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全障連の「差別糾弾」を斬る!!
「障害者解放」を叫び全てに背を向けるのか?

 この稿は、前回「全障連、運輸省に突撃」とセットで、同じ号の社説的コラム「奔流」記事として掲載された。

 全障連(全国障害者解放運動連絡会議)の母体は全国青い芝の会、関西障害者解放委員会の二つの団体だ。それ以前には、日本共産党系の幹部が中枢を占める、20年以上の実績を持つ障全協(障害者と家族の生活と権利を守る全国連絡協議会)と全障研(全国障害者問題研究会)の二つの大きな団体がある。しかし、家族や養護学校教師らの意見が組織運営に大きな比重を占めていることに反発し、加えて日本共産党の福祉政策路線についていけない勢力が結集され、昨年8月に現在の全障連が結成された。
 一貫して全障連が主張してきたことは障害者差別からの解放で、川崎におけるバス乗車拒否糾弾闘争、童話『ピノキオ』における差別用語撤廃、手塚治虫のマンガ『ブラック・ジャック』に表わされたロボトミー手術肯定や、障害者否定と見られる観念を斬りすててきた。
 川崎におけるバスろう城事件はそれ相応に評価し、私も思い切って支持の立場を明らかにした。それは障害者運動の多くが忘れかけていた怒りの闘いを、敢然として提起したからである。
 ただ、『ピノキオ』、『ブラック・ジャック』については別である。歴史を歪曲したり、感情的な差別糾弾だけでは問題は解決されないからである。『ピノキオ』は障害者差別が声にならなかった時代の産物であり、そこにあるのはその当時の障害者に対する見方の反映であるからだ。『ブラック・ジャック』とて、血友病、サリドマイドなどの障害者が商業マンガに登場したものでは唯一画期的なものがあったし、安楽死思想に対する抵抗の姿勢もハッキリ見え、[主人公である]ブラック・ジャックのつぎはぎだらけの顔には、異形の者をののしる人々を睨みすえる社会性があった。
 そのことについて事務局長の楠木氏は、「単に言葉尻だけとらえて差別を云々するのではない」と答えた。
 ならば問いたい。あなた方全障連は、なぜに我々までを差別者と決めつけるのか。
 7月9日の交通問題集会は、すべて言語障害の重症なCP(脳性マヒ)者の進行・報告で占められていた。必死に聞きとれば理解できる発言者もあったが、中には始めから最後まで内容が聞きとれない人もいた。
 そばの健全者何人かに聞いても分らなかったので、前へ行き、同じCP者に「今、何を言ったのか教えてくれ」と尋ねた。すると相手は「(本人に)聞いてみろ」とアゴでうながした。仕方がないので進行の一人に「報告が終わったあと要約してくれ」と言って引き下がった。
 だが、その答えはなく次の報告に入ったので「前の話の内容が分らなかったのでもう一度……」と発言した。するともう一度本人が同じ調子で話したので、「通訳して下さい」と言葉をはさんだ。
 その途端、半数以上の目が私に一斉に注がれ、その中の又半数位の者から敵意を持った目で見つめられ、同時に、「差別だ!」、「出て行け!」と激しい怒号が返って来た。「分らないから分らないと言ったのだ」と言い返したが、議長に「分ろうとしないから分らないのだ、それこそがバス乗車拒否を引き起こしている差別だ」というようなことをやり返された。誤解をとくために発言を求めたが、「時間がない」で打ち切られた。
 CPに対する差別と偏見の大きさが裏返しになった表われでもあろうが、すべてをそう決めつけるのは逆差別ではないか。「糾弾されるのが怖いから」と黙って聞いていた人も多勢いたが、わかったふりをして聞いている人々は差別者ではないのか。
 その日、熱心に議事を聞き入るろうあ者が何人かいたが、それを通訳するお抱えの手話通訳者はベテランではない“かたこと”の通訳で必死に手話を送っていた。ベテランをもってしても単語の少ない手話はその真意が半分も伝わらないと言う。
 ならば全障連に[売り言葉・買い言葉のそしりを恐れず]敢えて問いたい。CPの言葉を通訳することだけが差別で、ろうあ者の手話は差別ではないのか。

(月刊障問1977.7.15/第15号)

親記事「全障連、運輸省に突撃」

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