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火事だ! 保険だ! 600万出た!!
続・10階の窓


 俺は〈のぞき〉をする奴を陰ながら軽蔑していた。その軽蔑の度合いといったら、痴漢やレイプといった卑劣行為に勝るとも劣らない。
 痴漢はやりたい欲求があるにはあるが、なんだか低劣、下賤な気がして、勇気がないのも手伝ってこれまでせずにこられた。
 だが、のぞきがあんなに興奮するものとは経験した者でなければわからない。

●この胸のときめきを●

 10階の窓の向こうに、その女の部屋がみえた。
 糸屋のビルだが、8階の窓が10階の窓に相当する位置にあるとは生意気だ。
 俺のビルは造りも古いが、天井も低い。
 以前、地元の社会福祉協議会に勤めていた知人が、アメリカ人を連れてきたときは実に恥ずかしかった。身を低くして通らなければ部屋にも入れなかった。
 女は会社勤めか、夕方早くには帰って窓の前に立つ。その時間から察するに、同じビルの糸屋の店員かも知れない。そうして窓を開けたまま、おもむろに服を脱ぎにかかる。
 それを素通しガラスにしている居間の窓から、痩せた身を、痩せガエルが地べたに貼り付いたようになって、監視にこれ努めた。
 ハダカの女が窓際に立つことを知った翌日、川を渡った墨田区のディスカウントショップに双眼鏡を買いに走った。いよいよ本格的なのぞき体制を確立するためだ。
 ドキドキしながら、その時間を待った。
 明かりが点いて、女の影が――。
 来たーっ!
 見えたーっ!
 ブラジャーが外れて白い肌が現われる。くるりと背中を向けると、またそれが電灯の光の中にまぶしげに浮かびあがった雪の肌。
 その後、ちょっと移動し、姿はいったん消えかかるが、次に見えたときは位置がさっきよりは遠景になっているので、後ろ向きのヒップが目にふれる。
 ヒップにかかっている物を、すっと降ろした一瞬、たわわな稜線がくっきり現われ、いよいよ興奮のクライマックスである。
 だが、そこから先はなにもない。風呂に行ったようである。
 テレビの向こうに部屋の壁があり、タンスの一部が見えるだけの光景だったが、次に展開される光景を期待して、なおも息を殺して双眼鏡を手にのぞきをつづけている。
 昔、大阪であった銀行人質ろう城事件。テレビカメラが据え置きに捉えた閉じられた銀行のシャッター画像。何かを期待し、眠い目をこすりこすり眺めたあの場の心境そのものだった。
 やがて風呂から出た女が帰ってくる。
 さっきのタンスの前にきて着がえの下着を身に付けはじめるのだが、見えそうでいて肝腎かなめの部分はなかなか見えない。
 考えてみたらオッパイがもろに見えたという記憶もないのだが、ただ、そののぞきの間じゅう、心臓がドキドキと高鳴り、終始興奮していたことだけは事実だ。
 そんなことを何日繰り返したことか。
 仕事場の窓は曇りガラスで女の帰りは窺えず、居間の押し入れから鏡をリレーさせるなどして、仕事場からその部屋に明かりがつくのを監視にこれ努めるなどという芸当も試みた。
 いずれにしてもその時間が近づくとキョロキョロソワソワ落ち着かず、勝手の利く自営とはいえ仕事が手に付かないでは〈おまんま〉の食い上げ、いつしかのぞきはやめにした。
 なんとも情けない話ではあった。

(旧ホンタ2003.5.5更新分を加筆、再構成)



●午前2時の悪魔●

 メインストリートに面したマンションに引っ越してきて変わったことは、まず、ポストに投げこまれるピンクチラシの多さ。
 手札大にけばけばしいデザインをほどこし、「ルージュ」だの「キューピット」だの「ゆうとぴあ」だの「みるく」だの「ジェンヌ」だのというのがある。
 変わったのでは「出張看護婦」や「ロシアンパートナー」というのもあったが、「ライオンズクラブ」なんてのは名前からして奉仕の精神で訪ねてくれるのだろうか。
 いわずと知れた出張売春である。
 10階にきた早々の頃はやたらと精神状態が不安定で、アルコールが入り、夜中ともなると人恋しくなり、手当たりしだいに電話をかけまくる、ということもした。
 もちろん非常識な時間帯だから知った人間ではない。どうせ恥は掻き捨て、でたらめな番号を回して出たとこ勝負で話しかける。警察に電話して「俺を逮捕しろ」と毒づいたこともある。
 そうして最前のピンクチラシ、俺は「午前2時の悪魔」と称していた。
 夜中2時を過ぎる頃になると不埒な誘惑がカマ首もたげ、心のなかで悪魔の囁きを繰り返し、そしてたいてい悪魔の軍門にくだり、「みるく」だの「ルージュ」だのの番号を回していた。
 ああ……。
 このあとの場面はカット!
 電話アンケートなどもよく受けた。それでテレホンカードを何枚かせしめた。
 ある日、見知らぬ男からの電話を受けた。
 ミニコミ発行で新聞にも出た昔なら、「男で良ければ紹介するよ、障害者なら女が相手にしないだろうから、男でガマンしな」といわれたこともある。が、男の趣味はない。
 こんどの電話の男は違った。
 なんと、とんでもないことを持ちかけた。
「〈ダンナさんの秘密〉を握っている。バラしてほしくなかったら、30万払いなさい」
 そう言って脅しにかかった。
 なにをバカな、と内心笑い飛ばしつつ、話しているうちに不安に駆られた。
 素通しガラスの窓からの〈のぞき〉がそんなに罪か? 夜中のめいわく電話は常習犯だった時期もある。それとも女を買ったことか。脅されてはじめて思いあたる数々。
 しかし、30万もの罪か。
 やりとりの途中、あっ、と思った。「ダンナさんの秘密」と言っていたことにピーンときた。
 なんだ、そうかと思った。女が出たら女房向けにと、両方通用する「ダンナ」で引っかけたのだった。独り身のこちらの事情が分かっていて、そんなトンマな脅しはない。
 こんなことで騙される奴もいるのだ。スネに傷持つ身がそれだけ多いということだ。
 結局、男はバカだということだ。

(旧ホンタ2003.5.5更新分を加筆、再構成)



●10階の窓を開ければ●

 この夏、俺のビルは大規模な外壁補強の工事を敢行した。
 約3ヵ月というもの、トビの職人連中がドリルの音を響かせ、シンナー臭を充満させ、作業に余念なかったが、昼日中の音はともかく、あの独特の刺激臭には痛く悩まされた。
 一時は肺に穴が空くかと思われたが、だが、その甲斐あって壁の破損は修復され、台風や強風で雨風が吹きこむということはなくなり、いざその時の物品の緊急避難からも解消された。
 この際にと、俺は仕事場の窓も曇りガラスから素通しガラスに替えた。
 西向きの窓は隅田川花火も見えず、夏は西日の暑さに悩まされる。富士山が見えるはずの方向には糸屋のビルが邪魔し、池袋サンシャインの夜景もこのごろではぱっとしない。
 隅田川花火の8日後、ビルの間の暗い夜空にパッ、パッと、またたく小さな光の玉。のぞきに使った双眼鏡が再び役立ち、それで見ていたのは豊島園花火大会の花火と後で分かった。
 そういえばこんなことも――。
 10階に越してきたばかりの不安症・孤独癖からくる「午前2時の悪魔」に誘惑(?)されて、手あたりしだい夜中の電話をかけまくっていた頃のことだ。
 大通りの向こう、路地をへだてたビルの窓に断続的にまたたく赤い小さな明かり。この時にうろんな感情はなく、正直なにか犯罪の気配を感じたのである。
 日頃「愛と希望の人」を自認するだけあって(?)、だれかが危難にあい、救助信号を送っているのでは――そう考えたら最後、矢も盾もたまらなくなった。
 さっそく110番通報したところ、なんと30人からの警官がくりだし、光の見えたあたり一体を調べまわったが、工事現場の回転標識灯がビル壁に反射したためと分かり、安堵の溜め息。
 ただ、それで怒られることもなかった。
 この時ばかりは、やはり警察は庶民の味方と感心した。
 火事で焼けだされる前のアパートに住んでいた頃、酒に酔った勢いから、深夜モデルガンを夜空に向けてぶっぱなしたことがある。
 なにかと本物に近づけることを旨とするマニアの習性、火薬も相当詰めこんでの音だったから、夜のしじまに遠くまで響いたのか。
 間もなくパトカーのサイレンが近づく。
 それが自分のいる方角に向けて走ってくる。
 俺はあわてて車イスを走らせ、アパートに帰るやいなや、布団をかぶって息を殺した。この時の警官30人といい、あの時の緊急パトカーといい悪いことはできないものだ。
 「10階の窓」に越してきて5年目の正月夜、NHK衛星放送は成人の日記念のトーク番組を始めるところだった。それを録画して仕事中にでも聴こうとスタンバイした。
 録画をはじめたとたん画面がすっ飛び、放送終了後の「砂漠の嵐」状態になった。
 なんだ、これは!?
 電機屋の奴、安いパラボラアンテナを取りつけやがって。火災保険で600万せしめた〈にわかリッチ〉、「金にいとめをつけぬ」と大見得切って張り込んだのに、と頭に来た。
 それとも北風で飛んだか。いずれにしても安物だからと、ブツブツガミガミ……。
 しかし、こうなったらお手上げである。車イスの身では屋上に行って確かめるすべもなく、翌朝カンカンになって電話した。
 「すぐ見にこい!」と呼び寄せたものの、屋上から帰ってきた電機屋のあんちゃん、戻ると一言。「アンテナ、盗まれてた」
 悪いやつはどこにでもいるものだ。衛星放送のアンテナ盗んでどうするのかね、と思った。しかし、この時ばかりはショックで、しばらくは衛星放送を見られずじまいとなった。
 さ、そうなると、NHKで流す衛星番組のCMのウザさ、しつこさ、イヤらしさに頭に来るようになり、持てぬ者の気持ちが良く分かった。
 それから間をおいて、また衛星放送を見られるようになった。今度のアンテナは、管理人しか立ち入れぬ給水塔の部分に取りつけたから、まずは一安心だった。
 それにしても、くだんの盗難以来復讐心にも似た気持ちになり、今度は即座に110番通報して捕まえてやれと意気ごんだ。なにせ俺には、30人からの警官隊がついているんだから。
 ある寒い日の深夜のこと――。
 また衛星放送が映らない。デコーダーのスイッチは入っている。「またか」と思ったが、加入料を払ったのに局のミスでスクランブルをかけられたことがある。
 試しにNHKをかけた。そこも〈真っ暗〉だ。やっぱりドロボウか。よし、今度こそ御縄にしてくれよう、とすぐに110番。
 人手不足か、今度は5、6人と出動人数は少ない。それよりなにより、お巡りさんのいうことにゃ、どうみてもアンテナはちゃんと給水塔に付いていると言い張る。
 そんなはずはない、衛星放送はNHKもWOWOWも〈真っ暗〉のまま。ただ「砂漠の嵐」とはちがう〈真っ黒〉。
 あーっ! と、その時になって声に出して驚いたくらいだ。
 衛星には春先と夏、ある時期、地球の食にあたる深夜時間帯、電波障害かなにかで放送できない時がある、今がその時だったということを、やっとのことに思い出したのだった。

(旧ホンタ2003.5.5更新分を加筆、再構成)

前回「10階の窓」を見る

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