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火事だ! 保険だ! 600万出た!!
10階の窓


●その夜の物語●

 素通しガラスに替えた10階の窓から、30年以上住み馴れた町・台東区が見わたせる。
 すぐ下には2つのメインストリートが交差し、ついこのあいだも昼日中、サイレンを鳴らして消防車がけたたましく行き過ぎた。
 1986年12月7日、その夜、なじみの定食屋を出る時、3ヵ月前の“厄難”を振り返った。
 銭湯への途中、バックした乗用車にぶつけられ、車イスはひしゃげ、足も捻挫した。これが週末で、ボランティアを探すのも面倒と近所の医院に入院したのだが、その保険金が無事下りたことを店のオヤジに報告していた。
「これでまた、つつがなく新年が迎えられます」
「良かったねえ」
と、当時は手こぎの車イスに乗って2キロくらいは自力で走れた俺だったから、飯は歩いて2、3分のその店でと決めて通った。
 銀行のビル壁が密接し、まったく陽の当たらない4畳半2間のわが城がある古びた木造アパートに帰り、玄関を上がったところに停めてある屋内用車イスに乗り換えた時だ。
 ぷうーんと線香のニオイがしたのは、隣室のおばあちゃんの神信心のせいと心得ていたが、それとは違う異様な臭気。間もなく――
「火事だぁ! どうしよう、火が付いちゃった……みなさん火事ですよぅっ!」
 周章狼狽、異変を報らすおばあちゃんの声。
「まさか」と思った。
 まさかの理由は、このばあさん日頃から耄碌(もうろく)が激しいからだ。こんなのに脅されて、たいしたことのないのに大声上げて触れ回り、あとで恥を掻くのも災難と一瞬の逡巡。
 その一瞬の違う頭で別のことも考えた。もし、ほんとうに火事ならどうする。つまらん見栄で大事を見過ごし、それがため尊い人命を損ねたと非難囂々、後悔百まで。そう思ったら最後、
「火事だああっ、火、事、だあぁーっ!」
 恥も外聞も見てくれもいいカッコしぃもかなぐり捨てて大音声を発しながら、また玄関の三和土(たたき)の外用車イスに乗り換え、すぐそばの床屋に飛び込んだ。
「か、火事です! 119番、電話を!」
「ほんと?」
 床屋の夫婦のまったく動じない顔を見て、再び不安になった。〈あのババア〉と振り返った時、アパート玄関からは朦々と黒煙が噴き出し、「すわ大変ぞ」とたちまち大混乱に陥った。
 それから3、40分は床屋の窓からアパートが燃えるサマを眺めていたが、精神状態は尋常でなく、まず板橋のお袋宅に報らせにかかったが、何度ダイヤルしても正確な番号が回せない。
 どうかしてやっと通じたものの、「今、アパートが燃えている」と言ったらすかさず、「なんで火なんか出したんだ!」凄い剣幕で怒鳴られた。俺の過ちと最初から決めてかかった。
 親がこれだ。他人はなおのこと。
 話は前後するが、この後、福祉会館に向かう道すがら偶然出会った管理人でもある不動産屋のオヤジ、「いつかあんたが火を出すと思ってたんだよ」と鬼の首獲った顔で言ったものだ。
(ちなみに火事から20年経った今年、あるべき所在に看板も会社もないことから、近所で訊いてこの不動産屋の消息を知る。後に事業に失敗、後を継いだ息子は自殺を遂げたという。因果はめぐる、天罰てきめん=笑い)。
 それはともかく……
 やがてサイレン鳴らして到着した消防車と相前後し、「おい、生きていたか」、「焼けてないな」と、どこで聞いたか察したか、地元の友人知人共まで駈けつけた。
 しかも、彼らは暮れの忘年会で一杯出来上がって全員赤い顔。
 この時点で、俺以外は全員、無事避難したか遭難した者がいるか、所在不明につき、消防署員が忙しなく「間取りは」「住人は誰と誰」と出入りを繰り返しているその時も時……
「あんた600万の火災保険に入ってたね」
「そりゃ豪儀だ!」
「出たらわたしらには幾ら呉れるの?」
「日頃面倒見てんだから、山分けの半分だな」
 そんな密議談合を酒臭い息をさせながら囁いていたのである。
 横を見れば、「わーい、燃えてる燃えてる」と、その家の子どもがはしゃいで火事場見物。
 コンコン、とドアのガラス戸が叩かれ、外からは小腰を屈めてしかと覗き見る若い警官の顔。すかさずトランシーバー握り締め、
「いましたあーっ。車イス1名、ただいま確保!」
 やかましい、ポリ公、おまえに確保されたんじゃねーやい! と、だんだん腹が立ってきた。
 なんとも珍妙で異常な火事場風景であった。
 初期消火で全焼はまぬがれたものの(表彰もされなかった)、消防の放水で家財は水浸しの全滅。そこで掛けていた保険金が生きた、はずであった。すんなりとは出なかったのだ。
 保険には罹災証明書というものがいる。
 600万は一人暮らしの独身者にとって破格な金額。稼業のタイプ道具一式とオーディオ、ビデオ関係以外金目のものはなく、いくら書きだしても罹災証明が300万にも満たなかった。
「これじゃ満額どころか半分もでないよ」
 なんのことはない、と泣きの涙。
 が、鬼の目にも涙。病は気から。天は見ている。災い転じて福と成す。思案一時、〈はた!〉と気づいた。
 映画マニアの俺は、民放で放映した映画をCMぬきで録画したり、レンタル店から借りてきたLDをつなぎ目がわからぬよう録画したりと、ほぼ市販品同様に編集して録りためたビデオ。
 そのカセットに貼る背文字のラベルも、1本1本映画のタイトル文字に合わせ、時間をかけてレタリングしたり手間ヒマかけたコレクション。
「凄いでしょう。ここまでのマニアはいないよ。だから、これにも保険金かけてよ」
「うーん。そんな名目はないんだけどなー」
「ね。お願い。貴重な財産なんだから、ねー、ねえってば!」
 そういって拝み倒し、泣き落とし、1本に付き1万円。
 それが600本!
 たちまち900万円弱の罹災証明書となった。
「今後はナシですよ」
 保険担当者はしっかりクギを差すのを忘れなかったが、この時ばかりは俺のマニア癖が幸いし、600万にビタ1文欠けることなく火災保険は無事下りたのである。

(旧ホンタ2003.5.5更新分を加筆、再構成)



●窓辺の女●

 1986年暮れ、俺は隣室の「妖怪ばあさん」の失火による火事でアパートを焼け出された。
 妖怪ばあさんの妖怪たる由縁・その一。
 アパート玄関のハダカ電球、配線のぐあいが悪いのかすぐ切れる。切れたら最後、誰も取り替えないから、玄関はまっ暗状態が続く。そこへ外から帰ったばあさん、框に腰を着く。
 着いたら最後、動こうともしない。
 と、そこへ人が入ってくる。戸が開いて、外の明かりが〈ぽっ〉と当たったところに、ざんばら髪のシワくちゃの怨めし顔が、
「コンバンワァー……」
 これでびっくりしない者はない。
 妖怪ばあさんの妖怪たる由縁・その二。
 耄碌(もうろく)も相当きていたようだ。
 外では置き引きされたと警察に泣きつき、帰ってはドロボウに入られたと騒ぎたてる。
 それがそもそもおかしい。
 俺など近所に飯を食いに出るにさえ鍵など掛けた試しがない。それで物が失くなったこともない。何故ばあさんのところだけ、しかもカギを掛けて出た部屋にドロボウが入れるのか。
 失火の原因は線香の火だった。それで家一軒半焼するほどの火事になるのも解せないが、訊けば部屋中新聞紙のクズで散乱していたそうな。神信心で火事を招いてりゃ世話はない。
 そのばあさん、その後どうなったか。少しは気になる。
 風の便りに聞いた。
 身より頼りも住むあてもなく、役所で八方手を尽くして老人ホームをあてがったものの、すぐ出てしまった。その弁や立派なり。
「養老院などシンキくさい」
 そう言って自分からおん出たという。天晴れ妖怪である。
 その後は、寒空の下、ホームレスになったということも聞かぬし、まあ、あの気丈なら簡単に死ぬことはあるまい。
 それより他人ごとではない。自分の身を心配せねばならなかった。
 あちこち居候を繰り返しながら、区から借りた電動車イスに乗って――この時を境にして電動車イスに移行したのであるが、それでの不動産屋めぐりがはじまった。
 最初の何日かは福祉会館の口利きで吉原の連れこみ旅館を宿とした(吉原だよ、よ、し、わ、ら)。それも、経営者が障害児をもつ親という縁からだった(吉原にも障害者はいる、あたりまえか)。
 こうして、「花の吉原」にきた。
 ネオンきらめく歓楽の花園に、化粧のニオイぷんぷんの夜の蝶や、いかつい顔の蝶ネクタイの兄さんが「寄ってらっしゃい、遊んでらっしゃい」と客寄せに余念がない。
 ここでは障害者だからって差別はない、というより障害者こそはいい金ヅル、安全パイだ。「おニイさん、優しい子がいるよ」と、ついホロリとさせる殺し文句でさそってくる。
 あぶないあぶない、こちとら火事で住む家もなく、ホームレス一歩手前の障害者なんだぜ。一夜の歓楽に何万と豪勢できる身分ではない。
 第一、火災保険600万に加入してはいたが、この時点ではそれが手に入るかどうかも分からなかった。
 むしろワケ知り顔の悪友はこう言ったものだ。
「火災保険といっても全焼なら全額出るだろうが、半焼で水をかぶっただけならどれだけ補償が利くか分かったものではない。半額出れば御の字。そこまで行かないのが世間相場……」
 したり顔での物言いに、当初の「600万」が「500万」「400万」とだんだんしぼんで最後は「300万」、それすら疑わしく思えてくる。
 すっかり滅入り、宿に帰ってもいいことがない。連れこみ宿と聞いて小躍りしたのは最初のうち、壁に耳当て盗聴すれば、夜中じゅうあられもない声――
 などという期待は夜遊びも知らないシロウトの赤坂見附六本木。どうやら暮れのこの時期はシーズンオフだとかで、ネズミのチューひとつ聞こえてこないしみったれだった。
 しかし600万は出た。満額どころか、焼け跡の片づけ代何千円かプラスの金額と決定。正真正銘の「ラッキー!」ってな気分だった。
 外野が「半分出るかどうか」とうるさかったお陰で、600万出ると正式に分かった時は、300万の宝クジに当たった気分。いや、俺は本当に宝クジに当たった者の気持ちがよく分かった。
 それからが大変だった。
 何か、とんでもない幸運を射止めた気分で、宿に帰るにも、不動産屋をまわっていても、車に跳ねられるのでは、ビルから飛び降り自殺の人が降ってくるのではと気が気でなかった。
 童話の「サルの手」ではなかったか。一つ幸運があると、代わりの不幸に見舞われる教訓。そんな不安に暫しさいなまれた。
 アパート探しは至難をきわめた。それまで住んでいたような木造アパートは次々とマンションに建てかわっており、暮れのこの時期ということも手伝って空きはほとんどなし。
 また、あっても車イスとみて管理人や大家は最初から拒否の姿勢。障害者の悲哀と困難さを久しぶりにまた実感することとなった。
 結局、マンション探しに方針をかえた。
 そうして社協に勤める知人やボランティアの協力により、2つのメインストリートが交差する隅田の川近くのマンション、10階に居をかまえることが出来た。
 引っ越し早々、近所でボヤがあった。またも消防車のサイレンにおびえる一瞬。ふと、キナ臭いニオイにも敏感になり、「ハッ」として飛び起きる火事過敏症。そして高所10階不安症。
 そんなある夜、向かいのビルの8階に女の姿――窓を開け、電灯の明かりを煌々と点けたまま、着がえを始めた。
 セーターを脱ぎ、ブラジャーを外し、向きを変えた。いったん座をはずし、次に姿を見せた時はこちら側に尻を見せ、パンティを履くところだった。
 俺の心臓はたちまち早鐘を打っていた。

(旧ホンタ2003.5.5更新分を加筆、再構成)

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