OSバージョンが低すぎてブログは断念しました(W) 

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ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.101__2008年4月16日(水曜日).
新・男の劇場__パソコン奮戦記

 台東区内に住む障害者と運動した雑居同盟は機関紙を「BeLL」といった。副題に“Be Living Liberty”、英語が大の苦手の俺の命名だ。おかしいかおかしくないかは知らない(w)。
 このBeLLがとりわけ心に残るのは、93年10月発行の1号から94年12月発行の5・6合併号まで、版下製版を手がけた俺の、文字通り生きた製版変遷録でもあったことだ。
 すでにワープロの影響濃く、1〜3号まではワープロ文字を大見出しに、タイプ版下に貼り付けた。4号で初めて全面パソコン製版、いわゆるDTPにて写真を配し、影文字を入れたタイトルロゴも入ったものの、なんの手違いか表1面と裏2面の版面部分がぴたりそろわないというみっともなさ。それが5・6号でプロっぽい体裁、今回「男の劇場」カットのようなコラージュにまで手が届くようになったのである。
 ただ、機関紙がそれ以上発展することはなかった。雑居同盟の解散と共に、当然機関紙BeLLも廃刊となったからである。

―新編『男の劇場』を読む―
―目次から入る―

*記事番号は「No.100」を飛ばしてあります。
 飛ばした記事は100回目記念、「(100の質問による)“日本人のあなたはイラク戦争にどんな責任を負っていると思いますか?”」と題して近日中更新します。



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.102__2008年4月21日(月曜日).
クズ映画に騙されないために...

 年に何十本映画を見たと自慢するヤカラがいる。金もヒマも余っている方ならご自由にどうぞ。金もヒマもない俺など、そんな役にも立たない見方は出来ない。ではダメな映画、いい映画を見分ける判断基準は何か。
 ふるいの掛け方も色々あるけど、大雑把には監督――自分と傾向が似ている監督。または仕事を選ぶ一徹役者(テレビCMなんかに頻繁に出ている奴はダメで)、この2つは相乗効果となり、いい監督はいい役者を使い、いい役者はいい脚本を選ぶ。
 俺など小説の参考にドラマなどもよく見るのだが、クズを何十本見たって何の益にもならない。いい映画を何度も見る。あらゆる角度から愉しむこと。回を重ねるごと新しい発見を見つける喜びにも出逢える。
 そうして養った審美眼で、これまでほとんど外れた試しがない。

―記事を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.103__2008年4月24日(木曜日).
バリアフリー時代を支える人為の心

 念願の若松孝二監督『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)』を今日観てきた。
 感想は後日として、また映画館の話。
 体内留置の結石のせいではあるまいが、昨日より頻尿傾向。その悪条件下、3時間余りの長丁場な映画に一瞬はたと怯んだが、溲瓶(しびん)の助けで事なきを得た。アソコに尿器を当てたまま終映まで――客の混まない平日時間帯で良かった(w)。
 その地下への階段介助、年輩の職員のおぼつかない足取りに車イス(70キロ)と俺(30キロ)を分けて運んでもらった。皆、愛想良く親切だった。なにが嬉しいといって人の親切と触れ合う時ほど心地よいものはない。
 設備の完備で勝手に、自由にでは味気無さすぎる。新宿、池袋、渋谷など、建物の古さの余りにバリアフリー化が行き届かない街とは、それゆえアンバリアフリー時代の心の温もりが随所に感じられる街でもあるのだ。

―記事を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.104__2008年4月27日(日曜日).
“運動は一人でも”出来る!

 つくづく「あの頃の俺は“運動”してたんだよなあー」と思う。
 心は常に武装していた。駅で電車に乗る際に介助を頼み、「付き添いはいないのか」と問われた時、必ず「いない」と答えること。「次からは付き添いを付けて」と駅員にいわれた場合の対応――マニュアル設定は常に「一人なんだ」「付き添いなど付けたくてもいないんだ」という情況設定。そこだけに自分を追い込んでおく。カッコ良くいえば「退路を断つ」だ。
 面白かった。こちらに理がある以上、しぶとく食い下がれば最後には必ず勝つのだ。
 大音声でやり返し、周りを黒山の人だかりに変えたことだってある。体力での喧嘩は出来なくとも智力での喧嘩は出来る。それが一人でやる障害者運動の醍醐味だった。みんながそれをやれば良かった。物だけのバリアフリーなどより、その方がよほど心を伴ったはずだ。

―記事を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.105__2008年5月2日(金曜日).
“みんなでする運動”の落とし穴

 障問(月刊障害者問題)時代、つくづく「俺は野次馬だなあ」と思った。だが、野次馬だからこそ見えるもの、言えることがある。
 障害者の集会へ行って言語障害の発言に通訳を要求し、障害者である俺自身が「差別者、出て行け!」と烈しく恫喝されたことがある。「本間さん、あなたの今使った言葉は差別語ですよ」と真面目な顔で指摘されたことなどは数多だ。
 労働組合の大組織である総評傘下で障害者団体が一つできた。取材と称して合宿にも参加したが、食膳に並ぶ酒肴に驚いた。それを遠慮するどころか、「これで俺たちも一人前の組織人」と自負めいた感慨にふける参加者がいたことに二度驚いた。そうして、初期の志も理想もやがて一敗地にまみれていくのである。
 その後、労働組合はどうなったか。障害者団体はどうなったか。そうしてあの当時の叫びは、運動は、闘う心はどこへ行ったのか。

―記事を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.106__2008年5月5日(月曜日).
分裂してる時か、おい

 『靖国』上映問題も、一部右翼団体とその代表らの努力により議論の場も持たれ、全国公開の運びにもなった。東京は1館以外は直接抗議活動もなく、ただびくびくと影に怯えての上映禁止、それが話題づくりでこうなった点では、実に「なんだかなー」な展開でもあった。
 それにしても、左だ、右だという対立は、いいかげんやめにしないか。反吐が出る。
 昔は同じ左派がセクト主義で対立したり殺し合ったり。そこまで行かなくとも、大局的に見れば実に些末なことでいがみあっていた。差別語に関していえば共産党が差別語を使おうとしていたのに対し、反共産党系はゴリゴリの差別語反対だった(w)。これは可笑しかった。
 障害者団体もきれいに分かれており、そこでいつも思うのは、「こいつらほんとに困ってるのか」「分裂できる余裕がよくあるなあ」という疑問だった。その疑問は今も続いている。

―記事を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.107__2008年5月8日(木曜日).
歓迎されない命たちよ

 久しぶりの深夜の地震に、一時、心までが震えた。
 まず、1時2分に小さな地震があった。
 そして2度目が1時45分――
 風呂から上がって横になって間もなく、最初の小さな揺れの後の大きな横揺れ。必死にいざって行って玄関までたどり着き、また汗くさい下着をガイコツの身に着けつつ「すぐ治まる、大丈夫大丈夫」と呟き、怯えていたのは裸で焼け出される恥さらしでも死ぬ危険でもない。
 大地震後をおもんぱかる余りである。
 「階段を誰に頼って避難するのか」「屋上に上がった後はどうなる」「電気も止まりトイレも使えない」「車イスもなく移動はどうする」……そうした諸々の“一方的に人の世話になるしかない身”の不自由さと遠慮の“針の筵”、つまりは障害の身を痛感する懼れである。
 俺の地震嫌いの大元はそこに尽きる。
 今日の“障問”は幸せを望まれず殺された命を描くTVドラマ放映への一石――。

―記事を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.108__2008年5月11日(日曜日).
民青と創価学会と

 家々の門戸を叩いて訪問、新聞の勧誘ならぬ機関紙の勧誘をしていたことがある。
 民青を経て共産党の党員となったからには、れっきとした赤旗である。いまは、「しんぶん赤旗」だ。新聞をひらがなで書くところが共産党らしいではないか。
 しかしいっこうに大衆の心を掴めない。
 社民党は、元は社会党ともいった。この社会党と共産党が手を組んだことは多かった。左翼の蜜月時代である。
 いや、それどころではない。
 共産党は創価学会=公明党と蜜月だった時期さえあるのだ。その頃は今太閤ともいわれた角さん田中角栄総理の天下だった。
 いい時代だった。少なくとも、大衆運動、住民運動、障害者運動といった市民参加型運動の全盛期でもあった。

―版下屋風雲録第3回を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.109__2008年5月14日(水曜日).
ベータと歩んだ幾春秋(w)

 22年前、火事で焼け出された時、600万円の保険金に入っていながら「危わや!」というところだった。罹災証明書の申告額が350万円くらいにしかならないのだ。それでは満額でもそれしか下りるはずがない。
 困った。高い金を払ってきた掛け捨て保険が文字通り掛け捨てのまま終わるのか……
 と突然、担当者との口証文を憶い出した。
 「ほらね、タイトルも時間かけて1本1本レタリングして、全作コマーシャル抜き、市販のビデオもかくやと見まごう(?)仕上がり。これだけ手間暇かけ、また再現するなんて容易じゃない。だからこれにも掛けて!」
 そう言って泣きつき、約束させたビデオ。1本に付き1万円掛けさせたライブラリーが600本。罹災証明は一気に950万円に跳ね上がり、600万円満額が下りたのだった。

―ビデオ物語・1回目を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.110__2008年5月17日(土曜日).
トップリード100本分掲載に因んで…

 1年前の今日、「強制猥褻、強盗致傷容疑」によるガサ入れで外付け含むパソコン関連を押収された。少し前まで大口仕事を抱え、即日犯人逮捕とならねば会社を1つ潰すところだった。
 当初「エッチサイトのせいか」と思った。刑事も「これがノーマルなら来なかった」とほざいた。が、それは大嘘だった。
 犯人が犯行を誇示して現場に落としたプリント――それはブラウザ画面に強姦場面をハメ込んだ合成で、“壁”に転用されたのが俺が開設しているサイトのページ、しかもそれはエロでもなんでもないページだった。
 断じて言っておく。素材はエロでも鬼畜でも暴力や政治弾圧は肯定していない。それを投稿規定にも盛り込んであり、外から貼れる画像掲示板はない。犯罪要素はほぼゼロのサイトに直接アクセスも確認もせず、ただ遺留品に付いていたURLだけで踏み込んだのだ。
 確率は宝くじか交通事故か知らないが、誰もが司法被害者になりうる時代ということだ。

―トップリード100本を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.111__2008年5月20日(火曜日).
エッセー『映画、大好き!』

 きのうネット散策の途次、映画生活というサイトを覗き『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)』のレビューを読んだ。
 驚いた。こてんぱんにケナすつもりの同作を、16本のコメントのほとんどどれもが絶賛。「入魂の一作」「近年稀に見る大傑作」といった手放しのほか、「すでに3回、まだ観る」という熱烈ファン。これはいかなる現象か!?
 俺なりの感想は別に控え、ここでは「通常封切作より200円高い料金」「190分という長尺」を含む内容以前の批判として「休憩時間の幕間に関連ニュース映像を垂れ流し」「劇場フロアの壁を使っての“連合赤軍写真展”(?)」「一冊1470円の分厚いパンフレットを付けた」ことの3点をさらに付け足す。
 映画は完成したフィルムが全て。それ以外の添え物で内容や評価の補足を求めるなど邪道。“楽屋落ち”まで売り物にするメイキングが流行るなど、映画も“終わった”ね。

―肝腎の記事(w)を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.112__2008年5月23日(金曜日).
「ビデオ、神様!」の時代

 百円ショップでふだん愛用の歯磨き粉を見つけた時、「こんな大きさで何故?」と驚いた。が、キャップが旧来のネジ式で腑に落ちた。
 ビデオの時代は留守録機能が付いても、それを使うことは皆無だった。その名残りが高じて、CM飛ばし機能に発達しても居ながら録画にこれ努めた。それこそ“襟を正し”“居ずまいを正す”心境で録画保存に臨んだ。
 物皆オートメ化の現代(いま)の世に「『おしん』が可哀想だ」と放送局に米を送ったり、「テレビの中で小人が動いている」と信じ切るおばあさんなどいないのは当然だが、便利さ、自由さを尊ぶ精神は忘れたくない。
 DVD、ハードティスクに発展したビデオ機能、またパソコンを経て今に至るインターネットの驚異的な情報環境、その恵みの豊かさに感謝する人などどれだけいることか。
 少し元に戻ってみないか。「なんでも科学」と割り切る心は寂しすぎると思わないか。

―ビデオ物語・2回目を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.113__2008年5月26日(月曜日).
ペットは物か!?

 広河隆一責任編集DAYS JAPAN最新6月号が「処分されるペットたち」を特集した。ふだんは戦争報道・難民問題が主流の本誌では珍しいことだが、“人間の業”と“命の軽さ”を伝えて一脈通じ、涙なくしては読めない。
 殺処分を請け負う動物愛護センターに連れてくる人々の理由は「噛む」「吠える」「繁殖」「飼い主の病気」や「引っ越し」の他、「家族で旅行したい」「血統書を信じて買ったらボロ犬(雑種)が生まれた」……そうしてペットたちは「ドリームボックス」と呼ばれる部屋に追い込まれ、炭酸ガスで殺されるのだ。
 記事で二度泣けたのは、職務で殺処分を行う職員家族を「犬殺し」と呼び、子は学校でイジメまがいの追求を受けたりするという。物事の一面しか見ない心ない人々の仕打ちに、ちょっと前話題になった「崖っぷち犬」「崖っぷち猫」の“愚劣”が頭をよぎった。
 DAYSの特集にほだされ、こんな記事を拾った。

―記事を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.114__2008年5月30日(金曜日).
電動車イス乗り始めの頃

 俺はずっと中途障害者のことを、「生まれつきはもちろん幼い頃からの障害者と較べて“生きにくい”だろうな」と思っていた。健常な時期は障害者になることなど想像もつかず、それどころか差別したかも知れない。その“向こう側の人間”に突然自分がなったのだから……。
 電動車イスに替えて似た思いを味わった。
 バリアフリーなど夢の時代、国労(今のJRの組合)にさえ――否、職制(国鉄当局)は認めていた。だが国労こそは組織原則にのっとり、「労働強化」となる車イス一人乗車を組合方針として拒否し続けてきた。
 その当時、手漕ぎの車イスだった俺が“お情け”で「うんこらしょ」と運ばれる横で、労働組合員である駅員によくいわれたものだ。
「あんたはいいよ、まだコレだから。それを電動車イスなんかで来るのがいるんだよ」
 と。それを思い出せば“針の筵”だった。

―仰天記事を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.115__2008年6月2日(月曜日).
「面白さ」こそ原点!(w)

 ミニコミ障問では「面白さ」を追求してきたが、それはあらゆる俺の原点でもある。
 書くことの面白さ、読ませることの面白さ、そして生きることの面白さ。そこに「売らんかな」精神があったことは事実だ。三種の認可条件の一つが500部という発行部数で、一部100円での採算にも、その数を売る必要があった。とはいえ、それが全てではない。
 そこでのエンターティナー性とは人生にも運動にも通ずるとは思わないか。より多くの人の心を掴む真髄こそが、あらゆる発展の原点であり、源泉だとは思わないか。
 そのことを顧みず、否、本当に広めたいなら考えるしかないのに、「差別されている者(当事者)の痛みを感じない者は味方ではない」とする硬直性、独善性がすべての運動の発展を妨げてきたとは思わないか。
 仲良しクラブできる身を太平楽という。

―記事を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.116__2008年6月5日(木曜日).
人の心の痛みが見えるだろうか

 インターネット交流では顔や心が見えないという。外見的な意味でいうなら顔は当たっているだろうが心は違う。なぜか。
 所在も素性も分からず、メール一本の絆など逃げようと思えばいつでも逃げられる、その双方が書くことに何のこだわりがあろう。
 問題はそれがリアルに発展する時だ。
 ミニコミ時代、文通を経て読者と「会いましょう」となった時、相手が女性なら「決して美人を期待してはいけない」と自分に厳しく課した。低俗にいえばブスを想定した。
 ヤケドだけは想定外だったため面と向かった視線が怯んだ。「しまった」と思った時は遅かった。その瞬間、多分彼女を傷つけただろう。後に彼女は盲人と結婚したとのこと。
 『星の王子さま』に「大切なものは目に見えない」という名ゼリフがある。死ぬまでに、その大切な何かが見えるかどうか……。

―記事を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.117__2008年6月8日(日曜日).
スクリーン駆ける“姐御”!

 何によらず、俺は昔からヒロインが真っ向切って大活躍する話が好きだった。ただし、気が強いだけの男勝りと上昇志向、女権がどうとかいう堅物なんぞは屁でもない。
 時代劇ドラマはボンカレーの宣伝で有名な松山容子の『めくらのお市』。71年放映というからには差別語狩りの受難にも遭ったろう。一昔前には「ゆるしませぬぞ!」が決めゼリフの『琴姫七変化』も好演している。
 小説では生田直親の『東海村原発殺人事件』。巫女や神主の登場で神事の難解さにやや退けるものの、女剣士斉木花野(かや)の凛々しさは忘れ難い。俺の小説のヒロイン像は花野へのオマージュといっていいほどだ。
 そして映画はなんといってもコレ!
 ヤクザもヤクザの情婦もクソ食らえで「ゴクツマ」など見るだに聞くだに虫酸が走る。だが、この二人は別。いつかこってり、それぞれ単独で研究論を書きたいほどだ。

―「映画大好き!」第二集を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.118__2008年6月11日(水曜日).
「ゆるしませぬぞ!」

 これの前の更新時、まさか以前にはよく行ってた秋葉原で7人殺害、10人重軽傷という通り魔事件があったとは。だが犯人の職業から「派遣」総体を否定、誹謗する2ちゃん始めネットカキコの酷さにこそ唖然とした。
 誰でも良かった、ただ殺したかった、それも余りにやりきれない……
 そう思っていたら、昨日付ウェブ版東京新聞で、犯行に至るまでの日頃の犯人の怨嗟が連ねてあったが、それを読んだ先の2ちゃんねらー共が青くなったかどうか。いや、所詮格差も貧困も当事者以外は我関せずの風潮、でなければこんな犯罪も起きまい。
 年間3万人もの自殺者。どうせ死ぬなら政治家の一人とでも差し違えればいいのに、とは表だって誰もいえない。だが、高橋源一郎はイジメ被害者に宛てて同様のことを書いた。
 北九州で「オニギリが食いたい」といって餓死した生活保護打ち切りの犠牲者。それら死者が、秋葉原事件の犯人のように刃物で襲いかかってくる光景を想像して見るがよい。

今日の俺の記事は雑誌「記録」からの一篇。

―『「琴姫様」』を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.119__2008年6月14日(土曜日).
孤立を捨てよ!

 一人の人間の孤独と不安と弱さ脆さ――。
 最近、思い悩むことで精神的にも半ノイローゼ状態な夜が続いたが、ふいと思い立って馴染みの医院に出かけた。受付の子に「どう?」と訊いて「いい顔色ですよ」と返された。そして診察。脈も血圧も他も正常。それでいて我が家に戻ると、またおかしくなるのだ。
 そこで一計、日頃の意地を捨ててみた。まずは最近とんと無沙汰の兄宅に電話。あいにく兄不在で、代わりに義姉とたっぷり話す。次に障問発送ボランティアが縁で、その後も親しくさせてもらっている老女史とこれも久々長電話。かくしてその夜はぐっすり眠れた。
 こういう家族運や仲間運に恵まれたことを素直にしあわせと感じる。社会に対するアクセス力は大事だが、社会の中での出逢い運や情況運も実は人生には重大事である。
 秋葉原通り魔事件の犯人に、ただの一人も凶行を止める誰かいなかったのだろうか。

今日の記事は“レトロシリーズ”第二弾。

―『「白馬童子」のように』を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.120__2008年6月17日(火曜日).
味な話か、味の話か

 昨日付ウェブ東京新聞の記事――。
 食と自然の関係。『週のはじめに考える』では、豊かな自然の「土壌」こそ生物多様性なのだと訴え、人間のためのCOP10(生物多様性条約第10回締約国会議)の在り方を考える。多様な生き物との接触を重視したいとの主張も当然だが、秋葉原での惨劇をひきあいに、おしなべてネット人間が“仮想世界に魅せられて”いるかのごとき表現はいただけない。
 誰も「魅せられて」などいない。現実の空しさ、世知辛さから逃れ、ブログを、ホームページをと開くが、そこでも孤独は癒されない。そうしてまた、ひっそり耐えている若者が大半だろう。その哀しみが俺には見える。
 ただ、その問題は問題として、記事中、名古屋市水辺研究会代表、国村恵子さん曰く「『人』に『良い』と書いて『食べる』でしょ」には思わず膝を叩いた。漢字の字源に秘める真実の奥深さを見せつけられ感心した。

―『「味」の話』を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.121__2008年6月20日(金曜日).
引っ越します(マジ)

 33年間住み慣れた台東区から多摩市に引っ越すことになりそうです。引っ越し理由は、
 1.仕事がない
 2.それなのに修理すれば最大8万円修理代ふっかけられそうな、仕事で使うプリンターが壊れかけている(汗)
 3.利き腕の右手に加齢によるポスト・ポリオ症候群(恐怖)とおぼしき痛みとしびれ
 4.12月に11回目の家賃更新(溜息)
 5.そこで家賃が安い多摩市に目を付けたところ、多摩は立川市以外活断層がないとも聞き、地震恐怖症の俺にもってこい。
 6.緑豊かで空気も良いため、酒断ちで一時なりを潜めているぜんそくを完全に封じ込めることにもつながるのではないか。
 もはや神様のお導きとしか思えません。

記事は過去の引っ越し話。

―『ダウンタウン・ストリート』を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.122__2008年6月23日(月曜日).
時 代

 若い時は思い切ったことを平気でやる。
 手漕ぎの車イスに乗っていて、たいして自信もないのに階段の降り口で前輪上げしてそのまま前に倒れたり、野菜を切っていて、この位置では絶対危ないと頭のどこかで思いつつ、別の頭はすでに包丁を動かし手を切るとか。
 一つの脳で二つの行為を同時進行できるようだ。
 1日付のウェブ東京新聞・筆洗で、若者の脳は選り分けなど瞬発力が要されるテストには速いが、間違い探しといった高度なテストには知識力が豊富な高齢者の方が断然強いと書いてあった。つまりは経験がモノをいうのだ。
 いろんな時代を生きてきた。いろんなことがあり、いろんな人と巡り逢えた。苦労も喜びも糧として培われてきた。聞く耳あるかどうかはともかく、経験に裏打ちされた“話のジュークボックス”も強みの一つになるだろう。
 これからはのんびりと生きたいものだ。

―エッセーを読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.123__2008年6月26日(木曜日).
人生“最終章”はまだまだ!

 昨日、多摩に行った。
 緑の景観にすっぽり包まれ、近代的な駅舎に、隣り合ったショッピングビルもすべてバリアフリー。そのうえ、そこからは車イスリフトの付いた低床バスが15分おきに出ている。
 そのバスで着いた団地――病院、郵便局、床屋、スーパー、図書館なんでもそろい、不自由することがない。だが、なにか変だ。自分が障害者だけに施設を連想し、うっかり「養老院みたい」と言いかけて口をつぐんだ。
 雑多な、吹きだまりな下町暮らしから見たら「俺には窮屈だろうな」と思った。この平穏無事に馴らされ、老け込むのではないかとも。幸い手のしびれも快方に向かい、こうなったらまだ俺が行くところではないと考え直した。
 帰って引っ張り出したエッセーがこれだ。
 自分の文章で奮い立つこともある。
 もう一度頑張ろうと思った。

―人生『晴れのち曇り』を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.124__2008年7月1日(火曜日).
愛康舎始動!

 ネットで商売を始めることになった。といって海のものとも山のものとも分からない。
 それこそ大海原にボロ船帆船を漕ぎ出す心境。といって、リアルな部分でもダイレクトメールを出すなどちゃっかり滑り止めもしている。だから、それほどの悲壮感もない。
 ただし高揚感はある。
 未知との遭遇。看板を出すからには、心の底から呼びかけるからには必ず新たな出逢いがあるはず。ネットの新しい付き合い方が始まるのだ。わくわくしないでどうするか。
 和文タイプから始まり、パソコンDTPに至り、その間、一貫して掲げた看板・屋号が「愛康舎」だった。ホルスタイン牛を輸入して牧場を興した先代。それを呑み潰した親父の代。その牛乳店・愛康舎にまつわる我が家のルーツを今日から3回に分けてお送りします。

―『愛康舎物語』を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.125__2008年7月4日(金曜日).
『愛康舎物語』2


 気の利いた文章が浮かばないので、32年前の夏に撮った写真――
 車イスヒッチハイク(月刊障害者問題・第5号)でのスナップ。金沢・兼六園近くで知り合った子どもたちです。
 かわいいでしょ?

―『愛康舎物語』2回目を読む―
―1回目から読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.126__2008年7月7日(月曜日).
バリアフリーはトイレフリー

 ニュー・アキバで友だちと待ち合わせ、某レストランビルの串焼き屋で痛飲した。
 途中小用をもよおし、まんまと勘違いして出てきた女性に笑われた。車イストイレを一つだけ付ける場合、女性トイレに付けた例があったかしてそう思い込んでいた。ところがこのビルには両方に備わっていたのだ。
 「バリアフリー時代なのに車イスを見かけない」とよく言う。ならば、大江戸線に乗ってもいいし、その終点光が丘のショッピングビル内を、でなければ恵比寿ガーデンプレイスを歩いてみな。必ずや車イスを見るから。
 つまりは排泄の自由如何の問題なのだ。
 だからこそ繰り返す。優先席といいつつ客席最後尾のまた後ろに隔離し、それが入るカメラ屋ビル(ゴミ売会館7・8階)に車イストイレの一つもないシネカノン有楽町(1丁目。去年秋にできた2丁目にはあるとか)などという映画館がバリアフリーであるわけがない!

記事は『愛康舎物語』三回目(完結)

―『愛康舎物語』完結回を読む―
―2回目を読む―
―1回目から読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.127__2008年7月11日(金曜日).
『光州5・18』を観た! あの映画館で……(w)

 観たい観たいと思っていた映画をとうとう観た。しかも「客席最後尾のまた後ろ」「優先席じゃなく隔離席」とまでいった映画館、ではなくて昨年10月オープンした同系有楽町シネカノンの2丁目。これによりゴミ売会館ビルのは1丁目となる。
 こんどの車イス優先席は一番前(爆)。
 なんだ、それじゃ後ろが前になっただけでかえって見えにくいって? 冗談じゃない。映画は大画面でこそ映画と主張する俺にはもってこい、視界一杯の大迫力に大感動した。
 ただ、この2丁目館、2つあるシアターのうち大きい方は中側に優先席があるとのことで、これをもって批判の追撃は勘弁しようと思った。シネカノンだけにネトウ共にバッシングのタネを与えるのもしゃくだからね。

特別リンク
 インターネット市民新聞JANJANに、当時を体験した人の大変貴重な手記――。
●●●『「光州5・18」 28年前のあの日 今思い返す』

―映画紹介記事を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.128__2008年7月14日(月曜日).
車イス映画館ガイド復活!

 前回記事の映画観がいかに久しぶりだったかは帰りの道を間違えたことでも分かる。映画館から遠ざかったのはアンチ・アメリカンを決め込んだせいだろうって?
 冗談じゃない! クズハリウッド映画なんぞが吹き飛ぶ珠玉作が世界にはゴマンとある。
 『酔っぱらった馬の時間』のバフマン・ゴバディ監督の長編二作目『わが故郷の歌』をCSで観た。苦境を知らせる前妻からの手紙に、老歌手が2人の息子と旅するロードムービーだが、前作同様、辺境の地に生きる少数民族の過酷な現実と悲哀を、決して押し流されたり凹まされたりすることなく、満ち溢れる生命力の讃歌として謳い上げる作風が胸を打つ。
 なにかにつけてイラクイラクという俺だが、フセインによって痛めつけられてきたクルド人たちにとって、イラク戦争は何だったろうと複雑な気にさせられたのも事実だ。
 必見。おすすめ映画です。

―リニューアル「銀座・有楽町ガイド」を見る―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.129__2008年7月17日(木曜日).
名優・伊藤雄之助の“不幸な作品”

 チャンバラが好きな俺は、今、CSで伊藤雄之助主演『待っていた用心棒』を愉しんでいる。26回ある放送の19回以降を、スポンサーからの圧力が元で降板することになった不幸な作品だ。
 その伊藤の良心作ともいえる映画『人間であるために』は意外と知られていない。アメリカの原爆投下の非人道性と、そんな悲惨な結果を招いた日本の戦争開始責任、さらには戦後の被爆者救済のずさんさを告発した画期的原爆裁判――その志半ばで急逝した主人公の弁護士役が伊藤雄之助だった。
 [コリアキネマ倶楽部]サイトによると、スタッフに名作ドラマ『若者たち』を作った面々も参加しているとか。しかし戦争の本質を問うドラマや映画が作られにくい現状、本作が再び世に出る可能性はきわめて薄い。せめて、グーグル検索で「伊藤雄之助」「原爆裁判」と打ち込み、数件出てきた記事にて片鱗でも知っていただくことを切に願う。

―チャンバラ・エッセーを読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.130__2008年7月20日(日曜日).
定食物語

 自炊生活突入は、おそらく今日のエッセーを書いた翌年くらいで、定食屋通いは1年くらいしか続かなかったことになる。狭い店内、周囲の迷惑そうな雰囲気に耐えられなくなったというのが本音だが、そう思ったのも勘違いで、単にこちらの弱気かも知れない。とはいえ気詰まりで食うメシが身体にいいはずがない。
 ――なんだ、自炊すればいいだけのこと
 そう思いついて買ったお釜の名前が「ちょっと炊(だ)け」というのも可笑しいが、たった1合さえ省エネ体型には食べきれず、さりとて残り飯は味の劣化を考え冷蔵庫に入れたくない。そこで梅干しの効用となったが、一つ入れておくだけで梅雨時なのに全然腐らない。
 電気釜の長持ちにも感心させられたが、それよりなにより梅干し恐るべし。そこから始めて欧米食クソ食らえ、つくづく和食こそが健康長寿の秘訣と悟り、そんな主張も込めて今度は『自炊物語』でも書いてみるか。

と書きましたが、このコメントのしばらく後、見事に腐らせたことがありました。当節“減塩梅干し”では防腐効果もいちじるしく減退、過信にはくれぐれもご注意ください。

―エッセーを読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.131__2008年7月23日(水曜日).
こんなところにも『七人の侍』(w)

 先週録画したサスペンスを体操のオカズに見ていて吹いた。突然『七人の侍』のパロディCMが現われたからだ。豪雨の中の血戦で菊千代が野武士の種子島(鉄砲)で撃たれる衝撃篇、「イクサだべ? おら、どーなってもええだ!」と百姓娘が若侍・勝四郎に抱きつく熱愛篇とのセット30秒のクリップに超、吹いた。
 そういえば、クレジットにあったスポンサーロゴの「CR七人の侍」って何だ!? と、ゲームにも賭け事にも疎い俺が、パチンコ台と理解するまでには時間を要した。
 「『七人の侍』大好き人間の娘が名作をギャンブルで汚すとはなんだと怒ってる」「映画も娯楽ならパチンコも庶民の娯楽、『ギャンブル怪しからん、パチンコくだらん』というケチな監督ならあの名作は生まれない」とのBBS論争に行き着くにはさらに時間を要すが……
 うーん! 批判すべきか否か。テレ朝『天国と地獄』に難癖付けた手前おおいに悩む。

―“黒澤没後10年”と『七人の侍』その1、を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.132__2008年7月26日(土曜日).
試写会に当たった! だけど…

 今日、映画の試写ハガキが届いた。
 ネット企画の懸賞だったが、試写会に当たったのはこれが2度目。当たりなど、誰もがなりたがらないはずの障害者に当たったくらいクジ運のムゴイ俺だが(w)、この調子で8月募集の都営住宅入居に当たってくれないか(爆・但しマジ!)。
 それはともさか、じゃないともかく……
 『十二人の怒れる男』という映画を知っているかい? 殺人で起訴された少年の陪審員評決をめぐって、ただ一人の有罪への疑問が果敢な反証提起により、1人、また1人と翻心をうながし、最後は12人全員が無罪評決へと至る大ディスカッションドラマだった。
 この当時のハリウッド映画には人種差別や偏見の問題を浮き彫りにする良心があったが、これを今度のロシア映画ではチェチェン人の少年に置き換えて描くという2時間40分――。
 30日に観てきます。
(このトップリードのコメントは、8.1/No.134のコメントに続きます)

―バカハリウッド映画礼賛記事なんか読む?―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.133__2008年7月29日(火曜日).
人間とは……なーんちって(w)

 引っ越しは多摩市ではなくなった。
 とはいえ今の収入で今の家賃は苦しく、引っ越しはしなければならない。
 大江戸線23区内を基本に、文京区をめざしている。そこには養護学校時代からの知己もいて、地の利もこころえている。
 台東・文京区内のミニバスがクロスし、電車はバリアフリー南北線が走り、電動車イス徒歩15分圏内の下宿。友だちの家から半径の外周圏内をエリアに10月、しらみつぶしに不動産屋廻りをするつもりだ。
 人との出逢いの可能性は多いほどいい、「それでどんな結果が得られましたか?」と。
 いいじゃないか。所詮、この世は錯覚をもって、錯覚を夢として錯覚を追い、最後は錯覚に死ぬだけの人生でも。生きるも一人、死ぬも一人――。それのどこに悔いがあろうか。

―『どこから来たのか「黄金バット」』を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.134__2008年8月1日(金曜日).
ハリウッド映画の光と影

 ハガキの付言「“消防法規定により満員”の際は入場お断り」に、まずカチン。しかも160分もの長丁場の映画にトークショーの抱き合わせ企画。さらには会場入口は階段というから“人質同然”、すっとぽけて映画だけ観て帰るわけにもいかず、だったら「見るか!」。
 というわけで『12人の怒れる男』の試写会行きは取りやめました。
 おい、アニープラネットよ、懸賞に当たって勇躍出かけていった映画ファンを、たまたま見込み違いに満席になったからといって追い返せるのか。試写会ってそんなに偉いものなのか? 「坊主憎けりゃ」の伝で、作品そのものもたいしたことないように思えてきた。
 まあ、アンナ・ポリトコフスカヤを白昼堂々殺して人権弾圧なんのその、言論の自由なんかとっくにないだろうロシアの映画だから観るまでもないのかも知れないが……。

―“アカ狩り”と監督の話を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.135__2008年8月4日(月曜日).
オリンピックと政治

 もうすぐオリンピックである。うるさいことだ。今回は開催が中国のこととて、嫌中勢力のブーイングさらにかまびすしく、まことにウザ暑い夏の到来ということになる。梅雨が明けてもなんにもならない。
 そもそもオリンピックが国威高揚、企業の金儲けとテレビの視聴率稼ぎ目的のアイドル路線に堕してからは、なんのためのオリンピックか分からなくなって存在意義すらとっくになくなっているのだ。
 それにしてもおかしなものだ。政治をスポーツに持ち込むなという。だが、平和あってのスポーツではないか。一国の横暴を許して、一国の悲惨に目をつぶって、スポーツなどにうつつを抜かす平和ボケのノー天気。
 一つだけいえる。開催国がアメリカなら誰も文句はいわなかっただろう。それ見ろ。これを偽善といわずしてなにを偽善というか。

―ナチに協力した監督の話を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.136__2008年8月7日(木曜日).
思えば40年の東京ぐらしの最初は…

 今回都営住宅の募集で、希望と条件に合うたった2件の1件は共用部分の玄関に計8、9段の階段があって即、没。もう1件は新宿戸山ハイツだった。一見してエレベーターもあり段差横にはスロープ。使えそうだ。
 懐かしかった! というのも16で上京して入った施設がすぐ近所。
 当然ここも知っていた。今は1階に郵便局、そば屋や喫茶店、ちょっとした店もあり、なあんだ、ここが多摩ニュータウン方式の先駆けかとガッカリしたが、そこを出れば周りは雑多な下町風情。その点が多摩とは大違いだった。
 また新宿に帰りたくなった。この地に住めないだろうか。ここ一箇所と決め込んで、とことんこだわってみるか。
 さて、これまで上げた中でマスコミ関係と編集者の知人――いわゆる玄人筋にそろって不評だったのが『車イスのガールハント』と今回記事。さて、みなさんはどう読まれるだろう。

―『「センター橋」越えて』を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.137__2008年8月10日(日曜日).
世界が家族なら…

 民営化後の郵政が信じられず都営住宅の申込用紙を渋谷にある係まで持参した。希望の戸山ハイツは約400倍!――難関というよりむしろ絶望だ。障害者になったこと自体大ハズレだから今さら気にしないが。むしろハズレ運の挽回を総動員してかかればいつか当たるかも。
 それにしても築何十年という建物の外装はなんとかならんか。ダメだった某所の建物を見つめながら哀しいものを感じた。そうボヤいたら公務員住宅のムゴサを教えた友だち曰く「外部をきれいにすると公務員バッシングが起きるのでわざと薄汚れた感じで放ってある」。
 日本の福祉はおかしいなあー。生活困窮者は自己責任だけで苦しいわけではないだろう。努力してもかなわぬ個人差、もって生まれた身の不運。「自分に代わって悪運引いた人なら、少しくらいいい目を見てもバチは当たらない」そう考える度量は持てないのだろうか。

―『やっちゃん抄』を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.138__2008年8月13日(水曜日).
行けなかった者の悔しさにこそ目を向けろ!

 「人々がスポーツに感動するのは勝ち負けに関係なく、そこに選手たちの人間ドラマがあるから」と、8/11日付東京新聞コラム『筆洗』は「子育てと柔道の両立めざして北京五輪で銅」の谷亮子の“偉業”を讃える。
 すっとぼけては困る、谷ほど“勝敗にこだわる”五輪妄者もいなかったことを。
 何度でもいいたい12年前のアトランタ!――銀獲得の健闘を讃える外国人選手の拍手に憤然そっぽを向いた当時田村亮子にガッカリした。金以外はメダルに非ず、だそうな。
 週刊金曜日8/1日号が「国内2連敗の谷がなぜ五輪に行けたか」と、後進の修練を嘲笑うかのような選考の舞台裏を特集。そこでの山口香の発言の本意は「選ばれなかった人のためにも頑張る」と付言しなかった谷の奢り、スポーツマン精神欠如への訓戒と俺は解釈した。
 谷亮子如き、やがて自民党の人寄せパンダとして比例区選挙に名を連ねるのが落ちだろう。

今日の記事は『チョムスキー9・11』の感想のような……

―「ホンマのDVD」? を見る(w)―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.139__2008年8月17日(日曜日).
はっきりいって北京五輪は失敗だ

 深刻な民族問題を抱え、それを五輪がらみの国家の威信のもとに弾圧、また不幸にして8万人にも迫る犠牲者数を生む大震災。チベット暴動がアジア人の対立を目論む、どこぞの戦争好きな国の差し金としても、オリンピック熱に浮かれる時かと言いたい。
 すでに五輪精神などとっくに皆無、であるなら中国であれどこであれ開催意義などなく、その欺瞞性を図らずも中国による北京五輪の開催とその後の情況が表している、これ即ち天の配剤というのに連日のバカ騒ぎだ。
 こうして最近はドラマを見ることもできなくなり、ひさしぶりでCS時代劇チャンネルの大川橋蔵版『銭形平次』を録画した。ところがこれも舟木一夫の主題歌もべらんめえ調のダラ幹モード。回数を見たらば300回台!
 そういえば橋蔵「平次」は888回まで続くのだった。北京五輪も末広がりにあやかっての8の字日にちの開催だったが、大きければ、長ければいいというものでもないだろう。

―『映画大好き!』を見る―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.140__2008年8月20日(水曜日).
“一人の軍隊”

 昔は良きにつけ悪しきにつけ、障害者運動には元気があった。今は大人しすぎる。
 石原都知事による「障害者に人格はあるか」発言。百歩譲ってそれは許せても、「女が生殖能力を失っても生きてるのは無駄で罪」と言うに及んでは黙ってられない。昔なら都庁にテントを建てての抗議運動が起きたはずだ。
 しょせん徒党を組む運動の限界だ。
 運動はなんであれ「一人でもやる」の気概、固い意志でなければホンモノではない。それこそ“一人の軍隊”。それが合わさって初めて強大な権力と対峙することができる。
 ところで今日の記事のこの写真、面白いでしょ? 鉄柵の中から撮っているのは俺だよ。みんなが「入れろ」「開けろ」と抗議している中、やおら車イスを降りて柵の隙間をすり抜け、いざって行って地べたから撮ったもの。
 ゴキブリか、俺は(笑い)。

―『全障連、運輸省に突撃』を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.141__2008年8月23日(土曜日).
深刻劇『忠治意外伝』9月1日公開!

 「近日公開」と予告したまま1年もすっとぼけていた障害者芝居(といういいかた抵抗ありますね=笑い)『忠治意外伝』――こんどこそは見ていただける運びとなりました。
 昨日、なんの気なしにやりはじめ、手がけた以上は一気に片づけようと半日つぶし、一日つぶしした挙げ句、根を詰めて気がついたら今朝の7時にもなっていました(笑い)。
 ほとんど完成してます。じつは版組した全6ページ分、ネット上に上げてあります。写真をお借りした方への了解が取れ次第いつでもアップできる運びとなりました。
 え? なんで今ごろになってバタバタ頑張れたのかって?
 9月はホンタ一周年、それを記念する企画といえばこれしかない! その意気込みで頑張りました。そう銘打つほどの内容なのかどうなのか、おあとは見てのお愉しみ、というより首を洗ってご感想等待っております。

今日の記事は前回掲載「全障連、運輸省に突撃」とのセット記事

―『全障連の「差別糾弾」を斬る!!』を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.142__2008年8月27日(水曜日).
差別なんか笑い飛ばせ

 障害者が差別語連発の芝居――ということでテレビや新聞、それもスポーツ芸能紙までが取り上げ、「すわ!マスコミの“寵児”」(笑)とまで錯覚した。ただ、それは一瞬の“ゆめ”だった。そのことを最近、某インターネット新聞コメント欄で書き、「キツイですねー、この世という名の悲しいジョークは」との感想。そこでまた、はたと思い出した。
 部落解放同盟などの一連の差別語狩りに戦々恐々、安易な自己規制で逃げ切ったマスコミの体たらく。その彼らが「もっと差別語を!」(爆笑)と、俺たちを使って“代理戦争”を演じた構図はよく分かる。だが、差別語といわれる言葉が当事者によって抵抗なく使われ、ギャグにしかならなくなったらどうだろう。それによって差別の可笑しさを、理屈でなく体感で分からせたいと思う真剣さも確かにあった。だから仲間たちも心底燃えたのだった。断じて利用されただけとはちがう。
 そして思う。差別撤廃は、真っ当に口を極めるだけではぜったい無くなりはしない。差別をなくす近道は、まず差別を笑い飛ばすことだとは思わないか。

―てんまつ記最新・公演パンフレットより―
―てんまつ記を最初から読む―



ありがとう一周年
ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.143__2008年9月1日(月曜日).
笑いは地球を救うか!? 「忠治意外伝」本日大公開!!!

 パーン!(今のは自分で鳴らしたクラッカー=笑) おめでとうーっ!
 長かったー。お徳さんには郷里に電話して知らせたけど、その間のご無沙汰30年は一瞬で埋まったけど、ウェブホンタの1年は実に長かった!
 そもそもは自分が過去に書いたものを上げて読んでもらい、集大成の暁には「本間図書館」としての充実が目的。だからネタがいつ切れるかとそればかりの心配。でも、まだまだ書き足しも含め大丈夫そうです(嬉)。
 見てください、1周年記念としての芝居! ほんとは動画で見せたいところ、技術的にも著作権からもそれは無理。代わりに熊倉一雄さんのナレーションの陰に沈んだ音声を復活するなど、少しでもビデオを超えるべく努め、その際には素敵な当日写真の数々が万雷の味方となったことはいうまでもありません。芥川仁さん、佐藤光信さんに心から感謝します。


もうひとつサイトとの共通バナー。なんか映画のワンシーンみたい…

―深刻劇「忠治意外伝」トップへ!―

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ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.144__2008年9月7日(日曜日).
映画『七人の侍』の永遠性

 黒澤を天皇と呼ぶ人がいる。作品のためならなんでもゴリ押しする我が儘者とみなす人々がいる。だが、妥協を許さず、完全主義に徹するなら、芸術家としても創作家としてもそれ以上の矜持はないだろう。それを責める法がどこにある。
 俺がいちばん最近『七人の侍』で驚愕したのは、セリフのない絵だけで登場する脇役の百姓一人一人にも、戸籍や家族構成まで与えて演出に臨んだという事実だ。一見、ムダな完璧主義とも思える。が、それがどれほど役者の役作りや映画作りを底上げする原動力となるかは、ちょっと想像すれば誰にも分かることだ。
 なぜ黒澤を評価するか。また、俺が若い人たちに黒澤映画を薦めるのは単にストーリーの上っ面を見よというのではない。創作者としてのチャレンジ精神、飽くなき探求心と覚悟、“こだわりの手引き”としての黒澤イズムを学べといっているのだ。そしてそのイズムこそが、昨今あらゆるジャンルから廃れた真の意味の“プロ意識”というものである。

―黒澤追悼記事・第二弾を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.145__2008年9月10日(水曜日).
『七人の侍』は障害者論でもある(爆笑)

 『七人の侍』でこんな場面がある。野武士襲来に備え、百姓・侍が一致結束しての戦闘訓練。その最中、一人の百姓家から落ち武者狩りの武具が大量発見。侍たちを愕然、激怒させ、侍の一人は「村の奴らを斬りたくなった」。
 と、それに憤然立った菊千代のセリフ。
「やい、おめえたち、いってぇ百姓をなんだと思ってた? 仏様とでも思ってたか。笑わしちゃいけねえや。百姓ぐれぇワルずれした生き物はねぇんだぜ。コメ出せっちゃ、ねえ。麦出せっちゃ、ねえ。何もかもねえとヌカす。
 ところがあるんだ。何だってあるんだ。床板ひっぺがして掘ってみな。そこになかったら納屋の隅だ。出てくる出てくる。カメに入った米・塩・豆・酒。(爆嘲笑)山と山の間に行ってみろ。そこが隠し田だ。正直ヅラしてぺこぺこ頭下げて嘘をつく。なんでも誤魔化す。百姓ってのはな、ケチンボで狡くて泣き虫で意地悪で、そして人殺しだーっ。だがな……」
 と続くあとのセリフは次回(笑い)。

―黒澤追悼記事・第三弾を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.145__2008年9月13日(土曜日).
本邦初公開! パロディー『七人の侍』(爆笑)

 小心翼々、そのクセ、戦乱となった暁には竹槍かついで落ち武者狩り。そんな百姓を「斬りたくなった」とうそぶく侍の一人に吠えかかる百姓出身の菊千代。「百姓ってのはな」の一連のセリフに続くあとのセリフ――
「だがな、そんなケダモノつくりやがったのは、いったい誰だ? おめえたちだよ、侍だってんだよ!……
 戦(イクサ)となれば村を焼く。田畑は踏んづぶす。食い物は取り上げる。人夫にはこき使う。女は犯す。手向かえば殺す。
 いったい百姓はどうすればいいってんだよ、百姓はどうすれば……!(号泣)」
 前回と合わせ「百姓」を「障害者」に、「侍」を「健常者」あるいは「ボランティア」に置換してみてください。
 俺は、この変換遊びを、今から40年も前にやっちまってました(笑)。

―黒澤追悼記事・第四弾を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.147__2008年9月18日(木曜日).
アドリブ禁止令!

 『忠治意外伝』は実は歴史公証もきちんとしていた。本エッセーにも出ている、“忠治倒れる!”の背景の史実もだが、芝居の中で子分の安造が忠治から出される退職金の一両。
 原作台本にはこうあった。
「命懸け渡世の退職金がたったの一両とは……トルコ(ソープ)1回で消えちまわー!」
 時代劇にはありがちな「一両」だが、当時障問に「歴史の中の障害者群像」を連載、解き明かしてくれていた、障害者運動の大先輩でもある二日市安(後藤安彦)さんに、当時の米相場から何からで換算してもらい、2万5千円と割り出した。その結果の脚本だった。
 その考証を安造役者はアドリブでぶち壊した。なぜなら、おなじ台本を何度も何度も繰り返すうち、初期の新鮮さを忘れて飽きるのだ。客は1回こっきりということも考えず。
 大女優・野川由美子さんが「アドリブは絶対ダメ!」と厳しく諫める所以でもあるが……
 緊急事態は例外である(汗)。その理由は本稿にて(爆)。

―エッセー「茜の空の座頭市」を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.148__2008年9月22日(月曜日).
名アクターは死なず!

 淀川長治さんというと洋画解説が主流みたいだが、実は黒澤明も「寅さん」も褒めていた。そういえば淀長さんが亡くなったのはいつだろう、と思って検索したら1998年11月11日、やはり今年が没後10年だった。
 最期が黒澤映画『用心棒』翻案の『ラストマン・スタンディング』で、その解説収録が死の前日であったという驚くべき事実!
 ガンと闘いながら旅公演や映画出演を果たした宇野重吉(1988年1月9日死去、没後20年)や渥美清(1928年3月10日生、1996年8月4日死去、生誕80年)と並んで、“名アクター、凄絶なり!”を体現する死に際だった。
 それにひきかえ、愚劣な総裁選に狂奔するクソ政治屋と、そんな茶番を真面目顔して報ずるゴミ司会者、クズコメンテーターどもなど……アホらし。比較にもならん。

―「寅さん」エッセーを読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.149__2008年9月25日(木曜日).
『版下屋風雲録』久々...

 障害者と付き合うのは高くつく――冗談混じりに言った友だちの弁だ。
 新宿歌舞伎町をぶらついて喫茶店を探したが、どこも階段だらけで車イスで入れる店がない(今の話だよ!)。結局、西武の駅近くのプリンスホテルの喫茶店に入ることになる。それを揶揄した冒頭の言葉である。
 引っ越しの買い物に東急ハンズを利用したら、お得意さんの社長から「あんな高い所! 多慶屋にすればいいのに」と笑われた。
 大江戸線で2駅、近いことも知ってる。しかし混むのだ。いつ行っても買い物客がごった返して車イスが通れる余地などわずか。それでどうしても敬遠してしまう。高く付くのも障害の“害(わざわい)”たる所以だ。
 障害者を「障がい者」と言い替える人々がいる。それで優しくしているつもりか。そんな気持ちがあるなら一緒に歩け。不便も害も共有してみろ。分断しておいてなにが平等だ。

―版下屋風雲録4回目を読む―
 
―前回風雲録を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.150__2008年9月28日(日曜日).
障害者いろいろ...

 あー、やっぱりちゃんと書いてたんだねー、こんな恐ろしいことを……何かといえば今日紹介する記事のこと(苦笑)。
 これを忘れて「黒澤没後10年『七人の侍』」を特集した際、急遽書き下ろして割り込ませた『パロディー・七人の侍』だったが、あの時代もこの時代も批判がないというのは――もっとも、ホンタの場合は泡沫サイトゆえ影響力ナシとみられたからだろうが、書いてる当人としては安堵するやら物足りないやら空しいやら複雑な気持ち……。
 ただ「忠治」を演じた時か「差別語事件簿」連載の頃か忘れたが、「当事者が使っても差別語は差別」と批判した読者がいたのも事実だ。さっそく「そんな“女々しい”ことで生きていけるか」とやり返したが、それに対して女性読者から批判がきたかどうかも忘れた(嬉)。

―“いろいろ”を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.151__2008年10月2日(木曜日).
ある日の電話サポート

 パソコン歴10数年といいつつインターネット接続すら業者まかせ。「いつまでもそんなことでどうする」と大反省、最近、モデムのトラブルを機に電話サポートでの復帰を試みた。
 こんな場合、相手のぞんざいさでイライラが高じ、つい恫喝したりする俺だったが、「それで気弱な女の子は辞めていく」と訳知りの業者にいわれてハッとなり、「どんな相手でも怒らない」と肝に銘じて臨んだ結果……
 案の定、電話のコミュニケーションでははかばかしくなく、それも大抵こちらの勘違いで今度も難渋した。しかしついに復帰、開通成った時、「良かったですね」と一緒になって喜んでくれたのには胸が熱くなった。
 ネット同様こういう世界は「顔が見えない」とよくいう。そうだろうか。お互い心を通じさせれば見えてくるものもある、そう思わなかったらホームページなどやってられるか。

今日の記事はホンマの若さ(青さ)るんるんともいえる記事(w)

―キーワード“線路”で読む社説―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.152__2008年10月5日(日曜日).
『ゴッドファーザー』が棄てられない!

 引っ越しを控え、レーザーディスクの処分を始めた。いちばん最近(といっても10年近く前)買ったディスクの画質の良さに驚き、そのまま捨てられずダビングを思い立った。皮肉にも金輪際見ないと決めたハリウッド映画は、フランシス・フォード・コッポラ監督『ゴッドファーザー』三部作、全9時間分の超大作。
 その第一作は世田谷の施設にいて渋谷の劇場まで出て観た。30数年前の名作は時代を経るたび燦然とその輝きを増し、延べ製作期間18年間で描かれた中味はイタリア系移民がアメリカでマフィアとしてのして行く姿。
 同じDNAは反撥し合うもの――だから本作惹句の一つである“家族愛”がずっと鼻持ちならなかったが、三作通して描かれた本質は一筋縄で括れるものではなく、その感興は年齢を重ねるごと主人公の老いとも重ねて深みを増す。名作の名作たる所以。それにしても老いてもカッコいいアル・パチーノ、というかメイクであそこまで老けられるのも驚き!

今日の記事はホンマの若さ(青さ)るんるんともいえる記事・続編(w)

―キーワード“地域”で読む社説―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.153__2008年10月9日(木曜日).
映画『東京裁判』を知ってるか

 引っ越しを機に、今度こそビデオというビデオを完全廃棄するため、これはというライブラリーのデジタル保存に精出している。
 コレクションの一つが小林正樹監督『東京裁判』。膨大な記録映像を駆使して戦勝国裁判の欺瞞性を暴きつつ、裁判経過を淡々とたどる正攻法の中に日本の侵略と、それがもたらしたアジアの惨害を余すところなく描く。
 封切りされた1983年は、個人史的にも思い入れ深い年だったが、新宿の映画館前には長蛇の列。その日ばかりか何度か入れず観賞にはしばし待たされたものだった。硬派も硬派なら、時間も4時間半に余る超長尺。こういう映画が流行った時代もあったのだ。
 元はTBSが終戦特番で放映したもの。市販のDVDはすでに持っており、それを敢えて録画保存したのは、一人でも多くの人にコピーして見せたいから。この時代、見たい人がいるかどうかはともかくも……。

今日の記事は麻生違いの麻生が悪役の「革新大敗北」記事(w)

―「裏切り許さん!」の記事を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.154__2008年10月13日(月曜日).
冤罪天国(?)日本

 昨日は――いや、一昨日はびっくりした。
 夜の8時頃、なにげなくウェブ東京新聞を覗いたところ「三浦和義氏自殺」の報。日本での無罪から一転、アメリカ側の“新事実”とやらで引っ張られ、拘置先のロスでのことだ。
 結局、この逮捕騒ぎは何だったのか。
 それほど関心のないロス疑惑だったが、ある程度の信憑性の下での無罪論があるなら、俺は直感的にそっちを支持するね。だってそうだろ、熊井啓の映画『帝銀事件 死刑囚』を見てからというもの、あの主人公に三浦氏が重なってしかたない。すると、あのお調子者的キャラと謀殺はそぐわなさすぎるのだ。
 自殺が事実なら、まんまと自殺を許した米当局の不手際は万死に値する。本質的にはアメリカの警察が三浦氏を殺したといわれて否定はできまい。そして花田某とジミー某のほくそ笑む姿が容易に想像できる構図。恐ろしい時代だよ。
 そういえば永田洋子も危ないんだよね。

今日の記事は前回「革新大敗北」とのセット記事

―コラム『獨言壯語』の一を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.155__2008年10月18日(土曜日).
中山可穂が好き。それを読める幸せ…

〈この作家の作品は点訳されているのだろうか。盲人には読めているのだろうか……〉
 引っ越しの所用で電車で出る機会も多く、中山可穂を読める至福に感謝すると同時に、ふとそんなことさえ思ったのだった。
 俗にいうレズビアン小説だが、彼女の作品を貫く恋愛の激しさ凛々しさは全ての恋愛の原点とも言い切れる。それゆえ同性愛、異性愛の垣根を超えて多くの読者を持つのだろう。
 そのファン達と共通する感想は中山作品は電車で読むにはつらいということ(苦笑)。それまでクスクス笑えた場面が、次には一転溢れる涙をこらえきれなくなる。これほど泣ける恋愛小説も初めてであり、またそれでも麻薬のようにやめられない恋愛小説も初めてだった。
 実は“可穂小説”の存在を教えてくれたのは俺のもう一つサイトのHP読者だった。しみじみとした読後感の中に、その彼女をあれこれ思い描きながら感謝する今日この頃でもある。

今日から連日更新「ホンマの引っ越し」話!

―引っ越しまでの記・第一回目を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.156__2008年10月19日(日曜日).
ダビングリスト「ワールドTVスペシャル」

 昨日、ダビングした中から「4時間で消された村」を引っ張り出し、ベトナム戦時の有名な事件、ソンミ虐殺を扱ったドキュメントをついつい最後まで見通してしまった。
 黒人元米兵は「あれは命令」と言い切り、白人は手にかけた少年の苦しみに「安楽死行使の銃殺」と弁解しつつ苦悩する。そして加害証言の中心を為す貧乏揺すりが絶えない黒人の横に写真立て――銃抗争による我が子の死を“報い”と受け止め、精神を蝕まれたままなのだ。
 良質なドキュメントだがここでも本質的アメリカ批判はない。代わりに訴追された(後、免訴)虐殺実行上官らの「共産主義を放置することが罪になるのか」「農民も少年も油断すればいつでも敵になりうる」等の当時の証言録。
 生き残り証言が肺腑をえぐる。彼女らは最後には泣き腫らした眼でカメラを睨み「死ぬまで“アメリカ人”を憎む」。アメリカ人だ。アメリカではないぞ。それが今のアメリカ人には死んでも分かるまい。“9・11”のどこが無差別テロか!

今日も忙し「ホンマの引っ越し」!

―引っ越しまでの記・第2回目を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.157__2008年10月20日(月曜日).
さらば! ベータマックス

 午後一番に電器屋が来た。
 いよいよ、14年、22年愛用したAV機器の見納めだ。
 定価130万。それを店頭品ということで50万で買った32型ハイビジョン。14年前、パソコンDTPを仕事にする際、「娯楽にも金かけにゃ」と一緒に買った品。
 22年使った中にVHSビデオは入ってない。これは何度も買い替えている。
 その中で、以前の住処を火事で焼け出された22年前、火災保険600万で買った中で、健在でいて編集作業等に供した名器がベータビデオだった。処分に来た電器屋が「これは残したら」と勧めたが、それを使って編集する素材も気力もないのでこれをけじめと割り切った。
 実は今日、住宅改修(公費)で区側の認識とのズレが生じ、暗礁に乗り上げた。しかし、ここまできて四の五の言ってる段階ではない。ここまできた以上は、いざ、その時にも、自腹を切ってでも前進するしかないのだ。

引っ越し戦線に暗雲兆す!?

―引っ越しまでの記・第3回目を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.158__2008年10月21日(火曜日).
タケシの『点と線』に凱歌

 アジアを中心に国外で売れそうなテレビドラマ作品に贈る第一回「東京ドラマアウォード」。その単発部門グランプリにタケシの『点と線』が選ばれ、16日発表されたという。
 当ボログで「見ないで嗤う」と書いた同作品だが、案に相違しての傑作でDVD録画して10回は見ているほどだ。作品は去年放映で、芸術祭大賞も取っていることから、一瞬には間違って去年の記事でも拾ったかと思った。
 2時間ドラマ主役級の俳優たちがこぞって脇を固め、主人公タケシを盛り立てていた。竹山洋(『風子のラーメン』『写楽殺人事件』両方のビデオを録画してある)脚本は、戦争の影とその傷跡をいまだ深く残す時代性を丹念に盛り込み、清張原作を大きく超えた。
 いつか書かなければと思いつつ1年になろうとしてたのか。久しぶりにかけて引っ越し準備の慰めに聞いたが……「それみろ俺の審美眼の確かさを」と自画自賛しておこう(w)。

今日の「引っ越し話」は、公費が暗礁に乗り上げた!?

―引っ越しまでの記・第4回目を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.159__2008年10月22日(水曜日).
土曜ワイド劇場第一回作品の主役はだぁれ?

 ベータ処分にダビングした中に、土曜ワイド劇場第一回作品『時間(とき)よ止まれ』(早坂暁脚本、1977年放映)があった。その前も90分枠の洋画劇場で、つまり土ワイの初期は2時間ではなく90分ドラマだったのだ。
 15年追ってきた殺人犯を、時効寸前にボクシング中継の観客の中から見つけ、コケの一念で追いつめる田舎刑事を演ずるのは渥美清! 本庁の高橋洋子婦警に助けられながら犯人とも対決するが、この犯人が後の牟田刑事官小林桂樹だから、今見ると笑ってしまう。
 市原悦子演ずる薄幸のストリッパーがからんだり、今は善行を施す名士という設定は映画『飢餓海峡』そのものだが、『八つ墓村』同様、渥美の刑事役というのはいかがなものか。
 ビデオを説明するジムのボクサーガッツ石松が若い! が、後には自民党になどなり下がって……それよりなにより特筆すべきは高橋洋子の利発さ可愛いさ。また、ちょっと太めの足が時代を反映。ええかった(涎)!

「引っ越し話」も、引っ越しの準備もマジ疲れてきた(w)

―引っ越しまでの記・第5回目を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.160__2008年10月23日(木曜日).
5階の窓、を開ければ……

 ひさしぶりの雨――その中を上野まで電車に乗った。エレベーターでいっしょになった女性の押すベビーカー、すっぽりとフードに包まれた赤ちゃん車の可愛いさ頼もしさに「俺も乗りたいよ」と埒もない冗談を洩らした。
 そういえば今度行く5階の隣室も子連れだ。
 そりゃそうと……
 5階の角部屋からの眺めがあんなにいいとは思わなかった。江戸通りを直進する春日通りの左右に、戦火にも生き残った低層階の第一勧銀(みずほ)と信金があり、このうちみずほの向こうの池袋方面が5階からでも見渡せるのだ。おまけにメインストリートを行き交う車が、10階の半分近い分、これもいい眺めだ。
 うーん! やるなら、来年のクーラー入れ替え時期かとも思ったが、これ以上のアクシデント、出費がなければ……なんだって? 窓を、曇りガラスから素通しに替えることさ。だって、外が見えない窓など窓とはいえないじゃん!

気をとりなおしての上野通い、今日はなぜか呑みたい気分で……

―引っ越しまでの記・第6回目を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.161__2008年10月25日(土曜日).
引っ越しまでの寂しさ

 きのうは失敗をやらかした。
 壁の桟を這わせたAVコード解線を管理人のおじさんに頼み、「これ、どうすんの?」と訊かれたものの知らない強みで「外して外して、本線はこっちのはず」そう言って電話線をぶっ千切ってしまったのだ(バカー!)。
 おかげで昨日の更新はナシ。
 電話が通じないのはまったく平気だが、ネットの通じないことで不自由な一時を過ごした。なにせ、辞書も引けず、テレビ番組欄が見られないから――ていうか、アンテナもぶっ千切ったから地上波も入らなかった(笑い)。
 となるとネット交流、メールが取れないのは寂しく――あ、これも影響なしだ。だって引っ越し準備で多忙なことは知らせてあるから、だーれもメールをくれないのでした(泣)。
 あーあ、早く引っ越して落ち着きたい!

引っ越し狂想曲、毎日が非日常

―引っ越しまでの記・第7回目を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.162__2008年10月26日(日曜日).
「週金」「デイズ」も棄てられない!

 パソコンを置く大机の下には三段引き出しの小物ケースのほか、お釜や睡魔に襲われた時、頭を倒して休める枕やゴミ箱まで――。またここに週刊金曜日とデイズ・ジャパンの入ったカラーボックスも置くつもりだ。
 多摩で5万円家賃の新居を見つけたとして、働けず年金手当の残り4万5000円で生活することにした時、緊縮家計のやりくりに先の2つの週刊・月刊写真誌をどうするか。本道を棄てた新聞・テレビの報道を見なくなった今、両誌の存在は貴重だ。最近号『パナソニックの正体』のムゴサを割り引いてもだ。
 左翼総体の貧しさだが、企業や大手マスコミやNHKに倫理や正義を求めてどうするのか。奴らは金儲け主義の走狗でしかない。さすれば自らがジャーナリズムの本道を貫き、衆目の関心を惹いて奴らに一泡吹かせる以外にない。その気概一途でなくてどうする。

やけ酒なのかなんなのか、引っ越しで酒量多し!

―引っ越しまでの記・第8回目を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.163__2008年10月26日(日曜日).
いよいよ明日引っ越しでーす!

 今も新居で東急ハンズで切ってもらった棒材を1箇所2箇所と机の縁に貼り足し、コードを落とす隙間を作ってきたところだが、あらかじめ測ったはずの60センチ四方の小机――
〈この下にプリンターラックが入るの!?〉
 どう見ても入りそうになかった。
 メジャーを忘れ、しかたなく余った棒材を机の脚の間に入れ、ガムテープで痕を付けて持ち帰り、プリンターの幅に当てた。
〈げっ! 左右1センチずつしかない!〉
 やはりハンズで慎重に実測してあった。
 絶対無理に見えたあと2つのラックも机を壁と密着すれば収まるということか。ただし、こちらも余裕は5センチとない。
 うーん! まだまだ不安だ。収まるところに収まるまで何が起こるかわからない。

今日は「モノを大事にする心ってのも困る!」(w)という話

―引っ越しまでの記・第9回目を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.164__2008年10月29日(水曜日).
18歳・半社会人・暗い青春...

 連日お知らせした通り、引っ越しが一昨日行なわれ、たいした被害もなく(多分=笑い)ほとんどの荷物が10階から5階まで移動しました。移動してないのは本人のみ(爆)。
 というのも、段取りの悪さでトイレと風呂の工事が31日、入口のスロープが楽天から届いたのが昨日、しかもそれが寸法が合わず(この謎はいまだ不明=笑い)、ヘルパーの体重と馬鹿力で無理にハメ込んだ仕儀につき、不安定要因満載の引っ越しとなりました。
 まだまだ大変なことが起きそうですが(汗)、引っ越し騒動記はいったんここで締めとし、近々まとめてきちんとご報告します。
 記事の方は、黒澤追悼第5弾――。
 思い起こせば『七人の侍』にまつわる今日の記事も、俺の東京暮らしの原点回帰ともいえ、ほろ苦い青春の一ページでもあります。

―黒澤追悼(5)『七人の侍』エッセーを読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.165__2008年11月9日(日曜日)
誰の形見というわけでもないが…

 新居部屋はまだ自分の部屋のような気がせず、落ち着きません。がしかし、使い勝手の悪さも慣れで乗り越え、日々、名実自分の“城”として鍛え上げられています。
 今回引っ越しの収支決算はまだ出してませんが、ヘルパー使用の掃除機破損と整髪料がなくなった以外の実害はなし。そこで「今日は呑むぞ」と、さっき駅前ローソンでビールを買ってきましたが、打ち上げの本当の名目は別にあり。
 飾り部分も禿げ落ち、地金剥き出しで余人ならとっくに棄ててる、何十年(?)愛用の爪切り――これがどうにも見あたらなくなり、行方不明の期間中、伸び放題の爪に不自由というより、寂しくて哀しくてしかたなかった。
 それが今日、大家さんに古い部屋の鍵を返そうと流しの引き出しの奥をごそごそさせたところ、鍵と一緒に見慣れた小さな爪切りが現われ、思わず大声で叫んでました。
 ビールは生還した爪切りへの祝杯です。

―ひさびさ更新『男の劇場』を読む―
―目次から読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.166__2008年11月12日(水曜日)
大江戸線蔵前駅発“自由”!

 台東区側の春日通りは厩(うまや)橋から始まって上野御徒町に至る。その間の新御徒町から蔵前交差点に至るまで、ひと昔前はあちこちで道路が掘り返され、連日連夜、ドリルの音が響いていた。2つの通りが交差するメインストリート沿いの賃貸、10階の窓にも地下鉄工事の槌音は騒々しく聞こえていた。
 それから間もなく、2000年(平成12年)12月12日、ほとんど眼の前ともいえる徒歩1、2分の近さにバリアフリー新線ができ、「大江戸線はオーレの線」とまで豪語して8年。
 おなじマンション内引っ越しとなり、この地を離れることのなくなった今、大江戸線をより身近な存在として痛感する。小田急線車イス一人乗り闘争に始まり、ミニコミ発行を含む各種行動、それへの“神様からの褒美”とさえ思える大江戸線蔵前駅の便利と自由。それともまたずっと付き合えるのだから……。

―『版下屋風雲録』第5回目を読む―
―第1回目から読む―


管理人引っ越しで10月31日〜11月5日までADSL環境が中断され、その後の環境整備などから一定期間の更新ができませんでした


ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.167__2008年11月15日(土曜日)
今日は身体が引っ越し?

 あー、腹減った(笑い)。
 じつは、これから近所の医者で健康診断受けるんですよ。胃カメラまでやるかと、ひさしぶりに緊張してたんですが、区が公費で実施してくれる中には含まれず、レントゲンと血液検査程度。でも、ありがたいことです。
 しかし(検査前の)食えない一時がこれほどつまらないとは……(笑い)
 カーテン無し生活も早2週間。このたびは兄宅から、お余りをもらうこととなり、それが届くまでのご来光に6時、7時という時間に目を醒ましているけど、さすがにお茶も飲めない、菓子も食えない今朝はふて腐れて10時まで寝ていました(笑い)。
 その、引っ越しですが……
 やっと我が家と馴染んできた今日この頃です。いろいろ得ることも多く、いずれまとめて読んでいただく所為ですのでよろしく!

記事は、30年前の「“民営化”施設問題」(w)

―ひさびさ“怒りの記事”を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.168__2008年11月19日(水曜日)
テロの時代

 麻生自民と小沢民主のパフォーマンス政治で国会が空転する中、ついに“政治テロ”が連続した。昨日、埼玉と東京で元厚生事務次官夫妻らが殺傷される事件が起きたのだ。
 ウェブ東京新聞19日付は「厚生労働省に対する嫌がらせや苦情は、担当課によっては日常的」と報じ、年金記録問題や後期高齢者医療制度などがクローズアップされた際は特に顕著と続ける。がしかし、根底には時代と政治への怨嗟が感じられ、根はアキバ事件に通じる。
 誰でも良かったのではない。狙えるなら大物を殺った。それができないから手薄な民間人を標的とした。凶器は、本来は私利私欲に走る政治屋本人に振るわれるべきもので、“アメ公ポチ”でもある元凶与党の自民、公明はいうに及ばず、民主、共産、社民その他、既得権益と現有議席にあぐらをかいて自民を許し、いまだ政権奪取もできぬ“負け犬”野党政治屋どもも同類項だ。
 まだまだ続くぞ。

今日は、前回「障害者の自立を踏みにじるな」とのセット記事

―“怒りのコラム”を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.169__2008年11月22日(土曜日)
哀しき盲導犬

 盲導犬というと苦い記憶がある。
 俺の車イス、ろうあ者、盲人、盲導犬の障害者3人と一匹で列島縦断旅をしたことがある。それも障害者の発案というより、旅をドキュメンタリーすべくでっち上げたテレビディレクターのヤラセだったが……
 しかしその間、片言の手話で盲人とろうあ者を橋渡しする俺は大変だった。縦断といっても九州は門司に一足、北海道は札幌に一足するだけの縦断だったが新幹線の長旅も悪戦苦闘の手話通訳で「あっ」という間だった。
 そして盲人の連れていた盲導犬――メリーといったが「ゴー」「シット」と指示する御主人サマが、ちょっとしたことにも叱る叱り方が半端じゃなくイジメにさえ見えた。
 盲導犬といえども生き物。それが障害者のため滅私奉公する姿が哀れでならなかった。
 障害者がらみでも――いや、障害者がらみだからこそ美談でないことの方が多いのだ。

―「盲導犬誕生話」を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.170__2008年11月27日(木曜日)
節目を重ねて…

 どんな人にも、その人の人生があり、ドラマがあり、その人だけの小史がある。俺にもそれなりの歴史というものがあった。ただ、今、その記録を目にすると、恥ずかしいことだらけだ。23年前といえば34歳。それでも未熟、不熟、修行の足りなさが目に余る。
 それをこうして平気でさらすところは、やはり精神的露出症のなせるワザなのだ。「恥をしのんで」といいつつ、心のどこかにナルシズムに浸ってにんまりしている俺がいる。
 明日、新しいヘルパーがくる。5年勤めてくれた、語り尽くせないほど世話になったヘルパーとの引き継ぎ。ほんとうはずっと続けて欲しかったのに、事情が許さず泣く泣く別れることになるその日でもある。
 こんどはどんな人がくるのだろう。

―23年前の日記を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.171__2008年11月30日(日曜日)
そして1986年

 ここ2、3日、22〜23年前の日記の主だった部分(手書き)をパソコン入力し直していた。
 なぜ、これだけ残っていたのか。読むごとに、その理由が分かった。
 ここには今は希薄になった下町人情――もともとないと思い込んでいたが、まさかここまであったとは!――や、地域共同体の良き姿がある。重度障害者がさまざまな人々に支えられ、生きていく経緯の典型、理想的有り様が短い文章の中にもうかがい知れるはずである。
 こんなことを忘れていたとは、俺はよくよく恩知らず情け知らずだったのだなあ。そして、それゆえこれが、ゆくゆくは孤立路線を敷いて今に至ることになる。
 まずは今回の引っ越しに至る人生の大節目の年の前半である。

―22年前の日記の前半を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.172__2008年12月3日(水曜日)
10階の窓の真実

 「事実は小説よりも奇なり」ということばがある。
 3回続けてきた「ホンマの日記」は、正真正銘作り物ではない真実の記録で、それが“お体裁良く完成されたエッセー”より生な、飾り気ない真実の不思議を伝えて余りあるといっても過言ではないだろう。

―22年前の日記の後半を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.173__2008年12月6日(土曜日)
時代・人・政治の劣化。そして…

 32インチ液晶テレビに大枚ハタいて失敗した。ライブ番組の映りは良くても、DVD−Rや市販ソフトでさえムゴイ映りで見られたものではない。アキバ店員の一言を心に留め、「液晶で映画なんか見てないだろうな」とけなす2ちゃんカキコを見て勉強しておくべきだった。
 今は仕事場で見ていた10インチテレビ(モノラル)に、パソコンステレオスピーカーをセットにして映画ビデオを愉しんでいる。引っ越し以来『大菩薩峠』三部作、『宮本武蔵』五部作を見て、今は『緋牡丹博徒』八部作の途中である。小さい画面をさらに黒味部分でムダにするノートリミングワイドでだ。
 それでもブラウン管テレビは、小さいは小さいなりに奥行きをもってきっちり映している。液晶では遠くの顔が四角く潰れるのだ。そのムゴサは実際見て確かめねば分からない。翼賛報道含め、下劣なワイドショーなどライブで映す番組のどこに見る価値があるか。そうしてテレビも「終わった」ことを痛感する。

今日の記事は…
 気がつけば一年も中断したままになっていた新映画論『不具者は神か?!』の第5回目――

―新映画論・第5回目を読む―
―INDEXを開く―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.174__2008年12月9日(火曜日)
今年の冬は…

 さて、年の暮れといっても、世間はコンビニもスーパーも年中無休で昔のような風情が失われて久しい今日この頃。ただ、10階の2DKから5階の1Kに下りて迎える今年の俺には、とりわけ感慨ひとしおの去る年来る年となるでしょう。
 まず、年賀状をプリントしなければ――。
 ここ2、3年、年賀状といえばとんでもない時期に出しながらも平気の平左を気取ってましたが、今度の近況報告はとりわけ意味を感じ、早く届けたい一心でいっぱいです。
 しかし……
 一昨年は結石騒ぎ転じて慢性膀胱炎による腹痛、頻尿に悩まされ、去年は前年に引きつづいての痛みと石の排出、そしてまったくずさんな捜査による見当違いの警察ガサ入れ。毎年いろいろあるなあーと思い思い迎えた今年のこの転機。来年は何があるかと思うと怖い!

―『版下屋風雲録』第6回目を読む―
―第1回目から読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.175__2008年12月12日(金曜日)
ありがとう大江戸線・今日8周年

 今日紹介の記事には「途中下車」というタイトルが冠せられているが、これを書いた31年前は車イスがいったん乗った電車から、気まぐれに途中下車するなんて不可能だった。付添がなければ駅員の介助を受け、どの便のどの車両、どの位置と決められ、目的駅ではまた駅員の介助により改札を抜けるまで自由はない。
 取材を受けた駅員の一人がいうように、「組合の強いところは会社だけ相手にしても権利は勝ち取れない」その通りだった。早くに新幹線への障害者単独乗車を認めた国鉄(今のJR)で、労働強化を盾に最後まで車イスの単独乗車を認めず、昂然と排除してきたのが民主的であるはずの組合(総評)だったのだから。

記事はミニコミ障問1周年(31年前)での交通問題レポートとしての小田急問題後追い

―「途中下車」を読む―
―「大江戸線車イス漫歩」を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.176__2008年12月16日(火曜日)
敢えて繰り返す、差別をなくす唯一の手段

 障害者だから障害者の心が分かるかというと、そう単純なものでもない。障害者の中でも軽度重度の差別があるからだ。
 そもそも差別などナンセンスでしかないのだが、ところで……
 某過激ブログにて今は亡き(まだ生きてるって!)乙武洋匡関連の記事が載り、彼が比例区代表で出たら当選するかどうかコメント白熱するなか、俺は無理だろうと断じた。
 その理由がこうだ。
 ――だってそうだろ。尾辻かな子が落ちたんだよ。それで偽善障害者が取れたら勘定が合わないでっしょ。レズはカタワ以下か、そんなの許せねー!
 この世から差別をなくす究極の方法。まえにも書いたが、それは差別される者自身が差別を徹底的に舐め切り笑い飛ばすこと。それ以外にないと思う。

―「新・映画論/ピカレスク」に訂正―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.177__2008年12月23日(火曜日)
ホンマのコーチャン(笑)

 一昨日のウェブ版東京新聞にアーチボルト・コーチャンなる人の訃報が載った(14日死去。94歳)。フルネームでいわれてもピンとこなかったが「ロッキード事件」のコーチャンと知ってやっと納得、ついでに田中角栄の名も思い浮かんだ。悪党でも94歳まで生きりゃ本望だろう。
 事件では受託収賄罪なる言葉も有名になったが、汚職なんてのは事件性も犯罪性も、見た目も聞いた風にもカッコ悪すぎる。おらが国サの超有名人も最期は情けない幕切れだった。
 ところで最近どこのブログも発言に元気がなさすぎる。牙がもげたのではなく、政治や犯罪があまりにも幼稚で漫画チックで、真面目に批判するさえバカバカしいからだ。ここまで末期症状じゃ笑うしかないっしょ。
 そうしてかつての悪事基準もトーンダウン、角サン評価もますます上がるわけだ。
 じつは「ロッキード事件」の頃は俺もコーチャンと呼ばれていた、毎日通った秋葉原の印刷会社の同僚たちから(笑)。

今日上げる「『七人の侍』論(6)」は、字数・形式とも「シネ・インデックス」に部類されるものです。「またか」といわないでね(笑)。

―黒澤追悼『七人の侍』エッセー(6)を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.178__2008年12月25日(木曜日)
HPづくりのよすがに


 今年のXマスはケーキよりこれを見てもらいたかった。もう一つサイトの、(つまりSMエッチサイトの)俺の小説ファンからである。
 プレゼントなんてもらい馴れてないので、これが届いた時は嬉しくて嬉しくて。
 以来、これを支えにホームページづくりの“よすが”にしている大事な“宝物”でもある。

今日は古ネタではなく、リアル書き下ろし記事

―黒澤追悼『七人の侍』エッセー(7)を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.179__2008年12月28日(日曜日)
歳 月

 これから旧友を迎える。ダンナさんも、息子も一緒に。
 彼女は島田療育園座り込み闘争の時には“戦友”でもあった。当時俺が住んでいたアパートの四畳半に泊まり込み、マスコミ連絡、支援の手配りなどを一人で引き受けた裏方だった。
 すでにバックナンバーとなったNo.170/11.27の記事(1985年の二百字日記)を思い出していただきたい。そこで二百字日記を上げるきっかけとなった彼女関連の記事、お産で帰った郷里で、生まれた子に心臓の障害があることを知った落胆、不安――。
 その子が成長して今年24歳になったとのことだが、思えば今のマンションで暮らした歳月が、その子の成長歳月とほぼ重なるのだ。
 ゆうべその子から直に電話をもらった。「明日、行きます」と。
 もうすぐその子が来る。かつての“戦友”と、その素敵なダンナさんであるお父さんと一緒に元気な顔を見せに来る。

―ホンマの年賀状・3を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.180__2009年1月2日(金曜日)
それでも負けないで!

 大晦日深夜、何年ぶりかで見た『朝まで生テレビ』――。
 今回視聴者参加は、首を切られた当事者もたくさん呼んで発言させているから、派遣切りのムゴさがより具体的に知らされ胸が痛むが、親会社のいいなりで通常単価の5割、3割でも引き受けざるを得ない中小零細の実態もまたムゴかった。
 チンケな自営の身でも分かる。DTP製版でも、同業者がタダみたいな値段でやってる実態はタイプ屋時代の昔にもあった。しかし社員持ち、家族持ちにそんな芸当がいつまでできるわけもなく、体力(余剰利益)が尽きればまた値上げせざるを得ず、その後は身軽な俺にまた仕事は戻るとタカをくくっていたものだが……。
 2009年。派遣が易々と切られ、中小零細企業が軒並み倒れ、無数のあたら働き手が路頭に迷う姿がこれほどリアルな現実感を持って迎えた年はないというのに、政治はいつまで無能を続ければ目が醒めるのか!

―ホンマのリアル年賀と古ネタ・4を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.181__2009年1月11日(日曜日)
みのもんたの存在こそ犯罪

 日比谷公園を本拠地にした“年越し派遣村”の活動は、格差の谷間に泣く人々に生きる勇気を与えた快挙なのに、これに攻撃を加えるマスコミがあるという。みのもんたに代表される動きだが、大企業の派遣切り実態を詳しく伝えず、「努力が足りない」「権利だけ主張」それが高じて派遣や野宿者を「怠け者」と斬り捨てる文脈の主張は犯罪的世論誘導だ。
 ネットで「あいつを殺せ」と書けば、名もない市民でさえ教唆で逮捕される時代だぞ。社会的に影響力のある人気タレントの発言は殺人の引き金にもなる。ホームレス襲撃は後を断たず、現に派遣村開村期間にも不幸な野宿者が殺害される事件があった。マスコミの扇動が影響しなかったと誰が言い切れるか。この場合みのもんたは実行犯で、放送した局は主犯だ。
 生存をおびやかす表現の自由などあってはならない。害毒でしかないバカワイドショーなど無用。謝罪だの撤回だのという次元ではない。法に照らして処断すべき!

エッチサイトの小説書きに時間を割かれ大幅遅れの更新。m(_ _)m
 今日の記事は「高校生エッセー」(笑い)とくさされた一文。でも、上げるにあたって読み直したけど、「ミニコミ街頭販売」を描いた1回目はなかなかのもんだよ、とまたまた自画自賛(笑い)。

―『夢車』第1回を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.182__2009年1月14日(水曜日)
イスラエル、破滅への足音

 イスラエルには全人口に行きわたるくらい核シェルターがあるんだそうだ。いったん核戦争が起きれば、この地球上に放射能を免れる場所なんかどこにもないというのに。
 その安心と慢心のせいだろう、シオニズムとは人間を「われわれ」と「やつら」にふるい分け、「やつら」を追い出そうとする政治思想だそうだ。自分たちが被ったホロコーストを、自分たちが被ったからこそ、今度はパレスチナ人に返すという理屈になるんだそうな。
 イスラエルの辞書に「協調」や「共生」や「連帯」なんて言葉はないんだろうな。
 [田中宇の国際ニュース解説]「ガザ戦争で逆転する善悪」を読んだよ。そこでの結論、“中東大戦争”が行き着く先は第三次世界大戦なのか。イスラエル自滅の道はイコール世界破滅の道なのか。
 世界はパレスチナを見捨てた。イラクも見捨てた。その時点で世界は倫理的には終わっている。人類は今が滅び時なのかも知れない。

田中宇の国際ニュース解説「ガザ戦争で逆転する善悪」
モジモジ君の日記。みたいな。「本気でイスラエルがかわいそうだと思うなら」

―『夢車』第2回を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.183__2009年1月17日(土曜日)
『ありふれた奇跡』

 1月8日からフジで始まった山田太一さんのドラマを見ている。公式サイトに載った構想の弁にも痛く共感した。
「人間の力なんてごくわずか」「今の日本に生まれたからこうして平和に生きているけれど、戦場となっている国に生まれていたら毎日を死の恐怖に怯えて暮らしていたかも」「この世は“ありふれた奇跡”」「どうにもならないものに囲まれて僕たちは生きている」
 そんな山田さんの止むに止まれぬ気持ちのほとばしりから生まれた今度のドラマ。ドラマタイトルでもある『ありふれた奇跡』は、素敵な若者たちが、その奇跡(偶然とも出逢いとも読み替えられる)を不器用なりと懸命にはぐくみ、成長していく過程がさわやかに描かれる。
 「これが最後の連続ドラマ」という山田さんの時代や人に対する諦観にも複雑な共感を抱いてしまった。「足るを知る」という美徳もそうだが、果たしてこの国から他人の痛みを思いやる心が失せたのはいつの頃からだろう。

今回記事は、訂正したバージョン違い(行数同じ)の別建てリンクを同時アップしてお送りします
お薦めリンク更新しました

―『夢車』第3回を読む―
―上記“バージョン違い”を先に読む―
―第1回から読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.184__2009年1月20日(火曜日)
インフルエンザワクチンのまやかし

 俺がぜんそくの頃、主治医はよくクスリを変えた。これなら長期に効くとか、こっちの新薬が有効といって変えさせた。だが、そのほとんどが合わず心悸昂進を起こしたりして自分からやめた。体操励行などでクスリ効果を発揮させ、結果クスリにも病気にも決別できた。
 当時、ぜんそくでインフルに罹ると重篤化すると脅したのも同じ医師だ。それも怪しいが、そもそもワクチンが効かない事実を如実に証明したのが、このほど東京・町田の病院で起きた入院患者77人、職員24人のインフル集団感染事件(高齢者3名死亡)ではなかったか。
 インフルエンザも風邪の一種。寝てれば治るし、第一、食生活と安眠さえきちんと摂ってれば罹らない。「風邪がうつる」も迷信だろう。
 体調の悪い時、ヘルパーにうつされたと思い込んでかかりつけ医院に駆け込んでぼやいた。医者は俺をたしなめ、こう言ったものだ。
「そしたらわたしらはどうなるんです? 毎日風邪の患者さん相手にしてんですよ」

―『夢車』第4回を読む―
―第1回から読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.185__2009年1月27日(火曜日)
私憤・義憤・公憤

 私憤を義憤に変えることはたやすい。だが義憤を公憤に転化するには知識力、分析力、一定の洞察力も必要だ。ただ、洞察過剰な正論は本来必要な勇気を鈍らせることにも繋がる。
 NYで起きた「9・11」をイメージ、異なる国の名匠11人が紡いだ映画『セプテンバー11』。ケン・ローチ版ラスト近くにこんなセリフがある。「聖アウグスティヌスいわく、希望には2人の娘がいる。現状に対する“怒り”と、それを変えようとする“勇気”です」――。
 強大なアメリカの認可を得たイスラエルのごり押しを非難するのに、なぜその相手国の政権の欠点をあげつらう必要があろう。ガザ市民の女や子供までが虫けらのように殺されている中、惨たらしい戦争犯罪が時々刻々進行拡大している中、それを免罪する効果を発揮する正論などプロパガンダといわずして何という。

お薦めリンク更新しました ガザ・リンクを追加しました

―『版下屋風雲録』第7回目を読む―
―第1回目から読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.186__2009年1月30日(金曜日)
しょせんネットはこんなもの…

 最近、あちこちのサイトを覗いて気が滅入ることだらけだ。
 まず、人気にあやかって有料化した某ブログにはガッカリした。タダで読めるのがネットの良いところではないか。誰におもねることもない激辛時評が、そのブログの売りでもあった。商売にした時から斬れに曇りが生ずるだろう。数に迎合して、やがては廃れるだろう。
 アラシに予防線張って投稿フォームを認証性にして敷居を高くするブログ――反対意見は排除するから結局は仲良しクラブ化する。そんなのが面白いか。また、今どき同性愛を変態よばわりするHサイトがあるのにも驚いた。Hサイトだよ。何様のつもりか。頭は確かか。
 鳥越だの本多だのがネットを便所のゴミ呼ばわりするのはなぜだと思う? タダのネットが盛り上がれば困るからだ。だがネットがこの体たらくでは彼らの思うツボ。といって俺ごとき泡沫サイトが吠えてもナ。悔しいねー。悔しすぎるというものだぜ。クソして寝るか。

―新映画論『不具者は神か?!・運命の連帯』を読む―
INDEXへ―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.187__2009年2月9日(月曜日)
「私」と「われわれ」

 2月4日のウェブ東京新聞[私説・論説室から]は「『私』が存在しない国」だった。自分を主張しない、平均化だけ気にするこの国の人々を指した記事かと思った。
 ところが北朝鮮のことだという。彼ら彼女らは『私たち』という主語は使わず、「われわれの将軍サマ」に始まり指導機関である党や工場、日常生活の話題まで『われわれ』を意味する朝鮮語「ウリ」を主語に話をするという。
 言いがかりではないか。「私たち」と「われわれ」のどこが違うのか。将軍サマに掛かる余り「われわれ」を差別してないか。目先の利益ばかりに囚われ、助け合いも思いやりも忘れた「我欲の塊だけの私」ばかりの今の日本では、「私」に掛かる「たち」こそいかがわしく映る。
 戦争否定を基調にいまや世界の人々からも平和教本として見直されつつある日本国憲法。その前文に書かれている諸権利の行使者も私たちでなく「われら」だ。
 たまには憲法でも読んでみるか。

そろそろ年貢の収め時か……なーんてなことを書いては同情引くんですね(失笑)。ンなことはありません、まだまだ元気(嬉)。
 でまたまた、あっちサイトでの創作(小説書き)にのめりこむの余り更新がとどこおりました。
 せっかくの成果をSM抜きでお見せする方法がないものか。そんなことも視野に坂口暗中、シコシコ模索舎している今日この頃でもあります(笑い)。

―日本国憲法前文を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.188__2009年2月16日(月曜日)
瀕死のテレビに引導を(w)

 週刊東洋経済の「テレビ・新聞陥落」によると、テレビ在京キー局5社の広告収入が激減、日テレは上場以来初の営業赤字に転落、遠くない将来、朝日・毎日・読売・関西の准キー局4社で再編・統合が予想されているとか。
 山田太一さん脚本で現在放映中の『ありふれた奇跡』。冒頭、プレタイトルからタイトルへ、そこから本編へのつなぎ部分に、本編の台本の上にCMアナウンスとロゴが入る。こんな無法は30年前なら考えられなかった。
 たまたま第1回目の本放送を逸し、運良く再放送で録画できたという経緯があるが、これの正味時間が本放送より4分以上短いことに驚いた。山田さんほどの大家がカットを赦すわけがないから、これはデジタル処理。つまり、通常46分を圧縮して42分に短くしたのだ。
 昔はこういう時に労連が騒いだ。今、彼ら労組はなぜ黙っているのか。高給で惰眠をむさぼる身には不況も派遣斬りも関係ないってか。ならばそんなテレビや新聞は潰れるしかないな。

―『新・男の劇場』第2話を読む―
―目次から入る―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.189__2009年2月19日(木曜日)
コラーゲン効果

 ほうれん草のおひたしを欠かさず、肉よりは魚という食生活で快便にも恵まれてきたが、時々口内炎がでるのはまだ偏りがある証拠。
 外で呑んでバカを演じ、車椅子から落ちた時も足の捻挫、前歯脱臼だけでなく口の中を激しく切ったものだ。この時、ネットの女友だちから聞いたのがコラーゲン効果だった。
 大江戸線で我が家から4つ目、駅前屋台に走って焼き鳥を15本注文、それもコラーゲンを多く含む皮だけのつもり、それより3倍効果があると屋台の親父にいわれ、そのぼんじりという部分も混ぜてもらって毎日食べていた。
 するとどうだろう。1週間近くも酷い凍みや腫れを続けていた口の中が、わずか3日の焼き鳥15本でみるみる完治したのである。
 昨日も試して、今日早くも証明した(笑)。
 俺にはこういうことが良くある。分かりやすい身体だ(笑)。がしかし薬を用いず病を、傷を快方に導く。それができるならこれに勝る療法が他にあるだろうか。

―『新・男の劇場』第3話を読む―
―目次から入る―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.190__2009年2月23日(月曜日)
ポチは小泉純一郎のみに非ず!

 “中川昭一とコンパニオン記者”の下賤な関係をマスコミがどれだけ報じているか識らないが、タダで読めるfc2版[世に倦む日日]が最新、准最新で一件を通して“読める”マスコミと権力の癒着を、ネットで氾濫する情報が虚偽入り乱れ、やがて真実が霞んで消えていく構造をからめ、歯に衣着せぬ論調で解説してくれている。
 思い出すのはちょうど5年前のイラク戦争初期。ボランティアの若者3人が武装勢力の人質となった。だが事件当夜、首相は赤坂プリンスホテルにマスコミ人を歓待、一報を知りながら酒宴を続行。その場に同席したのが毎日新聞特別顧問岩見隆夫、朝日新聞コラムニスト早野透、読売新聞編集委員橋本五郎ら数名。
 翌日、小泉はアメリカ支持を表明。その後イラク戦争は国内でどう報じられたか。小泉の政治はマスコミでどう褒めそやされたか。新自由主義的論調はいかにして蔓延したか。“アメリカのポチ”は尻っ尾も振れば股も開く。日本のマスコミや政治は愚劣の一語に尽きる。

お勧めリンクに2件更新。そのうちの[ジャンクキングの宣戦布告]は、「宣戦布告」といっても石原慎太郎や歴史修正主義者の一派とはなんら関わりはないどころか、それら勢力を殲滅せんと欲するサイトである(笑)。

―『新・男の劇場』第4話を読む―
―目次から入る―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.191__2009年3月1日(日曜日)
ブログ・ホンマタイムス始動!

 きのう起きたら電気ポットのアラーム表示が「HH」に! H2つは「お前はドすけべ親父だからな」と馬鹿にされてるようでした(笑い)。
 しかし、そんなのに怯んではいません。
 あっちサイトが「H(エッチ)タイムス」、こっちサイト通常ホームページ版が「HONMAタイムス」、これから始めるブログがブログといいながら実質中身はブログならぬ「HUROGU(フログ)タイムス」(苦笑)。
 というわけで今日からスタートしたブログと並んで三つどもえHのホンマタイムス。マック低バージョンでは正しく表示しないこともあり、このHP版は従来どおり続けます。
 ブログホンタでの新ネタはだいたい週一の割で、その合間合間にここHP版で公開した記事で、比較的自信作、重要な記事をカテゴリー分類して移します。
 思うところあってブログホンタでは原則政治ネタをおもてだってやることはしません。
 それではみなさん、よろしく。m(_ _)m

―ブログ記事第一弾を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.192__2009年3月15日(日曜日)
創作の喜び

 「名のみの春」とはよくいうけど、朝晩はまだ冷えびえとすることがあるけど、湯沸かしの湯も風呂の湯も以前の温度設定だと火傷しかねない。やはり春は春なのである。
 新居にも馴れた。梱包の無理が祟ったか利き腕の筋の痛さが慢性的に続くのが唯一気になるものの、それ以外は何の苦もなく、前途洋々たる気分で趣味の創作にも熱が入る。
 長編小説を完成させる最良のひけつをご存じか。とびきりのラストシーン、あるいはラストのクライマックスを先に完成させておく。そしてそれに向かい、それを励みに馬の鼻先のニンジンよろしく、「えい」「や!」と全力疾走、乾坤一擲の筆で書き進めるのである。
 そうして着地した時、読者は感動してくれるだろうか。カタルシスを満喫してくれるだろうか。そういう作品で人を喜ばしたい。
 昨日、満足のいく一章――千枚に及ぼうという長編の一部を書き終え、祝い気分にやめた酒をぶり返した。これには困ったものだ。

今日の記事は動物ものの1本。その第一回。

―『哀しきインコ』第一回を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.193__2009年3月19日(木曜日)
裁判員制度を嗤う!

 ネットで知り合った者がゆきずりの女性を拉致し、殺害した。この事件の判決が出た。2人死刑。自首した1人は無期。今朝のウェブ東京新聞は判決を「やむなし」と断じている。
 この国の市民から死刑に対する許容値が甘くなったのはオウム事件あたりからだろうな。ハリウッドのドンパチに辟易、「殺される人間にだって人権!」と怒った俺でさえ、あれで「死刑もありか」と宗旨替えしたほどだ。ましてやブッシュに人権があるとも思えない。
 しかし……
 それでも死刑には反対することにした。犯罪抑止にはならない? 冤罪で殺したら取り返しがつかない? いやいや、それより何より5月から始まる裁判員制度である。素人に、人生の長短、人間観の優劣など度外視して罪の軽重を問うなど、医者でも看護婦でもない者に点滴後の処置を任すに等しい暴挙だぞ。
 俺は裁判員制度を嗤う。そして怒っている。

近くこの希代の、無節操政治の延長でしかない丸投げ悪法・裁判員制度を睨んで、1月24日にテレ朝が放映した松本清張原作のドラマ『疑惑』の研究論文発表(笑い)を上げます。
今日の記事は『哀しきインコ』第二回

―『哀しきインコ』第二回を読む―



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.194__2009年3月20日(金曜日)
イラク戦争6周年

> テロを世界に蔓延(まんえん)させた“第一義的責任”が米中枢同時テロを引き起こしたイスラム原理主義者にある事実は変わらない。人道的、国際法的に許されぬ行為だ。(強調カッコは引用者)

 おい、東京新聞。ほんとにそう言い切っていいのか?
 では訊こう。
 百歩ゆずって米中枢同時テロ(2001年の9・11)を起こしたのがイスラム原理主義者だとして、その“第一義的責任”が誰にあると思っているんだ。
 第一に、イラク戦争のイラク側死者は15万人などという数ではすまんぞ。
 誰だ! これを書いた者は!
 貴様、イラク戦争が裁かれる時、その戦争犯罪の一端をどこまで引き受けるつもりだ。その覚悟があって書いた記事なんだろうな。

今回は、瞬間最大風速60メートル級の突風的コメントにつき、記事はありません(怒)!



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.195__2009年3月21日(土曜日)
飛行機ギライのぼやき

 今朝、ヘリコプターの音に悩まされた。
 東京マラソンは明日ではないか(前の江戸通りは往復コース!)。さては事件か、事故かとテレビを点けたがそれらしい報道もない。そういえば以前にもしつこく上を周回することがあり、大家に「この辺にヘリポートがあるのか」と問うたが否との返事。
 ヘリが何機も上をうるさく飛ぶのは隅田川花火大会の時。仕事でパソコンを導入、いくら勉強しても分からず悩んだ時は、いっそあれが墜ちてきて何もかもなくなればと捨て鉢に思ったものだが、それ以外は命が惜しい。飛行機嫌いで福祉のコネで回ってきた海外旅行さえパスした俺が、なぜにこんなところでリスクを背負うのかと理不尽この上ない思いでもあった。
 だが、それもここだからこそで、沖縄の人々にとっては日々永続する深刻なリスクなのだ。

記事はありません



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.196__2009年3月23日(月曜日)
やられますた(ぷっ)

 今日午後、あっちサイトの画像2点につき、ニフティから削除要請があって、あわてて検索かけて「どれだどれだ」と、その間にバッサリページごと消滅させられました。
 その後、電話でのやりとり、ただし削除基準について電話担当者の判断ではいかんともしがたく、結局ヤバそうなのはリンクを外してなんとか本日中復帰を果たしました。「弾圧には火だるまになっても応戦」と広言していたわりには、情けない結果になりました。
 趣味を兼ねたパクリ画像の貼付はこれを機に手を引きますが、オリジナルやコラージュではしっぽを巻いて退散というわけにはまいりません。なにより、関わってきたゲストさんに対して申し訳もなければ筋も通りません。
 ここが根性、思案橋です。
 本サイト読者の大半の方々には関係ないことですが、不祥ホンマの周辺事情ということで報告しました。気分はまたも“ガサ入れ”です。

記事はありません



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.197__2009年3月26日(木曜日)
これが開局45周年ドラマとは!

 ゆうべ放映、テレビ東京『春さらば』(井上由美子脚本)なるドラマに仰天した。なんとシングルマザーのホームヘルパー(夏川結衣)が年寄り(市原悦子、原田芳雄)に詐欺を働く話で、このヒロインは「孤独な老人の親身なケアの代償」とばかり堂々としている。そういえばドラマの副題は“おばあちゃん、天国に財布はいらないよ”で、このセリフに該当する他の登場人物はおらず主人公の気持ちでしかない。
 年寄り2人が遺書めいた書き置きを残して家出した後でさえ、逮捕の刑事(小泉孝太郎)の前でも堂々と安月給で働くヘルパーの窮状を縷々述べて開き直る。その様は相手が小泉だけに「おまえの親父がこんな格差社会を作ったんじゃないか」との鬱憤晴らしのようで……あ、それが狙いだったのかと思えば思えるか。
 がしかし、そのまえに「ヘルパーはだから信用できない」と視聴者の心に刷り込み、末端労働者の待遇改善、派遣切り批判とも相殺する、やはりとんでもない底意のドラマだった。

記事はありません



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.198__2009年3月26日(木曜日)
小沢一郎と民主党を潰したい奴ら

 今日はもう一つクリントン米国務長官が、日本を威嚇する北朝鮮のテポドンが日本海側の発射台にあると警告。拉致問題では日本の関係者感情を何ら考慮に入れず6カ国協議を進めてきたアメリカがいまさら何をの茶番である。
 が、以下を読めばその真意も透けて見える。
 無料版[世に倦む日日]最新は、小沢憎しの主宰テサロニケ氏の意志をよく顕し、明日にもマスコミ各社は世論調査を打ち、それを受けて千葉県知事選、4月のテポドン発射まで読んで秋田知事選まで雪崩を打って小沢辞任、民主党は北朝鮮へのタカ派恫喝外交を考慮に入れた岡田・前原体制になるとまで断言する。
 
 そして上記記事を参照(こっちは小沢擁護)してるともいえるきっこ記事「マスコミもグルの国策捜査」をお気に入りに……。それを見ながらアメリカとマスコミ、結束すべき野党社民・共産の足の引っ張り合いと[世に倦む]含むブログ左翼の小沢潰し、民主党潰しが誰の益になるか“政治の春”を目前にしかと見極めたい。

記事はありません



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.199__2009年3月29日(日曜日)
『ゴジラ』の空の下に『ひろしま』がある

 関川秀雄監督の『ひろしま』を怖い映画とのみ記憶し、再見せずにきた愚を痛感する。全て子ども心のトラウマであり、これは別の形で生きて『ゴジラ』(54年作)もやはり怖かった。ラストシーン、伊福部昭のエンディング曲には「君が代」の一部旋律が使われていたとも思え、その事実もトラウマの意味も確認できた。
 素晴らしい映画である。戦後8年の日本でこれほど大迫力な原爆映画が確固としたスタンスで作られたことに驚嘆する。それを作り上げた人々の良心に敬服する。『ゴジラ』の被害直下の救護所シーンで流れていた音楽は、『ひろしま』で原爆投下直後から延々30分にわたって続くシーンに流れていた音楽と同じだったのだ。
 2つの映画は共に原爆映画としてくくられて間違いはない。『ゴジラ』が原爆の恐怖を怪獣映画に託して強烈にイメージしたなら、その被害直下の生への執念と隣人愛、家族愛に燃えて闘い、苦悶し、憤死する人々のリアルな生き様、死に様を描いたのが『ひろしま』だから――。

DVDで出ています。
 被爆直下に教え子と教師がスクラム組んで歌う「君が代」の場面が鳥肌だつほど強烈です。そのシーンはじめ、さまざまなタブーから『ひろしま』が一般の目に触れる民放テレビで放映されることは今後もあり得ないと思われます。宣伝が本位ではなく、たった2件あるレビューが的確な感想をつづっていると思われ、あえてリンクしました。

映画『ひろしま』アマゾンレビュー

記事はありません



ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.200__2009年4月5日(日曜日)
戦争“ごっこ”が好きな国

 一昨日、埼玉県新座の兄宅に行った。途中に迎撃予定のPAC3が展開移動した朝霞もある。
 ふだんはドラマ以外、見向きもしないテレビの報道を見せられて呆れた。もちろん「人工衛星発射にかこつけたテポドン打ち上げ」と報じられている北朝鮮のミサイル騒ぎ。可愛いい姪っ子など夜更かしの目を輝かせて「大変だよ、今にも飛んでくるとかいってるよ」と冗談ではなく本気で浮き足立っていた。
 「あんなのはミサイルを売りたいアメリカが北とグルの猿芝居」と笑い飛ばしたが、なんと翌日には提灯マスコミにまで笑われる誤情報醜態に発展(呆)! 死に体の自民がさらに失墜するネタを提供するはずもなく、とすれば政府は本気でミサイルが飛んでくると思ったのか? それこそが大問題ではないか。
 そもそも上を下への右往左往がマスコミ総出で喧伝され、対抗措置まで報じられて国防になるのか。どこまでもおめでたい国だよ(嗤)。

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ボログ・ホンマタイムス(ホンタ) No.201__2009年4月6日(月曜日)
こんどは5周年! なにが……?

 ちょうど今ごろ……そう思って日記を見返したら明後日だった。イラクで高遠さんらが反米武装勢力の人質になった事件だ。自衛隊を撤退させなければ処刑するとまでいわれていた。
 ほどなく被害者家族が現地テレビに出た結果のイラク市民の反応を知り、俺は人質解放を確信した。水面下の動きをNPOのニュースレターで知っていたことと、第一に武装ゲリラとて元は“生活市民”だからだ。この視点が欠如してテロリスト呼ばわりだけがまかり通る。
 米軍が包囲したファルージャでは動くものはすべて標的にされ、救急車までが狙われた。ガザ虐殺の見本はすでに5年前にあり、その米軍が見本としたのは独ソ戦初期のモスクワ包囲戦――兵糧責め下の虐殺殲滅戦といわれている。この報道がまったくなされていなかった。
 目の前で家族や恋人が殺され、世界から孤絶させられれば人質だってなんだって取るだろう。その事実を教えない日本の報道自由ランクは50位台。そんな国が北朝鮮を笑えるか。

オマケ(笑い)。
 今日は、おとといマッドアマノのパロディタイムス掲示板「怒りと嘲笑の投稿」に投稿した拙作を無断転載します(嬉)。

タイトル:
 誤報騒ぎ列島混乱 北ミサイル(2009年4月4日夕刊)

本文:
 青森県・深浦漁業協同組合の森長保組合長(68)は、集団操業中の漁船の位置を確認するため、何度も電話を手に取るが「漁の最中だから、なかなかつながらない」と心配そうな表情。漁を終えて秋田県・八森漁港に戻ってきた男性(58)は「今はメバル漁の掻き入れ時。漁を休むことは考えなかった」と話したが町に流れるアナウンスを気にかけていた。

 臨時ニュース臨時ニュース。ただいまの記事に誤りがあります。
 正しくは以下です。

虚報で騒がせ列島攪乱「来た! ミサイル」(2009年4月3日遅れの四月バカ)

 青森県・深浦漁業協同組合の森長保組合長(68)は、集団操業中の漁船の位置を確認するため、何度も電話を手に取るが「漁の最中だから……」と心配“損”な“仏頂面”。漁を終えて秋田県・八森漁港に戻ってきた男性(58)は「今はメバル漁の掻き入れ時。“こんなくだらないバカ騒ぎで”漁を休むこと“など”考えなかった」と話した。町に流れるアナウンスなどには鼻もひっかけないでいた。

*註:
 元記事はウェブ東京新聞4月4日付夕刊

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