快晴となった。浄土宗西山派の虎薬師なる寺院
    の正面の掲示板に伊藤忠社長の「正直者を馬鹿にする風潮ではだめだ」といった警
    句が記してあったが、宗教者の現代観の一端がうかがわれて面白かった。終了後、浪
    騒ぐ海岸線をドライブし、レストランで会食した。魚料理を満喫し、店内のお土産コーナ
    ーで干物や大アサリを買い込み、帰宅の途についた。春の高速道路は、車がまばらで
    快適なドライブであった。
     日本の法事は、空間的に疎遠な亡者の親縁者を結合する契機の役割を果たす。無
    神論者の私も、僧侶の読経を拝聴しながら粛然と頭を垂れ、しばし瞑想に耽るのだ。
    宗教の牢固として抜きがたい実力を覚えて、感慨にふける。(2001/3/26 20:58)  

      [右翼フィクサー児玉誉士夫(故人)の暗闘]
     25年前のロッキード事件の仕掛人である児玉誉士夫の国会証人喚問を回避するた
    めに、主治医の喜多村孝一(東京女子医大教授 故人)が睡眠作用と全身麻酔作用
    を誘発する薬剤を注射して国会派遣の医師団の診断を受けさせた。当時喜多村の部
    下であった天野恵市助教授がその詳細を語っている(『新潮45』4月号)。
     ここにはさまざまの問題がある。権力犯罪を隠蔽する闇の世界、権力の下僕と化し
    た医師、背後にいる田中角栄の姿などちょっとした政治ミステリー・ドラマだ。歴史の真
    実は必ず白日の下に晒されることを改めて示しているが、闇に沈んだ無数の真実の存
    在をも感知させる久しぶりの暴露だ。(2001/3/26 1:00)    

      [在野思想家石堂清倫 最後の講演]
     2000年9月16日に行われた石堂清倫氏の講演「20世紀の意味 「永続革命」か
    ら「市民的ヘゲモニー」へ」を読んだ。1904年生まれで100歳にならんとする氏の驚
    くべき知的活動の一端がうかがわれる。東京帝大新人会から労働運動に入り、3.15
    事件で検挙、戦時満鉄調査部で第2次検挙、戦後は日本のマルクス主義研究の最前
    線で活動し、露・中国・伊語を獄中でマスター。1921年のレーニン「新経済政策」の本
    質的な転換の可能性を指摘したグラムシ思想の紹介者。 
     戦時転向が最高幹部から始まったことの意味、大正デモクラシーの土地所有問題を
    めぐるチャンスの意味、それを拝外主義的に国民精神を堕落させて戦争動員へ導い
    た軍部の扇動、毛沢東『持久戦論』に対抗する戦略を構築し得なかった日本軍部の軍
    事思想のレベル、明治復古革命以降何らの革命をも遂行し得ない日本、階級闘争は
    資本と労働の力関係の歴史的表現の一つの事実に過ぎない、「自由で平等な生産者
    の連合体」としてのアソシエーションに精神的再武装を賭ける志、「滄桑の変」(桑田変
    じて青い海となるような大変化、世の変遷の激しいことをいう:『広辞苑』)としてのロシ
    ア革命等々、氏の全人生を凝縮させたかの知的な刺激を受けた。氏の立場はおいて
    ここにはまぎれもなく、戦前から戦後に至る一個の独立した尊厳ある知性の存在が示
    されている。(2001/3/25 0:46)     

      [公正取引委員会『著作物再販制に関する最終見解』3月23日]
     遂に21世紀の日本の出版システムを決定する公取委の最終見解が出た。再販制
    廃止を掲げた第1次見解から3年後に出た結論は、「著作物再販制度は、・・・・競争
    政策の観点から同制度を廃止し、著作物の流通において競争が促進されるべきであ
    ると考える。しかしながら、・・・・・同制度の廃止について国民的合意が形成されるに
    至っていない状況にある。従って、現段階において・・・・著作物再販制度を廃止するこ
    とはおこなわず、当面同制度を存知することが相当であると考える」として、当面の存 
    続を決定した。しかし、「現行制度の下で可能な限り運用の弾力化・・・の実施を要請し
    ・・・・・今後とも著作物再販制度の廃止について国民的合意が得られるよう努力を傾
    注する・・・」として廃止への基本姿勢は堅持している。
     なぜ再販制が維持されたのか? 渡辺恒雄を先頭とする運動の政治力学か?基本
    的には公取委に寄せられた意見照会で、28,048件(98.8%)が存続論であり、3
    38件(1.2%)が廃止論であったところにある。デイーラーのみならずユーザーにおい
    ても再販制は定着し、規制緩和派が介入し得ない状況にあると考えられる。
     問題は、「国民的合意」の条件が不明確であり、再販制の実質的な形骸化の方向が
    追求されるところにあると存続派は言う。しかし私は、学術系著作物をのぞいて、再販
    制を廃止すべきだと考えるが、この論拠を展開する著作を準備したいと考えている。
                                              (2001/3/24 21:10)      
      [公正取引委員会の書籍再販制廃止を目前に]
     3月下旬に書籍再販売価格維持制度に関する公正取引委員会の最終結論がでる。
    出版業界は挙げて再販維持論であり(先頭は渡邊恒雄読売社長)、政府・公取委は再
    販制廃止の方向であり、両者の主張は正面から対決している。廃止派は、書籍の自
    由価格制による消費者利益を最大の根拠にし、存続派は一般商品と違う書籍の文化
    性を主張している。この対立の根本は、市場原理と公的規制の相互関係が、書籍出
    版業が他産業と違って、特殊な意義と条件を持っているかにある。    
     市場原理と公的規制については、社会保障・社会福祉・金融を中心に市場化の方向
    が追求されているが、そこには公的財政負担の問題がある。しかし、出版書籍業が国
    営で行われている一部社会主義国と違って、資本主義国では全て私企業で担われて
    いるから、書籍出版業にとっての公的規制に伴う公的財政問題はない。
     従って書籍再販制という公的規制は、書籍出版という財が市場原理になじまない特
    殊な商品性を有するかどうかにある。この特殊な商品性とは、具体的に何であろうか。
    再販制によって保障される消費者利益と、再販制廃止によって保障される消費者利
    益の比較衡量論ではカバーできない性質を含んでいる。それはなによりも「文化」とい
    う数量化できないファクターを議論の素材としているが故である。
     このような数量化できない文化への政策内容をめぐって、欧米大陸派(独・仏)は保
    護主義政策(再販制)を、英米派は自由価格制を採用している。つまり「文化」をめぐる
    認識論的な差異(合理論:経験論)が根底にあるのではないだろうか。問題はこのよう
    な議論が日米交渉(プラザ合意)を契機に浮上し、決して内発的な問題提起ではなか
    ったところにある。(2001/3/22 20:07)  

       [富士通 成果主義賃金見直しの衝撃]  
     日経連が主導する成果主義賃金は、さくら銀行の場合、J7〜J1までの7段階の職
    務等級制度を設け、職務等級に応じた課長・課長代理・主任・担当者などの役職を設
    定している。職務等級毎に数段階のゾーンを設け、ゾーン毎の目標達成度による昇級
    ・減給の金額を決めている。同一等級であっても上位賃金額の人ほど高い目標設定
    度を要求し、最上位のゾーンでは達成度が100%前後では減額される。平均的な達
    成度では減額が重なり下位ゾーンへ転落する。例えば課長代理層のJ5のVゾーン(
    賃金額57〜59万円)では、目標達成度105〜115%で1万円昇級するが、75〜8
    5%では5千円の減給となる。    
     仕事の目標を定め、その達成度に応じて処遇と賃金を決める成果主義賃金を先駆
    的に導入した富士通が制度見直しを決めた。失敗を恐れて長期の高い目標に挑戦し
    ない、地味な日常業務が敬遠され顧客が逃げる、自己目標に忙殺され責任を他者に
    押しつける、業績のいい都市部や大型プロジェクトに有利などなど。社長は、「成果主
    義は文化の問題であり、日本では根付かなかった、日本型成果主義をめざす」と言っ 
    ている。修正方向は、短期的な成果の廃止、熱意の評価、成果以外の昇格基準の設
    定にあるらしい(朝日新聞3月19日朝刊1面)。朝日新聞の同日の夕刊「素粒子」は、
    「絶対の評価法はない。ジグザグと改良してゆくほかはない」などと冷ややかに脳天気
    なことをコメントしている(同紙3月19日夕刊)。  
     成果主義賃金の現場での最大の問題点は、評価の客観性・公平性・透明性・説明
    性にあり、また本来数値化されない領域もある。さらに、社員の競争意識を扇動し、総
    人件費抑制効果しか持たない結果に終止している状況もある。
     これは、経営学の世界では大問題だ。年功制という日本型賃金体系を否定した成果
    主義ないし業績主義賃金体系が必ずしも機能していない結果をもたらしている。しかし
    日本型年功序列に回帰する可能性は全くない。どのように業績主義をより洗練された
    緻密な体系に調和的に推進するかの問題が問われている。このような労務管理に翻
    弄される社員の尊厳はどこにあるのだろうか。(2001/3/20 2:23) 
        
      [中坊公平はホンモノではないか]  
     「私は幾つかの事件に取り組んできたが、・・・状況から客観的に最も適切な解決を
    探ったり、絶望的でもどこかに道をみつけたりすることに、不思議に勘が働く。しかし、
    人の情は時に「客観」では見えず、「理」では割れない。それを丹念にほぐしていくこと
    が、どうしても苦手だ。この限界は、結局未だに超えられない。・・・・自分は満遍なくこ
    なせる、と思いこむことはどんな職業であれ危うい。・・・それにつけても、人間といい人
    生といい、その色合いは深く、奥は見通し難い。そして、決死の思いを抱いてヒトはサ
    ナギになり、来るべき朝に、蝶が飛び立つ。」(中坊公平 朝日新聞3月19日朝刊)
     イヨイヨ中坊公平の人間が露わになった。この人物は明らかに一皮むけている。一職
    業人であるならば、このような識見ある人物の下で働いて見たいと思うであろう。「今
    度私がこの家を出るのは、白装束をまとった時です」と毅然と姑に言い放った妻の言
    葉・・・これをしも本当のタンカというのであろうか。私は、タンカなぞという言葉は大嫌
    いであるが、これは凄みがある。(2001/3/20 1:40)      

      [タリバーン非難の仕方について]   
     イスラム原理主義タリバーンが、1996年にアフガニスタン首都カブールを奪取して
    以来、900万人のアフガン女性は就労・就学が禁止され、全身を覆うブルカを着用し
    ない女性はその場で暴行を受け、指先にマニキュアをすれば指ごと切断された。自転
    車・バイクは禁止され、タクシーも男子の同伴が絶対条件で、自宅バルコニーに姿を出
    すのも禁止されてきた。これらの女性の人権の絶対的な侵害には抗議せず、なぜ大
    仏破壊に抗議するのか。日本はかって朝鮮で朝鮮民族の宗教を破壊し、日本神道の
    神社を建てた。明治期には廃仏毀釈で仏教寺院を破壊した。
     こうしたタリバーン非難への反批判はどこかおかしい。イスラム教義と近代市民社会
    を結合する止揚した批判のあり方がまさに問われている。社会主義革命ー反革命ーソ
    連侵攻ー反ソ運動と緊張に満ちたアフガン現代史のなかで、民族の独立の最終的な
    根拠地として選択されたイスラム原理主義の凝集力の権威的な結集力を解明しなけ
    ればならない。ただし、文化遺産に対する偏狭な政策によってしか自己の正当性を開
    示できないタリバーンの未来が地獄であることは疑い得ないことは確かである。このよ
    うな批判を投げつけ得る資格が私にあるか否かを疑いつつも。(2001/3/20 1:15)
     追伸:仏教国スリランカは、自国の仏像修復チームを動員して、アフガンの瓦礫と化
    した大仏の修復の用意があると申し入れを行った。一方アフガニスタン政府は、大仏
    破壊命令を即座に実行し得なかったことを神に詫びて、牛100頭を生け贄として神に
    捧げ、肉を捌いて民衆に配布した。(朝日新聞3月20日朝刊 2001/3/20 9:25)   
 
      [歴史に翻弄されてきた存在証明のために]
     小学校の頃、日本人の同級生をつかまえて「朝鮮人は目が細いからすぐ分かる」と 
    云った後、「オレの目はちがうだろ」と同意を求めた金優作(松田優作 故人40歳)。
    矢沢永吉と結成した「キャロル」解散後、本名朴雲煥で主演した後CM出演を断られ、
    仕事が減ったジョニー大倉は「若いファンに偏見がないのは単に無知だから。僕は芸
    能界の生き証人としてやっていく」という。李鳳華(木下ほうかん 37歳)は、「本名を
    使うことで、仕事の機会を失うかもしれない・・・・。そういう不安はまだ少し消し切れて
    いないですね」という。「日本人の奥底には、優越感や差別意識が残っていると思う。 
    コンサートを企画する時もバブルの時でさえ、在日と分かるだけで日本企業のスポン
    サーを探すのは難しかった」(李負J 62歳)。以上は、紅白歌合戦が在日抜きには
    崩壊するといわれている芸能界で本名のタブーに挑戦した在日韓国・朝鮮人のひとた
    ちの率直な言葉である。(朝日新聞 3月19日朝刊)
     戦後55年が過ぎてなおかつ差別は続いている。私の身の回りに置いても、他の外
    国籍とは明らかに異なるニュアンスが流れる。民主主義を公言してはばからない人も
    或いはかく言う私自身も。このようなしみ込んでしまった差別の感性がある。私の学生
    時代の知人徐勝氏(元韓国政治犯死刑囚 現立命館大学教授)の青年時代をさまざ
    まに想起しながら、暗然とした気持ちになる。(2001/3/19 24:00)   

     [太く長い人生の出現]
     21世紀では、衛生学・医療の発達により、ヒトの最大寿命が120歳まで延長可能と
    なった。さらにはヒトゲノム計画の完成や再生医学・脳科学による老化の不可避性が
    覆され、「延長された生をいかに充実して生きるか」というテーマが本格的に問われ始
    めた。ちなみに日本人の平均寿命は以下のように変化してきた(後藤眞氏作成)。
        
         縄文時代       14〜15歳
         室町〜江戸時代  38歳
         明治〜大正時代  39.5歳  
         1935年       48歳
         1947年       52歳
         1965年       70.3歳
         1999年       80.5歳

         *この統計の面白いのは、簡易生命表など各種資料をもとに推計した
         保険業界の研究資料というところにある

     老化イコール劣化・衰弱化という忌避的なイメージは、加齢というより成熟されたイメ
    ージへと転換されている。昆虫の寿命を何倍にも延長する老化遺伝子や、培養細胞を
    ほぼ永久的に分裂可能とする酵素が発見され、これを人間に適用する可能性も生ま
    れつつある。   
     ただし、生きるに値する人間的な条件の形成は、もっと総合的なアプローチが必要で
    あろう。機械的に延長された生命は、もはや人工生命に過ぎず、ヒューマンな豊かさは
    ない・・・そこにはゾッとする荒涼たる高齢者の未来がある。              
          (朝日新聞夕刊3月3日付参照。2001/3/17 9:56) 

      [戦争における性犯罪と共感構造] 
     昨年東京で開催された女性国際戦犯法廷では、日本軍の従軍慰安婦を含む天皇裕
    仁の戦争責任判決が下され閉幕した。これを放映したNHK「ETV2001」は、右翼の
    強迫に屈して、自己規制により内容が事前に差し替えられると言う事態が起こった。
     占領地における日本軍人の回顧録は、エキゾチックな外地体験型・白人支配からの
    解放への自己陶酔型・敗戦後の俘虜受難型に大別される。しかし、あらゆる加害行為
    に対する繊細な自己批判型は少ない。逆に、占領による近代化促進型や欧米植民地
    批判による免罪型がある。
     この法廷に参加したノーマ・フィールドの報告は、繊細で胸を打つものがある。 
     「痛ましい体験を聞く・・・当事者の体験を消費しているような気がしてならない。・・・
    多くの現代人と同様、感動渇望症にかかっているのかもしれない。それを実在する人
    間の苦しみで癒そうとしているのではないか、というところに自己嫌悪の種がある。・・・
    人格を根幹で破壊しようとするとき、その人の性を犯す。・・・(証言する)大人が人前で
    声をあげて泣く光景は、見る者を心底惨めにする。どうしていいか分からない。子ども
    が大人の泣くのを見てじっとしている、あの無力感だ。・・・・かけがえのない個人をたま
    たま巻き込んだ問題に還元したくない。結局は、私たち一人一人説明されたくないない
    のではないか。」(ノーマフィールド「法律と悲しみとー女性国際戦犯法廷傍聴記」みす
    ず479号所収)  
     アジア諸国とその民衆にとっては、欧米と日本の二重の支配と被害体験そのもので
    あったのであり、一旦はアジア民衆の視点に自らを置き換えて、占領者たる自らを客 
    体化して捉え、しかる後になぜそのような自分であり得たかの分析を厳密に行うこと、
    これ以外に人間的な矜持と尊厳の恢復があり得ようか? 私は、なにか格好いいこと
    を言いたいが為にこの文章を書いているのであろうか?   
     このような「大きな物語」における自己批判の難しさは、いま・ここで生きている企業
    や学校のなかでかたちを替えて復元している。(2001/3/16 22:14)  

      [初めてのロック・ライブ・MICHIRO ENDO 雨宮処凛「大日本テロル」]
     過ぐる日見た映画「小さな神様」で登場した右翼ロックに興味を持ったので、名古屋 
    でのライブに行ってみた。ステージ中央バックに日の丸の旗、左に「目覚めよ資本主義
    に毒された者よ!」、右手に「消費文明のプロパガンダに踊らされてアメリカの走愚に
    なった者たちに血の雨を!」と、おどろおどろしく真っ赤な字でスローガンを垂らしてい 
    る。驚いたことに右翼ロックのライブに来ている人は、殆ど20歳代の若者であった。 
     第1部は雨宮ボーカルによる日米安保打破のアジテーションロック。歌詞が聞き取れ
    ず意味不明であったが、軍服と模擬銃で固めた雨宮のファッションが奇異であった。第
    2部はMICHIRO ENDOの独演でホンネを爆発的に絶叫するメッセージ性があった。途
    中で興奮した若い女性がステージに上がり、今にも服を脱ぎそうになったには驚いた。
    ENDOはもとスターリンというロックグループで活動し、解散後大日本テロルでやってい
    るらしい。共産党宣言の一節を速射砲のように歌うところをみると、極左と極右を架橋
    するかにみえる。   
     彼らの根底には、未来への望みを奪われた或る「寂しさ」の独白がある。極右はこの
    ような信条を吸引する共同性をはらんでいるに違いない。生まれて初めて聞いたロック
    ・ライブはそれなりに迫力があった。ENDOは53歳という。このような旅芸人ともいう生
    涯もあるんだ。(名古屋今池TOKUZO 2001/3/12 23:23) 

     [東京新宿歌声喫茶『ともしび』] 
     上京すると必ず寄るのが、神田の古本屋街と「ともしび」だ。東京で勉学中の長男を
    連れて「ともしび」にいったら、彼の感想は唯一言「不気味だ!」であり、2度と一緒に
    行こうとはしなくなった。私はこの断絶に絶句し現代の青春像への再検討を迫られた。
    想うに人と人の無条件の直截な交流が、非日常的な違和感を及ぼしたのであろうか?
     私が「ともしび」でリクエストして歌うのは、「橋を作ったのはこの俺だ」・「翼をください」
    「私に人生というものがあるなら」・「私の愛する街」などであり、無条件に青年期の私
    の感性と情念と無念がよみがえってまた明日への「ちから」が呼び覚まされる。
     しかし今やこのような合唱による人間の連なりというのは、衰退の一路にあるのか?
    少なくともマスコミに流れる歌を軽蔑し、本当の歌は私たち自身が創り出すのだという
    時代が確かにあった。これをしもノスタルジーというのであろうか。(2001/3/11夜)  
     
     [京都での春の研究集会]
     迷いに迷ったあげく、京都で開催された或る学会に行った。午後2時開催予定なので
    古本屋を散策したが、京都の古本屋は名古屋と違って品揃えの質がやはり違う。名古
    屋は大衆本と専門学術書の中途半端なところがある。特に京大前の百万辺の古本屋
    は社会科学系の品揃えが豊富で、店頭のバーゲン本もなかなかのモノであった。締め
    て4万円ほどの買い物になったがすっかり満足して京都府立大学に向かった。
     テーマは「企業社会は揺らいでいるか」であったが、有償労働と無償労働をめぐるオ
    ランダ型モデルに特に興味を惹かれたが、○○モデルといったアプローチにはそろそ
    ろ訣別すべきではないか? 企業社会に替わる日本型オルタナテイブが見えてこない
    ところに問題がある。(2001/3/10 23:50)
    
     [肺腑をえぐる住井すえ批判・・・金静美『故郷の世界史』(現代企画室)]
     住井すえといえば、戦後の民主派にとっては『橋のない川』によってカリスマ的な存在
    であり、島崎藤村『破戒』の限界を乗り越え部落差別を静かに感動的に糾弾した作家
    として巨大な足跡を戦後文学に刻んだものと、無条件に評価していた。
     しかし在日朝鮮人キム チョンミはそのようなイメージを完膚無きまでに叩きのめし、彼
    女の戦争責任を正面から問い、住井の戦争中の次のような発言をとりあげている。
     「戦争は神の賜物であるとつくづく思ふ。思想運動的な方法では、百年を尽くしても不
    可能であろう改革が、是正が、戦争によるときは1年、いや、半歳、時には数日に日に
    よって可能となるのであるから」、「戦争はありがたい。戦争は価値の基準を正しくして
    くれる。そして、人間の心に等しく豊かさを与えてくれる。・・・・・生活物資の欠乏ととも
    に、心は益々豊かになってゆく。これが人間本来の姿でなければならない」(住井すえ
    「農婦われ」『台湾公論』1944年7月所収)。
     このような戦争賛美への自己批判は一切なく、戦争協力はなかったと強弁する住井
    の言辞をとりあげ、部落問題への無知と差別意識の作品化として『橋のない川』を激し
    く糾弾している。このような批判への住井の回答はない。
     私は、残念ながら金静美の論難を評価するだけの知識と資料を持ち合わせてはいな
    い。ただし、一般論として戦時の戦争賛美者が敗戦後一転して革命者になったりする
    現象が日本では広範にみられた。戦争に限らず価値観の転換に対する主体責任の表
    出と追求の弱さは、テーマを変えて戦後日本社会の隅々に見られる。金静美はこれを
    天皇制への呪縛に求めるが、これは正しい。戦後日本のシステムは、形を替えた無数
    の「住井すえ」の部分集合であったともいえる。                         
     この金静美の言説から汲むべきは、このような作業が日本人自らの手によって為さ
    れなければ、日本人にとっての戦争や戦後史は未完であるということである。
                                         (2001/3/9 16:00)  
   
     [久しぶりに演劇を観る・・・・前進座「三人吉三巴白浪」]
     歌舞伎風の様式美と型による江戸期アウトローの義理と人情の悲劇を描く河竹黙
    弥の世界。会場は愛知県勤労会館、主催名古屋演劇鑑賞会、座席はほぼ満席。日本
    的な芸能の現代的な伝承形態の典型例としか言いようがない。無理して現代的なテー
    マと関連させず、これはこれで楽しんで観ればよい。
     昼間の労働で疲れた体で新劇の重いテーマを観るのも、疲れが倍化する気分で、本
    日の前進座はそういう点では無条件で楽しめた。といった感想で本日は終わり。 
                                   (2001/3/8 22:47)
      
     [我が校合唱部について]
     私の研究室の両サイドは、片や演劇部片や合唱部の練習室である。演劇部の発声
    練習「祇園精舎」については先記したが、実は合唱部の練習が私の心を撃つ。その理
    由は、第1に無条件に私が音感的なハーモニーにすぐ心が揺らぐからである。第2は、
    合唱が混声で聞こえてくることである。我が校の合唱部で混声で聞こえてくるのは最近
    のことである。混声二重奏で奏でられる合唱はまた感慨をそそられるものがある。特 
    に参加している男子学生諸君に敬意を表したい。恐らく諸君は希代稀にみる純粋な学
    生である。さて、最後の理由は「校歌」を合唱していることにある。我が校の校歌は、繊
    細且つ純情なメロデイーと珠玉の歌詞から成り立っているが、しかし学校生活と自己
    の或る一体感なしに自然に伸びやかな校歌合唱が生まれてくるはずがない。なにより
    もこの点が私にとっては涙が出るほど嬉しいことなのである。しかし、付言すれば何れ
    の部も練習は学生の主体的な選択として行われている。これが私が最も学生諸君を
    評価する点なのである。(2001/3/7 19:14)

    [国定忠治について]
     無宿博徒、任侠の人国定忠治(長岡忠次郎)が、嘉永3年(1850)12月21日上野
    国大戸関所(現群馬県我妻町)の刑場で1500人の観衆の前で磔・獄門に処せられ
    てから150年が過ぎた。権力の手先になって生涯を終えた清水次郎長(山本長五郎)
    への脚光に対し、アウトロー忠治は歴史に埋もれている。
     忠治が賭場稼ぎを中心にした「コミューン盗区」である上州は、関八州を支配する幕
    府関東取締出役による警察治安活動がマヒしたエアーポケットであった。なぜなら上
    州は直轄領から藩領・知行所・相給地が細かく入り組み、一元的支配が通らない弱点
    を形成していたからである。折からの天保大飢饉と水野忠邦の構造改革のもとで、民
    衆の飢餓水準は著しく上昇していた。  
     このなかで、忠治はテラ銭のあがりを民衆救済に振り向け、治安維持活動を担いな
    がら裏権力を形成していったのであり、ここに普通の博徒が十手を預かる”二足草鞋”
    と徹底抗戦し、武闘抗争を繰り広げて、権力にとって最も危険な存在となる条件が形
    成された。彼の晩年は、指名手配から逃れる越境逃亡者として、最後はリューマチで 
    病臥に伏しているところを捕縛された。現代でいうと第3世界で見られる麻薬を資金源
    とした非合法ゲリラ軍に似ている。 
     死刑執行は、江戸穢多頭矢野弾左右衛門と非人頭車善七の一世一代の晴れ舞台
    として挙行され、左右の刑吏が槍を脇腹から肋骨を貫き肩上に出すことを14度繰り返
    して絶命させた。時に41歳。   
     忠治の存在は、江戸期の反権力の特殊な形態ではあるが、彼を通して当時の社会
    システムと権力構造がクッキリと浮き彫りになる。高橋敏『国定忠治』(岩波新書 200
    0年)は、アウトローを社会・経済史的に分析した興味深いものであった。平成大不況
    と政府権力の迷走とリストラ構造改革が同時進行している現代は、忠治の江戸期と酷
    似しているが、民衆運動のレベルははるかに高度化し、忠治的な抵抗形態はカリカチ
    ュアカチュアにはなる。参照文献:高橋敏『国定忠治』(岩波新書)(2001/3/4 23:25)

    [大蔵経全30巻]
     昨日は、学校のOB会主催による退職者を囲む会に行ってきた。OBの方たちは、
    それぞれ退職後の生活を充実して過ごしておられ、大変元気なご様子であった。犬山
    で催された会場に行く前に、目を付けていた古本屋に寄ってみた。実は、この古本屋 
    は田舎には珍しく、文化系・社会科学系のレベルが高く、しかも結構廉価で提供してい
    るので、チョット気に掛けていた本屋であった。一昨年は『日本婦人問題資料集成』全
    10巻を、或るページの落丁で5分の1以下で入手した経過がある。
     今日もそのような掘出本を聞いたところ、『大蔵経』全30巻で、第1巻に20頁の落丁
    があるもの売価4万円を3万円でという話であった。定価はその3倍であった。和綴じ
    の再販は無いだろうと思い、思い切って買った。お陰で旅館代が心配になったが、この
    ような買い物をするときの私は、えもいわれぬ至福の感情に包まれる。この書籍を読 
    むかどうかはまた別物であるが。(2001/3/4 20:32)   
 

   
 [従軍慰安婦について・・・ある学生のレポートより] 
     日本史の試験の最後の自由記述の欄を設けたところ、「従軍慰安婦はなかった」と
    する論を展開した学生がいた。私は、両者の立論を比較分析し、客観的な事実を明確
    にすべきだとコメントしたところ、電子メールで長文の左翼知識人批判の文章が寄せら
    れた。ここでは、その論文を紹介はしませんが、参考文献では『新ゴーマニズム宣言「
    戦争論」』と『ゴーマニズム宣言外伝「自虐でやんす」』の2冊が挙げられているだけで
    あった。  
     学生の旺盛な歴史への関心を尊重した上で、アプローチの科学性をどのように育て
    ていけるかという歴史教育の課題が問われている。(2001/3/4 20:55) 

    [谷真一郎兄を送る] 
     振り返れば貴兄とは鳴海高校時代からはじまり、数年をおいて中村高校で再会し
    本日の別れとなりました。小生は、貴兄との現代思想関連のデイスカッションが楽し
    くまた知的刺激も受けて来ました。関心テーマが重なり合う領域での話題は、特に
    興味があり、私より若い世代の発想と触れあうことで、大変得るところが大きいもの
    でした。貴兄の市民運動や現代神秘主義への参加、インド体験においても現代型
    「求道」スタイルを見いだし、どのような軌跡を描いていくのか遠くから拝見しており
    ました。さらに貴兄の学生への接近のスタイルは、まさに「誠実」以外の形容があり
    ませんでした。一方でスキーに熱中しサラッと私生活領域を確保しているスタイルも
    、若い世代のあり方を見せつけられた感があります。貴兄が生涯の限定された時間
    のなかで、ライフテーマを「原始仏教」に設定された話は、入試の採点の時に伺った
    わけですが、原始仏教が大乗と小乗に分化していったところでの大乗のあり方の現
    代的位相といったことを考えると、より一層興味がつのってきます。
     私ことながら、小生も世紀末から新世紀を見通していく展望の一助にと、一介の学
    徒に立ち戻り、いささかの探求を試みたいと思っている次第です。私の今の主要な
    関心事は、情報管理化の深化のなかで人間の自律意識の確定はいかに可能か?
    ポスト・フォーデイズムによる克服(レギュラシオン)といったことが本当にあり得るの
    か・・・といったところにあります。今後お会いすることがあったら、そんなお話も伺い
    たいものです。最後に三首・・・・・
     ・ステージに掲げる火の鳥は何ぞ ひとたび死して蘇るふたたびの歌
     ・灼熱に焼かれていま飛ぶ火の鳥よ 再び叫べよみがえりの歌
      ・灼熱の炎あびつつステージに 火の鳥のごとく君は訴う
               (谷真一郎先生の歓送会にてよめる 1996/4/30)
    
    [訣別の辞]

      現実の世界にはたたかいがある
      たたかいなしに変革が進むことはない
      
      何時の日か歴史は白日の下にさらされる
      その日のために
      私は学びに往かねばならない
      どのように非難と嘲笑を浴びようとも
      
      学ぶ時間が足りないと云うのは言い訳に過ぎない
      私にしばらくの時間をいただきたい
      サヨウナラは新たな出会いの言葉だ
      無学な私は、再会への希望を発していく
      私の残り時間は限られている   
                           (2000/1/6) 
       
    [音楽とヒューマニテイー]
      「ナチ強制収容所の所長が、バッハ・モーツアルトを愛し、涙を流していたと言わ
    れるが、私は本当に芸術を理解できる死刑執行人にお目に掛かったことはない。
    そんなことはジャーナリストが作り上げた戯言に過ぎない」(S・ヴォルコフ『ショスタ
    コービヴィッチの証言』中公文庫)。あの独裁者スターリンとの熾烈な葛藤のなかで
    音楽活動を続け得たショスタコーヴィッチであるがゆえに、音楽のヒューマニテイー
    を考えさせる箴言ではあるが、しかし血を滴らせながらも音楽に感動する悪魔的な
    共存の深淵が人間の原存在にはあるのではないか? (2001/1/11夜)

     [維新赤誠塾を聞いて]
     ボーカル雨宮処凛が率いる右翼ロック「維新赤誠塾」のライブを聴くと、なぜ魅き
    つけられるのか? それは彼らが奪われるべき何ものもない身を捨てた演奏にあ
    るからだ。彼らに対して時代錯誤のアナクロと軽蔑しても効果はない。都内の全て
    のライブハウスから排除されて、場末のトイレのような場所で絶叫している姿は、無
    条件に或る種の吸引力を持つ。小林よしのりの『戦争論』が一定の若者を惹きつけ
    ているのと同じだ。おそらくナチスが台頭した状況がかたちを変えて現代に確実に
    蘇りつつある。彼らのパッショナリテイーに対する内在的な対抗軸が求められている。
                                                (2001/1/12夜)

    [新自由主義型ビット産業の陥穽]
     小学校の徒競走でスタートラインをずらして、みんなが同時にゴールするという勝敗
    なき競争レースがおこなわれる。なにか哀しいまでに徹底した平等主義だ。おおらか
    に勝敗を認めて健闘をたたえ合い、個性の豊かさを互いに確認し合う協同のナイーブ
    なあり方は育てられない。勝敗が内申化して進路決定を左右する恐怖から逃れられる
    のか、我が子の屈辱を回避したい保護者の視線を意識しているのか?
     逆に、カールルイスと私が同時にスタートし、機会の平等と引き替えに敗北の責任を
    自己責任として追及する方法は野獣のルールに過ぎない。21世紀初頭を覆いつつあ
    IT革命の名で驀進しているビット産業の基本にある新自由主義理念もこの野獣のル
    ールと同じだ。協同的な公共性と競争原理がネットワークされたシステムが求められ
    る。私のHP活動の問題意識の一つがそこにある。(2001/1/13夜)
 
    [喪われた対話]
     日本を公式訪問する外国元首のなかで、私たちのなかで失われつつある言葉の尊
    厳と文化の深さを想起させる講演がある。特に第3世界からの来訪者に矜持の深さを
    覚える。「日本の思想からわれわれが学ぶことは、秋風のささやき、木々の落葉や、青
    々とし活力に満ちた自然の営みが終わりを告げ、日が短くなり肌寒い夕暮れに至ると
    いった光景が、いかにして内的な思索や深慮、内面世界の旅路の契機になるかという
    ことです」(セイエド・モハンマド・ハタミ  イラン共和国大統領 東京工業大学講演)。
    日本の政治家でこのような哲学的な対話ができる人は、いない。(『世界』2001/1号参
    照)

    [21世紀日本のシステムは最初の10年で決まる]
    21世紀日本のシステムは、おそらく2001年の教育基本法「改正」と2005年の日本
   国憲法「改正」で決まるだろう。このような激動を誰が予測し得ていたであろうか。日常
   のよしなし事を精一杯生きている名も無き人々の生活と、国家システムの基本の改編が
   同時に進行している今、青年の将来に決定的な責任を負う教師という「聖職者」は、どの
   ように振る舞えばいいのか。少なくとも最初の一歩の妥協が取り返しのつかない終焉を
   まねくことは、ナチスに直面したマルチン・ニーメラー牧師の告白したとおりだ。私たちは
   本当にニーメラーと同じ時点に屹立して、各人の選択を問われるそのような瞬間に直面
   している。誰もが「最後の授業」のカリキュラムをたてなければならない。(2001/1/14夜)
    
    [木下順二『巨匠』は何を問いかけているか]
    ナチス占領下のある国で、その街の知識人はすべて処刑せよという命令が下る。知識
   人とは、学者・教師・文学者・音楽家・俳優などであり、その街の全ての住民が集められ
   審査が行われた。そのなかに、ある役場の書記がいるが、彼はシェイクスピア役者をめ
   ざしながら挫折して旅回りの一座に属し、今は役場の書記として生計を立てている。彼
   が、審査の場に就いたとき、書記は知識人ではないといってナチスは処刑の列からはず
   そうとする。しかし彼はそれを凛然と拒否し、シェイクスピア役者としての誇りを賭けてマ
   クベスを演じる。その演技こそ彼にとっては、命を賭した最初にして最後の一世一代の
   迫真の演技となった。ナチスは彼を死刑の列に加え、彼は微笑みをもってそれを受け入
   れる。誰しも、パンか尊厳かの選択を迫られる決定的瞬間における決定的判断の問題
   がある。『巨匠』は,そのような選択を迫られた典型例を通して現代の選択を問うている。
   私は、敢えてパンを選ぶ多くの人の存在を想定するし、尊厳を放棄する哀しい実例を多
   く見てきた。
    大事なことは、パンを選んだ人をも含めて、このような選択を迫るシステム自体を地上
   から無くしていく長い長い道程こそ私たちが「歴史」と呼んでいるものではないだろうか。
                                                 (2001/1/15夜)
   
    [再びIT革命の陥穽について]
   
宅急便のドライバーは、GPSが付いた携帯電話を持って、どこにいるかを営業本社に
   すべて把握され、労働空間の監視システムは極限に達している。料金所をノンストップで
   通すITS(高度道路交通システム)は、カーナビゲーションと連動して車の走行位置が全
   て把握される管制システムとして運用できる。英国の街頭監視カメラは、バイオメトリック
   ス技術によって、街を歩いている群衆の中から指名手配犯を割り出す。恐らく将来、出
   生届にURL欄が記載される時代が来る。ITの権力的テクノロジーとしてのフーコー的「
   監獄の誕生」の問題が問われている。(2001/1/16夜)
    
   
[現代青年論について]
     若者の現実について上から評論を加える人々は、右であれ左であれ、一定の小市民
    的生活を既に手に入れて安住している傾向がある。若者はその偽善を見抜き、身を捨
    てて自らと命をともにする人しか信頼の対象としない。自らを安全の領域に置いて、他
    者にあれこれ評論を加えてもそれは所詮舞台は異なるからだ。特に、このような他者
    評論は、教師という名前の職種に多く見受けられる。「主体的に生きろ!」とか「自らの
    信じる道を生きろ!」とか言う教師が、学校システムのなかで謂うところを自ら実践をし
    ているかどうかといった実態は鋭く見抜かれている。要するに学生に偉そうに説教を
    垂れている教師は、自らの卑小性を学生に転嫁しているに過ぎない。
     2000年3月時点における4年生大学卒の就職決定率55.8%、15〜24歳の失
    業率9.1%という恐るべき指標への責任と対処を抜きに何を若者に宣うても有効性は
    ない。(2001/1/17夜)
                    
   [退職について]
     この時期になると退職者を励ます催し物の案内状が来る。私は、それをみてある感慨
    が浮かぶ。自らの生への評価を客観的に確認しうる場として、さんざめく宴のなかで、
    逃れ得ぬ視線のまっただ中に立たされる。このような場に立って、視線を集中される
    資格の持ち主は、まごうかたなき自らの生きてきた道程について或る自己肯定の実
    感を持ち得ている人に他ならない。このような肯定の裡に区切りをつけ得た生は、そ
    の限りにおいて無条件に祝福すべきものではある。しかし、それが「歴史」という審判
    者の面前で何ら恥じることなきものであったかどうかは、また別物である。棺を覆いて
    はじめて人の評価が定まるように、退職にあたりて教師の評価は定まる。
     「人の去りゆくや その云うやよし」! ともあれ最後の珠玉の言葉は、千金の重みを
    持って私たちに迫ってくる抗うことのできない威圧の力がある。私は、その言葉を聞き
    たいがゆえに今宵も出かけていくのだ。(2001/1/18夜)
   
   [安重根について]
     日本近代史の「韓国併合」の講義で、伊藤博文を暗殺した安重根を説明しても教室で
    は歴史上の記憶すべき事実の一つに過ぎない。私は、ここで民放TVの「驚き桃の木2
    0世紀 安重根」を上映する。20分過ぎる頃教室のあちこちで涙を拭う仕草がうかが
    われるほど、この番組は安重根の犠牲的行為を静かに讃える優れた演出力を持った
    作品ではある。現在からは、安重根の行為の歴史的な限界を指摘することは容易で
    あるが、テロリズムが最後の手段として選択されざるを得なかった時代的条件の中に
    彼を置いてみなければ、真の評価とはならない。一方の日本が、日本銀行券の顔絵に
    伊藤博文を記載しているこの対比を、どう考えるかが問われている。
     私の救いは、あれこれと言い募られている日本の学生がこの映像に感動し、涙する
    その姿にある。(2001/1/19夜)
   
   [林光・吉増剛造『賢治の音楽室小学館 2001年1月刊)を聴いて]
    宮沢賢治が作詞・作曲した全作品を集約したCD付きを聴きながら、いまキーボードを
   打っている。怜悧な宇宙を飛び交う言葉の彩なす群舞には、ホトホト脱帽の他はない。
   これは才であるとともに、賢治の一切の報いを期待しない「人類」的なパースペクテイブ
   を鮮やかに示している。私の短歌やエッセイのコトバ遊びを木っ端微塵にうち砕いて、少
   々気が滅入ってしまった。勉強が足りん!(2001/1/20夜)
                         
   [最先端生命科学の問題]
    リンツで2000年9月に開催された「アルス・エレクトロニカ・フェステイバル」では、町
   の中央広場にコンテナが設置され、「精子レース」が開催された。希望者が自分の精子
   を提供し、それを分析機で能力評価して、データをデジタル化した精子に入力し、ウエッ
   ブ上で競争させ、女性達がそのレースに賭けるというイベントである。オーストリア人の
   女性は嬉々としてこの催しに参加し、奇声を上げて面白がっている。
    ここには、テクノロジーが人間を幸せにするという技術信仰が素朴に西欧の常識とな
   っていることが示されているが、ナチスの安楽死医療やゲルマン婚姻政策とほとんど変
   わらない。生命の尊厳と意味そのものが忘れ去られている。海野信也氏(東京大学)は
   透明なプラステイックの「子宮」のなかで成長するヤギの胎児の生育技術を開発し、受胎
   から出産までの全過程を人工的に管理できる可能性を拓いた。
    いままでの精子バンクとか人工授精・代理母は、あくまで最終的には女性の身体を必
   要とする絶対的な限界があったが、いまやそれも消滅しつつある。私たちのあいだにあ
   った人間や人類の定義そのものが根底から崩れ始めている。私たちは、このような生
   命科学や生命工学の一人歩きを評価する思想的基準を失いつつあるのではないか。吉
   岡洋「IT革命を脱文脈化するために」(『現代思想』29-1 2001/1)参照 (2001/1/22夜)

   [21世紀論の氾濫のなかで] 
    いま書店に20世紀の総括と21世紀の予測についての本が、うず高く積まれている。
   その中での白眉は加藤周一氏の20世紀論であり、日本が生み出し得た世界的な知識
   人と称せられる加藤氏の警世の書である。そのなかで特に印象的であったのは、日本
   人の発想法や処世術の特質としての「大勢順応主義」に関する鋭い指摘である。日本
   人の思考と行動様式を貫く「流れ」・「大勢は決した」という方向での無原的な追随の傾
   向を指弾して、遂に日本人は自ら主体的に歴史を形成してこなかったのではないかとい
   う。私たちの身近な生活の場で、特に学校という知識人の結集の場でむしろその傾向が
   ありはしないか? 
    全き孤立の中で堂々と自己弁護を展開したソクラテス『弁明』の伝統以来、少なくとも
   欧米では大勢に抗して主張する者が逆に敬意を持って迎えられた。他人と同じ意見を
   言う者は軽蔑され、入社試験にも入学試験にも不合格の烙印を押される。しかし、日本
   的共同体のなかでは、「バスに乗り遅れない」ために異論派は排除され、塵にまみれて
   きた。加藤周一氏のような存在が論壇で一定の位置を占めている状況は、未だ幸せで
   あるのかも知れない。(2001/1/24夜)
   
   
[本日の箴言から]
    他人の苦しみを自分のことに置き換えて、その2割も分かれば真の友人であり、5割も
   分かれば聖人、8割を越すようになれば神か仏(2001/1/25夜)

   [I know War〜Allen Nelson Cries Out for Peace ]
    アレン・ネルソン 1947年ニューヨーク生まれ 1966年から米国海兵隊員として沖
    縄からベトナム戦争へ従軍。現在日本国憲法第9条の世界的意義を訴えている。下
    記は1999年京都での講演会での質疑から。

    Q:How did you feel when you killed a human being for the first time?
    A:I'm very happy that you asked me that question. Normally when I do this lecture
    for the adults,they never ask such questions. I really think it important that you
    hear my answer.
     When I killed someone,each time it felt as if I was killing a part of me;like some-
    thing is dying inside me. The military will tell you that the more people you kill,the
    better you will feel,that is, you will get used to it. But you will never get used to it.
    You have a great sense that you've really done something very, very bad.
                                               (2001/1/27夜)
 
   [”弱さ”について]
    誰かが弱っているなら、私は弱らないでいられるでしょうか
    誰かがつまづくなら、私が心を燃やさないでいられるでしょうか
    誇れる必要があるなら、私の弱さに係わることを誇りましょう
    自分自身については、弱さいがいには誇れるものがありません
    私は弱い時にこそ強いのです(パウロ「コリントの信徒への手紙2」より)

      JR山手線新大久保駅でホームから転落した飲酒男性を助けようとして、救助しよ
    うとしたカメラマン関根史郎氏(47)と韓国人留学生李秀賢氏(26)が死亡した。1月
    26日には、埼玉朝霞台駅・東京竹の塚駅でも転落死が相次いでいる。線路からホー
    ムまでの高さ1.2mで目の前に落ちている人がいる場合のとっさの行動だ。特に私
    は、韓国人留学生の行為に注目する。彼の祖父は日本植民地時代に、強制連行され
    炭坑労働させられている。
      技術的には、非常停止ボタンの設置問題・ホームでの駅員不在・3分40秒間隔
    で走る超過密ダイヤ・線路の退避空間など指摘されるが、基本的には2005年迄に
    1万人の人員削減計画を推進しているJR東日本の効率利潤経営政策にあることは
    いうまでもない。遺族に対して警視総監の感謝状とメダル!を授与する日本の感覚と
    は一体何なんだ!?
      しかしここでは、偶然性に翻弄される人間の瞬間的な判断の問題を考えたい。
    パウロの言葉にあるように効率を越えて、苦境にある人間に無条件に手をさしのべ
    る人間のあり方は、系統発生的に遺伝子情報として組み込まれたDNAが、個体発
    生的に両氏の行動となって発現したことを示している。このような遺伝子情報を攪乱
    する多くの非人間的な刺激があるなかで、2人は攪乱情報のチェック機能が働き、自
    らの危険を厭わず、死を選ぶ行為となった。彼らはパウロによって聖人の位置に列せ
    らる資格がある。
      5年前池袋駅で、1人の高校生にリンチを加えている4人の少年を、3人のサラリー
    マンが取り押さえ、鉄道公安官に突き出している光景を目にしたが、東京砂漠といわ
    れるなかで具体的な正義が生きていることを実感した。むしろ地方大都市では見て見
    ぬ振りをする人が多いのではないか。民主主義感覚の成熟の問題がある。少年の残
    虐事件はむしろ地方都市で頻発している。
      問題はこのような状況に直面した場合の私の選択である。それは考える必要がな
    い。なぜなら職場で学園でまた教室で、本質的には同じ選択の連鎖を日常を生きてい
    るからだ。(2001/1/28 11:00)
             
    [クローン人間2002年誕生]
      生殖生理学者パノス・ダボス教授(米ケンタッキー大)は、イタリー人医師と協力し
    て無精子症の夫の体細胞から核を取り出して妻の卵子に移植、夫と遺伝的には同一
    の赤ちゃんを誕生させる計画を発表した。ザボス氏は、不妊治療クリニックと精子検査
    会社を経営するから、学問的動機以外に利潤追求があり、イタリア人セベリノ・アンテ
    イノリ氏は、閉経後の60歳代女性の妊娠やマウスの精巣内に成熟させた精子細胞に
    よる体外受精をするなど、利潤追求型生命操作の最先端を歩んでいる。この計画を規
    制する法的な基準は今のところ一切ない。生命倫理学者に問いたい。あなた方の学
    問的生命はどこにあるのか? 原子核兵器開発に魅入られた核物理学者の悪魔的な
    研究にまして、利潤原理が絡んでいるが故により一層救いがたい地獄が見える。
      私は、このようなニュースに接する度にある種の腹立たしさを覚える。専門領域の
    研究がいとも簡単に普遍的な領域を陵辱し踏み越えているからだ。そのような先端的
    な試行の暴力性の前で、私のあまりにも無力さに立ち尽くすからだ。(2001/1/29夜)
 
    [インド大地震について]
     マグニチュード7.9といわれる最大規模の地震に襲われたインド西部グジャラード州
    の州都アーメダバードは私にとって、2つの意味で印象深い地である。1つは、ガンジ
    ー生誕の地であり、名高い「塩の行進」によって塩の専売制を打破し、独立運動の鏑
    矢を放った地であり、まさに26日は独立記念日として最も盛大な祭りの日であった。
     2つ目はアーメダバードはインド繊維産業の中心地であり、私が研究対象とする絞り
    染織の地であり、アーメダバード大学はその拠点であった。無抵抗・不服従運動の象
    徴となるガンジーの糸車のスナップは、まさにアーメダバードの象徴でもあったのだ。
     残念ながら人口爆発で急増した都市人口を収容する簡易住宅群は、あまりにも耐震
    性からみて問題があった。3万人以上の犠牲者と数万人の行方不明者をかかえなが
    ら救援体制は決定的に遅れている。阪神大震災時に全世界から救援を仰いだ日本は
    できうる限りの支援をおこないたい。(2001/1/31夜)

    [年度末総括について]
     おそらくこの時期は、企業でも学園でもこの1年間の総括が展開されている時であ
    り、業績評価制度が導入されている企業では、自己評価と上司による評価の激しい
    せめぎ合いがあり、来年度の査定が行われ、また給与の決定が行われている最も
    厳しい瞬間である。人によってはリストラクチャリングの対象となり、また自ら身を引く
    選択を迫られている。 
     私は考える。最も非生産的なことは、自己批判抜きの他己批判に傾斜して、おのれ
    の免罪を無意識に図らんとする姿勢である。このような傾向は、自らを上に置いて指
    導者意識に毒されやすい学校というような場に顕著に現れる。学生のあれこれの負の
    現象をあげつらうことによって、そのよって来る真の原因を究明し得ない発想に陥り、
    機械的な規制力強化または指導放棄の両極の結論を導き、結果的に悪循環に堕し
    ていく。「汝自らを知れ」は時代を超えた普遍的な原理ではないか。(2001/2/1夜)
 
    [多事争論]
     本日は私のアンテナに引っかかった興味のある情報がかなりある。評論家本多秋五
    1/13死去脳出血92歳。13日未明まで加藤周一『私にとっての20世紀』を読み、朝
    風呂場で亡くなっているところを発見された。戦後159冊目の日記に最後の読書記録
    が記載されていた。合掌。私の92歳は何をしているであろうか?

     モントリオール郊外の新興教団「ラエリアン」本部の白装束の教組ラエル氏(54)は、
    「クローンこそ永遠の生への第一歩だと、異星人から天啓を受けた」と称し、今年のク
    リスマスまでにクローン技術による健やかな赤ちゃんを見せると語った。対象は、生後
    10カ月で急死した米国男児。両親が50万$(1800万円)を提供し、医療施設と機材
    を整備した。日本人1組を含む10組の申し込みを受託。オイ!生命倫理!なにをやっ
    ているんだ!?大丈夫か?  

     文化を生理的痛みから分析すると、一葉の頭痛、鉄舟のガン、ルノワールのリウマチ
    ルイ14世の痔。美登利の頭痛は初潮であったか、明暗の痔瘻手術、落穂拾いの農婦
    の腰痛、ビクトリア女王の無痛分娩など面白い(横田敏勝『漱石の痔痛カントの激痛』
    講談社現代新書参照)。 

     藤本義一の「日日日日ひびにちじつ」(朝日新聞夕刊連載)は、結構面白いが今回
    の「束縛ゆるみ 若者考え違い」は最低の無知を暴露している。若者が会社を簡単に
    退社していく傾向を、若者の間違ったわがままな選択の自由だと批判している。これを
    企業社会崩壊の初期現象と分析しないで、儒教的モラルを語る藤本氏の労働市場論
    の勉強不足が露呈している。(2001/2/5夜)  

    [ドリアン助川はすごい!]
     成績で妹と比較され続け この世から消えてしまいたいと相談する女子高校生(17)
    に対するドリアン助川のアドバイス。「2歳で母を、8歳で父を亡くしたトルストイ。幼期に
    母を、その後継母を亡くしたダンテ。2歳で母を失ったエドガアランポー。4歳で父を失
    いその後母に捨てられたジョルジュサンド。精神錯乱のなかで死んだ父を持つアンデ
    ルセン。学校に上がる前に母を失ったブロンテ姉妹。孤児だったウイリアムサロウヤン
    1歳の時に母にしなれ、その後祖父母に育てられたモンゴメリ。家庭に恵まれず捕鯨
    船に乗るしかなかったメルヴィル。5歳で母を失ったジョン・レノン。・・・・彼らはきっと絶
    望的な愛情の枯渇の中で、創造力という母親に守られたのだ。・・・・夢とは本来そん
    なものかもしれません。強い味方が君のそばにもいるのですよ」(朝日新聞夕刊2/6 
    一部筆者改作)。
     すごいアドバイスだ!私が学生から同じ相談をされてもこうはいえない。とにかく文豪
    の生育歴の羅列には恐れ入った。しかし、どこかミゼラブルな他例を提示して努力を求
    めるガンバリズムの臭いがあるが、つらい状況の人にとって、明日への希望の契機と
    なれば、それはそれで立派な救いのメッセージだ。  
     キイルケゴールが云うごとく「悩んでいるのは私であり、誰もその悩みを私に替わって
    本当に悩むことはできない」のだ。私は3歳で母を失った。(2001/2/6夜)  

    [なぜ人を殺してはいけないのか?と問う時代]
     教研集会で「なぜ人を殺してはいけないのか?」という高校生の発言に誰も答えられ
    なかったという。人の死ぬのを見たい、自分の気に入らない先公は殺す、物が欲しい 
    から一家皆殺しにする、注目されたいから・・・・といった残虐かつ短絡的な殺人が、相
    次いでいる。戒律が集団内部で無力となり、外部からはゲーム的な殺人映像が無制
    限に氾濫し、ヒューマンな感覚が無機的にマヒしている現状は確かにある。
     動物の世界で本能的に同種の殺害を抑制する遺伝子があることをもって、人間にそ
    のまま適用して戒律化しても無意味だ。なぜなら米国海兵隊員の証言にあるごとく、敵
    を殺す気分は、だんだんと快感になるからだ(先記エッセイ参照)。
     人間は本能的に戒律をつくりだしているのではなく、聖人となるか野獣となるかーそ 
    のような自由を獲得している高等生命体として、まさに人間の「尊厳」を証明している。
    このような文化を破壊して野獣と化す条件をこそ、問題としなければならない。「何が
    彼女をそうしたか」というかってのリアリズム演劇のテーゼが現代的に蘇っている。  
    或いは、「汝の欲せざるところを人に施すなかれ」・「汝の求めるところを人に施せ」とい
    う戒律が再び浮上している。(2001/2/6夜)   

    [凝視する出隆教授]  
     1960年代の安保条約の改定に揺れる学園は、ほとんど授業がなかった。学生達
    はあたかも歴史を動かす主役のごとく日々の学園生活を送っていた。ある日数十名
    の学生が学内をシュプレヒコールを挙げてデモ行進している時に、傍らから食い入る
    ような眼差しを向けてデモを凝視している初老の学者がいた。その人こそ、日本のギリ
    シャ哲学者の権威である出隆教授(東京大学)であった。私は、デモと教授の視線の 
    双方をみながら、なにか学生の浮かれている姿態を見透かしている教授の姿に、学問
    を極めた人の真実を見抜く威力を覚えたとともに、遙か歳の離れた青年からも何かを
    学ぼうとするあくなく探求心を感じた。なぜこんな30数年前の学生時代の記憶を思い
    起こしているのであろうか? なにか当時の沸き上がる雰囲気と同じような条件が、客
    観的に成熟しているからであろうか? (2001/2/7夜)
   
     [町村信孝文部科学相の教育観]
      2月2日の報道陣との懇談で、彼は「はき違えた個性の尊重は、はき違えた自由、 
    子どもの権利の行き過ぎが不登校を生んでいる、そうならないようにするために道徳
    教育をする、自己統制力をないがしろにして好き勝手にやらせてきた。学校に行かなく
    てもいいとか、嫌いなことはやりたくないとか、こどもをおだて上げて何でもいいという
    のが不登校を増やしている、空いた半年に奉仕活動をやる。やった人には投票権を1
    8歳まで下げてもいい、昔は軍隊が通過儀式だった」等と語った。
     好き勝手にやっているのは、KSDの献金を受けた議員、機密費を流用して馬を飼っ
    ている外務官僚では?といった疑問がすぐわき起こるだろう。彼に日本の未来を担う
    青少年を云々する資格はあるのか?とも問うだろう。選挙権は基本的人権であって、
    奉仕活動のご褒美ではないなど近代民主主義の初歩だという人もあるだろう。
     このような無能・無学力の無責任な放言がまかり通っている日本って、一体何?卑
    小なまでのご託宣を黙って見過ごす人はいないか?(2001/2/7夜)   

   
 [児童虐待について]
     心が凍りつくような子どもたちの証言。彩美(19)は、10歳の頃、白いセーターを着
    ていたら呼び出され、養護施設の施設長から「袖が短い。脱ぐか袖を切れ」と裁ちばさ
    みで体をつかれ腕をつかまれた。とっさに腕を引っ込めると袖にはさみが入っていた。
    セーターを脱いでも許してもらえず、下着姿のまま廊下を歩かされた。体罰も日常的だ
    った。4,5歳頃から廊下を走ったという理由で、パンツを下ろされ、手で何十回も尻を
    たたかれた。一日中トイレに行かせてもらえず、3度の食事も抜かれたまま、廊下で正
    座させられた。
     中学生になって、他の子どもと県庁にあてて助けを求める手紙を書いた。県からは「
    がんばってください」という返事があり、何も変わらなかった。それから荒れた。門限破
    り、万引き、けんか。画鋲で耳に穴をあけピアスをつけた。高校2年生の時、施設長か
    ら「荷物をまとめて出ていくように」といわれ、「アー分かったよ」と毒ついたが、本当は
    不安で、涙がこぼれそうだった。寂しさから男が来れば肌を重ね、キャバクラで援助交
    際で生活費を稼ぎ、シンナーを吸った。
     ある日、覚醒剤の影響でよだれを垂らし、廃人同然の若者と会う機会があり、「私も 
    こうなるのか」と思い、虐待問題に取り組む女性の家に駆け込んだ。今は住み込みの
    パチンコ店で働いていいる。(朝日新聞2001/2/5より一部省略)
     
     親を失ったいたいけな子どもが収容される児童養護施設の悲惨な実態だ。人生の最
    も美しい時期をこのように過ごす幼子のトラウマを目の前において、私は何を語り得よ
    う。私の学は何を差し伸べることができよう。かたちをかえて無数の彩美ちゃんが、身
    に覚えのない迫害を受けていることは容易に想像できる。私と私の家族は、このような
    事例からは遠いという安心が忍び寄っていることも否定できない。
     皆さんに問うことはやめる。でき得ればこのようなミゼラブルな惨状を生み出している
    システムの解明と克服のための一筋の糸の端に、無力な私も繋がっていたいと思うの
    みである。(2001/2/8夜) 

    [祇園精舎の鐘の声・・・・・・・・・]
     祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり
     沙羅双樹の花の色、盛者必滅の理をあらはす
     驕れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし 

     ・・・・・・・毎朝隣の演劇部の練習場から高らかな合唱が聞こえてくる。釈迦の生地祇
    園に建立した僧坊で、彼は因果・無常の説法のほとんどをおこなった。釈迦が涅槃に
    入った臥床の四方に2本づつあった沙羅樹の1本が白色に変わったという。平家物語
    の叙事詩は、琵琶法師によって哀しい調べとともに民衆の心を捉えた。
     今は演劇の発声練習用歌として高らかに奏でられている。若者達はどのような気持
    ちで釈迦が到達したこの究極の境地を唱えているのであろうか? 想えばこの境地に
    至らんがために幾多の東アジアの俊秀がその命を散らした歴史があった。
     人の生の意味を探ろうとするあくなき試行は、しかしかたちを替えてこのような朝の若
    者の元気溌剌たる朗詠として継承されている。文化の連綿たる連続性は、このように
     してあるのが本当の姿かもしれない。(2001/2/11 0:45) 

    [真壁 仁 を偲ぶ]
     この農民作家は、『詩のなかにめざめる日本』(岩波新書)の「便所掃除」で私の胸
    を打った。学生にこの詩を紹介して朗読すると、一人笑った奴がいた。しかし、全体は
    どう受け止めてよいか分からぬ困惑した表情であった。それは、便所掃除のあまりに
    リアルな表現から、人間の誠実さと美しさを静謐に浮き彫りにしていた詩であった。
     真壁仁は、1907年に山形市の自小作農の長男に生まれ、中学進学を断念し、14
    歳から百姓として詩作を始め、25歳の時に治安維持法で逮捕され、北方教育運動の
    村山俊太郎との関係を40日間の牢獄で調べられた。
     小学校卒の学歴しかない彼は、「無所有の貧しさは、裏を返せば際限のない欲望を
    満たしたい飢えというものでった。世界をよこせ」(『野の教育論』)と強烈な学びへの
    希求を歌っている。

     原始的貧困とは異なる新たな質を持った現代的貧困の蔓延のなかで、知の無所有
    は形をかえて若者に言いしれぬ混迷をもたらしている。あらゆる学歴を手に入れてい
    るかにみえる背後で、ホントウのホンモノへの飢餓感が確実に拡がっているか、また
    はそのような探求さえ摩耗している「人間壊し」の日常が取り巻いている。
     「世界を獲得する」とは、ほんの小さな人間の尊厳を恢復する道程でもある現代でこ
    そ、『詩のなかにめざめる日本』の改訂版アンソロジーを編んでほしい。
                                          (2001/2/11 20:00) 

    [ヒトゲノム解析結果について]
     日米欧の解析チームと米遺伝情報解析会社セレラ・ジェノミクスは、11日ヒトゲノム
    解析結果を発表し、遺伝数を国際チームは26000〜40000個とし、セレラ社は26
    000〜39000個としている。ヒトゲノムは30億個の塩基からなり、それぞれ91%、
    95%を解読したとする。タンパク質情報を担う部分は、ゲノム全体の約1.5%。 
     ここで注目されるのは、セレラ社が5人の男女のゲノムを比較した結果、99.9%は
    共通で、体質など個人差を生む違いはわずかだったと発表したことだ。(朝日新聞 2
    001年2月12日朝刊参照)
     さて、この0.1%をどう読むか? 人間の個性差の遺伝的決定論が否定されたと読
    むか、または0.1%の極微の差によって人間の多様性がつくられている決定的なも 
    のとみるか? はたまたこのような問いそのもが無意味なのか? それにしてもゲノム
    解読が1ベンチャー企業によって推進され、それが最大限利潤の研究対象として推
    進されていることだ。すでにデータは、暗号解読家から医学、薬学、生物学の応用研 
    究に移り、ゲノム創薬をめざす欧米の製薬会社は、臨床データとゲノムをつき合わせ
    た新薬開発と臨床実験を進めている。(2001/2/12 9:05)

    [ふたたび多事争論]
     「弱い者の心は強い人には分かってもらえない、というのが、私が味わってきた実感
    だった。強くて優しい、というのはおとぎ話の理想で、人間の優しさは弱さと無縁ではあ
    り得ない。今もそう思う。と同時に、弱さが身を賭した強さへと昇華する様を目の前にし
    て、打たれるような思いもしてきた」(中坊公平 朝日新聞2月12日付)。   
     このさすがと思わせるヒューマニズム弁護士の言は、数々の辛酸をなめて上昇する 
    回路を設定したキャッチアップ型日本近代の階層構造を駆け上がった者が、一般的に
    持つ自らの出自への蔑視がない。しかしどこか水戸黄門の偽善を感じてしまうのだ。 
    民衆が自らの手で世の中を創り出す「身を賭した強さへの昇華」の途は、遠い気がす
    る。(2001/2/12 9:30)

     国連児童基金(ユニセフ)は、インド西部グジャラート州の大地震で、15歳以下の子
    どもが約300万人、孤児となった子どもたちが8千人を上回るとしている。この孤児を
    対象として、国際的な養子縁組という善意の合法的な制度を利用した子ども奴隷仲介
    業者が暗躍していると発表した。親族や地域への受け入れが最善の道であり、国際
    養子縁組は最後の手段にすべきだと警告している。   
     孤児の国際取引は、おそらく臓器移植の対象として臓器売買が目的の一つではない
    だろうか? 阪神淡路大震災でも復興需要をねらった企業の営業活動が旺盛に行わ
    れたと云うが、その形態は異なれ資本は全身から血を滴らせながら、市場を徘徊して
    いる。(2001/2/12 9:40)

     米コンピュータ大手IBMが第二次大戦中にナチスと商取引を行い、コンピュータが大
    量にナチスに納品され、強制収容所の管理システムに利用されたという。ナチス時代
    の強制労働被害者が、IBMを相手に損害賠償数10億マルク(1マルク=55円)を求める
    損害賠償をニューヨーク連邦地裁に起こす。(『シュピーゲル』2月12日号)
     残り少ない生存被害者のいのちにとって、IBM電子計算機は悪魔の機械であったに
    違いない。IBMとナチスの商取引関係を詳細に調査した米作家エドウイン・ブラック氏(
    『IBMとホロコースト』は8カ国語に翻訳されて今週中に発売)の恐るべき執念!それ
    にしても罪に対する断固たる罰の貫徹性が、日本と全く違うことに驚く。罪責のこのあ
    りかたの差異は、日本の日常のあらゆる場で発現し、忘却の論理で流されている。日
    本IBMの社員の方々はこの報道にどう対応するのであろうか? (2001/2/12 9:50) 
 
    [故郷とはなにか]
     岡山駅から山陽本線で15分のところに、生まれてから小学校4年生まで育った私の
    故郷がある。田畑がひろがる緑あらなす田園地帯の小農家である。父が岡山の高校
    で勤務している関係で、私は祖父母のもとで何不自由なく伸び伸びと野山を駆けめぐ
    った。小川でウナギや小魚、ザリガニを釣り、農協の選果場の屋根裏のもくずの中は
    最高の秘密の場所であった。春祭りで子どもたちは竹になにか紙を結わえて、あちこ
    ちの田んぼの畦をめぐりながら、今から思えば虫除けの行事をしていたに違いない。
    そこに拡がる田一面のクローバーやレンゲ草は格好の戯れの場であった。梅雨のな
    かでおこなう田植えは苦手であったが、秋の稲刈りは、お櫃入りのご飯を盛って田に
    行き、確か日に4度の食事であった。祖母の背中は汗が滲み、私は素朴なうちに働ら
    くことの意味を植え付けられていたに違いない。祖父は、篤農家で田畑の収穫量を毎
    年計算しては細心の注意を払っていた。
     夏の終わりの8月25日は、村最大の盛大な盆踊りが広場で行われ、近隣の村々や
    親戚が一斉に集まってくる。この踊りは、岡山県民俗無形文化財に指定されていて、
    子どもの頃から誇りを抱いていた。大人達も子どもたちも村挙げて、深夜まで続く素朴
    な踊りの輪のなかで高揚した解放感を味わった。夜店が立ち並ぶさんざめく宴は、私
    にとっては新宿歌舞伎町に匹敵する最大の繁華街であった。
     しかし農業の機械化が進み、トラクターや耕運機が導入され、脱穀も自動化されるな
    かで、祖父は次第に往年の元気が失われ病に伏した。祖父がある日、「この家は長男
    のお前が継ぐんだぞ」と真剣な顔で云ったが、今思えばかなりの覚悟を決めて私に云
    ったに違いない。最後は大往生であったが、息を引き取る直前に私が買ってきた氷ア
    イスクリームを口に含んで、かすかに微笑んだのが強く印象に残っている。祖母は、涙
    ひとつこぼさずにじっと堪えているようであった。私が人の死に直面した最初の体験で
    あり、棺桶(文字通り桶)に硬直した遺体を入れ、山で荼毘に付す煙の様はいまでも鮮
    やかに想い起こすことができる(当時は野山での火葬が許されていた)。祖母は92歳
    まで広壮な田舎屋を離れずたった一人で暮し、ある日誤って小川に転落して果てた。
    剛毅な祖父と優しい祖母によって、私の幼少期の基礎的な人格が間違いなく形成され
    た。こうして私は、当時は大都会と思われた岡山市の小学校に転学し、祖父の願いを
    裏切ってひたすら大都市をめざしながら生きてきた。 

     あの故郷の西の山並みに沈んでいく夕日の空一面を染めた美しさは、いまもって形
    容しがたい美しさの感覚を私に残している。いまは、中国自動車道が通る24時間煌
    々と照らされ、大型トラックが爆走する人工空間がある。
     高度成長期を経て周囲の景観は、自動車道が走りコンビニができるありふれた近郊
    農村の風景に変わったが、私のムラ自体はほとんど変わらず相変わらずの明治期の
    たたずまいであり、近代化したのはムラを通り過ぎるモータリゼーションの文化であっ
    たに過ぎない。私の家は無人となり、まさに故郷の廃家となって朽ち果てようとしてい
    る。1年に1度の墓参の時に、妻と長男がもらす廃屋生活への苦情を聞きながら、私 
    は夏の猛暑と冬の厳寒に額に汗して生涯働き詰めであった祖父母の一生を想い、日
    本の百姓達の土に埋もれて終えた生を重ね合わせて、暗然とした気持ちに打たれる。
     故郷は、大人達にとっては厳しい労働の現場であったが、子どもたちにとってはまさ
    に類いまれな揺籃の地であった。かくして私の故郷は、もはや私の心の片隅に残る刻
    印に過ぎず、その記憶もムラ人とともに消えていくだろう。(2001/2/12 17:40)  

    [インターネット書籍購入について]
     電子出版やサイバー書店が日本の書籍出版産業にどのような影響を与えるか、いう
    ところの流通の「中抜け」によって出版社と読者が直結するするか、逆に書店の淘汰と
    2大取次寡占がより一層進展するか、情報ネットワーク戦略による書籍出版業界の再
    編成が注目されている。おりしも書籍再販制に関する公正取引委員会の最終答申が
    この3月に迫り、事態は緊迫した状態となっている。 
     私は、実際に電子書籍販売がどう稼働しているかについて体験するために、オンライ
    ン書店「ビーケーワン」の謝恩価格本フェアーで発注を試みた。中小書店のグループで
    結成している(株)ブックワンは、インターネット上で書籍を受注し、ヤマト運輸を通じて
    宅配便で全国配達するというシステムである。私は、2月11日の夜にBK1のホーム
    ページで、大村書店の7冊(ほぼ定価の4割引)を注文したところ、12日朝私のメール
    に受注確認が入り、本日13日には配達された。代金決済方法は、銀行口座とキャッ 
    シュカードと代金引換の3種があったが、口座番号告知が不安なため代金引換を選ん
    だ。驚いたことに13日(火)午前中にヤマト運輸の宅配便が自宅に届いた。不在であ
    ったため連絡したところ、夕方6時には再配達で現品が届いた。
     書籍の電子販売の有効性が一定証明され、私は新本を古本より安い値段で購入す
    ることができた。ここには、書籍再販制度に挑戦する割引価格販売の問題と、取次・書
    店を中抜けする製販直結(出版社と読者の直結)の2つの問題がある。今回の体験で
    は、電子販売の一定の有効性が如実に示された。しかし、書店の店頭での購入のよう
    な内容の吟味ができない限界をカバーする事前の書籍調査の必要性も実感した。
     いずれにしても今回の初体験は、確実に私を電子販売の世界に誘うこととなった。
                                        (2001/2/13 21:30)

    [学生の卒業・進級を認定するとはどういうことか?]
     公教育において卒業を認定するとは、公的に認定された基準に基いてそれをクリア
    ーしておれば認定し、そうでなければ不認定にするという形式的な単純極まる作業で 
    はない。工場における製品検査の過程ではなく、生きたしかも将来有る人間への評価
    であるから、評価者自身の人間性と評価観が激突する最も熾烈な場所となるはずで 
    ある。しかもここでは、その当事者の全人生と履歴への深刻な影響を与える審判の決
    定的瞬間における決定的な判断が問われる厳粛な時間が流れる。          
     ある教育機関の教育水準と教育的な力量は、まさにこの瞬間に如実に露呈され、そ
    の結果によって、未来可能性を胚胎する若者の将来を分ける決定が遂行される荘厳
    な瞬間でもある。
     従って、或る教育機関の存在意義を判定する基準の一つは、この認定会議に費やさ
    れた時間の量的な長さと、そこで交わされた発言者数及び結論に至る教育的コミュニ
    ケーションの質にある。ここでは、権力関係は一切排除されなければならない。自らの
    教育的信念と責任の帰趨を決する場として、唾棄すべき日本的集団主義は否定され 
    る。問題は、「99匹を残して、1匹を探しに行く」(イエス)のかどうかにある。
                                             (2001/2/19 20:35)

     [田中正造直訴事件100周年にあたって]
     1901年(明治34年)今から100年前に、田中正造は政府にも議会にも絶望して直
    接明治天皇に足尾鉱毒問題を直訴した。直訴状はアナーキストで処刑された幸徳秋
    水が起草し、警護兵に射殺されることを覚悟した正造は、天皇の馬車の前で転倒し逮
    捕された後、釈放された。日露戦争をはさんでの正造の思想的な成長は著しく、「日露
    戦争に勝った機会こそ、日本は世界の前に素っ裸になって海陸軍を全廃すべき」(『田
    中正造翁談』明治41年4月)とか、「野獣言葉少なし、意志の通ぜざるより腕力に是非
    を決す、人は人語を理解せり、何を苦しんで腕力を以てせるものなるか」(『日記』明治
    46年6月)など、第9条に連なる先駆的な発言をしている。
     さて権力へのアクセスの合法性が制度的に保障されている現代では、彼のような制
    約された時代的な条件の下における決死的な行動ではなく、日常の地を這うような署
    名活動の形態が主流であり、劇的な行為はカリカチュアーとなる。しかし私たちは、実
    現した人権保障の成熟したなかで、かえって原理的な怒りや追いつめられた尊厳の証
    の原初的な表現と意志をも譲り渡してはいないか? (2001/2/18 19:15)

    [日本DBMのリストラ・マニュアルの洗練された野蛮]
     日本DBM(ドレーク・ビーム・モリン・ジャパン)は、世界43カ国に200以上のオフィ
    スを持つ米系再就職支援企業で、日本には850社以上の顧客企業を持ち、全国18
    カ所にオフィスがある。整理解雇の条件は、@解雇の必要性A解雇回避の努力B人
    選の合理性C事前の十分な説明の4条件が日本では満たされていなければならない
    が、西欧では本人の年齢・勤続年数・家族構成をも考慮しなければならない。日本DB
    Mのマニュアルは、退職強要をストレートに告げない極めて洗練された内容となってい
    るが、逆に精神的な抑圧は苛烈なものがある。
      
     『想定質疑応答』(日本DBM希望退職マニュアルから)
     問:給与が下がっても他の職場で働きたい
     答:申し上げたとおり、社内では貴方の活躍の場がないなかでは、社外で活路を求め
      られたほうが良いのではないでしょうか
     問:会社には何十年間まじめに勤めてきて、この仕打ちは何ですか 
     答:今までの貴方の業績には感謝しております。今回の退職募集は個人的理由では
      ありません。会社存続のための決定ですので、是非御検討いただきたい。会社とし
      ては再就職についてもできるだけの支援をさせていただきます。
     問:応募しないといったらどうなりますか。
     答:それは最終的に貴方がお決めになることです。これまで申し上げたとおり、貴方
      のキャリアを活かせない仕事を会社としては作り出す結果につながる可能性が高く
      貴方にとっても最良の選択にはならないと思います。このことを真剣に、冷静にお 
      考えいただき、是非、会社の意をお汲み取りください。
     問:労働基準局に不当解雇として訴えますよ。
     答:貴方のご自由ですが、貴方ご自身のこととお受け止め下さい。冷静に判断して下
      さい。基準局から問い合わせがあれば、充分な説明をします。

     私がリストラ対象の社員であれば、このような対話に断固とした拒否を示す前に、妻
    子の姿が散らついて、受け入れてしまうだろう。かっては、三種の神器の終身雇用制
    で確固たる企業社会を構築して高度成長を実現した日本企業の21世紀戦略の姿で
    ある。(2001/2/18 19:55)

    [土偶データベースから日本型IT革命をみる]
     国立歴史民俗博物館の『土偶データベース』は、全国に散在する土偶の情報を収集
    し、18年かかってデータベースを構築し1995年度から公開した。このプロジェクトの
    中心的作業者であった八重樫純樹静岡大教授は、次のように云っている。

     ITの設備は金さえあれば整備できるが、良質なデータの作成や蓄積、体系化、離散
    的な情報の分析は社会システムと人の知によるしかない。ところが、日本社会では、 
    社会基盤としての資料やその情報の体系的な管理が極めて貧弱であり、情報の質を
    保障する基準がなかなか見あたらないことを土偶データベースの構築を通じて痛感し
    た。・・・・(中略)情報社会の仕組みは水道にたとえて考えると分かりやすい。水道は
    @水道管、蛇口等の施設装置A生活や社会のなかで効果的に管理・運用するための
    体制・仕組みB流れる水ーで構成される。
     情報社会における水がデータである。土偶の情報化という研究を通して見えてきた
    のは、日本社会のAとBの、特にBの極めて貧弱な状況である。良質なデータを必要
    に応じてITの蛇口から取り出すための貯水池や浄化の仕組みが日本にはかすかにし
    か見あたらない。ITは今や政府の最重要課題であるというが、その施策は@の整備 
    ばかりが見える。・・・・(中略)欧米では、公的或いは学術的なデータを規格化する動
    きが顕著である。必要に応じて使い分けるためで、社会の仕組みの中に、アーカイブス
    やドキュメンテーションという機能や作業が組み込まれていて、貯水したり、浄化したり
    しているという。(朝日新聞2/13付朝刊)  
 
     欧米の事実への執着と保存や後世への伝達を生きた証として重視する文化の重厚
    さと、日本文化の差異を示す重要な指摘ではある。コンテンツなきITになんの意味が 
    あるか改めて考えさせられた。(2001/2/18 21:54)

    [花はどこへいった・・・・世紀を刻んだ歌]
     NHK衛星2「BSスペシャル・世紀を刻んだ歌」をたまたまみたら、懐かしいピート・シ
    ーガー「花はどこへいった」を20世紀反戦歌のメインとしてとりあげていた。小林克也
    と小室等による対談で進行したが、82歳になるピート・シーガーがワシントンのイラク
    経済制裁反対集会で老いた声を振り絞って歌いあげたシーンは圧巻であった。
     驚いたのは、この歌の源流がショーロフォフ『静かなるドン』の冒頭にあるコサックの
    子守歌から、ピートが作詞・作曲したということを初めて知ったことだ。マッカーシズム
    の嵐の中で歌う機会を奪われたピートが失意のなかで作り上げた歌であり、その後誰
    が世界的な反戦歌になることを予測し得たであろう。
     コサックの子守歌の元歌も戦争に若者を奪われた素朴な農民の母の歌であったし、
    ショーロフォフの実娘が登場してピートに感謝の意を表していたのも印象的であったが
    モスクワの娘や少年達の気品ある美しさも市場経済化に抗するロシアン的な伝統を感
    じさせた。おそらく視聴率は稼げない地味な番組ではあるが、久しぶりに心が洗われ
    るような清陵感をもたらし、今も静かな勇気をもたらす歌である。(2001/2/20 2337)

    [日本史レポート 207組寺本美沙「尾崎豊について」考]
     久しぶりに興味深いレポートが提出された。今は亡き尾崎豊の年譜と死をめぐる謎
    の解析に次いで、彼の歌を全て取り上げ、登場する語句の頻度調査を行っている。
    登場する語句は、「愛」・「自由」・「夢」・「真実」・「答」・「罪」・「生」・「優しさ」・「街」・ 「
    風」・「金」・「仕事」・「欲望」・「傷」・「裏切り」・「孤独」であり、彼の歌に登場する上位3
    位は、第1位「愛」・第2位「生」・第3位「街」であり、私の予想した「傷」・「裏切り」・「孤 
    独」は下位であった。ここには尾崎の孤独なイメージの裏にある人間的な絆への希求
    が読みとれる。
     近来稀にみる独創的なアプローチであるが、このようなデータの背景にある時代的な
    感性の分析にまで踏み込み、なぜ若者の心を捉えたかの考察が展開されるとさらに
    深まったであろうと思われる。
     寺本さんの鋭いのは、「自由を求め続けた尾崎豊の生き方はかっこいいと思うが、こ
    の世の中の規則から逃げただけではないのだろうか」と尾崎の限界を衝いているとこ
    ろである。では、逃げに終わらない自由への希求はどうあるのか、尾崎が無惨な死を
    通して私たちに残した問いかけに答えるのは、私たちの課題でもある。
                                   (2001/2/21 22:00)
 
    [児童虐待について その2]
     児童福祉センターの業務は、「親の死亡・行方不明・離別・入院・出産・未婚出産・借
    金・捨て子・置き去り・浮浪・非虐待その他の養育困難」の養護相談活動である。児童
    相談所は人口50万に1カ所が基準であるが、人口217万の名古屋市には1カ所しか
    ない。名古屋市児童福祉センターにある一時保護所は男女別19畳に13人を詰め込
    む非人間的な収容システムとなっている。部屋に座り机が2つ設置してあるが寒々し
    い施設である。
     同センターへの非虐待の相談件数は、1996年156件→1997年227件→1998
    年288件→1999年650件と爆発的に増大しているが、児童自身が相談することは
    少なく、この数字は氷山の一角に過ぎない。
     日本的母性愛神話のなかで、競争主義の強迫に追いつめられた若い母親の姿が浮
    かぶ。ノルウエーでは1年間の育児休業のうち1ヶ月を父親に割り当てるパパ・クオー
    ターが導入され、90%の男性が育休を取得している。
     豊かな社会の裏に最も弱いものへの虐待をおこなう大人(親)のミゼラブルな姿ととも
    に、被害者である無抵抗の幼い命を想うと暗然とする。強者から弱者への抑圧の移譲
    はかたちを替えてあらゆる場所に蔓延している。夫やパートナーによるDVやいじめな
    どの、内部に隠蔽される陰惨な暴力構造と本質的な共通性がある。           
     実は、私にはこのような告発をおこなう資格はない。虐待といわれても否定し得ない
    叱責を学生に加えた経験があるからだ。(2001/2/24 20:55)

    [セーフガード発動について]
     WT0(世界貿易機関 Wold Trade Organization)は、輸入品激増による国内産業保
    護のための一時的・緊急避難的な輸入数量制限や関税引き上げをおこなうセーフガ
    ード条項を発動しうる。その発動条件は厳しく、関係国が対抗措置をとりうるため現実
    には困難な面がある。
     日本タオル工業組合連合会は、2月23日に中国製タオルを対象とするセーフガード
    を申請することを決めた。国内需要に占める輸入タオル比率は57,7%で、その80%
    は中国産であり、壊滅的な打撃を受けているとしている。   
     セーフガードは、日本紡績協会が1995年と96年に綿織物で申請したが、発動件
    数はゼロであり、米国32回・豪州38回・カナダ22回に較べて惨憺たる有様である。
    この背景には常に戦略産業を設定して輸出主導型国際貿易を展開してきた日本型シ
    ステムがある。日本には、セーフガードの独自の政府機関・専任職員・調査条件も皆
    無である実態がある。新国際分業論や開発経済学の有効性をリアルに問い直す事態
    となっている。国内産業を犠牲にして私たちは安くて品質のいいユニクロを着ている。
     朝日社説では、日本企業の開発輸入政策に原因があり、国際分業をめぐる国内の
    争いだとしたうえで、価格・品質競争による消費者利益を優先させるべきだと主張し、
    保護による改革の遅れを警告している。空洞化やリストラによる構造改革路線で急速
    に購買力を衰弱させつつある国内需要のなかで、消費者の利益とは何だろうか?
                                              (2001/2/24 9:10)
    
    [「沖縄に住んでみて」・・・ダグラス・ラミス]
     那覇の自宅へ戻ろう思って、那覇行き最終バスに乗った。ガラガラの車内で4人の米
    海兵隊員が沖縄の若い女性2人を大きな声でナンパしようとしていた。他の乗客は眠
    るふりをしていたが、女性達はくすくす笑っていた、その笑いは明らかに恐怖の表現で
    あり防衛策の一部であった。  
     最初海兵隊員は「私、あなた英語教える。あなた私日本語教える。OK?」これに効
    果がなかったので・・・・「アメリカ人好き? 海兵隊好き? ロック好き? あなたのスカ
    ート短い。あなたの唇セクシー。あなたドルで遊ぶ? 円で遊ぶ?」。
     那覇市の中心に着く前に女性達はバスを降りたが、海兵隊員はそのままだった。彼
    女たちが降りるとき「バイバイ。ソーロング。バイ。売女め!」と声を掛けた。
     bitchは「メスイヌ」であり、「売女」とも翻訳できるが、男の云うことを聞かない女を批
    判するときに最もよく使われる。沖縄で海兵隊員に声をかけられたら、女性は従うもの
    と信じていたか彼らは、その限りで女性を「可愛い」ものと扱ったが、断られた瞬間「売
    女」に変わった。    
     ヘイルストン中将が県知事を「馬鹿で腰抜け」と呼んだのは、wimpだった。wimpは
    イギリス俗語で「女」という女性蔑視の意味で、日本語の「女々しい」に近い。・・・・・
    (朝日新聞2001/2/24夕刊 一部省略及び改作)

     沖縄のフトした日常の風景を通して在日米軍の思考原理を見事に衝いている。沖縄
    に住み憲法第9条を広める活動をしている元津田塾大教授の米国人の澄んだ眼差し
    がある。「色情をもって女を視るものは、既に心のなかで姦淫している」(イエス)と云う
    までもなく、日本戦後史は米国による陵辱を受けてきた50数年であった。
     加害者の側に位置する人から、このような真摯且つ尊厳溢れる支援の声は感謝に
    値するが、問題は日本戦後史のなかで形成された奪われた尊厳への自己恢復の力
    だ。(2001/2/25 9:18)

    [ルート・クリューガー『WEITER LEBEN Eine Jugend 生きつづける』
      (みすず書房 1997年)
]

     1931年にウイーンで生まれた彼女は、10歳で母とともにアウシュビッツ強制収容
    所に送られ、3歳年をごまかしてガス室送りを免れ、死の行進の途上母と一緒に脱走
    し、戦後はアメリカに移住しドイツ文学を講じている。
     『夜と霧』いらいアウシュビッツを生き延びたものは、外界への何らかの「希望」を抱
    いていた者というテーゼがいかに甘っちょろいものかを知らされた。逆に「希望」こそ、
    反乱を押しとどめ、ガス室に送った最大の悪であった。
     手首に押された囚人番号を隠したり手術で消さない彼女にとって、それ以外に自ら
    の「輝かしい」少女時代はないからだ。恐ろしいのは、ガス室で折り重なって死んでい
    った死体は、最下層に幼児その上に老人・おんなそして最上層に屈強な男という階層
    があったという。苦悶にうめく今はの際に人間が断末魔にあえぐ姿をこれほど示してい
    ることはない。
     「アウシュビッツ以降いかなる詩も許されない」という言葉を激しく彼女は批判してい
    る。このような地獄の証言に対しては、事実の威圧に圧倒されて語るべき言葉を持た
    ない。しかし、にもかかわらず私は云う。イスラエルのパレスチナ人への仮借無き行為
    はアウシュビッツによって免罪できないと。シオニスト・クリューガーにこの視点はない。
     私にこのようなことを言う資格があるのか。もしあるとあすれば、いま・ここで、あらゆ
    る「アウシュビッツ」的な事象に私が逡巡せず抵抗しているかどうかにある。
     この4日間インフルエンザで床に伏して、フト手にしたこの本は余りにも重たいもので
    あった。おそらく彼女を直接面前に置いたら到底云えないようなことを記したと思う。今
    日は我が校の卒業式であり、いつにもまして感動的なシーンが展開した。このような厳
    粛な静けさの裏に、モノ言うエネルギーを喪失しつつある若者の姿を見たような気もす
    る。60年前の悲劇と現代の去勢されたかの姿は、支配のハードかソフトの差異だろう
    か。(2001/3/1 19:38) 

    [厚底ブーツのキミイー!・・・・・・こんな話に痛く感激する]
     混雑したターミナル駅。急ぎ足で階段を駆け下りようとしたら、隣で子どもの悲鳴があ
    がった。観れば母親に手を引かれた5歳くらいの男の子がほっぺを押さえている。側
    には煙草を外側にに向けて階段を下りていく若い女がいた。きっとこの煙草の炎が当
    たったのだ。
    「こら、待たんかい」
    と僕が怒鳴るよりも先に、この女が誰かに蹴飛ばされた。一体誰のキックなのだろうと
    辺りを見渡すと、サラリーマンのおじさんが怒りに燃えているではないか。このおじさん
    は女の茶髪をむんずと掴まえて、子どもの前に引きずり出した。
    「何したのかわかってんのか!」
    と激しい口調で怒鳴られても女は事態を分かっていない様子だ。あなたの煙草で子ど
    もが火傷したんですよ、と僕が説明すると彼女は、
    「マジー?なんでー?」
    と意味不明の言動をとるばかりだ。そればかりか、携帯電話をかけて現実逃避しようと
    する。妙な事件に巻き込まれた被害者みたいな口調で、
    「マジ、いまー、超ヤバくってー」
    と話すものだから、こちらもカチンときてしまった。すると熱血漢のおじさんは、携帯電
    話を奪って地面に叩きつけたではないか。このあと、おじさんは謝らない彼女の厚底ブ
    ーツを出足払いし、見事跪かせた。そして煙草の箱を没収すると両手でひねり潰して
    捨てた。いやー、いくら俺でもそこまではできないっス。
    「(お侍さま)ありがとうございました」
    と深々と頭を下げた母子がまるで時代劇のワンシーンのように映った。おじさんの後ろ
    姿が、『達者で暮らせよ』と言っているようでカッコよかった。とても感動したので次の日
    の新聞に載っていないか調べたほどだ。載っていないので、今載せた。(池上永一「厚
    底ブーツのキミイー!」(朝日新聞3月2日夕刊 後半省略)

     最後の5行が悪乗りしているし、「っス」とかのカタカナ終止語は私は気にイラン! し
    かしなぜかスカッとする。このような我がもの顔のネエチャンをよくみる。このような感 
    性貧弱なオンナをみると胸くそが悪くなる。先記した池袋の話ではないが、このような
    正義のおじさんは意外と東京砂漠に多く、地方には少ない。この違いは思うに、東京
    は、青山・六本木・渋谷などの一部を除いて中高年が社会のリーダーなのだというハッ
    キリとした雰囲気があるが、地方に行くほど東京マスコミに踊らされた若者が威張って
    いるような感じで、大人が明確なメッセージを示し得ていないからだ。このようなおじさ
    んが日本の多数派ならば、こんな惨めな日本ではなかったろうとつくづく思う。
                                      (2001/3/5 20:23)  
          

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